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VOL. 91 来日後も勉強を続け職場のリーダーに

食品工場で技能実習生から特定技能外国人になったトゥエットさん。彼女は、来日直後は日本人の話すことが全然わかりませんでしたが、毎日3時間勉強を続け、数カ月で少し会話ができるようになり、2年でJLPT・N3に合格しました。今は、職場のベトナム人のリーダーとして活躍しています。 今回の先輩 グエン・ティ・トゥエットさん 2017年高校卒業〈ハイズオン省〉...

2023年05月29日
  • VOL. 90 寝ても覚めても勉強し3年でN1合格

    2023年03月31日
    日本に留学してまもなく「自分で努力しなければ、いつまでたっても日本語で会話できるようにならない」と気づいたウットさん。空いている時間はいつも日本語を勉強し、3年でN1に合格。日本での就職や帰国後の日系企業への就職でも大いに役立ちました。 今回の先輩 タ・ティ・ウットさん 2011年高校卒業 2012年日本語学校入学〈福岡県〉 2014年専門学校入学〈福岡県〉 2015年結婚、JLPT・N1合格 2016年専門学校卒業 2016年日本で就職〈愛知県〉 2017年夫の転勤に伴い帰国 2017年HISハノイ支店入社(正社員) 2019年出産 2020年日系の会計事務所入社〈ハノイ〉 〈1993年生まれ、ハノイ出身〉 ◆このページの内容 • 準備不足で訪日 • 日本語学校と専門学校に留学 • 学校選びに失敗 • 寝ても覚めても日本語を勉強 • アルバイトでたくさん日本語会話 • 私の家計簿 • 日本で留学生と結婚 • 夫の転勤で帰国 • ハノイで日系企業の正社員に • 別の日系企業に転職 • 日本留学で得たもの 準備不足で訪日 私の姉は2010年から日本に留学し、その後、日本人と結婚して今も日本に住んでいます。私は高校卒業後、姉に習って日本に留学することにしました。その準備として、ハノイの日本語センターの寮に住んで3カ月間勉強しました。その間は授業を含めて毎日6時間勉強しましたが、日本で暮らすために日本語がどれぐらい必要かわかっていなかったので、今から思うととても不十分な勉強でした。 ひらがな、カタカナと簡単な会話しか覚えずに日本に行った私は、当初、言葉のことでとても苦労することになります。 日本語学校と専門学校に留学 日本で一緒に暮らした姉(右) 私は2012年10月、姉が通っていた福岡市の「西日本国際教育学院」という日本語学校で留学を始めました。最初の3カ月間は学校の寮に住み、4カ月目からは姉と一緒に暮らしました。 日本語学校で1年半学んだ後、私は「国際貢献専門大学校」という専門学校に進みました。この学校は、私が通った日本語学校の系列校です。本当は他の大学か専門学校に行きたかったのですが、系列校に進学すれば学費が割り引かれるという特典にひかれてその専門学校を選びました。しかし、この学校を選んだことを後で大きく後悔することになりました。 学校選びに失敗 私はこの専門学校でITを学ぼうと思い、「情報ビジネス」を専攻したのですが、専門分野の授業はほとんど受けられませんでした。当時、この学校はできたばかりで、学校の準備不足によってITの教師が不足していたのです。 IT関係の授業は休講続きで、代わりにいつも日本語の授業を受けされられました。しかも、私は専門学校に入る前に日本語能力試験(JLPT)N3に合格し、当時はN2・N1を目指していたにもかかわらず、専門学校の日本語授業はN3・N4レベルでした。私は担任の先生に「もっとITの勉強をしたい」と何度も訴えましたが、何も改善されませんでした。後輩の皆さんは学校の評判をよく調べてから進学先を選んでください。 寝ても覚めても日本語を勉強 留学を始めて最初の数カ月間、私は日本語力不足でアルバイトが見つかりませんでした。友人からアルバイトを紹介してもらっても、工場など日本語を話さなくてもよい職場ばかりでした。私はまわりの日本人が話す日本語がほとんどわからず、自分の言いたいことも伝えられず、ストレスがたまっていつも家で泣いていました。 そして、「日本語がわからないと何もできない」「自分で勉強しないと、どれだけ日本人と交流しても話せるようにならない」と気づき、猛勉強を始めました。学校の授業以外に、昼でも夜でも休日でも空いた時間はできるだけ日本語を勉強し、アルバイト先でも上司や先輩とできるだけ会話するようにしました。 その結果、私は留学を始めて9カ月後にJLPT・N3に合格し、その2年後にN1に合格しました。最初は「みんなの日本語」を使い、N2・N1対策には市販の問題集を使いました。また、自分の好きなYouTubeチャンネル(日本語)を聴いてリスニングの練習をしました。 アルバイトでたくさん日本語会話 アルバイト仲間の日本人たちと焼肉会 日本語が話せるようになるにつれ、日本語を使うアルバイトに採用されるようになりました。そうなると、仕事をしながら日本語の練習ができ、わからない言葉や言い方は日本人の先輩や同僚に教えてもらえるので、日本語の会話力が急速に伸びていきました。 アルバイト探しについては、友人に紹介してもらうか、無料の求人情報誌を見て店に電話をかけ、面接を申し込みました。そして、アルバイト先の先輩や仲間と仲良くなり、一緒にご飯を食べに行くこともよくありました。また、クリーニング工場のおばさんは自宅に私と友人を招いてくれました。これらの人たちの中には、今もFacebookなどで連絡を取り合っている人もいます。 ◎私が日本で経験した主なアルバイト クリーニング 工場でクリーニングした大きなカーテンを2、3人でたたむ仕事。ホテルで使うカーテンでした。 ビジネスホテル ベッドメイキング、清掃 居酒屋 ホール(接客)、片付け、開店準備 レストラン キッチン、早朝の仕込み(料理の準備) 弁当店 キッチン、レジ 技能実習生の監理団体(組合) 通訳、技能実習生の生活サポート) 私の家計簿(1カ月の平均) ※専門学校時代の家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:120,000円~150,000円 給料 ¥120,000~¥150,000 ※アルバイト2、3件 支出:158,000円~160,000円 学校の授業料 ¥55,000 家賃(ワンルーム) ¥50,000 ※1に暮らし、Wi-Fi・水道代込み 電気・ガス ¥8,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 食費 ¥25,000 ※バイト先で無料のまかないを食べることも多かった。 雑費 ¥10,000 ※交通費、学習教材、衣類 毎月の差額:▲10,000円~38,000円 ※夏休みなどの長期休みに多く働いて不足を補いました。 日本で留学生と結婚 新婚時代の夫と私 私の姉は福岡で日本語学校から大学に進学しましたが、ある日、姉の大学の同級生のベトナム人男性が姉と私の家に遊びに来ました。ほどなくして私は彼と付き合うようになり、約2年半後、彼は大学を卒業して日本で就職することになりました。その少し前に私たちは結婚し、福岡のベトナム総領事館に婚姻届けを出しました。その後、私も就職が決まり、名古屋に引っ越して一緒に住みました。 私は就職するまで3年半留学しましたが、生活費や学費を稼ぐために早朝や夜にアルバイトをし、それ以外は勉強に打ち込んでいたので、休日は疲れて横になっていることも多く、旅行にはあまり行きませんでした。夫と知り合ってからも一緒に公園やゲームセンターなどでデートするぐらいで、観光はあまりしませんでした。今にして思えば、日本にいる間にもっとあちこちに旅行しておけばよかったと思います。 夫の転勤で帰国 帰国直前にベトナムの家族を名古屋に招待 私たちは2015年に結婚し、私は正社員の夫の妻として日本に在留する予定だったので、本格的な就職活動はしていませんでした。しかし、夫の勤務地が名古屋に決まると、私は家の近くでできる仕事を探し、この会社に履歴書を送って面接を受けたところ、携帯電話ショップを運営する会社の正社員に採用されました。 日本の携帯電話ショップの店員は携帯電話の端末を売る仕事よりも通信契約に関する対応が多いので、さまざまなことを覚えなければなりません。そのため、通常は入社後6カ月間の新人研修を経てやっと店に出ることができます。研修では、接客マナーやパソコン操作、さまざまなサービス内容を学びますが、私は3カ月で覚えることができ、通常より早く店に出ることができました。しかし、就職して1年半後に夫がハノイに転勤になり、私も退職して帰国することになりました。 ハノイで日系企業の正社員に HISハノイ支店の入っているビル〈2018年〉 2017年7月に帰国してまもなく、私は日本の大手旅行会社HISのハノイ支店で正社員として働き始めました。店のカウンターで日本人客(主に駐在員)に航空券やホテル、ツアーを手配する担当でした。個人がインターネットで航空券やホテルを手配することもできますが、会社の業務で出張する場合に旅行会社を使うと、経理処理に必要なインボイスが発行されますし、顧客サービスも良いので、HISを使う日本人はとてもたくさんいました。 ところで、私は帰国が決まってすぐにハノイでの仕事を探し始めました。しかし、日本と違ってベトナムでは面接に合格したらすぐに働き始めてほしいという会社がほとんどだったので、結局、帰国後にFacebookで仕事を探し直し、HISに入りました。 別の日系企業に転職 HSKVのパーティー 私はHISで約2年半働き、出産を機に退職しました。そして、2020年からはHSKV(HSK Vietnam Audit Company)という日系の会計事務所で働いています。私の仕事は会長(日本人)の秘書で、秘書業務以外に下記のような仕事も担当しています。 監査報告書や移転価格報告書、事業概況報告書などの翻訳 顧客企業の帳簿の入力 顧客企業の給与計算表のチェック 個人所得税の計算と申告 顧客企業の日本人駐在員の労働許可証・ビザ・レジデンスカードの申請 HSKVの仕事もFacebookで探し、給料はHISのときより約30%上がりました。転職したのは、HISでは土日の出勤もあったため、出産後の生活に合わなくなったためです。今の会社を選んだのは、朝8時~9時の間に出勤し8時間勤務すればよいというフレキシブルな勤務時間と自宅から近いことが決め手でした。 ハノイに戻って2つの日系企業に就職して思うのは、日系企業への就職には、履歴書の内容よりも面接での評価(日本語会話力や対人能力など)の方が重視されるような気がします。 日本留学で得たもの 私は留学中、学校選びに失敗したことをとても後悔しました。しかし、学校で専門知識は得られなかったものの、自分で日本語の勉強やアルバイトに一生懸命に取り組み、3年でJLPT・N1に合格できました。また、アルバイト仲間に日本語で積極的に話しかけ、会話も十分にできるようになったので、ベトナムに帰国して日系企業に就職する際にとても役立ちました。 留学せずベトナムで日本語を勉強する人も素晴らしいですが、留学経験者の方が全体的にリスニング力が高く、日本での生活やアルバイトも経験したということで、日系企業での就職には有利なようです。私は日本で留学できて本当に良かったと思います。
  • VOL. 89 「みんなの日本語」の解説本を翻訳

    2023年03月24日
    日本語を学ぶ外国人の多くが最初に手にする日本語の教科書「みんなの日本語」。その解説本4冊を1人でベトナム語に翻訳したドンア大学副学長のヴィンさん。ヴィンさんの日本留学体験や学生時代の勉強方法などを紹介します。 今回の先輩 ゴ・クアン・ヴィン さん 1998年高校卒業〈クアンチ省〉 1998年ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部入学 2002年ハノイ大学卒業 2002年日本の設計会社で勤務(通訳・翻訳)〈ハノイ〉 2004年国立ダナン大学外国語大学日本語学科で日本語講師 2008年一橋大学で研究生として留学〈東京〉 2010年一橋大学修士課程入学 2012年一橋大学博士課程入学 2015年一橋大学博士課程修了 2015年国立ダナン大学外国語大学日本語・韓国語・タイ語学部長 2020年ドンア大学副学長兼日本言語文化学部長〈ダナン〉 〈1980年生まれ クアン・チ省出身〉 ◆このページの内容 •「みんなの日本語」の解説本を翻訳 • 大学で日本語を学び日系企業へ • 私の日本語学習法 • 6年半の日本留学 • 私の家計簿 • 留学中の交流 • 留学中に困ったこと • ベトナム語の専門書を日本語で出版 • ドンア大学について 「みんなの日本語」の解説本を翻訳 日本語を学ぶ外国人の多くが最初に使う教科書「みんなの日本語」の「翻訳・文法解説」があるのをご存じの方も多いと思います。「みんなの日本語」は日本語だけで書かれているので、十分に理解できないときに「翻訳・文法解説」を読めば、内容が理解しやすくなります。私は2013~16年に「みんなの日本語」初級Ⅰ、初級Ⅱ、中級Ⅰ、中級Ⅱの「翻訳・文法解説」をベトナム語に翻訳しました。 この翻訳を始めたとき、私は一橋大学(東京)で留学していましたが、そのときの指導教官が私のベトナム語力と日本語力を高く評価し、出版社に推薦(すいせん)してくださったことがきっかけでした。翻訳する際には、もとの日本語の意味ができるだけ正しく伝わるベトナム語にしたいと思い、言葉をていねいに選びながら時間をかけて翻訳しました。 大学で日本語を学び日系企業へ 会社の仲間と日本の石炭鉱山の見学 私が高校のとき、有名な日本ドラマ「おしん」がベトナムで放送されていました。わたしは主人公・おしんのけなげな生き方や勤勉さ、ドラマに出ていた昔の日本家屋などがとても気に入って、日本についてもっと知りたくなりました。高校では英語コースでしたが、大学では別の外国語を勉強しようと思っていたこともあり、ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部に入りました。 私は大学で4年間日本語を学んだ後、新聞の広告欄で見つけた日系企業に入りました。これは木造住宅の構造設計をする会社で、私は日本人の社長や技術者たちとベトナム人スタッフとの間の通訳や書類の翻訳をするチームのリーダーとして働きました。その後、大学で日本語を教える仕事に興味を持つようになり、知人の紹介で国立ダナン大学の日本語講師になりました。 私の日本語学習法 ハノイ外国語大学の教室で 私は大学生のとき、大学のゼミや講義以外に毎日6~8時間、自習しました。インターネット上の学習素材も紙の日本語教材も少ない時代だったので、今よりも勉強に工夫が必要でした。そのときに私が行った勉強方法を紹介します。 新聞の1面のコラムを読む:私は日本の新聞の1面のコラムを読み、ほぼ毎日、その内容について大学の先生と日本語でディスカッションしました。 自分で文章を作って読む:参考書に書かれている語彙(ごい)や文型を使って文章を作り、自分で声を出して読みました。 ハノイ大学日本語学部の級友たちとお出かけ これ以外に、古本屋で日本の古新聞を買い、何度も辞書を引きながら読みました。言葉の勉強では、やはり辞書を使い込むことが大事です。それでも理解できない部分がたくさんあったので、私は大学でただ1人の日本人の先生にアポを取り、質問に応じてもらいました。ただ、当時ハノイには日本人がまだ少なく、ネィティブの日本人との会話練習がほとんどできないのは残念でした。 6年半の日本留学 修士課程を修了 ダナン大学で講師をしているとき、日本の文部科学省が提供する留学生向け奨学金に応募しました。そして、在ベトナム日本国大使館で試験を受けて合格し、国費留学生として日本に行くことになりました。留学先には東京外国語大学も検討しましたが、少人数で勉強・研究できる一橋(ひとつばし)大学を選びました。 こうして私は2008年10月に一橋大学の研究生として訪日し、研究生1年半、修士課程2年、博士課程3年の計6年半、文科省の奨学金で留学しました。そのうち約2年間は妻と一緒に暮らしましたが、妻が2011年に東日本大震災による原発事故を契機に帰国してからは妻子と離れて留学しました。 妻と息子 私は留学中はずっと学費無料で奨学金も受給していたので、アルバイトは最小限にしてできるだけ勉強をしました。しかし、毎年、お盆とテト(旧正月)に帰国するための旅費がかかり、普段は節約生活を強いられました。私がよく使った便は成田→香港→ハノイ→ダナンというルートで、乗り継ぎが悪いため安価でした。一番安いときは往復28,000円でしたが、留学中に燃油サーチャージ(12,000円~15,000円)を加算する制度が始まり、大きな痛手でした。また、当時はSNS電話がなかったので、30分3,000円の国際電話(当時としては格安)でたまにだけ妻と話しました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※博士課程のときの家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:200,000円 奨学金 ¥150,000 給料 ¥50,000 ※アルバイト(通訳・翻訳、辞書作りの手伝いなど) 支出:100,000円 授業料 ¥0 家賃 ¥50,000 ※東京都内、ワンルーム 電気・ガス・水道 ¥5,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 ※国際電話代を含む インターネット ¥6,000 食費 ¥35,000 ※昼は大学の食堂、夜は主に自炊。 交際費 ¥15,000 雑費・交通費 ¥20,000~¥25,000 ※衣類、教材、交通費、化粧品など 毎月の差額(貯金):60,000円 ※貯めたお金で帰国の際の航空券などを購入。 留学中の交流 ベトナム人仲間と東京で日本庭園(夜間ライトアップ)を見学 6年半も日本に住んだので、日本人との交流もたくさんありました。指導教官やゼミの仲間と食事に行ったほか、アルバイトを通じて知り合った人たちとも交流しました。 ベトナム人同士の交流もありました。国費留学に合格した同期のメーリングリストがあったので、日本に行ってから留学生同士の交流のきっかけになりました。 また、東京のベトナム大使館が独立記念日やテトの際に行うイベントもあり、そこでもベトナム人同士の交流ができました。 留学中に困ったこと external link KOKORO|花粉症について(※クリック) ところで、留学中に困ったこともたくさんありました。 休日に病気になったとき 休日に医療機関に行っても対応してくれず、困りました。留学3年目に花粉症になり、くしゃみと鼻水がひどく、とても疲れました。そこで、週末に2、3カ所の医療機関に行きましたが、休日なので受け付けてくれず、どうしたらよいかも教えてくれませんでした。その後、平日になんとか時間を作ってクリニックに行き、薬を処方してもらいました。また、ひどい腹痛のときに近くの病院に電話しましたが、「大きな症状やけがなら診(み)るが、今回は無理です」と断られ、がまんするしかありませんでした。いずれも機械的な対応で、「外国人だから対応が悪いのでは」と感じました。日本は外国人向けの公的な救急医療制度をもっと充実させるべきだと思います。 external link KOKORO|日本での住宅の探し方(※クリック) 住宅探し アパートを探すとき、外国人だから借りられない物件がたくさんありました。その後、当時よりはましになったものの、今も外国人お断りの物件が多いと聞きます。 外人扱い 電車内でベトナム人同士で会話していると、そばにいた日本人たちが向こうに行ってしまいました。日本の電車内でのマナーを理解して私たちは小さな声でしゃべっていたのに、そのような行動をされ、残念でした。また、電車内でくしゃみをすると、マスクをしていても周囲から冷たい視線を受け、これも外国人への偏見のように感じました。このため、かぜをひいたときは電車に乗るのがおっくうでした。 日本人はもっと外国に出て国際感覚を高めてほしいですし、日本の行政は外国人が居心地よく暮らせるように、地域の外国人サポート窓口をもっと充実させてほしいと思います。 ベトナム語の専門書を日本語で出版 external link この本のAmazonでの販売ページ(※クリック) 2015年に留学を終えた私はその年から国立ダナン大学 外国語大学の日本語・韓国語・タイ語学部長になりました。そして、2020年にドンア大学の副学長兼日本言語文化学部長になりました。 私は留学中に日本語教育やベトナム語の類別詞について研究しました。類別詞とは名詞の数え方です。例えば日本語で「一つ」「1枚」「1個」などと数えるときの「つ」「枚」「個」などが類別詞で、ベトナム語ではどのような類別詞があるのかを留学中の博士論文にまとめました。この論文を帰国後にさらに精査して書き直し、2023年に「現代ベトナム語の類別詞研究: 類別詞の本質とその意味・用法」という日本語の専門書を出版しました。Amazonでも購入できますので、ベトナム語の研究者や教師・学習者の方々に活用していただければ幸いです。 ドンア大学について 最後に副学長兼学部長としてドンア大学日本言語文化学部について紹介します。当学部では次のような点を重視して日本語教育を行っています。 日本語を「読む・書く・聞く・話す」ために必要な基礎学力と専門知識を養い、日本語で考える力や日本語コミュニケーション力の向上を目指しています。 日本文化を深く多角的に理解する人材を育てるため、インターンシップや文化交流、交換留学などのプログラムを充実させています。 ダナンの日系企業で見学や研修を行い、日本語を活かした仕事への理解や日本語コミュニケーション力の向上に努めています。 こうしたプログラムには、私や教師陣の留学経験も活かされています。
  • VOL. 88 支援団体の支援で在留延長と再就職

    2023年03月17日
    作業の準備・後片付け(毎日約2時間)に残業代が支払われないなど、建設の技能実習生の平均よりかなり低い給料で働かされたうえ、職場での暴力・暴言もあって失踪したフイさん。一度は日本が大嫌いになりましたが、支援団体のサポートで日本滞在を延長して働き、特定技能の試験にも合格しました。 今回の先輩 カ・チャン・ホアン・フイさん 2013年高校卒業〈ホーチミン市〉 2013年観光バスの添乗員〈タイニン省〉 2016年トラック運転手〈ロンアン省〉 2019年送出機関で勉強〈ホーチミン市〉 2019年来日→講習→技能実習〈山梨県〉 2020年失踪し、友人宅に4カ月間滞在〈東京〉 2021年日越ともいき支援会で保護〈東京〉 2021年アルバイト〈北海道、長野、鹿児島〉 2022年一時帰国 〈1995年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 • 日本語をほとんど学ばずに来日 • コンクリート関係の仕事 • 長い移動時間に睡眠禁止 • 十分にもらえなかった残業代 • 私の家計簿 • 低賃金と暴力・暴言 • 組合に相談しても改善せず • 失踪中の生活 •「日越ともいき支援会」に助けられ • 漁業やレストランでアルバイト • これからも日本で働く 日本語をほとんど学ばずに来日 私は高校を出て、観光バスの添乗員やトラック運転手をしていましたが、毎月の給料は約7,000,000 VNDしかありませんでした。そんなとき、いとこが日本に技能実習に行って順調に働いていたので、私も出稼ぎのために技能実習をすることになりました。 私は送出機関に登録し、会社の面接を待ちながら日本語で自己紹介をする練習をしました。2019年4月に面接に合格後、きちんとした日本語の授業を受けましたが、それは3カ月間だけだったので、ほとんど日本語が分からない状態で日本に行きました。送出機関には132,000,000VND(当時のレートで約65万円)を支払い、これ以外に寮費や食費(外食)なども必要でした。 コンクリート関係の仕事 生コンクリートを送り込むトラック(イメージ写真) こうして私は2019年7月に来日し、翌月からコンクリート関係の技能実習を始めました。勤務先は山梨県の会社で、大きなトラックが数台ありました。トラックの荷台には折りたたみ式のアームとホースが付いており、工事現場でこれらを伸ばして、離れた場所や高い場所に生コンクリート(生コン)を流し込みます。ミキサー車で作った生コンをトラックのポンプとホースで建築物に送り込むのです。 私たちの作業(イメージ写真) 私たち技能実習生は生コンを流し込む場所にホースの先を運びました。その後、生コンを床に流し込むときはホースを置いて固定できますが、壁などに流し込む場合は、私たちがホースを肩に担いで2、3時間立ち続けました。太いホースは2人で担ぎ、細いホースは1人で担ぎますが、細いホースでもかなり重く、担ぎ続けるのはきつい仕事でした。 長い移動時間に睡眠禁止 私たちの平均的な1日はこうでした。 4:30 起床 5:00 トラック6、7台で会社(私たちの寮の隣)を出発。現場まで平均1時間~1時間半。 6:00~6:30 現場到着。仕事の準備(平均1時間)。準備が早く終われば休憩。 8:00~17:00 仕事(途中で3回・計90分休憩) 17:00 後片付けなど 18:00 現場を出発 19:00~19:30 帰宅 現場への往復は、トラック1台に3人(日本人1人、ベトナム人2人)が乗り、日本人が運転しました。しかし、私たちが何か話すと日本人が怒り、眠っても怒られるので、私たちは車内でずっと黙って景色を眺めていました。技能実習生はSIMを持っていないので車内では携帯電話も使えず、移動時間はとても退屈で疲れました。 十分にもらえなかった残業代 external link KOKORO|給与、残業代、有給休暇 会社から現場まで片道3、4時間かかることもありました。しかし、往復6~8時間の移動が毎日続いても、手当はまったく増えませんでした。また、それ以外にも次のようなことがありました。 ①毎日忙しく、昼の休憩なしで働き続けることが2日に1回ほどありました。しかし、昼の休憩(1時間)をつぶして働いても残業代は増えませんでした。 ②毎日、準備と後片付けで平均2時間働きましたが、この時間にも残業代が支払われませんでした。 準備以外の正規の作業時間が延びることもありましたが、私たちがもらった残業代(毎月5時間分)はそれすらカバーできない額でした。このため手取り給料は9~10万円しかありませんでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:100,000円 給料 ¥100,000 *税金や社会保険、寮費、光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(15,000円)、電気・ガス・水道(6,000円) 支出:45,000円 食費(主に自炊) ¥30,000 生活雑貨、衣類 ¥10,000 交際費など雑費 ¥5,000 毎月の差額:55,000円 低賃金と暴力・暴言 私はベトナムでこの会社の社長に面接(通訳付き)をしてもらったとき、毎月18万円もらえると聞きました。しかし、来日して先輩に聞くと、手取り18万円もらえたのは1回だけだったそうです。 移動時間が長く、仕事内容は過酷で、残業代も十分に支払われないうえ、一緒に働く日本人の一部(3人)は気に入らないことがあるとすぐに怒鳴りました。私はラチェットレンチという工具で頭をたたかれたことも2回あり、ヘルメットをかぶっていても大変な衝撃でした。私はこのような理不尽な職場に失望し、失踪することにしました。 組合に相談しても改善せず 左:仕事で毎日顔が汚れました。右:疲れて休憩時間に現場で眠る先輩。 技能実習では監理団体(組合)が実習生のケアをします。組合の担当者はベトナム人通訳を伴って毎月2回、会社に来ましたが、私たちとの面談には毎回、会社幹部が立ち会いました。組合によっては、正社員の通訳が実習生の悩みを直接聞くシステムもありますが、この組合の通訳は毎回違う人(アルバイト)で、頼りになりませんでした。私たちは残業代不払いや移動時間に眠れないことなどを改善してほしいと組合に何度かお願いしましたが、何ひとつ改善されませんでした。 失踪中の生活 こうして、私はこの会社で働き始めて13カ月目の2020年9月、現金20万円と小さな荷物を持って会社を去りました。社長に告げ口されると困るので、ほかの実習生2人にも黙って失踪しました。 思い描いていた日本とは違ったので、私は一刻も早くベトナムに帰りたいと思いました。しかし、新型コロナの影響でベトナムへの航空券が手に入らなかったので、チケットが取れるまで友人のミン君(仮名)の家に泊めてもらうことにしました。彼は日本で知り合った友人で、別の会社を失踪し、東京に住んでいました。私は電車を約3時間乗り継いで彼のところに行きました。彼は不法就労をしている様子でしたが、私は早く帰国したいので働きませんでした。しかし、航空券はなかなか買えず、2021年1月に入ると、所持金は約5万円しか残っていませんでした。 「日越ともいき支援会」に助けられ external link KOKORO|日越ともいき支援会 そんなとき、ミン君が「NPO法人日越ともいき支援会」のことを聞いて私に教えてくれました。2021年1月、私は支援会にベトナム語でメッセージを送り、事務所を訪ねました。すると、その日から支援会のシェルターに無料で住めることになり、数十人の元実習生と共同生活を送りました。 私は支援会で約2カ月間、毎日、日本語の授業を受け、自習も何時間もしました。その間、支援会は外国人技能実習機構(OTIT)や以前の組合、入管と連絡を取り、私が日本に残って働くためのさまざまな打ち合わせや手続きをしてくれました。おかげで私は新型コロナに関連する特例の在留資格を取得できました。この在留資格の期間は6カ月でしたが、その後2回更新でき、私は日本で約1年半、アルバイトをすることができました。 漁業やレストランでアルバイト 左:ホタテ貝。右:軽井沢。 ホタテの養殖 日本に残って働けることになった私は、支援会の紹介で北海道のホタテ養殖業者で2021年3月から3カ月間アルバイトをすることになりました。小さなホタテ貝を海から引き上げ、貝がらに穴を開けて糸でつなげるのが主な仕事で、主に陸で働き、ときどき船に乗りました。 レストラン ホタテ養殖の繁忙期が終わり、東京に戻って支援会などに泊めてもらった後、9月から3カ月間、長野県・軽井沢の高級レストランで働きました。野菜を切ったり皿を洗ったりする仕事で、まかない(従業員向けの食事)を1日3食食べられるのが魅力でした。軽井沢は有名なリゾート地なので、休みの日には、別の店で働くベトナム人と一緒に町を散策しました。 ラーメン店 3つめのアルバイトは鹿児島県のラーメン店「田所商店」で、仕込み(野菜やチャーシューを切る)、麺(めん)をゆでる、食材を炒(いた)める、スープを作る、皿洗いなど幅広い仕事を担当しました。全国展開の人気店で、私はこの店で2021年12月の新規オープンから約9カ月間働きました。一緒に働いた日本人は皆さん親切で、来日してから一番働きやすい職場でした。 これからも日本で働く 私は北海道のアルバイトから長野県のアルバイトに移る間、日越ともいき支援会に泊めてもらったほか、JP MIRAI(JICAなど主催)が東京で開いた元技能実習生向け研修会に参加しました。約1カ月半に渡ってJICAの施設に住み、日本語の授業を受けたり、今後のキャリアについて学んだりしました。 日越ともいき支援会のおかげで、私は引き続き日本で働く方法があることを知りました。そして、JFT-Basicで238点を取り、特定技能「外食業」の技能試験にも合格しました。そこで、2022年9月にいったんベトナムに帰国し、特定技能の在留資格を申請中です。特定技能外国人として再び来日したら、これまでと同じラーメン店で働きます。これまでの日本滞在では、来日前に借りたお金を返すのが精一杯だったので、今度こそしっかり貯金したいと思います。

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【在ベトナム日本国大使館後援】

  • Vol. 70 安く訪日し平均より多く送金

    今回の先輩 グェン・ティ・ホアイ・トウーさん 2010年 高校卒業〈ホーチミン〉 2010年 専門学校入学 2013年 会社勤務、夜はアルバイト 2017年 送出機関〈ホーチミン〉 2018年 水産加工の技能実習〈北海道〉 2021年 技能実習修了、帰国 〈1990年生まれ、ホーチミン市出身〉 良心的な送出機関を選んだため、ベトナム政府が決めた安い費用で日本に行くことができたトゥーさん。訪日前に質の高い日本語授業を受け、自分でも努力したので、技能実習の職場でたくさんの日本人のおばさんたちと仲良くなりました。また、3年間で十分な送金もできました。 〈このページの内容〉 • 「日本に行けてお金も貯まる」 • 送出機関への支払いと3年間の送金額 • 水産加工の仕事の内容 • 職場のおばさんたちと友だちに • オンライン無料日本語教室 • 「最果ての地」にも多数のベトナム人 • 根室でハッピーライフ • まとめ 「日本に行けてお金も貯まる」 私は専門学校を卒業後、ホーチミンの会社で事務仕事をしていました(月給7,000,000 VND)。日本には以前から興味があり、行ってみたいとは思っていましたが、お金がありませんでした。 そんなとき、恋人が先に日本に技能実習に行き、自己資金がなくても借金で日本に行き、借金を返した上でさらに貯金もできると知りました。そのため、私も技能実習に応募することにしました。 送出機関への支払いと3年間の送金額 自転車で美しい海岸へ。根室では、お金をあまり使わずに生活を楽しめました。 私はホーチミンの送出機関「エスハイ」を選び、約50,000,000 VND(約25万円)の借金だけで日本に行くことができました。先に日本に行った恋人がインターネットで調べ、「費用が安い」「日本語教育の質も高い」という評価が多いエスハイを見つけ、私に紹介してくれたからです。 訪日後も、根室ではあまりお金を使う場所がないので、少し多めに貯金し、母に送ることができました。 ・エスハイで勉強を始めて4カ月目に最初の採用面接を受け、合格 ・エスハイに支払った費用は全部で約90,000,000 VND(約46万円)。教育費も含む。自宅から通ったので寮費は含まない。 ・技能実習の3年間で母への送金は約300万円(約585,000,000 VND) 【編集部からのアドバイス】 エスハイはベトナム政府の費用規定を守っている数少ない送出機関の一つで、日本語教育にも定評があります。 external link 技能実習の費用と注意点 external link 送出機関の探し方・選び方 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=19,505 VND(2022年3月12日現在) 収入: 130,000円 手取り給与 ¥130,000 *税金、社会保険、寮費、電気・水道・ガス代を引いたあとの金額(このうち寮費は20,000円で、ここに電気・ガス・水道代・Wi-Fi代も含まれる) 支出: 40,000円 食材費 ¥25,000 外食費・雑費 ¥15,000 差額: 90,000円 *ほとんどを母に送金 水産加工の実習内容 私たちの工場で作った魚の加工食品〈根室市のAEONで2021年〉 私は2018年から3年間、北海道根室市で技能実習をしました。職場は魚を加工してさまざまな食品を作る工場でした。北海道はとても寒いうえ、工場では魚の鮮度を保つため暖房をあまり使いません。夏は涼しいですが、冬は寒い職場でした。仕事内容は次の通りです。 サンマやイワシがベルトコンベアで流れてくるので、6人の技能実習生が次のような作業を分担。 ・発砲スチロールの箱に氷と水を入れる ・箱の中に魚を入れ、水や氷と混ぜる ・箱にふたをする ・機械を使って箱をしばる 1年ごとに担当レーンが変わるので、次のような仕事もしました。 ・タラの頭を取り、はらわたもかき出し、機械で3枚に分ける ・マスなどの魚に味付けをする ・干物を箱に詰める 職場のおばさんたちと友だちに 根室市内のお気に入りのレストランで 日本で一番うれしかったことは、職場のおばさんたちと友だちになれたことです。おばさんたちは私たち技能実習生に次のようなことをしてくれました。 ・仕事も日本語も親切に教えてくれた。 ・休み時間に私たちとたくさん話をしてくれた。 ・私たちにおかずやチョコレート、果物、服など、いろいろなものをくれた。 おばさんの1人とは休日に一緒に食事に行くこともありました。また、彼女たちから日本の文化についても教えてもらいました。例えば、日本人はプレゼントをもらったら、そのときに「ありがとうございます」と言うのはもちろん、翌日相手に会ったときに「昨日はありがとうございました」ともう一度お礼を言います。 オンライン無料日本語教室 私を訪ねて来てくれたオンライン教室の石橋先生(右)。後ろは私たちの寮。 私は寮で毎日30分以上勉強し、オンライン無料日本語教室“Lotus Works”にも参加しました。日本人の先生が毎週1、2回、ビデオ電話で日本語能力試験(JLPT)に向けて勉強を教えてくれます。また、宿題も出してくれるので、毎日勉強するくせがつきます。 external link オンライン無料日本語教室 訪日前の勉強とLotus Worksの指導のおかげで、私は来日1年後にJLPT・N3に合格しました。試験会場は根室から400 km以上離れた札幌です。組合(管理団体)が大型バス2台をチャーターし、他社の実習生たちと一緒に札幌に行きました。行きは深夜に出て翌朝に着き、帰りは18:00に出て朝2:00に根室に戻りました。その後、3時間だけ眠って仕事に行きました。その後は、新型コロナの関係で、私たちが都会に行くのを会社が嫌がり、N2の試験は受けることができずに帰国しました。 会社の実習生仲間とはとても仲が良く、休日には一緒にパーティーやゲームを楽しみました。また、自転車で一緒に買い物や食事、公園などに行くこともよくありました。 「最果ての町」にも多数のベトナム人 仲間と寮でパーティー 根室は北海道の東のはしにあり、日本では「最果ての町」とも呼ばれています。しかし、そんな根室にもたくさんのベトナム人が働いています。日本では若い人が減っているので、外国人を雇う企業が増えています。私たちの会社にも23人(男3人、女20人)のベトナム人がいました。日本に来たばかりのころは、町でベトナム人と会うことはめったにありませんでしたが、滞在中の約3年間で急増し、休みの日にAEONに行くと、必ずベトナム人を見かけるようになりました。 会社の実習生仲間とはとても仲が良く、休日には一緒にパーティーやゲームを楽しみました。また、自転車で一緒に買い物や食事、公園などに行くこともよくありました。 根室でハッピーライフ 寮の仲間と回転寿司 日本滞在中に東京に遊びに行ったこともあります。ディズニーランドに行き、たくさん食べて買い物もして、楽しく過ごしました。ただし、何をするにもお金がかかりました。その点、根室は、お店は少ないですが、お金はあまりかかりません(貯金ができます)。 また、お店の少ない根室ですが、会社の人に聞いたりグーグルマップで調べたりしてお店を開拓し、食べ歩きを楽しむことができました。 〈私たちの北海道生活〉 ・安いバスツアーで北海道の名所を観光 ・月に1回のぜいたくは回転寿司(安い寿司店)。給料日直後に数人で食べに行く。 ・会社が実習生に自転車を貸すが、冬(11月~4月)は路面で雪が凍って危ないので自転車を返す。 左:雪の日の根室  右:寮の前の公園 まとめ 蹴上げインクライン 新型コロナの感染拡大で、3年間の技能実習を終えても、帰国困難を理由とする「特定活動」という在留資格を取って、引き続き半年や1年働く人も多かったのですが、私は一人暮らしの母のもとに早く帰りたかったので早めに帰国しました。そして、帰国後の2022年1月に長年交際した恋人と結婚しました。 私は少ない借金で日本に行き、日本でも安い費用で暮らせたので、3年間で平均以上の貯金(送金)ができました。そのうえ、職場の日本人は親切でしたし、寮の仲間とも楽しく過ごすことができました。私はこのようなよい技能実習ができて幸せでした。 今回の先輩 グェン・ティ・ホアイ・トウーさん 2010年高校卒業〈ホーチミン〉 2010年専門学校入学 2013年 会社勤務、夜はアルバイト 2017年 送出機関〈ホーチミン〉 2018年 水産加工の技能実習〈北海道〉 2021年 技能実習修了、帰国 〈1990年生まれ、ホーチミン市出身〉 良心的な送出機関を選んだため、ベトナム政府が決めた安い費用で日本に行くことができたトゥーさん。訪日前に質の高い日本語授業を受け、自分でも努力したので、技能実習の職場でたくさんの日本人のおばさんたちと仲良くなりました。また、3年間で十分な送金もできました。 〈このページの内容〉 • 「日本に行けてお金も貯まる」 • 送出機関への支払いと3年間の送金額 • 水産加工の仕事の内容 • 職場のおばさんたちと友だちに • オンライン無料日本語教室 • 「最果ての地」にも多数のベトナム人 • 根室でハッピーライフ • まとめ 「日本に行けてお金も貯まる」 私は専門学校を卒業後、ホーチミンの会社で事務仕事をしていました(月給7,000,000 VND)。日本には以前から興味があり、行ってみたいとは思っていましたが、お金がありませんでした。 そんなとき、恋人が先に日本に技能実習に行き、自己資金がなくても借金で日本に行き、借金を返した上でさらに貯金もできると知りました。そのため、私も技能実習に応募することにしました。 <!-- 日本語力を生かして日本語センターで講師のアルバイト --> 送出機関への支払いと3年間の送金額 私はホーチミンの送出機関「エスハイ」を選び、約50,000,000 VND(約25万円)の借金だけで日本に行くことができました。先に日本に行った恋人がインターネットで調べ、「費用が安い」「日本語教育の質も高い」という評価が多いエスハイを見つけ、私に紹介してくれたからです。 訪日後も、根室ではあまりお金を使う場所がないので、少し多めに貯金し、母に送ることができました。 ・エスハイで勉強を始めて4カ月目に最初の採用面接を受け、合格 ・エスハイに支払った費用は全部で約90,000,000 VND(約46万円)。教育費も含む。自宅から通ったので寮費は含まない。 ・技能実習の3年間で母への送金は約300万円(約585,000,000 VND) 自転車で美しい海岸へ。根室では、お金をあまり使わずに生活を楽しめました。 編集部からのアドバイス エスハイはベトナム政府の費用規定を守っている数少ない送出機関の一つで、日本語教育にも定評があります。 external link 技能実習の費用と注意点 external link 送出機関の探し方・選び方 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=19,505 VND(2022年3月12日現在) 収入: 130,000円 手取り給与 ¥130,000 *税金、社会保険、寮費、電気・水道・ガス代を引いたあとの金額(このうち寮費は20,000円で、ここに電気・ガス・水道代・Wi-Fi代も含まれる) 支出: 40,000円 食材費 ¥25,000 外食費・雑費 ¥15,000 差額: 90,000円 *ほとんどを母に送金 水産加工の実習内容 私は2018年から3年間、北海道根室市で技能実習をしました。職場は魚を加工してさまざまな食品を作る工場でした。北海道はとても寒いうえ、工場では魚の鮮度を保つため暖房をあまり使いません。夏は涼しいですが、冬は寒い職場でした。仕事内容は次の通りです。 サンマやイワシがベルトコンベアで流れてくるので、6人の技能実習生が次のような作業を分担。 ・発砲スチロールの箱に氷と水を入れる ・箱の中に魚を入れ、水や氷と混ぜる ・箱にふたをする ・機械を使って箱をしばる 1年ごとに担当レーンが変わるので、次のような仕事もしました。 ・タラの頭を取り、はらわたもかき出し、機械で3枚に分ける ・マスなどの魚に味付けをする ・干物を箱に詰める 私たちの工場で作った魚の加工食品〈根室市のAEONで2021年〉 職場のおばさんたちと友だちに 日本で一番うれしかったことは、職場のおばさんたちと友だちになれたことです。おばさんたちは私たち技能実習生に次のようなことをしてくれました。 ・仕事も日本語も親切に教えてくれた。 ・休み時間に私たちとたくさん話をしてくれた。 ・私たちにおかずやチョコレート、果物、服など、いろいろなものをくれた。 おばさんの1人とは休日に一緒に食事に行くこともありました。また、彼女たちから日本の文化についても教えてもらいました。例えば、日本人はプレゼントをもらったら、そのときに「ありがとうございます」と言うのはもちろん、翌日相手に会ったときに「昨日はありがとうございました」ともう一度お礼を言います。 根室市内のお気に入りのレストランで オンライン無料日本語教室 私は寮で毎日30分以上勉強し、オンライン無料日本語教室“Lotus Works”にも参加しました。日本人の先生が毎週1、2回、ビデオ電話で日本語能力試験(JLPT)に向けて勉強を教えてくれます。また、宿題も出してくれるので、毎日勉強するくせがつきます。 external link オンライン無料日本語教室 訪日前の勉強とLotus Worksの指導のおかげで、私は来日1年後にJLPT・N3に合格しました。試験会場は根室から400 km以上離れた札幌です。組合(管理団体)が大型バス2台をチャーターし、他社の実習生たちと一緒に札幌に行きました。行きは深夜に出て翌朝に着き、帰りは18:00に出て朝2:00に根室に戻りました。その後、3時間だけ眠って仕事に行きました。その後は、新型コロナの関係で、私たちが都会に行くのを会社が嫌がり、N2の試験は受けることができずに帰国しました。 会社の実習生仲間とはとても仲が良く、休日には一緒にパーティーやゲームを楽しみました。また、自転車で一緒に買い物や食事、公園などに行くこともよくありました。 私を訪ねて来てくれたオンライン教室の石橋先生(右)。後ろは私たちの寮。 「最果ての町」にも多数のベトナム人 根室は北海道の東のはしにあり、日本では「最果ての町」とも呼ばれています。しかし、そんな根室にもたくさんのベトナム人が働いています。日本では若い人が減っているので、外国人を雇う企業が増えています。私たちの会社にも23人(男3人、女20人)のベトナム人がいました。日本に来たばかりのころは、町でベトナム人と会うことはめったにありませんでしたが、滞在中の約3年間で急増し、休みの日にAEONに行くと、必ずベトナム人を見かけるようになりました。 会社の実習生仲間とはとても仲が良く、休日には一緒にパーティーやゲームを楽しみました。また、自転車で一緒に買い物や食事、公園などに行くこともよくありました。 仲間と寮でパーティー 根室でハッピーライフ 日本滞在中に東京に遊びに行ったこともあります。ディズニーランドに行き、たくさん食べて買い物もして、楽しく過ごしました。ただし、何をするにもお金がかかりました。その点、根室は、お店は少ないですが、お金はあまりかかりません(貯金ができます)。 また、お店の少ない根室ですが、会社の人に聞いたりグーグルマップで調べたりしてお店を開拓し、食べ歩きを楽しむことができました。 〈私たちの北海道生活〉 ・安いバスツアーで北海道の名所を観光 ・月に1回のぜいたくは回転寿司(安い寿司店)。給料日直後に数人で食べに行く。 ・会社が実習生に自転車を貸すが、冬(11月~4月)は路面で雪が凍って危ないので自転車を返す。 寮の仲間と回転寿司 雪の日の根室  寮の前の公園 まとめ 新型コロナの感染拡大で、3年間の技能実習を終えても、帰国困難を理由とする「特定活動」という在留資格を取って、引き続き半年や1年働く人も多かったのですが、私は一人暮らしの母のもとに早く帰りたかったので早めに帰国しました。そして、帰国後の2022年1月に長年交際した恋人と結婚しました。 私は少ない借金で日本に行き、日本でも安い費用で暮らせたので、3年間で平均以上の貯金(送金)ができました。そのうえ、職場の日本人は親切でしたし、寮の仲間とも楽しく過ごすことができました。私はこのようなよい技能実習ができて幸せでした。

    2022年03月27日

  • Vol.68 快適な職場で技能実習4年目

    今回の先輩 マイ・ティ・フォン・タインさん 2015年 高校卒業〈ナムディン〉 2016年 飲食店に2年間勤務〈ナムディン〉 2018年 送出機関で勉強〈ハノイ〉 2018年 講習後、清掃会社で技能実習〈香川県〉 <1997生まれ、ナムディン省出身> タインさんは技能実習(清掃)の3年間でJLPT・N2に合格しました。オンライン無料日本語教室を利用したほか、清掃現場まで車で移動する時間があるので、車内で日本人とたくさん話し、勉強で覚えた日本語を実際に使うことができました。 〈このページの内容〉 • 送出機関への支払いと3年間の送金 • 来日して3年でN2に合格! • ホテル清掃の仕事の内容 • 親切な社長と元社長 • ベトナム人仲間 • まとめ 送出機関への支払いと3年間の送金 送出機関の先生と同級生たち 私の父は2019年に亡くなり、母が飲食店で働いていますが、月給は3,000,000 VNDぐらいです。私は4人兄弟の末っ子で、高校を出てから地元のフォー店で約1年間働きましたが、給料は月4,000,000 VNDでした。 そのようなつつましい生活の中、いとこが技能実習で日本に行き、彼女の母(私のおば)の勧めで、私も技能実習に行くことにしました。家計を助けたいと思ったのです。いとこが使ったハノイの送出機関を私も使い、日本語を約6カ月間勉強してから日本に行きました。この送出機関には日本人の先生が2人いました。 external link 技能実習の費用と注意点 ◆借金と仕送り 送出機関に支払ったお金 手数料と飛行機代 (*1) 178,200,000 ₫ 教育費など 10,000,000 ₫ 資金調達 親せきから借金 140,000,000 ₫ 親の貯金と自分の貯金 80,000,000 ₫ 3年間で両親に送ったお金 給料から送金(*2) 458,000,000 ₫ (*1)$7,800をドンに換算 (*2)¥2,300,000をドンに換算 いずれも2022年3月6日の為替レート 来日して3年でN2に合格! JLPTに合格した技能実習生のために元社長が開いてくれた食事会〈2021年〉 私は2018年10月に来日し、2020年12月に日本語能力試験(JLPT)N3に合格、2021年7月にN2に合格しました。 日本に来たばかりのとき、一番困ったことは言葉です。ベトナムで半年間勉強したのに、日本人の話すことがさっぱりわからず、「すみません。もう一度言ってください」の繰り返しでした。そこで、送出機関の先生にSNSで相談し、オンライン日本語教室のLotus Worksを紹介してもらいました。週に1、2回、日本人の先生がSkypeで文法や漢字などの授業をしてくれます。次の授業までに宿題をしなければならないので、毎日勉強するくせがつきました。 external link オンライン無料日本語教室 清掃現場の一つ。現場でも現場に向かう車内でも日本人とたくさん会話。 Lotus Worksの勉強以外にも日本語と触れる機会をつくりました。 毎日家で1、2時間勉強 ・使った教材:「耳から覚える」シリーズ(語彙)など ・Youtubeの学習チャンネル:Dũng Mori, Onomappu, Thao Le JP ・日本のアニメ:ヒアリングの練習に使う 職場で日本人とたくさん会話 ・毎日、会社から仕事場に向かう車内(往復40~120分)で日本人2、3人と会話 ・休憩時間も日本人と会話 ホテル清掃の仕事の内容 私の実習(仕事)の内容を紹介します。職場には私を含めて5人の技能実習生がいます。 ・7:20出社→朝礼→車で移動→清掃→車で帰社(勤務は8時間) ・清掃現場:ホテル、住宅、オフィス、店、老人ホーム ・床掃除(機械やモップを使う)、ワックスがけ、窓ふき、トイレ・風呂の掃除 ・日本人2、3人とベトナム人1人が組んで仕事をすることが多い ・休みは週1、2回 親切な社長と元社長 会社が実習生全員に「うな重」をご馳走〈2021年〉 私たちの会社では、元社長とその奥さん(今の社長)が私たちの面倒をよくみてくれるので、快適に暮らしています。 ・元社長が技能実習生をときどき食事に連れて行ってくれます。 ・社長がときどき車で買い物に連れて行ってくれます。 ・新型コロナの影響で社員パーティーが中止になったときは、会社が実習生全員に高価な「うな重」の出前をとってくれました。 ・JLPTの試験のときは、組合が会場まで車で送迎してくれます。 ・寮は2階建てで、寝室4つを実習生5人で使用。場所は会社のそば。 ・職場の上司がボーリングなどに連れて行ってくれることもあります。 会社が実習生のために開いてくれた食事会(左)、寮(右) ベトナム人仲間 ベトナム人仲間とテーマパークへ〈香川県〉 元社長は私たちが来日した後に組合(監理団体)を設立し、組合のパーティーや忘年会にいろいろな会社の実習生を招待してくれます。そのような場でベトナム人仲間が増え、さらにその友だちともつながって、休みの日にいろいろなところに一緒に遊びに行っています。また、高校時代の親友が隣の岡山県で技能実習をしているので、彼女と一緒に遊びにいくこともあります。 これまで、友だちと一緒に香川県の丸亀城やレオマワールド(テーマパーク)などに行きました。その中で一番好きなのは金刀比羅宮(ことひらぐう)です。将来は大阪や東京、北海道にも行ってみたいです。 external link 私の香川観光ブログ 私の家計簿(1か月の平均) ※100円=約19,900 VND(2022年3月6日現在) 収入: ¥125,000 手取り給与 ¥125,000 *税金、社会保険、寮費、電気・水道・ガス代を引いたあとの金額(このうち寮費は¥13,000、電気・ガス・水道代は¥5,000) *以前は ¥110,000→4年目に入って給料アップ 支出: ¥40,000 食材費 ¥20,000 外食費・雑費 ¥20,000 差額: ¥85,000 *ほとんどを母に送金 まとめ 私は3年間の技能実習(技能実習1号・2号)が終わり、2021年10月から技能実習3号に切り替えて引き続き日本で働いています。3号になって、給料が少し上がりました。あと2年間の実習が終わって帰国したら、故郷のナムディンかハノイで日本語を使う仕事をしたいと思っています。 今回の先輩 マイ・ティ・フォン・タインさん 2015年高校卒業〈ナムディン〉 2016年飲食店に2年間勤務〈ナムディン〉 2018年 送出機関で勉強〈ハノイ〉 2018年 講習後、清掃会社で技能実習〈香川県〉 <1997生まれ、ナムディン省出身> タインさんは技能実習(清掃)の3年間でJLPT・N2に合格しました。オンライン無料日本語教室を利用したほか、清掃現場まで車で移動する時間があるので、車内で日本人とたくさん話し、勉強で覚えた日本語を実際に使うことができました。 〈このページの内容〉 • 送出機関への支払いと3年間の送金 • 来日して3年でN2に合格! • ホテル清掃の仕事の内容 • 親切な社長と元社長 • ベトナム人仲間 • まとめ 送出機関への支払いと3年間の送金 私の父は2019年に亡くなり、母が飲食店で働いていますが、月給は3,000,000 VNDぐらいです。私は4人兄弟の末っ子で、高校を出てから地元のフォー店で約1年間働きましたが、給料は月4,000,000 VNDでした。 そのようなつつましい生活の中、いとこが技能実習で日本に行き、彼女の母(私のおば)の勧めで、私も技能実習に行くことにしました。家計を助けたいと思ったのです。いとこが使ったハノイの送出機関を私も使い、日本語を約6カ月間勉強してから日本に行きました。この送出機関には日本人の先生が2人いました。 external link 技能実習の費用と注意点 送出機関の先生と同級生たち ◆借金と仕送り 送出機関に支払ったお金 手数料と飛行機代 (*1) 178,200,000 ₫ 教育費など 10,000,000 ₫ 資金調達 親せきから借金 140,000,000 ₫ 親の貯金と自分の貯金 80,000,000 ₫ 3年間で両親に送ったお金 給料から送金(*2) 458,000,000 ₫ (*1)$7,800をドンに換算 (*2)¥2,300,000をドンに換算 いずれも2022年3月6日の為替レート 来日して3年でN2に合格! 私は2018年10月に来日し、2020年12月に日本語能力試験(JLPT)N3に合格、2021年7月にN2に合格しました。 日本に来たばかりのとき、一番困ったことは言葉です。ベトナムで半年間勉強したのに、日本人の話すことがさっぱりわからず、「すみません。もう一度言ってください」の繰り返しでした。そこで、送出機関の先生にSNSで相談し、オンライン日本語教室のLotus Worksを紹介してもらいました。週に1、2回、日本人の先生がSkypeで文法や漢字などの授業をしてくれます。次の授業までに宿題をしなければならないので、毎日勉強するくせがつきました。 external link オンライン無料日本語教室 JLPTに合格した技能実習生のために元社長が開いてくれた食事会〈2021年〉 Lotus Worksの勉強以外にも日本語と触れる機会をつくりました。 毎日家で1、2時間勉強 ・使った教材:「耳から覚える」シリーズ(語彙)など ・Youtubeの学習チャンネル:Dũng Mori, Onomappu, Thao Le JP ・日本のアニメ:ヒアリングの練習に使う 職場で日本人とたくさん会話 ・毎日、会社から仕事場に向かう車内(往復40~120分)で日本人2、3人と会話 ・休憩時間も日本人と会話 清掃現場の一つ。現場でも現場に向かう車内でも日本人とたくさん会話。 ホテル清掃の仕事の内容 私の実習(仕事)の内容を紹介します。職場には私を含めて5人の技能実習生がいます。 ・7:20出社→朝礼→車で移動→清掃→車で帰社(勤務は8時間) ・清掃現場:ホテル、住宅、オフィス、店、老人ホーム ・床掃除(機械やモップを使う)、ワックスがけ、窓ふき、トイレ・風呂の掃除 ・日本人2、3人とベトナム人1人が組んで仕事をすることが多い ・休みは週1、2回 親切な社長と元社長 私たちの会社では、元社長とその奥さん(今の社長)が私たちの面倒をよくみてくれるので、快適に暮らしています。 ・元社長が技能実習生をときどき食事に連れて行ってくれます。 ・社長がときどき車で買い物に連れて行ってくれます。 ・新型コロナの影響で社員パーティーが中止になったときは、会社が実習生全員に高価な「うな重」の出前をとってくれました。 ・JLPTの試験のときは、組合が会場まで車で送迎してくれます。 ・寮は2階建てで、寝室4つを実習生5人で使用。場所は会社のそば。 ・職場の上司がボーリングなどに連れて行ってくれることもあります。 会社が実習生全員に「うな重」をご馳走〈2021年〉 会社が実習生のために開いてくれた食事会 寮 ベトナム人仲間 元社長は私たちが来日した後に組合(監理団体)を設立し、組合のパーティーや忘年会にいろいろな会社の実習生を招待してくれます。そのような場でベトナム人仲間が増え、さらにその友だちともつながって、休みの日にいろいろなところに一緒に遊びに行っています。また、高校時代の親友が隣の岡山県で技能実習をしているので、彼女と一緒に遊びにいくこともあります。 これまで、友だちと一緒に香川県の丸亀城やレオマワールド(テーマパーク)などに行きました。その中で一番好きなのは金刀比羅宮(ことひらぐう)です。将来は大阪や東京、北海道にも行ってみたいです。 external link 私の香川観光ブログ ベトナム人仲間とテーマパークへ〈香川県〉 私の家計簿(1か月の平均) ※100円=約19,900 VND(2022年3月6日現在) 収入: ¥125,000 手取り給与 ¥125,000 *税金、社会保険、寮費、電気・水道・ガス代を引いたあとの金額(このうち寮費は¥13,000、電気・ガス・水道代は¥5,000) *以前は ¥110,000→4年目に入って給料アップ 支出: ¥40,000 食材費 ¥20,000 外食費・雑費 ¥20,000 差額: ¥85,000 *ほとんどを母に送金 まとめ 私は3年間の技能実習(技能実習1号・2号)が終わり、2021年10月から技能実習3号に切り替えて引き続き日本で働いています。3号になって、給料が少し上がりました。あと2年間の実習が終わって帰国したら、故郷のナムディンかハノイで日本語を使う仕事をしたいと思っています。

    2022年03月21日

  • Vol.65 食品加工会社に転職

    今回の先輩  グエン・ティ・リー さん 2016年 高校卒業〈ハイズオン省〉 2016年 送出機関登録〈ハノイ〉 2017年 訪日→研修→農業の技能実習開始〈福岡県〉 2020年 技能実習修了、新型コロナの特例で仕事を継続 2021年 転職について支援団体に相談(3月)〈東京都〉 2021年 食品加工会社に転職(5月)〈岡山県〉 〈1998年生まれ、ハイズオン省出身〉 リーさんの技能実習先の農家では失踪者が続出。リーさんは失踪せず3年半働いたが、転職できることを知って組合に相談した。ところが、組合は「あなたはここでしか働けない」とウソの説明。組合が信用できないため、リーさんたちが頼った先は……。 岡三食品 〈このページの内容〉 • 送出機関に支払った費用 • 農業の技能実習 • 失踪続発 • 自由な有給休暇なし • 日本での生活と実家への送金 • 組合のサポートが欠如 • NPOの施設で合宿生活 • 日本にも親切な人がたくさん 送出機関に支払った費用 ハノイの街並み 私の両親は米や野菜を作っていますが、自給自足分だけで現金収入はありません。また、弟はまだ大学1年生です。私は送出機関で働いている親せきから技能実習制度を紹介され、家計を助けるために日本で働くことにしました。台湾も選べましたが、桜を見たかったのと、日本の方が経済が発展していると思い、日本に行くことにしました。 高校を卒業して3カ月後の2016年9月、ハノイの送出機関に登録。その直後に受けた最初の面接に合格して実習先が決まり、それから約9カ月間、送出機関の日本語センターで勉強しました。送出機関には手数料と授業料で計6,500 USDを支払いました。それ以外に寮費や準備費も必要だったので、約200,000,000 VND(約97万円)を銀行などから借りました。 ※100円=20,678 VND(2021年9月9日現在) 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関ごとに費用が違います。高い費用を払っても日本で高い給料をもらえるわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。そうすれば、費用を数千ドル安くできる場合があります。 external link こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 農業の技能実習 毎月、給料をもらったら、仲間数人で何か食べに行きました。 私は2016年6月に来日し、翌月から福岡県の農家(会社)で技能実習を始めました。栗、みかん、柿、梨、すもも、キーウイなどの苗木を栽培して他の農家に販売する会社で、日本人は社長と奥さん、息子さん、従業員3人の計6人でした。勤務時間は8:00~17:00(休憩含む)で、畑で雑草を刈ったり、殺虫剤散布を手伝ったりしました。ビニルハウスも3棟あり、ハノイでの面接では社長から「温室で働く仕事」だと説明を受けていましたが、実際には、温室で働いたのは数えるほどで、ほとんど畑での作業でした 失踪続発 仲間でバーベキューを楽しむこともありましが、失踪が続いて人数が減っていきました。 この農場の技能実習生はすべて女性で、最初は先輩5人、同期3人(私を含む)でした。しかし、先輩のうち3人は後に失踪し、私の1年後に来日した後輩3人のうち1人も約1年で帰国しました。最初に失踪したカンボジア人の先輩は、社長にスコップで頭をたたかれて大きなこぶができ、しばらくして失踪しました。 別の先輩が畑で熱中症のような状態になり、社長に「午後は休ませてください」とお願いしたところ、社長は「それだったら、1カ月間休みなさい」と言いました。1カ月も休むと給料がありません。このようなことがあったので、先輩も私たちも体調が悪くても休めず、無理して働くしかありませんでした。その後、ベトナム人の先輩2人も失踪しました。 寮の窓からの眺め 社長は短気で、すぐに怒鳴りました。来日して間もないころ、私は畑で社長から「スコップを持ってきてください」と言われました。しかし、来日前に「シャベル」という日本語は習いましたが、「スコップ」という言葉は教わらなかったので、すぐには返事ができませんでした。すると、社長は大きな声で怒鳴り始めました。そして、仕事の途中だったのに、私は社長が運転する車で事務所に連れて帰られました。社長は車内でも怒鳴り続け、「しばらく仕事を休んで日本語を勉強しなさい!」と私に言いました。私はそれを聞いて泣きました。そして、約2週間仕事に行けず、寮で1人で日本語の勉強をしました。 自由な有給休暇なし 日本では、勤務開始から6カ月経つと、10日間の有給休暇を取る権利を得られます。その後、さらに1年経つごとに11日間、12日間の有給休暇を追加で得られます。有給休暇は自分の好きな日を申請し、会社は申請を認めるか代わりの日を提案しなければなりません。私たちは年末年始とお盆に連休をもらいましたが、自分の好きな日に休めることは教えられていませんでした。そして、会社は雨で畑仕事が出来ない日に私たちを休ませ、その日を有給休暇扱いにしていました。 私は技能実習の3年間を修了し、新型コロナの特例で引き続きこの会社で働いていましたが、転職できることを知って他社の面接を受けようとしました。しかし、会社が休ませてくれないので、面接を受けられません。そのときに技能実習制度に詳しいベトナム人に相談し、本当は好きな日に有給休暇を申請できることを知りました。 日本での生活と実家への送金 年に一度の社員旅行〈2020年〉 問題の多い会社でしたが、私たちを1年に1回、1泊2日で長崎や熊本に旅行に連れて行ってくれました。ただし、自分で遊びに行くには社長の奥さんの許可が必要で、新型コロナのこともあり、自由旅行は一度もできませんでした。仕事がハードなので、休日は疲れてよく眠ったこともあまり外出しなかった原因です。仕事と買い物以外は、寮で過ごすことがほとんどでした。 その分、お金を使わずに済んだので、私は3年間で約250万円(約517,000,000 VND)を実家に送ることができました。そのお金で私の来日時の借金も実家にもともとあった借金(家の建築費用)も完済することができました。今は弟の学費と家族の生活費のために送金しています。ただし、季節によって仕事量や収入が違いました。冬は残業がたくさんあって、手取り給料が約160,000円の月もありました。一方、6~8月は手取り給料が75,000円~80,000円しかありませんでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=20,678 VND(2021年9月9日現在) 手取り給料(平均75,000~160,000円) 手取り給料 75,000~160,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※差引額のうち寮費15,000円、水道・光熱費5,000円、Wi-Fi 1,000円 支出(平均 25,000円) 食費 20,000円  ※自炊 雑費 5,000円  ※生活雑貨など 差額・貯金(50,000~130,000円) 組合のサポートが欠如 私たちは監理団体(組合)のサポートをほとんど受けられませんでした。組合の担当者(日本人)が私たちに会うのは技能試験の直前など年に1、2回だけで、通訳も連れてきません。そのときに「社長が厳し過ぎます」と訴えても取り合わず、「がんばってください」と言うのみでした。また、組合の通訳と実習生たちが連絡を取り合うLINEやメッセンジャーのグループもありませんでした。そこで、組合に連絡を取るには社長の奥さんに頼むしかありませんでした。 組合の代わりにサポートしてくれたNPOの吉水代表(右端)。左端が私。 来日して3年半経っても給料が上がらないので、私と同僚は2021年2月、社長や奥さんに「他社に転職したいです。組合と相談させてください」と告げました。社長は机をたたいて怒り、その日から私たちを無視するようになりました。私たちはFacebookで見た求人情報に連絡を取り、オンラインで一次面接を受けて合格しましたが、二次面接は対面なので、会社を休まなければなりません。私たちは奥さんに「転職の面接を受けたいので、明日、2時間だけ有給を取りたい」とお願いしましたが、「休みたいなら1週間前に言いなさい」と断られました。 このようなことが3回ぐらい続き、私たちは奥さんに何度も頼んで組合に来てもらい、2021年3月、社長、奥さん、組合担当者2人と転職について話し合いました。通訳も途中から電話で参加しました。私たちはその2日前からNPO法人「日越ともいき支援会」に相談し、転職する方法を理解していたので、組合担当者に転職手続きのサポートを依頼しました。しかし、担当者は「あなたたちのビザ(在留資格)では他社では働けない。そのNPOの人は悪い人で、あなたたちはだまされている」とウソをつきました。私たちは「組合がサポートしてくれないのなら、NPOに依頼します」と伝えました。 NPOの施設で合宿生活

    2021年09月17日

  • Vol. 63 北海道方式で農業実習

    今回の先輩  ゴ・ティ・テュ・タオさん 2010年 クロンボング高校卒業 2011年 ホーチミン食品工業大学入学 2015年 食品加工会社入社 2015年 ホーチミン食品工業大学卒業 2016年 日本語学校入学 2017年 訪日→講習→農業の技能実習(6月)〈北海道〉 2019年 日本語能力試験N2合格 2020年 技能実習修了 2021年 北見工業大学大学院入学 〈1992年生まれ、ダクラク省出身〉 タオさんは行き届いた環境で農業の技能実習を修了後、日本の大学院に進んだ。親切な農家の方々とのふれ合いやベトナム語禁止で寮生活を送って日本語力を磨いた様子などを紹介する。 〈このページの内容〉 • アルバイト先で「日本」と出会う • 技能実習制度を知って訪日決意 • 低額で優良な送出機関 • 「北海道方式」の農業実習 • 仕事で日本人とたくさん会話 • 寮でベトナム語禁止 • JAと監理団体のサポート • 技能実習→大学院 • 北海道での生活 アルバイト先で「日本」と出会う 日本の野菜〈イメージ写真〉 私が日本を意識したのは、大学時代にホーチミンのイオンモールにある日系の店で1年間アルバイトをしたのがきっかけでした。ドラ焼きやドーナツ、豆腐などを売る店です。上司の日本人女性は毎日7時から24時まで働いていましたが、遅くまで働いても不満そうにせず、私たちにもやさしくしてくれました。私が残業するときには、彼女が買ってくれたおやつを休憩時間に一緒にいただきました。私は彼女の働きぶりや気配りを見て、「日本人の働き方はすごい」と感心しました。 また、イオンのスーパーマーケットでは日本の野菜が売られています。ローカルの店より値段が高いのに買う人が多いので、不思議に思って手にすると、まず見た目がきれいでした。そして、買って食べてみたところ、味もよく、農薬が少ないだろうという安心感がありました。それ以降、私はレタスなど日本の野菜を買うようになりました。 こうして、私は日本にあこがれるようになりました。日本で働くか留学したいと思いましたが、お金がないので、そのときは方法が分かりませんでした。 技能実習制度を知って訪日決意 父の農園 私は大学で食品化学を専攻しました。父は小さなコーヒー農園を営んでいますが、私はいつか父の農園を拡張し、自分の専攻も生かして安全な農作物を作りたいと思っています。卒業後、小さな食品加工会社に入りましたが、半年でやめ、故郷のダクラク省に戻っていとこが経営する仏壇仏具の製造販売(工場管理)を手伝いました。しかし、これも本当にやりたい仕事ではありませんでした。 そんなとき、大学で仲良し3人組(女2人、男1人)の1人だった友人が技能実習で日本に行くことになりました。彼は私に「君も技能実習に行って、お父さんの農園を拡張するための資金を貯めたらどう?」と勧めました。私は自己資金なしでも日本に行ける技能実習の仕組みを初めて知り、自分も日本に行くことを即決しました。 低額で優良な送出機関 アルバイト先の日本料理店の前で同僚と〈ハノイで2015年〉 技能実習の送出機関は、彼と同じエスハイにしました。エスハイグループの日本語学校はカイゼン吉田学校で、私はここで10カ月間勉強しました。私は農業関連の求人を待ち、入学して3カ月後(2016年10月)に初めて採用面接を受けました。それに合格し、約半年後に北海道に行くことになりました。実習先は美幌町農業協同組合(JAびほろ)です。私は日本の栽培技術や農薬の基準などを学びたかったのです。 エスハイと吉田学校に支払った費用は合わせて約 90,000,000 VND(約431,700円)で、送出手数料や教育費を含めた総額です。ベトナム政府の費用規定を守っている数少ない送出機関の一つで、日本語教育にも定評があります。私は寮には住まず、これとは別に生活費が毎月約4,000,000 VNDかかりました(アパートを3人でシェア)。 ※100円=20,847 VND(2021年7月26日現在) external link 技能実習で本当はいくら貯金できるの? 「北海道方式」の農業実習 JAの方々と私たち技能実習生〈実習修了の日に選果場で〉 2017年、私は同期3人と一緒にJAびほろに赴任しました。ここの技能実習の1期生です。仕事内容は季節ごとに違いました。2~7月はJAの育苗センターや畑での仕事(苗植えなど)が中心で、7~10月は畑での収穫作業や選果場でニンジンの選別、11~4月はタマネギの選別などが中心です。 仕事時間も季節で違います。5、6月は毎日8.5時間、11~2月は7時間、それ以外の月は7.5時間でした。残業はあまりなく、帰宅してから勉強する時間が十分にありました。閑散期にも選果場での実習を盛り込んで労働時間を確保し、逆に繁忙期には少し労働時間を長くするだけで過密労働にならないようにする農業実習の方式は「北海道方式」などと呼ばれ、技能実習生に人気です。 畑に行くときは朝7時ぐらいにJAの人が車で迎えに来てくれます。畑では、機械で行う苗植えや収穫の際に、植え損なったり収穫し損なったりした部分を実習生が補います。また、雑草抜きもします。JAの選果場では、ベルトコンベアで運ばれてくる野菜のうち腐ったものや形の悪いもの小さ過ぎるものを手で取り上げ、別のコンベアに乗せます。 仕事で日本人とたくさん会話 畑で同僚と=右端が私〈2020年〉 JAの方々も農家の方々も私たちにとても親切にしてくれました。 畑では、草取りなどをしながら農家の方々とよく話をしました。ランチには弁当を持って行きますが、たいていは農家の人もおかずを分けてくれました。また、ランチ以外の1日2回の休憩のときには、お菓子やジュースを出していただき、食べながら談笑しました。選果場でも同じように親切にしていただきました。 そして、「ベトナムで安全な野菜を作りたい」という私の夢を話すと、農家の方々はいろいろなことを教えてくれました。たとえば、ニンジンの病気や予防法、ジャガイモとトマトを近くに植えると互いに病気になりやすいこと、有機栽培のやり方などをていねいに教えてくれました。 寮でベトナム語禁止 寮に掲げたベトナム語禁止のはり紙(右下に4人の署名と押印) ベトナムで日本語をしっかり勉強しましたが、来日当初はそれでも日本人の話す言葉をあまり聞き取れませんでした。しかし、仕事で日本人と話すことが多かったので、だんだんと会話力がついてきました。また、寮でも毎日3時間以上勉強しました。寮には勉強部屋もあり、1人1台ずつ机がありました。夕食後に4人で2時間勉強し、私は4時に起きてさらに1時間半勉強しました。睡眠は5時間半~6時間でした。 私は農業関係など日本の本を読めるようになりたかったのと、日本人ともっとコミュニケーションを取れるようになりたかったのです。同僚にも日本語教師や日系企業への就職など実習後の目標がありました。そこで、4人で話し合って、実家に電話するとき以外は寮でベトナム語を話さないという決まりをつくりました。違反すると罰金100円を共同貯金箱に入れなければなりません。こうして4人とも日本語能力試験(JLPT)N2を目指し、私を含む2人は実習中に合格しました。 JAと監理団体のサポート JAの人たちに連れられて観光 JAびほろの職員の方々は私たちの仕事・生活・学習を十分にサポートしてくれました。例えば、生活雑貨や本の買い出しのために別の町に車で連れて行ってくれたり、観光に連れて行ってくれたりしました。私たちは観光で行きたいところがあれば、JAの方々に相談します。北海道の観光地に行くには電車・バスだけでは難しく、車が必要だからです。すると、JAの方々は時間を作って私たちを観光地に連れて行ってくれることがありました。また、JAはJLPT受験を出張扱いにしてくれて、試験会場への交通費・宿泊費と受験料を出してくれました。 東亜総研の交流会で遊園地へ(右端が私) 監理団体の「東亜総研」の方々にもとてもお世話になりました。東亜総研の皆さんは日ごろから「困ったことはないですか」と聞いてくださり、将来の進路についても一緒に考えてくれました。また、実習生向けにJLPTの模擬試験も行い、年2回、地域の実習生を集めて遊園地や焼肉などを楽しむ交流会も開いてくれました。 公益財団法人「東亜総研」 kitami@toasoken.asia ※東亜総研の監理する技能実習に興味がある人はベトナム語で問い合わせができます。 東亜総研の交流会で焼肉 JLPTの模擬試験 技能実習→大学院 私は技能実習を終えて、同じ地域にある北見工業大学の大学院に留学しました。技能実習後に留学する場合、通常は一度母国に帰国して1年近く期間を空けなければなりません。しかし、新型コロナで帰国が難しかったのと、行政書士が、私が技能実習で学んだことと大学院で学ぶこととの関連性を入管に適切に説明してくれたお陰で、帰国せずに留学できました。 留学のきっかけは東亜総研の長澤さんの勧めでした。北見工業大学が外国人留学生の受け入れを本格化することを知った長澤さんが私を大学に紹介してくれたのです。私は実習が終わったら帰国しようと思っていましたが、実習修了の半年前に長澤さんから大学院のお話をいただき、留学生向けの試験を受けることにしました。 大学院の研究室で実験中(左は指導教官) 2020年5月に実習を終えた私は「特定活動」という在留資格で日本に残り、8月に大学院の入試を受けました。入試内容は、私のベトナムの大学での卒業論文を日本語資料(パワーポイント)にまとめて日本語で試験官に説明し、質問に受け答えすることでした。私は合格し、2021年4月から大学院に通っています。 学費は無料で、大学が見つけてくれた大口の奨学金と東亜総研での週1回のアルバイトで生活費をまかなっています。大学院では、残留農薬の毒性を分解する方法などを研究し、実験に明け暮れています。 北海道での生活 技能実習時代の寮 週に一度のスーパーへの買い出しは、夏は自転車で行きますが、美幌では12月末から3月末まで路面の雪が凍り、自転車に乗れません。そこで、仕事が終わってJAのバスで帰る際、仲間と一緒に途中で降りてスーパーに寄ります。スーパーから寮まではタクシーで帰りますが、そのときに「ベトナム語禁止」を破った際の罰金を貯めたお金を使いました。 北海道の冬は確かに寒いですが、室内の暖房は強く、外に出ている時間は短いです。また、選果場の方々が「暑い国から来たから、寒さがこたえるでしょう」とジャンパーや毛糸の帽子、手袋などをくれたので、気持ちも暖まりました。 同僚のベトナム人は同期も後輩も仲が良く、よくみんなで食事会をし、東京・横浜にも2回、一緒に行きました。本当は京都にも行きたかったのですが、新型コロナの関係でまだ実現していません。 私の家計簿(1カ月の平均) ※技能実習時代の家計簿 ※100円=20,847 VND(2021年7月26日現在) 収入(合計100,000円) 手取り給料  100,000円 ※税金、社会保険費、寮費を差し引いた額 ※このうち寮費・光熱費・Wi-Fi代が合計25,000円 支出(合計30,000円) 食費  15,000円 雑費 15,000円 ※生活用品、外食、交通費など 差額・貯金(合計70,000円) ※3年間で約250万円を実家に送金 今回の先輩  ゴ・ティ・テュ・タオさん 2010年 クロンボング高校卒業 2011年 ホーチミン食品工業大学入学 2015年 食品加工会社入社 2015年 ホーチミン食品工業大学卒業 2016年 日本語学校入学 2017年 訪日→講習→農業の技能実習(6月)〈北海道〉 2019年 日本語能力試験N2合格 2020年 技能実習修了 2021年 北見工業大学大学院入学 〈1992年生まれ、ダクラク省出身〉 タオさんは行き届いた環境で農業の技能実習を修了後、日本の大学院に進んだ。親切な農家の方々とのふれ合いやベトナム語禁止で寮生活を送って日本語力を磨いた様子などを紹介する。 〈このページの内容〉 • アルバイト先で「日本」と出会う • 技能実習制度を知って訪日決意 • 低額で優良な送出機関 • 「北海道方式」の農業実習 • 仕事で日本人とたくさん会話 • 寮でベトナム語禁止 • JAと監理団体のサポート • 技能実習→大学院 • 北海道での生活 アルバイト先で「日本」と出会う 私が日本を意識したのは、大学時代にホーチミンのイオンモールにある日系の店で1年間アルバイトをしたのがきっかけでした。ドラ焼きやドーナツ、豆腐などを売る店です。上司の日本人女性は毎日7時から24時まで働いていましたが、遅くまで働いても不満そうにせず、私たちにもやさしくしてくれました。私が残業するときには、彼女が買ってくれたおやつを休憩時間に一緒にいただきました。私は彼女の働きぶりや気配りを見て、「日本人の働き方はすごい」と感心しました。 また、イオンのスーパーマーケットでは日本の野菜が売られています。ローカルの店より値段が高いのに買う人が多いので、不思議に思って手にすると、まず見た目がきれいでした。そして、買って食べてみたところ、味もよく、農薬が少ないだろうという安心感がありました。それ以降、私はレタスなど日本の野菜を買うようになりました。 こうして、私は日本にあこがれるようになりました。日本で働くか留学したいと思いましたが、お金がないので、そのときは方法が分かりませんでした。 日本の野菜〈イメージ写真〉 技能実習制度を知って訪日決意 私は大学で食品化学を専攻しました。父は小さなコーヒー農園を営んでいますが、私はいつか父の農園を拡張し、自分の専攻も生かして安全な農作物を作りたいと思っています。卒業後、小さな食品加工会社に入りましたが、半年でやめ、故郷のダクラク省に戻っていとこが経営する仏壇仏具の製造販売(工場管理)を手伝いました。しかし、これも本当にやりたい仕事ではありませんでした。 そんなとき、大学で仲良し3人組(女2人、男1人)の1人だった友人が技能実習で日本に行くことになりました。彼は私に「君も技能実習に行って、お父さんの農園を拡張するための資金を貯めたらどう?」と勧めました。私は自己資金なしでも日本に行ける技能実習の仕組みを初めて知り、自分も日本に行くことを即決しました。 父の農園 低額で優良な送出機関 技能実習の送出機関は、彼と同じエスハイにしました。エスハイグループの日本語学校はカイゼン吉田学校で、私はここで10カ月間勉強しました。私は農業関連の求人を待ち、入学して3カ月後(2016年10月)に初めて採用面接を受けました。それに合格し、約半年後に北海道に行くことになりました。実習先は美幌町農業協同組合(JAびほろ)です。私は日本の栽培技術や農薬の基準などを学びたかったのです。 エスハイと吉田学校に支払った費用は合わせて約 90,000,000 VND(約431,700円)で、送出手数料や教育費を含めた総額です。ベトナム政府の費用規定を守っている数少ない送出機関の一つで、日本語教育にも定評があります。私は寮には住まず、これとは別に生活費が毎月約4,000,000 VNDかかりました(アパートを3人でシェア)。 ※100円=20,847 VND(2021年7月26日現在) external link 技能実習で本当はいくら貯金できるの? エスハイの仲間たち〈2017年のクリスマス〉 「北海道方式」の農業実習 2017年、私は同期3人と一緒にJAびほろに赴任しました。ここの技能実習の1期生です。仕事内容は季節ごとに違いました。2~7月はJAの育苗センターや畑での仕事(苗植えなど)が中心で、7~10月は畑での収穫作業や選果場でニンジンの選別、11~4月はタマネギの選別などが中心です。 仕事時間も季節で違います。5、6月は毎日8.5時間、11~2月は7時間、それ以外の月は7.5時間でした。残業はあまりなく、帰宅してから勉強する時間が十分にありました。閑散期にも選果場での実習を盛り込んで労働時間を確保し、逆に繁忙期には少し労働時間を長くするだけで過密労働にならないようにする農業実習の方式は「北海道方式」などと呼ばれ、技能実習生に人気です。 畑に行くときは朝7時ぐらいにJAの人が車で迎えに来てくれます。畑では、機械で行う苗植えや収穫の際に、植え損なったり収穫し損なったりした部分を実習生が補います。また、雑草抜きもします。JAの選果場では、ベルトコンベアで運ばれてくる野菜のうち腐ったものや形の悪いもの小さ過ぎるものを手で取り上げ、別のコンベアに乗せます。 JAの方々と私たち技能実習生〈実習修了の日に選果場で〉 仕事で日本人とたくさん会話 JAの方々も農家の方々も私たちにとても親切にしてくれました。 畑では、草取りなどをしながら農家の方々とよく話をしました。ランチには弁当を持って行きますが、たいていは農家の人もおかずを分けてくれました。また、ランチ以外の1日2回の休憩のときには、お菓子やジュースを出していただき、食べながら談笑しました。選果場でも同じように親切にしていただきました。 そして、「ベトナムで安全な野菜を作りたい」という私の夢を話すと、農家の方々はいろいろなことを教えてくれました。たとえば、ニンジンの病気や予防法、ジャガイモとトマトを近くに植えると互いに病気になりやすいこと、有機栽培のやり方などをていねいに教えてくれました。 畑で同僚と=右端が私〈2020年〉 寮でベトナム語禁止 ベトナムで日本語をしっかり勉強しましたが、来日当初はそれでも日本人の話す言葉をあまり聞き取れませんでした。しかし、仕事で日本人と話すことが多かったので、だんだんと会話力がついてきました。また、寮でも毎日3時間以上勉強しました。寮には勉強部屋もあり、1人1台ずつ机がありました。夕食後に4人で2時間勉強し、私は4時に起きてさらに1時間半勉強しました。睡眠は5時間半~6時間でした。 私は農業関係など日本の本を読めるようになりたかったのと、日本人ともっとコミュニケーションを取れるようになりたかったのです。同僚にも日本語教師や日系企業への就職など実習後の目標がありました。そこで、4人で話し合って、実家に電話するとき以外は寮でベトナム語を話さないという決まりをつくりました。違反すると罰金100円を共同貯金箱に入れなければなりません。こうして4人とも日本語能力試験(JLPT)N2を目指し、私を含む2人は実習中に合格しました。 寮に掲げたベトナム語禁止のはり紙(右下に4人の署名と押印) JAと監理団体のサポート JAびほろの職員の方々は私たちの仕事・生活・学習を十分にサポートしてくれました。例えば、生活雑貨や本の買い出しのために別の町に車で連れて行ってくれたり、観光に連れて行ってくれたりしました。私たちは観光で行きたいところがあれば、JAの方々に相談します。北海道の観光地に行くには電車・バスだけでは難しく、車が必要だからです。すると、JAの方々は時間を作って私たちを観光地に連れて行ってくれることがありました。また、JAはJLPT受験を出張扱いにしてくれて、試験会場への交通費・宿泊費と受験料を出してくれました。 JAの人たちに連れられて観光 監理団体の「東亜総研」の方々にもとてもお世話になりました。東亜総研の皆さんは日ごろから「困ったことはないですか」と聞いてくださり、将来の進路についても一緒に考えてくれました。また、実習生向けにJLPTの模擬試験も行い、年2回、地域の実習生を集めて遊園地や焼肉などを楽しむ交流会も開いてくれました。 公益財団法人「東亜総研」 kitami@toasoken.asia ※東亜総研の監理する技能実習に興味がある人はベトナム語で問い合わせができます。 東亜総研の交流会で遊園地へ(右端が私) 東亜総研の交流会で焼肉 JLPTの模擬試験 技能実習→大学院 私は技能実習を終えて、同じ地域にある北見工業大学の大学院に留学しました。技能実習後に留学する場合、通常は一度母国に帰国して1年近く期間を空けなければなりません。しかし、新型コロナで帰国が難しかったのと、行政書士が、私が技能実習で学んだことと大学院で学ぶこととの関連性を入管に適切に説明してくれたお陰で、帰国せずに留学できました。 留学のきっかけは東亜総研の長澤さんの勧めでした。北見工業大学が外国人留学生の受け入れを本格化することを知った長澤さんが私を大学に紹介してくれたのです。私は実習が終わったら帰国しようと思っていましたが、実習修了の半年前に長澤さんから大学院のお話をいただき、留学生向けの試験を受けることにしました。 2020年5月に実習を終えた私は「特定活動」という在留資格で日本に残り、8月に大学院の入試を受けました。入試内容は、私のベトナムの大学での卒業論文を日本語資料(パワーポイント)にまとめて日本語で試験官に説明し、質問に受け答えすることでした。私は合格し、2021年4月から大学院に通っています。 学費は無料で、大学が見つけてくれた大口の奨学金と東亜総研での週1回のアルバイトで生活費をまかなっています。大学院では、残留農薬の毒性を分解する方法などを研究し、実験に明け暮れています。 大学院の研究室で実験中(左は指導教官) 技能実習→北海道での生活大学院 週に一度のスーパーへの買い出しは、夏は自転車で行きますが、美幌では12月末から3月末まで路面の雪が凍り、自転車に乗れません。そこで、仕事が終わってJAのバスで帰る際、仲間と一緒に途中で降りてスーパーに寄ります。スーパーから寮まではタクシーで帰りますが、そのときに「ベトナム語禁止」を破った際の罰金を貯めたお金を使いました。 北海道の冬は確かに寒いですが、室内の暖房は強く、外に出ている時間は短いです。また、選果場の方々が「暑い国から来たから、寒さがこたえるでしょう」とジャンパーや毛糸の帽子、手袋などをくれたので、気持ちも暖まりました。 同僚のベトナム人は同期も後輩も仲が良く、よくみんなで食事会をし、東京・横浜にも2回、一緒に行きました。本当は京都にも行きたかったのですが、新型コロナの関係でまだ実現していません。 技能実習時代の寮 私の家計簿(1カ月の平均) ※技能実習時代の家計簿 ※100円=20,847 VND(2021年7月26日現在) 収入(合計100,000円) 手取り給料  100,000円 ※税金、社会保険費、寮費を差し引いた額 ※このうち寮費・光熱費・Wi-Fi代が合計25,000円 支出(合計30,000円) 食費  15,000円 雑費 15,000円 ※生活用品、外食、交通費など 差額・貯金(合計70,000円) ※3年間で約250万円を実家に送金

    2021年08月06日

  • Vol. 60 技能実習で本当はいくら貯金できるの?

    技能実習の3年間でいったいいくら貯金できるのでしょうか? 実習生が3年間で送金できる額は職場によって違います(これは高い送出機関を使っても同じです)。しかし、日本での給料が少ない場合でも、訪日前の送出機関への支払いが少なければ、平均以上の貯金をすることができます。 技能実習でいくら貯金できるか 日本で3年間技能実習をすれば、いったいいくら貯金できるのでしょうか?「日本に行くための借金を返済しても、さらに500,000,000 VND(約237万円)貯金できる」と勧誘する人もいます。確かにそのようなケースもありますが、決して多数ではありません。 ※100円=21,115 VND(2021年4月8日現在) 約40人の技能実習経験者へのヒアリングから典型的な8例をセレクトし、実習生が3年間で貯金できた金額とその背景を紹介します。後半では「送出機関の選び方」もお伝えします。それでは、8人のうち3年間で貯金できた額の少なかった事例から順に紹介します。 8位:234,800,000 VND 2017年から3年間、食品加工場で技能実習をした先輩の事例です。3年間の送金額が平均より少し少ないことに加え、送出機関への支払い額が平均より大きかったことが、貯金の少ない要因です。 A:送出機関に支払った額 187,500,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥2,000,000 422,300,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 234,800,000 ₫ 7位:283,790,000 VND 2014年から3年間、静岡県の電気器具部品工場で実習した先輩の事例です。 ・送出機関に支払った額は平均的ですが、政府の規定よりはかなり多いです。 ・日本での手取り給料があまり多くありませんでした。 A:送出機関に支払った額 138,510,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥2,000,000 422,300,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 283,790,000 ₫ 6位:307,875,000 VND 2016年から3年間、食品加工場で技能実習をした先輩の事例です。ベトナムへの送金額は平均的ですが、送出機関にかなり多くの費用を支払ったため、残ったお金が少なくなりました。 A:送出機関に支払った額 220,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥2,500,000 527,875,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 307,875,000 ₫ 5位:332,300,000 VND 2015年から3年間、栃木県の医療機器工場で技能実習をした先輩の事例です。インターネットで評判のよい送出機関を探して1年間勉強してから日本に行きました。 残業代が少なく、ベトナムに送金できた額は平均より少なかったのですが、送出機関に支払った費用が安かったので、借金返済には困りませんでした。また、送出機関の日本語教育がよく、日本語力をつけてから訪日したので、職場の日本人たちと仲良くなり、満足度が高い実習生活を送れました。 親切な先輩や多くの仲間と楽しい日本生活(送出機関を紹介) A:送出機関に支払った額 90,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥2,000,000 422,300,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 332,300,000 ₫ 4位:412,875,000 VND 2019年から鹿児島県のパン工房で技能実習をしている先輩の事例です。3年間でベトナムに送金できそうな額は平均的ですが、送出機関に支払った額が少ないので、貯金額は平均以上になりそうです。 また、職場の日本人がみな親切なのと、監理団体(受入組合)の担当者がとても親切なので、日本で充実した生活を送っています。 いきいきとパン作り(送出機関と監理団体を紹介) A:送出機関に支払った額 115,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送るお金(予想) ¥2,500,000 527,875,000 ₫ B-A:残るお金(貯金・予想) 412,875,000 ₫ 3位:446,220,000 VND 2016年から3年間、食品加工場で技能実習をした先輩の事例です。送出機関に支払った額は平均的ですが政府の規定よりは高いです。しかし、ベトナムへの送金額は平均以上を確保できたので、残ったお金も多くなりました。ただし、平均以上の送金をできるかどうかは訪日前には分かりにくいので、費用の少ない送出機関を選ぶ方がより確実に平均以上の貯金を残せます。 A:送出機関に支払った額 145,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥2,800,000 591,220,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 446,220,000 ₫ 2位:528,450,000 VND 2019年から東京の水産加工場で技能実習をしている先輩の事例です。ベトナム政府の費用規定を守っている送出機関を選び、送出機関への支払いが少なかったので、平均よい多い貯金になりそうです。 優良な送出機関を選んで無借金で技能実習(送出機関を紹介) A:送出機関に支払った額 105,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送るお金(予想) ¥3,000,000 633,450,000 ₫ B-A:残るお金(貯金・予想) 528,450,000 ₫ 1位:538,450,000 VND 2017年から3年間、宮崎県の農場や併設の食品加工場で技能実習をした先輩の事例です。ベトナムの日本語学校で2年間学んでから訪日。職場で技能実習生のリーダー的存在になり、2020年から同じ職場で特定技能外国人になりました。 「送出機関に支払った額」には日本語学校の授業料も含まれています。この学校では、生徒が1年半~2年間勉強し、日本語能力試験(JLPT)N3レベルになってから日本に行きます。授業料は月2,000,000 VNDで、遠方の生徒も受け入れます。生徒に紹介する技能実習先は、教師たちが現地を訪問して給料や職場環境などを調べて選んだ職場だけです。また、送出機関には国が決めた手数料しか支払いません。 技能実習から特定技能へ(日本語学校を紹介) A:送出機関に支払った額 95,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥3,000,000 633,450,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 538,450,000 ₫ まとめ 技能実習生が3年間でベトナムに送金できる額は多くの場合、200万円~300万円(約422,000,000~634,000,000 VND)です。これは高い送出機関を使っても安い送出機関を使っても同じです。そこで、より多くの貯金を残すためには、費用の少ない送出機関を探すことが大切です。 ベトナム政府の規定では、送出機関による日本語教育費は約520時間に対し590万ドン以下、送出手数料は3,600ドル以下(3年契約の場合)となっています。しかし、実際の費用はこれよりかなり高くなっています。費用が高くなる背景には次のようなものがあります。 ・日本の監理団体(組合)への謝礼=技能実習の求人1人につき1,000~1,500ドル ・実習生を送出機関に紹介する人(ブローカー)への謝礼=1人につき500~1,500ドル こうした費用は実習生から送出機関への支払いに上乗せされます。しかし、最近はこのような謝礼を払わない送出機関も少しずつ増えてきました。こうした送出機関を探すと、支払いが少なくなり、3年間の技能実習で残せるお金も増えることになります。 送出機関の選び方 それでは、良心的な送出機関や監理団体をどうやって探したらよいのでしょうか? ポイントをお伝えします。 送出機関を選ぶ手順 インターネットで情報収集 「信用できる送出機関ランキング」などのキーワードで検索します。 技能実習の先輩から情報収集 帰国した人より現在日本にいる現役の実習生から話を聞く方が有効です。 送出機関に直接連絡 送出機関に自分で直接連絡して申し込むだけで、紹介手数料(500~1,500 USD)を節約できます。 監理団体(受入組合)に直接連絡 日本に行ってからのケアを重視するなら、最初に監理団体を選ぶのが得策です。監理団体のケアは非常に重要です。 送出機関を訪ねる できれば授業も見学しましょう。 送出機関を選ぶ際のポイント 先輩たちが支払った費用 技能実習生の求人を紹介した受入組合の幹部に求人1人につき1,000~1,500ドルの謝礼が支払われる事例がまん延しています。その費用は実習生から送出機関への支払いに上乗せされます。 給料、生活費、送金額 KOKOROサイトのすべての体験談に先輩たちの給料や生活費、送金額が掲載されています。 送出機関での日本語教育の内容 日本語力をある程度身に付けてから日本に行った方が職場に溶け込みやすく、日本で日本語も上達します。日本語力を高めると、その後の就職にも有利です。 給料以外の処遇、監理団体のケアの内容 技能実習では給料以外の処遇や監理団体のケアも非常に大切ですが、監理団体によって実習生のケアに大きな差があります。 紹介手数料(紹介者への謝礼)の有無 紹介手数料を禁止している送出機関は、政府が決めた費用規定を守っていることが多く、良心的な紹介やケアを期待できる可能性が高くなります。 DOLABの認定 ベトナム労働・傷病兵・社会省(MOLISA)の海外労働管理局(DOLAB)から認定された送出機関は日本の外国人技能実習機構(OTIT)のHPに掲載されています。 外国政府認定送出機関一覧(OTIT) それでは、この記事を参考に送出機関を上手に選び、無駄な支出のない技能実習を目指してください。

    2021年04月13日

  • Vol. 59 試験に合格し特定技能に

    今回の先輩 グエン・ヴァン・トゥエンさん 2013年 中学卒業、縫製工場に勤務 2017年 送出機関に登録〈ハノイ〉 2017年 訪日→講習→技能実習〈鹿児島県〉 2020年 支援団体に仮住まい〈東京〉 2021年 ラーメン店経営会社に就職内定 〈1998年生まれ、ナムディン省出身〉 建築の技能実習中にJLPT・N2に合格したトゥエンさん。「外食」の技能測定試験を受けて合格し、特定技能でラーメン店経営会社に勤務することが決まった。トゥエンさんの実習生活や就活について紹介する。 〈このページの内容〉 • 海外で働いてみたかった • とび職の仕事 • 自習でN3、N2に合格 • 最初は給料少なく、失踪も検討 • 失踪しなかったその他の理由 • 鹿児島の親切な人たち • 特定技能を目指すことに • 技能試験に合格し他社に内定 海外で働いてみたかった 送出機関の仲間たち〈ハノイで2017年〉 私は中学を卒業後、縫製工場で働いていましたが、ある日、遠縁の親せきから技能実習生として日本に行くように勧められました。「3年間で、日本に行くための借金を返し、さらに250万円貯金できる」という説明で、両親と話し合い、日本に行くことにしました。私は以前からいつか海外で働いてみたいと思っていたので、ちょうどよい誘いだったのです。 翌月、親せきから紹介されたハノイの送出機関の研修施設に入り、1週間後に初めて面接を受けて合格しました。それから約6カ月間、この施設で勉強し、送出機関には総額約200,000,000 VND(ベトナムドン、約95万円)を支払いました。そのうち約20,000,000 VNDは保証金で、私が実習中に失踪したり会社で評判が悪かったりすると保証金は返さないという取り決めでした。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・保証金や紹介手数料は規定違反です。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 〈参考〉こんなに違う送出機関の費用 とび職の仕事 建築現場で働く私(左)〈鹿児島県で2018年〉 私は技能実習には建築以外にもいろいろな業種があることや建築が人気のない業種であることを知りませんでした。研修施設に入ってからほかの職種があることを知りましたが、もう面接に合格していたので、そのまま日本に行きました。私は2017年12月に日本に来ました。実習先は鹿児島県で、実習生は私を入れて9人でした。「機械を使うから楽で安全な仕事」と送出機関から説明を受けていましたが、実際は、きつい肉体労働でした。私の職場では、手すりなどの資材や工具を投げて受け渡しする人が多く、危険を感じました。4、5㍍先から資材や工具を投げてくるので、手が痛いですし、取り損なったら怒られるので、大変でした。 ただ、週末には息抜きができました。スーパーに買い物に行くと、他社のベトナム人実習生と知り合います。自社の同僚や他社の実習生と一緒に互いの寮で飲み会をしたり、一緒に観光に出かけたりしました。 自習でN3、N2に合格 ハノイの送出機関では毎日7時間授業があり、「みんなの日本語」を半年間で25課まで習いました。また、それ以外に自分で38課まで学習しました。1クラス約20人で、私の成績はクラスで4番目でした。日本に来てからも、毎晩、寮で2時間勉強しました。教材は「新完全マスター」シリーズと「耳から覚える」シリーズでした。私は訪日2年目に日本語能力試験(JLPT)のN3とN2に立て続けに合格しました。 日本語学習に対する会社のサポートはなく、N3やN2に合格しても給料は上がりませんでした。また、受検の際の交通費も受検料も自己負担でした。ただ、監理団体(受入組合)はN3合格の際は1万円、N2合格の際には2万円をくれました。 最初は給料少なく、失踪も検討 JLPTの受検会場近くで撮影した鹿児島県の街並み〈2019年12月〉 私の手取り給料は最初の2年間は8万~12万円で、3年目は15万円(約31,600,000 VND)の月もありました。3年間で実家に送金した額は約250万円(約526,800,000 VND)で、勧誘した親せきの説明より約100万円少ない額でした。 手取り給料が8万円しかなかったときは、失踪してもっと給料の高い仕事(不法就労)を探そうと思ったこともあります。しかし、すぐには失踪せず、JLPT・N3に合格してから失踪しようと思い、勉強に力を入れました。失踪中に警察に捕まってベトナムに強制送還されても、N3以上の合格証を持っていればベトナムでよい仕事があるだろうと考えたからです。こうして、私は訪日して1年半後にN3に合格しました。しかし、「この日本語力ではまだ仕事に使えない」と思って引き続き勉強を続け、その半年後にN2に受かりました。 失踪しなかったその他の理由 近所の公園で同僚と食事会〈2018年〉 私がN2に合格したころ、職場の先輩実習生4人が帰国し、私たちの仕事が増えました。私たち同期5人は「先輩がいなくなって仕事が増えるので、時給を上げてほしい」と上司に訴え、少しだけ時給を上げてもらうことができました。私が失踪しなかった大きな理由はJLPT合格という目標があったからですが、ほかにも次のような背景がありました。 • 寮費・光熱費・Wi-Fi費用が合計10,000円で、非常に低額だった。 • 現場への移動時間(片道10分~2時間)に対しても時給が支払われた。 ※移動時間に時給が支払われない職場もあります。 • 先輩が帰国した際に会社が時給アップに応じてくれた。 • 社内にも寮の近所にも親切な日本人がいて交流があった。 • 職場での暴力はなかった。 ※「バカ」「なにさぼってるんだ」「早くしろ」と言われることもありましたが、日本語会話がある程度できたので、半分冗談だと分かり、気になりませんでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,070 VND(2021年4月8日現在) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 平均110,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費(水道・光熱とWi-Fi含む)は10,000円 支出(合計25,000~35,000円) 食費 20,000~25,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 5,000~10,000円 差額・貯金(平均80,000円) 貯金 80,000円 ※実家に送金 鹿児島の親切な人たち 平井さんを通じて交流が深まった地域のベトナム人仲間〈2018年のハロウィンで〉 寮の近所に銀行勤務の平井さんという男性がいて、地域の実習生仲間の紹介で知り合いました。平井さんは畑で野菜を栽培しており、そこでとれた野菜(トマト、白菜、ブロッコリー、タマネギ、サツマイモ、スイカなど)を私たち技能実習生の部屋にときどき持ってきてくれました。また、平井さんがたくさんのビールやお菓子を持って私たちの部屋に訪れ、実習生数人で一緒に飲むこともありました。逆に、私たちは平井さんの畑で草むしりをしたり料理を作って平井さんに届けたりしました。私たちは平井さんのことを「お父さん」と呼んでいました。 送別旅行〈鹿児島県で2020年〉 会社にも親切な日本人がいました。遠坂さんという50代の先輩とはよく一緒の現場に行きましたが、いつもやさしくしてくれました。また、遠坂さんは休日に私をよく車で海釣りに連れて行ってくれました。私は遠坂さんの分も弁当(春巻きなど)を作って持って行きました。遠坂さんを私たちの部屋に呼んで食事会をしたことも何度かあります。私が鹿児島を離れる際には、遠坂さんら日本人2人と同僚のベトナム人3人と一緒に送別旅行をしました。鹿児島県の指宿(いぶすき)への1泊旅行で、費用は会社が出してくれました。 特定技能を目指すことに ボランティア・グループの交流会〈名古屋市で2020年〉 私は訪日して2年目(2019年)、ベトナム人のボランティア・グループに入りました。普段は困っているベトナム人のために寄付をしたりFacebookで交流したりするだけですが、2020年にこのグループの交流会が名古屋であり、私も参加しました。このときに一緒に行動したメンバーの1人から特定技能のことを教えてもらいました。私は技能実習が終わってからも日本で働きたかったので、特定技能で雇ってくれる会社を探すことにしました。 そんなとき、FBで 日越ともいき支援会の吉水代表のことを知り、日本人の友だちがほしかったので友だちリクエストと自己紹介を送りました。吉水さんに特定技能のことも相談すると、「希望する業種の技能測定試験に合格すれば、建築とは違う業種でも特定技能外国人になれる」と教えてもらえました。 技能試験に合格し他社に内定 技能測定試験を受けるために訪れた博多駅〈2020年〉 私は技能測定試験の過去問題を調べるなどして勉強し、2020年12月、「外食業」と「飲食料品製造業」の試験に合格しました。私は試験を受けるために鹿児島から新幹線で博多駅(福岡市)に行き、試験開始に間に合わないので駅からタクシーに乗りました。タクシーに乗るのは日本で初めてです。ベトナムのタクシーと比べて料金がとても高く、十数分乗っただけで約2,500円かかりました。料金メーターがすごいスピードで上がるので、途中で降りたくなったほどです。 同じころ、技能実習としての在留資格は12月に終わるので、監理団体にお願いして帰国準備のための特定活動(6カ月)という在留資格に切り替えてもらいました。実習修了後、東京の日越ともいき支援会を訪ねて一時的に住ませてもらい、支援会とつながりのある千葉県のラーメン店経営会社の面接を受けて合格しました。それから4カ月近く経った現在は、特定技能の在留資格への変更手続き中で、在留資格の規定でまだ働けないので、支援会で仮住まいを続けています。この会社は日本全国に店がありベトナムにも2店あります。私は店で接客をしながらさらに日本語を磨き、将来はこの会社のベトナム事業にも貢献できたらと思っています。 今回の先輩 (グエン・ヴァン・トゥエン)さん 2013年 中学卒業、縫製工場に勤務 2017年 送出機関に登録〈ハノイ〉 2017年 訪日→講習→技能実習〈鹿児島〉 2020年 支援団体に仮住まい〈東京〉 2021年 ラーメン店経営会社に就職内定 〈1998年生まれ、ナムディン省出身〉 建築の技能実習中にJLPT・N2に合格したトゥエンさん。「外食」の技能測定試験を受けて合格し、特定技能でラーメン店経営会社に勤務することが決まった。トゥエンさんの実習生活や就活について紹介する。 〈Nội dung〉 • 海外で働いてみたかった • とび職の仕事 • 自習でN3、N2に合格 • 最初は給料少なく、失踪も検討 • 失踪しなかったその他の理由 • 鹿児島の親切な人たち • 特定技能を目指すことに • 技能試験に合格し他社に内定 海外で働いてみたかった 私は中学を卒業後、縫製工場で働いていましたが、ある日、遠縁の親せきから技能実習生として日本に行くように勧められました。「3年間で、日本に行くための借金を返し、さらに250万円貯金できる」という説明で、両親と話し合い、日本に行くことにしました。私は以前からいつか海外で働いてみたいと思っていたので、ちょうどよい誘いだったのです。 翌月、親せきから紹介されたハノイの送出機関の研修施設に入り、1週間後に初めて面接を受けて合格しました。それから約6カ月間、この施設で勉強し、送出機関には総額約200,000,000 VND(ベトナムドン、約95万円)を支払いました。そのうち約20,000,000 VNDは保証金で、私が実習中に失踪したり会社で評判が悪かったりすると保証金は返さないという取り決めでした。 送出機関の仲間たち〈ハノイで2017年〉 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・保証金や紹介手数料は規定違反です。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 〈参考〉こんなに違う送出機関の費用 とび職の仕事 私は技能実習には建築以外にもいろいろな業種があることや建築が人気のない業種であることを知りませんでした。研修施設に入ってからほかの職種があることを知りましたが、もう面接に合格していたので、そのまま日本に行きました。私は2017年12月に日本に来ました。実習先は鹿児島県で、実習生は私を入れて9人でした。「機械を使うから楽で安全な仕事」と送出機関から説明を受けていましたが、実際は、きつい肉体労働でした。私の職場では、手すりなどの資材や工具を投げて受け渡しする人が多く、危険を感じました。4、5㍍先から資材や工具を投げてくるので、手が痛いですし、取り損なったら怒られるので、大変でした。 ただ、週末には息抜きができました。スーパーに買い物に行くと、他社のベトナム人実習生と知り合います。自社の同僚や他社の実習生と一緒に互いの寮で飲み会をしたり、一緒に観光に出かけたりしました。 建築現場で働く私(左)〈鹿児島県で2018年〉 自習でN3、N2に合格 ハノイの送出機関では毎日7時間授業があり、「みんなの日本語」を半年間で25課まで習いました。また、それ以外に自分で38課まで学習しました。1クラス約20人で、私の成績はクラスで4番目でした。日本に来てからも、毎晩、寮で2時間勉強しました。教材は「新完全マスター」シリーズと「耳から覚える」シリーズでした。私は訪日2年目に日本語能力試験(JLPT)のN3とN2に立て続けに合格しました。 日本語学習に対する会社のサポートはなく、N3やN2に合格しても給料は上がりませんでした。また、受検の際の交通費も受検料も自己負担でした。ただ、監理団体(受入組合)はN3合格の際は1万円、N2合格の際には2万円をくれました。 最初は給料少なく、失踪も検討 私の手取り給料は最初の2年間は8万~12万円で、3年目は15万円(約31,600,000 VND)の月もありました。3年間で実家に送金した額は約250万円(約526,800,000 VND)で、勧誘した親せきの説明より約100万円少ない額でした。 手取り給料が8万円しかなかったときは、失踪してもっと給料の高い仕事(不法就労)を探そうと思ったこともあります。しかし、すぐには失踪せず、JLPT・N3に合格してから失踪しようと思い、勉強に力を入れました。失踪中に警察に捕まってベトナムに強制送還されても、N3以上の合格証を持っていればベトナムでよい仕事があるだろうと考えたからです。こうして、私は訪日して1年半後にN3に合格しました。しかし、「この日本語力ではまだ仕事に使えない」と思って引き続き勉強を続け、その半年後にN2に受かりました。 JLPTの受検会場近くで撮影した鹿児島県の街並み〈2019年12月〉 失踪しなかったその他の理由 私がN2に合格したころ、職場の先輩実習生4人が帰国し、私たちの仕事が増えました。私たち同期5人は「先輩がいなくなって仕事が増えるので、時給を上げてほしい」と上司に訴え、少しだけ時給を上げてもらうことができました。私が失踪しなかった大きな理由はJLPT合格という目標があったからですが、ほかにも次のような背景がありました。 • 寮費・光熱費・Wi-Fi費用が合計10,000円で、非常に低額だった。 • 現場への移動時間(片道10分~2時間)に対しても時給が支払われた。 ※移動時間に時給が支払われない職場もあります。 • 先輩が帰国した際に会社が時給アップに応じてくれた。 • 社内にも寮の近所にも親切な日本人がいて交流があった。 • 職場での暴力はなかった。 ※「バカ」「なにさぼってるんだ」「早くしろ」と言われることもありましたが、日本語会話がある程度できたので、半分冗談だと分かり、気になりませんでした。 近所の公園で同僚と食事会〈2018年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,070 VND(2021年4月8日現在) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 平均110,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費(水道・光熱とWi-Fi含む)は10,000円 支出(合計25,000~35,000円) 食費 20,000~25,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 5,000~10,000円 差額・貯金(平均80,000円) 貯金 80,000円 ※実家に送金 鹿児島の親切な人たち 寮の近所に銀行勤務の平井さんという男性がいて、地域の実習生仲間の紹介で知り合いました。平井さんは畑で野菜を栽培しており、そこでとれた野菜(トマト、白菜、ブロッコリー、タマネギ、サツマイモ、スイカなど)を私たち技能実習生の部屋にときどき持ってきてくれました。また、平井さんがたくさんのビールやお菓子を持って私たちの部屋に訪れ、実習生数人で一緒に飲むこともありました。逆に、私たちは平井さんの畑で草むしりをしたり料理を作って平井さんに届けたりしました。私たちは平井さんのことを「お父さん」と呼んでいました。 平井さんを通じて交流が深まった地域のベトナム人仲間〈2018年のハロウィンで〉 会社にも親切な日本人がいました。遠坂さんという50代の先輩とはよく一緒の現場に行きましたが、いつもやさしくしてくれました。また、遠坂さんは休日に私をよく車で海釣りに連れて行ってくれました。私は遠坂さんの分も弁当(春巻きなど)を作って持って行きました。遠坂さんを私たちの部屋に呼んで食事会をしたことも何度かあります。私が鹿児島を離れる際には、遠坂さんら日本人2人と同僚のベトナム人3人と一緒に送別旅行をしました。鹿児島県の指宿(いぶすき)への1泊旅行で、費用は会社が出してくれました。 送別旅行〈鹿児島県で2020年〉 特定技能を目指すことに 私は訪日して2年目(2019年)、ベトナム人のボランティア・グループに入りました。普段は困っているベトナム人のために寄付をしたりFacebookで交流したりするだけですが、2020年にこのグループの交流会が名古屋であり、私も参加しました。このときに一緒に行動したメンバーの1人から特定技能のことを教えてもらいました。私は技能実習が終わってからも日本で働きたかったので、特定技能で雇ってくれる会社を探すことにしました。 そんなとき、FBで 日越ともいき支援会の吉水代表のことを知り、日本人の友だちがほしかったので友だちリクエストと自己紹介を送りました。吉水さんに特定技能のことも相談すると、「希望する業種の技能測定試験に合格すれば、建築とは違う業種でも特定技能外国人になれる」と教えてもらえました。 ボランティア・グループの交流会〈名古屋市で2020年〉 技能試験に合格し他社に内定 私は技能測定試験の過去問題を調べるなどして勉強し、2020年12月、「外食業」と「飲食料品製造業」の試験に合格しました。私は試験を受けるために鹿児島から新幹線で博多駅(福岡市)に行き、試験開始に間に合わないので駅からタクシーに乗りました。タクシーに乗るのは日本で初めてです。ベトナムのタクシーと比べて料金がとても高く、十数分乗っただけで約2,500円かかりました。料金メーターがすごいスピードで上がるので、途中で降りたくなったほどです。 同じころ、技能実習としての在留資格は12月に終わるので、監理団体にお願いして帰国準備のための特定活動(6カ月)という在留資格に切り替えてもらいました。実習修了後、東京の日越ともいき支援会を訪ねて一時的に住ませてもらい、支援会とつながりのある千葉県のラーメン店経営会社の面接を受けて合格しました。それから4カ月近く経った現在は、特定技能の在留資格への変更手続き中で、在留資格の規定でまだ働けないので、支援会で仮住まいを続けています。この会社は日本全国に店がありベトナムにも2店あります。私は店で接客をしながらさらに日本語を磨き、将来はこの会社のベトナム事業にも貢献できたらと思っています。 技能測定試験を受けるために訪れた博多駅〈2020年〉

    2021年04月12日

主催者

Nhà tài trợ Bạch Kim

後援

  • 在ベトナム日本国大使館
  • 国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
  • JNTOハノイ事務所
  • 関西経済連合会
  • 一般社団法人 国際人流振興協会
  • 公益社団法人 ベトナム協会
  • NPO法人 日越ともいき支援会

協力

JASSO(日本学生支援機構)

外国人労働者弁護団

WA.SA.Bi.