体験談(技能) | 最新ニュース

VOL. 91 来日後も勉強を続け職場のリーダーに

食品工場で技能実習生から特定技能外国人になったトゥエットさん。彼女は、来日直後は日本人の話すことが全然わかりませんでしたが、毎日3時間勉強を続け、数カ月で少し会話ができるようになり、2年でJLPT・N3に合格しました。今は、職場のベトナム人のリーダーとして活躍しています。 今回の先輩 グエン・ティ・トゥエットさん 2017年高校卒業〈ハイズオン省〉...

2023年05月29日
  • VOL. 88 支援団体の支援で在留延長と再就職

    2023年03月17日
    作業の準備・後片付け(毎日約2時間)に残業代が支払われないなど、建設の技能実習生の平均よりかなり低い給料で働かされたうえ、職場での暴力・暴言もあって失踪したフイさん。一度は日本が大嫌いになりましたが、支援団体のサポートで日本滞在を延長して働き、特定技能の試験にも合格しました。 今回の先輩 カ・チャン・ホアン・フイさん 2013年高校卒業〈ホーチミン市〉 2013年観光バスの添乗員〈タイニン省〉 2016年トラック運転手〈ロンアン省〉 2019年送出機関で勉強〈ホーチミン市〉 2019年来日→講習→技能実習〈山梨県〉 2020年失踪し、友人宅に4カ月間滞在〈東京〉 2021年日越ともいき支援会で保護〈東京〉 2021年アルバイト〈北海道、長野、鹿児島〉 2022年一時帰国 〈1995年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 • 日本語をほとんど学ばずに来日 • コンクリート関係の仕事 • 長い移動時間に睡眠禁止 • 十分にもらえなかった残業代 • 私の家計簿 • 低賃金と暴力・暴言 • 組合に相談しても改善せず • 失踪中の生活 •「日越ともいき支援会」に助けられ • 漁業やレストランでアルバイト • これからも日本で働く 日本語をほとんど学ばずに来日 私は高校を出て、観光バスの添乗員やトラック運転手をしていましたが、毎月の給料は約7,000,000 VNDしかありませんでした。そんなとき、いとこが日本に技能実習に行って順調に働いていたので、私も出稼ぎのために技能実習をすることになりました。 私は送出機関に登録し、会社の面接を待ちながら日本語で自己紹介をする練習をしました。2019年4月に面接に合格後、きちんとした日本語の授業を受けましたが、それは3カ月間だけだったので、ほとんど日本語が分からない状態で日本に行きました。送出機関には132,000,000VND(当時のレートで約65万円)を支払い、これ以外に寮費や食費(外食)なども必要でした。 コンクリート関係の仕事 生コンクリートを送り込むトラック(イメージ写真) こうして私は2019年7月に来日し、翌月からコンクリート関係の技能実習を始めました。勤務先は山梨県の会社で、大きなトラックが数台ありました。トラックの荷台には折りたたみ式のアームとホースが付いており、工事現場でこれらを伸ばして、離れた場所や高い場所に生コンクリート(生コン)を流し込みます。ミキサー車で作った生コンをトラックのポンプとホースで建築物に送り込むのです。 私たちの作業(イメージ写真) 私たち技能実習生は生コンを流し込む場所にホースの先を運びました。その後、生コンを床に流し込むときはホースを置いて固定できますが、壁などに流し込む場合は、私たちがホースを肩に担いで2、3時間立ち続けました。太いホースは2人で担ぎ、細いホースは1人で担ぎますが、細いホースでもかなり重く、担ぎ続けるのはきつい仕事でした。 長い移動時間に睡眠禁止 私たちの平均的な1日はこうでした。 4:30 起床 5:00 トラック6、7台で会社(私たちの寮の隣)を出発。現場まで平均1時間~1時間半。 6:00~6:30 現場到着。仕事の準備(平均1時間)。準備が早く終われば休憩。 8:00~17:00 仕事(途中で3回・計90分休憩) 17:00 後片付けなど 18:00 現場を出発 19:00~19:30 帰宅 現場への往復は、トラック1台に3人(日本人1人、ベトナム人2人)が乗り、日本人が運転しました。しかし、私たちが何か話すと日本人が怒り、眠っても怒られるので、私たちは車内でずっと黙って景色を眺めていました。技能実習生はSIMを持っていないので車内では携帯電話も使えず、移動時間はとても退屈で疲れました。 十分にもらえなかった残業代 external link KOKORO|給与、残業代、有給休暇 会社から現場まで片道3、4時間かかることもありました。しかし、往復6~8時間の移動が毎日続いても、手当はまったく増えませんでした。また、それ以外にも次のようなことがありました。 ①毎日忙しく、昼の休憩なしで働き続けることが2日に1回ほどありました。しかし、昼の休憩(1時間)をつぶして働いても残業代は増えませんでした。 ②毎日、準備と後片付けで平均2時間働きましたが、この時間にも残業代が支払われませんでした。 準備以外の正規の作業時間が延びることもありましたが、私たちがもらった残業代(毎月5時間分)はそれすらカバーできない額でした。このため手取り給料は9~10万円しかありませんでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:100,000円 給料 ¥100,000 *税金や社会保険、寮費、光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(15,000円)、電気・ガス・水道(6,000円) 支出:45,000円 食費(主に自炊) ¥30,000 生活雑貨、衣類 ¥10,000 交際費など雑費 ¥5,000 毎月の差額:55,000円 低賃金と暴力・暴言 私はベトナムでこの会社の社長に面接(通訳付き)をしてもらったとき、毎月18万円もらえると聞きました。しかし、来日して先輩に聞くと、手取り18万円もらえたのは1回だけだったそうです。 移動時間が長く、仕事内容は過酷で、残業代も十分に支払われないうえ、一緒に働く日本人の一部(3人)は気に入らないことがあるとすぐに怒鳴りました。私はラチェットレンチという工具で頭をたたかれたことも2回あり、ヘルメットをかぶっていても大変な衝撃でした。私はこのような理不尽な職場に失望し、失踪することにしました。 組合に相談しても改善せず 左:仕事で毎日顔が汚れました。右:疲れて休憩時間に現場で眠る先輩。 技能実習では監理団体(組合)が実習生のケアをします。組合の担当者はベトナム人通訳を伴って毎月2回、会社に来ましたが、私たちとの面談には毎回、会社幹部が立ち会いました。組合によっては、正社員の通訳が実習生の悩みを直接聞くシステムもありますが、この組合の通訳は毎回違う人(アルバイト)で、頼りになりませんでした。私たちは残業代不払いや移動時間に眠れないことなどを改善してほしいと組合に何度かお願いしましたが、何ひとつ改善されませんでした。 失踪中の生活 こうして、私はこの会社で働き始めて13カ月目の2020年9月、現金20万円と小さな荷物を持って会社を去りました。社長に告げ口されると困るので、ほかの実習生2人にも黙って失踪しました。 思い描いていた日本とは違ったので、私は一刻も早くベトナムに帰りたいと思いました。しかし、新型コロナの影響でベトナムへの航空券が手に入らなかったので、チケットが取れるまで友人のミン君(仮名)の家に泊めてもらうことにしました。彼は日本で知り合った友人で、別の会社を失踪し、東京に住んでいました。私は電車を約3時間乗り継いで彼のところに行きました。彼は不法就労をしている様子でしたが、私は早く帰国したいので働きませんでした。しかし、航空券はなかなか買えず、2021年1月に入ると、所持金は約5万円しか残っていませんでした。 「日越ともいき支援会」に助けられ external link KOKORO|日越ともいき支援会 そんなとき、ミン君が「NPO法人日越ともいき支援会」のことを聞いて私に教えてくれました。2021年1月、私は支援会にベトナム語でメッセージを送り、事務所を訪ねました。すると、その日から支援会のシェルターに無料で住めることになり、数十人の元実習生と共同生活を送りました。 私は支援会で約2カ月間、毎日、日本語の授業を受け、自習も何時間もしました。その間、支援会は外国人技能実習機構(OTIT)や以前の組合、入管と連絡を取り、私が日本に残って働くためのさまざまな打ち合わせや手続きをしてくれました。おかげで私は新型コロナに関連する特例の在留資格を取得できました。この在留資格の期間は6カ月でしたが、その後2回更新でき、私は日本で約1年半、アルバイトをすることができました。 漁業やレストランでアルバイト 左:ホタテ貝。右:軽井沢。 ホタテの養殖 日本に残って働けることになった私は、支援会の紹介で北海道のホタテ養殖業者で2021年3月から3カ月間アルバイトをすることになりました。小さなホタテ貝を海から引き上げ、貝がらに穴を開けて糸でつなげるのが主な仕事で、主に陸で働き、ときどき船に乗りました。 レストラン ホタテ養殖の繁忙期が終わり、東京に戻って支援会などに泊めてもらった後、9月から3カ月間、長野県・軽井沢の高級レストランで働きました。野菜を切ったり皿を洗ったりする仕事で、まかない(従業員向けの食事)を1日3食食べられるのが魅力でした。軽井沢は有名なリゾート地なので、休みの日には、別の店で働くベトナム人と一緒に町を散策しました。 ラーメン店 3つめのアルバイトは鹿児島県のラーメン店「田所商店」で、仕込み(野菜やチャーシューを切る)、麺(めん)をゆでる、食材を炒(いた)める、スープを作る、皿洗いなど幅広い仕事を担当しました。全国展開の人気店で、私はこの店で2021年12月の新規オープンから約9カ月間働きました。一緒に働いた日本人は皆さん親切で、来日してから一番働きやすい職場でした。 これからも日本で働く 私は北海道のアルバイトから長野県のアルバイトに移る間、日越ともいき支援会に泊めてもらったほか、JP MIRAI(JICAなど主催)が東京で開いた元技能実習生向け研修会に参加しました。約1カ月半に渡ってJICAの施設に住み、日本語の授業を受けたり、今後のキャリアについて学んだりしました。 日越ともいき支援会のおかげで、私は引き続き日本で働く方法があることを知りました。そして、JFT-Basicで238点を取り、特定技能「外食業」の技能試験にも合格しました。そこで、2022年9月にいったんベトナムに帰国し、特定技能の在留資格を申請中です。特定技能外国人として再び来日したら、これまでと同じラーメン店で働きます。これまでの日本滞在では、来日前に借りたお金を返すのが精一杯だったので、今度こそしっかり貯金したいと思います。
  • VOL. 86 OTITと支援団体の支援で職場変更(技能実習)

    2023年03月03日
    ベトナムで聞いた内容とはまったく違う仕事を毎日させられたチュンさん。外国人技能実習機構(OTIT)に相談して約束違反の仕事はなくなったものの、職場変更はできませんでした。しかし、実習生を支援する団体に相談すると状況が一変し、別の職場で技能実習を再開することができました。 今回の先輩 グエン・デュック・チュン さん 2011年高校卒業 2012年兵役 2014年建設関係の仕事〈ハノイ〉 2019年送出機関で日本語学習〈ハノイ〉 2019年訪日→講習→技能実習〈愛知県〉 2021年アルバイト〈愛知県、岐阜県〉 2022年別の会社で技能実習再開〈静岡県〉 〈1993年生まれ、ナムディン省出身〉 ◆このページの内容 • 母に楽をさせるために出稼ぎ • 事前の約束と違う仕事 • 外国人技能実習機構(OTIT)に相談 • 約束違反の仕事がなくなる • 技能実習の継続を断念 • 支援団体の支援で状況が一変! • 支援団体に頼ろう • 技能実習を再開 • 私の家計簿 •TikTokで日本語会話 •将来のこと 母に楽をさせるために出稼ぎ ベトナムでしていた仕事 私は兵役を終えてからハノイのいくつかの会社で働き、溶接やクレーン車の運転などをしました。しかし、毎月の給料が平均約8,000,000 VND(当時の約4万円)しかなかったので、外国で出稼ぎをして母に楽をさせてあげたいと思うようになりました。そして、日本より給料の高い韓国にも興味がありましたが、日本の技能実習の方が採用されやすかったので、そちらにしました。 私は親せきから紹介されたハノイの送出機関に登録し、訪日までに 計約120,000,000 VND(当時の約60万円)を自分の貯金で払いました。そして、最初の企業面接で合格し、送出機関の日本語センターで6カ月間、日本語を学びました。 事前の約束と違う仕事 清掃前(左)と清掃後(右)のグリストラップ こうして私は2019年10月に来日し、11月から愛知県の会社で技能実習を始めました。日本に来る前の約束では、私はガス管や水道管などを設置する「配管」の仕事をすることになっていました。しかし、実際の仕事の大半は清掃関係でした。私と同僚のベトナム人が実際に担当した仕事を紹介します。いずれも単発の仕事ではなく、何回も行った仕事です。 グリストラップ清掃 日本の飲食店には、油や残飯などが下水に直接流れ込まないよう、それらを分離して貯める「グリストラップ」という装置があります。この装置は定期的に掃除しなければなりません。私たちは飲食店に行って、グリストラップに貯まった汚れをホースで吸引し、残った汚れを洗剤とブラシで洗い落としました。 川の清掃 川や池の清掃 小さな川の水面に水草やゴミが貯まる場合があります。私たちは川に入ってそれらをホースで吸引する仕事をしました。しかし、ベトナム人2人と日本人2人で現場に行った場合、川に入るのはベトナム人だけでした。ほかにも汚れる仕事や重い物を運ぶ仕事はベトナム人だけがさせられることがよくありました。また、冬に浅い池に入って大量の水草を刈り取る仕事もありました。 溝掃除 道路脇の溝にたまった土砂をかき出しました。 外国人技能実習機構(OTIT)に相談 external link OTITの母国語相談 私は約1年、このような約束と違う仕事にがまんしました。しかし、外国人技能実習機構(OTIT)の母国語相談のことを知り、OTITに会社を指導してもらいたいと思って2020年11月にOTITのHPからベトナム語でメッセージを送りました。すると、メールで返信があり、相談員と何度かベトナム語でやり取りしましたが、途中で4週間近く返事が来なくなりました。 このため、私は母国語相談に見切りを付け、今度はOTIT名古屋事務所に直接電話をかけました。私は監理団体(組合)から支給された携帯電話を持っていたので、それを使いました。すると、1カ月以内にOTITから会社に連絡があり、社長と事務長と私の3人でOTIT名古屋事務所に行くことになりました。後で知ったのですが、母国語相談はOTITが外部に委託しており、相談員のレベルに個人差があるそうです。 約束違反の仕事がなくなる OTITに相談後、この写真のような約束違反の仕事はなくなった。 OTIT名古屋事務所では、社長と事務長がまず事情を聞かれ、その後、私が仕事内容やいじめの有無などについて聞かれました。数日後、OTITのスタッフが会社で私だけに会い、「これからどうしたいか」と聞いたので、私は「職場を変わりたい」と答えました。その後、OTITと組合が協力して他の会社を私に紹介し、私は面接を受けましたが、その会社は自分に合わないと思って断りました。 ただし、社長と私がOTITから呼び出しを受けて以来、私は清掃の仕事から外され、毎日、配管に関する本を読むだけの仕事に変わりました。それから約4カ月後、OTITは会社に立ち入り調査をしましたが、結果はすぐには出ませんでした。私は約束と違う仕事から外されてうれしかったのですが、本を読むだけの生活に嫌気がさしてきました。 技能実習の継続を断念 それから半年後の2021年6月、私は会社をやめました。事前に、技能実習生などを支援している在日ベトナム人から紹介された岐阜県内の組合に連絡したところ、新しい職場を紹介してくれるとのことでした。新しい組合がこのことをもとの組合やOTITに連絡してくれたので、私は会社をやめて新しい組合の宿泊施設に身を寄せたのです。 新しい会社で技能実習を始めるまでそこに無料で住めることになり、無職の状態で3カ月間滞在しました。そこには、私と同じような転籍待ちの人や帰国の飛行機待ちの人が数人おり、一緒に海に遊びに行くなどしました。また、日本語の勉強にも力を入れました。 アルバイト生活のときに京都や大阪に旅行 この組合は私が新しい会社で働くための入管手続きを申請してくれましたが、3カ月近く経っても許可がおりませんでした。そのころ、前の会社に対するOTITの調査結果が出たのですが、「会社のやり方は違法とまでは言えない」という内容でした。このため、私が新しい会社で働くための入管の許可が降りない可能性があると言われ、途方にくれました。 私は今後どうしたらよいかOTITに相談したところ、「技能実習をやめて新型コロナ関連の特例の在留資格(帰国困難の特定活動)を取れば、日本に6カ月以上滞在でき、その間はアルバイトができる」というアドバイスでした。私はもとの組合に手伝ってもらってその在留資格に変更し、期間限定でアルバイトをすることにしました。 支援団体の支援で状況が一変! 榑松さんと私〈名古屋市で〉 こうして私は2020年9月にアルバイト生活を始めました。最初は愛知県の工場でパチンコの機械を組み立てる仕事、次は岐阜県の工場でシリンダー製品にシールをはる仕事をし、最後に岐阜県の車の部品工場で働きました。 そんなとき、私は、技能実習生の支援実績が豊富な「外国人実習生SNS相談室」のことを知り、代表の榑松佐一(くれまつ・さいち)さんに会って相談しました。榑松さんは、私が技能実習生に戻れるようOTITと交渉してくれました。すると、私はOTIT名古屋事務所に1年ぶりに呼び出され、前の会社での仕事内容についてもう一度ヒアリングを受けました。その結果、OTITがもう一度新しい会社を探して私を技能実習生に戻してくれることになりました。 支援団体に頼ろう external link KOKORO|総まとめ・ベトナム人向け相談窓口 榑松さんはOTIT名古屋事務所に対し、私が川や池の掃除をしている動画などを見せ、約束の職種と違うので、私の職場変更を支援してくれるように交渉しました 私が1年前に社長と一緒にOTITに呼ばれたときにもその動画を見せたのですが、そのときは、職場変更を最後までは支援してもらえませんでした。しかし、榑松さんの交渉後、私はOTITの支援で技能実習生に戻り、職場も変わることができました。 OTITは技能実習生にとって大事な機関ですが、私の説明や交渉が不十分だったのかも知れません。後輩の皆さんも、もし行き詰まった場合は、このように支援団体に頼ってください。 技能実習を再開 日本人従業員と一緒に富士山へ 「外国人実習生SNS相談室」に相談して約3カ月後の2022年3月、私はOTITが探してくれた静岡県の建設会社に面接に行き、そこで働けることになりました。そして、新しい在留資格をもらうまで別の職場でアルバイトを続け、5月からこの会社で技能実習を再開しました。 この会社では実際に配管の仕事をさせてもらっていますし、日本人の従業員たちも親切です。古い下水管は汚いので、それを運ぶのは嫌な仕事ですが、この会社では日本人も嫌な仕事を公平に分担し、ベトナム人だけに押しつけることはありません。私は休憩時間に日本人従業員とおしゃべりすることも多く、中には、休日に車で富士山のふもとの観光施設に連れて行ってくれた人もいます。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:115,000~140,000円 給料 ¥115,000~¥140,000 *税金や社会保険、寮費、光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(15,000円)、電気・ガス・水道(10,000円) *勤務日の昼弁当の費用も給料から天引き 支出:40,000円 食費(主に自炊) ¥30,000 生活雑貨、衣類 ¥5,000 交際費 ¥5,000 毎月の差額:75,000~100,000円 TikTokで日本語会話 私のTikTokアカウントとJFT-Basicのスコア ところで、私は週に3、4回、TikTokのライブで知り合った日本人とビデオ通話で会話をしています。前の会社をやめる少し前から日本語の勉強時間を増やし、職場やTikTokで日本人と積極的に話すことも続けているので、日本語力がかなり伸びました。国際交流基金のJFT-Basicでも235点を取り、「生活に支障がない程度の日本語能力水準」と判定されました。 将来のこと 配管工事の仕事現場 私は来日後の2019年12月~2023年1月(途中3カ月間は無職)に約280万円を貯金しました。来日前に送出機関に支払った費用を差し引いても約220万円あります。今後、日本でさらに半年間働けますので、貯めたお金で帰国後に家を買いたいと思っています。 2023年8月に技能実習が終ったらいったん帰国し、婚活をしながら将来日本に戻るかベトナムで働くか考えます。日本に戻る場合は特定技能外国人になれるよう、介護の技能試験に既に合格し、農業の技能試験も勉強中です。また、ベトナムで働く場合は日本語力を生かして工場で良いポジションを得たいと思っています。
  • VOL. 84 技能実習と特定技能の計4年で370万円貯金

    2023年02月20日
    技能実習生の間で人気のない建設業ですが、建設の中でも内装業では比較的トラブルが少ないとされています。内装会社で技能実習をしたチュンさんや仲間のほとんどが同じ会社で特定技能外国人になりました。職場の様子やチュンさんが日本語を話せるようになった秘訣を紹介します。 今回の先輩 ホアン・クァン・チュンさん 2014年 高校卒業〈クアンビン省〉 2015年韓国系企業の工場で勤務〈ドンナイ省〉 2018年送出機関で日本語を勉強(8カ月間) 2018年訪日→講習→内装の技能実習〈兵庫県〉 2021年 同じ会社で特定技能に移行 〈1996年生、クアンビン省出身〉 ◆このページの内容 •日本に行こうと思った理由 •ベトナムの送出機関 •電車で通勤 •7週間の出張も •同じ会社で技能実習から特定技能に •4年間で実家に450万円送金 •ボランティア日本語教室 •日本に残るかベトナムに帰るか 日本に行こうと思った理由 送出機関の教室で 私は高校を卒業後、半年あまり両親の農業(稲作)を手伝い、その後、高校の同級生が働くドンナイ省のワイヤー工場で2018年まで3年間働きました。しかし、毎日12時間(週6日間)働いても、残業代を含めて毎月約10,000,000 VND(約55,000円)しかもらえませんでした。これでは、どんなにまじめに働いてもほとんど貯金できません。 そんなとき、同年代で仲良しの親せきが日本に技能実習に行ったので、彼が休暇を取って一時帰国したときに技能実習の費用や仕事、給料について教えてもらいました。その話を聞いて、私も日本で働いて両親にお金を送りたいと思い、技能実習生になることにしました。 ベトナムの送出機関 送出機関の先生や仲間たち 私は勤務先のドンナイ省に近いホーチミンの送出機関を選びました。そして、企業面接に合格したので、会社を辞めて送出機関の寮に入り、8カ月間日本語を勉強しました。私がこの送出機関に支払った費用は約160,000,000 VND(手数料、教育費、寮費、ビザ取得費など)です。 ※編集部コメント:この費用は当時のベトナムの送出機関の平均ですが、国が決めた費用よりかなり高いです。 私が合格した会社は建築の内装を行う会社なので、送出機関での授業の半分は日本語で、残り半分は内装の勉強や実習でした。私は毎晩4時間自習して日本語をできるだけ覚えるようにしました。そして、来日後も日本語の勉強を続け、会社に相談したいことは組合(監理団体)に頼らず自分で直接相談するようにしています。その方が自分の意図が確実に伝わるからです。 電車で通勤 私たちの住む地域を走る電車とモノレール 私の会社にはベトナム人が13人(技能実習生8人、特定技能外国人4人、エンジニア1人)います。私は同期・後輩の計4人と一緒に1戸建ての寮に住み、6:00に起きて6:30に家を出ます。寮は大阪府にあり、勤務先は大阪・兵庫・京都などの建築現場です。電車が発達しているので電車やバスで現場に通い、不便な場所に行くときだけ日本人が運転する車で一緒に行きます。7:30までにマンションやホテルなどの建築現場に着き、8:00から18:00まで働きます。私は天井や壁のボードのはり方も学びましたが、最近は、フローリングをはる仕事が中心です。 現場には、さまざまな会社から作業員が集まります。私たちは1つの現場に1~3人で行くことが多いのですが、通常は他社との連絡のために日本人も一緒です。しかし、私は日本語が上達したので、15階建てぐらいまでの規模の現場なら1人で担当することも多くなりました。 7週間の出張も 出張先の鹿児島市の風景 私の会社は兵庫県に本社があり、東京と福岡に支社があります。支社の仕事で人が足りないときは私たちが出張で手伝うのですが、特定技能外国人になってから出張が増えました。例えば、2022年9月23日から11月16日まで鹿児島県(福岡支社の管内)に出張し、新築19階建て高級ホテルの内装(フローリング)を担当しました。 このときは3人で車で現地に行き、大阪から鹿児島まではフェリーに乗りました。フェリーでの移動は12時間かかりましたが、1人部屋の船室を使わせてもらったので、快適でした。鹿児島では、台所や冷蔵庫、洗濯機があるウイークリーマンション(1人1室)に住み、車で運んでもらった自分の炊飯器や鍋でいつも通り自炊しました。 同じ会社で技能実習から特定技能に フローリングはり付け工事の様子 私たちの会社は忙しいので、週に1度しか休めません。しかし、残業代や休日出勤手当はきちんと支払われますし、お盆や正月などには連休もあり、用事があるときは有給休暇も取れます。また、一緒に仕事をしている日本人の皆さんは親切ですし、新年会やバーベキュー・パーティーなど会社主催の楽しい食事会もあります。社長もやさしい人で、先輩は社長に相談してベトナムに約6週間、一時帰国することができました。 このように働きやすい職場なので、3年間の技能実習が終った後、帰国する仲間以外は皆、他社に移らずこの会社で特定技能外国人になっています。特定技能なってからは、毎月の手取り給料が約3万円増え、ボーナス(20万円以上)も年に1度もらえるようになりました。 4年間で実家に450万円送金 「自分へのごほうび」として買ったiPhone 私は技能実習の3年間で約300万円を実家に送りました。そして、特定技能外国人になってからは、基本給も上がり出張手当も多かったので、1年間で約150万円を送ることができました。弟もシンガポールの中華料理店で働いて実家にお金を送っているので、両親は約2年前、私と弟のお金で自宅を建て替えました。そのときに銀行からもお金を借りましたが、それももうすぐ完済できそうです。 私は忙しいのであまり旅行もしませんし、欲しいものもほとんどありません。日本で買った主な物と言えば、約25,000円の腕時計と日本語能力試験(JLPT)・N3に合格したときに「自分へのごほうび」として買った約70,000円のiPhoneぐらいです。 私の家計簿(1カ月の平均) ※特定技能外国人になってからの家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:190,000円 給料 ¥190,000 *税金や社会保険、寮費、光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(25,000円)、光熱費(4,000~5,000円)、Wi-Fiと携帯電話の通話料金の一部(2,500円)は給料から天引き 支出:50,000円 食費(主に自炊) ¥30,000 生活雑貨、衣類 ¥10,000 雑費 ¥10,000 毎月の差額:140,000円 ボランティア日本語教室 external link KOKORO:ボランティア日本語教室 私たちのような現場仕事では、一緒に働く日本人と最低限のコミュニケーションをとれないと仕事に支障があります。これは技能実習をめぐるトラブルの大きな要因にもなっています。私は来日して8カ月でJLPT・N3に合格し、同期や後輩のベトナム人も勉強して必要最低限の日本語会話ができるようになりました。仕事の休憩時間などに日本人とよく雑談をするので、そのことも日本語力向上につながっています。 私は来日してからも毎晩1、2時間、日本語の勉強を続けています。また、地元の国際交流協会が主催するボランティア日本語教室(無料)にも3年間通いました。この教室では、先生が参加者の外国人に日本語を2時間教えてくれるのですが、マンツーマンのときも多く、毎週1回通うだけで大きな効果がありました。最近も、後輩の実習生に教室を紹介するために一緒に行きました。 日本に残るかベトナムに帰るか ベトナム人仲間に誘われてボランティアのゴミ拾いに参加〈大阪市で2022年〉 私は自習と日本語教室と職場での会話によって日本語をかなり話せるようになり、今はJLPT・N2を目指して勉強しています。しかし、日本語教師や通訳を目指しているわけではありません。技能実習や特定技能で内装に関する知識・技術を身につけたので、将来もこの業界で生計を立てていきたいと希望しています。 しかし、将来、日本に残るかベトナムに帰るかについては悩んでいます。私は来日前、ベトナムの工場で毎日12時間・週6日間働いても給料が10,000,000 VNDしかなく、「ベトナムでまじめに働いても一生貯金はできない」と思って日本に来ました。しかし、ここ数年でベトナムでの給料も上がり、その工場に残った友人の給料は当時の1.7倍になりました。ベトナムでも高層マンションは増えており、フローリングの需要も拡大していく可能性があります。将来の結婚や家族生活、ベトナムでの今後の所得増加を考えると、特定技能が終わったら帰国するという選択肢もあると思っています。

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【在ベトナム日本国大使館後援】

  • Vol. 52 送出機関の説明と違う仕事

    今回の先輩 ホアン・ティ・フエさん 2015年ミーロック高校卒業 2016年送出機関に登録〈ハノイ〉 2017年訪日→講習→技能実習〈愛知県〉 2020年帰国困難で在留期間延長〈愛知県〉 〈1997年生まれ、ナムディン省出身〉 技能実習で訪日すると、送出機関の説明とは違う仕事だった。それでも、日本語の勉強を毎日続けるなど前向きに努力し、職場でもそれ以外でもたくさんの友だちができた。フエさんの充実した日本生活を振り返る。 〈このページの内容〉 • 友だちの影響で日本行きを決心 • 送出機関の費用 • 送出機関の説明と違う仕事 • ベトナムへの送金額 • 日本での生活 • 仲の良い職場仲間 • 職場以外でも友だちたくさん • 毎日勉強しN3合格 • 楽しかった日本生活 友だちの影響で日本行きを決心 送出機関で一緒だった人たち〈ハノイで2017年〉 私は5人姉妹の下から2番目で、両親は小規模農家です。私は高校を卒業後、スーパーマーケットやレストランで働きましたが、長続きしませんでした。このころ、高校の友人10人以上が技能実習や留学で日本に行っており、彼女たちと電話で話すうち、自分も日本に行ってみたくなりました。 友だちには留学生もいましたが、ある友人が学費を払うためにアルバイト時間が超過し、在留資格を更新できなかったというできごとがあったので、私は技能実習を選びました。訪日当初は、料理の仕方がわからず、いつもビデオ電話で両親に聞いてから作りました。また、寮に帰って同期と一緒に食事をした後、寝室に入ると1人なので寂しくなり、よく両親に電話しました。 送出機関の費用 ・技能実習の送出機関…姉の友人が使った送出機関 ・送出機関に支払った費用…全部で6,000 USD(ドル札で支払い)。送出手数料以外に日本語授業料や寮費、制服代も含む。資金は親や姉たちの貯金から。 ・同期数名が支払った費用は私より500 USD以上高かった。送出機関から紹介者に紹介手数料料が支払われたと思われる。 私はこの送出機関に2016年12月に登録し、二つ目の面接に合格しました。面接を受けた約10人のうち私を含む3人が合格し、実習先の寮で一緒に暮らすことになりました。面接に合格後、送出機関の寮に入り、日本語センターで4カ月間、勉強しました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・紹介手数料は規定違反です。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 〈参考〉こんなに違う送出機関の費用 送出機関の説明と違う仕事 私は2017年4月に訪日し、5月から愛知県の水産加工工場で技能実習を始めました。さんまの蒲焼きやいわしの生姜煮(しょうがに)などを作る仕事です。魚を解凍したり煮たり焼いたりします。冷凍庫から魚を運んで頭を切る仕事もあります。かごに入った冷凍魚を運ぶ際は、とても重いです。 送出機関からは「寿司を作る仕事」と説明されたのですが、日本に来てみたら違っていました。最初の日にだまされたことに気付き、寮に帰ってから母に電話し、悔しくて一緒に泣きました。同期2人と一緒に翌日、送出機関に電話しましたが、若い女性担当者は謝るでもなく、「え、仕事内容が違いましたか?でも、もう日本に行ったのだから、頑張ってください」と答えるのみでした。6,000 USDも使って日本に来たので、今さらベトナムには帰れません。あきらめて働くしかありませんでした。 ベトナムへの送金額 工場では30人以上が働いています。そのうちベトナム人は11人(先輩3人は特定技能)いましたが、私の同期2人は2020年に特定技能で他社に移りました。技能実習を終えたのに新型コロナの影響で帰国できない実習生が特定技能に移るケースがたくさんあります。特定技能の登録支援機関などがベトナム人向けのFacebookページに特定技能の求人をたくさん出しています。 私の給料は、残業が多いときと少ないときとで差が激しく、2020年9月は手取り約125,000円(約27,226,000 VND)、10月は約165,000円でしたが、7月は約89,000円しかありませんでした。支給額が安定しないことが、同期2人が他社に移った理由です。私は2020年4月に技能実習が終わった後、帰国したかったのですが、新型コロナで帰国が難しいため在留期間の延長が認められ、今も働いています。おかげで、これまでに約320万円(約696,854,000 VND)をベトナムに送金できました。 日本での生活 ベトナム語ガイド付きのバスツアーに参加〈岐阜県飛騨市で2020年〉 会社から寮(アパート)までは自転車で20分以上かかります。ここには現在、ベトナム人7人が3軒に分かれて住んでいます。寝室は1人1室ずつで、炊飯器や冷蔵庫も1人1台ずつあります。寮費は約27,700円(定額)で、ここに水道・光熱費やWi-Fi代も含まれています。 これまでに、年末年始などの長期休暇を利用して東京、横浜、大阪、神戸、京都などに旅行に行きました。旅先にベトナム人仲間がいれば泊めてもらうこともありますが、ホテルを利用することもあります。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,770 VND(2021年2月19日現在)) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 85,000円~190,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は27,700円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 45,000円) 食費 20,000円 ※自炊 雑費 25,000円 ※交通費、外食費、衣料、雑貨など 差額・貯金(40,000円~145,000円) 仲の良い職場仲間 浴衣の古着を買って職場仲間と花火大会へ〈愛知県で2019年〉 職場のベトナム人はとても仲良しです。だれかの誕生日には一緒にケーキを食べて祝います。週末には一緒に名古屋に行ったり、花見や花火見物に行ったり、長期休暇には旅行に行ったりもします。また、寮の部屋で食事会をすることも多く、男子の後輩実習生やネパール人の同僚を呼ぶこともあります。 職場仲間と一緒に桜の花見〈2019年〉 私の部屋で職場仲間と食事会〈2019年〉 職場以外でも友だちたくさん 名古屋のベトナム料理店でナムディン仲間の宴会〈2019年〉 私は月に4、5回、名古屋などに出かけます。愛知県名古屋市は日本有数の大都会です。愛知県や周辺にはベトナム人の技能実習生も留学生も多く、一緒に遊ぶ友だちがたくさんいます。 例えば、送出機関で一緒に勉強した仲間が愛知県や周辺で働いており、ときどき一緒に食事や観光を楽しんでいます。高校の同級生も愛知県だけで約10人います。この仲間とも一緒に桜を見に行ったり、ベトナム人仲間のサッカーを見物しに行ったりします。また、「愛知県在住ナムディン出身者の会」というFacebookグループがあり、全国各地のナムディン出身者が毎月のように名古屋に集まっています。 毎日勉強しN3合格 ベトナム人仲間や日本人の友人とブドウ狩り〈愛知県で2019年〉 訪日当初は、日本語で仕事の指示をされてもほとんど理解できず、先輩のベトナム人がサポートしてくれました。このままではいけないと思い、毎日1、2時間勉強するようにしました。また、2年目からは毎週2回、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けてきました。Skypeを使ってボランティアの日本人の先生が文法や漢字などを教えてくれます。宿題もあり、先生が添削をしてくださいます。 訪日して2年余りでJLPT(日本語能力試験)・N3に合格し、今では、昼休みに職場の日本人女性たちと雑談をしたり、ベトナム人仲間と遊びにいくときに日本人の友だちを誘ったりすることもあります。 Lotus Works 楽しかった日本生活 訪日後に知り合ったベトナム人仲間とサッカー見物〈愛知県で2019年〉 私はこのようにたくさんのベトナム人仲間や日本人と交流し、日本で貴重な年月を過ごすことができました。職場で日本人とコミュニケーションできたことや仲の良いベトナム人仲間がいたことが大きかったと思います。在留期間があと約3カ月残っていますので、引き続き日本生活を楽しみます。ベトナムに帰ったらいつかファッション・ショップを開くのが夢です。 今回の先輩 Hoàng Thị Huệ(ホアン・ティ・フエ)さん 2015年Trường THPT Mỹ Lộc(ミーロック高校)卒業 2016年送出機関に登録〈ハノイ〉 2017年訪日→講習→技能実習〈愛知〉 2020年帰国困難で在留期間延長〈愛知〉 〈1997年生まれ、ナムディン省出身〉 技能実習で訪日すると、送出機関の説明とは違う仕事だった。それでも、日本語の勉強を毎日続けるなど前向きに努力し、職場でもそれ以外でもたくさんの友だちができた。フエさんの充実した日本生活を振り返る。 〈このページの内容〉 • 友だちの影響で日本行きを決心 • 送出機関の費用 • 送出機関の説明と違う仕事 • ベトナムへの送金額 • 日本での生活 • 仲の良い職場仲間 • 職場以外でも友だちたくさん • 毎日勉強しN3合格 • 楽しかった日本生活 友だちの影響で日本行きを決心 私は5人姉妹の下から2番目で、両親は小規模農家です。私は高校を卒業後、スーパーマーケットやレストランで働きましたが、長続きしませんでした。このころ、高校の友人10人以上が技能実習や留学で日本に行っており、彼女たちと電話で話すうち、自分も日本に行ってみたくなりました。 友だちには留学生もいましたが、ある友人が学費を払うためにアルバイト時間が超過し、在留資格を更新できなかったというできごとがあったので、私は技能実習を選びました。訪日当初は、料理の仕方がわからず、いつもビデオ電話で両親に聞いてから作りました。また、寮に帰って同期と一緒に食事をした後、寝室に入ると1人なので寂しくなり、よく両親に電話しました。 送出機関で一緒だった人たち〈ハノイで2017年〉 送出機関の費用 ・技能実習の送出機関…姉の友人が使った送出機関 ・送出機関に支払った費用…全部で6,000 USD(ドル札で支払い)。送出手数料以外に日本語授業料や寮費、制服代も含む。資金は親や姉たちの貯金から。 ・同期数名が支払った費用は私より500 USD以上高かった。送出機関から紹介者に紹介手数料料が支払われたと思われる。 私はこの送出機関に2016年12月に登録し、二つ目の面接に合格しました。面接を受けた約10人のうち私を含む3人が合格し、実習先の寮で一緒に暮らすことになりました。面接に合格後、送出機関の寮に入り、日本語センターで4カ月間、勉強しました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・紹介手数料は規定違反です。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 〈参考〉こんなに違う送出機関の費用 送出機関の説明と違う仕事 私は2017年4月に訪日し、5月から愛知県の水産加工工場で技能実習を始めました。さんまの蒲焼きやいわしの生姜煮(しょうがに)などを作る仕事です。魚を解凍したり煮たり焼いたりします。冷凍庫から魚を運んで頭を切る仕事もあります。かごに入った冷凍魚を運ぶ際は、とても重いです。 送出機関からは「寿司を作る仕事」と説明されたのですが、日本に来てみたら違っていました。最初の日にだまされたことに気付き、寮に帰ってから母に電話し、悔しくて一緒に泣きました。同期2人と一緒に翌日、送出機関に電話しましたが、若い女性担当者は謝るでもなく、「え、仕事内容が違いましたか?でも、もう日本に行ったのだから、頑張ってください」と答えるのみでした。6,000 USDも使って日本に来たので、今さらベトナムには帰れません。あきらめて働くしかありませんでした。 ベトナムへの送金額 工場では30人以上が働いています。そのうちベトナム人は11人(先輩3人は特定技能)いましたが、私の同期2人は2020年に特定技能で他社に移りました。技能実習を終えたのに新型コロナの影響で帰国できない実習生が特定技能に移るケースがたくさんあります。特定技能の登録支援機関などがベトナム人向けのFacebookページに特定技能の求人をたくさん出しています。 私の給料は、残業が多いときと少ないときとで差が激しく、2020年9月は手取り約125,000円(約27,226,000 VND)、10月は約165,000円でしたが、7月は約89,000円しかありませんでした。支給額が安定しないことが、同期2人が他社に移った理由です。私は2020年4月に技能実習が終わった後、帰国したかったのですが、新型コロナで帰国が難しいため在留期間の延長が認められ、今も働いています。おかげで、これまでに約320万円(約696,854,000 VND)をベトナムに送金できました。 日本での生活 会社から寮(アパート)までは自転車で20分以上かかります。ここには現在、ベトナム人7人が3軒に分かれて住んでいます。寝室は1人1室ずつで、炊飯器や冷蔵庫も1人1台ずつあります。寮費は約27,700円(定額)で、ここに水道・光熱費やWi-Fi代も含まれています。 これまでに、年末年始などの長期休暇を利用して東京、横浜、大阪、神戸、京都などに旅行に行きました。旅先にベトナム人仲間がいれば泊めてもらうこともありますが、ホテルを利用することもあります。 ベトナム語ガイド付きのバスツアーに参加〈岐阜県飛騨市で2020年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,770 VND(2021年2月19日現在) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 85,000円~190,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は27,700円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 45,000円) 食費 20,000円 ※自炊 雑費 25,000円 ※交通費、外食費、衣料、雑貨など 差額・貯金(40,000円~145,000円) 仲の良い職場仲間 職場のベトナム人はとても仲良しです。だれかの誕生日には一緒にケーキを食べて祝います。週末には一緒に名古屋に行ったり、花見や花火見物に行ったり、長期休暇には旅行に行ったりもします。また、寮の部屋で食事会をすることも多く、男子の後輩実習生やネパール人の同僚を呼ぶこともあります。 浴衣の古着を買って職場仲間と花火大会へ〈愛知県で2019年〉 職場仲間と一緒に桜の花見〈2019年〉 私の部屋で職場仲間と食事会〈2019年〉 職場以外でも友だちたくさん 私は月に4、5回、名古屋などに出かけます。愛知県名古屋市は日本有数の大都会です。愛知県や周辺にはベトナム人の技能実習生も留学生も多く、一緒に遊ぶ友だちがたくさんいます。 例えば、送出機関で一緒に勉強した仲間が愛知県や周辺で働いており、ときどき一緒に食事や観光を楽しんでいます。高校の同級生も愛知県だけで約10人います。この仲間とも一緒に桜を見に行ったり、ベトナム人仲間のサッカーを見物しに行ったりします。また、「愛知県在住ナムディン出身者の会」というFacebookグループがあり、全国各地のナムディン出身者が毎月のように名古屋に集まっています。 名古屋のベトナム料理店でナムディン仲間の宴会〈2019年〉 毎日勉強しN3合格 訪日当初は、日本語で仕事の指示をされてもほとんど理解できず、先輩のベトナム人がサポートしてくれました。このままではいけないと思い、毎日1、2時間勉強するようにしました。また、2年目からは毎週2回、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けてきました。Skypeを使ってボランティアの日本人の先生が文法や漢字などを教えてくれます。宿題もあり、先生が添削をしてくださいます。 訪日して2年余りでJLPT(日本語能力試験)・N3に合格し、今では、昼休みに職場の日本人女性たちと雑談をしたり、ベトナム人仲間と遊びにいくときに日本人の友だちを誘ったりすることもあります。 Lotus Works ベトナム人仲間や日本人の友人とブドウ狩り〈愛知県で2019年〉 楽しかった日本生活 私はこのようにたくさんのベトナム人仲間や日本人と交流し、日本で貴重な年月を過ごすことができました。職場で日本人とコミュニケーションできたことや仲の良いベトナム人仲間がいたことが大きかったと思います。在留期間があと約3カ月残っていますので、引き続き日本生活を楽しみます。ベトナムに帰ったらいつかファッション・ショップを開くのが夢です。 訪日後に知り合ったベトナム人仲間とサッカー見物〈愛知県で2019年〉

    2021年03月02日

  • Vol. 50 山の中の職場で技能実習

    今回の先輩 レ・ティ・シムさん 2005年チャンフンダオ高校卒業〈ハイフォン市〉 2009年ホアビン社勤務〈ハイフォン市〉 2011年結婚 2012年退職、長女出産 2014年長男出産 2017年送出機関登録 2018年訪日→講習→技能実習〈福島県〉 〈1987年生まれ、ハイフォン出身〉 山の中の寮から買い物先のスーパーまで車で1時間近くかかるのに、会社が連れて行ってくれるのは月に1度だけ。休日も毎月4、5日間だけで、GWも夏休みも正月休みもなし。悪条件の技能実習体験を紹介する。 〈このページの内容〉 • 訪日の理由と送出機関 • 山の中にある古い寮 • 鶏舎の環境 • スーパーまで30㌔ • 連休がない • 子どものために耐える母親たち • 子どもたちに毎日電話 • 日本語学習 • 日本での生活費と送金 訪日の理由と送出機関 送出機関で年下の仲間たちと一緒に日本語を勉強〈2018年1月〉 私は大学を卒業後、肥料や種子などを製造する会社で3年間働きましたが、出産前に退職し、その後は家事・子育てをしていました。夫の給料は平均以上ですが、私は子どもたちによい教育を受けさせたいのと、起業するための資金を貯めたいので日本に行くことにしました。現在、私の実家に両親と私の家族3人、妹家族3人の計8人が住み、私だけが日本にいます。 私は、日本で先に技能実習をした大学の同級生から、彼女が使ったハノイの送出機関を紹介してもらいました。紹介料はありません。費用は送出手数料や授業料、寮費などすべて含めて6,000ドルでした。このうち5,000ドルは別の友人から借り、訪日後1年間で返済しました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・下記の記事を参考に、知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 山の中にある古い寮 私たちの寮の風呂〈2020年11月〉 私は2018年6月に訪日し、福島県の養鶏場で技能実習をしています。この養鶏場は全国組織で、福島県だけで9カ所に分かれて24人のベトナム人技能実習生が働いています。日本の監理団体の担当者(年配の男性)は毎月1回、私たちの職場や寮に来ますが、通訳は連れてきません。簡単な話しかできないので、この人を通じて会社にお願いし扇風機を買ってもらったことがあるぐらいです。技能実習生の寮は複数あり、新しい寮にはエアコンがありますが、私たちの寮はとても古く、エアコンもなく、お風呂もとても汚いです。 私たちの住む寮〈2020年11月〉 また、私は野菜栽培が好きなので、当初、寮の前で空心菜やトマト、ジャガイモなどを育てましたが、すべてイノシシに食べられてしまいました。無事だったのはカボチャぐらいなので、最近はカボチャだけを育てています。周囲にはイノシシやヘビがたくさんいますし、街灯もほとんどないので、夜は恐くて外に出られません。 鶏舎の環境 私たちの職場〈2020年〉 ニワトリにエサをあげたり病気の予防薬を投与したり、卵を拾って選別し箱に入れたりするのが私たちの主な仕事です。鶏舎内の掃除もします。鶏舎はにおいがきついうえ、冷暖房がなく、冬は寒く夏はとても暑いです。また、羽やチップなどでほこりがひどく、帽子やマスクを着けていても、覆いきれない部分が汚れて真っ黒になります。このため、仕事が終わって帰宅したら、まずは順番にシャワーを浴びます。 スーパーまで30㌔ スーパーでの買い物は月に1回だけ 私たちの職場や寮は山の中腹にあります。寮から一番近い商店はガソリンスタンドに併設された小さな売店ですが、そこまで約3・5㌔もあります。同僚と一緒に2、3度この店まで歩いて行ったことがありますが、往復約2時間かかりました。しかし、帰りはずっと上り坂なので自転車では行けません。また、街灯がほとんどないので、夕方以降は出歩けません。 スーパーマーケットのある市街地までは約30㌔もあり、車で1時間近くかかります。職場のおじいさん、おばあさんが私たちを乗用車で市街地に連れて行ってくれますが、一度に乗れるのは5人までで、順番が回ってくるのは月に1度だけです。朝9時に寮を出てショッピングモールなどを3、4軒回り、夕方5時に帰宅します。1カ月分の食料と日用品を買うので、すごい量の荷物になります。 連休がない 養鶏場からの風景。山から出られるのは月に1度だけ〈2020年11月〉 このように辺ぴな場所に住んでいるうえ、毎月4日間しか休みがないので、遊びに行くことがまったくできません。日本に来て2年半以上経ちましたが、外出は月1回の買い物だけで、観光地や娯楽施設に遊びに行ったことは一度もありません。 残業がなく、代わりに毎月4~5日間の休日出勤があるため、連休がありません。ゴールデンウイークや夏休みや正月休みもなく、単発の有給休暇がたまにつくだけです。日本にいる間に一度ぐらい、観光地に遊びに行きたいものです。 【編集部からのアドバイス】 ・このような不便な場所に住ませながら、会社が月1回しか買い物に連れて行かず、社員旅行に連れていくなどの配慮もしないのは、非常に条件の悪い事例です。このような実習先を避けるためにも、よい送出機関を選びましょう。下記の記事では送出機関の選び方も詳しく説明しています。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 ・半年以上勤務した技能実習生は1年に10~12日間の有給休暇をもらえます。有給休暇を十分にもらえない場合は、監理団体に相談しましょう。それでも解決しない場合は、外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語で相談内容を送信できます。電話もあります(0120-250-168)。 ・万一、OTITに相談しても解決しない場合は、次のような民間の相談機関もあります。 日越ともいき支援会 外国人実習生支援(Facebook) 子どものために耐える母親たち 山奥の冷暖房のない職場だとは知らずに応募しました このように条件の悪い職場ですが、この仕事に応募した理由は次の通りです。 ・早く日本に行きたいので、受かりそうな求人に応募した。30代の子持ちだと、人気のある職種には採用されにくいと思った。 ・送出機関の説明が不十分で、職場環境や寮の内容、休日の少なさがよく分からなかった。 今の生活はとても不便で労働環境も劣悪です。しかし、実習仲間のほとんどが母親で、子どもによい教育を受けさせたいという一心で、皆がまんして働いています。 子どもたちに毎日電話 長女と長男〈ハイフォンで2017年10月〉 私は長女(小3)や長男(小1)と毎晩約1時間、ビデオ電話で話をします。仕事の苦労や生活の不便はありますが、子どもたちの笑顔を見ると、もっと頑張ろうという気持ちになります。同僚仲間も皆、私と同じように子どもたちに毎日電話をしています。ただ、2年以上も子どもたちと会えずに過ごすのはとてもつらいです。娘も息子も電話のたびに「お母さんに会いたい」「お母さん早く帰ってきて」と私に言います。私も子どもたちに会いたくて仕方ありません。 日本語学習 Skypeで日本人先生と会話〈2020年11月〉 寮では毎晩約2時間、日本語の勉強をしています。休日も出かけることがほとんどないので、日本語を身に付けて将来の仕事の幅を広げたいと思って努力しています。教材は定番の「新完全マスター」シリーズや「耳から覚える」シリーズなどです また、職場で日本人と会話をすることもあまりないので、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けています。毎週2回(30~60分)、Skypeを使ってボランティアの日本人の先生から文法や漢字などを教わっています。会話やヒアリングの練習にもなります。宿題もあり、先生が添削をしてくださいます。 【特集】N1・N2合格者たちの勉強法(教材編) Lotus Works 日本での生活費と送金 娘と一緒に〈ハイフォンで2015年6月〉 今の職場でよかった点は、新型コロナの感染拡大後も仕事が減らず、安定した給料をもらえたことです。毎月26~27日間働き、3カ月に一度、実家に平均30万円を送金します。3年間の仕送り総額は300万円を超えそうです。遊びにいけないので、お金を使う機会がないという理由もあります。 実家に送ったお金から家族の生活費や教育費、友人への借金返済費などを引いても半分ぐらい残るので、そのお金で将来、肥料や種子などを販売する会社を設立したいと思っています。今の養鶏場には、技能実習を5年やる先輩や技能実習修了後に特定技能に移行した先輩もいますが、私は子どもたちが小さいので3年で帰国するつもりです。 私の家計簿(1カ月の平均) 100円=22,449 VND(2021年1月6日現在) 手取り給料(平均140,000円) 手取り給料 137,000円~142,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は11,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 35,000円~40,000円) 食費 30,000円 ※自炊 雑費 5,000円~10,000円 ※雑貨、医薬品など 差額・貯金(平均100,000円) 貯金 平均100,000円 ある日の買い物。1度の買い物でスーパーを3、4軒回ります。〈2020年〉 今回の先輩 Lê Thị Xim (レ・ティ・シム)さん 2005年Trần Hưng Đạo高校卒業〈ハイフォン〉 2009年Hoà Bình社勤務〈ハイフォン〉 2011年結婚 2012年退職、長女出産 2014年長男出産 2017年送出機関登録 2018年訪日→講習→技能実習〈福島〉 〈1987年生まれ、ハイフォン出身〉 山の中の寮から買い物先のスーパーまで車で1時間近くかかるのに、会社が連れて行ってくれるのは月に1度だけ。休日も毎月4、5日間だけで、GWも夏休みも正月休みもなし。悪条件の技能実習体験を紹介する。 〈このページの内容〉 • 訪日の理由と送出機関 • 山の中にある古い寮 • 鶏舎の環境 • スーパーまで30㌔ • 連休がない • 子どものために耐える母親たち • 子どもたちに毎日電話 • 日本語学習 • 日本での生活費と送金 訪日の理由と送出機関 私は大学を卒業後、肥料や種子などを製造する会社で3年間働きましたが、出産前に退職し、その後は家事・子育てをしていました。夫の給料は平均以上ですが、私は子どもたちによい教育を受けさせたいのと、起業するための資金を貯めたいので日本に行くことにしました。現在、私の実家に両親と私の家族3人、妹家族3人の計8人が住み、私だけが日本にいます。 私は、日本で先に技能実習をした大学の同級生から、彼女が使ったハノイの送出機関を紹介してもらいました。紹介料はありません。費用は送出手数料や授業料、寮費などすべて含めて6,000ドルでした。このうち5,000ドルは別の友人から借り、訪日後1年間で返済しました。 送出機関で年下の仲間たちと一緒に日本語を勉強〈2018年1月〉 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・下記の記事を参考に、知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 山の中にある古い寮 私は2018年6月に訪日し、福島県の養鶏場で技能実習をしています。この養鶏場は全国組織で、福島県だけで9カ所に分かれて24人のベトナム人技能実習生が働いています。日本の監理団体の担当者(年配の男性)は毎月1回、私たちの職場や寮に来ますが、通訳は連れてきません。簡単な話しかできないので、この人を通じて会社にお願いし扇風機を買ってもらったことがあるぐらいです。技能実習生の寮は複数あり、新しい寮にはエアコンがありますが、私たちの寮はとても古く、エアコンもなく、お風呂もとても汚いです。 私たちの寮の風呂〈2020年11月〉 また、私は野菜栽培が好きなので、当初、寮の前で空心菜やトマト、ジャガイモなどを育てましたが、すべてイノシシに食べられてしまいました。無事だったのはカボチャぐらいなので、最近はカボチャだけを育てています。周囲にはイノシシやヘビがたくさんいますし、街灯もほとんどないので、夜は恐くて外に出られません。 私たちの住む寮〈2020年11月〉 鶏舎の環境 ニワトリにエサをあげたり病気の予防薬を投与したり、卵を拾って選別し箱に入れたりするのが私たちの主な仕事です。鶏舎内の掃除もします。鶏舎はにおいがきついうえ、冷暖房がなく、冬は寒く夏はとても暑いです。また、羽やチップなどでほこりがひどく、帽子やマスクを着けていても、覆いきれない部分が汚れて真っ黒になります。このため、仕事が終わって帰宅したら、まずは順番にシャワーを浴びます。 私たちの職場〈2020年〉 スーパーまで30㌔ 私たちの職場や寮は山の中腹にあります。寮から一番近い商店はガソリンスタンドに併設された小さな売店ですが、そこまで約3・5㌔もあります。同僚と一緒に2、3度この店まで歩いて行ったことがありますが、往復約2時間かかりました。しかし、帰りはずっと上り坂なので自転車では行けません。また、街灯がほとんどないので、夕方以降は出歩けません。 スーパーマーケットのある市街地までは約30㌔もあり、車で1時間近くかかります。職場のおじいさん、おばあさんが私たちを乗用車で市街地に連れて行ってくれますが、一度に乗れるのは5人までで、順番が回ってくるのは月に1度だけです。朝9時に寮を出てショッピングモールなどを3、4軒回り、夕方5時に帰宅します。1カ月分の食料と日用品を買うので、すごい量の荷物になります。 スーパーでの買い物は月に1回だけ 連休がない このように辺ぴな場所に住んでいるうえ、毎月4日間しか休みがないので、遊びに行くことがまったくできません。日本に来て2年半以上経ちましたが、外出は月1回の買い物だけで、観光地や娯楽施設に遊びに行ったことは一度もありません。 残業がなく、代わりに毎月4~5日間の休日出勤があるため、連休がありません。ゴールデンウイークや夏休みや正月休みもなく、単発の有給休暇がたまにつくだけです。日本にいる間に一度ぐらい、観光地に遊びに行きたいものです。 養鶏場からの風景。山から出られるのは月に1度だけ〈2020年11月〉 【編集部からのアドバイス】 ・このような不便な場所に住ませながら、会社が月1回しか買い物に連れて行かず、社員旅行に連れていくなどの配慮もしないのは、非常に条件の悪い事例です。このような実習先を避けるためにも、よい送出機関を選びましょう。下記の記事では送出機関の選び方も詳しく説明しています。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 ・半年以上勤務した技能実習生は1年に10~12日間の有給休暇をもらえます。有給休暇を十分にもらえない場合は、監理団体に相談しましょう。それでも解決しない場合は、外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語で相談内容を送信できます。電話もあります(0120-250-168)。 ・万一、OTITに相談しても解決しない場合は、次のような民間の相談機関もあります。 日越ともいき支援会 外国人実習生支援(Facebook) 子どものために耐える母親たち このように条件の悪い職場ですが、この仕事に応募した理由は次の通りです。 ・早く日本に行きたいので、受かりそうな求人に応募した。30代の子持ちだと、人気のある職種には採用されにくいと思った。 ・送出機関の説明が不十分で、職場環境や寮の内容、休日の少なさがよく分からなかった。 今の生活はとても不便で労働環境も劣悪です。しかし、実習仲間のほとんどが母親で、子どもによい教育を受けさせたいという一心で、皆がまんして働いています。 山奥の冷暖房のない職場だとは知らずに応募しました 子どもたちに毎日電話 私は長女(小3)や長男(小1)と毎晩約1時間、ビデオ電話で話をします。仕事の苦労や生活の不便はありますが、子どもたちの笑顔を見ると、もっと頑張ろうという気持ちになります。同僚仲間も皆、私と同じように子どもたちに毎日電話をしています。ただ、2年以上も子どもたちと会えずに過ごすのはとてもつらいです。娘も息子も電話のたびに「お母さんに会いたい」「お母さん早く帰ってきて」と私に言います。私も子どもたちに会いたくて仕方ありません。 長女と長男〈ハイフォンで2017年10月〉 日本語学習 寮では毎晩約2時間、日本語の勉強をしています。休日も出かけることがほとんどないので、日本語を身に付けて将来の仕事の幅を広げたいと思って努力しています。教材は定番の「新完全マスター」シリーズや「耳から覚える」シリーズなどです また、職場で日本人と会話をすることもあまりないので、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けています。毎週2回(30~60分)、Skypeを使ってボランティアの日本人の先生から文法や漢字などを教わっています。会話やヒアリングの練習にもなります。宿題もあり、先生が添削をしてくださいます。 【特集】N1・N2合格者たちの勉強法(教材編) Lotus Works Skypeで日本人先生と会話〈2020年11月〉 日本での生活費と送金 今の職場でよかった点は、新型コロナの感染拡大後も仕事が減らず、安定した給料をもらえたことです。毎月26~27日間働き、3カ月に一度、実家に平均30万円を送金します。3年間の仕送り総額は300万円を超えそうです。遊びにいけないので、お金を使う機会がないという理由もあります。 実家に送ったお金から家族の生活費や教育費、友人への借金返済費などを引いても半分ぐらい残るので、そのお金で将来、肥料や種子などを販売する会社を設立したいと思っています。今の養鶏場には、技能実習を5年やる先輩や技能実習修了後に特定技能に移行した先輩もいますが、私は子どもたちが小さいので3年で帰国するつもりです。 娘と一緒に〈ハイフォンで2015年6月〉 私の家計簿(1カ月の平均) 100円=22,449 VND(2021年1月6日現在) 手取り給料(平均140,000円) 手取り給料 137,000円~142,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は11,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 35,000円~40,000円) 食費 30,000円 ※自炊 雑費 5,000円~10,000円 ※雑貨、医薬品など 差額・貯金(平均100,000円) 貯金 平均100,000円 ある日の買い物。1度の買い物でスーパーを3、4軒回ります。〈2020年〉

    2021年01月28日

  • Vol. 48 失踪後、支援組織に助けられ

    今回の先輩 グエン・ティ・ムンさん 2015年レホンフォン高校卒業〈ゲアン県〉 2015年バリアブンタウ大学入学 2016年大学中退、送出機関登録〈ハノイ〉 2017年訪日。講習後、技能実習開始〈長野県〉 2018年失踪〈長野県→愛知県〉 2019年転職〈大阪〉 〈1997年生まれ、ゲアン省出身〉 工場での技能実習以外に動物の世話やベビーシッターを長時間させられ、残業代ももらえなかったムンさん。社長の度重なる暴言もあって失踪したが、残った後輩たちを助けようと支援機関に相談した。すると、労基署が捜査に乗り出し、OTITも動いて……。 〈このページの内容〉 • 大学を中退し技能実習 • 送出機関 • 工場勤務なのにペットショップの仕事 • ベビーシッター • 心の糸が切れて失踪 • 日本人は親切だった • 失踪生活 •「外国人実習生支援」 • 行政が動いた! • 転籍 • 新しい職場 • 今の生活 大学を中退し技能実習 送出機関の日本語センターの先生や仲間〈ハノイで2017年〉 私は6人兄弟の5番目です。父は病気で2009年から仕事ができず(2019年に死亡)、母が農業で家計を支えていました。私は大学で1年間勉強しましたが、実家が苦しいのに自分だけ大学に通うことが心苦しく、中退して技能実習をすることを決意しました。家族は中退に反対しましたが、私の故郷では、多くの友人が大学に進まず外国で働いていたので、私も同じように働いて両親を助けたいと思ったのです。 送出機関 私はハノイの送出機関に登録し、全部で6,400ドルを支払いました。それ以外に、送出機関を紹介してくれた親せきの友人にも20,000,000ドン払いました。他に食費や交通費もあり、父は計200,000,000ドンを銀行から借りました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高くても日本での給料が高いとは限りません。 ・ベトナム政府の規定で、送出機関の日本語教育費は約520時間に対し5,900,000VND以下、送出手数料は3,600 USD以下(3年契約の場合)となっています。 ・送出機関は、紹介者が紹介料を受け取ることを認めてはいけません。 ☆この記事を参考に送出機関を自分でも探しましょう。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 工場勤務なのにペットショップの仕事 飼育小屋で清掃をする同僚〈2017年〉 私は2017年6月に長野県の工場で技能実習を始めました。しかし、機械加工の実習以外に、この会社が経営するペットショップでも仕事をさせられました。毎日、朝から工場で働いた後、私を含む3人が車でペットショップに移動し、15時から19時まで仕事をしました。鳥や動物へのエサやり▽飼育小屋の掃除▽販売用のエサの包装――などです。土曜日は朝から晩までペットショップで、隣接するバラ園でせん定や掃除もさせられました。 また、寮で最初の1年間はWi-Fiのパスワードを教えてもらえず、自由に電話できませんでした。先輩も社長から怒られるので、パスワードを教えてくれません。訪日して約3カ月たったある日、先輩の携帯電話を借りて初めて家族に連絡できました。その後も、社長の目があるので自由に電話できませんでした。 ベビーシッター 仕事を記録した私のメモ(黒塗り部分は赤ちゃんの名前)〈2018年1月〉 技能実習生は工場のそばの寮に住みましたが、私を含む数人だけが2017年11月、ペットショップに近い監理団体の研修センターに移されました。社長は監理団体の理事長も兼ねており、私たちをセンターに住ませ、自分も2018年1月に1歳の娘と2人でここに移ってきました。それ以来、私たち実習生が社長の食事作りや洗濯、赤ちゃんの子守をすることになりました。また、毎日朝から鳥や犬にエサをあげたり、深夜に社長の飼っていたハトの世話をしたりもしました。 後輩実習生たちと私〈センターで2018年8月〉 失踪までの約10カ月間、私は毎日ベビーシッターをしました。赤ちゃんは私に一番なついていたので、主に私の担当でした。19時にセンターに帰り、23時から赤ちゃんと遊んだり寝かしつけたりし、1時までかかることもよくありました。おむつ交換もしました。休日もペットショップの仕事か赤ちゃんの世話です。私はこの子が好きでしたが、残業代は一円ももらえませんでした。 心の糸が切れて失踪 このような無賃労働に加え、私たちは社長からよく怒鳴られました。2018年8月に来た後輩実習生3人は日本語が分からず、社長の指示を理解できません。そんなとき、社長は「なぜ、こいつらにきちんと仕事を教えないんだ!」と私に怒鳴りました。社長はそれ以外にも気に入らないことがあるとよく激高しました。そのため男の実習生2人が失踪しました。私も同年10月のある夜、理由も分からずにひどく怒鳴られ、心の糸が切れてしまいました。 「もうここには居られない」と思い立ち、怒鳴られた3時間後にセンターを出ました。夜0時ごろのことでした。約600㍍離れた高速バス乗り場まで歩き、「私、名古屋に行きたいですけど、バスはどれですか」と聞いて名古屋行きのバスに乗ったのです。 日本人は親切だった 向かった先は愛知県の技能実習生たちの寮でした。彼らの1人を訪日前に紹介され、SNSで情報交換を続けていました。悩みを聞いてもらうこともあり、「もし失踪したら、うちにおいで」と言ってくれていました。しかし、実際に失踪するつもりはなかったので、寮への行き方が分かりません。そんな私を、道行く人たちが助けてくれました。 *高速バスを降り、タクシーに乗ろうとしましたが、目的地まで約2万円かかるとのことで断念。友人に電車での行き方を聞くにも、私の携帯電話はWi-Fiがないと使えません。そこで、運転手さんが携帯電話を貸してくれました。 *駅に着くと、今度は切符の買い方が分かりません。社長が怒るので外出許可を申請しにくく、長野県から出たことがなかったからです。通行人の少年に尋ねると、代わりに切符を買い、自動改札機まで連れて行ってくれました。 *電車内では乗客のおばさんに電話を借り、目的の駅に着いたときに教えてもらいました。 *電車を降り、切符を入れずに自動改札機を通ろうとしてアラームが鳴りました。しかし、駅員さんがやさしく助けてくれました。 失踪生活 友人は3ベッドルームの寮に3人で住んでいました。私はこのうち1室に、再就職するまで約11カ月間住ませてもらいました。失踪時、私の口座には約30万円ありましたが、途中でなくなり、彼らにお金を借りて暮らしました。失踪中は、日本語を毎日8時間勉強しました。不法就労をあっせんする有名なFacebookページは詐欺も多いので使わず、先輩や友人に仕事探しをお願いしました。また、友だちと花見などに行って気晴らしをしましたが、収入がないので遠くには行きませんでした。失踪中は「日本で働いて借金を返す前に警察に見つかってベトナムに送り返されたら……」といつも不安でした。後輩の皆さん、失踪だけはしないでください。 「外国人実習生支援」 「外国人実習生支援」のFBページ。ここからメッセージを送れます。 そんなある日、Facebookで榑松(くれまつ)さんのことを知りました。ある実習生が労働問題を彼に解決してもらったという投稿でした。榑松さんは「外国人実習生支援」というFacebookページで実習生の相談を受けています。私は長野に残っている後輩たちの処遇を改善してもらえないかと思い、2019年3月、思い切って榑松さんにSNSで連絡しました。 「仲間が工場勤務なのに他の仕事をやらされている」などと、簡単な日本語でメッセージを送り、社長が怒鳴っている動画も送りました。そして、約2週間後に彼の事務所(名古屋市)を訪ねました。彼はとても親身に相談に乗り、外国人技能実習機構(OTIT)や労基署に一緒に行って説明をしたり、電車のパスカードを作ってくれたりしました。 行政が動いた! 榑松さんに相談してからの経過は次の通りです。労基署やOTITが動いてくれました。 〈2019年〉 ・3月11日:榑松さんと面会。一緒にOTIT名古屋事務所を訪問。 ・3月20日:国会議員が私たちの事例を取り上げ、国会で質問(それを聞いてNHKが取材)。 ・4月1日:社長が怒鳴っている動画などをNHKが放送。 ・4月3日:労基署とOTITが長野県の会社に立ち入り調査。OTITが後輩実習生3人をホテルに保護。3人はその後、OTITの手配で別の会社に転職。 ・6月:フィリピン人の後輩数人もOTITに保護され、その後転職。 ・7月:私が長野県の労基署を訪問し残業代不払いを訴え。 ・11月:労基署は「小売店(ペットショップ)の清掃などを行わせた時間外労働について、技能実習生らに約1年間にわたって割増賃金を支払っていない」などとして、労働基準法違反(割増賃金不払いなど)の疑いでこの会社を送検。 厚労省発表の指導事例にも掲載(2020年10月) 〈2020年〉 ・2月:入管庁と厚労省はこの会社の技能実習計画の認定を取り消し。同社社長が理事長を務める監理団体への許可も取り消し。 NHKが全国放送〈2019年4月〉 転籍 榑松さん(左)は私の日本でのお父さん〈名古屋市で2019年9月〉 こうして会社は処分され、後輩たちは転籍できました。ただ、一度失踪したためか、私の転職先だけは決まりませんでした。榑松さんがあちこちに聞いて私の転職先を探してくれましたが、私と同じ職種の女性実習生は少なく、仕事があっても女子寮がないなどの理由で、なかなか見つかりませんでした。そんななか、榑松さんと懇意の黒田さんというベトナム語通訳の女性(西日本技能センター)が大阪府の抱月工業という会社にお願いしてくださり、就職できることになりました。2019年9月のことでした。 ・(監理団体)協同組合 西日本技能センター https://www.facebook.com/japanskill/ ※ベトナム語で問い合わせができます。 新しい職場 作業中の私〈2020年8月〉 抱月工業(大久保尚容社長)は従業員約70人で、2003年から実習生を受け入れ、今はエンジニアと実習生で計11人のベトナム人がいます。これまで女性実習生はいなかったので、私のために新たにアパートを借りてくれました。同社では、下記のようによい意味で驚きの連続でした。 ・社長が親切でやさしい。 ・現場リーダーたちが実習生に困ったことはないかよく聞いてくれる。仕事のやり方に関する意見交換会もある。 ・日本語能力試験(JLPT)に合格したら毎月の給料が上がる(N4:5,000円、N3:10,000円、N2:15,000円)。ほぼ全員がN3以上を取得して帰国する。 ・社員旅行がある(過去にベトナムに行った年もあった)。 とても働きやすい職場で、私は技能実習3号や特定技能などでできるだけ長くここで働きたいと希望しています。 抱月工業の工場 会社の忘年会(右から2人目が社長) 今の生活 私のJLPT・N3合格を祝って日本語教室の先生たちと食事会〈2020年2月〉 抱月工業の先輩たちは親切で、私と一緒に遊びに行ってくれる人もいます。また、私は地元の国際交流協会が主催する無料日本語教室に通っており、先生方の家に遊びに行ったりもします。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円= 22,303 VND(2020年12月30日現在) 手取り給料(平均150,000円) 手取り給料 130,000円~160,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は20,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(合計 30,000円~50,000円) 食費 15,000円~20,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 15,000円~20,000円 ※衣類、交通費、たまに外食 差額・貯金(100,000円~130,000円) 差額 100,000円~130,000円 ※1カ月110,000円~150,000円を実家に送金 榑松さんや黒田さん、今の社長のおかげで、私は今、充実した実習生活を送っています。後輩の実習生の皆さん、実習先で困ったことがあっても、悪い仲間に引き込まれたり、不法就労に走ったりせず、支援機関に粘り強く相談してください。 【編集部からのアドバイス】 実習先での問題はまず監理団体に相談し、それでも解決しない場合は、必ず外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語でも相談できます。電話もあります(0120-250-168)が、相談内容が深刻な場合は、紙に書いてOTITを訪問するか郵送する方が無難です。 ☆万一、OTITに相談しても解決しない場合は、下記のような民間の支援機関もあります。 外国人実習生支援(Facebook)https://www.facebook.com/jissyuseisien/ 日越ともいき支援会(E-mail)n.tomoiki@gmail.com 今回の先輩 Nguyễn Thị Mừng (グエン・ティ・ムン)さん 2015年レホンフォン高校卒業〈ゲアン〉 2015年バリアブンタウ大学入学 2016年大学中退、送出機関登録〈ハノイ〉 2017年訪日。講習後、技能実習開始〈長野〉 2018年失踪〈長野→愛知〉 2019年転職〈大阪〉 〈1997年生まれ、ゲアン省出身〉 工場での技能実習以外に動物の世話やベビーシッターを長時間させられ、残業代ももらえなかったムンさん。社長の度重なる暴言もあって失踪したが、残った後輩たちを助けようと支援機関に相談した。すると、労基署が捜査に乗り出し、OTITも動いて……。 〈このページの内容〉 • 大学を中退し技能実習 • 送出機関 • 工場勤務なのにペットショップの仕事 • ベビーシッター • 心の糸が切れて失踪 • 日本人は親切だった • 失踪生活 •「外国人実習生支援」 • 行政が動いた! • 転籍 • 新しい職場 • 今の生活 大学を中退し技能実習 私は6人兄弟の5番目です。父は病気で2009年から仕事ができず(2019年に死亡)、母が農業で家計を支えていました。私は大学で1年間勉強しましたが、実家が苦しいのに自分だけ大学に通うことが心苦しく、中退して技能実習をすることを決意しました。家族は中退に反対しましたが、私の故郷では、多くの友人が大学に進まず外国で働いていたので、私も同じように働いて両親を助けたいと思ったのです。 送出機関の日本語センターの先生や仲間〈ハノイで2017年〉 送出機関 私はハノイの送出機関に登録し、全部で6,400ドルを支払いました。それ以外に、送出機関を紹介してくれた親せきの友人にも20,000,000ドン払いました。他に食費や交通費もあり、父は計200,000,000ドンを銀行から借りました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高くても日本での給料が高いとは限りません。 ・ベトナム政府の規定で、送出機関の日本語教育費は約520時間に対し5,900,000VND以下、送出手数料は3,600 USD以下(3年契約の場合)となっています。 ・送出機関は、紹介者が紹介料を受け取ることを認めてはいけません。 ☆この記事を参考に送出機関を自分でも探しましょう。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 工場勤務なのにペットショップの仕事 私は2017年6月に長野県の工場で技能実習を始めました。しかし、機械加工の実習以外に、この会社が経営するペットショップでも仕事をさせられました。毎日、朝から工場で働いた後、私を含む3人が車でペットショップに移動し、15時から19時まで仕事をしました。鳥や動物へのエサやり▽飼育小屋の掃除▽販売用のエサの包装――などです。土曜日は朝から晩までペットショップで、隣接するバラ園でせん定や掃除もさせられました。 また、寮で最初の1年間はWi-Fiのパスワードを教えてもらえず、自由に電話できませんでした。先輩も社長から怒られるので、パスワードを教えてくれません。訪日して約3カ月たったある日、先輩の携帯電話を借りて初めて家族に連絡できました。その後も、社長の目があるので自由に電話できませんでした。 飼育小屋で清掃をする同僚〈2017年〉 ベビーシッター 技能実習生は工場のそばの寮に住みましたが、私を含む数人だけが2017年11月、ペットショップに近い監理団体の研修センターに移されました。社長は監理団体の理事長も兼ねており、私たちをセンターに住ませ、自分も2018年1月に1歳の娘と2人でここに移ってきました。それ以来、私たち実習生が社長の食事作りや洗濯、赤ちゃんの子守をすることになりました。また、毎日朝から鳥や犬にエサをあげたり、深夜に社長の飼っていたハトの世話をしたりもしました。 仕事を記録した私のメモ(黒塗り部分は赤ちゃんの名前)〈2018年1月〉 失踪までの約10カ月間、私は毎日ベビーシッターをしました。赤ちゃんは私に一番なついていたので、主に私の担当でした。19時にセンターに帰り、23時から赤ちゃんと遊んだり寝かしつけたりし、1時までかかることもよくありました。おむつ交換もしました。休日もペットショップの仕事か赤ちゃんの世話です。私はこの子が好きでしたが、残業代は一円ももらえませんでした。 後輩実習生たちと私〈センターで2018年8月〉 心の糸が切れて失踪 このような無賃労働に加え、私たちは社長からよく怒鳴られました。2018年8月に来た後輩実習生3人は日本語が分からず、社長の指示を理解できません。そんなとき、社長は「なぜ、こいつらにきちんと仕事を教えないんだ!」と私に怒鳴りました。社長はそれ以外にも気に入らないことがあるとよく激高しました。そのため男の実習生2人が失踪しました。私も同年10月のある夜、理由も分からずにひどく怒鳴られ、心の糸が切れてしまいました。 「もうここには居られない」と思い立ち、怒鳴られた3時間後にセンターを出ました。夜0時ごろのことでした。約600㍍離れた高速バス乗り場まで歩き、「私、名古屋に行きたいですけど、バスはどれですか」と聞いて名古屋行きのバスに乗ったのです。 日本人は親切だった 向かった先は愛知県の技能実習生たちの寮でした。彼らの1人を訪日前に紹介され、SNSで情報交換を続けていました。悩みを聞いてもらうこともあり、「もし失踪したら、うちにおいで」と言ってくれていました。しかし、実際に失踪するつもりはなかったので、寮への行き方が分かりません。そんな私を、道行く人たちが助けてくれました。 *高速バスを降り、タクシーに乗ろうとしましたが、目的地まで約2万円かかるとのことで断念。友人に電車での行き方を聞くにも、私の携帯電話はWi-Fiがないと使えません。そこで、運転手さんが携帯電話を貸してくれました。 *駅に着くと、今度は切符の買い方が分かりません。社長が怒るので外出許可を申請しにくく、長野県から出たことがなかったからです。通行人の少年に尋ねると、代わりに切符を買い、自動改札機まで連れて行ってくれました。 *電車内では乗客のおばさんに電話を借り、目的の駅に着いたときに教えてもらいました。 *電車を降り、切符を入れずに自動改札機を通ろうとしてアラームが鳴りました。しかし、駅員さんがやさしく助けてくれました。 失踪生活 友人は3ベッドルームの寮に3人で住んでいました。私はこのうち1室に、再就職するまで約11カ月間住ませてもらいました。失踪時、私の口座には約30万円ありましたが、途中でなくなり、彼らにお金を借りて暮らしました。失踪中は、日本語を毎日8時間勉強しました。不法就労をあっせんする有名なFacebookページは詐欺も多いので使わず、先輩や友人に仕事探しをお願いしました。また、友だちと花見などに行って気晴らしをしましたが、収入がないので遠くには行きませんでした。失踪中は「日本で働いて借金を返す前に警察に見つかってベトナムに送り返されたら……」といつも不安でした。後輩の皆さん、失踪だけはしないでください。 「外国人実習生支援」 そんなある日、Facebookで榑松(くれまつ)さんのことを知りました。ある実習生が労働問題を彼に解決してもらったという投稿でした。榑松さんは「外国人実習生支援」というFacebookページで実習生の相談を受けています。私は長野に残っている後輩たちの処遇を改善してもらえないかと思い、2019年3月、思い切って榑松さんにSNSで連絡しました。 「仲間が工場勤務なのに他の仕事をやらされている」などと、簡単な日本語でメッセージを送り、社長が怒鳴っている動画も送りました。そして、約2週間後に彼の事務所(名古屋市)を訪ねました。彼はとても親身に相談に乗り、外国人技能実習機構(OTIT)や労基署に一緒に行って説明をしたり、電車のパスカードを作ってくれたりしました。 「外国人実習生支援」のFBページ。ここからメッセージを送れます。 自分に日本語で話しかける 榑松さんに相談してからの経過は次の通りです。労基署やOTITが動いてくれました。 〈2019年〉 ・3月11日:榑松さんと面会。一緒にOTIT名古屋事務所を訪問。 ・3月20日:国会議員が私たちの事例を取り上げ、国会で質問(それを聞いてNHKが取材)。 ・4月1日:社長が怒鳴っている動画などをNHKが放送。 ・4月3日:労基署とOTITが長野県の会社に立ち入り調査。OTITが後輩実習生3人をホテルに保護。3人はその後、OTITの手配で別の会社に転職。 ・6月:フィリピン人の後輩数人もOTITに保護され、その後転職。 ・7月:私が長野県の労基署を訪問し残業代不払いを訴え。 ・11月:労基署は「小売店(ペットショップ)の清掃などを行わせた時間外労働について、技能実習生らに約1年間にわたって割増賃金を支払っていない」などとして、労働基準法違反(割増賃金不払いなど)の疑いでこの会社を送検。 厚労省発表の指導事例にも掲載(2020年10月) 〈2020年〉 ・2月:入管庁と厚労省はこの会社の技能実習計画の認定を取り消し。同社社長が理事長を務める監理団体への許可も取り消し。 NHKが全国放送〈2019年4月〉 転籍 こうして会社は処分され、後輩たちは転籍できました。ただ、一度失踪したためか、私の転職先だけは決まりませんでした。榑松さんがあちこちに聞いて私の転職先を探してくれましたが、私と同じ職種の女性実習生は少なく、仕事があっても女子寮がないなどの理由で、なかなか見つかりませんでした。そんななか、榑松さんと懇意の黒田さんというベトナム語通訳の女性(西日本技能センター)が大阪府の抱月工業という会社にお願いしてくださり、就職できることになりました。2019年9月のことでした。 ・(監理団体)協同組合 西日本技能センター https://www.facebook.com/japanskill/ ※ベトナム語で問い合わせができます。 榑松さん(左)は私の日本でのお父さん〈名古屋市で2019年9月〉 新しい職場 抱月工業(大久保尚容社長)は従業員約70人で、2003年から実習生を受け入れ、今はエンジニアと実習生で計11人のベトナム人がいます。これまで女性実習生はいなかったので、私のために新たにアパートを借りてくれました。同社では、下記のようによい意味で驚きの連続でした。 ・社長が親切でやさしい。 ・現場リーダーたちが実習生に困ったことはないかよく聞いてくれる。仕事のやり方に関する意見交換会もある。 ・日本語能力試験(JLPT)に合格したら毎月の給料が上がる(N4:5,000円、N3:10,000円、N2:15,000円)。ほぼ全員がN3以上を取得して帰国する。 ・社員旅行がある(過去にベトナムに行った年もあった)。 とても働きやすい職場で、私は技能実習3号や特定技能などでできるだけ長くここで働きたいと希望しています。 作業中の私〈2020年8月〉 抱月工業の工場 会社の忘年会(右から2人目が社長) 今の生活 抱月工業の先輩たちは親切で、私と一緒に遊びに行ってくれる人もいます。また、私は地元の国際交流協会が主催する無料日本語教室に通っており、先生方の家に遊びに行ったりもします。 私のJLPT・N3合格を祝って日本語教室の先生たちと食事会〈2020年2月〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円= 22,303 VND(2020年12月30日現在) 手取り給料(平均150,000円) 手取り給料 130,000円~160,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は20,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(合計 30,000円~50,000円) 食費 15,000円~20,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 15,000円~20,000円 ※衣類、交通費、たまに外食 差額・貯金(100,000円~130,000円) 差額 100,000円~130,000円 ※1カ月110,000円~150,000円を実家に送金 榑松さんや黒田さん、今の社長のおかげで、私は今、充実した実習生活を送っています。後輩の実習生の皆さん、実習先で困ったことがあっても、悪い仲間に引き込まれたり、不法就労に走ったりせず、支援機関に粘り強く相談してください。 【編集部からのアドバイス】 実習先での問題はまず監理団体に相談し、それでも解決しない場合は、必ず外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語でも相談できます。電話もあります(0120-250-168)が、相談内容が深刻な場合は、紙に書いてOTITを訪問するか郵送する方が無難です。 ☆万一、OTITに相談しても解決しない場合は、下記のような民間の支援機関もあります。 外国人実習生支援(Facebook)https://www.facebook.com/jissyuseisien/ 日越ともいき支援会(E-mail)n.tomoiki@gmail.com

    2021年01月04日

  • Vol. 46 イチゴ農園で楽しく技能実習

    今回の先輩 ファム・ラ・チュック・リーさん 2007年高校在学中から靴工場勤務(10年間)〈ホーチミン〉 2008年ジ・アン高校卒業〈ビンズオン県〉 2018年日本語センター入所(4月)〈ホーチミン〉 2018年訪日(12月)→講習→イチゴ農園で技能実習開始〈宮崎県〉 〈1989年生まれ、ビンズオン省出身〉 ベトナムに4歳の一人娘を置いて日本のイチゴ農園で働くリーさん。日本滞在中の3年間に日本語をマスターして帰国後に娘に教えたいと、勉強も毎日欠かさない。もっと給料の多い仕事もあったが、農園の社長も受入組合の支社長も親切で、この農園に入れてよかったと思っている。リーさんの体験談を紹介する。 〈このページの内容〉 • 娘に日本語を教えたい • 送出機関への支払い • イチゴ農園での仕事 • 日本人とのふれ合いが多い職場 • 故郷の娘 • 日本での生活(私の家計簿) • 日本語の勉強 • 受入組合はキーポイント • 経営者から見た技能実習生の働きぶり 娘に日本語を教えたい 私は高校を出て工場で10年間働きました。その間に結婚し、2016年に娘も生まれました。そして、娘のために訪日を決意しました。技能実習の給料が家計の助けになります。さらに、実習中に努力して日本語を身に付ければ、帰国後、私が娘に日本語を教えることができます。娘には将来、日本に留学していい会社に入ってもらいたいのですが、それに備えて家庭で日本語教育ができるのです。そう考えて技能実習に応募しました。 実習先のイチゴ農園 以前から外国で働いてみたいとは思っていました。もともとはロシアに行きたかったのですが、日本で働いて帰国した友人から、▽日本で技能実習をすれば、お金も稼げて日本語も覚えられる▽街がきれい▽泥棒が少ない▽人が親切▽気候が穏やか▽日本人の仕事のやり方が勉強になる――と聞かされ、日本に行きたくなりました。そして、日本に来てみると、実際にその通りでした。 送出機関への支払い 入国後講習で滞在した大阪で観光〈2018年〉 私は近所の実習経験者から紹介された送出機関に登録し、2カ月後に「ひなたいちご園」の面接に合格しました。面接にはイチゴ園の社長が来てくれました。送出機関には、面接合格時に約50,000,000ドン、訪日1カ月前にも約50,000,000ドンを支払いました。そのために銀行から60,000,000ドンを借りましたが、訪日後数カ月ですべて返済しました。 本当は食品加工などもっと給料の高い仕事を希望していたのですが、私は年齢が比較的高いのと既婚なので人気職種では面接に受かりにくいと言われ、イチゴ園に応募しました。イチゴ園には、送出機関での同期のハンさん、フェップさんと一緒に赴任しました。 イチゴ農園での仕事 上空から見たひなたいちご園 ひなたいちご園には計26棟のビニールハウスがあります。ハウス内の面積は合計7,000平方㍍。社長を含めて約10人が働いており、そのうち外国人は私たち3人です。大粒で味のよい高級イチゴを生産する農園で、最高級品は1箱(12個)5,000円(約1,100,000ドン)で販売しています。 ● 収穫シーズンの仕事――イチゴの味見も イチゴの収穫は11月~6月。この間の仕事は収穫・選別・箱詰めなどです。この農園はイチゴジャムも販売しているので、ジャムのびんにラベルをはる仕事もあります。また、変わった仕事としては、イチゴの味見があります。計測器でイチゴの糖度を測り、外観と合わせてランク分けして販売しますが、スタッフも味見をします。女性の方が味の違いに敏感だといい、社長が私たち実習生にイチゴの味見をさせます。毎日のように味見の仕事があり、他職種の友だちからうらやましがられています。 ● オフシーズンの仕事 収穫しないシーズンには、ハウスの外でイチゴの苗を育てます。私たちは苗の水やりや病気チェックをします。また、ハウス内をほうきで掃除したり設備を入れ替えたりもします。苗は9月~10月にハウス内に移し、収穫を待ちます。 ひなたいちご園での収穫 日本人とのふれ合いが多い職場 右から社長、菜々花さん、通訳2人、技能実習生3人〈2019年〉 仕事上の指示や相談で社長や農場長と話をすることも多いですし、休憩時間にパートの方々ともよく話をします。日本人と会話をする機会が多く、日本語習得に適した環境です。 社長のめいの菜々花さんは、休日に私たち実習生を車でスーパーや観光地に連れて行ってくれることもあります。この夏には、社長が海辺のキャンプ場でバーベキューパーティーを開いてくれました。また、私たちは自転車通勤ですが、大雨の日は社長や農場長が車で送迎してくれます。 故郷の娘 4歳の娘は今、夫と一緒に暮らしています。日本に来て娘と離れ、当初は、娘と同じくらいの小さい子を見るたびにつらくて泣いていました。娘とはビデオ電話で毎日話をします。娘に会いたくて、今年5月の連休に一時帰国しようと思っていましたが、新型コロナで帰省できなくなり、とても残念でした。 日本での生活 イチゴ農園から見る夜明け〈2020年3月〉 寮では1人に一つずつ寝室があります。通常、夜11時に寝て朝5時半に起き、7時から夕方4時まで働きます。朝は早いですが、仕事が終わるのも早いので、つらくはありません。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=22,151 VND(2020年10月30日現在) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 95,000円~140,000円 ※税金、社会保険料、寮費、水道・光熱費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は15,000円(Wi-Fi込み)、水道・光熱費は平均8,000円 ※収穫シーズンは残業代が多い 支出(合計平均30,000円) 食費 25,000円 ※主に自炊 雑費・生活用品 5,000円 ※衣類は買わない。外食はめったにしない。 差額・貯金(平均80,000円) 差額 80,000円 ※差額は母に送金(2カ月ごとに100,000~120,000円) 菜々花さんが連れて行ってくれた宮崎県のサンメッセ日南〈2019年〉 送金したお金は、母が生活費や下の妹の学費、娘の幼稚園の費用になどに使っています。もっとお金があれば、娘の背が高くなるようにカルシウムのサプリメントを買いたいです。また、母には血圧の薬や関節の痛みを和らげる薬を買ってあげたいです。 日本では、入国後講習の際に大阪や神戸を見物したほかは、宮崎県外に遊びにいったことがありません。もし、お金に余裕ができたら沖縄に行ってみたいです。 日本語の勉強 毎晩2時間、教材とインターネットで日本語を勉強しています。「新完全マスター」シリーズや「耳から覚える日本語能力試験」シリーズなどを使っています。週2回の休みの日は、朝ゆっくり寝ますが、日本語の勉強も5時間以上します。来日して2年近く経ち、聞き取りはかなり上達しましたが、漢字を覚えるのが難しいですね。 Link:【特集】N1・N2合格者たちの勉強法(ツール編) 受入組合はキーポイント 左の男性が西日本技能センターの代表、右端がイチゴ園の社長 私たちの技能実習の監理団体(受入組合)は「西日本技能センター」で、大阪府に本社、鹿児島県に支社があります。支社長の山﨑良一さん(73)が毎月1、2回、私たちに会いに来て話を聞き、親身になってサポートしてくれます。また、ときどき一緒に来る女性スタッフが古着を持ってきてくれることもあり、私たちは服を買わなくてもすみます。 技能実習生にとって監理団体はとても大切です。もし、同センターが担当する職場で実習したい場合は、送出機関を選ぶ前に同社に問い合わせることもできます。 ・西日本技能センター https://www.facebook.com/japanskill/ ※ベトナム語で問い合わせができます。 私たちに会いに来てくれた「お父さん」〈2020年7月〉 山﨑さんは私たちに日本語を教えたり、食事や観光に連れて行ってくれたりもします。私たちは山﨑さんのことを「お父さん」と呼んでいます。「お父さん」は本当のお父さんのように私たちを気遣い、健康や生活、仕事のことなどいろいろなサポートをしてくれます。私は毎月「お父さん」に会うのがとても楽しみで、「お父さん」のことを実父と同じぐらい尊敬しています。 他の職場で実習をしている送出機関の同期生と連絡を取り合っていますが、受入組合がこれほど親身にサポートしてくれるケースはあまりないようです。また、農園の社長や農場長、菜々花さんにも親切にしてもらっています。もっと給料が高い職場もありますが、お金に代えがたいものもあります。私はここに実習に来られてよかったと思っています。 経営者から見た技能実習生の働きぶり 【インタビュー】ひなたいちご園・長友一平社長(34)の話 春は、ビニールハウス内が高温になりますが、暑くなる前に収穫した方がイチゴの鮮度を保てるので、朝4時ごろに収穫を始める日もあります(そのときは終業も早めます)。このような早朝の仕事は、パートさんでは長く務まりません。私と農場長、実習生の計5人が中心的に働くことで安定的な運営ができます。 リーさんたち3人は仕事を覚えるも日本語の上達も速かったですし、まじめに堅実に働いてくれます。花や枝を摘むといった作業も年配のパートさんたちの2倍近く速くできます。若いからというだけではなく、ベトナム人は手先が器用なのでしょう。また、彼女たちがいると職場も明るくなります。技能実習が終わっても特定技能で残ってほしいぐらいです。 今回の先輩 Phạm La Trúc Ly (ファム・ラ・チュック・リー)さん 2007年高校在学中から靴工場勤務(10年間)〈ホーチミン〉 2008年ジ・アン高校卒業〈ビンズオン〉 2018年日本語センター入所(4月)〈ホーチミン〉 2018年訪日(12月)→講習→イチゴ農園で技能実習開始〈宮崎〉 〈1989年生まれ、ビンズオン省出身〉 ベトナムに4歳の一人娘を置いて日本のイチゴ農園で働くリーさん。日本滞在中の3年間に日本語をマスターして帰国後に娘に教えたいと、勉強も毎日欠かさない。もっと給料の多い仕事もあったが、農園の社長も受入組合の支社長も親切で、この農園に入れてよかったと思っている。リーさんの体験談を紹介する。 〈このページの内容〉 • 娘に日本語を教えたい • 送出機関への支払い • イチゴ農園での仕事 • 日本人とのふれ合いが多い職場 • 故郷の娘 • 日本での生活(私の家計簿) • 日本語の勉強 • 受入組合はキーポイント • 経営者から見た技能実習生の働きぶり 娘に日本語を教えたい 私は高校を出て工場で10年間働きました。その間に結婚し、2016年に娘も生まれました。そして、娘のために訪日を決意しました。技能実習の給料が家計の助けになります。さらに、実習中に努力して日本語を身に付ければ、帰国後、私が娘に日本語を教えることができます。娘には将来、日本に留学していい会社に入ってもらいたいのですが、それに備えて家庭で日本語教育ができるのです。そう考えて技能実習に応募しました。 以前から外国で働いてみたいとは思っていました。もともとはロシアに行きたかったのですが、日本で働いて帰国した友人から、▽日本で技能実習をすれば、お金も稼げて日本語も覚えられる▽街がきれい▽泥棒が少ない▽人が親切▽気候が穏やか▽日本人の仕事のやり方が勉強になる――と聞かされ、日本に行きたくなりました。そして、日本に来てみると、実際にその通りでした。 送出機関への支払い 私は近所の実習経験者から紹介された送出機関に登録し、2カ月後に「ひなたいちご園」の面接に合格しました。面接にはイチゴ園の社長が来てくれました。送出機関には、面接合格時に約50,000,000ドン、訪日1カ月前にも約50,000,000ドンを支払いました。そのために銀行から60,000,000ドンを借りましたが、訪日後数カ月ですべて返済しました。 本当は食品加工などもっと給料の高い仕事を希望していたのですが、私は年齢が比較的高いのと既婚なので人気職種では面接に受かりにくいと言われ、イチゴ園に応募しました。イチゴ園には、送出機関での同期のハンさん、フェップさんと一緒に赴任しました。 入国後講習で滞在した大阪で観光〈2018年〉 イチゴ農園での仕事 ひなたいちご園には計26棟のビニールハウスがあります。ハウス内の面積は合計7,000平方㍍。社長を含めて約10人が働いており、そのうち外国人は私たち3人です。大粒で味のよい高級イチゴを生産する農園で、最高級品は1箱(12個)5,000円(約1,100,000ドン)で販売しています。 上空から見たひなたいちご園 ⚫ 収穫シーズンの仕事――イチゴの味見も イチゴの収穫は11月~6月。この間の仕事は収穫・選別・箱詰めなどです。この農園はイチゴジャムも販売しているので、ジャムのびんにラベルをはる仕事もあります。また、変わった仕事としては、イチゴの味見があります。計測器でイチゴの糖度を測り、外観と合わせてランク分けして販売しますが、スタッフも味見をします。女性の方が味の違いに敏感だといい、社長が私たち実習生にイチゴの味見をさせます。毎日のように味見の仕事があり、他職種の友だちからうらやましがられています。 ひなたいちご園での収穫 ⚫ オフシーズンの仕事 収穫しないシーズンには、ハウスの外でイチゴの苗を育てます。私たちは苗の水やりや病気チェックをします。また、ハウス内をほうきで掃除したり設備を入れ替えたりもします。苗は9月~10月にハウス内に移し、収穫を待ちます。 日本人とのふれ合いが多い職場 仕事上の指示や相談で社長や農場長と話をすることも多いですし、休憩時間にパートの方々ともよく話をします。日本人と会話をする機会が多く、日本語習得に適した環境です。 社長のめいの菜々花さんは、休日に私たち実習生を車でスーパーや観光地に連れて行ってくれることもあります。この夏には、社長が海辺のキャンプ場でバーベキューパーティーを開いてくれました。また、私たちは自転車通勤ですが、大雨の日は社長や農場長が車で送迎してくれます。 右から社長、菜々花さん、通訳2人、技能実習生3人〈2019年〉 故郷の娘 4歳の娘は今、夫と一緒に暮らしています。日本に来て娘と離れ、当初は、娘と同じくらいの小さい子を見るたびにつらくて泣いていました。娘とはビデオ電話で毎日話をします。娘に会いたくて、今年5月の連休に一時帰国しようと思っていましたが、新型コロナで帰省できなくなり、とても残念でした。 日本での生活 寮では1人に一つずつ寝室があります。通常、夜11時に寝て朝5時半に起き、7時から夕方4時まで働きます。朝は早いですが、仕事が終わるのも早いので、つらくはありません。 イチゴ農園から見る夜明け〈2020年3月〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=22,151 VND(2020年10月30日現在) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 95,000円~140,000円 ※税金、社会保険料、寮費、水道・光熱費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は15,000円(Wi-Fi込み)、水道・光熱費は平均8,000円 ※収穫シーズンは残業代が多い 支出(合計平均30,000円) 食費 25,000円 ※主に自炊 雑費・生活用品 5,000円 ※衣類は買わない。外食はめったにしない。 差額・貯金(平均80,000円) 差額 80,000円 ※差額は母に送金(2カ月ごとに100,000~120,000円) 送金したお金は、母が生活費や下の妹の学費、娘の幼稚園の費用になどに使っています。もっとお金があれば、娘の背が高くなるようにカルシウムのサプリメントを買いたいです。また、母には血圧の薬や関節の痛みを和らげる薬を買ってあげたいです。 日本では、入国後講習の際に大阪や神戸を見物したほかは、宮崎県外に遊びにいったことがありません。もし、お金に余裕ができたら沖縄に行ってみたいです。 菜々花さんが連れて行ってくれた宮崎県のサンメッセ日南〈2019年〉 日本語の勉強 毎晩2時間、教材とインターネットで日本語を勉強しています。「新完全マスター」シリーズや「耳から覚える日本語能力試験」シリーズなどを使っています。週2回の休みの日は、朝ゆっくり寝ますが、日本語の勉強も5時間以上します。来日して2年近く経ち、聞き取りはかなり上達しましたが、漢字を覚えるのが難しいですね。 Link:【特集】N1・N2合格者たちの勉強法(ツール編) 受入組合はキーポイント 私たちの技能実習の監理団体(受入組合)は「西日本技能センター」で、大阪府に本社、鹿児島県に支社があります。支社長の山﨑良一さん(73)が毎月1、2回、私たちに会いに来て話を聞き、親身になってサポートしてくれます。また、ときどき一緒に来る女性スタッフが古着を持ってきてくれることもあり、私たちは服を買わなくてもすみます。 技能実習生にとって監理団体はとても大切です。もし、同センターが担当する職場で実習したい場合は、送出機関を選ぶ前に同社に問い合わせることもできます。 ・西日本技能センター https://www.facebook.com/japanskill/ ※ベトナム語で問い合わせができます。 左の男性が西日本技能センターの代表、右端がイチゴ園の社長 山﨑さんは私たちに日本語を教えたり、食事や観光に連れて行ってくれたりもします。私たちは山﨑さんのことを「お父さん」と呼んでいます。「お父さん」は本当のお父さんのように私たちを気遣い、健康や生活、仕事のことなどいろいろなサポートをしてくれます。私は毎月「お父さん」に会うのがとても楽しみで、「お父さん」のことを実父と同じぐらい尊敬しています。 他の職場で実習をしている送出機関の同期生と連絡を取り合っていますが、受入組合がこれほど親身にサポートしてくれるケースはあまりないようです。また、農園の社長や農場長、菜々花さんにも親切にしてもらっています。もっと給料が高い職場もありますが、お金に代えがたいものもあります。私はここに実習に来られてよかったと思っています。 私たちに会いに来てくれた「お父さん」〈2020年7月〉 経営者から見た技能実習生の働きぶり 【インタビュー】ひなたいちご園・長友一平社長(34)の話 春は、ビニールハウス内が高温になりますが、暑くなる前に収穫した方がイチゴの鮮度を保てるので、朝4時ごろに収穫を始める日もあります(そのときは終業も早めます)。このような早朝の仕事は、パートさんでは長く務まりません。私と農場長、実習生の計5人が中心的に働くことで安定的な運営ができます。 リーさんたち3人は仕事を覚えるも日本語の上達も速かったですし、まじめに堅実に働いてくれます。花や枝を摘むといった作業も年配のパートさんたちの2倍近く速くできます。若いからというだけではなく、ベトナム人は手先が器用なのでしょう。また、彼女たちがいると職場も明るくなります。技能実習が終わっても特定技能で残ってほしいぐらいです。

    2020年11月18日

  • Vol. 44 農園で技能実習から特定技能へ

    今回の先輩 マイ・ティ・スアンさん 2015年 5月チュック・ニン B高校卒業〈ナムディン県〉 2015年 8月ナムディン日本語日本文化学院入学 2017年 7月ナムディン日本語日本文化学院卒業 2017年 8月訪日→講習〈東京〉 2017年 9月技能実習開始〈宮崎県〉 2020年 9月同じ職場で特定技能開始〈宮崎県〉 〈1997年生まれ、ナムディン省出身〉 今回もナムディン学院出身の先輩が登場。スアンさんは一流大学に合格したが、家庭の事情で入学せず、日本語を2年間勉強してから訪日した。食品加工工場などで3年間働いた後、特定技能に変更し、引き続き日本で働くことになった。彼女の日本語学習の努力や職場での活躍ぶりを紹介する。 日本に行こうと思ったきっかけ ナムディン学院で校長が開いた食事会。左端が私。〈2015年〉 私は化学と数学が得意でハノイ工科大学(Trường Đại học Bách khoa Hà Nội HUST)に合格しましたが、「学費を払えないし、大学を出てもいい仕事に就けるかどうかわからない」と母に言われました。数年前に父が交通事故を起こして多額の損害賠償金を払ったほか、父が事業で使っていた砂利運搬船も3回沈没し、わが家に大きな借金があったからです。 私は進学をあきらめて日本で技能実習をすることにしました。そして、せっかくなら日本語をしっかり学んでから行こうと考え、地元で評判の高いナムディン日本語日本文化学院を選びました。 ナムディン学院での努力 ナムディン学院の卒業式〈2017年〉 ナムディン学院の授業は午前だけで、午後は生徒が学校の教室で自習(宿題と復習)をします。私たちは午後1時半~4時半に勉強し、運動や夕食を終えて午後7時~10時にも勉強しました。先生方の教え方と学校の雰囲気のおかげで、勉強すればするほど日本語が楽しくなりました。 私はナムディン学院での2年目、四位農園の会長がナムディン学院を訪れたときに面接を受けて合格し、その7カ月後に訪日しました。送出手数料は学院から借り、実習を始めて3カ月で返しました。JLPTについては、在学中にN3を取得し、訪日の翌年にN2に合格しました。今はN1を目指しています。 【編集部からの情報】 ナムディン学院では、生徒が1年半~2年間勉強し、JLPT・N3レベルになってから日本に行きます。授業料は月2,000,000ドンです。遠方の生徒も受け入れます。 生徒に紹介する技能実習先は、学院の教師らが現地を訪問して給料や職場環境などを調べて選んだ職場だけです。送出機関には手続きだけを依頼し、国が決めた手数料しか支払いません。技能実習が終わってから帰国後、もう一度日本に行って留学し、日本で正式に就職するコースも推奨しています。 *ナムディン日本語日本文化学院:namdinhgakko@yahoo.com.vn ナムディン学院の校長(左奥)が四位農園を訪問〈2019年〉 日本人の先輩のサポート役 工場での作業。右端が私。〈2020年7月〉 私の仕事は朝7時半から夕方4時半までです。最初の半年間は畑で働きましたが、女性実習生の大半が途中で農園内の食品加工工場に移ります。ホウレンソウや枝豆など農園でとれた野菜を冷凍加工する工場です。私は冷凍野菜の包装(袋)の印刷などをチェックし、箱に入れます。袋が箱にいっぱいになると箱(重さ9~16㌔)をパレットに移します。工場の仕事が少ないときは、畑も手伝います。 実習生仲間や日本人の先輩と焼き肉屋へ〈2019年〉 あるベトナム人男性と私が経験も長く日本語もよく話せるので、日本人の先輩たちのサポートをしています。先輩が実習生の配置を決めるのを手伝ったり、通訳をしたり、新しい実習生に仕事を教えたりします。先輩たちと話をすることで日本語の練習になりますし、わからない言葉や間違いを先輩がその場で教えてくれます。先輩たちの車でスーパーに連れて行ってもらったり、一緒にラーメン屋に行ったりすることもあります。 日常生活 女子寮の食堂 ここには40人近い外国人がいますが、私はナムディン学院の後輩3人と特に仲良しで、女子寮で一緒におしゃべりをしたり歌を歌ったりします。学院の行事でよくみんなで歌ったKiroroの「未来へ」をここでも歌っています。寮の台所は共用で、大きな食堂があります。普段はばらばらに食べますが、だれかが実習を終えて帰国する場合などは、みんなで食事会をします。そのときにはお酒も飲みます。 農園の仲間(日本人3人、ベトナム人4人)で観光〈宮崎県で2020年6月〉 実習生用の小さな畑があり、自分たちで食べる野菜を栽培しています。空心菜やゴーヤ、トウモロコシ、インゲン、トマトなどを育てて仲間で分け合い、足りない分はスーパーで買います。買い物には自転車で行きますが、私は日本の運転免許を持っているので、会社のミニバイクを使うときもあります。休日には、仲のよい日本人の同僚や実習仲間と遊びに行くこともあります。これまで、同僚の車で海を見に行ったり大きなショッピングモールに行ったりしました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※技能実習時代の家計簿 ※100円=21,982 VND(2020年10月6日現在) 手取り給料(平均110,000~130,000円) 手取り給料 平均110,000~130,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は5,000円、水道・光熱費8,000円、Wi-Fi800円 支出(合計20,000~25,000円) 食費 20,000~22,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 3,000~5,000円 ※服も化粧品もほとんど買わない 差額・貯金(平均90,000円~110,000円) 差額 平均90,000円~110,000円 ※訪日当初はもう少し収入が少なかった。 ※3年間で計約300万円を両親に送金(自分の貯金はゼロ) 外国人従業員用の畑〈2020年〉 ナムディン学院の先輩たちが通う宮崎県の大学を訪問〈2018年〉 外国人サポート 観光バスで従業員旅行〈熊本県で2019年〉 四位農園では、従業員同士の親睦を図るため農園主催の従業員旅行や忘年会などがあり、国籍に関係なく参加します。また、外国人担当の大山さんという年配の男性がおり、親身になって私たちの相談に乗ってくれます。私は仕事の影響で腰痛になったときなどに彼にクリニックに連れて行ってもらいました。また、職場で人間関係がうまくいかない場合も相談に乗り、場合によっては配置転換をしてくれることもあります。 技能実習生が機械を操縦して枝豆を収穫〈四位農園で2020年7月〉 男性の技能実習生は皆、トラクターの運転免許を持っています。トラクターで畑仕事をするためです。農園の近くに自動車教習所があり、彼らはそこに通います。教習所の費用は約230,000円もしますが、農園が負担してくれます。この免許でミニバイクにも乗れます。私は大山さんからテキストをもらって自分で勉強し、ミニバイクだけの免許を取りました。 技能実習から特定技能に 四位農園では2019年12月に実習を修了した1人が最初の特定技能外国人になりました。私も2020年8月に技能実習が終わり、9月から特定技能に変更して引き続き働いています。特定技能では最長5年間働けます。在留資格変更の際、通常はベトナムに2、3週間帰国するのですが、今は新型コロナに伴う特例で帰国せずに変更しました。私の場合、特定技能になっても仕事内容は同じですが、基本給が5%アップしました。また、今後は日本人と同じように働きぶりを評価され、それに応じて役職や給料も変わっていきます。 枝豆畑〈2020年7月〉 四位農園には現在、特定技能が7人、技能実習生が28人います。女性の方がやや多く、国籍別ではミャンマー人5人以外はベトナム人です。この農園では「外国人を日本人と平等に処遇する」という方針があり、特定技能で残るチャンスを技能実習生全員に与えてくれます。今回は同期生6人全員が残留を希望しました。私は借金返済のために節約を続け、宮崎県の外に旅行に行ったこともありませんが、給料が少し増えたので、今後は同僚と同じように大阪や京都にも旅行したいです。また、日本にできるだけ長くいたいので、特定技能修了後のことも考えて今から準備をしていこうと思います。 今回の先輩 Mai Thị Xuân(マイ・ティ・スアン)さん 2015年 5月チュック・ニン B高校卒業〈ナムディン〉 2015年 8月ナムディン日本語日本文化学院入学 2017年 7月ナムディン日本語日本文化学院卒業 2017年 8月訪日→講習〈東京〉 2017年 9月技能実習開始〈宮崎県〉 2020年 9月同じ職場で特定技能開始〈宮崎県〉 〈1997年生まれ、ナムディン省出身〉 今回もナムディン学院出身の先輩が登場。スアンさんは一流大学に合格したが、家庭の事情で入学せず、日本語を2年間勉強してから訪日した。食品加工工場などで3年間働いた後、特定技能に変更し、引き続き日本で働くことになった。彼女の日本語学習の努力や職場での活躍ぶりを紹介する。 日本に行こうと思ったきっかけ 私は化学と数学が得意でハノイ工科大学(Trường Đại học Bách khoa Hà Nội HUST)に合格しましたが、「学費を払えないし、大学を出てもいい仕事に就けるかどうかわからない」と母に言われました。数年前に父が交通事故を起こして多額の損害賠償金を払ったほか、父が事業で使っていた砂利運搬船も3回沈没し、わが家に大きな借金があったからです。 私は進学をあきらめて日本で技能実習をすることにしました。そして、せっかくなら日本語をしっかり学んでから行こうと考え、地元で評判の高いナムディン日本語日本文化学院を選びました。 ナムディン学院で校長が開いた食事会。左端が私。〈2015年〉 ナムディン学院での努力 ナムディン学院の授業は午前だけで、午後は生徒が学校の教室で自習(宿題と復習)をします。私たちは午後1時半~4時半に勉強し、運動や夕食を終えて午後7時~10時にも勉強しました。先生方の教え方と学校の雰囲気のおかげで、勉強すればするほど日本語が楽しくなりました。 私はナムディン学院での2年目、四位農園の会長がナムディン学院を訪れたときに面接を受けて合格し、その7カ月後に訪日しました。送出手数料は学院から借り、実習を始めて3カ月で返しました。JLPTについては、在学中にN3を取得し、訪日の翌年にN2に合格しました。今はN1を目指しています。 ナムディン学院の卒業式〈2017年〉 【編集部からの情報】 ナムディン学院では、生徒が1年半~2年間勉強し、JLPT・N3レベルになってから日本に行きます。授業料は月2,000,000ドンです。遠方の生徒も受け入れます。 生徒に紹介する技能実習先は、学院の教師らが現地を訪問して給料や職場環境などを調べて選んだ職場だけです。送出機関には手続きだけを依頼し、国が決めた手数料しか支払いません。技能実習が終わってから帰国後、もう一度日本に行って留学し、日本で正式に就職するコースも推奨しています。 *ナムディン日本語日本文化学院:namdinhgakko@yahoo.com.vn ナムディン学院の校長(左奥)が四位農園を訪問〈2019年〉 日本人の先輩のサポート役 私の仕事は朝7時半から夕方4時半までです。最初の半年間は畑で働きましたが、女性実習生の大半が途中で農園内の食品加工工場に移ります。ホウレンソウや枝豆など農園でとれた野菜を冷凍加工する工場です。私は冷凍野菜の包装(袋)の印刷などをチェックし、箱に入れます。袋が箱にいっぱいになると箱(重さ9~16㌔)をパレットに移します。工場の仕事が少ないときは、畑も手伝います。 工場での作業。右端が私。〈2020年7月〉 あるベトナム人男性と私が経験も長く日本語もよく話せるので、日本人の先輩たちのサポートをしています。先輩が実習生の配置を決めるのを手伝ったり、通訳をしたり、新しい実習生に仕事を教えたりします。先輩たちと話をすることで日本語の練習になりますし、わからない言葉や間違いを先輩がその場で教えてくれます。先輩たちの車でスーパーに連れて行ってもらったり、一緒にラーメン屋に行ったりすることもあります。 実習生仲間や日本人の先輩と焼き肉屋へ〈2019年〉 日常生活 ここには40人近い外国人がいますが、私はナムディン学院の後輩3人と特に仲良しで、女子寮で一緒におしゃべりをしたり歌を歌ったりします。学院の行事でよくみんなで歌ったKiroroの「未来へ」をここでも歌っています。寮の台所は共用で、大きな食堂があります。普段はばらばらに食べますが、だれかが実習を終えて帰国する場合などは、みんなで食事会をします。そのときにはお酒も飲みます。 女子寮の食堂 実習生用の小さな畑があり、自分たちで食べる野菜を栽培しています。空心菜やゴーヤ、トウモロコシ、インゲン、トマトなどを育てて仲間で分け合い、足りない分はスーパーで買います。買い物には自転車で行きますが、私は日本の運転免許を持っているので、会社のミニバイクを使うときもあります。休日には、仲のよい日本人の同僚や実習仲間と遊びに行くこともあります。これまで、同僚の車で海を見に行ったり大きなショッピングモールに行ったりしました。 農園の仲間(日本人3人、ベトナム人4人)で観光〈宮崎県で2020年6月〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※技能実習時代の家計簿 ※100円=21,982 VND(2020年10月6日現在) 手取り給料(平均110,000~130,000円) 手取り給料 平均110,000~130,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は5,000円、水道・光熱費8,000円、Wi-Fi800円 支出(合計20,000~25,000円) 食費 20,000~22,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 3,000~5,000円 ※服も化粧品もほとんど買わない 差額・貯金(平均90,000円~110,000円) 差額 平均90,000円~110,000円 ※訪日当初はもう少し収入が少なかった。 ※3年間で計約300万円を両親に送金(自分の貯金はゼロ) 外国人従業員用の畑〈2020年〉 ナムディン学院の先輩たちが通う宮崎県の大学を訪問〈2018年〉 外国人サポート 四位農園では、従業員同士の親睦を図るため農園主催の従業員旅行や忘年会などがあり、国籍に関係なく参加します。また、外国人担当の大山さんという年配の男性がおり、親身になって私たちの相談に乗ってくれます。私は仕事の影響で腰痛になったときなどに彼にクリニックに連れて行ってもらいました。また、職場で人間関係がうまくいかない場合も相談に乗り、場合によっては配置転換をしてくれることもあります。 観光バスで従業員旅行〈熊本県で2019年〉 男性の技能実習生は皆、トラクターの運転免許を持っています。トラクターで畑仕事をするためです。農園の近くに自動車教習所があり、彼らはそこに通います。教習所の費用は約230,000円もしますが、農園が負担してくれます。この免許でミニバイクにも乗れます。私は大山さんからテキストをもらって自分で勉強し、ミニバイクだけの免許を取りました。 技能実習生が機械を操縦して枝豆を収穫〈四位農園で2020年7月〉 技能実習から特定技能に 四位農園では2019年12月に実習を修了した1人が最初の特定技能外国人になりました。私も2020年8月に技能実習が終わり、9月から特定技能に変更して引き続き働いています。特定技能では最長5年間働けます。在留資格変更の際、通常はベトナムに2、3週間帰国するのですが、今は新型コロナに伴う特例で帰国せずに変更しました。私の場合、特定技能になっても仕事内容は同じですが、基本給が5%アップしました。また、今後は日本人と同じように働きぶりを評価され、それに応じて役職や給料も変わっていきます。 四位農園には現在、特定技能が7人、技能実習生が28人います。女性の方がやや多く、国籍別ではミャンマー人5人以外はベトナム人です。この農園では「外国人を日本人と平等に処遇する」という方針があり、特定技能で残るチャンスを技能実習生全員に与えてくれます。今回は同期生6人全員が残留を希望しました。私は借金返済のために節約を続け、宮崎県の外に旅行に行ったこともありませんが、給料が少し増えたので、今後は同僚と同じように大阪や京都にも旅行したいです。また、日本にできるだけ長くいたいので、特定技能修了後のことも考えて今から準備をしていこうと思います。 枝豆畑〈2020年7月〉

    2020年10月15日

  • Vol. 43 介護職場の“太陽”として活躍

    今回の先輩 レ・ティ・ラン・アインさん 2017年 5月マイ・トゥック・ロアン高校卒業〈ハティン県〉 2017年 11月日本語センター入所〈ハイフォン県〉 2018年 5月ナムディン日本語日本文化学院入学 2020年 2月訪日→講習 2020年 3月老人ホームで実習開始〈神戸市〉 〈1999年生まれ、ハティン省出身〉 Vũ Thị Chi(ヴ・ティ・チー)さん 2011年 6月ト・ヒエウ高校卒業〈ハイフォン〉 2011年 9月結婚〈ハイフォン→ハジャン〉 2016年 2月日系企業で勤務〈ハイフォン〉 2018年 3月日本語センター入所〈ハイフォン〉 2018年 10月ナムディン日本語日本文化学院入学 2020年 2月訪日→講習 2020年 3月老人ホームで実習開始〈神戸〉 〈1993年生まれ、ハイフォン市出身〉 神戸市の老人ホーム「神港園シルビアホーム」で介護の技能実習に励むラン・アインさんとチーさん。職場の先輩たちや入居のお年寄りたちからかわいがられ、楽しく仕事をしている。職場で「太陽のような存在」になっている2人にインタビューした。 訪日の経緯 ――日本に行こうと思ったのはなぜですか? 高校の友だちと〈ハティン省で2020年1月〉 ● ラン・アイン 2019年に両親が家を建て替え、借金ができました。お金を稼いで両親を助けたかったのと、日本人の仕事の仕方も学びたいと思いました。故郷のハティンでは、大学を出ても仕事があまりないので、海外で働く若者がたくさんいます。私は三つの大学に合格しましたが両親の同意が得られず、日本に行くことを選びました。私の高校の同級生36人の中でも、日本での技能実習生が10人、日本留学が1、2人、韓国での就労者が5、6人います。ハティンでは日本に技能実習に行くのは普通のことなのです。 ハイフォンの実家で二男と〈2018年12月〉 ● チー 高校の成績は平均より上でしたが、家が貧しいので大学を受験しませんでした。そして、高校時代の交際相手(高校の1年先輩)に望まれ、卒業の3カ月後に結婚しました。4年後に離婚し、長男は元夫が引き取り、次男は私が引き取りました。私は実家に戻って日系企業で1年半働きました(月給6,000,000~7,000,000ドン)。しかし、今後、息子を育てていくには収入が足りません。悩んでいると、日本で技能実習をした義兄(姉の夫)から「日本語を身に付けてキャリアアップを目指せ」と勧められました。その後、日本語学校のアドバイスもあり、息子を実家にあずけて訪日することにしました。 学校で十分に勉強してから訪日 ――2人はナムディン日本語日本文化学院(ナムディン学院)の出身ですね。この学校を選んだ理由は? ナムディン学院の仲間たち〈2018年12月〉 ● ラン・アイン 私は2017年にハイフォンの日本語センターで学習を始めました。技能実習と留学のどちらを選ぶかは、日本語能力試験(JLPT)N3レベルになってから決めようと思っていました。先輩たちから「数カ月だけ勉強して日本に行っても、日本語がほとんどわからなかった」と聞き、私は日本語を少し話せるようになってから訪日しようと考えました。その方が、職場での指導もよく理解できますし、仕事をしながら日本語がさらに上達するからです。 センターでは、ナムディンから1週間ずつ交代でハイフォンに来て教えていた篠田先生と奥様の授業を受講しました。しかし、途中でセンターとご夫婦の契約が終了しました。私は篠田先生たちの授業を受け続けたくてナムディン学院に移り、2018年5月ごろから約1年半勉強しました(=ビザ取得手続きが遅れ、予定より半年長く就学)。 ナムディン学院の学校行事〈2019年4月〉 ● チー 私は最初、日本語通訳になってハイフォンの日系企業に就職するつもりでした。そこで、義兄が当時務めていた日本語センターに入りました。これはラン・アインさんが通ったのと同じセンターです。私はここで半年間学んだ後、同じく篠田先生たちを追ってナムディン学院に移り、2018年10月から14カ月間、勉強しました。 【編集部からの情報】 ナムディン日本語日本文化学院では、生徒が1年半~2年間勉強し、N3レベルになってから日本に行きます。技能実習が終わって帰国後、もう一度日本に行って留学し、日本で正式に就職するコースも推奨しています。生徒に紹介する技能実習先は、ナムディン学院の教師らが現地を訪問して給料や職場環境などを調べて選んだ職場だけです。送出機関には手続きだけを依頼し、手数料は、国が決めた費用しか支払いません。 *ナムディン学院の連絡先:namdinhgakko@yahoo.com.vn 授業以外に毎日6時間勉強 ――ナムディン学院について教えてください。 ● ラン・アイン 授業は午前中だけで、生徒らが毎日、教室で自習(宿題と復習)をします。私は午後1時半~4時半に勉強し、運動、買い物、料理、夕食が終わると、教室に戻って7時~10時にも勉強しました。仲間ががんばるので私も一緒にがんばりました。学費は毎月2,000,000ドンでしたが、神港園で実習することが決まると、神港園が入学から卒業までの学費全額を支払ってくれました。 ● チー 私も仲間に引っ張られて勉強しました。ただ、ハイフォンの実家にあずけた息子に会うため、2週間に1度、金曜午後のバスで実家に帰り、日曜午後に学校に戻りました。ナムディンからハイフォンへはバスで2~3時間でした。 ● ラン・アイン、チー ロイ校長や篠田先生たちとは、日本に来てからも連絡を取っています。2カ月に1度ぐらいメールで近況を報告すると、返事をくださいます。 ナムディン学院の仲間と息抜きで観光も〈ニンビン省で2019年〉 ナムディン学院の教室で自習〈2019年〉 介護を選んだ理由 ――介護を選んだのはなぜですか? ハノイの空港で日本行きのフライト待ち〈2020年2月〉 ● ラン・アイン 「介護の仕事は大変」と聞いていましたが、ナムディン学院に来た神港園幹部の方々が写真を見せながら仕事内容や職場環境を説明してくださり、自分にもできそうだと感じました。彼らは私の実家にも来て両親に説明してくれたので、両親も安心しました。ベトナムでもこれから高齢化が進むので、日本で経験を積めば、将来ベトナムでも役に立てると思います。 実習先が決まり、校長先生と食事会〈ナムディンで2019年8月〉 ● チー 私はベトナムに残るつもりでしたが、仲間がみな日本に行くので、私も3年だけ日本で技能実習をしようと思いました。校長に相談すると、「食品加工工場などで3年間働いても、帰国後によい仕事を見つけるのは難しい。介護なら、技能実習で3年間働いた後、特定技能でさらに5年間働ける。その間に国家資格を取れば、日本で好きなだけ働けるし、息子を日本に呼ぶこともできる」と教えてくださったので、この仕事にしました。 介護の現場 ――介護の仕事は大変ですか? ● ラン・アイン 私の担当フロアには、80歳代を中心に二十数人のお年寄りがいます。食事・排泄・入浴の介助が必要な方も多いですが、おじいさん、おばあさんたちはおいしいものを食べると、おいしそうにします。週2回の入浴で湯につかると、「ああ気持ちいい」「うれしい」と顔がほころびます。このように入居者さんたちの笑顔を見ると、私もうれしくなります。おむつ交換も、最初は嫌でしたが、すぐに慣れて平気になりました。今はこの仕事が大好きです。 ● チー 私は体が小さいので、介助をできるか心配でしたが、風呂やベッドに電動装置が付いていて、それほど力を使いません。入居者をベッドから車いすに乗せるときだけは大変ですが、今は筋力がついて楽になりました。私は入居者のおじいさん、おばあさんのことがかわいくて、喜んでもらえると本当にうれしくなります。コミュニケーションを大事に考え、相手の反応を見ながら目を見てこまめに話しかけます。会話の多い仕事が自分に合っており、毎日楽しいです。 職場環境 ――職場の日本人との交流はありますか? 休日に副施設長やチーさんとお出かけ〈2020年7月〉 ● ラン・アイン 先輩たちは29~60歳で、私が最年少です。皆さんとても親切で、私が疲れた様子を見せると、「大丈夫?」と声をかけてくれます。先輩たちからお菓子をいただいて持ち帰ることもよくあります。先輩の男性に鏡台や照明などをどこで買ったらよいか聞いたところ、休日に車で遠方の店に連れて行ってくれました。年の近い女性の先輩ともよく話をします。また、副施設長は、私とチーさんの休みが重なった日、車でひまわり畑に連れて行ってくれました。 故郷の息子 ――息子さんと会えなくて寂しいですね。 息子たち〈ハジャンで2019年〉 ● チー 2020年9月に小学校に入学した次男とは、メッセンジャー電話(無料ビデオ通話)で毎日話をしています。宿題は終わったか、学校で何があったか、晩ご飯に何を食べたかなど、毎日30~60分話します。元夫の母とは今も良い関係なので、元夫の実家にいる長男(小学3年)ともときどき話をします。 日本語学習 ――日本語の勉強は続けていますか? 「アジアの輪」の授業〈2020年8月〉 ● ラン・アイン 私はJLPT・N3で、訪日前に受けたN2の模擬試験でも合格レベルでした。今は、神港園が契約しているNPO法人「アジアの輪」の先生が毎週1回職場に来て日本語を教えてくれます。家でも休日に約3時間、勉強をしています。ナムディン学院のオリジナルテキストを使い、YouTubeの学習チャネル「みんなの介護」や「Dũng Mori」も見ています。また、職場で毎日たくさん会話をし、分からない言葉や間違った言葉があれば、先輩や入居者さんたちがすぐに教えてくれます。 Lotus Worksでの学習ノート ● チー 私もN3です。職場でたくさん会話する以外に家で毎日2時間、勉強しています。Facebookのベトナム人の日本語学習サークルに入っているほか、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けています。毎週1回(30~60分)、Skypeを使ってボランティアの日本人教師から文法や漢字などを教わっています。宿題もあり、採点や添削もしていただいています。 日本での生活 ――日本での生活は順調ですか? 神戸の繁華街でバインミーをゲット〈2020年7月〉 ● ラン・アイン 新型コロナの影響で遠くに行けず、チーさんと一緒に神戸の繁華街に行ったぐらいです。近くのスーパーまでは歩いて15分ぐらいですが、衣類などを買うときは、バスで大きなスーパーに行きます。コロナが落ち着いたら、ベトナムから日本に来ている各地の友だちや和歌山県で技能実習をしている兄に会いに行きたいです。 休日に寮で2人で焼き肉 ● チー 休みの日は料理を作ったり買い物に行ったりし、日本語の勉強もいつもより長くやります。ラン・アインさんと休みが同じ日は、一緒に買い物や遊びに行くこともあります。また、早く帰宅した日は近所を30分以上散歩します。コロナが落ち着いたら、京都の金閣寺などを見に行きたいですし、各地のベトナム人仲間とも会いたいです。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=22,012 VND(2020年9月28日現在) 手取り給料(平均125,000円) 手取り給料 125,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は22,000円(水道・光熱費含む、3ベッドルーム) 支出(合計25,000~34,000円) Wi-Fi 4,000円 ※ポケットワイファイ 食費 15,000~20,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 6,000~11,000円 ※衣類、交通費、たまに外食 差額・貯金(平均90,000円~100,000円) 差額 平均90,000円~100,000円 ※差額は両親に送金。今後、夜勤が入れば給料が増えてもっと送金できる 左:職場のロビーで , 右:職場の展示室で 今回の先輩 Lê Thị Lan Anh(レ・ティ・ラン・アイン)さん 2017年 5月マイ・トゥック・ロアン高校卒業〈ハティン〉 2017年 11月日本語センター入所〈ハイフォン〉 2018年 5月ナムディン日本語日本文化学院入学 2020年 2月訪日→講習 2020年 3月老人ホームで実習開始〈神戸〉 〈1999年生まれ、ハティン省出身〉 Vũ Thị Chi(ヴ・ティ・チー)さん 2011年 6月ト・ヒエウ高校卒業〈ハイフォン〉 2011年 9月結婚〈ハイフォン→ハジャン〉 2016年 2月日系企業で勤務〈ハイフォン〉 2018年 3月日本語センター入所〈ハイフォン〉 2018年 10月ナムディン日本語日本文化学院入学 2020年 2月訪日→講習 2020年 3月老人ホームで実習開始〈神戸〉 〈1993年生まれ、ハイフォン市出身〉 神戸市の老人ホーム「神港園シルビアホーム」で介護の技能実習に励むラン・アインさんとチーさん。職場の先輩たちや入居のお年寄りたちからかわいがられ、楽しく仕事をしている。職場で「太陽のような存在」になっている2人にインタビューした。 訪日の経緯 ――日本に行こうと思ったのはなぜですか? ● ラン・アイン 2019年に両親が家を建て替え、借金ができました。お金を稼いで両親を助けたかったのと、日本人の仕事の仕方も学びたいと思いました。故郷のハティンでは、大学を出ても仕事があまりないので、海外で働く若者がたくさんいます。私は三つの大学に合格しましたが両親の同意が得られず、日本に行くことを選びました。私の高校の同級生36人の中でも、日本での技能実習生が10人、日本留学が1、2人、韓国での就労者が5、6人います。ハティンでは日本に技能実習に行くのは普通のことなのです。 高校の友だちと〈ハティン省で2020年1月〉 ● チー 高校の成績は平均より上でしたが、家が貧しいので大学を受験しませんでした。そして、高校時代の交際相手(高校の1年先輩)に望まれ、卒業の3カ月後に結婚しました。4年後に離婚し、長男は元夫が引き取り、次男は私が引き取りました。私は実家に戻って日系企業で1年半働きました(月給6,000,000~7,000,000ドン)。しかし、今後、息子を育てていくには収入が足りません。悩んでいると、日本で技能実習をした義兄(姉の夫)から「日本語を身に付けてキャリアアップを目指せ」と勧められました。その後、日本語学校のアドバイスもあり、息子を実家にあずけて訪日することにしました。 ハイフォンの実家で二男と〈2018年12月〉 学校で十分に勉強してから訪日 ――2人はナムディン日本語日本文化学院(ナムディン学院)の出身ですね。この学校を選んだ理由は? ● ラン・アイン 私は2017年にハイフォンの日本語センターで学習を始めました。技能実習と留学のどちらを選ぶかは、日本語能力試験(JLPT)N3レベルになってから決めようと思っていました。先輩たちから「数カ月だけ勉強して日本に行っても、日本語がほとんどわからなかった」と聞き、私は日本語を少し話せるようになってから訪日しようと考えました。その方が、職場での指導もよく理解できますし、仕事をしながら日本語がさらに上達するからです。 センターでは、ナムディンから1週間ずつ交代でハイフォンに来て教えていた篠田先生と奥様の授業を受講しました。しかし、途中でセンターとご夫婦の契約が終了しました。私は篠田先生たちの授業を受け続けたくてナムディン学院に移り、2018年5月ごろから約1年半勉強しました(=ビザ取得手続きが遅れ、予定より半年長く就学)。 ナムディン学院の仲間たち〈2018年12月〉 ● チー 私は最初、日本語通訳になってハイフォンの日系企業に就職するつもりでした。そこで、義兄が当時務めていた日本語センターに入りました。これはラン・アインさんが通ったのと同じセンターです。私はここで半年間学んだ後、同じく篠田先生たちを追ってナムディン学院に移り、2018年10月から14カ月間、勉強しました。 ナムディン学院の学校行事〈2019年4月〉 【編集部からの情報】 ナムディン日本語日本文化学院では、生徒が1年半~2年間勉強し、N3レベルになってから日本に行きます。技能実習が終わって帰国後、もう一度日本に行って留学し、日本で正式に就職するコースも推奨しています。生徒に紹介する技能実習先は、ナムディン学院の教師らが現地を訪問して給料や職場環境などを調べて選んだ職場だけです。送出機関には手続きだけを依頼し、手数料は、国が決めた費用しか支払いません。 *ナムディン学院の連絡先:namdinhgakko@yahoo.com.vn 授業以外に毎日6時間勉強 ――ナムディン学院について教えてください。 ● ラン・アイン 授業は午前中だけで、生徒らが毎日、教室で自習(宿題と復習)をします。私は午後1時半~4時半に勉強し、運動、買い物、料理、夕食が終わると、教室に戻って7時~10時にも勉強しました。仲間ががんばるので私も一緒にがんばりました。学費は毎月2,000,000ドンでしたが、神港園で実習することが決まると、神港園が入学から卒業までの学費全額を支払ってくれました。 ナムディン学院の仲間と息抜きで観光も〈ニンビン省で2019年〉 ● チー 私も仲間に引っ張られて勉強しました。ただ、ハイフォンの実家にあずけた息子に会うため、2週間に1度、金曜午後のバスで実家に帰り、日曜午後に学校に戻りました。ナムディンからハイフォンへはバスで2~3時間でした。 ● ラン・アイン、チー ロイ校長や篠田先生たちとは、日本に来てからも連絡を取っています。2カ月に1度ぐらいメールで近況を報告すると、返事をくださいます。 ナムディン学院の教室で自習〈2019年〉 介護を選んだ理由 ――介護を選んだのはなぜですか? ● ラン・アイン 「介護の仕事は大変」と聞いていましたが、ナムディン学院に来た神港園幹部の方々が写真を見せながら仕事内容や職場環境を説明してくださり、自分にもできそうだと感じました。彼らは私の実家にも来て両親に説明してくれたので、両親も安心しました。ベトナムでもこれから高齢化が進むので、日本で経験を積めば、将来ベトナムでも役に立てると思います。 ハノイの空港で日本行きのフライト待ち〈2020年2月〉 ● チー 私はベトナムに残るつもりでしたが、仲間がみな日本に行くので、私も3年だけ日本で技能実習をしようと思いました。校長に相談すると、「食品加工工場などで3年間働いても、帰国後によい仕事を見つけるのは難しい。介護なら、技能実習で3年間働いた後、特定技能でさらに5年間働ける。その間に国家資格を取れば、日本で好きなだけ働けるし、息子を日本に呼ぶこともできる」と教えてくださったので、この仕事にしました。 実習先が決まり、校長先生と食事会〈ナムディンで2019年8月〉 介護の現場 ――介護の仕事は大変ですか? ● ラン・アイン 私の担当フロアには、80歳代を中心に二十数人のお年寄りがいます。食事・排泄・入浴の介助が必要な方も多いですが、おじいさん、おばあさんたちはおいしいものを食べると、おいしそうにします。週2回の入浴で湯につかると、「ああ気持ちいい」「うれしい」と顔がほころびます。このように入居者さんたちの笑顔を見ると、私もうれしくなります。おむつ交換も、最初は嫌でしたが、すぐに慣れて平気になりました。今はこの仕事が大好きです。 ● チー 私は体が小さいので、介助をできるか心配でしたが、風呂やベッドに電動装置が付いていて、それほど力を使いません。入居者をベッドから車いすに乗せるときだけは大変ですが、今は筋力がついて楽になりました。私は入居者のおじいさん、おばあさんのことがかわいくて、喜んでもらえると本当にうれしくなります。コミュニケーションを大事に考え、相手の反応を見ながら目を見てこまめに話しかけます。会話の多い仕事が自分に合っており、毎日楽しいです。 職場環境 ――職場の日本人との交流はありますか? ● ラン・アイン 先輩たちは29~60歳で、私が最年少です。皆さんとても親切で、私が疲れた様子を見せると、「大丈夫?」と声をかけてくれます。先輩たちからお菓子をいただいて持ち帰ることもよくあります。先輩の男性に鏡台や照明などをどこで買ったらよいか聞いたところ、休日に車で遠方の店に連れて行ってくれました。年の近い女性の先輩ともよく話をします。また、副施設長は、私とチーさんの休みが重なった日、車でひまわり畑に連れて行ってくれました。 休日に副施設長やチーさんとお出かけ〈2020年7月〉 故郷の息子 ――息子さんと会えなくて寂しいですね。 ● チー 2020年9月に小学校に入学した次男とは、メッセンジャー電話(無料ビデオ通話)で毎日話をしています。宿題は終わったか、学校で何があったか、晩ご飯に何を食べたかなど、毎日30~60分話します。元夫の母とは今も良い関係なので、元夫の実家にいる長男(小学3年)ともときどき話をします。 息子たち〈ハジャンで2019年〉 日本語学習 ――日本語の勉強は続けていますか? ● ラン・アイン 私はJLPT・N3で、訪日前に受けたN2の模擬試験でも合格レベルでした。今は、神港園が契約しているNPO法人「アジアの輪」の先生が毎週1回職場に来て日本語を教えてくれます。家でも休日に約3時間、勉強をしています。ナムディン学院のオリジナルテキストを使い、YouTubeの学習チャネル「みんなの介護」や「Dũng Mori」も見ています。また、職場で毎日たくさん会話をし、分からない言葉や間違った言葉があれば、先輩や入居者さんたちがすぐに教えてくれます。 「アジアの輪」の授業〈2020年8月〉 ● チー 私もN3です。職場でたくさん会話する以外に家で毎日2時間、勉強しています。Facebookのベトナム人の日本語学習サークルに入っているほか、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けています。毎週1回(30~60分)、Skypeを使ってボランティアの日本人教師から文法や漢字などを教わっています。宿題もあり、採点や添削もしていただいています。 Lotus Worksでの学習ノート 日本での生活 ――日本での生活は順調ですか? ● ラン・アイン 新型コロナの影響で遠くに行けず、チーさんと一緒に神戸の繁華街に行ったぐらいです。近くのスーパーまでは歩いて15分ぐらいですが、衣類などを買うときは、バスで大きなスーパーに行きます。コロナが落ち着いたら、ベトナムから日本に来ている各地の友だちや和歌山県で技能実習をしている兄に会いに行きたいです。 神戸の繁華街でバインミーをゲット〈2020年7月〉 ● チー 休みの日は料理を作ったり買い物に行ったりし、日本語の勉強もいつもより長くやります。ラン・アインさんと休みが同じ日は、一緒に買い物や遊びに行くこともあります。また、早く帰宅した日は近所を30分以上散歩します。コロナが落ち着いたら、京都の金閣寺などを見に行きたいですし、各地のベトナム人仲間とも会いたいです。 休日に寮で2人で焼き肉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=22,012 VND(2020年9月28日現在) 手取り給料(平均125,000円) 手取り給料 125,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は22,000円(水道・光熱費含む、3ベッドルーム) 支出(合計25,000~34,000円) Wi-Fi 4,000円 ※ポケットワイファイ 食費 15,000~20,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 6,000~11,000円 ※衣類、交通費、たまに外食 差額・貯金(平均90,000円~100,000円) 差額 平均90,000円~100,000円 ※差額は両親に送金。今後、夜勤が入れば給料が増えてもっと送金できる 職場のロビーで 職場の展示室で

    2020年10月08日

主催者

Nhà tài trợ Bạch Kim

後援

  • 在ベトナム日本国大使館
  • 国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
  • JNTOハノイ事務所
  • 関西経済連合会
  • 一般社団法人 国際人流振興協会
  • 公益社団法人 ベトナム協会
  • NPO法人 日越ともいき支援会

協力

JASSO(日本学生支援機構)

外国人労働者弁護団

WA.SA.Bi.