わたしの体験

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By KOKORO(毎日新聞社+VAIJ主催、在ベトナム日本国大使館など後援)
2021年04月09日 わたしの体験

今回の先輩

(グエン・ヴァン・カイン)さん
  • 2008年 高校卒業
  • 2008年 ナムディン日本語日本文化学院入学
  • 2010年 ナムディン学院卒業
  • 2010年 建築の技能実習〈岡山県〉
  • 2011年 JLPT・N3合格
  • 2013年 JLPT・N2合格
  • 2013年 ベトナムに帰国
  • 2015年 南九州大学入学〈宮崎県〉
  • 2019年 南九州大学卒業
  • 2019年 酒造メーカーに就職(正社員)〈宮崎県〉
  • 2019年 日本人女性と結婚

〈1990年生まれ、ナムディン省出身〉

技能実習で貯めたお金で大学に留学し、日本の酒造会社に就職したカインさん。将来は故郷で焼酎工場を作るという目標を持つカインさんの留学生活の送り方や就職活動の動き方をリポートする。

ベトナムで日本語学校に1年半

故郷のYÊN CƯỜNG村〈2014年〉

私はナムディン省の高校を卒業し大学進学も考えましたが、親せきの紹介でナムディン日本語日本文化学院に入りました。自宅から遠かったので、同じ村から入学した5人でアパートをシェアしました。学院では毎日15:40ごろまで授業を受け、夕食後にまた学院に戻ってみんなで3、4時間自習しました。

ナムディン学院で1年半勉強し、本当はすぐに留学したかったのですが、お金がかかるので、まず技能実習をすることにしました。人づてにホーチミンの送出機関を紹介してもらい、約60,000,000 VND(約29万円)で日本に行くことができました。ナムディン学院で日本語を十分に学んだので、送出機関には日本語教育費は支払いませんでした。

職歴に関する書類の内容に注意

ナムディン日本語日本文化学院のクリスマス会〈2013年〉

技能実習の在留資格を申請する際に気をつけたことがあります。技能実習は、生徒が母国で経験した職業の技術を日本で高めるという名目で行われていますが、実際は、大半のケースで求人内容に合わせて生徒の職歴を偽装して在留資格を申請しています。もし、その申請の際に提出した職歴の内容を知らず、技能実習が終わってから留学の在留資格を申請する際に違う職歴を提出すると、申請が許可されないことがあります。

私は職歴に関する書類作成を送出機関だけに任せず、ナムディン学院の先生と一緒に内容をよく考えて作成しました。そして、入管に提出した書類はすべてコピーして保管しました。

技能実習

職場の先輩日本人や後輩ベトナム人と旅行〈奈良で2013年〉

こうして、私は2010年10月に訪日し、岡山県備前市で技能実習を始めました。従業員40~50人ぐらいの会社で、実習生は私を含めて2人でした。仕事は住宅や工場の解体です。建築・解体の現場には気の荒い人が多いと言われていますが、私はベトナムで日本語を十分に勉強してから訪日したので、最初から職場でのコミュニケーションがうまくいき、皆さんに親切にしていただきました。60代の先輩が私に特に親切で、よく車で日帰り旅行に連れて行ってくださいました。奈良・京都・大阪には一緒に1泊で旅行しました。この方とは留学で再訪日してからも時々お会いしています。

技能実習で私の手取り給料は毎月10万~11万円でした。ここから毎月7~8万円ずつを実家に送金し、送金額は3年間で約250万円(約522,000,000 VND)になりました。訪日時の費用や母の通院費などを差し引いても約150万円残ったので、それをその後の留学の資金にしました。

留学

大学での実習(左の奥が私)

技能実習を終えた私は帰国してナムディン学院で講師をしました。技能実習の監理団体(受入組合)が送出機関への就職を紹介してくれましたが、ロイ校長の助言で学院に戻りました。ここで1年4カ月、後輩に教えながら自分も日本語学習を続けました。技能実習生には、「日本で学んだ技術を母国に移転する」という役割があるため、一定期間を経ないと留学の在留資格を申請しても許可されないからです。

その後、ナムディン学院と提携する南九州大学(宮崎県)の入試をハノイで受け、合格しました。技能実習の3年目に日本語能力試験(JLPT)・N2に合格していたので、作文の試験を免除され、面接(日本語)だけでした。私は日本の酒造技術を学び、それを応用してベトナムで焼酎を醸造したいと考え、食品関係の学部を選びました。留学して最初の約4カ月間はアルバイトをせず、勉強に集中しました。授業で専門用語も多く、予習・復習に時間がかかったからです。大学時代は授業以外に毎日3~5時間勉強しました。平日は毎日5時間のアルバイトがあったので、授業のないときや週末に勉強しました。

学費とアルバイト

アルバイト仲間の日本人たちと過ごす休日〈宮崎市内で2019年〉

留学する際は、最初に約100万円を入学金や1年目の授業料などとして支払い、それ以外に約50万円を持って日本に来ました。4年間の留学費用は主にそのお金とアルバイトとでまかないましたが、それができた背景には下記のような要因がありました。

  • • 南九州大学では、外国人留学生の授業料が半額
  • • 2年目から同郷の後輩2人とアパートをシェア
  • • 2年生のときに1年間で計360,000円の奨学金をもらえた(大学からの紹介)

アルバイトは求人サイトで探しました。日本語をある程度話せたので、1軒目の居酒屋で採用され、そこで卒業まで働きました。いなかはのんびりしているので、お客さんたちが「どこから来たの?」「学生さんですか?」などと私に話しかけてくださり、お客さんや日本人のアルバイト仲間との会話で日本語が上達しました。仲間とは、勤務後に数人で飲みに行ったり休日にショッピングモールに出かけたりもしました。

私の家計簿(1カ月の平均)

※大学3年のときの家計簿

※100円=20,877 VND(※2021年4月2日現在)

収入(合計100,000円)
アルバイト1件(居酒屋)

100,000円

支出(合計102,000円~107,000円)
家賃

12,000円

※アパートを3人でシェア

授業料

50,000円

光熱費 

7,000~10,000円

※電気・ガス・水道代の合計

インターネット(Wi-Fi)

2000円

※3人で分担

携帯電話

3000円

※Y-mobile

食費 

20,000円

雑費

8,000円~10,000円

※衣類、教材、交通費など

毎月の差額・貯金 ▲2,000円~▲7,000円

※長期休暇時のアルバイト料などで補てん

ハローワークで就職活動

大学で焼酎の造り方を研究。就職活動も酒造会社に絞って応募。

私は大学2年のときに2週間、3年のときに10日間、同じ酒造会社でインターンシップをさせていただき、焼酎づくりの基礎を学びました。社長からは就職の内々定をいただいていましたが、4年生の初めに事情が変わりました。この会社が買収され、経営者が変わったのです。私の内々定も立ち消えになり、私は周囲より遅れて6月から就職活動を始めることになりました。

大学生の多くは「マイナビ」サイトを使って就活をしますが、私は公的機関であるハローワークのサイトで求人を探しました。狙いは、歴史があって従業員の少ない酒造会社です。「歴史=技術力と信用」、「少人数=酒造技術を全般的に学べる」という観点でした。ネットで調べてから6月末ごろ、地元のハローワーク事務所に行って履歴書を提出し、4社に申し込みました。すると、1社は外国人を採用していませんでしたが、残り3社は面接をしてくれました。

「あなたは日本でいつまで働く予定ですか?」

私が就職した岩倉酒造場〈2020年〉

外国人留学生の採用面接では避けて通れない関門があります。「あなたはいつまで日本で働くつもりですか」という質問です。私は日本で学んだ技術をベトナムに持ち帰って起業することが夢です。このことを面接で話すべきかどうか、私は大学の研究室の先生に相談しました。先生は「目標があるのなら、正直に答えた方がよいのではないか」という意見で、私もそうすることにしました。

2020年7月に受けた3社の面接で、やはりどの社からもこのことを聞かれました。福岡県の焼酎メーカーの担当者はわざわざ宮崎まで来てくださり、よい雰囲気で面接が進みました。しかし、終盤にこの質問が出て正直に答えると、面接の雰囲気が変わり、採用してもらえませんでした。しかし、残り2社は、私が正直に答えたのに内々定をくれました。私はその中で宮崎県西都(さいと)市の岩倉酒造場という会社にお世話になることにしました。約160年の歴史がある会社です。現在、働き始めて1年経ちましたが、とても働きやすい職場です。

ボランティア日本語教室を活用

和気町の日本語教室の先生の家で懇親会〈2013年〉

私は技能実習で日本に来た翌年にJLPT・N3、3年目にN2を取得しました。仕事が終わってから家で毎日2、3時間勉強したほか、ボランティア日本語教室に通いました。最初は監理団体の通訳の紹介で岡山市内の教室に通いましたが、授業が難しすぎました。そこで、レベル別にクラスがある倉敷市の教室に移り、毎週日曜に2時間の無料授業を受けました。家の近くの駅から倉敷までは電車で片道約80分(往復の電車賃は約2,000円)かかりましたが、将来の財産になるので時間とお金をかけました。

技能実習2年目には、岡山県和気(わけ)町でも無料日本語教室を見つけ、倉敷の教室も続けながら毎週火曜の夜に授業を受けました。和気の教室の先生は年に数回、自宅に生徒数人を招いて食事会をしてくれました。ここで知り合ったベトナム人仲間とは、テト(旧正月)の食事会をするなど交流が深まりました。

日本人女性と結婚

故郷で結婚式〈2019年〉

和気町の日本語教室の先生に私と年の近い女性がいました。この女性は勤務先の同僚のベトナム人が日本語を話せず困っている姿を見て、外国人に日本語を教えるボランティアに参加したそうです。女性はその後、仕事をやめてホーチミンに渡り、送出機関で2年間日本語を教えることになりました。同じころ、技能実習が終わってナムディンに戻っていた私は、SNS(メッセンジャー)でこの女性からのさまざまな相談に応じるようになりました。

私の留学2年目の2016年春、帰国して岡山に戻っていたこの女性が宮崎に遊びに来てくれました。すると、女性は宮崎の土地柄や気候が気に入ったと言って半年後に宮崎に引っ越して来て、私たちは付き合うようになりました。2019年11月、私たちはナムディンで約500人を招いて結婚式を挙げ、今年5月には子どもが生まれる予定です。将来は家族でナムディンで暮らす予定です。

宮崎のベトナム人コミュニティ

ベトナム人のサッカーチーム(試合前の記念撮影)〈宮崎市内で2021年〉

私は2020年11月にベトナム人仲間とボランティア日本語教室を立ち上げました。毎週日曜に交代で実習生やエンジニアに日本語を教え、普段の生活サポートも行います。日本人の先生もいます。また、宮崎県には現在、ベトナム人のサッカーチームが8チームあります。私のチームには技能実習生やエンジニア、留学生がいます。毎週日曜に河川敷で練習し、ときどきメンバーの自宅で食事会をします。

このように充実した日本生活を送っていますが、数年後にはベトナムに帰って小さな焼酎醸造所を立ち上げることが私の目標です。大好きな日本でまだまだ多くのことを学びたいと思っています。

今回の先輩

(グエン・ヴァン・カイン)さん
  • 2008年 高校卒業
  • 2008年 ナムディン日本語日本文化学院入学
  • 2010年 ナムディン学院卒業
  • 2010年 建築の技能実習〈岡山県〉
  • 2011年 JLPT・N3合格
  • 2013年 JLPT・N2合格
  • 2013年 ベトナムに帰国
  • 2015年 南九州大学入学〈宮崎県〉
  • 2019年 南九州大学卒業
  • 2019年 酒造メーカーに就職(正社員)〈宮崎県〉
  • 2019年 日本人女性と結婚

〈1990年生まれ、ナムディン省出身〉

技能実習で貯めたお金で大学に留学し、日本の酒造会社に就職したカインさん。将来は故郷で焼酎工場を作るという目標を持つカインさんの留学生活の送り方や就職活動の動き方をリポートする。

ベトナムで日本語学校に1年半

私はナムディン省の高校を卒業し大学進学も考えましたが、親せきの紹介でナムディン日本語日本文化学院に入りました。自宅から遠かったので、同じ村から入学した5人でアパートをシェアしました。学院では毎日15:40ごろまで授業を受け、夕食後にまた学院に戻ってみんなで3、4時間自習しました。

ナムディン学院で1年半勉強し、本当はすぐに留学したかったのですが、お金がかかるので、まず技能実習をすることにしました。人づてにホーチミンの送出機関を紹介してもらい、約60,000,000 VND(約29万円)で日本に行くことができました。ナムディン学院で日本語を十分に学んだので、送出機関には日本語教育費は支払いませんでした。

故郷のYÊN CƯỜNG村〈2014年〉

職歴に関する書類の内容に注意

技能実習の在留資格を申請する際に気をつけたことがあります。技能実習は、生徒が母国で経験した職業の技術を日本で高めるという名目で行われていますが、実際は、大半のケースで求人内容に合わせて生徒の職歴を偽装して在留資格を申請しています。もし、その申請の際に提出した職歴の内容を知らず、技能実習が終わってから留学の在留資格を申請する際に違う職歴を提出すると、申請が許可されないことがあります。

私は職歴に関する書類作成を送出機関だけに任せず、ナムディン学院の先生と一緒に内容をよく考えて作成しました。そして、入管に提出した書類はすべてコピーして保管しました。

ナムディン日本語日本文化学院のクリスマス会〈2013年〉

技能実習

こうして、私は2010年10月に訪日し、岡山県備前市で技能実習を始めました。従業員40~50人ぐらいの会社で、実習生は私を含めて2人でした。仕事は住宅や工場の解体です。建築・解体の現場には気の荒い人が多いと言われていますが、私はベトナムで日本語を十分に勉強してから訪日したので、最初から職場でのコミュニケーションがうまくいき、皆さんに親切にしていただきました。60代の先輩が私に特に親切で、よく車で日帰り旅行に連れて行ってくださいました。奈良・京都・大阪には一緒に1泊で旅行しました。この方とは留学で再訪日してからも時々お会いしています。

技能実習で私の手取り給料は毎月10万~11万円でした。ここから毎月7~8万円ずつを実家に送金し、送金額は3年間で約250万円(約522,000,000 VND)になりました。訪日時の費用や母の通院費などを差し引いても約150万円残ったので、それをその後の留学の資金にしました。

職場の先輩日本人や後輩ベトナム人と旅行〈奈良で2013年〉

留学

技能実習を終えた私は帰国してナムディン学院で講師をしました。技能実習の監理団体(受入組合)が送出機関への就職を紹介してくれましたが、ロイ校長の助言で学院に戻りました。ここで1年4カ月、後輩に教えながら自分も日本語学習を続けました。技能実習生には、「日本で学んだ技術を母国に移転する」という役割があるため、一定期間を経ないと留学の在留資格を申請しても許可されないからです。

その後、ナムディン学院と提携する南九州大学(宮崎県)の入試をハノイで受け、合格しました。技能実習の3年目に日本語能力試験(JLPT)・N2に合格していたので、作文の試験を免除され、面接(日本語)だけでした。私は日本の酒造技術を学び、それを応用してベトナムで焼酎を醸造したいと考え、食品関係の学部を選びました。留学して最初の約4カ月間はアルバイトをせず、勉強に集中しました。授業で専門用語も多く、予習・復習に時間がかかったからです。大学時代は授業以外に毎日3~5時間勉強しました。平日は毎日5時間のアルバイトがあったので、授業のないときや週末に勉強しました。

大学での実習(左の奥が私)

学費とアルバイト

留学する際は、最初に約100万円を入学金や1年目の授業料などとして支払い、それ以外に約50万円を持って日本に来ました。4年間の留学費用は主にそのお金とアルバイトとでまかないましたが、それができた背景には下記のような要因がありました。

  • • 南九州大学では、外国人留学生の授業料が半額
  • • 2年目から同郷の後輩2人とアパートをシェア
  • • 2年生のときに1年間で計360,000円の奨学金をもらえた(大学からの紹介)

アルバイトは求人サイトで探しました。日本語をある程度話せたので、1軒目の居酒屋で採用され、そこで卒業まで働きました。いなかはのんびりしているので、お客さんたちが「どこから来たの?」「学生さんですか?」などと私に話しかけてくださり、お客さんや日本人のアルバイト仲間との会話で日本語が上達しました。仲間とは、勤務後に数人で飲みに行ったり休日にショッピングモールに出かけたりもしました。

アルバイト仲間の日本人たちと過ごす休日〈宮崎市内で2019年〉

私の家計簿(1カ月の平均)

※大学3年のときの家計簿

※100円=20,877 VND(※2021年4月2日現在)

収入(合計100,000円)
アルバイト1件(居酒屋)

100,000円

支出(合計102,000円~107,000円)
家賃

12,000円

※アパートを3人でシェア

授業料

50,000円

光熱費 

7,000~10,000円

※電気・ガス・水道代の合計

インターネット(Wi-Fi)

2000円

※3人で分担

携帯電話

3000円

※Y-mobile

食費 

20,000円

雑費

8,000円~10,000円

※衣類、教材、交通費など

毎月の差額・貯金 ▲2,000円~▲7,000円

※長期休暇時のアルバイト料などで補てん

ハローワークで就職活動

私は大学2年のときに2週間、3年のときに10日間、同じ酒造会社でインターンシップをさせていただき、焼酎づくりの基礎を学びました。社長からは就職の内々定をいただいていましたが、4年生の初めに事情が変わりました。この会社が買収され、経営者が変わったのです。私の内々定も立ち消えになり、私は周囲より遅れて6月から就職活動を始めることになりました。

大学生の多くは「マイナビ」サイトを使って就活をしますが、私は公的機関であるハローワークのサイトで求人を探しました。狙いは、歴史があって従業員の少ない酒造会社です。「歴史=技術力と信用」、「少人数=酒造技術を全般的に学べる」という観点でした。ネットで調べてから6月末ごろ、地元のハローワーク事務所に行って履歴書を提出し、4社に申し込みました。すると、1社は外国人を採用していませんでしたが、残り3社は面接をしてくれました。

大学で焼酎の造り方を研究。就職活動も酒造会社に絞って応募。

「あなたは日本でいつまで働く予定ですか?」

外国人留学生の採用面接では避けて通れない関門があります。「あなたはいつまで日本で働くつもりですか」という質問です。私は日本で学んだ技術をベトナムに持ち帰って起業することが夢です。このことを面接で話すべきかどうか、私は大学の研究室の先生に相談しました。先生は「目標があるのなら、正直に答えた方がよいのではないか」という意見で、私もそうすることにしました。

2020年7月に受けた3社の面接で、やはりどの社からもこのことを聞かれました。福岡県の焼酎メーカーの担当者はわざわざ宮崎まで来てくださり、よい雰囲気で面接が進みました。しかし、終盤にこの質問が出て正直に答えると、面接の雰囲気が変わり、採用してもらえませんでした。しかし、残り2社は、私が正直に答えたのに内々定をくれました。私はその中で宮崎県西都(さいと)市の岩倉酒造場という会社にお世話になることにしました。約160年の歴史がある会社です。現在、働き始めて1年経ちましたが、とても働きやすい職場です。

私が就職した岩倉酒造場〈2020年〉

ボランティア日本語教室を活用

私は技能実習で日本に来た翌年にJLPT・N3、3年目にN2を取得しました。仕事が終わってから家で毎日2、3時間勉強したほか、ボランティア日本語教室に通いました。最初は監理団体の通訳の紹介で岡山市内の教室に通いましたが、授業が難しすぎました。そこで、レベル別にクラスがある倉敷市の教室に移り、毎週日曜に2時間の無料授業を受けました。家の近くの駅から倉敷までは電車で片道約80分(往復の電車賃は約2,000円)かかりましたが、将来の財産になるので時間とお金をかけました。

技能実習2年目には、岡山県和気(わけ)町でも無料日本語教室を見つけ、倉敷の教室も続けながら毎週火曜の夜に授業を受けました。和気の教室の先生は年に数回、自宅に生徒数人を招いて食事会をしてくれました。ここで知り合ったベトナム人仲間とは、テト(旧正月)の食事会をするなど交流が深まりました。

和気町の日本語教室の先生の家で懇親会〈2013年〉

日本人女性と結婚

和気町の日本語教室の先生に私と年の近い女性がいました。この女性は勤務先の同僚のベトナム人が日本語を話せず困っている姿を見て、外国人に日本語を教えるボランティアに参加したそうです。女性はその後、仕事をやめてホーチミンに渡り、送出機関で2年間日本語を教えることになりました。同じころ、技能実習が終わってナムディンに戻っていた私は、SNS(メッセンジャー)でこの女性からのさまざまな相談に応じるようになりました。

私の留学2年目の2016年春、帰国して岡山に戻っていたこの女性が宮崎に遊びに来てくれました。すると、女性は宮崎の土地柄や気候が気に入ったと言って半年後に宮崎に引っ越して来て、私たちは付き合うようになりました。2019年11月、私たちはナムディンで約500人を招いて結婚式を挙げ、今年5月には子どもが生まれる予定です。将来は家族でナムディンで暮らす予定です。

故郷で結婚式〈2019年〉

宮崎のベトナム人コミュニティ

私は2020年11月にベトナム人仲間とボランティア日本語教室を立ち上げました。毎週日曜に交代で実習生やエンジニアに日本語を教え、普段の生活サポートも行います。日本人の先生もいます。また、宮崎県には現在、ベトナム人のサッカーチームが8チームあります。私のチームには技能実習生やエンジニア、留学生がいます。毎週日曜に河川敷で練習し、ときどきメンバーの自宅で食事会をします。

このように充実した日本生活を送っていますが、数年後にはベトナムに帰って小さな焼酎醸造所を立ち上げることが私の目標です。大好きな日本でまだまだ多くのことを学びたいと思っています。

ベトナム人のサッカーチーム(試合前の記念撮影)〈宮崎市内で2021年〉