体験談
Vol. 11 目先の金より生涯収入 / 私のN1必勝法

今回の先輩

Cường Đỗ Mạnh(ドー・マイン・クオンさん)
1995年生まれ、ハノイ出身
2013年 6月 DAN PHUONG高校卒業
2013年 9月 ハノイ工業大学入学
2014年 6月 送出機関の日本語センター入学
2014年 6月 ハノイ工業大学休学
2014年 12月 山梨県で技能実習開始
2017年 12月 技能実習修了、ベトナムに帰国
2018年 1月 送出機関入社
2018年 10月 送出機関退社
2019年 1月 日本の健康器具販売会社のベトナム法人入社
実習3年でN1に合格した日本語力が武器
ハノイ市内の小さなオフィスの2階。長い順番待ちの末にやっと27席の一つずつに座った中高年の男女がクオンさんの健康講座に聞き入る。いすには電気健康器具の通電シートがしかれ、30分の講座を聴く間、器具を無料体験できる。肩こりや頭痛など様々な症状に効果があるといい、これが目的で何度も足を運ぶ人が多い。ここは日本の健康器具販売会社のPRセンターで、ハノイに7カ所あるうちの一つだ。講座は4人のスタッフが30分ずつ交代で担当し、1日に14回行う。初回に会員登録し、2回目からは受付に会員カードを出した順に受講できるが、1階待合室はいつも満員で、3時間待ちのこともある。

健康について講義をするクオンさん【2019年10月】
この器具は1台129,000,000ドン(税込・約61万円)と89,000,000ドン(同・約42万円)の2種類。皆が買うわけではないが、来てくれるだけで歓迎するのがクオンさんの方針だ。器具は買わなくても、友人を連れてきてくれる人もいるし、無料体験で健康になってくれればPRにもなる。来場者は居心地がよいのか、2019年4月のオープンから10カ月間で会員は約400人に達した。そのほとんどが口コミで、器具は1カ月に7台から十数台売れる。クオンさんの手取り月給は約16,000,000ドンだが、センターの売り上げに応じてコミッションが加算され、その額が月給の3、4倍になることもしばしばだという。

収入安定で家庭もますます安泰。妻とハノイ市内のフォー店で。【2019年10月】
クオンさんはセンター長で、人材会社のサイトで「N2以上、営業が得意」という条件を見て応募した。技能実習の3年間で日本語能力試験(JLPT)のN1に合格した日本語力がクオンさんの武器だ。
以下に、クオンさん本人による日本での実習体験を紹介する。
日本語センターで先々まで予習

私は大学で溶接を専攻していましたが、ある日、学内で技能実習生の送出機関のポスターを見ました。「日本に行けば毎月15万円(約30,000,000ドン)稼げる」「日本語を身につけ、日本語の先生になれる」と書いてありました。溶接の仕事に興味を感じていなかった私は技能実習生になろうと決心しました。大学を休学して送出機関に入りました。寮から約10㌔離れた実家には毎週1回帰りましたが、勉強に集中するため宿泊せず日帰りでした。
送出機関の日本語センターで使った「みんなの日本語」という教科書は1~25課がN5向け、26~50課がN4向けで、授業で35課まで習いました。しかし、私は自分で50課まで勉強してから日本に行きました。最後は、成績が8クラス計約200人の中で一番でした。先に自習したことを授業で復習する形になり、よく覚えられたのだと思います。
目先の金より将来の収入
私はセンターで約8カ月間勉強して2014年12月に日本に行きました。実習先は、金属ワイヤーを加工して金網などを作る山梨県内の工場でした。ベトナム人男性が10人(3年目は15人)いて、日本人と合わせて100人余り。コイル状のワイヤーをクレーンで直線機という機械にセットし、機械からワイヤーが真っすぐになって出てきたら指定の長さに切断するのが私の仕事でした。
9台の機械を受け持ちましたが、機械からワイヤーが出てくるのを待つ時間が長いので、その間に日本語を勉強しました。また、残業はなるべく入れないよう会社にお願いし、夜の勉強時間を確保しました。最初はたくさん残業したのですが、「技能実習3年分の残業代」と「日本語を身につけた後に何年にもわたって稼げるお金」を比較し、「目先のお金」より「将来の仕事と生活」を選んだのです。

機械から直線になって出てきたワイヤーを切断【2017年】

会社の役員(手前左から2人目)やベトナム人の実習生仲間たち【2016年】
私のN1必勝法〈ツール編〉
私は訪日から1年後の2015年12月に日本語能力試験(JLPT)のN2に不合格(あと1点で合格)でしたが、2016年7月にN3に合格し、2017年12月にN1に合格しました。

JLPTのN1に合格【2017年12月】
◇参考書、問題集◇
私は日本語教材にお金を惜しみませんでした。日本に行く前に約1万円(約2,116,000ドン)、訪日後も約19万円(約40,197,000ドン)使いました。日本語力を確実に身につければ、将来回収できると確信していたからです。私が使った教材の中で、ある程度勉強した人には「新完全マスター」シリーズが特にお勧めです。
・「新完全マスター」シリーズ(出版社:スリーエーネットワーク)

お世話になった日本語教材の数々
◇ヒアリング◇
ヒアリングは「耳から覚える日本語能力試験 語彙トレーニング」に付いていたCDを毎日聴きました。CDの中身をパソコンを使ってアイフォンに保存し、仕事中にイヤホンで聴いたのです。また、インターネットの「SAKURA TV」もよく視聴し、仕事中や休日には、日本人と積極的に会話もしました。
・「耳から覚える 日本語能力試験」シリーズ(出版社:アルク)
◇単語暗記アプリ◇
単語は「AnkiMobile」という有料アプリ(アンドロイド携帯からは無料)を使って覚えました。私はヒアリング力と単語力が強かったのですが、単語力はこのアプリの力によるところが大きかったです。

AnkiMobile
私のN1必勝法【生活編】
仕事のない週末は、アパートか山梨県立図書館で勉強しました。図書館はエアコンが効いていて快適ですし、静かで、勉強に最適でした。早めに起きてJR甲府駅構内のベンチで朝8時から勉強し、駅近くの県立図書館が開くとそちらに移りました。お昼は近くの甲府城でお弁当を食べ、その後、国立山梨大学に行きます。ここでボランティアの日本人が無料の日本語教室(毎週日曜日14時~16時)を開いており、いろんな国の人と一緒に勉強しました。

山梨県立図書館 Ⓒ毎日新聞社
同僚の実習生は休日は遅くまで眠るかスマートフォンで遊ぶことが多く、だれも日本語の勉強をしていませんでした。私はあまり遊ばず、「生活費を稼ぎながら日本に留学(自習留学)」という感覚で、できるだけ学習に時間を取りました。勉強に集中するため最初の2年間はFacebookもやめたほどでした。
私の家計簿(1カ月の平均)
※100円=21,156 VND(2020年2月17日現在)
手取り給料(100,000円~155,000円)
手取り給料 | 85,000円~93,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は20,000円(2ベッドルームのアパートに3、4人/冷蔵庫・洗濯機・エアコンなど家電は会社が用意) |
支出(合計40,000円~50,000円)
光熱費 | 0円 ※寮費に込み(水道、電気、ガス) |
インターネット | 1,000円 ※寮の6、7人でシェア ※携帯電話はSIMなし(Wi-Fiのみ使用) |
食費・交通費 | 37,000~60,000円 ※勉強時間確保のため主に外食中心 ※図書館への交通費。たまに仲間とレジャー。 ※教材費は別途 |
差額(貯金) 平均40,000円
※貯金を2、3カ月に1回、両親に送金。1回の送金は10万円程度。
※送出機関に支払うための借金を3年間で返しただけで貯金はゼロ。しかし、帰国後、高収入を継続し、両親にも還元。

寮(会社が実習生のために借りたアパート)。周囲にはモモやブドウの畑がありました。【2017年】
送出機関での仕事
2017年12月に帰国後、父の知人の紹介で大手送出機関に入社しました。資料の翻訳や面接での通訳、営業などが仕事です。営業先は、日本の受入組合や受入会社などで、ハノイから日本に電話して面会約束を取り、出張して技能実習などの求人を回してくれるよう交渉します。合意すれば、先方にベトナムに視察に来てもらい、その際に飲食店やマッサージ、カラオケなどで接待します。しかし、ほどなく仕事内容に疑問を感じるようになり、10カ月で退職しました。仕事をするからには、なるべく世の中の役に立つ仕事をしたいと思っていたのですが、この仕事は違うのではないかと思ったからです。

送出機関でもよいことはありました。例えば、妻と出会えたこと(笑)。【2018年】
日本人の親切
ほとんど仕事と勉強だけの生活でしたが、目標に向かって努力を続けたので充実感がありました。また、職場で楽しい仲間や親切な先輩たち恵まれ、楽しい思い出もたくさんできました。
【日本の「お父さん」「お母さん」】
私たち技能実習生にとても親切にしてくれる三科さんという60歳代の先輩がいて、野菜や果物を私たちの寮によく差し入れてくれました。「ベトナム人には日本の冬の寒さはつらいだろう」と、服や靴下、手袋を買って持ってきてくれたこともあります。私たちは5、6人で月に1、2度、電車に乗って三科さん宅に遊びに行き、ご飯をごちそうになったり、一緒にボーリングに出かけたりしました。私たちは三科さんご夫妻のことを「お父さん」「お母さん」と呼んでいました。山梨大での無料日本語教室を見つけてきてくれたのも三科さんで、最初の日、ご夫婦で車で私を大学に連れて行き、教室が終わるまで外で待っていてくれました。

三科さん宅で日本のお正月をお祝い。実習生仲間6人で訪問。【2016年1月】

三科さんと工場の社員食堂で【2017年秋】
【国際交流イベント】
常務の福岡さんは、地元自治体が主催する年2回の国際交流イベントに私たちをポケットマネーで行かせてくれました。地元の外国人約100人が集まるイベントで、職場の実習仲間約10人でよく参加させていただきました。
【日本人の先輩たち】
日本人の先輩たちと私たち実習生とでバーベキューを楽しんだりスケートに行ったりもしました。こういう時は、先輩たちが費用をほとんど負担してくれました。また、年に2、3回、先輩たちとベトナム人仲間とで飲みに行くこともありました。

職場の十数人で魚釣りの後、釣った魚でバーベキュー【2015年6月】

山梨県の遊園地「富士急ハイランド」でアイススケート。背後に富士山。【2016年】
【寮の仲間】
寮の仲間とは、後輩実習生の歓迎会をしたり、時々花見や近くに観光に行ったりしました。休日の夕方はサッカーをすることもありました。私が図書館から帰るのに合わせて夕方に設定してくれたのです。

職場の仲間たちと桜の花見【2015年4月】

甲府市内の中学校グラウンドで技能実習仲間でサッカー【2017年秋】

仲間の部屋で私(左下)と同期生の送別会【2017年12月】
せっかく行くならよい留学・就労を
このように、私の日本滞在は充実した内容でした。日本に行ったからといって、何もせずに自動的に日本語が身につくわけではありません。逆に、しっかり準備してから訪日し、日本でも毎日努力すれば、日本語力や仕事に対する日本的な考え方など大きな財産が身につきます。なるべく少ない借金で日本に行き、日本在留中はお金を稼ぐより能力を磨くことを優先すれば、留学や技能実習が終わってからの仕事のやりがいも収入もまったく違ったものになるでしょう。後輩の皆さまのご検討をお祈りします。
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- 公益社団法人 ベトナム協会
- NPO法人 日越ともいき支援会
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Vol. 82 日本語マスターのために技能実習
「日本人と交流して日本語を学ぶ」という目的で技能実習生として日本に行くことを決めたヴァンさん。日本では「ボランティア日本語教室」を活用。職場で見つけた日本人の友だちともたくさん交流し、日本での3年間でJLPT・N2に合格しました。 今回の先輩 ホ・ティ・テュイ・ヴァン さん 2009年 高校卒業 〈ホーチミン〉 2012年 ホーチミン市工業大学附属高等専門学校卒業 2012年 日研精密工業入社〈ホーチミン〉 2015年 技能実習生として来日〈大阪府〉 2018年 ベトナムに帰国 2019年 日系企業の営業部勤務〈現在も〉 〈1991年生まれ、ハティン省出身〉 ◆このページの内容 •日本に行くことを決めた理由 •低費用で良質の送出機関 •ボランティア日本語教室 •日本人との交流 •大学の食堂で勉強 •私の家計簿 •親切な監理団体(組合) •日本人の親切さ •帰国後は日系企業に勤務 日本に行くことを決めた理由 ホーチミンの会社の同僚たちと 私は高等専門学校(経理専攻)を卒業後、日本の部品メーカーのホーチミン事務所で経理として働きました。日本人2人、ベトナム人4人の職場でしたが、私以外のベトナム人3人は日本語を話せたので、仕事を進めるうえで、自分だけが同僚に通訳・翻訳を依頼しなければなりませんでした。 それが悔しくて、ホーチミンの有名な日本語学校(月~金、毎日2時間)に5カ月間通いましたが、思うように日本語が身につかず、もっと徹底して日本語や日本文化を勉強したいと思うようになりました。そんなときに技能実習制度を知りました。私は「留学に行くほどの資金はないが、技能実習の3年間で日本語を身につける人も多いので、自分も挑戦してみよう」と考えて技能実習に応募しました。 低費用で良質の送出機関 CICSで日本語の先生や同級生たちと(前列右が私) 送出機関はホーチミンのCICSを選びました。友だちの友だちがそこで勉強していたからですが、評判を調べた結果、日本語教育レベルの高い会社だったので、そこに決めました。CICSには日本人の先生もいましたCICSでの日本語の授業は毎日約8時間で、授業後に自習も約2時間しました。こうした準備を約半年間重ねた後、大阪の工場で働くために訪日しました。 ところで、CICSはベトナム政府が決めた手数料を守っている数少ない送出機関の一つだったので、私は自分が働いて貯めたお金だけでCICSへの支払いをまかなうことができました。 ボランティア日本語教室 日本語教室の廊下で生徒仲間の外国人たちと 私は日本で約2年半、「ボランティア日本語教室」に通いました。私が勤務していたのは大阪府茨木市で、教室は隣の吹田市にありました。吹田市国際交流協会が主催する教室で、授業は週に2回、毎月の月謝は約500円でした。授業内容は、水曜が年配の男性とマンツーマンで会話、土曜はその先生の奥さんやほかの先生と4、5人の生徒で会話をしました。 来日前に送出機関の先輩から「ボランティア日本語教室」を勧められていましたが、探し方がわからないので、職場で仲良くなった同じ年齢の日本人女性に探してもらいました。17時に仕事が終わり、自転車で駅まで行って約30分間電車に乗って教室に行き、18時から授業を受けました。仕事で疲れているので、眠り込んで電車を乗り過ごしてしまうこともときどきありました。 external link KOKORO:ボランティア日本語教室の探し方 日本人との交流 日本語教室の先生から頂いた本 ボランティア日本語教室の良さは日本語を勉強できることだけではありません。一生懸命に勉強を続けていると、先生方と仲良くなり、個人的な交流も生まれます。 先生方は私のことを親しみを込めて「ヴァンちゃん」と呼んでくれるようになり、私も先生方を「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになりました。 「お父さん」「お母さん」は日本での生活に関するさまざまなことを教えてくださいました。また、自分で栽培したトマトやキュウリを私に持ち帰らせてくれることもありました。お正月には2人の自宅にも招いていただきました。私は帰国してからもときどき、2人にLINEで近況報告をしています。 また、職場でも、私と同じ年齢の日本人女性と友だちになれました。 別の部署の女性でしたが、会社で会うといつも笑いかけてくれるので、私から話しかけて仲良くなりました。彼女とは、仕事後に一緒に外食をしたり、彼女の家で一緒にご飯を作って食べたりしました。最後の1年は同じ部署になり、一緒に働くことができて、とても楽しかったです。 また、数年年上の女性も、私が休憩時間に自動販売機の前でドリンクを飲んでいると、話しかけてくれました。私は「話す機会を増やすことが外国語の上達に必要」と考えていたので、まだ日本語がつたなかったときからその人にも積極的に話しかけ、たまに一緒に外食するようになりました。 大学の食堂で勉強 私が夕食と勉強に使った大学の食堂 日本語教室や職場で日本人と会話をする機会を得ましたが、ボキャブラリーを増やすには通常の勉強も欠かせません。私は毎晩、平日の仕事後に日本語を勉強しました。勉強の場所は寮から自転車で約30分のところにある大学の食堂でした。日本では、小さな大学の場合は、部外者が敷地に入れない場合も多いですが、伝統的な大学や大きな大学なら、多くの場合、キャンパスや施設の一部(食堂など)を一般の人にも開放しています。 私が通ったのは有名私立大学の食堂で、日本語教室の「お父さん」がこの食堂のことを教えてくれました。私は仕事後、自転車で食堂に通い、ご飯を注文するほか、自分で日本語の問題集を解いたり、学生同士が話しているのを近くで聞いたりして日本語を勉強しました。こうして、私は訪日した翌年に日本語能力試験(JLPT)N3に合格し、3年目にN2に合格しました。ベトナムに帰国後はN1に合格するための勉強を続けています。 私の家計簿(1カ月の平均) ※技能実習生時代の家計簿 ※100円=約17,328 VND(2023年1月14日現在) 収入:108,000円 給料 ¥108,000 *税金や社会保険、寮費などを引いた手取り給料 支出: 58,000円 外食(大学の食堂) ¥10,000 外食(職場の日本人やほかの友人) ¥10,000 食材・生活雑貨 ¥20,000 その他(服、化粧品、旅行など) ¥18,000 毎月の差額:50,000円 親切な監理団体(組合) 組合の人たちや他社の技能実習生と交流会 私の技能実習の監理団体(組合)は大阪市にある西日本技能センターでした。この組合は私たちの日本語学習をサポートしてくれたほか、他社の技能実習生と交流できるイベントを開いてくれたり、困ったときに親身に相談に乗ってくれたりしました。 日本語学習については、組合は私たちのレベルに応じて教材を選び、提供してくれました。そして、クリスマスやお正月などにいくつかの会社の実習生を集めてパーティーを開き、夏には海水浴場に連れて行きバーベキューを食べさせてくれました(ここ数年は新型コロナで休会中のようです)。 【編集部からのアドバイス】 技能実習では、送出機関、監理団体(組合)、受入会社のすべてが適切な対応をすることが大切ですが、そのような組み合わせは決して多くはありません。 そこで、最初に送出機関にアプローチするのではなく、まず評判の良い組合に連絡して良い送出機関を紹介してもらうという方法もあります。その場合、良い送出機関と良い組合に面倒をみてもらえる可能性が高くなります。 この体験談の筆者が使った監理団体は 「協同組合 西日本技能センター」です。 https://www.facebook.com/japanskill/ ※ベトナム語で問い合わせができます。 日本人の親切さ 電車を間違って降りた駅の周辺 ところで、私は日本で3年間暮らし、日本文化が大好きになりました。特に心ひかれたのは日本人の親切心です。例えば、私が訪日してまだ1カ月ぐらいのころ、電車を間違った駅で降り、携帯電話も持っていないので地図アプリも使えず、道に迷ってしまいました。そこで、たまたま見つけた交番に入って片言の日本語で警察官に相談すると、間違った駅で降りたことを教えてくれ、その駅まで連れて行ってくれました。その後、電車に乗り直して正しい駅で降り、無事に目的地にたどり着くことができました。 また、日本の電車の駅の周辺では、許可された場所以外に自転車を置くと、行政が自転車をトラックで運び去り、保管場に保管します。そこに自転車を取りに行って有料で返してもらうシステムです。私は訪日して間もないころ、それを知らず、駅前に自転車を置いて撤去されました。盗まれたと思って交番に行き、相談すると、撤去のシステムや保管場への行き方などについて親切に教えてくれました。 帰国後は日系企業に勤務 私の技能実習先はゴム製品を作る工場で、私は製品検査や材料の裁断、社内文書の管理などを担当しました。3年間の技能実習を終えて帰国後、5カ月間は同社の系列会社で働きましたが、日本語を使って営業やマーケティングを担当してみたいと思い、求人サイトで今の職場を探しました。 今の勤務先は日系の部品製造会社で、私は営業担当としてお客様の会社を訪問したり、見積もりを作成したりしています。やりがいのある仕事で、技能実習で身につけた日本語力や仕事に関する考え方が今の仕事に役立っています。
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VOL. 81 大学中退→留学→デジタルデザイナー
ハノイ工科大学を中退してFPT短大と日本の専門学校でデザインやアニメーションについて勉強したベトさん。留学後にデジタルデザイナーとして独立し、アイコンのデザインや日本アニメの字幕制作などを受注し、生き生きと働いています。
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Vol. 80 故郷で農園を開業したい
ロイさんは高校を卒業後、姉に勧められてナムディンの日本語学校で1年半、日本語をとことん学びました。その結果、最初から大学で留学を始めることができ、卒業後は正社員として日本の果樹園で働いています。お金を貯めながら農業技術をたくさん覚え、数年後に故郷で農園を開業するのが夢です。 今回の先輩 ズオン・ティ・ロイさん 2016年 高校卒業 2016年 ナムディン日本語日本文化学院入学(1年半) 2018年 南九州大学入学〈宮崎県〉 2022年 さくら農園就職〈鹿児島県〉 〈1998年生まれ、バクニン省出身〉 ◆このページの内容 • ナムディン学院で日本語漬けの日々 • 校長のすすめで大学に留学 • アルバイト先で日本語上達 • 留学中の節約生活 • 私の家計簿(1カ月の平均) • 日本の果樹園に就職 • 果樹園での仕事 • ベトナムで農園を開くのが夢 ナムディン学院で日本語漬けの日々 高校卒業(右はしが私) 私の姉2人はベトナムの日系企業で働いており、2人とも日本語を話せるので、平均より高い給料をもらっています。上の姉は短大や日本での技能実習(3年間)で日本語を学んだほか、帰国後にナムディン日本語日本文化学院に通って日本語をマスターしました。下の姉は大学を出て就職しましたが、外国語ができる社員の給料が高いのを見て、上の姉と同じように技能実習生として日本で3年間働き、その間に日本語能力試験(JLPT)N3に合格しました。 私はハノイ大学で外国語を勉強したかったのですが、入試の点数が少し足りなかったので、姉が通ったナムディン学院で日本語を学ぶことにしました。 ナムディン学院で過ごした日々(左上が自習の様子) 私は高校卒業直後の2016年10月にナムディン学院に入り、2017年12月にN3に合格しました。ナムディン学院では、午前中は授業(約4時間)、午後は自習(約4時間)、夕食後にまた自習(約3時間)という日課でした。土日も仲間と一緒に約10時間自習しました。しかし、たまに気晴らしのために学校の仲間たちとダラットやフートー省などに旅行に行き、楽しい思い出もたくさんできました。 ナムディンでは安いアパートに住み、月に1度だけバスで4時間かけてバクニン省の実家に帰りました。毎月の授業料は2,000,000 VNDで、大半は上の姉が払ってくれました。 校長のすすめで大学に留学 仲間たちに見送られてハノイから日本へ出発 私の実家は裕福ではないので、留学はできないと思っていました。しかし、進路相談で「卒業後は日系企業で働きたい」と校長先生に相談すると、先生は宮崎県の南九州大学を勧めてくれました。南九州大学では外国人留学生の学費が半額なので、ナムディン学院の先輩たちが技能実習でためたお金や現地でのアルバイトで稼いだお金で通学しているという説明でした。 私は家族と相談し、この大学に行くことにしました。ここでは食品開発や農業などを学べますが、私は花や自然が好きなので農業を学ぶことにしました。そして、ハノイで南九州大学の試験(日本語、面接)を受けて合格し、2018年4月に留学を始めました。 アルバイト先で日本語上達 コミュニケーションが多かった寿司店でのアルバイト 大学での授業料は半額で年58万円でした。私は1年目だけ両親に学費を支援してもらいましたが、2年目からはアルバイトでほとんどまかなえました。アルバイト時間は法律で決められた週28時間以内に収めましたが、宮崎県は住宅費が安いので、節約すれば十分に生活できました。 主なアルバイトは寿司店とコンビニでした。寿司店はスマホのアプリ(日本語)で探し、コンビニは店に「アルバイト募集」という掲示がありました。寿司店では、私の名札を見て「どこの国から来たの?」とか「日本に何年住んでいますか?」などと話しかけてくれるお客さんがたくさんいて、日本語の練習に役立ちました。また、店のアンケートに「外国人の方と話ができてよかった」「これからもがんばってください」などと書いてくれるお客さんもいました。 社長から誕生日にいただいた手紙 社長や店長、従業員がみな仲の良い職場で、仕事が終わってから10人ぐらいで一緒に飲みに行ったり、週末勤務の休憩時間にみんなでランチを食べながらおしゃべりを楽しんだりしました。また、社長は毎年、お祝いと励ましの言葉を書いた手紙をくれました。 雰囲気の良い職場で親切な人たちに囲まれて日本語でたくさんコミュニケーションを重ねたので、寿司店で働くことで日本語がどんどん上達していきました。 留学中の節約生活 左上は留学生交流室。他の2枚は企業の農園。 2年目以降の留学費用をアルバイトだけでほぼまかなえたのは、授業料が半額だったのと、私が次のような工夫をしたからです。 アルバイトがない日は、授業後、大学の留学生交流室(机あり、Wi-Fiあり)で夜10時まで勉強しました。朝もコンビニで働いたので、アパート滞在時間が短く、光熱費が安くすみました。 アルバイト先で年上の同僚女性から古着をよくもらい、自分では服をあまり買いませんでした。 アパートのベランダや大学の実習で作った野菜を自分で食べました。3、4年生のときは、大学が提携している企業の農園(約700㎡)でも留学仲間と一緒に野菜を栽培し、自分たちで食べるほか、一部はFacebookを使って販売しました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学留学時代の家計簿 ※100円=約17,920 VND(2022年12月22日現在) 収入:100,000円 給料 ¥100,000 ※月によって¥80,000~¥110,000 支出:107,000円 学費 ¥48,000 家賃 ¥33,000 ※水道代とWi-Fi代を含む ※部屋は28㎡ 電気代・ガス代 ¥3,500 食費(主に自炊) ¥15,000 ※アルバイト先のコンビニで、売れ残りの弁当を安く買えることもあった。 携帯電話 ¥2,000 ※就活のため3年生後半から ※UQモバイル 雑費 ¥5,500 毎月の差額:▲7,000円 ※夏休みなどの長期休暇時に長く働いてお金を貯め、毎月の不足を補いました。 日本の果樹園に就職 果樹園でのバーベキュー 鹿児島県にはナムディン学園理事長で元大学教授の神田嘉延(かんだ・よしのぶ)先生がいます。大学2年生(2019年)の秋、先生がナムディン学院の卒業生約10人を鹿児島県霧島市の「霧島さくらフルーツランド」に連れて行ってくれました。ここには44 haの敷地にたくさんの畑(ブドウ、なし、キーウィ、桃、リンゴなど)や約100棟のビニルハウスがあります。取れたての果物や加工食品などを販売棟で売っており、年間7、8万人が訪れます。 私たちはこの果樹園でバーベキュー料理を楽しみ、園内を見学しました。その後、大学4年の就職活動中に神田先生からこの果樹園で働くことを勧められ、先生の紹介もあって、果樹園の運営会社「さくら農園」で働くことになりました。 果樹園での仕事 「霧島さくらフルーツランド」では約50人が働いており、そのうちベトナム人が13人です。内訳は、技能実習生3人、特定技能外国人6人(ここの技能実習生から昇格)、日本人と結婚した元技能実習生1人(女性)、私を含む就労ビザ3人です。2カ月後に新たに4人の実習生も加わります。 職場では私が通訳をしていますが、実習生たちも日本語を勉強しています。毎週1回、会社の費用負担で日本人講師数人を招き、実習生に日本語を教えてもらっています。そのときに私も一緒に教えますし、ほかの日でも、実習生から質問されたら教えています。 <!-- チャンさん(左はし)と一緒に夫婦で茶道の先生のお宅を訪問 --> 職場では、私が日本人の指導者と技能実習生たちの間に入って農作業のこまかい指示を通訳し、自分もその作業を学んでいます。作業の一例を紹介します。 ブドウの新芽の中で不要な芽(生育の悪い芽など)を取り除く。これによって、残った芽に養分が集中しますし、芽が均等に育ちます。 ブドウのツルを支柱にからみつける。 粒の小さいブドウの房を切り落とす。これによって、残った房に養分が集中し、ブドウの甘みが増します。 瀬戸口さんの農業指導 農園の責任者・瀬戸口光広さんの話 どこの農園も人手不足に悩む中、うちはベトナム人スタッフたちのおかげで必要な作業を十分に行えるので、果物の品質が上がり、観光客からの人気も高まりました。 技能実習生は作業の意味を理解せずにやる傾向がありますが、ロイさんは作業の目的や手順をよく理解し覚えてくれるので、私たちも教えがいがあります。 ロイさんのお陰でベトナム人スタッフに作業の仕方を正確に伝えることができ、作業の間違いが減りました。また、彼らと日本人とのコミュニケーションが深まり、ベトナム人の定着に役立っています。 当園は海外に提携農園を持ち、マンゴーなどを輸入することを検討しています。ロイさんがベトナムに帰国したら、そのお手伝いをして頂ければと期待しています。 ベトナムで農園を開くのが夢 技能実習生たちの寮でパーティー 私は現在、さくら農園の中にある会社の寮に住んでいます。家賃(会社が半額補助)や水道・光熱費、Wi-Fi代を含めて月27,000円で済みます。このため、食費や交通費を引いても毎月10万円以上貯金できます。これ以外に技能実習生と違って年2回のボーナスもあります。日本で数年間働いたら、帰国してベトナムで自分の農園を開くのが夢なので、こうして貯めたお金をその資金にしたいと思います。環境にやさしいオーガニック栽培で果樹や野菜を育てるのが私の目標です。 果樹園の技能実習生と一緒に登山 私はさくら農園の就職面接で「日本で約5年働いたら、ベトナムに帰って自分の農園を開きたい」と打ち明け、さくら農園はそれを認めてくれました。無事に独立してベトナムで開業できた場合、さくら農園 の海外展開のお手伝いもできれば、とてもうれしいです。
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Vol. 79 JLPTの会場で出会って結婚
帰国後に日系企業で良いポジションで働きたいと思い、技能実習中に日本語学習をがんばったオアインさん。3年間で日常会話ができるようになり、技能実習を2年間延長してもらえることに。さらにN1を目指して努力していると、JLPTの会場で運命の相手と出会いました。 今回の先輩 グエン・テュ・オアイン さん 2008年 衣料技術の専門学校卒業〈ホーチミン〉 2009年 Trường Cao Đẳng Công Thương TP.HCM(短大)入学〈ホーチミン〉 2011年 短大卒業 2012年 日系企業で勤務〈ホーチミン〉 2014年 技能実習〈秋田県〉 2017年 ベトナムに帰国。ホーチミンの会社で翻訳業務 2019年 2度目の技能実習〈秋田県〉 2021年 日本でベトナム人と結婚〈秋田県〉 〈1987年生まれ、ビンフック省出身〉 ◆このページの内容 • お金を稼ぎながら日本語を勉強 • ホーチミンの送出機関 • 3年間の技能実習で300万円送金 • 実習生たちに親切な社長 • 将来のために日本語を勉強 • 新制度で技能実習を再開 • ベトナム人コミュニティ • JLPTの会場で運命の出会い • できるだけ長く日本で お金を稼ぎながら日本語を勉強 ホーチミンの工場の前で同僚たちと(女性の日) 私は短大を卒業後、ホーチミンの日系企業で2年近く働きました。この会社は日本に輸出するためのバーバリーのコートやジャケット、ワンピースなどを製造する会社で、私の仕事は製品を検品し箱詰めすることでした。 私は事務職に移りたかったので、自分で「みんなの日本語」を勉強しましたが、なかなか日本語を話せるようにはなりませんでした。そんな私を見てトナム人の上司が「技能実習という制度で日本に行けば お金を稼げるし日本語も勉強できる」と教えてくれたので 私は日本に行くことにしました。実家が貧しかったので、両親にお金を送ってあげたいという気持ちもありました。 ホーチミンの送出機関 送出機関の教室で 技能実習生になるために入る送出機関は、私の上司の信頼する人が社長を務める会社を紹介してもらいました。ここでの日本語の勉強は毎日の授業が約7時間、夜の自習が3時間でした。送出機関で勉強したのは3カ月間だけで、準備期間としては短かったのですが、それ以前に自分で勉強していたので、少しだけ日本語を話せる状態で来日しました。 私が技能実習をすることになったのは秋田県の縫製会社でした。ベトナムで経験のある縫製の仕事に応募し、10人の受験者の中から3人の合格者の1人に選ばれました。送出機関に支払った費用は全部で4000 USDで、半分は自分の貯金をあて、残りは姉から借りました。 3年間の技能実習で300万円送金 私は2014年から3年間、技能実習生として働きました。技能実習生が約10人、日本人が約20人いる工場で、私たちは作業服をミシンで縫い、残業時間には検品をしました。実習生は、最初は中国人6人と ベトナム人3人でしたが、3年目はベトナム人だけになりました。 この会社でいただいた給料は訪日前に聞いていた内容と同じでした。適度に休日出勤や残業があり、手当はきちんと支払われました。また、秋田県は生活費も安いので、私は3年間で両親に約300万円を送ることができました。また、その後もう一度来日して2年半で約250万円を追加で送ったので、両親はこれらのお金でホーチミン市内に家を買うことができました。 実習生たちに親切な社長 社長が連れて行ってくれたパークゴルフ場にて 私はこの会社で働けて本当によかったです。社員は皆やさしいですし、社長も私たちにとても親切だったからです。例えば、社長は自分で会社のマイクロバスを運転して私たちをよく観光に連れて行ってくれました。桜の花見やイチゴ狩り、サクランボ狩りに連れて行ってくれたほか、従業員全員で宴会(12月の忘年会など)を開き、私たち実習生も呼んでくれました。 また、私たちの寮の近くに小さなスーパーがあり、普段はそこで食料品を買いますが、毎月1回、社長がマイクロバスで私たちを遠くの大きなスーパーに連れて行ってくれました。そこでは化粧品や服、特価の食品などを買い、みんなでランチを食べました。 <!--
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