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食品工場で技能実習生から特定技能外国人になったトゥエットさん。彼女は、来日直後は日本人の話すことが全然わかりませんでしたが、毎日3時間勉強を続け、数カ月で少し会話ができるようになり、2年でJLPT・N3に合格しました。今は、職場のベトナム人のリーダーとして活躍しています。 今回の先輩 グエン・ティ・トゥエットさん 2017年高校卒業〈ハイズオン省〉...
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今回の先輩 グエン・ヴァン・カインさん 2008年 高校卒業 2008年 ナムディン日本語日本文化学院入学 2010年 ナムディン学院卒業 2010年 建築の技能実習〈岡山県〉 2011年 JLPT・N3合格 2013年 JLPT・N2合格 2013年 ベトナムに帰国 2015年 南九州大学入学〈宮崎県〉 2019年 南九州大学卒業 2019年 酒造メーカーに就職(正社員)〈宮崎県〉 2019年 日本人女性と結婚 〈1990年生まれ、ナムディン省出身〉 技能実習で貯めたお金で大学に留学し、日本の酒造会社に就職したカインさん。将来は故郷で焼酎工場を作るという目標を持つカインさんの留学生活の送り方や就職活動の動き方をリポートする。 〈このページの内容〉 • ベトナムで日本語学校に1年半 • 職歴に関する書類の内容に注意 • 技能実習 • 留学 • 学費とアルバイト • ハローワークで就職活動 • 「あなたは日本でいつまで働く予定ですか?」 • ボランティア日本語教室を活用 • 日本人女性と結婚 • 宮崎のベトナム人コミュニティ ベトナムで日本語学校に1年半 故郷のYÊN CƯỜNG村〈2014年〉 私はナムディン省の高校を卒業し大学進学も考えましたが、親せきの紹介でナムディン日本語日本文化学院に入りました。自宅から遠かったので、同じ村から入学した5人でアパートをシェアしました。学院では毎日15:40ごろまで授業を受け、夕食後にまた学院に戻ってみんなで3、4時間自習しました。 ナムディン学院で1年半勉強し、本当はすぐに留学したかったのですが、お金がかかるので、まず技能実習をすることにしました。人づてにホーチミンの送出機関を紹介してもらい、約60,000,000 VND(約29万円)で日本に行くことができました。ナムディン学院で日本語を十分に学んだので、送出機関には日本語教育費は支払いませんでした。 職歴に関する書類の内容に注意 ナムディン日本語日本文化学院のクリスマス会〈2013年〉 技能実習の在留資格を申請する際に気をつけたことがあります。技能実習は、生徒が母国で経験した職業の技術を日本で高めるという名目で行われていますが、実際は、大半のケースで求人内容に合わせて生徒の職歴を偽装して在留資格を申請しています。もし、その申請の際に提出した職歴の内容を知らず、技能実習が終わってから留学の在留資格を申請する際に違う職歴を提出すると、申請が許可されないことがあります。 私は職歴に関する書類作成を送出機関だけに任せず、ナムディン学院の先生と一緒に内容をよく考えて作成しました。そして、入管に提出した書類はすべてコピーして保管しました。 技能実習 職場の先輩日本人や後輩ベトナム人と旅行〈奈良で2013年〉 こうして、私は2010年10月に訪日し、岡山県備前市で技能実習を始めました。従業員40~50人ぐらいの会社で、実習生は私を含めて2人でした。仕事は住宅や工場の解体です。建築・解体の現場には気の荒い人が多いと言われていますが、私はベトナムで日本語を十分に勉強してから訪日したので、最初から職場でのコミュニケーションがうまくいき、皆さんに親切にしていただきました。60代の先輩が私に特に親切で、よく車で日帰り旅行に連れて行ってくださいました。奈良・京都・大阪には一緒に1泊で旅行しました。この方とは留学で再訪日してからも時々お会いしています。 技能実習で私の手取り給料は毎月10万~11万円でした。ここから毎月7~8万円ずつを実家に送金し、送金額は3年間で約250万円(約522,000,000 VND)になりました。訪日時の費用や母の通院費などを差し引いても約150万円残ったので、それをその後の留学の資金にしました。 留学 大学での実習(左の奥が私) 技能実習を終えた私は帰国してナムディン学院で講師をしました。技能実習の監理団体(受入組合)が送出機関への就職を紹介してくれましたが、ロイ校長の助言で学院に戻りました。ここで1年4カ月、後輩に教えながら自分も日本語学習を続けました。技能実習生には、「日本で学んだ技術を母国に移転する」という役割があるため、一定期間を経ないと留学の在留資格を申請しても許可されないからです。 その後、ナムディン学院と提携する南九州大学(宮崎県)の入試をハノイで受け、合格しました。技能実習の3年目に日本語能力試験(JLPT)・N2に合格していたので、作文の試験を免除され、面接(日本語)だけでした。私は日本の酒造技術を学び、それを応用してベトナムで焼酎を醸造したいと考え、食品関係の学部を選びました。留学して最初の約4カ月間はアルバイトをせず、勉強に集中しました。授業で専門用語も多く、予習・復習に時間がかかったからです。大学時代は授業以外に毎日3~5時間勉強しました。平日は毎日5時間のアルバイトがあったので、授業のないときや週末に勉強しました。 学費とアルバイト アルバイト仲間の日本人たちと過ごす休日〈宮崎市内で2019年〉 留学する際は、最初に約100万円を入学金や1年目の授業料などとして支払い、それ以外に約50万円を持って日本に来ました。4年間の留学費用は主にそのお金とアルバイトとでまかないましたが、それができた背景には下記のような要因がありました。 • 南九州大学では、外国人留学生の授業料が半額 • 2年目から同郷の後輩2人とアパートをシェア • 2年生のときに1年間で計360,000円の奨学金をもらえた(大学からの紹介) アルバイトは求人サイトで探しました。日本語をある程度話せたので、1軒目の居酒屋で採用され、そこで卒業まで働きました。いなかはのんびりしているので、お客さんたちが「どこから来たの?」「学生さんですか?」などと私に話しかけてくださり、お客さんや日本人のアルバイト仲間との会話で日本語が上達しました。仲間とは、勤務後に数人で飲みに行ったり休日にショッピングモールに出かけたりもしました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学3年のときの家計簿 ※100円=20,877 VND(※2021年4月2日現在) 収入(合計100,000円) アルバイト1件(居酒屋) 100,000円 支出(合計102,000円~107,000円) 家賃 12,000円 ※アパートを3人でシェア 授業料 50,000円 光熱費 7,000~10,000円 ※電気・ガス・水道代の合計 インターネット(Wi-Fi) 2000円 ※3人で分担 携帯電話 3000円 ※Y-mobile 食費 20,000円 雑費 8,000円~10,000円 ※衣類、教材、交通費など 毎月の差額・貯金 ▲2,000円~▲7,000円 ※長期休暇時のアルバイト料などで補てん ハローワークで就職活動 大学で焼酎の造り方を研究。就職活動も酒造会社に絞って応募。 私は大学2年のときに2週間、3年のときに10日間、同じ酒造会社でインターンシップをさせていただき、焼酎づくりの基礎を学びました。社長からは就職の内々定をいただいていましたが、4年生の初めに事情が変わりました。この会社が買収され、経営者が変わったのです。私の内々定も立ち消えになり、私は周囲より遅れて6月から就職活動を始めることになりました。 大学生の多くは「マイナビ」サイトを使って就活をしますが、私は公的機関であるハローワークのサイトで求人を探しました。狙いは、歴史があって従業員の少ない酒造会社です。「歴史=技術力と信用」、「少人数=酒造技術を全般的に学べる」という観点でした。ネットで調べてから6月末ごろ、地元のハローワーク事務所に行って履歴書を提出し、4社に申し込みました。すると、1社は外国人を採用していませんでしたが、残り3社は面接をしてくれました。 「あなたは日本でいつまで働く予定ですか?」 私が就職した岩倉酒造場〈2020年〉 外国人留学生の採用面接では避けて通れない関門があります。「あなたはいつまで日本で働くつもりですか」という質問です。私は日本で学んだ技術をベトナムに持ち帰って起業することが夢です。このことを面接で話すべきかどうか、私は大学の研究室の先生に相談しました。先生は「目標があるのなら、正直に答えた方がよいのではないか」という意見で、私もそうすることにしました。 2020年7月に受けた3社の面接で、やはりどの社からもこのことを聞かれました。福岡県の焼酎メーカーの担当者はわざわざ宮崎まで来てくださり、よい雰囲気で面接が進みました。しかし、終盤にこの質問が出て正直に答えると、面接の雰囲気が変わり、採用してもらえませんでした。しかし、残り2社は、私が正直に答えたのに内々定をくれました。私はその中で宮崎県西都(さいと)市の岩倉酒造場という会社にお世話になることにしました。約160年の歴史がある会社です。現在、働き始めて1年経ちましたが、とても働きやすい職場です。 ボランティア日本語教室を活用 和気町の日本語教室の先生の家で懇親会〈2013年〉 私は技能実習で日本に来た翌年にJLPT・N3、3年目にN2を取得しました。仕事が終わってから家で毎日2、3時間勉強したほか、ボランティア日本語教室に通いました。最初は監理団体の通訳の紹介で岡山市内の教室に通いましたが、授業が難しすぎました。そこで、レベル別にクラスがある倉敷市の教室に移り、毎週日曜に2時間の無料授業を受けました。家の近くの駅から倉敷までは電車で片道約80分(往復の電車賃は約2,000円)かかりましたが、将来の財産になるので時間とお金をかけました。 技能実習2年目には、岡山県和気(わけ)町でも無料日本語教室を見つけ、倉敷の教室も続けながら毎週火曜の夜に授業を受けました。和気の教室の先生は年に数回、自宅に生徒数人を招いて食事会をしてくれました。ここで知り合ったベトナム人仲間とは、テト(旧正月)の食事会をするなど交流が深まりました。 日本人女性と結婚 故郷で結婚式〈2019年〉 和気町の日本語教室の先生に私と年の近い女性がいました。この女性は勤務先の同僚のベトナム人が日本語を話せず困っている姿を見て、外国人に日本語を教えるボランティアに参加したそうです。女性はその後、仕事をやめてホーチミンに渡り、送出機関で2年間日本語を教えることになりました。同じころ、技能実習が終わってナムディンに戻っていた私は、SNS(メッセンジャー)でこの女性からのさまざまな相談に応じるようになりました。 私の留学2年目の2016年春、帰国して岡山に戻っていたこの女性が宮崎に遊びに来てくれました。すると、女性は宮崎の土地柄や気候が気に入ったと言って半年後に宮崎に引っ越して来て、私たちは付き合うようになりました。2019年11月、私たちはナムディンで約500人を招いて結婚式を挙げ、今年5月には子どもが生まれる予定です。将来は家族でナムディンで暮らす予定です。 宮崎のベトナム人コミュニティ ベトナム人のサッカーチーム(試合前の記念撮影)〈宮崎市内で2021年〉 私は2020年11月にベトナム人仲間とボランティア日本語教室を立ち上げました。毎週日曜に交代で実習生やエンジニアに日本語を教え、普段の生活サポートも行います。日本人の先生もいます。また、宮崎県には現在、ベトナム人のサッカーチームが8チームあります。私のチームには技能実習生やエンジニア、留学生がいます。毎週日曜に河川敷で練習し、ときどきメンバーの自宅で食事会をします。 このように充実した日本生活を送っていますが、数年後にはベトナムに帰って小さな焼酎醸造所を立ち上げることが私の目標です。大好きな日本でまだまだ多くのことを学びたいと思っています。 今回の先輩 (グエン・ヴァン・カイン)さん 2008年 高校卒業 2008年 ナムディン日本語日本文化学院入学 2010年 ナムディン学院卒業 2010年 建築の技能実習〈岡山県〉 2011年 JLPT・N3合格 2013年 JLPT・N2合格 2013年 ベトナムに帰国 2015年 南九州大学入学〈宮崎県〉 2019年 南九州大学卒業 2019年 酒造メーカーに就職(正社員)〈宮崎県〉 2019年 日本人女性と結婚 〈1990年生まれ、ナムディン省出身〉 技能実習で貯めたお金で大学に留学し、日本の酒造会社に就職したカインさん。将来は故郷で焼酎工場を作るという目標を持つカインさんの留学生活の送り方や就職活動の動き方をリポートする。 〈このページの内容〉 • ベトナムで日本語学校に1年半 • 職歴に関する書類の内容に注意 • 技能実習 • 留学 • 学費とアルバイト • ハローワークで就職活動 • 「あなたは日本でいつまで働く予定ですか?」 • ボランティア日本語教室を活用 • 日本人女性と結婚 • 宮崎のベトナム人コミュニティ ベトナムで日本語学校に1年半 私はナムディン省の高校を卒業し大学進学も考えましたが、親せきの紹介でナムディン日本語日本文化学院に入りました。自宅から遠かったので、同じ村から入学した5人でアパートをシェアしました。学院では毎日15:40ごろまで授業を受け、夕食後にまた学院に戻ってみんなで3、4時間自習しました。 ナムディン学院で1年半勉強し、本当はすぐに留学したかったのですが、お金がかかるので、まず技能実習をすることにしました。人づてにホーチミンの送出機関を紹介してもらい、約60,000,000 VND(約29万円)で日本に行くことができました。ナムディン学院で日本語を十分に学んだので、送出機関には日本語教育費は支払いませんでした。 故郷のYÊN CƯỜNG村〈2014年〉 職歴に関する書類の内容に注意 技能実習の在留資格を申請する際に気をつけたことがあります。技能実習は、生徒が母国で経験した職業の技術を日本で高めるという名目で行われていますが、実際は、大半のケースで求人内容に合わせて生徒の職歴を偽装して在留資格を申請しています。もし、その申請の際に提出した職歴の内容を知らず、技能実習が終わってから留学の在留資格を申請する際に違う職歴を提出すると、申請が許可されないことがあります。 私は職歴に関する書類作成を送出機関だけに任せず、ナムディン学院の先生と一緒に内容をよく考えて作成しました。そして、入管に提出した書類はすべてコピーして保管しました。 ナムディン日本語日本文化学院のクリスマス会〈2013年〉 技能実習 こうして、私は2010年10月に訪日し、岡山県備前市で技能実習を始めました。従業員40~50人ぐらいの会社で、実習生は私を含めて2人でした。仕事は住宅や工場の解体です。建築・解体の現場には気の荒い人が多いと言われていますが、私はベトナムで日本語を十分に勉強してから訪日したので、最初から職場でのコミュニケーションがうまくいき、皆さんに親切にしていただきました。60代の先輩が私に特に親切で、よく車で日帰り旅行に連れて行ってくださいました。奈良・京都・大阪には一緒に1泊で旅行しました。この方とは留学で再訪日してからも時々お会いしています。 技能実習で私の手取り給料は毎月10万~11万円でした。ここから毎月7~8万円ずつを実家に送金し、送金額は3年間で約250万円(約522,000,000 VND)になりました。訪日時の費用や母の通院費などを差し引いても約150万円残ったので、それをその後の留学の資金にしました。 職場の先輩日本人や後輩ベトナム人と旅行〈奈良で2013年〉 留学 技能実習を終えた私は帰国してナムディン学院で講師をしました。技能実習の監理団体(受入組合)が送出機関への就職を紹介してくれましたが、ロイ校長の助言で学院に戻りました。ここで1年4カ月、後輩に教えながら自分も日本語学習を続けました。技能実習生には、「日本で学んだ技術を母国に移転する」という役割があるため、一定期間を経ないと留学の在留資格を申請しても許可されないからです。 その後、ナムディン学院と提携する南九州大学(宮崎県)の入試をハノイで受け、合格しました。技能実習の3年目に日本語能力試験(JLPT)・N2に合格していたので、作文の試験を免除され、面接(日本語)だけでした。私は日本の酒造技術を学び、それを応用してベトナムで焼酎を醸造したいと考え、食品関係の学部を選びました。留学して最初の約4カ月間はアルバイトをせず、勉強に集中しました。授業で専門用語も多く、予習・復習に時間がかかったからです。大学時代は授業以外に毎日3~5時間勉強しました。平日は毎日5時間のアルバイトがあったので、授業のないときや週末に勉強しました。 大学での実習(左の奥が私) 学費とアルバイト 留学する際は、最初に約100万円を入学金や1年目の授業料などとして支払い、それ以外に約50万円を持って日本に来ました。4年間の留学費用は主にそのお金とアルバイトとでまかないましたが、それができた背景には下記のような要因がありました。 • 南九州大学では、外国人留学生の授業料が半額 • 2年目から同郷の後輩2人とアパートをシェア • 2年生のときに1年間で計360,000円の奨学金をもらえた(大学からの紹介) アルバイトは求人サイトで探しました。日本語をある程度話せたので、1軒目の居酒屋で採用され、そこで卒業まで働きました。いなかはのんびりしているので、お客さんたちが「どこから来たの?」「学生さんですか?」などと私に話しかけてくださり、お客さんや日本人のアルバイト仲間との会話で日本語が上達しました。仲間とは、勤務後に数人で飲みに行ったり休日にショッピングモールに出かけたりもしました。 アルバイト仲間の日本人たちと過ごす休日〈宮崎市内で2019年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学3年のときの家計簿 ※100円=20,877 VND(※2021年4月2日現在) 収入(合計100,000円) アルバイト1件(居酒屋) 100,000円 支出(合計102,000円~107,000円) 家賃 12,000円 ※アパートを3人でシェア 授業料 50,000円 光熱費 7,000~10,000円 ※電気・ガス・水道代の合計 インターネット(Wi-Fi) 2000円 ※3人で分担 携帯電話 3000円 ※Y-mobile 食費 20,000円 雑費 8,000円~10,000円 ※衣類、教材、交通費など 毎月の差額・貯金 ▲2,000円~▲7,000円 ※長期休暇時のアルバイト料などで補てん ハローワークで就職活動 私は大学2年のときに2週間、3年のときに10日間、同じ酒造会社でインターンシップをさせていただき、焼酎づくりの基礎を学びました。社長からは就職の内々定をいただいていましたが、4年生の初めに事情が変わりました。この会社が買収され、経営者が変わったのです。私の内々定も立ち消えになり、私は周囲より遅れて6月から就職活動を始めることになりました。 大学生の多くは「マイナビ」サイトを使って就活をしますが、私は公的機関であるハローワークのサイトで求人を探しました。狙いは、歴史があって従業員の少ない酒造会社です。「歴史=技術力と信用」、「少人数=酒造技術を全般的に学べる」という観点でした。ネットで調べてから6月末ごろ、地元のハローワーク事務所に行って履歴書を提出し、4社に申し込みました。すると、1社は外国人を採用していませんでしたが、残り3社は面接をしてくれました。 大学で焼酎の造り方を研究。就職活動も酒造会社に絞って応募。 「あなたは日本でいつまで働く予定ですか?」 外国人留学生の採用面接では避けて通れない関門があります。「あなたはいつまで日本で働くつもりですか」という質問です。私は日本で学んだ技術をベトナムに持ち帰って起業することが夢です。このことを面接で話すべきかどうか、私は大学の研究室の先生に相談しました。先生は「目標があるのなら、正直に答えた方がよいのではないか」という意見で、私もそうすることにしました。 2020年7月に受けた3社の面接で、やはりどの社からもこのことを聞かれました。福岡県の焼酎メーカーの担当者はわざわざ宮崎まで来てくださり、よい雰囲気で面接が進みました。しかし、終盤にこの質問が出て正直に答えると、面接の雰囲気が変わり、採用してもらえませんでした。しかし、残り2社は、私が正直に答えたのに内々定をくれました。私はその中で宮崎県西都(さいと)市の岩倉酒造場という会社にお世話になることにしました。約160年の歴史がある会社です。現在、働き始めて1年経ちましたが、とても働きやすい職場です。 私が就職した岩倉酒造場〈2020年〉 ボランティア日本語教室を活用 私は技能実習で日本に来た翌年にJLPT・N3、3年目にN2を取得しました。仕事が終わってから家で毎日2、3時間勉強したほか、ボランティア日本語教室に通いました。最初は監理団体の通訳の紹介で岡山市内の教室に通いましたが、授業が難しすぎました。そこで、レベル別にクラスがある倉敷市の教室に移り、毎週日曜に2時間の無料授業を受けました。家の近くの駅から倉敷までは電車で片道約80分(往復の電車賃は約2,000円)かかりましたが、将来の財産になるので時間とお金をかけました。 技能実習2年目には、岡山県和気(わけ)町でも無料日本語教室を見つけ、倉敷の教室も続けながら毎週火曜の夜に授業を受けました。和気の教室の先生は年に数回、自宅に生徒数人を招いて食事会をしてくれました。ここで知り合ったベトナム人仲間とは、テト(旧正月)の食事会をするなど交流が深まりました。 和気町の日本語教室の先生の家で懇親会〈2013年〉 日本人女性と結婚 和気町の日本語教室の先生に私と年の近い女性がいました。この女性は勤務先の同僚のベトナム人が日本語を話せず困っている姿を見て、外国人に日本語を教えるボランティアに参加したそうです。女性はその後、仕事をやめてホーチミンに渡り、送出機関で2年間日本語を教えることになりました。同じころ、技能実習が終わってナムディンに戻っていた私は、SNS(メッセンジャー)でこの女性からのさまざまな相談に応じるようになりました。 私の留学2年目の2016年春、帰国して岡山に戻っていたこの女性が宮崎に遊びに来てくれました。すると、女性は宮崎の土地柄や気候が気に入ったと言って半年後に宮崎に引っ越して来て、私たちは付き合うようになりました。2019年11月、私たちはナムディンで約500人を招いて結婚式を挙げ、今年5月には子どもが生まれる予定です。将来は家族でナムディンで暮らす予定です。 故郷で結婚式〈2019年〉 宮崎のベトナム人コミュニティ 私は2020年11月にベトナム人仲間とボランティア日本語教室を立ち上げました。毎週日曜に交代で実習生やエンジニアに日本語を教え、普段の生活サポートも行います。日本人の先生もいます。また、宮崎県には現在、ベトナム人のサッカーチームが8チームあります。私のチームには技能実習生やエンジニア、留学生がいます。毎週日曜に河川敷で練習し、ときどきメンバーの自宅で食事会をします。 このように充実した日本生活を送っていますが、数年後にはベトナムに帰って小さな焼酎醸造所を立ち上げることが私の目標です。大好きな日本でまだまだ多くのことを学びたいと思っています。 ベトナム人のサッカーチーム(試合前の記念撮影)〈宮崎市内で2021年〉
2021年04月09日
今回の先輩 トー・ティ・ヒエンさん 2000年 高校中退、家業手伝い〈タイビン県〉 2001年 靴製造会社で勤務〈ハイフォン県〉 2007年 長女出産、縫製工場勤務〈タイビン県〉 2018年 送出機関登録 2019年 2月:訪日→講習→技能実習〈奈良県〉 2019年 9月:OTITによって保護 2019年 12月:新しい職場で技能実習開始〈岩手県〉 〈1984年生まれ、タイビン省出身〉 社長から「あなたはもう会社に来なくてもいい」と言われた技能実習生ヒエンさん。送出機関社長もやってきて「あなたをベトナムに連れて帰る」と迫られたが、強制帰国寸前でOTIT(外国人技能実習機構)が出動!ヒエンさんは救出され、転職先も紹介してもらえることに。 〈このページの内容〉 • 娘の学費を稼ぐために日本へ • 訪日前の借金とその後の返済 • 過酷な労働と残業代不払い • 「もう会社に来なくてもよい • 絶望の帰国通告 • 「外国人実習生支援」にSOS • 外国人技能実習機構(OTIT)登場! • 新職場は別世界 娘の学費を稼ぐために日本へ 私の今の実習先〈2020年〉 私は、家が貧しかったので、高校2年の初めに学校を中退して母を手伝い、翌年からハイフォンの靴製造会社で働きました。当時は高校に行く人が少なく、私の周りでは半分もいませんでした。2006年に職場の地元の男性と結婚して妊娠し、退職しましたが、半年で離婚し、2007年1月に女児を出産しました。その9カ月後、縫製工場で仕事を始めました。娘は現在、中学3年生で、私の両親と一緒に暮らしています。娘の成績がよいので、私は娘の今後の学費を稼ぐために技能実習を志望しました。 訪日前の借金とその後の返済 今の職場での仕事〈岩手県で2020年〉 私は友人に紹介してもらったハノイの送出機関に登録し、支払いのために銀行から160,000,000ドン(約756,000円)を借りました。また、父の肺がんの治療のために、それとは別に140,000,000ドンを借りました。日本に来てから最初の職場で6カ月、今の職場で15カ月働き、借金はほぼ全額返済できました。今後は、技能実習の残り期間で娘の将来の学費をなるべく貯めたいです。また、3年間の実習が終わったら、技能実習3号として今の職場に戻りたいと希望しています。 前の職場では残業代をもらえず、毎月6、7万円しか実家に送金できませんでしたが、今の職場では毎月10万円送っています。父は病気、母も高齢です。自分たちの田畑を人に貸しているので、米や野菜は無料ですが、現金がないので、私の仕送りで3人の生活費と娘の学費をまかなっています。 ◇私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,240 VND(2021年3月11日現在) 手取り給料(平均140,000円) 手取り給料 137,000円~142,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は11,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 35,000円~40,000円) 食費 30,000円 ※自炊 雑費 5,000円~10,000円 ※生活雑貨、医薬品など ※ 差額・貯金(平均100,000円) 過酷な労働と残業代不払い 残業代が計上されなかった給与明細。「当時を思い出すと、今でも悔しい」。 私は現在、二つ目の実習先で働いていますが、最初の職場ではつらい目にあいました。それは奈良県の縫製工場で、私の手取り給料は88,000円(約18,700,000ドン)しかありませんでした。毎日17:00に定時の仕事が終わり、その後2、3時間(長いときは5時間)残業をしましたが、残業代をもらえませんでした。社長の理屈は「本来は200枚を8時間以内に縫わなければならない。200枚縫い終わるまでは残業にカウントしない」というものでした。 しかし、例えば男性用セーターを1人で縫う場合、そで、肩、わき、えりなどを縫い分けると、頑張っても1枚5分かかります。100枚で500分。これだけでも定時には終わりません。3時間残業しても1日150枚が精一杯ですし、息つく暇もなく縫うので、毎日くたくたでした。送出機関から「社長はいい人で、手取り170,000円」と説明されて応募しましたが、事実は全く違いました。 「もう会社に来なくてもよい」 当時の実習先〈2019年〉 この会社で働き始めて間もなく、近所のベトナム人実習生と知り合い、私の職場で技能実習を終えて帰国した先輩2人をSNSで紹介してくれました。先輩たちに聞くと、「残業代はゼロではなかったが、本来の額より少なかった」とのことでした。先輩たちもかわいそうでしたが、私たちはさらにひどい条件です。しかし、日本語ができないので社長に抗議もできず、悔しい思いで仕事を続けていたある日、社長から思わぬことを言われました。 私は社長から突然、「1日200枚縫えないならベトナムに帰ってください。あなたはもう会社に来なくてもいいです」と言われました。技能実習を始めて約3カ月で、まだ借金がたくさん残っていました。私はショックでぼうぜんとしました。その後、私から相談を受けた監理団体(組合)の通訳が社長と話をし、私は「1日200枚縫えない場合は、給料は受け取らない」という趣旨の誓約書(ベトナム語)を書かされて仕事に復帰しました。実習生3人のうち「会社に来なくていい」と言われたのは私だけでした。 絶望の帰国通告 送出機関社長に書かされた文書〈2019年9月〉 そして、事態はさらに悪化します。9月に送出機関の社長がハノイからやって来ました。少し前に発生した不良品が原因のようでした。社長の指示通りの針で縫ったところ、針の大きさが間違っており、100枚返品されたのです。送出機関の若い女性社長は私たち実習生3人と会社で話をし、その後、私だけを寮に連れて行きました。寮に着くなり社長は「会社はあなたをいらないと言っている。一緒に帰国しよう」と切り出しました。私は声を出して泣きました。これまでの経緯を説明し、一生懸命働いたのになぜ自分だけ帰されるのかと抗議しましたが、社長からは慰めの言葉もありませんでした。 それどころか、社長は「自分の希望でベトナムに帰国する」という文書を書くように私に言いました。それを書けば、未払いの3カ月分の給料を支払うとのことです。私は指示されるまま次のような趣旨の文書を書きました。「私は会社でいろいろな問題を起こし、不良品もよく出しました。現在、会社は私を不要としています。私は帰国しますので、6~8月分の給料を支払ってください」。社長は「ベトナムに帰国し、1、2カ月待てばまた新しい仕事が見つかって日本に戻れる」と言いましたが、信用できません。また、このように書かされましたが、実際は私の責任で不良品を出したことはありませんでした。 「外国人実習生支援」にSOS 榑松さんがOTITに送ってくれた申告書の一部〈2019年9月〉 私は文書を書いて職場に戻りましたが、昼休みになっても昼食がのどを通りませんでした。終業後も送出機関社長に公園に連れて行かれ、「ベトナムに戻って少し待てば、新しい仕事が見つかる」と午前と同じことを言われました。しかし、本当に新しい実習先を紹介してもらえる保証はありませんし、追加料金を要求される可能性もあります。私は「私は大きな借金をして日本に来たし、仕事もしっかりやっている。監理団体がほかの仕事を見つけるまで日本で待ちたい。帰国はしません」と言い残して寮に帰りました。 その夜、送出機関社長は私の失踪を警戒したのか、ホテルではなく私たち3人の寮に泊まりました。私は寝室である人にSOSメッセージを送りました。送った相手は「外国人実習生支援」という支援団体の榑松(くれまつ)代表で、不当な処遇をされた実習生を何人も助けてきた人です。実は、5月に「あなたはもう会社に来なくてもいい」と言われた直後、会社の先輩から榑松さんを紹介され、通訳(ベトナム人留学生のボランティア)も入ってSNSでやり取りを続けていたのです。 私は榑松さんに切迫した状況を伝えました。榑松さんからは「明日、OTITが会社に行く。しかし、もしその前に空港に連れて行かれた場合は、出国審査の入管職員に私の名刺を見せて『本当は帰国したくない』と伝えなさい」と返事があり、榑松さんの名刺の写真を送ってくれました。榑松さんはその直後、OTITにFAXで9枚の申告書と資料を送り、私を助け出すように依頼してくれました。 外国人技能実習機構(OTIT)登場! 翌朝、私はどきどきしながら出勤すると、約2時間後、OTITの担当者 2人が本当に会社に来ました!担当者の1人は縫製会社社長と話し、もう1人(女性)は私を寮に連れて行きました。寮には監理団体理事長も来ました。私はOTITから電話通訳を介して「あなたは無理に帰国させられるかも知れないので、私たちがあなたを保護します。あなたは今日からホテルに住み、私たちがほかの勤務先を探します」と説明されました。私は荷造りをし、OTITの車で大阪市内のホテルに移されました。 ホテルに行く前に会社に戻り、会社から未払いの3カ月分の給料を受け取りました。社長は深刻な顔をしていました。OTITの担当者は4人に増え、そのうち2人が監理団体理事長と話をしていました。理事長も深刻な表情でした。私は社長に「短い間でしたが、どうもありがとうございました。お元気で」とあいさつしましたが、社長は無言でした。その後、この会社の技能実習計画は取り消され、ほかの2人の実習生も別の職場に移されました。 新職場は別世界 左:寮の自分のベッド。毎晩、ここから娘に電話する; 右:寮の台所 約2カ月半後、私はOTITや榑松さんたちのおかげで岩手県の「ケーエスファクトリー」に移籍しました。同社は約20名の職場で、有名ブランドの婦人服の縫製を行っており、ベトナム人女性5人が技能実習をしています。監理団体は東京の「ワールドパワー協同組合」で、担当のベトナム人通訳が頻繁に来て、私たちの状況を聞いてくれます。 新型コロナがなければ、夏には社長が実習生たちに浴衣を買い与えて地元の夏祭りに連れて行ったり、春には車で花見に連れて行ってくれたりするそうです。今の職場は前の職場と環境も給料もまったく違います。私を助けてくれた「外国人実習生支援」やOTIT、そして今の社長にとても感謝しています。 【編集部からのアドバイス】 ❶ ヒエンさんの転籍先を紹介した監理団体は技能実習生を紹介する際、その会社が▽法律通り残業代を支払う▽技能実習日誌や管理簿をきちんとつける▽平均的な寮生活を提供する――などを条件としています。この組合の紹介先で技能実習をしたい場合は、問い合わせてみてください。 (監理団体)ワールドパワー協同組合 world-power@helen.ocn.ne.jp ※メール(ベトナム語)で問い合わせができます。翻訳に少し時間がかかります。 ❷ 強制帰国は違法 技能実習生の意に反して計画途中で帰国させることは違法です。実習生が技能実習の継続を希望している場合、受入会社や監理団体は責任を持って次の実習先を確保しなければなりません(法的義務)。 ❸ 実習先での問題はまず所属する監理団体に相談し、それで解決しない場合は、必ず外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語で電話(0120-250-168)で相談できますが、相談内容が深刻な場合は、紙に書いてOTITを訪問するか郵送する方が効果的です。 ❹ 万一、OTITに相談しても解決しない場合は、下記のような民間の支援団体もあります。 外国人実習生支援(Facebook) 日越ともいき支援会 会社の近くの桜〈岩手県で2020年〉 寮では勉強机も広々〈岩手県で2020年〉 今回の先輩 (トー・ティ・ヒエン)さん 2000年 高校中退、家業手伝い〈タイビン〉 2001年 靴製造会社で勤務〈ハイフォン〉 2007年 長女出産、縫製工場勤務〈タイビン〉 2018年 送出機関登録 2019年 2月:訪日→講習→技能実習〈奈良〉 2019年 9月:OTITによって保護 2019年 12月:新しい職場で技能実習開始〈岩手〉 〈1984年生まれ、タイビン省出身〉 社長から「あなたはもう会社に来なくてもいい」と言われた技能実習生ヒエンさん。送出機関社長もやってきて「あなたをベトナムに連れて帰る」と迫られたが、強制帰国寸前でOTIT(外国人技能実習機構)が出動!ヒエンさんは救出され、転職先も紹介してもらえることに。 〈このページの内容〉 • 娘の学費を稼ぐために日本へ • 訪日前の借金とその後の返済 • 過酷な労働と残業代不払い • 「もう会社に来なくてもよい」 • 絶望の帰国通告 • 「外国人実習生支援」にSOS • 外国人技能実習機構(OTIT)登場! • 新職場は別世界 娘の学費を稼ぐために日本へ 私は、家が貧しかったので、高校2年の初めに学校を中退して母を手伝い、翌年からハイフォンの靴製造会社で働きました。当時は高校に行く人が少なく、私の周りでは半分もいませんでした。2006年に職場の地元の男性と結婚して妊娠し、退職しましたが、半年で離婚し、2007年1月に女児を出産しました。その9カ月後、縫製工場で仕事を始めました。娘は現在、中学3年生で、私の両親と一緒に暮らしています。娘の成績がよいので、私は娘の今後の学費を稼ぐために技能実習を志望しました。 私の今の実習先〈2020年〉 訪日前の借金とその後の返済 私は友人に紹介してもらったハノイの送出機関に登録し、支払いのために銀行から160,000,000ドン(約756,000円)を借りました。また、父の肺がんの治療のために、それとは別に140,000,000ドンを借りました。日本に来てから最初の職場で6カ月、今の職場で15カ月働き、借金はほぼ全額返済できました。今後は、技能実習の残り期間で娘の将来の学費をなるべく貯めたいです。また、3年間の実習が終わったら、技能実習3号として今の職場に戻りたいと希望しています。 前の職場では残業代をもらえず、毎月6、7万円しか実家に送金できませんでしたが、今の職場では毎月10万円送っています。父は病気、母も高齢です。自分たちの田畑を人に貸しているので、米や野菜は無料ですが、現金がないので、私の仕送りで3人の生活費と娘の学費をまかなっています。 今の職場での仕事〈岩手県で2020年〉 ◇私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,240 VND(2021年3月11日現在) 手取り給料(平均140,000円) 手取り給料 137,000円~142,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は11,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 35,000円~40,000円) 食費 30,000円 ※自炊 雑費 5,000円~10,000円 ※生活雑貨、医薬品など ※ 差額・貯金(平均100,000円) 過酷な労働と残業代不払い 私は現在、二つ目の実習先で働いていますが、最初の職場ではつらい目にあいました。それは奈良県の縫製工場で、私の手取り給料は88,000円(約18,700,000ドン)しかありませんでした。毎日17:00に定時の仕事が終わり、その後2、3時間(長いときは5時間)残業をしましたが、残業代をもらえませんでした。私は社長から突然、「1日200枚縫えないならベトナムに帰ってください。あなたはもう会社に来なくてもいいです」と言われました。技能実習を始めて約3カ月で、まだ借金がたくさん残っていました。私はショックでぼうぜんとしました。社長の理屈は「本来は200枚を8時間以内に縫わなければならない。200枚縫い終わるまでは残業にカウントしない」というものでした。 しかし、例えば男性用セーターを1人で縫う場合、そで、肩、わき、えりなどを縫い分けると、頑張っても1枚5分かかります。100枚で500分。これだけでも定時には終わりません。3時間残業しても1日150枚が精一杯ですし、息つく暇もなく縫うので、毎日くたくたでした。送出機関から「社長はいい人で、手取り170,000円」と説明されて応募しましたが、事実は全く違いました。 残業代が計上されなかった給与明細。「当時を思い出すと、今でも悔しい」。 「もう会社に来なくてもよい」 この会社で働き始めて間もなく、近所のベトナム人実習生と知り合い、私の職場で技能実習を終えて帰国した先輩2人をSNSで紹介してくれました。先輩たちに聞くと、「残業代はゼロではなかったが、本来の額より少なかった」とのことでした。先輩たちもかわいそうでしたが、私たちはさらにひどい条件です。しかし、日本語ができないので社長に抗議もできず、悔しい思いで仕事を続けていたある日、社長から思わぬことを言われました。 私は社長から突然、「1日200枚縫えないならベトナムに帰ってください。あなたはもう会社に来なくてもいいです」と言われました。技能実習を始めて約3カ月で、まだ借金がたくさん残っていました。私はショックでぼうぜんとしました。その後、私から相談を受けた監理団体(組合)の通訳が社長と話をし、私は「1日200枚縫えない場合は、給料は受け取らない」という趣旨の誓約書(ベトナム語)を書かされて仕事に復帰しました。実習生3人のうち「会社に来なくていい」と言われたのは私だけでした。 当時の実習先〈2019年〉 絶望の帰国通告 そして、事態はさらに悪化します。9月に送出機関の社長がハノイからやって来ました。少し前に発生した不良品が原因のようでした。社長の指示通りの針で縫ったところ、針の大きさが間違っており、100枚返品されたのです。送出機関の若い女性社長は私たち実習生3人と会社で話をし、その後、私だけを寮に連れて行きました。寮に着くなり社長は「会社はあなたをいらないと言っている。一緒に帰国しよう」と切り出しました。私は声を出して泣きました。これまでの経緯を説明し、一生懸命働いたのになぜ自分だけ帰されるのかと抗議しましたが、社長からは慰めの言葉もありませんでした。 それどころか、社長は「自分の希望でベトナムに帰国する」という文書を書くように私に言いました。それを書けば、未払いの3カ月分の給料を支払うとのことです。私は指示されるまま次のような趣旨の文書を書きました。「私は会社でいろいろな問題を起こし、不良品もよく出しました。現在、会社は私を不要としています。私は帰国しますので、6~8月分の給料を支払ってください」。社長は「ベトナムに帰国し、1、2カ月待てばまた新しい仕事が見つかって日本に戻れる」と言いましたが、信用できません。また、このように書かされましたが、実際は私の責任で不良品を出したことはありませんでした。 送出機関社長に書かされた文書〈2019年9月〉 「外国人実習生支援」にSOS 私は文書を書いて職場に戻りましたが、昼休みになっても昼食がのどを通りませんでした。終業後も送出機関社長に公園に連れて行かれ、「ベトナムに戻って少し待てば、新しい仕事が見つかる」と午前と同じことを言われました。しかし、本当に新しい実習先を紹介してもらえる保証はありませんし、追加料金を要求される可能性もあります。私は「私は大きな借金をして日本に来たし、仕事もしっかりやっている。監理団体がほかの仕事を見つけるまで日本で待ちたい。帰国はしません」と言い残して寮に帰りました。 その夜、送出機関社長は私の失踪を警戒したのか、ホテルではなく私たち3人の寮に泊まりました。私は寝室である人にSOSメッセージを送りました。送った相手は「外国人実習生支援」という支援団体の榑松(くれまつ)代表で、不当な処遇をされた実習生を何人も助けてきた人です。実は、5月に「あなたはもう会社に来なくてもいい」と言われた直後、会社の先輩から榑松さんを紹介され、通訳(ベトナム人留学生のボランティア)も入ってSNSでやり取りを続けていたのです。 私は榑松さんに切迫した状況を伝えました。榑松さんからは「明日、OTITが会社に行く。しかし、もしその前に空港に連れて行かれた場合は、出国審査の入管職員に私の名刺を見せて『本当は帰国したくない』と伝えなさい」と返事があり、榑松さんの名刺の写真を送ってくれました。榑松さんはその直後、OTITにFAXで9枚の申告書と資料を送り、私を助け出すように依頼してくれました。 榑松さんがOTITに送ってくれた申告書の一部〈2019年9月〉 外国人技能実習機構(OTIT)登場! 翌朝、私はどきどきしながら出勤すると、約2時間後、OTITの担当者 2人が本当に会社に来ました!担当者の1人は縫製会社社長と話し、もう1人(女性)は私を寮に連れて行きました。寮には監理団体理事長も来ました。私はOTITから電話通訳を介して「あなたは無理に帰国させられるかも知れないので、私たちがあなたを保護します。あなたは今日からホテルに住み、私たちがほかの勤務先を探します」と説明されました。私は荷造りをし、OTITの車で大阪市内のホテルに移されました。 ホテルに行く前に会社に戻り、会社から未払いの3カ月分の給料を受け取りました。社長は深刻な顔をしていました。OTITの担当者は4人に増え、そのうち2人が監理団体理事長と話をしていました。理事長も深刻な表情でした。私は社長に「短い間でしたが、どうもありがとうございました。お元気で」とあいさつしましたが、社長は無言でした。その後、この会社の技能実習計画は取り消され、ほかの2人の実習生も別の職場に移されました。 新職場は別世界 約2カ月半後、私はOTITや榑松さんたちのおかげで岩手県の「ケーエスファクトリー」に移籍しました。同社は約20名の職場で、有名ブランドの婦人服の縫製を行っており、ベトナム人女性5人が技能実習をしています。監理団体は東京の「ワールドパワー協同組合」で、担当のベトナム人通訳が頻繁に来て、私たちの状況を聞いてくれます。 新型コロナがなければ、夏には社長が実習生たちに浴衣を買い与えて地元の夏祭りに連れて行ったり、春には車で花見に連れて行ってくれたりするそうです。今の職場は前の職場と環境も給料もまったく違います。私を助けてくれた「外国人実習生支援」やOTIT、そして今の社長にとても感謝しています。 左:寮の自分のベッド。毎晩、ここから娘に電話する; 右:寮の台所 【編集部からのアドバイス】 ❶ ヒエンさんの転籍先を紹介した監理団体は技能実習生を紹介する際、その会社が▽法律通り残業代を支払う▽技能実習日誌や管理簿をきちんとつける▽平均的な寮生活を提供する――などを条件としています。この組合の紹介先で技能実習をしたい場合は、問い合わせてみてください。 (監理団体)ワールドパワー協同組合 world-power@helen.ocn.ne.jp ※メール(ベトナム語)で問い合わせができます。翻訳に少し時間がかかります。 ❷ 強制帰国は違法 技能実習生の意に反して計画途中で帰国させることは違法です。実習生が技能実習の継続を希望している場合、受入会社や監理団体は責任を持って次の実習先を確保しなければなりません(法的義務)。 ❸ 実習先での問題はまず所属する監理団体に相談し、それで解決しない場合は、必ず外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語で電話(0120-250-168)で相談できますが、相談内容が深刻な場合は、紙に書いてOTITを訪問するか郵送する方が効果的です。 ❹ 万一、OTITに相談しても解決しない場合は、下記のような民間の支援団体もあります。 外国人実習生支援(Facebook) 日越ともいき支援会 会社の近くの桜〈岩手県で2020年〉 寮では勉強机も広々〈岩手県で2020年〉
2021年03月29日
今回の先輩 ズンさん=仮名 2018年高校卒業〈ドンナイ省〉 2019年送出機関に登録〈ホーチミン〉 2020年訪日(2月)→入国後講習 2020年建築の技能実習〈富山県、神奈川県〉 2020年不法就労(7~10月)〈長野県) 2020年日越ともいき支援会で保護〈東京〉 2021年介護のアルバイト〈東京〉 〈1998年生まれ、ドンナイ省出身〉 ズンさん(仮名)は技能実習中に失踪し、農家で不法就労をしたが、この仕事を紹介した会社が警察に摘発された。失踪生活で心身ともに疲れ、「失踪せず、支援機関に相談すればよかった」と後悔する。 〈このページの内容〉 • 家業倒産で多額の借金 • 紹介少なく、不人気業種に応募 • 3カ月で労働内容変更 • 不平等な重労働 • ウーバーイーツ詐欺 • 不法就労へのプロセス • 不法就労の実態 • 失職 • 失踪の結末 家業倒産で多額の借金 私が通った送出機関の日本語センターで旧正月を祝うイベント 私の父はアンザン省で稲作と小型船エンジンの販売をしていましたが、私が高校生のときにエンジン販売業が倒産し、約7億ドン(約320万円)の負債ができました。両親は自宅と水田を売って一部を返済し、知人から紹介された家具工場で働くためにドンナイ省に移りました。私と兄は近所の祖父母のもとに残り、両親の生活が落ち着いてから合流しました。 高校2年の途中でドンナイ省に移り、3カ月間は両親と一緒に働き、翌年度に高2をもう一度やり直しました。転校前の成績はクラスの上位3分の1に入っていましたが、多額の借金があるので、進学をあきらめました。そのころ、高校に送出機関が来て技能実習の説明をしました。「日本に行けば、ベトナムでは考えられない額の給料をもらえ、技術も学べる」という説明でした。 紹介少なく、不人気業種に応募 不合格になった最初の採用面接〈ホーチミン市で2019年6月〉 私は技能実習生になろうと思い、どの送出機関に依頼すべきかネットで調べました。「信用できる送出機関ランキング(Top công ty xuất khẩu lao động nhật bản uy tín)」などのキーワードで検索し、約10社をリストアップしました。これらの会社に電話などで問い合わせ、条件や対応のよかった2社を訪問して1社を選びました。同社の担当者は「手取り給料は30,000,000ドン(約138,000円)を超える」と説明しました。 私はこの会社に2019年2月に登録しましたが、リサーチ不足だったことが後で分かりました。人気職種の求人紹介が少なかったのです。たまに良い求人があっても、他の送出機関からの紹介で、採用された場合に20,000,000ドンの追加料金がかかります。このため、6月にやっと最初の面接を受け(不合格)、7月に2回目の面接で合格しました。不人気の建設業でしたが、焦りもあって仕方なく応募したのです。 3カ月で労働内容変更 短かった富山での生活〈2020年3月〉 私は2020年2月に訪日し、3月から富山県で技能実習を始めました。手取り給料は約104,000円(約22,666,000ドン)でした。工場で機械を使って鉄筋を折り曲げ、針金で束ねてから運ぶ仕事でした。 当初の契約書では、1年間はこの作業で、2年目から建築現場で働くことになっていました。しかし、実際には、3カ月で神奈川県に転勤させられて新しい契約書に署名させられ、東京・新宿の超高層ビル建築現場にかり出されました。手取り給料は約135,000円に増えましたが、仕事が過酷なうえ、職場環境にも問題がありました。 不平等な重労働 新宿の超高層ビル建築現場〈2020年6月〉 ここでの仕事は8:00~17:00ですが、家を出るのは5:30、帰宅は19:30でした。いくつかの会社から役割の違うチームが集まり、私たちの会社からは10~20人(半分以上がベトナム人)が出向いていました。私たちの役割は鉄筋を組み立てるための準備ですが、同じチームの若い日本人3人が楽な仕事を取り、私たち実習生は鉄筋運びが中心でした。鉄筋を肩に担いで数十㍍運びます。1人で20㌔以上、2人で約50㌔の鉄筋を運ぶこともあります。鉄筋運びばかりを1日中させられることもあり、歩けなくなるぐらいけなくなるぐらい疲れました。現場責任者が状況を把握しておらず、仕事の割り振りが不平等だったのです。 また、若い日本人3人は休憩時間などに私たちの悪口を言いふらしていました。先輩実習生によると、「仕事のできが悪い」「帰国すればいい」などと言っていたそうです。関係を良くしようと、私たちが休憩時間に飲み物を渡しても、彼らには無視されてしまいました。 ウーバーイーツ詐欺 新大久保駅周辺〈資料写真〉 こうした日々が続き、私は失踪を考え始めました。仕事の過酷さや職場の人間関係も原因ですが、期待していた給料より低かったことが最大の要因でした。このままでは実家の借金をなかなか返せないと思ったのです。手取り給料がせめて150,000円あれば、思いとどまっていたかも知れません。 神奈川に転勤して1カ月後の7月4日(給料日の翌日)、同期のタム君(仮名)と私は失踪しました。そのころ、送出機関の同期で他社から先に失踪していたチェン君(仮名)が東京でウーバーイーツの仕事をしていました。ベトナムのグラブイーツと同じ仕事です。私たちは電車で東京のJR新大久保駅に行き、チェン君を訪ねました。彼は2段ベッドが3台置かれた狭い部屋に住んでいました。部屋の借主の留学生とチェン君ら失踪者3人がおり、私たちもここに1人1万円で2週間住ませてもらいました。 ウーバーイーツ配達員〈資料写真〉 ウーバーイーツの仕事をするにはアカウントを作らなければなりませんが、技能実習生は登録できませできません。そこで、アカウントのヤミ取引が行われています。私たちはチェン君の紹介で自称留学生のベトナム人2人に10万円ずつ払ってアカウントを購入しました。しかし、翌日にはログインできなくなり、彼らと連絡が取れなくなりました。私は売った男のSNS記録から彼の知人を探して男の住所を聞き出し、訪ねて行ってまず5万円を回収しました。ただ、相手はすぐに転居し、残額は回収できませんでした。 不法就労へのプロセス 不法就労現場の畑〈長野県川上村で2020年〉 そこで、私とタム君はFacebookページ“Tokyo Baito”で求人情報を探したり、失踪経験者などに問い合わせたりしました。私たちが使った送出機関の日本語教師(元実習生)2人にも問い合わせると、1人が日本に住む友人をSNSで紹介してくれました。その人からは、太陽光パネルや農業、解体の仕事があると連絡を受けましたが、勤務開始まで2週間かかるとのことだったので遠慮しました。 数日後、Tokyo Baitoで「長野県で農業の仕事。すぐに働ける」という趣旨の投稿を見つけました。私はSNSでたまたまつながっていた失踪実習生に「このバイトは信用できますか?」と尋ねました。彼は「大丈夫だ。この仕事のあっせん業者を紹介する」と言い、トゥンという人物をSNSで紹介してくれました。私とタム君はトゥン氏にメッセージを送り、先に返事をもらったタム君が翌日、長野県に行って農家を紹介されました。私にも1日遅れてトゥン氏から返信があり、偽造在留カードを作るためにパスポートと在留カードの写真を送信するよう指示されました。偽造費用の1万円を送金する際には、他人のキャッシュカードを使いました。私がネットでやり取りして違法に入手したカードでした。 偽造在留カードの費用を振り込むために使った他人のキャッシュカード 7月14日、新幹線で長野県の佐久平駅に着くと、トゥン氏が待っていました。彼が運転する車で約1時間かけて長野県川上村に向かう途中、ホアンという人物も乗車しました。偽造在留カードはまだできておらず、ホアン氏の指示で農家の主人に本物を見せたのですが、主人は承諾しました。 主人は不法就労と知りながら私を雇ったことになります。私はホアン氏に2万円を払い、その日からここに住みました。寮は倉庫の2階でした。 不法就労の実態 午後は草むしりや施肥など〈長野県川上村で2020年〉 農家の仕事はハードでした。朝1時半に起きて、2時から11時半まで働きます。その間、休憩はわずか10分。その後、2時間の昼休みをはさんで13時半から16時半まで働きます。終業後は夕食とシャワーだけ済ませ、19時までに就寝します。未明の仕事では、ヘッドランプで照らしながらレタスの根元を包丁で切って収穫し、サイズを分けて箱詰めした後、トラックに載せます。午後は苗の植え付けや施肥、草むしりなどをします。 作業をするのは日本人3人とベトナム人3人です。川上村と隣の南牧村では約1,500戸の農家が外国人労働者を必要としていますが、新型コロナの影響で外国人の入国が止まり、ホアン氏らの不法就労あっせんに頼る農家が続出していたようです。 失職 ホアンアン社から送られてきたSNSメッセージ 当時はレタス出荷の最盛期で、9月末まで休日なしでしたが、手取り給料は7月(15日間):約15万円(約32,690,000ドン)▽8月:約24万円▽9月:約23万円――あったので、助かりました。ただ、10月には仕事が減り、約15万円になりました。給料はホアン氏らの会社の人が毎月車でやって来て現金で渡してくれました。毎月の出費は4万円くらいで、実家にたくさん送金できました。ただ、冬は給料が減るので、そろそろほかの仕事を探さなければと思っていた矢先、突然解雇されることになりました。 10月13日、会社からSNSで連絡が来ました。「警察に調べられている。ベトナム人労働者との契約を終える方向だ」という趣旨でした。20日、ベトナム人不法就労者100人以上が村の農協に集められ、大阪から来た日本人やホアン氏らから「ホアンアン合同会社に警察の捜査が入ったので、皆さんとの契約を終える。皆さん逃げてください」と通告されました。私は自分がホアンアンの派遣社員だったことを初めて知りました。27日、主人に駅まで車で送ってもらい、東京に戻りました。東京では、知人から紹介されたNPO法人に保護してもらいました。 【編集部からの説明】 「ホアンアン合同会社」は大阪市内の会社で、2020年10月、代表社員の女性やダン・ヴ・ホアン業務執行役員が、無許可で労働者を供給したとして職業安定法違反容疑で逮捕され、その後、起訴されました。 失踪の結末 ◆ わが家の借金と返済の状況 借金 返済 借金残額 1 倒産 700,000,000 đ 700,000,000 đ 2 家と水田売却 250,000,000 đ 450,000,000 đ 3 両親の工場勤務 150,000,000 đ 300,000,000 đ 4 私の訪日費用 190,000,000 đ 490,000,000 đ 5 家財売却 30,000,000 đ 460,000,000 đ 6 親せきの援助 130,000,000 đ 330,000,000 đ 7 私からの送金 150,000,000 đ 180,000,000 đ ※100,000,000₫ =約458,400円(2021年2月22日現在) 失踪して半月後、ビデオ通話中に私の部屋が以前と違うことに気付いた母に追及され、「失踪して農業をしている」と白状しました。母はとても心配しました。 また、富山県の3カ月で計21万円、長野県の4カ月で計50万円を両親に送りましたが、失職後の2カ月間半は無収入でした。失踪すると雇用が安定せず、無職の時期もできるので、失踪せず地道に働き続ける方が、結局はたくさん送金できるようです。 日越ともいき支援会で〈2020年10月〉 私は今では、失踪したことを後悔しています。不法就労は精神的にも疲れました。しかも、農家の仕事は工事現場の仕事と同じぐらいきつかったうえ、夜間や休日の割り増し賃金が支払われませんでした。それなのに、不法就労なのでどこにも相談できませんでした。今なら、技能実習先で困難があれば、まず監理団体に相談します。それでだめなら外国人技能実習機構(OTIT)や民間の支援機関に相談します。 私はNPO法人日越ともいき支援会の支援で2021年1月から介護のアルバイトをしています。今の手取りは11万~13万円ですが、試験に受かって特定技能外国人になれれば、給料が上がり長期間働けます。地道に働いて借金を返し、将来のために貯金もしたいと思います。 今回の先輩 Dung(ズン)さん=仮名 2018年 高校卒業〈ドンナイ省〉 2019年 送出機関に登録〈ホーチミン〉 2020年 訪日(2月)→入国後講習 2020年 建築の技能実習〈富山、神奈川〉 2020年 不法就労(7~10月)〈長野) 2020年 日越ともいき支援会で保護〈東京〉 2021年 介護のアルバイト〈東京〉 〈1998年生まれ、ドンナイ省出身〉 ズンさん(仮名)は技能実習中に失踪し、農家で不法就労をしたが、この仕事を紹介した会社が警察に摘発された。失踪生活で心身ともに疲れ、「失踪せず、支援機関に相談すればよかった」と後悔する。 〈このページの内容〉 • 家業倒産で多額の借金 • 紹介少なく、不人気業種に応募 • 3カ月で労働内容変更 • 不平等な重労働 • ウーバーイーツ詐欺 • 不法就労へのプロセス • 不法就労の実態 • 失職 • 失踪の結末 家業倒産で多額の借金 私の父はアンザン省で稲作と小型船エンジンの販売をしていましたが、私が高校生のときにエンジン販売業が倒産し、約7億ドン(約320万円)の負債ができました。両親は自宅と水田を売って一部を返済し、知人から紹介された家具工場で働くためにドンナイ省に移りました。私と兄は近所の祖父母のもとに残り、両親の生活が落ち着いてから合流しました。 高校2年の途中でドンナイ省に移り、3カ月間は両親と一緒に働き、翌年度に高2をもう一度やり直しました。転校前の成績はクラスの上位3分の1に入っていましたが、多額の借金があるので、進学をあきらめました。そのころ、高校に送出機関が来て技能実習の説明をしました。「日本に行けば、ベトナムでは考えられない額の給料をもらえ、技術も学べる」という説明でした。 私が通った送出機関の日本語センターで旧正月を祝うイベント 紹介少なく、不人気業種に応募 私は技能実習生になろうと思い、どの送出機関に依頼すべきかネットで調べました。「信用できる送出機関ランキング(Top công ty xuất khẩu lao động nhật bản uy tín)」などのキーワードで検索し、約10社をリストアップしました。これらの会社に電話などで問い合わせ、条件や対応のよかった2社を訪問して1社を選びました。同社の担当者は「手取り給料は30,000,000ドン(約138,000円)を超える」と説明しました。 私はこの会社に2019年2月に登録しましたが、リサーチ不足だったことが後で分かりました。人気職種の求人紹介が少なかったのです。たまに良い求人があっても、他の送出機関からの紹介で、採用された場合に20,000,000ドンの追加料金がかかります。このため、6月にやっと最初の面接を受け(不合格)、7月に2回目の面接で合格しました。不人気の建設業でしたが、焦りもあって仕方なく応募したのです。 不合格になった最初の採用面接〈ホーチミン市で2019年6月〉 3カ月で労働内容変更 私は2020年2月に訪日し、3月から富山県で技能実習を始めました。手取り給料は約104,000円(約22,666,000ドン)でした。工場で機械を使って鉄筋を折り曲げ、針金で束ねてから運ぶ仕事でした。 当初の契約書では、1年間はこの作業で、2年目から建築現場で働くことになっていました。しかし、実際には、3カ月で神奈川県に転勤させられて新しい契約書に署名させられ、東京・新宿の超高層ビル建築現場にかり出されました。手取り給料は約135,000円に増えましたが、仕事が過酷なうえ、職場環境にも問題がありました。 短かった富山での生活〈2020年3月〉 不平等な重労働 ここでの仕事は8:00~17:00ですが、家を出るのは5:30、帰宅は19:30でした。いくつかの会社から役割の違うチームが集まり、私たちの会社からは10~20人(半分以上がベトナム人)が出向いていました。私たちの役割は鉄筋を組み立てるための準備ですが、同じチームの若い日本人3人が楽な仕事を取り、私たち実習生は鉄筋運びが中心でした。鉄筋を肩に担いで数十㍍運びます。1人で20㌔以上、2人で約50㌔の鉄筋を運ぶこともあります。鉄筋運びばかりを1日中させられることもあり、歩けなくなるぐらい けなくなるぐらい疲れました。現場責任者が状況を把握しておらず、仕事の割り振りが不平等だったのです。 また、若い日本人3人は休憩時間などに私たちの悪口を言いふらしていました。先輩実習生によると、「仕事のできが悪い」「帰国すればいい」などと言っていたそうです。関係を良くしようと、私たちが休憩時間に飲み物を渡しても、彼らには無視されてしまいました。 新宿の超高層ビル建築現場〈2020年6月〉 ウーバーイーツ詐欺 こうした日々が続き、私は失踪を考え始めました。仕事の過酷さや職場の人間関係も原因ですが、期待していた給料より低かったことが最大の要因でした。このままでは実家の借金をなかなか返せないと思ったのです。手取り給料がせめて150,000円あれば、思いとどまっていたかも知れません 神奈川に転勤して1カ月後の7月4日(給料日の翌日)、同期のタム君(仮名)と私は失踪しました。そのころ、送出機関の同期で他社から先に失踪していたチェン君(仮名)が東京でウーバーイーツの仕事をしていました。ベトナムのグラブイーツと同じ仕事です。私たちは電車で東京のJR新大久保駅に行き、チェン君を訪ねました。彼は2段ベッドが3台置かれた狭い部屋に住んでいました。部屋の借主の留学生とチェン君ら失踪者3人がおり、私たちもここに1人1万円で2週間住ませてもらいました。 新大久保駅周辺〈資料写真〉 ウーバーイーツの仕事をするにはアカウントを作らなければなりませんが、技能実習生は登録できませ できません。そこで、アカウントのヤミ取引が行われています。私たちはチェン君の紹介で自称留学生のベトナム人2人に10万円ずつ払ってアカウントを購入しました。しかし、翌日にはログインできなくなり、彼らと連絡が取れなくなりました。私は売った男のSNS記録から彼の知人を探して男の住所を聞き出し、訪ねて行ってまず5万円を回収しました。ただ、相手はすぐに転居し、残額は回収できませんでした。 ウーバーイーツ配達員〈資料写真〉 不法就労へのプロセス そこで、私とタム君はFacebookページ“Tokyo Baito”で求人情報を探したり、失踪経験者などに問い合わせたりしました。私たちが使った送出機関の日本語教師(元実習生)2人にも問い合わせると、1人が日本に住む友人をSNSで紹介してくれました。その人からは、太陽光パネルや農業、解体の仕事があると連絡を受けましたが、勤務開始まで2週間かかるとのことだったので遠慮しました。 数日後、Tokyo Baitoで「長野県で農業の仕事。すぐに働ける」という趣旨の投稿を見つけました。私はSNSでたまたまつながっていた失踪実習生に「このバイトは信用できますか?」と尋ねました。彼は「大丈夫だ。この仕事のあっせん業者を紹介する」と言い、トゥンという人物をSNSで紹介してくれました。私とタム君はトゥン氏にメッセージを送り、先に返事をもらったタム君が翌日、長野県に行って農家を紹介されました。私にも1日遅れてトゥン氏から返信があり、偽造在留カードを作るためにパスポートと在留カードの写真を送信するよう指示されました。偽造費用の1万円を送金する際には、他人のキャッシュカードを使いました。私がネットでやり取りして違法に入手したカードでした。 不法就労現場の畑〈長野県川上村で2020年〉 7月14日、新幹線で長野県の佐久平駅に着くと、トゥン氏が待っていました。彼が運転する車で約1時間かけて長野県川上村に向かう途中、ホアンという人物も乗車しました。偽造在留カードはまだできておらず、ホアン氏の指示で農家の主人に本物を見せたのですが、主人は承諾しました。主人は不法就労と知りながら私を雇ったことになります。 私はホアン氏に2万円を払い、その日からここに住みました。寮は倉庫の2階でした。 偽造在留カードの費用を振り込むために使った他人のキャッシュカード 不法就労の実態 農家の仕事はハードでした。朝1時半に起きて、2時から11時半まで働きます。その間、休憩はわずか10分。その後、2時間の昼休みをはさんで13時半から16時半まで働きます。終業後は夕食とシャワーだけ済ませ、19時までに就寝します。未明の仕事では、ヘッドランプで照らしながらレタスの根元を包丁で切って収穫し、サイズを分けて箱詰めした後、トラックに載せます。午後は苗の植え付けや施肥、草 むしりなどをします。 作業をするのは日本人3人とベトナム人3人です。川上村と隣の南牧村では約1,500戸の農家が外国人労働者を必要としていますが、新型コロナの影響で外国人の入国が止まり、ホアン氏らの不法就労あっせんに頼る農家が続出していたようです。 午後は草むしりや施肥など〈長野県川上村で2020年〉 失職 当時はレタス出荷の最盛期で、9月末まで休日なしでしたが、手取り給料は7月(15日間):約15万円(約32,690,000ドン)▽8月:約24万円▽9月:約23万円――あったので、助かりました。ただ、10月には仕事が減り、約15万円になりました。給料はホアン氏らの会社の人が毎月車でやって来て現金で渡してくれました。毎月の出費は4万円くらいで、実家にたくさん送金できました。ただ、冬は給料が減るので、そろそろほかの仕事を探さなければと思っていた矢先、突然解雇されることになりました。 10月13日、会社からSNSで連絡が来ました。「警察に調べられている。ベトナム人労働者との契約を終える方向だ」という趣旨でした。0日、ベトナム人不法就労者100人以上が村の農協に集められ、大阪から来た日本人やホアン氏らから「ホアンアン合同会社に警察の捜査が入ったので、皆さんとの契約を終える。皆さん逃げてください」と通告されました。私は自分がホアンアンの派遣社員だったことを初めて知りました。27日、主人に駅まで車で送ってもらい、東京に戻りました。東京では、知人から紹介されたNPO法人に保護してもらいました。 午後は草むしりや施肥など〈長野県川上村で2020年〉 【編集部からの説明】 「ホアンアン合同会社」は大阪市内の会社で、2020年10月、代表社員の女性やダン・ヴ・ホアン業務執行役員が、無許可で労働者を供給したとして職業安定法違反容疑で逮捕され、その後、起訴されました。 失踪の結末 失踪して半月後、ビデオ通話中に私の部屋が以前と違うことに気付いた母に追及され、「失踪して農業をしている」と白状しました。母はとても心配しました。また、富山県の3カ月で計21万円、長野県の4カ月で計50万円を両親に送りましたが、失職後の2カ月間半は無収入でした。失踪すると雇用が安定せず、無職の時期もできるので、失踪せず地道に働き続ける方が、結局はたくさん送金できるようです。 ◆ わが家の借金と返済の状況 借金 返済 借金残額 1 倒産 700,000,000 đ 700,000,000 đ 2 家と水田売却 250,000,000 đ 450,000,000 đ 3 両親の工場勤務 150,000,000 đ 300,000,000 đ 4 私の訪日費用 190,000,000 đ 490,000,000 đ 5 家財売却 30,000,000 đ 460,000,000 đ 6 親せきの援助 130,000,000 đ 330,000,000 đ 7 私からの送金 150,000,000 đ 180,000,000 đ ※100,000,000₫ =約458,400円(2021年2月22日現在) 私は今では、失踪したことを後悔しています。不法就労は精神的にも疲れました。しかも、農家の仕事は工事現場の仕事と同じぐらいきつかったうえ、夜間や休日の割り増し賃金が支払われませんでした。それなのに、不法就労なのでどこにも相談できませんでした。今なら、技能実習先で困難があれば、まず監理団体に相談します。それでだめなら外国人技能実習機構(OTIT)や民間の支援機関に相談します。 私はNPO法人日越ともいき支援会 の支援で2021年1月から介護のアルバイトをしています。今の手取りは11万~13万円ですが、試験に受かって特定技能外国人になれれば、給料が上がり長期間働けます。地道に働いて借金を返し、将来のために貯金もしたいと思います。 日越ともいき支援会で〈2020年10月〉
2021年03月19日
今回の先輩 ホアン・ティ・フエさん 2015年ミーロック高校卒業 2016年送出機関に登録〈ハノイ〉 2017年訪日→講習→技能実習〈愛知県〉 2020年帰国困難で在留期間延長〈愛知県〉 〈1997年生まれ、ナムディン省出身〉 技能実習で訪日すると、送出機関の説明とは違う仕事だった。それでも、日本語の勉強を毎日続けるなど前向きに努力し、職場でもそれ以外でもたくさんの友だちができた。フエさんの充実した日本生活を振り返る。 〈このページの内容〉 • 友だちの影響で日本行きを決心 • 送出機関の費用 • 送出機関の説明と違う仕事 • ベトナムへの送金額 • 日本での生活 • 仲の良い職場仲間 • 職場以外でも友だちたくさん • 毎日勉強しN3合格 • 楽しかった日本生活 友だちの影響で日本行きを決心 送出機関で一緒だった人たち〈ハノイで2017年〉 私は5人姉妹の下から2番目で、両親は小規模農家です。私は高校を卒業後、スーパーマーケットやレストランで働きましたが、長続きしませんでした。このころ、高校の友人10人以上が技能実習や留学で日本に行っており、彼女たちと電話で話すうち、自分も日本に行ってみたくなりました。 友だちには留学生もいましたが、ある友人が学費を払うためにアルバイト時間が超過し、在留資格を更新できなかったというできごとがあったので、私は技能実習を選びました。訪日当初は、料理の仕方がわからず、いつもビデオ電話で両親に聞いてから作りました。また、寮に帰って同期と一緒に食事をした後、寝室に入ると1人なので寂しくなり、よく両親に電話しました。 送出機関の費用 ・技能実習の送出機関…姉の友人が使った送出機関 ・送出機関に支払った費用…全部で6,000 USD(ドル札で支払い)。送出手数料以外に日本語授業料や寮費、制服代も含む。資金は親や姉たちの貯金から。 ・同期数名が支払った費用は私より500 USD以上高かった。送出機関から紹介者に紹介手数料料が支払われたと思われる。 私はこの送出機関に2016年12月に登録し、二つ目の面接に合格しました。面接を受けた約10人のうち私を含む3人が合格し、実習先の寮で一緒に暮らすことになりました。面接に合格後、送出機関の寮に入り、日本語センターで4カ月間、勉強しました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・紹介手数料は規定違反です。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 〈参考〉こんなに違う送出機関の費用 送出機関の説明と違う仕事 私は2017年4月に訪日し、5月から愛知県の水産加工工場で技能実習を始めました。さんまの蒲焼きやいわしの生姜煮(しょうがに)などを作る仕事です。魚を解凍したり煮たり焼いたりします。冷凍庫から魚を運んで頭を切る仕事もあります。かごに入った冷凍魚を運ぶ際は、とても重いです。 送出機関からは「寿司を作る仕事」と説明されたのですが、日本に来てみたら違っていました。最初の日にだまされたことに気付き、寮に帰ってから母に電話し、悔しくて一緒に泣きました。同期2人と一緒に翌日、送出機関に電話しましたが、若い女性担当者は謝るでもなく、「え、仕事内容が違いましたか?でも、もう日本に行ったのだから、頑張ってください」と答えるのみでした。6,000 USDも使って日本に来たので、今さらベトナムには帰れません。あきらめて働くしかありませんでした。 ベトナムへの送金額 工場では30人以上が働いています。そのうちベトナム人は11人(先輩3人は特定技能)いましたが、私の同期2人は2020年に特定技能で他社に移りました。技能実習を終えたのに新型コロナの影響で帰国できない実習生が特定技能に移るケースがたくさんあります。特定技能の登録支援機関などがベトナム人向けのFacebookページに特定技能の求人をたくさん出しています。 私の給料は、残業が多いときと少ないときとで差が激しく、2020年9月は手取り約125,000円(約27,226,000 VND)、10月は約165,000円でしたが、7月は約89,000円しかありませんでした。支給額が安定しないことが、同期2人が他社に移った理由です。私は2020年4月に技能実習が終わった後、帰国したかったのですが、新型コロナで帰国が難しいため在留期間の延長が認められ、今も働いています。おかげで、これまでに約320万円(約696,854,000 VND)をベトナムに送金できました。 日本での生活 ベトナム語ガイド付きのバスツアーに参加〈岐阜県飛騨市で2020年〉 会社から寮(アパート)までは自転車で20分以上かかります。ここには現在、ベトナム人7人が3軒に分かれて住んでいます。寝室は1人1室ずつで、炊飯器や冷蔵庫も1人1台ずつあります。寮費は約27,700円(定額)で、ここに水道・光熱費やWi-Fi代も含まれています。 これまでに、年末年始などの長期休暇を利用して東京、横浜、大阪、神戸、京都などに旅行に行きました。旅先にベトナム人仲間がいれば泊めてもらうこともありますが、ホテルを利用することもあります。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,770 VND(2021年2月19日現在)) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 85,000円~190,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は27,700円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 45,000円) 食費 20,000円 ※自炊 雑費 25,000円 ※交通費、外食費、衣料、雑貨など 差額・貯金(40,000円~145,000円) 仲の良い職場仲間 浴衣の古着を買って職場仲間と花火大会へ〈愛知県で2019年〉 職場のベトナム人はとても仲良しです。だれかの誕生日には一緒にケーキを食べて祝います。週末には一緒に名古屋に行ったり、花見や花火見物に行ったり、長期休暇には旅行に行ったりもします。また、寮の部屋で食事会をすることも多く、男子の後輩実習生やネパール人の同僚を呼ぶこともあります。 職場仲間と一緒に桜の花見〈2019年〉 私の部屋で職場仲間と食事会〈2019年〉 職場以外でも友だちたくさん 名古屋のベトナム料理店でナムディン仲間の宴会〈2019年〉 私は月に4、5回、名古屋などに出かけます。愛知県名古屋市は日本有数の大都会です。愛知県や周辺にはベトナム人の技能実習生も留学生も多く、一緒に遊ぶ友だちがたくさんいます。 例えば、送出機関で一緒に勉強した仲間が愛知県や周辺で働いており、ときどき一緒に食事や観光を楽しんでいます。高校の同級生も愛知県だけで約10人います。この仲間とも一緒に桜を見に行ったり、ベトナム人仲間のサッカーを見物しに行ったりします。また、「愛知県在住ナムディン出身者の会」というFacebookグループがあり、全国各地のナムディン出身者が毎月のように名古屋に集まっています。 毎日勉強しN3合格 ベトナム人仲間や日本人の友人とブドウ狩り〈愛知県で2019年〉 訪日当初は、日本語で仕事の指示をされてもほとんど理解できず、先輩のベトナム人がサポートしてくれました。このままではいけないと思い、毎日1、2時間勉強するようにしました。また、2年目からは毎週2回、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けてきました。Skypeを使ってボランティアの日本人の先生が文法や漢字などを教えてくれます。宿題もあり、先生が添削をしてくださいます。 訪日して2年余りでJLPT(日本語能力試験)・N3に合格し、今では、昼休みに職場の日本人女性たちと雑談をしたり、ベトナム人仲間と遊びにいくときに日本人の友だちを誘ったりすることもあります。 Lotus Works 楽しかった日本生活 訪日後に知り合ったベトナム人仲間とサッカー見物〈愛知県で2019年〉 私はこのようにたくさんのベトナム人仲間や日本人と交流し、日本で貴重な年月を過ごすことができました。職場で日本人とコミュニケーションできたことや仲の良いベトナム人仲間がいたことが大きかったと思います。在留期間があと約3カ月残っていますので、引き続き日本生活を楽しみます。ベトナムに帰ったらいつかファッション・ショップを開くのが夢です。 今回の先輩 Hoàng Thị Huệ(ホアン・ティ・フエ)さん 2015年Trường THPT Mỹ Lộc(ミーロック高校)卒業 2016年送出機関に登録〈ハノイ〉 2017年訪日→講習→技能実習〈愛知〉 2020年帰国困難で在留期間延長〈愛知〉 〈1997年生まれ、ナムディン省出身〉 技能実習で訪日すると、送出機関の説明とは違う仕事だった。それでも、日本語の勉強を毎日続けるなど前向きに努力し、職場でもそれ以外でもたくさんの友だちができた。フエさんの充実した日本生活を振り返る。 〈このページの内容〉 • 友だちの影響で日本行きを決心 • 送出機関の費用 • 送出機関の説明と違う仕事 • ベトナムへの送金額 • 日本での生活 • 仲の良い職場仲間 • 職場以外でも友だちたくさん • 毎日勉強しN3合格 • 楽しかった日本生活 友だちの影響で日本行きを決心 私は5人姉妹の下から2番目で、両親は小規模農家です。私は高校を卒業後、スーパーマーケットやレストランで働きましたが、長続きしませんでした。このころ、高校の友人10人以上が技能実習や留学で日本に行っており、彼女たちと電話で話すうち、自分も日本に行ってみたくなりました。 友だちには留学生もいましたが、ある友人が学費を払うためにアルバイト時間が超過し、在留資格を更新できなかったというできごとがあったので、私は技能実習を選びました。訪日当初は、料理の仕方がわからず、いつもビデオ電話で両親に聞いてから作りました。また、寮に帰って同期と一緒に食事をした後、寝室に入ると1人なので寂しくなり、よく両親に電話しました。 送出機関で一緒だった人たち〈ハノイで2017年〉 送出機関の費用 ・技能実習の送出機関…姉の友人が使った送出機関 ・送出機関に支払った費用…全部で6,000 USD(ドル札で支払い)。送出手数料以外に日本語授業料や寮費、制服代も含む。資金は親や姉たちの貯金から。 ・同期数名が支払った費用は私より500 USD以上高かった。送出機関から紹介者に紹介手数料料が支払われたと思われる。 私はこの送出機関に2016年12月に登録し、二つ目の面接に合格しました。面接を受けた約10人のうち私を含む3人が合格し、実習先の寮で一緒に暮らすことになりました。面接に合格後、送出機関の寮に入り、日本語センターで4カ月間、勉強しました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・紹介手数料は規定違反です。 ・知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 〈参考〉こんなに違う送出機関の費用 送出機関の説明と違う仕事 私は2017年4月に訪日し、5月から愛知県の水産加工工場で技能実習を始めました。さんまの蒲焼きやいわしの生姜煮(しょうがに)などを作る仕事です。魚を解凍したり煮たり焼いたりします。冷凍庫から魚を運んで頭を切る仕事もあります。かごに入った冷凍魚を運ぶ際は、とても重いです。 送出機関からは「寿司を作る仕事」と説明されたのですが、日本に来てみたら違っていました。最初の日にだまされたことに気付き、寮に帰ってから母に電話し、悔しくて一緒に泣きました。同期2人と一緒に翌日、送出機関に電話しましたが、若い女性担当者は謝るでもなく、「え、仕事内容が違いましたか?でも、もう日本に行ったのだから、頑張ってください」と答えるのみでした。6,000 USDも使って日本に来たので、今さらベトナムには帰れません。あきらめて働くしかありませんでした。 ベトナムへの送金額 工場では30人以上が働いています。そのうちベトナム人は11人(先輩3人は特定技能)いましたが、私の同期2人は2020年に特定技能で他社に移りました。技能実習を終えたのに新型コロナの影響で帰国できない実習生が特定技能に移るケースがたくさんあります。特定技能の登録支援機関などがベトナム人向けのFacebookページに特定技能の求人をたくさん出しています。 私の給料は、残業が多いときと少ないときとで差が激しく、2020年9月は手取り約125,000円(約27,226,000 VND)、10月は約165,000円でしたが、7月は約89,000円しかありませんでした。支給額が安定しないことが、同期2人が他社に移った理由です。私は2020年4月に技能実習が終わった後、帰国したかったのですが、新型コロナで帰国が難しいため在留期間の延長が認められ、今も働いています。おかげで、これまでに約320万円(約696,854,000 VND)をベトナムに送金できました。 日本での生活 会社から寮(アパート)までは自転車で20分以上かかります。ここには現在、ベトナム人7人が3軒に分かれて住んでいます。寝室は1人1室ずつで、炊飯器や冷蔵庫も1人1台ずつあります。寮費は約27,700円(定額)で、ここに水道・光熱費やWi-Fi代も含まれています。 これまでに、年末年始などの長期休暇を利用して東京、横浜、大阪、神戸、京都などに旅行に行きました。旅先にベトナム人仲間がいれば泊めてもらうこともありますが、ホテルを利用することもあります。 ベトナム語ガイド付きのバスツアーに参加〈岐阜県飛騨市で2020年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,770 VND(2021年2月19日現在) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 85,000円~190,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は27,700円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 45,000円) 食費 20,000円 ※自炊 雑費 25,000円 ※交通費、外食費、衣料、雑貨など 差額・貯金(40,000円~145,000円) 仲の良い職場仲間 職場のベトナム人はとても仲良しです。だれかの誕生日には一緒にケーキを食べて祝います。週末には一緒に名古屋に行ったり、花見や花火見物に行ったり、長期休暇には旅行に行ったりもします。また、寮の部屋で食事会をすることも多く、男子の後輩実習生やネパール人の同僚を呼ぶこともあります。 浴衣の古着を買って職場仲間と花火大会へ〈愛知県で2019年〉 職場仲間と一緒に桜の花見〈2019年〉 私の部屋で職場仲間と食事会〈2019年〉 職場以外でも友だちたくさん 私は月に4、5回、名古屋などに出かけます。愛知県名古屋市は日本有数の大都会です。愛知県や周辺にはベトナム人の技能実習生も留学生も多く、一緒に遊ぶ友だちがたくさんいます。 例えば、送出機関で一緒に勉強した仲間が愛知県や周辺で働いており、ときどき一緒に食事や観光を楽しんでいます。高校の同級生も愛知県だけで約10人います。この仲間とも一緒に桜を見に行ったり、ベトナム人仲間のサッカーを見物しに行ったりします。また、「愛知県在住ナムディン出身者の会」というFacebookグループがあり、全国各地のナムディン出身者が毎月のように名古屋に集まっています。 名古屋のベトナム料理店でナムディン仲間の宴会〈2019年〉 毎日勉強しN3合格 訪日当初は、日本語で仕事の指示をされてもほとんど理解できず、先輩のベトナム人がサポートしてくれました。このままではいけないと思い、毎日1、2時間勉強するようにしました。また、2年目からは毎週2回、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けてきました。Skypeを使ってボランティアの日本人の先生が文法や漢字などを教えてくれます。宿題もあり、先生が添削をしてくださいます。 訪日して2年余りでJLPT(日本語能力試験)・N3に合格し、今では、昼休みに職場の日本人女性たちと雑談をしたり、ベトナム人仲間と遊びにいくときに日本人の友だちを誘ったりすることもあります。 Lotus Works ベトナム人仲間や日本人の友人とブドウ狩り〈愛知県で2019年〉 楽しかった日本生活 私はこのようにたくさんのベトナム人仲間や日本人と交流し、日本で貴重な年月を過ごすことができました。職場で日本人とコミュニケーションできたことや仲の良いベトナム人仲間がいたことが大きかったと思います。在留期間があと約3カ月残っていますので、引き続き日本生活を楽しみます。ベトナムに帰ったらいつかファッション・ショップを開くのが夢です。 訪日後に知り合ったベトナム人仲間とサッカー見物〈愛知県で2019年〉
2021年03月02日
今回の先輩 レ・ティ・シムさん 2005年チャンフンダオ高校卒業〈ハイフォン市〉 2009年ホアビン社勤務〈ハイフォン市〉 2011年結婚 2012年退職、長女出産 2014年長男出産 2017年送出機関登録 2018年訪日→講習→技能実習〈福島県〉 〈1987年生まれ、ハイフォン出身〉 山の中の寮から買い物先のスーパーまで車で1時間近くかかるのに、会社が連れて行ってくれるのは月に1度だけ。休日も毎月4、5日間だけで、GWも夏休みも正月休みもなし。悪条件の技能実習体験を紹介する。 〈このページの内容〉 • 訪日の理由と送出機関 • 山の中にある古い寮 • 鶏舎の環境 • スーパーまで30㌔ • 連休がない • 子どものために耐える母親たち • 子どもたちに毎日電話 • 日本語学習 • 日本での生活費と送金 訪日の理由と送出機関 送出機関で年下の仲間たちと一緒に日本語を勉強〈2018年1月〉 私は大学を卒業後、肥料や種子などを製造する会社で3年間働きましたが、出産前に退職し、その後は家事・子育てをしていました。夫の給料は平均以上ですが、私は子どもたちによい教育を受けさせたいのと、起業するための資金を貯めたいので日本に行くことにしました。現在、私の実家に両親と私の家族3人、妹家族3人の計8人が住み、私だけが日本にいます。 私は、日本で先に技能実習をした大学の同級生から、彼女が使ったハノイの送出機関を紹介してもらいました。紹介料はありません。費用は送出手数料や授業料、寮費などすべて含めて6,000ドルでした。このうち5,000ドルは別の友人から借り、訪日後1年間で返済しました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・下記の記事を参考に、知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 山の中にある古い寮 私たちの寮の風呂〈2020年11月〉 私は2018年6月に訪日し、福島県の養鶏場で技能実習をしています。この養鶏場は全国組織で、福島県だけで9カ所に分かれて24人のベトナム人技能実習生が働いています。日本の監理団体の担当者(年配の男性)は毎月1回、私たちの職場や寮に来ますが、通訳は連れてきません。簡単な話しかできないので、この人を通じて会社にお願いし扇風機を買ってもらったことがあるぐらいです。技能実習生の寮は複数あり、新しい寮にはエアコンがありますが、私たちの寮はとても古く、エアコンもなく、お風呂もとても汚いです。 私たちの住む寮〈2020年11月〉 また、私は野菜栽培が好きなので、当初、寮の前で空心菜やトマト、ジャガイモなどを育てましたが、すべてイノシシに食べられてしまいました。無事だったのはカボチャぐらいなので、最近はカボチャだけを育てています。周囲にはイノシシやヘビがたくさんいますし、街灯もほとんどないので、夜は恐くて外に出られません。 鶏舎の環境 私たちの職場〈2020年〉 ニワトリにエサをあげたり病気の予防薬を投与したり、卵を拾って選別し箱に入れたりするのが私たちの主な仕事です。鶏舎内の掃除もします。鶏舎はにおいがきついうえ、冷暖房がなく、冬は寒く夏はとても暑いです。また、羽やチップなどでほこりがひどく、帽子やマスクを着けていても、覆いきれない部分が汚れて真っ黒になります。このため、仕事が終わって帰宅したら、まずは順番にシャワーを浴びます。 スーパーまで30㌔ スーパーでの買い物は月に1回だけ 私たちの職場や寮は山の中腹にあります。寮から一番近い商店はガソリンスタンドに併設された小さな売店ですが、そこまで約3・5㌔もあります。同僚と一緒に2、3度この店まで歩いて行ったことがありますが、往復約2時間かかりました。しかし、帰りはずっと上り坂なので自転車では行けません。また、街灯がほとんどないので、夕方以降は出歩けません。 スーパーマーケットのある市街地までは約30㌔もあり、車で1時間近くかかります。職場のおじいさん、おばあさんが私たちを乗用車で市街地に連れて行ってくれますが、一度に乗れるのは5人までで、順番が回ってくるのは月に1度だけです。朝9時に寮を出てショッピングモールなどを3、4軒回り、夕方5時に帰宅します。1カ月分の食料と日用品を買うので、すごい量の荷物になります。 連休がない 養鶏場からの風景。山から出られるのは月に1度だけ〈2020年11月〉 このように辺ぴな場所に住んでいるうえ、毎月4日間しか休みがないので、遊びに行くことがまったくできません。日本に来て2年半以上経ちましたが、外出は月1回の買い物だけで、観光地や娯楽施設に遊びに行ったことは一度もありません。 残業がなく、代わりに毎月4~5日間の休日出勤があるため、連休がありません。ゴールデンウイークや夏休みや正月休みもなく、単発の有給休暇がたまにつくだけです。日本にいる間に一度ぐらい、観光地に遊びに行きたいものです。 【編集部からのアドバイス】 ・このような不便な場所に住ませながら、会社が月1回しか買い物に連れて行かず、社員旅行に連れていくなどの配慮もしないのは、非常に条件の悪い事例です。このような実習先を避けるためにも、よい送出機関を選びましょう。下記の記事では送出機関の選び方も詳しく説明しています。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 ・半年以上勤務した技能実習生は1年に10~12日間の有給休暇をもらえます。有給休暇を十分にもらえない場合は、監理団体に相談しましょう。それでも解決しない場合は、外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語で相談内容を送信できます。電話もあります(0120-250-168)。 ・万一、OTITに相談しても解決しない場合は、次のような民間の相談機関もあります。 日越ともいき支援会 外国人実習生支援(Facebook) 子どものために耐える母親たち 山奥の冷暖房のない職場だとは知らずに応募しました このように条件の悪い職場ですが、この仕事に応募した理由は次の通りです。 ・早く日本に行きたいので、受かりそうな求人に応募した。30代の子持ちだと、人気のある職種には採用されにくいと思った。 ・送出機関の説明が不十分で、職場環境や寮の内容、休日の少なさがよく分からなかった。 今の生活はとても不便で労働環境も劣悪です。しかし、実習仲間のほとんどが母親で、子どもによい教育を受けさせたいという一心で、皆がまんして働いています。 子どもたちに毎日電話 長女と長男〈ハイフォンで2017年10月〉 私は長女(小3)や長男(小1)と毎晩約1時間、ビデオ電話で話をします。仕事の苦労や生活の不便はありますが、子どもたちの笑顔を見ると、もっと頑張ろうという気持ちになります。同僚仲間も皆、私と同じように子どもたちに毎日電話をしています。ただ、2年以上も子どもたちと会えずに過ごすのはとてもつらいです。娘も息子も電話のたびに「お母さんに会いたい」「お母さん早く帰ってきて」と私に言います。私も子どもたちに会いたくて仕方ありません。 日本語学習 Skypeで日本人先生と会話〈2020年11月〉 寮では毎晩約2時間、日本語の勉強をしています。休日も出かけることがほとんどないので、日本語を身に付けて将来の仕事の幅を広げたいと思って努力しています。教材は定番の「新完全マスター」シリーズや「耳から覚える」シリーズなどです また、職場で日本人と会話をすることもあまりないので、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けています。毎週2回(30~60分)、Skypeを使ってボランティアの日本人の先生から文法や漢字などを教わっています。会話やヒアリングの練習にもなります。宿題もあり、先生が添削をしてくださいます。 【特集】N1・N2合格者たちの勉強法(教材編) Lotus Works 日本での生活費と送金 娘と一緒に〈ハイフォンで2015年6月〉 今の職場でよかった点は、新型コロナの感染拡大後も仕事が減らず、安定した給料をもらえたことです。毎月26~27日間働き、3カ月に一度、実家に平均30万円を送金します。3年間の仕送り総額は300万円を超えそうです。遊びにいけないので、お金を使う機会がないという理由もあります。 実家に送ったお金から家族の生活費や教育費、友人への借金返済費などを引いても半分ぐらい残るので、そのお金で将来、肥料や種子などを販売する会社を設立したいと思っています。今の養鶏場には、技能実習を5年やる先輩や技能実習修了後に特定技能に移行した先輩もいますが、私は子どもたちが小さいので3年で帰国するつもりです。 私の家計簿(1カ月の平均) 100円=22,449 VND(2021年1月6日現在) 手取り給料(平均140,000円) 手取り給料 137,000円~142,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は11,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 35,000円~40,000円) 食費 30,000円 ※自炊 雑費 5,000円~10,000円 ※雑貨、医薬品など 差額・貯金(平均100,000円) 貯金 平均100,000円 ある日の買い物。1度の買い物でスーパーを3、4軒回ります。〈2020年〉 今回の先輩 Lê Thị Xim (レ・ティ・シム)さん 2005年Trần Hưng Đạo高校卒業〈ハイフォン〉 2009年Hoà Bình社勤務〈ハイフォン〉 2011年結婚 2012年退職、長女出産 2014年長男出産 2017年送出機関登録 2018年訪日→講習→技能実習〈福島〉 〈1987年生まれ、ハイフォン出身〉 山の中の寮から買い物先のスーパーまで車で1時間近くかかるのに、会社が連れて行ってくれるのは月に1度だけ。休日も毎月4、5日間だけで、GWも夏休みも正月休みもなし。悪条件の技能実習体験を紹介する。 〈このページの内容〉 • 訪日の理由と送出機関 • 山の中にある古い寮 • 鶏舎の環境 • スーパーまで30㌔ • 連休がない • 子どものために耐える母親たち • 子どもたちに毎日電話 • 日本語学習 • 日本での生活費と送金 訪日の理由と送出機関 私は大学を卒業後、肥料や種子などを製造する会社で3年間働きましたが、出産前に退職し、その後は家事・子育てをしていました。夫の給料は平均以上ですが、私は子どもたちによい教育を受けさせたいのと、起業するための資金を貯めたいので日本に行くことにしました。現在、私の実家に両親と私の家族3人、妹家族3人の計8人が住み、私だけが日本にいます。 私は、日本で先に技能実習をした大学の同級生から、彼女が使ったハノイの送出機関を紹介してもらいました。紹介料はありません。費用は送出手数料や授業料、寮費などすべて含めて6,000ドルでした。このうち5,000ドルは別の友人から借り、訪日後1年間で返済しました。 送出機関で年下の仲間たちと一緒に日本語を勉強〈2018年1月〉 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高いからといって日本での給料が高いわけではありません。 ・ベトナム政府の規定で3年契約の場合の送出手数料は3,600ドル以下と決められています。 ・下記の記事を参考に、知人の紹介だけに頼らず自分でも送出機関を探しましょう。費用を数千ドル節約できる場合もあります。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 山の中にある古い寮 私は2018年6月に訪日し、福島県の養鶏場で技能実習をしています。この養鶏場は全国組織で、福島県だけで9カ所に分かれて24人のベトナム人技能実習生が働いています。日本の監理団体の担当者(年配の男性)は毎月1回、私たちの職場や寮に来ますが、通訳は連れてきません。簡単な話しかできないので、この人を通じて会社にお願いし扇風機を買ってもらったことがあるぐらいです。技能実習生の寮は複数あり、新しい寮にはエアコンがありますが、私たちの寮はとても古く、エアコンもなく、お風呂もとても汚いです。 私たちの寮の風呂〈2020年11月〉 また、私は野菜栽培が好きなので、当初、寮の前で空心菜やトマト、ジャガイモなどを育てましたが、すべてイノシシに食べられてしまいました。無事だったのはカボチャぐらいなので、最近はカボチャだけを育てています。周囲にはイノシシやヘビがたくさんいますし、街灯もほとんどないので、夜は恐くて外に出られません。 私たちの住む寮〈2020年11月〉 鶏舎の環境 ニワトリにエサをあげたり病気の予防薬を投与したり、卵を拾って選別し箱に入れたりするのが私たちの主な仕事です。鶏舎内の掃除もします。鶏舎はにおいがきついうえ、冷暖房がなく、冬は寒く夏はとても暑いです。また、羽やチップなどでほこりがひどく、帽子やマスクを着けていても、覆いきれない部分が汚れて真っ黒になります。このため、仕事が終わって帰宅したら、まずは順番にシャワーを浴びます。 私たちの職場〈2020年〉 スーパーまで30㌔ 私たちの職場や寮は山の中腹にあります。寮から一番近い商店はガソリンスタンドに併設された小さな売店ですが、そこまで約3・5㌔もあります。同僚と一緒に2、3度この店まで歩いて行ったことがありますが、往復約2時間かかりました。しかし、帰りはずっと上り坂なので自転車では行けません。また、街灯がほとんどないので、夕方以降は出歩けません。 スーパーマーケットのある市街地までは約30㌔もあり、車で1時間近くかかります。職場のおじいさん、おばあさんが私たちを乗用車で市街地に連れて行ってくれますが、一度に乗れるのは5人までで、順番が回ってくるのは月に1度だけです。朝9時に寮を出てショッピングモールなどを3、4軒回り、夕方5時に帰宅します。1カ月分の食料と日用品を買うので、すごい量の荷物になります。 スーパーでの買い物は月に1回だけ 連休がない このように辺ぴな場所に住んでいるうえ、毎月4日間しか休みがないので、遊びに行くことがまったくできません。日本に来て2年半以上経ちましたが、外出は月1回の買い物だけで、観光地や娯楽施設に遊びに行ったことは一度もありません。 残業がなく、代わりに毎月4~5日間の休日出勤があるため、連休がありません。ゴールデンウイークや夏休みや正月休みもなく、単発の有給休暇がたまにつくだけです。日本にいる間に一度ぐらい、観光地に遊びに行きたいものです。 養鶏場からの風景。山から出られるのは月に1度だけ〈2020年11月〉 【編集部からのアドバイス】 ・このような不便な場所に住ませながら、会社が月1回しか買い物に連れて行かず、社員旅行に連れていくなどの配慮もしないのは、非常に条件の悪い事例です。このような実習先を避けるためにも、よい送出機関を選びましょう。下記の記事では送出機関の選び方も詳しく説明しています。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 ・半年以上勤務した技能実習生は1年に10~12日間の有給休暇をもらえます。有給休暇を十分にもらえない場合は、監理団体に相談しましょう。それでも解決しない場合は、外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語で相談内容を送信できます。電話もあります(0120-250-168)。 ・万一、OTITに相談しても解決しない場合は、次のような民間の相談機関もあります。 日越ともいき支援会 外国人実習生支援(Facebook) 子どものために耐える母親たち このように条件の悪い職場ですが、この仕事に応募した理由は次の通りです。 ・早く日本に行きたいので、受かりそうな求人に応募した。30代の子持ちだと、人気のある職種には採用されにくいと思った。 ・送出機関の説明が不十分で、職場環境や寮の内容、休日の少なさがよく分からなかった。 今の生活はとても不便で労働環境も劣悪です。しかし、実習仲間のほとんどが母親で、子どもによい教育を受けさせたいという一心で、皆がまんして働いています。 山奥の冷暖房のない職場だとは知らずに応募しました 子どもたちに毎日電話 私は長女(小3)や長男(小1)と毎晩約1時間、ビデオ電話で話をします。仕事の苦労や生活の不便はありますが、子どもたちの笑顔を見ると、もっと頑張ろうという気持ちになります。同僚仲間も皆、私と同じように子どもたちに毎日電話をしています。ただ、2年以上も子どもたちと会えずに過ごすのはとてもつらいです。娘も息子も電話のたびに「お母さんに会いたい」「お母さん早く帰ってきて」と私に言います。私も子どもたちに会いたくて仕方ありません。 長女と長男〈ハイフォンで2017年10月〉 日本語学習 寮では毎晩約2時間、日本語の勉強をしています。休日も出かけることがほとんどないので、日本語を身に付けて将来の仕事の幅を広げたいと思って努力しています。教材は定番の「新完全マスター」シリーズや「耳から覚える」シリーズなどです また、職場で日本人と会話をすることもあまりないので、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けています。毎週2回(30~60分)、Skypeを使ってボランティアの日本人の先生から文法や漢字などを教わっています。会話やヒアリングの練習にもなります。宿題もあり、先生が添削をしてくださいます。 【特集】N1・N2合格者たちの勉強法(教材編) Lotus Works Skypeで日本人先生と会話〈2020年11月〉 日本での生活費と送金 今の職場でよかった点は、新型コロナの感染拡大後も仕事が減らず、安定した給料をもらえたことです。毎月26~27日間働き、3カ月に一度、実家に平均30万円を送金します。3年間の仕送り総額は300万円を超えそうです。遊びにいけないので、お金を使う機会がないという理由もあります。 実家に送ったお金から家族の生活費や教育費、友人への借金返済費などを引いても半分ぐらい残るので、そのお金で将来、肥料や種子などを販売する会社を設立したいと思っています。今の養鶏場には、技能実習を5年やる先輩や技能実習修了後に特定技能に移行した先輩もいますが、私は子どもたちが小さいので3年で帰国するつもりです。 娘と一緒に〈ハイフォンで2015年6月〉 私の家計簿(1カ月の平均) 100円=22,449 VND(2021年1月6日現在) 手取り給料(平均140,000円) 手取り給料 137,000円~142,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は11,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(平均 35,000円~40,000円) 食費 30,000円 ※自炊 雑費 5,000円~10,000円 ※雑貨、医薬品など 差額・貯金(平均100,000円) 貯金 平均100,000円 ある日の買い物。1度の買い物でスーパーを3、4軒回ります。〈2020年〉
2021年01月28日
今回の先輩 グエン・ティ・ムンさん 2015年レホンフォン高校卒業〈ゲアン県〉 2015年バリアブンタウ大学入学 2016年大学中退、送出機関登録〈ハノイ〉 2017年訪日。講習後、技能実習開始〈長野県〉 2018年失踪〈長野県→愛知県〉 2019年転職〈大阪〉 〈1997年生まれ、ゲアン省出身〉 工場での技能実習以外に動物の世話やベビーシッターを長時間させられ、残業代ももらえなかったムンさん。社長の度重なる暴言もあって失踪したが、残った後輩たちを助けようと支援機関に相談した。すると、労基署が捜査に乗り出し、OTITも動いて……。 〈このページの内容〉 • 大学を中退し技能実習 • 送出機関 • 工場勤務なのにペットショップの仕事 • ベビーシッター • 心の糸が切れて失踪 • 日本人は親切だった • 失踪生活 •「外国人実習生支援」 • 行政が動いた! • 転籍 • 新しい職場 • 今の生活 大学を中退し技能実習 送出機関の日本語センターの先生や仲間〈ハノイで2017年〉 私は6人兄弟の5番目です。父は病気で2009年から仕事ができず(2019年に死亡)、母が農業で家計を支えていました。私は大学で1年間勉強しましたが、実家が苦しいのに自分だけ大学に通うことが心苦しく、中退して技能実習をすることを決意しました。家族は中退に反対しましたが、私の故郷では、多くの友人が大学に進まず外国で働いていたので、私も同じように働いて両親を助けたいと思ったのです。 送出機関 私はハノイの送出機関に登録し、全部で6,400ドルを支払いました。それ以外に、送出機関を紹介してくれた親せきの友人にも20,000,000ドン払いました。他に食費や交通費もあり、父は計200,000,000ドンを銀行から借りました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高くても日本での給料が高いとは限りません。 ・ベトナム政府の規定で、送出機関の日本語教育費は約520時間に対し5,900,000VND以下、送出手数料は3,600 USD以下(3年契約の場合)となっています。 ・送出機関は、紹介者が紹介料を受け取ることを認めてはいけません。 ☆この記事を参考に送出機関を自分でも探しましょう。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 工場勤務なのにペットショップの仕事 飼育小屋で清掃をする同僚〈2017年〉 私は2017年6月に長野県の工場で技能実習を始めました。しかし、機械加工の実習以外に、この会社が経営するペットショップでも仕事をさせられました。毎日、朝から工場で働いた後、私を含む3人が車でペットショップに移動し、15時から19時まで仕事をしました。鳥や動物へのエサやり▽飼育小屋の掃除▽販売用のエサの包装――などです。土曜日は朝から晩までペットショップで、隣接するバラ園でせん定や掃除もさせられました。 また、寮で最初の1年間はWi-Fiのパスワードを教えてもらえず、自由に電話できませんでした。先輩も社長から怒られるので、パスワードを教えてくれません。訪日して約3カ月たったある日、先輩の携帯電話を借りて初めて家族に連絡できました。その後も、社長の目があるので自由に電話できませんでした。 ベビーシッター 仕事を記録した私のメモ(黒塗り部分は赤ちゃんの名前)〈2018年1月〉 技能実習生は工場のそばの寮に住みましたが、私を含む数人だけが2017年11月、ペットショップに近い監理団体の研修センターに移されました。社長は監理団体の理事長も兼ねており、私たちをセンターに住ませ、自分も2018年1月に1歳の娘と2人でここに移ってきました。それ以来、私たち実習生が社長の食事作りや洗濯、赤ちゃんの子守をすることになりました。また、毎日朝から鳥や犬にエサをあげたり、深夜に社長の飼っていたハトの世話をしたりもしました。 後輩実習生たちと私〈センターで2018年8月〉 失踪までの約10カ月間、私は毎日ベビーシッターをしました。赤ちゃんは私に一番なついていたので、主に私の担当でした。19時にセンターに帰り、23時から赤ちゃんと遊んだり寝かしつけたりし、1時までかかることもよくありました。おむつ交換もしました。休日もペットショップの仕事か赤ちゃんの世話です。私はこの子が好きでしたが、残業代は一円ももらえませんでした。 心の糸が切れて失踪 このような無賃労働に加え、私たちは社長からよく怒鳴られました。2018年8月に来た後輩実習生3人は日本語が分からず、社長の指示を理解できません。そんなとき、社長は「なぜ、こいつらにきちんと仕事を教えないんだ!」と私に怒鳴りました。社長はそれ以外にも気に入らないことがあるとよく激高しました。そのため男の実習生2人が失踪しました。私も同年10月のある夜、理由も分からずにひどく怒鳴られ、心の糸が切れてしまいました。 「もうここには居られない」と思い立ち、怒鳴られた3時間後にセンターを出ました。夜0時ごろのことでした。約600㍍離れた高速バス乗り場まで歩き、「私、名古屋に行きたいですけど、バスはどれですか」と聞いて名古屋行きのバスに乗ったのです。 日本人は親切だった 向かった先は愛知県の技能実習生たちの寮でした。彼らの1人を訪日前に紹介され、SNSで情報交換を続けていました。悩みを聞いてもらうこともあり、「もし失踪したら、うちにおいで」と言ってくれていました。しかし、実際に失踪するつもりはなかったので、寮への行き方が分かりません。そんな私を、道行く人たちが助けてくれました。 *高速バスを降り、タクシーに乗ろうとしましたが、目的地まで約2万円かかるとのことで断念。友人に電車での行き方を聞くにも、私の携帯電話はWi-Fiがないと使えません。そこで、運転手さんが携帯電話を貸してくれました。 *駅に着くと、今度は切符の買い方が分かりません。社長が怒るので外出許可を申請しにくく、長野県から出たことがなかったからです。通行人の少年に尋ねると、代わりに切符を買い、自動改札機まで連れて行ってくれました。 *電車内では乗客のおばさんに電話を借り、目的の駅に着いたときに教えてもらいました。 *電車を降り、切符を入れずに自動改札機を通ろうとしてアラームが鳴りました。しかし、駅員さんがやさしく助けてくれました。 失踪生活 友人は3ベッドルームの寮に3人で住んでいました。私はこのうち1室に、再就職するまで約11カ月間住ませてもらいました。失踪時、私の口座には約30万円ありましたが、途中でなくなり、彼らにお金を借りて暮らしました。失踪中は、日本語を毎日8時間勉強しました。不法就労をあっせんする有名なFacebookページは詐欺も多いので使わず、先輩や友人に仕事探しをお願いしました。また、友だちと花見などに行って気晴らしをしましたが、収入がないので遠くには行きませんでした。失踪中は「日本で働いて借金を返す前に警察に見つかってベトナムに送り返されたら……」といつも不安でした。後輩の皆さん、失踪だけはしないでください。 「外国人実習生支援」 「外国人実習生支援」のFBページ。ここからメッセージを送れます。 そんなある日、Facebookで榑松(くれまつ)さんのことを知りました。ある実習生が労働問題を彼に解決してもらったという投稿でした。榑松さんは「外国人実習生支援」というFacebookページで実習生の相談を受けています。私は長野に残っている後輩たちの処遇を改善してもらえないかと思い、2019年3月、思い切って榑松さんにSNSで連絡しました。 「仲間が工場勤務なのに他の仕事をやらされている」などと、簡単な日本語でメッセージを送り、社長が怒鳴っている動画も送りました。そして、約2週間後に彼の事務所(名古屋市)を訪ねました。彼はとても親身に相談に乗り、外国人技能実習機構(OTIT)や労基署に一緒に行って説明をしたり、電車のパスカードを作ってくれたりしました。 行政が動いた! 榑松さんに相談してからの経過は次の通りです。労基署やOTITが動いてくれました。 〈2019年〉 ・3月11日:榑松さんと面会。一緒にOTIT名古屋事務所を訪問。 ・3月20日:国会議員が私たちの事例を取り上げ、国会で質問(それを聞いてNHKが取材)。 ・4月1日:社長が怒鳴っている動画などをNHKが放送。 ・4月3日:労基署とOTITが長野県の会社に立ち入り調査。OTITが後輩実習生3人をホテルに保護。3人はその後、OTITの手配で別の会社に転職。 ・6月:フィリピン人の後輩数人もOTITに保護され、その後転職。 ・7月:私が長野県の労基署を訪問し残業代不払いを訴え。 ・11月:労基署は「小売店(ペットショップ)の清掃などを行わせた時間外労働について、技能実習生らに約1年間にわたって割増賃金を支払っていない」などとして、労働基準法違反(割増賃金不払いなど)の疑いでこの会社を送検。 厚労省発表の指導事例にも掲載(2020年10月) 〈2020年〉 ・2月:入管庁と厚労省はこの会社の技能実習計画の認定を取り消し。同社社長が理事長を務める監理団体への許可も取り消し。 NHKが全国放送〈2019年4月〉 転籍 榑松さん(左)は私の日本でのお父さん〈名古屋市で2019年9月〉 こうして会社は処分され、後輩たちは転籍できました。ただ、一度失踪したためか、私の転職先だけは決まりませんでした。榑松さんがあちこちに聞いて私の転職先を探してくれましたが、私と同じ職種の女性実習生は少なく、仕事があっても女子寮がないなどの理由で、なかなか見つかりませんでした。そんななか、榑松さんと懇意の黒田さんというベトナム語通訳の女性(西日本技能センター)が大阪府の抱月工業という会社にお願いしてくださり、就職できることになりました。2019年9月のことでした。 ・(監理団体)協同組合 西日本技能センター https://www.facebook.com/japanskill/ ※ベトナム語で問い合わせができます。 新しい職場 作業中の私〈2020年8月〉 抱月工業(大久保尚容社長)は従業員約70人で、2003年から実習生を受け入れ、今はエンジニアと実習生で計11人のベトナム人がいます。これまで女性実習生はいなかったので、私のために新たにアパートを借りてくれました。同社では、下記のようによい意味で驚きの連続でした。 ・社長が親切でやさしい。 ・現場リーダーたちが実習生に困ったことはないかよく聞いてくれる。仕事のやり方に関する意見交換会もある。 ・日本語能力試験(JLPT)に合格したら毎月の給料が上がる(N4:5,000円、N3:10,000円、N2:15,000円)。ほぼ全員がN3以上を取得して帰国する。 ・社員旅行がある(過去にベトナムに行った年もあった)。 とても働きやすい職場で、私は技能実習3号や特定技能などでできるだけ長くここで働きたいと希望しています。 抱月工業の工場 会社の忘年会(右から2人目が社長) 今の生活 私のJLPT・N3合格を祝って日本語教室の先生たちと食事会〈2020年2月〉 抱月工業の先輩たちは親切で、私と一緒に遊びに行ってくれる人もいます。また、私は地元の国際交流協会が主催する無料日本語教室に通っており、先生方の家に遊びに行ったりもします。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円= 22,303 VND(2020年12月30日現在) 手取り給料(平均150,000円) 手取り給料 130,000円~160,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は20,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(合計 30,000円~50,000円) 食費 15,000円~20,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 15,000円~20,000円 ※衣類、交通費、たまに外食 差額・貯金(100,000円~130,000円) 差額 100,000円~130,000円 ※1カ月110,000円~150,000円を実家に送金 榑松さんや黒田さん、今の社長のおかげで、私は今、充実した実習生活を送っています。後輩の実習生の皆さん、実習先で困ったことがあっても、悪い仲間に引き込まれたり、不法就労に走ったりせず、支援機関に粘り強く相談してください。 【編集部からのアドバイス】 実習先での問題はまず監理団体に相談し、それでも解決しない場合は、必ず外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語でも相談できます。電話もあります(0120-250-168)が、相談内容が深刻な場合は、紙に書いてOTITを訪問するか郵送する方が無難です。 ☆万一、OTITに相談しても解決しない場合は、下記のような民間の支援機関もあります。 外国人実習生支援(Facebook)https://www.facebook.com/jissyuseisien/ 日越ともいき支援会(E-mail)n.tomoiki@gmail.com 今回の先輩 Nguyễn Thị Mừng (グエン・ティ・ムン)さん 2015年レホンフォン高校卒業〈ゲアン〉 2015年バリアブンタウ大学入学 2016年大学中退、送出機関登録〈ハノイ〉 2017年訪日。講習後、技能実習開始〈長野〉 2018年失踪〈長野→愛知〉 2019年転職〈大阪〉 〈1997年生まれ、ゲアン省出身〉 工場での技能実習以外に動物の世話やベビーシッターを長時間させられ、残業代ももらえなかったムンさん。社長の度重なる暴言もあって失踪したが、残った後輩たちを助けようと支援機関に相談した。すると、労基署が捜査に乗り出し、OTITも動いて……。 〈このページの内容〉 • 大学を中退し技能実習 • 送出機関 • 工場勤務なのにペットショップの仕事 • ベビーシッター • 心の糸が切れて失踪 • 日本人は親切だった • 失踪生活 •「外国人実習生支援」 • 行政が動いた! • 転籍 • 新しい職場 • 今の生活 大学を中退し技能実習 私は6人兄弟の5番目です。父は病気で2009年から仕事ができず(2019年に死亡)、母が農業で家計を支えていました。私は大学で1年間勉強しましたが、実家が苦しいのに自分だけ大学に通うことが心苦しく、中退して技能実習をすることを決意しました。家族は中退に反対しましたが、私の故郷では、多くの友人が大学に進まず外国で働いていたので、私も同じように働いて両親を助けたいと思ったのです。 送出機関の日本語センターの先生や仲間〈ハノイで2017年〉 送出機関 私はハノイの送出機関に登録し、全部で6,400ドルを支払いました。それ以外に、送出機関を紹介してくれた親せきの友人にも20,000,000ドン払いました。他に食費や交通費もあり、父は計200,000,000ドンを銀行から借りました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって費用が違います。費用が高くても日本での給料が高いとは限りません。 ・ベトナム政府の規定で、送出機関の日本語教育費は約520時間に対し5,900,000VND以下、送出手数料は3,600 USD以下(3年契約の場合)となっています。 ・送出機関は、紹介者が紹介料を受け取ることを認めてはいけません。 ☆この記事を参考に送出機関を自分でも探しましょう。 こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 工場勤務なのにペットショップの仕事 私は2017年6月に長野県の工場で技能実習を始めました。しかし、機械加工の実習以外に、この会社が経営するペットショップでも仕事をさせられました。毎日、朝から工場で働いた後、私を含む3人が車でペットショップに移動し、15時から19時まで仕事をしました。鳥や動物へのエサやり▽飼育小屋の掃除▽販売用のエサの包装――などです。土曜日は朝から晩までペットショップで、隣接するバラ園でせん定や掃除もさせられました。 また、寮で最初の1年間はWi-Fiのパスワードを教えてもらえず、自由に電話できませんでした。先輩も社長から怒られるので、パスワードを教えてくれません。訪日して約3カ月たったある日、先輩の携帯電話を借りて初めて家族に連絡できました。その後も、社長の目があるので自由に電話できませんでした。 飼育小屋で清掃をする同僚〈2017年〉 ベビーシッター 技能実習生は工場のそばの寮に住みましたが、私を含む数人だけが2017年11月、ペットショップに近い監理団体の研修センターに移されました。社長は監理団体の理事長も兼ねており、私たちをセンターに住ませ、自分も2018年1月に1歳の娘と2人でここに移ってきました。それ以来、私たち実習生が社長の食事作りや洗濯、赤ちゃんの子守をすることになりました。また、毎日朝から鳥や犬にエサをあげたり、深夜に社長の飼っていたハトの世話をしたりもしました。 仕事を記録した私のメモ(黒塗り部分は赤ちゃんの名前)〈2018年1月〉 失踪までの約10カ月間、私は毎日ベビーシッターをしました。赤ちゃんは私に一番なついていたので、主に私の担当でした。19時にセンターに帰り、23時から赤ちゃんと遊んだり寝かしつけたりし、1時までかかることもよくありました。おむつ交換もしました。休日もペットショップの仕事か赤ちゃんの世話です。私はこの子が好きでしたが、残業代は一円ももらえませんでした。 後輩実習生たちと私〈センターで2018年8月〉 心の糸が切れて失踪 このような無賃労働に加え、私たちは社長からよく怒鳴られました。2018年8月に来た後輩実習生3人は日本語が分からず、社長の指示を理解できません。そんなとき、社長は「なぜ、こいつらにきちんと仕事を教えないんだ!」と私に怒鳴りました。社長はそれ以外にも気に入らないことがあるとよく激高しました。そのため男の実習生2人が失踪しました。私も同年10月のある夜、理由も分からずにひどく怒鳴られ、心の糸が切れてしまいました。 「もうここには居られない」と思い立ち、怒鳴られた3時間後にセンターを出ました。夜0時ごろのことでした。約600㍍離れた高速バス乗り場まで歩き、「私、名古屋に行きたいですけど、バスはどれですか」と聞いて名古屋行きのバスに乗ったのです。 日本人は親切だった 向かった先は愛知県の技能実習生たちの寮でした。彼らの1人を訪日前に紹介され、SNSで情報交換を続けていました。悩みを聞いてもらうこともあり、「もし失踪したら、うちにおいで」と言ってくれていました。しかし、実際に失踪するつもりはなかったので、寮への行き方が分かりません。そんな私を、道行く人たちが助けてくれました。 *高速バスを降り、タクシーに乗ろうとしましたが、目的地まで約2万円かかるとのことで断念。友人に電車での行き方を聞くにも、私の携帯電話はWi-Fiがないと使えません。そこで、運転手さんが携帯電話を貸してくれました。 *駅に着くと、今度は切符の買い方が分かりません。社長が怒るので外出許可を申請しにくく、長野県から出たことがなかったからです。通行人の少年に尋ねると、代わりに切符を買い、自動改札機まで連れて行ってくれました。 *電車内では乗客のおばさんに電話を借り、目的の駅に着いたときに教えてもらいました。 *電車を降り、切符を入れずに自動改札機を通ろうとしてアラームが鳴りました。しかし、駅員さんがやさしく助けてくれました。 失踪生活 友人は3ベッドルームの寮に3人で住んでいました。私はこのうち1室に、再就職するまで約11カ月間住ませてもらいました。失踪時、私の口座には約30万円ありましたが、途中でなくなり、彼らにお金を借りて暮らしました。失踪中は、日本語を毎日8時間勉強しました。不法就労をあっせんする有名なFacebookページは詐欺も多いので使わず、先輩や友人に仕事探しをお願いしました。また、友だちと花見などに行って気晴らしをしましたが、収入がないので遠くには行きませんでした。失踪中は「日本で働いて借金を返す前に警察に見つかってベトナムに送り返されたら……」といつも不安でした。後輩の皆さん、失踪だけはしないでください。 「外国人実習生支援」 そんなある日、Facebookで榑松(くれまつ)さんのことを知りました。ある実習生が労働問題を彼に解決してもらったという投稿でした。榑松さんは「外国人実習生支援」というFacebookページで実習生の相談を受けています。私は長野に残っている後輩たちの処遇を改善してもらえないかと思い、2019年3月、思い切って榑松さんにSNSで連絡しました。 「仲間が工場勤務なのに他の仕事をやらされている」などと、簡単な日本語でメッセージを送り、社長が怒鳴っている動画も送りました。そして、約2週間後に彼の事務所(名古屋市)を訪ねました。彼はとても親身に相談に乗り、外国人技能実習機構(OTIT)や労基署に一緒に行って説明をしたり、電車のパスカードを作ってくれたりしました。 「外国人実習生支援」のFBページ。ここからメッセージを送れます。 自分に日本語で話しかける 榑松さんに相談してからの経過は次の通りです。労基署やOTITが動いてくれました。 〈2019年〉 ・3月11日:榑松さんと面会。一緒にOTIT名古屋事務所を訪問。 ・3月20日:国会議員が私たちの事例を取り上げ、国会で質問(それを聞いてNHKが取材)。 ・4月1日:社長が怒鳴っている動画などをNHKが放送。 ・4月3日:労基署とOTITが長野県の会社に立ち入り調査。OTITが後輩実習生3人をホテルに保護。3人はその後、OTITの手配で別の会社に転職。 ・6月:フィリピン人の後輩数人もOTITに保護され、その後転職。 ・7月:私が長野県の労基署を訪問し残業代不払いを訴え。 ・11月:労基署は「小売店(ペットショップ)の清掃などを行わせた時間外労働について、技能実習生らに約1年間にわたって割増賃金を支払っていない」などとして、労働基準法違反(割増賃金不払いなど)の疑いでこの会社を送検。 厚労省発表の指導事例にも掲載(2020年10月) 〈2020年〉 ・2月:入管庁と厚労省はこの会社の技能実習計画の認定を取り消し。同社社長が理事長を務める監理団体への許可も取り消し。 NHKが全国放送〈2019年4月〉 転籍 こうして会社は処分され、後輩たちは転籍できました。ただ、一度失踪したためか、私の転職先だけは決まりませんでした。榑松さんがあちこちに聞いて私の転職先を探してくれましたが、私と同じ職種の女性実習生は少なく、仕事があっても女子寮がないなどの理由で、なかなか見つかりませんでした。そんななか、榑松さんと懇意の黒田さんというベトナム語通訳の女性(西日本技能センター)が大阪府の抱月工業という会社にお願いしてくださり、就職できることになりました。2019年9月のことでした。 ・(監理団体)協同組合 西日本技能センター https://www.facebook.com/japanskill/ ※ベトナム語で問い合わせができます。 榑松さん(左)は私の日本でのお父さん〈名古屋市で2019年9月〉 新しい職場 抱月工業(大久保尚容社長)は従業員約70人で、2003年から実習生を受け入れ、今はエンジニアと実習生で計11人のベトナム人がいます。これまで女性実習生はいなかったので、私のために新たにアパートを借りてくれました。同社では、下記のようによい意味で驚きの連続でした。 ・社長が親切でやさしい。 ・現場リーダーたちが実習生に困ったことはないかよく聞いてくれる。仕事のやり方に関する意見交換会もある。 ・日本語能力試験(JLPT)に合格したら毎月の給料が上がる(N4:5,000円、N3:10,000円、N2:15,000円)。ほぼ全員がN3以上を取得して帰国する。 ・社員旅行がある(過去にベトナムに行った年もあった)。 とても働きやすい職場で、私は技能実習3号や特定技能などでできるだけ長くここで働きたいと希望しています。 作業中の私〈2020年8月〉 抱月工業の工場 会社の忘年会(右から2人目が社長) 今の生活 抱月工業の先輩たちは親切で、私と一緒に遊びに行ってくれる人もいます。また、私は地元の国際交流協会が主催する無料日本語教室に通っており、先生方の家に遊びに行ったりもします。 私のJLPT・N3合格を祝って日本語教室の先生たちと食事会〈2020年2月〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円= 22,303 VND(2020年12月30日現在) 手取り給料(平均150,000円) 手取り給料 130,000円~160,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は20,000円(水道・光熱費・Wi-Fi含む) 支出(合計 30,000円~50,000円) 食費 15,000円~20,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 15,000円~20,000円 ※衣類、交通費、たまに外食 差額・貯金(100,000円~130,000円) 差額 100,000円~130,000円 ※1カ月110,000円~150,000円を実家に送金 榑松さんや黒田さん、今の社長のおかげで、私は今、充実した実習生活を送っています。後輩の実習生の皆さん、実習先で困ったことがあっても、悪い仲間に引き込まれたり、不法就労に走ったりせず、支援機関に粘り強く相談してください。 【編集部からのアドバイス】 実習先での問題はまず監理団体に相談し、それでも解決しない場合は、必ず外国人技能実習機構(OTIT)に相談してください。ベトナム語でも相談できます。電話もあります(0120-250-168)が、相談内容が深刻な場合は、紙に書いてOTITを訪問するか郵送する方が無難です。 ☆万一、OTITに相談しても解決しない場合は、下記のような民間の支援機関もあります。 外国人実習生支援(Facebook)https://www.facebook.com/jissyuseisien/ 日越ともいき支援会(E-mail)n.tomoiki@gmail.com
2021年01月04日