体験談(留学・高度)

vol8101
By KOKORO(毎日新聞社+VAIJ主催、在ベトナム日本国大使館など後援)
ハノイ工科大学を中退してFPT短大と日本の専門学校でデザインやアニメーションについて勉強したベトさん。留学後にデジタルデザイナーとして独立し、アイコンのデザインや日本アニメの字幕制作などを受注し、生き生きと働いています。

今回の先輩

グエン・ホアン・ベト さん

  • 2010年 Kim Lien高校卒業〈ハノイ〉
  • 2010年 ハノイ工科大学入学
  • 2013年 ハノイ工科大学中退
  • 2013年 FPT Polytechnic短大入学〈ハノイ、3年間〉
  • 2016年 日本語学校入学〈東京都、2年間〉
  • 2018年 日本アニメ・マンガ専門学校入学〈新潟県〉
  • 2020年 日本アニメ・マンガ専門学校卒業
  • 2020年 帰国、デジタルデザイナーとして活動
〈1992年生まれ、ハノイ市出身〉

アニメの字幕制作

私たちがベトナム語字幕を付けたアニメが配信されているYouTubeチャンネル

私は日本で日本語とデザインを勉強して帰国し、今はデジタルデザイナーの仕事をしています。そして、副業として、アニメ作品にベトナム語の字幕を付ける仕事もしています。主に日本アニメの台詞(せりふ)をベトナム語に翻訳し、映像にベトナム語の字幕を付ける仕事です。最近のヒット作品では「SPY×FAMILY」にベトナム語字幕を付けました。

この仕事は台湾の動画配信会社から依頼され、2020年から個人としてときどき仕事を受注していましたが、2021年からは会社を作って契約に基づいて受注するようになりました。こうして私たちは2022年末までに約200種類・2000本以上の日本アニメにベトナム語の字幕を付けました。私たちが字幕を制作したアニメは、「Muse Việt Nam」というYouTubeチャンネルで、ベトナム国内でみることができます。

最初は趣味のチームだった

ソフトを使って字幕制作

アニメに字幕を付けるメンバーは現在6人で、もともとはアニメに関する情報を交換するウェブページで知り合った仲間です。私たちは2010年代前半から、ネットでダウンロードできる英語のアニメに自分たちでベトナム語の字幕を付け、限られた身内でみて楽しんでいました。しかし、今から考えると、ダウンロードサイトはそれらのアニメを違法(無許可)配信していたのかも知れません。

チームには多いときで約10人いました。このチームのFacebookページに台湾の動画配信会社からコンタクトがあり、フリーランサーとして字幕制作を手伝ったのが今の仕事のきっかけです。その後、私を含む3人が共同経営者として会社を設立し、配信会社2社(台湾1社、中国1社)と契約を結んで字幕制作業務を受注するようになりました。経営者3人と他の3人の計6人で仕事を分担しています。

好きな勉強をするために一流大学を中退

FPT短大で(左はしが私)

私はハノイの高校を卒業後、ハノイ工科大学に入学しました。将来の仕事については考えず、成績が良かったので、先生や両親に勧められるまま大学を選びました。しかし、入学してみると、卒業するためには数学や物理、経済学など、興味のない講義の単位もたくさん取らなければならないことがわかりました。

一方、私は大学に入ってからインターネットで日本のアニメをみるようになり、どんどん好きになりました。そのころに見たアニメでは「瀬戸の花嫁」や「涼宮ハルヒの憂鬱(ゆううつ)」などが大好きでした。そして、私はネットに関係する仕事としてデジタルデザイナーになりたいと思うようになり、思い切って大学を中退し、FPT短大に入り直しました。

日本に私費留学

東京の日本語学校でベトナム人仲間と (左から2番目が私)

FPT短大では動画編集やウェブデザイン、雑誌のデザインなどを学び、2年半で必要単位を全部取りました。そして、「日本で日本語とデザインを学ぶ」→「日本のマルチメディア会社(デザイン部門)で5年間働く」→「帰国してマルチメディアの会社を作る」という人生プランを立て、短大卒業の半年前から日本に留学しました。

訪日前に半年間お世話になった留学センターの日本語の先生はとても親切で、私は月曜から金曜までセンターで毎日3、4時間勉強し、自宅でも2時間勉強しました。短大の卒業論文がなければもっと勉強したかったくらいです。そして、先生からもらったリストにのっていた日本語学校についてネットで口コミを調べ、東京の大きな日本語学校を選びました。

・センターに支払った費用:20,000,000 VND(飛行機代は含まず)

・日本語学校の入学金:70,000円

・日本語学校の学費(1年):665,000円

日本での生活

日本語学校の先生や仲間と東京ディズニーランドへ

日本に来て1年目は学校の紹介で「はなまるうどん」でアルバイトをしました。時給は1,100円でした。2年目は留学生仲間の紹介でタクシーの洗車(手洗い)をしました。時給は1,000円でした。また、夏休みや冬休みには、運送会社の倉庫で荷物の仕分けもやりました。深夜労働が多く、時給は1,250円でした。どの仕事もお客さんと話す場面がありませんし、同僚もほとんどが外国人だったので、日本語の上達に役立ちませんでした。

新潟の専門学校に入ってからは2年間、スーパーマーケットの惣菜コーナーでおかずをパッキングする仕事をしました。ここでは、同僚のおばあさんたちが休憩時間にたくさん話しかけてくれるので、日本語力が急に伸びました。おばあさんたちはときどきお菓子をくれるなどとても親切で、私は心が温かくなりました。

私の家計簿(1カ月の平均)

※日本語学校(東京)2年目の家計簿

※100円=約17,802 VND(2023年1月12日現在)

収入:130,000円
給料 ¥1,300,000
※アルバイト(主に洗車)
支出:120,000円
学費 ¥55,000
家賃 ¥25,000
※友人と2人でワンルームをシェア(1人分の費用)
電気・ガス・水道(1人分) ¥5,000
食費 ¥20,000
※自炊やコンビニの弁当
携帯電話 ¥5,000
雑費 ¥10,000
毎月の差額:10,000円

※小さな部屋を2人でシェアしたので、家賃が安くすみました。

※夏休みなどに長く働き、そのお金で旅行などをしました。

アニメ・マンガの専門学校

私は日本語学校を2年で卒業し、新潟のアニメ・マンガ専門学校に進学しました。ここでは、デザイン全般を学びました。FPT短大ではウェブサイトや雑誌のデザインを主に学びましたが、私は日本のアニメと漫画が大好きなので、新潟でキャラクターデザインに関する授業やアニメーションに関する授業などを受けました。また、デザイン制作ソフトの使い方もこのときに覚えました。

日本で困ったこと

楽しいこともたくさんあった日本語学校

日本で嫌だったことは、ベトナム人への偏見です。例えば、スーパーのアルバイトの面接で店長から「ベトナム人には万引きをする人が多いですが、あなたは大丈夫ですね?」と聞かれました。私は「失礼な質問だなあ」と思いましたが、「はい、大丈夫です」と答え、採用されました。このように偏見を感じる場面が日本でときどきありました。ただし、このスーパーでは、私は働き続けるにうちに店長や先輩たちから信頼されるようになりました。

また、東京ではベトナム人とのトラブルもありました。日本語学校で校内の清掃アルバイトがあり、私はときどき引き受けていました。清掃中に落とし物が見つかることが多く、中には財布もありました。しかし、ベトナム人の清掃リーダーの1人は落とし物を学校に届けずに横領することがありました。一度は、彼の弟が財布をくすねておきながら、私のせいにされたこともあります。監視カメラの映像で私へのぬれぎぬは晴れましたが、ベトナム人同士でこのようなことが起きることはとても残念でした。

20代後半で独立

私が日本で専門学校を卒業したのは28歳のときでした。当初は、日本でデザインを学んで日本のマルチメディア会社でデザイン関係の仕事をしたいと思い、FPTジャパンを狙っていました。しかし、同社はプログラミングが中心で、デザイナー職の募集はほとんどありませんでした。また、専門学校を卒業した2020年春から日本でも新型コロナの感染拡大が本格化し、就職活動が難しくなりました。

そこで、私は同年7月に帰国し、フリーのデジタルデザイナーとして働き始めました。今は、ウェブデザインやアイコンのデザイン、雑誌のデザイン、ポスターのデザインなどを受注しています。また、冒頭で紹介したアニメの字幕制作の仕事もあります。就職まで長くかかりましたが、仕事にやりがいがあり、働く場所も時間も自分で決められるので、とても満足しています。