体験談(留学・高度)

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By KOKORO(毎日新聞社+VAIJ主催、在ベトナム日本国大使館など後援)

今回の先輩

Trần Như Hoài(チァン・ニュ・ホアイ)さん

1982年生まれ、ダナン市出身
2000年 5月 LE QUY DON 高校卒業
2000年 7月 ドンズー日本語学校入学
2001年 3月 ドンズー日本語学校卒業
2003年 3月 静岡日本語教育センター卒業
2008年 3月 東京工業大学 経営工学科卒業
2018年 3月 樹徳大学MBA卒業 
2008年 4月 池下設計入社(正社員、施工設計部)
2010年 1月 池下設計退社、帰国より退社
2011年 1月 ダナン工科大学 プロジェクトマネジメント学科  講師
2014年 3月 ダナン工科大学 プロジェクトマネジメント学科  退校
2011年 6月 SIGNART設立
2015年10月 NAL SOLUTIONS設立
2017年 2月 UHOME設立

はじめに

ベトナム人の日本留学がまだ珍しかったころ、日本でアルバイトも勉強も必死にがんばったホアイさん。有名大学に進み、優良会社で2年間勤務して帰国後、日本語力に加え日本で培った人脈を生かして起業した。日本での経験や日本で育んだ仕事への情熱を生かして事業を好調に展開しているホアイさんの留学体験を紹介する。

出張先のシアトルで【2016年】

見聞を広めようと留学を決意

私が高校を卒業したころ、ホーチミンのドンズー日本語学校が留学候補者を集めていました。当時のホエ校長が「ベトナムの発展のために、もっと多くの若者を日本に行かせたい」と考えて奨学制度を設け、全国の成績のよい生徒を集めており、私はダナンのHoi Khuyen Hoc(学習促進協会)から打診されて応じました。見聞を広めたいと思ったからです。

ドンズー日本語学校の創立25年周年記念パーティーでホエ先生(中央)と【2016年】

ドンズーで日本語を9カ月間勉強し、2001年4月に静岡の日本語学校に入りました。奨学制度でホーチミンでの生活費や授業料、日本への渡航費は無料でした。また、静岡での学費も、ドンズーの生徒は卒業までに払えばよいことになっており、借金なしで留学できました。

ドンズーの先輩たちがサポート

日本での当初の生活はドンズーの先輩たちにサポートしていただき、本当に助かりました。「ベトナムの発展のために努力し、助け合おう」という校長の指導もあり、同窓生のつながりが昔も今も強いのです。当時、ドンズーからの留学先は東京と静岡だけで、静岡での同窓生(大学生、日本語学校生)は十数人。同期生も東京と静岡を合わせて20人だけでした。

ドンズーの留学生仲間とフットサル大会に参加【大学生時代】

住居は、ドンズーの先輩たちが住んでいた古い一軒家に一緒に住ませていただき、5人で暮らしました。テレビや冷蔵庫、洗濯機も、卒業した先輩たちから引き継がれたものでした。

50回以上電話してアルバイト獲得

最初は日本語をあまり話せなかったので、アルバイト探しも先輩が頼りでした。訪日から2週間後、先輩が働いていた鮮魚店でバイトを始めました。魚をパックして値札を貼り、店頭に並べる仕事です。勤務は朝5時か6時から2、3時間で、休日なしでした。時給600~700円、1カ月20,000~30,000円でした。

授業料と生活費と大学の入学金を稼ぐには、これでは足りないので、アルバイト紹介雑誌を見て電話をかけました。先輩に教わった通り「◎◎を見て電話しましたが、まだアルバイトの募集はしていますか」と尋ねます。しかし、相手がたくさん話すと聞き取れません。そんなときは、「すみませんでした」と言って電話を切りました。しかし、何回か電話するうちに耳も慣れていき、聞き取りやすい話し方をしてくれる人もいました。

ちなみに、アルバイト探しの電話は公衆電話からでした。携帯電話やインターネットは十分に普及しておらず、2,000円や3,000円のテレホンカードを買っても、ベトナムに電話できるのはわずか数分間で、ベトナムに恋人のいる留学仲間は大変でした。

私は50回以上電話して飲食店の皿洗いの面接にこぎつけ、採用されました。100回以上電話しても1度も面接を受けられない同期生もいたので、私は本当にラッキーでした。私はこの店でほぼ毎日、夕方から深夜まで働きました。さらに、惣菜工場の仕事も加わり、皿洗いの後で午前2時まで勤務しました。朝は鮮魚店にも行くので、睡眠3時間前後の時期もありました。昼に授業が終わってから皿洗いに行くまでは受験勉強もしました。留学生へのアルバイト時間の制限は、当時はありませんでした。

私の家計簿(1カ月の平均)

※日本語学校時代
※100円=21,707 VND(2020年4月19日現在)

収入(合計約150,000~180,000円)

アルバイト(惣菜工場など三つ) 計150,000~180,000円
※一番多いときの収入(睡眠3時間)

支出総額(覚えていない)

家賃+水道・光熱費 10,000~13,000円
※5人でシェア
食費 覚えていない
※バイト先で安いまかないを食べることも多かった
学費 50,000円
雑費 覚えていない

差額・貯金(数万円~10万円以上)

 ※余ったお金は大学の入学金に充てるために貯金した。

テレビ番組で日本語上達

鮮魚店の店長が親切な人だったので、いつまでも言葉が分からず迷惑をかけ続けるわけにはいかないと思い、必死で勉強しました。学校の勉強だけでは足りないので、どうしたら日本語がもっと早く上達するか考えました。そして、公園で小さな子どもが日本語を話すのを見て、「大人は考えすぎるから言葉が上達しないのでは」と思い、テレビでドラマやお笑い番組を見るようにしました。勉強中にもテレビをつけ、常に日本語が聞こえている状態にしました。ドラマでいい台詞があれば、翌日のバイト中に思い出して覚えました。こうしたことを半年間続けると、聞くのも話すのもかなり上達しました。

日本語学校を2年間で卒業しましたが、大阪大学の受験に失敗しました。そこで、当時の盛岡情報ビジネス専門学校で日本語学科の立ち上げを手伝いながら受験勉強に本腰を入れ、翌2008年、東京工業大学に合格しました。

東京の浅草寺で【2007年ごろ】

ベトナムでの自立を見すえて職業選択

私は大学入学後、「ベトナムがこれから経済発展していく中で建設業も伸びるので、それを支える仕事でベトナムに貢献しよう」と思い、設計図を描くアルバイトを探しました。その結果、3年生から「池下設計」でアルバイトをし、2008年の卒業と同時に、同社に就職しました。

施工図(池下設計のHPより)

同社は生産設計(施工図)や施工管理を行い、高層ビルや複合施設などゼネコンの下請けで大規模建築を手がける会社です。私はやりがいを感じながら忙しく仕事をしました。しかし、リーマンショックで経営が悪化し、日本の建設業界の将来に不安を感じました。ずっと忙しくて帰国のタイミングをつかみ損ねたという先輩ベトナム人の話も聞いていたので、このタイミングで退職し、2010年1月にダナンに帰国しました。

池下設計時代、勉強のため日本のモデルルームを見学【2009年7月】

ベトナムで起業

帰国後、ダナン工科大学の講師になりました。並行して2011年、日本に留学した友人たちとSIGNART(サインアート)社を設立しました。これは木造住宅の構造設計をする会社で、日本の工務店の依頼で構造設計図を作成し建築確認申請書類も作成しています。また、2015年、ソフトウェア開発のNAL SOLUTIONS社の設立にも参加しました。後輩の日本留学生がハノイで起こしたIT会社がダナンで事業展開する際に経営に共同参加したものです。いずれも日本の仕事をオフショアで受託し、ベトナムで作業をしています。他にもいくつかの事業に関わっています。

NAL SOLUTIONSにて【2017年】

事業を拡大

私はその後、SIGNARTで蓄積した日本の木造住宅の設計ノウハウを生かし、ベトナム人向けの戸建て住宅の設計・販売に乗り出しました。日本品質の住みよい住宅をベトナム人にも提供したいと思ったのです。

ベトナムの住宅は、間口が狭く採光や通気が悪い(=暗くて暑い)ですし、大都市では地価も高騰しています。そこで、住み心地がよくて庶民にも買える価格の住宅を提供しようと、クアンガイ省で宅地開発を行い、2016年に200戸の戸建て住宅の販売を始めました。ベトナムの大都市以外では建て売り住宅は珍しいのですが、顧客に設計のすぐれた点を説明していくと、2018年の完工前に完売しました。建築現場を見学して安心し購入を決めたお客様もいました。不動産開発部門は2017年に切り離し、UHOME(ユーホーム)という会社にしました。

クアンガイ省で進めた住宅建築工事。左奥は先に完成した住宅。【2018年】

留学中にネットワークを広げよう

私は池下設計でコンピュータの設計支援ツール(CAD)を使って施工図を作っていました。SIGNARTで間取り図を元に構造設計図を作る際にその経験が生きています。また、UHOMEでは、日本で学んだ建築・施工設計・管理知識が非常に役に立っています。

今の仕事で、日本語力も役立っていますが、日本で培った人間関係やプロ意識、「いい住宅を提供したい」という日本的な情熱が仕事に反映され、信頼につながっているように思います。私は留学中に勉強やアルバイトに加え、留学生支援活動や大学のサークル(フットサル)などいろいろな活動にも参加しました。後輩の留学生の皆さんも、せっかく日本に行くなら、日本語はもちろん、それ以外の経験も積んで、技術・知識やネットワークを育んでください。それが将来に役立ちます。

UHOMEにて【2019年8月】