体験談(技能) | 最新ニュース
今回の先輩 グェン・ティ・ホアイ・トウーさん 2010年 高校卒業〈ホーチミン〉 2010年 専門学校入学 2013年 会社勤務、夜はアルバイト 2017年 送出機関〈ホーチミン〉 2018年 水産加工の技能実習〈北海道〉 2021年 技能実習修了、帰国 〈1990年生まれ、ホーチミン市出身〉 良心的な送出機関を選んだため、ベトナム政府が決めた安い費用で日本に行くことができたトゥーさん。訪日前に質の高い日本語授業を受け、自分でも努力したので、技能実習の職場でたくさんの日本人のおばさんたちと仲良くなりました。また、3年間で十分な送金もできました。 〈このページの内容〉 ...
技能実習の3年間でいったいいくら貯金できるのでしょうか? 実習生が3年間で送金できる額は職場によって違います(これは高い送出機関を使っても同じです)。しかし、日本での給料が少ない場合でも、訪日前の送出機関への支払いが少なければ、平均以上の貯金をすることができます。 技能実習でいくら貯金できるか ...
今回の先輩 マイ・ティ・スアンさん 2015年 5月チュック・ニン B高校卒業〈ナムディン県〉 2015年 8月ナムディン日本語日本文化学院入学 2017年 7月ナムディン日本語日本文化学院卒業 2017年 8月訪日→講習〈東京〉 2017年 9月技能実習開始〈宮崎県〉 2020年 9月同じ職場で特定技能開始〈宮崎県〉 ...
今回の先輩 チュ・ティ・ムックさん 2014年 5月ルオンタイ高校卒業〈バクニン県〉 2014年 9月専門学校入学・看護専攻〈ハノイ〉 2017年 7月専門学校卒業 2017年 9月日本語センター入所〈ハノイ〉 2018年 9月訪日→講習→工場で技能実習〈三重県〉 〈1996年生まれ、バクニン省出身〉 ...
今回の先輩 LƯƠNG QUANG BÌNH(ルオン・クアン・ビン)さん 1999年生まれ、ハイズオン省出身2017年 7月 Phuc Thanh 高校卒業2017年 7月 地元の縫製会社入社2018年 3月 縫製会社退職2018年 4月 LACOLI日本語教育センター入学2019年 5月 中島水産で技能実習開始 ...
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【在ベトナム日本国大使館後援】
技能実習の3年間でいったいいくら貯金できるのでしょうか? 実習生が3年間で送金できる額は職場によって違います(これは高い送出機関を使っても同じです)。しかし、日本での給料が少ない場合でも、訪日前の送出機関への支払いが少なければ、平均以上の貯金をすることができます。 技能実習でいくら貯金できるか 日本で3年間技能実習をすれば、いったいいくら貯金できるのでしょうか?「日本に行くための借金を返済しても、さらに500,000,000 VND(約237万円)貯金できる」と勧誘する人もいます。確かにそのようなケースもありますが、決して多数ではありません。 ※100円=21,115 VND(2021年4月8日現在) 約40人の技能実習経験者へのヒアリングから典型的な8例をセレクトし、実習生が3年間で貯金できた金額とその背景を紹介します。後半では「送出機関の選び方」もお伝えします。それでは、8人のうち3年間で貯金できた額の少なかった事例から順に紹介します。 8位:234,800,000 VND 2017年から3年間、食品加工場で技能実習をした先輩の事例です。3年間の送金額が平均より少し少ないことに加え、送出機関への支払い額が平均より大きかったことが、貯金の少ない要因です。 A:送出機関に支払った額 187,500,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥2,000,000 422,300,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 234,800,000 ₫ 7位:283,790,000 VND 2014年から3年間、静岡県の電気器具部品工場で実習した先輩の事例です。 ・送出機関に支払った額は平均的ですが、政府の規定よりはかなり多いです。 ・日本での手取り給料があまり多くありませんでした。 A:送出機関に支払った額 138,510,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥2,000,000 422,300,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 283,790,000 ₫ 6位:307,875,000 VND 2016年から3年間、食品加工場で技能実習をした先輩の事例です。ベトナムへの送金額は平均的ですが、送出機関にかなり多くの費用を支払ったため、残ったお金が少なくなりました。 A:送出機関に支払った額 220,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥2,500,000 527,875,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 307,875,000 ₫ 5位:332,300,000 VND 2015年から3年間、栃木県の医療機器工場で技能実習をした先輩の事例です。インターネットで評判のよい送出機関を探して1年間勉強してから日本に行きました。 残業代が少なく、ベトナムに送金できた額は平均より少なかったのですが、送出機関に支払った費用が安かったので、借金返済には困りませんでした。また、送出機関の日本語教育がよく、日本語力をつけてから訪日したので、職場の日本人たちと仲良くなり、満足度が高い実習生活を送れました。 親切な先輩や多くの仲間と楽しい日本生活(送出機関を紹介) A:送出機関に支払った額 90,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥2,000,000 422,300,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 332,300,000 ₫ 4位:412,875,000 VND 2019年から鹿児島県のパン工房で技能実習をしている先輩の事例です。3年間でベトナムに送金できそうな額は平均的ですが、送出機関に支払った額が少ないので、貯金額は平均以上になりそうです。 また、職場の日本人がみな親切なのと、監理団体(受入組合)の担当者がとても親切なので、日本で充実した生活を送っています。 いきいきとパン作り(送出機関と監理団体を紹介) A:送出機関に支払った額 115,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送るお金(予想) ¥2,500,000 527,875,000 ₫ B-A:残るお金(貯金・予想) 412,875,000 ₫ 3位:446,220,000 VND 2016年から3年間、食品加工場で技能実習をした先輩の事例です。送出機関に支払った額は平均的ですが政府の規定よりは高いです。しかし、ベトナムへの送金額は平均以上を確保できたので、残ったお金も多くなりました。ただし、平均以上の送金をできるかどうかは訪日前には分かりにくいので、費用の少ない送出機関を選ぶ方がより確実に平均以上の貯金を残せます。 A:送出機関に支払った額 145,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥2,800,000 591,220,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 446,220,000 ₫ 2位:528,450,000 VND 2019年から東京の水産加工場で技能実習をしている先輩の事例です。ベトナム政府の費用規定を守っている送出機関を選び、送出機関への支払いが少なかったので、平均よい多い貯金になりそうです。 優良な送出機関を選んで無借金で技能実習(送出機関を紹介) A:送出機関に支払った額 105,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送るお金(予想) ¥3,000,000 633,450,000 ₫ B-A:残るお金(貯金・予想) 528,450,000 ₫ 1位:538,450,000 VND 2017年から3年間、宮崎県の農場や併設の食品加工場で技能実習をした先輩の事例です。ベトナムの日本語学校で2年間学んでから訪日。職場で技能実習生のリーダー的存在になり、2020年から同じ職場で特定技能外国人になりました。 「送出機関に支払った額」には日本語学校の授業料も含まれています。この学校では、生徒が1年半~2年間勉強し、日本語能力試験(JLPT)N3レベルになってから日本に行きます。授業料は月2,000,000 VNDで、遠方の生徒も受け入れます。生徒に紹介する技能実習先は、教師たちが現地を訪問して給料や職場環境などを調べて選んだ職場だけです。また、送出機関には国が決めた手数料しか支払いません。 技能実習から特定技能へ(日本語学校を紹介) A:送出機関に支払った額 95,000,000 ₫ B:3年間で日本からベトナムに送ったお金 ¥3,000,000 633,450,000 ₫ B-A:残ったお金(貯金) 538,450,000 ₫ まとめ 技能実習生が3年間でベトナムに送金できる額は多くの場合、200万円~300万円(約422,000,000~634,000,000 VND)です。これは高い送出機関を使っても安い送出機関を使っても同じです。そこで、より多くの貯金を残すためには、費用の少ない送出機関を探すことが大切です。 ベトナム政府の規定では、送出機関による日本語教育費は約520時間に対し590万ドン以下、送出手数料は3,600ドル以下(3年契約の場合)となっています。しかし、実際の費用はこれよりかなり高くなっています。費用が高くなる背景には次のようなものがあります。 ・日本の監理団体(組合)への謝礼=技能実習の求人1人につき1,000~1,500ドル ・実習生を送出機関に紹介する人(ブローカー)への謝礼=1人につき500~1,500ドル こうした費用は実習生から送出機関への支払いに上乗せされます。しかし、最近はこのような謝礼を払わない送出機関も少しずつ増えてきました。こうした送出機関を探すと、支払いが少なくなり、3年間の技能実習で残せるお金も増えることになります。 送出機関の選び方 それでは、良心的な送出機関や監理団体をどうやって探したらよいのでしょうか? ポイントをお伝えします。 送出機関を選ぶ手順 インターネットで情報収集 「信用できる送出機関ランキング」などのキーワードで検索します。 技能実習の先輩から情報収集 帰国した人より現在日本にいる現役の実習生から話を聞く方が有効です。 送出機関に直接連絡 送出機関に自分で直接連絡して申し込むだけで、紹介手数料(500~1,500 USD)を節約できます。 監理団体(受入組合)に直接連絡 日本に行ってからのケアを重視するなら、最初に監理団体を選ぶのが得策です。監理団体のケアは非常に重要です。 送出機関を訪ねる できれば授業も見学しましょう。 送出機関を選ぶ際のポイント 先輩たちが支払った費用 技能実習生の求人を紹介した受入組合の幹部に求人1人につき1,000~1,500ドルの謝礼が支払われる事例がまん延しています。その費用は実習生から送出機関への支払いに上乗せされます。 給料、生活費、送金額 KOKOROサイトのすべての体験談に先輩たちの給料や生活費、送金額が掲載されています。 送出機関での日本語教育の内容 日本語力をある程度身に付けてから日本に行った方が職場に溶け込みやすく、日本で日本語も上達します。日本語力を高めると、その後の就職にも有利です。 給料以外の処遇、監理団体のケアの内容 技能実習では給料以外の処遇や監理団体のケアも非常に大切ですが、監理団体によって実習生のケアに大きな差があります。 紹介手数料(紹介者への謝礼)の有無 紹介手数料を禁止している送出機関は、政府が決めた費用規定を守っていることが多く、良心的な紹介やケアを期待できる可能性が高くなります。 DOLABの認定 ベトナム労働・傷病兵・社会省(MOLISA)の海外労働管理局(DOLAB)から認定された送出機関は日本の外国人技能実習機構(OTIT)のHPに掲載されています。 外国政府認定送出機関一覧(OTIT) それでは、この記事を参考に送出機関を上手に選び、無駄な支出のない技能実習を目指してください。
2021年04月13日
今回の先輩 グエン・ヴァン・トゥエンさん 2013年 中学卒業、縫製工場に勤務 2017年 送出機関に登録〈ハノイ〉 2017年 訪日→講習→技能実習〈鹿児島県〉 2020年 支援団体に仮住まい〈東京〉 2021年 ラーメン店経営会社に就職内定 〈1998年生まれ、ナムディン省出身〉 建築の技能実習中にJLPT・N2に合格したトゥエンさん。「外食」の技能測定試験を受けて合格し、特定技能でラーメン店経営会社に勤務することが決まった。トゥエンさんの実習生活や就活について紹介する。 〈このページの内容〉 • 海外で働いてみたかった • とび職の仕事 • 自習でN3、N2に合格 • 最初は給料少なく、失踪も検討 • 失踪しなかったその他の理由 • 鹿児島の親切な人たち • 特定技能を目指すことに • 技能試験に合格し他社に内定 海外で働いてみたかった 送出機関の仲間たち〈ハノイで2017年〉 私は中学を卒業後、縫製工場で働いていましたが、ある日、遠縁の親せきから技能実習生として日本に行くように勧められました。「3年間で、日本に行くための借金を返し、さらに250万円貯金できる」という説明で、両親と話し合い、日本に行くことにしました。私は以前からいつか海外で働いてみたいと思っていたので、ちょうどよい誘いだったのです。 翌月、親せきから紹介されたハノイの送出機関の研修施設に入り、1週間後に初めて面接を受けて合格しました。それから約6カ月間、この施設で勉強し、送出機関には総額約200,000,000 VND(ベトナムドン、約95万円)を支払いました。そのうち約20,000,000 VNDは保証金で、私が実習中に失踪したり会社で評判が悪かったりすると保証金は返さないという取り決めでした。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・保証金や紹介手数料は規定違反です。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 〈参考〉こんなに違う送出機関の費用 とび職の仕事 建築現場で働く私(左)〈鹿児島県で2018年〉 私は技能実習には建築以外にもいろいろな業種があることや建築が人気のない業種であることを知りませんでした。研修施設に入ってからほかの職種があることを知りましたが、もう面接に合格していたので、そのまま日本に行きました。私は2017年12月に日本に来ました。実習先は鹿児島県で、実習生は私を入れて9人でした。「機械を使うから楽で安全な仕事」と送出機関から説明を受けていましたが、実際は、きつい肉体労働でした。私の職場では、手すりなどの資材や工具を投げて受け渡しする人が多く、危険を感じました。4、5㍍先から資材や工具を投げてくるので、手が痛いですし、取り損なったら怒られるので、大変でした。 ただ、週末には息抜きができました。スーパーに買い物に行くと、他社のベトナム人実習生と知り合います。自社の同僚や他社の実習生と一緒に互いの寮で飲み会をしたり、一緒に観光に出かけたりしました。 自習でN3、N2に合格 ハノイの送出機関では毎日7時間授業があり、「みんなの日本語」を半年間で25課まで習いました。また、それ以外に自分で38課まで学習しました。1クラス約20人で、私の成績はクラスで4番目でした。日本に来てからも、毎晩、寮で2時間勉強しました。教材は「新完全マスター」シリーズと「耳から覚える」シリーズでした。私は訪日2年目に日本語能力試験(JLPT)のN3とN2に立て続けに合格しました。 日本語学習に対する会社のサポートはなく、N3やN2に合格しても給料は上がりませんでした。また、受検の際の交通費も受検料も自己負担でした。ただ、監理団体(受入組合)はN3合格の際は1万円、N2合格の際には2万円をくれました。 最初は給料少なく、失踪も検討 JLPTの受検会場近くで撮影した鹿児島県の街並み〈2019年12月〉 私の手取り給料は最初の2年間は8万~12万円で、3年目は15万円(約31,600,000 VND)の月もありました。3年間で実家に送金した額は約250万円(約526,800,000 VND)で、勧誘した親せきの説明より約100万円少ない額でした。 手取り給料が8万円しかなかったときは、失踪してもっと給料の高い仕事(不法就労)を探そうと思ったこともあります。しかし、すぐには失踪せず、JLPT・N3に合格してから失踪しようと思い、勉強に力を入れました。失踪中に警察に捕まってベトナムに強制送還されても、N3以上の合格証を持っていればベトナムでよい仕事があるだろうと考えたからです。こうして、私は訪日して1年半後にN3に合格しました。しかし、「この日本語力ではまだ仕事に使えない」と思って引き続き勉強を続け、その半年後にN2に受かりました。 失踪しなかったその他の理由 近所の公園で同僚と食事会〈2018年〉 私がN2に合格したころ、職場の先輩実習生4人が帰国し、私たちの仕事が増えました。私たち同期5人は「先輩がいなくなって仕事が増えるので、時給を上げてほしい」と上司に訴え、少しだけ時給を上げてもらうことができました。私が失踪しなかった大きな理由はJLPT合格という目標があったからですが、ほかにも次のような背景がありました。 • 寮費・光熱費・Wi-Fi費用が合計10,000円で、非常に低額だった。 • 現場への移動時間(片道10分~2時間)に対しても時給が支払われた。 ※移動時間に時給が支払われない職場もあります。 • 先輩が帰国した際に会社が時給アップに応じてくれた。 • 社内にも寮の近所にも親切な日本人がいて交流があった。 • 職場での暴力はなかった。 ※「バカ」「なにさぼってるんだ」「早くしろ」と言われることもありましたが、日本語会話がある程度できたので、半分冗談だと分かり、気になりませんでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,070 VND(2021年4月8日現在) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 平均110,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費(水道・光熱とWi-Fi含む)は10,000円 支出(合計25,000~35,000円) 食費 20,000~25,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 5,000~10,000円 差額・貯金(平均80,000円) 貯金 80,000円 ※実家に送金 鹿児島の親切な人たち 平井さんを通じて交流が深まった地域のベトナム人仲間〈2018年のハロウィンで〉 寮の近所に銀行勤務の平井さんという男性がいて、地域の実習生仲間の紹介で知り合いました。平井さんは畑で野菜を栽培しており、そこでとれた野菜(トマト、白菜、ブロッコリー、タマネギ、サツマイモ、スイカなど)を私たち技能実習生の部屋にときどき持ってきてくれました。また、平井さんがたくさんのビールやお菓子を持って私たちの部屋に訪れ、実習生数人で一緒に飲むこともありました。逆に、私たちは平井さんの畑で草むしりをしたり料理を作って平井さんに届けたりしました。私たちは平井さんのことを「お父さん」と呼んでいました。 送別旅行〈鹿児島県で2020年〉 会社にも親切な日本人がいました。遠坂さんという50代の先輩とはよく一緒の現場に行きましたが、いつもやさしくしてくれました。また、遠坂さんは休日に私をよく車で海釣りに連れて行ってくれました。私は遠坂さんの分も弁当(春巻きなど)を作って持って行きました。遠坂さんを私たちの部屋に呼んで食事会をしたことも何度かあります。私が鹿児島を離れる際には、遠坂さんら日本人2人と同僚のベトナム人3人と一緒に送別旅行をしました。鹿児島県の指宿(いぶすき)への1泊旅行で、費用は会社が出してくれました。 特定技能を目指すことに ボランティア・グループの交流会〈名古屋市で2020年〉 私は訪日して2年目(2019年)、ベトナム人のボランティア・グループに入りました。普段は困っているベトナム人のために寄付をしたりFacebookで交流したりするだけですが、2020年にこのグループの交流会が名古屋であり、私も参加しました。このときに一緒に行動したメンバーの1人から特定技能のことを教えてもらいました。私は技能実習が終わってからも日本で働きたかったので、特定技能で雇ってくれる会社を探すことにしました。 そんなとき、FBで 日越ともいき支援会の吉水代表のことを知り、日本人の友だちがほしかったので友だちリクエストと自己紹介を送りました。吉水さんに特定技能のことも相談すると、「希望する業種の技能測定試験に合格すれば、建築とは違う業種でも特定技能外国人になれる」と教えてもらえました。 技能試験に合格し他社に内定 技能測定試験を受けるために訪れた博多駅〈2020年〉 私は技能測定試験の過去問題を調べるなどして勉強し、2020年12月、「外食業」と「飲食料品製造業」の試験に合格しました。私は試験を受けるために鹿児島から新幹線で博多駅(福岡市)に行き、試験開始に間に合わないので駅からタクシーに乗りました。タクシーに乗るのは日本で初めてです。ベトナムのタクシーと比べて料金がとても高く、十数分乗っただけで約2,500円かかりました。料金メーターがすごいスピードで上がるので、途中で降りたくなったほどです。 同じころ、技能実習としての在留資格は12月に終わるので、監理団体にお願いして帰国準備のための特定活動(6カ月)という在留資格に切り替えてもらいました。実習修了後、東京の日越ともいき支援会を訪ねて一時的に住ませてもらい、支援会とつながりのある千葉県のラーメン店経営会社の面接を受けて合格しました。それから4カ月近く経った現在は、特定技能の在留資格への変更手続き中で、在留資格の規定でまだ働けないので、支援会で仮住まいを続けています。この会社は日本全国に店がありベトナムにも2店あります。私は店で接客をしながらさらに日本語を磨き、将来はこの会社のベトナム事業にも貢献できたらと思っています。 今回の先輩 (グエン・ヴァン・トゥエン)さん 2013年 中学卒業、縫製工場に勤務 2017年 送出機関に登録〈ハノイ〉 2017年 訪日→講習→技能実習〈鹿児島〉 2020年 支援団体に仮住まい〈東京〉 2021年 ラーメン店経営会社に就職内定 〈1998年生まれ、ナムディン省出身〉 建築の技能実習中にJLPT・N2に合格したトゥエンさん。「外食」の技能測定試験を受けて合格し、特定技能でラーメン店経営会社に勤務することが決まった。トゥエンさんの実習生活や就活について紹介する。 〈Nội dung〉 • 海外で働いてみたかった • とび職の仕事 • 自習でN3、N2に合格 • 最初は給料少なく、失踪も検討 • 失踪しなかったその他の理由 • 鹿児島の親切な人たち • 特定技能を目指すことに • 技能試験に合格し他社に内定 海外で働いてみたかった 私は中学を卒業後、縫製工場で働いていましたが、ある日、遠縁の親せきから技能実習生として日本に行くように勧められました。「3年間で、日本に行くための借金を返し、さらに250万円貯金できる」という説明で、両親と話し合い、日本に行くことにしました。私は以前からいつか海外で働いてみたいと思っていたので、ちょうどよい誘いだったのです。 翌月、親せきから紹介されたハノイの送出機関の研修施設に入り、1週間後に初めて面接を受けて合格しました。それから約6カ月間、この施設で勉強し、送出機関には総額約200,000,000 VND(ベトナムドン、約95万円)を支払いました。そのうち約20,000,000 VNDは保証金で、私が実習中に失踪したり会社で評判が悪かったりすると保証金は返さないという取り決めでした。 送出機関の仲間たち〈ハノイで2017年〉 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・保証金や紹介手数料は規定違反です。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 〈参考〉こんなに違う送出機関の費用 とび職の仕事 私は技能実習には建築以外にもいろいろな業種があることや建築が人気のない業種であることを知りませんでした。研修施設に入ってからほかの職種があることを知りましたが、もう面接に合格していたので、そのまま日本に行きました。私は2017年12月に日本に来ました。実習先は鹿児島県で、実習生は私を入れて9人でした。「機械を使うから楽で安全な仕事」と送出機関から説明を受けていましたが、実際は、きつい肉体労働でした。私の職場では、手すりなどの資材や工具を投げて受け渡しする人が多く、危険を感じました。4、5㍍先から資材や工具を投げてくるので、手が痛いですし、取り損なったら怒られるので、大変でした。 ただ、週末には息抜きができました。スーパーに買い物に行くと、他社のベトナム人実習生と知り合います。自社の同僚や他社の実習生と一緒に互いの寮で飲み会をしたり、一緒に観光に出かけたりしました。 建築現場で働く私(左)〈鹿児島県で2018年〉 自習でN3、N2に合格 ハノイの送出機関では毎日7時間授業があり、「みんなの日本語」を半年間で25課まで習いました。また、それ以外に自分で38課まで学習しました。1クラス約20人で、私の成績はクラスで4番目でした。日本に来てからも、毎晩、寮で2時間勉強しました。教材は「新完全マスター」シリーズと「耳から覚える」シリーズでした。私は訪日2年目に日本語能力試験(JLPT)のN3とN2に立て続けに合格しました。 日本語学習に対する会社のサポートはなく、N3やN2に合格しても給料は上がりませんでした。また、受検の際の交通費も受検料も自己負担でした。ただ、監理団体(受入組合)はN3合格の際は1万円、N2合格の際には2万円をくれました。 最初は給料少なく、失踪も検討 私の手取り給料は最初の2年間は8万~12万円で、3年目は15万円(約31,600,000 VND)の月もありました。3年間で実家に送金した額は約250万円(約526,800,000 VND)で、勧誘した親せきの説明より約100万円少ない額でした。 手取り給料が8万円しかなかったときは、失踪してもっと給料の高い仕事(不法就労)を探そうと思ったこともあります。しかし、すぐには失踪せず、JLPT・N3に合格してから失踪しようと思い、勉強に力を入れました。失踪中に警察に捕まってベトナムに強制送還されても、N3以上の合格証を持っていればベトナムでよい仕事があるだろうと考えたからです。こうして、私は訪日して1年半後にN3に合格しました。しかし、「この日本語力ではまだ仕事に使えない」と思って引き続き勉強を続け、その半年後にN2に受かりました。 JLPTの受検会場近くで撮影した鹿児島県の街並み〈2019年12月〉 失踪しなかったその他の理由 私がN2に合格したころ、職場の先輩実習生4人が帰国し、私たちの仕事が増えました。私たち同期5人は「先輩がいなくなって仕事が増えるので、時給を上げてほしい」と上司に訴え、少しだけ時給を上げてもらうことができました。私が失踪しなかった大きな理由はJLPT合格という目標があったからですが、ほかにも次のような背景がありました。 • 寮費・光熱費・Wi-Fi費用が合計10,000円で、非常に低額だった。 • 現場への移動時間(片道10分~2時間)に対しても時給が支払われた。 ※移動時間に時給が支払われない職場もあります。 • 先輩が帰国した際に会社が時給アップに応じてくれた。 • 社内にも寮の近所にも親切な日本人がいて交流があった。 • 職場での暴力はなかった。 ※「バカ」「なにさぼってるんだ」「早くしろ」と言われることもありましたが、日本語会話がある程度できたので、半分冗談だと分かり、気になりませんでした。 近所の公園で同僚と食事会〈2018年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,070 VND(2021年4月8日現在) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 平均110,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費(水道・光熱とWi-Fi含む)は10,000円 支出(合計25,000~35,000円) 食費 20,000~25,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 5,000~10,000円 差額・貯金(平均80,000円) 貯金 80,000円 ※実家に送金 鹿児島の親切な人たち 寮の近所に銀行勤務の平井さんという男性がいて、地域の実習生仲間の紹介で知り合いました。平井さんは畑で野菜を栽培しており、そこでとれた野菜(トマト、白菜、ブロッコリー、タマネギ、サツマイモ、スイカなど)を私たち技能実習生の部屋にときどき持ってきてくれました。また、平井さんがたくさんのビールやお菓子を持って私たちの部屋に訪れ、実習生数人で一緒に飲むこともありました。逆に、私たちは平井さんの畑で草むしりをしたり料理を作って平井さんに届けたりしました。私たちは平井さんのことを「お父さん」と呼んでいました。 平井さんを通じて交流が深まった地域のベトナム人仲間〈2018年のハロウィンで〉 会社にも親切な日本人がいました。遠坂さんという50代の先輩とはよく一緒の現場に行きましたが、いつもやさしくしてくれました。また、遠坂さんは休日に私をよく車で海釣りに連れて行ってくれました。私は遠坂さんの分も弁当(春巻きなど)を作って持って行きました。遠坂さんを私たちの部屋に呼んで食事会をしたことも何度かあります。私が鹿児島を離れる際には、遠坂さんら日本人2人と同僚のベトナム人3人と一緒に送別旅行をしました。鹿児島県の指宿(いぶすき)への1泊旅行で、費用は会社が出してくれました。 送別旅行〈鹿児島県で2020年〉 特定技能を目指すことに 私は訪日して2年目(2019年)、ベトナム人のボランティア・グループに入りました。普段は困っているベトナム人のために寄付をしたりFacebookで交流したりするだけですが、2020年にこのグループの交流会が名古屋であり、私も参加しました。このときに一緒に行動したメンバーの1人から特定技能のことを教えてもらいました。私は技能実習が終わってからも日本で働きたかったので、特定技能で雇ってくれる会社を探すことにしました。 そんなとき、FBで 日越ともいき支援会の吉水代表のことを知り、日本人の友だちがほしかったので友だちリクエストと自己紹介を送りました。吉水さんに特定技能のことも相談すると、「希望する業種の技能測定試験に合格すれば、建築とは違う業種でも特定技能外国人になれる」と教えてもらえました。 ボランティア・グループの交流会〈名古屋市で2020年〉 技能試験に合格し他社に内定 私は技能測定試験の過去問題を調べるなどして勉強し、2020年12月、「外食業」と「飲食料品製造業」の試験に合格しました。私は試験を受けるために鹿児島から新幹線で博多駅(福岡市)に行き、試験開始に間に合わないので駅からタクシーに乗りました。タクシーに乗るのは日本で初めてです。ベトナムのタクシーと比べて料金がとても高く、十数分乗っただけで約2,500円かかりました。料金メーターがすごいスピードで上がるので、途中で降りたくなったほどです。 同じころ、技能実習としての在留資格は12月に終わるので、監理団体にお願いして帰国準備のための特定活動(6カ月)という在留資格に切り替えてもらいました。実習修了後、東京の日越ともいき支援会を訪ねて一時的に住ませてもらい、支援会とつながりのある千葉県のラーメン店経営会社の面接を受けて合格しました。それから4カ月近く経った現在は、特定技能の在留資格への変更手続き中で、在留資格の規定でまだ働けないので、支援会で仮住まいを続けています。この会社は日本全国に店がありベトナムにも2店あります。私は店で接客をしながらさらに日本語を磨き、将来はこの会社のベトナム事業にも貢献できたらと思っています。 技能測定試験を受けるために訪れた博多駅〈2020年〉
2021年04月12日
今回の先輩 グエン・ヴァン・カインさん 2008年 高校卒業 2008年 ナムディン日本語日本文化学院入学 2010年 ナムディン学院卒業 2010年 建築の技能実習〈岡山県〉 2011年 JLPT・N3合格 2013年 JLPT・N2合格 2013年 ベトナムに帰国 2015年 南九州大学入学〈宮崎県〉 2019年 南九州大学卒業 2019年 酒造メーカーに就職(正社員)〈宮崎県〉 2019年 日本人女性と結婚 〈1990年生まれ、ナムディン省出身〉 技能実習で貯めたお金で大学に留学し、日本の酒造会社に就職したカインさん。将来は故郷で焼酎工場を作るという目標を持つカインさんの留学生活の送り方や就職活動の動き方をリポートする。 〈このページの内容〉 • ベトナムで日本語学校に1年半 • 職歴に関する書類の内容に注意 • 技能実習 • 留学 • 学費とアルバイト • ハローワークで就職活動 • 「あなたは日本でいつまで働く予定ですか?」 • ボランティア日本語教室を活用 • 日本人女性と結婚 • 宮崎のベトナム人コミュニティ ベトナムで日本語学校に1年半 故郷のYÊN CƯỜNG村〈2014年〉 私はナムディン省の高校を卒業し大学進学も考えましたが、親せきの紹介でナムディン日本語日本文化学院に入りました。自宅から遠かったので、同じ村から入学した5人でアパートをシェアしました。学院では毎日15:40ごろまで授業を受け、夕食後にまた学院に戻ってみんなで3、4時間自習しました。 ナムディン学院で1年半勉強し、本当はすぐに留学したかったのですが、お金がかかるので、まず技能実習をすることにしました。人づてにホーチミンの送出機関を紹介してもらい、約60,000,000 VND(約29万円)で日本に行くことができました。ナムディン学院で日本語を十分に学んだので、送出機関には日本語教育費は支払いませんでした。 職歴に関する書類の内容に注意 ナムディン日本語日本文化学院のクリスマス会〈2013年〉 技能実習の在留資格を申請する際に気をつけたことがあります。技能実習は、生徒が母国で経験した職業の技術を日本で高めるという名目で行われていますが、実際は、大半のケースで求人内容に合わせて生徒の職歴を偽装して在留資格を申請しています。もし、その申請の際に提出した職歴の内容を知らず、技能実習が終わってから留学の在留資格を申請する際に違う職歴を提出すると、申請が許可されないことがあります。 私は職歴に関する書類作成を送出機関だけに任せず、ナムディン学院の先生と一緒に内容をよく考えて作成しました。そして、入管に提出した書類はすべてコピーして保管しました。 技能実習 職場の先輩日本人や後輩ベトナム人と旅行〈奈良で2013年〉 こうして、私は2010年10月に訪日し、岡山県備前市で技能実習を始めました。従業員40~50人ぐらいの会社で、実習生は私を含めて2人でした。仕事は住宅や工場の解体です。建築・解体の現場には気の荒い人が多いと言われていますが、私はベトナムで日本語を十分に勉強してから訪日したので、最初から職場でのコミュニケーションがうまくいき、皆さんに親切にしていただきました。60代の先輩が私に特に親切で、よく車で日帰り旅行に連れて行ってくださいました。奈良・京都・大阪には一緒に1泊で旅行しました。この方とは留学で再訪日してからも時々お会いしています。 技能実習で私の手取り給料は毎月10万~11万円でした。ここから毎月7~8万円ずつを実家に送金し、送金額は3年間で約250万円(約522,000,000 VND)になりました。訪日時の費用や母の通院費などを差し引いても約150万円残ったので、それをその後の留学の資金にしました。 留学 大学での実習(左の奥が私) 技能実習を終えた私は帰国してナムディン学院で講師をしました。技能実習の監理団体(受入組合)が送出機関への就職を紹介してくれましたが、ロイ校長の助言で学院に戻りました。ここで1年4カ月、後輩に教えながら自分も日本語学習を続けました。技能実習生には、「日本で学んだ技術を母国に移転する」という役割があるため、一定期間を経ないと留学の在留資格を申請しても許可されないからです。 その後、ナムディン学院と提携する南九州大学(宮崎県)の入試をハノイで受け、合格しました。技能実習の3年目に日本語能力試験(JLPT)・N2に合格していたので、作文の試験を免除され、面接(日本語)だけでした。私は日本の酒造技術を学び、それを応用してベトナムで焼酎を醸造したいと考え、食品関係の学部を選びました。留学して最初の約4カ月間はアルバイトをせず、勉強に集中しました。授業で専門用語も多く、予習・復習に時間がかかったからです。大学時代は授業以外に毎日3~5時間勉強しました。平日は毎日5時間のアルバイトがあったので、授業のないときや週末に勉強しました。 学費とアルバイト アルバイト仲間の日本人たちと過ごす休日〈宮崎市内で2019年〉 留学する際は、最初に約100万円を入学金や1年目の授業料などとして支払い、それ以外に約50万円を持って日本に来ました。4年間の留学費用は主にそのお金とアルバイトとでまかないましたが、それができた背景には下記のような要因がありました。 • 南九州大学では、外国人留学生の授業料が半額 • 2年目から同郷の後輩2人とアパートをシェア • 2年生のときに1年間で計360,000円の奨学金をもらえた(大学からの紹介) アルバイトは求人サイトで探しました。日本語をある程度話せたので、1軒目の居酒屋で採用され、そこで卒業まで働きました。いなかはのんびりしているので、お客さんたちが「どこから来たの?」「学生さんですか?」などと私に話しかけてくださり、お客さんや日本人のアルバイト仲間との会話で日本語が上達しました。仲間とは、勤務後に数人で飲みに行ったり休日にショッピングモールに出かけたりもしました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学3年のときの家計簿 ※100円=20,877 VND(※2021年4月2日現在) 収入(合計100,000円) アルバイト1件(居酒屋) 100,000円 支出(合計102,000円~107,000円) 家賃 12,000円 ※アパートを3人でシェア 授業料 50,000円 光熱費 7,000~10,000円 ※電気・ガス・水道代の合計 インターネット(Wi-Fi) 2000円 ※3人で分担 携帯電話 3000円 ※Y-mobile 食費 20,000円 雑費 8,000円~10,000円 ※衣類、教材、交通費など 毎月の差額・貯金 ▲2,000円~▲7,000円 ※長期休暇時のアルバイト料などで補てん ハローワークで就職活動 大学で焼酎の造り方を研究。就職活動も酒造会社に絞って応募。 私は大学2年のときに2週間、3年のときに10日間、同じ酒造会社でインターンシップをさせていただき、焼酎づくりの基礎を学びました。社長からは就職の内々定をいただいていましたが、4年生の初めに事情が変わりました。この会社が買収され、経営者が変わったのです。私の内々定も立ち消えになり、私は周囲より遅れて6月から就職活動を始めることになりました。 大学生の多くは「マイナビ」サイトを使って就活をしますが、私は公的機関であるハローワークのサイトで求人を探しました。狙いは、歴史があって従業員の少ない酒造会社です。「歴史=技術力と信用」、「少人数=酒造技術を全般的に学べる」という観点でした。ネットで調べてから6月末ごろ、地元のハローワーク事務所に行って履歴書を提出し、4社に申し込みました。すると、1社は外国人を採用していませんでしたが、残り3社は面接をしてくれました。 「あなたは日本でいつまで働く予定ですか?」 私が就職した岩倉酒造場〈2020年〉 外国人留学生の採用面接では避けて通れない関門があります。「あなたはいつまで日本で働くつもりですか」という質問です。私は日本で学んだ技術をベトナムに持ち帰って起業することが夢です。このことを面接で話すべきかどうか、私は大学の研究室の先生に相談しました。先生は「目標があるのなら、正直に答えた方がよいのではないか」という意見で、私もそうすることにしました。 2020年7月に受けた3社の面接で、やはりどの社からもこのことを聞かれました。福岡県の焼酎メーカーの担当者はわざわざ宮崎まで来てくださり、よい雰囲気で面接が進みました。しかし、終盤にこの質問が出て正直に答えると、面接の雰囲気が変わり、採用してもらえませんでした。しかし、残り2社は、私が正直に答えたのに内々定をくれました。私はその中で宮崎県西都(さいと)市の岩倉酒造場という会社にお世話になることにしました。約160年の歴史がある会社です。現在、働き始めて1年経ちましたが、とても働きやすい職場です。 ボランティア日本語教室を活用 和気町の日本語教室の先生の家で懇親会〈2013年〉 私は技能実習で日本に来た翌年にJLPT・N3、3年目にN2を取得しました。仕事が終わってから家で毎日2、3時間勉強したほか、ボランティア日本語教室に通いました。最初は監理団体の通訳の紹介で岡山市内の教室に通いましたが、授業が難しすぎました。そこで、レベル別にクラスがある倉敷市の教室に移り、毎週日曜に2時間の無料授業を受けました。家の近くの駅から倉敷までは電車で片道約80分(往復の電車賃は約2,000円)かかりましたが、将来の財産になるので時間とお金をかけました。 技能実習2年目には、岡山県和気(わけ)町でも無料日本語教室を見つけ、倉敷の教室も続けながら毎週火曜の夜に授業を受けました。和気の教室の先生は年に数回、自宅に生徒数人を招いて食事会をしてくれました。ここで知り合ったベトナム人仲間とは、テト(旧正月)の食事会をするなど交流が深まりました。 日本人女性と結婚 故郷で結婚式〈2019年〉 和気町の日本語教室の先生に私と年の近い女性がいました。この女性は勤務先の同僚のベトナム人が日本語を話せず困っている姿を見て、外国人に日本語を教えるボランティアに参加したそうです。女性はその後、仕事をやめてホーチミンに渡り、送出機関で2年間日本語を教えることになりました。同じころ、技能実習が終わってナムディンに戻っていた私は、SNS(メッセンジャー)でこの女性からのさまざまな相談に応じるようになりました。 私の留学2年目の2016年春、帰国して岡山に戻っていたこの女性が宮崎に遊びに来てくれました。すると、女性は宮崎の土地柄や気候が気に入ったと言って半年後に宮崎に引っ越して来て、私たちは付き合うようになりました。2019年11月、私たちはナムディンで約500人を招いて結婚式を挙げ、今年5月には子どもが生まれる予定です。将来は家族でナムディンで暮らす予定です。 宮崎のベトナム人コミュニティ ベトナム人のサッカーチーム(試合前の記念撮影)〈宮崎市内で2021年〉 私は2020年11月にベトナム人仲間とボランティア日本語教室を立ち上げました。毎週日曜に交代で実習生やエンジニアに日本語を教え、普段の生活サポートも行います。日本人の先生もいます。また、宮崎県には現在、ベトナム人のサッカーチームが8チームあります。私のチームには技能実習生やエンジニア、留学生がいます。毎週日曜に河川敷で練習し、ときどきメンバーの自宅で食事会をします。 このように充実した日本生活を送っていますが、数年後にはベトナムに帰って小さな焼酎醸造所を立ち上げることが私の目標です。大好きな日本でまだまだ多くのことを学びたいと思っています。 今回の先輩 (グエン・ヴァン・カイン)さん 2008年 高校卒業 2008年 ナムディン日本語日本文化学院入学 2010年 ナムディン学院卒業 2010年 建築の技能実習〈岡山県〉 2011年 JLPT・N3合格 2013年 JLPT・N2合格 2013年 ベトナムに帰国 2015年 南九州大学入学〈宮崎県〉 2019年 南九州大学卒業 2019年 酒造メーカーに就職(正社員)〈宮崎県〉 2019年 日本人女性と結婚 〈1990年生まれ、ナムディン省出身〉 技能実習で貯めたお金で大学に留学し、日本の酒造会社に就職したカインさん。将来は故郷で焼酎工場を作るという目標を持つカインさんの留学生活の送り方や就職活動の動き方をリポートする。 〈このページの内容〉 • ベトナムで日本語学校に1年半 • 職歴に関する書類の内容に注意 • 技能実習 • 留学 • 学費とアルバイト • ハローワークで就職活動 • 「あなたは日本でいつまで働く予定ですか?」 • ボランティア日本語教室を活用 • 日本人女性と結婚 • 宮崎のベトナム人コミュニティ ベトナムで日本語学校に1年半 私はナムディン省の高校を卒業し大学進学も考えましたが、親せきの紹介でナムディン日本語日本文化学院に入りました。自宅から遠かったので、同じ村から入学した5人でアパートをシェアしました。学院では毎日15:40ごろまで授業を受け、夕食後にまた学院に戻ってみんなで3、4時間自習しました。 ナムディン学院で1年半勉強し、本当はすぐに留学したかったのですが、お金がかかるので、まず技能実習をすることにしました。人づてにホーチミンの送出機関を紹介してもらい、約60,000,000 VND(約29万円)で日本に行くことができました。ナムディン学院で日本語を十分に学んだので、送出機関には日本語教育費は支払いませんでした。 故郷のYÊN CƯỜNG村〈2014年〉 職歴に関する書類の内容に注意 技能実習の在留資格を申請する際に気をつけたことがあります。技能実習は、生徒が母国で経験した職業の技術を日本で高めるという名目で行われていますが、実際は、大半のケースで求人内容に合わせて生徒の職歴を偽装して在留資格を申請しています。もし、その申請の際に提出した職歴の内容を知らず、技能実習が終わってから留学の在留資格を申請する際に違う職歴を提出すると、申請が許可されないことがあります。 私は職歴に関する書類作成を送出機関だけに任せず、ナムディン学院の先生と一緒に内容をよく考えて作成しました。そして、入管に提出した書類はすべてコピーして保管しました。 ナムディン日本語日本文化学院のクリスマス会〈2013年〉 技能実習 こうして、私は2010年10月に訪日し、岡山県備前市で技能実習を始めました。従業員40~50人ぐらいの会社で、実習生は私を含めて2人でした。仕事は住宅や工場の解体です。建築・解体の現場には気の荒い人が多いと言われていますが、私はベトナムで日本語を十分に勉強してから訪日したので、最初から職場でのコミュニケーションがうまくいき、皆さんに親切にしていただきました。60代の先輩が私に特に親切で、よく車で日帰り旅行に連れて行ってくださいました。奈良・京都・大阪には一緒に1泊で旅行しました。この方とは留学で再訪日してからも時々お会いしています。 技能実習で私の手取り給料は毎月10万~11万円でした。ここから毎月7~8万円ずつを実家に送金し、送金額は3年間で約250万円(約522,000,000 VND)になりました。訪日時の費用や母の通院費などを差し引いても約150万円残ったので、それをその後の留学の資金にしました。 職場の先輩日本人や後輩ベトナム人と旅行〈奈良で2013年〉 留学 技能実習を終えた私は帰国してナムディン学院で講師をしました。技能実習の監理団体(受入組合)が送出機関への就職を紹介してくれましたが、ロイ校長の助言で学院に戻りました。ここで1年4カ月、後輩に教えながら自分も日本語学習を続けました。技能実習生には、「日本で学んだ技術を母国に移転する」という役割があるため、一定期間を経ないと留学の在留資格を申請しても許可されないからです。 その後、ナムディン学院と提携する南九州大学(宮崎県)の入試をハノイで受け、合格しました。技能実習の3年目に日本語能力試験(JLPT)・N2に合格していたので、作文の試験を免除され、面接(日本語)だけでした。私は日本の酒造技術を学び、それを応用してベトナムで焼酎を醸造したいと考え、食品関係の学部を選びました。留学して最初の約4カ月間はアルバイトをせず、勉強に集中しました。授業で専門用語も多く、予習・復習に時間がかかったからです。大学時代は授業以外に毎日3~5時間勉強しました。平日は毎日5時間のアルバイトがあったので、授業のないときや週末に勉強しました。 大学での実習(左の奥が私) 学費とアルバイト 留学する際は、最初に約100万円を入学金や1年目の授業料などとして支払い、それ以外に約50万円を持って日本に来ました。4年間の留学費用は主にそのお金とアルバイトとでまかないましたが、それができた背景には下記のような要因がありました。 • 南九州大学では、外国人留学生の授業料が半額 • 2年目から同郷の後輩2人とアパートをシェア • 2年生のときに1年間で計360,000円の奨学金をもらえた(大学からの紹介) アルバイトは求人サイトで探しました。日本語をある程度話せたので、1軒目の居酒屋で採用され、そこで卒業まで働きました。いなかはのんびりしているので、お客さんたちが「どこから来たの?」「学生さんですか?」などと私に話しかけてくださり、お客さんや日本人のアルバイト仲間との会話で日本語が上達しました。仲間とは、勤務後に数人で飲みに行ったり休日にショッピングモールに出かけたりもしました。 アルバイト仲間の日本人たちと過ごす休日〈宮崎市内で2019年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学3年のときの家計簿 ※100円=20,877 VND(※2021年4月2日現在) 収入(合計100,000円) アルバイト1件(居酒屋) 100,000円 支出(合計102,000円~107,000円) 家賃 12,000円 ※アパートを3人でシェア 授業料 50,000円 光熱費 7,000~10,000円 ※電気・ガス・水道代の合計 インターネット(Wi-Fi) 2000円 ※3人で分担 携帯電話 3000円 ※Y-mobile 食費 20,000円 雑費 8,000円~10,000円 ※衣類、教材、交通費など 毎月の差額・貯金 ▲2,000円~▲7,000円 ※長期休暇時のアルバイト料などで補てん ハローワークで就職活動 私は大学2年のときに2週間、3年のときに10日間、同じ酒造会社でインターンシップをさせていただき、焼酎づくりの基礎を学びました。社長からは就職の内々定をいただいていましたが、4年生の初めに事情が変わりました。この会社が買収され、経営者が変わったのです。私の内々定も立ち消えになり、私は周囲より遅れて6月から就職活動を始めることになりました。 大学生の多くは「マイナビ」サイトを使って就活をしますが、私は公的機関であるハローワークのサイトで求人を探しました。狙いは、歴史があって従業員の少ない酒造会社です。「歴史=技術力と信用」、「少人数=酒造技術を全般的に学べる」という観点でした。ネットで調べてから6月末ごろ、地元のハローワーク事務所に行って履歴書を提出し、4社に申し込みました。すると、1社は外国人を採用していませんでしたが、残り3社は面接をしてくれました。 大学で焼酎の造り方を研究。就職活動も酒造会社に絞って応募。 「あなたは日本でいつまで働く予定ですか?」 外国人留学生の採用面接では避けて通れない関門があります。「あなたはいつまで日本で働くつもりですか」という質問です。私は日本で学んだ技術をベトナムに持ち帰って起業することが夢です。このことを面接で話すべきかどうか、私は大学の研究室の先生に相談しました。先生は「目標があるのなら、正直に答えた方がよいのではないか」という意見で、私もそうすることにしました。 2020年7月に受けた3社の面接で、やはりどの社からもこのことを聞かれました。福岡県の焼酎メーカーの担当者はわざわざ宮崎まで来てくださり、よい雰囲気で面接が進みました。しかし、終盤にこの質問が出て正直に答えると、面接の雰囲気が変わり、採用してもらえませんでした。しかし、残り2社は、私が正直に答えたのに内々定をくれました。私はその中で宮崎県西都(さいと)市の岩倉酒造場という会社にお世話になることにしました。約160年の歴史がある会社です。現在、働き始めて1年経ちましたが、とても働きやすい職場です。 私が就職した岩倉酒造場〈2020年〉 ボランティア日本語教室を活用 私は技能実習で日本に来た翌年にJLPT・N3、3年目にN2を取得しました。仕事が終わってから家で毎日2、3時間勉強したほか、ボランティア日本語教室に通いました。最初は監理団体の通訳の紹介で岡山市内の教室に通いましたが、授業が難しすぎました。そこで、レベル別にクラスがある倉敷市の教室に移り、毎週日曜に2時間の無料授業を受けました。家の近くの駅から倉敷までは電車で片道約80分(往復の電車賃は約2,000円)かかりましたが、将来の財産になるので時間とお金をかけました。 技能実習2年目には、岡山県和気(わけ)町でも無料日本語教室を見つけ、倉敷の教室も続けながら毎週火曜の夜に授業を受けました。和気の教室の先生は年に数回、自宅に生徒数人を招いて食事会をしてくれました。ここで知り合ったベトナム人仲間とは、テト(旧正月)の食事会をするなど交流が深まりました。 和気町の日本語教室の先生の家で懇親会〈2013年〉 日本人女性と結婚 和気町の日本語教室の先生に私と年の近い女性がいました。この女性は勤務先の同僚のベトナム人が日本語を話せず困っている姿を見て、外国人に日本語を教えるボランティアに参加したそうです。女性はその後、仕事をやめてホーチミンに渡り、送出機関で2年間日本語を教えることになりました。同じころ、技能実習が終わってナムディンに戻っていた私は、SNS(メッセンジャー)でこの女性からのさまざまな相談に応じるようになりました。 私の留学2年目の2016年春、帰国して岡山に戻っていたこの女性が宮崎に遊びに来てくれました。すると、女性は宮崎の土地柄や気候が気に入ったと言って半年後に宮崎に引っ越して来て、私たちは付き合うようになりました。2019年11月、私たちはナムディンで約500人を招いて結婚式を挙げ、今年5月には子どもが生まれる予定です。将来は家族でナムディンで暮らす予定です。 故郷で結婚式〈2019年〉 宮崎のベトナム人コミュニティ 私は2020年11月にベトナム人仲間とボランティア日本語教室を立ち上げました。毎週日曜に交代で実習生やエンジニアに日本語を教え、普段の生活サポートも行います。日本人の先生もいます。また、宮崎県には現在、ベトナム人のサッカーチームが8チームあります。私のチームには技能実習生やエンジニア、留学生がいます。毎週日曜に河川敷で練習し、ときどきメンバーの自宅で食事会をします。 このように充実した日本生活を送っていますが、数年後にはベトナムに帰って小さな焼酎醸造所を立ち上げることが私の目標です。大好きな日本でまだまだ多くのことを学びたいと思っています。 ベトナム人のサッカーチーム(試合前の記念撮影)〈宮崎市内で2021年〉
2021年04月09日
今回の先輩 トー・ティ・ヒエンさん 2000年 高校中退、家業手伝い〈タイビン県〉 2001年 靴製造会社で勤務〈ハイフォン県〉 2007年 長女出産、縫製工場勤務〈タイビン県〉 2018年 送出機関登録 2019年 2月:訪日→講習→技能実習〈奈良県〉 2019年 9月:OTITによって保護 2019年 12月:新しい職場で技能実習開始〈岩手県〉 〈1984年生まれ、タイビン省出身〉 社長から「あなたはもう会社に来なくてもいい」と言われた技能実習生ヒエンさん。送出機関社長もやってきて「あなたをベトナムに連れて帰る」と迫られたが、強制帰国寸前でOTIT(外国人技能実習機構)が出動!ヒエンさんは救出され、転職先も紹介してもらえることに。 〈このページの内容〉 • 娘の学費を稼ぐために日本へ • 訪日前の借金とその後の返済 • 過酷な労働と残業代不払い • 「もう会社に来なくてもよい • 絶望の帰国通告 • 「外国人実習生支援」にSOS • 外国人技能実習機構(OTIT)登場! • 新職場は別世界 娘の学費を稼ぐために日本へ 私の今の実習先〈2020年〉 私は、家が貧しかったので、高校2年の初めに学校を中退して母を手伝い、翌年からハイフォンの靴製造会社で働きました。当時は高校に行く人が少なく、私の周りでは半分もいませんでした。2006年に職場の地元の男性と結婚して妊娠し、退職しましたが、半年で離婚し、2007年1月に女児を出産しました。その9カ月後、縫製工場で仕事を始めました。娘は現在、中学3年生で、私の両親と一緒に暮らしています。娘の成績がよいので、私は娘の今後の学費を稼ぐために技能実習を志望しました。 訪日前の借金とその後の返済 今の職場での仕事〈岩手県で2020年〉 私は友人に紹介してもらったハノイの送出機関に登録し、支払いのために銀行から160,000,000ドン(約756,000円)を借りました。また、父の肺がんの治療のために、それとは別に140,000,000ドンを借りました。日本に来てから最初の職場で6カ月、今の職場で15カ月働き、借金はほぼ全額返済できました。今後は、技能実習の残り期間で娘の将来の学費をなるべく貯めたいです。また、3年間の実習が終わったら、技能実習3号として今の職場に戻りたいと希望しています。 前の職場では残業代をもらえず、毎月6、7万円しか実家に送金できませんでしたが、今の職場では毎月10万円送っています。父は病気、母も高齢です。自分たちの田畑を人に貸しているので、米や野菜は無料ですが、現金がないので、私の仕送りで3人の生活費と娘の学費をまかなっています。 ◇私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,240 VND(2021年3月11日現在) 手取り給料(平均140,000円) 手取り給料 137,000円~142,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は11,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 35,000円~40,000円) 食費 30,000円 ※自炊 雑費 5,000円~10,000円 ※生活雑貨、医薬品など ※ 差額・貯金(平均100,000円) 過酷な労働と残業代不払い 残業代が計上されなかった給与明細。「当時を思い出すと、今でも悔しい」。 私は現在、二つ目の実習先で働いていますが、最初の職場ではつらい目にあいました。それは奈良県の縫製工場で、私の手取り給料は88,000円(約18,700,000ドン)しかありませんでした。毎日17:00に定時の仕事が終わり、その後2、3時間(長いときは5時間)残業をしましたが、残業代をもらえませんでした。社長の理屈は「本来は200枚を8時間以内に縫わなければならない。200枚縫い終わるまでは残業にカウントしない」というものでした。 しかし、例えば男性用セーターを1人で縫う場合、そで、肩、わき、えりなどを縫い分けると、頑張っても1枚5分かかります。100枚で500分。これだけでも定時には終わりません。3時間残業しても1日150枚が精一杯ですし、息つく暇もなく縫うので、毎日くたくたでした。送出機関から「社長はいい人で、手取り170,000円」と説明されて応募しましたが、事実は全く違いました。 「もう会社に来なくてもよい」 当時の実習先〈2019年〉 この会社で働き始めて間もなく、近所のベトナム人実習生と知り合い、私の職場で技能実習を終えて帰国した先輩2人をSNSで紹介してくれました。先輩たちに聞くと、「残業代はゼロではなかったが、本来の額より少なかった」とのことでした。先輩たちもかわいそうでしたが、私たちはさらにひどい条件です。しかし、日本語ができないので社長に抗議もできず、悔しい思いで仕事を続けていたある日、社長から思わぬことを言われました。 私は社長から突然、「1日200枚縫えないならベトナムに帰ってください。あなたはもう会社に来なくてもいいです」と言われました。技能実習を始めて約3カ月で、まだ借金がたくさん残っていました。私はショックでぼうぜんとしました。その後、私から相談を受けた監理団体(組合)の通訳が社長と話をし、私は「1日200枚縫えない場合は、給料は受け取らない」という趣旨の誓約書(ベトナム語)を書かされて仕事に復帰しました。実習生3人のうち「会社に来なくていい」と言われたのは私だけでした。 絶望の帰国通告 送出機関社長に書かされた文書〈2019年9月〉 そして、事態はさらに悪化します。9月に送出機関の社長がハノイからやって来ました。少し前に発生した不良品が原因のようでした。社長の指示通りの針で縫ったところ、針の大きさが間違っており、100枚返品されたのです。送出機関の若い女性社長は私たち実習生3人と会社で話をし、その後、私だけを寮に連れて行きました。寮に着くなり社長は「会社はあなたをいらないと言っている。一緒に帰国しよう」と切り出しました。私は声を出して泣きました。これまでの経緯を説明し、一生懸命働いたのになぜ自分だけ帰されるのかと抗議しましたが、社長からは慰めの言葉もありませんでした。 それどころか、社長は「自分の希望でベトナムに帰国する」という文書を書くように私に言いました。それを書けば、未払いの3カ月分の給料を支払うとのことです。私は指示されるまま次のような趣旨の文書を書きました。「私は会社でいろいろな問題を起こし、不良品もよく出しました。現在、会社は私を不要としています。私は帰国しますので、6~8月分の給料を支払ってください」。社長は「ベトナムに帰国し、1、2カ月待てばまた新しい仕事が見つかって日本に戻れる」と言いましたが、信用できません。また、このように書かされましたが、実際は私の責任で不良品を出したことはありませんでした。 「外国人実習生支援」にSOS 榑松さんがOTITに送ってくれた申告書の一部〈2019年9月〉 私は文書を書いて職場に戻りましたが、昼休みになっても昼食がのどを通りませんでした。終業後も送出機関社長に公園に連れて行かれ、「ベトナムに戻って少し待てば、新しい仕事が見つかる」と午前と同じことを言われました。しかし、本当に新しい実習先を紹介してもらえる保証はありませんし、追加料金を要求される可能性もあります。私は「私は大きな借金をして日本に来たし、仕事もしっかりやっている。監理団体がほかの仕事を見つけるまで日本で待ちたい。帰国はしません」と言い残して寮に帰りました。 その夜、送出機関社長は私の失踪を警戒したのか、ホテルではなく私たち3人の寮に泊まりました。私は寝室である人にSOSメッセージを送りました。送った相手は「外国人実習生支援」という支援団体の榑松(くれまつ)代表で、不当な処遇をされた実習生を何人も助けてきた人です。実は、5月に「あなたはもう会社に来なくてもいい」と言われた直後、会社の先輩から榑松さんを紹介され、通訳(ベトナム人留学生のボランティア)も入ってSNSでやり取りを続けていたのです。 私は榑松さんに切迫した状況を伝えました。榑松さんからは「明日、OTITが会社に行く。しかし、もしその前に空港に連れて行かれた場合は、出国審査の入管職員に私の名刺を見せて『本当は帰国したくない』と伝えなさい」と返事があり、榑松さんの名刺の写真を送ってくれました。榑松さんはその直後、OTITにFAXで9枚の申告書と資料を送り、私を助け出すように依頼してくれました。 外国人技能実習機構(OTIT)登場! 翌朝、私はどきどきしながら出勤すると、約2時間後、OTITの担当者 2人が本当に会社に来ました!担当者の1人は縫製会社社長と話し、もう1人(女性)は私を寮に連れて行きました。寮には監理団体理事長も来ました。私はOTITから電話通訳を介して「あなたは無理に帰国させられるかも知れないので、私たちがあなたを保護します。あなたは今日からホテルに住み、私たちがほかの勤務先を探します」と説明されました。私は荷造りをし、OTITの車で大阪市内のホテルに移されました。 ホテルに行く前に会社に戻り、会社から未払いの3カ月分の給料を受け取りました。社長は深刻な顔をしていました。OTITの担当者は4人に増え、そのうち2人が監理団体理事長と話をしていました。理事長も深刻な表情でした。私は社長に「短い間でしたが、どうもありがとうございました。お元気で」とあいさつしましたが、社長は無言でした。その後、この会社の技能実習計画は取り消され、ほかの2人の実習生も別の職場に移されました。 新職場は別世界 左:寮の自分のベッド。毎晩、ここから娘に電話する; 右:寮の台所 約2カ月半後、私はOTITや榑松さんたちのおかげで岩手県の「ケーエスファクトリー」に移籍しました。同社は約20名の職場で、有名ブランドの婦人服の縫製を行っており、ベトナム人女性5人が技能実習をしています。監理団体は東京の「ワールドパワー協同組合」で、担当のベトナム人通訳が頻繁に来て、私たちの状況を聞いてくれます。 新型コロナがなければ、夏には社長が実習生たちに浴衣を買い与えて地元の夏祭りに連れて行ったり、春には車で花見に連れて行ってくれたりするそうです。今の職場は前の職場と環境も給料もまったく違います。私を助けてくれた「外国人実習生支援」やOTIT、そして今の社長にとても感謝しています。 【編集部からのアドバイス】 ❶ ヒエンさんの転籍先を紹介した監理団体は技能実習生を紹介する際、その会社が▽法律通り残業代を支払う▽技能実習日誌や管理簿をきちんとつける▽平均的な寮生活を提供する――などを条件としています。この組合の紹介先で技能実習をしたい場合は、問い合わせてみてください。 (監理団体)ワールドパワー協同組合 world-power@helen.ocn.ne.jp ※メール(ベトナム語)で問い合わせができます。翻訳に少し時間がかかります。 ❷ 強制帰国は違法 技能実習生の意に反して計画途中で帰国させることは違法です。実習生が技能実習の継続を希望している場合、受入会社や監理団体は責任を持って次の実習先を確保しなければなりません(法的義務)。 ❸ 実習先での問題はまず所属する監理団体に相談し、それで解決しない場合は、必ず外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語で電話(0120-250-168)で相談できますが、相談内容が深刻な場合は、紙に書いてOTITを訪問するか郵送する方が効果的です。 ❹ 万一、OTITに相談しても解決しない場合は、下記のような民間の支援団体もあります。 外国人実習生支援(Facebook) 日越ともいき支援会 会社の近くの桜〈岩手県で2020年〉 寮では勉強机も広々〈岩手県で2020年〉 今回の先輩 (トー・ティ・ヒエン)さん 2000年 高校中退、家業手伝い〈タイビン〉 2001年 靴製造会社で勤務〈ハイフォン〉 2007年 長女出産、縫製工場勤務〈タイビン〉 2018年 送出機関登録 2019年 2月:訪日→講習→技能実習〈奈良〉 2019年 9月:OTITによって保護 2019年 12月:新しい職場で技能実習開始〈岩手〉 〈1984年生まれ、タイビン省出身〉 社長から「あなたはもう会社に来なくてもいい」と言われた技能実習生ヒエンさん。送出機関社長もやってきて「あなたをベトナムに連れて帰る」と迫られたが、強制帰国寸前でOTIT(外国人技能実習機構)が出動!ヒエンさんは救出され、転職先も紹介してもらえることに。 〈このページの内容〉 • 娘の学費を稼ぐために日本へ • 訪日前の借金とその後の返済 • 過酷な労働と残業代不払い • 「もう会社に来なくてもよい」 • 絶望の帰国通告 • 「外国人実習生支援」にSOS • 外国人技能実習機構(OTIT)登場! • 新職場は別世界 娘の学費を稼ぐために日本へ 私は、家が貧しかったので、高校2年の初めに学校を中退して母を手伝い、翌年からハイフォンの靴製造会社で働きました。当時は高校に行く人が少なく、私の周りでは半分もいませんでした。2006年に職場の地元の男性と結婚して妊娠し、退職しましたが、半年で離婚し、2007年1月に女児を出産しました。その9カ月後、縫製工場で仕事を始めました。娘は現在、中学3年生で、私の両親と一緒に暮らしています。娘の成績がよいので、私は娘の今後の学費を稼ぐために技能実習を志望しました。 私の今の実習先〈2020年〉 訪日前の借金とその後の返済 私は友人に紹介してもらったハノイの送出機関に登録し、支払いのために銀行から160,000,000ドン(約756,000円)を借りました。また、父の肺がんの治療のために、それとは別に140,000,000ドンを借りました。日本に来てから最初の職場で6カ月、今の職場で15カ月働き、借金はほぼ全額返済できました。今後は、技能実習の残り期間で娘の将来の学費をなるべく貯めたいです。また、3年間の実習が終わったら、技能実習3号として今の職場に戻りたいと希望しています。 前の職場では残業代をもらえず、毎月6、7万円しか実家に送金できませんでしたが、今の職場では毎月10万円送っています。父は病気、母も高齢です。自分たちの田畑を人に貸しているので、米や野菜は無料ですが、現金がないので、私の仕送りで3人の生活費と娘の学費をまかなっています。 今の職場での仕事〈岩手県で2020年〉 ◇私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,240 VND(2021年3月11日現在) 手取り給料(平均140,000円) 手取り給料 137,000円~142,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は11,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 35,000円~40,000円) 食費 30,000円 ※自炊 雑費 5,000円~10,000円 ※生活雑貨、医薬品など ※ 差額・貯金(平均100,000円) 過酷な労働と残業代不払い 私は現在、二つ目の実習先で働いていますが、最初の職場ではつらい目にあいました。それは奈良県の縫製工場で、私の手取り給料は88,000円(約18,700,000ドン)しかありませんでした。毎日17:00に定時の仕事が終わり、その後2、3時間(長いときは5時間)残業をしましたが、残業代をもらえませんでした。私は社長から突然、「1日200枚縫えないならベトナムに帰ってください。あなたはもう会社に来なくてもいいです」と言われました。技能実習を始めて約3カ月で、まだ借金がたくさん残っていました。私はショックでぼうぜんとしました。社長の理屈は「本来は200枚を8時間以内に縫わなければならない。200枚縫い終わるまでは残業にカウントしない」というものでした。 しかし、例えば男性用セーターを1人で縫う場合、そで、肩、わき、えりなどを縫い分けると、頑張っても1枚5分かかります。100枚で500分。これだけでも定時には終わりません。3時間残業しても1日150枚が精一杯ですし、息つく暇もなく縫うので、毎日くたくたでした。送出機関から「社長はいい人で、手取り170,000円」と説明されて応募しましたが、事実は全く違いました。 残業代が計上されなかった給与明細。「当時を思い出すと、今でも悔しい」。 「もう会社に来なくてもよい」 この会社で働き始めて間もなく、近所のベトナム人実習生と知り合い、私の職場で技能実習を終えて帰国した先輩2人をSNSで紹介してくれました。先輩たちに聞くと、「残業代はゼロではなかったが、本来の額より少なかった」とのことでした。先輩たちもかわいそうでしたが、私たちはさらにひどい条件です。しかし、日本語ができないので社長に抗議もできず、悔しい思いで仕事を続けていたある日、社長から思わぬことを言われました。 私は社長から突然、「1日200枚縫えないならベトナムに帰ってください。あなたはもう会社に来なくてもいいです」と言われました。技能実習を始めて約3カ月で、まだ借金がたくさん残っていました。私はショックでぼうぜんとしました。その後、私から相談を受けた監理団体(組合)の通訳が社長と話をし、私は「1日200枚縫えない場合は、給料は受け取らない」という趣旨の誓約書(ベトナム語)を書かされて仕事に復帰しました。実習生3人のうち「会社に来なくていい」と言われたのは私だけでした。 当時の実習先〈2019年〉 絶望の帰国通告 そして、事態はさらに悪化します。9月に送出機関の社長がハノイからやって来ました。少し前に発生した不良品が原因のようでした。社長の指示通りの針で縫ったところ、針の大きさが間違っており、100枚返品されたのです。送出機関の若い女性社長は私たち実習生3人と会社で話をし、その後、私だけを寮に連れて行きました。寮に着くなり社長は「会社はあなたをいらないと言っている。一緒に帰国しよう」と切り出しました。私は声を出して泣きました。これまでの経緯を説明し、一生懸命働いたのになぜ自分だけ帰されるのかと抗議しましたが、社長からは慰めの言葉もありませんでした。 それどころか、社長は「自分の希望でベトナムに帰国する」という文書を書くように私に言いました。それを書けば、未払いの3カ月分の給料を支払うとのことです。私は指示されるまま次のような趣旨の文書を書きました。「私は会社でいろいろな問題を起こし、不良品もよく出しました。現在、会社は私を不要としています。私は帰国しますので、6~8月分の給料を支払ってください」。社長は「ベトナムに帰国し、1、2カ月待てばまた新しい仕事が見つかって日本に戻れる」と言いましたが、信用できません。また、このように書かされましたが、実際は私の責任で不良品を出したことはありませんでした。 送出機関社長に書かされた文書〈2019年9月〉 「外国人実習生支援」にSOS 私は文書を書いて職場に戻りましたが、昼休みになっても昼食がのどを通りませんでした。終業後も送出機関社長に公園に連れて行かれ、「ベトナムに戻って少し待てば、新しい仕事が見つかる」と午前と同じことを言われました。しかし、本当に新しい実習先を紹介してもらえる保証はありませんし、追加料金を要求される可能性もあります。私は「私は大きな借金をして日本に来たし、仕事もしっかりやっている。監理団体がほかの仕事を見つけるまで日本で待ちたい。帰国はしません」と言い残して寮に帰りました。 その夜、送出機関社長は私の失踪を警戒したのか、ホテルではなく私たち3人の寮に泊まりました。私は寝室である人にSOSメッセージを送りました。送った相手は「外国人実習生支援」という支援団体の榑松(くれまつ)代表で、不当な処遇をされた実習生を何人も助けてきた人です。実は、5月に「あなたはもう会社に来なくてもいい」と言われた直後、会社の先輩から榑松さんを紹介され、通訳(ベトナム人留学生のボランティア)も入ってSNSでやり取りを続けていたのです。 私は榑松さんに切迫した状況を伝えました。榑松さんからは「明日、OTITが会社に行く。しかし、もしその前に空港に連れて行かれた場合は、出国審査の入管職員に私の名刺を見せて『本当は帰国したくない』と伝えなさい」と返事があり、榑松さんの名刺の写真を送ってくれました。榑松さんはその直後、OTITにFAXで9枚の申告書と資料を送り、私を助け出すように依頼してくれました。 榑松さんがOTITに送ってくれた申告書の一部〈2019年9月〉 外国人技能実習機構(OTIT)登場! 翌朝、私はどきどきしながら出勤すると、約2時間後、OTITの担当者 2人が本当に会社に来ました!担当者の1人は縫製会社社長と話し、もう1人(女性)は私を寮に連れて行きました。寮には監理団体理事長も来ました。私はOTITから電話通訳を介して「あなたは無理に帰国させられるかも知れないので、私たちがあなたを保護します。あなたは今日からホテルに住み、私たちがほかの勤務先を探します」と説明されました。私は荷造りをし、OTITの車で大阪市内のホテルに移されました。 ホテルに行く前に会社に戻り、会社から未払いの3カ月分の給料を受け取りました。社長は深刻な顔をしていました。OTITの担当者は4人に増え、そのうち2人が監理団体理事長と話をしていました。理事長も深刻な表情でした。私は社長に「短い間でしたが、どうもありがとうございました。お元気で」とあいさつしましたが、社長は無言でした。その後、この会社の技能実習計画は取り消され、ほかの2人の実習生も別の職場に移されました。 新職場は別世界 約2カ月半後、私はOTITや榑松さんたちのおかげで岩手県の「ケーエスファクトリー」に移籍しました。同社は約20名の職場で、有名ブランドの婦人服の縫製を行っており、ベトナム人女性5人が技能実習をしています。監理団体は東京の「ワールドパワー協同組合」で、担当のベトナム人通訳が頻繁に来て、私たちの状況を聞いてくれます。 新型コロナがなければ、夏には社長が実習生たちに浴衣を買い与えて地元の夏祭りに連れて行ったり、春には車で花見に連れて行ってくれたりするそうです。今の職場は前の職場と環境も給料もまったく違います。私を助けてくれた「外国人実習生支援」やOTIT、そして今の社長にとても感謝しています。 左:寮の自分のベッド。毎晩、ここから娘に電話する; 右:寮の台所 【編集部からのアドバイス】 ❶ ヒエンさんの転籍先を紹介した監理団体は技能実習生を紹介する際、その会社が▽法律通り残業代を支払う▽技能実習日誌や管理簿をきちんとつける▽平均的な寮生活を提供する――などを条件としています。この組合の紹介先で技能実習をしたい場合は、問い合わせてみてください。 (監理団体)ワールドパワー協同組合 world-power@helen.ocn.ne.jp ※メール(ベトナム語)で問い合わせができます。翻訳に少し時間がかかります。 ❷ 強制帰国は違法 技能実習生の意に反して計画途中で帰国させることは違法です。実習生が技能実習の継続を希望している場合、受入会社や監理団体は責任を持って次の実習先を確保しなければなりません(法的義務)。 ❸ 実習先での問題はまず所属する監理団体に相談し、それで解決しない場合は、必ず外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語で電話(0120-250-168)で相談できますが、相談内容が深刻な場合は、紙に書いてOTITを訪問するか郵送する方が効果的です。 ❹ 万一、OTITに相談しても解決しない場合は、下記のような民間の支援団体もあります。 外国人実習生支援(Facebook) 日越ともいき支援会 会社の近くの桜〈岩手県で2020年〉 寮では勉強机も広々〈岩手県で2020年〉
2021年03月29日
今回の先輩 ズンさん=仮名 2018年高校卒業〈ドンナイ省〉 2019年送出機関に登録〈ホーチミン〉 2020年訪日(2月)→入国後講習 2020年建築の技能実習〈富山県、神奈川県〉 2020年不法就労(7~10月)〈長野県) 2020年日越ともいき支援会で保護〈東京〉 2021年介護のアルバイト〈東京〉 〈1998年生まれ、ドンナイ省出身〉 ズンさん(仮名)は技能実習中に失踪し、農家で不法就労をしたが、この仕事を紹介した会社が警察に摘発された。失踪生活で心身ともに疲れ、「失踪せず、支援機関に相談すればよかった」と後悔する。 〈このページの内容〉 • 家業倒産で多額の借金 • 紹介少なく、不人気業種に応募 • 3カ月で労働内容変更 • 不平等な重労働 • ウーバーイーツ詐欺 • 不法就労へのプロセス • 不法就労の実態 • 失職 • 失踪の結末 家業倒産で多額の借金 私が通った送出機関の日本語センターで旧正月を祝うイベント 私の父はアンザン省で稲作と小型船エンジンの販売をしていましたが、私が高校生のときにエンジン販売業が倒産し、約7億ドン(約320万円)の負債ができました。両親は自宅と水田を売って一部を返済し、知人から紹介された家具工場で働くためにドンナイ省に移りました。私と兄は近所の祖父母のもとに残り、両親の生活が落ち着いてから合流しました。 高校2年の途中でドンナイ省に移り、3カ月間は両親と一緒に働き、翌年度に高2をもう一度やり直しました。転校前の成績はクラスの上位3分の1に入っていましたが、多額の借金があるので、進学をあきらめました。そのころ、高校に送出機関が来て技能実習の説明をしました。「日本に行けば、ベトナムでは考えられない額の給料をもらえ、技術も学べる」という説明でした。 紹介少なく、不人気業種に応募 不合格になった最初の採用面接〈ホーチミン市で2019年6月〉 私は技能実習生になろうと思い、どの送出機関に依頼すべきかネットで調べました。「信用できる送出機関ランキング(Top công ty xuất khẩu lao động nhật bản uy tín)」などのキーワードで検索し、約10社をリストアップしました。これらの会社に電話などで問い合わせ、条件や対応のよかった2社を訪問して1社を選びました。同社の担当者は「手取り給料は30,000,000ドン(約138,000円)を超える」と説明しました。 私はこの会社に2019年2月に登録しましたが、リサーチ不足だったことが後で分かりました。人気職種の求人紹介が少なかったのです。たまに良い求人があっても、他の送出機関からの紹介で、採用された場合に20,000,000ドンの追加料金がかかります。このため、6月にやっと最初の面接を受け(不合格)、7月に2回目の面接で合格しました。不人気の建設業でしたが、焦りもあって仕方なく応募したのです。 3カ月で労働内容変更 短かった富山での生活〈2020年3月〉 私は2020年2月に訪日し、3月から富山県で技能実習を始めました。手取り給料は約104,000円(約22,666,000ドン)でした。工場で機械を使って鉄筋を折り曲げ、針金で束ねてから運ぶ仕事でした。 当初の契約書では、1年間はこの作業で、2年目から建築現場で働くことになっていました。しかし、実際には、3カ月で神奈川県に転勤させられて新しい契約書に署名させられ、東京・新宿の超高層ビル建築現場にかり出されました。手取り給料は約135,000円に増えましたが、仕事が過酷なうえ、職場環境にも問題がありました。 不平等な重労働 新宿の超高層ビル建築現場〈2020年6月〉 ここでの仕事は8:00~17:00ですが、家を出るのは5:30、帰宅は19:30でした。いくつかの会社から役割の違うチームが集まり、私たちの会社からは10~20人(半分以上がベトナム人)が出向いていました。私たちの役割は鉄筋を組み立てるための準備ですが、同じチームの若い日本人3人が楽な仕事を取り、私たち実習生は鉄筋運びが中心でした。鉄筋を肩に担いで数十㍍運びます。1人で20㌔以上、2人で約50㌔の鉄筋を運ぶこともあります。鉄筋運びばかりを1日中させられることもあり、歩けなくなるぐらいけなくなるぐらい疲れました。現場責任者が状況を把握しておらず、仕事の割り振りが不平等だったのです。 また、若い日本人3人は休憩時間などに私たちの悪口を言いふらしていました。先輩実習生によると、「仕事のできが悪い」「帰国すればいい」などと言っていたそうです。関係を良くしようと、私たちが休憩時間に飲み物を渡しても、彼らには無視されてしまいました。 ウーバーイーツ詐欺 新大久保駅周辺〈資料写真〉 こうした日々が続き、私は失踪を考え始めました。仕事の過酷さや職場の人間関係も原因ですが、期待していた給料より低かったことが最大の要因でした。このままでは実家の借金をなかなか返せないと思ったのです。手取り給料がせめて150,000円あれば、思いとどまっていたかも知れません。 神奈川に転勤して1カ月後の7月4日(給料日の翌日)、同期のタム君(仮名)と私は失踪しました。そのころ、送出機関の同期で他社から先に失踪していたチェン君(仮名)が東京でウーバーイーツの仕事をしていました。ベトナムのグラブイーツと同じ仕事です。私たちは電車で東京のJR新大久保駅に行き、チェン君を訪ねました。彼は2段ベッドが3台置かれた狭い部屋に住んでいました。部屋の借主の留学生とチェン君ら失踪者3人がおり、私たちもここに1人1万円で2週間住ませてもらいました。 ウーバーイーツ配達員〈資料写真〉 ウーバーイーツの仕事をするにはアカウントを作らなければなりませんが、技能実習生は登録できませできません。そこで、アカウントのヤミ取引が行われています。私たちはチェン君の紹介で自称留学生のベトナム人2人に10万円ずつ払ってアカウントを購入しました。しかし、翌日にはログインできなくなり、彼らと連絡が取れなくなりました。私は売った男のSNS記録から彼の知人を探して男の住所を聞き出し、訪ねて行ってまず5万円を回収しました。ただ、相手はすぐに転居し、残額は回収できませんでした。 不法就労へのプロセス 不法就労現場の畑〈長野県川上村で2020年〉 そこで、私とタム君はFacebookページ“Tokyo Baito”で求人情報を探したり、失踪経験者などに問い合わせたりしました。私たちが使った送出機関の日本語教師(元実習生)2人にも問い合わせると、1人が日本に住む友人をSNSで紹介してくれました。その人からは、太陽光パネルや農業、解体の仕事があると連絡を受けましたが、勤務開始まで2週間かかるとのことだったので遠慮しました。 数日後、Tokyo Baitoで「長野県で農業の仕事。すぐに働ける」という趣旨の投稿を見つけました。私はSNSでたまたまつながっていた失踪実習生に「このバイトは信用できますか?」と尋ねました。彼は「大丈夫だ。この仕事のあっせん業者を紹介する」と言い、トゥンという人物をSNSで紹介してくれました。私とタム君はトゥン氏にメッセージを送り、先に返事をもらったタム君が翌日、長野県に行って農家を紹介されました。私にも1日遅れてトゥン氏から返信があり、偽造在留カードを作るためにパスポートと在留カードの写真を送信するよう指示されました。偽造費用の1万円を送金する際には、他人のキャッシュカードを使いました。私がネットでやり取りして違法に入手したカードでした。 偽造在留カードの費用を振り込むために使った他人のキャッシュカード 7月14日、新幹線で長野県の佐久平駅に着くと、トゥン氏が待っていました。彼が運転する車で約1時間かけて長野県川上村に向かう途中、ホアンという人物も乗車しました。偽造在留カードはまだできておらず、ホアン氏の指示で農家の主人に本物を見せたのですが、主人は承諾しました。 主人は不法就労と知りながら私を雇ったことになります。私はホアン氏に2万円を払い、その日からここに住みました。寮は倉庫の2階でした。 不法就労の実態 午後は草むしりや施肥など〈長野県川上村で2020年〉 農家の仕事はハードでした。朝1時半に起きて、2時から11時半まで働きます。その間、休憩はわずか10分。その後、2時間の昼休みをはさんで13時半から16時半まで働きます。終業後は夕食とシャワーだけ済ませ、19時までに就寝します。未明の仕事では、ヘッドランプで照らしながらレタスの根元を包丁で切って収穫し、サイズを分けて箱詰めした後、トラックに載せます。午後は苗の植え付けや施肥、草むしりなどをします。 作業をするのは日本人3人とベトナム人3人です。川上村と隣の南牧村では約1,500戸の農家が外国人労働者を必要としていますが、新型コロナの影響で外国人の入国が止まり、ホアン氏らの不法就労あっせんに頼る農家が続出していたようです。 失職 ホアンアン社から送られてきたSNSメッセージ 当時はレタス出荷の最盛期で、9月末まで休日なしでしたが、手取り給料は7月(15日間):約15万円(約32,690,000ドン)▽8月:約24万円▽9月:約23万円――あったので、助かりました。ただ、10月には仕事が減り、約15万円になりました。給料はホアン氏らの会社の人が毎月車でやって来て現金で渡してくれました。毎月の出費は4万円くらいで、実家にたくさん送金できました。ただ、冬は給料が減るので、そろそろほかの仕事を探さなければと思っていた矢先、突然解雇されることになりました。 10月13日、会社からSNSで連絡が来ました。「警察に調べられている。ベトナム人労働者との契約を終える方向だ」という趣旨でした。20日、ベトナム人不法就労者100人以上が村の農協に集められ、大阪から来た日本人やホアン氏らから「ホアンアン合同会社に警察の捜査が入ったので、皆さんとの契約を終える。皆さん逃げてください」と通告されました。私は自分がホアンアンの派遣社員だったことを初めて知りました。27日、主人に駅まで車で送ってもらい、東京に戻りました。東京では、知人から紹介されたNPO法人に保護してもらいました。 【編集部からの説明】 「ホアンアン合同会社」は大阪市内の会社で、2020年10月、代表社員の女性やダン・ヴ・ホアン業務執行役員が、無許可で労働者を供給したとして職業安定法違反容疑で逮捕され、その後、起訴されました。 失踪の結末 ◆ わが家の借金と返済の状況 借金 返済 借金残額 1 倒産 700,000,000 đ 700,000,000 đ 2 家と水田売却 250,000,000 đ 450,000,000 đ 3 両親の工場勤務 150,000,000 đ 300,000,000 đ 4 私の訪日費用 190,000,000 đ 490,000,000 đ 5 家財売却 30,000,000 đ 460,000,000 đ 6 親せきの援助 130,000,000 đ 330,000,000 đ 7 私からの送金 150,000,000 đ 180,000,000 đ ※100,000,000₫ =約458,400円(2021年2月22日現在) 失踪して半月後、ビデオ通話中に私の部屋が以前と違うことに気付いた母に追及され、「失踪して農業をしている」と白状しました。母はとても心配しました。 また、富山県の3カ月で計21万円、長野県の4カ月で計50万円を両親に送りましたが、失職後の2カ月間半は無収入でした。失踪すると雇用が安定せず、無職の時期もできるので、失踪せず地道に働き続ける方が、結局はたくさん送金できるようです。 日越ともいき支援会で〈2020年10月〉 私は今では、失踪したことを後悔しています。不法就労は精神的にも疲れました。しかも、農家の仕事は工事現場の仕事と同じぐらいきつかったうえ、夜間や休日の割り増し賃金が支払われませんでした。それなのに、不法就労なのでどこにも相談できませんでした。今なら、技能実習先で困難があれば、まず監理団体に相談します。それでだめなら外国人技能実習機構(OTIT)や民間の支援機関に相談します。 私はNPO法人日越ともいき支援会の支援で2021年1月から介護のアルバイトをしています。今の手取りは11万~13万円ですが、試験に受かって特定技能外国人になれれば、給料が上がり長期間働けます。地道に働いて借金を返し、将来のために貯金もしたいと思います。 今回の先輩 Dung(ズン)さん=仮名 2018年 高校卒業〈ドンナイ省〉 2019年 送出機関に登録〈ホーチミン〉 2020年 訪日(2月)→入国後講習 2020年 建築の技能実習〈富山、神奈川〉 2020年 不法就労(7~10月)〈長野) 2020年 日越ともいき支援会で保護〈東京〉 2021年 介護のアルバイト〈東京〉 〈1998年生まれ、ドンナイ省出身〉 ズンさん(仮名)は技能実習中に失踪し、農家で不法就労をしたが、この仕事を紹介した会社が警察に摘発された。失踪生活で心身ともに疲れ、「失踪せず、支援機関に相談すればよかった」と後悔する。 〈このページの内容〉 • 家業倒産で多額の借金 • 紹介少なく、不人気業種に応募 • 3カ月で労働内容変更 • 不平等な重労働 • ウーバーイーツ詐欺 • 不法就労へのプロセス • 不法就労の実態 • 失職 • 失踪の結末 家業倒産で多額の借金 私の父はアンザン省で稲作と小型船エンジンの販売をしていましたが、私が高校生のときにエンジン販売業が倒産し、約7億ドン(約320万円)の負債ができました。両親は自宅と水田を売って一部を返済し、知人から紹介された家具工場で働くためにドンナイ省に移りました。私と兄は近所の祖父母のもとに残り、両親の生活が落ち着いてから合流しました。 高校2年の途中でドンナイ省に移り、3カ月間は両親と一緒に働き、翌年度に高2をもう一度やり直しました。転校前の成績はクラスの上位3分の1に入っていましたが、多額の借金があるので、進学をあきらめました。そのころ、高校に送出機関が来て技能実習の説明をしました。「日本に行けば、ベトナムでは考えられない額の給料をもらえ、技術も学べる」という説明でした。 私が通った送出機関の日本語センターで旧正月を祝うイベント 紹介少なく、不人気業種に応募 私は技能実習生になろうと思い、どの送出機関に依頼すべきかネットで調べました。「信用できる送出機関ランキング(Top công ty xuất khẩu lao động nhật bản uy tín)」などのキーワードで検索し、約10社をリストアップしました。これらの会社に電話などで問い合わせ、条件や対応のよかった2社を訪問して1社を選びました。同社の担当者は「手取り給料は30,000,000ドン(約138,000円)を超える」と説明しました。 私はこの会社に2019年2月に登録しましたが、リサーチ不足だったことが後で分かりました。人気職種の求人紹介が少なかったのです。たまに良い求人があっても、他の送出機関からの紹介で、採用された場合に20,000,000ドンの追加料金がかかります。このため、6月にやっと最初の面接を受け(不合格)、7月に2回目の面接で合格しました。不人気の建設業でしたが、焦りもあって仕方なく応募したのです。 不合格になった最初の採用面接〈ホーチミン市で2019年6月〉 3カ月で労働内容変更 私は2020年2月に訪日し、3月から富山県で技能実習を始めました。手取り給料は約104,000円(約22,666,000ドン)でした。工場で機械を使って鉄筋を折り曲げ、針金で束ねてから運ぶ仕事でした。 当初の契約書では、1年間はこの作業で、2年目から建築現場で働くことになっていました。しかし、実際には、3カ月で神奈川県に転勤させられて新しい契約書に署名させられ、東京・新宿の超高層ビル建築現場にかり出されました。手取り給料は約135,000円に増えましたが、仕事が過酷なうえ、職場環境にも問題がありました。 短かった富山での生活〈2020年3月〉 不平等な重労働 ここでの仕事は8:00~17:00ですが、家を出るのは5:30、帰宅は19:30でした。いくつかの会社から役割の違うチームが集まり、私たちの会社からは10~20人(半分以上がベトナム人)が出向いていました。私たちの役割は鉄筋を組み立てるための準備ですが、同じチームの若い日本人3人が楽な仕事を取り、私たち実習生は鉄筋運びが中心でした。鉄筋を肩に担いで数十㍍運びます。1人で20㌔以上、2人で約50㌔の鉄筋を運ぶこともあります。鉄筋運びばかりを1日中させられることもあり、歩けなくなるぐらい けなくなるぐらい疲れました。現場責任者が状況を把握しておらず、仕事の割り振りが不平等だったのです。 また、若い日本人3人は休憩時間などに私たちの悪口を言いふらしていました。先輩実習生によると、「仕事のできが悪い」「帰国すればいい」などと言っていたそうです。関係を良くしようと、私たちが休憩時間に飲み物を渡しても、彼らには無視されてしまいました。 新宿の超高層ビル建築現場〈2020年6月〉 ウーバーイーツ詐欺 こうした日々が続き、私は失踪を考え始めました。仕事の過酷さや職場の人間関係も原因ですが、期待していた給料より低かったことが最大の要因でした。このままでは実家の借金をなかなか返せないと思ったのです。手取り給料がせめて150,000円あれば、思いとどまっていたかも知れません 神奈川に転勤して1カ月後の7月4日(給料日の翌日)、同期のタム君(仮名)と私は失踪しました。そのころ、送出機関の同期で他社から先に失踪していたチェン君(仮名)が東京でウーバーイーツの仕事をしていました。ベトナムのグラブイーツと同じ仕事です。私たちは電車で東京のJR新大久保駅に行き、チェン君を訪ねました。彼は2段ベッドが3台置かれた狭い部屋に住んでいました。部屋の借主の留学生とチェン君ら失踪者3人がおり、私たちもここに1人1万円で2週間住ませてもらいました。 新大久保駅周辺〈資料写真〉 ウーバーイーツの仕事をするにはアカウントを作らなければなりませんが、技能実習生は登録できませ できません。そこで、アカウントのヤミ取引が行われています。私たちはチェン君の紹介で自称留学生のベトナム人2人に10万円ずつ払ってアカウントを購入しました。しかし、翌日にはログインできなくなり、彼らと連絡が取れなくなりました。私は売った男のSNS記録から彼の知人を探して男の住所を聞き出し、訪ねて行ってまず5万円を回収しました。ただ、相手はすぐに転居し、残額は回収できませんでした。 ウーバーイーツ配達員〈資料写真〉 不法就労へのプロセス そこで、私とタム君はFacebookページ“Tokyo Baito”で求人情報を探したり、失踪経験者などに問い合わせたりしました。私たちが使った送出機関の日本語教師(元実習生)2人にも問い合わせると、1人が日本に住む友人をSNSで紹介してくれました。その人からは、太陽光パネルや農業、解体の仕事があると連絡を受けましたが、勤務開始まで2週間かかるとのことだったので遠慮しました。 数日後、Tokyo Baitoで「長野県で農業の仕事。すぐに働ける」という趣旨の投稿を見つけました。私はSNSでたまたまつながっていた失踪実習生に「このバイトは信用できますか?」と尋ねました。彼は「大丈夫だ。この仕事のあっせん業者を紹介する」と言い、トゥンという人物をSNSで紹介してくれました。私とタム君はトゥン氏にメッセージを送り、先に返事をもらったタム君が翌日、長野県に行って農家を紹介されました。私にも1日遅れてトゥン氏から返信があり、偽造在留カードを作るためにパスポートと在留カードの写真を送信するよう指示されました。偽造費用の1万円を送金する際には、他人のキャッシュカードを使いました。私がネットでやり取りして違法に入手したカードでした。 不法就労現場の畑〈長野県川上村で2020年〉 7月14日、新幹線で長野県の佐久平駅に着くと、トゥン氏が待っていました。彼が運転する車で約1時間かけて長野県川上村に向かう途中、ホアンという人物も乗車しました。偽造在留カードはまだできておらず、ホアン氏の指示で農家の主人に本物を見せたのですが、主人は承諾しました。主人は不法就労と知りながら私を雇ったことになります。 私はホアン氏に2万円を払い、その日からここに住みました。寮は倉庫の2階でした。 偽造在留カードの費用を振り込むために使った他人のキャッシュカード 不法就労の実態 農家の仕事はハードでした。朝1時半に起きて、2時から11時半まで働きます。その間、休憩はわずか10分。その後、2時間の昼休みをはさんで13時半から16時半まで働きます。終業後は夕食とシャワーだけ済ませ、19時までに就寝します。未明の仕事では、ヘッドランプで照らしながらレタスの根元を包丁で切って収穫し、サイズを分けて箱詰めした後、トラックに載せます。午後は苗の植え付けや施肥、草 むしりなどをします。 作業をするのは日本人3人とベトナム人3人です。川上村と隣の南牧村では約1,500戸の農家が外国人労働者を必要としていますが、新型コロナの影響で外国人の入国が止まり、ホアン氏らの不法就労あっせんに頼る農家が続出していたようです。 午後は草むしりや施肥など〈長野県川上村で2020年〉 失職 当時はレタス出荷の最盛期で、9月末まで休日なしでしたが、手取り給料は7月(15日間):約15万円(約32,690,000ドン)▽8月:約24万円▽9月:約23万円――あったので、助かりました。ただ、10月には仕事が減り、約15万円になりました。給料はホアン氏らの会社の人が毎月車でやって来て現金で渡してくれました。毎月の出費は4万円くらいで、実家にたくさん送金できました。ただ、冬は給料が減るので、そろそろほかの仕事を探さなければと思っていた矢先、突然解雇されることになりました。 10月13日、会社からSNSで連絡が来ました。「警察に調べられている。ベトナム人労働者との契約を終える方向だ」という趣旨でした。0日、ベトナム人不法就労者100人以上が村の農協に集められ、大阪から来た日本人やホアン氏らから「ホアンアン合同会社に警察の捜査が入ったので、皆さんとの契約を終える。皆さん逃げてください」と通告されました。私は自分がホアンアンの派遣社員だったことを初めて知りました。27日、主人に駅まで車で送ってもらい、東京に戻りました。東京では、知人から紹介されたNPO法人に保護してもらいました。 午後は草むしりや施肥など〈長野県川上村で2020年〉 【編集部からの説明】 「ホアンアン合同会社」は大阪市内の会社で、2020年10月、代表社員の女性やダン・ヴ・ホアン業務執行役員が、無許可で労働者を供給したとして職業安定法違反容疑で逮捕され、その後、起訴されました。 失踪の結末 失踪して半月後、ビデオ通話中に私の部屋が以前と違うことに気付いた母に追及され、「失踪して農業をしている」と白状しました。母はとても心配しました。また、富山県の3カ月で計21万円、長野県の4カ月で計50万円を両親に送りましたが、失職後の2カ月間半は無収入でした。失踪すると雇用が安定せず、無職の時期もできるので、失踪せず地道に働き続ける方が、結局はたくさん送金できるようです。 ◆ わが家の借金と返済の状況 借金 返済 借金残額 1 倒産 700,000,000 đ 700,000,000 đ 2 家と水田売却 250,000,000 đ 450,000,000 đ 3 両親の工場勤務 150,000,000 đ 300,000,000 đ 4 私の訪日費用 190,000,000 đ 490,000,000 đ 5 家財売却 30,000,000 đ 460,000,000 đ 6 親せきの援助 130,000,000 đ 330,000,000 đ 7 私からの送金 150,000,000 đ 180,000,000 đ ※100,000,000₫ =約458,400円(2021年2月22日現在) 私は今では、失踪したことを後悔しています。不法就労は精神的にも疲れました。しかも、農家の仕事は工事現場の仕事と同じぐらいきつかったうえ、夜間や休日の割り増し賃金が支払われませんでした。それなのに、不法就労なのでどこにも相談できませんでした。今なら、技能実習先で困難があれば、まず監理団体に相談します。それでだめなら外国人技能実習機構(OTIT)や民間の支援機関に相談します。 私はNPO法人日越ともいき支援会の支援で2021年1月から介護のアルバイトをしています。今の手取りは11万~13万円ですが、試験に受かって特定技能外国人になれれば、給料が上がり長期間働けます。地道に働いて借金を返し、将来のために貯金もしたいと思います。 日越ともいき支援会で〈2020年10月〉
2021年03月19日
今回の先輩 ホアン・ティ・フエさん 2015年ミーロック高校卒業 2016年送出機関に登録〈ハノイ〉 2017年訪日→講習→技能実習〈愛知県〉 2020年帰国困難で在留期間延長〈愛知県〉 〈1997年生まれ、ナムディン省出身〉 技能実習で訪日すると、送出機関の説明とは違う仕事だった。それでも、日本語の勉強を毎日続けるなど前向きに努力し、職場でもそれ以外でもたくさんの友だちができた。フエさんの充実した日本生活を振り返る。 〈このページの内容〉 • 友だちの影響で日本行きを決心 • 送出機関の費用 • 送出機関の説明と違う仕事 • ベトナムへの送金額 • 日本での生活 • 仲の良い職場仲間 • 職場以外でも友だちたくさん • 毎日勉強しN3合格 • 楽しかった日本生活 友だちの影響で日本行きを決心 送出機関で一緒だった人たち〈ハノイで2017年〉 私は5人姉妹の下から2番目で、両親は小規模農家です。私は高校を卒業後、スーパーマーケットやレストランで働きましたが、長続きしませんでした。このころ、高校の友人10人以上が技能実習や留学で日本に行っており、彼女たちと電話で話すうち、自分も日本に行ってみたくなりました。 友だちには留学生もいましたが、ある友人が学費を払うためにアルバイト時間が超過し、在留資格を更新できなかったというできごとがあったので、私は技能実習を選びました。訪日当初は、料理の仕方がわからず、いつもビデオ電話で両親に聞いてから作りました。また、寮に帰って同期と一緒に食事をした後、寝室に入ると1人なので寂しくなり、よく両親に電話しました。 送出機関の費用 ・技能実習の送出機関…姉の友人が使った送出機関 ・送出機関に支払った費用…全部で6,000 USD(ドル札で支払い)。送出手数料以外に日本語授業料や寮費、制服代も含む。資金は親や姉たちの貯金から。 ・同期数名が支払った費用は私より500 USD以上高かった。送出機関から紹介者に紹介手数料料が支払われたと思われる。 私はこの送出機関に2016年12月に登録し、二つ目の面接に合格しました。面接を受けた約10人のうち私を含む3人が合格し、実習先の寮で一緒に暮らすことになりました。面接に合格後、送出機関の寮に入り、日本語センターで4カ月間、勉強しました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・紹介手数料は規定違反です。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 〈参考〉こんなに違う送出機関の費用 送出機関の説明と違う仕事 私は2017年4月に訪日し、5月から愛知県の水産加工工場で技能実習を始めました。さんまの蒲焼きやいわしの生姜煮(しょうがに)などを作る仕事です。魚を解凍したり煮たり焼いたりします。冷凍庫から魚を運んで頭を切る仕事もあります。かごに入った冷凍魚を運ぶ際は、とても重いです。 送出機関からは「寿司を作る仕事」と説明されたのですが、日本に来てみたら違っていました。最初の日にだまされたことに気付き、寮に帰ってから母に電話し、悔しくて一緒に泣きました。同期2人と一緒に翌日、送出機関に電話しましたが、若い女性担当者は謝るでもなく、「え、仕事内容が違いましたか?でも、もう日本に行ったのだから、頑張ってください」と答えるのみでした。6,000 USDも使って日本に来たので、今さらベトナムには帰れません。あきらめて働くしかありませんでした。 ベトナムへの送金額 工場では30人以上が働いています。そのうちベトナム人は11人(先輩3人は特定技能)いましたが、私の同期2人は2020年に特定技能で他社に移りました。技能実習を終えたのに新型コロナの影響で帰国できない実習生が特定技能に移るケースがたくさんあります。特定技能の登録支援機関などがベトナム人向けのFacebookページに特定技能の求人をたくさん出しています。 私の給料は、残業が多いときと少ないときとで差が激しく、2020年9月は手取り約125,000円(約27,226,000 VND)、10月は約165,000円でしたが、7月は約89,000円しかありませんでした。支給額が安定しないことが、同期2人が他社に移った理由です。私は2020年4月に技能実習が終わった後、帰国したかったのですが、新型コロナで帰国が難しいため在留期間の延長が認められ、今も働いています。おかげで、これまでに約320万円(約696,854,000 VND)をベトナムに送金できました。 日本での生活 ベトナム語ガイド付きのバスツアーに参加〈岐阜県飛騨市で2020年〉 会社から寮(アパート)までは自転車で20分以上かかります。ここには現在、ベトナム人7人が3軒に分かれて住んでいます。寝室は1人1室ずつで、炊飯器や冷蔵庫も1人1台ずつあります。寮費は約27,700円(定額)で、ここに水道・光熱費やWi-Fi代も含まれています。 これまでに、年末年始などの長期休暇を利用して東京、横浜、大阪、神戸、京都などに旅行に行きました。旅先にベトナム人仲間がいれば泊めてもらうこともありますが、ホテルを利用することもあります。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,770 VND(2021年2月19日現在)) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 85,000円~190,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は27,700円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 45,000円) 食費 20,000円 ※自炊 雑費 25,000円 ※交通費、外食費、衣料、雑貨など 差額・貯金(40,000円~145,000円) 仲の良い職場仲間 浴衣の古着を買って職場仲間と花火大会へ〈愛知県で2019年〉 職場のベトナム人はとても仲良しです。だれかの誕生日には一緒にケーキを食べて祝います。週末には一緒に名古屋に行ったり、花見や花火見物に行ったり、長期休暇には旅行に行ったりもします。また、寮の部屋で食事会をすることも多く、男子の後輩実習生やネパール人の同僚を呼ぶこともあります。 職場仲間と一緒に桜の花見〈2019年〉 私の部屋で職場仲間と食事会〈2019年〉 職場以外でも友だちたくさん 名古屋のベトナム料理店でナムディン仲間の宴会〈2019年〉 私は月に4、5回、名古屋などに出かけます。愛知県名古屋市は日本有数の大都会です。愛知県や周辺にはベトナム人の技能実習生も留学生も多く、一緒に遊ぶ友だちがたくさんいます。 例えば、送出機関で一緒に勉強した仲間が愛知県や周辺で働いており、ときどき一緒に食事や観光を楽しんでいます。高校の同級生も愛知県だけで約10人います。この仲間とも一緒に桜を見に行ったり、ベトナム人仲間のサッカーを見物しに行ったりします。また、「愛知県在住ナムディン出身者の会」というFacebookグループがあり、全国各地のナムディン出身者が毎月のように名古屋に集まっています。 毎日勉強しN3合格 ベトナム人仲間や日本人の友人とブドウ狩り〈愛知県で2019年〉 訪日当初は、日本語で仕事の指示をされてもほとんど理解できず、先輩のベトナム人がサポートしてくれました。このままではいけないと思い、毎日1、2時間勉強するようにしました。また、2年目からは毎週2回、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けてきました。Skypeを使ってボランティアの日本人の先生が文法や漢字などを教えてくれます。宿題もあり、先生が添削をしてくださいます。 訪日して2年余りでJLPT(日本語能力試験)・N3に合格し、今では、昼休みに職場の日本人女性たちと雑談をしたり、ベトナム人仲間と遊びにいくときに日本人の友だちを誘ったりすることもあります。 Lotus Works 楽しかった日本生活 訪日後に知り合ったベトナム人仲間とサッカー見物〈愛知県で2019年〉 私はこのようにたくさんのベトナム人仲間や日本人と交流し、日本で貴重な年月を過ごすことができました。職場で日本人とコミュニケーションできたことや仲の良いベトナム人仲間がいたことが大きかったと思います。在留期間があと約3カ月残っていますので、引き続き日本生活を楽しみます。ベトナムに帰ったらいつかファッション・ショップを開くのが夢です。 今回の先輩 Hoàng Thị Huệ(ホアン・ティ・フエ)さん 2015年Trường THPT Mỹ Lộc(ミーロック高校)卒業 2016年送出機関に登録〈ハノイ〉 2017年訪日→講習→技能実習〈愛知〉 2020年帰国困難で在留期間延長〈愛知〉 〈1997年生まれ、ナムディン省出身〉 技能実習で訪日すると、送出機関の説明とは違う仕事だった。それでも、日本語の勉強を毎日続けるなど前向きに努力し、職場でもそれ以外でもたくさんの友だちができた。フエさんの充実した日本生活を振り返る。 〈このページの内容〉 • 友だちの影響で日本行きを決心 • 送出機関の費用 • 送出機関の説明と違う仕事 • ベトナムへの送金額 • 日本での生活 • 仲の良い職場仲間 • 職場以外でも友だちたくさん • 毎日勉強しN3合格 • 楽しかった日本生活 友だちの影響で日本行きを決心 私は5人姉妹の下から2番目で、両親は小規模農家です。私は高校を卒業後、スーパーマーケットやレストランで働きましたが、長続きしませんでした。このころ、高校の友人10人以上が技能実習や留学で日本に行っており、彼女たちと電話で話すうち、自分も日本に行ってみたくなりました。 友だちには留学生もいましたが、ある友人が学費を払うためにアルバイト時間が超過し、在留資格を更新できなかったというできごとがあったので、私は技能実習を選びました。訪日当初は、料理の仕方がわからず、いつもビデオ電話で両親に聞いてから作りました。また、寮に帰って同期と一緒に食事をした後、寝室に入ると1人なので寂しくなり、よく両親に電話しました。 送出機関で一緒だった人たち〈ハノイで2017年〉 送出機関の費用 ・技能実習の送出機関…姉の友人が使った送出機関 ・送出機関に支払った費用…全部で6,000 USD(ドル札で支払い)。送出手数料以外に日本語授業料や寮費、制服代も含む。資金は親や姉たちの貯金から。 ・同期数名が支払った費用は私より500 USD以上高かった。送出機関から紹介者に紹介手数料料が支払われたと思われる。 私はこの送出機関に2016年12月に登録し、二つ目の面接に合格しました。面接を受けた約10人のうち私を含む3人が合格し、実習先の寮で一緒に暮らすことになりました。面接に合格後、送出機関の寮に入り、日本語センターで4カ月間、勉強しました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・紹介手数料は規定違反です。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 〈参考〉こんなに違う送出機関の費用 送出機関の説明と違う仕事 私は2017年4月に訪日し、5月から愛知県の水産加工工場で技能実習を始めました。さんまの蒲焼きやいわしの生姜煮(しょうがに)などを作る仕事です。魚を解凍したり煮たり焼いたりします。冷凍庫から魚を運んで頭を切る仕事もあります。かごに入った冷凍魚を運ぶ際は、とても重いです。 送出機関からは「寿司を作る仕事」と説明されたのですが、日本に来てみたら違っていました。最初の日にだまされたことに気付き、寮に帰ってから母に電話し、悔しくて一緒に泣きました。同期2人と一緒に翌日、送出機関に電話しましたが、若い女性担当者は謝るでもなく、「え、仕事内容が違いましたか?でも、もう日本に行ったのだから、頑張ってください」と答えるのみでした。6,000 USDも使って日本に来たので、今さらベトナムには帰れません。あきらめて働くしかありませんでした。 ベトナムへの送金額 工場では30人以上が働いています。そのうちベトナム人は11人(先輩3人は特定技能)いましたが、私の同期2人は2020年に特定技能で他社に移りました。技能実習を終えたのに新型コロナの影響で帰国できない実習生が特定技能に移るケースがたくさんあります。特定技能の登録支援機関などがベトナム人向けのFacebookページに特定技能の求人をたくさん出しています。 私の給料は、残業が多いときと少ないときとで差が激しく、2020年9月は手取り約125,000円(約27,226,000 VND)、10月は約165,000円でしたが、7月は約89,000円しかありませんでした。支給額が安定しないことが、同期2人が他社に移った理由です。私は2020年4月に技能実習が終わった後、帰国したかったのですが、新型コロナで帰国が難しいため在留期間の延長が認められ、今も働いています。おかげで、これまでに約320万円(約696,854,000 VND)をベトナムに送金できました。 日本での生活 会社から寮(アパート)までは自転車で20分以上かかります。ここには現在、ベトナム人7人が3軒に分かれて住んでいます。寝室は1人1室ずつで、炊飯器や冷蔵庫も1人1台ずつあります。寮費は約27,700円(定額)で、ここに水道・光熱費やWi-Fi代も含まれています。 これまでに、年末年始などの長期休暇を利用して東京、横浜、大阪、神戸、京都などに旅行に行きました。旅先にベトナム人仲間がいれば泊めてもらうこともありますが、ホテルを利用することもあります。 ベトナム語ガイド付きのバスツアーに参加〈岐阜県飛騨市で2020年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,770 VND(2021年2月19日現在) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 85,000円~190,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は27,700円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 45,000円) 食費 20,000円 ※自炊 雑費 25,000円 ※交通費、外食費、衣料、雑貨など 差額・貯金(40,000円~145,000円) 仲の良い職場仲間 職場のベトナム人はとても仲良しです。だれかの誕生日には一緒にケーキを食べて祝います。週末には一緒に名古屋に行ったり、花見や花火見物に行ったり、長期休暇には旅行に行ったりもします。また、寮の部屋で食事会をすることも多く、男子の後輩実習生やネパール人の同僚を呼ぶこともあります。 浴衣の古着を買って職場仲間と花火大会へ〈愛知県で2019年〉 職場仲間と一緒に桜の花見〈2019年〉 私の部屋で職場仲間と食事会〈2019年〉 職場以外でも友だちたくさん 私は月に4、5回、名古屋などに出かけます。愛知県名古屋市は日本有数の大都会です。愛知県や周辺にはベトナム人の技能実習生も留学生も多く、一緒に遊ぶ友だちがたくさんいます。 例えば、送出機関で一緒に勉強した仲間が愛知県や周辺で働いており、ときどき一緒に食事や観光を楽しんでいます。高校の同級生も愛知県だけで約10人います。この仲間とも一緒に桜を見に行ったり、ベトナム人仲間のサッカーを見物しに行ったりします。また、「愛知県在住ナムディン出身者の会」というFacebookグループがあり、全国各地のナムディン出身者が毎月のように名古屋に集まっています。 名古屋のベトナム料理店でナムディン仲間の宴会〈2019年〉 毎日勉強しN3合格 訪日当初は、日本語で仕事の指示をされてもほとんど理解できず、先輩のベトナム人がサポートしてくれました。このままではいけないと思い、毎日1、2時間勉強するようにしました。また、2年目からは毎週2回、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けてきました。Skypeを使ってボランティアの日本人の先生が文法や漢字などを教えてくれます。宿題もあり、先生が添削をしてくださいます。 訪日して2年余りでJLPT(日本語能力試験)・N3に合格し、今では、昼休みに職場の日本人女性たちと雑談をしたり、ベトナム人仲間と遊びにいくときに日本人の友だちを誘ったりすることもあります。 Lotus Works ベトナム人仲間や日本人の友人とブドウ狩り〈愛知県で2019年〉 楽しかった日本生活 私はこのようにたくさんのベトナム人仲間や日本人と交流し、日本で貴重な年月を過ごすことができました。職場で日本人とコミュニケーションできたことや仲の良いベトナム人仲間がいたことが大きかったと思います。在留期間があと約3カ月残っていますので、引き続き日本生活を楽しみます。ベトナムに帰ったらいつかファッション・ショップを開くのが夢です。 訪日後に知り合ったベトナム人仲間とサッカー見物〈愛知県で2019年〉
2021年03月02日