体験談(留学・高度) | 最新ニュース

VOL. 92 日本の文学小説を多数翻訳・出版

ベトナムから海外留学する人がまだ少なかった1990年代に日本に留学したニエンさん。留学仲間の夫が沖縄で就職したため彼女も沖縄に長く住むことになり、その間に日本の文学小説をたくさん翻訳し、ベトナムで出版。最近は、沖縄に住むベトナム人技能実習生たちのサポートにも力を入れています。 今回の先輩 グエン・ド・アン・二エンさん 1994年ホーチミン国家大学東洋学部入学 1997年名桜大学で交換留学〈沖縄、1年間〉 1999年ホーチミン国家大学卒業 1999年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈2年間〉 2001年名桜大学大学院修士課程入学 2003年修士課程修了 2003年大阪府立国際児童文学館外国人研究員〈6カ月〉 2004年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈4年間〉 2004年TRE出版社で日本語通訳・翻訳〈4年間〉 2011年名桜大学附属図書館でアルバイト〈5年間〉 2011年名桜大学非常勤講師〈現在も〉 2022年沖縄大学非常勤講師〈現在も〉 〈1976年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 •...

2023年06月12日
  • VOL. 90 寝ても覚めても勉強し3年でN1合格

    2023年03月31日
    日本に留学してまもなく「自分で努力しなければ、いつまでたっても日本語で会話できるようにならない」と気づいたウットさん。空いている時間はいつも日本語を勉強し、3年でN1に合格。日本での就職や帰国後の日系企業への就職でも大いに役立ちました。 今回の先輩 タ・ティ・ウットさん 2011年高校卒業 2012年日本語学校入学〈福岡県〉 2014年専門学校入学〈福岡県〉 2015年結婚、JLPT・N1合格 2016年専門学校卒業 2016年日本で就職〈愛知県〉 2017年夫の転勤に伴い帰国 2017年HISハノイ支店入社(正社員) 2019年出産 2020年日系の会計事務所入社〈ハノイ〉 〈1993年生まれ、ハノイ出身〉 ◆このページの内容 • 準備不足で訪日 • 日本語学校と専門学校に留学 • 学校選びに失敗 • 寝ても覚めても日本語を勉強 • アルバイトでたくさん日本語会話 • 私の家計簿 • 日本で留学生と結婚 • 夫の転勤で帰国 • ハノイで日系企業の正社員に • 別の日系企業に転職 • 日本留学で得たもの 準備不足で訪日 私の姉は2010年から日本に留学し、その後、日本人と結婚して今も日本に住んでいます。私は高校卒業後、姉に習って日本に留学することにしました。その準備として、ハノイの日本語センターの寮に住んで3カ月間勉強しました。その間は授業を含めて毎日6時間勉強しましたが、日本で暮らすために日本語がどれぐらい必要かわかっていなかったので、今から思うととても不十分な勉強でした。 ひらがな、カタカナと簡単な会話しか覚えずに日本に行った私は、当初、言葉のことでとても苦労することになります。 日本語学校と専門学校に留学 日本で一緒に暮らした姉(右) 私は2012年10月、姉が通っていた福岡市の「西日本国際教育学院」という日本語学校で留学を始めました。最初の3カ月間は学校の寮に住み、4カ月目からは姉と一緒に暮らしました。 日本語学校で1年半学んだ後、私は「国際貢献専門大学校」という専門学校に進みました。この学校は、私が通った日本語学校の系列校です。本当は他の大学か専門学校に行きたかったのですが、系列校に進学すれば学費が割り引かれるという特典にひかれてその専門学校を選びました。しかし、この学校を選んだことを後で大きく後悔することになりました。 学校選びに失敗 私はこの専門学校でITを学ぼうと思い、「情報ビジネス」を専攻したのですが、専門分野の授業はほとんど受けられませんでした。当時、この学校はできたばかりで、学校の準備不足によってITの教師が不足していたのです。 IT関係の授業は休講続きで、代わりにいつも日本語の授業を受けされられました。しかも、私は専門学校に入る前に日本語能力試験(JLPT)N3に合格し、当時はN2・N1を目指していたにもかかわらず、専門学校の日本語授業はN3・N4レベルでした。私は担任の先生に「もっとITの勉強をしたい」と何度も訴えましたが、何も改善されませんでした。後輩の皆さんは学校の評判をよく調べてから進学先を選んでください。 寝ても覚めても日本語を勉強 留学を始めて最初の数カ月間、私は日本語力不足でアルバイトが見つかりませんでした。友人からアルバイトを紹介してもらっても、工場など日本語を話さなくてもよい職場ばかりでした。私はまわりの日本人が話す日本語がほとんどわからず、自分の言いたいことも伝えられず、ストレスがたまっていつも家で泣いていました。 そして、「日本語がわからないと何もできない」「自分で勉強しないと、どれだけ日本人と交流しても話せるようにならない」と気づき、猛勉強を始めました。学校の授業以外に、昼でも夜でも休日でも空いた時間はできるだけ日本語を勉強し、アルバイト先でも上司や先輩とできるだけ会話するようにしました。 その結果、私は留学を始めて9カ月後にJLPT・N3に合格し、その2年後にN1に合格しました。最初は「みんなの日本語」を使い、N2・N1対策には市販の問題集を使いました。また、自分の好きなYouTubeチャンネル(日本語)を聴いてリスニングの練習をしました。 アルバイトでたくさん日本語会話 アルバイト仲間の日本人たちと焼肉会 日本語が話せるようになるにつれ、日本語を使うアルバイトに採用されるようになりました。そうなると、仕事をしながら日本語の練習ができ、わからない言葉や言い方は日本人の先輩や同僚に教えてもらえるので、日本語の会話力が急速に伸びていきました。 アルバイト探しについては、友人に紹介してもらうか、無料の求人情報誌を見て店に電話をかけ、面接を申し込みました。そして、アルバイト先の先輩や仲間と仲良くなり、一緒にご飯を食べに行くこともよくありました。また、クリーニング工場のおばさんは自宅に私と友人を招いてくれました。これらの人たちの中には、今もFacebookなどで連絡を取り合っている人もいます。 ◎私が日本で経験した主なアルバイト クリーニング 工場でクリーニングした大きなカーテンを2、3人でたたむ仕事。ホテルで使うカーテンでした。 ビジネスホテル ベッドメイキング、清掃 居酒屋 ホール(接客)、片付け、開店準備 レストラン キッチン、早朝の仕込み(料理の準備) 弁当店 キッチン、レジ 技能実習生の監理団体(組合) 通訳、技能実習生の生活サポート) 私の家計簿(1カ月の平均) ※専門学校時代の家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:120,000円~150,000円 給料 ¥120,000~¥150,000 ※アルバイト2、3件 支出:158,000円~160,000円 学校の授業料 ¥55,000 家賃(ワンルーム) ¥50,000 ※1に暮らし、Wi-Fi・水道代込み 電気・ガス ¥8,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 食費 ¥25,000 ※バイト先で無料のまかないを食べることも多かった。 雑費 ¥10,000 ※交通費、学習教材、衣類 毎月の差額:▲10,000円~38,000円 ※夏休みなどの長期休みに多く働いて不足を補いました。 日本で留学生と結婚 新婚時代の夫と私 私の姉は福岡で日本語学校から大学に進学しましたが、ある日、姉の大学の同級生のベトナム人男性が姉と私の家に遊びに来ました。ほどなくして私は彼と付き合うようになり、約2年半後、彼は大学を卒業して日本で就職することになりました。その少し前に私たちは結婚し、福岡のベトナム総領事館に婚姻届けを出しました。その後、私も就職が決まり、名古屋に引っ越して一緒に住みました。 私は就職するまで3年半留学しましたが、生活費や学費を稼ぐために早朝や夜にアルバイトをし、それ以外は勉強に打ち込んでいたので、休日は疲れて横になっていることも多く、旅行にはあまり行きませんでした。夫と知り合ってからも一緒に公園やゲームセンターなどでデートするぐらいで、観光はあまりしませんでした。今にして思えば、日本にいる間にもっとあちこちに旅行しておけばよかったと思います。 夫の転勤で帰国 帰国直前にベトナムの家族を名古屋に招待 私たちは2015年に結婚し、私は正社員の夫の妻として日本に在留する予定だったので、本格的な就職活動はしていませんでした。しかし、夫の勤務地が名古屋に決まると、私は家の近くでできる仕事を探し、この会社に履歴書を送って面接を受けたところ、携帯電話ショップを運営する会社の正社員に採用されました。 日本の携帯電話ショップの店員は携帯電話の端末を売る仕事よりも通信契約に関する対応が多いので、さまざまなことを覚えなければなりません。そのため、通常は入社後6カ月間の新人研修を経てやっと店に出ることができます。研修では、接客マナーやパソコン操作、さまざまなサービス内容を学びますが、私は3カ月で覚えることができ、通常より早く店に出ることができました。しかし、就職して1年半後に夫がハノイに転勤になり、私も退職して帰国することになりました。 ハノイで日系企業の正社員に HISハノイ支店の入っているビル〈2018年〉 2017年7月に帰国してまもなく、私は日本の大手旅行会社HISのハノイ支店で正社員として働き始めました。店のカウンターで日本人客(主に駐在員)に航空券やホテル、ツアーを手配する担当でした。個人がインターネットで航空券やホテルを手配することもできますが、会社の業務で出張する場合に旅行会社を使うと、経理処理に必要なインボイスが発行されますし、顧客サービスも良いので、HISを使う日本人はとてもたくさんいました。 ところで、私は帰国が決まってすぐにハノイでの仕事を探し始めました。しかし、日本と違ってベトナムでは面接に合格したらすぐに働き始めてほしいという会社がほとんどだったので、結局、帰国後にFacebookで仕事を探し直し、HISに入りました。 別の日系企業に転職 HSKVのパーティー 私はHISで約2年半働き、出産を機に退職しました。そして、2020年からはHSKV(HSK Vietnam Audit Company)という日系の会計事務所で働いています。私の仕事は会長(日本人)の秘書で、秘書業務以外に下記のような仕事も担当しています。 監査報告書や移転価格報告書、事業概況報告書などの翻訳 顧客企業の帳簿の入力 顧客企業の給与計算表のチェック 個人所得税の計算と申告 顧客企業の日本人駐在員の労働許可証・ビザ・レジデンスカードの申請 HSKVの仕事もFacebookで探し、給料はHISのときより約30%上がりました。転職したのは、HISでは土日の出勤もあったため、出産後の生活に合わなくなったためです。今の会社を選んだのは、朝8時~9時の間に出勤し8時間勤務すればよいというフレキシブルな勤務時間と自宅から近いことが決め手でした。 ハノイに戻って2つの日系企業に就職して思うのは、日系企業への就職には、履歴書の内容よりも面接での評価(日本語会話力や対人能力など)の方が重視されるような気がします。 日本留学で得たもの 私は留学中、学校選びに失敗したことをとても後悔しました。しかし、学校で専門知識は得られなかったものの、自分で日本語の勉強やアルバイトに一生懸命に取り組み、3年でJLPT・N1に合格できました。また、アルバイト仲間に日本語で積極的に話しかけ、会話も十分にできるようになったので、ベトナムに帰国して日系企業に就職する際にとても役立ちました。 留学せずベトナムで日本語を勉強する人も素晴らしいですが、留学経験者の方が全体的にリスニング力が高く、日本での生活やアルバイトも経験したということで、日系企業での就職には有利なようです。私は日本で留学できて本当に良かったと思います。
  • VOL. 89 「みんなの日本語」の解説本を翻訳

    2023年03月24日
    日本語を学ぶ外国人の多くが最初に手にする日本語の教科書「みんなの日本語」。その解説本4冊を1人でベトナム語に翻訳したドンア大学副学長のヴィンさん。ヴィンさんの日本留学体験や学生時代の勉強方法などを紹介します。 今回の先輩 ゴ・クアン・ヴィン さん 1998年高校卒業〈クアンチ省〉 1998年ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部入学 2002年ハノイ大学卒業 2002年日本の設計会社で勤務(通訳・翻訳)〈ハノイ〉 2004年国立ダナン大学外国語大学日本語学科で日本語講師 2008年一橋大学で研究生として留学〈東京〉 2010年一橋大学修士課程入学 2012年一橋大学博士課程入学 2015年一橋大学博士課程修了 2015年国立ダナン大学外国語大学日本語・韓国語・タイ語学部長 2020年ドンア大学副学長兼日本言語文化学部長〈ダナン〉 〈1980年生まれ クアン・チ省出身〉 ◆このページの内容 •「みんなの日本語」の解説本を翻訳 • 大学で日本語を学び日系企業へ • 私の日本語学習法 • 6年半の日本留学 • 私の家計簿 • 留学中の交流 • 留学中に困ったこと • ベトナム語の専門書を日本語で出版 • ドンア大学について 「みんなの日本語」の解説本を翻訳 日本語を学ぶ外国人の多くが最初に使う教科書「みんなの日本語」の「翻訳・文法解説」があるのをご存じの方も多いと思います。「みんなの日本語」は日本語だけで書かれているので、十分に理解できないときに「翻訳・文法解説」を読めば、内容が理解しやすくなります。私は2013~16年に「みんなの日本語」初級Ⅰ、初級Ⅱ、中級Ⅰ、中級Ⅱの「翻訳・文法解説」をベトナム語に翻訳しました。 この翻訳を始めたとき、私は一橋大学(東京)で留学していましたが、そのときの指導教官が私のベトナム語力と日本語力を高く評価し、出版社に推薦(すいせん)してくださったことがきっかけでした。翻訳する際には、もとの日本語の意味ができるだけ正しく伝わるベトナム語にしたいと思い、言葉をていねいに選びながら時間をかけて翻訳しました。 大学で日本語を学び日系企業へ 会社の仲間と日本の石炭鉱山の見学 私が高校のとき、有名な日本ドラマ「おしん」がベトナムで放送されていました。わたしは主人公・おしんのけなげな生き方や勤勉さ、ドラマに出ていた昔の日本家屋などがとても気に入って、日本についてもっと知りたくなりました。高校では英語コースでしたが、大学では別の外国語を勉強しようと思っていたこともあり、ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部に入りました。 私は大学で4年間日本語を学んだ後、新聞の広告欄で見つけた日系企業に入りました。これは木造住宅の構造設計をする会社で、私は日本人の社長や技術者たちとベトナム人スタッフとの間の通訳や書類の翻訳をするチームのリーダーとして働きました。その後、大学で日本語を教える仕事に興味を持つようになり、知人の紹介で国立ダナン大学の日本語講師になりました。 私の日本語学習法 ハノイ外国語大学の教室で 私は大学生のとき、大学のゼミや講義以外に毎日6~8時間、自習しました。インターネット上の学習素材も紙の日本語教材も少ない時代だったので、今よりも勉強に工夫が必要でした。そのときに私が行った勉強方法を紹介します。 新聞の1面のコラムを読む:私は日本の新聞の1面のコラムを読み、ほぼ毎日、その内容について大学の先生と日本語でディスカッションしました。 自分で文章を作って読む:参考書に書かれている語彙(ごい)や文型を使って文章を作り、自分で声を出して読みました。 ハノイ大学日本語学部の級友たちとお出かけ これ以外に、古本屋で日本の古新聞を買い、何度も辞書を引きながら読みました。言葉の勉強では、やはり辞書を使い込むことが大事です。それでも理解できない部分がたくさんあったので、私は大学でただ1人の日本人の先生にアポを取り、質問に応じてもらいました。ただ、当時ハノイには日本人がまだ少なく、ネィティブの日本人との会話練習がほとんどできないのは残念でした。 6年半の日本留学 修士課程を修了 ダナン大学で講師をしているとき、日本の文部科学省が提供する留学生向け奨学金に応募しました。そして、在ベトナム日本国大使館で試験を受けて合格し、国費留学生として日本に行くことになりました。留学先には東京外国語大学も検討しましたが、少人数で勉強・研究できる一橋(ひとつばし)大学を選びました。 こうして私は2008年10月に一橋大学の研究生として訪日し、研究生1年半、修士課程2年、博士課程3年の計6年半、文科省の奨学金で留学しました。そのうち約2年間は妻と一緒に暮らしましたが、妻が2011年に東日本大震災による原発事故を契機に帰国してからは妻子と離れて留学しました。 妻と息子 私は留学中はずっと学費無料で奨学金も受給していたので、アルバイトは最小限にしてできるだけ勉強をしました。しかし、毎年、お盆とテト(旧正月)に帰国するための旅費がかかり、普段は節約生活を強いられました。私がよく使った便は成田→香港→ハノイ→ダナンというルートで、乗り継ぎが悪いため安価でした。一番安いときは往復28,000円でしたが、留学中に燃油サーチャージ(12,000円~15,000円)を加算する制度が始まり、大きな痛手でした。また、当時はSNS電話がなかったので、30分3,000円の国際電話(当時としては格安)でたまにだけ妻と話しました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※博士課程のときの家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:200,000円 奨学金 ¥150,000 給料 ¥50,000 ※アルバイト(通訳・翻訳、辞書作りの手伝いなど) 支出:100,000円 授業料 ¥0 家賃 ¥50,000 ※東京都内、ワンルーム 電気・ガス・水道 ¥5,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 ※国際電話代を含む インターネット ¥6,000 食費 ¥35,000 ※昼は大学の食堂、夜は主に自炊。 交際費 ¥15,000 雑費・交通費 ¥20,000~¥25,000 ※衣類、教材、交通費、化粧品など 毎月の差額(貯金):60,000円 ※貯めたお金で帰国の際の航空券などを購入。 留学中の交流 ベトナム人仲間と東京で日本庭園(夜間ライトアップ)を見学 6年半も日本に住んだので、日本人との交流もたくさんありました。指導教官やゼミの仲間と食事に行ったほか、アルバイトを通じて知り合った人たちとも交流しました。 ベトナム人同士の交流もありました。国費留学に合格した同期のメーリングリストがあったので、日本に行ってから留学生同士の交流のきっかけになりました。 また、東京のベトナム大使館が独立記念日やテトの際に行うイベントもあり、そこでもベトナム人同士の交流ができました。 留学中に困ったこと external link KOKORO|花粉症について(※クリック) ところで、留学中に困ったこともたくさんありました。 休日に病気になったとき 休日に医療機関に行っても対応してくれず、困りました。留学3年目に花粉症になり、くしゃみと鼻水がひどく、とても疲れました。そこで、週末に2、3カ所の医療機関に行きましたが、休日なので受け付けてくれず、どうしたらよいかも教えてくれませんでした。その後、平日になんとか時間を作ってクリニックに行き、薬を処方してもらいました。また、ひどい腹痛のときに近くの病院に電話しましたが、「大きな症状やけがなら診(み)るが、今回は無理です」と断られ、がまんするしかありませんでした。いずれも機械的な対応で、「外国人だから対応が悪いのでは」と感じました。日本は外国人向けの公的な救急医療制度をもっと充実させるべきだと思います。 external link KOKORO|日本での住宅の探し方(※クリック) 住宅探し アパートを探すとき、外国人だから借りられない物件がたくさんありました。その後、当時よりはましになったものの、今も外国人お断りの物件が多いと聞きます。 外人扱い 電車内でベトナム人同士で会話していると、そばにいた日本人たちが向こうに行ってしまいました。日本の電車内でのマナーを理解して私たちは小さな声でしゃべっていたのに、そのような行動をされ、残念でした。また、電車内でくしゃみをすると、マスクをしていても周囲から冷たい視線を受け、これも外国人への偏見のように感じました。このため、かぜをひいたときは電車に乗るのがおっくうでした。 日本人はもっと外国に出て国際感覚を高めてほしいですし、日本の行政は外国人が居心地よく暮らせるように、地域の外国人サポート窓口をもっと充実させてほしいと思います。 ベトナム語の専門書を日本語で出版 external link この本のAmazonでの販売ページ(※クリック) 2015年に留学を終えた私はその年から国立ダナン大学 外国語大学の日本語・韓国語・タイ語学部長になりました。そして、2020年にドンア大学の副学長兼日本言語文化学部長になりました。 私は留学中に日本語教育やベトナム語の類別詞について研究しました。類別詞とは名詞の数え方です。例えば日本語で「一つ」「1枚」「1個」などと数えるときの「つ」「枚」「個」などが類別詞で、ベトナム語ではどのような類別詞があるのかを留学中の博士論文にまとめました。この論文を帰国後にさらに精査して書き直し、2023年に「現代ベトナム語の類別詞研究: 類別詞の本質とその意味・用法」という日本語の専門書を出版しました。Amazonでも購入できますので、ベトナム語の研究者や教師・学習者の方々に活用していただければ幸いです。 ドンア大学について 最後に副学長兼学部長としてドンア大学日本言語文化学部について紹介します。当学部では次のような点を重視して日本語教育を行っています。 日本語を「読む・書く・聞く・話す」ために必要な基礎学力と専門知識を養い、日本語で考える力や日本語コミュニケーション力の向上を目指しています。 日本文化を深く多角的に理解する人材を育てるため、インターンシップや文化交流、交換留学などのプログラムを充実させています。 ダナンの日系企業で見学や研修を行い、日本語を活かした仕事への理解や日本語コミュニケーション力の向上に努めています。 こうしたプログラムには、私や教師陣の留学経験も活かされています。
  • VOL. 88 支援団体の支援で在留延長と再就職

    2023年03月17日
    作業の準備・後片付け(毎日約2時間)に残業代が支払われないなど、建設の技能実習生の平均よりかなり低い給料で働かされたうえ、職場での暴力・暴言もあって失踪したフイさん。一度は日本が大嫌いになりましたが、支援団体のサポートで日本滞在を延長して働き、特定技能の試験にも合格しました。 今回の先輩 カ・チャン・ホアン・フイさん 2013年高校卒業〈ホーチミン市〉 2013年観光バスの添乗員〈タイニン省〉 2016年トラック運転手〈ロンアン省〉 2019年送出機関で勉強〈ホーチミン市〉 2019年来日→講習→技能実習〈山梨県〉 2020年失踪し、友人宅に4カ月間滞在〈東京〉 2021年日越ともいき支援会で保護〈東京〉 2021年アルバイト〈北海道、長野、鹿児島〉 2022年一時帰国 〈1995年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 • 日本語をほとんど学ばずに来日 • コンクリート関係の仕事 • 長い移動時間に睡眠禁止 • 十分にもらえなかった残業代 • 私の家計簿 • 低賃金と暴力・暴言 • 組合に相談しても改善せず • 失踪中の生活 •「日越ともいき支援会」に助けられ • 漁業やレストランでアルバイト • これからも日本で働く 日本語をほとんど学ばずに来日 私は高校を出て、観光バスの添乗員やトラック運転手をしていましたが、毎月の給料は約7,000,000 VNDしかありませんでした。そんなとき、いとこが日本に技能実習に行って順調に働いていたので、私も出稼ぎのために技能実習をすることになりました。 私は送出機関に登録し、会社の面接を待ちながら日本語で自己紹介をする練習をしました。2019年4月に面接に合格後、きちんとした日本語の授業を受けましたが、それは3カ月間だけだったので、ほとんど日本語が分からない状態で日本に行きました。送出機関には132,000,000VND(当時のレートで約65万円)を支払い、これ以外に寮費や食費(外食)なども必要でした。 コンクリート関係の仕事 生コンクリートを送り込むトラック(イメージ写真) こうして私は2019年7月に来日し、翌月からコンクリート関係の技能実習を始めました。勤務先は山梨県の会社で、大きなトラックが数台ありました。トラックの荷台には折りたたみ式のアームとホースが付いており、工事現場でこれらを伸ばして、離れた場所や高い場所に生コンクリート(生コン)を流し込みます。ミキサー車で作った生コンをトラックのポンプとホースで建築物に送り込むのです。 私たちの作業(イメージ写真) 私たち技能実習生は生コンを流し込む場所にホースの先を運びました。その後、生コンを床に流し込むときはホースを置いて固定できますが、壁などに流し込む場合は、私たちがホースを肩に担いで2、3時間立ち続けました。太いホースは2人で担ぎ、細いホースは1人で担ぎますが、細いホースでもかなり重く、担ぎ続けるのはきつい仕事でした。 長い移動時間に睡眠禁止 私たちの平均的な1日はこうでした。 4:30 起床 5:00 トラック6、7台で会社(私たちの寮の隣)を出発。現場まで平均1時間~1時間半。 6:00~6:30 現場到着。仕事の準備(平均1時間)。準備が早く終われば休憩。 8:00~17:00 仕事(途中で3回・計90分休憩) 17:00 後片付けなど 18:00 現場を出発 19:00~19:30 帰宅 現場への往復は、トラック1台に3人(日本人1人、ベトナム人2人)が乗り、日本人が運転しました。しかし、私たちが何か話すと日本人が怒り、眠っても怒られるので、私たちは車内でずっと黙って景色を眺めていました。技能実習生はSIMを持っていないので車内では携帯電話も使えず、移動時間はとても退屈で疲れました。 十分にもらえなかった残業代 external link KOKORO|給与、残業代、有給休暇 会社から現場まで片道3、4時間かかることもありました。しかし、往復6~8時間の移動が毎日続いても、手当はまったく増えませんでした。また、それ以外にも次のようなことがありました。 ①毎日忙しく、昼の休憩なしで働き続けることが2日に1回ほどありました。しかし、昼の休憩(1時間)をつぶして働いても残業代は増えませんでした。 ②毎日、準備と後片付けで平均2時間働きましたが、この時間にも残業代が支払われませんでした。 準備以外の正規の作業時間が延びることもありましたが、私たちがもらった残業代(毎月5時間分)はそれすらカバーできない額でした。このため手取り給料は9~10万円しかありませんでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:100,000円 給料 ¥100,000 *税金や社会保険、寮費、光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(15,000円)、電気・ガス・水道(6,000円) 支出:45,000円 食費(主に自炊) ¥30,000 生活雑貨、衣類 ¥10,000 交際費など雑費 ¥5,000 毎月の差額:55,000円 低賃金と暴力・暴言 私はベトナムでこの会社の社長に面接(通訳付き)をしてもらったとき、毎月18万円もらえると聞きました。しかし、来日して先輩に聞くと、手取り18万円もらえたのは1回だけだったそうです。 移動時間が長く、仕事内容は過酷で、残業代も十分に支払われないうえ、一緒に働く日本人の一部(3人)は気に入らないことがあるとすぐに怒鳴りました。私はラチェットレンチという工具で頭をたたかれたことも2回あり、ヘルメットをかぶっていても大変な衝撃でした。私はこのような理不尽な職場に失望し、失踪することにしました。 組合に相談しても改善せず 左:仕事で毎日顔が汚れました。右:疲れて休憩時間に現場で眠る先輩。 技能実習では監理団体(組合)が実習生のケアをします。組合の担当者はベトナム人通訳を伴って毎月2回、会社に来ましたが、私たちとの面談には毎回、会社幹部が立ち会いました。組合によっては、正社員の通訳が実習生の悩みを直接聞くシステムもありますが、この組合の通訳は毎回違う人(アルバイト)で、頼りになりませんでした。私たちは残業代不払いや移動時間に眠れないことなどを改善してほしいと組合に何度かお願いしましたが、何ひとつ改善されませんでした。 失踪中の生活 こうして、私はこの会社で働き始めて13カ月目の2020年9月、現金20万円と小さな荷物を持って会社を去りました。社長に告げ口されると困るので、ほかの実習生2人にも黙って失踪しました。 思い描いていた日本とは違ったので、私は一刻も早くベトナムに帰りたいと思いました。しかし、新型コロナの影響でベトナムへの航空券が手に入らなかったので、チケットが取れるまで友人のミン君(仮名)の家に泊めてもらうことにしました。彼は日本で知り合った友人で、別の会社を失踪し、東京に住んでいました。私は電車を約3時間乗り継いで彼のところに行きました。彼は不法就労をしている様子でしたが、私は早く帰国したいので働きませんでした。しかし、航空券はなかなか買えず、2021年1月に入ると、所持金は約5万円しか残っていませんでした。 「日越ともいき支援会」に助けられ external link KOKORO|日越ともいき支援会 そんなとき、ミン君が「NPO法人日越ともいき支援会」のことを聞いて私に教えてくれました。2021年1月、私は支援会にベトナム語でメッセージを送り、事務所を訪ねました。すると、その日から支援会のシェルターに無料で住めることになり、数十人の元実習生と共同生活を送りました。 私は支援会で約2カ月間、毎日、日本語の授業を受け、自習も何時間もしました。その間、支援会は外国人技能実習機構(OTIT)や以前の組合、入管と連絡を取り、私が日本に残って働くためのさまざまな打ち合わせや手続きをしてくれました。おかげで私は新型コロナに関連する特例の在留資格を取得できました。この在留資格の期間は6カ月でしたが、その後2回更新でき、私は日本で約1年半、アルバイトをすることができました。 漁業やレストランでアルバイト 左:ホタテ貝。右:軽井沢。 ホタテの養殖 日本に残って働けることになった私は、支援会の紹介で北海道のホタテ養殖業者で2021年3月から3カ月間アルバイトをすることになりました。小さなホタテ貝を海から引き上げ、貝がらに穴を開けて糸でつなげるのが主な仕事で、主に陸で働き、ときどき船に乗りました。 レストラン ホタテ養殖の繁忙期が終わり、東京に戻って支援会などに泊めてもらった後、9月から3カ月間、長野県・軽井沢の高級レストランで働きました。野菜を切ったり皿を洗ったりする仕事で、まかない(従業員向けの食事)を1日3食食べられるのが魅力でした。軽井沢は有名なリゾート地なので、休みの日には、別の店で働くベトナム人と一緒に町を散策しました。 ラーメン店 3つめのアルバイトは鹿児島県のラーメン店「田所商店」で、仕込み(野菜やチャーシューを切る)、麺(めん)をゆでる、食材を炒(いた)める、スープを作る、皿洗いなど幅広い仕事を担当しました。全国展開の人気店で、私はこの店で2021年12月の新規オープンから約9カ月間働きました。一緒に働いた日本人は皆さん親切で、来日してから一番働きやすい職場でした。 これからも日本で働く 私は北海道のアルバイトから長野県のアルバイトに移る間、日越ともいき支援会に泊めてもらったほか、JP MIRAI(JICAなど主催)が東京で開いた元技能実習生向け研修会に参加しました。約1カ月半に渡ってJICAの施設に住み、日本語の授業を受けたり、今後のキャリアについて学んだりしました。 日越ともいき支援会のおかげで、私は引き続き日本で働く方法があることを知りました。そして、JFT-Basicで238点を取り、特定技能「外食業」の技能試験にも合格しました。そこで、2022年9月にいったんベトナムに帰国し、特定技能の在留資格を申請中です。特定技能外国人として再び来日したら、これまでと同じラーメン店で働きます。これまでの日本滞在では、来日前に借りたお金を返すのが精一杯だったので、今度こそしっかり貯金したいと思います。

留学生・技能実習生・エンジニアをサポートするサイト

【在ベトナム日本国大使館後援】

  • Vol. 06 留学前の猛勉強で留学生活が充実

    今回の先輩 Doan Hong Phuong(ドアン・ホン・フーン)さん 1996年生まれ、ブンタウ省出身2014年 5月  Ngo Quyen 高校卒業2014年 8月 ドンズー日本語学校 入学2015年 9月 ドンズー日本語学校 卒業2015年 10月 盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科 入学2017年 3月 盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科 卒業2017年 4月 岩手大学  入学 Doan Hong Phuong(ドアン・ホン・フーン)さん 1996年生まれ、ブンタウ省出身2014年 5月  Ngo Quyen 高校卒業2014年 8月 ドンズー日本語学校 入学2015年 9月 ドンズー日本語学校 卒業2015年 10月 盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科 入学2017年 3月 盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科 卒業2017年 4月 岩手大学  入学 はじめに 私は高校卒業後、ホーチミンの「ドンズー日本語学校」で1年間学んだ後に日本に行き、専門学校の日本語学科を経て国立大学に入学しました。ベトナムの大学に行く場合は、親のすねをかじるしかありませんが、日本に留学すれば、自分で働いて得たお金で大学に行けます。 日本を選んだのは、日本が好きだからです。「名探偵コナン」など日本アニメが好きですし、寿司や天ぷらなど日本の食文化も好きです。実際に日本に来て、空気がきれいですし、食べ物もおいしいので、楽しく生活しています。給料もベトナムより多いので、このまま日本で就職したいと思っています。 今回は、ベトナムで日本語をしっかり勉強してから留学することの大切さや日本の公共施設の活用の仕方を中心に私の留学体験をお伝えします。 専門学校のイベントで北上川河川敷でバーベキュー【2016年4月】 訪日前にみっちり日本語学習 母の友人の娘さんが日本で働きながら留学していました。その人が留学前にドンズー日本語学校で勉強したと聞き、私もドンズーに応募しました。 ドンズー日本語学校は1991年に設立され、現在はベトナム南部を中心に7校で日本語教育を行っています。ホーチミンにある同校の「ビンミー留学生日本語センター」では、日本の大学に留学する学生を育成するためにハイレベルの日本語教育を行っています。私はこの日本語センターで1年間、寮生活をしました。日本語は初めてで、ゼロからのスタートでしたが、1年で日本語能力試験(JLPT)のN3程度のレベルになりました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] N3に合格するまで平均2、3年かかる学校も多い中、1年でN3レベルになるための勉強は大変でした。授業は平日の朝から夕方までと土曜日の午前で、毎月、試験の成績でクラス分けが行われました。授業のレベルについていけず、途中で退学する人もいました。 私は夜や日曜日も自習で忙しく、故郷のブンタウ省までそれほど遠くはないのに帰省する時間がなかなか取れないので、両親の方から私に会いに来てくれました。 [/show_more] ドンズーに入学する際は、仲介業者への手数料などは不要で、私は、学費と寮費とで合計約50,000,000ドン(1年分)を学校に支払いました。 日本語学校を経て国立大学入学 岩手大学の入試会場で【2017年2月】 ドンズーでの1年間の勉強を経て、2015年10月、岩手県の「盛岡情報ビジネス専門学校日本語学科」に入りました。留学先の学校はドンズーでの成績で先生たちが決めます。ドンズーから一緒にこの学校に留学したのは私を含めて14人で、1年半後、ほとんどが日本の大学に進学しました。14人の中で私を含めて2人だけ盛岡に残ることになり、今は岩手大学人文社会科学部で経済を専攻しています。 公共施設や外国人サポートを利用しよう 私は、アルバイトは必要最小限にし、勉強時間をなるべく多く取るようにしています。今は、例えば大学のゼミの研究課題や英語のTOEIC対策などが主なテーマです。勉強場所には、大学の図書館をよく利用しています。静かで冷暖房もあり、ほかにも勉強している人がたくさんいます。 祝日で学校の図書館が休みのときや、用事で町の中心部に出たときは、公共図書館も利用しています。盛岡駅前の「いわて県民情報交流センター」の1~4階には岩手県立図書館があります。また、5階には岩手県国際交流協会が運営する「国際交流センター」があり、外国人向けの学習情報や交流イベントの情報が手に入るほか、生活や学習などの相談にも乗ってもらえます。日本語学習の資料もたくさんあるので、専門学校日本語学科時代は、ここの本をよく無料で借りました。 図書館 岩手県立図書館で【2019年7月】 国際交流センター 外国人向けの情報が集まる国際交流センター【2019年7月】 国際交流センターには「日本語教材室」もある【2019年7月】 日本での生活とアルバイト 日本に来て最初のアルバイトは新聞配達でした。ドンズーの卒業生に代々引き継がれているアルバイトです。新聞を各家庭に毎朝配るのは、日本独特の文化です。 私は朝4時に起きて6時まで配り、それから学校に行きました。電動自転車で約200軒の住宅のポストに新聞を届けます。1カ月約8万円の給料をもらえましたが、昼間、眠くて勉強に集中できないので、6カ月間でやめました。冬の朝の配達はとても寒かったですし、雨の日の配達がとても大変でした。 その後は、居酒屋などで働きました。 今のアルバイトはホテルでの宴会の給仕(時給1,100円)と技能実習の受入組合での通訳です。合計で毎月8万円~10万円もらっています。 以前に勤務した焼き肉店では、最初は厨房で皿洗いなどを担当しましたが、数カ月して日本語の会話力が上がってからは、注文を聞いたり料理を運んだりする接客の仕事に回りました。この担当になってからは、仕事を通じて日本語がさらに上達しました。その後、居酒屋でも同じように接客を担当しました。 [iconpress id="local_120" title="book" style="color:#525252; font-size:25px;" ]私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,192 VND(2019年11月29日現在) 収入(合計80,000円~100,000円) アルバイト2件(ホテル宴会給仕、通訳) 合計80,000 円~100,000円※2018年度は、これに加えて岩手県から毎月20,000の奨学金 JASSOの奨学金 80,000円 支出(合計 70,000円~90,000円) 家賃(寮費) 29,000円※1人暮らし、ワンルーム、wifi込み※大学の寮なら15,000円だが、バイト先まで遠いので選ばなかった 授業料  0円※成績優秀と認められ全額免除※これまでに入学金の29万円のみ(アルバイトで貯めたお金で納付) 光熱費  12,000~13,000円※電気・水道・ガスの合計 インターネット  0円※家賃に含む 携帯電話 0円※wi-fiしか使わない 食費 20,000円※バイト先の飲食店で格安で食べる日もある 雑費 8,000円~28,000円※衣類、学習教材、交通費など 毎月の差額(貯金)平均1~2万円 ※大学の試験などでアルバイトがあまりできない場合や緊急の出費があった場合、貯金を取り崩して生活する月もある。※ベトナムへの仕送りはなし。将来、就職活動などでお金がかかるので貯金をしている。 さまざまな交流活動に参加 日本では、様々な交流イベントに参加しました。大学で「多文化コミュニケーション」という授業があり、この授業の一環で年に2回、1泊2日の合宿交流会に参加して岩手県各地の中学生たちと交流しました。一緒に運動会のポスターを作ったり、1つの部屋に留学生2人、中学生2人が一緒に泊まっておしゃべりを楽しんだりしました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] また、大学1年の時は、大学の先生の勧めで留学生7人で「浴衣コンテスト」に参加しました。私たち外国人が浴衣で並ぶ姿は地元の新聞に掲載されました。ドラマや映画で見た着物や浴衣に昔からあこがれていたので、初めて浴衣を着られてうれしかったです。大学の卒業式では着物を着る予定です。また、日本で就職したら、浴衣を着て花火大会に行きたいと思っています。 [/show_more] 中学生との合宿交流会で【2019年7月】 私はこうして日本語を勉強した 私は日本に来て約2年半後、日本語能力試験(JLPT)のN1に合格しました。JLPT対策では、日本語レベルの高い先輩ベトナム人や友人に紹介されたテキストを使いました。その中で主なものを紹介します。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 「新完全マスター」シリーズ(出版社:スリーエーネットワーク) [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 「耳から覚える 日本語能力試験」シリーズ(出版社:アルク) [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 「日本語能力試験問題集N1読解スピードマスター」 また、N1受験対策の講座をYou-tubeで探して何度も見ました。これら以外には、映画や化粧関係の日本語の動画をよく見ました。好きな分野の動画だと、言葉も覚えやすいからです。 ヒアリングの練習にはアニメも適しています。私は「名探偵コナン」をよく見ました。子どもの時から見ていてストーリーは何となく頭に入っているので、動画を楽しみながら日本語の発音やアクセントを学びました。これは、娯楽と勉強がセットになっているので、続けやすい学習方法だと思います。 今後の夢 私は日本で就職しようと思っています。その準備として、2019年7月には岩手県内の中小企業が集まる合同就職フェアに参加し、10月には地元の銀行やビール醸造所をゼミの仲間と一緒に見学しました。私は化粧が好きなので、化粧品関係の会社に就職できたら一番いいなあと思っています。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 日本は、空気がきれいで、公共交通も便利だし、道路や歩道もきれいです。日本の食事も大好きで、焼き肉やラーメン、居酒屋のいろんな料理のほか、盛岡名物のジャージャー麺も絶品です。また、今はアルバイトと勉強で旅行に行く時間がありませんが、就職活動が本格化したら、全国の大学に散らばっているドンズーの同窓生を訪ねて泊めてもらい、観光もしたいです。 [/show_more] これから日本に留学する皆さんも、ベトナムでしっかり日本語を学んでから日本に来てくださいね。そうすることで、日本に来てからの勉強もアルバイトもとても充実したものになると思います。 就職に向けていろんな企業を知るため、ドンズーの先輩・後輩と一緒に岩手県内のヨーグルト工場を見学【2018年11月】

    2019年12月31日

  • Vol. 05 留学時は勉強中心、稼ぐのは就職後

    今回の先輩 LUONG THI TUYET(ルオン・ティ・トゥエト)さん 1993年生まれ、ハイフォン市出身2011年 6月 QUANG TRUNG 高校卒業2011年 9月 ハノイ国家大学・人文社会学科大学 国際学学部 入学2015年 6月 ハノイ国家大学・人文社会学科大学 国際学学部 卒業2016年 4月 兵庫県の専門学校(日本語学科) 入学2017年 10月 エール学園デュアルビジネス学科 入学2018年 3月 シンコー株式会社(正社員) 入社 はじめに 私はハノイの大学を卒業後、日本の専門学校で日本語を学び、日本で就職しました。職場の上司や同僚に恵まれ、やりがいのある仕事をし、充実した社会人生活を歩み始めています。日本に出稼ぎ目的で留学する人もいますが、なるべく借金をせずに訪日し、しっかり勉強してよい就職先を見つけましょう。その方が充実した社会人生活を送れますし、お金も長期にわたって稼げます。今回は、写真を中心に私の日本での仕事や旅行、ボランティアの様子を紹介します。 日本の大都会には大きな書店がたくさん【大阪市内で2019年9月】 専門学校を経て日本で就職 私はハノイ国家大学時代、学外の日本語教室で4カ月間勉強し、日本語能力試験(JLPT)のN4を取得してから2016年春に日本に来ました。ハノイでは、授業料が安い「SOFL」という教室に週2、3回通いました。授業料は4カ月で400万ドンでした。 訪日後、兵庫県内の専門学校(日本語学科)で2年間学ぶ予定でしたが、1年半で退学し、大阪市の専門学校「エール学園」に移りました。私は最初の学校で成績が一番だったこともあり、ある人が「あなたはもっと高いレベルの授業を受けた方がよい」と言ってエール学園を紹介してくれたのです。 エール学園の教育には、地元企業でのインターンが含まれます。私は小さな旅行会社で2カ月間(週3回)、インターン(飛行機の予約や電話対応)をしました。同社は従業員を募集していませんでしたが、社長がいくつかの企業を紹介してくれました。その中の一つ「シンコー株式会社」(東大阪市)で2018年3月から働き始め、アルバイトや契約社員を経て同年10月に正社員になりました。 訪日後間もないころ、ショッピングモール前で同郷の親友と【兵庫県で2016年4月】 日本での暮らし(学生時代) 私の兵庫県の専門学校時代の暮らしについて紹介します。 ・奨学金…兵庫県の奨学金を毎月3万円もらいました。生徒が書いた申請書と作文をもとに学校が県に申請します。この奨学金を受給できたのは同期の中で私一人でした。 ・寮…日本語学校が借りているマンションの部屋(2DK、電化製品や家具付き)にベトナム人4人で住みました。寝室1室を2人で使い、居間が別にありました。家賃は1人15,000円(約3,170,000ドン)で、光熱費は別でした。 ・アルバイト…最初はスーパーマーケットで、棚に商品を補充する「荷出し」を担当しました。その後、回転寿司店で10カ月間働きました。ここでは、最初は厨房の担当で、日本語が上達してからはホール(接客など)に移りました。 大阪では、コンビニエンスストアで毎週2、3回(17時~22時)働きました。勉強に集中するためにアルバイトを最小限にし、友人からお金を借りて授業料や生活費を支払いました。 一緒に訪日した同郷の親友2人と学校の寮の前で【兵庫県で2016年5月】 【電動自転車】 兵庫県にいたころは、学校が終わってからアルバイトに行くために自転車が頼りでした。電車やバスが不便だったからです。最初は、自転車で40分かけてアルバイトに通いましたが、疲れるし時間もかかるので、お金を貯めて半年後に電動自転車を買いました。約10万円(約21,125,000ドン)もしましたが、田舎で暮らす外国人留学生の大半は電動自転車を持っていると思います。大阪に行ってからは電車がとても便利なので、電動自転車は要らなくなりました。 ただし、日本の電動自転車は「電動アシスト自転車」であり、「モペット」とは違います。モペットに乗る際、ベトナムでは免許が不要ですが、日本では運転免許証が必要ですので、注意してください。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 在ベトナム日本国大使館(モペットに関する注意) お金を稼ぐのは就職後で十分 私は留学生の時はほとんど貯金や仕送りをしませんでしたが、日本で就職したので、これから何年間も両親にお金を送ることができます。親に送金するためにアルバイトばかりする留学生もいますが、留学中に勉強しないと、よい就職先はありません。アルバイトをほどほどにしてしっかりと勉強をし、日本やベトナムでよい企業に就職する方が、仕事のやりがいもあり、お金も長期に渡って稼ぐことができます。 [iconpress id="local_120" title="book" style="color:#525252; font-size:25px;" ]私の家計簿(1カ月の平均)※就職後 ※100円=21,125 VND(2019年12月1日現在) 収入(合計約170,000円) 給料 170,000円※税金、社会保険などを引いた後の手取り額※これとは別に年に2回、ボーナスも支給される 支出(合計 約123,000円) 家賃(寮費) 48,000円※1人暮らし※ワンルーム、トイレ、シャワー&バス※水道代込み 光熱費  6,000円※電気・ガスの合計 携帯電話  3,000円※Biglobeモバイル(ネット接続費用込み) 食費  30,000円※主に自炊 雑費・交通費 30,000円※ハイキング、カラオケ、町歩きなど主に週末の遊興費 水泳教室 6,500円 差額(貯金)平均50,000円 ※余ったお金は毎月ベトナムの両親に送金※ボーナスなどで貯めたお金は、テトに一時帰国したり、学生時代に友人に借りたお金を返したり、ボランティアで遠方に行く費用などに使う。 仕事を楽しむ 「シンコー」は壁紙やカーテン、カーペットなどインテリア資材の販売会社です。海外とも取引があり、私は、商品の輸出手続き(書類作成など)や海外代理店との連絡(メール、FAX、電話)を担当し、1年に1回、海外出張もあります。これまでの出張先は香港・台湾・ベトナムで、ベトナム出張の際は、ハイフォンの実家に少しだけ立ち寄り、両親に顔を見せることができました。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] シンコー 上司や台湾人の同期と香港・台湾・ベトナム(ハノイ)に出張。販売代理店への挨拶や市場調査、営業のためで、ハノイでは通訳も担当しました。夜は町歩きを少し楽しみました。【いずれも香港で2018年10月】 日本を楽しむ(ハイキング) 私はベトナムではハイキングに行きませんでしたが、日本にはハイキングコースがたくさんあって、自然と触れ合えます。私は就職後、勤務先の上司や同僚とよく週末にハイキングに行っています。 勤務先の上司や同期生と計4人で大阪府の「府民の森 ほしだ園地」へ【2018年4月】 勤務先の上司や同期生と計4人で葛城山(奈良県・大阪府)へ。つつじの花がきれいでした。【2018年5月】 勤務先の上司や同期生と計4人で葛城山(奈良県・大阪府)へ。つつじの花がきれいでした。【2018年5月】 勤務先の台湾人の同期生と2人で兵庫県朝来市の竹田城跡へ【2018年12月】 [video width="1540" height="1180" mp4="https://www.kokoro-vj.org/wp-content/uploads/2019/12/181223 竹田城趾①.mp4"][/video] 日本を楽しむ(ボランティア) 就職後、ボランティアで交流活動にも参加しています。日本では、4月末から5月上旬にかけて1週間前後の連休があり、「ゴールデン・ウイーク(GW)」と呼ばれています。私は2019年のGWに日本人も知らない鹿児島県の離島「宝島」に6泊し、農業の手伝いをしました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] このボランティアのことはインターネットで知りました。大阪から鹿児島へは飛行機で約75分。全国各地から私を含めて7人のボランティア(学生4人、社会人3人)が自費で鹿児島港に集合し、船に乗ること約13時間。私たちは宝島の港で島の人と合流し、農家に泊まって、らっきょうの収穫や田植え、工芸品作りなどを手伝いました。 宝島の海は見たこともないぐらいきれいで、底まで透けて見えました。また、夜には空いっぱいに星が散らばり、生まれて初めて流れ星も見ました。GWは交通費が高いので大きな出費になりましたが、宝島での経験は人生の宝になりました。 [/show_more] また、2018年6月には、兵庫県の淡路市で日本の小学生と外国人留学生がふれ合う1泊2日の交流会に参加しました。会話は英語か日本語で、交通費は自己負担、宿泊費は主催者負担でした。 人生の宝になった鹿児島県・宝島でのボランティア滞在【2019年5月】 人生の宝になった鹿児島県・宝島でのボランティア滞在【2019年5月】 淡路島で小学生と外国人留学生が触れあうイベントに参加【2018年6月】 日本を楽しむ(同郷ベトナム人との絆) 訪日の約半年前、ハイフォンの高校で同級生だった親友2人に日本に行くことを打ち明けると、数週間後、2人も「一緒に行く」と言いだし、同じ専門学校に留学することになりました。また、ベトナムで専門学校を卒業後、よい仕事が見つからなかった私のいとこ(1歳下の男性)も着いてきました。 訪日後、親友2人とは寮の部屋も一緒で、いとこも含めて4人でよく一緒に遊びに行きました。その後、大阪と兵庫に分かれましたが、今でも時々集まって観光や食事などを楽しんでいます。 一緒に訪日した同郷の4人でテトのお祝い【大阪のベトナム料理店で2018年2月】 一緒に訪日した4人で秋の京都を観光【いずれも京都市内で2016年11月】 同郷の4人を含むベトナム人5人で奈良公園を観光【2019年3月】 おわりに 私の日本での仕事や旅行、ボランティアの様子を紹介しました。私は留学中、アルバイトを最小限に抑えて勉強に時間をとり、就職先探しのインターンやアルバイトを経て日本の会社に就職しました。よい会社を紹介され、今、素敵な上司や同僚と一緒に仕事をしています。 皆さんも、せっかく留学するなら、きちんと勉強してよい就職につなげましょう。就職後のやりがいが大事ですし、お金も就職してからの方が長く稼げます。あなたの日本留学や就職が成功することを願います。 勤務先の専務(左)は心の温かい素敵な上司です。奥さん(右)のお誕生日の記念に私がお二人の似顔絵を描きました。 勤務先の専務(左)は心の温かい素敵な上司です。奥さん(右)のお誕生日の記念に私がお二人の似顔絵を描きました。

    2019年12月04日

  • Vol. 04 留学経験生かし、ハノイの日系企業で活躍

    今回の先輩 Doan Thi Minh Trang(ドァ・ティ・ミン・チャン)さん 1991年生まれ、Hai Duong 省出身2009年6月 Nguyen Trai 高校卒業2009年9月 ハノイ人文社会科学科大学東洋学部 日本学科 入学2012年9月 大東文化大学 国際関係学部 国際関係学科 交換留学生2013年 9月 ハノイ人文社会科学科大学 再入学2014年 6月 ハノイ人文社会科学科大学 東洋学部 日本学科 卒業2014年 7月 日系企業(製造)入社(正社員、通訳・翻訳業務)2015年4月  メイワ・ベトナム入社(営業) はじめに 私はハノイのメイワ・ベトナム(Meiwa Vietnam) という日系企業で働いています。通訳・翻訳もしますが、営業や顧客のフォローを担当しています。私は交換留学で日本の大学で1年間学びましたが、その間、ほとんど日本語だけで生活し、日本語力を高めて帰国することができました。この経験があったためにハノイで大きな日系企業に就職することができました。現在、子育てを義母に手伝ってもらいながら仕事を続けています。 日本留学のメリットとして、「日本語漬け」の環境に置かれ、日本語が上達するということが第一に挙げられます。また、日本人の生活・性格・文化・習慣も学べ、日系企業で働く上でも歓迎されます。そのほか、親から独立して生活するので、時間やお金を自分で管理する習慣が身に付く▽ベトナム人以外の外国人留学生との交流が多く、さまざまな国の友達ができる▽日本の美しい景色を楽しめる――といったメリットもあります。ただ、留学で十分な成果を得るには、ベトナムでしっかり勉強してから日本に行くことが大切です。そうしたことを含め、私の留学経験についてご紹介します。 週末は、長女をたくさん抱っこしてあげます。【2019年3月】 日系企業で活躍の場 私の勤務先の「メイワ・ベトナム」は「明和産業(Meiwa Corporation)」という日本の商社の現地法人で、本社はホーチミン市にあります。私は通訳・翻訳だけを担当しているのではなく、受注・発送を含む営業業務全般を任されています。税引き後の給料は約1,900万ドンで、日本語力や経験、学歴などを高く評価してもらっているように思います。人材紹介会社に履歴書を送って登録したところ、運良くこの会社を紹介してもらえました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 私の勤務するハノイ支店は日本の塗料や樹脂を扱っています。販売先は主に日系企業で、日本人の営業マンと一緒に顧客に会って通訳やメモをし、成約後も受注・発送・顧客フォローを行います。 以前にも別の日系企業に勤めていました。とても有名な会社で、働きやすい職場でしたが、仕事の内容が通訳・翻訳だけだったので、別の勤務先を探していました。今の会社に転職して給料は2倍以上になりました。そして、今の会社に移った後の2018年8月、初めての子供(女児)を出産しました。産前・産後に計7週間休んだ後、職場に復帰し、夫の母に子育てを手伝ってもらいながら勤務を続けています。 [/show_more] 職場近くのカフェ・ラウンジで【2019年6月】 大学入学後に日本語学習 日本語の定番テキスト「みんなの日本語」 私が日本語の勉強を始めたのは大学に入ってからです。大学の日本語テキストはロングセラーの「みんなの日本語」(出版社:スリーエーネットワーク)などでした。4年生のときに1年間、東京にある私立の「大東文化大学」に交換留学しました。交換留学は、ベトナムの大学と日本の大学の協定に基づくプログラムで、留学期間中、毎月8万円(約1,725万ドン)の奨学金(海外留学支援制度奨学金)を日本学生支援機構(JASSO)からもらいました。しかし、成績優秀者しか交換留学に行けないので、大学入学後、一生懸命に勉強をしました。 交換留学のプログラムを知ったのはハノイ人文社会科学大学に入ってからです。日本学科24人のうち10人ぐらいが交換留学生に選ばれ、東京大学、専修大学などさまざまな大学で留学できます。私は交換留学生に選ばれるよう、一生懸命に勉強をしました。日本語の勉強に特に時間をかけ、大学のテキストなどで毎日2時間以上勉強しました。また、定期試験では日本語以外の教科でも良い成績をとれるように努力しました。 私は高校に通った3年間、日本の新聞社から毎月1,000円(約214,800ドン)の奨学金をもらいました。金額は大きくありませんでしたが、勉強の参考書などを買えたのでとても助かりました。このため、「日本ともっと関わり、日本とベトナムの友好のために貢献したい」と思い、大学の日本学科を選びました。もちろん、ドラえもんやコナンも大好きで、日本への親近感はもともと持っていました。 日本での生活 ・交換留学生への奨学金を受給・アルバイトで日本語上達(そのためにも留学前の勉強が大事)・留学生向けの寮で上手に生活 外国人留学生仲間や大学の留学生指導者と一緒に伊豆に旅行【2013年2月】 交換留学生にはJASSOから毎月8万円の奨学金が支給されるので、留学中のアルバイトはあまりたくさんしなくても済みました。大学の留学生寮に入ったので、家賃も格安でした。また、日本に行く前に日本語の勉強を頑張り、日本語能力試験(JLPT)のN3程度の力を身につけてから留学したので、日本で良いアルバイトがすぐに見つかりました。仕事の中で日本語を使う場面が多く、大学の授業だけでなくアルバイトを通じても日本語力を高めることができました。こうして、1年間の留学を終えて帰国後、すぐにJLPTのN2に合格しました。 交換留学生に対するJASSOの奨学金制度: https://www.jasso.go.jp/en/index.html 大東文化大学には留学生寮があり、家賃は格安でした。台所やシャワー、トイレは共同ですが、部屋は個室(1人に1部屋)です。50,000円(約1078万ドン)の寮費の中に電気代や水道代などの光熱費が含まれ、無料インターネットもありました。みんなで使う食堂にテレビがあり、個室にベッド・机・本棚が付いていたので、大きな家具を購入する必要もありませんでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,570 VND(2019年10月3日現在) 収入(合計140,000~150,000円) アルバイト1件(飲食店店員など) 60,000~70,000 円 ※奨学金があったので必要最小限のアルバイト時間にとどめ、勉強に時間をとった。 JASSOの奨学金 80,000円 支出(合計 95,000円) 家賃(寮費) 50,000円※個室/トイレ、シャワー、台所は共同※インターネットwifi無料 携帯電話  5,000円 食費 20,000円※主に自炊 授業料 0円 交通費(通学など) 10,000円 雑費 10,000円※衣類や書籍など 差額(貯金)平均45,000~55,000円 ※ベトナムへの仕送りはなし。貯まったお金は主に旅行や緊急出費などに使った。 日本でのアルバイトと訪日前の準備 ・日本に行くまでに日本語力のスキルアップ・ケーキ屋やKFCでアルバイトを通じて会話力向上・無料の求人情報誌(日本語)でアルバイト探し 交換留学が決まって日本に行く前の数カ月間、日系企業のベトナム人従業員に日本語を教育する施設で受付のアルバイトをしました。日本人の教師が何人かいたので、「授業の準備でお手伝いすることはありませんか」と自分から話しかけ、資料整理などを手伝いながら先生たちと日本語の会話をたくさんするように心がけました。 日本では、ケーキ屋やケンタッキー・フライドチキン(KFC)でレジなどを担当しました。お客さんと会話する仕事にすぐに就けたのは、日本に行く前にしっかり準備の勉強をしていたからです。アルバイトで日本語を使い続けたことは、日本語力を高める上で本当に役に立ちました。 【アルバイトの探し方:求人情報誌】 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 日本での留学を始めて約1カ月後、寮の近くのケーキ屋でアルバイトを始めました。どうやってアルバイトを探したかというと、駅やコンビニに無料で置かれている求人情報誌(日本語)を読みました。こうした求人情報誌には地元のアルバイトがたくさん紹介されています。その中から、店員など外国人留学生を採用してくれそうな仕事を探して電子メールで履歴書を送りました。履歴書を3、4件送ったうち、最初に面接をしてくれたケーキ屋で採用が決まったので、そこで働くことにしました。面接で自分の言いたいことはそれほど伝えられませんでしたが、求人情報誌も読めましたし、面接で相手の言っていることは7割ぐらい分かりました。 [/show_more] 【アルバイトの探し方:友人からの紹介】 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] ケーキ屋で約4カ月働きましたが、クリスマスの繁忙期を過ぎて、そのお店のアルバイトが打ち切りになりました。そこで、今度は同じ大学の中国人留学生が働いていたケンタッキー・フライド・チキン(KFC)を紹介してもらいました。KFCでは、最初は厨房でしたが、最後の3カ月間はレジを担当しました。 [/show_more] 日本語学習のポイント ・日本語コミュニティーに身を置く・日本語を話すアルバイトに早く就く 私が日本に留学したころは、まだベトナム人が日本にそんなに多くはなく、周りにいるのは日本人や外国人留学生だけでした。留学生寮には外国人留学生が約20人いましたが、さまざまな国から来ているので、共通言語は日本語(たまに英語)でしたし、アルバイト先でも日本語しか使わないので、日本語を聞いたり話したりする機会がふんだんにありました。 最近は日本に在留するベトナム人が増えましたが、ベトナム人コミュニティーに安住するのではなく、日本語コミュニティーに自分から積極的に入っていき「日本語漬け」の状態を自分でつくる努力が必要かも知れませんね。また、日本に行ってから、日本語を使うアルバイトに早く就けるよう、訪日前にできるだけの準備(日本語のスキルアップ)をしていくことが大事です。 大東文化大学の留学生仲間たちと。各国からの留学生が集まっているため、留学生仲間の間での共通言語も主に日本語でした。【2013年2月】 日本を楽しむ 寮の近くに日本人の初老のご夫妻(猪鼻さん)が住んでいました。このお二人に中国語を教えていた中国人留学生の紹介で私もお二人と仲良くなり、毎週1回、食事に招いてもらうようになりました。猪鼻さんご夫妻とは、今もLINEなどでメッセージを交換しています。 大東文化大学の留学報告会に猪鼻さんご夫妻に来てもらいました。中央が私で私の両隣がご夫妻です。【2013年7月】 また、ときどき旅行にも行きました。帰国直前には大阪や京都に約1週間旅行しました。東京から大阪へは格安の夜行バスを使い、大阪では、ベトナム人の友人宅に泊めてもらいました。 東京スカイツリーの前で年越し【2013年1月1日】 神戸の中華街「南京町」で【2013年8月】 奈良の東大寺大仏殿の前で。後ろの建物の中に 大仏があります。【2013年8月】 横浜での花火大会【2013年夏】 留学のメリット ベトナムに帰国して最初に勤めた日系企業で夫と出会い、結婚しました。今は、夫の母に長女の子育てを手伝ってもらいながら二つ目の日系企業で勤務しています。日系企業で働くメリットは、①給料がよい ②日本人の働き方を身につけられる ③勤務先として安定性がある――などが上げられると思います。こうした一流企業に就職できたのは、日本での留学経験が役立ったからです。 交換留学の場合、日本での学費もかからずJASSOからの奨学金もありますが、私費留学生に対してもJASSOなどさまざまな機関が奨学金制度を設けています。また、成績優秀者には、専門学校や大学の授業料減免制度もあります。日本で留学したい人は、まずはベトナムで日本語の勉強をがんばることから始めましょう。そして、実際に留学したら、アルバイトでお金を稼ぐだけではなく、日本語力を高めることを第一に考えましょう。そのことが、あなたの日本やベトナムでの就職に役立ち、仕事のやりがいや長期的な収入安定につながると思います。 私費留学生に対するJASSOの奨学金:https://www.jasso.go.jp/en/study_j/scholarships/shoureihi/index.html

    2019年10月30日

  • Vol. 03 技能実習修了後に留学で再訪日

    今回の先輩 Nguyen Thi Lua(グエン・ティ・ルア)さん 1992年生まれ、タイビン省出身2010年 6月 Vu Thu高校卒業2013年 1月 広島県で技能実習2016年 1月 ベトナムに帰国2017年10月 未来の杜学園日本語科入学2019年 3月 未来の杜学園日本語科卒業2019年 4月 公立大学法人宮城大学入学MAIL: Nguyenlua1705@gmail.com はじめに 外国人が日本の大学で留学するためには、日本学生支援機構(JASSO)の「日本留学試験(EJU)」を受け、その成績を大学に提出しなければなりません。ここでは、私がどうやって日本の公立大学に入ったのかについて紹介します。また、私が大学に入る前、日本語学校に通いながらベトナム人の仲間たちと一緒に勉強したり旅行に行ったりして充実した日々を過ごしたことや以前の技能実習時代の生活、「技能実習には当たり外れがある」といったことについてもお伝えします。 日本の公立大学に入学 私は2019年4月に宮城大学に入学し、事業構想学部で経営関係の勉強をしています。大学の講義と自習、アルバイト、自炊、買い物などが私の生活パターンで、長期休みには友人と旅行に行くなどして息抜きをしています。4年間で大学を卒業し、日本で就職するのが夢です。 宮城大学のキャンパス。まだ新しく、モダンでおしゃれな建物です。【2019年7月撮影】 昼休みには、大学のカフェテリアが学生でいっぱいになります。 宮城大学には、図書館以外にカフェ付近にも自習用のフリースペースがあります。 日本での生活とアルバイト アルバイト先の飲食店では、格安でまかないの食事を出してもらえることも多いです。 日本語がある程度話せると、様々なアルバイトができます。私は居酒屋の店員(接客、ドリンクバー)とコンビニの店員(レジと品出し)をかけ持ちしていますが、日本の法律が留学生に許可している労働時間(毎週28時間/長期休暇時は40時間)を守っています。そして、今年度は日本学生支援機構(JASSO)経由で奨学金(文部科学省外国人留学生学習奨励費)を頂いており、大変助かっています。お金の余裕はありませんが、支出を節約して何とかやり繰りしています。就職したらもっと給料がもらえるので、それまでの辛抱です。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 留学生向け奨学金 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,590 VND(2019年9月25日現在) 収入(合計98,000円~178,000円) アルバイト2件(コンビニ店員、居酒屋店員) 50,000円~130,000円※大学の長期休暇(夏休みなど)のときは、アルバイトを長くできる。※大学の試験のときや一時帰国時は、あまりアルバイトができない。 日本政府の奨学金 48,000円 支出(合計 93,800円~105,300円) 家賃 5,000円※1人暮らし※ワンルーム、トイレ、シャワー&バス※古いアパートだが、内部は改装済み。所有者が外国でのボランティア経験があり、留学生向けに安く貸している。大学の先輩ベトナム人に教えてもらった。 光熱費 7,000円※電気・水道・ガスの合計 インターネット 4,300円 携帯電話 5,000円 食費・雑費 25,000~35000円※バイト先の飲食店で格安で食べる日もある※大学になるべく弁当を持参しランチ代を節約※外食、衣類、教材費など含む 授業料 45,000円 ガソリン代 2,500~4,000円※日本の運転免許を取得しミニバイクで移動 差額(貯金)平均30,000~40,000円 ※大学の試験などでアルバイトがあまりできない場合や緊急の出費があった場合、貯金を取り崩して生活する月もある(=その月の差額はマイナス)。※ベトナムへの仕送りはなし。貯まったお金は主に旅行や一時帰国、保険などに使う。 古いですが、お部屋はきれいな格安アパート。 オーナーが留学生向けに安く貸してくれています。 古いですが、お部屋はきれいな格安アパート。 オーナーが留学生向けに安く貸してくれています。 運に恵まれ家庭的な職場に(技能実習) 広島県での技能実習時代、週末はいつも、ベトナム人の技能実習仲間と一緒に「日本のお父さん、お母さん」の家に入り浸りでした。 2013年に技能実習で日本に初めて来ました。先に日本で技能実習をしたいとこの女性から「よい会社で働けて、給料もよかった」と聞いたのがきっかけです。私の技能実習先は広島県呉市のパイプ製造会社「株式会社 セイエン」で、約30人の職場でした。私は主に製品検査を担当しました。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 「セイエン」 「セイエン」の人たちは皆やさしく、仕事を親切に教えてくれました。ミスをした時の注意の仕方も穏やかでした。毎月の給料から税金や社会保険料、寮費を差し引いた残りの額(=手取り額)は毎月10万円~15万円。私が送出機関等に支払うためにベトナムで借りたお金は約3億ドン(約140万円)でしたが、日本に来て1年で返済できました。 しかし、実習先にはいわゆる「当たり外れ」があり、私の幼なじみの男性は毎月の手取り額が7~11万円で、私と同額の借金を返すのに1年半かかりました。彼の職場は雰囲気も悪く、上司の指導も乱暴だったそうです。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 私が勤務(実習)した「セイエン」の経営者は私たちのこうした経済事情をよく理解し、毎日最低1時間は残業をさせてくました。そして、忙しいときは、平日の残業が2時間に増えたり土曜日出勤(午前8時~午後5時)もあったりし、給料がさらに増えました。 また、会社は私たちがCD教材を使った日本語学習をできるように、終業後も使えるパソコンを貸してくれました。そして、日本語能力試験(JLPT)の際には、社長の弟さんが往復約3時間かけて車で私たちを試験会場に送り迎えしてくれました。 「遠い国から来て働いてくれているんだから、大事にしてあげよう」という気持ちが経営者にも日本人従業員らにも感じられ、あたたかい家庭的な雰囲気でした。当時、技能実習生は中国人男性が2人、ベトナム人女性が6人いましたが、そういう気遣いを感じ、皆、やる気を出して働いていました。 日本でのお父さん、お母さん 職場のある年配の女性は私たち実習生をいつも自宅に招いてくれました。私たちはこの女性を「お母さん」、その旦那さんを「お父さん」と呼び、毎週のように数人でこのご夫婦の家におじゃまし、「お母さん」と一緒にご飯を作って食べたり、テレビを見たり、おしゃべりをしたりしました。また、「お父さん」は私たちをよく車で買い物や観光に連れて行ってくれました。本当に楽しい日々でした。 社長もとてもいい人で、私たちが3年間の技能実習を終えて帰国するとき、「勉強や将来の仕事に使いなさい」と言って好きなパソコン(新品)を1台ずつ買ってくれました。私はそのパソコンを今も使っています。 [/show_more] 3年間の実習を終えて帰国する際、「これからの勉強や仕事に使いなさい」と私たち一人一人に社長が買ってくれたパソコン。大事に使っています。 対照的だった幼なじみの実習先 一方、私と同じ送出機関で同期だった幼なじみの男性が勤務した福井県内の実習先(繊維工場)では、毎月の手取りが7~11万円しかなく、お金に困って万引きに手を染め、警察に逮捕された同僚もいたそうです。仕事中に失敗すると、「ばか!」などと乱暴な言葉で怒鳴られることも多く、精神的にもつらかったそうです。幼なじみは、もう日本には来たくないようです。 送出機関や紹介エージェントへの支払い 私が訪日前に借りた3億ドンの主な使途ですが、ハノイの送出機関を紹介してくれた人(紹介エージェント)に約3,000万ドンを支払い、送出機関には授業料、教科書代、寮費、渡航手続き費用、飛行機代などを支払いました。また、日本に行くときに「保証金」として送出機関に約1億ドンを預けさせられました。これは、私たちが技能実習を途中でやめたり日本で失踪したりした場合に没収されるお金です。私は3年間の技能実習を終えて帰国後、この1億ドンを返してもらいました。 【編集部からのアドバイス】 技能実習制度では、送出機関が仲介者(紹介エージェント)から実習生を紹介してもらったり仲介者の手数料受け取りを認めたりすることは禁じられています。送出機関が保証金を預かることも禁止です。また、日本への往復の旅費についても技能実習先(受入企業)が負担することになっています。 こうした費用については、契約前に十分に確認し、金額が不透明な場合は、送出機関の選択も検討しましょう。在ベトナム日本国大使館は、他の送出機関を探す際には、仲介者に頼らず送出機関に直接コンタクトするよう勧めています。 頑張った日本語学習と再訪日 私はハノイの送出機関で日本語を7カ月間勉強してから訪日し、訪日後も目標を立てて勉強しました。月~金曜日の夜9時~12時と土曜日に勉強しました。そして、訪日して1年目に日本語能力試験(JLPT)のN3に、2年目にN2に受かりました。3年目のN1には失敗しましたが、2017年に再訪日後、最初に受けた試験でN1に合格しました。 ベトナムに帰国後しばらくは、送出機関の日本語センターで日本語の教師をしていました。しかし、日本での3年間がとても楽しかったのと、技能実習時代の勉強のおかげで日本語もかなり話せたので、もう一度日本に行こうと思いました。技能実習の送出機関での同期で技能実習先の職場も近かった親友のフエさんも一緒に再訪日しました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 「未来の杜学園」を選んだのは、この学校なら技能実習経験者でも留学の在留資格を比較的取りやすいと聞いたからです。「セイエン」での技能実習の先輩から「未来の杜学園」のことを教えてもらい、あとはインターネットで入学の仕方を調べました。ハノイで英語、数学、日本語の試験を受け、卒業後は大学進学を目指すことを条件に入学を認めてもらいました。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 「未来の杜学園」 [/show_more] 大学進学のための勉強 日本の大学に留学するためには、日本学生支援機構(JASSO)の「日本留学試験(EJU)」(年2回)を受け、その成績を大学に提出しなければなりません。文系の私は「日本語」「総合科目」「数学」を受けましたが、最初はあまりよい成績ではありませんでした。 しかし、ベトナム人留学生8人が週2回集まって一緒に勉強するグループに入れてもらってから学力が上がり、半年で成績が大きく伸びました。この仲間たちとは飲み会をしたり小旅行に行ったりもしました。宮城大の受験では、EJUの成績を提出し作文の試験と面接を経て合格しました。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 「EJU」 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] この勉強仲間のことですが、先輩のベトナム人大学生(女性)がフェイスブックで呼びかけた交流会に集まったベトナム人の日本語学校生らが週2回、公共施設「仙台国際センター」の会議室に集まって一緒に勉強しており、私も後から入れてもらいました。 同じ日本語学校の人も違う日本語学校の人もいましたが、国公立大学を目指す人ばかりでした。普段の会話はベトナム語ですが、勉強会の間は日本語だけでやり取りをしました。呼びかけ人のベトナム人大学生も私たち後輩に日本語の指導をしてくれたり、面接練習で面接官役をやったりしてくれました。 日本に住むベトナム人が情報交換するためのフェイスブックのページがたくさんありますので、日本に来たらチェックして交流会などのイベントを探してみることをお勧めします。 [/show_more] 日本語能力試験(JLPT)N1対策の勉強ノート。日本語学校でのテキストから重要な言葉を書き出して覚えました。 日本留学試験の「総合科目」のための勉強。 ↓「総合科目」ではこの問題集を使いました。https://www.ask-books.com/jp/eju/ 日本語学校卒業の夜、一緒に勉強したベトナム人仲間と一緒に居酒屋や カラオケでお祝い会。素敵な仲間たちでした。【仙台市内で2019年3月】 小旅行で日本を満喫 留学のために再訪日してからは、友人たちと一緒にあちこちに旅行をしています。日本語学校時代は大学受験を控え長い旅行はできませんでしたが、近場の観光地を軒並み制覇しました。前から行きたかった「蔵王」、風情のある「銀山温泉」、「山寺」の紅葉、青い海――詳しくは以下の写真でご覧ください(^_^) 親友のフエさんや友人の日本人と一緒に車で山形県・蔵王へ 【2018年6月】 親友のフエさんと2人で電車で山形市の「山寺」へ日帰り旅行。東北地方の秋は最高。【2018年11月】 日本語学校時代の勉強サークル仲間で宮城県名取市の海岸へ。【2018年8月】 居酒屋でのアルバイト仲間の日本人学生3人と一緒に山形県の銀山温泉へ1泊旅行。普段、アルバイトが終わってから一緒に飲みに行くことも。【2019年3月撮影】 将来は日本で長く働きたい 私は当面のお金を稼ぎたくて技能実習で日本に来ましたが、3年間の実習生活で日本が本当に好きになったので、また日本にやって来ました。留学から就職までは少し時間がかかりますが、日本で専門学校や大学を卒業して就職する場合には、「技術・人文知識・国際業務」の在留資格を取得できますので、技能実習と違って勤務年数の制限がありません。これは、ベトナムで短大卒以上の学歴がある場合にも取得できます。 技能実習の場合は、本文で紹介したように、実習先(受入企業)よって当たり外れがあります。私はいい職場に恵まれて本当によかったと思っていますが、よい技能実習先に当たるかどうかは運に左右される側面も大きいです。しかし、「技術・人文知識・国際業務」の在留資格で働く場合は、自分に合った職場を選べますし、場合によっては転職することもできます。 私は日本が本当に好きなので、できるだけ長く日本に住みたいと思っています。神戸の大学に通っている親友のフエさんも同じ思いで、今はお互い離れていますが、将来、日本の同じ地域で務めることが私たちの夢です。 技能実習の送出機関以来の親友のフエさん(左)とツーショット。将来は、 日本の同じ地域で就職するのが夢です。【仙台市内で2018年12月撮影】

    2019年10月18日

  • Vol. 01 日本語力不足で最初は苦労

    日本に留学するベトナム人の数人に1人が日本語学校を卒業できずに帰国しています。日本で生活に困ったベトナム人が犯罪組織に引き入れられるケースが増えています。技能実習で期待していたほど給料がもらえないケースや残業代が支払われないケースもあります 。一方で、日本の留学や技能実習で学歴や日本語能力を身につけ、いい仕事に就いたり、将来の可能性を広げたりしている先輩もいます。先輩たちはどうやって成功したのでしょうか?先輩達の体験とノウハウをあなたに伝えます。 今回の先輩 TRAN MANH HUNG(チャン・マン・フン) さん 1992年生まれ、ハイフォン市出身2009年5月 THUY SON 高校 卒業2009年9月 ベトナムの外国語学校入学2011年7月 千葉県内の日本語学校入学2013年4月 千葉県内の専門学校      「ニホン国際ITカレッジ」入学2016年4月 開知国際大学入学2020年3月 開知国際大学卒業見込み、千葉県の会社に就職予定 私は日本に来て8年目で、千葉県の日本語学校から専門学校と大学に進学し、来年、千葉県の会社に就職します。最初は苦しい留学生活でしたが、日本語が上達すると、まじめな仕事ぶりを評価してくれる人も増え、たくさんの方々から親切にしてもらいました。 最近は、ベトナムから日本への留学生や技能実習生が大きく増えました。一方で、「日本では、学校に行きながらアルバイトで毎月20万円~30万円(約4300万ドン~6500万ドン)を簡単に稼げる」と聞かされて、準備もせずに来日し、アルバイトで体を壊す人や進級できずに日本語学校を中退する人、専門学校や大学に進学せずにベトナムに帰国する人も多くいます。 しかし、1、2年間の滞在だけでは日本のよさは分かりませんし、進学しないと給料も上がりません。これから日本に来るベトナムの後輩留学生たちに、十分な情報を持ってしっかりと準備をし、日本でいろいろな経験をしてほしいと思っています。 ここでは、▽日本語学校の授業や寮生活は学校によって大きく違う▽日本語を話せないとよいアルバイトがない▽アルバイト先での会話で日本語が上達する▽都心から少し離れた郊外での暮らしがリーズナブル▽留学生を優遇してくれる大学がある――といったことについて書きます。 特に、私が日本で経験したアルバイトの内容や条件、アルバイト先の環境が日本語の上達に関係することなどを詳しく書きます。 これから日本に来るあなたの成功のために必要な情報を拾い読みしてくださいね(^_^) 日本に行こうと思った理由 ベトナムで大学受験に失敗した 日本の大学を卒業すれば、ベトナムより給料がずっと高い 留学初期費用110万円(約2億3700万ドン)はもっと安くできた 情報収集し、準備と選択をしてから訪日を 日本にずっと住みたい(生活が安全、食べ物や福祉も安心できる) 私は2009年5月にハイフォンの高校を卒業し、大学受験に失敗しました。そこで、同年9月、ベトナム北部の外国語学校に入りました。その学校で日本留学の説明会に参加したのをきっかけに日本語の勉強を始めました。日本の大学卒の初任給は20万円(約4300万ドン)以上で、ベトナムよりずっと高いです。また、日本語を話せれば、アルバイトで貯金もできます。日本でお金を貯めて両親を日本旅行に招待しよう。そんなことを考えて日本留学を決めました。外国語学校を卒業して2011年7月に来日し、千葉県内の日本語学校に入りました。渡航や日本語学校への入学の手続きは外国語学校がやってくれました。留学の初期費用として両親に約110万円(約2億3700万ドン)を出してもらいました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ]ここには、外国語学校への手数料やビザ取得費、航空券、保証金、日本語学校の入学金、1年分の授業料、半年分の寮費などが含まれていました。 初期費用は、今なら、よく調べればもっと安くできますが、当時はベトナムからの留学生も技能実習生もほとんどおらず、情報がありませんでした。しかし、両親からお金を出してもらったのはこの時だけで、あとは日本でのアルバイトと奨学金(=返済不要)だけでやり繰りしてきました。日本語学校での生活は学校によって大きく違います。これから日本に行く人は、このサイトに今後掲載されるいろいろな先輩の体験談などでよく情報を集め、しっかりと準備・選択してから日本に行くことをお薦めします。 [/show_more] 日本で最初は苦しかった 日本語学校の寮は学校によって大きく違う 訪日前に日本語能力試験のN4取得を 日本語を話せないとアルバイトも見つからない やっと見つけたアルバイトも条件最悪 日本語学校の寮は学校によって大きく違います。私の住んだ寮はあまりよくありませんでした。10平方㍍に満たない小さな部屋に2人で住み、家賃は1人2万2000円(約475万ドン)。台所もトイレもシャワーも部屋の外にあって共同使用で、シャワーは10分・100円(約2万1000ドン)の有料でした。シャワー代を節約するために、台所でバケツ数個に湯をくみ、シャワー室で体を洗う寮生もたくさんいました。※ちなみに今は自分で部屋を借りて快適に暮らしています 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,600 VND(2019年6月17日現在) 収入(合計120,000円~130,000円) アルバイト2件(いずれも飲食店) 130,000円 支出(合計110,000円~120,000円) 家賃 57,000×0.5=28,500円※同居のいとこと折半※個室×2、広い台所兼居間×1、トイレ、シャワー&バス※南柏駅まで自転車で10分 光熱費 12,000×0.5=6,000円※同居のいとこと折半※電気・水道・ガスの合計 インターネット 5,000×0.5=2,500円 携帯電話 2,500円※LINE PHONE(格安sim) 食費・雑費 40,000×0.5=20,000円※同居のいとこと折半※バイト先の飲食店で格安で食べる日もある※大幅ディスカウントされた総菜を買うことが多い※いなかなので、農産物の安い直売店が近い(友達の車で買いに行く)※衣類は量販店のバーゲンで安く買う 交通費 3,500円 授業料 42,000円 その他(保険) 5,000円 差額(貯金)平均10,000円 ※長期休み(夏休み、春休み)はアルバイトを長く出来るので、1カ月の収入は160,000~180,000円になり、貯金が増える。 私は訪日前にあまり日本語を勉強せず、あいさつ程度の日本語しかできませんでした。今思えば、ベトナムでもっと日本語を勉強して日本語能力試験(JLPT)の4級(N4)を取得してから留学を始めれば、もっと効率がよかったと思います。 私の場合、日本語がほとんど分からないので、学校からアルバイトを紹介してもらえず、最初は収入がありませんでした。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] ベトナムから持ってきたお金を取り崩して生活していましたが、3、4カ月経って少し話せるようになり、日本語学校の同級生の紹介で初めてアルバイトを始めました。 最初の仕事は、隣の埼玉県の弁当工場での仕事でした。弁当の調理や盛りつけで、あまり会話しなくてもできる仕事です。週に3、4回出勤して月給約12万円(約2590万ドン)でした。 労働条件は厳しく、勤務は深夜0時から朝6時まで。電車と送迎バスで通いましたが、遠いので、寮を22時過ぎに出て翌朝8時に帰宅する生活でした。その後、学校の授業(午前9時~12時30分)がありましたが、居眠りばかり。学校をずる休みすることもありました。授業後も夕方まで眠り、夜はまたアルバイトに出かけます。アルバイトは20時開始のときもあり、そのときは17時に家を出ました。出勤日は決まっておらず、その日の14時~17時に会社からメールが来ます。メールが届けば休みで、メールが届かなければ出勤です。土日も同じ状況だったので、予定が立てられませんでした。また、50人以上のベトナム人留学生が働く職場だったので、日本語を使いません。授業は居眠り、職場はベトナム語なので、この職場で働いた9カ月間、日本語があまり上達しませんでした。ところで、専門学校や大学に進学できずに帰国する留学生仲間もいましたが、私はアルバイト先の先輩留学生から「日本語学校だけで終わらず、日本で大学に進学した方が絶対にいい。大学を出たら、将来の給料がずっと高くなる」と常々教えられていました。「進学するためには、今の生活を続けていてはだめだ」と思いましたが、日本語が上達しないので、なかなか別のアルバイトに就けませんでした。 [/show_more] アルバイト先で日本語上達 日本語が上達し条件のよいアルバイトへ アルバイト先での会話で日本語上達 職場で日本人たちからも親切にされ 専門学校に進学 日本語能力試験2級に合格 しかし、少しずつ勉強して日本語の力をつけ、日本語学校から別のアルバイトを紹介してもらうことができました。大手食品メーカーの工場勤務で、製品をチェックして選別する仕事でした。勤務は16時~20時30分で、週5回、時給950円(1カ月の給料は約9万円=約1943万ドン)。職場は寮から自転車で約30分でした。 しかも、外国人は同じ学校の3、4人だけで、日本人の従業員と話す機会がたくさんありました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] また、朝6時~8時には、寮のそばの老人ホームで食事の準備や食器洗い、掃除のアルバイトをしました(月給2~4万円=約432万~863万ドン)。アルバイトの掛け持ちです。ここでも、入所しているおじいさん・おばあさんたちとよく会話をしました。このように、アルバイト先で日本語を話す機会が増え、日本語の上達が速くなりました。食品工場に半年間勤めたあとは、やはり学校の紹介で、大きな会社の物流センターで働きました。平日の勤務時間は14時~18時、土日は朝7時~正午です。残業も時々ありました。週3、4回出勤して月に約10万円(約2158万ドン)もらいました。時給は安かったのですが、学校の忙しい時に勤務シフトを考慮してくれたので、メインのアルバイトとしてこの職場に約5年間お世話になりました。そこでの仕事の内容は荷物の仕分けでした。荷物の箱に書いてある商品名や言葉を覚えるようになり、漢字を読む力もつきました。職場では外国人が当初は私1人だけで、日本語でたくさん会話をしました。職場のおばさんたちが親切で、私にパンや缶詰をよくくれましたし、いろいろなことを教えてくれました。従業員同士の仲が良く、私の誕生日に服をプレゼントしてもらったこともありました。とてもよい職場でした。 物流センターでアルバイトをしていた2013年4月、日本語学校を1年半で卒業して専門学校「ニホン国際ITカレッジ」に進学(3年間)しました。本当は大学に進みたかったのですが、学力がまだ十分ではなかったので、まず専門学校に進みました。 専門学校時代は、日本語の先生(日本人)との接触を増やしたり、かけ持ちのアルバイトも日本語を話す機会の多いアルバイトを選んだりしました。かけ持ちのアルバイトは、日本語が読めるようになっていたので、お店の張り紙をみて電話をし、面接を受けるなどして見つけました。あるラーメン店では、週2、3回の勤務でしたが、深夜で時給が高いので、月6万円(約1295万ドン)もらうこともありました。こうして、私は専門学校在学中に日本語能力試験の2級(N2)に合格しました。[/show_more] 両親を日本に招待 専門学校を卒業 両親を日本に招いて家族旅行 専門学校を卒業した2016年3月には、卒業式に合わせてハイフォンから両親を日本に招待し、私の家に3週間ほど泊まってもらいました。韓国人と結婚した姉とおい(=姉の息子)も韓国からやって来て合流し、浅草や皇居、鎌倉の大仏などを一家で観光しました。 私は専門学校で3年間皆勤(=無遅刻・無欠席)で学費も滞納したことがなかったので、卒業の時に学校から表彰されて10万円をもらいました。両親の招待には、そのお金とアルバイトで貯めたお金を使いました。念願の親孝行が出来た瞬間でした。 大学進学 そして就職内定 いなか暮らしのすすめ 千葉県の私立大学へ進学 留学生への入学金免除と日本語優秀者への授業料減額 東京都心より生活費が安い 電車で通える東京都心でボランティア活動も 就職内定し、これからも日本で生活 2016年4月、晴れて千葉県柏市の「開知国際大学リベラルアーツ学部」に入学しました。今は4年生で、来年春、ベトナム人の先輩から紹介された千葉県の運送会社に就職する予定です。 私が開知国際大学を選んだ理由はいくつかあります。 外国人留学生は入学金免除 日本語能力試験2級以上(今は1級)なら、「奨学金」として授業料減額(年間75万円の授業料が50万円に) もともとの授業料も都心の大学より安い 生活費が都心よりかなり安い 柏市に近い大学をインターネットで検索すると、ほかにもたくさんの大学が出てきましたが、留学生への対応が一番よかったので、この大学を選びました。皆さんもよく調べて学校を選んでくださいね。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 開知国際大学では、専門学校での出席と成績、入学試験(日本語作文と面接)が入学選考材料となりました。私は奨学金として授業料を毎年25万円ずつ減額してもらいました。入学金免除と4年間の授業料減額で、在学中の4年間で計約200万円の学費を免除してもらったことになります。これには大変助かりました。私の学年には外国人留学生が70人以上いて約4割はベトナム人です。私はベトナム人だけと話すのではなく、日本人の学生や他国の外国人留学生とも日本語を使って交流するように心がけています。 現在、メインのアルバイトは、大型ショッピングモール「イオンモール柏」の中にあるヌードル店「リンガーハット」の店員です。かけ持ちのアルバイトと併せて、毎月12~13万円(夏休みは16~18万円)を稼いでいます。私は来日以来ずっと柏市に住んでいますが、東京の都心と比べると家賃も物価も安く、助かっています。しかも、東京の都心まで電車で30~40分で行けますので、東京都内でボランティア活動もたまにしています。 今年9月には、日本の自動車運転教習所に合宿して自動車免許を取得しようと思っています。日本での仕事に役立つからです。費用が約25万円かかるので、現在、アルバイトをいつもより少しがんばっています。 [/show_more] 最後に 留学するには、信頼できるウェブサイトなどで情報を収集し、きちんと選択と準備をしてから訪日することが大切です。日本語学校の授業も寮生活も学校によって大きく異なります。また、日本語が少しはできないと、よいアルバイトが見つかりません。日本に行く前に日本語能力試験の4級(N4)を取得できれば可能性が広がります。 日本に行ってからは、アルバイト先で会話しながら日本語の上達を目指してください。また、いくつかの職場を経験すれば、自分に合ったよい職場も見つかります。 大学に進学する際は、都心だけでなく郊外やいなかの大学も調べてみてください。留学生に有利な大学、暮らしやすい地域がきっと見つかります。いずれにしろ、日本に行ってからアルバイトばかりでなく、しっかり勉強をすることが大切です。 冒頭にも書きましたが、「日本に行けば、学校に行きながらアルバイトで毎月20万円~30万円を簡単に稼げる」とだまされて来日する人もいます。しかし、実際には留学生は週28時間(夏休みは別)しか働けません。それに、アルバイトばかりで進学せずに帰国しても給料は増えません。 そして、1年半や2年の短い滞在では日本のよさは分かりません。日本語を話せず一つか二つのアルバイトしか経験せずに帰国すると、親切な職場に巡り会う機会がない場合もあります。留学で日本に行くからには、専門学校や大学に進学し、学力を身につけて日本やベトナムで就職するというしっかりした目標を持って行ってほしいと思います。 私が日本にきて一番印象深いのは電車やバスなどの公共交通です。時間も正確でスピードも速く、どこにでも行けます。交通以外のインフラが整っていて便利で空気もきれいです。これからも日本での生活を楽しみたいと思っています。 これから留学する皆さんは、しっかり情報収集をして自分なりのキャリアプランを立て、きちんと準備をしてから日本に行ってくださいね。

    2019年06月27日

主催者

Nhà tài trợ Bạch Kim

後援

  • 在ベトナム日本国大使館
  • 国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
  • JNTOハノイ事務所
  • 関西経済連合会
  • 一般社団法人 国際人流振興協会
  • 公益社団法人 ベトナム協会
  • NPO法人 日越ともいき支援会

協力

JASSO(日本学生支援機構)

外国人労働者弁護団

WA.SA.Bi.