体験談(技能) | 最新ニュース

VOL. 91 来日後も勉強を続け職場のリーダーに

食品工場で技能実習生から特定技能外国人になったトゥエットさん。彼女は、来日直後は日本人の話すことが全然わかりませんでしたが、毎日3時間勉強を続け、数カ月で少し会話ができるようになり、2年でJLPT・N3に合格しました。今は、職場のベトナム人のリーダーとして活躍しています。 今回の先輩 グエン・ティ・トゥエットさん 2017年高校卒業〈ハイズオン省〉...

2023年05月29日
  • VOL. 88 支援団体の支援で在留延長と再就職

    2023年03月17日
    作業の準備・後片付け(毎日約2時間)に残業代が支払われないなど、建設の技能実習生の平均よりかなり低い給料で働かされたうえ、職場での暴力・暴言もあって失踪したフイさん。一度は日本が大嫌いになりましたが、支援団体のサポートで日本滞在を延長して働き、特定技能の試験にも合格しました。 今回の先輩 カ・チャン・ホアン・フイさん 2013年高校卒業〈ホーチミン市〉 2013年観光バスの添乗員〈タイニン省〉 2016年トラック運転手〈ロンアン省〉 2019年送出機関で勉強〈ホーチミン市〉 2019年来日→講習→技能実習〈山梨県〉 2020年失踪し、友人宅に4カ月間滞在〈東京〉 2021年日越ともいき支援会で保護〈東京〉 2021年アルバイト〈北海道、長野、鹿児島〉 2022年一時帰国 〈1995年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 • 日本語をほとんど学ばずに来日 • コンクリート関係の仕事 • 長い移動時間に睡眠禁止 • 十分にもらえなかった残業代 • 私の家計簿 • 低賃金と暴力・暴言 • 組合に相談しても改善せず • 失踪中の生活 •「日越ともいき支援会」に助けられ • 漁業やレストランでアルバイト • これからも日本で働く 日本語をほとんど学ばずに来日 私は高校を出て、観光バスの添乗員やトラック運転手をしていましたが、毎月の給料は約7,000,000 VNDしかありませんでした。そんなとき、いとこが日本に技能実習に行って順調に働いていたので、私も出稼ぎのために技能実習をすることになりました。 私は送出機関に登録し、会社の面接を待ちながら日本語で自己紹介をする練習をしました。2019年4月に面接に合格後、きちんとした日本語の授業を受けましたが、それは3カ月間だけだったので、ほとんど日本語が分からない状態で日本に行きました。送出機関には132,000,000VND(当時のレートで約65万円)を支払い、これ以外に寮費や食費(外食)なども必要でした。 コンクリート関係の仕事 生コンクリートを送り込むトラック(イメージ写真) こうして私は2019年7月に来日し、翌月からコンクリート関係の技能実習を始めました。勤務先は山梨県の会社で、大きなトラックが数台ありました。トラックの荷台には折りたたみ式のアームとホースが付いており、工事現場でこれらを伸ばして、離れた場所や高い場所に生コンクリート(生コン)を流し込みます。ミキサー車で作った生コンをトラックのポンプとホースで建築物に送り込むのです。 私たちの作業(イメージ写真) 私たち技能実習生は生コンを流し込む場所にホースの先を運びました。その後、生コンを床に流し込むときはホースを置いて固定できますが、壁などに流し込む場合は、私たちがホースを肩に担いで2、3時間立ち続けました。太いホースは2人で担ぎ、細いホースは1人で担ぎますが、細いホースでもかなり重く、担ぎ続けるのはきつい仕事でした。 長い移動時間に睡眠禁止 私たちの平均的な1日はこうでした。 4:30 起床 5:00 トラック6、7台で会社(私たちの寮の隣)を出発。現場まで平均1時間~1時間半。 6:00~6:30 現場到着。仕事の準備(平均1時間)。準備が早く終われば休憩。 8:00~17:00 仕事(途中で3回・計90分休憩) 17:00 後片付けなど 18:00 現場を出発 19:00~19:30 帰宅 現場への往復は、トラック1台に3人(日本人1人、ベトナム人2人)が乗り、日本人が運転しました。しかし、私たちが何か話すと日本人が怒り、眠っても怒られるので、私たちは車内でずっと黙って景色を眺めていました。技能実習生はSIMを持っていないので車内では携帯電話も使えず、移動時間はとても退屈で疲れました。 十分にもらえなかった残業代 external link KOKORO|給与、残業代、有給休暇 会社から現場まで片道3、4時間かかることもありました。しかし、往復6~8時間の移動が毎日続いても、手当はまったく増えませんでした。また、それ以外にも次のようなことがありました。 ①毎日忙しく、昼の休憩なしで働き続けることが2日に1回ほどありました。しかし、昼の休憩(1時間)をつぶして働いても残業代は増えませんでした。 ②毎日、準備と後片付けで平均2時間働きましたが、この時間にも残業代が支払われませんでした。 準備以外の正規の作業時間が延びることもありましたが、私たちがもらった残業代(毎月5時間分)はそれすらカバーできない額でした。このため手取り給料は9~10万円しかありませんでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:100,000円 給料 ¥100,000 *税金や社会保険、寮費、光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(15,000円)、電気・ガス・水道(6,000円) 支出:45,000円 食費(主に自炊) ¥30,000 生活雑貨、衣類 ¥10,000 交際費など雑費 ¥5,000 毎月の差額:55,000円 低賃金と暴力・暴言 私はベトナムでこの会社の社長に面接(通訳付き)をしてもらったとき、毎月18万円もらえると聞きました。しかし、来日して先輩に聞くと、手取り18万円もらえたのは1回だけだったそうです。 移動時間が長く、仕事内容は過酷で、残業代も十分に支払われないうえ、一緒に働く日本人の一部(3人)は気に入らないことがあるとすぐに怒鳴りました。私はラチェットレンチという工具で頭をたたかれたことも2回あり、ヘルメットをかぶっていても大変な衝撃でした。私はこのような理不尽な職場に失望し、失踪することにしました。 組合に相談しても改善せず 左:仕事で毎日顔が汚れました。右:疲れて休憩時間に現場で眠る先輩。 技能実習では監理団体(組合)が実習生のケアをします。組合の担当者はベトナム人通訳を伴って毎月2回、会社に来ましたが、私たちとの面談には毎回、会社幹部が立ち会いました。組合によっては、正社員の通訳が実習生の悩みを直接聞くシステムもありますが、この組合の通訳は毎回違う人(アルバイト)で、頼りになりませんでした。私たちは残業代不払いや移動時間に眠れないことなどを改善してほしいと組合に何度かお願いしましたが、何ひとつ改善されませんでした。 失踪中の生活 こうして、私はこの会社で働き始めて13カ月目の2020年9月、現金20万円と小さな荷物を持って会社を去りました。社長に告げ口されると困るので、ほかの実習生2人にも黙って失踪しました。 思い描いていた日本とは違ったので、私は一刻も早くベトナムに帰りたいと思いました。しかし、新型コロナの影響でベトナムへの航空券が手に入らなかったので、チケットが取れるまで友人のミン君(仮名)の家に泊めてもらうことにしました。彼は日本で知り合った友人で、別の会社を失踪し、東京に住んでいました。私は電車を約3時間乗り継いで彼のところに行きました。彼は不法就労をしている様子でしたが、私は早く帰国したいので働きませんでした。しかし、航空券はなかなか買えず、2021年1月に入ると、所持金は約5万円しか残っていませんでした。 「日越ともいき支援会」に助けられ external link KOKORO|日越ともいき支援会 そんなとき、ミン君が「NPO法人日越ともいき支援会」のことを聞いて私に教えてくれました。2021年1月、私は支援会にベトナム語でメッセージを送り、事務所を訪ねました。すると、その日から支援会のシェルターに無料で住めることになり、数十人の元実習生と共同生活を送りました。 私は支援会で約2カ月間、毎日、日本語の授業を受け、自習も何時間もしました。その間、支援会は外国人技能実習機構(OTIT)や以前の組合、入管と連絡を取り、私が日本に残って働くためのさまざまな打ち合わせや手続きをしてくれました。おかげで私は新型コロナに関連する特例の在留資格を取得できました。この在留資格の期間は6カ月でしたが、その後2回更新でき、私は日本で約1年半、アルバイトをすることができました。 漁業やレストランでアルバイト 左:ホタテ貝。右:軽井沢。 ホタテの養殖 日本に残って働けることになった私は、支援会の紹介で北海道のホタテ養殖業者で2021年3月から3カ月間アルバイトをすることになりました。小さなホタテ貝を海から引き上げ、貝がらに穴を開けて糸でつなげるのが主な仕事で、主に陸で働き、ときどき船に乗りました。 レストラン ホタテ養殖の繁忙期が終わり、東京に戻って支援会などに泊めてもらった後、9月から3カ月間、長野県・軽井沢の高級レストランで働きました。野菜を切ったり皿を洗ったりする仕事で、まかない(従業員向けの食事)を1日3食食べられるのが魅力でした。軽井沢は有名なリゾート地なので、休みの日には、別の店で働くベトナム人と一緒に町を散策しました。 ラーメン店 3つめのアルバイトは鹿児島県のラーメン店「田所商店」で、仕込み(野菜やチャーシューを切る)、麺(めん)をゆでる、食材を炒(いた)める、スープを作る、皿洗いなど幅広い仕事を担当しました。全国展開の人気店で、私はこの店で2021年12月の新規オープンから約9カ月間働きました。一緒に働いた日本人は皆さん親切で、来日してから一番働きやすい職場でした。 これからも日本で働く 私は北海道のアルバイトから長野県のアルバイトに移る間、日越ともいき支援会に泊めてもらったほか、JP MIRAI(JICAなど主催)が東京で開いた元技能実習生向け研修会に参加しました。約1カ月半に渡ってJICAの施設に住み、日本語の授業を受けたり、今後のキャリアについて学んだりしました。 日越ともいき支援会のおかげで、私は引き続き日本で働く方法があることを知りました。そして、JFT-Basicで238点を取り、特定技能「外食業」の技能試験にも合格しました。そこで、2022年9月にいったんベトナムに帰国し、特定技能の在留資格を申請中です。特定技能外国人として再び来日したら、これまでと同じラーメン店で働きます。これまでの日本滞在では、来日前に借りたお金を返すのが精一杯だったので、今度こそしっかり貯金したいと思います。
  • VOL. 86 OTITと支援団体の支援で職場変更(技能実習)

    2023年03月03日
    ベトナムで聞いた内容とはまったく違う仕事を毎日させられたチュンさん。外国人技能実習機構(OTIT)に相談して約束違反の仕事はなくなったものの、職場変更はできませんでした。しかし、実習生を支援する団体に相談すると状況が一変し、別の職場で技能実習を再開することができました。 今回の先輩 グエン・デュック・チュン さん 2011年高校卒業 2012年兵役 2014年建設関係の仕事〈ハノイ〉 2019年送出機関で日本語学習〈ハノイ〉 2019年訪日→講習→技能実習〈愛知県〉 2021年アルバイト〈愛知県、岐阜県〉 2022年別の会社で技能実習再開〈静岡県〉 〈1993年生まれ、ナムディン省出身〉 ◆このページの内容 • 母に楽をさせるために出稼ぎ • 事前の約束と違う仕事 • 外国人技能実習機構(OTIT)に相談 • 約束違反の仕事がなくなる • 技能実習の継続を断念 • 支援団体の支援で状況が一変! • 支援団体に頼ろう • 技能実習を再開 • 私の家計簿 •TikTokで日本語会話 •将来のこと 母に楽をさせるために出稼ぎ ベトナムでしていた仕事 私は兵役を終えてからハノイのいくつかの会社で働き、溶接やクレーン車の運転などをしました。しかし、毎月の給料が平均約8,000,000 VND(当時の約4万円)しかなかったので、外国で出稼ぎをして母に楽をさせてあげたいと思うようになりました。そして、日本より給料の高い韓国にも興味がありましたが、日本の技能実習の方が採用されやすかったので、そちらにしました。 私は親せきから紹介されたハノイの送出機関に登録し、訪日までに 計約120,000,000 VND(当時の約60万円)を自分の貯金で払いました。そして、最初の企業面接で合格し、送出機関の日本語センターで6カ月間、日本語を学びました。 事前の約束と違う仕事 清掃前(左)と清掃後(右)のグリストラップ こうして私は2019年10月に来日し、11月から愛知県の会社で技能実習を始めました。日本に来る前の約束では、私はガス管や水道管などを設置する「配管」の仕事をすることになっていました。しかし、実際の仕事の大半は清掃関係でした。私と同僚のベトナム人が実際に担当した仕事を紹介します。いずれも単発の仕事ではなく、何回も行った仕事です。 グリストラップ清掃 日本の飲食店には、油や残飯などが下水に直接流れ込まないよう、それらを分離して貯める「グリストラップ」という装置があります。この装置は定期的に掃除しなければなりません。私たちは飲食店に行って、グリストラップに貯まった汚れをホースで吸引し、残った汚れを洗剤とブラシで洗い落としました。 川の清掃 川や池の清掃 小さな川の水面に水草やゴミが貯まる場合があります。私たちは川に入ってそれらをホースで吸引する仕事をしました。しかし、ベトナム人2人と日本人2人で現場に行った場合、川に入るのはベトナム人だけでした。ほかにも汚れる仕事や重い物を運ぶ仕事はベトナム人だけがさせられることがよくありました。また、冬に浅い池に入って大量の水草を刈り取る仕事もありました。 溝掃除 道路脇の溝にたまった土砂をかき出しました。 外国人技能実習機構(OTIT)に相談 external link OTITの母国語相談 私は約1年、このような約束と違う仕事にがまんしました。しかし、外国人技能実習機構(OTIT)の母国語相談のことを知り、OTITに会社を指導してもらいたいと思って2020年11月にOTITのHPからベトナム語でメッセージを送りました。すると、メールで返信があり、相談員と何度かベトナム語でやり取りしましたが、途中で4週間近く返事が来なくなりました。 このため、私は母国語相談に見切りを付け、今度はOTIT名古屋事務所に直接電話をかけました。私は監理団体(組合)から支給された携帯電話を持っていたので、それを使いました。すると、1カ月以内にOTITから会社に連絡があり、社長と事務長と私の3人でOTIT名古屋事務所に行くことになりました。後で知ったのですが、母国語相談はOTITが外部に委託しており、相談員のレベルに個人差があるそうです。 約束違反の仕事がなくなる OTITに相談後、この写真のような約束違反の仕事はなくなった。 OTIT名古屋事務所では、社長と事務長がまず事情を聞かれ、その後、私が仕事内容やいじめの有無などについて聞かれました。数日後、OTITのスタッフが会社で私だけに会い、「これからどうしたいか」と聞いたので、私は「職場を変わりたい」と答えました。その後、OTITと組合が協力して他の会社を私に紹介し、私は面接を受けましたが、その会社は自分に合わないと思って断りました。 ただし、社長と私がOTITから呼び出しを受けて以来、私は清掃の仕事から外され、毎日、配管に関する本を読むだけの仕事に変わりました。それから約4カ月後、OTITは会社に立ち入り調査をしましたが、結果はすぐには出ませんでした。私は約束と違う仕事から外されてうれしかったのですが、本を読むだけの生活に嫌気がさしてきました。 技能実習の継続を断念 それから半年後の2021年6月、私は会社をやめました。事前に、技能実習生などを支援している在日ベトナム人から紹介された岐阜県内の組合に連絡したところ、新しい職場を紹介してくれるとのことでした。新しい組合がこのことをもとの組合やOTITに連絡してくれたので、私は会社をやめて新しい組合の宿泊施設に身を寄せたのです。 新しい会社で技能実習を始めるまでそこに無料で住めることになり、無職の状態で3カ月間滞在しました。そこには、私と同じような転籍待ちの人や帰国の飛行機待ちの人が数人おり、一緒に海に遊びに行くなどしました。また、日本語の勉強にも力を入れました。 アルバイト生活のときに京都や大阪に旅行 この組合は私が新しい会社で働くための入管手続きを申請してくれましたが、3カ月近く経っても許可がおりませんでした。そのころ、前の会社に対するOTITの調査結果が出たのですが、「会社のやり方は違法とまでは言えない」という内容でした。このため、私が新しい会社で働くための入管の許可が降りない可能性があると言われ、途方にくれました。 私は今後どうしたらよいかOTITに相談したところ、「技能実習をやめて新型コロナ関連の特例の在留資格(帰国困難の特定活動)を取れば、日本に6カ月以上滞在でき、その間はアルバイトができる」というアドバイスでした。私はもとの組合に手伝ってもらってその在留資格に変更し、期間限定でアルバイトをすることにしました。 支援団体の支援で状況が一変! 榑松さんと私〈名古屋市で〉 こうして私は2020年9月にアルバイト生活を始めました。最初は愛知県の工場でパチンコの機械を組み立てる仕事、次は岐阜県の工場でシリンダー製品にシールをはる仕事をし、最後に岐阜県の車の部品工場で働きました。 そんなとき、私は、技能実習生の支援実績が豊富な「外国人実習生SNS相談室」のことを知り、代表の榑松佐一(くれまつ・さいち)さんに会って相談しました。榑松さんは、私が技能実習生に戻れるようOTITと交渉してくれました。すると、私はOTIT名古屋事務所に1年ぶりに呼び出され、前の会社での仕事内容についてもう一度ヒアリングを受けました。その結果、OTITがもう一度新しい会社を探して私を技能実習生に戻してくれることになりました。 支援団体に頼ろう external link KOKORO|総まとめ・ベトナム人向け相談窓口 榑松さんはOTIT名古屋事務所に対し、私が川や池の掃除をしている動画などを見せ、約束の職種と違うので、私の職場変更を支援してくれるように交渉しました 私が1年前に社長と一緒にOTITに呼ばれたときにもその動画を見せたのですが、そのときは、職場変更を最後までは支援してもらえませんでした。しかし、榑松さんの交渉後、私はOTITの支援で技能実習生に戻り、職場も変わることができました。 OTITは技能実習生にとって大事な機関ですが、私の説明や交渉が不十分だったのかも知れません。後輩の皆さんも、もし行き詰まった場合は、このように支援団体に頼ってください。 技能実習を再開 日本人従業員と一緒に富士山へ 「外国人実習生SNS相談室」に相談して約3カ月後の2022年3月、私はOTITが探してくれた静岡県の建設会社に面接に行き、そこで働けることになりました。そして、新しい在留資格をもらうまで別の職場でアルバイトを続け、5月からこの会社で技能実習を再開しました。 この会社では実際に配管の仕事をさせてもらっていますし、日本人の従業員たちも親切です。古い下水管は汚いので、それを運ぶのは嫌な仕事ですが、この会社では日本人も嫌な仕事を公平に分担し、ベトナム人だけに押しつけることはありません。私は休憩時間に日本人従業員とおしゃべりすることも多く、中には、休日に車で富士山のふもとの観光施設に連れて行ってくれた人もいます。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:115,000~140,000円 給料 ¥115,000~¥140,000 *税金や社会保険、寮費、光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(15,000円)、電気・ガス・水道(10,000円) *勤務日の昼弁当の費用も給料から天引き 支出:40,000円 食費(主に自炊) ¥30,000 生活雑貨、衣類 ¥5,000 交際費 ¥5,000 毎月の差額:75,000~100,000円 TikTokで日本語会話 私のTikTokアカウントとJFT-Basicのスコア ところで、私は週に3、4回、TikTokのライブで知り合った日本人とビデオ通話で会話をしています。前の会社をやめる少し前から日本語の勉強時間を増やし、職場やTikTokで日本人と積極的に話すことも続けているので、日本語力がかなり伸びました。国際交流基金のJFT-Basicでも235点を取り、「生活に支障がない程度の日本語能力水準」と判定されました。 将来のこと 配管工事の仕事現場 私は来日後の2019年12月~2023年1月(途中3カ月間は無職)に約280万円を貯金しました。来日前に送出機関に支払った費用を差し引いても約220万円あります。今後、日本でさらに半年間働けますので、貯めたお金で帰国後に家を買いたいと思っています。 2023年8月に技能実習が終ったらいったん帰国し、婚活をしながら将来日本に戻るかベトナムで働くか考えます。日本に戻る場合は特定技能外国人になれるよう、介護の技能試験に既に合格し、農業の技能試験も勉強中です。また、ベトナムで働く場合は日本語力を生かして工場で良いポジションを得たいと思っています。
  • VOL. 84 技能実習と特定技能の計4年で370万円貯金

    2023年02月20日
    技能実習生の間で人気のない建設業ですが、建設の中でも内装業では比較的トラブルが少ないとされています。内装会社で技能実習をしたチュンさんや仲間のほとんどが同じ会社で特定技能外国人になりました。職場の様子やチュンさんが日本語を話せるようになった秘訣を紹介します。 今回の先輩 ホアン・クァン・チュンさん 2014年 高校卒業〈クアンビン省〉 2015年韓国系企業の工場で勤務〈ドンナイ省〉 2018年送出機関で日本語を勉強(8カ月間) 2018年訪日→講習→内装の技能実習〈兵庫県〉 2021年 同じ会社で特定技能に移行 〈1996年生、クアンビン省出身〉 ◆このページの内容 •日本に行こうと思った理由 •ベトナムの送出機関 •電車で通勤 •7週間の出張も •同じ会社で技能実習から特定技能に •4年間で実家に450万円送金 •ボランティア日本語教室 •日本に残るかベトナムに帰るか 日本に行こうと思った理由 送出機関の教室で 私は高校を卒業後、半年あまり両親の農業(稲作)を手伝い、その後、高校の同級生が働くドンナイ省のワイヤー工場で2018年まで3年間働きました。しかし、毎日12時間(週6日間)働いても、残業代を含めて毎月約10,000,000 VND(約55,000円)しかもらえませんでした。これでは、どんなにまじめに働いてもほとんど貯金できません。 そんなとき、同年代で仲良しの親せきが日本に技能実習に行ったので、彼が休暇を取って一時帰国したときに技能実習の費用や仕事、給料について教えてもらいました。その話を聞いて、私も日本で働いて両親にお金を送りたいと思い、技能実習生になることにしました。 ベトナムの送出機関 送出機関の先生や仲間たち 私は勤務先のドンナイ省に近いホーチミンの送出機関を選びました。そして、企業面接に合格したので、会社を辞めて送出機関の寮に入り、8カ月間日本語を勉強しました。私がこの送出機関に支払った費用は約160,000,000 VND(手数料、教育費、寮費、ビザ取得費など)です。 ※編集部コメント:この費用は当時のベトナムの送出機関の平均ですが、国が決めた費用よりかなり高いです。 私が合格した会社は建築の内装を行う会社なので、送出機関での授業の半分は日本語で、残り半分は内装の勉強や実習でした。私は毎晩4時間自習して日本語をできるだけ覚えるようにしました。そして、来日後も日本語の勉強を続け、会社に相談したいことは組合(監理団体)に頼らず自分で直接相談するようにしています。その方が自分の意図が確実に伝わるからです。 電車で通勤 私たちの住む地域を走る電車とモノレール 私の会社にはベトナム人が13人(技能実習生8人、特定技能外国人4人、エンジニア1人)います。私は同期・後輩の計4人と一緒に1戸建ての寮に住み、6:00に起きて6:30に家を出ます。寮は大阪府にあり、勤務先は大阪・兵庫・京都などの建築現場です。電車が発達しているので電車やバスで現場に通い、不便な場所に行くときだけ日本人が運転する車で一緒に行きます。7:30までにマンションやホテルなどの建築現場に着き、8:00から18:00まで働きます。私は天井や壁のボードのはり方も学びましたが、最近は、フローリングをはる仕事が中心です。 現場には、さまざまな会社から作業員が集まります。私たちは1つの現場に1~3人で行くことが多いのですが、通常は他社との連絡のために日本人も一緒です。しかし、私は日本語が上達したので、15階建てぐらいまでの規模の現場なら1人で担当することも多くなりました。 7週間の出張も 出張先の鹿児島市の風景 私の会社は兵庫県に本社があり、東京と福岡に支社があります。支社の仕事で人が足りないときは私たちが出張で手伝うのですが、特定技能外国人になってから出張が増えました。例えば、2022年9月23日から11月16日まで鹿児島県(福岡支社の管内)に出張し、新築19階建て高級ホテルの内装(フローリング)を担当しました。 このときは3人で車で現地に行き、大阪から鹿児島まではフェリーに乗りました。フェリーでの移動は12時間かかりましたが、1人部屋の船室を使わせてもらったので、快適でした。鹿児島では、台所や冷蔵庫、洗濯機があるウイークリーマンション(1人1室)に住み、車で運んでもらった自分の炊飯器や鍋でいつも通り自炊しました。 同じ会社で技能実習から特定技能に フローリングはり付け工事の様子 私たちの会社は忙しいので、週に1度しか休めません。しかし、残業代や休日出勤手当はきちんと支払われますし、お盆や正月などには連休もあり、用事があるときは有給休暇も取れます。また、一緒に仕事をしている日本人の皆さんは親切ですし、新年会やバーベキュー・パーティーなど会社主催の楽しい食事会もあります。社長もやさしい人で、先輩は社長に相談してベトナムに約6週間、一時帰国することができました。 このように働きやすい職場なので、3年間の技能実習が終った後、帰国する仲間以外は皆、他社に移らずこの会社で特定技能外国人になっています。特定技能なってからは、毎月の手取り給料が約3万円増え、ボーナス(20万円以上)も年に1度もらえるようになりました。 4年間で実家に450万円送金 「自分へのごほうび」として買ったiPhone 私は技能実習の3年間で約300万円を実家に送りました。そして、特定技能外国人になってからは、基本給も上がり出張手当も多かったので、1年間で約150万円を送ることができました。弟もシンガポールの中華料理店で働いて実家にお金を送っているので、両親は約2年前、私と弟のお金で自宅を建て替えました。そのときに銀行からもお金を借りましたが、それももうすぐ完済できそうです。 私は忙しいのであまり旅行もしませんし、欲しいものもほとんどありません。日本で買った主な物と言えば、約25,000円の腕時計と日本語能力試験(JLPT)・N3に合格したときに「自分へのごほうび」として買った約70,000円のiPhoneぐらいです。 私の家計簿(1カ月の平均) ※特定技能外国人になってからの家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:190,000円 給料 ¥190,000 *税金や社会保険、寮費、光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(25,000円)、光熱費(4,000~5,000円)、Wi-Fiと携帯電話の通話料金の一部(2,500円)は給料から天引き 支出:50,000円 食費(主に自炊) ¥30,000 生活雑貨、衣類 ¥10,000 雑費 ¥10,000 毎月の差額:140,000円 ボランティア日本語教室 external link KOKORO:ボランティア日本語教室 私たちのような現場仕事では、一緒に働く日本人と最低限のコミュニケーションをとれないと仕事に支障があります。これは技能実習をめぐるトラブルの大きな要因にもなっています。私は来日して8カ月でJLPT・N3に合格し、同期や後輩のベトナム人も勉強して必要最低限の日本語会話ができるようになりました。仕事の休憩時間などに日本人とよく雑談をするので、そのことも日本語力向上につながっています。 私は来日してからも毎晩1、2時間、日本語の勉強を続けています。また、地元の国際交流協会が主催するボランティア日本語教室(無料)にも3年間通いました。この教室では、先生が参加者の外国人に日本語を2時間教えてくれるのですが、マンツーマンのときも多く、毎週1回通うだけで大きな効果がありました。最近も、後輩の実習生に教室を紹介するために一緒に行きました。 日本に残るかベトナムに帰るか ベトナム人仲間に誘われてボランティアのゴミ拾いに参加〈大阪市で2022年〉 私は自習と日本語教室と職場での会話によって日本語をかなり話せるようになり、今はJLPT・N2を目指して勉強しています。しかし、日本語教師や通訳を目指しているわけではありません。技能実習や特定技能で内装に関する知識・技術を身につけたので、将来もこの業界で生計を立てていきたいと希望しています。 しかし、将来、日本に残るかベトナムに帰るかについては悩んでいます。私は来日前、ベトナムの工場で毎日12時間・週6日間働いても給料が10,000,000 VNDしかなく、「ベトナムでまじめに働いても一生貯金はできない」と思って日本に来ました。しかし、ここ数年でベトナムでの給料も上がり、その工場に残った友人の給料は当時の1.7倍になりました。ベトナムでも高層マンションは増えており、フローリングの需要も拡大していく可能性があります。将来の結婚や家族生活、ベトナムでの今後の所得増加を考えると、特定技能が終わったら帰国するという選択肢もあると思っています。

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【在ベトナム日本国大使館後援】

  • Vol.68 快適な職場で技能実習4年目

    今回の先輩 マイ・ティ・フォン・タインさん 2015年 高校卒業〈ナムディン〉 2016年 飲食店に2年間勤務〈ナムディン〉 2018年 送出機関で勉強〈ハノイ〉 2018年 講習後、清掃会社で技能実習〈香川県〉 <1997生まれ、ナムディン省出身> タインさんは技能実習(清掃)の3年間でJLPT・N2に合格しました。オンライン無料日本語教室を利用したほか、清掃現場まで車で移動する時間があるので、車内で日本人とたくさん話し、勉強で覚えた日本語を実際に使うことができました。 〈このページの内容〉 • 送出機関への支払いと3年間の送金 • 来日して3年でN2に合格! • ホテル清掃の仕事の内容 • 親切な社長と元社長 • ベトナム人仲間 • まとめ 送出機関への支払いと3年間の送金 送出機関の先生と同級生たち 私の父は2019年に亡くなり、母が飲食店で働いていますが、月給は3,000,000 VNDぐらいです。私は4人兄弟の末っ子で、高校を出てから地元のフォー店で約1年間働きましたが、給料は月4,000,000 VNDでした。 そのようなつつましい生活の中、いとこが技能実習で日本に行き、彼女の母(私のおば)の勧めで、私も技能実習に行くことにしました。家計を助けたいと思ったのです。いとこが使ったハノイの送出機関を私も使い、日本語を約6カ月間勉強してから日本に行きました。この送出機関には日本人の先生が2人いました。 external link 技能実習の費用と注意点 ◆借金と仕送り 送出機関に支払ったお金 手数料と飛行機代 (*1) 178,200,000 ₫ 教育費など 10,000,000 ₫ 資金調達 親せきから借金 140,000,000 ₫ 親の貯金と自分の貯金 80,000,000 ₫ 3年間で両親に送ったお金 給料から送金(*2) 458,000,000 ₫ (*1)$7,800をドンに換算 (*2)¥2,300,000をドンに換算 いずれも2022年3月6日の為替レート 来日して3年でN2に合格! JLPTに合格した技能実習生のために元社長が開いてくれた食事会〈2021年〉 私は2018年10月に来日し、2020年12月に日本語能力試験(JLPT)N3に合格、2021年7月にN2に合格しました。 日本に来たばかりのとき、一番困ったことは言葉です。ベトナムで半年間勉強したのに、日本人の話すことがさっぱりわからず、「すみません。もう一度言ってください」の繰り返しでした。そこで、送出機関の先生にSNSで相談し、オンライン日本語教室のLotus Worksを紹介してもらいました。週に1、2回、日本人の先生がSkypeで文法や漢字などの授業をしてくれます。次の授業までに宿題をしなければならないので、毎日勉強するくせがつきました。 external link オンライン無料日本語教室 清掃現場の一つ。現場でも現場に向かう車内でも日本人とたくさん会話。 Lotus Worksの勉強以外にも日本語と触れる機会をつくりました。 毎日家で1、2時間勉強 ・使った教材:「耳から覚える」シリーズ(語彙)など ・Youtubeの学習チャンネル:Dũng Mori, Onomappu, Thao Le JP ・日本のアニメ:ヒアリングの練習に使う 職場で日本人とたくさん会話 ・毎日、会社から仕事場に向かう車内(往復40~120分)で日本人2、3人と会話 ・休憩時間も日本人と会話 ホテル清掃の仕事の内容 私の実習(仕事)の内容を紹介します。職場には私を含めて5人の技能実習生がいます。 ・7:20出社→朝礼→車で移動→清掃→車で帰社(勤務は8時間) ・清掃現場:ホテル、住宅、オフィス、店、老人ホーム ・床掃除(機械やモップを使う)、ワックスがけ、窓ふき、トイレ・風呂の掃除 ・日本人2、3人とベトナム人1人が組んで仕事をすることが多い ・休みは週1、2回 親切な社長と元社長 会社が実習生全員に「うな重」をご馳走〈2021年〉 私たちの会社では、元社長とその奥さん(今の社長)が私たちの面倒をよくみてくれるので、快適に暮らしています。 ・元社長が技能実習生をときどき食事に連れて行ってくれます。 ・社長がときどき車で買い物に連れて行ってくれます。 ・新型コロナの影響で社員パーティーが中止になったときは、会社が実習生全員に高価な「うな重」の出前をとってくれました。 ・JLPTの試験のときは、組合が会場まで車で送迎してくれます。 ・寮は2階建てで、寝室4つを実習生5人で使用。場所は会社のそば。 ・職場の上司がボーリングなどに連れて行ってくれることもあります。 会社が実習生のために開いてくれた食事会(左)、寮(右) ベトナム人仲間 ベトナム人仲間とテーマパークへ〈香川県〉 元社長は私たちが来日した後に組合(監理団体)を設立し、組合のパーティーや忘年会にいろいろな会社の実習生を招待してくれます。そのような場でベトナム人仲間が増え、さらにその友だちともつながって、休みの日にいろいろなところに一緒に遊びに行っています。また、高校時代の親友が隣の岡山県で技能実習をしているので、彼女と一緒に遊びにいくこともあります。 これまで、友だちと一緒に香川県の丸亀城やレオマワールド(テーマパーク)などに行きました。その中で一番好きなのは金刀比羅宮(ことひらぐう)です。将来は大阪や東京、北海道にも行ってみたいです。 external link 私の香川観光ブログ 私の家計簿(1か月の平均) ※100円=約19,900 VND(2022年3月6日現在) 収入: ¥125,000 手取り給与 ¥125,000 *税金、社会保険、寮費、電気・水道・ガス代を引いたあとの金額(このうち寮費は¥13,000、電気・ガス・水道代は¥5,000) *以前は ¥110,000→4年目に入って給料アップ 支出: ¥40,000 食材費 ¥20,000 外食費・雑費 ¥20,000 差額: ¥85,000 *ほとんどを母に送金 まとめ 私は3年間の技能実習(技能実習1号・2号)が終わり、2021年10月から技能実習3号に切り替えて引き続き日本で働いています。3号になって、給料が少し上がりました。あと2年間の実習が終わって帰国したら、故郷のナムディンかハノイで日本語を使う仕事をしたいと思っています。 今回の先輩 マイ・ティ・フォン・タインさん 2015年高校卒業〈ナムディン〉 2016年飲食店に2年間勤務〈ナムディン〉 2018年 送出機関で勉強〈ハノイ〉 2018年 講習後、清掃会社で技能実習〈香川県〉 <1997生まれ、ナムディン省出身> タインさんは技能実習(清掃)の3年間でJLPT・N2に合格しました。オンライン無料日本語教室を利用したほか、清掃現場まで車で移動する時間があるので、車内で日本人とたくさん話し、勉強で覚えた日本語を実際に使うことができました。 〈このページの内容〉 • 送出機関への支払いと3年間の送金 • 来日して3年でN2に合格! • ホテル清掃の仕事の内容 • 親切な社長と元社長 • ベトナム人仲間 • まとめ 送出機関への支払いと3年間の送金 私の父は2019年に亡くなり、母が飲食店で働いていますが、月給は3,000,000 VNDぐらいです。私は4人兄弟の末っ子で、高校を出てから地元のフォー店で約1年間働きましたが、給料は月4,000,000 VNDでした。 そのようなつつましい生活の中、いとこが技能実習で日本に行き、彼女の母(私のおば)の勧めで、私も技能実習に行くことにしました。家計を助けたいと思ったのです。いとこが使ったハノイの送出機関を私も使い、日本語を約6カ月間勉強してから日本に行きました。この送出機関には日本人の先生が2人いました。 external link 技能実習の費用と注意点 送出機関の先生と同級生たち ◆借金と仕送り 送出機関に支払ったお金 手数料と飛行機代 (*1) 178,200,000 ₫ 教育費など 10,000,000 ₫ 資金調達 親せきから借金 140,000,000 ₫ 親の貯金と自分の貯金 80,000,000 ₫ 3年間で両親に送ったお金 給料から送金(*2) 458,000,000 ₫ (*1)$7,800をドンに換算 (*2)¥2,300,000をドンに換算 いずれも2022年3月6日の為替レート 来日して3年でN2に合格! 私は2018年10月に来日し、2020年12月に日本語能力試験(JLPT)N3に合格、2021年7月にN2に合格しました。 日本に来たばかりのとき、一番困ったことは言葉です。ベトナムで半年間勉強したのに、日本人の話すことがさっぱりわからず、「すみません。もう一度言ってください」の繰り返しでした。そこで、送出機関の先生にSNSで相談し、オンライン日本語教室のLotus Worksを紹介してもらいました。週に1、2回、日本人の先生がSkypeで文法や漢字などの授業をしてくれます。次の授業までに宿題をしなければならないので、毎日勉強するくせがつきました。 external link オンライン無料日本語教室 JLPTに合格した技能実習生のために元社長が開いてくれた食事会〈2021年〉 Lotus Worksの勉強以外にも日本語と触れる機会をつくりました。 毎日家で1、2時間勉強 ・使った教材:「耳から覚える」シリーズ(語彙)など ・Youtubeの学習チャンネル:Dũng Mori, Onomappu, Thao Le JP ・日本のアニメ:ヒアリングの練習に使う 職場で日本人とたくさん会話 ・毎日、会社から仕事場に向かう車内(往復40~120分)で日本人2、3人と会話 ・休憩時間も日本人と会話 清掃現場の一つ。現場でも現場に向かう車内でも日本人とたくさん会話。 ホテル清掃の仕事の内容 私の実習(仕事)の内容を紹介します。職場には私を含めて5人の技能実習生がいます。 ・7:20出社→朝礼→車で移動→清掃→車で帰社(勤務は8時間) ・清掃現場:ホテル、住宅、オフィス、店、老人ホーム ・床掃除(機械やモップを使う)、ワックスがけ、窓ふき、トイレ・風呂の掃除 ・日本人2、3人とベトナム人1人が組んで仕事をすることが多い ・休みは週1、2回 親切な社長と元社長 私たちの会社では、元社長とその奥さん(今の社長)が私たちの面倒をよくみてくれるので、快適に暮らしています。 ・元社長が技能実習生をときどき食事に連れて行ってくれます。 ・社長がときどき車で買い物に連れて行ってくれます。 ・新型コロナの影響で社員パーティーが中止になったときは、会社が実習生全員に高価な「うな重」の出前をとってくれました。 ・JLPTの試験のときは、組合が会場まで車で送迎してくれます。 ・寮は2階建てで、寝室4つを実習生5人で使用。場所は会社のそば。 ・職場の上司がボーリングなどに連れて行ってくれることもあります。 会社が実習生全員に「うな重」をご馳走〈2021年〉 会社が実習生のために開いてくれた食事会 寮 ベトナム人仲間 元社長は私たちが来日した後に組合(監理団体)を設立し、組合のパーティーや忘年会にいろいろな会社の実習生を招待してくれます。そのような場でベトナム人仲間が増え、さらにその友だちともつながって、休みの日にいろいろなところに一緒に遊びに行っています。また、高校時代の親友が隣の岡山県で技能実習をしているので、彼女と一緒に遊びにいくこともあります。 これまで、友だちと一緒に香川県の丸亀城やレオマワールド(テーマパーク)などに行きました。その中で一番好きなのは金刀比羅宮(ことひらぐう)です。将来は大阪や東京、北海道にも行ってみたいです。 external link 私の香川観光ブログ ベトナム人仲間とテーマパークへ〈香川県〉 私の家計簿(1か月の平均) ※100円=約19,900 VND(2022年3月6日現在) 収入: ¥125,000 手取り給与 ¥125,000 *税金、社会保険、寮費、電気・水道・ガス代を引いたあとの金額(このうち寮費は¥13,000、電気・ガス・水道代は¥5,000) *以前は ¥110,000→4年目に入って給料アップ 支出: ¥40,000 食材費 ¥20,000 外食費・雑費 ¥20,000 差額: ¥85,000 *ほとんどを母に送金 まとめ 私は3年間の技能実習(技能実習1号・2号)が終わり、2021年10月から技能実習3号に切り替えて引き続き日本で働いています。3号になって、給料が少し上がりました。あと2年間の実習が終わって帰国したら、故郷のナムディンかハノイで日本語を使う仕事をしたいと思っています。

    2022年03月21日

  • Vol.65 食品加工会社に転職

    今回の先輩  グエン・ティ・リー さん 2016年 高校卒業〈ハイズオン省〉 2016年 送出機関登録〈ハノイ〉 2017年 訪日→研修→農業の技能実習開始〈福岡県〉 2020年 技能実習修了、新型コロナの特例で仕事を継続 2021年 転職について支援団体に相談(3月)〈東京都〉 2021年 食品加工会社に転職(5月)〈岡山県〉 〈1998年生まれ、ハイズオン省出身〉 リーさんの技能実習先の農家では失踪者が続出。リーさんは失踪せず3年半働いたが、転職できることを知って組合に相談した。ところが、組合は「あなたはここでしか働けない」とウソの説明。組合が信用できないため、リーさんたちが頼った先は……。 岡三食品 〈このページの内容〉 • 送出機関に支払った費用 • 農業の技能実習 • 失踪続発 • 自由な有給休暇なし • 日本での生活と実家への送金 • 組合のサポートが欠如 • NPOの施設で合宿生活 • 日本にも親切な人がたくさん 送出機関に支払った費用 ハノイの街並み 私の両親は米や野菜を作っていますが、自給自足分だけで現金収入はありません。また、弟はまだ大学1年生です。私は送出機関で働いている親せきから技能実習制度を紹介され、家計を助けるために日本で働くことにしました。台湾も選べましたが、桜を見たかったのと、日本の方が経済が発展していると思い、日本に行くことにしました。 高校を卒業して3カ月後の2016年9月、ハノイの送出機関に登録。その直後に受けた最初の面接に合格して実習先が決まり、それから約9カ月間、送出機関の日本語センターで勉強しました。送出機関には手数料と授業料で計6,500 USDを支払いました。それ以外に寮費や準備費も必要だったので、約200,000,000 VND(約97万円)を銀行などから借りました。 ※100円=20,678 VND(2021年9月9日現在) 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関ごとに費用が違います。高い費用を払っても日本で高い給料をもらえるわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。そうすれば、費用を数千ドル安くできる場合があります。 external link こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 農業の技能実習 毎月、給料をもらったら、仲間数人で何か食べに行きました。 私は2016年6月に来日し、翌月から福岡県の農家(会社)で技能実習を始めました。栗、みかん、柿、梨、すもも、キーウイなどの苗木を栽培して他の農家に販売する会社で、日本人は社長と奥さん、息子さん、従業員3人の計6人でした。勤務時間は8:00~17:00(休憩含む)で、畑で雑草を刈ったり、殺虫剤散布を手伝ったりしました。ビニルハウスも3棟あり、ハノイでの面接では社長から「温室で働く仕事」だと説明を受けていましたが、実際には、温室で働いたのは数えるほどで、ほとんど畑での作業でした 失踪続発 仲間でバーベキューを楽しむこともありましが、失踪が続いて人数が減っていきました。 この農場の技能実習生はすべて女性で、最初は先輩5人、同期3人(私を含む)でした。しかし、先輩のうち3人は後に失踪し、私の1年後に来日した後輩3人のうち1人も約1年で帰国しました。最初に失踪したカンボジア人の先輩は、社長にスコップで頭をたたかれて大きなこぶができ、しばらくして失踪しました。 別の先輩が畑で熱中症のような状態になり、社長に「午後は休ませてください」とお願いしたところ、社長は「それだったら、1カ月間休みなさい」と言いました。1カ月も休むと給料がありません。このようなことがあったので、先輩も私たちも体調が悪くても休めず、無理して働くしかありませんでした。その後、ベトナム人の先輩2人も失踪しました。 寮の窓からの眺め 社長は短気で、すぐに怒鳴りました。来日して間もないころ、私は畑で社長から「スコップを持ってきてください」と言われました。しかし、来日前に「シャベル」という日本語は習いましたが、「スコップ」という言葉は教わらなかったので、すぐには返事ができませんでした。すると、社長は大きな声で怒鳴り始めました。そして、仕事の途中だったのに、私は社長が運転する車で事務所に連れて帰られました。社長は車内でも怒鳴り続け、「しばらく仕事を休んで日本語を勉強しなさい!」と私に言いました。私はそれを聞いて泣きました。そして、約2週間仕事に行けず、寮で1人で日本語の勉強をしました。 自由な有給休暇なし 日本では、勤務開始から6カ月経つと、10日間の有給休暇を取る権利を得られます。その後、さらに1年経つごとに11日間、12日間の有給休暇を追加で得られます。有給休暇は自分の好きな日を申請し、会社は申請を認めるか代わりの日を提案しなければなりません。私たちは年末年始とお盆に連休をもらいましたが、自分の好きな日に休めることは教えられていませんでした。そして、会社は雨で畑仕事が出来ない日に私たちを休ませ、その日を有給休暇扱いにしていました。 私は技能実習の3年間を修了し、新型コロナの特例で引き続きこの会社で働いていましたが、転職できることを知って他社の面接を受けようとしました。しかし、会社が休ませてくれないので、面接を受けられません。そのときに技能実習制度に詳しいベトナム人に相談し、本当は好きな日に有給休暇を申請できることを知りました。 日本での生活と実家への送金 年に一度の社員旅行〈2020年〉 問題の多い会社でしたが、私たちを1年に1回、1泊2日で長崎や熊本に旅行に連れて行ってくれました。ただし、自分で遊びに行くには社長の奥さんの許可が必要で、新型コロナのこともあり、自由旅行は一度もできませんでした。仕事がハードなので、休日は疲れてよく眠ったこともあまり外出しなかった原因です。仕事と買い物以外は、寮で過ごすことがほとんどでした。 その分、お金を使わずに済んだので、私は3年間で約250万円(約517,000,000 VND)を実家に送ることができました。そのお金で私の来日時の借金も実家にもともとあった借金(家の建築費用)も完済することができました。今は弟の学費と家族の生活費のために送金しています。ただし、季節によって仕事量や収入が違いました。冬は残業がたくさんあって、手取り給料が約160,000円の月もありました。一方、6~8月は手取り給料が75,000円~80,000円しかありませんでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=20,678 VND(2021年9月9日現在) 手取り給料(平均75,000~160,000円) 手取り給料 75,000~160,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※差引額のうち寮費15,000円、水道・光熱費5,000円、Wi-Fi 1,000円 支出(平均 25,000円) 食費 20,000円  ※自炊 雑費 5,000円  ※生活雑貨など 差額・貯金(50,000~130,000円) 組合のサポートが欠如 私たちは監理団体(組合)のサポートをほとんど受けられませんでした。組合の担当者(日本人)が私たちに会うのは技能試験の直前など年に1、2回だけで、通訳も連れてきません。そのときに「社長が厳し過ぎます」と訴えても取り合わず、「がんばってください」と言うのみでした。また、組合の通訳と実習生たちが連絡を取り合うLINEやメッセンジャーのグループもありませんでした。そこで、組合に連絡を取るには社長の奥さんに頼むしかありませんでした。 組合の代わりにサポートしてくれたNPOの吉水代表(右端)。左端が私。 来日して3年半経っても給料が上がらないので、私と同僚は2021年2月、社長や奥さんに「他社に転職したいです。組合と相談させてください」と告げました。社長は机をたたいて怒り、その日から私たちを無視するようになりました。私たちはFacebookで見た求人情報に連絡を取り、オンラインで一次面接を受けて合格しましたが、二次面接は対面なので、会社を休まなければなりません。私たちは奥さんに「転職の面接を受けたいので、明日、2時間だけ有給を取りたい」とお願いしましたが、「休みたいなら1週間前に言いなさい」と断られました。 このようなことが3回ぐらい続き、私たちは奥さんに何度も頼んで組合に来てもらい、2021年3月、社長、奥さん、組合担当者2人と転職について話し合いました。通訳も途中から電話で参加しました。私たちはその2日前からNPO法人「日越ともいき支援会」に相談し、転職する方法を理解していたので、組合担当者に転職手続きのサポートを依頼しました。しかし、担当者は「あなたたちのビザ(在留資格)では他社では働けない。そのNPOの人は悪い人で、あなたたちはだまされている」とウソをつきました。私たちは「組合がサポートしてくれないのなら、NPOに依頼します」と伝えました。 NPOの施設で合宿生活

    2021年09月17日

  • Vol. 60 技能実習で本当はいくら貯金できるの?

    技能実習の3年間でいったいいくら貯金できるのでしょうか? 実習生が3年間で送金できる額は職場によって違います(これは高い送出機関を使っても同じです)。しかし、日本での給料が少ない場合でも、訪日前の送出機関への支払いが少なければ、平均以上の貯金をすることができます。 技能実習でいくら貯金できるか 日本で3年間技能実習をすれば、いったいいくら貯金できるのでしょうか?「日本に行くための借金を返済しても、さらに500,000,000 VND(約237万円)貯金できる」と勧誘する人もいます。確かにそのようなケースもありますが、決して多数ではありません。 ※100円=21,115 VND(2021年4月8日現在) 約40人の技能実習経験者へのヒアリングから典型的な8例をセレクトし、実習生が3年間で貯金できた金額とその背景を紹介します。後半では「送出機関の選び方」もお伝えします。それでは、8人のうち3年間で貯金できた額の少なかった事例から順に紹介します。 8位:234,800,000 VND 2017年から3年間、食品加工場で技能実習をした先輩の事例です。3年間の送金額が平均より少し少ないことに加え、送出機関への支払い額が平均より大きかったことが、貯金の少ない要因です。 A:送出機関に支払った額 187,500,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥2,000,000 422,300,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 234,800,000 ₫ 7位:283,790,000 VND 2014年から3年間、静岡県の電気器具部品工場で実習した先輩の事例です。 ・送出機関に支払った額は平均的ですが、政府の規定よりはかなり多いです。 ・日本での手取り給料があまり多くありませんでした。 A:送出機関に支払った額 138,510,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥2,000,000 422,300,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 283,790,000 ₫ 6位:307,875,000 VND 2016年から3年間、食品加工場で技能実習をした先輩の事例です。ベトナムへの送金額は平均的ですが、送出機関にかなり多くの費用を支払ったため、残ったお金が少なくなりました。 A:送出機関に支払った額 220,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥2,500,000 527,875,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 307,875,000 ₫ 5位:332,300,000 VND 2015年から3年間、栃木県の医療機器工場で技能実習をした先輩の事例です。インターネットで評判のよい送出機関を探して1年間勉強してから日本に行きました。 残業代が少なく、ベトナムに送金できた額は平均より少なかったのですが、送出機関に支払った費用が安かったので、借金返済には困りませんでした。また、送出機関の日本語教育がよく、日本語力をつけてから訪日したので、職場の日本人たちと仲良くなり、満足度が高い実習生活を送れました。 親切な先輩や多くの仲間と楽しい日本生活(送出機関を紹介) A:送出機関に支払った額 90,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥2,000,000 422,300,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 332,300,000 ₫ 4位:412,875,000 VND 2019年から鹿児島県のパン工房で技能実習をしている先輩の事例です。3年間でベトナムに送金できそうな額は平均的ですが、送出機関に支払った額が少ないので、貯金額は平均以上になりそうです。 また、職場の日本人がみな親切なのと、監理団体(受入組合)の担当者がとても親切なので、日本で充実した生活を送っています。 いきいきとパン作り(送出機関と監理団体を紹介) A:送出機関に支払った額 115,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送るお金(予想) ¥2,500,000 527,875,000 ₫ B-A:残るお金(貯金・予想) 412,875,000 ₫ 3位:446,220,000 VND 2016年から3年間、食品加工場で技能実習をした先輩の事例です。送出機関に支払った額は平均的ですが政府の規定よりは高いです。しかし、ベトナムへの送金額は平均以上を確保できたので、残ったお金も多くなりました。ただし、平均以上の送金をできるかどうかは訪日前には分かりにくいので、費用の少ない送出機関を選ぶ方がより確実に平均以上の貯金を残せます。 A:送出機関に支払った額 145,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥2,800,000 591,220,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 446,220,000 ₫ 2位:528,450,000 VND 2019年から東京の水産加工場で技能実習をしている先輩の事例です。ベトナム政府の費用規定を守っている送出機関を選び、送出機関への支払いが少なかったので、平均よい多い貯金になりそうです。 優良な送出機関を選んで無借金で技能実習(送出機関を紹介) A:送出機関に支払った額 105,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送るお金(予想) ¥3,000,000 633,450,000 ₫ B-A:残るお金(貯金・予想) 528,450,000 ₫ 1位:538,450,000 VND 2017年から3年間、宮崎県の農場や併設の食品加工場で技能実習をした先輩の事例です。ベトナムの日本語学校で2年間学んでから訪日。職場で技能実習生のリーダー的存在になり、2020年から同じ職場で特定技能外国人になりました。 「送出機関に支払った額」には日本語学校の授業料も含まれています。この学校では、生徒が1年半~2年間勉強し、日本語能力試験(JLPT)N3レベルになってから日本に行きます。授業料は月2,000,000 VNDで、遠方の生徒も受け入れます。生徒に紹介する技能実習先は、教師たちが現地を訪問して給料や職場環境などを調べて選んだ職場だけです。また、送出機関には国が決めた手数料しか支払いません。 技能実習から特定技能へ(日本語学校を紹介) A:送出機関に支払った額 95,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥3,000,000 633,450,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 538,450,000 ₫ まとめ 技能実習生が3年間でベトナムに送金できる額は多くの場合、200万円~300万円(約422,000,000~634,000,000 VND)です。これは高い送出機関を使っても安い送出機関を使っても同じです。そこで、より多くの貯金を残すためには、費用の少ない送出機関を探すことが大切です。 ベトナム政府の規定では、送出機関による日本語教育費は約520時間に対し590万ドン以下、送出手数料は3,600ドル以下(3年契約の場合)となっています。しかし、実際の費用はこれよりかなり高くなっています。費用が高くなる背景には次のようなものがあります。 ・日本の監理団体(組合)への謝礼=技能実習の求人1人につき1,000~1,500ドル ・実習生を送出機関に紹介する人(ブローカー)への謝礼=1人につき500~1,500ドル こうした費用は実習生から送出機関への支払いに上乗せされます。しかし、最近はこのような謝礼を払わない送出機関も少しずつ増えてきました。こうした送出機関を探すと、支払いが少なくなり、3年間の技能実習で残せるお金も増えることになります。 送出機関の選び方 それでは、良心的な送出機関や監理団体をどうやって探したらよいのでしょうか? ポイントをお伝えします。 送出機関を選ぶ手順 インターネットで情報収集 「信用できる送出機関ランキング」などのキーワードで検索します。 技能実習の先輩から情報収集 帰国した人より現在日本にいる現役の実習生から話を聞く方が有効です。 送出機関に直接連絡 送出機関に自分で直接連絡して申し込むだけで、紹介手数料(500~1,500 USD)を節約できます。 監理団体(受入組合)に直接連絡 日本に行ってからのケアを重視するなら、最初に監理団体を選ぶのが得策です。監理団体のケアは非常に重要です。 送出機関を訪ねる できれば授業も見学しましょう。 送出機関を選ぶ際のポイント 先輩たちが支払った費用 技能実習生の求人を紹介した受入組合の幹部に求人1人につき1,000~1,500ドルの謝礼が支払われる事例がまん延しています。その費用は実習生から送出機関への支払いに上乗せされます。 給料、生活費、送金額 KOKOROサイトのすべての体験談に先輩たちの給料や生活費、送金額が掲載されています。 送出機関での日本語教育の内容 日本語力をある程度身に付けてから日本に行った方が職場に溶け込みやすく、日本で日本語も上達します。日本語力を高めると、その後の就職にも有利です。 給料以外の処遇、監理団体のケアの内容 技能実習では給料以外の処遇や監理団体のケアも非常に大切ですが、監理団体によって実習生のケアに大きな差があります。 紹介手数料(紹介者への謝礼)の有無 紹介手数料を禁止している送出機関は、政府が決めた費用規定を守っていることが多く、良心的な紹介やケアを期待できる可能性が高くなります。 DOLABの認定 ベトナム労働・傷病兵・社会省(MOLISA)の海外労働管理局(DOLAB)から認定された送出機関は日本の外国人技能実習機構(OTIT)のHPに掲載されています。 外国政府認定送出機関一覧(OTIT) それでは、この記事を参考に送出機関を上手に選び、無駄な支出のない技能実習を目指してください。

    2021年04月13日

  • Vol. 59 試験に合格し特定技能に

    今回の先輩 グエン・ヴァン・トゥエンさん 2013年 中学卒業、縫製工場に勤務 2017年 送出機関に登録〈ハノイ〉 2017年 訪日→講習→技能実習〈鹿児島県〉 2020年 支援団体に仮住まい〈東京〉 2021年 ラーメン店経営会社に就職内定 〈1998年生まれ、ナムディン省出身〉 建築の技能実習中にJLPT・N2に合格したトゥエンさん。「外食」の技能測定試験を受けて合格し、特定技能でラーメン店経営会社に勤務することが決まった。トゥエンさんの実習生活や就活について紹介する。 〈このページの内容〉 • 海外で働いてみたかった • とび職の仕事 • 自習でN3、N2に合格 • 最初は給料少なく、失踪も検討 • 失踪しなかったその他の理由 • 鹿児島の親切な人たち • 特定技能を目指すことに • 技能試験に合格し他社に内定 海外で働いてみたかった 送出機関の仲間たち〈ハノイで2017年〉 私は中学を卒業後、縫製工場で働いていましたが、ある日、遠縁の親せきから技能実習生として日本に行くように勧められました。「3年間で、日本に行くための借金を返し、さらに250万円貯金できる」という説明で、両親と話し合い、日本に行くことにしました。私は以前からいつか海外で働いてみたいと思っていたので、ちょうどよい誘いだったのです。 翌月、親せきから紹介されたハノイの送出機関の研修施設に入り、1週間後に初めて面接を受けて合格しました。それから約6カ月間、この施設で勉強し、送出機関には総額約200,000,000 VND(ベトナムドン、約95万円)を支払いました。そのうち約20,000,000 VNDは保証金で、私が実習中に失踪したり会社で評判が悪かったりすると保証金は返さないという取り決めでした。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・保証金や紹介手数料は規定違反です。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 〈参考〉こんなに違う送出機関の費用 とび職の仕事 建築現場で働く私(左)〈鹿児島県で2018年〉 私は技能実習には建築以外にもいろいろな業種があることや建築が人気のない業種であることを知りませんでした。研修施設に入ってからほかの職種があることを知りましたが、もう面接に合格していたので、そのまま日本に行きました。私は2017年12月に日本に来ました。実習先は鹿児島県で、実習生は私を入れて9人でした。「機械を使うから楽で安全な仕事」と送出機関から説明を受けていましたが、実際は、きつい肉体労働でした。私の職場では、手すりなどの資材や工具を投げて受け渡しする人が多く、危険を感じました。4、5㍍先から資材や工具を投げてくるので、手が痛いですし、取り損なったら怒られるので、大変でした。 ただ、週末には息抜きができました。スーパーに買い物に行くと、他社のベトナム人実習生と知り合います。自社の同僚や他社の実習生と一緒に互いの寮で飲み会をしたり、一緒に観光に出かけたりしました。 自習でN3、N2に合格 ハノイの送出機関では毎日7時間授業があり、「みんなの日本語」を半年間で25課まで習いました。また、それ以外に自分で38課まで学習しました。1クラス約20人で、私の成績はクラスで4番目でした。日本に来てからも、毎晩、寮で2時間勉強しました。教材は「新完全マスター」シリーズと「耳から覚える」シリーズでした。私は訪日2年目に日本語能力試験(JLPT)のN3とN2に立て続けに合格しました。 日本語学習に対する会社のサポートはなく、N3やN2に合格しても給料は上がりませんでした。また、受検の際の交通費も受検料も自己負担でした。ただ、監理団体(受入組合)はN3合格の際は1万円、N2合格の際には2万円をくれました。 最初は給料少なく、失踪も検討 JLPTの受検会場近くで撮影した鹿児島県の街並み〈2019年12月〉 私の手取り給料は最初の2年間は8万~12万円で、3年目は15万円(約31,600,000 VND)の月もありました。3年間で実家に送金した額は約250万円(約526,800,000 VND)で、勧誘した親せきの説明より約100万円少ない額でした。 手取り給料が8万円しかなかったときは、失踪してもっと給料の高い仕事(不法就労)を探そうと思ったこともあります。しかし、すぐには失踪せず、JLPT・N3に合格してから失踪しようと思い、勉強に力を入れました。失踪中に警察に捕まってベトナムに強制送還されても、N3以上の合格証を持っていればベトナムでよい仕事があるだろうと考えたからです。こうして、私は訪日して1年半後にN3に合格しました。しかし、「この日本語力ではまだ仕事に使えない」と思って引き続き勉強を続け、その半年後にN2に受かりました。 失踪しなかったその他の理由 近所の公園で同僚と食事会〈2018年〉 私がN2に合格したころ、職場の先輩実習生4人が帰国し、私たちの仕事が増えました。私たち同期5人は「先輩がいなくなって仕事が増えるので、時給を上げてほしい」と上司に訴え、少しだけ時給を上げてもらうことができました。私が失踪しなかった大きな理由はJLPT合格という目標があったからですが、ほかにも次のような背景がありました。 • 寮費・光熱費・Wi-Fi費用が合計10,000円で、非常に低額だった。 • 現場への移動時間(片道10分~2時間)に対しても時給が支払われた。 ※移動時間に時給が支払われない職場もあります。 • 先輩が帰国した際に会社が時給アップに応じてくれた。 • 社内にも寮の近所にも親切な日本人がいて交流があった。 • 職場での暴力はなかった。 ※「バカ」「なにさぼってるんだ」「早くしろ」と言われることもありましたが、日本語会話がある程度できたので、半分冗談だと分かり、気になりませんでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,070 VND(2021年4月8日現在) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 平均110,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費(水道・光熱とWi-Fi含む)は10,000円 支出(合計25,000~35,000円) 食費 20,000~25,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 5,000~10,000円 差額・貯金(平均80,000円) 貯金 80,000円 ※実家に送金 鹿児島の親切な人たち 平井さんを通じて交流が深まった地域のベトナム人仲間〈2018年のハロウィンで〉 寮の近所に銀行勤務の平井さんという男性がいて、地域の実習生仲間の紹介で知り合いました。平井さんは畑で野菜を栽培しており、そこでとれた野菜(トマト、白菜、ブロッコリー、タマネギ、サツマイモ、スイカなど)を私たち技能実習生の部屋にときどき持ってきてくれました。また、平井さんがたくさんのビールやお菓子を持って私たちの部屋に訪れ、実習生数人で一緒に飲むこともありました。逆に、私たちは平井さんの畑で草むしりをしたり料理を作って平井さんに届けたりしました。私たちは平井さんのことを「お父さん」と呼んでいました。 送別旅行〈鹿児島県で2020年〉 会社にも親切な日本人がいました。遠坂さんという50代の先輩とはよく一緒の現場に行きましたが、いつもやさしくしてくれました。また、遠坂さんは休日に私をよく車で海釣りに連れて行ってくれました。私は遠坂さんの分も弁当(春巻きなど)を作って持って行きました。遠坂さんを私たちの部屋に呼んで食事会をしたことも何度かあります。私が鹿児島を離れる際には、遠坂さんら日本人2人と同僚のベトナム人3人と一緒に送別旅行をしました。鹿児島県の指宿(いぶすき)への1泊旅行で、費用は会社が出してくれました。 特定技能を目指すことに ボランティア・グループの交流会〈名古屋市で2020年〉 私は訪日して2年目(2019年)、ベトナム人のボランティア・グループに入りました。普段は困っているベトナム人のために寄付をしたりFacebookで交流したりするだけですが、2020年にこのグループの交流会が名古屋であり、私も参加しました。このときに一緒に行動したメンバーの1人から特定技能のことを教えてもらいました。私は技能実習が終わってからも日本で働きたかったので、特定技能で雇ってくれる会社を探すことにしました。 そんなとき、FBで 日越ともいき支援会の吉水代表のことを知り、日本人の友だちがほしかったので友だちリクエストと自己紹介を送りました。吉水さんに特定技能のことも相談すると、「希望する業種の技能測定試験に合格すれば、建築とは違う業種でも特定技能外国人になれる」と教えてもらえました。 技能試験に合格し他社に内定 技能測定試験を受けるために訪れた博多駅〈2020年〉 私は技能測定試験の過去問題を調べるなどして勉強し、2020年12月、「外食業」と「飲食料品製造業」の試験に合格しました。私は試験を受けるために鹿児島から新幹線で博多駅(福岡市)に行き、試験開始に間に合わないので駅からタクシーに乗りました。タクシーに乗るのは日本で初めてです。ベトナムのタクシーと比べて料金がとても高く、十数分乗っただけで約2,500円かかりました。料金メーターがすごいスピードで上がるので、途中で降りたくなったほどです。 同じころ、技能実習としての在留資格は12月に終わるので、監理団体にお願いして帰国準備のための特定活動(6カ月)という在留資格に切り替えてもらいました。実習修了後、東京の日越ともいき支援会を訪ねて一時的に住ませてもらい、支援会とつながりのある千葉県のラーメン店経営会社の面接を受けて合格しました。それから4カ月近く経った現在は、特定技能の在留資格への変更手続き中で、在留資格の規定でまだ働けないので、支援会で仮住まいを続けています。この会社は日本全国に店がありベトナムにも2店あります。私は店で接客をしながらさらに日本語を磨き、将来はこの会社のベトナム事業にも貢献できたらと思っています。 今回の先輩 (グエン・ヴァン・トゥエン)さん 2013年 中学卒業、縫製工場に勤務 2017年 送出機関に登録〈ハノイ〉 2017年 訪日→講習→技能実習〈鹿児島〉 2020年 支援団体に仮住まい〈東京〉 2021年 ラーメン店経営会社に就職内定 〈1998年生まれ、ナムディン省出身〉 建築の技能実習中にJLPT・N2に合格したトゥエンさん。「外食」の技能測定試験を受けて合格し、特定技能でラーメン店経営会社に勤務することが決まった。トゥエンさんの実習生活や就活について紹介する。 〈Nội dung〉 • 海外で働いてみたかった • とび職の仕事 • 自習でN3、N2に合格 • 最初は給料少なく、失踪も検討 • 失踪しなかったその他の理由 • 鹿児島の親切な人たち • 特定技能を目指すことに • 技能試験に合格し他社に内定 海外で働いてみたかった 私は中学を卒業後、縫製工場で働いていましたが、ある日、遠縁の親せきから技能実習生として日本に行くように勧められました。「3年間で、日本に行くための借金を返し、さらに250万円貯金できる」という説明で、両親と話し合い、日本に行くことにしました。私は以前からいつか海外で働いてみたいと思っていたので、ちょうどよい誘いだったのです。 翌月、親せきから紹介されたハノイの送出機関の研修施設に入り、1週間後に初めて面接を受けて合格しました。それから約6カ月間、この施設で勉強し、送出機関には総額約200,000,000 VND(ベトナムドン、約95万円)を支払いました。そのうち約20,000,000 VNDは保証金で、私が実習中に失踪したり会社で評判が悪かったりすると保証金は返さないという取り決めでした。 送出機関の仲間たち〈ハノイで2017年〉 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・保証金や紹介手数料は規定違反です。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 〈参考〉こんなに違う送出機関の費用 とび職の仕事 私は技能実習には建築以外にもいろいろな業種があることや建築が人気のない業種であることを知りませんでした。研修施設に入ってからほかの職種があることを知りましたが、もう面接に合格していたので、そのまま日本に行きました。私は2017年12月に日本に来ました。実習先は鹿児島県で、実習生は私を入れて9人でした。「機械を使うから楽で安全な仕事」と送出機関から説明を受けていましたが、実際は、きつい肉体労働でした。私の職場では、手すりなどの資材や工具を投げて受け渡しする人が多く、危険を感じました。4、5㍍先から資材や工具を投げてくるので、手が痛いですし、取り損なったら怒られるので、大変でした。 ただ、週末には息抜きができました。スーパーに買い物に行くと、他社のベトナム人実習生と知り合います。自社の同僚や他社の実習生と一緒に互いの寮で飲み会をしたり、一緒に観光に出かけたりしました。 建築現場で働く私(左)〈鹿児島県で2018年〉 自習でN3、N2に合格 ハノイの送出機関では毎日7時間授業があり、「みんなの日本語」を半年間で25課まで習いました。また、それ以外に自分で38課まで学習しました。1クラス約20人で、私の成績はクラスで4番目でした。日本に来てからも、毎晩、寮で2時間勉強しました。教材は「新完全マスター」シリーズと「耳から覚える」シリーズでした。私は訪日2年目に日本語能力試験(JLPT)のN3とN2に立て続けに合格しました。 日本語学習に対する会社のサポートはなく、N3やN2に合格しても給料は上がりませんでした。また、受検の際の交通費も受検料も自己負担でした。ただ、監理団体(受入組合)はN3合格の際は1万円、N2合格の際には2万円をくれました。 最初は給料少なく、失踪も検討 私の手取り給料は最初の2年間は8万~12万円で、3年目は15万円(約31,600,000 VND)の月もありました。3年間で実家に送金した額は約250万円(約526,800,000 VND)で、勧誘した親せきの説明より約100万円少ない額でした。 手取り給料が8万円しかなかったときは、失踪してもっと給料の高い仕事(不法就労)を探そうと思ったこともあります。しかし、すぐには失踪せず、JLPT・N3に合格してから失踪しようと思い、勉強に力を入れました。失踪中に警察に捕まってベトナムに強制送還されても、N3以上の合格証を持っていればベトナムでよい仕事があるだろうと考えたからです。こうして、私は訪日して1年半後にN3に合格しました。しかし、「この日本語力ではまだ仕事に使えない」と思って引き続き勉強を続け、その半年後にN2に受かりました。 JLPTの受検会場近くで撮影した鹿児島県の街並み〈2019年12月〉 失踪しなかったその他の理由 私がN2に合格したころ、職場の先輩実習生4人が帰国し、私たちの仕事が増えました。私たち同期5人は「先輩がいなくなって仕事が増えるので、時給を上げてほしい」と上司に訴え、少しだけ時給を上げてもらうことができました。私が失踪しなかった大きな理由はJLPT合格という目標があったからですが、ほかにも次のような背景がありました。 • 寮費・光熱費・Wi-Fi費用が合計10,000円で、非常に低額だった。 • 現場への移動時間(片道10分~2時間)に対しても時給が支払われた。 ※移動時間に時給が支払われない職場もあります。 • 先輩が帰国した際に会社が時給アップに応じてくれた。 • 社内にも寮の近所にも親切な日本人がいて交流があった。 • 職場での暴力はなかった。 ※「バカ」「なにさぼってるんだ」「早くしろ」と言われることもありましたが、日本語会話がある程度できたので、半分冗談だと分かり、気になりませんでした。 近所の公園で同僚と食事会〈2018年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,070 VND(2021年4月8日現在) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 平均110,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費(水道・光熱とWi-Fi含む)は10,000円 支出(合計25,000~35,000円) 食費 20,000~25,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 5,000~10,000円 差額・貯金(平均80,000円) 貯金 80,000円 ※実家に送金 鹿児島の親切な人たち 寮の近所に銀行勤務の平井さんという男性がいて、地域の実習生仲間の紹介で知り合いました。平井さんは畑で野菜を栽培しており、そこでとれた野菜(トマト、白菜、ブロッコリー、タマネギ、サツマイモ、スイカなど)を私たち技能実習生の部屋にときどき持ってきてくれました。また、平井さんがたくさんのビールやお菓子を持って私たちの部屋に訪れ、実習生数人で一緒に飲むこともありました。逆に、私たちは平井さんの畑で草むしりをしたり料理を作って平井さんに届けたりしました。私たちは平井さんのことを「お父さん」と呼んでいました。 平井さんを通じて交流が深まった地域のベトナム人仲間〈2018年のハロウィンで〉 会社にも親切な日本人がいました。遠坂さんという50代の先輩とはよく一緒の現場に行きましたが、いつもやさしくしてくれました。また、遠坂さんは休日に私をよく車で海釣りに連れて行ってくれました。私は遠坂さんの分も弁当(春巻きなど)を作って持って行きました。遠坂さんを私たちの部屋に呼んで食事会をしたことも何度かあります。私が鹿児島を離れる際には、遠坂さんら日本人2人と同僚のベトナム人3人と一緒に送別旅行をしました。鹿児島県の指宿(いぶすき)への1泊旅行で、費用は会社が出してくれました。 送別旅行〈鹿児島県で2020年〉 特定技能を目指すことに 私は訪日して2年目(2019年)、ベトナム人のボランティア・グループに入りました。普段は困っているベトナム人のために寄付をしたりFacebookで交流したりするだけですが、2020年にこのグループの交流会が名古屋であり、私も参加しました。このときに一緒に行動したメンバーの1人から特定技能のことを教えてもらいました。私は技能実習が終わってからも日本で働きたかったので、特定技能で雇ってくれる会社を探すことにしました。 そんなとき、FBで 日越ともいき支援会の吉水代表のことを知り、日本人の友だちがほしかったので友だちリクエストと自己紹介を送りました。吉水さんに特定技能のことも相談すると、「希望する業種の技能測定試験に合格すれば、建築とは違う業種でも特定技能外国人になれる」と教えてもらえました。 ボランティア・グループの交流会〈名古屋市で2020年〉 技能試験に合格し他社に内定 私は技能測定試験の過去問題を調べるなどして勉強し、2020年12月、「外食業」と「飲食料品製造業」の試験に合格しました。私は試験を受けるために鹿児島から新幹線で博多駅(福岡市)に行き、試験開始に間に合わないので駅からタクシーに乗りました。タクシーに乗るのは日本で初めてです。ベトナムのタクシーと比べて料金がとても高く、十数分乗っただけで約2,500円かかりました。料金メーターがすごいスピードで上がるので、途中で降りたくなったほどです。 同じころ、技能実習としての在留資格は12月に終わるので、監理団体にお願いして帰国準備のための特定活動(6カ月)という在留資格に切り替えてもらいました。実習修了後、東京の日越ともいき支援会を訪ねて一時的に住ませてもらい、支援会とつながりのある千葉県のラーメン店経営会社の面接を受けて合格しました。それから4カ月近く経った現在は、特定技能の在留資格への変更手続き中で、在留資格の規定でまだ働けないので、支援会で仮住まいを続けています。この会社は日本全国に店がありベトナムにも2店あります。私は店で接客をしながらさらに日本語を磨き、将来はこの会社のベトナム事業にも貢献できたらと思っています。 技能測定試験を受けるために訪れた博多駅〈2020年〉

    2021年04月12日

  • Vol. 56 強制帰国寸前で救出!

    今回の先輩 トー・ティ・ヒエンさん 2000年 高校中退、家業手伝い〈タイビン県〉 2001年 靴製造会社で勤務〈ハイフォン県〉 2007年 長女出産、縫製工場勤務〈タイビン県〉 2018年 送出機関登録 2019年 2月:訪日→講習→技能実習〈奈良県〉 2019年 9月:OTITによって保護 2019年 12月:新しい職場で技能実習開始〈岩手県〉 〈1984年生まれ、タイビン省出身〉 社長から「あなたはもう会社に来なくてもいい」と言われた技能実習生ヒエンさん。送出機関社長もやってきて「あなたをベトナムに連れて帰る」と迫られたが、強制帰国寸前でOTIT(外国人技能実習機構)が出動!ヒエンさんは救出され、転職先も紹介してもらえることに。 〈このページの内容〉 • 娘の学費を稼ぐために日本へ • 訪日前の借金とその後の返済 • 過酷な労働と残業代不払い • 「もう会社に来なくてもよい • 絶望の帰国通告 • 「外国人実習生支援」にSOS • 外国人技能実習機構(OTIT)登場! • 新職場は別世界 娘の学費を稼ぐために日本へ 私の今の実習先〈2020年〉 私は、家が貧しかったので、高校2年の初めに学校を中退して母を手伝い、翌年からハイフォンの靴製造会社で働きました。当時は高校に行く人が少なく、私の周りでは半分もいませんでした。2006年に職場の地元の男性と結婚して妊娠し、退職しましたが、半年で離婚し、2007年1月に女児を出産しました。その9カ月後、縫製工場で仕事を始めました。娘は現在、中学3年生で、私の両親と一緒に暮らしています。娘の成績がよいので、私は娘の今後の学費を稼ぐために技能実習を志望しました。 訪日前の借金とその後の返済 今の職場での仕事〈岩手県で2020年〉 私は友人に紹介してもらったハノイの送出機関に登録し、支払いのために銀行から160,000,000ドン(約756,000円)を借りました。また、父の肺がんの治療のために、それとは別に140,000,000ドンを借りました。日本に来てから最初の職場で6カ月、今の職場で15カ月働き、借金はほぼ全額返済できました。今後は、技能実習の残り期間で娘の将来の学費をなるべく貯めたいです。また、3年間の実習が終わったら、技能実習3号として今の職場に戻りたいと希望しています。 前の職場では残業代をもらえず、毎月6、7万円しか実家に送金できませんでしたが、今の職場では毎月10万円送っています。父は病気、母も高齢です。自分たちの田畑を人に貸しているので、米や野菜は無料ですが、現金がないので、私の仕送りで3人の生活費と娘の学費をまかなっています。 ◇私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,240 VND(2021年3月11日現在) 手取り給料(平均140,000円) 手取り給料 137,000円~142,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は11,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 35,000円~40,000円) 食費 30,000円 ※自炊 雑費 5,000円~10,000円 ※生活雑貨、医薬品など ※ 差額・貯金(平均100,000円) 過酷な労働と残業代不払い 残業代が計上されなかった給与明細。「当時を思い出すと、今でも悔しい」。 私は現在、二つ目の実習先で働いていますが、最初の職場ではつらい目にあいました。それは奈良県の縫製工場で、私の手取り給料は88,000円(約18,700,000ドン)しかありませんでした。毎日17:00に定時の仕事が終わり、その後2、3時間(長いときは5時間)残業をしましたが、残業代をもらえませんでした。社長の理屈は「本来は200枚を8時間以内に縫わなければならない。200枚縫い終わるまでは残業にカウントしない」というものでした。 しかし、例えば男性用セーターを1人で縫う場合、そで、肩、わき、えりなどを縫い分けると、頑張っても1枚5分かかります。100枚で500分。これだけでも定時には終わりません。3時間残業しても1日150枚が精一杯ですし、息つく暇もなく縫うので、毎日くたくたでした。送出機関から「社長はいい人で、手取り170,000円」と説明されて応募しましたが、事実は全く違いました。 「もう会社に来なくてもよい」 当時の実習先〈2019年〉 この会社で働き始めて間もなく、近所のベトナム人実習生と知り合い、私の職場で技能実習を終えて帰国した先輩2人をSNSで紹介してくれました。先輩たちに聞くと、「残業代はゼロではなかったが、本来の額より少なかった」とのことでした。先輩たちもかわいそうでしたが、私たちはさらにひどい条件です。しかし、日本語ができないので社長に抗議もできず、悔しい思いで仕事を続けていたある日、社長から思わぬことを言われました。 私は社長から突然、「1日200枚縫えないならベトナムに帰ってください。あなたはもう会社に来なくてもいいです」と言われました。技能実習を始めて約3カ月で、まだ借金がたくさん残っていました。私はショックでぼうぜんとしました。その後、私から相談を受けた監理団体(組合)の通訳が社長と話をし、私は「1日200枚縫えない場合は、給料は受け取らない」という趣旨の誓約書(ベトナム語)を書かされて仕事に復帰しました。実習生3人のうち「会社に来なくていい」と言われたのは私だけでした。 絶望の帰国通告 送出機関社長に書かされた文書〈2019年9月〉 そして、事態はさらに悪化します。9月に送出機関の社長がハノイからやって来ました。少し前に発生した不良品が原因のようでした。社長の指示通りの針で縫ったところ、針の大きさが間違っており、100枚返品されたのです。送出機関の若い女性社長は私たち実習生3人と会社で話をし、その後、私だけを寮に連れて行きました。寮に着くなり社長は「会社はあなたをいらないと言っている。一緒に帰国しよう」と切り出しました。私は声を出して泣きました。これまでの経緯を説明し、一生懸命働いたのになぜ自分だけ帰されるのかと抗議しましたが、社長からは慰めの言葉もありませんでした。 それどころか、社長は「自分の希望でベトナムに帰国する」という文書を書くように私に言いました。それを書けば、未払いの3カ月分の給料を支払うとのことです。私は指示されるまま次のような趣旨の文書を書きました。「私は会社でいろいろな問題を起こし、不良品もよく出しました。現在、会社は私を不要としています。私は帰国しますので、6~8月分の給料を支払ってください」。社長は「ベトナムに帰国し、1、2カ月待てばまた新しい仕事が見つかって日本に戻れる」と言いましたが、信用できません。また、このように書かされましたが、実際は私の責任で不良品を出したことはありませんでした。 「外国人実習生支援」にSOS 榑松さんがOTITに送ってくれた申告書の一部〈2019年9月〉 私は文書を書いて職場に戻りましたが、昼休みになっても昼食がのどを通りませんでした。終業後も送出機関社長に公園に連れて行かれ、「ベトナムに戻って少し待てば、新しい仕事が見つかる」と午前と同じことを言われました。しかし、本当に新しい実習先を紹介してもらえる保証はありませんし、追加料金を要求される可能性もあります。私は「私は大きな借金をして日本に来たし、仕事もしっかりやっている。監理団体がほかの仕事を見つけるまで日本で待ちたい。帰国はしません」と言い残して寮に帰りました。 その夜、送出機関社長は私の失踪を警戒したのか、ホテルではなく私たち3人の寮に泊まりました。私は寝室である人にSOSメッセージを送りました。送った相手は「外国人実習生支援」という支援団体の榑松(くれまつ)代表で、不当な処遇をされた実習生を何人も助けてきた人です。実は、5月に「あなたはもう会社に来なくてもいい」と言われた直後、会社の先輩から榑松さんを紹介され、通訳(ベトナム人留学生のボランティア)も入ってSNSでやり取りを続けていたのです。 私は榑松さんに切迫した状況を伝えました。榑松さんからは「明日、OTITが会社に行く。しかし、もしその前に空港に連れて行かれた場合は、出国審査の入管職員に私の名刺を見せて『本当は帰国したくない』と伝えなさい」と返事があり、榑松さんの名刺の写真を送ってくれました。榑松さんはその直後、OTITにFAXで9枚の申告書と資料を送り、私を助け出すように依頼してくれました。 外国人技能実習機構(OTIT)登場! 翌朝、私はどきどきしながら出勤すると、約2時間後、OTITの担当者 2人が本当に会社に来ました!担当者の1人は縫製会社社長と話し、もう1人(女性)は私を寮に連れて行きました。寮には監理団体理事長も来ました。私はOTITから電話通訳を介して「あなたは無理に帰国させられるかも知れないので、私たちがあなたを保護します。あなたは今日からホテルに住み、私たちがほかの勤務先を探します」と説明されました。私は荷造りをし、OTITの車で大阪市内のホテルに移されました。 ホテルに行く前に会社に戻り、会社から未払いの3カ月分の給料を受け取りました。社長は深刻な顔をしていました。OTITの担当者は4人に増え、そのうち2人が監理団体理事長と話をしていました。理事長も深刻な表情でした。私は社長に「短い間でしたが、どうもありがとうございました。お元気で」とあいさつしましたが、社長は無言でした。その後、この会社の技能実習計画は取り消され、ほかの2人の実習生も別の職場に移されました。 新職場は別世界 左:寮の自分のベッド。毎晩、ここから娘に電話する; 右:寮の台所 約2カ月半後、私はOTITや榑松さんたちのおかげで岩手県の「ケーエスファクトリー」に移籍しました。同社は約20名の職場で、有名ブランドの婦人服の縫製を行っており、ベトナム人女性5人が技能実習をしています。監理団体は東京の「ワールドパワー協同組合」で、担当のベトナム人通訳が頻繁に来て、私たちの状況を聞いてくれます。 新型コロナがなければ、夏には社長が実習生たちに浴衣を買い与えて地元の夏祭りに連れて行ったり、春には車で花見に連れて行ってくれたりするそうです。今の職場は前の職場と環境も給料もまったく違います。私を助けてくれた「外国人実習生支援」やOTIT、そして今の社長にとても感謝しています。 【編集部からのアドバイス】 ❶ ヒエンさんの転籍先を紹介した監理団体は技能実習生を紹介する際、その会社が▽法律通り残業代を支払う▽技能実習日誌や管理簿をきちんとつける▽平均的な寮生活を提供する――などを条件としています。この組合の紹介先で技能実習をしたい場合は、問い合わせてみてください。 (監理団体)ワールドパワー協同組合 world-power@helen.ocn.ne.jp ※メール(ベトナム語)で問い合わせができます。翻訳に少し時間がかかります。 ❷ 強制帰国は違法 技能実習生の意に反して計画途中で帰国させることは違法です。実習生が技能実習の継続を希望している場合、受入会社や監理団体は責任を持って次の実習先を確保しなければなりません(法的義務)。 ❸ 実習先での問題はまず所属する監理団体に相談し、それで解決しない場合は、必ず外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語で電話(0120-250-168)で相談できますが、相談内容が深刻な場合は、紙に書いてOTITを訪問するか郵送する方が効果的です。 ❹ 万一、OTITに相談しても解決しない場合は、下記のような民間の支援団体もあります。 外国人実習生支援(Facebook) 日越ともいき支援会 会社の近くの桜〈岩手県で2020年〉 寮では勉強机も広々〈岩手県で2020年〉 今回の先輩 (トー・ティ・ヒエン)さん 2000年 高校中退、家業手伝い〈タイビン〉 2001年 靴製造会社で勤務〈ハイフォン〉 2007年 長女出産、縫製工場勤務〈タイビン〉 2018年 送出機関登録 2019年 2月:訪日→講習→技能実習〈奈良〉 2019年 9月:OTITによって保護 2019年 12月:新しい職場で技能実習開始〈岩手〉 〈1984年生まれ、タイビン省出身〉 社長から「あなたはもう会社に来なくてもいい」と言われた技能実習生ヒエンさん。送出機関社長もやってきて「あなたをベトナムに連れて帰る」と迫られたが、強制帰国寸前でOTIT(外国人技能実習機構)が出動!ヒエンさんは救出され、転職先も紹介してもらえることに。 〈このページの内容〉 • 娘の学費を稼ぐために日本へ • 訪日前の借金とその後の返済 • 過酷な労働と残業代不払い • 「もう会社に来なくてもよい」 • 絶望の帰国通告 • 「外国人実習生支援」にSOS • 外国人技能実習機構(OTIT)登場! • 新職場は別世界 娘の学費を稼ぐために日本へ 私は、家が貧しかったので、高校2年の初めに学校を中退して母を手伝い、翌年からハイフォンの靴製造会社で働きました。当時は高校に行く人が少なく、私の周りでは半分もいませんでした。2006年に職場の地元の男性と結婚して妊娠し、退職しましたが、半年で離婚し、2007年1月に女児を出産しました。その9カ月後、縫製工場で仕事を始めました。娘は現在、中学3年生で、私の両親と一緒に暮らしています。娘の成績がよいので、私は娘の今後の学費を稼ぐために技能実習を志望しました。 私の今の実習先〈2020年〉 訪日前の借金とその後の返済 私は友人に紹介してもらったハノイの送出機関に登録し、支払いのために銀行から160,000,000ドン(約756,000円)を借りました。また、父の肺がんの治療のために、それとは別に140,000,000ドンを借りました。日本に来てから最初の職場で6カ月、今の職場で15カ月働き、借金はほぼ全額返済できました。今後は、技能実習の残り期間で娘の将来の学費をなるべく貯めたいです。また、3年間の実習が終わったら、技能実習3号として今の職場に戻りたいと希望しています。 前の職場では残業代をもらえず、毎月6、7万円しか実家に送金できませんでしたが、今の職場では毎月10万円送っています。父は病気、母も高齢です。自分たちの田畑を人に貸しているので、米や野菜は無料ですが、現金がないので、私の仕送りで3人の生活費と娘の学費をまかなっています。 今の職場での仕事〈岩手県で2020年〉 ◇私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,240 VND(2021年3月11日現在) 手取り給料(平均140,000円) 手取り給料 137,000円~142,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は11,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 35,000円~40,000円) 食費 30,000円 ※自炊 雑費 5,000円~10,000円 ※生活雑貨、医薬品など ※ 差額・貯金(平均100,000円) 過酷な労働と残業代不払い 私は現在、二つ目の実習先で働いていますが、最初の職場ではつらい目にあいました。それは奈良県の縫製工場で、私の手取り給料は88,000円(約18,700,000ドン)しかありませんでした。毎日17:00に定時の仕事が終わり、その後2、3時間(長いときは5時間)残業をしましたが、残業代をもらえませんでした。私は社長から突然、「1日200枚縫えないならベトナムに帰ってください。あなたはもう会社に来なくてもいいです」と言われました。技能実習を始めて約3カ月で、まだ借金がたくさん残っていました。私はショックでぼうぜんとしました。社長の理屈は「本来は200枚を8時間以内に縫わなければならない。200枚縫い終わるまでは残業にカウントしない」というものでした。 しかし、例えば男性用セーターを1人で縫う場合、そで、肩、わき、えりなどを縫い分けると、頑張っても1枚5分かかります。100枚で500分。これだけでも定時には終わりません。3時間残業しても1日150枚が精一杯ですし、息つく暇もなく縫うので、毎日くたくたでした。送出機関から「社長はいい人で、手取り170,000円」と説明されて応募しましたが、事実は全く違いました。 残業代が計上されなかった給与明細。「当時を思い出すと、今でも悔しい」。 「もう会社に来なくてもよい」 この会社で働き始めて間もなく、近所のベトナム人実習生と知り合い、私の職場で技能実習を終えて帰国した先輩2人をSNSで紹介してくれました。先輩たちに聞くと、「残業代はゼロではなかったが、本来の額より少なかった」とのことでした。先輩たちもかわいそうでしたが、私たちはさらにひどい条件です。しかし、日本語ができないので社長に抗議もできず、悔しい思いで仕事を続けていたある日、社長から思わぬことを言われました。 私は社長から突然、「1日200枚縫えないならベトナムに帰ってください。あなたはもう会社に来なくてもいいです」と言われました。技能実習を始めて約3カ月で、まだ借金がたくさん残っていました。私はショックでぼうぜんとしました。その後、私から相談を受けた監理団体(組合)の通訳が社長と話をし、私は「1日200枚縫えない場合は、給料は受け取らない」という趣旨の誓約書(ベトナム語)を書かされて仕事に復帰しました。実習生3人のうち「会社に来なくていい」と言われたのは私だけでした。 当時の実習先〈2019年〉 絶望の帰国通告 そして、事態はさらに悪化します。9月に送出機関の社長がハノイからやって来ました。少し前に発生した不良品が原因のようでした。社長の指示通りの針で縫ったところ、針の大きさが間違っており、100枚返品されたのです。送出機関の若い女性社長は私たち実習生3人と会社で話をし、その後、私だけを寮に連れて行きました。寮に着くなり社長は「会社はあなたをいらないと言っている。一緒に帰国しよう」と切り出しました。私は声を出して泣きました。これまでの経緯を説明し、一生懸命働いたのになぜ自分だけ帰されるのかと抗議しましたが、社長からは慰めの言葉もありませんでした。 それどころか、社長は「自分の希望でベトナムに帰国する」という文書を書くように私に言いました。それを書けば、未払いの3カ月分の給料を支払うとのことです。私は指示されるまま次のような趣旨の文書を書きました。「私は会社でいろいろな問題を起こし、不良品もよく出しました。現在、会社は私を不要としています。私は帰国しますので、6~8月分の給料を支払ってください」。社長は「ベトナムに帰国し、1、2カ月待てばまた新しい仕事が見つかって日本に戻れる」と言いましたが、信用できません。また、このように書かされましたが、実際は私の責任で不良品を出したことはありませんでした。 送出機関社長に書かされた文書〈2019年9月〉 「外国人実習生支援」にSOS 私は文書を書いて職場に戻りましたが、昼休みになっても昼食がのどを通りませんでした。終業後も送出機関社長に公園に連れて行かれ、「ベトナムに戻って少し待てば、新しい仕事が見つかる」と午前と同じことを言われました。しかし、本当に新しい実習先を紹介してもらえる保証はありませんし、追加料金を要求される可能性もあります。私は「私は大きな借金をして日本に来たし、仕事もしっかりやっている。監理団体がほかの仕事を見つけるまで日本で待ちたい。帰国はしません」と言い残して寮に帰りました。 その夜、送出機関社長は私の失踪を警戒したのか、ホテルではなく私たち3人の寮に泊まりました。私は寝室である人にSOSメッセージを送りました。送った相手は「外国人実習生支援」という支援団体の榑松(くれまつ)代表で、不当な処遇をされた実習生を何人も助けてきた人です。実は、5月に「あなたはもう会社に来なくてもいい」と言われた直後、会社の先輩から榑松さんを紹介され、通訳(ベトナム人留学生のボランティア)も入ってSNSでやり取りを続けていたのです。 私は榑松さんに切迫した状況を伝えました。榑松さんからは「明日、OTITが会社に行く。しかし、もしその前に空港に連れて行かれた場合は、出国審査の入管職員に私の名刺を見せて『本当は帰国したくない』と伝えなさい」と返事があり、榑松さんの名刺の写真を送ってくれました。榑松さんはその直後、OTITにFAXで9枚の申告書と資料を送り、私を助け出すように依頼してくれました。 榑松さんがOTITに送ってくれた申告書の一部〈2019年9月〉 外国人技能実習機構(OTIT)登場! 翌朝、私はどきどきしながら出勤すると、約2時間後、OTITの担当者 2人が本当に会社に来ました!担当者の1人は縫製会社社長と話し、もう1人(女性)は私を寮に連れて行きました。寮には監理団体理事長も来ました。私はOTITから電話通訳を介して「あなたは無理に帰国させられるかも知れないので、私たちがあなたを保護します。あなたは今日からホテルに住み、私たちがほかの勤務先を探します」と説明されました。私は荷造りをし、OTITの車で大阪市内のホテルに移されました。 ホテルに行く前に会社に戻り、会社から未払いの3カ月分の給料を受け取りました。社長は深刻な顔をしていました。OTITの担当者は4人に増え、そのうち2人が監理団体理事長と話をしていました。理事長も深刻な表情でした。私は社長に「短い間でしたが、どうもありがとうございました。お元気で」とあいさつしましたが、社長は無言でした。その後、この会社の技能実習計画は取り消され、ほかの2人の実習生も別の職場に移されました。 新職場は別世界 約2カ月半後、私はOTITや榑松さんたちのおかげで岩手県の「ケーエスファクトリー」に移籍しました。同社は約20名の職場で、有名ブランドの婦人服の縫製を行っており、ベトナム人女性5人が技能実習をしています。監理団体は東京の「ワールドパワー協同組合」で、担当のベトナム人通訳が頻繁に来て、私たちの状況を聞いてくれます。 新型コロナがなければ、夏には社長が実習生たちに浴衣を買い与えて地元の夏祭りに連れて行ったり、春には車で花見に連れて行ってくれたりするそうです。今の職場は前の職場と環境も給料もまったく違います。私を助けてくれた「外国人実習生支援」やOTIT、そして今の社長にとても感謝しています。 左:寮の自分のベッド。毎晩、ここから娘に電話する; 右:寮の台所 【編集部からのアドバイス】 ❶ ヒエンさんの転籍先を紹介した監理団体は技能実習生を紹介する際、その会社が▽法律通り残業代を支払う▽技能実習日誌や管理簿をきちんとつける▽平均的な寮生活を提供する――などを条件としています。この組合の紹介先で技能実習をしたい場合は、問い合わせてみてください。 (監理団体)ワールドパワー協同組合 world-power@helen.ocn.ne.jp ※メール(ベトナム語)で問い合わせができます。翻訳に少し時間がかかります。 ❷ 強制帰国は違法 技能実習生の意に反して計画途中で帰国させることは違法です。実習生が技能実習の継続を希望している場合、受入会社や監理団体は責任を持って次の実習先を確保しなければなりません(法的義務)。 ❸ 実習先での問題はまず所属する監理団体に相談し、それで解決しない場合は、必ず外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語で電話(0120-250-168)で相談できますが、相談内容が深刻な場合は、紙に書いてOTITを訪問するか郵送する方が効果的です。 ❹ 万一、OTITに相談しても解決しない場合は、下記のような民間の支援団体もあります。 外国人実習生支援(Facebook) 日越ともいき支援会 会社の近くの桜〈岩手県で2020年〉 寮では勉強机も広々〈岩手県で2020年〉

    2021年03月29日

  • Vol. 54 失踪、不法就労、そして失職

    今回の先輩 ズンさん=仮名 2018年高校卒業〈ドンナイ省〉 2019年送出機関に登録〈ホーチミン〉 2020年訪日(2月)→入国後講習 2020年建築の技能実習〈富山県、神奈川県〉 2020年不法就労(7~10月)〈長野県) 2020年日越ともいき支援会で保護〈東京〉 2021年介護のアルバイト〈東京〉 〈1998年生まれ、ドンナイ省出身〉 ズンさん(仮名)は技能実習中に失踪し、農家で不法就労をしたが、この仕事を紹介した会社が警察に摘発された。失踪生活で心身ともに疲れ、「失踪せず、支援機関に相談すればよかった」と後悔する。 〈このページの内容〉 • 家業倒産で多額の借金 • 紹介少なく、不人気業種に応募 • 3カ月で労働内容変更 • 不平等な重労働 • ウーバーイーツ詐欺 • 不法就労へのプロセス • 不法就労の実態 • 失職 • 失踪の結末 家業倒産で多額の借金 私が通った送出機関の日本語センターで旧正月を祝うイベント 私の父はアンザン省で稲作と小型船エンジンの販売をしていましたが、私が高校生のときにエンジン販売業が倒産し、約7億ドン(約320万円)の負債ができました。両親は自宅と水田を売って一部を返済し、知人から紹介された家具工場で働くためにドンナイ省に移りました。私と兄は近所の祖父母のもとに残り、両親の生活が落ち着いてから合流しました。 高校2年の途中でドンナイ省に移り、3カ月間は両親と一緒に働き、翌年度に高2をもう一度やり直しました。転校前の成績はクラスの上位3分の1に入っていましたが、多額の借金があるので、進学をあきらめました。そのころ、高校に送出機関が来て技能実習の説明をしました。「日本に行けば、ベトナムでは考えられない額の給料をもらえ、技術も学べる」という説明でした。 紹介少なく、不人気業種に応募 不合格になった最初の採用面接〈ホーチミン市で2019年6月〉 私は技能実習生になろうと思い、どの送出機関に依頼すべきかネットで調べました。「信用できる送出機関ランキング(Top công ty xuất khẩu lao động nhật bản uy tín)」などのキーワードで検索し、約10社をリストアップしました。これらの会社に電話などで問い合わせ、条件や対応のよかった2社を訪問して1社を選びました。同社の担当者は「手取り給料は30,000,000ドン(約138,000円)を超える」と説明しました。 私はこの会社に2019年2月に登録しましたが、リサーチ不足だったことが後で分かりました。人気職種の求人紹介が少なかったのです。たまに良い求人があっても、他の送出機関からの紹介で、採用された場合に20,000,000ドンの追加料金がかかります。このため、6月にやっと最初の面接を受け(不合格)、7月に2回目の面接で合格しました。不人気の建設業でしたが、焦りもあって仕方なく応募したのです。 3カ月で労働内容変更 短かった富山での生活〈2020年3月〉 私は2020年2月に訪日し、3月から富山県で技能実習を始めました。手取り給料は約104,000円(約22,666,000ドン)でした。工場で機械を使って鉄筋を折り曲げ、針金で束ねてから運ぶ仕事でした。 当初の契約書では、1年間はこの作業で、2年目から建築現場で働くことになっていました。しかし、実際には、3カ月で神奈川県に転勤させられて新しい契約書に署名させられ、東京・新宿の超高層ビル建築現場にかり出されました。手取り給料は約135,000円に増えましたが、仕事が過酷なうえ、職場環境にも問題がありました。 不平等な重労働 新宿の超高層ビル建築現場〈2020年6月〉 ここでの仕事は8:00~17:00ですが、家を出るのは5:30、帰宅は19:30でした。いくつかの会社から役割の違うチームが集まり、私たちの会社からは10~20人(半分以上がベトナム人)が出向いていました。私たちの役割は鉄筋を組み立てるための準備ですが、同じチームの若い日本人3人が楽な仕事を取り、私たち実習生は鉄筋運びが中心でした。鉄筋を肩に担いで数十㍍運びます。1人で20㌔以上、2人で約50㌔の鉄筋を運ぶこともあります。鉄筋運びばかりを1日中させられることもあり、歩けなくなるぐらいけなくなるぐらい疲れました。現場責任者が状況を把握しておらず、仕事の割り振りが不平等だったのです。 また、若い日本人3人は休憩時間などに私たちの悪口を言いふらしていました。先輩実習生によると、「仕事のできが悪い」「帰国すればいい」などと言っていたそうです。関係を良くしようと、私たちが休憩時間に飲み物を渡しても、彼らには無視されてしまいました。 ウーバーイーツ詐欺 新大久保駅周辺〈資料写真〉 こうした日々が続き、私は失踪を考え始めました。仕事の過酷さや職場の人間関係も原因ですが、期待していた給料より低かったことが最大の要因でした。このままでは実家の借金をなかなか返せないと思ったのです。手取り給料がせめて150,000円あれば、思いとどまっていたかも知れません。 神奈川に転勤して1カ月後の7月4日(給料日の翌日)、同期のタム君(仮名)と私は失踪しました。そのころ、送出機関の同期で他社から先に失踪していたチェン君(仮名)が東京でウーバーイーツの仕事をしていました。ベトナムのグラブイーツと同じ仕事です。私たちは電車で東京のJR新大久保駅に行き、チェン君を訪ねました。彼は2段ベッドが3台置かれた狭い部屋に住んでいました。部屋の借主の留学生とチェン君ら失踪者3人がおり、私たちもここに1人1万円で2週間住ませてもらいました。 ウーバーイーツ配達員〈資料写真〉 ウーバーイーツの仕事をするにはアカウントを作らなければなりませんが、技能実習生は登録できませできません。そこで、アカウントのヤミ取引が行われています。私たちはチェン君の紹介で自称留学生のベトナム人2人に10万円ずつ払ってアカウントを購入しました。しかし、翌日にはログインできなくなり、彼らと連絡が取れなくなりました。私は売った男のSNS記録から彼の知人を探して男の住所を聞き出し、訪ねて行ってまず5万円を回収しました。ただ、相手はすぐに転居し、残額は回収できませんでした。 不法就労へのプロセス 不法就労現場の畑〈長野県川上村で2020年〉 そこで、私とタム君はFacebookページ“Tokyo Baito”で求人情報を探したり、失踪経験者などに問い合わせたりしました。私たちが使った送出機関の日本語教師(元実習生)2人にも問い合わせると、1人が日本に住む友人をSNSで紹介してくれました。その人からは、太陽光パネルや農業、解体の仕事があると連絡を受けましたが、勤務開始まで2週間かかるとのことだったので遠慮しました。 数日後、Tokyo Baitoで「長野県で農業の仕事。すぐに働ける」という趣旨の投稿を見つけました。私はSNSでたまたまつながっていた失踪実習生に「このバイトは信用できますか?」と尋ねました。彼は「大丈夫だ。この仕事のあっせん業者を紹介する」と言い、トゥンという人物をSNSで紹介してくれました。私とタム君はトゥン氏にメッセージを送り、先に返事をもらったタム君が翌日、長野県に行って農家を紹介されました。私にも1日遅れてトゥン氏から返信があり、偽造在留カードを作るためにパスポートと在留カードの写真を送信するよう指示されました。偽造費用の1万円を送金する際には、他人のキャッシュカードを使いました。私がネットでやり取りして違法に入手したカードでした。 偽造在留カードの費用を振り込むために使った他人のキャッシュカード 7月14日、新幹線で長野県の佐久平駅に着くと、トゥン氏が待っていました。彼が運転する車で約1時間かけて長野県川上村に向かう途中、ホアンという人物も乗車しました。偽造在留カードはまだできておらず、ホアン氏の指示で農家の主人に本物を見せたのですが、主人は承諾しました。 主人は不法就労と知りながら私を雇ったことになります。私はホアン氏に2万円を払い、その日からここに住みました。寮は倉庫の2階でした。 不法就労の実態 午後は草むしりや施肥など〈長野県川上村で2020年〉 農家の仕事はハードでした。朝1時半に起きて、2時から11時半まで働きます。その間、休憩はわずか10分。その後、2時間の昼休みをはさんで13時半から16時半まで働きます。終業後は夕食とシャワーだけ済ませ、19時までに就寝します。未明の仕事では、ヘッドランプで照らしながらレタスの根元を包丁で切って収穫し、サイズを分けて箱詰めした後、トラックに載せます。午後は苗の植え付けや施肥、草むしりなどをします。 作業をするのは日本人3人とベトナム人3人です。川上村と隣の南牧村では約1,500戸の農家が外国人労働者を必要としていますが、新型コロナの影響で外国人の入国が止まり、ホアン氏らの不法就労あっせんに頼る農家が続出していたようです。 失職 ホアンアン社から送られてきたSNSメッセージ 当時はレタス出荷の最盛期で、9月末まで休日なしでしたが、手取り給料は7月(15日間):約15万円(約32,690,000ドン)▽8月:約24万円▽9月:約23万円――あったので、助かりました。ただ、10月には仕事が減り、約15万円になりました。給料はホアン氏らの会社の人が毎月車でやって来て現金で渡してくれました。毎月の出費は4万円くらいで、実家にたくさん送金できました。ただ、冬は給料が減るので、そろそろほかの仕事を探さなければと思っていた矢先、突然解雇されることになりました。 10月13日、会社からSNSで連絡が来ました。「警察に調べられている。ベトナム人労働者との契約を終える方向だ」という趣旨でした。20日、ベトナム人不法就労者100人以上が村の農協に集められ、大阪から来た日本人やホアン氏らから「ホアンアン合同会社に警察の捜査が入ったので、皆さんとの契約を終える。皆さん逃げてください」と通告されました。私は自分がホアンアンの派遣社員だったことを初めて知りました。27日、主人に駅まで車で送ってもらい、東京に戻りました。東京では、知人から紹介されたNPO法人に保護してもらいました。 【編集部からの説明】 「ホアンアン合同会社」は大阪市内の会社で、2020年10月、代表社員の女性やダン・ヴ・ホアン業務執行役員が、無許可で労働者を供給したとして職業安定法違反容疑で逮捕され、その後、起訴されました。 失踪の結末 ◆ わが家の借金と返済の状況 借金 返済 借金残額 1 倒産 700,000,000 đ 700,000,000 đ 2 家と水田売却 250,000,000 đ 450,000,000 đ 3 両親の工場勤務 150,000,000 đ 300,000,000 đ 4 私の訪日費用 190,000,000 đ 490,000,000 đ 5 家財売却 30,000,000 đ 460,000,000 đ 6 親せきの援助 130,000,000 đ 330,000,000 đ 7 私からの送金 150,000,000 đ 180,000,000 đ ※100,000,000₫ =約458,400円(2021年2月22日現在) 失踪して半月後、ビデオ通話中に私の部屋が以前と違うことに気付いた母に追及され、「失踪して農業をしている」と白状しました。母はとても心配しました。 また、富山県の3カ月で計21万円、長野県の4カ月で計50万円を両親に送りましたが、失職後の2カ月間半は無収入でした。失踪すると雇用が安定せず、無職の時期もできるので、失踪せず地道に働き続ける方が、結局はたくさん送金できるようです。 日越ともいき支援会で〈2020年10月〉 私は今では、失踪したことを後悔しています。不法就労は精神的にも疲れました。しかも、農家の仕事は工事現場の仕事と同じぐらいきつかったうえ、夜間や休日の割り増し賃金が支払われませんでした。それなのに、不法就労なのでどこにも相談できませんでした。今なら、技能実習先で困難があれば、まず監理団体に相談します。それでだめなら外国人技能実習機構(OTIT)や民間の支援機関に相談します。 私はNPO法人日越ともいき支援会の支援で2021年1月から介護のアルバイトをしています。今の手取りは11万~13万円ですが、試験に受かって特定技能外国人になれれば、給料が上がり長期間働けます。地道に働いて借金を返し、将来のために貯金もしたいと思います。 今回の先輩 Dung(ズン)さん=仮名 2018年 高校卒業〈ドンナイ省〉 2019年 送出機関に登録〈ホーチミン〉 2020年 訪日(2月)→入国後講習 2020年 建築の技能実習〈富山、神奈川〉 2020年 不法就労(7~10月)〈長野) 2020年 日越ともいき支援会で保護〈東京〉 2021年 介護のアルバイト〈東京〉 〈1998年生まれ、ドンナイ省出身〉 ズンさん(仮名)は技能実習中に失踪し、農家で不法就労をしたが、この仕事を紹介した会社が警察に摘発された。失踪生活で心身ともに疲れ、「失踪せず、支援機関に相談すればよかった」と後悔する。 〈このページの内容〉 • 家業倒産で多額の借金 • 紹介少なく、不人気業種に応募 • 3カ月で労働内容変更 • 不平等な重労働 • ウーバーイーツ詐欺 • 不法就労へのプロセス • 不法就労の実態 • 失職 • 失踪の結末 家業倒産で多額の借金 私の父はアンザン省で稲作と小型船エンジンの販売をしていましたが、私が高校生のときにエンジン販売業が倒産し、約7億ドン(約320万円)の負債ができました。両親は自宅と水田を売って一部を返済し、知人から紹介された家具工場で働くためにドンナイ省に移りました。私と兄は近所の祖父母のもとに残り、両親の生活が落ち着いてから合流しました。 高校2年の途中でドンナイ省に移り、3カ月間は両親と一緒に働き、翌年度に高2をもう一度やり直しました。転校前の成績はクラスの上位3分の1に入っていましたが、多額の借金があるので、進学をあきらめました。そのころ、高校に送出機関が来て技能実習の説明をしました。「日本に行けば、ベトナムでは考えられない額の給料をもらえ、技術も学べる」という説明でした。 私が通った送出機関の日本語センターで旧正月を祝うイベント 紹介少なく、不人気業種に応募 私は技能実習生になろうと思い、どの送出機関に依頼すべきかネットで調べました。「信用できる送出機関ランキング(Top công ty xuất khẩu lao động nhật bản uy tín)」などのキーワードで検索し、約10社をリストアップしました。これらの会社に電話などで問い合わせ、条件や対応のよかった2社を訪問して1社を選びました。同社の担当者は「手取り給料は30,000,000ドン(約138,000円)を超える」と説明しました。 私はこの会社に2019年2月に登録しましたが、リサーチ不足だったことが後で分かりました。人気職種の求人紹介が少なかったのです。たまに良い求人があっても、他の送出機関からの紹介で、採用された場合に20,000,000ドンの追加料金がかかります。このため、6月にやっと最初の面接を受け(不合格)、7月に2回目の面接で合格しました。不人気の建設業でしたが、焦りもあって仕方なく応募したのです。 不合格になった最初の採用面接〈ホーチミン市で2019年6月〉 3カ月で労働内容変更 私は2020年2月に訪日し、3月から富山県で技能実習を始めました。手取り給料は約104,000円(約22,666,000ドン)でした。工場で機械を使って鉄筋を折り曲げ、針金で束ねてから運ぶ仕事でした。 当初の契約書では、1年間はこの作業で、2年目から建築現場で働くことになっていました。しかし、実際には、3カ月で神奈川県に転勤させられて新しい契約書に署名させられ、東京・新宿の超高層ビル建築現場にかり出されました。手取り給料は約135,000円に増えましたが、仕事が過酷なうえ、職場環境にも問題がありました。 短かった富山での生活〈2020年3月〉 不平等な重労働 ここでの仕事は8:00~17:00ですが、家を出るのは5:30、帰宅は19:30でした。いくつかの会社から役割の違うチームが集まり、私たちの会社からは10~20人(半分以上がベトナム人)が出向いていました。私たちの役割は鉄筋を組み立てるための準備ですが、同じチームの若い日本人3人が楽な仕事を取り、私たち実習生は鉄筋運びが中心でした。鉄筋を肩に担いで数十㍍運びます。1人で20㌔以上、2人で約50㌔の鉄筋を運ぶこともあります。鉄筋運びばかりを1日中させられることもあり、歩けなくなるぐらい けなくなるぐらい疲れました。現場責任者が状況を把握しておらず、仕事の割り振りが不平等だったのです。 また、若い日本人3人は休憩時間などに私たちの悪口を言いふらしていました。先輩実習生によると、「仕事のできが悪い」「帰国すればいい」などと言っていたそうです。関係を良くしようと、私たちが休憩時間に飲み物を渡しても、彼らには無視されてしまいました。 新宿の超高層ビル建築現場〈2020年6月〉 ウーバーイーツ詐欺 こうした日々が続き、私は失踪を考え始めました。仕事の過酷さや職場の人間関係も原因ですが、期待していた給料より低かったことが最大の要因でした。このままでは実家の借金をなかなか返せないと思ったのです。手取り給料がせめて150,000円あれば、思いとどまっていたかも知れません 神奈川に転勤して1カ月後の7月4日(給料日の翌日)、同期のタム君(仮名)と私は失踪しました。そのころ、送出機関の同期で他社から先に失踪していたチェン君(仮名)が東京でウーバーイーツの仕事をしていました。ベトナムのグラブイーツと同じ仕事です。私たちは電車で東京のJR新大久保駅に行き、チェン君を訪ねました。彼は2段ベッドが3台置かれた狭い部屋に住んでいました。部屋の借主の留学生とチェン君ら失踪者3人がおり、私たちもここに1人1万円で2週間住ませてもらいました。 新大久保駅周辺〈資料写真〉 ウーバーイーツの仕事をするにはアカウントを作らなければなりませんが、技能実習生は登録できませ できません。そこで、アカウントのヤミ取引が行われています。私たちはチェン君の紹介で自称留学生のベトナム人2人に10万円ずつ払ってアカウントを購入しました。しかし、翌日にはログインできなくなり、彼らと連絡が取れなくなりました。私は売った男のSNS記録から彼の知人を探して男の住所を聞き出し、訪ねて行ってまず5万円を回収しました。ただ、相手はすぐに転居し、残額は回収できませんでした。 ウーバーイーツ配達員〈資料写真〉 不法就労へのプロセス そこで、私とタム君はFacebookページ“Tokyo Baito”で求人情報を探したり、失踪経験者などに問い合わせたりしました。私たちが使った送出機関の日本語教師(元実習生)2人にも問い合わせると、1人が日本に住む友人をSNSで紹介してくれました。その人からは、太陽光パネルや農業、解体の仕事があると連絡を受けましたが、勤務開始まで2週間かかるとのことだったので遠慮しました。 数日後、Tokyo Baitoで「長野県で農業の仕事。すぐに働ける」という趣旨の投稿を見つけました。私はSNSでたまたまつながっていた失踪実習生に「このバイトは信用できますか?」と尋ねました。彼は「大丈夫だ。この仕事のあっせん業者を紹介する」と言い、トゥンという人物をSNSで紹介してくれました。私とタム君はトゥン氏にメッセージを送り、先に返事をもらったタム君が翌日、長野県に行って農家を紹介されました。私にも1日遅れてトゥン氏から返信があり、偽造在留カードを作るためにパスポートと在留カードの写真を送信するよう指示されました。偽造費用の1万円を送金する際には、他人のキャッシュカードを使いました。私がネットでやり取りして違法に入手したカードでした。 不法就労現場の畑〈長野県川上村で2020年〉 7月14日、新幹線で長野県の佐久平駅に着くと、トゥン氏が待っていました。彼が運転する車で約1時間かけて長野県川上村に向かう途中、ホアンという人物も乗車しました。偽造在留カードはまだできておらず、ホアン氏の指示で農家の主人に本物を見せたのですが、主人は承諾しました。主人は不法就労と知りながら私を雇ったことになります。 私はホアン氏に2万円を払い、その日からここに住みました。寮は倉庫の2階でした。 偽造在留カードの費用を振り込むために使った他人のキャッシュカード 不法就労の実態 農家の仕事はハードでした。朝1時半に起きて、2時から11時半まで働きます。その間、休憩はわずか10分。その後、2時間の昼休みをはさんで13時半から16時半まで働きます。終業後は夕食とシャワーだけ済ませ、19時までに就寝します。未明の仕事では、ヘッドランプで照らしながらレタスの根元を包丁で切って収穫し、サイズを分けて箱詰めした後、トラックに載せます。午後は苗の植え付けや施肥、草 むしりなどをします。 作業をするのは日本人3人とベトナム人3人です。川上村と隣の南牧村では約1,500戸の農家が外国人労働者を必要としていますが、新型コロナの影響で外国人の入国が止まり、ホアン氏らの不法就労あっせんに頼る農家が続出していたようです。 午後は草むしりや施肥など〈長野県川上村で2020年〉 失職 当時はレタス出荷の最盛期で、9月末まで休日なしでしたが、手取り給料は7月(15日間):約15万円(約32,690,000ドン)▽8月:約24万円▽9月:約23万円――あったので、助かりました。ただ、10月には仕事が減り、約15万円になりました。給料はホアン氏らの会社の人が毎月車でやって来て現金で渡してくれました。毎月の出費は4万円くらいで、実家にたくさん送金できました。ただ、冬は給料が減るので、そろそろほかの仕事を探さなければと思っていた矢先、突然解雇されることになりました。 10月13日、会社からSNSで連絡が来ました。「警察に調べられている。ベトナム人労働者との契約を終える方向だ」という趣旨でした。0日、ベトナム人不法就労者100人以上が村の農協に集められ、大阪から来た日本人やホアン氏らから「ホアンアン合同会社に警察の捜査が入ったので、皆さんとの契約を終える。皆さん逃げてください」と通告されました。私は自分がホアンアンの派遣社員だったことを初めて知りました。27日、主人に駅まで車で送ってもらい、東京に戻りました。東京では、知人から紹介されたNPO法人に保護してもらいました。 午後は草むしりや施肥など〈長野県川上村で2020年〉 【編集部からの説明】 「ホアンアン合同会社」は大阪市内の会社で、2020年10月、代表社員の女性やダン・ヴ・ホアン業務執行役員が、無許可で労働者を供給したとして職業安定法違反容疑で逮捕され、その後、起訴されました。 失踪の結末 失踪して半月後、ビデオ通話中に私の部屋が以前と違うことに気付いた母に追及され、「失踪して農業をしている」と白状しました。母はとても心配しました。また、富山県の3カ月で計21万円、長野県の4カ月で計50万円を両親に送りましたが、失職後の2カ月間半は無収入でした。失踪すると雇用が安定せず、無職の時期もできるので、失踪せず地道に働き続ける方が、結局はたくさん送金できるようです。 ◆ わが家の借金と返済の状況 借金 返済 借金残額 1 倒産 700,000,000 đ 700,000,000 đ 2 家と水田売却 250,000,000 đ 450,000,000 đ 3 両親の工場勤務 150,000,000 đ 300,000,000 đ 4 私の訪日費用 190,000,000 đ 490,000,000 đ 5 家財売却 30,000,000 đ 460,000,000 đ 6 親せきの援助 130,000,000 đ 330,000,000 đ 7 私からの送金 150,000,000 đ 180,000,000 đ ※100,000,000₫ =約458,400円(2021年2月22日現在) 私は今では、失踪したことを後悔しています。不法就労は精神的にも疲れました。しかも、農家の仕事は工事現場の仕事と同じぐらいきつかったうえ、夜間や休日の割り増し賃金が支払われませんでした。それなのに、不法就労なのでどこにも相談できませんでした。今なら、技能実習先で困難があれば、まず監理団体に相談します。それでだめなら外国人技能実習機構(OTIT)や民間の支援機関に相談します。 私はNPO法人日越ともいき支援会 の支援で2021年1月から介護のアルバイトをしています。今の手取りは11万~13万円ですが、試験に受かって特定技能外国人になれれば、給料が上がり長期間働けます。地道に働いて借金を返し、将来のために貯金もしたいと思います。 日越ともいき支援会で〈2020年10月〉

    2021年03月19日

主催者

Nhà tài trợ Bạch Kim

後援

  • 在ベトナム日本国大使館
  • 国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
  • JNTOハノイ事務所
  • 関西経済連合会
  • 一般社団法人 国際人流振興協会
  • 公益社団法人 ベトナム協会
  • NPO法人 日越ともいき支援会

協力

JASSO(日本学生支援機構)

外国人労働者弁護団

WA.SA.Bi.