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VOL. 92 日本の文学小説を多数翻訳・出版

ベトナムから海外留学する人がまだ少なかった1990年代に日本に留学したニエンさん。留学仲間の夫が沖縄で就職したため彼女も沖縄に長く住むことになり、その間に日本の文学小説をたくさん翻訳し、ベトナムで出版。最近は、沖縄に住むベトナム人技能実習生たちのサポートにも力を入れています。 今回の先輩 グエン・ド・アン・二エンさん 1994年ホーチミン国家大学東洋学部入学 1997年名桜大学で交換留学〈沖縄、1年間〉 1999年ホーチミン国家大学卒業 1999年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈2年間〉 2001年名桜大学大学院修士課程入学 2003年修士課程修了 2003年大阪府立国際児童文学館外国人研究員〈6カ月〉 2004年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈4年間〉 2004年TRE出版社で日本語通訳・翻訳〈4年間〉 2011年名桜大学附属図書館でアルバイト〈5年間〉 2011年名桜大学非常勤講師〈現在も〉 2022年沖縄大学非常勤講師〈現在も〉 〈1976年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 •...

2023年06月12日
  • VOL. 91 来日後も勉強を続け職場のリーダーに

    2023年05月29日
    食品工場で技能実習生から特定技能外国人になったトゥエットさん。彼女は、来日直後は日本人の話すことが全然わかりませんでしたが、毎日3時間勉強を続け、数カ月で少し会話ができるようになり、2年でJLPT・N3に合格しました。今は、職場のベトナム人のリーダーとして活躍しています。 今回の先輩 グエン・ティ・トゥエットさん 2017年高校卒業〈ハイズオン省〉 2018年送出機関で約半年間勉強〈ハノイ〉 2018年来日→講習→技能実習〈福岡県〉 2021年特定技能外国人〈同じ会社〉 〈1999年生まれ、ハイズオン省出身〉 ◆このページの内容 • 幼いころから母をサポート • 技能実習の送出機関 • 日本での仕事の内容 • ベトナムに送ったお金 • 私の家計簿 • 休日の過ごし方 • ミスコンテストで入賞 • 日本語の勉強 • 将来の夢 幼いころから母をサポート 家族と親せき(右端が母) 私が2歳のとき、父が交通事故で亡くなりました。母はその後、1人で田畑を耕(たがや)して、私と弟を育ててくれました。母は米や野菜、果物を栽培し、私もときどき朝早く起きて、水路からおけで水をくみ、畑にまきました。私はこのように畑仕事を1時間ぐらい手伝ってから学校に行きました。また、6歳のときから母の料理を手伝い、12歳からは料理も掃除も私が1人で担当しました。 私の故郷では、日本に出稼ぎに行く人も多かったので、私も高校生のころから「将来は日本に行きたい」と思っていました。 お金を稼いで母を楽にしてあげられますし、自分のお金も貯めて、将来は故郷でブティックを開業したいという夢があったからです。そして、高校を卒業すると、親せきがハノイの送出機関を紹介してくれました。 技能実習の送出機関 私は高校を卒業してから約半年間、母の仕事を手伝い、技能実習の採用面接(今の会社の面接)に合格すると、ハノイの送出機関に入って日本語を勉強しました。面接には約150人が参加し、40人が選ばれました。 私は送出機関に7200 USDを米ドルで支払いましたが、契約書や領収証に書かれた費用は3500 USDでした。また、これ以外に寮費や食事代、日本に持って行く服など、約25万円(約45,000,000 VND)を使いました。 【編集部からのアドバイス】 送出機関の費用7,200 USDはベトナム政府の規定を大きく超えています。 高い費用を払っても、よい会社を紹介してもらえるとは限りません。 送出機関を選ぶときは、親せきや知人の紹介だけに頼らず、インターネットの口コミなども調べましょう。送出機関に無駄なお金を払わないために、KOKOROの記事もよく読んでください。 external link KOKORO|送出機関を決める前にこれだけは知っておこう! external link KOKORO|技能実習の費用と注意点 日本での仕事の内容 私は技能実習生として2018年8月に来日しました。私の職場は大きな弁当工場です。コンビニで販売する弁当やおにぎり、チルド食品(親子丼、オムライス)などを作っています。私の最初の仕事は、できあがった弁当を箱に詰め、台車に乗せてトラックの近くに運ぶことでした。ご飯やおかずを弁当箱に詰める仕事もときどきやりました。そして、3年間の技能実習が終わり、特定技能に移ってからは、厨房(ちゅうぼう)で各レーンに食材や調味料を配る担当になりました。 ところで、私の勤務は夜勤だけで、勤務時間は19時から翌朝6時まで(途中で休憩1時間)です。日勤のベトナム人は約50人、夜勤のベトナム人も約50人で、私は来日して2年目から夜勤のベトナム人のリーダーをしています。これは、私の日本語力や勤務態度が評価されたからで、リーダーとしての手当も付いています。 ベトナムに送ったお金 改修した実家の前で母と私 技能実習生のときの私の手取り給料は毎月15万円~17万円でした。毎月35~40時間の残業があり、深夜勤務手当てもあり、リーダー手当もあったので、かなり高い給料です。そして、特定技能外国人になってから手取り給料は毎月18万円~20万円に上がりました。私は来日して最初の1年間で約125万円をベトナムに送って来日前の借金を完済し、その後3年間でさらに約360万円を送り、一部は実家の改修に使ってもらいました。 ただ、日本に来てからずっと夜勤なので、体調が悪くなってきました。4年目から昼間の勤務に変更してもらった同期生もたくさんいますが、夜勤の方が日勤より毎月約3万円多くもらえるので、私は夜勤を続けてきました。しかし、疲れがたまってきたので、近いうちに会社に相談して日勤に変えてもらうつもりです。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:180,000円 給料 ¥180,000 *税金や社会保険、寮費、水道・光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(14,000円)、電気・ガス・水道(10,000円) 支出:80,000円 食費(主に自炊) ¥40,000 生活雑貨、衣類、化粧品など ¥15,000 交際費、外食費など ¥35,000 毎月の差額:100,000円 休日の過ごし方 在日ベトナム人の間ではサッカーが盛んで、福岡でもベトナム人チームの試合や大会がよくあります。私は日曜によくサッカーの試合を見に行きます。試合会場に行くと、同じように応援に来ている人たちと友だちになれるので、一緒にお弁当を食べたり遊びに行ったりしています。 また、休日にベトナムの伝統的舞踊であるmúa(ムア)の練習をすることもあります。私の住む博多市内で地元の著名ベトナム人が自分の借りている部屋を開放し、ムアのダンスクラブ(参加費無料)を開催しています。そこに技能実習生や特定技能外国人が5、6人集まって練習をしています。ベトナムの幼稚園や小学校でムアを習いますが、私は高校生のときもYouTubeでムアの踊り方を研究して練習していました。大好きなムアを踊ると、ストレスが解消されます。 ミスコンテストで入賞 大きなミスコンで入賞〈福岡県で2022年1月〉 福岡では「在福岡ベトナム人協会」などベトナム人団体の活動が盛んで、毎年テト(旧正月)の時期に大きなお祭りがあります。そのときにミスコンテストも行われますが、私もインターネットでミスコンのことを知って参加したところ、入賞しました。 賞金をもらったほか、ミスコンの様子を公式動画に収録してもらいました。それ以外に、地元のアオザイ大会でも優勝しました。 日本語の勉強 私は来日前に約半年間、送出機関で朝から夕方まで日本語の授業を受け、夜も3、4時間自習しました。それでも、日本に来たばかりのときは、日本人の話す言葉が全然わかりませんでした。 しかし、来日後も毎日3、4時間勉強を続けたところ、3、4カ月で少し話せるようになり、今では毎日、職場の日本人と話をしています。このため、2年目からは職場のベトナム人のリーダーに選ばれ、日本人がベトナム人に仕事を指示する際に通訳をすることもあります。また、日本に来たばかりの実習生は日本語がまったく分からないので、約2カ月間、日本人と私が一緒に仕事を教えます。 こうして日本語を話せるようになったので、職場の日本人やネパール人留学たちと仲良くなり、仕事が終わってから日本語で少し話をしています。日本人の先輩と一緒に寺や公園に観光に行ったこともあります。 帰国後に日本語力を生かして送出機関の日本語の先生になろうと思っていた時期もありました。そのため、毎日3時間、眠いのをがまんして日本語の勉強をしていました。そして、来日して2年で日本語能力試験(JLPT)のN3に合格しましたが、その後、日本語教師の給料があまり高くないことがわかり、最近は以前ほど勉強しなくなりました。 将来の夢 ハイズオン出身の福岡の友だち 私は技能実習を3年やり、もうすぐ特定技能も2年になります。日本で覚えた技術を母国に持ち帰って経済発展に生かすのが技能実習の建て前ですが、私も仲間も日本で働いて覚えたことを帰国後の仕事に生かすことは考えていません。そもそも、ベトナムでは日本ほど弁当が売れていないので、弁当工場もありません。 今後のことはまだ確定していませんが、多分、あと2、3年働いてベトナムに帰国し、故郷のハイズオンで結婚相手を探すと思います。日本の生活も楽しいですが、母や昔からの友だちに会えないのは寂しいので、やはり故郷で暮らす方が私には向いています。そして、日本で働いたお金の一部は母にあげ、残りのお金で婦人服を売るブティックを開業するのが私の夢です。
  • VOL. 90 寝ても覚めても勉強し3年でN1合格

    2023年03月31日
    日本に留学してまもなく「自分で努力しなければ、いつまでたっても日本語で会話できるようにならない」と気づいたウットさん。空いている時間はいつも日本語を勉強し、3年でN1に合格。日本での就職や帰国後の日系企業への就職でも大いに役立ちました。 今回の先輩 タ・ティ・ウットさん 2011年高校卒業 2012年日本語学校入学〈福岡県〉 2014年専門学校入学〈福岡県〉 2015年結婚、JLPT・N1合格 2016年専門学校卒業 2016年日本で就職〈愛知県〉 2017年夫の転勤に伴い帰国 2017年HISハノイ支店入社(正社員) 2019年出産 2020年日系の会計事務所入社〈ハノイ〉 〈1993年生まれ、ハノイ出身〉 ◆このページの内容 • 準備不足で訪日 • 日本語学校と専門学校に留学 • 学校選びに失敗 • 寝ても覚めても日本語を勉強 • アルバイトでたくさん日本語会話 • 私の家計簿 • 日本で留学生と結婚 • 夫の転勤で帰国 • ハノイで日系企業の正社員に • 別の日系企業に転職 • 日本留学で得たもの 準備不足で訪日 私の姉は2010年から日本に留学し、その後、日本人と結婚して今も日本に住んでいます。私は高校卒業後、姉に習って日本に留学することにしました。その準備として、ハノイの日本語センターの寮に住んで3カ月間勉強しました。その間は授業を含めて毎日6時間勉強しましたが、日本で暮らすために日本語がどれぐらい必要かわかっていなかったので、今から思うととても不十分な勉強でした。 ひらがな、カタカナと簡単な会話しか覚えずに日本に行った私は、当初、言葉のことでとても苦労することになります。 日本語学校と専門学校に留学 日本で一緒に暮らした姉(右) 私は2012年10月、姉が通っていた福岡市の「西日本国際教育学院」という日本語学校で留学を始めました。最初の3カ月間は学校の寮に住み、4カ月目からは姉と一緒に暮らしました。 日本語学校で1年半学んだ後、私は「国際貢献専門大学校」という専門学校に進みました。この学校は、私が通った日本語学校の系列校です。本当は他の大学か専門学校に行きたかったのですが、系列校に進学すれば学費が割り引かれるという特典にひかれてその専門学校を選びました。しかし、この学校を選んだことを後で大きく後悔することになりました。 学校選びに失敗 私はこの専門学校でITを学ぼうと思い、「情報ビジネス」を専攻したのですが、専門分野の授業はほとんど受けられませんでした。当時、この学校はできたばかりで、学校の準備不足によってITの教師が不足していたのです。 IT関係の授業は休講続きで、代わりにいつも日本語の授業を受けされられました。しかも、私は専門学校に入る前に日本語能力試験(JLPT)N3に合格し、当時はN2・N1を目指していたにもかかわらず、専門学校の日本語授業はN3・N4レベルでした。私は担任の先生に「もっとITの勉強をしたい」と何度も訴えましたが、何も改善されませんでした。後輩の皆さんは学校の評判をよく調べてから進学先を選んでください。 寝ても覚めても日本語を勉強 留学を始めて最初の数カ月間、私は日本語力不足でアルバイトが見つかりませんでした。友人からアルバイトを紹介してもらっても、工場など日本語を話さなくてもよい職場ばかりでした。私はまわりの日本人が話す日本語がほとんどわからず、自分の言いたいことも伝えられず、ストレスがたまっていつも家で泣いていました。 そして、「日本語がわからないと何もできない」「自分で勉強しないと、どれだけ日本人と交流しても話せるようにならない」と気づき、猛勉強を始めました。学校の授業以外に、昼でも夜でも休日でも空いた時間はできるだけ日本語を勉強し、アルバイト先でも上司や先輩とできるだけ会話するようにしました。 その結果、私は留学を始めて9カ月後にJLPT・N3に合格し、その2年後にN1に合格しました。最初は「みんなの日本語」を使い、N2・N1対策には市販の問題集を使いました。また、自分の好きなYouTubeチャンネル(日本語)を聴いてリスニングの練習をしました。 アルバイトでたくさん日本語会話 アルバイト仲間の日本人たちと焼肉会 日本語が話せるようになるにつれ、日本語を使うアルバイトに採用されるようになりました。そうなると、仕事をしながら日本語の練習ができ、わからない言葉や言い方は日本人の先輩や同僚に教えてもらえるので、日本語の会話力が急速に伸びていきました。 アルバイト探しについては、友人に紹介してもらうか、無料の求人情報誌を見て店に電話をかけ、面接を申し込みました。そして、アルバイト先の先輩や仲間と仲良くなり、一緒にご飯を食べに行くこともよくありました。また、クリーニング工場のおばさんは自宅に私と友人を招いてくれました。これらの人たちの中には、今もFacebookなどで連絡を取り合っている人もいます。 ◎私が日本で経験した主なアルバイト クリーニング 工場でクリーニングした大きなカーテンを2、3人でたたむ仕事。ホテルで使うカーテンでした。 ビジネスホテル ベッドメイキング、清掃 居酒屋 ホール(接客)、片付け、開店準備 レストラン キッチン、早朝の仕込み(料理の準備) 弁当店 キッチン、レジ 技能実習生の監理団体(組合) 通訳、技能実習生の生活サポート) 私の家計簿(1カ月の平均) ※専門学校時代の家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:120,000円~150,000円 給料 ¥120,000~¥150,000 ※アルバイト2、3件 支出:158,000円~160,000円 学校の授業料 ¥55,000 家賃(ワンルーム) ¥50,000 ※1に暮らし、Wi-Fi・水道代込み 電気・ガス ¥8,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 食費 ¥25,000 ※バイト先で無料のまかないを食べることも多かった。 雑費 ¥10,000 ※交通費、学習教材、衣類 毎月の差額:▲10,000円~38,000円 ※夏休みなどの長期休みに多く働いて不足を補いました。 日本で留学生と結婚 新婚時代の夫と私 私の姉は福岡で日本語学校から大学に進学しましたが、ある日、姉の大学の同級生のベトナム人男性が姉と私の家に遊びに来ました。ほどなくして私は彼と付き合うようになり、約2年半後、彼は大学を卒業して日本で就職することになりました。その少し前に私たちは結婚し、福岡のベトナム総領事館に婚姻届けを出しました。その後、私も就職が決まり、名古屋に引っ越して一緒に住みました。 私は就職するまで3年半留学しましたが、生活費や学費を稼ぐために早朝や夜にアルバイトをし、それ以外は勉強に打ち込んでいたので、休日は疲れて横になっていることも多く、旅行にはあまり行きませんでした。夫と知り合ってからも一緒に公園やゲームセンターなどでデートするぐらいで、観光はあまりしませんでした。今にして思えば、日本にいる間にもっとあちこちに旅行しておけばよかったと思います。 夫の転勤で帰国 帰国直前にベトナムの家族を名古屋に招待 私たちは2015年に結婚し、私は正社員の夫の妻として日本に在留する予定だったので、本格的な就職活動はしていませんでした。しかし、夫の勤務地が名古屋に決まると、私は家の近くでできる仕事を探し、この会社に履歴書を送って面接を受けたところ、携帯電話ショップを運営する会社の正社員に採用されました。 日本の携帯電話ショップの店員は携帯電話の端末を売る仕事よりも通信契約に関する対応が多いので、さまざまなことを覚えなければなりません。そのため、通常は入社後6カ月間の新人研修を経てやっと店に出ることができます。研修では、接客マナーやパソコン操作、さまざまなサービス内容を学びますが、私は3カ月で覚えることができ、通常より早く店に出ることができました。しかし、就職して1年半後に夫がハノイに転勤になり、私も退職して帰国することになりました。 ハノイで日系企業の正社員に HISハノイ支店の入っているビル〈2018年〉 2017年7月に帰国してまもなく、私は日本の大手旅行会社HISのハノイ支店で正社員として働き始めました。店のカウンターで日本人客(主に駐在員)に航空券やホテル、ツアーを手配する担当でした。個人がインターネットで航空券やホテルを手配することもできますが、会社の業務で出張する場合に旅行会社を使うと、経理処理に必要なインボイスが発行されますし、顧客サービスも良いので、HISを使う日本人はとてもたくさんいました。 ところで、私は帰国が決まってすぐにハノイでの仕事を探し始めました。しかし、日本と違ってベトナムでは面接に合格したらすぐに働き始めてほしいという会社がほとんどだったので、結局、帰国後にFacebookで仕事を探し直し、HISに入りました。 別の日系企業に転職 HSKVのパーティー 私はHISで約2年半働き、出産を機に退職しました。そして、2020年からはHSKV(HSK Vietnam Audit Company)という日系の会計事務所で働いています。私の仕事は会長(日本人)の秘書で、秘書業務以外に下記のような仕事も担当しています。 監査報告書や移転価格報告書、事業概況報告書などの翻訳 顧客企業の帳簿の入力 顧客企業の給与計算表のチェック 個人所得税の計算と申告 顧客企業の日本人駐在員の労働許可証・ビザ・レジデンスカードの申請 HSKVの仕事もFacebookで探し、給料はHISのときより約30%上がりました。転職したのは、HISでは土日の出勤もあったため、出産後の生活に合わなくなったためです。今の会社を選んだのは、朝8時~9時の間に出勤し8時間勤務すればよいというフレキシブルな勤務時間と自宅から近いことが決め手でした。 ハノイに戻って2つの日系企業に就職して思うのは、日系企業への就職には、履歴書の内容よりも面接での評価(日本語会話力や対人能力など)の方が重視されるような気がします。 日本留学で得たもの 私は留学中、学校選びに失敗したことをとても後悔しました。しかし、学校で専門知識は得られなかったものの、自分で日本語の勉強やアルバイトに一生懸命に取り組み、3年でJLPT・N1に合格できました。また、アルバイト仲間に日本語で積極的に話しかけ、会話も十分にできるようになったので、ベトナムに帰国して日系企業に就職する際にとても役立ちました。 留学せずベトナムで日本語を勉強する人も素晴らしいですが、留学経験者の方が全体的にリスニング力が高く、日本での生活やアルバイトも経験したということで、日系企業での就職には有利なようです。私は日本で留学できて本当に良かったと思います。
  • VOL. 89 「みんなの日本語」の解説本を翻訳

    2023年03月24日
    日本語を学ぶ外国人の多くが最初に手にする日本語の教科書「みんなの日本語」。その解説本4冊を1人でベトナム語に翻訳したドンア大学副学長のヴィンさん。ヴィンさんの日本留学体験や学生時代の勉強方法などを紹介します。 今回の先輩 ゴ・クアン・ヴィン さん 1998年高校卒業〈クアンチ省〉 1998年ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部入学 2002年ハノイ大学卒業 2002年日本の設計会社で勤務(通訳・翻訳)〈ハノイ〉 2004年国立ダナン大学外国語大学日本語学科で日本語講師 2008年一橋大学で研究生として留学〈東京〉 2010年一橋大学修士課程入学 2012年一橋大学博士課程入学 2015年一橋大学博士課程修了 2015年国立ダナン大学外国語大学日本語・韓国語・タイ語学部長 2020年ドンア大学副学長兼日本言語文化学部長〈ダナン〉 〈1980年生まれ クアン・チ省出身〉 ◆このページの内容 •「みんなの日本語」の解説本を翻訳 • 大学で日本語を学び日系企業へ • 私の日本語学習法 • 6年半の日本留学 • 私の家計簿 • 留学中の交流 • 留学中に困ったこと • ベトナム語の専門書を日本語で出版 • ドンア大学について 「みんなの日本語」の解説本を翻訳 日本語を学ぶ外国人の多くが最初に使う教科書「みんなの日本語」の「翻訳・文法解説」があるのをご存じの方も多いと思います。「みんなの日本語」は日本語だけで書かれているので、十分に理解できないときに「翻訳・文法解説」を読めば、内容が理解しやすくなります。私は2013~16年に「みんなの日本語」初級Ⅰ、初級Ⅱ、中級Ⅰ、中級Ⅱの「翻訳・文法解説」をベトナム語に翻訳しました。 この翻訳を始めたとき、私は一橋大学(東京)で留学していましたが、そのときの指導教官が私のベトナム語力と日本語力を高く評価し、出版社に推薦(すいせん)してくださったことがきっかけでした。翻訳する際には、もとの日本語の意味ができるだけ正しく伝わるベトナム語にしたいと思い、言葉をていねいに選びながら時間をかけて翻訳しました。 大学で日本語を学び日系企業へ 会社の仲間と日本の石炭鉱山の見学 私が高校のとき、有名な日本ドラマ「おしん」がベトナムで放送されていました。わたしは主人公・おしんのけなげな生き方や勤勉さ、ドラマに出ていた昔の日本家屋などがとても気に入って、日本についてもっと知りたくなりました。高校では英語コースでしたが、大学では別の外国語を勉強しようと思っていたこともあり、ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部に入りました。 私は大学で4年間日本語を学んだ後、新聞の広告欄で見つけた日系企業に入りました。これは木造住宅の構造設計をする会社で、私は日本人の社長や技術者たちとベトナム人スタッフとの間の通訳や書類の翻訳をするチームのリーダーとして働きました。その後、大学で日本語を教える仕事に興味を持つようになり、知人の紹介で国立ダナン大学の日本語講師になりました。 私の日本語学習法 ハノイ外国語大学の教室で 私は大学生のとき、大学のゼミや講義以外に毎日6~8時間、自習しました。インターネット上の学習素材も紙の日本語教材も少ない時代だったので、今よりも勉強に工夫が必要でした。そのときに私が行った勉強方法を紹介します。 新聞の1面のコラムを読む:私は日本の新聞の1面のコラムを読み、ほぼ毎日、その内容について大学の先生と日本語でディスカッションしました。 自分で文章を作って読む:参考書に書かれている語彙(ごい)や文型を使って文章を作り、自分で声を出して読みました。 ハノイ大学日本語学部の級友たちとお出かけ これ以外に、古本屋で日本の古新聞を買い、何度も辞書を引きながら読みました。言葉の勉強では、やはり辞書を使い込むことが大事です。それでも理解できない部分がたくさんあったので、私は大学でただ1人の日本人の先生にアポを取り、質問に応じてもらいました。ただ、当時ハノイには日本人がまだ少なく、ネィティブの日本人との会話練習がほとんどできないのは残念でした。 6年半の日本留学 修士課程を修了 ダナン大学で講師をしているとき、日本の文部科学省が提供する留学生向け奨学金に応募しました。そして、在ベトナム日本国大使館で試験を受けて合格し、国費留学生として日本に行くことになりました。留学先には東京外国語大学も検討しましたが、少人数で勉強・研究できる一橋(ひとつばし)大学を選びました。 こうして私は2008年10月に一橋大学の研究生として訪日し、研究生1年半、修士課程2年、博士課程3年の計6年半、文科省の奨学金で留学しました。そのうち約2年間は妻と一緒に暮らしましたが、妻が2011年に東日本大震災による原発事故を契機に帰国してからは妻子と離れて留学しました。 妻と息子 私は留学中はずっと学費無料で奨学金も受給していたので、アルバイトは最小限にしてできるだけ勉強をしました。しかし、毎年、お盆とテト(旧正月)に帰国するための旅費がかかり、普段は節約生活を強いられました。私がよく使った便は成田→香港→ハノイ→ダナンというルートで、乗り継ぎが悪いため安価でした。一番安いときは往復28,000円でしたが、留学中に燃油サーチャージ(12,000円~15,000円)を加算する制度が始まり、大きな痛手でした。また、当時はSNS電話がなかったので、30分3,000円の国際電話(当時としては格安)でたまにだけ妻と話しました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※博士課程のときの家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:200,000円 奨学金 ¥150,000 給料 ¥50,000 ※アルバイト(通訳・翻訳、辞書作りの手伝いなど) 支出:100,000円 授業料 ¥0 家賃 ¥50,000 ※東京都内、ワンルーム 電気・ガス・水道 ¥5,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 ※国際電話代を含む インターネット ¥6,000 食費 ¥35,000 ※昼は大学の食堂、夜は主に自炊。 交際費 ¥15,000 雑費・交通費 ¥20,000~¥25,000 ※衣類、教材、交通費、化粧品など 毎月の差額(貯金):60,000円 ※貯めたお金で帰国の際の航空券などを購入。 留学中の交流 ベトナム人仲間と東京で日本庭園(夜間ライトアップ)を見学 6年半も日本に住んだので、日本人との交流もたくさんありました。指導教官やゼミの仲間と食事に行ったほか、アルバイトを通じて知り合った人たちとも交流しました。 ベトナム人同士の交流もありました。国費留学に合格した同期のメーリングリストがあったので、日本に行ってから留学生同士の交流のきっかけになりました。 また、東京のベトナム大使館が独立記念日やテトの際に行うイベントもあり、そこでもベトナム人同士の交流ができました。 留学中に困ったこと external link KOKORO|花粉症について(※クリック) ところで、留学中に困ったこともたくさんありました。 休日に病気になったとき 休日に医療機関に行っても対応してくれず、困りました。留学3年目に花粉症になり、くしゃみと鼻水がひどく、とても疲れました。そこで、週末に2、3カ所の医療機関に行きましたが、休日なので受け付けてくれず、どうしたらよいかも教えてくれませんでした。その後、平日になんとか時間を作ってクリニックに行き、薬を処方してもらいました。また、ひどい腹痛のときに近くの病院に電話しましたが、「大きな症状やけがなら診(み)るが、今回は無理です」と断られ、がまんするしかありませんでした。いずれも機械的な対応で、「外国人だから対応が悪いのでは」と感じました。日本は外国人向けの公的な救急医療制度をもっと充実させるべきだと思います。 external link KOKORO|日本での住宅の探し方(※クリック) 住宅探し アパートを探すとき、外国人だから借りられない物件がたくさんありました。その後、当時よりはましになったものの、今も外国人お断りの物件が多いと聞きます。 外人扱い 電車内でベトナム人同士で会話していると、そばにいた日本人たちが向こうに行ってしまいました。日本の電車内でのマナーを理解して私たちは小さな声でしゃべっていたのに、そのような行動をされ、残念でした。また、電車内でくしゃみをすると、マスクをしていても周囲から冷たい視線を受け、これも外国人への偏見のように感じました。このため、かぜをひいたときは電車に乗るのがおっくうでした。 日本人はもっと外国に出て国際感覚を高めてほしいですし、日本の行政は外国人が居心地よく暮らせるように、地域の外国人サポート窓口をもっと充実させてほしいと思います。 ベトナム語の専門書を日本語で出版 external link この本のAmazonでの販売ページ(※クリック) 2015年に留学を終えた私はその年から国立ダナン大学 外国語大学の日本語・韓国語・タイ語学部長になりました。そして、2020年にドンア大学の副学長兼日本言語文化学部長になりました。 私は留学中に日本語教育やベトナム語の類別詞について研究しました。類別詞とは名詞の数え方です。例えば日本語で「一つ」「1枚」「1個」などと数えるときの「つ」「枚」「個」などが類別詞で、ベトナム語ではどのような類別詞があるのかを留学中の博士論文にまとめました。この論文を帰国後にさらに精査して書き直し、2023年に「現代ベトナム語の類別詞研究: 類別詞の本質とその意味・用法」という日本語の専門書を出版しました。Amazonでも購入できますので、ベトナム語の研究者や教師・学習者の方々に活用していただければ幸いです。 ドンア大学について 最後に副学長兼学部長としてドンア大学日本言語文化学部について紹介します。当学部では次のような点を重視して日本語教育を行っています。 日本語を「読む・書く・聞く・話す」ために必要な基礎学力と専門知識を養い、日本語で考える力や日本語コミュニケーション力の向上を目指しています。 日本文化を深く多角的に理解する人材を育てるため、インターンシップや文化交流、交換留学などのプログラムを充実させています。 ダナンの日系企業で見学や研修を行い、日本語を活かした仕事への理解や日本語コミュニケーション力の向上に努めています。 こうしたプログラムには、私や教師陣の留学経験も活かされています。

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【在ベトナム日本国大使館後援】

  • Vol. 02 技能実習の3年間でN1に合格

    2019.9.22毎日新聞・岩崎日出雄 今回の先輩 Nguyen Thi Khuyen(グエン・ティ・クエン)さん 1996年生まれ、フンイエン省出身(ハノイ市郊外)2014年6月 高校卒業2016年2月 長崎県で技能実習2019年5月 ミライエ日本語センター教師Email: nguyenthikhuyen96hy@gmail.com はじめに 私は長崎県の「株式会社 雲仙きのこ本舗」で技能実習生として3年間働きました。ベトナム人女性ばかり約30人の技能実習生が働く職場で、寮生活で実習生の間に強い絆が育ちました。また、職場の日本人も皆、親切でした。「技能実習先は必ずしもよい職場ばかりではない」と聞きますが、私のように職場に恵まれると、楽しく仕事をすることができます。また、上司が私たちに「がんばって日本語を勉強したら、技能実習が終わってベトナムに帰国してからも就職の役に立つ」といつも励ましてくれたこともあって、私は技能実習の3年間に毎年1回ずつ日本語能力試験(JLPT)を受け、5段階中最高ランクの「N1」を取ってから帰国しました。今はハノイで日本語の教師をしています。 ここでは、 ・私の技能実習での仕事の内容・技能実習中の給料と生活、両親への仕送り額・訪日後3年足らずでN1を取得するに至った日本語学習のノウハウ・送出機関の選び方――などを紹介します。 寮から仲間と一緒に電車で2時間かけて桜の名所へ。初めて見た満開の桜。本当にきれいでした。 雲仙きのこ本舗での仕事(実習) えのきだけ。量りで計量してコンベアに乗せると、機械で袋詰めに。 それを次は箱に詰めます。  私は2016年2月、ハノイの同じ送り出し機関で学んだ同期生5人と一緒にこの会社に赴任しました。仕事(技能実習)は朝8時から夕方5時までで、途中で昼休みが1時間ありました。室内栽培のきのこを収穫し、計量し、袋詰めし、箱詰めして出荷する仕事でした。 「雲仙きのこ本舗」 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] きのこを計量器で量って100gずつに分け、コンベアに乗せると、機械で袋詰めにされて出てきます。その後、包装のきれいなものとそうでないものとに分け、箱詰めします。取り扱ったきのこには、えのき、まいたけ、えりんぎ、なめこ、ぶなしめじ、などがありました。 夕方5時以降も、たいてい30分~2時間の残業がありました。作業所は数カ所あり、私の常駐していた作業所で残業がないときは、他の作業所に自動車で連れていってもらって残業しました。 [/show_more] 実習中の給料と生活、送金 寮で共に暮らしたベトナム人の実習仲間たち。一緒に過ごした時間が大切な思い出です。 仕事の休日は水曜日と日曜日でした。夏はきのこがあまり売れないので残業が少なく、給料も少なかったのですが、冬はきのこがよく売れるため残業が多く、給料は夏より多かったです。税金や社会保険料、寮費を差し引いて手元に残るお金は、季節によって違いますが、毎月8万円~14万円でした。ここから食費や雑費を支出し、残りを貯金しました。 給料は日本の銀行口座に振り込まれ、2カ月に1回、現金を引き出して郵便局のATMから送金会社のカードを使ってベトナムの両親に送りました。銀行で現金を引き出して郵便局に行くまで安全なように、いつも同僚の実習生と一緒に行きました。2カ月に1度の送金額は15万円ぐらいが多く、3年間で計約300万円を送金しました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,625 VND(2019年9月22日現在) 手取り給料(合計80,000円~140,000円) 手取り給料 80,000円~140,000円※税金と社会保険料、寮費を差し引いた後の額(このうち寮費は15,000円/寮は2人で1部屋▽台所・食堂・トイレ・シャワーは共同▽電気・ガス・水道代含む▽インターネットwifi無料) 支出(合計22,000円~40,000円) 食費 10,000~15,000円※自炊※地方なので、食材が安い 携帯電話 0円※LINE電話で両親や友人に連絡。SIMカード使わず。 雑費 10,000円~20,000円※衣類や日本語のテキストなど 交通費 2,000円~5,000円※休日にたまに買い物や遊びで出かけた 毎月の平均残額(貯金) 70,000円~120,000円 ※夏は残業が少なく収入が少ないが、冬は残業が多く収入も多い。※貯金を2カ月に1回、両親に送金。1回の送金は15万円程度。 私たちが帰国する前日、後輩達が送別会を開いた後、私たちが空港方面に向かうワゴン車に乗るのを見送ってくれました。別れがつらくて、後輩達は涙。車内の私たちも涙。【2019年2月撮影】 親切な上司たち、あたたかい職場 親切だった職場の日本人の方々と私たち実習生(手前) 会社の費用で「長崎ハウステンボス」に日帰りの社員旅行。花がたくさん咲いていて、こんな美しい場所は初めてでうれしかったです。【2016年4月撮影】 雲仙きのこ本舗では、職場の日本人たちが私たち技能実習生に親切にしてくれました。中にはつらい職場(実習先)もあると聞きますので、私は職場に恵まれたのだと思います。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] ある作業所の年配の女性は、残業の時にいつも栄養ドリンクとお菓子を私たちに出し、「食べてから仕事したらいいからね」と優しく声をかけてくれました。また、どうしても送金したい日に銀行や郵便局に行く時間がぎりぎりになったときや送金額が大きいときは、本社の森塚課長が私たちを自動車で郵便局まで送り、そばに付き添ってくれました。[/show_more] 私はこうして日本語を勉強した 日本語能力試験(JLPT)の受験の際は、職場の上司(中央)が車を往復6時間運転して私たちを試験会場に送り迎えし、励ましてくれました。 本社の森塚課長は機会があるたびに私たちに「日本語をしっかり勉強し日本語能力試験(JLPT)に合格したら、ベトナムに帰国してからもいい仕事に就ける」と言って、私たちの日本語学習を後押ししてくれました。JLPTの受験の際は、試験会場まで往復約6時間かけて私たち(受験希望者)を送迎してくれました。 私の日本語学習で役だったのは①職場での日本語会話②日本語学習のYouTube動画③先輩推薦のテキストとCD--でした。夕食後、だれもいなくなった寮の食堂でYouTube動画やテキスト、CDで1人で勉強しました。私が使ったYouTube動画やテキストを具体的に知りたい方は以下をお読みください。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] ①職場で日本人と仕事上の会話 日本人と話す機会の多い職場でした。このことが私の日本語力の向上に役立ちました。私は、仕事のことで分からないことがあったら、すぐに日本人スタッフをつかまえて話しかけたので、 会話の機会が増えました。日本人スタッフは皆さんとても親切に応じてくれました。 ②YouTube……日本語学習のYouTube動画をよく見ました。 ・「JLPT N1 文法」シリーズ(全40回) https://www.youtube.com/watch?v=kfsC1g6leMk ・「Japanese lesson JLPT N1 文字・語彙」シリーズ(全28回) https://www.youtube.com/watch?v=NxFBiPiFuOk ③テキストとCD……FBでつながったベトナム人留学生(N1取得者)に紹介してもらったテキスト(CD付きのものも含む)を使いました。私の使った主なテキストを紹介します。 ・「耳から覚える 日本語能力試験」シリーズ(出版社:アルク)  https://www.alc.co.jp/jpn/article/nihongo/n3-n5/ ・「新完全マスター」シリーズ(出版社:スリーエーネットワーク)  https://www.3anet.co.jp/np/list.html?sa=1&q=新完全マスター日本語 私はこうした教材を使い、食堂の壁やベッドなどに「N3絶対合格」などと書いた紙を貼って自分を励まし、毎日勉強しました。毎年1回受験し、2016年12月にN3、17年12月にN2、18年12月にN1に合格しました。[/show_more] 訪日のきっかけと送出機関 私たちは一家でお金を稼ぐ必要が生じ、1歳年上の姉が私より1年早く栃木県に技能実習に行きました。2歳年下の弟も2018年11月から長野県で実習中です。私はハノイの送り出し機関で日本語を3カ月間学習した後、求人があって面接を受け、技能実習生への採用が決まりました。その後、送出機関と自習で日本語をさらに計6カ月間学習し、ある程度の日本語は分かる状態で日本に行きました。 技能実習生の送出機関(会社)は、親戚の知人(紹介エージェント)が私たち3人にそれぞれ別々の会社を紹介してくれました。その際、1回の紹介につき手数料2000万ドン(約93,000円)をエージェントに支払いました。 【編集部からのアドバイス】技能実習制度では、仲介者(紹介エージェント)が介入したり仲介者が手数料を受け取ったりすることを送出機関が許容することは禁じられています。在ベトナム日本国大使館は、送出機関を選ぶ際は、仲介者を通さず送出機関に直接連絡(電話・電子メールなど)するよう呼びかけています。送出機関に直接コンタクトしてうまくいかない場合は、別の送出機関を選ぶこともできます。※仲介業者に関する在ベトナム日本国大使館公式サイトのページ https://www.vn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/Chuukaigyoushanichuui.html※外国人技能実習機構(OTIT)が公表している送出機関の一覧 https://www.otit.go.jp/files/user/190906-3.pdf 私が紹介エージェントや送出機関に支払った費用やそのために作った借金は下記の通りです。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ]   【送出機関に支払った金額】・授業料(半年分)=2,000万ドン・寮費(半年分)=1,500万ドン・訪日の航空券と送り出し手数料=計約9,000万ドン 【編集部からのアドバイス】 ベトナム政府の規定では、日本語の事前教育費は約520時間に対し590万ドン以下、送出手数料は3,600ドル以下(3年契約の場合)となっています。また、日本への往復の旅費についても日本の技能実習先(受入企業)が負担することになっています。これらを上回る金額の場合は、費目を確認した上で領収書をもらうようにしましょう。また、金額が不透明な場合は、他の送出機関の選択も検討しましょう。 【紹介エージェントに支払った金額】・紹介手数料=2,000万ドン 私が行った送出機関には同期生が約30人いましたが、日本語学習のクラスは1教室に6~10人でした。1教室20人以上の送出機関もあるそうですが、少人数の方が密度の濃い学習ができます。なお、送出機関やエージェントにお金を支払うために私は約1億4000万ドン(約65万円)の借金をしました。日本に行って最初の1年で返済できましたが、その1年間は借金返済のためにほとんど遊びに行けませんでした。[/show_more] 現在の仕事とメッセージ 現在は、ハノイで日本語教育機関の教師をしています。【2019年6月撮影】 私は帰国後の2019年5月から、技能実習ではなく「技術・人文知識・国際業務」の在留資格でベトナム人技術者を日本に送り出すための日本語教育機関(ハノイ)で教師をしています。現在の月給は約1300万ドンです。将来はまた日本で働けたらと希望しています。 今回は、私の技能実習時代の暮らしや、日本語能力試験(JLPT)を突破するために使った教材、YouTube動画、テキストなどを紹介しました。また、「送出機関は、エージェントに依頼するよりも友人や先輩の体験など情報を集めてよさそうな送出機関を選び、直接コンタクトする方がよい」という情報もお伝えしました。 技能実習制度を利用する場合は、このサイトを含む様々なルートで情報を集めてよい送出機関を選び、日本語学習もしっかりやってから訪日してください。そして、日本でよい人間関係を築き日本語力も伸ばしてから帰国してくださいね(^_^) 帰国直前、一緒に過ごした同期6人で長崎市内を2泊3日で旅行しました。費用は会社が負担してくれました。浴衣姿の私たちと美しい長崎の夜景です。【2019年2月撮影】

    2019年10月08日

  • Vol. 01 日本語力不足で最初は苦労

    日本に留学するベトナム人の数人に1人が日本語学校を卒業できずに帰国しています。日本で生活に困ったベトナム人が犯罪組織に引き入れられるケースが増えています。技能実習で期待していたほど給料がもらえないケースや残業代が支払われないケースもあります 。一方で、日本の留学や技能実習で学歴や日本語能力を身につけ、いい仕事に就いたり、将来の可能性を広げたりしている先輩もいます。先輩たちはどうやって成功したのでしょうか?先輩達の体験とノウハウをあなたに伝えます。 今回の先輩 TRAN MANH HUNG(チャン・マン・フン) さん 1992年生まれ、ハイフォン市出身2009年5月 THUY SON 高校 卒業2009年9月 ベトナムの外国語学校入学2011年7月 千葉県内の日本語学校入学2013年4月 千葉県内の専門学校      「ニホン国際ITカレッジ」入学2016年4月 開知国際大学入学2020年3月 開知国際大学卒業見込み、千葉県の会社に就職予定 私は日本に来て8年目で、千葉県の日本語学校から専門学校と大学に進学し、来年、千葉県の会社に就職します。最初は苦しい留学生活でしたが、日本語が上達すると、まじめな仕事ぶりを評価してくれる人も増え、たくさんの方々から親切にしてもらいました。 最近は、ベトナムから日本への留学生や技能実習生が大きく増えました。一方で、「日本では、学校に行きながらアルバイトで毎月20万円~30万円(約4300万ドン~6500万ドン)を簡単に稼げる」と聞かされて、準備もせずに来日し、アルバイトで体を壊す人や進級できずに日本語学校を中退する人、専門学校や大学に進学せずにベトナムに帰国する人も多くいます。 しかし、1、2年間の滞在だけでは日本のよさは分かりませんし、進学しないと給料も上がりません。これから日本に来るベトナムの後輩留学生たちに、十分な情報を持ってしっかりと準備をし、日本でいろいろな経験をしてほしいと思っています。 ここでは、▽日本語学校の授業や寮生活は学校によって大きく違う▽日本語を話せないとよいアルバイトがない▽アルバイト先での会話で日本語が上達する▽都心から少し離れた郊外での暮らしがリーズナブル▽留学生を優遇してくれる大学がある――といったことについて書きます。 特に、私が日本で経験したアルバイトの内容や条件、アルバイト先の環境が日本語の上達に関係することなどを詳しく書きます。 これから日本に来るあなたの成功のために必要な情報を拾い読みしてくださいね(^_^) 日本に行こうと思った理由 ベトナムで大学受験に失敗した 日本の大学を卒業すれば、ベトナムより給料がずっと高い 留学初期費用110万円(約2億3700万ドン)はもっと安くできた 情報収集し、準備と選択をしてから訪日を 日本にずっと住みたい(生活が安全、食べ物や福祉も安心できる) 私は2009年5月にハイフォンの高校を卒業し、大学受験に失敗しました。そこで、同年9月、ベトナム北部の外国語学校に入りました。その学校で日本留学の説明会に参加したのをきっかけに日本語の勉強を始めました。日本の大学卒の初任給は20万円(約4300万ドン)以上で、ベトナムよりずっと高いです。また、日本語を話せれば、アルバイトで貯金もできます。日本でお金を貯めて両親を日本旅行に招待しよう。そんなことを考えて日本留学を決めました。外国語学校を卒業して2011年7月に来日し、千葉県内の日本語学校に入りました。渡航や日本語学校への入学の手続きは外国語学校がやってくれました。留学の初期費用として両親に約110万円(約2億3700万ドン)を出してもらいました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ]ここには、外国語学校への手数料やビザ取得費、航空券、保証金、日本語学校の入学金、1年分の授業料、半年分の寮費などが含まれていました。 初期費用は、今なら、よく調べればもっと安くできますが、当時はベトナムからの留学生も技能実習生もほとんどおらず、情報がありませんでした。しかし、両親からお金を出してもらったのはこの時だけで、あとは日本でのアルバイトと奨学金(=返済不要)だけでやり繰りしてきました。日本語学校での生活は学校によって大きく違います。これから日本に行く人は、このサイトに今後掲載されるいろいろな先輩の体験談などでよく情報を集め、しっかりと準備・選択してから日本に行くことをお薦めします。 [/show_more] 日本で最初は苦しかった 日本語学校の寮は学校によって大きく違う 訪日前に日本語能力試験のN4取得を 日本語を話せないとアルバイトも見つからない やっと見つけたアルバイトも条件最悪 日本語学校の寮は学校によって大きく違います。私の住んだ寮はあまりよくありませんでした。10平方㍍に満たない小さな部屋に2人で住み、家賃は1人2万2000円(約475万ドン)。台所もトイレもシャワーも部屋の外にあって共同使用で、シャワーは10分・100円(約2万1000ドン)の有料でした。シャワー代を節約するために、台所でバケツ数個に湯をくみ、シャワー室で体を洗う寮生もたくさんいました。※ちなみに今は自分で部屋を借りて快適に暮らしています 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,600 VND(2019年6月17日現在) 収入(合計120,000円~130,000円) アルバイト2件(いずれも飲食店) 130,000円 支出(合計110,000円~120,000円) 家賃 57,000×0.5=28,500円※同居のいとこと折半※個室×2、広い台所兼居間×1、トイレ、シャワー&バス※南柏駅まで自転車で10分 光熱費 12,000×0.5=6,000円※同居のいとこと折半※電気・水道・ガスの合計 インターネット 5,000×0.5=2,500円 携帯電話 2,500円※LINE PHONE(格安sim) 食費・雑費 40,000×0.5=20,000円※同居のいとこと折半※バイト先の飲食店で格安で食べる日もある※大幅ディスカウントされた総菜を買うことが多い※いなかなので、農産物の安い直売店が近い(友達の車で買いに行く)※衣類は量販店のバーゲンで安く買う 交通費 3,500円 授業料 42,000円 その他(保険) 5,000円 差額(貯金)平均10,000円 ※長期休み(夏休み、春休み)はアルバイトを長く出来るので、1カ月の収入は160,000~180,000円になり、貯金が増える。 私は訪日前にあまり日本語を勉強せず、あいさつ程度の日本語しかできませんでした。今思えば、ベトナムでもっと日本語を勉強して日本語能力試験(JLPT)の4級(N4)を取得してから留学を始めれば、もっと効率がよかったと思います。 私の場合、日本語がほとんど分からないので、学校からアルバイトを紹介してもらえず、最初は収入がありませんでした。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] ベトナムから持ってきたお金を取り崩して生活していましたが、3、4カ月経って少し話せるようになり、日本語学校の同級生の紹介で初めてアルバイトを始めました。 最初の仕事は、隣の埼玉県の弁当工場での仕事でした。弁当の調理や盛りつけで、あまり会話しなくてもできる仕事です。週に3、4回出勤して月給約12万円(約2590万ドン)でした。 労働条件は厳しく、勤務は深夜0時から朝6時まで。電車と送迎バスで通いましたが、遠いので、寮を22時過ぎに出て翌朝8時に帰宅する生活でした。その後、学校の授業(午前9時~12時30分)がありましたが、居眠りばかり。学校をずる休みすることもありました。授業後も夕方まで眠り、夜はまたアルバイトに出かけます。アルバイトは20時開始のときもあり、そのときは17時に家を出ました。出勤日は決まっておらず、その日の14時~17時に会社からメールが来ます。メールが届けば休みで、メールが届かなければ出勤です。土日も同じ状況だったので、予定が立てられませんでした。また、50人以上のベトナム人留学生が働く職場だったので、日本語を使いません。授業は居眠り、職場はベトナム語なので、この職場で働いた9カ月間、日本語があまり上達しませんでした。ところで、専門学校や大学に進学できずに帰国する留学生仲間もいましたが、私はアルバイト先の先輩留学生から「日本語学校だけで終わらず、日本で大学に進学した方が絶対にいい。大学を出たら、将来の給料がずっと高くなる」と常々教えられていました。「進学するためには、今の生活を続けていてはだめだ」と思いましたが、日本語が上達しないので、なかなか別のアルバイトに就けませんでした。 [/show_more] アルバイト先で日本語上達 日本語が上達し条件のよいアルバイトへ アルバイト先での会話で日本語上達 職場で日本人たちからも親切にされ 専門学校に進学 日本語能力試験2級に合格 しかし、少しずつ勉強して日本語の力をつけ、日本語学校から別のアルバイトを紹介してもらうことができました。大手食品メーカーの工場勤務で、製品をチェックして選別する仕事でした。勤務は16時~20時30分で、週5回、時給950円(1カ月の給料は約9万円=約1943万ドン)。職場は寮から自転車で約30分でした。 しかも、外国人は同じ学校の3、4人だけで、日本人の従業員と話す機会がたくさんありました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] また、朝6時~8時には、寮のそばの老人ホームで食事の準備や食器洗い、掃除のアルバイトをしました(月給2~4万円=約432万~863万ドン)。アルバイトの掛け持ちです。ここでも、入所しているおじいさん・おばあさんたちとよく会話をしました。このように、アルバイト先で日本語を話す機会が増え、日本語の上達が速くなりました。食品工場に半年間勤めたあとは、やはり学校の紹介で、大きな会社の物流センターで働きました。平日の勤務時間は14時~18時、土日は朝7時~正午です。残業も時々ありました。週3、4回出勤して月に約10万円(約2158万ドン)もらいました。時給は安かったのですが、学校の忙しい時に勤務シフトを考慮してくれたので、メインのアルバイトとしてこの職場に約5年間お世話になりました。そこでの仕事の内容は荷物の仕分けでした。荷物の箱に書いてある商品名や言葉を覚えるようになり、漢字を読む力もつきました。職場では外国人が当初は私1人だけで、日本語でたくさん会話をしました。職場のおばさんたちが親切で、私にパンや缶詰をよくくれましたし、いろいろなことを教えてくれました。従業員同士の仲が良く、私の誕生日に服をプレゼントしてもらったこともありました。とてもよい職場でした。 物流センターでアルバイトをしていた2013年4月、日本語学校を1年半で卒業して専門学校「ニホン国際ITカレッジ」に進学(3年間)しました。本当は大学に進みたかったのですが、学力がまだ十分ではなかったので、まず専門学校に進みました。 専門学校時代は、日本語の先生(日本人)との接触を増やしたり、かけ持ちのアルバイトも日本語を話す機会の多いアルバイトを選んだりしました。かけ持ちのアルバイトは、日本語が読めるようになっていたので、お店の張り紙をみて電話をし、面接を受けるなどして見つけました。あるラーメン店では、週2、3回の勤務でしたが、深夜で時給が高いので、月6万円(約1295万ドン)もらうこともありました。こうして、私は専門学校在学中に日本語能力試験の2級(N2)に合格しました。[/show_more] 両親を日本に招待 専門学校を卒業 両親を日本に招いて家族旅行 専門学校を卒業した2016年3月には、卒業式に合わせてハイフォンから両親を日本に招待し、私の家に3週間ほど泊まってもらいました。韓国人と結婚した姉とおい(=姉の息子)も韓国からやって来て合流し、浅草や皇居、鎌倉の大仏などを一家で観光しました。 私は専門学校で3年間皆勤(=無遅刻・無欠席)で学費も滞納したことがなかったので、卒業の時に学校から表彰されて10万円をもらいました。両親の招待には、そのお金とアルバイトで貯めたお金を使いました。念願の親孝行が出来た瞬間でした。 大学進学 そして就職内定 いなか暮らしのすすめ 千葉県の私立大学へ進学 留学生への入学金免除と日本語優秀者への授業料減額 東京都心より生活費が安い 電車で通える東京都心でボランティア活動も 就職内定し、これからも日本で生活 2016年4月、晴れて千葉県柏市の「開知国際大学リベラルアーツ学部」に入学しました。今は4年生で、来年春、ベトナム人の先輩から紹介された千葉県の運送会社に就職する予定です。 私が開知国際大学を選んだ理由はいくつかあります。 外国人留学生は入学金免除 日本語能力試験2級以上(今は1級)なら、「奨学金」として授業料減額(年間75万円の授業料が50万円に) もともとの授業料も都心の大学より安い 生活費が都心よりかなり安い 柏市に近い大学をインターネットで検索すると、ほかにもたくさんの大学が出てきましたが、留学生への対応が一番よかったので、この大学を選びました。皆さんもよく調べて学校を選んでくださいね。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 開知国際大学では、専門学校での出席と成績、入学試験(日本語作文と面接)が入学選考材料となりました。私は奨学金として授業料を毎年25万円ずつ減額してもらいました。入学金免除と4年間の授業料減額で、在学中の4年間で計約200万円の学費を免除してもらったことになります。これには大変助かりました。私の学年には外国人留学生が70人以上いて約4割はベトナム人です。私はベトナム人だけと話すのではなく、日本人の学生や他国の外国人留学生とも日本語を使って交流するように心がけています。 現在、メインのアルバイトは、大型ショッピングモール「イオンモール柏」の中にあるヌードル店「リンガーハット」の店員です。かけ持ちのアルバイトと併せて、毎月12~13万円(夏休みは16~18万円)を稼いでいます。私は来日以来ずっと柏市に住んでいますが、東京の都心と比べると家賃も物価も安く、助かっています。しかも、東京の都心まで電車で30~40分で行けますので、東京都内でボランティア活動もたまにしています。 今年9月には、日本の自動車運転教習所に合宿して自動車免許を取得しようと思っています。日本での仕事に役立つからです。費用が約25万円かかるので、現在、アルバイトをいつもより少しがんばっています。 [/show_more] 最後に 留学するには、信頼できるウェブサイトなどで情報を収集し、きちんと選択と準備をしてから訪日することが大切です。日本語学校の授業も寮生活も学校によって大きく異なります。また、日本語が少しはできないと、よいアルバイトが見つかりません。日本に行く前に日本語能力試験の4級(N4)を取得できれば可能性が広がります。 日本に行ってからは、アルバイト先で会話しながら日本語の上達を目指してください。また、いくつかの職場を経験すれば、自分に合ったよい職場も見つかります。 大学に進学する際は、都心だけでなく郊外やいなかの大学も調べてみてください。留学生に有利な大学、暮らしやすい地域がきっと見つかります。いずれにしろ、日本に行ってからアルバイトばかりでなく、しっかり勉強をすることが大切です。 冒頭にも書きましたが、「日本に行けば、学校に行きながらアルバイトで毎月20万円~30万円を簡単に稼げる」とだまされて来日する人もいます。しかし、実際には留学生は週28時間(夏休みは別)しか働けません。それに、アルバイトばかりで進学せずに帰国しても給料は増えません。 そして、1年半や2年の短い滞在では日本のよさは分かりません。日本語を話せず一つか二つのアルバイトしか経験せずに帰国すると、親切な職場に巡り会う機会がない場合もあります。留学で日本に行くからには、専門学校や大学に進学し、学力を身につけて日本やベトナムで就職するというしっかりした目標を持って行ってほしいと思います。 私が日本にきて一番印象深いのは電車やバスなどの公共交通です。時間も正確でスピードも速く、どこにでも行けます。交通以外のインフラが整っていて便利で空気もきれいです。これからも日本での生活を楽しみたいと思っています。 これから留学する皆さんは、しっかり情報収集をして自分なりのキャリアプランを立て、きちんと準備をしてから日本に行ってくださいね。

    2019年06月27日

主催者

Nhà tài trợ Bạch Kim

後援

  • 在ベトナム日本国大使館
  • 国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
  • JNTOハノイ事務所
  • 関西経済連合会
  • 一般社団法人 国際人流振興協会
  • 公益社団法人 ベトナム協会
  • NPO法人 日越ともいき支援会

協力

JASSO(日本学生支援機構)

外国人労働者弁護団

WA.SA.Bi.