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ベトナムから海外留学する人がまだ少なかった1990年代に日本に留学したニエンさん。留学仲間の夫が沖縄で就職したため彼女も沖縄に長く住むことになり、その間に日本の文学小説をたくさん翻訳し、ベトナムで出版。最近は、沖縄に住むベトナム人技能実習生たちのサポートにも力を入れています。 今回の先輩 グエン・ド・アン・二エンさん 1994年ホーチミン国家大学東洋学部入学 1997年名桜大学で交換留学〈沖縄、1年間〉 1999年ホーチミン国家大学卒業 1999年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈2年間〉 2001年名桜大学大学院修士課程入学 2003年修士課程修了 2003年大阪府立国際児童文学館外国人研究員〈6カ月〉 2004年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈4年間〉 2004年TRE出版社で日本語通訳・翻訳〈4年間〉 2011年名桜大学附属図書館でアルバイト〈5年間〉 2011年名桜大学非常勤講師〈現在も〉 2022年沖縄大学非常勤講師〈現在も〉 〈1976年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 •...
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【在ベトナム日本国大使館後援】
今回の先輩 ト・ティ・タイン・ヴァンさん 2018年 高校卒業〈ホーチミン〉 2019年 日本語学校入学〈北海道〉 2020年 日本語能力試験N2合格 2021年 札幌学院大学入学〈北海道〉 〈2000年生まれ、ホーチミン市出身〉 ベトナムで14カ月間、日本語をしっかり勉強してから日本に留学したヴァンさん。来日して2年目でJLPT・N2に合格したため、大学に面接だけで入学できました。ヴァンさんの留学生活を紹介します。 〈このページの内容〉 • 留学前の日本語学習 • 来日後の日本語学習 • 親切な人たちに囲まれてアルバイト • N2合格→無試験で大学入学 • 留学の費用と家計簿 • ベトナム人コミュニティ • 北海道での暮らし • 落とした財布が戻ってきた! • トピックス <!-- --> 留学前の日本語学習 日本に向けて旅立つ前、空港で家族とお別れ〈2019年〉 日本語センターで14カ月間勉強 母の勧めで留学を決め、高校3年のときから14カ月間、ホーチミンの日本語センターで日本語能力試験(JLPT)N4レベルまで勉強しました。毎日、学校で7時間、自宅で3時間勉強しました。 北海道に決めた理由 東京の日本語学校に入ろうとしましたが、在留許可を取れなかったので、半年後に、北海道の日本語学校に入る前提で再トライしました。すると、在留資格を取れました。私と同じように東京の学校がだめだったので地方に変更するという人はたくさんいます。 来日後の日本語学習 自宅で漢字の勉強 私の来日後の日本語学習について紹介します。 ・来日(2019年4月)→N3合格(2020年12月)→N2合格(2021年12月) ・使った教材:みんなの日本語、「新完全マスター」シリーズ、「総まとめ」シリーズ、「耳から覚える」シリーズなど ・日本語学校でも大学でもなるべく日本語で会話(友人や先生と) ・新型コロナで登校する機会が減ったときは、YouTubeの日本語ニュースや日本語のアニメやドラマ(ベトナム語字幕付き)でも勉強 親切な人たちに囲まれてアルバイト カニ料理店 ・最初のアルバイト(1年間)。皿洗い。 ・学校からの紹介 ・時給は高いが、とても忙しかった。あまり日本語を話さない。 ・その後、居酒屋でも働いたが、帰宅が夜遅いので、2カ月で退職 スーパーマーケット ・おかずをパックに入れる仕事(1年間) ・先輩留学生からの紹介 ・平日は13:00~17:00、土日は7:00~16:00 ・会話が多く、日本語が上達した。 ・余ったおかずをもらえることもあった。 スーパーでは、若者は自分だけで、おじいさんやおばあさんの先輩の皆さんがとても親切にしてくれました。昼休みや休憩のときにご飯やお菓子を食べながらたくさん話をしました。私の誕生日にはケーキを買ってくれ、お祝いの歌も歌ってくれました。大学進学後は、自宅から遠くなったので退職しましたが、今でもおばあさん3、4人とLINEで連絡を取り合っています。 大学に入ってからは、食品工場で深夜勤務(週3回、21:00~6:00)をしました。時給は高かったのですが、勉強に支障があるのですぐにやめました。今はバインミー店で働いています。 N2合格→無試験で大学入学 大学の留学生仲間とキャンパス(右) 私が通っている札幌学院大学では日本留学試験(EJU)の日本語(400点満点)の得点が 200点以上かJLPT・N2なら、筆記の入学試験を免除されます。私はEJU194点でしたが、N2だったので、面接だけで大学に入れました。 日本語学校が開いたオンラインの大学説明会に地元の約10大学が参加しました。その中で、この大学は成績優秀者への授業料割引(奨学金)が充実していました。GPA2以上なら授業料30%引き、3以上なら75%引きです。 大学の授業はすべて日本語です。毎週課題があり、パソコンでレポートを作ります。漢字を選ぶのが難しく、辞書アプリで調べながらがんばっています。 external link 日本語の辞書アプリはどれがいい? 留学の費用と家計簿 日本語学校で 留学の最初にかかった費用 ・日本語学校の1年目の授業料や飛行機代など(約1,000,000円) ・日本語センターへの手数料(240,000,000 VND) ・両親が貯金から払った。 日本での授業料など ・日本語学校(年間):¥760,000 ・大学(年間):¥1,104,000-¥340,000=¥764,000(私の成績に応じて減額) ・今は節約生活。就職したら旅行をしたい。 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学1年のときの家計簿 ※100円=約19,800 VND(2022年3月4日現在) 収入:¥80,000~¥90,000 アルバイト1件(飲食店) ¥80,000 支出:¥136,000 家賃(ワンルーム) ¥18,000 授業料(割引後) ¥67,000 電気・ガス・水道 ¥13,000 携帯電話(LINEモバイル) ¥3,000 Wi-Fi ¥4,000 健康保険 ¥4,000 食材費 ¥12,000 外食費・交通費・雑費 ¥15,000 毎月の差額:▲¥46,000~¥56,000 ※仕送りと夏休みなどに長く働いて補てん ベトナム人コミュニティ ベトナム人との交流は日本語学校の同級生が中心ですが、VYSA北海道の活動にも参加しています。最初は、2019年10月に札幌市内の公園で開かれた「ベトナムフェスティバルin 札幌」=写真=で、アオザイを着て踊ったりベトナム料理を売ったりしました。VYSAのFacebookを見て友人と一緒に申し込みました。準備や練習のために何度も集まり、打ち上げ会にも参加しました。 これをきっかけにVYSAのイベントによく参加しています。ベトナム人の友だちが増えますし、先輩留学生にいろいろなことを教えてもらえます。イベントのとき以外にも飲み会があります。 external link 在日ベトナム人学生青年協会(VYSA) 北海道での暮らし ときどき大雪の日があります スクーター 日本でスクーターの運転免許を取って乗っている友だちが東京や大阪に3、4人います。私もスクーター購入を検討しましたが、北海道では冬に路面が凍ってバイクに乗れないので、あきらめました。 留学生に自転車プレゼント 札幌市は留学生に自転車をプレゼントしてくれます。学校を通じて申請します。ただし、かぎはかけましょう。来日して1年目、自転車にかぎをかけずにアパートの前に置いていたら、夜に盗まれました。日本は安全な国ですが、最低限の注意は必要です! 落とした財布が戻ってきた! ある日、買い物帰りに地下鉄の駅で財布を落としました。帰宅して気付き、駅に戻って駅員さんに言うと、次の日に地下鉄から「財布が見つかりました」と電話がありました。駅で受け取り、中に入っていた現金20,000円や在留カードは無事でした! 日本で初めて一人暮らしを体験し、最初は苦労もありましたが、バイト先でおばあさんたちにやさしくしてもらったり、財布を落としても見つかったりして、日本が大好きになりました。日本人はやさしいですし、仕事にまじめにとりくみ、規則も守ります。卒業後もできるだけ長く日本で働きたいと思っています。 トピックス ハオハオ大好き 日本に来るときにインスタントラーメンのハオハオ60袋をスーツケースに入れて持ってきました。日本の税関で、「これは何に使うのですか」と英語で聞かれ、「自分で食べます」と答えました。どきどきしましたが、大丈夫でした。今は日本にベトナム食材店が増え、ハオハオも手に入りやすくなりました。 苦手な料理をがんばる 来日して初めて料理をするようになりました。よく作るのはチャーハンとインスタントラーメンです。そんな私に母はベトナムの調味料をよく送ってくれます(10㌔の箱=送料約2,000,000 VND)。まだ料理は苦手ですが、引き続きがんばります。 今回の先輩 ト・ティ・タイン・ヴァンさん 2018年 高校卒業〈ホーチミン〉 2019年 日本語学校入学〈北海道〉 2020年 日本語能力試験N2合格 2021年 札幌学院大学入学〈北海道〉 〈2000年生まれ、ホーチミン市出身〉 ベトナムで14カ月間、日本語をしっかり勉強してから日本に留学したヴァンさん。来日して2年目でJLPT・N2に合格したため、大学に面接だけで入学できました。ヴァンさんの留学生活を紹介します。 <!-- --> 〈このページの内容〉 • 留学前の日本語学習 • 来日後の日本語学習 • 親切な人たちに囲まれてアルバイト • N2合格→無試験で大学入学 • 留学の費用と家計簿 • ベトナム人コミュニティ • 北海道での暮らし • 落とした財布が戻ってきた! • トピックス 留学前の日本語学習 日本語センターで14カ月間勉強 母の勧めで留学を決め、高校3年のときから14カ月間、ホーチミンの日本語センターで日本語能力試験(JLPT)N4レベルまで勉強しました。毎日、学校で7時間、自宅で3時間勉強しました。 北海道に決めた理由 東京の日本語学校に入ろうとしましたが、在留許可を取れなかったので、半年後に、北海道の日本語学校に入る前提で再トライしました。すると、在留資格を取れました。私と同じように東京の学校がだめだったので地方に変更するという人はたくさんいます。 日本に向けて旅立つ前、空港で家族とお別れ〈2019年〉 来日後の日本語学習 私の来日後の日本語学習について紹介します。 ・来日(2019年4月)→N3合格(2020年12月)→N2合格(2021年12月) ・使った教材:みんなの日本語、「新完全マスター」シリーズ、「総まとめ」シリーズ、「耳から覚える」シリーズなど ・日本語学校でも大学でもなるべく日本語で会話(友人や先生と) ・新型コロナで登校する機会が減ったときは、YouTubeの日本語ニュースや日本語のアニメやドラマ(ベトナム語字幕付き)でも勉強 自宅で漢字の勉強 親切な人たちに囲まれてアルバイト カニ料理店 ・最初のアルバイト(1年間)。皿洗い。 ・学校からの紹介 ・時給は高いが、とても忙しかった。あまり日本語を話さない。 ・その後、居酒屋でも働いたが、帰宅が夜遅いので、2カ月で退職 スーパーマーケット ・おかずをパックに入れる仕事(1年間) ・先輩留学生からの紹介 ・平日は13:00~17:00、土日は7:00~16:00 ・会話が多く、日本語が上達した。 ・余ったおかずをもらえることもあった。 スーパーでは、若者は自分だけで、おじいさんやおばあさんの先輩の皆さんがとても親切にしてくれました。昼休みや休憩のときにご飯やお菓子を食べながらたくさん話をしました。私の誕生日にはケーキを買ってくれ、お祝いの歌も歌ってくれました。大学進学後は、自宅から遠くなったので退職しましたが、今でもおばあさん3、4人とLINEで連絡を取り合っています。 大学に入ってからは、食品工場で深夜勤務(週3回、21:00~6:00)をしました。時給は高かったのですが、勉強に支障があるのですぐにやめました。今はバインミー店で働いています。 N2合格→無試験で大学入学 私が通っている札幌学院大学は日本留学試験(EJU) 200点以上かJLPT・N2なら、筆記の入学試験を免除されます。私はEJU194点でしたが、N2だったので、面接だけで大学に入れました。 日本語学校が開いたオンラインの大学説明会に地元の約10大学が参加しました。その中で、この大学は成績優秀者への授業料割引(奨学金)が充実していました。GPA2以上なら授業料30%引き、3以上なら75%引きです。 大学の授業はすべて日本語です。毎週課題があり、パソコンでレポートを作ります。漢字を選ぶのが難しく、辞書アプリで調べながらがんばっています。 external link 日本語の辞書アプリはどれがいい? 大学の留学生仲間とキャンパス(右) 留学の費用と家計簿 留学の最初にかかった費用 ・日本語学校の1年目の授業料や飛行機代など(約1,000,000円) ・日本語センターへの手数料(240,000,000 VND) ・両親が貯金から払った。 日本での授業料など ・日本語学校(年間):¥760,000 ・大学(年間):¥1,104,000-¥340,000=¥764,000(私の成績に応じて減額) ・今は節約生活。就職したら旅行をしたい。 日本語学校で 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学1年のときの家計簿 ※100円=約19,800 VND(2022年3月4日現在) 収入:¥80,000~¥90,000 アルバイト1件(飲食店) ¥80,000 支出:¥136,000 家賃(ワンルーム) ¥18,000 授業料(割引後) ¥67,000 電気・ガス・水道 ¥13,000 携帯電話(LINEモバイル) ¥3,000 Wi-Fi ¥4,000 健康保険 ¥4,000 食材費 ¥12,000 外食費・交通費・雑費 ¥15,000 毎月の差額:▲¥46,000~¥56,000 ※仕送りと夏休みなどに長く働いて補てん ベトナム人コミュニティ ベトナム人との交流は日本語学校の同級生が中心ですが、VYSA北海道の活動にも参加しています。最初は、2019年10月に札幌市内の公園で開かれた「ベトナムフェスティバルin 札幌」=写真=で、アオザイを着て踊ったりベトナム料理を売ったりしました。VYSAのFacebookを見て友人と一緒に申し込みました。準備や練習のために何度も集まり、打ち上げ会にも参加しました。 これをきっかけにVYSAのイベントによく参加しています。ベトナム人の友だちが増えますし、先輩留学生にいろいろなことを教えてもらえます。イベントのとき以外にも飲み会があります。 external link 在日ベトナム人学生青年協会(VYSA) 北海道での暮らし スクーター 日本でスクーターの運転免許を取って乗っている友だちが東京や大阪に3、4人います。私もスクーター購入を検討しましたが、北海道では冬に路面が凍ってバイクに乗れないので、あきらめました。 留学生に自転車プレゼント 札幌市は留学生に自転車をプレゼントしてくれます。学校を通じて申請します。ただし、かぎはかけましょう。来日して1年目、自転車にかぎをかけずにアパートの前に置いていたら、夜に盗まれました。日本は安全な国ですが、最低限の注意は必要です! ときどき大雪の日があります 落とした財布が戻ってきた! ある日、買い物帰りに地下鉄の駅で財布を落としました。帰宅して気付き、駅に戻って駅員さんに言うと、次の日に地下鉄から「財布が見つかりました」と電話がありました。駅で受け取り、中に入っていた現金20,000円や在留カードは無事でした! 日本で初めて一人暮らしを体験し、最初は苦労もありましたが、バイト先でおばあさんたちにやさしくしてもらったり、財布を落としても見つかったりして、日本が大好きになりました。日本人はやさしいですし、仕事にまじめにとりくみ、規則も守ります。卒業後もできるだけ長く日本で働きたいと思っています。 トピックス ハオハオ大好き 日本に来るときにインスタントラーメンのハオハオ60袋をスーツケースに入れて持ってきました。日本の税関で、「これは何に使うのですか」と英語で聞かれ、「自分で食べます」と答えました。どきどきしましたが、大丈夫でした。今は日本にベトナム食材店が増え、ハオハオも手に入りやすくなりました。 苦手な料理をがんばる 来日して初めて料理をするようになりました。よく作るのはチャーハンとインスタントラーメンです。そんな私に母はベトナムの調味料をよく送ってくれます(10㌔の箱=送料約2,000,000 VND)。まだ料理は苦手ですが、引き続きがんばります。
2022年03月18日
今回の先輩 チャン・ティ・キュー・チンさん 2009年 高校卒業〈ドンナイ省〉 2009年 ホーチミン市外国語・技術情報大学入学 2013年 ホーチミン市外国語・技術情報大学卒業 2013年 衣料品販売会社入社〈ホーチミン〉 2015年 日系企業入社〈ホーチミン〉 2017年 アークアカデミー日本語学校入学(7月)〈大阪〉 2019年 エール学園入学(4月) 2019年 アカカベ入社(10月)〈大阪〉 〈1991年生まれ、ドンナイ省出身〉 チンさんは「東京より物価が安く、人情のある町で住みやすい」と聞いた大阪を留学先に選んで大正解だったと感じている。また、アルバイト先の人情豊かなおばさんたちから日本語を教えてもらい、日本語力がぐんぐん伸びた。チンさんの留学&就活体験記を紹介する。 〈このページの内容〉 • 会社をやめて留学の夢を実現 • 大阪を選んだ理由 • 日本語学校の選び方 • アルバイトで会話力向上 • 就職に強い「エール学園」 • 学園の就活プログラムを活用 • アカカベでの仕事 • 日本での生活 • ベトナムと日本を行き来したい 会社をやめて留学の夢を実現 勤務先の日系企業で〈2017年〉 私はいつか留学したいと思っていましたが、大学時代は資金もなく、就職してからは、交際していた彼(今の夫)が同意してくれなかったので、留学を実行に移せませんでした。そんな中、衣料品メーカーに2年間勤務後、日系企業(ミシンとプリンターのメーカー)に転職しました。日本語は片言だったので、私が同社で使う言葉は英語でした。大学の講義がすべて英語だったので、英語は得意だったのです。仕事内容はオンラインマーケティングや顧客管理などでした。そして、日本人社長が尊敬できる人だったこともあり、留学するなら日本に行きたいと思い始めていたころ、彼も留学に同意してくれたので、ついに留学を実行することになりました!そのころには、留学の資金もたまっていました。 大阪を選んだ理由 ハロウィンの夜〈大阪で2017年〉 留学センター(留学あっせん会社)は、先輩留学生(大学での友人)から「留学生の間で評判が高い」と紹介された「Yoko 日本語センター」を選びました。私は日本語は別の学校で学んだので、ここに支払ったのは留学手続きの費用だけで、合計8,775,000 VND(約42,300円)でした。センターでは約150校の日本語学校のリストを見せられました。私は東京にするか大阪にするか悩んでいましたが、スタッフの人が「東京は人が多すぎるし、物価も高い」として、大阪を勧めてくれました。勤務先の社長からも「大阪はホーチミンと雰囲気が似ていて住みやすい」と聞いていました。 その後、私は大阪に4年以上住んでいますが、大都会で公共交通が便利ですし、コンビニもスーパーもどこにでもあり、アルバイトもたくさんあります。また、大阪にはフレンドリーな人が多く、例えば、通行人に携帯電話の画面を見せて「ここに行きたいのですが」と尋ねると、たいていはとても親切に教えてくれます。一番大きな都市の方がいいと思って東京を選ぶ人も多いですが、大阪の住みやすさや人情は外国人にとって大変ありがたく、東京を選んだ友だちで「大阪にすればよかった」と悔やんでいる人が結構たくさんいます。 external link Yoko 日本語センター(ベトナム語) 日本語学校の選び方 アークのクラスメートたち〈2018年〉 日本語センターで「なるべくベトナム人が少ない日本語学校を紹介してください」とお願いし、「アークアカデミー日本語学校」を紹介されました。私は2017年7月に来日し、アークに入学しました。アークでは1クラス10~15人で、どのクラスにもベトナム人は1、2人だけでした。クラスメートの国籍はノルウェー、スペイン、韓国、インドネシア、台湾などで、授業以外でも日本語で会話するしかありません。当時の仲間とは今もLINE(日本語)で連絡を取り合っています。 アークの学校行事で日本文化体験〈2018年〉 初年度にアークに支払ったのは合計820,000円(約170,000,000 VND)で、内訳は選考料30,000円、入学金70,000円、授業料(1年)720,000円でした。アークでは欧米人の生徒が多く、彼らは要望を学校や教師にしっかり伝えるので、先生方の教え方や対応がとてもていねいでした。授業の中で特に良かったのはシャドーイングでした。 なお、来日前の7カ月間、仕事をしながら夜間に「ドンズー日本語学校」に通いました。週3回(1回1時間半)で7カ月間の授業料は6,000,000 VND(約28,900円)で、日本語能力試験(JLPT)のN5コースを終え、N4コースの途中まで学んでから来日しました。 external link アークアカデミー日本語学校・大阪校(日本語) アルバイトで会話力向上 ホテルで一緒に働いたおばさんや同僚たち〈2019年〉 私は初年度の留学費用はベトナムで貯めたお金で払い、2年目(日本語学校半年、専門学校半年)は、もともとの貯金と日本でのアルバイト収入で支払いました。アルバイトはホテルのレストランでの仕事で、勤務時間は主に6:00から12:00か13:00までで、たまに夜も働きました。一緒に働いた年配の女性たちがとても親切で、私が学校で習った言葉を職場で使って「今の使い方で合っていますか?」と聞くと、違っていれば細かく教えてくれました。授業で分からなかったことや生活で使う言葉も、彼女たちがいつも親切に教えてくれました。こうして、学校で習った日本語を実際の会話で使い、修正もしてもらえるので、日本語力がぐんぐん上がりました。 また、漢字の試験の直前には洗い場の担当をさせてもらい、自分で書いた漢字のメモを見ながら洗いものをしました。こうして、来日して1年半でJLPT・N2に合格しました。これから留学する皆さんも日本語を使えるアルバイトをぜひ見つけてくださいね! 就職に強い「エール学園」 エール学園での就活イベントの一例〈2019年〉 私は日本語学校を1年半で卒業し、アルバイト仲間から紹介された「エール学園」のデュアルビジネスコースに進みました。このコースは1年間だけで、就職にめっぽう強いのが特色です。私は日本語力に関する入試と面接に合格し、このコースに入ることができました。私は就職が早く決まってエール学園を半年で退学したので、学園に払ったのは入学金70,000円と半年の学費420,000円だけでした。 external link エール学園デュアルビジネスコース 学園の就活プログラムを活用 就活イベントに一緒に参加した同級生たち〈エール学園で2019年5月〉 入学の翌月の2019年5月、学園内で生徒16人と地元企業約20社が集うイベントがあり、私も参加しました。まず私たちが日本語で1分ずつ自己紹介をします。その後、企業の方々と名詞を交換し、その会社の事業や仕事内容をお聞きしたり、相手の質問に答えたりします。その中でドラッグストアを経営する株式会社アカカベの前田さんが私を気にかけてくださいました。そして、私は7月に3週間、アカカベでインターンシップをすることになりました。 インターンシップは1日6時間で週3回あり、エール学園の単位に組み込まれます。私はアカカベの店で商品を並べたり、レジを担当したり、外国人観光客向けの英語のポップを作ったりしました。そして、前田さんと会って食事をしたり会社の様子を聞いたりし、「当社はこれから海外事業を拡大するので、一緒に働いてほしい」と誘っていただきました。私は前田さんのお人柄とアカカベの海外事業の可能性に引かれ、ここでお世話になることに決めました。 アカカベでの仕事 アカカベのドラッグストア 私はエール学園を半年で出てアカカベに入社しました。当社は大阪府にドラッグストアと調剤薬局を計約90店展開しています。日本のドラッグストアは大型で、ベトナムの薬局と違って医薬品以外に化粧品や生活用品、飲食料品なども販売しています。私は当初は店での仕事が中心でしたが、入社半年後ぐらいから海外事業が中心になりました。入社直後の2019年10月、社長や前田さんと一緒にベトナムのダナンに出張し、現地企業と交流するイベントに参加しました。 その後、新型コロナの感染が始まり、2020年春に日本でマスクが極端に品薄になりました。当社はダナンで交流した会社と交渉し、同社からマスクを大量に購入しました。その際、私はマスクの仕様や契約内容などについて先方と交渉しました。
2021年09月27日
今回の先輩 グエン・デュイ・ミンさん 2010年 ハン・トゥエン高校卒業〈バクニン省〉 2011年 ハノイ工科大学入学 2015年 ハノイ工科大学卒業 2015年 日本食レストランに就職〈ハノイ〉 2016年 日系企業に就職〈ホーチミン〉 2018年 日本の会社の面接に合格〈ホーチミン〉 2019年 訪日、大きな工場に配属〈滋賀県〉 〈1992年生まれ、バクニン省出身〉 ミンさんは学生時代に知り合った日本人を尊敬し、日本にあこがれた。日本語学習を一度はやめたが、日系企業への就職を機に猛勉強。今は、エンジニアとして日本の会社で頼りにされている。 〈このページの内容〉 • 仕事内容とやりがい • 日本での職場選びで大切なこと • 「日本」との出会い • 悩んで退職 • 今度は日本語を猛勉強 • 日本での人付き合い • 日本での生活 • 能塚さんの話 仕事内容とやりがい 勤務先で同僚とランチ(右端が私) 私はホーチミンで面接を受けて日本の派遣会社「シューワキャリアパワー」に就職し、2019年1月、エンジニアとして大きな工場に配属されました。そこは業務用の大型冷凍・冷蔵庫を作る大きな会社で、製品を世界各地のメーカーやスーパーマーケットなどに納めています。製品は注文生産で、一つ一つカスタマイズします。その際、冷凍・冷蔵庫の冷却用配管の表面に水滴が付くと管が割れやすくなるので、ゴム製の防熱カバーを手作業で管に巻きます。それが私の仕事です。 また、この工場で働くベトナム人の中で私の日本語力が一番高いため、日本人とベトナム人エンジニアとの間で仕事の意思疎通ができないときに通訳をします。工場はとても広いので、困っている日本人から私の携帯電話に電話がかかり、職場の責任者の許可を取ってから先方に出向きます。「禁煙」「ポイ捨て禁止」など社内掲示物の翻訳もときどきやります。多くの方から頼りにされ、やりがいを感じています。 日本での職場選びで大切なこと 私の部屋。会社が家賃の半額を負担。 私たちエンジニアは日本で自由に転職できるので、もっと時給の高い仕事を見つけて転職した元同僚もいます。私の時給は最初は1,000円で今は1,150円です。本当はもう少し上がる予定でしたが、新型コロナの影響で昇給が少し滞っています。しかし、私の知り合いで、新型コロナの影響で失業しアルバイト生活を送っている在日ベトナム人もいますし、給料が激減した人もいます。これに比べ、シューワCPは正社員として私たちの基本給を保証してくれます。例えば、他社に派遣されている仲間が派遣先での仕事が減り、派遣先からシューワCPに入るお金が激減した場合でも、仲間の基本給を保証してくれました。 また、シューワCPには社員寮があり、家賃の半額を会社が負担してくれます。私はトランスジェンダーで、男性ホルモンを注射するために2週間ごとに京都のクリニックに行くのですが、最初の寮からは駅まで遠く通院に不便だったので、会社に相談すると、駅に近い寮に移してくれました。このように、社員の生活を大事に考えてくれるかどうかが目先の時給より大事だと思います。 「日本」との出会い アルバイト先の日本料理店の前で同僚と〈ハノイで2015年〉 私が日本に興味を持ったのは、能塚洋一さんとの出会いからでした。大学時代、実家は裕福ではなかったので、学費は姉が出してくれましたが、生活費は自分で稼ぎました。大学2年のときは、家庭教師と日本料理店の店員をしました。料理店ではランチタイムに2時間だけ働き、店を手伝っていたビル管理会社社長の能塚洋一さんと知り合いました。彼はアルバイト店員にもよく声をかけてくれ、焼肉店にも連れて行ってくれました。能塚さんの面倒見のよさに感銘し、「こんな社会人になりたい」と思ったのが、私の日本へのあこがれの始まりでした。 能塚さんや日本人客ともっとコミュニケーションをしたいと思い、大学3年のときに「みんなの日本語」を買って勉強を始めました。しかし、難しかったので、日本に留学して日本語を身に付けたいと思うようになり、能塚さんに相談しました。すると、能塚さんは私を日本語教室(週2回)に行かせ、1年間で約6,000,000ドン(約28,770円)の学費を負担してくれました。大学4年のときは再び自力で勉強しました。 ※100円=20,855 VND(2021年7月26日現在) 悩んで退職 心機一転のためホーチミンへ〈資料写真〉 2015年6月に大学を卒業後、私は能塚さんの会社に試用で雇ってもらいました。しかし、私は先輩たちから軽く見られているように感じ、会社に溶け込めませんでした。また、私が男っぽい格好をしていたので職場で理由を聞かれ、トランスジェンダーだからと答えたのですが、当時はそのことへの理解もまだ進んでいなかったように思います。 さらに、日本料理店の元同僚で、私と同じように能塚さんに日本語教室に行かせてもらい、私より日本語が上達した人がいました。ある日、会社の先輩と能塚さんと私の3人で話をしていたときに、その元同僚の日本語の上達が私より速いという話題になりました。私はその夜眠れず、自分は会社で必要とされていないのではないかと感じました。こうして、入社して約2カ月で退職し、数カ月後に心機一転のためホーチミンに転居しました。 大学4年のときの私=左端〈ハノイ工科大学で〉 ちなみに、私がトランスジェンダーだと気付いたのは大学3年のときでした。アルバイト先で知り合った女性が好きになり、「自分は女なのになぜ女性を好きになるのだとう」と自問したのが最初です。相手も私に好意があってほどなく交際するようになり、卒業まで続きました。私はネットで調べて自分が「トランスジェンダー」だと分かり、男っぽい髪型や服装をするようになりました。 今度は日本語を猛勉強 ホーチミンの日系企業の仲間たち 2016年初めにホーチミンに移った私は半年間アルバイトで生活後、日系企業に就職しました。同社では、日本の宅配会社の顧客データ(氏名・住所など)を日本語でコンピュータに入力する仕事を担当しました。この就職をきっかけに私は再び日本語の勉強を始めました。「新完全マスター」シリーズなどで勉強し、2018年にN4、2019年にN2に合格しました。 私は「日本語をマスターして日本で働く」という夢を今度こそ実現するため、ほかのことを頭から閉め出し、毎日仕事が終わってから5時間勉強しました。2年近くそれを続け、2018年、Facebookに出ていたシューワCPの求人に応募しました。広告主の人材会社に履歴書を送信し、日本語での面接に合格した私は日系企業をやめ、渡航に備えました。人材会社への手数料は不要でした。 日本での人付き合い 同僚の日本人たちと焼肉店へ 日本では、職場で若い日本人の同僚3人とよく話をしています。新型コロナの感染拡大前は、毎月のように一緒に遊びに行ったりバーベキューをしたりしました。仕事が終わってから一緒に焼肉店や居酒屋に行くこともよくありました。寮ではベトナム人は私だけですし、職場の日本人との交流が最近の人付き合いの中心です。 恋人と大阪城を観光 また、ホーチミンの日系企業の同僚で来日前から付き合っている恋人(ベトナム人女性)が和歌山県の老人ホームで働いています。介護福祉士の国家試験にも合格した努力家です。彼女に会いに行くには電車で約3時間半かかるのと、仕事の休みが合わないこともあり、年に2、3回しか会えませんが、今年の夏休みに一緒に神戸に行くことを楽しみにしています。 日本での生活 <figure"> 休日に電車で京都へ ベトナムの実家にまとまったお金を送金したこともありますし、男性ホルモンの注射をうつための医療費もかかるので、今は貯金があまりありません。しかし、それよりも困っているのは、新型コロナの感染リスクの中で電車に乗って京都(滋賀県の隣)のクリニックに行かなければならないことです。移動にとても神経を使います。 普段は、時間があれば自転車で図書館に行って本を読んだり、30分ぐらい歩いて神社に行って新型コロナの早期収束や家族・恋人の健康を祈ったりします。私は日本がとても好きで、両親の介護が必要になるまでは日本で暮らしたいと思っています。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=20,855 VND(2021年7月26日現在) ※平均36,000円を実家に送金 ※2019年に日ごろの送金とは別に母の借金返済のために100万円を送金 収入(合計180,000円) 手取り給料 180,000円 ※税金、社会保険を差引後 支出(合計84,000円) 家賃 24,000円 ※会社が半額負担 水道・光熱費 10,000円 食費 30,000円 ※昼は会社の食堂、朝夕は自炊 雑費 20,000円 ※生活用品、外食、医療費、交通費など 差額・貯金(合計96,000円) 能塚さんの話 能塚さん=右〈ハノイで2020年〉 ※ミンさんが日本にあこがれるきっかけとなった能塚洋一さん(60)に編集部が話を聞きました。 ――ミンさんの日本語学習をサポートしたのですね? 能塚 一生懸命がんばっている学生の何人かに日本語教室の費用を出しました。ミンさんはとても頭の良い子で、仕事熱心ですし、向上心も人一倍でした。日本語を身に付けて、将来の可能性を広げてもらえたらと思いました。 ――卒業後、会社に採用したのですか? 能塚 私はハノイで何人も学生を見てきましたが、ミンさんは特に優秀だったので、うちに来てもらいました。もっと働いてほしかったのですが、思い詰めてやめてしまったのは残念でした。しかし、現在日本で活躍していると聞いて、とてもうれしく思います。 今回の先輩 グエン・デュイ・ミンさん 2010年 ハン・トゥエン高校卒業〈バクニン〉 2011年 ハノイ工科大学入学 2015年 ハノイ工科大学卒業 2015年 日本食レストランに就職〈ハノイ〉 2016年 日系企業に就職〈ホーチミン〉 2018年 日本の会社の面接に合格〈ホーチミン〉 2019年 訪日、大きな工場に配属〈滋賀県〉 〈1992年生まれ、バクニン省出身〉 ミンさんは学生時代に知り合った日本人を尊敬し、日本にあこがれた。日本語学習を一度はやめたが、日系企業への就職を機に猛勉強。今は、エンジニアとして日本の会社で頼りにされている。 <!-- --> 〈このページの内容〉 • 仕事内容とやりがい • 日本での職場選びで大切なこと • 「日本」との出会い • 悩んで退職 • 今度は日本語を猛勉強 • 日本での人付き合い • 日本での生活 • 能塚さんの話 仕事内容とやりがい 私はホーチミンで面接を受けて日本の派遣会社「シューワキャリアパワー」に就職し、2019年1月、エンジニアとして大きな工場に配属されました。そこは業務用の大型冷凍・冷蔵庫を作る大きな会社で、製品を世界各地のメーカーやスーパーマーケットなどに納めています。製品は注文生産で、一つ一つカスタマイズします。その際、冷凍・冷蔵庫の冷却用配管の表面に水滴が付くと管が割れやすくなるので、ゴム製の防熱カバーを手作業で管に巻きます。それが私の仕事です。 また、この工場で働くベトナム人の中で私の日本語力が一番高いため、日本人とベトナム人エンジニアとの間で仕事の意思疎通ができないときに通訳をします。工場はとても広いので、困っている日本人から私の携帯電話に電話がかかり、職場の責任者の許可を取ってから先方に出向きます。「禁煙」「ポイ捨て禁止」など社内掲示物の翻訳もときどきやります。多くの方から頼りにされ、やりがいを感じています。 勤務先で同僚とランチ(右端が私) 日本での職場選びで大切なこと 私たちエンジニアは日本で自由に転職できるので、もっと時給の高い仕事を見つけて転職した元同僚もいます。私の時給は最初は1,000円で今は1,150円です。本当はもう少し上がる予定でしたが、新型コロナの影響で昇給が少し滞っています。しかし、私の知り合いで、新型コロナの影響で失業しアルバイト生活を送っている在日ベトナム人もいますし、給料が激減した人もいます。これに比べ、シューワCPは正社員として私たちの基本給を保証してくれます。例えば、他社に派遣されている仲間が派遣先での仕事が減り、派遣先からシューワCPに入るお金が激減した場合でも、仲間の基本給を保証してくれました。 また、シューワCPには社員寮があり、家賃の半額を会社が負担してくれます。私はトランスジェンダーで、男性ホルモンを注射するために2週間ごとに京都のクリニックに行くのですが、最初の寮からは駅まで遠く通院に不便だったので、会社に相談すると、駅に近い寮に移してくれました。このように、社員の生活を大事に考えてくれるかどうかが目先の時給より大事だと思います。 私の部屋。会社が家賃の半額を負担。 「日本」との出会い 私が日本に興味を持ったのは、能塚洋一さんとの出会いからでした。大学時代、実家は裕福ではなかったので、学費は姉が出してくれましたが、生活費は自分で稼ぎました。大学2年のときは、家庭教師と日本料理店の店員をしました。料理店ではランチタイムに2時間だけ働き、店を手伝っていたビル管理会社社長の能塚洋一さんと知り合いました。彼はアルバイト店員にもよく声をかけてくれ、焼肉店にも連れて行ってくれました。能塚さんの面倒見のよさに感銘し、「こんな社会人になりたい」と思ったのが、私の日本へのあこがれの始まりでした。 能塚さんや日本人客ともっとコミュニケーションをしたいと思い、大学3年のときに「みんなの日本語」を買って勉強を始めました。しかし、難しかったので、日本に留学して日本語を身に付けたいと思うようになり、能塚さんに相談しました。すると、能塚さんは私を日本語教室(週2回)に行かせ、1年間で約6,000,000ドン(約28,770円)の学費を負担してくれました。大学4年のときは再び自力で勉強しました。 ※100円=20,855 VND(2021年7月26日現在) アルバイト先の日本料理店の前で同僚と〈ハノイで2015年〉 悩んで退職 2015年6月に大学を卒業後、私は能塚さんの会社に試用で雇ってもらいました。しかし、私は先輩たちから軽く見られているように感じ、会社に溶け込めませんでした。また、私が男っぽい格好をしていたので職場で理由を聞かれ、トランスジェンダーだからと答えたのですが、当時はそのことへの理解もまだ進んでいなかったように思います。 さらに、日本料理店の元同僚で、私と同じように能塚さんに日本語教室に行かせてもらい、私より日本語が上達した人がいました。ある日、会社の先輩と能塚さんと私の3人で話をしていたときに、その元同僚の日本語の上達が私より速いという話題になりました。私はその夜眠れず、自分は会社で必要とされていないのではないかと感じました。こうして、入社して約2カ月で退職し、数カ月後に心機一転のためホーチミンに転居しました。 心機一転のためホーチミンへ〈資料写真〉 ちなみに、私がトランスジェンダーだと気付いたのは大学3年のときでした。アルバイト先で知り合った女性が好きになり、「自分は女なのになぜ女性を好きになるのだとう」と自問したのが最初です。相手も私に好意があってほどなく交際するようになり、卒業まで続きました。私はネットで調べて自分が「トランスジェンダー」だと分かり、男っぽい髪型や服装をするようになりました。 大学4年のときの私=左端〈ハノイ工科大学で〉 今度は日本語を猛勉強 2016年初めにホーチミンに移った私は半年間アルバイトで生活後、日系企業に就職しました。同社では、日本の宅配会社の顧客データ(氏名・住所など)を日本語でコンピュータに入力する仕事を担当しました。この就職をきっかけに私は再び日本語の勉強を始めました。「新完全マスター」シリーズなどで勉強し、2018年にN4、2019年にN2に合格しました。 私は「日本語をマスターして日本で働く」という夢を今度こそ実現するため、ほかのことを頭から閉め出し、毎日仕事が終わってから5時間勉強しました。2年近くそれを続け、2018年、Facebookに出ていたシューワCPの求人に応募しました。広告主の人材会社に履歴書を送信し、日本語での面接に合格した私は日系企業をやめ、渡航に備えました。人材会社への手数料は不要でした。 ホーチミンの日系企業の仲間たち 日本での人付き合い 日本では、職場で若い日本人の同僚3人とよく話をしています。新型コロナの感染拡大前は、毎月のように一緒に遊びに行ったりバーベキューをしたりしました。仕事が終わってから一緒に焼肉店や居酒屋に行くこともよくありました。寮ではベトナム人は私だけですし、職場の日本人との交流が最近の人付き合いの中心です。 同僚の日本人たちと焼肉店へ また、ホーチミンの日系企業の同僚で来日前から付き合っている恋人(ベトナム人女性)が和歌山県の老人ホームで働いています。介護福祉士の国家試験にも合格した努力家です。彼女に会いに行くには電車で約3時間半かかるのと、仕事の休みが合わないこともあり、年に2、3回しか会えませんが、今年の夏休みに一緒に神戸に行くことを楽しみにしています。 恋人と大阪城を観光 日本での生活 ベトナムの実家にまとまったお金を送金したこともありますし、男性ホルモンの注射をうつための医療費もかかるので、今は貯金があまりありません。しかし、それよりも困っているのは、新型コロナの感染リスクの中で電車に乗って京都(滋賀県の隣)のクリニックに行かなければならないことです。移動にとても神経を使います。 普段は、時間があれば自転車で図書館に行って本を読んだり、30分ぐらい歩いて神社に行って新型コロナの早期収束や家族・恋人の健康を祈ったりします。私は日本がとても好きで、両親の介護が必要になるまでは日本で暮らしたいと思っています。 休日に電車で京都へ 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=20,855 VND(2021年7月26日現在) ※平均36,000円を実家に送金 ※2019年に日ごろの送金とは別に母の借金返済のために100万円を送金 収入(合計180,000円) 手取り給料 180,000円 ※税金、社会保険を差引後 支出(合計84,000円) 家賃 24,000円 ※会社が半額負担 水道・光熱費 10,000円 食費 30,000円 ※昼は会社の食堂、朝夕は自炊 雑費 20,000円 ※生活用品、外食、医療費、交通費など 差額・貯金(合計96,000円) 能塚さんの話 ※ミンさんが日本にあこがれるきっかけとなった能塚洋一さん(60)に編集部が話を聞きました。 ――ミンさんの日本語学習をサポートしたのですね? 能塚 一生懸命がんばっている学生の何人かに日本語教室の費用を出しました。ミンさんはとても頭の良い子で、仕事熱心ですし、向上心も人一倍でした。日本語を身に付けて、将来の可能性を広げてもらえたらと思いました。 ――卒業後、会社に採用したのですか? 能塚 私はハノイで何人も学生を見てきましたが、ミンさんは特に優秀だったので、うちに来てもらいました。もっと働いてほしかったのですが、思い詰めてやめてしまったのは残念でした。しかし、現在日本で活躍していると聞いて、とてもうれしく思います。 能塚さん=右〈ハノイで2020年〉
2021年08月09日
今回の先輩 ゴ・ティ・テュ・タオさん 2010年 クロンボング高校卒業 2011年 ホーチミン食品工業大学入学 2015年 食品加工会社入社 2015年 ホーチミン食品工業大学卒業 2016年 日本語学校入学 2017年 訪日→講習→農業の技能実習(6月)〈北海道〉 2019年 日本語能力試験N2合格 2020年 技能実習修了 2021年 北見工業大学大学院入学 〈1992年生まれ、ダクラク省出身〉 タオさんは行き届いた環境で農業の技能実習を修了後、日本の大学院に進んだ。親切な農家の方々とのふれ合いやベトナム語禁止で寮生活を送って日本語力を磨いた様子などを紹介する。 〈このページの内容〉 • アルバイト先で「日本」と出会う • 技能実習制度を知って訪日決意 • 低額で優良な送出機関 • 「北海道方式」の農業実習 • 仕事で日本人とたくさん会話 • 寮でベトナム語禁止 • JAと監理団体のサポート • 技能実習→大学院 • 北海道での生活 アルバイト先で「日本」と出会う 日本の野菜〈イメージ写真〉 私が日本を意識したのは、大学時代にホーチミンのイオンモールにある日系の店で1年間アルバイトをしたのがきっかけでした。ドラ焼きやドーナツ、豆腐などを売る店です。上司の日本人女性は毎日7時から24時まで働いていましたが、遅くまで働いても不満そうにせず、私たちにもやさしくしてくれました。私が残業するときには、彼女が買ってくれたおやつを休憩時間に一緒にいただきました。私は彼女の働きぶりや気配りを見て、「日本人の働き方はすごい」と感心しました。 また、イオンのスーパーマーケットでは日本の野菜が売られています。ローカルの店より値段が高いのに買う人が多いので、不思議に思って手にすると、まず見た目がきれいでした。そして、買って食べてみたところ、味もよく、農薬が少ないだろうという安心感がありました。それ以降、私はレタスなど日本の野菜を買うようになりました。 こうして、私は日本にあこがれるようになりました。日本で働くか留学したいと思いましたが、お金がないので、そのときは方法が分かりませんでした。 技能実習制度を知って訪日決意 父の農園 私は大学で食品化学を専攻しました。父は小さなコーヒー農園を営んでいますが、私はいつか父の農園を拡張し、自分の専攻も生かして安全な農作物を作りたいと思っています。卒業後、小さな食品加工会社に入りましたが、半年でやめ、故郷のダクラク省に戻っていとこが経営する仏壇仏具の製造販売(工場管理)を手伝いました。しかし、これも本当にやりたい仕事ではありませんでした。 そんなとき、大学で仲良し3人組(女2人、男1人)の1人だった友人が技能実習で日本に行くことになりました。彼は私に「君も技能実習に行って、お父さんの農園を拡張するための資金を貯めたらどう?」と勧めました。私は自己資金なしでも日本に行ける技能実習の仕組みを初めて知り、自分も日本に行くことを即決しました。 低額で優良な送出機関 アルバイト先の日本料理店の前で同僚と〈ハノイで2015年〉 技能実習の送出機関は、彼と同じエスハイにしました。エスハイグループの日本語学校はカイゼン吉田学校で、私はここで10カ月間勉強しました。私は農業関連の求人を待ち、入学して3カ月後(2016年10月)に初めて採用面接を受けました。それに合格し、約半年後に北海道に行くことになりました。実習先は美幌町農業協同組合(JAびほろ)です。私は日本の栽培技術や農薬の基準などを学びたかったのです。 エスハイと吉田学校に支払った費用は合わせて約 90,000,000 VND(約431,700円)で、送出手数料や教育費を含めた総額です。ベトナム政府の費用規定を守っている数少ない送出機関の一つで、日本語教育にも定評があります。私は寮には住まず、これとは別に生活費が毎月約4,000,000 VNDかかりました(アパートを3人でシェア)。 ※100円=20,847 VND(2021年7月26日現在) external link 技能実習で本当はいくら貯金できるの? 「北海道方式」の農業実習 JAの方々と私たち技能実習生〈実習修了の日に選果場で〉 2017年、私は同期3人と一緒にJAびほろに赴任しました。ここの技能実習の1期生です。仕事内容は季節ごとに違いました。2~7月はJAの育苗センターや畑での仕事(苗植えなど)が中心で、7~10月は畑での収穫作業や選果場でニンジンの選別、11~4月はタマネギの選別などが中心です。 仕事時間も季節で違います。5、6月は毎日8.5時間、11~2月は7時間、それ以外の月は7.5時間でした。残業はあまりなく、帰宅してから勉強する時間が十分にありました。閑散期にも選果場での実習を盛り込んで労働時間を確保し、逆に繁忙期には少し労働時間を長くするだけで過密労働にならないようにする農業実習の方式は「北海道方式」などと呼ばれ、技能実習生に人気です。 畑に行くときは朝7時ぐらいにJAの人が車で迎えに来てくれます。畑では、機械で行う苗植えや収穫の際に、植え損なったり収穫し損なったりした部分を実習生が補います。また、雑草抜きもします。JAの選果場では、ベルトコンベアで運ばれてくる野菜のうち腐ったものや形の悪いもの小さ過ぎるものを手で取り上げ、別のコンベアに乗せます。 仕事で日本人とたくさん会話 畑で同僚と=右端が私〈2020年〉 JAの方々も農家の方々も私たちにとても親切にしてくれました。 畑では、草取りなどをしながら農家の方々とよく話をしました。ランチには弁当を持って行きますが、たいていは農家の人もおかずを分けてくれました。また、ランチ以外の1日2回の休憩のときには、お菓子やジュースを出していただき、食べながら談笑しました。選果場でも同じように親切にしていただきました。 そして、「ベトナムで安全な野菜を作りたい」という私の夢を話すと、農家の方々はいろいろなことを教えてくれました。たとえば、ニンジンの病気や予防法、ジャガイモとトマトを近くに植えると互いに病気になりやすいこと、有機栽培のやり方などをていねいに教えてくれました。 寮でベトナム語禁止 寮に掲げたベトナム語禁止のはり紙(右下に4人の署名と押印) ベトナムで日本語をしっかり勉強しましたが、来日当初はそれでも日本人の話す言葉をあまり聞き取れませんでした。しかし、仕事で日本人と話すことが多かったので、だんだんと会話力がついてきました。また、寮でも毎日3時間以上勉強しました。寮には勉強部屋もあり、1人1台ずつ机がありました。夕食後に4人で2時間勉強し、私は4時に起きてさらに1時間半勉強しました。睡眠は5時間半~6時間でした。 私は農業関係など日本の本を読めるようになりたかったのと、日本人ともっとコミュニケーションを取れるようになりたかったのです。同僚にも日本語教師や日系企業への就職など実習後の目標がありました。そこで、4人で話し合って、実家に電話するとき以外は寮でベトナム語を話さないという決まりをつくりました。違反すると罰金100円を共同貯金箱に入れなければなりません。こうして4人とも日本語能力試験(JLPT)N2を目指し、私を含む2人は実習中に合格しました。 JAと監理団体のサポート JAの人たちに連れられて観光 JAびほろの職員の方々は私たちの仕事・生活・学習を十分にサポートしてくれました。例えば、生活雑貨や本の買い出しのために別の町に車で連れて行ってくれたり、観光に連れて行ってくれたりしました。私たちは観光で行きたいところがあれば、JAの方々に相談します。北海道の観光地に行くには電車・バスだけでは難しく、車が必要だからです。すると、JAの方々は時間を作って私たちを観光地に連れて行ってくれることがありました。また、JAはJLPT受験を出張扱いにしてくれて、試験会場への交通費・宿泊費と受験料を出してくれました。 東亜総研の交流会で遊園地へ(右端が私) 監理団体の「東亜総研」の方々にもとてもお世話になりました。東亜総研の皆さんは日ごろから「困ったことはないですか」と聞いてくださり、将来の進路についても一緒に考えてくれました。また、実習生向けにJLPTの模擬試験も行い、年2回、地域の実習生を集めて遊園地や焼肉などを楽しむ交流会も開いてくれました。 公益財団法人「東亜総研」 kitami@toasoken.asia ※東亜総研の監理する技能実習に興味がある人はベトナム語で問い合わせができます。 東亜総研の交流会で焼肉 JLPTの模擬試験 技能実習→大学院 私は技能実習を終えて、同じ地域にある北見工業大学の大学院に留学しました。技能実習後に留学する場合、通常は一度母国に帰国して1年近く期間を空けなければなりません。しかし、新型コロナで帰国が難しかったのと、行政書士が、私が技能実習で学んだことと大学院で学ぶこととの関連性を入管に適切に説明してくれたお陰で、帰国せずに留学できました。 留学のきっかけは東亜総研の長澤さんの勧めでした。北見工業大学が外国人留学生の受け入れを本格化することを知った長澤さんが私を大学に紹介してくれたのです。私は実習が終わったら帰国しようと思っていましたが、実習修了の半年前に長澤さんから大学院のお話をいただき、留学生向けの試験を受けることにしました。 大学院の研究室で実験中(左は指導教官) 2020年5月に実習を終えた私は「特定活動」という在留資格で日本に残り、8月に大学院の入試を受けました。入試内容は、私のベトナムの大学での卒業論文を日本語資料(パワーポイント)にまとめて日本語で試験官に説明し、質問に受け答えすることでした。私は合格し、2021年4月から大学院に通っています。 学費は無料で、大学が見つけてくれた大口の奨学金と東亜総研での週1回のアルバイトで生活費をまかなっています。大学院では、残留農薬の毒性を分解する方法などを研究し、実験に明け暮れています。 北海道での生活 技能実習時代の寮 週に一度のスーパーへの買い出しは、夏は自転車で行きますが、美幌では12月末から3月末まで路面の雪が凍り、自転車に乗れません。そこで、仕事が終わってJAのバスで帰る際、仲間と一緒に途中で降りてスーパーに寄ります。スーパーから寮まではタクシーで帰りますが、そのときに「ベトナム語禁止」を破った際の罰金を貯めたお金を使いました。 北海道の冬は確かに寒いですが、室内の暖房は強く、外に出ている時間は短いです。また、選果場の方々が「暑い国から来たから、寒さがこたえるでしょう」とジャンパーや毛糸の帽子、手袋などをくれたので、気持ちも暖まりました。 同僚のベトナム人は同期も後輩も仲が良く、よくみんなで食事会をし、東京・横浜にも2回、一緒に行きました。本当は京都にも行きたかったのですが、新型コロナの関係でまだ実現していません。 私の家計簿(1カ月の平均) ※技能実習時代の家計簿 ※100円=20,847 VND(2021年7月26日現在) 収入(合計100,000円) 手取り給料 100,000円 ※税金、社会保険費、寮費を差し引いた額 ※このうち寮費・光熱費・Wi-Fi代が合計25,000円 支出(合計30,000円) 食費 15,000円 雑費 15,000円 ※生活用品、外食、交通費など 差額・貯金(合計70,000円) ※3年間で約250万円を実家に送金 今回の先輩 ゴ・ティ・テュ・タオさん 2010年 クロンボング高校卒業 2011年 ホーチミン食品工業大学入学 2015年 食品加工会社入社 2015年 ホーチミン食品工業大学卒業 2016年 日本語学校入学 2017年 訪日→講習→農業の技能実習(6月)〈北海道〉 2019年 日本語能力試験N2合格 2020年 技能実習修了 2021年 北見工業大学大学院入学 〈1992年生まれ、ダクラク省出身〉 タオさんは行き届いた環境で農業の技能実習を修了後、日本の大学院に進んだ。親切な農家の方々とのふれ合いやベトナム語禁止で寮生活を送って日本語力を磨いた様子などを紹介する。 〈このページの内容〉 • アルバイト先で「日本」と出会う • 技能実習制度を知って訪日決意 • 低額で優良な送出機関 • 「北海道方式」の農業実習 • 仕事で日本人とたくさん会話 • 寮でベトナム語禁止 • JAと監理団体のサポート • 技能実習→大学院 • 北海道での生活 アルバイト先で「日本」と出会う 私が日本を意識したのは、大学時代にホーチミンのイオンモールにある日系の店で1年間アルバイトをしたのがきっかけでした。ドラ焼きやドーナツ、豆腐などを売る店です。上司の日本人女性は毎日7時から24時まで働いていましたが、遅くまで働いても不満そうにせず、私たちにもやさしくしてくれました。私が残業するときには、彼女が買ってくれたおやつを休憩時間に一緒にいただきました。私は彼女の働きぶりや気配りを見て、「日本人の働き方はすごい」と感心しました。 また、イオンのスーパーマーケットでは日本の野菜が売られています。ローカルの店より値段が高いのに買う人が多いので、不思議に思って手にすると、まず見た目がきれいでした。そして、買って食べてみたところ、味もよく、農薬が少ないだろうという安心感がありました。それ以降、私はレタスなど日本の野菜を買うようになりました。 こうして、私は日本にあこがれるようになりました。日本で働くか留学したいと思いましたが、お金がないので、そのときは方法が分かりませんでした。 日本の野菜〈イメージ写真〉 技能実習制度を知って訪日決意 私は大学で食品化学を専攻しました。父は小さなコーヒー農園を営んでいますが、私はいつか父の農園を拡張し、自分の専攻も生かして安全な農作物を作りたいと思っています。卒業後、小さな食品加工会社に入りましたが、半年でやめ、故郷のダクラク省に戻っていとこが経営する仏壇仏具の製造販売(工場管理)を手伝いました。しかし、これも本当にやりたい仕事ではありませんでした。 そんなとき、大学で仲良し3人組(女2人、男1人)の1人だった友人が技能実習で日本に行くことになりました。彼は私に「君も技能実習に行って、お父さんの農園を拡張するための資金を貯めたらどう?」と勧めました。私は自己資金なしでも日本に行ける技能実習の仕組みを初めて知り、自分も日本に行くことを即決しました。 父の農園 低額で優良な送出機関 技能実習の送出機関は、彼と同じエスハイにしました。エスハイグループの日本語学校はカイゼン吉田学校で、私はここで10カ月間勉強しました。私は農業関連の求人を待ち、入学して3カ月後(2016年10月)に初めて採用面接を受けました。それに合格し、約半年後に北海道に行くことになりました。実習先は美幌町農業協同組合(JAびほろ)です。私は日本の栽培技術や農薬の基準などを学びたかったのです。 エスハイと吉田学校に支払った費用は合わせて約 90,000,000 VND(約431,700円)で、送出手数料や教育費を含めた総額です。ベトナム政府の費用規定を守っている数少ない送出機関の一つで、日本語教育にも定評があります。私は寮には住まず、これとは別に生活費が毎月約4,000,000 VNDかかりました(アパートを3人でシェア)。 ※100円=20,847 VND(2021年7月26日現在) external link 技能実習で本当はいくら貯金できるの? エスハイの仲間たち〈2017年のクリスマス〉 「北海道方式」の農業実習 2017年、私は同期3人と一緒にJAびほろに赴任しました。ここの技能実習の1期生です。仕事内容は季節ごとに違いました。2~7月はJAの育苗センターや畑での仕事(苗植えなど)が中心で、7~10月は畑での収穫作業や選果場でニンジンの選別、11~4月はタマネギの選別などが中心です。 仕事時間も季節で違います。5、6月は毎日8.5時間、11~2月は7時間、それ以外の月は7.5時間でした。残業はあまりなく、帰宅してから勉強する時間が十分にありました。閑散期にも選果場での実習を盛り込んで労働時間を確保し、逆に繁忙期には少し労働時間を長くするだけで過密労働にならないようにする農業実習の方式は「北海道方式」などと呼ばれ、技能実習生に人気です。 畑に行くときは朝7時ぐらいにJAの人が車で迎えに来てくれます。畑では、機械で行う苗植えや収穫の際に、植え損なったり収穫し損なったりした部分を実習生が補います。また、雑草抜きもします。JAの選果場では、ベルトコンベアで運ばれてくる野菜のうち腐ったものや形の悪いもの小さ過ぎるものを手で取り上げ、別のコンベアに乗せます。 JAの方々と私たち技能実習生〈実習修了の日に選果場で〉 仕事で日本人とたくさん会話 JAの方々も農家の方々も私たちにとても親切にしてくれました。 畑では、草取りなどをしながら農家の方々とよく話をしました。ランチには弁当を持って行きますが、たいていは農家の人もおかずを分けてくれました。また、ランチ以外の1日2回の休憩のときには、お菓子やジュースを出していただき、食べながら談笑しました。選果場でも同じように親切にしていただきました。 そして、「ベトナムで安全な野菜を作りたい」という私の夢を話すと、農家の方々はいろいろなことを教えてくれました。たとえば、ニンジンの病気や予防法、ジャガイモとトマトを近くに植えると互いに病気になりやすいこと、有機栽培のやり方などをていねいに教えてくれました。 畑で同僚と=右端が私〈2020年〉 寮でベトナム語禁止 ベトナムで日本語をしっかり勉強しましたが、来日当初はそれでも日本人の話す言葉をあまり聞き取れませんでした。しかし、仕事で日本人と話すことが多かったので、だんだんと会話力がついてきました。また、寮でも毎日3時間以上勉強しました。寮には勉強部屋もあり、1人1台ずつ机がありました。夕食後に4人で2時間勉強し、私は4時に起きてさらに1時間半勉強しました。睡眠は5時間半~6時間でした。 私は農業関係など日本の本を読めるようになりたかったのと、日本人ともっとコミュニケーションを取れるようになりたかったのです。同僚にも日本語教師や日系企業への就職など実習後の目標がありました。そこで、4人で話し合って、実家に電話するとき以外は寮でベトナム語を話さないという決まりをつくりました。違反すると罰金100円を共同貯金箱に入れなければなりません。こうして4人とも日本語能力試験(JLPT)N2を目指し、私を含む2人は実習中に合格しました。 寮に掲げたベトナム語禁止のはり紙(右下に4人の署名と押印) JAと監理団体のサポート JAびほろの職員の方々は私たちの仕事・生活・学習を十分にサポートしてくれました。例えば、生活雑貨や本の買い出しのために別の町に車で連れて行ってくれたり、観光に連れて行ってくれたりしました。私たちは観光で行きたいところがあれば、JAの方々に相談します。北海道の観光地に行くには電車・バスだけでは難しく、車が必要だからです。すると、JAの方々は時間を作って私たちを観光地に連れて行ってくれることがありました。また、JAはJLPT受験を出張扱いにしてくれて、試験会場への交通費・宿泊費と受験料を出してくれました。 JAの人たちに連れられて観光 監理団体の「東亜総研」の方々にもとてもお世話になりました。東亜総研の皆さんは日ごろから「困ったことはないですか」と聞いてくださり、将来の進路についても一緒に考えてくれました。また、実習生向けにJLPTの模擬試験も行い、年2回、地域の実習生を集めて遊園地や焼肉などを楽しむ交流会も開いてくれました。 公益財団法人「東亜総研」 kitami@toasoken.asia ※東亜総研の監理する技能実習に興味がある人はベトナム語で問い合わせができます。 東亜総研の交流会で遊園地へ(右端が私) 東亜総研の交流会で焼肉 JLPTの模擬試験 技能実習→大学院 私は技能実習を終えて、同じ地域にある北見工業大学の大学院に留学しました。技能実習後に留学する場合、通常は一度母国に帰国して1年近く期間を空けなければなりません。しかし、新型コロナで帰国が難しかったのと、行政書士が、私が技能実習で学んだことと大学院で学ぶこととの関連性を入管に適切に説明してくれたお陰で、帰国せずに留学できました。 留学のきっかけは東亜総研の長澤さんの勧めでした。北見工業大学が外国人留学生の受け入れを本格化することを知った長澤さんが私を大学に紹介してくれたのです。私は実習が終わったら帰国しようと思っていましたが、実習修了の半年前に長澤さんから大学院のお話をいただき、留学生向けの試験を受けることにしました。 2020年5月に実習を終えた私は「特定活動」という在留資格で日本に残り、8月に大学院の入試を受けました。入試内容は、私のベトナムの大学での卒業論文を日本語資料(パワーポイント)にまとめて日本語で試験官に説明し、質問に受け答えすることでした。私は合格し、2021年4月から大学院に通っています。 学費は無料で、大学が見つけてくれた大口の奨学金と東亜総研での週1回のアルバイトで生活費をまかなっています。大学院では、残留農薬の毒性を分解する方法などを研究し、実験に明け暮れています。 大学院の研究室で実験中(左は指導教官) 技能実習→北海道での生活大学院 週に一度のスーパーへの買い出しは、夏は自転車で行きますが、美幌では12月末から3月末まで路面の雪が凍り、自転車に乗れません。そこで、仕事が終わってJAのバスで帰る際、仲間と一緒に途中で降りてスーパーに寄ります。スーパーから寮まではタクシーで帰りますが、そのときに「ベトナム語禁止」を破った際の罰金を貯めたお金を使いました。 北海道の冬は確かに寒いですが、室内の暖房は強く、外に出ている時間は短いです。また、選果場の方々が「暑い国から来たから、寒さがこたえるでしょう」とジャンパーや毛糸の帽子、手袋などをくれたので、気持ちも暖まりました。 同僚のベトナム人は同期も後輩も仲が良く、よくみんなで食事会をし、東京・横浜にも2回、一緒に行きました。本当は京都にも行きたかったのですが、新型コロナの関係でまだ実現していません。 技能実習時代の寮 私の家計簿(1カ月の平均) ※技能実習時代の家計簿 ※100円=20,847 VND(2021年7月26日現在) 収入(合計100,000円) 手取り給料 100,000円 ※税金、社会保険費、寮費を差し引いた額 ※このうち寮費・光熱費・Wi-Fi代が合計25,000円 支出(合計30,000円) 食費 15,000円 雑費 15,000円 ※生活用品、外食、交通費など 差額・貯金(合計70,000円) ※3年間で約250万円を実家に送金
2021年08月06日
今回の先輩 ロ・ヴァン・タインさん 2012年ゲアン省民族寄宿高校卒業 2012年水利大学入学〈ハノイ〉 2018年水利大学卒業 2018年建築設計会社で勤務〈ハノイ〉 2019年日本語教室で6カ月間勉強〈ハノイ〉 2019年訪日→建築会社入社〈静岡県〉 〈1995年生まれ、ゲアン省出身〉 職場の親切な日本人たちやベトナム人仲間に囲まれて日本での仕事や生活を楽しむエンジニアのタインさん。仕事の探し方や日本の企業文化などについて紹介する。 〈このページの内容〉 • 日本に来た理由 • 日本で働くには • エンジニアの仕事 • 来日1年半でN3合格 • 日本の企業文化 • 日本での生活 • ベトナム人仲間 • 日本で困ったこと 日本に来た理由 大学の仲間と一緒に〈ハノイ郊外で2017年〉 私の両親は農業(主に稲作と家畜)で生活を営み、食料は自給自足ですが、現金収入は年間40,000,000 VNDあまりです。そのため、私は海外留学は考えませんでしたが、私の大学では、卒業後にエンジニアとして日本で働く先輩が多かったので、私も日本に行って日本の建築設計技術や仕事のマナーを学び、お金も稼ぎたいと考えるようになりました。 大学では土木と産業建築を学び、CAD(コンピュータ設計支援)を使って建築の構造設計図を作成する実習もしました。卒業後は、大学の教官から紹介されたハノイの建築設計会社で10カ月間働き、ホテルや住宅(鉄筋コンクリート建築)の構造設計図を作成しました。 ※CAD:Computer Aided Designの略で、コンピュータに手伝ってもらいながら設計図を作るソフトのこと。 日本で働くには 日本語センターの仲間たち〈2019年〉 私はベトナムで設計の実務をある程度経験したので、いよいよ日本での就職先を探しました。親戚の紹介で大手人材会社に依頼し、静岡県の住宅建築会社を紹介してもらいました。この人材会社に支払ったのは総額6,000 USD(日本語教育費含む)で、米ドルで支払いました。お金はほかの親戚から借りました。紹介してもらったのは1社だけで、木造住宅を造る会社です。日本から社長が来て通訳付きで面接を受け、私を含む3人が合格しました。 その後6カ月間、私はこの人材会社の日本語センターで日本語を勉強し、2019年6月に訪日しました。日本語センターでは、技能実習に行く人たちと一緒に勉強し、私の成績はクラスの約20人の中で5、6番でした。 【編集部からのアドバイス】 ベトナムの人材会社が日本での仕事を紹介する際、就職先の会社から手数料を受け取るだけで労働者からは手数料を取らない会社もたくさんあります。また、6カ月間の教育費や在留資格取得手数料、飛行機代などを合計しても6,000 USDよりずっと安く済むケースがたくさんあります。 知人の紹介だけに頼らず、自分でも業者を探して複数の会社に依頼し、内容を比べましょう。 エンジニアの仕事 建築現場での仕事(右端が私) 私は今の会社でCADを使って木材住宅の構造設計図などを作成しており、この担当は5人(うちベトナム人は2人)います。建築士が作成した設計図をもとに私たちが壁や屋根などの構造設計図を作成します。次に、そのデータをUSBメモリーで自社工場の木材加工機械に入力し、壁や屋根などを製造します。こうしてできた部材を建築現場に運んで住宅を建築していきます。私も現場に行くことがあります。工場にはたくさんの従業員がいますが、私たちの働く事務所には約40人だけで、うち8人がベトナム人です。 私が作成した構造設計図 日本に来て最初の1カ月は研修期間で、木造住宅の構造やCADで使う日本語の意味などを日本人の先輩が親切に教えてくれました。私たちが仕事で間違いをすると社長から厳しく指導されますが、働きやすい職場です。いつかベトナムに帰ったら、木造住宅を建てる会社を設立するのが私の夢です。 来日1年半でN3合格 来日して最初の春〈2020年4月〉 仕事に関する指示や質問は日本語でやり取りします。私は日本語を半年間勉強してから来日しましたが、最初は日本人の言葉をなかなか聞き取れませんでした。しかし、職場の方々は私たちが聞き取りやすいように簡単な日本語でゆっくり説明してくれるようになり、だんだんと意味が分かるようになりました。 日本語については、NPO法人「Lotus Works」の無料日本語教室で週1回、スカイプ(ビデオ電話)で日本人の先生の授業を受けています。また、「耳から覚える」シリーズや「新完全マスター」シリーズを使って毎日2時間以上、自習しています。“Nihongonomori”などのYouTube講座もよく聴いています。こうして私は日本に来て1年半で日本語能力試験(JLPT)N3に合格しました。 日本の企業文化 家の近くから眺めた富士山 私の勤務先にはベトナム人が8人(エンジニア5人、技能実習生3人)いますが、社長はときどきこの8人を居酒屋に連れて行ってくれます。また、訪日間もないころ、社長が車を運転して私たち(当時はベトナム人3人)を富士山に連れて行ってくれました。会社は静岡県富士市にあり、名前が「富士」市というだけあって、富士山がきれいに見えます。しかし、富士山の中腹までは遠いので、社長に連れて行ってもらえてとてもうれしかったです。 勤務先の日本人と職場以外で会うことはありませんが、職場では親切にしてもらっています。また、日本人と一緒に働くうちに日本の企業文化になじんできました。例えば、当社では17:30で終業ですが、自分の仕事が終わっていなければ約30分間、無償で残業します。無償の残業を日本では「サービス残業」といいますが、この程度のサービス残業は日本では一般的なことなので、私たちも日本人従業員にならって少しだけサービス残業をしています。 日本での生活 職場の仲間と部屋で食事会〈2021年〉 私たちベトナム人8人は同じアパート(寮)に住み、部屋には会社が用意した家具や家電が備え付けられています。8人は同じ人材会社からの紹介で、技能実習生3人は監理団体(受入組合)から生活サポートを受けています。私たちエンジニアも1年間だけ同じ監理団体にサポートしてもらいました。 朝は8人一緒に自転車で通勤します。雨の日はレインコートを着て自転車をこぎます。帰りはばらばらですが、ときどき数人でラーメン屋に寄ったり、休日にだれかの部屋に集まって食事会をしたりして、仲良く暮らしています。 私の家計簿(1カ月の平均) ※現在の家計簿 ※100円=20,798ドン(2021年6月27日現在) 収入(合計200,000円) 手取り給料 200,000円 ※税金、社会保険費を差し引いた額 支出(合計70,000円) 家賃 1人22,500円 ※2DKに2人で居住。1人分の費用。 水道・光熱費 1人5,000円 ※水道・電気・ガスの合計を2人で折半 Wi-Fi 2,000円 食費 20,000円 雑費 10,000円~20,000円 ※生活用品、外食、交通費など 差額・貯金(合計130,000円) ※毎月約12万円を実家に送金 ベトナム人仲間 友人に会うために訪れた北海道〈2000年12月〉 同じ大学出身のベトナム人仲間も日本にいます。同じ富士市には水道工事の現場で働くエンジニアの友人がいます。また、北海道には道路工事の現場監督をしている友人が4人(それぞれ別の会社に勤務)います。富士市の友人宅までは自転車で約20分なので、ときどき会っています。 ハノイの日本語センターで一緒に勉強をして仲良くなった女性(技能実習生)も北海道にいます。私は彼女や大学の友だちに会うために、これまで2回、飛行機で北海道に行きました。新型コロナウイルスの感染拡大が収束したら、東京や大阪、京都にも行ってみたいと思います。 日本で困ったこと 私のデビットカード 日本で困ったのはクレジットカードを作りにくいことでした。クレジットカードがあれば、Amazonや楽天市場などのオンラインマーケットで商品を買ってカードで決済できますし、飛行機のチケットを買う際にも、インターネットで予約後、ネット上で決済できます。しかし、クレジットカードがないと、予約後にコンビニに行って現金で支払わなければなりません。 私は飛行機のチケット購入に利用するためにクレジットカードを作ろうとしましたが、来日して年数が浅いためかカード会社の審査を通らず、作れませんでした。しかし、解決策がありました。それはデビットカードを作ることでした。デビットカードは銀行口座の預金額を限度に利用できるカードで、利用と同時に口座からお金が引き落とされます。飛行機のチケット購入にも使えますし、利用するとポイントが貯まり、ポイントは現金の代わりに使うことができます。 仕事中の私 私は大手航空会社ANAのHPからANAのデビットカードを申し込みました。このカードによって、カード払いが前提の携帯電話の通話契約もできました。私は格安SIMの「楽天モバイル」で契約し、毎月1,500円で通話とネット通信を確保しています。寮に帰るとWi-Fiがあるので、SIMを使ったネット通信量は2GBもあれば十分です。 私はこのように試行錯誤しながら日本生活をエンジョイしています。当面は日本で働き、日本の技術や考え方をもっともっと身に付けたいと思います。 今回の先輩 ロ・ヴァン・タインさん 2012年 ゲアン省民族寄宿高校卒業 2012年 ロ・ヴァン・タイン(Đại học Thủy Lợi)入学〈ハノイ〉 2018年 水利大学卒業 2018年 建築設計会社で勤務〈ハノイ〉 2019年 日本語教室で6カ月間勉強〈ハノイ〉 2019年 訪日→建築会社入社〈静岡県〉 〈1995年生まれ、ゲアン省出身〉 職場の親切な日本人たちやベトナム人仲間に囲まれて日本での仕事や生活を楽しむエンジニアのタインさん。仕事の探し方や日本の企業文化などについて紹介する。 〈このページの内容〉 • 日本に来た理由 • 日本で働くには • エンジニアの仕事 • 来日1年半でN3合格 • 日本の企業文化 • 日本での生活 • ベトナム人仲間 • 日本で困ったこと 日本に来た理由 私の両親は農業(主に稲作と家畜)で生活を営み、食料は自給自足ですが、現金収入は年間40,000,000 VNDあまりです。そのため、私は海外留学は考えませんでしたが、私の大学では、卒業後にエンジニアとして日本で働く先輩が多かったので、私も日本に行って日本の建築設計技術や仕事のマナーを学び、お金も稼ぎたいと考えるようになりました。 大学では土木と産業建築を学び、CAD(コンピュータ設計支援)を使って建築の構造設計図を作成する実習もしました。卒業後は、大学の教官から紹介されたハノイの建築設計会社で10カ月間働き、ホテルや住宅(鉄筋コンクリート建築)の構造設計図を作成しました。 ※CAD:Computer Aided Designの略で、コンピュータに手伝ってもらいながら設計図を作るソフトのこと。 大学の仲間と一緒に〈ハノイ郊外で2017年〉 日本で働くには 私はベトナムで設計の実務をある程度経験したので、いよいよ日本での就職先を探しました。親戚の紹介で大手人材会社に依頼し、静岡県の住宅建築会社を紹介してもらいました。この人材会社に支払ったのは総額6,000 USD(日本語教育費含む)で、米ドルで支払いました。お金はほかの親戚から借りました。紹介してもらったのは1社だけで、木造住宅を造る会社です。日本から社長が来て通訳付きで面接を受け、私を含む3人が合格しました。 その後6カ月間、私はこの人材会社の日本語センターで日本語を勉強し、2019年6月に訪日しました。日本語センターでは、技能実習に行く人たちと一緒に勉強し、私の成績はクラスの約20人の中で5、6番でした。 日本語センターの仲間たち〈2019年〉 【編集部からのアドバイス】 ベトナムの人材会社が日本での仕事を紹介する際、就職先の会社から手数料を受け取るだけで労働者からは手数料を取らない会社もたくさんあります。また、6カ月間の教育費や在留資格取得手数料、飛行機代などを合計しても6,000 USDよりずっと安く済むケースがたくさんあります。 知人の紹介だけに頼らず、自分でも業者を探して複数の会社に依頼し、内容を比べましょう。 エンジニアの仕事 私は今の会社でCADを使って木材住宅の構造設計図などを作成しており、この担当は5人(うちベトナム人は2人)います。建築士が作成した設計図をもとに私たちが壁や屋根などの構造設計図を作成します。次に、そのデータをUSBメモリーで自社工場の木材加工機械に入力し、壁や屋根などを製造します。こうしてできた部材を建築現場に運んで住宅を建築していきます。私も現場に行くことがあります。工場にはたくさんの従業員がいますが、私たちの働く事務所には約40人だけで、うち8人がベトナム人です。 建築現場での仕事(右端が私) 日本に来て最初の1カ月は研修期間で、木造住宅の構造やCADで使う日本語の意味などを日本人の先輩が親切に教えてくれました。私たちが仕事で間違いをすると社長から厳しく指導されますが、働きやすい職場です。いつかベトナムに帰ったら、木造住宅を建てる会社を設立するのが私の夢です。 私が作成した構造設計図 来日1年半でN3合格 仕事に関する指示や質問は日本語でやり取りします。私は日本語を半年間勉強してから来日しましたが、最初は日本人の言葉をなかなか聞き取れませんでした。しかし、職場の方々は私たちが聞き取りやすいように簡単な日本語でゆっくり説明してくれるようになり、だんだんと意味が分かるようになりました。 日本語については、NPO法人「Lotus Works」の無料日本語教室で週1回、スカイプ(ビデオ電話)で日本人の先生の授業を受けています。また、「耳から覚える」シリーズや「新完全マスター」シリーズを使って毎日2時間以上、自習しています。“Nihongonomori”などのYouTube講座もよく聴いています。こうして私は日本に来て1年半で日本語能力試験(JLPT)N3に合格しました。 来日して最初の春〈2020年4月〉 日本の企業文化 私の勤務先にはベトナム人が8人(エンジニア5人、技能実習生3人)いますが、社長はときどきこの8人を居酒屋に連れて行ってくれます。また、訪日間もないころ、社長が車を運転して私たち(当時はベトナム人3人)を富士山に連れて行ってくれました。会社は静岡県富士市にあり、名前が「富士」市というだけあって、富士山がきれいに見えます。しかし、富士山の中腹までは遠いので、社長に連れて行ってもらえてとてもうれしかったです。 勤務先の日本人と職場以外で会うことはありませんが、職場では親切にしてもらっています。また、日本人と一緒に働くうちに日本の企業文化になじんできました。例えば、当社では17:30で終業ですが、自分の仕事が終わっていなければ約30分間、無償で残業します。無償の残業を日本では「サービス残業」といいますが、この程度のサービス残業は日本では一般的なことなので、私たちも日本人従業員にならって少しだけサービス残業をしています。 家の近くから眺めた富士山 日本での生活 私たちベトナム人8人は同じアパート(寮)に住み、部屋には会社が用意した家具や家電が備え付けられています。8人は同じ人材会社からの紹介で、技能実習生3人は監理団体(受入組合)から生活サポートを受けています。私たちエンジニアも1年間だけ同じ監理団体にサポートしてもらいました。 朝は8人一緒に自転車で通勤します。雨の日はレインコートを着て自転車をこぎます。帰りはばらばらですが、ときどき数人でラーメン屋に寄ったり、休日にだれかの部屋に集まって食事会をしたりして、仲良く暮らしています。 職場の仲間と部屋で食事会〈2021年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※現在の家計簿 ※100円=20,798ドン(2021年6月27日現在) 収入(合計200,000円) 手取り給料 200,000円 ※税金、社会保険費を差し引いた額 支出(合計70,000円) 家賃 1人22,500円 ※2DKに2人で居住。1人分の費用。 水道・光熱費 1人5,000円 ※水道・電気・ガスの合計を2人で折半 Wi-Fi 2,000円 食費 20,000円 雑費 10,000円~20,000円 ※生活用品、外食、交通費など 差額・貯金(合計130,000円) ※毎月約12万円を実家に送金 ベトナム人仲間 同じ大学出身のベトナム人仲間も日本にいます。同じ富士市には水道工事の現場で働くエンジニアの友人がいます。また、北海道には道路工事の現場監督をしている友人が4人(それぞれ別の会社に勤務)います。富士市の友人宅までは自転車で約20分なので、ときどき会っています。 ハノイの日本語センターで一緒に勉強をして仲良くなった女性(技能実習生)も北海道にいます。私は彼女や大学の友だちに会うために、これまで2回、飛行機で北海道に行きました。新型コロナウイルスの感染拡大が収束したら、東京や大阪、京都にも行ってみたいと思います。 友人に会うために訪れた北海道〈2000年12月〉 日本で困ったこと 日本で困ったのはクレジットカードを作りにくいことでした。クレジットカードがあれば、Amazonや楽天市場などのオンラインマーケットで商品を買ってカードで決済できますし、飛行機のチケットを買う際にも、インターネットで予約後、ネット上で決済できます。しかし、クレジットカードがないと、予約後にコンビニに行って現金で支払わなければなりません。 私は飛行機のチケット購入に利用するためにクレジットカードを作ろうとしましたが、来日して年数が浅いためかカード会社の審査を通らず、作れませんでした。しかし、解決策がありました。それはデビットカードを作ることでした。デビットカードは銀行口座の預金額を限度に利用できるカードで、利用と同時に口座からお金が引き落とされます。飛行機のチケット購入にも使えますし、利用するとポイントが貯まり、ポイントは現金の代わりに使うことができます。 私のデビットカード 私は大手航空会社ANAのHPからANAのデビットカードを申し込みました。このカードによって、カード払いが前提の携帯電話の通話契約もできました。私は格安SIMの「楽天モバイル」で契約し、毎月1,500円で通話とネット通信を確保しています。寮に帰るとWi-Fiがあるので、SIMを使ったネット通信量は2GBもあれば十分です。 私はこのように試行錯誤しながら日本生活をエンジョイしています。当面は日本で働き、日本の技術や考え方をもっともっと身に付けたいと思います。 仕事中の私
2021年07月09日
今回の先輩 ホアン・ティ・トゥイ・ヴァンさん 2004年 ラムソン専門高校卒〈タインホア省〉 2004年 ハノイ国家大学人文社会科学大学・東洋学部入学 2007年 茨城大学で交換留学〈茨城県〉 2008年 帰国 2009年 ハノイ国家大学卒業 2009年 名古屋大学日本法教育研究センターで日本語講師〈ハノイ〉 2009年 ハノイ国家大学人文社会科学大学大学院(夜間コース) 2010年 専修大学で留学〈東京〉 2012年 名古屋大学日本法教育研究センターに復職副業として日越の翻訳・通訳の仕事 2020年 東京外国語大学大学院修士課程 〈1986年生まれ、タインホア省出身〉 新海誠の「秒速5センチメートル」など多くの小説をベトナム語に翻訳したヴァンさんは大学に入ってから日本語の勉強を始めた。日本語教師や翻訳家として活躍するに至るまで、ヴァンさんがどのような努力・工夫をしたのかを紹介する。 〈このページの内容〉 • 英語で高得点を取るこつ • 「占師になるのですか?」 • 日本を選んだ理由 • 1年間の交換留学 • 日本語教師のアルバイト • 2度目と3度目の日本留学 • 「秒速5センチメートル」を翻訳 • ドラマのフレーズを実生活で • 日本の精神文化 • 留学中にボランティア 英語で高得点を取るこつ 父と一緒に行った書店(赤い看板の下)〈ビンソン市で2008年〉 私はタインホア省の特別進学校の中学・高校で英語を専攻しました。英語の得点は中2から中4までクラスで一番でしたが、こつをつかんだのは中2のときでした。複雑に考えず、習った文章をしっかり覚え、その文章の単語を入れ替えて答案を書けば必ず正解になる、ということに気付いたのです。当時はインターネットやスマホのなかった時代。英語が楽しくなった私は父に頼んで地元ビンソン市の本屋に連れて行ってもらい、そこにあった英語の参考書や問題集、辞書をすべて(約10冊)買ってもらいました 「占師になるのですか?」 高校の同窓会〈タインホアで2019年〉 私は中学・高校で英語をたくさん勉強したので、大学では他の外国語を学ぼうと、ハノイ国家大学人文社会科学大学の東洋学部に進みました。東洋学部は今でこそ人気学部ですが、当時はまだ新しく、あまり知られていませんでした。そんな東洋学部を選んだのは、そこの卒業生(親友のいとこ)の話を聞く機会を得たからでした。彼女いわく、東洋学部ではさまざまな語学を学べるとのことで、そこにひかれてこの学部に決めました。 私が東洋学部に行くと級友に話すと、よく「占師になるの?」と真顔で聞かれました。「東洋(ドン・フォン)」という言葉のイメージが占師を想起させたようです。先生でさえ、私立の「東方(フォン・ドン)大学」と間違え、「あなたは成績が良いのに、なぜ私大に行きたいの?」と私に聞くほどでした。 日本を選んだ理由 大学時代の寮の仲間たち〈ハノイで2005年〉 大学に入って半年経ち、専攻を選ぶ時期になりました。一番人気だった韓国学科か日本学科かで悩みましたが、決め手になったのはドラマ「おしん」の思い出でした。小学生時代にテレビで見た感動が残っていた影響で、最後は日本を選びました。単純な理由でしたが、この選択は人生で一番正しい選択だったと、今でも確信しています。 私はそれから16年以上、日本と関わってきましたが、日本人気質にとても親しみを感じます。日本人には、時間や約束を守る、勤勉、辛抱強いなどの性質があります。私もそういう性格なので、親しいベトナム人から「あなたは日本人の影響を受けていますね」とよく言われますが、そうではなく、私の元来の性格です。私はもともと日本に縁があったのです。 1年間の交換留学 ベトナム人仲間の紹介で働いた文具工場〈2008年〉 国家大学での成績優秀者には学費無料で奨学金(毎月80,000円)ももらえる交換留学の機会が巡ってきます。私は3年生のときに茨城大学で1年間交換留学をしましたが、2年生の終わりに2週間の夏季セミナーにも参加しました。アジア各国の学生約20人が別府大学(大分県)で日本文化などを体験するイベントで、自己負担ゼロでした。これが初訪日で、他人と一緒に裸で入浴する日本の温泉も初めて体験しました。 その後、茨城大学では留学生寮に住みました。当時はベトナム人が大学全体で7、8人しかいなかったので、よく一緒に集まり、引越やアルバイト探しも助け合いました。私も仲間の紹介で長期休暇時だけ文具工場でアルバイトをしました。 留学生仲間と大学主催の旅行に参加〈箱根で2008年〉 ハノイでは4学年で日本人教師が1人でしたが、茨城大学の講義はすべて日本語だったので、1年間でヒアリングが格段に向上しました。また、寮で一緒に住んだ各国の留学生たちと毎日のように共用リビングで歓談したほか、誕生日パーティーなどイベントも多く、日本語でたくさん交流しました。当時の仲間たちとは今も連絡を取り合い、海外出張や旅行の際に会っています。 私の家計簿(1カ月の平均) ※交換留学のときの家計簿 ※100円=21,002 VND(※2021年5月31日現在) 収入(合計80,000円~120,000円) 奨学金 80,000円 アルバイト(文具工場) 30,000 円~40,000円 ※アルバイトは長期休暇時のみ 支出(合計59,000円~69,000円) 家賃 6,000円 ※1人1室、wi-fi・水道代込み 授業料 0円 光熱費 5,000円 ※電気・ガスの合計 携帯電話 3,000円 ※ソフトバンク 食費 30,000円 雑費 15,000円〜25,000円 ※衣類、教材、交通費、交際費など 毎月の差額・貯金(平均21,000円〜51,000円) ※貯金は電子辞書の購入や長期休暇時の旅行に使った。 日本語教師のアルバイト 名古屋大学の教育施設の同僚たち〈ハノイで2017年〉 私は留学で身に付いた会話力をさらに高めるため、帰国後、日本語教師のアルバイトを探しました。そして、技能実習に行く生徒たちに送出機関で日本語を教える仕事を友人から紹介してもらいました。 アルバイトは週3回(1回3、4時間)で、主任教師の日本人女性や同僚ベトナム人たちと日本語で話す時間をたくさんとれました。また、主任からきめ細かな授業準備を厳しく仕込まれました。卒業後、名古屋大学のハノイの教育施設で日本語講師の求人があり、応募者5人の中から私1人が採用されましたが、アルバイトで厳しく鍛えていただいた経験が採用試験の模擬授業で生きました。 2度目と3度目の日本留学 旅先の静岡県(左)と山形県(右)にて〈2021年〉 私は就職した翌年に退職し、研究留学生として専修大学で1年半留学しました。就職後は大学院の夜間コースに通っていましたが、そこでも成績が認められ、国家大学と協定を結んでいる専修大学で再び留学する機会を得たのです。学部生のときに村上春樹の「ノルウェーの森」をベトナム語で読んで卒業論文のテーマにしましたが、専大ではそれを日本語で読んで日本文学の研究を続けました。 この留学は日本の国費留学で、授業料無料で日本政府から毎月147,000円の奨学金をいただきました。そして、帰国直前に名古屋大学日本法センターの後任教師が退職したので、帰国後も同じポストに戻ることができました。その後、この仕事を8年半続けましたが、大学で日本語教育を専攻した人と比べ、自分には教材開発やコースデザインの力が不足していると気付き、それを補うために3回目の日本留学を決意しました。今の留学(東京外大大学院)は2020年10月からで、今回も国費留学です。 「秒速5センチメートル」を翻訳 私が翻訳した「秒速5センチメートル」を手にする友人たち〈2015年〉 私は大学で日本語を教えながら、夜や週末に翻訳も手がけるようになりました。2回目の留学から帰国して2年後、東洋学部の先生から翻訳の仕事を紹介されたのです。翻訳デビュー作品はベトナムの若者に大人気の新海誠の「秒速5センチメートル」でした。この小説は私の好きな切ない話でした。小説の舞台に出てくる小田急線や新宿の超高層ビル群、2人の主人公がすれ違う踏切の光景などは、私の専大留学時代の生活エリアと重なり、親しみを感じながら翻訳しました。 その後、雫井脩介(しずくい・しゅうすけ)のミステリー小説「クローズド・ノート」▽島本理生(しまもと・りお)の恋愛小説「ナタラージュ」▽井上堅二の「バカとテストと召喚獣・第1巻」▽谷川流(たにがわ・ながる)の「涼宮ハルヒの憂鬱(ゆううつ)」――なども翻訳しました。 ドラマのフレーズを実生活で 大学生時代、私は毎日自宅でも2、3時間、日本語の勉強をしました。そのときはなかなか会話力がつきませんでしたが、2年半積み上げた知識が土台になって留学で会話力が伸びました。また、留学中も寮で毎日4、5時間勉強しました。 留学以外で効果があったのはドラマからフレーズを学ぶ方法です。ドラマでは、友達同士の会話や学校・職場での会話など、場面ごとの会話を学べます。私は日本のドラマ(音声は日本語、字幕はベトナム語)をたくさん見て、印象に残った場面の言葉を覚えました。そして、実生活でドラマと同じような場面に出会ったら、覚えたフレーズを使いました。間違えても、相手の日本人が修正してくれます。こうした工夫を重ね、日本人と自然な会話ができるようになっていきました。アニメが好きな人はアニメで同じことをしてもいいと思います。 日本の精神文化 私は日本の桜が大好きです。以前、「日本人はなぜそんなに桜が好きなのか」という記事を読みました。その記事は、咲く花の美しさだけではなく、散りゆく桜の魅力にも触れていました。桜が咲いてから10日余りで散っていく姿に「もの悲しさ」や「はかなさ」、「いさぎよさ」を感じるというのです。日本文学には「諸行無常(しょぎょうむじょう)」とか「もののあはれ」という言葉もあり、栄えたものが滅んでいく姿に感慨を覚えたり、いさぎよく去る姿に美しさを感じたりする、日本独特の感性があります。私も長く日本に関わるうち、散る桜のはかなさやいさぎよさに強くひかれるようになりました。 また、「一期一会(いちごいちえ)」という言葉にも影響を受けました。これは「一生に一度の出会いや機会(を大切にしよう)」という言葉です。2回目の留学中の2011年3月に大津波を伴う東日本大震災が起きました。茨城県に近い東北各地でたくさんの人が亡くなり、私は「死」というものを初めて身近に感じました。そして、これがきっかけで「目の前にいる人を大切にする」「今を大切にする」という意識で生活するようになりました。 留学中にボランティア 困っているベトナム人の相談に乗る杉田弁護士(左)と私〈茨城県で2021年〉 私は最初の留学でインドネシア人(主に技能実習生)に日本語を教える大学主催のボランティア(約3カ月間)に参加し、2回目の留学では大震災の被災者と交流する取り組み(1泊2日)に加わりました。 3回目の今回は新型コロナが流行し、経済的に苦しむ技能実習生や留学生がたくさん出ました。茨城県ベトナム人協会などが2020年度に無料相談会を数回開催したので、私は名古屋大学の教育施設でかつて2年間一緒に仕事をした杉田昌平弁護士と一緒に茨城に出向き、通訳を担当しました。ボランティア活動に参加すると、相手の力になれるほか、学びや出会いがたくさんあり、人生の貴重な経験にもなります。これから留学する皆さんもこのような機会を見つけてみてはいかがでしょうか。 今回の先輩 ホアン・ティ・トゥイ・ヴァンさん 2004年 Lam Son専門高校卒〈タインホア省〉 2004年 ハノイ国家大学人文社会科学大学・東洋学部入学 2007年 茨城大学で交換留学〈茨城〉 2008年 帰国 2009年 ハノイ国家大学卒業 2009年 名古屋大学日本法教育研究センターで日本語講師〈ハノイ〉 2009年 ハノイ国家大学人文社会科学大学大学院(夜間コース) 2010年 専修大学で留学〈東京〉 2012年 名古屋大学日本法教育研究センターに復職副業として日越の翻訳・通訳の仕事 2020年 東京外国語大学大学院修士課程 〈1986年生まれ、タインホア省出身〉 新海誠の「秒速5センチメートル」など多くの小説をベトナム語に翻訳したヴァンさんは大学に入ってから日本語の勉強を始めた。日本語教師や翻訳家として活躍するに至るまで、ヴァンさんがどのような努力・工夫をしたのかを紹介する。 〈このページの内容〉 • 英語で高得点を取るこつ • 「占師になるのですか?」 • 日本を選んだ理由 • 1年間の交換留学 • 日本語教師のアルバイト • 2度目と3度目の日本留学 • 「秒速5センチメートル」を翻訳 • ドラマのフレーズを実生活で • 日本の精神文化 • 留学中にボランティア 英語で高得点を取るこつ 私はタインホア省の特別進学校の中学・高校で英語を専攻しました。英語の得点は中2から中4までクラスで一番でしたが、こつをつかんだのは中2のときでした。複雑に考えず、習った文章をしっかり覚え、その文章の単語を入れ替えて答案を書けば必ず正解になる、ということに気付いたのです。当時はインターネットやスマホのなかった時代。英語が楽しくなった私は父に頼んで地元ビンソン市の本屋に連れて行ってもらい、そこにあった英語の参考書や問題集、辞書をすべて(約10冊)買ってもらいました 父と一緒に行った書店(赤い看板の下)〈ビンソン市で2008年〉 「占師になるのですか?」 私は中学・高校で英語をたくさん勉強したので、大学では他の外国語を学ぼうと、ハノイ国家大学人文社会科学大学の東洋学部に進みました。東洋学部は今でこそ人気学部ですが、当時はまだ新しく、あまり知られていませんでした。そんな東洋学部を選んだのは、そこの卒業生(親友のいとこ)の話を聞く機会を得たからでした。彼女いわく、東洋学部ではさまざまな語学を学べるとのことで、そこにひかれてこの学部に決めました。 私が東洋学部に行くと級友に話すと、よく「占師になるの?」と真顔で聞かれました。「東洋(ドン・フォン)」という言葉のイメージが占師を想起させたようです。先生でさえ、私立の「東方(フォン・ドン)大学」と間違え、「あなたは成績が良いのに、なぜ私大に行きたいの?」と私に聞くほどでした。 高校の同窓会〈タインホアで2019年〉 日本を選んだ理由 大学に入って半年経ち、専攻を選ぶ時期になりました。一番人気だった韓国学科か日本学科かで悩みましたが、決め手になったのはドラマ「おしん」の思い出でした。小学生時代にテレビで見た感動が残っていた影響で、最後は日本を選びました。単純な理由でしたが、この選択は人生で一番正しい選択だったと、今でも確信しています。 私はそれから16年以上、日本と関わってきましたが、日本人気質にとても親しみを感じます。日本人には、時間や約束を守る、勤勉、辛抱強いなどの性質があります。私もそういう性格なので、親しいベトナム人から「あなたは日本人の影響を受けていますね」とよく言われますが、そうではなく、私の元来の性格です。私はもともと日本に縁があったのです。 大学時代の寮の仲間たち〈ハノイで2005年〉 1年間の交換留学 国家大学での成績優秀者には学費無料で奨学金(毎月80,000円)ももらえる交換留学の機会が巡ってきます。私は3年生のときに茨城大学で1年間交換留学をしましたが、2年生の終わりに2週間の夏季セミナーにも参加しました。アジア各国の学生約20人が別府大学(大分県)で日本文化などを体験するイベントで、自己負担ゼロでした。これが初訪日で、他人と一緒に裸で入浴する日本の温泉も初めて体験しました。 その後、茨城大学では留学生寮に住みました。当時はベトナム人が大学全体で7、8人しかいなかったので、よく一緒に集まり、引越やアルバイト探しも助け合いました。私も仲間の紹介で長期休暇時だけ文具工場でアルバイトをしました。 ベトナム人仲間の紹介で働いた文具工場〈2008年〉 ハノイでは4学年で日本人教師が1人でしたが、茨城大学の講義はすべて日本語だったので、1年間でヒアリングが格段に向上しました。また、寮で一緒に住んだ各国の留学生たちと毎日のように共用リビングで歓談したほか、誕生日パーティーなどイベントも多く、日本語でたくさん交流しました。当時の仲間たちとは今も連絡を取り合い、海外出張や旅行の際に会っています。 留学生仲間と大学主催の旅行に参加〈箱根で2008年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※交換留学のときの家計簿 ※100円=21,002 VND(※2021年5月31日現在) 収入(合計80,000円~120,000円) 奨学金 80,000円 アルバイト(文具工場) 30,000 円~40,000円 ※アルバイトは長期休暇時のみ 支出(合計59,000円~69,000円) 家賃 6,000円 ※1人1室、wi-fi・水道代込み 授業料 0円 光熱費 5,000円 ※電気・ガスの合計 携帯電話 3,000円 ※ソフトバンク 食費 30,000円 雑費 15,000円〜25,000円 ※衣類、教材、交通費、交際費など 毎月の差額・貯金(平均21,000円〜51,000円) ※貯金は電子辞書の購入や長期休暇時の旅行に使った。 日本語教師のアルバイト 私は留学で身に付いた会話力をさらに高めるため、帰国後、日本語教師のアルバイトを探しました。そして、技能実習に行く生徒たちに送出機関で日本語を教える仕事を友人から紹介してもらいました。 アルバイトは週3回(1回3、4時間)で、主任教師の日本人女性や同僚ベトナム人たちと日本語で話す時間をたくさんとれました。また、主任からきめ細かな授業準備を厳しく仕込まれました。卒業後、名古屋大学のハノイの教育施設で日本語講師の求人があり、応募者5人の中から私1人が採用されましたが、アルバイトで厳しく鍛えていただいた経験が採用試験の模擬授業で生きました。 名古屋大学の教育施設の同僚たち〈ハノイで2017年〉 2度目と3度目の日本留学 私は就職した翌年に退職し、研究留学生として専修大学で1年半留学しました。就職後は大学院の夜間コースに通っていましたが、そこでも成績が認められ、国家大学と協定を結んでいる専修大学で再び留学する機会を得たのです。学部生のときに村上春樹の「ノルウェーの森」をベトナム語で読んで卒業論文のテーマにしましたが、専大ではそれを日本語で読んで日本文学の研究を続けました。 この留学は日本の国費留学で、授業料無料で日本政府から毎月147,000円の奨学金をいただきました。そして、帰国直前に名古屋大学日本法センターの後任教師が退職したので、帰国後も同じポストに戻ることができました。その後、この仕事を8年半続けましたが、大学で日本語教育を専攻した人と比べ、自分には教材開発やコースデザインの力が不足していると気付き、それを補うために3回目の日本留学を決意しました。今の留学(東京外大大学院)は2020年10月からで、今回も国費留学です。 旅先の静岡県(左)と山形県(右)にて〈2021年〉 「秒速5センチメートル」を翻訳 私は大学で日本語を教えながら、夜や週末に翻訳も手がけるようになりました。2回目の留学から帰国して2年後、東洋学部の先生から翻訳の仕事を紹介されたのです。翻訳デビュー作品はベトナムの若者に大人気の新海誠の「秒速5センチメートル」でした。この小説は私の好きな切ない話でした。小説の舞台に出てくる小田急線や新宿の超高層ビル群、2人の主人公がすれ違う踏切の光景などは、私の専大留学時代の生活エリアと重なり、親しみを感じながら翻訳しました。 その後、雫井脩介(しずくい・しゅうすけ)のミステリー小説「クローズド・ノート」▽島本理生(しまもと・りお)の恋愛小説「ナタラージュ」▽井上堅二の「バカとテストと召喚獣・第1巻」▽谷川流(たにがわ・ながる)の「涼宮ハルヒの憂鬱(ゆううつ)」――なども翻訳しました。 私が翻訳した「秒速5センチメートル」を手にする友人たち〈2015年〉 ドラマのフレーズを実生活で 大学生時代、私は毎日自宅でも2、3時間、日本語の勉強をしました。そのときはなかなか会話力がつきませんでしたが、2年半積み上げた知識が土台になって留学で会話力が伸びました。また、留学中も寮で毎日4、5時間勉強しました。 留学以外で効果があったのはドラマからフレーズを学ぶ方法です。ドラマでは、友達同士の会話や学校・職場での会話など、場面ごとの会話を学べます。私は日本のドラマ(音声は日本語、字幕はベトナム語)をたくさん見て、印象に残った場面の言葉を覚えました。そして、実生活でドラマと同じような場面に出会ったら、覚えたフレーズを使いました。間違えても、相手の日本人が修正してくれます。こうした工夫を重ね、日本人と自然な会話ができるようになっていきました。アニメが好きな人はアニメで同じことをしてもいいと思います。 日本の精神文化 私は日本の桜が大好きです。以前、「日本人はなぜそんなに桜が好きなのか」という記事を読みました。その記事は、咲く花の美しさだけではなく、散りゆく桜の魅力にも触れていました。桜が咲いてから10日余りで散っていく姿に「もの悲しさ」や「はかなさ」、「いさぎよさ」を感じるというのです。日本文学には「諸行無常(しょぎょうむじょう)」とか「もののあはれ」という言葉もあり、栄えたものが滅んでいく姿に感慨を覚えたり、いさぎよく去る姿に美しさを感じたりする、日本独特の感性があります。私も長く日本に関わるうち、散る桜のはかなさやいさぎよさに強くひかれるようになりました。 また、「一期一会(いちごいちえ)」という言葉にも影響を受けました。これは「一生に一度の出会いや機会(を大切にしよう)」という言葉です。2回目の留学中の2011年3月に大津波を伴う東日本大震災が起きました。茨城県に近い東北各地でたくさんの人が亡くなり、私は「死」というものを初めて身近に感じました。そして、これがきっかけで「目の前にいる人を大切にする」「今を大切にする」という意識で生活するようになりました。 留学中にボランティア 私は最初の留学でインドネシア人(主に技能実習生)に日本語を教える大学主催のボランティア(約3カ月間)に参加し、2回目の留学では大震災の被災者と交流する取り組み(1泊2日)に加わりました。 3回目の今回は新型コロナが流行し、経済的に苦しむ技能実習生や留学生がたくさん出ました。茨城県ベトナム人協会などが2020年度に無料相談会を数回開催したので、私は名古屋大学の教育施設でかつて2年間一緒に仕事をした杉田昌平弁護士と一緒に茨城に出向き、通訳を担当しました。ボランティア活動に参加すると、相手の力になれるほか、学びや出会いがたくさんあり、人生の貴重な経験にもなります。これから留学する皆さんもこのような機会を見つけてみてはいかがでしょうか。 困っているベトナム人の相談に乗る杉田弁護士(左)と私〈茨城県で2021年〉
2021年06月11日