体験談(技能) | 最新ニュース

VOL. 91 来日後も勉強を続け職場のリーダーに

食品工場で技能実習生から特定技能外国人になったトゥエットさん。彼女は、来日直後は日本人の話すことが全然わかりませんでしたが、毎日3時間勉強を続け、数カ月で少し会話ができるようになり、2年でJLPT・N3に合格しました。今は、職場のベトナム人のリーダーとして活躍しています。 今回の先輩 グエン・ティ・トゥエットさん 2017年高校卒業〈ハイズオン省〉...

2023年05月29日
  • VOL. 90 寝ても覚めても勉強し3年でN1合格

    2023年03月31日
    日本に留学してまもなく「自分で努力しなければ、いつまでたっても日本語で会話できるようにならない」と気づいたウットさん。空いている時間はいつも日本語を勉強し、3年でN1に合格。日本での就職や帰国後の日系企業への就職でも大いに役立ちました。 今回の先輩 タ・ティ・ウットさん 2011年高校卒業 2012年日本語学校入学〈福岡県〉 2014年専門学校入学〈福岡県〉 2015年結婚、JLPT・N1合格 2016年専門学校卒業 2016年日本で就職〈愛知県〉 2017年夫の転勤に伴い帰国 2017年HISハノイ支店入社(正社員) 2019年出産 2020年日系の会計事務所入社〈ハノイ〉 〈1993年生まれ、ハノイ出身〉 ◆このページの内容 • 準備不足で訪日 • 日本語学校と専門学校に留学 • 学校選びに失敗 • 寝ても覚めても日本語を勉強 • アルバイトでたくさん日本語会話 • 私の家計簿 • 日本で留学生と結婚 • 夫の転勤で帰国 • ハノイで日系企業の正社員に • 別の日系企業に転職 • 日本留学で得たもの 準備不足で訪日 私の姉は2010年から日本に留学し、その後、日本人と結婚して今も日本に住んでいます。私は高校卒業後、姉に習って日本に留学することにしました。その準備として、ハノイの日本語センターの寮に住んで3カ月間勉強しました。その間は授業を含めて毎日6時間勉強しましたが、日本で暮らすために日本語がどれぐらい必要かわかっていなかったので、今から思うととても不十分な勉強でした。 ひらがな、カタカナと簡単な会話しか覚えずに日本に行った私は、当初、言葉のことでとても苦労することになります。 日本語学校と専門学校に留学 日本で一緒に暮らした姉(右) 私は2012年10月、姉が通っていた福岡市の「西日本国際教育学院」という日本語学校で留学を始めました。最初の3カ月間は学校の寮に住み、4カ月目からは姉と一緒に暮らしました。 日本語学校で1年半学んだ後、私は「国際貢献専門大学校」という専門学校に進みました。この学校は、私が通った日本語学校の系列校です。本当は他の大学か専門学校に行きたかったのですが、系列校に進学すれば学費が割り引かれるという特典にひかれてその専門学校を選びました。しかし、この学校を選んだことを後で大きく後悔することになりました。 学校選びに失敗 私はこの専門学校でITを学ぼうと思い、「情報ビジネス」を専攻したのですが、専門分野の授業はほとんど受けられませんでした。当時、この学校はできたばかりで、学校の準備不足によってITの教師が不足していたのです。 IT関係の授業は休講続きで、代わりにいつも日本語の授業を受けされられました。しかも、私は専門学校に入る前に日本語能力試験(JLPT)N3に合格し、当時はN2・N1を目指していたにもかかわらず、専門学校の日本語授業はN3・N4レベルでした。私は担任の先生に「もっとITの勉強をしたい」と何度も訴えましたが、何も改善されませんでした。後輩の皆さんは学校の評判をよく調べてから進学先を選んでください。 寝ても覚めても日本語を勉強 留学を始めて最初の数カ月間、私は日本語力不足でアルバイトが見つかりませんでした。友人からアルバイトを紹介してもらっても、工場など日本語を話さなくてもよい職場ばかりでした。私はまわりの日本人が話す日本語がほとんどわからず、自分の言いたいことも伝えられず、ストレスがたまっていつも家で泣いていました。 そして、「日本語がわからないと何もできない」「自分で勉強しないと、どれだけ日本人と交流しても話せるようにならない」と気づき、猛勉強を始めました。学校の授業以外に、昼でも夜でも休日でも空いた時間はできるだけ日本語を勉強し、アルバイト先でも上司や先輩とできるだけ会話するようにしました。 その結果、私は留学を始めて9カ月後にJLPT・N3に合格し、その2年後にN1に合格しました。最初は「みんなの日本語」を使い、N2・N1対策には市販の問題集を使いました。また、自分の好きなYouTubeチャンネル(日本語)を聴いてリスニングの練習をしました。 アルバイトでたくさん日本語会話 アルバイト仲間の日本人たちと焼肉会 日本語が話せるようになるにつれ、日本語を使うアルバイトに採用されるようになりました。そうなると、仕事をしながら日本語の練習ができ、わからない言葉や言い方は日本人の先輩や同僚に教えてもらえるので、日本語の会話力が急速に伸びていきました。 アルバイト探しについては、友人に紹介してもらうか、無料の求人情報誌を見て店に電話をかけ、面接を申し込みました。そして、アルバイト先の先輩や仲間と仲良くなり、一緒にご飯を食べに行くこともよくありました。また、クリーニング工場のおばさんは自宅に私と友人を招いてくれました。これらの人たちの中には、今もFacebookなどで連絡を取り合っている人もいます。 ◎私が日本で経験した主なアルバイト クリーニング 工場でクリーニングした大きなカーテンを2、3人でたたむ仕事。ホテルで使うカーテンでした。 ビジネスホテル ベッドメイキング、清掃 居酒屋 ホール(接客)、片付け、開店準備 レストラン キッチン、早朝の仕込み(料理の準備) 弁当店 キッチン、レジ 技能実習生の監理団体(組合) 通訳、技能実習生の生活サポート) 私の家計簿(1カ月の平均) ※専門学校時代の家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:120,000円~150,000円 給料 ¥120,000~¥150,000 ※アルバイト2、3件 支出:158,000円~160,000円 学校の授業料 ¥55,000 家賃(ワンルーム) ¥50,000 ※1に暮らし、Wi-Fi・水道代込み 電気・ガス ¥8,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 食費 ¥25,000 ※バイト先で無料のまかないを食べることも多かった。 雑費 ¥10,000 ※交通費、学習教材、衣類 毎月の差額:▲10,000円~38,000円 ※夏休みなどの長期休みに多く働いて不足を補いました。 日本で留学生と結婚 新婚時代の夫と私 私の姉は福岡で日本語学校から大学に進学しましたが、ある日、姉の大学の同級生のベトナム人男性が姉と私の家に遊びに来ました。ほどなくして私は彼と付き合うようになり、約2年半後、彼は大学を卒業して日本で就職することになりました。その少し前に私たちは結婚し、福岡のベトナム総領事館に婚姻届けを出しました。その後、私も就職が決まり、名古屋に引っ越して一緒に住みました。 私は就職するまで3年半留学しましたが、生活費や学費を稼ぐために早朝や夜にアルバイトをし、それ以外は勉強に打ち込んでいたので、休日は疲れて横になっていることも多く、旅行にはあまり行きませんでした。夫と知り合ってからも一緒に公園やゲームセンターなどでデートするぐらいで、観光はあまりしませんでした。今にして思えば、日本にいる間にもっとあちこちに旅行しておけばよかったと思います。 夫の転勤で帰国 帰国直前にベトナムの家族を名古屋に招待 私たちは2015年に結婚し、私は正社員の夫の妻として日本に在留する予定だったので、本格的な就職活動はしていませんでした。しかし、夫の勤務地が名古屋に決まると、私は家の近くでできる仕事を探し、この会社に履歴書を送って面接を受けたところ、携帯電話ショップを運営する会社の正社員に採用されました。 日本の携帯電話ショップの店員は携帯電話の端末を売る仕事よりも通信契約に関する対応が多いので、さまざまなことを覚えなければなりません。そのため、通常は入社後6カ月間の新人研修を経てやっと店に出ることができます。研修では、接客マナーやパソコン操作、さまざまなサービス内容を学びますが、私は3カ月で覚えることができ、通常より早く店に出ることができました。しかし、就職して1年半後に夫がハノイに転勤になり、私も退職して帰国することになりました。 ハノイで日系企業の正社員に HISハノイ支店の入っているビル〈2018年〉 2017年7月に帰国してまもなく、私は日本の大手旅行会社HISのハノイ支店で正社員として働き始めました。店のカウンターで日本人客(主に駐在員)に航空券やホテル、ツアーを手配する担当でした。個人がインターネットで航空券やホテルを手配することもできますが、会社の業務で出張する場合に旅行会社を使うと、経理処理に必要なインボイスが発行されますし、顧客サービスも良いので、HISを使う日本人はとてもたくさんいました。 ところで、私は帰国が決まってすぐにハノイでの仕事を探し始めました。しかし、日本と違ってベトナムでは面接に合格したらすぐに働き始めてほしいという会社がほとんどだったので、結局、帰国後にFacebookで仕事を探し直し、HISに入りました。 別の日系企業に転職 HSKVのパーティー 私はHISで約2年半働き、出産を機に退職しました。そして、2020年からはHSKV(HSK Vietnam Audit Company)という日系の会計事務所で働いています。私の仕事は会長(日本人)の秘書で、秘書業務以外に下記のような仕事も担当しています。 監査報告書や移転価格報告書、事業概況報告書などの翻訳 顧客企業の帳簿の入力 顧客企業の給与計算表のチェック 個人所得税の計算と申告 顧客企業の日本人駐在員の労働許可証・ビザ・レジデンスカードの申請 HSKVの仕事もFacebookで探し、給料はHISのときより約30%上がりました。転職したのは、HISでは土日の出勤もあったため、出産後の生活に合わなくなったためです。今の会社を選んだのは、朝8時~9時の間に出勤し8時間勤務すればよいというフレキシブルな勤務時間と自宅から近いことが決め手でした。 ハノイに戻って2つの日系企業に就職して思うのは、日系企業への就職には、履歴書の内容よりも面接での評価(日本語会話力や対人能力など)の方が重視されるような気がします。 日本留学で得たもの 私は留学中、学校選びに失敗したことをとても後悔しました。しかし、学校で専門知識は得られなかったものの、自分で日本語の勉強やアルバイトに一生懸命に取り組み、3年でJLPT・N1に合格できました。また、アルバイト仲間に日本語で積極的に話しかけ、会話も十分にできるようになったので、ベトナムに帰国して日系企業に就職する際にとても役立ちました。 留学せずベトナムで日本語を勉強する人も素晴らしいですが、留学経験者の方が全体的にリスニング力が高く、日本での生活やアルバイトも経験したということで、日系企業での就職には有利なようです。私は日本で留学できて本当に良かったと思います。
  • VOL. 89 「みんなの日本語」の解説本を翻訳

    2023年03月24日
    日本語を学ぶ外国人の多くが最初に手にする日本語の教科書「みんなの日本語」。その解説本4冊を1人でベトナム語に翻訳したドンア大学副学長のヴィンさん。ヴィンさんの日本留学体験や学生時代の勉強方法などを紹介します。 今回の先輩 ゴ・クアン・ヴィン さん 1998年高校卒業〈クアンチ省〉 1998年ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部入学 2002年ハノイ大学卒業 2002年日本の設計会社で勤務(通訳・翻訳)〈ハノイ〉 2004年国立ダナン大学外国語大学日本語学科で日本語講師 2008年一橋大学で研究生として留学〈東京〉 2010年一橋大学修士課程入学 2012年一橋大学博士課程入学 2015年一橋大学博士課程修了 2015年国立ダナン大学外国語大学日本語・韓国語・タイ語学部長 2020年ドンア大学副学長兼日本言語文化学部長〈ダナン〉 〈1980年生まれ クアン・チ省出身〉 ◆このページの内容 •「みんなの日本語」の解説本を翻訳 • 大学で日本語を学び日系企業へ • 私の日本語学習法 • 6年半の日本留学 • 私の家計簿 • 留学中の交流 • 留学中に困ったこと • ベトナム語の専門書を日本語で出版 • ドンア大学について 「みんなの日本語」の解説本を翻訳 日本語を学ぶ外国人の多くが最初に使う教科書「みんなの日本語」の「翻訳・文法解説」があるのをご存じの方も多いと思います。「みんなの日本語」は日本語だけで書かれているので、十分に理解できないときに「翻訳・文法解説」を読めば、内容が理解しやすくなります。私は2013~16年に「みんなの日本語」初級Ⅰ、初級Ⅱ、中級Ⅰ、中級Ⅱの「翻訳・文法解説」をベトナム語に翻訳しました。 この翻訳を始めたとき、私は一橋大学(東京)で留学していましたが、そのときの指導教官が私のベトナム語力と日本語力を高く評価し、出版社に推薦(すいせん)してくださったことがきっかけでした。翻訳する際には、もとの日本語の意味ができるだけ正しく伝わるベトナム語にしたいと思い、言葉をていねいに選びながら時間をかけて翻訳しました。 大学で日本語を学び日系企業へ 会社の仲間と日本の石炭鉱山の見学 私が高校のとき、有名な日本ドラマ「おしん」がベトナムで放送されていました。わたしは主人公・おしんのけなげな生き方や勤勉さ、ドラマに出ていた昔の日本家屋などがとても気に入って、日本についてもっと知りたくなりました。高校では英語コースでしたが、大学では別の外国語を勉強しようと思っていたこともあり、ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部に入りました。 私は大学で4年間日本語を学んだ後、新聞の広告欄で見つけた日系企業に入りました。これは木造住宅の構造設計をする会社で、私は日本人の社長や技術者たちとベトナム人スタッフとの間の通訳や書類の翻訳をするチームのリーダーとして働きました。その後、大学で日本語を教える仕事に興味を持つようになり、知人の紹介で国立ダナン大学の日本語講師になりました。 私の日本語学習法 ハノイ外国語大学の教室で 私は大学生のとき、大学のゼミや講義以外に毎日6~8時間、自習しました。インターネット上の学習素材も紙の日本語教材も少ない時代だったので、今よりも勉強に工夫が必要でした。そのときに私が行った勉強方法を紹介します。 新聞の1面のコラムを読む:私は日本の新聞の1面のコラムを読み、ほぼ毎日、その内容について大学の先生と日本語でディスカッションしました。 自分で文章を作って読む:参考書に書かれている語彙(ごい)や文型を使って文章を作り、自分で声を出して読みました。 ハノイ大学日本語学部の級友たちとお出かけ これ以外に、古本屋で日本の古新聞を買い、何度も辞書を引きながら読みました。言葉の勉強では、やはり辞書を使い込むことが大事です。それでも理解できない部分がたくさんあったので、私は大学でただ1人の日本人の先生にアポを取り、質問に応じてもらいました。ただ、当時ハノイには日本人がまだ少なく、ネィティブの日本人との会話練習がほとんどできないのは残念でした。 6年半の日本留学 修士課程を修了 ダナン大学で講師をしているとき、日本の文部科学省が提供する留学生向け奨学金に応募しました。そして、在ベトナム日本国大使館で試験を受けて合格し、国費留学生として日本に行くことになりました。留学先には東京外国語大学も検討しましたが、少人数で勉強・研究できる一橋(ひとつばし)大学を選びました。 こうして私は2008年10月に一橋大学の研究生として訪日し、研究生1年半、修士課程2年、博士課程3年の計6年半、文科省の奨学金で留学しました。そのうち約2年間は妻と一緒に暮らしましたが、妻が2011年に東日本大震災による原発事故を契機に帰国してからは妻子と離れて留学しました。 妻と息子 私は留学中はずっと学費無料で奨学金も受給していたので、アルバイトは最小限にしてできるだけ勉強をしました。しかし、毎年、お盆とテト(旧正月)に帰国するための旅費がかかり、普段は節約生活を強いられました。私がよく使った便は成田→香港→ハノイ→ダナンというルートで、乗り継ぎが悪いため安価でした。一番安いときは往復28,000円でしたが、留学中に燃油サーチャージ(12,000円~15,000円)を加算する制度が始まり、大きな痛手でした。また、当時はSNS電話がなかったので、30分3,000円の国際電話(当時としては格安)でたまにだけ妻と話しました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※博士課程のときの家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:200,000円 奨学金 ¥150,000 給料 ¥50,000 ※アルバイト(通訳・翻訳、辞書作りの手伝いなど) 支出:100,000円 授業料 ¥0 家賃 ¥50,000 ※東京都内、ワンルーム 電気・ガス・水道 ¥5,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 ※国際電話代を含む インターネット ¥6,000 食費 ¥35,000 ※昼は大学の食堂、夜は主に自炊。 交際費 ¥15,000 雑費・交通費 ¥20,000~¥25,000 ※衣類、教材、交通費、化粧品など 毎月の差額(貯金):60,000円 ※貯めたお金で帰国の際の航空券などを購入。 留学中の交流 ベトナム人仲間と東京で日本庭園(夜間ライトアップ)を見学 6年半も日本に住んだので、日本人との交流もたくさんありました。指導教官やゼミの仲間と食事に行ったほか、アルバイトを通じて知り合った人たちとも交流しました。 ベトナム人同士の交流もありました。国費留学に合格した同期のメーリングリストがあったので、日本に行ってから留学生同士の交流のきっかけになりました。 また、東京のベトナム大使館が独立記念日やテトの際に行うイベントもあり、そこでもベトナム人同士の交流ができました。 留学中に困ったこと external link KOKORO|花粉症について(※クリック) ところで、留学中に困ったこともたくさんありました。 休日に病気になったとき 休日に医療機関に行っても対応してくれず、困りました。留学3年目に花粉症になり、くしゃみと鼻水がひどく、とても疲れました。そこで、週末に2、3カ所の医療機関に行きましたが、休日なので受け付けてくれず、どうしたらよいかも教えてくれませんでした。その後、平日になんとか時間を作ってクリニックに行き、薬を処方してもらいました。また、ひどい腹痛のときに近くの病院に電話しましたが、「大きな症状やけがなら診(み)るが、今回は無理です」と断られ、がまんするしかありませんでした。いずれも機械的な対応で、「外国人だから対応が悪いのでは」と感じました。日本は外国人向けの公的な救急医療制度をもっと充実させるべきだと思います。 external link KOKORO|日本での住宅の探し方(※クリック) 住宅探し アパートを探すとき、外国人だから借りられない物件がたくさんありました。その後、当時よりはましになったものの、今も外国人お断りの物件が多いと聞きます。 外人扱い 電車内でベトナム人同士で会話していると、そばにいた日本人たちが向こうに行ってしまいました。日本の電車内でのマナーを理解して私たちは小さな声でしゃべっていたのに、そのような行動をされ、残念でした。また、電車内でくしゃみをすると、マスクをしていても周囲から冷たい視線を受け、これも外国人への偏見のように感じました。このため、かぜをひいたときは電車に乗るのがおっくうでした。 日本人はもっと外国に出て国際感覚を高めてほしいですし、日本の行政は外国人が居心地よく暮らせるように、地域の外国人サポート窓口をもっと充実させてほしいと思います。 ベトナム語の専門書を日本語で出版 external link この本のAmazonでの販売ページ(※クリック) 2015年に留学を終えた私はその年から国立ダナン大学 外国語大学の日本語・韓国語・タイ語学部長になりました。そして、2020年にドンア大学の副学長兼日本言語文化学部長になりました。 私は留学中に日本語教育やベトナム語の類別詞について研究しました。類別詞とは名詞の数え方です。例えば日本語で「一つ」「1枚」「1個」などと数えるときの「つ」「枚」「個」などが類別詞で、ベトナム語ではどのような類別詞があるのかを留学中の博士論文にまとめました。この論文を帰国後にさらに精査して書き直し、2023年に「現代ベトナム語の類別詞研究: 類別詞の本質とその意味・用法」という日本語の専門書を出版しました。Amazonでも購入できますので、ベトナム語の研究者や教師・学習者の方々に活用していただければ幸いです。 ドンア大学について 最後に副学長兼学部長としてドンア大学日本言語文化学部について紹介します。当学部では次のような点を重視して日本語教育を行っています。 日本語を「読む・書く・聞く・話す」ために必要な基礎学力と専門知識を養い、日本語で考える力や日本語コミュニケーション力の向上を目指しています。 日本文化を深く多角的に理解する人材を育てるため、インターンシップや文化交流、交換留学などのプログラムを充実させています。 ダナンの日系企業で見学や研修を行い、日本語を活かした仕事への理解や日本語コミュニケーション力の向上に努めています。 こうしたプログラムには、私や教師陣の留学経験も活かされています。
  • VOL. 88 支援団体の支援で在留延長と再就職

    2023年03月17日
    作業の準備・後片付け(毎日約2時間)に残業代が支払われないなど、建設の技能実習生の平均よりかなり低い給料で働かされたうえ、職場での暴力・暴言もあって失踪したフイさん。一度は日本が大嫌いになりましたが、支援団体のサポートで日本滞在を延長して働き、特定技能の試験にも合格しました。 今回の先輩 カ・チャン・ホアン・フイさん 2013年高校卒業〈ホーチミン市〉 2013年観光バスの添乗員〈タイニン省〉 2016年トラック運転手〈ロンアン省〉 2019年送出機関で勉強〈ホーチミン市〉 2019年来日→講習→技能実習〈山梨県〉 2020年失踪し、友人宅に4カ月間滞在〈東京〉 2021年日越ともいき支援会で保護〈東京〉 2021年アルバイト〈北海道、長野、鹿児島〉 2022年一時帰国 〈1995年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 • 日本語をほとんど学ばずに来日 • コンクリート関係の仕事 • 長い移動時間に睡眠禁止 • 十分にもらえなかった残業代 • 私の家計簿 • 低賃金と暴力・暴言 • 組合に相談しても改善せず • 失踪中の生活 •「日越ともいき支援会」に助けられ • 漁業やレストランでアルバイト • これからも日本で働く 日本語をほとんど学ばずに来日 私は高校を出て、観光バスの添乗員やトラック運転手をしていましたが、毎月の給料は約7,000,000 VNDしかありませんでした。そんなとき、いとこが日本に技能実習に行って順調に働いていたので、私も出稼ぎのために技能実習をすることになりました。 私は送出機関に登録し、会社の面接を待ちながら日本語で自己紹介をする練習をしました。2019年4月に面接に合格後、きちんとした日本語の授業を受けましたが、それは3カ月間だけだったので、ほとんど日本語が分からない状態で日本に行きました。送出機関には132,000,000VND(当時のレートで約65万円)を支払い、これ以外に寮費や食費(外食)なども必要でした。 コンクリート関係の仕事 生コンクリートを送り込むトラック(イメージ写真) こうして私は2019年7月に来日し、翌月からコンクリート関係の技能実習を始めました。勤務先は山梨県の会社で、大きなトラックが数台ありました。トラックの荷台には折りたたみ式のアームとホースが付いており、工事現場でこれらを伸ばして、離れた場所や高い場所に生コンクリート(生コン)を流し込みます。ミキサー車で作った生コンをトラックのポンプとホースで建築物に送り込むのです。 私たちの作業(イメージ写真) 私たち技能実習生は生コンを流し込む場所にホースの先を運びました。その後、生コンを床に流し込むときはホースを置いて固定できますが、壁などに流し込む場合は、私たちがホースを肩に担いで2、3時間立ち続けました。太いホースは2人で担ぎ、細いホースは1人で担ぎますが、細いホースでもかなり重く、担ぎ続けるのはきつい仕事でした。 長い移動時間に睡眠禁止 私たちの平均的な1日はこうでした。 4:30 起床 5:00 トラック6、7台で会社(私たちの寮の隣)を出発。現場まで平均1時間~1時間半。 6:00~6:30 現場到着。仕事の準備(平均1時間)。準備が早く終われば休憩。 8:00~17:00 仕事(途中で3回・計90分休憩) 17:00 後片付けなど 18:00 現場を出発 19:00~19:30 帰宅 現場への往復は、トラック1台に3人(日本人1人、ベトナム人2人)が乗り、日本人が運転しました。しかし、私たちが何か話すと日本人が怒り、眠っても怒られるので、私たちは車内でずっと黙って景色を眺めていました。技能実習生はSIMを持っていないので車内では携帯電話も使えず、移動時間はとても退屈で疲れました。 十分にもらえなかった残業代 external link KOKORO|給与、残業代、有給休暇 会社から現場まで片道3、4時間かかることもありました。しかし、往復6~8時間の移動が毎日続いても、手当はまったく増えませんでした。また、それ以外にも次のようなことがありました。 ①毎日忙しく、昼の休憩なしで働き続けることが2日に1回ほどありました。しかし、昼の休憩(1時間)をつぶして働いても残業代は増えませんでした。 ②毎日、準備と後片付けで平均2時間働きましたが、この時間にも残業代が支払われませんでした。 準備以外の正規の作業時間が延びることもありましたが、私たちがもらった残業代(毎月5時間分)はそれすらカバーできない額でした。このため手取り給料は9~10万円しかありませんでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:100,000円 給料 ¥100,000 *税金や社会保険、寮費、光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(15,000円)、電気・ガス・水道(6,000円) 支出:45,000円 食費(主に自炊) ¥30,000 生活雑貨、衣類 ¥10,000 交際費など雑費 ¥5,000 毎月の差額:55,000円 低賃金と暴力・暴言 私はベトナムでこの会社の社長に面接(通訳付き)をしてもらったとき、毎月18万円もらえると聞きました。しかし、来日して先輩に聞くと、手取り18万円もらえたのは1回だけだったそうです。 移動時間が長く、仕事内容は過酷で、残業代も十分に支払われないうえ、一緒に働く日本人の一部(3人)は気に入らないことがあるとすぐに怒鳴りました。私はラチェットレンチという工具で頭をたたかれたことも2回あり、ヘルメットをかぶっていても大変な衝撃でした。私はこのような理不尽な職場に失望し、失踪することにしました。 組合に相談しても改善せず 左:仕事で毎日顔が汚れました。右:疲れて休憩時間に現場で眠る先輩。 技能実習では監理団体(組合)が実習生のケアをします。組合の担当者はベトナム人通訳を伴って毎月2回、会社に来ましたが、私たちとの面談には毎回、会社幹部が立ち会いました。組合によっては、正社員の通訳が実習生の悩みを直接聞くシステムもありますが、この組合の通訳は毎回違う人(アルバイト)で、頼りになりませんでした。私たちは残業代不払いや移動時間に眠れないことなどを改善してほしいと組合に何度かお願いしましたが、何ひとつ改善されませんでした。 失踪中の生活 こうして、私はこの会社で働き始めて13カ月目の2020年9月、現金20万円と小さな荷物を持って会社を去りました。社長に告げ口されると困るので、ほかの実習生2人にも黙って失踪しました。 思い描いていた日本とは違ったので、私は一刻も早くベトナムに帰りたいと思いました。しかし、新型コロナの影響でベトナムへの航空券が手に入らなかったので、チケットが取れるまで友人のミン君(仮名)の家に泊めてもらうことにしました。彼は日本で知り合った友人で、別の会社を失踪し、東京に住んでいました。私は電車を約3時間乗り継いで彼のところに行きました。彼は不法就労をしている様子でしたが、私は早く帰国したいので働きませんでした。しかし、航空券はなかなか買えず、2021年1月に入ると、所持金は約5万円しか残っていませんでした。 「日越ともいき支援会」に助けられ external link KOKORO|日越ともいき支援会 そんなとき、ミン君が「NPO法人日越ともいき支援会」のことを聞いて私に教えてくれました。2021年1月、私は支援会にベトナム語でメッセージを送り、事務所を訪ねました。すると、その日から支援会のシェルターに無料で住めることになり、数十人の元実習生と共同生活を送りました。 私は支援会で約2カ月間、毎日、日本語の授業を受け、自習も何時間もしました。その間、支援会は外国人技能実習機構(OTIT)や以前の組合、入管と連絡を取り、私が日本に残って働くためのさまざまな打ち合わせや手続きをしてくれました。おかげで私は新型コロナに関連する特例の在留資格を取得できました。この在留資格の期間は6カ月でしたが、その後2回更新でき、私は日本で約1年半、アルバイトをすることができました。 漁業やレストランでアルバイト 左:ホタテ貝。右:軽井沢。 ホタテの養殖 日本に残って働けることになった私は、支援会の紹介で北海道のホタテ養殖業者で2021年3月から3カ月間アルバイトをすることになりました。小さなホタテ貝を海から引き上げ、貝がらに穴を開けて糸でつなげるのが主な仕事で、主に陸で働き、ときどき船に乗りました。 レストラン ホタテ養殖の繁忙期が終わり、東京に戻って支援会などに泊めてもらった後、9月から3カ月間、長野県・軽井沢の高級レストランで働きました。野菜を切ったり皿を洗ったりする仕事で、まかない(従業員向けの食事)を1日3食食べられるのが魅力でした。軽井沢は有名なリゾート地なので、休みの日には、別の店で働くベトナム人と一緒に町を散策しました。 ラーメン店 3つめのアルバイトは鹿児島県のラーメン店「田所商店」で、仕込み(野菜やチャーシューを切る)、麺(めん)をゆでる、食材を炒(いた)める、スープを作る、皿洗いなど幅広い仕事を担当しました。全国展開の人気店で、私はこの店で2021年12月の新規オープンから約9カ月間働きました。一緒に働いた日本人は皆さん親切で、来日してから一番働きやすい職場でした。 これからも日本で働く 私は北海道のアルバイトから長野県のアルバイトに移る間、日越ともいき支援会に泊めてもらったほか、JP MIRAI(JICAなど主催)が東京で開いた元技能実習生向け研修会に参加しました。約1カ月半に渡ってJICAの施設に住み、日本語の授業を受けたり、今後のキャリアについて学んだりしました。 日越ともいき支援会のおかげで、私は引き続き日本で働く方法があることを知りました。そして、JFT-Basicで238点を取り、特定技能「外食業」の技能試験にも合格しました。そこで、2022年9月にいったんベトナムに帰国し、特定技能の在留資格を申請中です。特定技能外国人として再び来日したら、これまでと同じラーメン店で働きます。これまでの日本滞在では、来日前に借りたお金を返すのが精一杯だったので、今度こそしっかり貯金したいと思います。

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    今回の先輩 レ・ティ・ラン・アインさん 2017年 5月マイ・トゥック・ロアン高校卒業〈ハティン県〉 2017年 11月日本語センター入所〈ハイフォン県〉 2018年 5月ナムディン日本語日本文化学院入学 2020年 2月訪日→講習 2020年 3月老人ホームで実習開始〈神戸市〉 ...

  • Vol. 02 技能実習の3年間でN1に合格

    2019.9.22毎日新聞・岩崎日出雄 今回の先輩 Nguyen Thi Khuyen(グエン・ティ・クエン)さん 1996年生まれ、フンイエン省出身(ハノイ市郊外)2014年6月 高校卒業2016年2月 長崎県で技能実習2019年5月 ミライエ日本語センター教師Email: nguyenthikhuyen96hy@gmail.com はじめに 私は長崎県の「株式会社 雲仙きのこ本舗」で技能実習生として3年間働きました。ベトナム人女性ばかり約30人の技能実習生が働く職場で、寮生活で実習生の間に強い絆が育ちました。また、職場の日本人も皆、親切でした。「技能実習先は必ずしもよい職場ばかりではない」と聞きますが、私のように職場に恵まれると、楽しく仕事をすることができます。また、上司が私たちに「がんばって日本語を勉強したら、技能実習が終わってベトナムに帰国してからも就職の役に立つ」といつも励ましてくれたこともあって、私は技能実習の3年間に毎年1回ずつ日本語能力試験(JLPT)を受け、5段階中最高ランクの「N1」を取ってから帰国しました。今はハノイで日本語の教師をしています。 ここでは、...

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【在ベトナム日本国大使館後援】

  • VOL. 84 技能実習と特定技能の計4年で370万円貯金

    技能実習生の間で人気のない建設業ですが、建設の中でも内装業では比較的トラブルが少ないとされています。内装会社で技能実習をしたチュンさんや仲間のほとんどが同じ会社で特定技能外国人になりました。職場の様子やチュンさんが日本語を話せるようになった秘訣を紹介します。 今回の先輩 ホアン・クァン・チュンさん 2014年 高校卒業〈クアンビン省〉 2015年韓国系企業の工場で勤務〈ドンナイ省〉 2018年送出機関で日本語を勉強(8カ月間) 2018年訪日→講習→内装の技能実習〈兵庫県〉 2021年 同じ会社で特定技能に移行 〈1996年生、クアンビン省出身〉 ◆このページの内容 •日本に行こうと思った理由 •ベトナムの送出機関 •電車で通勤 •7週間の出張も •同じ会社で技能実習から特定技能に •4年間で実家に450万円送金 •ボランティア日本語教室 •日本に残るかベトナムに帰るか 日本に行こうと思った理由 送出機関の教室で 私は高校を卒業後、半年あまり両親の農業(稲作)を手伝い、その後、高校の同級生が働くドンナイ省のワイヤー工場で2018年まで3年間働きました。しかし、毎日12時間(週6日間)働いても、残業代を含めて毎月約10,000,000 VND(約55,000円)しかもらえませんでした。これでは、どんなにまじめに働いてもほとんど貯金できません。 そんなとき、同年代で仲良しの親せきが日本に技能実習に行ったので、彼が休暇を取って一時帰国したときに技能実習の費用や仕事、給料について教えてもらいました。その話を聞いて、私も日本で働いて両親にお金を送りたいと思い、技能実習生になることにしました。 ベトナムの送出機関 送出機関の先生や仲間たち 私は勤務先のドンナイ省に近いホーチミンの送出機関を選びました。そして、企業面接に合格したので、会社を辞めて送出機関の寮に入り、8カ月間日本語を勉強しました。私がこの送出機関に支払った費用は約160,000,000 VND(手数料、教育費、寮費、ビザ取得費など)です。 ※編集部コメント:この費用は当時のベトナムの送出機関の平均ですが、国が決めた費用よりかなり高いです。 私が合格した会社は建築の内装を行う会社なので、送出機関での授業の半分は日本語で、残り半分は内装の勉強や実習でした。私は毎晩4時間自習して日本語をできるだけ覚えるようにしました。そして、来日後も日本語の勉強を続け、会社に相談したいことは組合(監理団体)に頼らず自分で直接相談するようにしています。その方が自分の意図が確実に伝わるからです。 電車で通勤 私たちの住む地域を走る電車とモノレール 私の会社にはベトナム人が13人(技能実習生8人、特定技能外国人4人、エンジニア1人)います。私は同期・後輩の計4人と一緒に1戸建ての寮に住み、6:00に起きて6:30に家を出ます。寮は大阪府にあり、勤務先は大阪・兵庫・京都などの建築現場です。電車が発達しているので電車やバスで現場に通い、不便な場所に行くときだけ日本人が運転する車で一緒に行きます。7:30までにマンションやホテルなどの建築現場に着き、8:00から18:00まで働きます。私は天井や壁のボードのはり方も学びましたが、最近は、フローリングをはる仕事が中心です。 現場には、さまざまな会社から作業員が集まります。私たちは1つの現場に1~3人で行くことが多いのですが、通常は他社との連絡のために日本人も一緒です。しかし、私は日本語が上達したので、15階建てぐらいまでの規模の現場なら1人で担当することも多くなりました。 7週間の出張も 出張先の鹿児島市の風景 私の会社は兵庫県に本社があり、東京と福岡に支社があります。支社の仕事で人が足りないときは私たちが出張で手伝うのですが、特定技能外国人になってから出張が増えました。例えば、2022年9月23日から11月16日まで鹿児島県(福岡支社の管内)に出張し、新築19階建て高級ホテルの内装(フローリング)を担当しました。 このときは3人で車で現地に行き、大阪から鹿児島まではフェリーに乗りました。フェリーでの移動は12時間かかりましたが、1人部屋の船室を使わせてもらったので、快適でした。鹿児島では、台所や冷蔵庫、洗濯機があるウイークリーマンション(1人1室)に住み、車で運んでもらった自分の炊飯器や鍋でいつも通り自炊しました。 同じ会社で技能実習から特定技能に フローリングはり付け工事の様子 私たちの会社は忙しいので、週に1度しか休めません。しかし、残業代や休日出勤手当はきちんと支払われますし、お盆や正月などには連休もあり、用事があるときは有給休暇も取れます。また、一緒に仕事をしている日本人の皆さんは親切ですし、新年会やバーベキュー・パーティーなど会社主催の楽しい食事会もあります。社長もやさしい人で、先輩は社長に相談してベトナムに約6週間、一時帰国することができました。 このように働きやすい職場なので、3年間の技能実習が終った後、帰国する仲間以外は皆、他社に移らずこの会社で特定技能外国人になっています。特定技能なってからは、毎月の手取り給料が約3万円増え、ボーナス(20万円以上)も年に1度もらえるようになりました。 4年間で実家に450万円送金 「自分へのごほうび」として買ったiPhone 私は技能実習の3年間で約300万円を実家に送りました。そして、特定技能外国人になってからは、基本給も上がり出張手当も多かったので、1年間で約150万円を送ることができました。弟もシンガポールの中華料理店で働いて実家にお金を送っているので、両親は約2年前、私と弟のお金で自宅を建て替えました。そのときに銀行からもお金を借りましたが、それももうすぐ完済できそうです。 私は忙しいのであまり旅行もしませんし、欲しいものもほとんどありません。日本で買った主な物と言えば、約25,000円の腕時計と日本語能力試験(JLPT)・N3に合格したときに「自分へのごほうび」として買った約70,000円のiPhoneぐらいです。 私の家計簿(1カ月の平均) ※特定技能外国人になってからの家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:190,000円 給料 ¥190,000 *税金や社会保険、寮費、光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(25,000円)、光熱費(4,000~5,000円)、Wi-Fiと携帯電話の通話料金の一部(2,500円)は給料から天引き 支出:50,000円 食費(主に自炊) ¥30,000 生活雑貨、衣類 ¥10,000 雑費 ¥10,000 毎月の差額:140,000円 ボランティア日本語教室 external link KOKORO:ボランティア日本語教室 私たちのような現場仕事では、一緒に働く日本人と最低限のコミュニケーションをとれないと仕事に支障があります。これは技能実習をめぐるトラブルの大きな要因にもなっています。私は来日して8カ月でJLPT・N3に合格し、同期や後輩のベトナム人も勉強して必要最低限の日本語会話ができるようになりました。仕事の休憩時間などに日本人とよく雑談をするので、そのことも日本語力向上につながっています。 私は来日してからも毎晩1、2時間、日本語の勉強を続けています。また、地元の国際交流協会が主催するボランティア日本語教室(無料)にも3年間通いました。この教室では、先生が参加者の外国人に日本語を2時間教えてくれるのですが、マンツーマンのときも多く、毎週1回通うだけで大きな効果がありました。最近も、後輩の実習生に教室を紹介するために一緒に行きました。 日本に残るかベトナムに帰るか ベトナム人仲間に誘われてボランティアのゴミ拾いに参加〈大阪市で2022年〉 私は自習と日本語教室と職場での会話によって日本語をかなり話せるようになり、今はJLPT・N2を目指して勉強しています。しかし、日本語教師や通訳を目指しているわけではありません。技能実習や特定技能で内装に関する知識・技術を身につけたので、将来もこの業界で生計を立てていきたいと希望しています。 しかし、将来、日本に残るかベトナムに帰るかについては悩んでいます。私は来日前、ベトナムの工場で毎日12時間・週6日間働いても給料が10,000,000 VNDしかなく、「ベトナムでまじめに働いても一生貯金はできない」と思って日本に来ました。しかし、ここ数年でベトナムでの給料も上がり、その工場に残った友人の給料は当時の1.7倍になりました。ベトナムでも高層マンションは増えており、フローリングの需要も拡大していく可能性があります。将来の結婚や家族生活、ベトナムでの今後の所得増加を考えると、特定技能が終わったら帰国するという選択肢もあると思っています。

    2023年02月20日

  • Vol. 82 日本語マスターのために技能実習

    「日本人と交流して日本語を学ぶ」という目的で技能実習生として日本に行くことを決めたヴァンさん。日本では「ボランティア日本語教室」を活用。職場で見つけた日本人の友だちともたくさん交流し、日本での3年間でJLPT・N2に合格しました。 今回の先輩 ホ・ティ・テュイ・ヴァン さん 2009年  高校卒業 〈ホーチミン〉 2012年  ホーチミン市工業大学附属高等専門学校卒業 2012年  日研精密工業入社〈ホーチミン〉 2015年  技能実習生として来日〈大阪府〉 2018年   ベトナムに帰国 2019年 日系企業の営業部勤務〈現在も〉 〈1991年生まれ、ハティン省出身〉 ◆このページの内容 •日本に行くことを決めた理由 •低費用で良質の送出機関 •ボランティア日本語教室 •日本人との交流 •大学の食堂で勉強 •私の家計簿 •親切な監理団体(組合) •日本人の親切さ •帰国後は日系企業に勤務 日本に行くことを決めた理由 ホーチミンの会社の同僚たちと 私は高等専門学校(経理専攻)を卒業後、日本の部品メーカーのホーチミン事務所で経理として働きました。日本人2人、ベトナム人4人の職場でしたが、私以外のベトナム人3人は日本語を話せたので、仕事を進めるうえで、自分だけが同僚に通訳・翻訳を依頼しなければなりませんでした。 それが悔しくて、ホーチミンの有名な日本語学校(月~金、毎日2時間)に5カ月間通いましたが、思うように日本語が身につかず、もっと徹底して日本語や日本文化を勉強したいと思うようになりました。そんなときに技能実習制度を知りました。私は「留学に行くほどの資金はないが、技能実習の3年間で日本語を身につける人も多いので、自分も挑戦してみよう」と考えて技能実習に応募しました。 低費用で良質の送出機関 CICSで日本語の先生や同級生たちと(前列右が私) 送出機関はホーチミンのCICSを選びました。友だちの友だちがそこで勉強していたからですが、評判を調べた結果、日本語教育レベルの高い会社だったので、そこに決めました。CICSには日本人の先生もいましたCICSでの日本語の授業は毎日約8時間で、授業後に自習も約2時間しました。こうした準備を約半年間重ねた後、大阪の工場で働くために訪日しました。 ところで、CICSはベトナム政府が決めた手数料を守っている数少ない送出機関の一つだったので、私は自分が働いて貯めたお金だけでCICSへの支払いをまかなうことができました。 ボランティア日本語教室 日本語教室の廊下で生徒仲間の外国人たちと 私は日本で約2年半、「ボランティア日本語教室」に通いました。私が勤務していたのは大阪府茨木市で、教室は隣の吹田市にありました。吹田市国際交流協会が主催する教室で、授業は週に2回、毎月の月謝は約500円でした。授業内容は、水曜が年配の男性とマンツーマンで会話、土曜はその先生の奥さんやほかの先生と4、5人の生徒で会話をしました。 来日前に送出機関の先輩から「ボランティア日本語教室」を勧められていましたが、探し方がわからないので、職場で仲良くなった同じ年齢の日本人女性に探してもらいました。17時に仕事が終わり、自転車で駅まで行って約30分間電車に乗って教室に行き、18時から授業を受けました。仕事で疲れているので、眠り込んで電車を乗り過ごしてしまうこともときどきありました。 external link KOKORO:ボランティア日本語教室の探し方 日本人との交流 日本語教室の先生から頂いた本 ボランティア日本語教室の良さは日本語を勉強できることだけではありません。一生懸命に勉強を続けていると、先生方と仲良くなり、個人的な交流も生まれます。 先生方は私のことを親しみを込めて「ヴァンちゃん」と呼んでくれるようになり、私も先生方を「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになりました。 「お父さん」「お母さん」は日本での生活に関するさまざまなことを教えてくださいました。また、自分で栽培したトマトやキュウリを私に持ち帰らせてくれることもありました。お正月には2人の自宅にも招いていただきました。私は帰国してからもときどき、2人にLINEで近況報告をしています。 また、職場でも、私と同じ年齢の日本人女性と友だちになれました。 別の部署の女性でしたが、会社で会うといつも笑いかけてくれるので、私から話しかけて仲良くなりました。彼女とは、仕事後に一緒に外食をしたり、彼女の家で一緒にご飯を作って食べたりしました。最後の1年は同じ部署になり、一緒に働くことができて、とても楽しかったです。 また、数年年上の女性も、私が休憩時間に自動販売機の前でドリンクを飲んでいると、話しかけてくれました。私は「話す機会を増やすことが外国語の上達に必要」と考えていたので、まだ日本語がつたなかったときからその人にも積極的に話しかけ、たまに一緒に外食するようになりました。 大学の食堂で勉強 私が夕食と勉強に使った大学の食堂 日本語教室や職場で日本人と会話をする機会を得ましたが、ボキャブラリーを増やすには通常の勉強も欠かせません。私は毎晩、平日の仕事後に日本語を勉強しました。勉強の場所は寮から自転車で約30分のところにある大学の食堂でした。日本では、小さな大学の場合は、部外者が敷地に入れない場合も多いですが、伝統的な大学や大きな大学なら、多くの場合、キャンパスや施設の一部(食堂など)を一般の人にも開放しています。 私が通ったのは有名私立大学の食堂で、日本語教室の「お父さん」がこの食堂のことを教えてくれました。私は仕事後、自転車で食堂に通い、ご飯を注文するほか、自分で日本語の問題集を解いたり、学生同士が話しているのを近くで聞いたりして日本語を勉強しました。こうして、私は訪日した翌年に日本語能力試験(JLPT)N3に合格し、3年目にN2に合格しました。ベトナムに帰国後はN1に合格するための勉強を続けています。 私の家計簿(1カ月の平均) ※技能実習生時代の家計簿 ※100円=約17,328 VND(2023年1月14日現在) 収入:108,000円 給料 ¥108,000 *税金や社会保険、寮費などを引いた手取り給料 支出: 58,000円 外食(大学の食堂) ¥10,000 外食(職場の日本人やほかの友人) ¥10,000 食材・生活雑貨 ¥20,000 その他(服、化粧品、旅行など) ¥18,000 毎月の差額:50,000円 親切な監理団体(組合) 組合の人たちや他社の技能実習生と交流会 私の技能実習の監理団体(組合)は大阪市にある西日本技能センターでした。この組合は私たちの日本語学習をサポートしてくれたほか、他社の技能実習生と交流できるイベントを開いてくれたり、困ったときに親身に相談に乗ってくれたりしました。 日本語学習については、組合は私たちのレベルに応じて教材を選び、提供してくれました。そして、クリスマスやお正月などにいくつかの会社の実習生を集めてパーティーを開き、夏には海水浴場に連れて行きバーベキューを食べさせてくれました(ここ数年は新型コロナで休会中のようです)。 【編集部からのアドバイス】 技能実習では、送出機関、監理団体(組合)、受入会社のすべてが適切な対応をすることが大切ですが、そのような組み合わせは決して多くはありません。 そこで、最初に送出機関にアプローチするのではなく、まず評判の良い組合に連絡して良い送出機関を紹介してもらうという方法もあります。その場合、良い送出機関と良い組合に面倒をみてもらえる可能性が高くなります。 この体験談の筆者が使った監理団体は 「協同組合 西日本技能センター」です。 https://www.facebook.com/japanskill/ ※ベトナム語で問い合わせができます。 日本人の親切さ 電車を間違って降りた駅の周辺 ところで、私は日本で3年間暮らし、日本文化が大好きになりました。特に心ひかれたのは日本人の親切心です。例えば、私が訪日してまだ1カ月ぐらいのころ、電車を間違った駅で降り、携帯電話も持っていないので地図アプリも使えず、道に迷ってしまいました。そこで、たまたま見つけた交番に入って片言の日本語で警察官に相談すると、間違った駅で降りたことを教えてくれ、その駅まで連れて行ってくれました。その後、電車に乗り直して正しい駅で降り、無事に目的地にたどり着くことができました。 また、日本の電車の駅の周辺では、許可された場所以外に自転車を置くと、行政が自転車をトラックで運び去り、保管場に保管します。そこに自転車を取りに行って有料で返してもらうシステムです。私は訪日して間もないころ、それを知らず、駅前に自転車を置いて撤去されました。盗まれたと思って交番に行き、相談すると、撤去のシステムや保管場への行き方などについて親切に教えてくれました。 帰国後は日系企業に勤務 私の技能実習先はゴム製品を作る工場で、私は製品検査や材料の裁断、社内文書の管理などを担当しました。3年間の技能実習を終えて帰国後、5カ月間は同社の系列会社で働きましたが、日本語を使って営業やマーケティングを担当してみたいと思い、求人サイトで今の職場を探しました。 今の勤務先は日系の部品製造会社で、私は営業担当としてお客様の会社を訪問したり、見積もりを作成したりしています。やりがいのある仕事で、技能実習で身につけた日本語力や仕事に関する考え方が今の仕事に役立っています。

    2023年02月02日

  • Vol. 79 JLPTの会場で出会って結婚

    帰国後に日系企業で良いポジションで働きたいと思い、技能実習中に日本語学習をがんばったオアインさん。3年間で日常会話ができるようになり、技能実習を2年間延長してもらえることに。さらにN1を目指して努力していると、JLPTの会場で運命の相手と出会いました。 今回の先輩 グエン・テュ・オアイン さん 2008年 衣料技術の専門学校卒業〈ホーチミン〉 2009年 Trường Cao Đẳng Công Thương TP.HCM(短大)入学〈ホーチミン〉 2011年 短大卒業 2012年 日系企業で勤務〈ホーチミン〉 2014年 技能実習〈秋田県〉 2017年 ベトナムに帰国。ホーチミンの会社で翻訳業務 2019年  2度目の技能実習〈秋田県〉 2021年 日本でベトナム人と結婚〈秋田県〉 〈1987年生まれ、ビンフック省出身〉 ◆このページの内容 • お金を稼ぎながら日本語を勉強 • ホーチミンの送出機関 • 3年間の技能実習で300万円送金 • 実習生たちに親切な社長 • 将来のために日本語を勉強 • 新制度で技能実習を再開 • ベトナム人コミュニティ • JLPTの会場で運命の出会い • できるだけ長く日本で お金を稼ぎながら日本語を勉強 ホーチミンの工場の前で同僚たちと(女性の日) 私は短大を卒業後、ホーチミンの日系企業で2年近く働きました。この会社は日本に輸出するためのバーバリーのコートやジャケット、ワンピースなどを製造する会社で、私の仕事は製品を検品し箱詰めすることでした。 私は事務職に移りたかったので、自分で「みんなの日本語」を勉強しましたが、なかなか日本語を話せるようにはなりませんでした。そんな私を見てトナム人の上司が「技能実習という制度で日本に行けば お金を稼げるし日本語も勉強できる」と教えてくれたので 私は日本に行くことにしました。実家が貧しかったので、両親にお金を送ってあげたいという気持ちもありました。 ホーチミンの送出機関 送出機関の教室で 技能実習生になるために入る送出機関は、私の上司の信頼する人が社長を務める会社を紹介してもらいました。ここでの日本語の勉強は毎日の授業が約7時間、夜の自習が3時間でした。送出機関で勉強したのは3カ月間だけで、準備期間としては短かったのですが、それ以前に自分で勉強していたので、少しだけ日本語を話せる状態で来日しました。 私が技能実習をすることになったのは秋田県の縫製会社でした。ベトナムで経験のある縫製の仕事に応募し、10人の受験者の中から3人の合格者の1人に選ばれました。送出機関に支払った費用は全部で4000 USDで、半分は自分の貯金をあて、残りは姉から借りました。 3年間の技能実習で300万円送金 私は2014年から3年間、技能実習生として働きました。技能実習生が約10人、日本人が約20人いる工場で、私たちは作業服をミシンで縫い、残業時間には検品をしました。実習生は、最初は中国人6人と ベトナム人3人でしたが、3年目はベトナム人だけになりました。 この会社でいただいた給料は訪日前に聞いていた内容と同じでした。適度に休日出勤や残業があり、手当はきちんと支払われました。また、秋田県は生活費も安いので、私は3年間で両親に約300万円を送ることができました。また、その後もう一度来日して2年半で約250万円を追加で送ったので、両親はこれらのお金でホーチミン市内に家を買うことができました。 実習生たちに親切な社長 社長が連れて行ってくれたパークゴルフ場にて 私はこの会社で働けて本当によかったです。社員は皆やさしいですし、社長も私たちにとても親切だったからです。例えば、社長は自分で会社のマイクロバスを運転して私たちをよく観光に連れて行ってくれました。桜の花見やイチゴ狩り、サクランボ狩りに連れて行ってくれたほか、従業員全員で宴会(12月の忘年会など)を開き、私たち実習生も呼んでくれました。 また、私たちの寮の近くに小さなスーパーがあり、普段はそこで食料品を買いますが、毎月1回、社長がマイクロバスで私たちを遠くの大きなスーパーに連れて行ってくれました。そこでは化粧品や服、特価の食品などを買い、みんなでランチを食べました。 <!--

    2022年12月27日

  • VOL. 76 農業の技能実習3年で貯金400万円

    イチゴ農園で3年間技能実習をしたトイさんは毎日一人で勉強し、来日1年でN3に合格しました。また、残業の多い職場だったので、3年間で約300万円(約530,000,000 VND)を実家に送り、それ以外に自分の貯金も約100万円を貯めることができました。トイさんの日本での仕事、勉強、生活について紹介します。 今回の先輩 ブイ・ゴック・トイ さん 2016年高校卒業〈ドンタップ省〉 2016年バイク修理工場で勤務〈ホーチミン〉 2018年送出機関で勉強〈ホーチミン〉 2018年訪日→講習→イチゴ農園で技能実習〈茨城〉 2021年技能実習修了、ラーメン店勤務〈茨城〉 2022年帰国予定 〈1998年生まれ、ドンタップ省出身〉 ◆このページの内容 • 幼なじみの勧めで日本へ • イチゴ農園での仕事 • 3年間で貯めたお金 • 毎日2、3時間の勉強 • 技能実習修了後に転職 • 住みやすい茨城県 • 特定技能の試験勉強のこつ • 自分で国民年金に加入 • 将来のこと 幼なじみの勧めで日本へ ベトナムで幼なじみたちと旅行(来日1年前) 私は2016年に高校を卒業しました。大学受験に合格しましたが、親に負担をかけたくなかったので、大学に入学せず、ホーチミンのバイク修理工場で1年半働きました。その後、故郷に戻って仕事を探しているときに、幼なじみから日本での技能実習を勧められました。 彼女は先に送出機関に登録しており、私も同じ送出機関に登録して日本語の勉強を始めました。私はそれから3カ月後の2018年12月に来日し、翌月から茨城県鉾田(ほこた)市のイチゴ農家で技能実習を始めました。 ベトナムでは、高卒では安い給料しかもらえませんが、日本で技能実習をすれば、高い給料がもらえて日本語も勉強できると思い、日本に行くことにしたのです。 イチゴ農園での仕事 私が働いたイチゴ農園 技能実習では、ビニルハウスでイチゴを栽培しました。従業員は日本人5人、ベトナム人技能実習生5人、フィリピン人1人です。社長の自宅の別棟(平屋)が私たちの寮で、1室に3人で住みました。 この農園では、ビニルハウスが66棟ありました。イチゴの収穫シーズンは仕事が忙しく、休日は月4回だけです。ただし、社長は私たちが仕事の合間にハウスのイチゴを食べることを許可してくれました。私たちは、少しずつですが、毎日イチゴを摘んで食べました。 ・収穫シーズン(11月~5月)の仕事:収穫・選別(ランク分け)・箱詰めなど ・6月~10月の仕事 :イチゴの苗の栽培(水やり、病気チェック)。ビニルハウス内の掃除や栽培設備の入れ替え。 3年間で貯めたお金 日本での手取り給料(税金や社会保険、寮費などを引いた額)は平均約16万円でした。 私は2019年1月から3年間で約300万円をベトナムの両親に送ることができました。また、それとは別に自分の貯金も約100万円貯めることができました。 A:ベトナムで送出機関に払ったお金(飛行機代も含む全費用)=約750,000円 B:日本で3年間で貯めたお金=約4,000,000円 C:B-A(差額)=約3,250,000円(約573,000,000 VND) 両親は私が送ったお金を自分たちの貯金で、自宅を壊して新しい家に建て替えました。 ◇私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=17,625 VND(2022年8月1日現在) 収入: ¥160,000 手取り給与 ¥160,000 *税金、社会保険、寮費・光熱費を引いたあとの金額 *寮費は7,000円 *水道・電気・ガス代・Wi-Fiは4,500円 支出: ¥40,000 食材など ¥25,000 雑費(衣類・交通費など) ¥10,000 外食 ¥5,000 差額: ¥120,000 *¥100,000を実家に送金、¥20,000を日本で貯金 毎日2、3時間の勉強 技能実習修了後も日本語の勉強を続けています 私は来日して1年後の2019年12月に日本語能力試験(JLPT)のN3に合格しました。来日前に送出機関で3カ月間だけ勉強しましたが、来日して最初のころは、社長の指示が全然分かりませんでした。私は 「このまま日本語がわからないままベトナムに帰りたくない」と思い、毎晩、自分で2、3時間勉強しました。 教材は主に「新完全マスター」シリーズを使いました。 夜間や休日、同僚たちは寝室でゲームをしていることが多いので、私は台所で1人で勉強しました。本当は、週末にボランティア日本語教室に通いたかったのですが、週末にも仕事が入ることが多いのであきらめ、独力で勉強を続けました。そして、職場でなるべく日本人と話すようにしました。こうして、来日2年目から、社長と他の実習生たちとの間の通訳を頼まれるようになりました。 技能実習修了後に転職 ラーメン店の従業員仲間で飲み会 私は3年間の技能実習を終えた2021年12月、水戸市内のラーメン店で働き始めました。 私は技能実習の3年目に「外食」の技能試験に合格していたので、外食業の特定技能外国人になる資格がありました。 ただし、特定技能の在留資格を取得する手続きに時間がかかるため、まず、一時的な在留資格(特定活動)でアルバイトとして働き始めました。 イチゴ農園は働きやすい職場で、社長のことも好きでしたが、「雨が降った日が休日」という勤務だったので、外出予定が立てられませんでした。私は日本が好きで日本語ももっと学びたいので日本に残ろうと思いましたが、天気に左右されない生活がいいので、農業とは違う職種を選びました。 住みやすい茨城県 タンさんのベトナム料理店123 Dzôで食事 技能実習を終えて別の職場に転職する場合、勤務地は東京や大阪などが人気ですが、私は次のような理由で茨城に残ることにしました。 ・東京は人が多すぎる。落ち着いた地域に住みたい。 ・茨城は物価が安い。特に住宅費が東京よりかなり安い また、茨城でタンさんというベトナム人と親しくなったのも、茨城に残った理由です。私は技能実習生のときに毎月、電車で水戸に出かけて、タンさんが経営する店でベトナム料理を食べ、食材を買って帰りました。タンさんは私の技能試験の準備勉強をサポートし、知人のラーメン店のオーナーに私の採用も頼んでくださいました。 特定技能の試験勉強のこつ 技能試験の受験者向けのFacebookグループ 技能実習を終えて同じ職場で特定技能をする場合、特に準備は要りません。同じ職種で他の職場に移る場合も、監理団体(組合)などの協力は必要ですが、試験はありません。しかし、他の職種に移る場合は、その職種の技能測定試験(技能試験)に合格しなければなりません。 私は「外食」と「介護」の技能試験にいずれも1回で合格しました。飲食は1カ月、介護は2週間勉強しました。そのときの勉強の工夫をお伝えします。 ・外食業の技能試験の学習テキスト(ベトナム語版もあり)や試験日の情報は こちらに載っています。 ・ベトナム語の資料を2回以上読んでよく理解してから日本語の資料を読むようにしました。 ・技能試験を受験するベトナム人向けの Facebookグループに参加して資料や情報を集めました。 自分で国民年金に加入 国民年金に関係する書類 ところで、日本に住む20歳以上の人は外国人でも年金に加入する義務があります。「厚生年金保険」は会社などが加入と保険料納付の手続きを行い、「国民年金」は自分で加入し自分で保険料を納めます。国民年金の2022年度の保険料は毎月16,590円です。 しかし、私たちの社長は私たちを厚生年金に加入させていませんでした。技能実習3年目にこのことが分かり、無料相談会で弁護士に相談したところ、「自分で国民年金に加入して3年分の保険料を払わないと、特定技能の在留資格を取得できない可能性がある」と言われました。そこで、私は3年分をまとめて国に納めました。このようなことは小さな会社ではたまにあるそうです。皆さんも気を付けてください。 将来のこと 私はできるだけ長く日本で働きたいと思い、ラーメン店で楽しく働いていましたが、ベトナムで一人暮らしをしている母を放っておけず、2022年8月に帰国することにしました。7月にそのことを社長と店長に話すと、残念がってくれました。お店にはとてもお世話になったので、申し訳ない気持ちです。 帰国したら、2023年から地元のビジネスの専門学校に行こうと思います 。技能実習の3年間で親に約300万円を送りましたが、その3年間とラーメン店での7カ月間で自分のお金も約200万円貯めたので、そのお金で大学に行くことができます。また、せっかく日本語を覚えたので、帰国後も勉強を続けようと思います。将来は、日本に戻るかベトナムで日系企業に就職するのが目標です。

    2022年08月11日

  • Vol. 75 良心的な送出機関と組合で技能実習

    工場で技能実習をしているジャンさんはベトナムで費用の安い送出機関を利用し、大きな借金をせずに来日することができました。日本の組合もジャンさんの仕事や生活をしっかりサポートしてくれます。日本でのジャンさんの生活や組合のサポートについて紹介します。 今回の先輩 グェン・フォン・ジャンさん 2018年高校卒業〈ランソン省〉 2018年カフェの店員〈ランソン省〉 2020年送出機関登録(9カ月間勉強) 2021年訪日→研修→工場で技能実習〈愛知県〉 〈2000年生まれ、ランソン省出身〉 このページの内容 •費用の安い送出機関を利用 •仕事の内容と給料 •日本語での交流 •組合のフォロー •毎日4時間、日本語を勉強 •ベトナム人仲間 •将来は留学して正社員に 費用の安い送出機関を利用 JVNETの日本語センターで 私の両親は麦や野菜などを栽培する農家で、年収は2人合わせて約50,000,000 VNDしかありません。私は日本で働いて両親をサポートしようと思い、技能実習生になることにしました。 送出機関はハノイのJVNETを使いました。ここに支払った費用は約110,000,000 VNDで、他の多くの送出機関より安いです。 私はJVNETで日本語を9カ月間勉強し、2021年1月に来日しました。 〈KOKORO編集部コメント〉この費用は、日本の監理団体(組合)「JOE協同組合」がJVNETと約束した金額です。JOEにベトナム語で相談すると、提携している送出機関を紹介してもらえます。 ・JOE協同組合:joe_info@joe-c.jp 仕事の内容と給料 ブラジル人の先輩たちと休日に外食 私はバネなどを作る工場(愛知県)で技能実習をしています。自動車の部品に用いる樹脂製品を製造するラインで働いており、製造した製品を目で検査する担当をしています。立ちっぱなしの仕事なので、慣れるまでは大変でした。 ・私のラインの検査担当は10人(ブラジル人8人、ベトナム人2人)。1回のシフトで5人が勤務。 ・日勤(8:30~17:25)と夜勤(21:00~6:00)があり、夜勤は月10回。 ・寮から会社までは約3 kmで、自転車通勤。雨の日はレインコートを着て自転車を運転。 ・毎月の手取り給料は約15万円。残業が少ない月はそれより3、4万円少ない。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=約16,930 VND(2022年7月17日現在) 収入:¥150,000 手取り給与 ¥150,000 *税金、社会保険、寮費を引いたあとの金額 支出: ¥60,000 水道・電気・ガス・Wi-Fi ¥15,000 食材費 ¥35,000 外食費・雑費 ¥10,000 差額: ¥90,000 *約半分を実家に送金 日本語での交流 林さんと休日にマクドナルドへ 仕事の休憩のときには、ブラジル人の先輩たちと日本語でおしゃべりをします。彼女たちは日本に長く住んでおり、日本語がとても上手です。休みの日に一緒にご飯を食べに行くこともあります。 また、以前は、日本人の林さんという若い女性とよく話をしました。林さんは仕事も日本語もとても親切に教えてくれました。彼女は今は別の会社で働いていますが、今もインスタグラムで連絡を取り合っており、休みの日にときどき会います。 組合のフォロー 私がリサイクルショップで安く買った机といす 私の技能実習の組合(監理団体)はJOE協同組合で、担当の日本人が通訳(ベトナム人)と一緒に月に1度会いに来て、仕事や生活で困ったことがないか聞いてくれます。 ・遠くに遊びに行くときの電車・バスの乗り方などを教えてもらいました。 ・ニキビの治療のことで通訳に相談すると、車でクリニックに連れて行って通訳もしてくれました。 ・勉強するための机といすがほしいと通訳に相談すると、車でリサイクルショップに連れて行き、買った商品を寮まで運んでくれました。 毎日4時間、日本語を勉強 この寮で毎日4時間勉強しています。 私は来日前に9カ月間、日本語を勉強しました。来日後も将来のために勉強を続け、平日は自宅で3、4時間、休日は8時間勉強しています。来日して半年後の日本語能力試験(JLPT)でN3に合格し、今はN2を目指して努力しています。 職場の日本人と話しても、最初は相手の言うことをほとんど聞き取れませんでした。そこで、毎日何回も日本人のYouTube動画(料理番組)を聞いたり、フレーズをまねたりしています。このやり方が私に一番合っています。また、日本語で分からないことがあれば、林さんに聞いています。 ベトナム人仲間 寮の部屋で食事会 私は寮に先輩と2人で住んでいます。毎週1回、自転車でスーパーに買い物に行きます。月に1回、先輩と一緒に自転車で約40分かけてベトナム食材店にも行きます。 職場にはJOEのベトナム人はまだ少なく、ほかの組合のベトナム人もたくさんいますが、みんな仲良くしています。5月の連休や8月のお盆休み(7連休)には、職場のベトナム人仲間と自転車で焼肉を食べに行ったり、寮の部屋で食事会をしたりして楽しんでいます。スーパーやベトナム食材店で出会ったベトナム人とも友だちになり、食事会に招くこともあります。 将来は留学して正社員に 私は来日前に送出機関に支払ったお金も比較的少なく、日本では組合が仕事や生活をしっかりフォローしてくれるので、安心した気持ちで働き、勉強しています。 お陰で、私はこのように日本でさまざまな先輩や仲間と交流し、充実した生活を送っています。将来は、技能実習で貯めたお金で日本に戻って留学し、大学を卒業して正社員として日本で働くのが目標です。

    2022年07月21日

  • Vol. 73 技能実習から特定技能へ(工場)

    プラスチック部品を作る工場で技能実習を5年間続けたあと、同じ会社で特定技能外国人になったフーンさん。従業員約90人のうち約3分の1がベトナム人という職場です。フーンさんはベトナム人とも日本人とも仲良く働いており、将来は永住権を取ることも考えています。 今回の先輩 グェン・ティ・ジェム・フーンさん 2009年 高校卒業〈ヴィンロン省〉 2012年 ヴィンロン経済金融大学卒業 2012年 スーパーマーケット勤務 2013年 送出機関で勉強〈ホーチミン〉 2014年 訪日→研修→工場で技能実習〈愛知県〉 2017年 技能実習修了、帰国 2017年 ベトナムの人材会社に勤務 2018年 技能実習生再開(3号)〈愛知県〉 2021年 同じ会社で特定技能に移行 〈1991年生まれ、ヴィンロン省出身〉 〈このページの内容〉 • ベトナム人の多い職場 • 日本に来る前のこと • 送出機関に払ったお金 • 5年間で両親に送ったお金 • 技能実習から特定技能へ • 職場の日本人との交流 • 仲間たちと楽しく生活 • 将来の希望 • 社長インタビュー ベトナム人の多い職場 私は愛知県小牧市の「三扇化学(さんせん・かがく)」で働く特定技能外国人です。さまざまなプラスチック製部品を作る工場で、機械から出てきた製品をニッパーで軸から切り離したり検品したりするのが私の仕事です。 ・仕事は朝8時から ・自宅から自転車で通勤 ・従業員約90人のうち32人がベトナム人(特定技能7人、技能実習25人) 私たちの製品は米国やヨーロッパでも使われています。製品は車両部品(ハンドルの部品、ハザードランプのボタンなど)▽プリンターの部品▽洗面台やトイレの部品――などです。 日本に来る前のこと 姉の支援で経済金融大学を卒業〈2012年〉 私の両親はミカンなどを作る農家で、2人で計約100,000,000 VNDの年収しかありません。このため、4つ年上の姉が日本で技能実習をしてお金を貯め、私はそのお金で経済金融大学に行かせてもらいました。 私は大学を出て地元のスーパーで3カ月間働きましたが、月給が4,000,000 VNDしかありませんでした。そこで、姉のように日本で働いて家族を助けたいと思い、自分も技能実習生になることにしました。 先進国である日本に住み、日本の仕事や文化を学びたいという気持ちもありました。 送出機関に払ったお金 送出機関にて〈2014年〉 私は技能実習生になるためにホーチミンの送出機関に登録しました。 ・ヴィンロン省の就職センターで3つの送出機関を紹介されました。 ・その3つをネット調べ、規模が大きく費用が安い送出機関を選びました。 ・送出機関に支払った費用は全部で2,700 USDです。ここに手数料や授業料、ビザ取得費などが含まれていました。 ・飛行機代は三扇化学が払ってくれました。 ・日本語センターで8カ月勉強しました。 この費用や条件は、私たちの監理団体(組合)である愛知商工連盟協同組合(愛商連)が送出機関に約束させた金額です。愛商連から送出機関を紹介してもらうと、むだなお金を使わずに日本に行けます。 愛知商工連盟協同組合(ベトナム語のFacebookページ) 5年間で両親に送ったお金 日本での給料は残業時間によって毎月変わりましたが、技能実習3年目の手取り給料(税金や社会保険を引いた額)は月120,000円~170,000円でした。 ※100,000円=約17,210,000 VND(2022年6月18日現在) 技能実習の計5年でベトナムの両親に送ったお金は約480万円です。今は円安ですが、これを当時のレートでベトナムドンに換算すると、約1,000,000,000 VNDになりました。このお金で果樹園を買ったり、家を建て直したりしました。残りは老後の資金として置いています。 ・約200,000,000 VND+両親のお金→果樹園を拡大 ・約400,000,000 VND→実家の建て替え 技能実習から特定技能へ 日本に戻った私を歓迎してくれた三扇化学の同僚たち〈2018年〉 私は2017年に帰国し、ホーチミンの送出機関で数カ月働きました。そんなとき、三扇化学からLINEで 「また三扇で働きたいですか?」と連絡があり、私は3号技能実習生として日本に戻ることにしました。 3号とは技能実習の4~5年目のことで、職種によっては2号まで(3年だけ)しかありません。私の技能実習の職種も最初は2号までしかありませんでしたが、そのときの制度改正によって3号もできることになったので、また会社から呼んでもらえたのです。 私は三扇化学が好きですし、ホーチミンのような騒がしい場所よりも小牧市のような落ち着いた町の方が住みやすいです。また、日本は町も空気もきれいです。私は喜んで日本に戻ることにしました。 職場の日本人との交流 左:横山さん(中央)たちと梨園へ、右:社員旅行で琵琶湖へ 一緒に働く日本人の方々ともよく話をします。休日に日本人の先輩や同僚と一緒に遊びに行くこともあります。年2、3回、横山さん(女性)と後藤さん(男性)がベトナム人技能実習生を車で観光地に連れて行ってくれます。2人が車2台で私たちを迎えに来て、全部で10人ぐらいで遊びに行きます。例えば、ブドウ園に行ってブドウを摘んで一緒に食べたりしました。 このほか、会社が主催する食事会や会社が費用を負担する社員旅行もあります。旅行は日帰りのバス旅行で、これまでに琵琶湖(滋賀県)や京都などに行きました。 仲間たちと楽しく生活 会社の仲間はみな仲良しで、休日は一緒に楽しく過ごしています。 買い物 ・近くにスーパーがたくさんあります。 ・特によく行くのはディスカウント・ストアの「ドンキホーテ」 ベトナム食材店 ・ここ数年、ベトナムの食材を売る店がどんどん増えています。私たちの寮の近くにもあります。 食事会 ・同僚ベトナム人の誕生日会や歓送迎会、送別会を寮の部屋でやることが多いです。台所にビニルシートを敷いて20人ぐらいで食事会をします。 寮(アパート) ・寝室が3つあるアパートに技能実習生4人で住んでいます。 お出かけ 会社の仲間と月に1、2回、電車で遊びに行きます。 ・花のきれいな観光地 ・イルミネーションのきれいな観光地 ・名古屋の市街地 ・ベトナム料理店 ・焼肉店や回転寿司(安い寿司店) 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=約17,210 VND(2022年6月18日現在) 収入: ¥110,000~¥160,000 手取り給与 ¥110,000~¥160,000 *税金、社会保険、寮費を引いたあとの金額 *このうち寮費は27,000円(水道・電気・ガス代を含む) 支出: ¥61,500 Wi-Fi(1人分) ¥1,500 食材費 ¥30,000 外食費・雑費 ¥30,000 差額: ¥50,000~¥100,000 *ほとんど全額を実家に送金 将来の希望 来日前は、日本語センターで8カ月間勉強し、来日後1年は、毎日、日本語で日記を書きました。2年目以降は毎日1時間ぐらい勉強しています。JLPT(日本語能力試験)はN4で、2017年にN3に落ちてからは受けていません。しかし、私は日本語会話が結構できるので、これでよいと思っています。 私は現在、特定技能1号という在留資格です。これは最長5年です。 その後、特定技能2号になると、在留資格を何回も更新でき、将来は永住権を取れる可能性もあります。私の職種では現在は2号がありませんが、将来は制度改正で2号ができると思います。その場合は、できるだけ長くこの会社で働きたいと思っています。 社長インタビュー 児玉社長(左) 三扇化学の児玉康彦社長にインタビューしました。 ――従業員の約3分の1がベトナム人ですね? 社長はい。当社は、入社すれば長く働いてくれる人が多いのですが、最近は、工場で働いてくれる若い日本人が少なくなりました。そこで、ベトナム人を受け入れています。 ――外国人の中でベトナム人を選ぶ理由は何ですか? 社長他社が中国人とベトナム人を雇っていたので、中国人も検討しました。しかし、ベトナム人には勤勉な人が多いと聞いたので、ベトナム人技能実習生を採用しました。雇ってみると、実際にまじめで素直な人が多く、将来の目標を持って働いている人も多かったので、ベトナム人ばかり採用しています。 ――技能実習が終わってから別の会社で特定技能をする人も多いですが、この会社では他社に移らずここで特定技能をする人が多いですね? 社長遠い国から来て心細い思いをしていてはいけないと思い、私はベトナム人従業員になるべく声をかけるようにしています。そのためか、他の日本人社員もベトナム人に親切にしてくれています。 ――フーンさんはどんな社員ですか? 社長彼女は働きぶりも素晴らしいですし、後輩ベトナム人たちの面倒もよくみてくれるので、私は大変助かっています。できればずっと当社で働いてほしい人材です。 プラスチック部品を作る工場で技能実習を5年間続けたあと、同じ会社で特定技能外国人になったフーンさん。従業員約90人のうち約3分の1がベトナム人という職場です。フーンさんはベトナム人とも日本人とも仲良く働いており、将来は永住権を取ることも考えています。 今回の先輩 グェン・ティ・ジェム・フーンさん 2009年 高校卒業〈ヴィンロン省〉 2012年 ヴィンロン経済金融大学卒業 2012年 スーパーマーケット勤務 2013年 送出機関で勉強〈ホーチミン〉 2014年 訪日→研修→工場で技能実習〈愛知県〉 2017年 技能実習修了、帰国 2017年 ベトナムの人材会社に勤務 2018年 技能実習生再開(3号)〈愛知県〉 2021年 同じ会社で特定技能に移行 〈1991年生まれ、ヴィンロン省出身〉 〈このページの内容〉 • ベトナム人の多い職場 • 日本に来る前のこと • 送出機関に払ったお金 • 5年間で両親に送ったお金 • 技能実習から特定技能へ • 職場の日本人との交流 • 仲間たちと楽しく生活 • 将来の希望 • 社長インタビュー ベトナム人の多い職場 私は愛知県小牧市の「三扇化学(さんせん・かがく)」で働く特定技能外国人です。さまざまなプラスチック製部品を作る工場で、機械から出てきた製品をニッパーで軸から切り離したり検品したりするのが私の仕事です。 ・仕事は朝8時から ・自宅から自転車で通勤 ・従業員約90人のうち32人がベトナム人(特定技能7人、技能実習25人) 私たちの製品は米国やヨーロッパでも使われています。製品は車両部品(ハンドルの部品、ハザードランプのボタンなど)▽プリンターの部品▽洗面台やトイレの部品――などです。 日本に来る前のこと 私の両親はミカンなどを作る農家で、2人で計約100,000,000 VNDの年収しかありません。このため、4つ年上の姉が日本で技能実習をしてお金を貯め、私はそのお金で経済金融大学に行かせてもらいました。 私は大学を出て地元のスーパーで3カ月間働きましたが、月給が4,000,000 VNDしかありませんでした。そこで、姉のように日本で働いて家族を助けたいと思い、自分も技能実習生になることにしました。 先進国である日本に住み、日本の仕事や文化を学びたいという気持ちもありました。 姉の支援で経済金融大学を卒業〈2012年〉 送出機関に払ったお金 私は技能実習生になるためにホーチミンの送出機関に登録しました。 ・ヴィンロン省の就職センターで3つの送出機関を紹介されました。 ・その3つをネット調べ、規模が大きく費用が安い送出機関を選びました。 ・送出機関に支払った費用は全部で2,700 USDです。ここに手数料や授業料、ビザ取得費などが含まれていました。 ・飛行機代は三扇化学が払ってくれました。 ・日本語センターで8カ月勉強しました。 この費用や条件は、私たちの監理団体(組合)である愛知商工連盟協同組合(愛商連)が送出機関に約束させた金額です。愛商連から送出機関を紹介してもらうと、むだなお金を使わずに日本に行けます。 愛知商工連盟協同組合(ベトナム語のFacebookページ) 送出機関にて〈2014年〉 5年間で両親に送ったお金 日本での給料は残業時間によって毎月変わりましたが、技能実習3年目の手取り給料(税金や社会保険を引いた額)は月120,000円~170,000円でした。 ※100,000円=約17,210,000 VND(2022年6月18日現在) 技能実習の計5年でベトナムの両親に送ったお金は約480万円です。今は円安ですが、これを当時のレートでベトナムドンに換算すると、約1,000,000,000 VNDになりました。このお金で果樹園を買ったり、家を建て直したりしました。残りは老後の資金として置いています。 ・約200,000,000 VND+両親のお金→果樹園を拡大 ・約400,000,000 VND→実家の建て替え 技能実習から特定技能へ 私は2017年に帰国し、ホーチミンの送出機関で数カ月働きました。そんなとき、三扇化学からLINEで 「また三扇で働きたいですか?」と連絡があり、私は3号技能実習生として日本に戻ることにしました。 3号とは技能実習の4~5年目のことで、職種によっては2号まで(3年だけ)しかありません。私の技能実習の職種も最初は2号までしかありませんでしたが、そのときの制度改正によって3号もできることになったので、また会社から呼んでもらえたのです。 私は三扇化学が好きですし、ホーチミンのような騒がしい場所よりも小牧市のような落ち着いた町の方が住みやすいです。また、日本は町も空気もきれいです。私は喜んで日本に戻ることにしました。 日本に戻った私を歓迎してくれた三扇化学の同僚たち〈2018年〉 職場の日本人との交流 一緒に働く日本人の方々ともよく話をします。休日に日本人の先輩や同僚と一緒に遊びに行くこともあります。年2、3回、横山さん(女性)と後藤さん(男性)がベトナム人技能実習生を車で観光地に連れて行ってくれます。2人が車2台で私たちを迎えに来て、全部で10人ぐらいで遊びに行きます。例えば、ブドウ園に行ってブドウを摘んで一緒に食べたりしました。 このほか、会社が主催する食事会や会社が費用を負担する社員旅行もあります。旅行は日帰りのバス旅行で、これまでに琵琶湖(滋賀県)や京都などに行きました。 左:横山さん(中央)たちと梨園へ、右:社員旅行で琵琶湖へ 仲間たちと楽しく生活 会社の仲間はみな仲良しで、休日は一緒に楽しく過ごしています。 買い物 ・近くにスーパーがたくさんあります。 ・特によく行くのはディスカウント・ストアの「ドンキホーテ」 ベトナム食材店 ・ここ数年、ベトナムの食材を売る店がどんどん増えています。私たちの寮の近くにもあります。 食事会 ・同僚ベトナム人の誕生日会や歓送迎会、送別会を寮の部屋でやることが多いです。台所にビニルシートを敷いて20人ぐらいで食事会をします。 寮(アパート) ・寝室が3つあるアパートに技能実習生4人で住んでいます。 お出かけ 会社の仲間と月に1、2回、電車で遊びに行きます。 ・花のきれいな観光地 ・イルミネーションのきれいな観光地 ・名古屋の市街地 ・ベトナム料理店 ・焼肉店や回転寿司(安い寿司店) 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=約17,210 VND(2022年6月18日現在) 収入: ¥110,000~¥160,000 手取り給与 ¥110,000~¥160,000 *税金、社会保険、寮費を引いたあとの金額 *このうち寮費は27,000円(水道・電気・ガス代を含む) 支出: ¥61,500 Wi-Fi(1人分) ¥1,500 食材費 ¥30,000 外食費・雑費 ¥30,000 差額: ¥50,000~¥100,000 *ほとんど全額を実家に送金 将来の希望 来日前は、日本語センターで8カ月間勉強し、来日後1年は、毎日、日本語で日記を書きました。2年目以降は毎日1時間ぐらい勉強しています。JLPT(日本語能力試験)はN4で、2017年にN3に落ちてからは受けていません。しかし、私は日本語会話が結構できるので、これでよいと思っています。 私は現在、特定技能1号という在留資格です。これは最長5年です。 その後、特定技能2号になると、在留資格を何回も更新でき、将来は永住権を取れる可能性もあります。私の職種では現在は2号がありませんが、将来は制度改正で2号ができると思います。その場合は、できるだけ長くこの会社で働きたいと思っています。 社長インタビュー 三扇化学の児玉康彦社長にインタビューしました。 ――従業員の約3分の1がベトナム人ですね? 社長はい。当社は、入社すれば長く働いてくれる人が多いのですが、最近は、工場で働いてくれる若い日本人が少なくなりました。そこで、ベトナム人を受け入れています。 ――外国人の中でベトナム人を選ぶ理由は何ですか? 社長他社が中国人とベトナム人を雇っていたので、中国人も検討しました。しかし、ベトナム人には勤勉な人が多いと聞いたので、ベトナム人技能実習生を採用しました。雇ってみると、実際にまじめで素直な人が多く、将来の目標を持って働いている人も多かったので、ベトナム人ばかり採用しています。 ――技能実習が終わってから別の会社で特定技能をする人も多いですが、この会社では他社に移らずここで特定技能をする人が多いですね? 社長遠い国から来て心細い思いをしていてはいけないと思い、私はベトナム人従業員になるべく声をかけるようにしています。そのためか、他の日本人社員もベトナム人に親切にしてくれています。 ――フーンさんはどんな社員ですか? 社長彼女は働きぶりも素晴らしいですし、後輩ベトナム人たちの面倒もよくみてくれるので、私は大変助かっています。できればずっと当社で働いてほしい人材です。

    2022年06月29日

主催者

Nhà tài trợ Bạch Kim

後援

  • 在ベトナム日本国大使館
  • 国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
  • JNTOハノイ事務所
  • 関西経済連合会
  • 一般社団法人 国際人流振興協会
  • 公益社団法人 ベトナム協会
  • NPO法人 日越ともいき支援会

協力

JASSO(日本学生支援機構)

外国人労働者弁護団

WA.SA.Bi.