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ベトナムから海外留学する人がまだ少なかった1990年代に日本に留学したニエンさん。留学仲間の夫が沖縄で就職したため彼女も沖縄に長く住むことになり、その間に日本の文学小説をたくさん翻訳し、ベトナムで出版。最近は、沖縄に住むベトナム人技能実習生たちのサポートにも力を入れています。 今回の先輩 グエン・ド・アン・二エンさん 1994年ホーチミン国家大学東洋学部入学 1997年名桜大学で交換留学〈沖縄、1年間〉 1999年ホーチミン国家大学卒業 1999年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈2年間〉 2001年名桜大学大学院修士課程入学 2003年修士課程修了 2003年大阪府立国際児童文学館外国人研究員〈6カ月〉 2004年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈4年間〉 2004年TRE出版社で日本語通訳・翻訳〈4年間〉 2011年名桜大学附属図書館でアルバイト〈5年間〉 2011年名桜大学非常勤講師〈現在も〉 2022年沖縄大学非常勤講師〈現在も〉 〈1976年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 •...
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【在ベトナム日本国大使館後援】
今回の先輩 Doan Hong Phuong(ドアン・ホン・フーン)さん 1996年生まれ、ブンタウ省出身2014年 5月 Ngo Quyen 高校卒業2014年 8月 ドンズー日本語学校 入学2015年 9月 ドンズー日本語学校 卒業2015年 10月 盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科 入学2017年 3月 盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科 卒業2017年 4月 岩手大学 入学 Doan Hong Phuong(ドアン・ホン・フーン)さん 1996年生まれ、ブンタウ省出身2014年 5月 Ngo Quyen 高校卒業2014年 8月 ドンズー日本語学校 入学2015年 9月 ドンズー日本語学校 卒業2015年 10月 盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科 入学2017年 3月 盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科 卒業2017年 4月 岩手大学 入学 はじめに 私は高校卒業後、ホーチミンの「ドンズー日本語学校」で1年間学んだ後に日本に行き、専門学校の日本語学科を経て国立大学に入学しました。ベトナムの大学に行く場合は、親のすねをかじるしかありませんが、日本に留学すれば、自分で働いて得たお金で大学に行けます。 日本を選んだのは、日本が好きだからです。「名探偵コナン」など日本アニメが好きですし、寿司や天ぷらなど日本の食文化も好きです。実際に日本に来て、空気がきれいですし、食べ物もおいしいので、楽しく生活しています。給料もベトナムより多いので、このまま日本で就職したいと思っています。 今回は、ベトナムで日本語をしっかり勉強してから留学することの大切さや日本の公共施設の活用の仕方を中心に私の留学体験をお伝えします。 専門学校のイベントで北上川河川敷でバーベキュー【2016年4月】 訪日前にみっちり日本語学習 母の友人の娘さんが日本で働きながら留学していました。その人が留学前にドンズー日本語学校で勉強したと聞き、私もドンズーに応募しました。 ドンズー日本語学校は1991年に設立され、現在はベトナム南部を中心に7校で日本語教育を行っています。ホーチミンにある同校の「ビンミー留学生日本語センター」では、日本の大学に留学する学生を育成するためにハイレベルの日本語教育を行っています。私はこの日本語センターで1年間、寮生活をしました。日本語は初めてで、ゼロからのスタートでしたが、1年で日本語能力試験(JLPT)のN3程度のレベルになりました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] N3に合格するまで平均2、3年かかる学校も多い中、1年でN3レベルになるための勉強は大変でした。授業は平日の朝から夕方までと土曜日の午前で、毎月、試験の成績でクラス分けが行われました。授業のレベルについていけず、途中で退学する人もいました。 私は夜や日曜日も自習で忙しく、故郷のブンタウ省までそれほど遠くはないのに帰省する時間がなかなか取れないので、両親の方から私に会いに来てくれました。 [/show_more] ドンズーに入学する際は、仲介業者への手数料などは不要で、私は、学費と寮費とで合計約50,000,000ドン(1年分)を学校に支払いました。 日本語学校を経て国立大学入学 岩手大学の入試会場で【2017年2月】 ドンズーでの1年間の勉強を経て、2015年10月、岩手県の「盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科」に入りました。留学先の学校はドンズーでの成績で先生たちが決めます。ドンズーから一緒にこの学校に留学したのは私を含めて14人で、1年半後、ほとんどが日本の大学に進学しました。14人の中で私を含めて2人だけ盛岡に残ることになり、今は岩手大学人文社会科学部で経済を専攻しています。 公共施設や外国人サポートを利用しよう 私は、アルバイトは必要最小限にし、勉強時間をなるべく多く取るようにしています。今は、例えば大学のゼミの研究課題や英語のTOEIC対策などが主なテーマです。勉強場所には、大学の図書館をよく利用しています。静かで冷暖房もあり、ほかにも勉強している人がたくさんいます。 祝日で学校の図書館が休みのときや、用事で町の中心部に出たときは、公共図書館も利用しています。盛岡駅前の「いわて県民情報交流センター」の1~4階には岩手県立図書館があります。また、5階には岩手県国際交流協会が運営する「国際交流センター」があり、外国人向けの学習情報や交流イベントの情報が手に入るほか、生活や学習などの相談にも乗ってもらえます。日本語学習の資料もたくさんあるので、専門学校日本語学科時代は、ここの本をよく無料で借りました。 図書館 岩手県立図書館で【2019年7月】 国際交流センター 外国人向けの情報が集まる国際交流センター【2019年7月】 国際交流センターには「日本語教材室」もある【2019年7月】 日本での生活とアルバイト 日本に来て最初のアルバイトは新聞配達でした。ドンズーの卒業生に代々引き継がれているアルバイトです。新聞を各家庭に毎朝配るのは、日本独特の文化です。 私は朝4時に起きて6時まで配り、それから学校に行きました。電動自転車で約200軒の住宅のポストに新聞を届けます。1カ月約8万円の給料をもらえましたが、昼間、眠くて勉強に集中できないので、6カ月間でやめました。冬の朝の配達はとても寒かったですし、雨の日の配達がとても大変でした。 その後は、居酒屋などで働きました。 今のアルバイトはホテルでの宴会の給仕(時給1,100円)と技能実習の受入組合での通訳です。合計で毎月8万円~10万円もらっています。 以前に勤務した焼き肉店では、最初は厨房で皿洗いなどを担当しましたが、数カ月して日本語の会話力が上がってからは、注文を聞いたり料理を運んだりする接客の仕事に回りました。この担当になってからは、仕事を通じて日本語がさらに上達しました。その後、居酒屋でも同じように接客を担当しました。 [iconpress id="local_120" title="book" style="color:#525252; font-size:25px;" ]私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,192 VND(2019年11月29日現在) 収入(合計80,000円~100,000円) アルバイト2件(ホテル宴会給仕、通訳) 合計80,000 円~100,000円※2018年度は、これに加えて岩手県から毎月20,000の奨学金 JASSOの奨学金 80,000円 支出(合計 70,000円~90,000円) 家賃(寮費) 29,000円※1人暮らし、ワンルーム、wifi込み※大学の寮なら15,000円だが、バイト先まで遠いので選ばなかった 授業料 0円※成績優秀と認められ全額免除※これまでに入学金の29万円のみ(アルバイトで貯めたお金で納付) 光熱費 12,000~13,000円※電気・水道・ガスの合計 インターネット 0円※家賃に含む 携帯電話 0円※wi-fiしか使わない 食費 20,000円※バイト先の飲食店で格安で食べる日もある 雑費 8,000円~28,000円※衣類、学習教材、交通費など 毎月の差額(貯金)平均1~2万円 ※大学の試験などでアルバイトがあまりできない場合や緊急の出費があった場合、貯金を取り崩して生活する月もある。※ベトナムへの仕送りはなし。将来、就職活動などでお金がかかるので貯金をしている。 さまざまな交流活動に参加 日本では、様々な交流イベントに参加しました。大学で「多文化コミュニケーション」という授業があり、この授業の一環で年に2回、1泊2日の合宿交流会に参加して岩手県各地の中学生たちと交流しました。一緒に運動会のポスターを作ったり、1つの部屋に留学生2人、中学生2人が一緒に泊まっておしゃべりを楽しんだりしました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] また、大学1年の時は、大学の先生の勧めで留学生7人で「浴衣コンテスト」に参加しました。私たち外国人が浴衣で並ぶ姿は地元の新聞に掲載されました。ドラマや映画で見た着物や浴衣に昔からあこがれていたので、初めて浴衣を着られてうれしかったです。大学の卒業式では着物を着る予定です。また、日本で就職したら、浴衣を着て花火大会に行きたいと思っています。 [/show_more] 中学生との合宿交流会で【2019年7月】 私はこうして日本語を勉強した 私は日本に来て約2年半後、日本語能力試験(JLPT)のN1に合格しました。JLPT対策では、日本語レベルの高い先輩ベトナム人や友人に紹介されたテキストを使いました。その中で主なものを紹介します。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 「新完全マスター」シリーズ(出版社:スリーエーネットワーク) [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 「耳から覚える 日本語能力試験」シリーズ(出版社:アルク) [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 「日本語能力試験問題集N1読解スピードマスター」 また、N1受験対策の講座をYou-tubeで探して何度も見ました。これら以外には、映画や化粧関係の日本語の動画をよく見ました。好きな分野の動画だと、言葉も覚えやすいからです。 ヒアリングの練習にはアニメも適しています。私は「名探偵コナン」をよく見ました。子どもの時から見ていてストーリーは何となく頭に入っているので、動画を楽しみながら日本語の発音やアクセントを学びました。これは、娯楽と勉強がセットになっているので、続けやすい学習方法だと思います。 今後の夢 私は日本で就職しようと思っています。その準備として、2019年7月には岩手県内の中小企業が集まる合同就職フェアに参加し、10月には地元の銀行やビール醸造所をゼミの仲間と一緒に見学しました。私は化粧が好きなので、化粧品関係の会社に就職できたら一番いいなあと思っています。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 日本は、空気がきれいで、公共交通も便利だし、道路や歩道もきれいです。日本の食事も大好きで、焼き肉やラーメン、居酒屋のいろんな料理のほか、盛岡名物のジャージャー麺も絶品です。また、今はアルバイトと勉強で旅行に行く時間がありませんが、就職活動が本格化したら、全国の大学に散らばっているドンズーの同窓生を訪ねて泊めてもらい、観光もしたいです。 [/show_more] これから日本に留学する皆さんも、ベトナムでしっかり日本語を学んでから日本に来てくださいね。そうすることで、日本に来てからの勉強もアルバイトもとても充実したものになると思います。 就職に向けていろんな企業を知るため、ドンズーの先輩・後輩と一緒に岩手県内のヨーグルト工場を見学【2018年11月】
2019年12月31日
今回の先輩 LUONG THI TUYET(ルオン・ティ・トゥエト)さん 1993年生まれ、ハイフォン市出身2011年 6月 QUANG TRUNG 高校卒業2011年 9月 ハノイ国家大学・人文社会学科大学 国際学学部 入学2015年 6月 ハノイ国家大学・人文社会学科大学 国際学学部 卒業2016年 4月 兵庫県の専門学校(日本語学科) 入学2017年 10月 エール学園デュアルビジネス学科 入学2018年 3月 シンコー株式会社(正社員) 入社 はじめに 私はハノイの大学を卒業後、日本の専門学校で日本語を学び、日本で就職しました。職場の上司や同僚に恵まれ、やりがいのある仕事をし、充実した社会人生活を歩み始めています。日本に出稼ぎ目的で留学する人もいますが、なるべく借金をせずに訪日し、しっかり勉強してよい就職先を見つけましょう。その方が充実した社会人生活を送れますし、お金も長期にわたって稼げます。今回は、写真を中心に私の日本での仕事や旅行、ボランティアの様子を紹介します。 日本の大都会には大きな書店がたくさん【大阪市内で2019年9月】 専門学校を経て日本で就職 私はハノイ国家大学時代、学外の日本語教室で4カ月間勉強し、日本語能力試験(JLPT)のN4を取得してから2016年春に日本に来ました。ハノイでは、授業料が安い「SOFL」という教室に週2、3回通いました。授業料は4カ月で400万ドンでした。 訪日後、兵庫県内の専門学校(日本語学科)で2年間学ぶ予定でしたが、1年半で退学し、大阪市の専門学校「エール学園」に移りました。私は最初の学校で成績が一番だったこともあり、ある人が「あなたはもっと高いレベルの授業を受けた方がよい」と言ってエール学園を紹介してくれたのです。 エール学園の教育には、地元企業でのインターンが含まれます。私は小さな旅行会社で2カ月間(週3回)、インターン(飛行機の予約や電話対応)をしました。同社は従業員を募集していませんでしたが、社長がいくつかの企業を紹介してくれました。その中の一つ「シンコー株式会社」(東大阪市)で2018年3月から働き始め、アルバイトや契約社員を経て同年10月に正社員になりました。 訪日後間もないころ、ショッピングモール前で同郷の親友と【兵庫県で2016年4月】 日本での暮らし(学生時代) 私の兵庫県の専門学校時代の暮らしについて紹介します。 ・奨学金…兵庫県の奨学金を毎月3万円もらいました。生徒が書いた申請書と作文をもとに学校が県に申請します。この奨学金を受給できたのは同期の中で私一人でした。 ・寮…日本語学校が借りているマンションの部屋(2DK、電化製品や家具付き)にベトナム人4人で住みました。寝室1室を2人で使い、居間が別にありました。家賃は1人15,000円(約3,170,000ドン)で、光熱費は別でした。 ・アルバイト…最初はスーパーマーケットで、棚に商品を補充する「荷出し」を担当しました。その後、回転寿司店で10カ月間働きました。ここでは、最初は厨房の担当で、日本語が上達してからはホール(接客など)に移りました。 大阪では、コンビニエンスストアで毎週2、3回(17時~22時)働きました。勉強に集中するためにアルバイトを最小限にし、友人からお金を借りて授業料や生活費を支払いました。 一緒に訪日した同郷の親友2人と学校の寮の前で【兵庫県で2016年5月】 【電動自転車】 兵庫県にいたころは、学校が終わってからアルバイトに行くために自転車が頼りでした。電車やバスが不便だったからです。最初は、自転車で40分かけてアルバイトに通いましたが、疲れるし時間もかかるので、お金を貯めて半年後に電動自転車を買いました。約10万円(約21,125,000ドン)もしましたが、田舎で暮らす外国人留学生の大半は電動自転車を持っていると思います。大阪に行ってからは電車がとても便利なので、電動自転車は要らなくなりました。 ただし、日本の電動自転車は「電動アシスト自転車」であり、「モペット」とは違います。モペットに乗る際、ベトナムでは免許が不要ですが、日本では運転免許証が必要ですので、注意してください。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 在ベトナム日本国大使館(モペットに関する注意) お金を稼ぐのは就職後で十分 私は留学生の時はほとんど貯金や仕送りをしませんでしたが、日本で就職したので、これから何年間も両親にお金を送ることができます。親に送金するためにアルバイトばかりする留学生もいますが、留学中に勉強しないと、よい就職先はありません。アルバイトをほどほどにしてしっかりと勉強をし、日本やベトナムでよい企業に就職する方が、仕事のやりがいもあり、お金も長期に渡って稼ぐことができます。 [iconpress id="local_120" title="book" style="color:#525252; font-size:25px;" ]私の家計簿(1カ月の平均)※就職後 ※100円=21,125 VND(2019年12月1日現在) 収入(合計約170,000円) 給料 170,000円※税金、社会保険などを引いた後の手取り額※これとは別に年に2回、ボーナスも支給される 支出(合計 約123,000円) 家賃(寮費) 48,000円※1人暮らし※ワンルーム、トイレ、シャワー&バス※水道代込み 光熱費 6,000円※電気・ガスの合計 携帯電話 3,000円※Biglobeモバイル(ネット接続費用込み) 食費 30,000円※主に自炊 雑費・交通費 30,000円※ハイキング、カラオケ、町歩きなど主に週末の遊興費 水泳教室 6,500円 差額(貯金)平均50,000円 ※余ったお金は毎月ベトナムの両親に送金※ボーナスなどで貯めたお金は、テトに一時帰国したり、学生時代に友人に借りたお金を返したり、ボランティアで遠方に行く費用などに使う。 仕事を楽しむ 「シンコー」は壁紙やカーテン、カーペットなどインテリア資材の販売会社です。海外とも取引があり、私は、商品の輸出手続き(書類作成など)や海外代理店との連絡(メール、FAX、電話)を担当し、1年に1回、海外出張もあります。これまでの出張先は香港・台湾・ベトナムで、ベトナム出張の際は、ハイフォンの実家に少しだけ立ち寄り、両親に顔を見せることができました。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] シンコー 上司や台湾人の同期と香港・台湾・ベトナム(ハノイ)に出張。販売代理店への挨拶や市場調査、営業のためで、ハノイでは通訳も担当しました。夜は町歩きを少し楽しみました。【いずれも香港で2018年10月】 日本を楽しむ(ハイキング) 私はベトナムではハイキングに行きませんでしたが、日本にはハイキングコースがたくさんあって、自然と触れ合えます。私は就職後、勤務先の上司や同僚とよく週末にハイキングに行っています。 勤務先の上司や同期生と計4人で大阪府の「府民の森 ほしだ園地」へ【2018年4月】 勤務先の上司や同期生と計4人で葛城山(奈良県・大阪府)へ。つつじの花がきれいでした。【2018年5月】 勤務先の上司や同期生と計4人で葛城山(奈良県・大阪府)へ。つつじの花がきれいでした。【2018年5月】 勤務先の台湾人の同期生と2人で兵庫県朝来市の竹田城跡へ【2018年12月】 [video width="1540" height="1180" mp4="https://www.kokoro-vj.org/wp-content/uploads/2019/12/181223 竹田城趾①.mp4"][/video] 日本を楽しむ(ボランティア) 就職後、ボランティアで交流活動にも参加しています。日本では、4月末から5月上旬にかけて1週間前後の連休があり、「ゴールデン・ウイーク(GW)」と呼ばれています。私は2019年のGWに日本人も知らない鹿児島県の離島「宝島」に6泊し、農業の手伝いをしました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] このボランティアのことはインターネットで知りました。大阪から鹿児島へは飛行機で約75分。全国各地から私を含めて7人のボランティア(学生4人、社会人3人)が自費で鹿児島港に集合し、船に乗ること約13時間。私たちは宝島の港で島の人と合流し、農家に泊まって、らっきょうの収穫や田植え、工芸品作りなどを手伝いました。 宝島の海は見たこともないぐらいきれいで、底まで透けて見えました。また、夜には空いっぱいに星が散らばり、生まれて初めて流れ星も見ました。GWは交通費が高いので大きな出費になりましたが、宝島での経験は人生の宝になりました。 [/show_more] また、2018年6月には、兵庫県の淡路市で日本の小学生と外国人留学生がふれ合う1泊2日の交流会に参加しました。会話は英語か日本語で、交通費は自己負担、宿泊費は主催者負担でした。 人生の宝になった鹿児島県・宝島でのボランティア滞在【2019年5月】 人生の宝になった鹿児島県・宝島でのボランティア滞在【2019年5月】 淡路島で小学生と外国人留学生が触れあうイベントに参加【2018年6月】 日本を楽しむ(同郷ベトナム人との絆) 訪日の約半年前、ハイフォンの高校で同級生だった親友2人に日本に行くことを打ち明けると、数週間後、2人も「一緒に行く」と言いだし、同じ専門学校に留学することになりました。また、ベトナムで専門学校を卒業後、よい仕事が見つからなかった私のいとこ(1歳下の男性)も着いてきました。 訪日後、親友2人とは寮の部屋も一緒で、いとこも含めて4人でよく一緒に遊びに行きました。その後、大阪と兵庫に分かれましたが、今でも時々集まって観光や食事などを楽しんでいます。 一緒に訪日した同郷の4人でテトのお祝い【大阪のベトナム料理店で2018年2月】 一緒に訪日した4人で秋の京都を観光【いずれも京都市内で2016年11月】 同郷の4人を含むベトナム人5人で奈良公園を観光【2019年3月】 おわりに 私の日本での仕事や旅行、ボランティアの様子を紹介しました。私は留学中、アルバイトを最小限に抑えて勉強に時間をとり、就職先探しのインターンやアルバイトを経て日本の会社に就職しました。よい会社を紹介され、今、素敵な上司や同僚と一緒に仕事をしています。 皆さんも、せっかく留学するなら、きちんと勉強してよい就職につなげましょう。就職後のやりがいが大事ですし、お金も就職してからの方が長く稼げます。あなたの日本留学や就職が成功することを願います。 勤務先の専務(左)は心の温かい素敵な上司です。奥さん(右)のお誕生日の記念に私がお二人の似顔絵を描きました。 勤務先の専務(左)は心の温かい素敵な上司です。奥さん(右)のお誕生日の記念に私がお二人の似顔絵を描きました。
2019年12月04日
今回の先輩 Doan Thi Minh Trang(ドァ・ティ・ミン・チャン)さん 1991年生まれ、Hai Duong 省出身2009年6月 Nguyen Trai 高校卒業2009年9月 ハノイ人文社会科学科大学東洋学部 日本学科 入学2012年9月 大東文化大学 国際関係学部 国際関係学科 交換留学生2013年 9月 ハノイ人文社会科学科大学 再入学2014年 6月 ハノイ人文社会科学科大学 東洋学部 日本学科 卒業2014年 7月 日系企業(製造)入社(正社員、通訳・翻訳業務)2015年4月 メイワ・ベトナム入社(営業) はじめに 私はハノイのメイワ・ベトナム(Meiwa Vietnam) という日系企業で働いています。通訳・翻訳もしますが、営業や顧客のフォローを担当しています。私は交換留学で日本の大学で1年間学びましたが、その間、ほとんど日本語だけで生活し、日本語力を高めて帰国することができました。この経験があったためにハノイで大きな日系企業に就職することができました。現在、子育てを義母に手伝ってもらいながら仕事を続けています。 日本留学のメリットとして、「日本語漬け」の環境に置かれ、日本語が上達するということが第一に挙げられます。また、日本人の生活・性格・文化・習慣も学べ、日系企業で働く上でも歓迎されます。そのほか、親から独立して生活するので、時間やお金を自分で管理する習慣が身に付く▽ベトナム人以外の外国人留学生との交流が多く、さまざまな国の友達ができる▽日本の美しい景色を楽しめる――といったメリットもあります。ただ、留学で十分な成果を得るには、ベトナムでしっかり勉強してから日本に行くことが大切です。そうしたことを含め、私の留学経験についてご紹介します。 週末は、長女をたくさん抱っこしてあげます。【2019年3月】 日系企業で活躍の場 私の勤務先の「メイワ・ベトナム」は「明和産業(Meiwa Corporation)」という日本の商社の現地法人で、本社はホーチミン市にあります。私は通訳・翻訳だけを担当しているのではなく、受注・発送を含む営業業務全般を任されています。税引き後の給料は約1,900万ドンで、日本語力や経験、学歴などを高く評価してもらっているように思います。人材紹介会社に履歴書を送って登録したところ、運良くこの会社を紹介してもらえました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 私の勤務するハノイ支店は日本の塗料や樹脂を扱っています。販売先は主に日系企業で、日本人の営業マンと一緒に顧客に会って通訳やメモをし、成約後も受注・発送・顧客フォローを行います。 以前にも別の日系企業に勤めていました。とても有名な会社で、働きやすい職場でしたが、仕事の内容が通訳・翻訳だけだったので、別の勤務先を探していました。今の会社に転職して給料は2倍以上になりました。そして、今の会社に移った後の2018年8月、初めての子供(女児)を出産しました。産前・産後に計7週間休んだ後、職場に復帰し、夫の母に子育てを手伝ってもらいながら勤務を続けています。 [/show_more] 職場近くのカフェ・ラウンジで【2019年6月】 大学入学後に日本語学習 日本語の定番テキスト「みんなの日本語」 私が日本語の勉強を始めたのは大学に入ってからです。大学の日本語テキストはロングセラーの「みんなの日本語」(出版社:スリーエーネットワーク)などでした。4年生のときに1年間、東京にある私立の「大東文化大学」に交換留学しました。交換留学は、ベトナムの大学と日本の大学の協定に基づくプログラムで、留学期間中、毎月8万円(約1,725万ドン)の奨学金(海外留学支援制度奨学金)を日本学生支援機構(JASSO)からもらいました。しかし、成績優秀者しか交換留学に行けないので、大学入学後、一生懸命に勉強をしました。 交換留学のプログラムを知ったのはハノイ人文社会科学大学に入ってからです。日本学科24人のうち10人ぐらいが交換留学生に選ばれ、東京大学、専修大学などさまざまな大学で留学できます。私は交換留学生に選ばれるよう、一生懸命に勉強をしました。日本語の勉強に特に時間をかけ、大学のテキストなどで毎日2時間以上勉強しました。また、定期試験では日本語以外の教科でも良い成績をとれるように努力しました。 私は高校に通った3年間、日本の新聞社から毎月1,000円(約214,800ドン)の奨学金をもらいました。金額は大きくありませんでしたが、勉強の参考書などを買えたのでとても助かりました。このため、「日本ともっと関わり、日本とベトナムの友好のために貢献したい」と思い、大学の日本学科を選びました。もちろん、ドラえもんやコナンも大好きで、日本への親近感はもともと持っていました。 日本での生活 ・交換留学生への奨学金を受給・アルバイトで日本語上達(そのためにも留学前の勉強が大事)・留学生向けの寮で上手に生活 外国人留学生仲間や大学の留学生指導者と一緒に伊豆に旅行【2013年2月】 交換留学生にはJASSOから毎月8万円の奨学金が支給されるので、留学中のアルバイトはあまりたくさんしなくても済みました。大学の留学生寮に入ったので、家賃も格安でした。また、日本に行く前に日本語の勉強を頑張り、日本語能力試験(JLPT)のN3程度の力を身につけてから留学したので、日本で良いアルバイトがすぐに見つかりました。仕事の中で日本語を使う場面が多く、大学の授業だけでなくアルバイトを通じても日本語力を高めることができました。こうして、1年間の留学を終えて帰国後、すぐにJLPTのN2に合格しました。 交換留学生に対するJASSOの奨学金制度: https://www.jasso.go.jp/en/index.html 大東文化大学には留学生寮があり、家賃は格安でした。台所やシャワー、トイレは共同ですが、部屋は個室(1人に1部屋)です。50,000円(約1078万ドン)の寮費の中に電気代や水道代などの光熱費が含まれ、無料インターネットもありました。みんなで使う食堂にテレビがあり、個室にベッド・机・本棚が付いていたので、大きな家具を購入する必要もありませんでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,570 VND(2019年10月3日現在) 収入(合計140,000~150,000円) アルバイト1件(飲食店店員など) 60,000~70,000 円 ※奨学金があったので必要最小限のアルバイト時間にとどめ、勉強に時間をとった。 JASSOの奨学金 80,000円 支出(合計 95,000円) 家賃(寮費) 50,000円※個室/トイレ、シャワー、台所は共同※インターネットwifi無料 携帯電話 5,000円 食費 20,000円※主に自炊 授業料 0円 交通費(通学など) 10,000円 雑費 10,000円※衣類や書籍など 差額(貯金)平均45,000~55,000円 ※ベトナムへの仕送りはなし。貯まったお金は主に旅行や緊急出費などに使った。 日本でのアルバイトと訪日前の準備 ・日本に行くまでに日本語力のスキルアップ・ケーキ屋やKFCでアルバイトを通じて会話力向上・無料の求人情報誌(日本語)でアルバイト探し 交換留学が決まって日本に行く前の数カ月間、日系企業のベトナム人従業員に日本語を教育する施設で受付のアルバイトをしました。日本人の教師が何人かいたので、「授業の準備でお手伝いすることはありませんか」と自分から話しかけ、資料整理などを手伝いながら先生たちと日本語の会話をたくさんするように心がけました。 日本では、ケーキ屋やケンタッキー・フライドチキン(KFC)でレジなどを担当しました。お客さんと会話する仕事にすぐに就けたのは、日本に行く前にしっかり準備の勉強をしていたからです。アルバイトで日本語を使い続けたことは、日本語力を高める上で本当に役に立ちました。 【アルバイトの探し方:求人情報誌】 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 日本での留学を始めて約1カ月後、寮の近くのケーキ屋でアルバイトを始めました。どうやってアルバイトを探したかというと、駅やコンビニに無料で置かれている求人情報誌(日本語)を読みました。こうした求人情報誌には地元のアルバイトがたくさん紹介されています。その中から、店員など外国人留学生を採用してくれそうな仕事を探して電子メールで履歴書を送りました。履歴書を3、4件送ったうち、最初に面接をしてくれたケーキ屋で採用が決まったので、そこで働くことにしました。面接で自分の言いたいことはそれほど伝えられませんでしたが、求人情報誌も読めましたし、面接で相手の言っていることは7割ぐらい分かりました。 [/show_more] 【アルバイトの探し方:友人からの紹介】 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] ケーキ屋で約4カ月働きましたが、クリスマスの繁忙期を過ぎて、そのお店のアルバイトが打ち切りになりました。そこで、今度は同じ大学の中国人留学生が働いていたケンタッキー・フライド・チキン(KFC)を紹介してもらいました。KFCでは、最初は厨房でしたが、最後の3カ月間はレジを担当しました。 [/show_more] 日本語学習のポイント ・日本語コミュニティーに身を置く・日本語を話すアルバイトに早く就く 私が日本に留学したころは、まだベトナム人が日本にそんなに多くはなく、周りにいるのは日本人や外国人留学生だけでした。留学生寮には外国人留学生が約20人いましたが、さまざまな国から来ているので、共通言語は日本語(たまに英語)でしたし、アルバイト先でも日本語しか使わないので、日本語を聞いたり話したりする機会がふんだんにありました。 最近は日本に在留するベトナム人が増えましたが、ベトナム人コミュニティーに安住するのではなく、日本語コミュニティーに自分から積極的に入っていき「日本語漬け」の状態を自分でつくる努力が必要かも知れませんね。また、日本に行ってから、日本語を使うアルバイトに早く就けるよう、訪日前にできるだけの準備(日本語のスキルアップ)をしていくことが大事です。 大東文化大学の留学生仲間たちと。各国からの留学生が集まっているため、留学生仲間の間での共通言語も主に日本語でした。【2013年2月】 日本を楽しむ 寮の近くに日本人の初老のご夫妻(猪鼻さん)が住んでいました。このお二人に中国語を教えていた中国人留学生の紹介で私もお二人と仲良くなり、毎週1回、食事に招いてもらうようになりました。猪鼻さんご夫妻とは、今もLINEなどでメッセージを交換しています。 大東文化大学の留学報告会に猪鼻さんご夫妻に来てもらいました。中央が私で私の両隣がご夫妻です。【2013年7月】 また、ときどき旅行にも行きました。帰国直前には大阪や京都に約1週間旅行しました。東京から大阪へは格安の夜行バスを使い、大阪では、ベトナム人の友人宅に泊めてもらいました。 東京スカイツリーの前で年越し【2013年1月1日】 神戸の中華街「南京町」で【2013年8月】 奈良の東大寺大仏殿の前で。後ろの建物の中に 大仏があります。【2013年8月】 横浜での花火大会【2013年夏】 留学のメリット ベトナムに帰国して最初に勤めた日系企業で夫と出会い、結婚しました。今は、夫の母に長女の子育てを手伝ってもらいながら二つ目の日系企業で勤務しています。日系企業で働くメリットは、①給料がよい ②日本人の働き方を身につけられる ③勤務先として安定性がある――などが上げられると思います。こうした一流企業に就職できたのは、日本での留学経験が役立ったからです。 交換留学の場合、日本での学費もかからずJASSOからの奨学金もありますが、私費留学生に対してもJASSOなどさまざまな機関が奨学金制度を設けています。また、成績優秀者には、専門学校や大学の授業料減免制度もあります。日本で留学したい人は、まずはベトナムで日本語の勉強をがんばることから始めましょう。そして、実際に留学したら、アルバイトでお金を稼ぐだけではなく、日本語力を高めることを第一に考えましょう。そのことが、あなたの日本やベトナムでの就職に役立ち、仕事のやりがいや長期的な収入安定につながると思います。 私費留学生に対するJASSOの奨学金:https://www.jasso.go.jp/en/study_j/scholarships/shoureihi/index.html
2019年10月30日
今回の先輩 Nguyen Thi Lua(グエン・ティ・ルア)さん 1992年生まれ、タイビン省出身2010年 6月 Vu Thu高校卒業2013年 1月 広島県で技能実習2016年 1月 ベトナムに帰国2017年10月 未来の杜学園日本語科入学2019年 3月 未来の杜学園日本語科卒業2019年 4月 公立大学法人宮城大学入学MAIL: Nguyenlua1705@gmail.com はじめに 外国人が日本の大学で留学するためには、日本学生支援機構(JASSO)の「日本留学試験(EJU)」を受け、その成績を大学に提出しなければなりません。ここでは、私がどうやって日本の公立大学に入ったのかについて紹介します。また、私が大学に入る前、日本語学校に通いながらベトナム人の仲間たちと一緒に勉強したり旅行に行ったりして充実した日々を過ごしたことや以前の技能実習時代の生活、「技能実習には当たり外れがある」といったことについてもお伝えします。 日本の公立大学に入学 私は2019年4月に宮城大学に入学し、事業構想学部で経営関係の勉強をしています。大学の講義と自習、アルバイト、自炊、買い物などが私の生活パターンで、長期休みには友人と旅行に行くなどして息抜きをしています。4年間で大学を卒業し、日本で就職するのが夢です。 宮城大学のキャンパス。まだ新しく、モダンでおしゃれな建物です。【2019年7月撮影】 昼休みには、大学のカフェテリアが学生でいっぱいになります。 宮城大学には、図書館以外にカフェ付近にも自習用のフリースペースがあります。 日本での生活とアルバイト アルバイト先の飲食店では、格安でまかないの食事を出してもらえることも多いです。 日本語がある程度話せると、様々なアルバイトができます。私は居酒屋の店員(接客、ドリンクバー)とコンビニの店員(レジと品出し)をかけ持ちしていますが、日本の法律が留学生に許可している労働時間(毎週28時間/長期休暇時は40時間)を守っています。そして、今年度は日本学生支援機構(JASSO)経由で奨学金(文部科学省外国人留学生学習奨励費)を頂いており、大変助かっています。お金の余裕はありませんが、支出を節約して何とかやり繰りしています。就職したらもっと給料がもらえるので、それまでの辛抱です。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 留学生向け奨学金 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,590 VND(2019年9月25日現在) 収入(合計98,000円~178,000円) アルバイト2件(コンビニ店員、居酒屋店員) 50,000円~130,000円※大学の長期休暇(夏休みなど)のときは、アルバイトを長くできる。※大学の試験のときや一時帰国時は、あまりアルバイトができない。 日本政府の奨学金 48,000円 支出(合計 93,800円~105,300円) 家賃 5,000円※1人暮らし※ワンルーム、トイレ、シャワー&バス※古いアパートだが、内部は改装済み。所有者が外国でのボランティア経験があり、留学生向けに安く貸している。大学の先輩ベトナム人に教えてもらった。 光熱費 7,000円※電気・水道・ガスの合計 インターネット 4,300円 携帯電話 5,000円 食費・雑費 25,000~35000円※バイト先の飲食店で格安で食べる日もある※大学になるべく弁当を持参しランチ代を節約※外食、衣類、教材費など含む 授業料 45,000円 ガソリン代 2,500~4,000円※日本の運転免許を取得しミニバイクで移動 差額(貯金)平均30,000~40,000円 ※大学の試験などでアルバイトがあまりできない場合や緊急の出費があった場合、貯金を取り崩して生活する月もある(=その月の差額はマイナス)。※ベトナムへの仕送りはなし。貯まったお金は主に旅行や一時帰国、保険などに使う。 古いですが、お部屋はきれいな格安アパート。 オーナーが留学生向けに安く貸してくれています。 古いですが、お部屋はきれいな格安アパート。 オーナーが留学生向けに安く貸してくれています。 運に恵まれ家庭的な職場に(技能実習) 広島県での技能実習時代、週末はいつも、ベトナム人の技能実習仲間と一緒に「日本のお父さん、お母さん」の家に入り浸りでした。 2013年に技能実習で日本に初めて来ました。先に日本で技能実習をしたいとこの女性から「よい会社で働けて、給料もよかった」と聞いたのがきっかけです。私の技能実習先は広島県呉市のパイプ製造会社「株式会社 セイエン」で、約30人の職場でした。私は主に製品検査を担当しました。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 「セイエン」 「セイエン」の人たちは皆やさしく、仕事を親切に教えてくれました。ミスをした時の注意の仕方も穏やかでした。毎月の給料から税金や社会保険料、寮費を差し引いた残りの額(=手取り額)は毎月10万円~15万円。私が送出機関等に支払うためにベトナムで借りたお金は約3億ドン(約140万円)でしたが、日本に来て1年で返済できました。 しかし、実習先にはいわゆる「当たり外れ」があり、私の幼なじみの男性は毎月の手取り額が7~11万円で、私と同額の借金を返すのに1年半かかりました。彼の職場は雰囲気も悪く、上司の指導も乱暴だったそうです。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 私が勤務(実習)した「セイエン」の経営者は私たちのこうした経済事情をよく理解し、毎日最低1時間は残業をさせてくました。そして、忙しいときは、平日の残業が2時間に増えたり土曜日出勤(午前8時~午後5時)もあったりし、給料がさらに増えました。 また、会社は私たちがCD教材を使った日本語学習をできるように、終業後も使えるパソコンを貸してくれました。そして、日本語能力試験(JLPT)の際には、社長の弟さんが往復約3時間かけて車で私たちを試験会場に送り迎えしてくれました。 「遠い国から来て働いてくれているんだから、大事にしてあげよう」という気持ちが経営者にも日本人従業員らにも感じられ、あたたかい家庭的な雰囲気でした。当時、技能実習生は中国人男性が2人、ベトナム人女性が6人いましたが、そういう気遣いを感じ、皆、やる気を出して働いていました。 日本でのお父さん、お母さん 職場のある年配の女性は私たち実習生をいつも自宅に招いてくれました。私たちはこの女性を「お母さん」、その旦那さんを「お父さん」と呼び、毎週のように数人でこのご夫婦の家におじゃまし、「お母さん」と一緒にご飯を作って食べたり、テレビを見たり、おしゃべりをしたりしました。また、「お父さん」は私たちをよく車で買い物や観光に連れて行ってくれました。本当に楽しい日々でした。 社長もとてもいい人で、私たちが3年間の技能実習を終えて帰国するとき、「勉強や将来の仕事に使いなさい」と言って好きなパソコン(新品)を1台ずつ買ってくれました。私はそのパソコンを今も使っています。 [/show_more] 3年間の実習を終えて帰国する際、「これからの勉強や仕事に使いなさい」と私たち一人一人に社長が買ってくれたパソコン。大事に使っています。 対照的だった幼なじみの実習先 一方、私と同じ送出機関で同期だった幼なじみの男性が勤務した福井県内の実習先(繊維工場)では、毎月の手取りが7~11万円しかなく、お金に困って万引きに手を染め、警察に逮捕された同僚もいたそうです。仕事中に失敗すると、「ばか!」などと乱暴な言葉で怒鳴られることも多く、精神的にもつらかったそうです。幼なじみは、もう日本には来たくないようです。 送出機関や紹介エージェントへの支払い 私が訪日前に借りた3億ドンの主な使途ですが、ハノイの送出機関を紹介してくれた人(紹介エージェント)に約3,000万ドンを支払い、送出機関には授業料、教科書代、寮費、渡航手続き費用、飛行機代などを支払いました。また、日本に行くときに「保証金」として送出機関に約1億ドンを預けさせられました。これは、私たちが技能実習を途中でやめたり日本で失踪したりした場合に没収されるお金です。私は3年間の技能実習を終えて帰国後、この1億ドンを返してもらいました。 【編集部からのアドバイス】 技能実習制度では、送出機関が仲介者(紹介エージェント)から実習生を紹介してもらったり仲介者の手数料受け取りを認めたりすることは禁じられています。送出機関が保証金を預かることも禁止です。また、日本への往復の旅費についても技能実習先(受入企業)が負担することになっています。 こうした費用については、契約前に十分に確認し、金額が不透明な場合は、送出機関の選択も検討しましょう。在ベトナム日本国大使館は、他の送出機関を探す際には、仲介者に頼らず送出機関に直接コンタクトするよう勧めています。 頑張った日本語学習と再訪日 私はハノイの送出機関で日本語を7カ月間勉強してから訪日し、訪日後も目標を立てて勉強しました。月~金曜日の夜9時~12時と土曜日に勉強しました。そして、訪日して1年目に日本語能力試験(JLPT)のN3に、2年目にN2に受かりました。3年目のN1には失敗しましたが、2017年に再訪日後、最初に受けた試験でN1に合格しました。 ベトナムに帰国後しばらくは、送出機関の日本語センターで日本語の教師をしていました。しかし、日本での3年間がとても楽しかったのと、技能実習時代の勉強のおかげで日本語もかなり話せたので、もう一度日本に行こうと思いました。技能実習の送出機関での同期で技能実習先の職場も近かった親友のフエさんも一緒に再訪日しました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 「未来の杜学園」を選んだのは、この学校なら技能実習経験者でも留学の在留資格を比較的取りやすいと聞いたからです。「セイエン」での技能実習の先輩から「未来の杜学園」のことを教えてもらい、あとはインターネットで入学の仕方を調べました。ハノイで英語、数学、日本語の試験を受け、卒業後は大学進学を目指すことを条件に入学を認めてもらいました。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 「未来の杜学園」 [/show_more] 大学進学のための勉強 日本の大学に留学するためには、日本学生支援機構(JASSO)の「日本留学試験(EJU)」(年2回)を受け、その成績を大学に提出しなければなりません。文系の私は「日本語」「総合科目」「数学」を受けましたが、最初はあまりよい成績ではありませんでした。 しかし、ベトナム人留学生8人が週2回集まって一緒に勉強するグループに入れてもらってから学力が上がり、半年で成績が大きく伸びました。この仲間たちとは飲み会をしたり小旅行に行ったりもしました。宮城大の受験では、EJUの成績を提出し作文の試験と面接を経て合格しました。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 「EJU」 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] この勉強仲間のことですが、先輩のベトナム人大学生(女性)がフェイスブックで呼びかけた交流会に集まったベトナム人の日本語学校生らが週2回、公共施設「仙台国際センター」の会議室に集まって一緒に勉強しており、私も後から入れてもらいました。 同じ日本語学校の人も違う日本語学校の人もいましたが、国公立大学を目指す人ばかりでした。普段の会話はベトナム語ですが、勉強会の間は日本語だけでやり取りをしました。呼びかけ人のベトナム人大学生も私たち後輩に日本語の指導をしてくれたり、面接練習で面接官役をやったりしてくれました。 日本に住むベトナム人が情報交換するためのフェイスブックのページがたくさんありますので、日本に来たらチェックして交流会などのイベントを探してみることをお勧めします。 [/show_more] 日本語能力試験(JLPT)N1対策の勉強ノート。日本語学校でのテキストから重要な言葉を書き出して覚えました。 日本留学試験の「総合科目」のための勉強。 ↓「総合科目」ではこの問題集を使いました。https://www.ask-books.com/jp/eju/ 日本語学校卒業の夜、一緒に勉強したベトナム人仲間と一緒に居酒屋や カラオケでお祝い会。素敵な仲間たちでした。【仙台市内で2019年3月】 小旅行で日本を満喫 留学のために再訪日してからは、友人たちと一緒にあちこちに旅行をしています。日本語学校時代は大学受験を控え長い旅行はできませんでしたが、近場の観光地を軒並み制覇しました。前から行きたかった「蔵王」、風情のある「銀山温泉」、「山寺」の紅葉、青い海――詳しくは以下の写真でご覧ください(^_^) 親友のフエさんや友人の日本人と一緒に車で山形県・蔵王へ 【2018年6月】 親友のフエさんと2人で電車で山形市の「山寺」へ日帰り旅行。東北地方の秋は最高。【2018年11月】 日本語学校時代の勉強サークル仲間で宮城県名取市の海岸へ。【2018年8月】 居酒屋でのアルバイト仲間の日本人学生3人と一緒に山形県の銀山温泉へ1泊旅行。普段、アルバイトが終わってから一緒に飲みに行くことも。【2019年3月撮影】 将来は日本で長く働きたい 私は当面のお金を稼ぎたくて技能実習で日本に来ましたが、3年間の実習生活で日本が本当に好きになったので、また日本にやって来ました。留学から就職までは少し時間がかかりますが、日本で専門学校や大学を卒業して就職する場合には、「技術・人文知識・国際業務」の在留資格を取得できますので、技能実習と違って勤務年数の制限がありません。これは、ベトナムで短大卒以上の学歴がある場合にも取得できます。 技能実習の場合は、本文で紹介したように、実習先(受入企業)よって当たり外れがあります。私はいい職場に恵まれて本当によかったと思っていますが、よい技能実習先に当たるかどうかは運に左右される側面も大きいです。しかし、「技術・人文知識・国際業務」の在留資格で働く場合は、自分に合った職場を選べますし、場合によっては転職することもできます。 私は日本が本当に好きなので、できるだけ長く日本に住みたいと思っています。神戸の大学に通っている親友のフエさんも同じ思いで、今はお互い離れていますが、将来、日本の同じ地域で務めることが私たちの夢です。 技能実習の送出機関以来の親友のフエさん(左)とツーショット。将来は、 日本の同じ地域で就職するのが夢です。【仙台市内で2018年12月撮影】
2019年10月18日
日本に留学するベトナム人の数人に1人が日本語学校を卒業できずに帰国しています。日本で生活に困ったベトナム人が犯罪組織に引き入れられるケースが増えています。技能実習で期待していたほど給料がもらえないケースや残業代が支払われないケースもあります 。一方で、日本の留学や技能実習で学歴や日本語能力を身につけ、いい仕事に就いたり、将来の可能性を広げたりしている先輩もいます。先輩たちはどうやって成功したのでしょうか?先輩達の体験とノウハウをあなたに伝えます。 今回の先輩 TRAN MANH HUNG(チャン・マン・フン) さん 1992年生まれ、ハイフォン市出身2009年5月 THUY SON 高校 卒業2009年9月 ベトナムの外国語学校入学2011年7月 千葉県内の日本語学校入学2013年4月 千葉県内の専門学校 「ニホン国際ITカレッジ」入学2016年4月 開知国際大学入学2020年3月 開知国際大学卒業見込み、千葉県の会社に就職予定 私は日本に来て8年目で、千葉県の日本語学校から専門学校と大学に進学し、来年、千葉県の会社に就職します。最初は苦しい留学生活でしたが、日本語が上達すると、まじめな仕事ぶりを評価してくれる人も増え、たくさんの方々から親切にしてもらいました。 最近は、ベトナムから日本への留学生や技能実習生が大きく増えました。一方で、「日本では、学校に行きながらアルバイトで毎月20万円~30万円(約4300万ドン~6500万ドン)を簡単に稼げる」と聞かされて、準備もせずに来日し、アルバイトで体を壊す人や進級できずに日本語学校を中退する人、専門学校や大学に進学せずにベトナムに帰国する人も多くいます。 しかし、1、2年間の滞在だけでは日本のよさは分かりませんし、進学しないと給料も上がりません。これから日本に来るベトナムの後輩留学生たちに、十分な情報を持ってしっかりと準備をし、日本でいろいろな経験をしてほしいと思っています。 ここでは、▽日本語学校の授業や寮生活は学校によって大きく違う▽日本語を話せないとよいアルバイトがない▽アルバイト先での会話で日本語が上達する▽都心から少し離れた郊外での暮らしがリーズナブル▽留学生を優遇してくれる大学がある――といったことについて書きます。 特に、私が日本で経験したアルバイトの内容や条件、アルバイト先の環境が日本語の上達に関係することなどを詳しく書きます。 これから日本に来るあなたの成功のために必要な情報を拾い読みしてくださいね(^_^) 日本に行こうと思った理由 ベトナムで大学受験に失敗した 日本の大学を卒業すれば、ベトナムより給料がずっと高い 留学初期費用110万円(約2億3700万ドン)はもっと安くできた 情報収集し、準備と選択をしてから訪日を 日本にずっと住みたい(生活が安全、食べ物や福祉も安心できる) 私は2009年5月にハイフォンの高校を卒業し、大学受験に失敗しました。そこで、同年9月、ベトナム北部の外国語学校に入りました。その学校で日本留学の説明会に参加したのをきっかけに日本語の勉強を始めました。日本の大学卒の初任給は20万円(約4300万ドン)以上で、ベトナムよりずっと高いです。また、日本語を話せれば、アルバイトで貯金もできます。日本でお金を貯めて両親を日本旅行に招待しよう。そんなことを考えて日本留学を決めました。外国語学校を卒業して2011年7月に来日し、千葉県内の日本語学校に入りました。渡航や日本語学校への入学の手続きは外国語学校がやってくれました。留学の初期費用として両親に約110万円(約2億3700万ドン)を出してもらいました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ]ここには、外国語学校への手数料やビザ取得費、航空券、保証金、日本語学校の入学金、1年分の授業料、半年分の寮費などが含まれていました。 初期費用は、今なら、よく調べればもっと安くできますが、当時はベトナムからの留学生も技能実習生もほとんどおらず、情報がありませんでした。しかし、両親からお金を出してもらったのはこの時だけで、あとは日本でのアルバイトと奨学金(=返済不要)だけでやり繰りしてきました。日本語学校での生活は学校によって大きく違います。これから日本に行く人は、このサイトに今後掲載されるいろいろな先輩の体験談などでよく情報を集め、しっかりと準備・選択してから日本に行くことをお薦めします。 [/show_more] 日本で最初は苦しかった 日本語学校の寮は学校によって大きく違う 訪日前に日本語能力試験のN4取得を 日本語を話せないとアルバイトも見つからない やっと見つけたアルバイトも条件最悪 日本語学校の寮は学校によって大きく違います。私の住んだ寮はあまりよくありませんでした。10平方㍍に満たない小さな部屋に2人で住み、家賃は1人2万2000円(約475万ドン)。台所もトイレもシャワーも部屋の外にあって共同使用で、シャワーは10分・100円(約2万1000ドン)の有料でした。シャワー代を節約するために、台所でバケツ数個に湯をくみ、シャワー室で体を洗う寮生もたくさんいました。※ちなみに今は自分で部屋を借りて快適に暮らしています 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,600 VND(2019年6月17日現在) 収入(合計120,000円~130,000円) アルバイト2件(いずれも飲食店) 130,000円 支出(合計110,000円~120,000円) 家賃 57,000×0.5=28,500円※同居のいとこと折半※個室×2、広い台所兼居間×1、トイレ、シャワー&バス※南柏駅まで自転車で10分 光熱費 12,000×0.5=6,000円※同居のいとこと折半※電気・水道・ガスの合計 インターネット 5,000×0.5=2,500円 携帯電話 2,500円※LINE PHONE(格安sim) 食費・雑費 40,000×0.5=20,000円※同居のいとこと折半※バイト先の飲食店で格安で食べる日もある※大幅ディスカウントされた総菜を買うことが多い※いなかなので、農産物の安い直売店が近い(友達の車で買いに行く)※衣類は量販店のバーゲンで安く買う 交通費 3,500円 授業料 42,000円 その他(保険) 5,000円 差額(貯金)平均10,000円 ※長期休み(夏休み、春休み)はアルバイトを長く出来るので、1カ月の収入は160,000~180,000円になり、貯金が増える。 私は訪日前にあまり日本語を勉強せず、あいさつ程度の日本語しかできませんでした。今思えば、ベトナムでもっと日本語を勉強して日本語能力試験(JLPT)の4級(N4)を取得してから留学を始めれば、もっと効率がよかったと思います。 私の場合、日本語がほとんど分からないので、学校からアルバイトを紹介してもらえず、最初は収入がありませんでした。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] ベトナムから持ってきたお金を取り崩して生活していましたが、3、4カ月経って少し話せるようになり、日本語学校の同級生の紹介で初めてアルバイトを始めました。 最初の仕事は、隣の埼玉県の弁当工場での仕事でした。弁当の調理や盛りつけで、あまり会話しなくてもできる仕事です。週に3、4回出勤して月給約12万円(約2590万ドン)でした。 労働条件は厳しく、勤務は深夜0時から朝6時まで。電車と送迎バスで通いましたが、遠いので、寮を22時過ぎに出て翌朝8時に帰宅する生活でした。その後、学校の授業(午前9時~12時30分)がありましたが、居眠りばかり。学校をずる休みすることもありました。授業後も夕方まで眠り、夜はまたアルバイトに出かけます。アルバイトは20時開始のときもあり、そのときは17時に家を出ました。出勤日は決まっておらず、その日の14時~17時に会社からメールが来ます。メールが届けば休みで、メールが届かなければ出勤です。土日も同じ状況だったので、予定が立てられませんでした。また、50人以上のベトナム人留学生が働く職場だったので、日本語を使いません。授業は居眠り、職場はベトナム語なので、この職場で働いた9カ月間、日本語があまり上達しませんでした。ところで、専門学校や大学に進学できずに帰国する留学生仲間もいましたが、私はアルバイト先の先輩留学生から「日本語学校だけで終わらず、日本で大学に進学した方が絶対にいい。大学を出たら、将来の給料がずっと高くなる」と常々教えられていました。「進学するためには、今の生活を続けていてはだめだ」と思いましたが、日本語が上達しないので、なかなか別のアルバイトに就けませんでした。 [/show_more] アルバイト先で日本語上達 日本語が上達し条件のよいアルバイトへ アルバイト先での会話で日本語上達 職場で日本人たちからも親切にされ 専門学校に進学 日本語能力試験2級に合格 しかし、少しずつ勉強して日本語の力をつけ、日本語学校から別のアルバイトを紹介してもらうことができました。大手食品メーカーの工場勤務で、製品をチェックして選別する仕事でした。勤務は16時~20時30分で、週5回、時給950円(1カ月の給料は約9万円=約1943万ドン)。職場は寮から自転車で約30分でした。 しかも、外国人は同じ学校の3、4人だけで、日本人の従業員と話す機会がたくさんありました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] また、朝6時~8時には、寮のそばの老人ホームで食事の準備や食器洗い、掃除のアルバイトをしました(月給2~4万円=約432万~863万ドン)。アルバイトの掛け持ちです。ここでも、入所しているおじいさん・おばあさんたちとよく会話をしました。このように、アルバイト先で日本語を話す機会が増え、日本語の上達が速くなりました。食品工場に半年間勤めたあとは、やはり学校の紹介で、大きな会社の物流センターで働きました。平日の勤務時間は14時~18時、土日は朝7時~正午です。残業も時々ありました。週3、4回出勤して月に約10万円(約2158万ドン)もらいました。時給は安かったのですが、学校の忙しい時に勤務シフトを考慮してくれたので、メインのアルバイトとしてこの職場に約5年間お世話になりました。そこでの仕事の内容は荷物の仕分けでした。荷物の箱に書いてある商品名や言葉を覚えるようになり、漢字を読む力もつきました。職場では外国人が当初は私1人だけで、日本語でたくさん会話をしました。職場のおばさんたちが親切で、私にパンや缶詰をよくくれましたし、いろいろなことを教えてくれました。従業員同士の仲が良く、私の誕生日に服をプレゼントしてもらったこともありました。とてもよい職場でした。 物流センターでアルバイトをしていた2013年4月、日本語学校を1年半で卒業して専門学校「ニホン国際ITカレッジ」に進学(3年間)しました。本当は大学に進みたかったのですが、学力がまだ十分ではなかったので、まず専門学校に進みました。 専門学校時代は、日本語の先生(日本人)との接触を増やしたり、かけ持ちのアルバイトも日本語を話す機会の多いアルバイトを選んだりしました。かけ持ちのアルバイトは、日本語が読めるようになっていたので、お店の張り紙をみて電話をし、面接を受けるなどして見つけました。あるラーメン店では、週2、3回の勤務でしたが、深夜で時給が高いので、月6万円(約1295万ドン)もらうこともありました。こうして、私は専門学校在学中に日本語能力試験の2級(N2)に合格しました。[/show_more] 両親を日本に招待 専門学校を卒業 両親を日本に招いて家族旅行 専門学校を卒業した2016年3月には、卒業式に合わせてハイフォンから両親を日本に招待し、私の家に3週間ほど泊まってもらいました。韓国人と結婚した姉とおい(=姉の息子)も韓国からやって来て合流し、浅草や皇居、鎌倉の大仏などを一家で観光しました。 私は専門学校で3年間皆勤(=無遅刻・無欠席)で学費も滞納したことがなかったので、卒業の時に学校から表彰されて10万円をもらいました。両親の招待には、そのお金とアルバイトで貯めたお金を使いました。念願の親孝行が出来た瞬間でした。 大学進学 そして就職内定 いなか暮らしのすすめ 千葉県の私立大学へ進学 留学生への入学金免除と日本語優秀者への授業料減額 東京都心より生活費が安い 電車で通える東京都心でボランティア活動も 就職内定し、これからも日本で生活 2016年4月、晴れて千葉県柏市の「開知国際大学リベラルアーツ学部」に入学しました。今は4年生で、来年春、ベトナム人の先輩から紹介された千葉県の運送会社に就職する予定です。 私が開知国際大学を選んだ理由はいくつかあります。 外国人留学生は入学金免除 日本語能力試験2級以上(今は1級)なら、「奨学金」として授業料減額(年間75万円の授業料が50万円に) もともとの授業料も都心の大学より安い 生活費が都心よりかなり安い 柏市に近い大学をインターネットで検索すると、ほかにもたくさんの大学が出てきましたが、留学生への対応が一番よかったので、この大学を選びました。皆さんもよく調べて学校を選んでくださいね。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 開知国際大学では、専門学校での出席と成績、入学試験(日本語作文と面接)が入学選考材料となりました。私は奨学金として授業料を毎年25万円ずつ減額してもらいました。入学金免除と4年間の授業料減額で、在学中の4年間で計約200万円の学費を免除してもらったことになります。これには大変助かりました。私の学年には外国人留学生が70人以上いて約4割はベトナム人です。私はベトナム人だけと話すのではなく、日本人の学生や他国の外国人留学生とも日本語を使って交流するように心がけています。 現在、メインのアルバイトは、大型ショッピングモール「イオンモール柏」の中にあるヌードル店「リンガーハット」の店員です。かけ持ちのアルバイトと併せて、毎月12~13万円(夏休みは16~18万円)を稼いでいます。私は来日以来ずっと柏市に住んでいますが、東京の都心と比べると家賃も物価も安く、助かっています。しかも、東京の都心まで電車で30~40分で行けますので、東京都内でボランティア活動もたまにしています。 今年9月には、日本の自動車運転教習所に合宿して自動車免許を取得しようと思っています。日本での仕事に役立つからです。費用が約25万円かかるので、現在、アルバイトをいつもより少しがんばっています。 [/show_more] 最後に 留学するには、信頼できるウェブサイトなどで情報を収集し、きちんと選択と準備をしてから訪日することが大切です。日本語学校の授業も寮生活も学校によって大きく異なります。また、日本語が少しはできないと、よいアルバイトが見つかりません。日本に行く前に日本語能力試験の4級(N4)を取得できれば可能性が広がります。 日本に行ってからは、アルバイト先で会話しながら日本語の上達を目指してください。また、いくつかの職場を経験すれば、自分に合ったよい職場も見つかります。 大学に進学する際は、都心だけでなく郊外やいなかの大学も調べてみてください。留学生に有利な大学、暮らしやすい地域がきっと見つかります。いずれにしろ、日本に行ってからアルバイトばかりでなく、しっかり勉強をすることが大切です。 冒頭にも書きましたが、「日本に行けば、学校に行きながらアルバイトで毎月20万円~30万円を簡単に稼げる」とだまされて来日する人もいます。しかし、実際には留学生は週28時間(夏休みは別)しか働けません。それに、アルバイトばかりで進学せずに帰国しても給料は増えません。 そして、1年半や2年の短い滞在では日本のよさは分かりません。日本語を話せず一つか二つのアルバイトしか経験せずに帰国すると、親切な職場に巡り会う機会がない場合もあります。留学で日本に行くからには、専門学校や大学に進学し、学力を身につけて日本やベトナムで就職するというしっかりした目標を持って行ってほしいと思います。 私が日本にきて一番印象深いのは電車やバスなどの公共交通です。時間も正確でスピードも速く、どこにでも行けます。交通以外のインフラが整っていて便利で空気もきれいです。これからも日本での生活を楽しみたいと思っています。 これから留学する皆さんは、しっかり情報収集をして自分なりのキャリアプランを立て、きちんと準備をしてから日本に行ってくださいね。
2019年06月27日