わたしの体験

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2020年04月21日 わたしの体験

今回の先輩

HỒ L Ê THỊ XUÂN TRINH
(ホ―・レー・ティ・シュアン・トリン)さん

1982年生まれ、ダラット市出身
2000年11月 VAA(管制官養成の専門学校)入学
2005年 4月 白鳳女子短期大学入学
2007年 4月 梅花女子大学文化表現学部(国際英語学科)編入
2009年 4月 梅花女子大学大学院文学研究科(英語英米文学専攻)入学
2011年 3月 梅花女子大学大学院文学研究科(英語英米文学専攻)修了、帰国
2011年10月 KUBOTA Vietnam 入社
2012年 5月  SECOM Vietnam入社
2015年 8月 SECOM Vietnam退社、自営業開始
2019年10月 Xuan Trinh Ho 設立

留学で人生を変えようと決心

高校卒業後、空港の管制官になるための専門学校に行きました。成績はよかったのですが、卒業直前に「本当にこの仕事でいいのか」と悩んだため卒業試験で失敗し、卒業できませんでした。そこで、挽回するために「日本に留学して人生を変えよう」と考えました。日本を選んだのは、群馬県に母の両親や母の妹1人、弟2人が住んでおり、祖母の勧めもあったからです。

留学中に訪れた京都の金閣寺【2009年】

私は、祖母が出してくれた学費でホーチミンの日本語学校で1年間勉強しました。学校の掲示板で見た白鳳女子短大(現・白鳳短大)の案内には「奨学金を受給できる」「日本での生活費はアルバイトでまかなえる」「学校がアルバイトを紹介する」という趣旨のことが書いてありました。奨学金にひかれ、ホーチミンで白鳳女子短大の入学試験を受けました。まだ、日本語は下手でしたが、面接官の目を見て「がんばりますから、日本に行かせてください」とお願いし、合格できました。渡航書類は自分で作成し、日本語学校には申請代行費用を約200,000 VND支払っただけで済みました。

京都でのお茶会【2010年11月】

短大経由で大学へ

2005年から2年間、奈良県の白鳳女子短大に通いました。アジアを中心に外国人留学生が1学年で約60人いました。共通言語は日本語です。クラスには留学生だけで、授業も留学生向けでした。

白鳳女子短大の学園祭で【2005年】

私は短大を2年で卒業し、大阪府の梅花女子大学の3年生に編入しました。短大同級生の留学生たちも大半が大学に進みました。私は大学院(修士課程)にも進んで英語の勉強を続け、今も仕事で日本語と英語の両方の通訳・翻訳をしています。短大でも大学や大学院でも日本人の友だちがたくさんでき、日本語がどんどん上達しました。また、寮でもしっかり勉強し、短大2年生のときに日本語能力試験(JLPT)のN2に合格しました。

日本、ベトナム、タイ、モンゴルの交流会で【2006年】
花見【2010年4月】

奨学金

6年間の留学生活うち3年間は、奨学金を受給しました。前年度の学業成績によってもらえない年もありましたが、1年目(短大)は、短大の地元の王寺町から毎月34,000円▽4年目(大学)は、日本学生支援機構(JASSO)から毎月50,000円▽6年目(大学院)は、「ロータリー米山記念奨学会」の奨学金を毎月140,000円――受給しました。奨学金をもらえると、アルバイトを減らして勉強を長い時間することができ、将来の可能性が広がっていきます。

ロータリーの奨学生として地元ロータリークラブの例会に参加【2009年】

【編集部からのアドバイス】

トリンさんの奨学金は「ロータリー米山記念奨学会」から支給されました。これは、日本に在留している外国人留学生に対し、日本全国のロータリークラブ会員の寄付金を財源として奨学金を支給する団体です。将来、母国と日本とのかけ橋となって国際社会で活躍する優秀な留学生を支援することを目的としています。全国で年間860人への奨学金支給枠があり、民間の国際奨学団体としては日本で最大です。

http://www.rotary-yoneyama.or.jp/summary

アルバイトと日本での暮らし

日本での最初のアルバイト先は餃子店でした。訪日前に短大にEメールを送ってアルバイト紹介を依頼し、大学からの手配でベトナム人留学生の先輩がこの店を紹介してくれたのです。朝5時に起きて自転車で約30分かけて通勤し、6時から2時間働きます。冷凍餃子を箱に詰めてまた冷凍庫に入れることや、キャベツを機械で切って袋に詰めることが、私の仕事でした。終わったら大急ぎで帰宅し、学校に行きます。さらに、土日は8時間ずつ働きます。その後、幼稚園で英語を教える仕事もしました。大学時代はタイ料理店で接客の仕事をしましたが、勉強に力を入れるため、働く時間は減らしました。

奈良県内の幼稚園で園児らに英語を教えました【2007年2月】

私の家計簿(1カ月の平均)

※大学2年のとき(奨学金あり)
※100円=21,540 VND(2020年4月7日現在)

収入(合計 約90,000円)

アルバイト(タイ料理店) 40,000円
※学業を優先するため、アルバイトは最小限にとどめた。
奨学金(JASSO) 50,000円

支出(合計 約120,000円)

家賃 20,000円
※2LDK=2ベッドルーム+大きめのリビング
※短大で同級だったタイ人留学生やその友人と3人でシェア
水道・光熱費 5,000円
※3人でシェアした場合の1人分
学費 50,000円
食費 20,000円
※昼は弁当持参、夜も自炊が多かった
交通費 20,000円
※通学の電車代、茶道の交流会に参加するための電車代など
雑費 5,000円
※衣類など

差額(貯金)平均マイナス30,000円 

※不足分は親や親せきからの支援
※長期休暇時には、群馬県の親戚宅(3世帯)に滞在

夏のお茶会【2009年】

帰国して日系企業に就職

大学院修了後はベトナムに帰国し、日系大手企業のクボタ・ベトナム(農業機械メーカー)で翻訳・通訳や総務を担当しました。しかし、ホーチミンから勤務先のビンズオン省まで会社のバスで往復3時間かかり、帰宅後に勉強するための時間や体力が残らなかったので、6カ月で退職しました。その後、日系大手企業、セコム・ベトナム(警備会社)でも3年半、同様の仕事をしました。働きやすい職場で、4年目の手取り月給も900 USD相当ありました。また、帰宅後に英語や日本語の家庭教師もやり、お金に余裕があったので、周辺国によく旅行をしました。特にタイには短大留学時代の親友もいるので何回も行きました。旅行以外に、高級服もたくさん買いました。

ホーチミンでお茶会のお手伝い【2018年】

本当のやりがいを求めて独立

しかし、海外旅行に行っても、たくさん買い物をしても、満足感は得られませんでした。それは、仕事に本当のやりがいを感じていないからでした。そこで、2019年10月、思い切って独立しました。 独立後は、通訳・翻訳業をしながら、知人の本の出版記念イベントを主催するなど様々なイベントに関わってきました。2019年10月までは、就学前の子どもたちにナイフの使い方や料理、座り方、食べ方、ヨガ、買い物の仕方などを教える教育事業もしましたが、これは教材費がかさんで赤字でした。

2018年9月には日本庭園の事業を始めました。造園会社の社員が独立する際、日本文化に詳しい私に協力を求めてきたのがきっかけです。最近は、造園業者などを集めて日本庭園の勉強会をやり、受講した業者が顧客から日本庭園の造園を受注した際に、その仕事を手伝っています。自社で庭園造りを受注し、こうした業者と一緒に仕事をすることもあります。

ホーチミンで主催した日本庭園に関するセミナー【2019年11月】

念願だった大学教員にも

2019年秋にはホーチミンのHong Bang 国際大学日本語学部の講師になりました。日本語、日本文学、日本人のビジネスマナーを担当し、現在は、新型コロナウイルス感染症の影響でオンライン授業をしています。日本への感謝の気持ちを込めて日本語や日本文化を生徒たちに精一杯教えています。

大学講師になれたのは、ホーチミン市元日本留学生クラブ(JUACH=Japanese Universities Alumni Club in HCM)のおかげです。JUACHはJASSOの日本留学フェアを手伝ったり、独自でもイベントを行ったりしています。私は2016年2月~2019年9月にはJUACHの会長も務め、活動を通じて人脈が広がり、大学講師の仕事も紹介してもらうことができました。

Hong Bang 国際大学で【2020年2月】
JASSOの日本留学フェア【ホーチミンで2018年】

日本に留学する場合、出稼ぎ目的で留学すると、その場限りで終わってしまいます。しかし、留学中に多くを学べば、その後の人生に末永く生かせます。これから留学する皆さんも、留学によってその後の人生を豊かにできるよう、目標や目的意識を持って留学してくださいね。

京都でのお茶会【2010年11月】