体験談(留学・高度)
Vol. 13 仕事をやめ思い切って日本留学

今回の先輩

ファム・キム・ホンさん
1979年生まれ、ホーチミン市出身
1997年 GIA DINH高等学校卒業
1997年 Dai Hoc Bach Khoa Ho Chi Minh(ホーチミン市工科大学)建設学部水資源学科 入学
2002年 Dai Hoc Bach Khoa Ho Chi Minh卒業
2003年 SAWACOの子会社 入社
2005年 SAWACOの子会社 退社
2005年 東京の日本語学校 入学
2007年 東京の日本語学校 卒業
2007年 ニャットベット社 入社
2008年 ニャットベット社 退社
2008年 東神開発ホーチミン市駐在員事務所 入社
2015年 東神会社ホーチミン市駐在員事務所 退社
2015年 独立(YUMIYAコンサルテイング会社設立+フリーランスの通訳)
Mail: Hongphamnv12@gmail.com

ファム・キム・ホンさん
1979年生まれ、ホーチミン市出身
1997年 GIA DINH高等学校卒業
1997年 Dai Hoc Bach Khoa Ho Chi Minh(ホーチミン市工科大学)建設学部水資源学科 入学
2002年 Dai Hoc Bach Khoa Ho Chi Minh卒業
2003年 SAWACOの子会社 入社
2005年 SAWACOの子会社 退社
2005年 東京の日本語学校 入学
2007年 東京の日本語学校 卒業
2007年 ニャットベット社 入社
2008年 ニャットベット社 退社
2008年 東神開発ホーチミン市駐在員事務所 入社
2015年 東神会社ホーチミン市駐在員事務所 退社
2015年 独立(YUMIYAコンサルテイング会社設立+フリーランスの通訳)
Mail: Hongphamnv12@gmail.com
はじめに
日本の大企業や行政などがベトナムで主催する大きなイベントに行くたび、同じような顔ぶれの日本語通訳者たちを見かける。トップ通訳のグループで、ホンさんはその1人だ。ホンさんはホーチミンの超一流大学を出て就職後、キャリアアップを思い立って語学留学のために日本に渡った。まだ日本留学が少なかったころだ。ホンさんが日本で送った生活や、帰国後に日本語を生かして取り組んできた仕事はどういうものだったのか――以下にホンさんの体験談を紹介する。

日越マッチングイベントで通訳仲間とホンさん(左から4人目)【2019年10月】
魅力いっぱい、通訳の仕事
私は、日本の行政や企業が行う会議やセミナー、交流会、ビジネスマッチングイベント、社内研修、事業拠点の開所式などで通訳や司会をさせて頂く機会がよくあります。例えば、横浜市とホーチミン市人民委員会との会議(=人材関連)や広島県とカントー市人民委員会との会議(=環境関連)といった行政の会議では、テレビニュースに私も一緒に映ることもあります。

日越の医療人材協力に関するフォーラムで通訳
【フエで2018年12月】
通訳するときは、依頼者の立場や事業内容、会議目的をよく理解したうえで、分かりやすく正確に言葉やニュアンスを伝えるよう努力しています。その結果、繰り返し指名してくださる依頼者も増えました。
例えば、日本のある大きな市はこの2、3年間で約10回、私を指名してくださいました。ただ、最初に人材会社やイベント会社から顧客を紹介して頂いた場合、2回目以降もその会社を通して頂くようにしています。ここでも信頼が大事です。

左:日系企業の工場開所式で司会【ブンタウ省で2019年】
右:通訳仲間の結婚式で司会【ホーチミン市で2019年】

友人の結婚式で通訳仲間と【ホーチミン市で2019年6月】
留学後、日系企業でコンサル業
私のもう一つの仕事はコンサルタントです。留学を終えて帰国後、オーダーメイドの着物を売る小さな会社に入りました。社長が日本人女性で、私は副社長として、生産スケジュールの管理や会計など幅広く担当しました。ただ、もう少し大規模な経営管理を勉強したかったので、約1年後に社外役員にしてもらい、不定期に出社する形に変えました。
次に務めた「東神開発」は百貨店・高島屋の子会社で、ショッピングセンター開発や不動産を手がけています。当初は日本人3人の駐在員事務所でしたが、だんだん大きくなって関連現地法人(コンサルティング会社)ができ、直属の日本人上司と一緒にそこに異動しました。ここでは、日本企業がベトナムで事業を行う際に市場調査をしたりベトナム側の提携先を探したりする業務を担当しました。
ベトナム人感覚と経験を生かしたコンサル
コンサルの仕事はやりがいがあり、手取り月給も24,000,000ドンあったのですが、上司が2014年に日本に帰ったのを機に東神開発に戻り、職場の雰囲気が変わったこともあって翌年退社しました。
そして、コンサル業で独立し、最初は顧客が少なかったので、主に通訳で生計を立ててきました。紹介で通訳業務が増え、かかりきりでしたが、2019年からは、大好きなコンサルにも力を入れ始めています。日本企業の現地法人設立支援などこの年だけで数件の受注があり、日本語力と帰国後の経験を生かして取り組んでいます。

ホイアンにて【2019年7月】
日本企業がベトナムで事業を進める際、日系のコンサル会社や顧問と一緒にやることが多いのですが、コンサル会社や顧問の知識、感覚、事業理解などが依頼者の求めに達していないケースがよくあります。私は通訳としてこういうケースを目にしてきましたが、私の顧客に対しては、ベトナム企業の文化やマインドと日本企業のマインドとの橋渡しをし、コンサルと通訳の両方の経験を生かして事業推進のために最大限お役に立ちたいと思っています。

友人と夕食会【ホーチミン市で2020年1月】
就職後、日本留学に踏み切る
さて、私が日本に留学したいきさつを少し話します。私は大学を出てSAWACO(ホーチミン市水道局)の支部に就職しましたが、自分が成長する機会があまりないと感じていました。そんな時、東京の日本語学校の生徒募集の仕事をしていた知人に誘われました。
大学時代に1年余り、地元の日本語学校で週3回日本語を習い、就職後もドンズー日本語学校の社会人コースに1年あまり通ったので、この機会に日本語を本格的に身につけて将来の仕事につなげようと考え、訪日しました。そして、東京では、マンションの1室(ワンベッドルーム、台所は別室)にベトナム人3人、スリランカ人1人で一緒に住みました。

日本語学校のクラスメートたちと【2006年】
わたしの家計簿
※2005年~2007年
※100円=21,943 VND(2020年3月31日現在)
収入(合計約120,000~130,000円)
アルバイト(居酒屋) | 計90,000~100,000円 ※税金を引いた後の手取り額 ※夏休みなど長期休暇時は少し増える |
仕送りなど | 30,000円 ※ベトナムから持って行ったお金と母からの仕送り |
支出(合計 約120,000~130,000円)
寮費・光熱費 | 35,000円 ※1DKに4人暮らし、1室に2段ベッド2台 ※電気・ガス・水道の料金込み |
携帯電話 | 0円< ※当時はあまり普及していなかった |
学費 | 65,000円 |
食費 | 20,000円 ※自炊 |
雑費 | 5,000円~10,000円 ※留学生仲間とたまに日帰り旅行 |
差額(貯金) なし

日本語学校の行事で旅行【2005年夏】
日本語上達のために
日本での最初のアルバイトは学校からの紹介で、スーパーでの仕事でした。倉庫から品出しをしたり賞味期限が近づいた食品に割引のシールを貼ったりする仕事ですが、日本人との会話が少なかったので、半年間でやめました。しかし、当時は留学生のアルバイト先が少なく、求人雑誌を見て電話しても日本語が下手なので面接にこぎつけるが困難でした。
そこで、ハローワークに行って、担当者から「仕事を探しているベトナム人留学生がいますが、どうですか」と電話してもらい、面接を受けて合格しました。居酒屋で、お客さんの注文を聞いたり料理を運んだりしました。店長や店員との会話も多く、日本語の練習になったので、帰国するまでここで働きました。

アルバイト先(スーパー)の忘年会で店長と握手【東京で2005年12月】
日本語学校では、アルバイトで疲れて授業中に眠る人も多くみかけましたが、なんとしても日本語を身につける覚悟で留学したので、私は眠らないようにがんばりました。また、学校が休みの土日は、近くの公共図書館に行って勉強しました。
また、東京で仕事を定年退職した日本人のボランティア数名が毎週水曜に1時間半ぐらい外国人と会話する日本語サークルを開いていました。私はこの日はバイトを入れず、毎週ここに行きました。日本人教師1人、外国人4、5人の少人数教室でした。これ以外に、ボランティアによる無料の料理教室にも参加しました。これらの教室やアルバイト先での会話が日本語力の向上に大きく役立ちました。後輩の留学生の方々も、できるだけ日本人と話す機会を見つけてください。

ボランティアによる無料料理教室で【東京で2006年11月】
元日本留学生クラブ(Japanese Universities Alumni Club in HCM)

帰国後はホーチミン市元日本留学生クラブ(Japanese Universities Alumni Club in HCM)に友人の紹介で入りました。ここには1,000人以上のメンバーと数十人の中心メンバーがおり、JASSOの日本留学フェアの運営や通訳を手伝ったり、独自のイベントを行ったりしています。仲間同士の交流も盛んです。

いずれもJUACHの新年会で【ホーチミン市で2019年2月】

JASSOの日本留学フェアでJUACHのメンバーと
【ホーチミンのRex Hotelで2019年10月】

JASSO日本留学フェアの様子【2019年10月】
将来につながる留学を
今、日本でベトナム人による犯罪が増えています。日本語の準備をせず軽い気持ちで留学しても、よいアルバイトには就けません。そして、お金に困った留学生を悪いグループが窃盗などの犯罪に誘います。こうしたことにならないよう、自分が将来どうなりたいのかよく考えてから留学しましょう。
目の前のお金を稼ぐよりも、自分の将来や家族のことをよく考え、将来の仕事につながる成果を得るように努力しましょう。具体的には、まずは、日本語学校で平均以上の成績をとれるようにがんばってください。


いずれも通訳仲間とホーチミン市内で【2020年1月】
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後援
- 在ベトナム日本国大使館
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- 一般社団法人 国際人流振興協会
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- NPO法人 日越ともいき支援会
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ロイさんは高校を卒業後、姉に勧められてナムディンの日本語学校で1年半、日本語をとことん学びました。その結果、最初から大学で留学を始めることができ、卒業後は正社員として日本の果樹園で働いています。お金を貯めながら農業技術をたくさん覚え、数年後に故郷で農園を開業するのが夢です。 今回の先輩 ズオン・ティ・ロイさん 2016年 高校卒業 2016年 ナムディン日本語日本文化学院入学(1年半) 2018年 南九州大学入学〈宮崎県〉 2022年 さくら農園就職〈鹿児島県〉 〈1998年生まれ、バクニン省出身〉 ◆このページの内容 • ナムディン学院で日本語漬けの日々 • 校長のすすめで大学に留学 • アルバイト先で日本語上達 • 留学中の節約生活 • 私の家計簿(1カ月の平均) • 日本の果樹園に就職 • 果樹園での仕事 • ベトナムで農園を開くのが夢 ナムディン学院で日本語漬けの日々 高校卒業(右はしが私) 私の姉2人はベトナムの日系企業で働いており、2人とも日本語を話せるので、平均より高い給料をもらっています。上の姉は短大や日本での技能実習(3年間)で日本語を学んだほか、帰国後にナムディン日本語日本文化学院に通って日本語をマスターしました。下の姉は大学を出て就職しましたが、外国語ができる社員の給料が高いのを見て、上の姉と同じように技能実習生として日本で3年間働き、その間に日本語能力試験(JLPT)N3に合格しました。 私はハノイ大学で外国語を勉強したかったのですが、入試の点数が少し足りなかったので、姉が通ったナムディン学院で日本語を学ぶことにしました。 ナムディン学院で過ごした日々(左上が自習の様子) 私は高校卒業直後の2016年10月にナムディン学院に入り、2017年12月にN3に合格しました。ナムディン学院では、午前中は授業(約4時間)、午後は自習(約4時間)、夕食後にまた自習(約3時間)という日課でした。土日も仲間と一緒に約10時間自習しました。しかし、たまに気晴らしのために学校の仲間たちとダラットやフートー省などに旅行に行き、楽しい思い出もたくさんできました。 ナムディンでは安いアパートに住み、月に1度だけバスで4時間かけてバクニン省の実家に帰りました。毎月の授業料は2,000,000 VNDで、大半は上の姉が払ってくれました。 校長のすすめで大学に留学 仲間たちに見送られてハノイから日本へ出発 私の実家は裕福ではないので、留学はできないと思っていました。しかし、進路相談で「卒業後は日系企業で働きたい」と校長先生に相談すると、先生は宮崎県の南九州大学を勧めてくれました。南九州大学では外国人留学生の学費が半額なので、ナムディン学院の先輩たちが技能実習でためたお金や現地でのアルバイトで稼いだお金で通学しているという説明でした。 私は家族と相談し、この大学に行くことにしました。ここでは食品開発や農業などを学べますが、私は花や自然が好きなので農業を学ぶことにしました。そして、ハノイで南九州大学の試験(日本語、面接)を受けて合格し、2018年4月に留学を始めました。 アルバイト先で日本語上達 コミュニケーションが多かった寿司店でのアルバイト 大学での授業料は半額で年58万円でした。私は1年目だけ両親に学費を支援してもらいましたが、2年目からはアルバイトでほとんどまかなえました。アルバイト時間は法律で決められた週28時間以内に収めましたが、宮崎県は住宅費が安いので、節約すれば十分に生活できました。 主なアルバイトは寿司店とコンビニでした。寿司店はスマホのアプリ(日本語)で探し、コンビニは店に「アルバイト募集」という掲示がありました。寿司店では、私の名札を見て「どこの国から来たの?」とか「日本に何年住んでいますか?」などと話しかけてくれるお客さんがたくさんいて、日本語の練習に役立ちました。また、店のアンケートに「外国人の方と話ができてよかった」「これからもがんばってください」などと書いてくれるお客さんもいました。 社長から誕生日にいただいた手紙 社長や店長、従業員がみな仲の良い職場で、仕事が終わってから10人ぐらいで一緒に飲みに行ったり、週末勤務の休憩時間にみんなでランチを食べながらおしゃべりを楽しんだりしました。また、社長は毎年、お祝いと励ましの言葉を書いた手紙をくれました。 雰囲気の良い職場で親切な人たちに囲まれて日本語でたくさんコミュニケーションを重ねたので、寿司店で働くことで日本語がどんどん上達していきました。 留学中の節約生活 左上は留学生交流室。他の2枚は企業の農園。 2年目以降の留学費用をアルバイトだけでほぼまかなえたのは、授業料が半額だったのと、私が次のような工夫をしたからです。 アルバイトがない日は、授業後、大学の留学生交流室(机あり、Wi-Fiあり)で夜10時まで勉強しました。朝もコンビニで働いたので、アパート滞在時間が短く、光熱費が安くすみました。 アルバイト先で年上の同僚女性から古着をよくもらい、自分では服をあまり買いませんでした。 アパートのベランダや大学の実習で作った野菜を自分で食べました。3、4年生のときは、大学が提携している企業の農園(約700㎡)でも留学仲間と一緒に野菜を栽培し、自分たちで食べるほか、一部はFacebookを使って販売しました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学留学時代の家計簿 ※100円=約17,920 VND(2022年12月22日現在) 収入:100,000円 給料 ¥100,000 ※月によって¥80,000~¥110,000 支出:107,000円 学費 ¥48,000 家賃 ¥33,000 ※水道代とWi-Fi代を含む ※部屋は28㎡ 電気代・ガス代 ¥3,500 食費(主に自炊) ¥15,000 ※アルバイト先のコンビニで、売れ残りの弁当を安く買えることもあった。 携帯電話 ¥2,000 ※就活のため3年生後半から ※UQモバイル 雑費 ¥5,500 毎月の差額:▲7,000円 ※夏休みなどの長期休暇時に長く働いてお金を貯め、毎月の不足を補いました。 日本の果樹園に就職 果樹園でのバーベキュー 鹿児島県にはナムディン学園理事長で元大学教授の神田嘉延(かんだ・よしのぶ)先生がいます。大学2年生(2019年)の秋、先生がナムディン学院の卒業生約10人を鹿児島県霧島市の「霧島さくらフルーツランド」に連れて行ってくれました。ここには44 haの敷地にたくさんの畑(ブドウ、なし、キーウィ、桃、リンゴなど)や約100棟のビニルハウスがあります。取れたての果物や加工食品などを販売棟で売っており、年間7、8万人が訪れます。 私たちはこの果樹園でバーベキュー料理を楽しみ、園内を見学しました。その後、大学4年の就職活動中に神田先生からこの果樹園で働くことを勧められ、先生の紹介もあって、果樹園の運営会社「さくら農園」で働くことになりました。 果樹園での仕事 「霧島さくらフルーツランド」では約50人が働いており、そのうちベトナム人が13人です。内訳は、技能実習生3人、特定技能外国人6人(ここの技能実習生から昇格)、日本人と結婚した元技能実習生1人(女性)、私を含む就労ビザ3人です。2カ月後に新たに4人の実習生も加わります。 職場では私が通訳をしていますが、実習生たちも日本語を勉強しています。毎週1回、会社の費用負担で日本人講師数人を招き、実習生に日本語を教えてもらっています。そのときに私も一緒に教えますし、ほかの日でも、実習生から質問されたら教えています。 <!-- チャンさん(左はし)と一緒に夫婦で茶道の先生のお宅を訪問 --> 職場では、私が日本人の指導者と技能実習生たちの間に入って農作業のこまかい指示を通訳し、自分もその作業を学んでいます。作業の一例を紹介します。 ブドウの新芽の中で不要な芽(生育の悪い芽など)を取り除く。これによって、残った芽に養分が集中しますし、芽が均等に育ちます。 ブドウのツルを支柱にからみつける。 粒の小さいブドウの房を切り落とす。これによって、残った房に養分が集中し、ブドウの甘みが増します。 瀬戸口さんの農業指導 農園の責任者・瀬戸口光広さんの話 どこの農園も人手不足に悩む中、うちはベトナム人スタッフたちのおかげで必要な作業を十分に行えるので、果物の品質が上がり、観光客からの人気も高まりました。 技能実習生は作業の意味を理解せずにやる傾向がありますが、ロイさんは作業の目的や手順をよく理解し覚えてくれるので、私たちも教えがいがあります。 ロイさんのお陰でベトナム人スタッフに作業の仕方を正確に伝えることができ、作業の間違いが減りました。また、彼らと日本人とのコミュニケーションが深まり、ベトナム人の定着に役立っています。 当園は海外に提携農園を持ち、マンゴーなどを輸入することを検討しています。ロイさんがベトナムに帰国したら、そのお手伝いをして頂ければと期待しています。 ベトナムで農園を開くのが夢 技能実習生たちの寮でパーティー 私は現在、さくら農園の中にある会社の寮に住んでいます。家賃(会社が半額補助)や水道・光熱費、Wi-Fi代を含めて月27,000円で済みます。このため、食費や交通費を引いても毎月10万円以上貯金できます。これ以外に技能実習生と違って年2回のボーナスもあります。日本で数年間働いたら、帰国してベトナムで自分の農園を開くのが夢なので、こうして貯めたお金をその資金にしたいと思います。環境にやさしいオーガニック栽培で果樹や野菜を育てるのが私の目標です。 果樹園の技能実習生と一緒に登山 私はさくら農園の就職面接で「日本で約5年働いたら、ベトナムに帰って自分の農園を開きたい」と打ち明け、さくら農園はそれを認めてくれました。無事に独立してベトナムで開業できた場合、さくら農園 の海外展開のお手伝いもできれば、とてもうれしいです。
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Vol. 78 起業を目標に新潟で留学
ハノイの大学在学中にインターンとして日本で1年間働いて会話力をつけ、その後、新潟県の大学院に留学したリンさん。大学院では経営について学び、大学院や地元行政の支援も受けて卒業直後に新潟で起業しました。また、新潟のベトナム人コミュニティの活性化にも尽力しました。 今回の先輩 ファム・フォン・リンさん 2013年ハノイ国家大学日本言語文化学部入学 2017年沖縄でインターン(1年間) 2018年ハノイ国家大学卒業 2018年事業創造大学院大学事入学〈新潟県〉 2020年同大学卒業(修士号取得) 2021年起業〈新潟県〉 〈1995年生まれ、ハノイ市出身〉 ◆このページの内容 • 日本で1年間のインターンシップ • インターンシップ後に留学 • 起業支援が手厚い大学院に留学 • 留学生活の費用と収入 • 私の家計簿(1カ月の平均) • 新潟でのベトナム人仲間 • 卒業してすぐに起業 • これからも越日の架け橋に
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Vol. 77 日本の大学に就職
ハノイの大学で日本語を学び、日本の大学院に国費留学したチャンさんは、そのまま日本で就職し結婚もしました。大学院では毎晩遅くまで研究に打ち込み、苦労もしましたが、名古屋でたくさんの人に出会い、大学を通じてさまざまな経験を重ね、日本で心豊かに暮らしています。 今回の先輩 チャン・トゥー・チャン 2008年ハノイ法科大学経済学部入学 2012年ハノイ法科大学経済学部卒業 2012年TMI法律事務所ハノイ事務所・弁護士アシスタント 2013年名古屋大学大学院修士課程入学 2015年名古屋大学大学院博士課程入学 2018年名古屋大学事務職員 〈1990年生まれ、ハノイ市出身〉 ◆このページの内容 • 日本語と法律を無料で学べる特別コース • 願いがかなって国費留学 • 映画の字幕と音声で日本語学習 • 通訳アルバイト • 日本でのベトナム人仲間 • 大学院をやめて就職 • 私の就職活動と家計簿 • 日本に残った理由 • ボランティア • 名古屋のここが好き 日本語と法律を無料で学べる特別コース 日本法教育センターの先生と同級生たち 私は海外に興味があり、子どものときから留学が夢でしたが、私費留学をする経済力がありませんでした。しかし、ハノイ法科大学に入ると、無料で日本語と日本の法律を学べる「名古屋大学日本法教育研究センター」があったので、応募して合格しました。このセンターで学ぶと、奨学金で日本の大学に行ける可能性があるからです。私はセンターの2期生でした。 名古屋大学日本法教育研究センター ・ハノイ法科大学の学部生(法学部、経済法学部)が対象 ・新入生がセンターに入るには、選抜試験を受ける。 ・応募は毎年150~200人。入試の成績やセンターの選抜試験(ひらがな、カタカナなど)の成績、面接を総合して25~30人を選ぶ。 ・センターでの授業は週6コマ(4年間)。追加の授業料は不要。 ・センターでの単位の一部は大学の卒業単位にカウントされる。 願いがかなって国費留学 大学院の先生とトーク〈修士2年のとき〉 センターの学生は4年生のときに推薦試験に受かれば、名古屋大学大学院で国費留学生として留学できます。私ともう1人が受験しましたが、私は不合格でした。私はどうしてもあきらめられず、卒業後も就職せずにセンターで勉強を続け、1年後に後輩たちと一緒に推薦試験に再トライし、今度は合格しました。最近は、卒業生が日本で留学するための民間の奨学が増えましたが、当時はほとんどありませんでした。 こうして私は2013年10月に名古屋大学大学院に入学し、修士課程の2年間、日本の国費で留学しました。授業料無料で国から生活費ももらいました。博士課程では授業料は払いましたが、文科省の奨励金(毎月20万円)をいただきました。(この奨励金制度は現在はありません。) 映画の字幕と音声で日本語学習 日本の映画でヒアリング練習(イメージ写真) 日本法教育研究センターでは質の高い日本語教育を受けました。ベトナム人教師以外に日本人講師も3人おられ、授業時間外にも会話練習の相手や作文のチェックをしてくださいました。先生方にはとても仲良くしていただき、学外でも交流させていただきました。 私は自宅での自習が苦手です。宿題はやりましたが、それ以上は自習しませんでした。その代わり、日本の映画やドラマ(ベトナム語か英語の字幕付き)を毎晩見て、聞き取れない会話をメモして覚えました。これによって日本語のヒアリングが上達しました。わからない言葉を調べたり、発音をまねたりもしました。JLPT(日本語能力試験)については、直前に問題集を集中的に解き、大学卒業の半年後にN1に合格しました。 通訳アルバイト 私は来日2年目から約1年半(週2回)、法学部の図書館で受付をしました。また、ティーチングアシスタントという指導教官の学部での授業のサポートもしました。授業の資料をコピーしたり、授業で小テストの回答用紙を回収したりする仕事でした。こうした学内アルバイトの情報は大学の留学生向けメーリングリストや大学の掲示板で知りました。 弁護士や警察の通訳以外に日越の経済交流会の通訳も担当 通訳・翻訳のアルバイトもしました。一番多かったのは、弁護士とベトナム人依頼者との間の通訳です。大学の先生の紹介で愛知県弁護士会の面接を受けて通訳として登録しました。民事事件では法律事務所で通訳をし、刑事事件の場合は弁護士と一緒に拘置所などに行って容疑者や被告(ベトナム人)と会いました。通訳アルバイトは一般のアルバイトの5倍以上の時給でしたが、時間を取られて研究に支障があるので、約1年半でやめました。 日本でのベトナム人仲間 私が日本でベトナム人仲間をどうやって作ったかをまとめました。 大学の仲間 ・名古屋大学にはたくさんのベトナム人がいますが、普段は大勢で集まりませんでした。私は文系の大学院のベトナム人仲間数人と仲良くしていました。 ・名古屋大学の大学祭や留学生向けのイベント(留学生歓迎会や旅行)を通じてベトナム人の友だちができました。 ベトナム人団体(VYSA) ・友だちと一緒にVYSA TOKAIのイベントにときどき参加しました。例えば、テト(旧正月)の集まりや紅葉狩りなどです。 同窓の集まり ・センターの同期や後輩が何人か日本に住んでいるので、今も交流しています。 アルバイト仲間 ・通訳アルバイトで通訳仲間(主に先輩たち)とのつながりもできました。 地域のベトナム人仲間とテトの集まり 日本法教育研究センターの後輩と花見 大学院をやめて就職 勤務しているオフィスがある名古屋大学の建物 私は最初の2年間は毎日深夜まで研究室に残り、ときどき徹夜もしました。体調を崩したので、3年目からは夜12時までに研究室を出るようにしました。法律書や判例の文章は難しく、法律用語の意味調べもあるので、日本の学生と比べて内容を理解するのに何倍も時間がかかりました。 2年で帰国して弁護士を目指すことも考えましたが、博士課程の試験に合格したので、3年目以降も日本で研究を続けることにしました。しかし、博士課程に進むときに研究科を変えたことも災いし、研究を進めて博士論文を書き上げることはかなり困難だと感じるようになりました。このため、悩んだ末に就職を目指し、名古屋大学の事務員に内定したので、博士課程3年の途中で大学院をやめました。 私の就職活動と家計簿 名古屋大学 名古屋大学では、事務職に「外国人枠」があり、私が応募したときは毎年1、2名を採用していました。事務職員になるには試験を受けなければなりませんが、外国人枠では試験が免除され、私は適性検査と作文と面接で採用内定をいただきました。 リクナビやマイナビでも採用情報を探しましたが、会社説明会には参加しませんでした。私は大企業に入ってステータスを得るよりも仕事のやりがいを重視していたので、国際化が進んでいる職場やベトナムと関係のある企業を探しました。そして、FPTソフトウェアと名古屋大学に応募し、どちらからも採用内定をいただきました。FPTはベトナムの巨大グループで、入社後はベトナムで働くことになっていましたが、私は日本に残ろうと決断し、名古屋大学を選びました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※就職後・結婚前の家計簿 ※100円=16,433 VND(2022年10月8日現在) 収入:250,000円 給料 ¥250,000 ※税金や社会保険料を引いた後の手取り額 ※残業時間によって総額は変動 ※ボーナスを除 支出:208,000円 家賃 ¥60,000 水道・光熱費 ¥15,000 食材費 ¥30,000 生活雑貨 ¥5,000 携帯電話 ¥3,000 美容・衣服 ¥10,000 医療・保険 ¥10,000 交際費(誕生日会など) ¥15,000 教育・教養 ¥10,000 ※資格試験のための教材・通信講座の費用 旅行・交通費 ¥20,000 実家に仕送り ¥30,000 毎月の差額:42,000円 日本に残った理由 修士課程2年のときの発表会(左)と修士課程卒業の日〈大学で〉 私は大学院を途中でやめることについて、奨励金に推薦してくださった教官に大変申し訳ないと思いました。それに、大学のことは好きで、大学には深く感謝していました。そこで、研究には行き詰まりましたが、別の分野で大学に恩返ししたいと思って大学の事務職に応募しました。帰国するか日本に残るかとても悩みましたが、最後は、大学への愛着が勝(まさ)ったのです。 また、日本人の恋人もいたので、そのことも日本に残りたい気持ちを後押ししました。その後、恋人とは結婚し、つい最近(2022年10月)、初めての子どもを出産しました。日本で家族ができましたし、今からベトナムに帰っても仕事のキャリアを一から積まなければならないので、これからも当面は日本で暮らす予定です。 ボランティア 長野県の牧場で「さをり」の作品販売。私もお手伝い。 私は来日前から、「さをりをベトナムへ」というボランティア活動に参加しています。中心メンバーの日本人の1人と大学時代にハノイで出会ったのがきっかけです。ベトナム戦争の枯れ葉剤の影響を受けた障がい者たちに「さをり」という布の織り方を伝え、彼らの織った布や作品を日本で販売して売り上げを彼らの施設に送るという活動です。 私の役割は、日本のメンバーがベトナムの施設とメールなどで打ち合わせる際の翻訳・通訳です。その役割を通じてわかったのは、日本人の計画性や目的を達成するためのプロセスの確かさです。例えば、メンバーがたまにベトナムに行きますが、訪問日程が決まると、何度も打ち合わせをし、訪問中の数日間で障がい者たちや施設スタッフに何をどのように伝えるかなど、細かく検討して準備をします。このようにして、10年以上さをりの織り方についてアドバイスを続けた結果、障がい者たちの技術が向上し、今ではとても高い品質の作品を作ってくれるようになりました。 名古屋のここが好き 私の好きな庄内緑地公園〈名古屋市〉 名古屋で多くの出会いがありました。Facebookで友だちになった経営者の男性からは、①自分のやりたいことをすると人生が楽しい ②自分のやっていることが何か社会の役に立つと人生の意味を感じる――ということを教えていただきました。こうした方々に感化され、私もやりがいのある仕事や、できれば社会貢献もしたいと考えるようになりました。 名古屋は東京ほど大きな都市ではありませんが、それでも十分に大都会ですし、教育環境も就職先も充実しています。ステキな人たちと交流できる機会も十分にあります。こうした環境や出会いを自分の人生に生かすにあたり、名古屋の雰囲気や街のサイズが私には合っていたように思います。名古屋に来られて良かったと、心から思っています。
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