体験談
Vol. 11 目先の金より生涯収入 / 私のN1必勝法

今回の先輩

Cường Đỗ Mạnh(ドー・マイン・クオンさん)
1995年生まれ、ハノイ出身
2013年 6月 DAN PHUONG高校卒業
2013年 9月 ハノイ工業大学入学
2014年 6月 送出機関の日本語センター入学
2014年 6月 ハノイ工業大学休学
2014年 12月 山梨県で技能実習開始
2017年 12月 技能実習修了、ベトナムに帰国
2018年 1月 送出機関入社
2018年 10月 送出機関退社
2019年 1月 日本の健康器具販売会社のベトナム法人入社
実習3年でN1に合格した日本語力が武器
ハノイ市内の小さなオフィスの2階。長い順番待ちの末にやっと27席の一つずつに座った中高年の男女がクオンさんの健康講座に聞き入る。いすには電気健康器具の通電シートがしかれ、30分の講座を聴く間、器具を無料体験できる。肩こりや頭痛など様々な症状に効果があるといい、これが目的で何度も足を運ぶ人が多い。ここは日本の健康器具販売会社のPRセンターで、ハノイに7カ所あるうちの一つだ。講座は4人のスタッフが30分ずつ交代で担当し、1日に14回行う。初回に会員登録し、2回目からは受付に会員カードを出した順に受講できるが、1階待合室はいつも満員で、3時間待ちのこともある。

健康について講義をするクオンさん【2019年10月】
この器具は1台129,000,000ドン(税込・約61万円)と89,000,000ドン(同・約42万円)の2種類。皆が買うわけではないが、来てくれるだけで歓迎するのがクオンさんの方針だ。器具は買わなくても、友人を連れてきてくれる人もいるし、無料体験で健康になってくれればPRにもなる。来場者は居心地がよいのか、2019年4月のオープンから10カ月間で会員は約400人に達した。そのほとんどが口コミで、器具は1カ月に7台から十数台売れる。クオンさんの手取り月給は約16,000,000ドンだが、センターの売り上げに応じてコミッションが加算され、その額が月給の3、4倍になることもしばしばだという。

収入安定で家庭もますます安泰。妻とハノイ市内のフォー店で。【2019年10月】
クオンさんはセンター長で、人材会社のサイトで「N2以上、営業が得意」という条件を見て応募した。技能実習の3年間で日本語能力試験(JLPT)のN1に合格した日本語力がクオンさんの武器だ。
以下に、クオンさん本人による日本での実習体験を紹介する。
日本語センターで先々まで予習

私は大学で溶接を専攻していましたが、ある日、学内で技能実習生の送出機関のポスターを見ました。「日本に行けば毎月15万円(約30,000,000ドン)稼げる」「日本語を身につけ、日本語の先生になれる」と書いてありました。溶接の仕事に興味を感じていなかった私は技能実習生になろうと決心しました。大学を休学して送出機関に入りました。寮から約10㌔離れた実家には毎週1回帰りましたが、勉強に集中するため宿泊せず日帰りでした。
送出機関の日本語センターで使った「みんなの日本語」という教科書は1~25課がN5向け、26~50課がN4向けで、授業で35課まで習いました。しかし、私は自分で50課まで勉強してから日本に行きました。最後は、成績が8クラス計約200人の中で一番でした。先に自習したことを授業で復習する形になり、よく覚えられたのだと思います。
目先の金より将来の収入
私はセンターで約8カ月間勉強して2014年12月に日本に行きました。実習先は、金属ワイヤーを加工して金網などを作る山梨県内の工場でした。ベトナム人男性が10人(3年目は15人)いて、日本人と合わせて100人余り。コイル状のワイヤーをクレーンで直線機という機械にセットし、機械からワイヤーが真っすぐになって出てきたら指定の長さに切断するのが私の仕事でした。
9台の機械を受け持ちましたが、機械からワイヤーが出てくるのを待つ時間が長いので、その間に日本語を勉強しました。また、残業はなるべく入れないよう会社にお願いし、夜の勉強時間を確保しました。最初はたくさん残業したのですが、「技能実習3年分の残業代」と「日本語を身につけた後に何年にもわたって稼げるお金」を比較し、「目先のお金」より「将来の仕事と生活」を選んだのです。

機械から直線になって出てきたワイヤーを切断【2017年】

会社の役員(手前左から2人目)やベトナム人の実習生仲間たち【2016年】
私のN1必勝法〈ツール編〉
私は訪日から1年後の2015年12月に日本語能力試験(JLPT)のN2に不合格(あと1点で合格)でしたが、2016年7月にN3に合格し、2017年12月にN1に合格しました。

JLPTのN1に合格【2017年12月】
◇参考書、問題集◇
私は日本語教材にお金を惜しみませんでした。日本に行く前に約1万円(約2,116,000ドン)、訪日後も約19万円(約40,197,000ドン)使いました。日本語力を確実に身につければ、将来回収できると確信していたからです。私が使った教材の中で、ある程度勉強した人には「新完全マスター」シリーズが特にお勧めです。
・「新完全マスター」シリーズ(出版社:スリーエーネットワーク)

お世話になった日本語教材の数々
◇ヒアリング◇
ヒアリングは「耳から覚える日本語能力試験 語彙トレーニング」に付いていたCDを毎日聴きました。CDの中身をパソコンを使ってアイフォンに保存し、仕事中にイヤホンで聴いたのです。また、インターネットの「SAKURA TV」もよく視聴し、仕事中や休日には、日本人と積極的に会話もしました。
・「耳から覚える 日本語能力試験」シリーズ(出版社:アルク)
◇単語暗記アプリ◇
単語は「AnkiMobile」という有料アプリ(アンドロイド携帯からは無料)を使って覚えました。私はヒアリング力と単語力が強かったのですが、単語力はこのアプリの力によるところが大きかったです。

AnkiMobile
私のN1必勝法【生活編】
仕事のない週末は、アパートか山梨県立図書館で勉強しました。図書館はエアコンが効いていて快適ですし、静かで、勉強に最適でした。早めに起きてJR甲府駅構内のベンチで朝8時から勉強し、駅近くの県立図書館が開くとそちらに移りました。お昼は近くの甲府城でお弁当を食べ、その後、国立山梨大学に行きます。ここでボランティアの日本人が無料の日本語教室(毎週日曜日14時~16時)を開いており、いろんな国の人と一緒に勉強しました。

山梨県立図書館 Ⓒ毎日新聞社
同僚の実習生は休日は遅くまで眠るかスマートフォンで遊ぶことが多く、だれも日本語の勉強をしていませんでした。私はあまり遊ばず、「生活費を稼ぎながら日本に留学(自習留学)」という感覚で、できるだけ学習に時間を取りました。勉強に集中するため最初の2年間はFacebookもやめたほどでした。
私の家計簿(1カ月の平均)
※100円=21,156 VND(2020年2月17日現在)
手取り給料(100,000円~155,000円)
手取り給料 | 85,000円~93,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は20,000円(2ベッドルームのアパートに3、4人/冷蔵庫・洗濯機・エアコンなど家電は会社が用意) |
支出(合計40,000円~50,000円)
光熱費 | 0円 ※寮費に込み(水道、電気、ガス) |
インターネット | 1,000円 ※寮の6、7人でシェア ※携帯電話はSIMなし(Wi-Fiのみ使用) |
食費・交通費 | 37,000~60,000円 ※勉強時間確保のため主に外食中心 ※図書館への交通費。たまに仲間とレジャー。 ※教材費は別途 |
差額(貯金) 平均40,000円
※貯金を2、3カ月に1回、両親に送金。1回の送金は10万円程度。
※送出機関に支払うための借金を3年間で返しただけで貯金はゼロ。しかし、帰国後、高収入を継続し、両親にも還元。

寮(会社が実習生のために借りたアパート)。周囲にはモモやブドウの畑がありました。【2017年】
送出機関での仕事
2017年12月に帰国後、父の知人の紹介で大手送出機関に入社しました。資料の翻訳や面接での通訳、営業などが仕事です。営業先は、日本の受入組合や受入会社などで、ハノイから日本に電話して面会約束を取り、出張して技能実習などの求人を回してくれるよう交渉します。合意すれば、先方にベトナムに視察に来てもらい、その際に飲食店やマッサージ、カラオケなどで接待します。しかし、ほどなく仕事内容に疑問を感じるようになり、10カ月で退職しました。仕事をするからには、なるべく世の中の役に立つ仕事をしたいと思っていたのですが、この仕事は違うのではないかと思ったからです。

送出機関でもよいことはありました。例えば、妻と出会えたこと(笑)。【2018年】
日本人の親切
ほとんど仕事と勉強だけの生活でしたが、目標に向かって努力を続けたので充実感がありました。また、職場で楽しい仲間や親切な先輩たち恵まれ、楽しい思い出もたくさんできました。
【日本の「お父さん」「お母さん」】
私たち技能実習生にとても親切にしてくれる三科さんという60歳代の先輩がいて、野菜や果物を私たちの寮によく差し入れてくれました。「ベトナム人には日本の冬の寒さはつらいだろう」と、服や靴下、手袋を買って持ってきてくれたこともあります。私たちは5、6人で月に1、2度、電車に乗って三科さん宅に遊びに行き、ご飯をごちそうになったり、一緒にボーリングに出かけたりしました。私たちは三科さんご夫妻のことを「お父さん」「お母さん」と呼んでいました。山梨大での無料日本語教室を見つけてきてくれたのも三科さんで、最初の日、ご夫婦で車で私を大学に連れて行き、教室が終わるまで外で待っていてくれました。

三科さん宅で日本のお正月をお祝い。実習生仲間6人で訪問。【2016年1月】

三科さんと工場の社員食堂で【2017年秋】
【国際交流イベント】
常務の福岡さんは、地元自治体が主催する年2回の国際交流イベントに私たちをポケットマネーで行かせてくれました。地元の外国人約100人が集まるイベントで、職場の実習仲間約10人でよく参加させていただきました。
【日本人の先輩たち】
日本人の先輩たちと私たち実習生とでバーベキューを楽しんだりスケートに行ったりもしました。こういう時は、先輩たちが費用をほとんど負担してくれました。また、年に2、3回、先輩たちとベトナム人仲間とで飲みに行くこともありました。

職場の十数人で魚釣りの後、釣った魚でバーベキュー【2015年6月】

山梨県の遊園地「富士急ハイランド」でアイススケート。背後に富士山。【2016年】
【寮の仲間】
寮の仲間とは、後輩実習生の歓迎会をしたり、時々花見や近くに観光に行ったりしました。休日の夕方はサッカーをすることもありました。私が図書館から帰るのに合わせて夕方に設定してくれたのです。

職場の仲間たちと桜の花見【2015年4月】

甲府市内の中学校グラウンドで技能実習仲間でサッカー【2017年秋】

仲間の部屋で私(左下)と同期生の送別会【2017年12月】
せっかく行くならよい留学・就労を
このように、私の日本滞在は充実した内容でした。日本に行ったからといって、何もせずに自動的に日本語が身につくわけではありません。逆に、しっかり準備してから訪日し、日本でも毎日努力すれば、日本語力や仕事に対する日本的な考え方など大きな財産が身につきます。なるべく少ない借金で日本に行き、日本在留中はお金を稼ぐより能力を磨くことを優先すれば、留学や技能実習が終わってからの仕事のやりがいも収入もまったく違ったものになるでしょう。後輩の皆さまのご検討をお祈りします。
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VOL. 92 日本の文学小説を多数翻訳・出版
ベトナムから海外留学する人がまだ少なかった1990年代に日本に留学したニエンさん。留学仲間の夫が沖縄で就職したため彼女も沖縄に長く住むことになり、その間に日本の文学小説をたくさん翻訳し、ベトナムで出版。最近は、沖縄に住むベトナム人技能実習生たちのサポートにも力を入れています。 今回の先輩 グエン・ド・アン・二エンさん 1994年ホーチミン国家大学東洋学部入学 1997年名桜大学で交換留学〈沖縄、1年間〉 1999年ホーチミン国家大学卒業 1999年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈2年間〉 2001年名桜大学大学院修士課程入学 2003年修士課程修了 2003年大阪府立国際児童文学館外国人研究員〈6カ月〉 2004年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈4年間〉 2004年TRE出版社で日本語通訳・翻訳〈4年間〉 2011年名桜大学附属図書館でアルバイト〈5年間〉 2011年名桜大学非常勤講師〈現在も〉 2022年沖縄大学非常勤講師〈現在も〉 〈1976年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 • 交換留学で沖縄へ • 国際交流基金の制度で2度目の留学 • 留学中の生活 • 夫の就職がもとで沖縄在住 • 保育園の心やさしい先生たち • 日本で大学講師 • 日本の文学作品を約20冊翻訳 • 沖縄のベトナム人コミュニティ 交換留学で沖縄へ 来日前に知り合った京都の日本人の家で着物体験〈1998年1月〉 私はもともと医学部に行きたかったのですが、高校3年のときは医学部の受験準備が十分にできていなかったので、入れる学部に入って受験勉強を続けようと思って東洋学部に入りました。高校の授業で川端康成の作品をベトナム語で読み、いつか日本語で読みたいと思っていたので、新設されて2年目だった東洋学部を選びました。その後、医学部は断念し、日本語を極めることにしました。 大学在学中、成績優秀者4人が名桜(めいおう)大学に交換留学できることになり、私もその1人に選ばれました。そして、日本での授業料や飛行機代、毎月の生活費(8万円)を日本政府から支給してもらいました。ただし、ベトナムの大学と提携している日本の大学が当時はまだ少なかったので、ほかの大学は選べませんでした。 国際交流基金の制度で2度目の留学 国際交流基金のイベントで沖縄のテレビ局が私にインタビュー 交換留学から帰国して1年後の1999年、私は東洋学部を卒業し、その学部の日本語講師になりました。すると、若手講師向けに日本の国際交流基金のフェローシップの募集があり、応募して合格しました。毎月24万円を1年間支給され、大学院の授業料も払ってもらえるという制度でした。 私はこの制度を使って2001年6月に名桜大学総合研究所の研究員となり、10月からは大学院にも入りました(研究員と大学院生の兼務)。最初は研究員として1年勉強したら帰国するつもりでしたが、名桜大の教官の勧めで2年目も大学院に残り、貯金とアルバイトで生活しました。大学院では宮澤賢治(昔の有名作家)を研究し、修了後も半年間、大阪府立国際児童文学館の研究員として研究を続けました。 留学中の生活 大阪に住んだときに、私を娘のようにかわいがってくれた「日本のお母さん」 交換留学のときや大学院2年目はアルバイトもしました。それは皿洗いやスーパーマーケットのレジ担当、大学図書館のカウンター業務などでした。当時はインターネットがあまり普及していなかったので、アルバイト募集のはり紙を見つけて電話するというパターンでした。 住まいは交換留学のときも大学院のときも大学の寮で、他国からの留学生もいたので、一緒に食事をしたり地域行事に参加したりしました。 また、学内の「留学生センター」に談話室があり、ここでも各国からの留学生と日本語で交流できました。もちろん、自分から話しかけて日本人の友だちも作り、ネイティブの日本人と会話する機会もたくさん作りました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学院2年目の家計簿(2001~2002年) ※100円=約17,521 VND(2023年4月15日現在)) 収入:110,000円~130,000円 アルバイト 110,000円~130,000円 ※アルバイト2件(スーパーのレジ、図書館) 支出:91,000円 1カ月分の学費(年2回納付) 50,000円 家賃 10,000円 ※大学の寮 水道・電気・ガス 5,000円 食費(主に自炊) 15,000円 携帯電話 1,000円 雑費 10,000円 ※外食など 毎月の差額:平均3万円 ※大学院1年目の貯金や夏休みなどの長期休暇時に長く働いて貯めたお金で毎月の不足を解消。 夫の就職がもとで沖縄在住 家族で長年暮らした沖縄県名護市 私が沖縄に長く住むことになったのは、夫が沖縄で就職したことが原因です。夫は私の東洋学部の同級生で、私より半年遅れで名桜大学の大学院で留学を始めました。 私は夫より半年先に大学院を修了し、半年間の大阪勤務を経て2004年3月に帰国して大学の日本語講師に戻りました。同じころ、夫は沖縄の会社に就職。その10カ月後の2005年1月、私たちは結婚し、夏休みとテト(ベトナムの旧正月)に私が沖縄の夫を訪ね、普段はインターネットのメッセージボード(チャット)で連絡を取り合う「遠距離結婚」が3年間続きました。当時はSNSもありませんでした。その後、長女が2歳になろうとしていた2008年、家族一緒に暮らすために私が仕事を辞め、娘と一緒に沖縄に移り住みました。そして、沖縄で次女が生まれました。 保育園の心やさしい先生たち 日本の「キャラ弁」(イメージ写真) 私は沖縄で2人の娘を5年ずつ保育園に預けました。娘たちは保育園に弁当を持って行きますが、日本では、アニメキャラクターをデザインした「キャラ弁」という手のこんだ弁当がはやっています。私は弁当の本を読んで「こんな難しいお弁当、私には作れない」と悩み、保育園の先生に相談しました。すると、先生は「難しいお弁当を作らなくても、お母さん(あなた)の作れるお弁当でいいんですよ」と励ましてくれました。 また、異国で育児をしているので、子どもが病気になったり、何かトラブルに直面したりすると、とても緊張しました。このため、心に余裕がなくなっていましたが、夏休みにベトナムに一時帰国することを先生に伝えると、先生は「帰国したら、あなたもあなたのお母さんにたくさん甘えてね」と言ってくださり、私は涙が出そうになりました。娘だけでなく母親の私のことも気にかけてくださる先生の思いやりに心を打たれたのです。 先生と子どもたちとの会話やスキンシップも多かったようで、娘たちも先生たちによくなつきました。先生は毎年変わりますが、どの先生も思いやり深く、長女も二女も保育園が大好きでした。日本の七夕(たなばた)では、願いごとを書いた短冊(たんざく)をササの葉に結びつけますが、娘は「先生に彼氏ができますように」と書いていました。 娘2人が計10年間お世話になったこともあり、私は二女の卒園式で保護者代表としてあいさつをさせていただきました。私は先生方への感謝と思い出が胸にあふれ、泣きながらあいさつをしました。また、お母さんたちにも親切な人が多く、とても恵まれた保育園生活でした。沖縄は土地の雰囲気もやわらかく、人の心に余裕があるのかも知れません。 日本で大学講師 名桜大学で私の講義の受講生らと(授業は対面+オンライン) 私は2008年に沖縄に移ってから3年間は専業主婦でしたが、次女も保育園に通い始めた2011年、大学院時代にアルバイトをした名桜大の図書館で再び働き始めました。 また、その年から、留学時代の指導教官の推薦で名桜大の非常勤講師として「ベトナム事情」という講義(週1コマ)も担当しています。さらに、2019年からはこの大学でベトナム語(週1コマ)も教え、2022年から沖縄大学でもベトナム語(週2コマ)を教えています。 日本の文学作品を約20冊翻訳 私が翻訳した「文明論の概略」(左)と「宮澤賢治短編集」 私はベトナムの大学の卒業論文で作家の宮澤賢治を取り上げた際、「銀河鉄道の夜」という彼の有名な作品を翻訳しました。その後、大学院と大阪の研究所でも宮澤賢治を研究し、賢治への理解も私の日本語力も深まったので、「銀河鉄道の夜」を翻訳し直し、ベトナムの人たちにも読んでもらいたいと考えました。そこで、日本の出版社に問い合わせて著作権について確認した後、ベトナムの出版社に持ちかけてベトナム語版の出版が実現しました。 これがきっかけで、その後も日本の文学作品などをときどき翻訳するようになり、これまでに約20冊を翻訳し、ベトナムで出版されました。その中で特に苦心して翻訳したのは、樋口一葉の「たけくらべ」や福沢諭吉の「文明論の概略」、川端康成の「千羽鶴」などでした。 沖縄のベトナム人コミュニティ ここ数年、ベトナムから日本への技能実習生が増え、失踪する人もたくさんいます。そこで、私は地元の技能実習生たちに日本語や日本文化を教えたり、一緒に地域行事に参加したり、観光に連れて行ったりする取り組みを始めました。 日本語教室 は2019年10月に始めました。最初は、実習生を雇っている会社から頼まれて3人に教えていましたが、その後、名護市国際交流協会の教室でも教えるようになりました。そして、2020年のテトを祝って技能実習生たちを集めて食事会を開いた際に彼らから頼まれ、日本語サークルを作りました。このサークルでは、公民館などで毎週日曜に日本語を教えたり、月に1回は書道(=写真)などの文化体験をさせたりしました。 技能実習生たちと日帰り旅行 日本語学習会には多いときで12人、文化体験には約30人が参加しました。しかし、新型コロナの影響であまり集まれなくなり、2021年はオンライン日本語教室(週1回)だけになりました。こうした中から日本語能力試験(JLPT)のN3やN4に合格した生徒もいます。 また、私は地域のベトナム人たちと必要な情報を共有したり、悩みの相談に乗ったりすることも、大事だと考えています。例えば、新型コロナ対策で住民向けに割引の商品券が発行されても、多くのベトナム人はその情報を知りません。そこで、私がFacebookなどで情報を広めることもあります。また、私たちの住む名護(なご)市から沖縄の中心地・那覇(なは)市までは遠いので、私たち家族が車で那覇に行くときに実習生たちのほしいものを代わりに買ってくることもあります。沖縄に長く住んでいるので、これからも地域のベトナム人のお役に立ちたいと考えています。
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VOL. 91 来日後も勉強を続け職場のリーダーに
食品工場で技能実習生から特定技能外国人になったトゥエットさん。彼女は、来日直後は日本人の話すことが全然わかりませんでしたが、毎日3時間勉強を続け、数カ月で少し会話ができるようになり、2年でJLPT・N3に合格しました。今は、職場のベトナム人のリーダーとして活躍しています。 今回の先輩 グエン・ティ・トゥエットさん 2017年高校卒業〈ハイズオン省〉 2018年送出機関で約半年間勉強〈ハノイ〉 2018年来日→講習→技能実習〈福岡県〉 2021年特定技能外国人〈同じ会社〉 〈1999年生まれ、ハイズオン省出身〉 ◆このページの内容 • 幼いころから母をサポート • 技能実習の送出機関 • 日本での仕事の内容 • ベトナムに送ったお金 • 私の家計簿 • 休日の過ごし方 • ミスコンテストで入賞 • 日本語の勉強 • 将来の夢 幼いころから母をサポート 家族と親せき(右端が母) 私が2歳のとき、父が交通事故で亡くなりました。母はその後、1人で田畑を耕(たがや)して、私と弟を育ててくれました。母は米や野菜、果物を栽培し、私もときどき朝早く起きて、水路からおけで水をくみ、畑にまきました。私はこのように畑仕事を1時間ぐらい手伝ってから学校に行きました。また、6歳のときから母の料理を手伝い、12歳からは料理も掃除も私が1人で担当しました。 私の故郷では、日本に出稼ぎに行く人も多かったので、私も高校生のころから「将来は日本に行きたい」と思っていました。 お金を稼いで母を楽にしてあげられますし、自分のお金も貯めて、将来は故郷でブティックを開業したいという夢があったからです。そして、高校を卒業すると、親せきがハノイの送出機関を紹介してくれました。 技能実習の送出機関 私は高校を卒業してから約半年間、母の仕事を手伝い、技能実習の採用面接(今の会社の面接)に合格すると、ハノイの送出機関に入って日本語を勉強しました。面接には約150人が参加し、40人が選ばれました。 私は送出機関に7200 USDを米ドルで支払いましたが、契約書や領収証に書かれた費用は3500 USDでした。また、これ以外に寮費や食事代、日本に持って行く服など、約25万円(約45,000,000 VND)を使いました。 【編集部からのアドバイス】 送出機関の費用7,200 USDはベトナム政府の規定を大きく超えています。 高い費用を払っても、よい会社を紹介してもらえるとは限りません。 送出機関を選ぶときは、親せきや知人の紹介だけに頼らず、インターネットの口コミなども調べましょう。送出機関に無駄なお金を払わないために、KOKOROの記事もよく読んでください。 external link KOKORO|送出機関を決める前にこれだけは知っておこう! external link KOKORO|技能実習の費用と注意点 日本での仕事の内容 私は技能実習生として2018年8月に来日しました。私の職場は大きな弁当工場です。コンビニで販売する弁当やおにぎり、チルド食品(親子丼、オムライス)などを作っています。私の最初の仕事は、できあがった弁当を箱に詰め、台車に乗せてトラックの近くに運ぶことでした。ご飯やおかずを弁当箱に詰める仕事もときどきやりました。そして、3年間の技能実習が終わり、特定技能に移ってからは、厨房(ちゅうぼう)で各レーンに食材や調味料を配る担当になりました。 ところで、私の勤務は夜勤だけで、勤務時間は19時から翌朝6時まで(途中で休憩1時間)です。日勤のベトナム人は約50人、夜勤のベトナム人も約50人で、私は来日して2年目から夜勤のベトナム人のリーダーをしています。これは、私の日本語力や勤務態度が評価されたからで、リーダーとしての手当も付いています。 ベトナムに送ったお金 改修した実家の前で母と私 技能実習生のときの私の手取り給料は毎月15万円~17万円でした。毎月35~40時間の残業があり、深夜勤務手当てもあり、リーダー手当もあったので、かなり高い給料です。そして、特定技能外国人になってから手取り給料は毎月18万円~20万円に上がりました。私は来日して最初の1年間で約125万円をベトナムに送って来日前の借金を完済し、その後3年間でさらに約360万円を送り、一部は実家の改修に使ってもらいました。 ただ、日本に来てからずっと夜勤なので、体調が悪くなってきました。4年目から昼間の勤務に変更してもらった同期生もたくさんいますが、夜勤の方が日勤より毎月約3万円多くもらえるので、私は夜勤を続けてきました。しかし、疲れがたまってきたので、近いうちに会社に相談して日勤に変えてもらうつもりです。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:180,000円 給料 ¥180,000 *税金や社会保険、寮費、水道・光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(14,000円)、電気・ガス・水道(10,000円) 支出:80,000円 食費(主に自炊) ¥40,000 生活雑貨、衣類、化粧品など ¥15,000 交際費、外食費など ¥35,000 毎月の差額:100,000円 休日の過ごし方 在日ベトナム人の間ではサッカーが盛んで、福岡でもベトナム人チームの試合や大会がよくあります。私は日曜によくサッカーの試合を見に行きます。試合会場に行くと、同じように応援に来ている人たちと友だちになれるので、一緒にお弁当を食べたり遊びに行ったりしています。 また、休日にベトナムの伝統的舞踊であるmúa(ムア)の練習をすることもあります。私の住む博多市内で地元の著名ベトナム人が自分の借りている部屋を開放し、ムアのダンスクラブ(参加費無料)を開催しています。そこに技能実習生や特定技能外国人が5、6人集まって練習をしています。ベトナムの幼稚園や小学校でムアを習いますが、私は高校生のときもYouTubeでムアの踊り方を研究して練習していました。大好きなムアを踊ると、ストレスが解消されます。 ミスコンテストで入賞 大きなミスコンで入賞〈福岡県で2022年1月〉 福岡では「在福岡ベトナム人協会」などベトナム人団体の活動が盛んで、毎年テト(旧正月)の時期に大きなお祭りがあります。そのときにミスコンテストも行われますが、私もインターネットでミスコンのことを知って参加したところ、入賞しました。 賞金をもらったほか、ミスコンの様子を公式動画に収録してもらいました。それ以外に、地元のアオザイ大会でも優勝しました。 日本語の勉強 私は来日前に約半年間、送出機関で朝から夕方まで日本語の授業を受け、夜も3、4時間自習しました。それでも、日本に来たばかりのときは、日本人の話す言葉が全然わかりませんでした。 しかし、来日後も毎日3、4時間勉強を続けたところ、3、4カ月で少し話せるようになり、今では毎日、職場の日本人と話をしています。このため、2年目からは職場のベトナム人のリーダーに選ばれ、日本人がベトナム人に仕事を指示する際に通訳をすることもあります。また、日本に来たばかりの実習生は日本語がまったく分からないので、約2カ月間、日本人と私が一緒に仕事を教えます。 こうして日本語を話せるようになったので、職場の日本人やネパール人留学たちと仲良くなり、仕事が終わってから日本語で少し話をしています。日本人の先輩と一緒に寺や公園に観光に行ったこともあります。 帰国後に日本語力を生かして送出機関の日本語の先生になろうと思っていた時期もありました。そのため、毎日3時間、眠いのをがまんして日本語の勉強をしていました。そして、来日して2年で日本語能力試験(JLPT)のN3に合格しましたが、その後、日本語教師の給料があまり高くないことがわかり、最近は以前ほど勉強しなくなりました。 将来の夢 ハイズオン出身の福岡の友だち 私は技能実習を3年やり、もうすぐ特定技能も2年になります。日本で覚えた技術を母国に持ち帰って経済発展に生かすのが技能実習の建て前ですが、私も仲間も日本で働いて覚えたことを帰国後の仕事に生かすことは考えていません。そもそも、ベトナムでは日本ほど弁当が売れていないので、弁当工場もありません。 今後のことはまだ確定していませんが、多分、あと2、3年働いてベトナムに帰国し、故郷のハイズオンで結婚相手を探すと思います。日本の生活も楽しいですが、母や昔からの友だちに会えないのは寂しいので、やはり故郷で暮らす方が私には向いています。そして、日本で働いたお金の一部は母にあげ、残りのお金で婦人服を売るブティックを開業するのが私の夢です。
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VOL. 90 寝ても覚めても勉強し3年でN1合格
日本に留学してまもなく「自分で努力しなければ、いつまでたっても日本語で会話できるようにならない」と気づいたウットさん。空いている時間はいつも日本語を勉強し、3年でN1に合格。日本での就職や帰国後の日系企業への就職でも大いに役立ちました。 今回の先輩 タ・ティ・ウットさん 2011年高校卒業 2012年日本語学校入学〈福岡県〉 2014年専門学校入学〈福岡県〉 2015年結婚、JLPT・N1合格 2016年専門学校卒業 2016年日本で就職〈愛知県〉 2017年夫の転勤に伴い帰国 2017年HISハノイ支店入社(正社員) 2019年出産 2020年日系の会計事務所入社〈ハノイ〉 〈1993年生まれ、ハノイ出身〉 ◆このページの内容 • 準備不足で訪日 • 日本語学校と専門学校に留学 • 学校選びに失敗 • 寝ても覚めても日本語を勉強 • アルバイトでたくさん日本語会話 • 私の家計簿 • 日本で留学生と結婚 • 夫の転勤で帰国 • ハノイで日系企業の正社員に • 別の日系企業に転職 • 日本留学で得たもの 準備不足で訪日 私の姉は2010年から日本に留学し、その後、日本人と結婚して今も日本に住んでいます。私は高校卒業後、姉に習って日本に留学することにしました。その準備として、ハノイの日本語センターの寮に住んで3カ月間勉強しました。その間は授業を含めて毎日6時間勉強しましたが、日本で暮らすために日本語がどれぐらい必要かわかっていなかったので、今から思うととても不十分な勉強でした。 ひらがな、カタカナと簡単な会話しか覚えずに日本に行った私は、当初、言葉のことでとても苦労することになります。 日本語学校と専門学校に留学 日本で一緒に暮らした姉(右) 私は2012年10月、姉が通っていた福岡市の「西日本国際教育学院」という日本語学校で留学を始めました。最初の3カ月間は学校の寮に住み、4カ月目からは姉と一緒に暮らしました。 日本語学校で1年半学んだ後、私は「国際貢献専門大学校」という専門学校に進みました。この学校は、私が通った日本語学校の系列校です。本当は他の大学か専門学校に行きたかったのですが、系列校に進学すれば学費が割り引かれるという特典にひかれてその専門学校を選びました。しかし、この学校を選んだことを後で大きく後悔することになりました。 学校選びに失敗 私はこの専門学校でITを学ぼうと思い、「情報ビジネス」を専攻したのですが、専門分野の授業はほとんど受けられませんでした。当時、この学校はできたばかりで、学校の準備不足によってITの教師が不足していたのです。 IT関係の授業は休講続きで、代わりにいつも日本語の授業を受けされられました。しかも、私は専門学校に入る前に日本語能力試験(JLPT)N3に合格し、当時はN2・N1を目指していたにもかかわらず、専門学校の日本語授業はN3・N4レベルでした。私は担任の先生に「もっとITの勉強をしたい」と何度も訴えましたが、何も改善されませんでした。後輩の皆さんは学校の評判をよく調べてから進学先を選んでください。 寝ても覚めても日本語を勉強 留学を始めて最初の数カ月間、私は日本語力不足でアルバイトが見つかりませんでした。友人からアルバイトを紹介してもらっても、工場など日本語を話さなくてもよい職場ばかりでした。私はまわりの日本人が話す日本語がほとんどわからず、自分の言いたいことも伝えられず、ストレスがたまっていつも家で泣いていました。 そして、「日本語がわからないと何もできない」「自分で勉強しないと、どれだけ日本人と交流しても話せるようにならない」と気づき、猛勉強を始めました。学校の授業以外に、昼でも夜でも休日でも空いた時間はできるだけ日本語を勉強し、アルバイト先でも上司や先輩とできるだけ会話するようにしました。 その結果、私は留学を始めて9カ月後にJLPT・N3に合格し、その2年後にN1に合格しました。最初は「みんなの日本語」を使い、N2・N1対策には市販の問題集を使いました。また、自分の好きなYouTubeチャンネル(日本語)を聴いてリスニングの練習をしました。 アルバイトでたくさん日本語会話 アルバイト仲間の日本人たちと焼肉会 日本語が話せるようになるにつれ、日本語を使うアルバイトに採用されるようになりました。そうなると、仕事をしながら日本語の練習ができ、わからない言葉や言い方は日本人の先輩や同僚に教えてもらえるので、日本語の会話力が急速に伸びていきました。 アルバイト探しについては、友人に紹介してもらうか、無料の求人情報誌を見て店に電話をかけ、面接を申し込みました。そして、アルバイト先の先輩や仲間と仲良くなり、一緒にご飯を食べに行くこともよくありました。また、クリーニング工場のおばさんは自宅に私と友人を招いてくれました。これらの人たちの中には、今もFacebookなどで連絡を取り合っている人もいます。 ◎私が日本で経験した主なアルバイト クリーニング 工場でクリーニングした大きなカーテンを2、3人でたたむ仕事。ホテルで使うカーテンでした。 ビジネスホテル ベッドメイキング、清掃 居酒屋 ホール(接客)、片付け、開店準備 レストラン キッチン、早朝の仕込み(料理の準備) 弁当店 キッチン、レジ 技能実習生の監理団体(組合) 通訳、技能実習生の生活サポート) 私の家計簿(1カ月の平均) ※専門学校時代の家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:120,000円~150,000円 給料 ¥120,000~¥150,000 ※アルバイト2、3件 支出:158,000円~160,000円 学校の授業料 ¥55,000 家賃(ワンルーム) ¥50,000 ※1に暮らし、Wi-Fi・水道代込み 電気・ガス ¥8,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 食費 ¥25,000 ※バイト先で無料のまかないを食べることも多かった。 雑費 ¥10,000 ※交通費、学習教材、衣類 毎月の差額:▲10,000円~38,000円 ※夏休みなどの長期休みに多く働いて不足を補いました。 日本で留学生と結婚 新婚時代の夫と私 私の姉は福岡で日本語学校から大学に進学しましたが、ある日、姉の大学の同級生のベトナム人男性が姉と私の家に遊びに来ました。ほどなくして私は彼と付き合うようになり、約2年半後、彼は大学を卒業して日本で就職することになりました。その少し前に私たちは結婚し、福岡のベトナム総領事館に婚姻届けを出しました。その後、私も就職が決まり、名古屋に引っ越して一緒に住みました。 私は就職するまで3年半留学しましたが、生活費や学費を稼ぐために早朝や夜にアルバイトをし、それ以外は勉強に打ち込んでいたので、休日は疲れて横になっていることも多く、旅行にはあまり行きませんでした。夫と知り合ってからも一緒に公園やゲームセンターなどでデートするぐらいで、観光はあまりしませんでした。今にして思えば、日本にいる間にもっとあちこちに旅行しておけばよかったと思います。 夫の転勤で帰国 帰国直前にベトナムの家族を名古屋に招待 私たちは2015年に結婚し、私は正社員の夫の妻として日本に在留する予定だったので、本格的な就職活動はしていませんでした。しかし、夫の勤務地が名古屋に決まると、私は家の近くでできる仕事を探し、この会社に履歴書を送って面接を受けたところ、携帯電話ショップを運営する会社の正社員に採用されました。 日本の携帯電話ショップの店員は携帯電話の端末を売る仕事よりも通信契約に関する対応が多いので、さまざまなことを覚えなければなりません。そのため、通常は入社後6カ月間の新人研修を経てやっと店に出ることができます。研修では、接客マナーやパソコン操作、さまざまなサービス内容を学びますが、私は3カ月で覚えることができ、通常より早く店に出ることができました。しかし、就職して1年半後に夫がハノイに転勤になり、私も退職して帰国することになりました。 ハノイで日系企業の正社員に HISハノイ支店の入っているビル〈2018年〉 2017年7月に帰国してまもなく、私は日本の大手旅行会社HISのハノイ支店で正社員として働き始めました。店のカウンターで日本人客(主に駐在員)に航空券やホテル、ツアーを手配する担当でした。個人がインターネットで航空券やホテルを手配することもできますが、会社の業務で出張する場合に旅行会社を使うと、経理処理に必要なインボイスが発行されますし、顧客サービスも良いので、HISを使う日本人はとてもたくさんいました。 ところで、私は帰国が決まってすぐにハノイでの仕事を探し始めました。しかし、日本と違ってベトナムでは面接に合格したらすぐに働き始めてほしいという会社がほとんどだったので、結局、帰国後にFacebookで仕事を探し直し、HISに入りました。 別の日系企業に転職 HSKVのパーティー 私はHISで約2年半働き、出産を機に退職しました。そして、2020年からはHSKV(HSK Vietnam Audit Company)という日系の会計事務所で働いています。私の仕事は会長(日本人)の秘書で、秘書業務以外に下記のような仕事も担当しています。 監査報告書や移転価格報告書、事業概況報告書などの翻訳 顧客企業の帳簿の入力 顧客企業の給与計算表のチェック 個人所得税の計算と申告 顧客企業の日本人駐在員の労働許可証・ビザ・レジデンスカードの申請 HSKVの仕事もFacebookで探し、給料はHISのときより約30%上がりました。転職したのは、HISでは土日の出勤もあったため、出産後の生活に合わなくなったためです。今の会社を選んだのは、朝8時~9時の間に出勤し8時間勤務すればよいというフレキシブルな勤務時間と自宅から近いことが決め手でした。 ハノイに戻って2つの日系企業に就職して思うのは、日系企業への就職には、履歴書の内容よりも面接での評価(日本語会話力や対人能力など)の方が重視されるような気がします。 日本留学で得たもの 私は留学中、学校選びに失敗したことをとても後悔しました。しかし、学校で専門知識は得られなかったものの、自分で日本語の勉強やアルバイトに一生懸命に取り組み、3年でJLPT・N1に合格できました。また、アルバイト仲間に日本語で積極的に話しかけ、会話も十分にできるようになったので、ベトナムに帰国して日系企業に就職する際にとても役立ちました。 留学せずベトナムで日本語を勉強する人も素晴らしいですが、留学経験者の方が全体的にリスニング力が高く、日本での生活やアルバイトも経験したということで、日系企業での就職には有利なようです。私は日本で留学できて本当に良かったと思います。
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VOL. 89 「みんなの日本語」の解説本を翻訳
日本語を学ぶ外国人の多くが最初に手にする日本語の教科書「みんなの日本語」。その解説本4冊を1人でベトナム語に翻訳したドンア大学副学長のヴィンさん。ヴィンさんの日本留学体験や学生時代の勉強方法などを紹介します。 今回の先輩 ゴ・クアン・ヴィン さん 1998年高校卒業〈クアンチ省〉 1998年ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部入学 2002年ハノイ大学卒業 2002年日本の設計会社で勤務(通訳・翻訳)〈ハノイ〉 2004年国立ダナン大学外国語大学日本語学科で日本語講師 2008年一橋大学で研究生として留学〈東京〉 2010年一橋大学修士課程入学 2012年一橋大学博士課程入学 2015年一橋大学博士課程修了 2015年国立ダナン大学外国語大学日本語・韓国語・タイ語学部長 2020年ドンア大学副学長兼日本言語文化学部長〈ダナン〉 〈1980年生まれ クアン・チ省出身〉 ◆このページの内容 •「みんなの日本語」の解説本を翻訳 • 大学で日本語を学び日系企業へ • 私の日本語学習法 • 6年半の日本留学 • 私の家計簿 • 留学中の交流 • 留学中に困ったこと • ベトナム語の専門書を日本語で出版 • ドンア大学について 「みんなの日本語」の解説本を翻訳 日本語を学ぶ外国人の多くが最初に使う教科書「みんなの日本語」の「翻訳・文法解説」があるのをご存じの方も多いと思います。「みんなの日本語」は日本語だけで書かれているので、十分に理解できないときに「翻訳・文法解説」を読めば、内容が理解しやすくなります。私は2013~16年に「みんなの日本語」初級Ⅰ、初級Ⅱ、中級Ⅰ、中級Ⅱの「翻訳・文法解説」をベトナム語に翻訳しました。 この翻訳を始めたとき、私は一橋大学(東京)で留学していましたが、そのときの指導教官が私のベトナム語力と日本語力を高く評価し、出版社に推薦(すいせん)してくださったことがきっかけでした。翻訳する際には、もとの日本語の意味ができるだけ正しく伝わるベトナム語にしたいと思い、言葉をていねいに選びながら時間をかけて翻訳しました。 大学で日本語を学び日系企業へ 会社の仲間と日本の石炭鉱山の見学 私が高校のとき、有名な日本ドラマ「おしん」がベトナムで放送されていました。わたしは主人公・おしんのけなげな生き方や勤勉さ、ドラマに出ていた昔の日本家屋などがとても気に入って、日本についてもっと知りたくなりました。高校では英語コースでしたが、大学では別の外国語を勉強しようと思っていたこともあり、ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部に入りました。 私は大学で4年間日本語を学んだ後、新聞の広告欄で見つけた日系企業に入りました。これは木造住宅の構造設計をする会社で、私は日本人の社長や技術者たちとベトナム人スタッフとの間の通訳や書類の翻訳をするチームのリーダーとして働きました。その後、大学で日本語を教える仕事に興味を持つようになり、知人の紹介で国立ダナン大学の日本語講師になりました。 私の日本語学習法 ハノイ外国語大学の教室で 私は大学生のとき、大学のゼミや講義以外に毎日6~8時間、自習しました。インターネット上の学習素材も紙の日本語教材も少ない時代だったので、今よりも勉強に工夫が必要でした。そのときに私が行った勉強方法を紹介します。 新聞の1面のコラムを読む:私は日本の新聞の1面のコラムを読み、ほぼ毎日、その内容について大学の先生と日本語でディスカッションしました。 自分で文章を作って読む:参考書に書かれている語彙(ごい)や文型を使って文章を作り、自分で声を出して読みました。 ハノイ大学日本語学部の級友たちとお出かけ これ以外に、古本屋で日本の古新聞を買い、何度も辞書を引きながら読みました。言葉の勉強では、やはり辞書を使い込むことが大事です。それでも理解できない部分がたくさんあったので、私は大学でただ1人の日本人の先生にアポを取り、質問に応じてもらいました。ただ、当時ハノイには日本人がまだ少なく、ネィティブの日本人との会話練習がほとんどできないのは残念でした。 6年半の日本留学 修士課程を修了 ダナン大学で講師をしているとき、日本の文部科学省が提供する留学生向け奨学金に応募しました。そして、在ベトナム日本国大使館で試験を受けて合格し、国費留学生として日本に行くことになりました。留学先には東京外国語大学も検討しましたが、少人数で勉強・研究できる一橋(ひとつばし)大学を選びました。 こうして私は2008年10月に一橋大学の研究生として訪日し、研究生1年半、修士課程2年、博士課程3年の計6年半、文科省の奨学金で留学しました。そのうち約2年間は妻と一緒に暮らしましたが、妻が2011年に東日本大震災による原発事故を契機に帰国してからは妻子と離れて留学しました。 妻と息子 私は留学中はずっと学費無料で奨学金も受給していたので、アルバイトは最小限にしてできるだけ勉強をしました。しかし、毎年、お盆とテト(旧正月)に帰国するための旅費がかかり、普段は節約生活を強いられました。私がよく使った便は成田→香港→ハノイ→ダナンというルートで、乗り継ぎが悪いため安価でした。一番安いときは往復28,000円でしたが、留学中に燃油サーチャージ(12,000円~15,000円)を加算する制度が始まり、大きな痛手でした。また、当時はSNS電話がなかったので、30分3,000円の国際電話(当時としては格安)でたまにだけ妻と話しました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※博士課程のときの家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:200,000円 奨学金 ¥150,000 給料 ¥50,000 ※アルバイト(通訳・翻訳、辞書作りの手伝いなど) 支出:100,000円 授業料 ¥0 家賃 ¥50,000 ※東京都内、ワンルーム 電気・ガス・水道 ¥5,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 ※国際電話代を含む インターネット ¥6,000 食費 ¥35,000 ※昼は大学の食堂、夜は主に自炊。 交際費 ¥15,000 雑費・交通費 ¥20,000~¥25,000 ※衣類、教材、交通費、化粧品など 毎月の差額(貯金):60,000円 ※貯めたお金で帰国の際の航空券などを購入。 留学中の交流 ベトナム人仲間と東京で日本庭園(夜間ライトアップ)を見学 6年半も日本に住んだので、日本人との交流もたくさんありました。指導教官やゼミの仲間と食事に行ったほか、アルバイトを通じて知り合った人たちとも交流しました。 ベトナム人同士の交流もありました。国費留学に合格した同期のメーリングリストがあったので、日本に行ってから留学生同士の交流のきっかけになりました。 また、東京のベトナム大使館が独立記念日やテトの際に行うイベントもあり、そこでもベトナム人同士の交流ができました。 留学中に困ったこと external link KOKORO|花粉症について(※クリック) ところで、留学中に困ったこともたくさんありました。 休日に病気になったとき 休日に医療機関に行っても対応してくれず、困りました。留学3年目に花粉症になり、くしゃみと鼻水がひどく、とても疲れました。そこで、週末に2、3カ所の医療機関に行きましたが、休日なので受け付けてくれず、どうしたらよいかも教えてくれませんでした。その後、平日になんとか時間を作ってクリニックに行き、薬を処方してもらいました。また、ひどい腹痛のときに近くの病院に電話しましたが、「大きな症状やけがなら診(み)るが、今回は無理です」と断られ、がまんするしかありませんでした。いずれも機械的な対応で、「外国人だから対応が悪いのでは」と感じました。日本は外国人向けの公的な救急医療制度をもっと充実させるべきだと思います。 external link KOKORO|日本での住宅の探し方(※クリック) 住宅探し アパートを探すとき、外国人だから借りられない物件がたくさんありました。その後、当時よりはましになったものの、今も外国人お断りの物件が多いと聞きます。 外人扱い 電車内でベトナム人同士で会話していると、そばにいた日本人たちが向こうに行ってしまいました。日本の電車内でのマナーを理解して私たちは小さな声でしゃべっていたのに、そのような行動をされ、残念でした。また、電車内でくしゃみをすると、マスクをしていても周囲から冷たい視線を受け、これも外国人への偏見のように感じました。このため、かぜをひいたときは電車に乗るのがおっくうでした。 日本人はもっと外国に出て国際感覚を高めてほしいですし、日本の行政は外国人が居心地よく暮らせるように、地域の外国人サポート窓口をもっと充実させてほしいと思います。 ベトナム語の専門書を日本語で出版 external link この本のAmazonでの販売ページ(※クリック) 2015年に留学を終えた私はその年から国立ダナン大学 外国語大学の日本語・韓国語・タイ語学部長になりました。そして、2020年にドンア大学の副学長兼日本言語文化学部長になりました。 私は留学中に日本語教育やベトナム語の類別詞について研究しました。類別詞とは名詞の数え方です。例えば日本語で「一つ」「1枚」「1個」などと数えるときの「つ」「枚」「個」などが類別詞で、ベトナム語ではどのような類別詞があるのかを留学中の博士論文にまとめました。この論文を帰国後にさらに精査して書き直し、2023年に「現代ベトナム語の類別詞研究: 類別詞の本質とその意味・用法」という日本語の専門書を出版しました。Amazonでも購入できますので、ベトナム語の研究者や教師・学習者の方々に活用していただければ幸いです。 ドンア大学について 最後に副学長兼学部長としてドンア大学日本言語文化学部について紹介します。当学部では次のような点を重視して日本語教育を行っています。 日本語を「読む・書く・聞く・話す」ために必要な基礎学力と専門知識を養い、日本語で考える力や日本語コミュニケーション力の向上を目指しています。 日本文化を深く多角的に理解する人材を育てるため、インターンシップや文化交流、交換留学などのプログラムを充実させています。 ダナンの日系企業で見学や研修を行い、日本語を活かした仕事への理解や日本語コミュニケーション力の向上に努めています。 こうしたプログラムには、私や教師陣の留学経験も活かされています。
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