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VOL. 92 日本の文学小説を多数翻訳・出版

ベトナムから海外留学する人がまだ少なかった1990年代に日本に留学したニエンさん。留学仲間の夫が沖縄で就職したため彼女も沖縄に長く住むことになり、その間に日本の文学小説をたくさん翻訳し、ベトナムで出版。最近は、沖縄に住むベトナム人技能実習生たちのサポートにも力を入れています。 今回の先輩 グエン・ド・アン・二エンさん 1994年ホーチミン国家大学東洋学部入学 1997年名桜大学で交換留学〈沖縄、1年間〉 1999年ホーチミン国家大学卒業 1999年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈2年間〉 2001年名桜大学大学院修士課程入学 2003年修士課程修了 2003年大阪府立国際児童文学館外国人研究員〈6カ月〉 2004年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈4年間〉 2004年TRE出版社で日本語通訳・翻訳〈4年間〉 2011年名桜大学附属図書館でアルバイト〈5年間〉 2011年名桜大学非常勤講師〈現在も〉 2022年沖縄大学非常勤講師〈現在も〉 〈1976年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 •...

2023年06月12日
  • VOL. 91 来日後も勉強を続け職場のリーダーに

    2023年05月29日
    食品工場で技能実習生から特定技能外国人になったトゥエットさん。彼女は、来日直後は日本人の話すことが全然わかりませんでしたが、毎日3時間勉強を続け、数カ月で少し会話ができるようになり、2年でJLPT・N3に合格しました。今は、職場のベトナム人のリーダーとして活躍しています。 今回の先輩 グエン・ティ・トゥエットさん 2017年高校卒業〈ハイズオン省〉 2018年送出機関で約半年間勉強〈ハノイ〉 2018年来日→講習→技能実習〈福岡県〉 2021年特定技能外国人〈同じ会社〉 〈1999年生まれ、ハイズオン省出身〉 ◆このページの内容 • 幼いころから母をサポート • 技能実習の送出機関 • 日本での仕事の内容 • ベトナムに送ったお金 • 私の家計簿 • 休日の過ごし方 • ミスコンテストで入賞 • 日本語の勉強 • 将来の夢 幼いころから母をサポート 家族と親せき(右端が母) 私が2歳のとき、父が交通事故で亡くなりました。母はその後、1人で田畑を耕(たがや)して、私と弟を育ててくれました。母は米や野菜、果物を栽培し、私もときどき朝早く起きて、水路からおけで水をくみ、畑にまきました。私はこのように畑仕事を1時間ぐらい手伝ってから学校に行きました。また、6歳のときから母の料理を手伝い、12歳からは料理も掃除も私が1人で担当しました。 私の故郷では、日本に出稼ぎに行く人も多かったので、私も高校生のころから「将来は日本に行きたい」と思っていました。 お金を稼いで母を楽にしてあげられますし、自分のお金も貯めて、将来は故郷でブティックを開業したいという夢があったからです。そして、高校を卒業すると、親せきがハノイの送出機関を紹介してくれました。 技能実習の送出機関 私は高校を卒業してから約半年間、母の仕事を手伝い、技能実習の採用面接(今の会社の面接)に合格すると、ハノイの送出機関に入って日本語を勉強しました。面接には約150人が参加し、40人が選ばれました。 私は送出機関に7200 USDを米ドルで支払いましたが、契約書や領収証に書かれた費用は3500 USDでした。また、これ以外に寮費や食事代、日本に持って行く服など、約25万円(約45,000,000 VND)を使いました。 【編集部からのアドバイス】 送出機関の費用7,200 USDはベトナム政府の規定を大きく超えています。 高い費用を払っても、よい会社を紹介してもらえるとは限りません。 送出機関を選ぶときは、親せきや知人の紹介だけに頼らず、インターネットの口コミなども調べましょう。送出機関に無駄なお金を払わないために、KOKOROの記事もよく読んでください。 external link KOKORO|送出機関を決める前にこれだけは知っておこう! external link KOKORO|技能実習の費用と注意点 日本での仕事の内容 私は技能実習生として2018年8月に来日しました。私の職場は大きな弁当工場です。コンビニで販売する弁当やおにぎり、チルド食品(親子丼、オムライス)などを作っています。私の最初の仕事は、できあがった弁当を箱に詰め、台車に乗せてトラックの近くに運ぶことでした。ご飯やおかずを弁当箱に詰める仕事もときどきやりました。そして、3年間の技能実習が終わり、特定技能に移ってからは、厨房(ちゅうぼう)で各レーンに食材や調味料を配る担当になりました。 ところで、私の勤務は夜勤だけで、勤務時間は19時から翌朝6時まで(途中で休憩1時間)です。日勤のベトナム人は約50人、夜勤のベトナム人も約50人で、私は来日して2年目から夜勤のベトナム人のリーダーをしています。これは、私の日本語力や勤務態度が評価されたからで、リーダーとしての手当も付いています。 ベトナムに送ったお金 改修した実家の前で母と私 技能実習生のときの私の手取り給料は毎月15万円~17万円でした。毎月35~40時間の残業があり、深夜勤務手当てもあり、リーダー手当もあったので、かなり高い給料です。そして、特定技能外国人になってから手取り給料は毎月18万円~20万円に上がりました。私は来日して最初の1年間で約125万円をベトナムに送って来日前の借金を完済し、その後3年間でさらに約360万円を送り、一部は実家の改修に使ってもらいました。 ただ、日本に来てからずっと夜勤なので、体調が悪くなってきました。4年目から昼間の勤務に変更してもらった同期生もたくさんいますが、夜勤の方が日勤より毎月約3万円多くもらえるので、私は夜勤を続けてきました。しかし、疲れがたまってきたので、近いうちに会社に相談して日勤に変えてもらうつもりです。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:180,000円 給料 ¥180,000 *税金や社会保険、寮費、水道・光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(14,000円)、電気・ガス・水道(10,000円) 支出:80,000円 食費(主に自炊) ¥40,000 生活雑貨、衣類、化粧品など ¥15,000 交際費、外食費など ¥35,000 毎月の差額:100,000円 休日の過ごし方 在日ベトナム人の間ではサッカーが盛んで、福岡でもベトナム人チームの試合や大会がよくあります。私は日曜によくサッカーの試合を見に行きます。試合会場に行くと、同じように応援に来ている人たちと友だちになれるので、一緒にお弁当を食べたり遊びに行ったりしています。 また、休日にベトナムの伝統的舞踊であるmúa(ムア)の練習をすることもあります。私の住む博多市内で地元の著名ベトナム人が自分の借りている部屋を開放し、ムアのダンスクラブ(参加費無料)を開催しています。そこに技能実習生や特定技能外国人が5、6人集まって練習をしています。ベトナムの幼稚園や小学校でムアを習いますが、私は高校生のときもYouTubeでムアの踊り方を研究して練習していました。大好きなムアを踊ると、ストレスが解消されます。 ミスコンテストで入賞 大きなミスコンで入賞〈福岡県で2022年1月〉 福岡では「在福岡ベトナム人協会」などベトナム人団体の活動が盛んで、毎年テト(旧正月)の時期に大きなお祭りがあります。そのときにミスコンテストも行われますが、私もインターネットでミスコンのことを知って参加したところ、入賞しました。 賞金をもらったほか、ミスコンの様子を公式動画に収録してもらいました。それ以外に、地元のアオザイ大会でも優勝しました。 日本語の勉強 私は来日前に約半年間、送出機関で朝から夕方まで日本語の授業を受け、夜も3、4時間自習しました。それでも、日本に来たばかりのときは、日本人の話す言葉が全然わかりませんでした。 しかし、来日後も毎日3、4時間勉強を続けたところ、3、4カ月で少し話せるようになり、今では毎日、職場の日本人と話をしています。このため、2年目からは職場のベトナム人のリーダーに選ばれ、日本人がベトナム人に仕事を指示する際に通訳をすることもあります。また、日本に来たばかりの実習生は日本語がまったく分からないので、約2カ月間、日本人と私が一緒に仕事を教えます。 こうして日本語を話せるようになったので、職場の日本人やネパール人留学たちと仲良くなり、仕事が終わってから日本語で少し話をしています。日本人の先輩と一緒に寺や公園に観光に行ったこともあります。 帰国後に日本語力を生かして送出機関の日本語の先生になろうと思っていた時期もありました。そのため、毎日3時間、眠いのをがまんして日本語の勉強をしていました。そして、来日して2年で日本語能力試験(JLPT)のN3に合格しましたが、その後、日本語教師の給料があまり高くないことがわかり、最近は以前ほど勉強しなくなりました。 将来の夢 ハイズオン出身の福岡の友だち 私は技能実習を3年やり、もうすぐ特定技能も2年になります。日本で覚えた技術を母国に持ち帰って経済発展に生かすのが技能実習の建て前ですが、私も仲間も日本で働いて覚えたことを帰国後の仕事に生かすことは考えていません。そもそも、ベトナムでは日本ほど弁当が売れていないので、弁当工場もありません。 今後のことはまだ確定していませんが、多分、あと2、3年働いてベトナムに帰国し、故郷のハイズオンで結婚相手を探すと思います。日本の生活も楽しいですが、母や昔からの友だちに会えないのは寂しいので、やはり故郷で暮らす方が私には向いています。そして、日本で働いたお金の一部は母にあげ、残りのお金で婦人服を売るブティックを開業するのが私の夢です。
  • VOL. 90 寝ても覚めても勉強し3年でN1合格

    2023年03月31日
    日本に留学してまもなく「自分で努力しなければ、いつまでたっても日本語で会話できるようにならない」と気づいたウットさん。空いている時間はいつも日本語を勉強し、3年でN1に合格。日本での就職や帰国後の日系企業への就職でも大いに役立ちました。 今回の先輩 タ・ティ・ウットさん 2011年高校卒業 2012年日本語学校入学〈福岡県〉 2014年専門学校入学〈福岡県〉 2015年結婚、JLPT・N1合格 2016年専門学校卒業 2016年日本で就職〈愛知県〉 2017年夫の転勤に伴い帰国 2017年HISハノイ支店入社(正社員) 2019年出産 2020年日系の会計事務所入社〈ハノイ〉 〈1993年生まれ、ハノイ出身〉 ◆このページの内容 • 準備不足で訪日 • 日本語学校と専門学校に留学 • 学校選びに失敗 • 寝ても覚めても日本語を勉強 • アルバイトでたくさん日本語会話 • 私の家計簿 • 日本で留学生と結婚 • 夫の転勤で帰国 • ハノイで日系企業の正社員に • 別の日系企業に転職 • 日本留学で得たもの 準備不足で訪日 私の姉は2010年から日本に留学し、その後、日本人と結婚して今も日本に住んでいます。私は高校卒業後、姉に習って日本に留学することにしました。その準備として、ハノイの日本語センターの寮に住んで3カ月間勉強しました。その間は授業を含めて毎日6時間勉強しましたが、日本で暮らすために日本語がどれぐらい必要かわかっていなかったので、今から思うととても不十分な勉強でした。 ひらがな、カタカナと簡単な会話しか覚えずに日本に行った私は、当初、言葉のことでとても苦労することになります。 日本語学校と専門学校に留学 日本で一緒に暮らした姉(右) 私は2012年10月、姉が通っていた福岡市の「西日本国際教育学院」という日本語学校で留学を始めました。最初の3カ月間は学校の寮に住み、4カ月目からは姉と一緒に暮らしました。 日本語学校で1年半学んだ後、私は「国際貢献専門大学校」という専門学校に進みました。この学校は、私が通った日本語学校の系列校です。本当は他の大学か専門学校に行きたかったのですが、系列校に進学すれば学費が割り引かれるという特典にひかれてその専門学校を選びました。しかし、この学校を選んだことを後で大きく後悔することになりました。 学校選びに失敗 私はこの専門学校でITを学ぼうと思い、「情報ビジネス」を専攻したのですが、専門分野の授業はほとんど受けられませんでした。当時、この学校はできたばかりで、学校の準備不足によってITの教師が不足していたのです。 IT関係の授業は休講続きで、代わりにいつも日本語の授業を受けされられました。しかも、私は専門学校に入る前に日本語能力試験(JLPT)N3に合格し、当時はN2・N1を目指していたにもかかわらず、専門学校の日本語授業はN3・N4レベルでした。私は担任の先生に「もっとITの勉強をしたい」と何度も訴えましたが、何も改善されませんでした。後輩の皆さんは学校の評判をよく調べてから進学先を選んでください。 寝ても覚めても日本語を勉強 留学を始めて最初の数カ月間、私は日本語力不足でアルバイトが見つかりませんでした。友人からアルバイトを紹介してもらっても、工場など日本語を話さなくてもよい職場ばかりでした。私はまわりの日本人が話す日本語がほとんどわからず、自分の言いたいことも伝えられず、ストレスがたまっていつも家で泣いていました。 そして、「日本語がわからないと何もできない」「自分で勉強しないと、どれだけ日本人と交流しても話せるようにならない」と気づき、猛勉強を始めました。学校の授業以外に、昼でも夜でも休日でも空いた時間はできるだけ日本語を勉強し、アルバイト先でも上司や先輩とできるだけ会話するようにしました。 その結果、私は留学を始めて9カ月後にJLPT・N3に合格し、その2年後にN1に合格しました。最初は「みんなの日本語」を使い、N2・N1対策には市販の問題集を使いました。また、自分の好きなYouTubeチャンネル(日本語)を聴いてリスニングの練習をしました。 アルバイトでたくさん日本語会話 アルバイト仲間の日本人たちと焼肉会 日本語が話せるようになるにつれ、日本語を使うアルバイトに採用されるようになりました。そうなると、仕事をしながら日本語の練習ができ、わからない言葉や言い方は日本人の先輩や同僚に教えてもらえるので、日本語の会話力が急速に伸びていきました。 アルバイト探しについては、友人に紹介してもらうか、無料の求人情報誌を見て店に電話をかけ、面接を申し込みました。そして、アルバイト先の先輩や仲間と仲良くなり、一緒にご飯を食べに行くこともよくありました。また、クリーニング工場のおばさんは自宅に私と友人を招いてくれました。これらの人たちの中には、今もFacebookなどで連絡を取り合っている人もいます。 ◎私が日本で経験した主なアルバイト クリーニング 工場でクリーニングした大きなカーテンを2、3人でたたむ仕事。ホテルで使うカーテンでした。 ビジネスホテル ベッドメイキング、清掃 居酒屋 ホール(接客)、片付け、開店準備 レストラン キッチン、早朝の仕込み(料理の準備) 弁当店 キッチン、レジ 技能実習生の監理団体(組合) 通訳、技能実習生の生活サポート) 私の家計簿(1カ月の平均) ※専門学校時代の家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:120,000円~150,000円 給料 ¥120,000~¥150,000 ※アルバイト2、3件 支出:158,000円~160,000円 学校の授業料 ¥55,000 家賃(ワンルーム) ¥50,000 ※1に暮らし、Wi-Fi・水道代込み 電気・ガス ¥8,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 食費 ¥25,000 ※バイト先で無料のまかないを食べることも多かった。 雑費 ¥10,000 ※交通費、学習教材、衣類 毎月の差額:▲10,000円~38,000円 ※夏休みなどの長期休みに多く働いて不足を補いました。 日本で留学生と結婚 新婚時代の夫と私 私の姉は福岡で日本語学校から大学に進学しましたが、ある日、姉の大学の同級生のベトナム人男性が姉と私の家に遊びに来ました。ほどなくして私は彼と付き合うようになり、約2年半後、彼は大学を卒業して日本で就職することになりました。その少し前に私たちは結婚し、福岡のベトナム総領事館に婚姻届けを出しました。その後、私も就職が決まり、名古屋に引っ越して一緒に住みました。 私は就職するまで3年半留学しましたが、生活費や学費を稼ぐために早朝や夜にアルバイトをし、それ以外は勉強に打ち込んでいたので、休日は疲れて横になっていることも多く、旅行にはあまり行きませんでした。夫と知り合ってからも一緒に公園やゲームセンターなどでデートするぐらいで、観光はあまりしませんでした。今にして思えば、日本にいる間にもっとあちこちに旅行しておけばよかったと思います。 夫の転勤で帰国 帰国直前にベトナムの家族を名古屋に招待 私たちは2015年に結婚し、私は正社員の夫の妻として日本に在留する予定だったので、本格的な就職活動はしていませんでした。しかし、夫の勤務地が名古屋に決まると、私は家の近くでできる仕事を探し、この会社に履歴書を送って面接を受けたところ、携帯電話ショップを運営する会社の正社員に採用されました。 日本の携帯電話ショップの店員は携帯電話の端末を売る仕事よりも通信契約に関する対応が多いので、さまざまなことを覚えなければなりません。そのため、通常は入社後6カ月間の新人研修を経てやっと店に出ることができます。研修では、接客マナーやパソコン操作、さまざまなサービス内容を学びますが、私は3カ月で覚えることができ、通常より早く店に出ることができました。しかし、就職して1年半後に夫がハノイに転勤になり、私も退職して帰国することになりました。 ハノイで日系企業の正社員に HISハノイ支店の入っているビル〈2018年〉 2017年7月に帰国してまもなく、私は日本の大手旅行会社HISのハノイ支店で正社員として働き始めました。店のカウンターで日本人客(主に駐在員)に航空券やホテル、ツアーを手配する担当でした。個人がインターネットで航空券やホテルを手配することもできますが、会社の業務で出張する場合に旅行会社を使うと、経理処理に必要なインボイスが発行されますし、顧客サービスも良いので、HISを使う日本人はとてもたくさんいました。 ところで、私は帰国が決まってすぐにハノイでの仕事を探し始めました。しかし、日本と違ってベトナムでは面接に合格したらすぐに働き始めてほしいという会社がほとんどだったので、結局、帰国後にFacebookで仕事を探し直し、HISに入りました。 別の日系企業に転職 HSKVのパーティー 私はHISで約2年半働き、出産を機に退職しました。そして、2020年からはHSKV(HSK Vietnam Audit Company)という日系の会計事務所で働いています。私の仕事は会長(日本人)の秘書で、秘書業務以外に下記のような仕事も担当しています。 監査報告書や移転価格報告書、事業概況報告書などの翻訳 顧客企業の帳簿の入力 顧客企業の給与計算表のチェック 個人所得税の計算と申告 顧客企業の日本人駐在員の労働許可証・ビザ・レジデンスカードの申請 HSKVの仕事もFacebookで探し、給料はHISのときより約30%上がりました。転職したのは、HISでは土日の出勤もあったため、出産後の生活に合わなくなったためです。今の会社を選んだのは、朝8時~9時の間に出勤し8時間勤務すればよいというフレキシブルな勤務時間と自宅から近いことが決め手でした。 ハノイに戻って2つの日系企業に就職して思うのは、日系企業への就職には、履歴書の内容よりも面接での評価(日本語会話力や対人能力など)の方が重視されるような気がします。 日本留学で得たもの 私は留学中、学校選びに失敗したことをとても後悔しました。しかし、学校で専門知識は得られなかったものの、自分で日本語の勉強やアルバイトに一生懸命に取り組み、3年でJLPT・N1に合格できました。また、アルバイト仲間に日本語で積極的に話しかけ、会話も十分にできるようになったので、ベトナムに帰国して日系企業に就職する際にとても役立ちました。 留学せずベトナムで日本語を勉強する人も素晴らしいですが、留学経験者の方が全体的にリスニング力が高く、日本での生活やアルバイトも経験したということで、日系企業での就職には有利なようです。私は日本で留学できて本当に良かったと思います。
  • VOL. 89 「みんなの日本語」の解説本を翻訳

    2023年03月24日
    日本語を学ぶ外国人の多くが最初に手にする日本語の教科書「みんなの日本語」。その解説本4冊を1人でベトナム語に翻訳したドンア大学副学長のヴィンさん。ヴィンさんの日本留学体験や学生時代の勉強方法などを紹介します。 今回の先輩 ゴ・クアン・ヴィン さん 1998年高校卒業〈クアンチ省〉 1998年ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部入学 2002年ハノイ大学卒業 2002年日本の設計会社で勤務(通訳・翻訳)〈ハノイ〉 2004年国立ダナン大学外国語大学日本語学科で日本語講師 2008年一橋大学で研究生として留学〈東京〉 2010年一橋大学修士課程入学 2012年一橋大学博士課程入学 2015年一橋大学博士課程修了 2015年国立ダナン大学外国語大学日本語・韓国語・タイ語学部長 2020年ドンア大学副学長兼日本言語文化学部長〈ダナン〉 〈1980年生まれ クアン・チ省出身〉 ◆このページの内容 •「みんなの日本語」の解説本を翻訳 • 大学で日本語を学び日系企業へ • 私の日本語学習法 • 6年半の日本留学 • 私の家計簿 • 留学中の交流 • 留学中に困ったこと • ベトナム語の専門書を日本語で出版 • ドンア大学について 「みんなの日本語」の解説本を翻訳 日本語を学ぶ外国人の多くが最初に使う教科書「みんなの日本語」の「翻訳・文法解説」があるのをご存じの方も多いと思います。「みんなの日本語」は日本語だけで書かれているので、十分に理解できないときに「翻訳・文法解説」を読めば、内容が理解しやすくなります。私は2013~16年に「みんなの日本語」初級Ⅰ、初級Ⅱ、中級Ⅰ、中級Ⅱの「翻訳・文法解説」をベトナム語に翻訳しました。 この翻訳を始めたとき、私は一橋大学(東京)で留学していましたが、そのときの指導教官が私のベトナム語力と日本語力を高く評価し、出版社に推薦(すいせん)してくださったことがきっかけでした。翻訳する際には、もとの日本語の意味ができるだけ正しく伝わるベトナム語にしたいと思い、言葉をていねいに選びながら時間をかけて翻訳しました。 大学で日本語を学び日系企業へ 会社の仲間と日本の石炭鉱山の見学 私が高校のとき、有名な日本ドラマ「おしん」がベトナムで放送されていました。わたしは主人公・おしんのけなげな生き方や勤勉さ、ドラマに出ていた昔の日本家屋などがとても気に入って、日本についてもっと知りたくなりました。高校では英語コースでしたが、大学では別の外国語を勉強しようと思っていたこともあり、ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部に入りました。 私は大学で4年間日本語を学んだ後、新聞の広告欄で見つけた日系企業に入りました。これは木造住宅の構造設計をする会社で、私は日本人の社長や技術者たちとベトナム人スタッフとの間の通訳や書類の翻訳をするチームのリーダーとして働きました。その後、大学で日本語を教える仕事に興味を持つようになり、知人の紹介で国立ダナン大学の日本語講師になりました。 私の日本語学習法 ハノイ外国語大学の教室で 私は大学生のとき、大学のゼミや講義以外に毎日6~8時間、自習しました。インターネット上の学習素材も紙の日本語教材も少ない時代だったので、今よりも勉強に工夫が必要でした。そのときに私が行った勉強方法を紹介します。 新聞の1面のコラムを読む:私は日本の新聞の1面のコラムを読み、ほぼ毎日、その内容について大学の先生と日本語でディスカッションしました。 自分で文章を作って読む:参考書に書かれている語彙(ごい)や文型を使って文章を作り、自分で声を出して読みました。 ハノイ大学日本語学部の級友たちとお出かけ これ以外に、古本屋で日本の古新聞を買い、何度も辞書を引きながら読みました。言葉の勉強では、やはり辞書を使い込むことが大事です。それでも理解できない部分がたくさんあったので、私は大学でただ1人の日本人の先生にアポを取り、質問に応じてもらいました。ただ、当時ハノイには日本人がまだ少なく、ネィティブの日本人との会話練習がほとんどできないのは残念でした。 6年半の日本留学 修士課程を修了 ダナン大学で講師をしているとき、日本の文部科学省が提供する留学生向け奨学金に応募しました。そして、在ベトナム日本国大使館で試験を受けて合格し、国費留学生として日本に行くことになりました。留学先には東京外国語大学も検討しましたが、少人数で勉強・研究できる一橋(ひとつばし)大学を選びました。 こうして私は2008年10月に一橋大学の研究生として訪日し、研究生1年半、修士課程2年、博士課程3年の計6年半、文科省の奨学金で留学しました。そのうち約2年間は妻と一緒に暮らしましたが、妻が2011年に東日本大震災による原発事故を契機に帰国してからは妻子と離れて留学しました。 妻と息子 私は留学中はずっと学費無料で奨学金も受給していたので、アルバイトは最小限にしてできるだけ勉強をしました。しかし、毎年、お盆とテト(旧正月)に帰国するための旅費がかかり、普段は節約生活を強いられました。私がよく使った便は成田→香港→ハノイ→ダナンというルートで、乗り継ぎが悪いため安価でした。一番安いときは往復28,000円でしたが、留学中に燃油サーチャージ(12,000円~15,000円)を加算する制度が始まり、大きな痛手でした。また、当時はSNS電話がなかったので、30分3,000円の国際電話(当時としては格安)でたまにだけ妻と話しました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※博士課程のときの家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:200,000円 奨学金 ¥150,000 給料 ¥50,000 ※アルバイト(通訳・翻訳、辞書作りの手伝いなど) 支出:100,000円 授業料 ¥0 家賃 ¥50,000 ※東京都内、ワンルーム 電気・ガス・水道 ¥5,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 ※国際電話代を含む インターネット ¥6,000 食費 ¥35,000 ※昼は大学の食堂、夜は主に自炊。 交際費 ¥15,000 雑費・交通費 ¥20,000~¥25,000 ※衣類、教材、交通費、化粧品など 毎月の差額(貯金):60,000円 ※貯めたお金で帰国の際の航空券などを購入。 留学中の交流 ベトナム人仲間と東京で日本庭園(夜間ライトアップ)を見学 6年半も日本に住んだので、日本人との交流もたくさんありました。指導教官やゼミの仲間と食事に行ったほか、アルバイトを通じて知り合った人たちとも交流しました。 ベトナム人同士の交流もありました。国費留学に合格した同期のメーリングリストがあったので、日本に行ってから留学生同士の交流のきっかけになりました。 また、東京のベトナム大使館が独立記念日やテトの際に行うイベントもあり、そこでもベトナム人同士の交流ができました。 留学中に困ったこと external link KOKORO|花粉症について(※クリック) ところで、留学中に困ったこともたくさんありました。 休日に病気になったとき 休日に医療機関に行っても対応してくれず、困りました。留学3年目に花粉症になり、くしゃみと鼻水がひどく、とても疲れました。そこで、週末に2、3カ所の医療機関に行きましたが、休日なので受け付けてくれず、どうしたらよいかも教えてくれませんでした。その後、平日になんとか時間を作ってクリニックに行き、薬を処方してもらいました。また、ひどい腹痛のときに近くの病院に電話しましたが、「大きな症状やけがなら診(み)るが、今回は無理です」と断られ、がまんするしかありませんでした。いずれも機械的な対応で、「外国人だから対応が悪いのでは」と感じました。日本は外国人向けの公的な救急医療制度をもっと充実させるべきだと思います。 external link KOKORO|日本での住宅の探し方(※クリック) 住宅探し アパートを探すとき、外国人だから借りられない物件がたくさんありました。その後、当時よりはましになったものの、今も外国人お断りの物件が多いと聞きます。 外人扱い 電車内でベトナム人同士で会話していると、そばにいた日本人たちが向こうに行ってしまいました。日本の電車内でのマナーを理解して私たちは小さな声でしゃべっていたのに、そのような行動をされ、残念でした。また、電車内でくしゃみをすると、マスクをしていても周囲から冷たい視線を受け、これも外国人への偏見のように感じました。このため、かぜをひいたときは電車に乗るのがおっくうでした。 日本人はもっと外国に出て国際感覚を高めてほしいですし、日本の行政は外国人が居心地よく暮らせるように、地域の外国人サポート窓口をもっと充実させてほしいと思います。 ベトナム語の専門書を日本語で出版 external link この本のAmazonでの販売ページ(※クリック) 2015年に留学を終えた私はその年から国立ダナン大学 外国語大学の日本語・韓国語・タイ語学部長になりました。そして、2020年にドンア大学の副学長兼日本言語文化学部長になりました。 私は留学中に日本語教育やベトナム語の類別詞について研究しました。類別詞とは名詞の数え方です。例えば日本語で「一つ」「1枚」「1個」などと数えるときの「つ」「枚」「個」などが類別詞で、ベトナム語ではどのような類別詞があるのかを留学中の博士論文にまとめました。この論文を帰国後にさらに精査して書き直し、2023年に「現代ベトナム語の類別詞研究: 類別詞の本質とその意味・用法」という日本語の専門書を出版しました。Amazonでも購入できますので、ベトナム語の研究者や教師・学習者の方々に活用していただければ幸いです。 ドンア大学について 最後に副学長兼学部長としてドンア大学日本言語文化学部について紹介します。当学部では次のような点を重視して日本語教育を行っています。 日本語を「読む・書く・聞く・話す」ために必要な基礎学力と専門知識を養い、日本語で考える力や日本語コミュニケーション力の向上を目指しています。 日本文化を深く多角的に理解する人材を育てるため、インターンシップや文化交流、交換留学などのプログラムを充実させています。 ダナンの日系企業で見学や研修を行い、日本語を活かした仕事への理解や日本語コミュニケーション力の向上に努めています。 こうしたプログラムには、私や教師陣の留学経験も活かされています。

留学生・技能実習生・エンジニアをサポートするサイト

【在ベトナム日本国大使館後援】

  • Vol. 20 日本での経験を生かして様々な仕事に挑戦

    今回の先輩 HỒ L Ê THỊ XUÂN TRINH(ホ―・レー・ティ・シュアン・トリン)さん 1982年生まれ、ダラット市出身2000年11月 VAA(管制官養成の専門学校)入学 2005年 4月 白鳳女子短期大学入学 2007年 4月 梅花女子大学文化表現学部(国際英語学科)編入2009年 4月 梅花女子大学大学院文学研究科(英語英米文学専攻)入学 2011年 3月 梅花女子大学大学院文学研究科(英語英米文学専攻)修了、帰国2011年10月 KUBOTA Vietnam 入社2012年 5月  SECOM Vietnam入社2015年 8月 SECOM Vietnam退社、自営業開始2019年10月 Xuan Trinh Ho 設立 留学で人生を変えようと決心 高校卒業後、空港の管制官になるための専門学校に行きました。成績はよかったのですが、卒業直前に「本当にこの仕事でいいのか」と悩んだため卒業試験で失敗し、卒業できませんでした。そこで、挽回するために「日本に留学して人生を変えよう」と考えました。日本を選んだのは、群馬県に母の両親や母の妹1人、弟2人が住んでおり、祖母の勧めもあったからです。 留学中に訪れた京都の金閣寺【2009年】 私は、祖母が出してくれた学費でホーチミンの日本語学校で1年間勉強しました。学校の掲示板で見た白鳳女子短大(現・白鳳短大)の案内には「奨学金を受給できる」「日本での生活費はアルバイトでまかなえる」「学校がアルバイトを紹介する」という趣旨のことが書いてありました。奨学金にひかれ、ホーチミンで白鳳女子短大の入学試験を受けました。まだ、日本語は下手でしたが、面接官の目を見て「がんばりますから、日本に行かせてください」とお願いし、合格できました。渡航書類は自分で作成し、日本語学校には申請代行費用を約200,000 VND支払っただけで済みました。 京都でのお茶会【2010年11月】 短大経由で大学へ 2005年から2年間、奈良県の白鳳女子短大に通いました。アジアを中心に外国人留学生が1学年で約60人いました。共通言語は日本語です。クラスには留学生だけで、授業も留学生向けでした。 白鳳女子短大の学園祭で【2005年】 私は短大を2年で卒業し、大阪府の梅花女子大学の3年生に編入しました。短大同級生の留学生たちも大半が大学に進みました。私は大学院(修士課程)にも進んで英語の勉強を続け、今も仕事で日本語と英語の両方の通訳・翻訳をしています。短大でも大学や大学院でも日本人の友だちがたくさんでき、日本語がどんどん上達しました。また、寮でもしっかり勉強し、短大2年生のときに日本語能力試験(JLPT)のN2に合格しました。 日本、ベトナム、タイ、モンゴルの交流会で【2006年】 花見【2010年4月】 奨学金 6年間の留学生活うち3年間は、奨学金を受給しました。前年度の学業成績によってもらえない年もありましたが、1年目(短大)は、短大の地元の王寺町から毎月34,000円▽4年目(大学)は、日本学生支援機構(JASSO)から毎月50,000円▽6年目(大学院)は、「ロータリー米山記念奨学会」の奨学金を毎月140,000円――受給しました。奨学金をもらえると、アルバイトを減らして勉強を長い時間することができ、将来の可能性が広がっていきます。 ロータリーの奨学生として地元ロータリークラブの例会に参加【2009年】 【編集部からのアドバイス】トリンさんの奨学金は「ロータリー米山記念奨学会」から支給されました。これは、日本に在留している外国人留学生に対し、日本全国のロータリークラブ会員の寄付金を財源として奨学金を支給する団体です。将来、母国と日本とのかけ橋となって国際社会で活躍する優秀な留学生を支援することを目的としています。全国で年間860人への奨学金支給枠があり、民間の国際奨学団体としては日本で最大です。 http://www.rotary-yoneyama.or.jp/summary アルバイトと日本での暮らし 日本での最初のアルバイト先は餃子店でした。訪日前に短大にEメールを送ってアルバイト紹介を依頼し、大学からの手配でベトナム人留学生の先輩がこの店を紹介してくれたのです。朝5時に起きて自転車で約30分かけて通勤し、6時から2時間働きます。冷凍餃子を箱に詰めてまた冷凍庫に入れることや、キャベツを機械で切って袋に詰めることが、私の仕事でした。終わったら大急ぎで帰宅し、学校に行きます。さらに、土日は8時間ずつ働きます。その後、幼稚園で英語を教える仕事もしました。大学時代はタイ料理店で接客の仕事をしましたが、勉強に力を入れるため、働く時間は減らしました。 奈良県内の幼稚園で園児らに英語を教えました【2007年2月】 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学2年のとき(奨学金あり)※100円=21,540 VND(2020年4月7日現在) 収入(合計 約90,000円) アルバイト(タイ料理店) 40,000円※学業を優先するため、アルバイトは最小限にとどめた。 奨学金(JASSO) 50,000円 支出(合計 約120,000円) 家賃 20,000円※2LDK=2ベッドルーム+大きめのリビング※短大で同級だったタイ人留学生やその友人と3人でシェア 水道・光熱費 5,000円※3人でシェアした場合の1人分 学費 50,000円 食費 20,000円※昼は弁当持参、夜も自炊が多かった 交通費 20,000円※通学の電車代、茶道の交流会に参加するための電車代など 雑費 5,000円※衣類など 差額(貯金)平均マイナス30,000円  ※不足分は親や親せきからの支援※長期休暇時には、群馬県の親戚宅(3世帯)に滞在 夏のお茶会【2009年】 帰国して日系企業に就職 大学院修了後はベトナムに帰国し、日系大手企業のクボタ・ベトナム(農業機械メーカー)で翻訳・通訳や総務を担当しました。しかし、ホーチミンから勤務先のビンズオン省まで会社のバスで往復3時間かかり、帰宅後に勉強するための時間や体力が残らなかったので、6カ月で退職しました。その後、日系大手企業、セコム・ベトナム(警備会社)でも3年半、同様の仕事をしました。働きやすい職場で、4年目の手取り月給も900 USD相当ありました。また、帰宅後に英語や日本語の家庭教師もやり、お金に余裕があったので、周辺国によく旅行をしました。特にタイには短大留学時代の親友もいるので何回も行きました。旅行以外に、高級服もたくさん買いました。 ホーチミンでお茶会のお手伝い【2018年】 本当のやりがいを求めて独立 しかし、海外旅行に行っても、たくさん買い物をしても、満足感は得られませんでした。それは、仕事に本当のやりがいを感じていないからでした。そこで、2019年10月、思い切って独立しました。 独立後は、通訳・翻訳業をしながら、知人の本の出版記念イベントを主催するなど様々なイベントに関わってきました。2019年10月までは、就学前の子どもたちにナイフの使い方や料理、座り方、食べ方、ヨガ、買い物の仕方などを教える教育事業もしましたが、これは教材費がかさんで赤字でした。 2018年9月には日本庭園の事業を始めました。造園会社の社員が独立する際、日本文化に詳しい私に協力を求めてきたのがきっかけです。最近は、造園業者などを集めて日本庭園の勉強会をやり、受講した業者が顧客から日本庭園の造園を受注した際に、その仕事を手伝っています。自社で庭園造りを受注し、こうした業者と一緒に仕事をすることもあります。 ホーチミンで主催した日本庭園に関するセミナー【2019年11月】 念願だった大学教員にも 2019年秋にはホーチミンのHong Bang 国際大学日本語学部の講師になりました。日本語、日本文学、日本人のビジネスマナーを担当し、現在は、新型コロナウイルス感染症の影響でオンライン授業をしています。日本への感謝の気持ちを込めて日本語や日本文化を生徒たちに精一杯教えています。 大学講師になれたのは、ホーチミン市元日本留学生クラブ(JUACH=Japanese Universities Alumni Club in HCM)のおかげです。JUACHはJASSOの日本留学フェアを手伝ったり、独自でもイベントを行ったりしています。私は2016年2月~2019年9月にはJUACHの会長も務め、活動を通じて人脈が広がり、大学講師の仕事も紹介してもらうことができました。 Hong Bang 国際大学で【2020年2月】 JASSOの日本留学フェア【ホーチミンで2018年】 日本に留学する場合、出稼ぎ目的で留学すると、その場限りで終わってしまいます。しかし、留学中に多くを学べば、その後の人生に末永く生かせます。これから留学する皆さんも、留学によってその後の人生を豊かにできるよう、目標や目的意識を持って留学してくださいね。 京都でのお茶会【2010年11月】

    2020年04月21日

  • Vol. 19 途中帰国にめげず、日本語磨いて活躍

    今回の先輩 Tran Thị Nhung (チャン・ティ・ニュン)さん 1994年生まれ、Đăk Nông省出身2012年 6月 Phan Boi Chau(ファン・ボイ・チャウ)高校卒業2012年 9月 石油関連企業に入社(データ入力業務)2016年 9月 留学あっせん会社入社、日本語の勉強開始2017年 4月 静岡県内の日本語学校入学2018年 4月 帰国2018年 5月 ホーチミンの人材会社入社 Tran Thị Nhung (チャン・ティ・ニュン)さん 1994年生まれ、Đăk Nông省出身2012年 6月 Phan Boi Chau(ファン・ボイ・チャウ)高校卒業2012年 9月 石油関連企業に入社(データ入力業務)2016年 9月 留学あっせん会社入社、日本語の勉強開始2017年 4月 静岡県内の日本語学校入学2018年 4月 帰国2018年 5月 ホーチミンの人材会社入社 はじめに 日本で1年間の語学留学をしてベトナムに帰国後、人材会社に就職し、日本語を使って生き生きと働くニュンさん。今も日本語の勉強を続けながら、これから日本に行く技術者や留学生のサポートを担っている。留学で身に付けた日本語力を土台に、帰国後も勉強を続けて仕事の幅を広げているニュンさんの姿勢は、留学を終えた方々にはもちろん、これから留学する人たちにも参考になるであろう。明るく前向きに努力するニュンさんの体験談を紹介する。 アルバイト先の日本人の先輩たちと車でお出かけ【2017年8月】 浜松市内の古着店で【2018年1月】 アルバイト先の日本人の先輩たちと車でお出かけ【2017年8月】 浜松市内の古着店で【2018年1月】 日本での生活とアルバイト 高校卒業後、地元の会社で働いていましたが、仕事にやりがいを感じていませんでした。そんなある日、留学あっせん業者に勤める近所の人から「日本に留学すれば、お金を稼ぎながら勉強できる」と勧められ、日本行きを決心しました。地元の日本語学校で半年間勉強し、2017年4月に訪日。業者から紹介された静岡県浜松市の日本語学校で2年間の予定で語学留学を始めました。学校の寮(2ベッドルーム)にベトナム人4人で暮らしました。一緒に訪日したいとこ(年上の女性)も同じ部屋でした。 【編集部からのアドバイス】 日本への留学を取り次ぐ業者の中には、「日本に行けばたくさん稼げる」とそそのかして多額の手数料を取る業者もおり、被害事例が多数報告されています。在ベトナム日本国大使館からの注意喚起(下記リンク)や当サイトの「私の体験」で先輩たちが書いている「私の家計簿」をよく読んで、日本での収入見込みを冷静に判断してください。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 仲介業者に注意! [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 業者とのトラブル事例 日本語学校のベトナム人仲間と自転車で海辺の公園へ【2017年5月】 私の授業は午前9時~12時30分で、午後は1時間かけて宿題をした後、スーパーマーケットでアルバイトをしました。自転車で約30分かかるので、しばらくして電動自転車を買いました。地方都市では、アルバイト先まで遠いことが多いので、多くの留学生が電動自転車を使います。ただし、家賃や物価は東京と比べてずっと安いです。地方都市で留学する後輩には、雨の日に自転車に乗る際に着る雨がっぱをベトナムから持って行くことをお勧めします。日本の雨がっぱの値段はベトナムの3、4倍もするからです。 訪日直後に寮の前で。地方都市での留学に自転車は必需品。【2017年5月】 アルバイトは週5日間で、時間は午後3時半~9時でした。学校から紹介された職場で、1週間28時間以内という日本の規則を守っていました。私の担当はデリカコーナーで、日本人が数十人、ベトナム人は私を含めて2人でした。日本語で仕事をするので、日本語の練習がたくさんできました。鳥の唐揚げを揚げる▽カレーやご飯を容器に入れる▽お惣菜をパッキングする▽こうした商品に値札をはって店頭に並べる――というのが、私の仕事の内容でした 。 アルバイト先のスーパーで【2017年5月】 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,788 VND(2020年4月4日現在) 収入(合計 約100,000) アルバイト(スーパーマーケット) 100,000円※夏休みなどの長期休みは少し長く働き、給料も増えた 支出(合計 約165,000円) 家賃 20,000円※2ベッドルーム+リビング(4人暮らし) 水道・光熱費 5,000円※水道・電気・ガスの合計(4人で分担) 授業料 100,000円 携帯電話 10,000円※端末費用の分割払いを含む 食費 25,000円※自炊。アルバイト先にも弁当を持参。外食は月に1,2回。 雑費 5,000円 差額(平均 マイナス65,000円) ※不足分は母からの仕送り(1年間で130,000,000 VND)で補いました。 ※携帯電話は、学校から紹介された店で契約し、端末も買いました。しかし、今から思うと、高い端末は必要ありませんでした。これから留学する人は、ベトナムから持って行く携帯電話で生活し、卒業して就職してから高い携帯電話を買えばよいと思います。 浜松市内の衣料品店で【2017年8月】 アルバイト先では日本人の先輩たちに親切にしてもらい、日本語もたくさん話しました。先輩たちは時々、私たちを食事や買い物にも連れて行き、クリスマスには大きなケーキも買ってくれました。 アルバイト先の先輩たちのおごりで外食【2017年8月】 アルバイト先の先輩たちが買ってくれたクリスマスケーキ【2017年12月】 楽しかった留学生活 学校でも、先生たちは親切で、同級生たちとも仲が良く、楽しい留学生活でした。同級生の大半はベトナム人でした。学校の行事で日帰り旅行やクリスマス会もありました。 日本語学校の行事でバスで日帰り旅行【2017年11月】 在留期間を更新できず 充実した留学生活でしたが、在留期間を更新できず、1年で帰国することになりました。理由はよく分かりませんでした。いとこのお姉さんも私より1カ月早く帰国することになりました。 日本での最後の夜、私たちの部屋で送別会【2018年5月】 日本語学校の友だちと寮の近くで。このラーメンが大好きでした。【2018年4月】 帰国後も日本語学習を続ける 不本意な帰国でしたが、日本語がある程度話せるようになったので、語学力を生かせる仕事を探し、日系の人材会社に就職しました。日本語の勉強はあきらめず、仕事が終わってから2時間、日本語を習いに行く日があります。家でFacebookなどを使った日本語の勉強も続けています。日本人のオーナーや同僚とご飯を食べる機会もたくさんあり、仕事中にもアフター5にも日本語を使っています。 会社のオーナーや同僚とサッカー観戦をしながら食事【ホーチミンで2018年】 今の仕事の内容は、会社のFacebookの運用▽留学やエンジニアとして日本に行く人たちのための渡航手続き▽翻訳▽初級の日本語授業――などです。今後は技能実習生の送り出しも手伝う予定です。留学生や実習生には、日本で日本語能力試験(JLPT)のN3を取得して帰ってこられるよう、オンラインで学習を支援する準備を進めています。 エンジニアとして日本で働く若者たちをホーチミンの空港で見送り【2020年2月】 これから日本に行く人たちへ 私は日本に行って、日本人は親切で、仕事に関する責任感が強いということを学びました。そういう人たちに囲まれて勉強や仕事をすることができ、私も成長できたと思います。また、日本では、和食がおいしいですし、電車などの公共交通がとても便利でした。あこがれの桜の花見もできました。 子どものころから好きだった日本アニメを今もよく見ます。テトで郷里に帰ったときは、兄と一緒に日本アニメを見ました。兄は字幕を目で追いますが、私は音声で内容を理解できるようになっています。これから日本に留学に行く人たちにも、日本で精いっぱい学び、日本生活もしっかり味わってほしいと思います。 勤務先の会社の近くの公園で【2018年3月】 ダクノン省の実家の近くで【2020年1月】

    2020年04月21日

  • Vol. 18 実習後、現地法人設立を担当し社長に

    今回の先輩 Lê Thường Tín(レ・トゥオン・ティン)さん 1991年生まれ、ゲアン省出身2013年 7月 VTC高校卒業2014年10月 「新日本商事」で技能実習開始2017年10月 技能実習を終えて帰国2017年10月 「新日本商事ホーチミン駐在員事務所」所長2019年10月 「新日本商事ベトナム」を設立し、社長に就任 Lê Thường Tín(レ・トゥオン・ティン)さん 1991年生まれ、ゲアン省出身2013年 7月 VTC高校卒業2014年10月 「新日本商事」で技能実習開始2017年10月 技能実習を終えて帰国2017年10月 「新日本商事ホーチミン駐在員事務所」所長2019年10月 「新日本商事ベトナム」を設立し、社長に就任 はじめに 建設の技能実習で大勢の日本人に囲まれて外国人1人で働き、実習先の経営者に見込まれて、帰国後に現地法人の立ち上げを任されたティンさん。会社でかわいがられ、週末には他社の技能実習仲間と日本生活をエンジョイした。また、仕事のかたわら、独学で日本語の勉強にも時間をかけた。日本での努力が実り、現地法人の社長として、日本で身に付けた技能と日本語を生かして働くティンさんの体験談を紹介する。 東京近郊に住むベトナム人仲間を頼って東京旅行【新宿駅で2016年8月】 送出機関 私は少ない費用で日本に技能実習に行くことができました。それは、ベトナムの労働・傷病兵・社会問題省と日本の公益財団法人・国際人材育成機構(略称:アイム・ジャパン)との覚書に基づくプログラムで、同省の出先機関である「海外労働センター」がベトナムで選抜試験を行って技能実習生を送り出す制度のおかげでした。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] I’m Japan このプログラムの説明会の案内が新聞に載っており、私は、2014年2月にヴィン市で開かれた説明会に行きました。当時携わっていた塗装の仕事が暇だったので、新しい仕事を探していたのです。その後、ハノイで試験を受けて合格し、3月からハノイの海外労働センターで7カ月間、勉強しました。日本に行くまでに私が支払ったのは寮費・食費の計約20,000,000 VNDだけで、ほかの費用は一切不要でした。ですから、日本に行くための借金もゼロでした。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] I’m Japanプログラムの技能実習生募集に関するページの例 仙台市内の公園で花見。実習先の会長と奥さんが車で連れて行ってくれました。【2015年4月】 建設現場での技能実習 ハノイで勉強を初めて約1カ月後、新日本商事(宮城県美里町)の面接で合格し、2014年10月に日本に行きました。アイム・ジャパンで1カ月間の講習を受けた後、東京に約1週間滞在して「玉がけ」について学び、資格を取得しました。玉がけとはクレーンにものをつり下げたり外したりする作業のことです。 東京での玉掛け講習。タイやベトナムから来た同業種の技能実習生たちと。【2014年11月】 新日本商事ではもう一人のベトナム人と私の2人が技能実習生第1号でした。しかし、もう一人は1年で帰国し、残り2年間は私だけが外国人という環境でした。朝5時半に起きて弁当を作り、7時に家を出ます。現場が遠い場合は4時に家を出ることもありました。現場で8時から17時まで働き、終わったら本社で日報を書いてから帰宅しました。 初めての現場【宮城県で2014年12月】 住宅の足場を組む仕事では3人、太陽光発電の装置を設置する仕事では5~10人でチームを組みます。また、道路の側溝をつくる仕事では5人でした。外国人は私1人だけなので、日本語をうまくなるしかありません。毎日たくさん会話をし、皆さんもゆっくりわかりやすく話してくれました。 太陽光発電装置の設置現場で【宮城県で2015年10月】 私たちが設置した太陽光発電装置【宮城県で2015年10月】 様々なサポート 外国人が少ないので、職場の皆さんが親切にしてくれました。会社の会長も旅行や食事に招待してくれました。会長は3年間で3回、お正月に宮城県の鳴子温泉に1泊2日で連れて行ってくれました。会長が車を運転し、神社で初詣をしてから温泉に行きます。会長も奥さんも私のことを「ティン君」と呼んで大事にしてくれました。 会長ご夫妻と鳴子温泉へ旅行【2015年1月】 会長ご夫妻と鳴子温泉へ旅行【2015年1月】 帰国前には、現場で一緒に仕事をした人だけでなく営業や事務の人を含めて大勢で送別会をしてもらいました。監理団体のアイム・ジャパンも私たちをサポートしてくれました。宮城県内のアイム・ジャパンの実習生が集まる「安全衛生大会」が年に1度あり、安全や教養に関する講習を受け、懇親会もありました。 帰国前に開いてもらった会社の送別会【2017年10月】 仙台市で開かれたアイム・ジャパンの「安全衛生大会」【2017年】 日本での生活 残業がないので手取り給料は決して多くなかったのですが、寮費がなく、朝夕の食事も会社が支給してくれたので、3年間で200万円あまりを実家に送ることができました。アイム・ジャパンのおかげで借金なしで訪日できたので、送金したお金はまるまる貯金になりました。 親せき2人が技能実習で日本に来たので、東京で留学中だった妹(右端)と一緒にガイダンス【埼玉県で2017年8月】 妹や妹の留学仲間と一緒に海水浴【2017年8月】 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,706 VND(2020年4月6日現在) 手取り給料(約105,000円)< 手取り給料 105,000円※税金、社会保険料を引いた後の手取り額の平均※寮費や水道・光熱費はなし(ワンルーム、トイレ・風呂・台所は室外で共用)※これ以外に年に2回、ボーナス(50,000円) 支出(合計 45,000円)< 食費 15,000円※朝食と夕食は寮で会社が無料で支給※弁当の食材と現場で飲むジュース代 雑費 30,000円※衣類、交通費、外食費、本代 差額(貯金) 平均60,000円< ※3カ月ごとに18万円を実家に仕送り 毎週日曜、美里町から仙台に行き、友だちと交流しました。海外労働センターで一緒に学んだ同期6人(=この6人は同じ建設会社)がおり、彼らの寮で一緒にご飯を食べたり、たまにカラオケに行ったりしました。宮城県内の他の同期生が合流することもありました。長期休暇時には一緒に東京や北海道にも行きました。 仙台市内の友人宅にベトナム人仲間が集まり、日本のお正月をお祝い【2017年1月1日】 ベトナム人仲間と仙台駅前で【2017年1月2日】 日本語の勉強 ハノイの海外労働センターでの授業は毎日6時間半ありました。16時に授業が終わり、夕飯後に自習をしましたが、宿題が多いので、午前2時までかかることもありました。私の成績は100人中3、4番でした。 教科書以外に、週末はインターネットでも勉強しました。You Tubeチャンネル「日本語の森」や辞書アプリのmazziを使いました。mazziでは簡単な新聞記事(ふりがな付き)も読め、音声も出ました。 https://mazii.net/ https://mazii.net/search?hl=vi-VN 日本に行ってからも毎晩8時から10時まで勉強し、訪日2年目に日本語能力試験(JLPT)のN2に合格しました。「新完全マスター」シリーズ(スリーエーネットワーク)や「日本語の森」(You Tube)などを使いました。単語や文法はFacebookの学習ページを携帯電話に保存し、仕事の休憩時間や移動の車内で覚えました。土曜・日曜も4時間ぐらい勉強しました。また、テレビのニュースやドラマも見ました。最初はあまり理解できませんでしたが、だんだん分かるようになりました。ベトナムに帰国後も、顧客の6割以上が日系企業なので、Facebookで単語を覚える努力は続けています。 FBの日本語学習ページの情報を携帯電話に保存して勉強 現地法人の立ち上げを手伝い、社長に 技能実習を終えて2017年10月20日にハノイに帰国後、11月1日かは新日本商事のホーチミン駐在員事務所で働き始めました。実習3年目の2017年、会長と一緒にホーチミンに2回行き、市場調査をして駐在員事務所を設置しました。この年の始め、会長から「帰国後、うちの仕事をベトナムで手伝ってほしい」と言われ、「分かりました」と返事をしていました。駐在員事務所は2019年に現地法人に移行し、私は社長を任されました。手取り月給は約22,000,000 VNDです。 日本に出張。新日本商事で会長(右端)やネパール駐在員事務所長と。【2019年12月】 ベトナムで最初に手がけたのは、中古の建築機材(ユンボー、クレーン)を日本からベトナムに輸入して販売する仕事です。また、足場の組み立てと解体を受注し、ローカルの建設会社に下請けに出す仕事もしています。足場関係の顧客の6割以上が日系企業で、日本語力を生かして営業しています。また、足場を組み立て・解体に関しては、技能実習での経験を生かして現場監督もしています。 現地法人のオフィスで【2019年11月】 帰国後、こうして会社の経営を任され、とてもやりがいがあります。新日本商事の社長と会長に感謝しています。従業員はまだおらず、1人で運営していますが、近い将来、技能実習経験者たちを仲間に加え、受注を拡大していきたいと思っています。 婚約式で婚約者や親族と【ゲアン省で2019年12月】

    2020年04月17日

  • vol. 17 特集:こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較

    日本で技能実習をするためには送出機関に依頼しなければなりません。多くの人が親戚や知人、学校の先生などの紹介で送出機関を選んでいますが、実は、送出機関によって費用や教育内容に大きな差があります。自分で情報を集めてよい送出機関を選び、自分で送出機関に連絡することで、費用を大きく節約することができます。 それでは、先輩の技能実習生たちが送出機関に支払った費用はいくらでしょうか?KOKORO編集部が取材した中から8人の実例を紹介します。最後の2社だけが規定の範囲内の費用です。送出機関によって総費用にどれぐらいの差があるのか……驚かないでくださいね。 ※100円=21,678VND(2020年4月8日現在) ケース1:総額187,500,000 VND ・送出機関の所在地:ハノイ ・送出機関の選び方:親の知人の紹介 ・技能実習開始年:2017年(食品工場) ・技能実習3年間の送金額=約200万円(約436,820,000 VND) [iconpress id="local_3262" title="sad" style="color:rgba(215,0,0,1); font-size:25px;" ] 送出機関等に支払った費用 寮費(7カ月分) 500,000 VND 食費(7カ月分) 14,000,000 VND 授業料(7カ月分) 8,000,000 VND 渡航時(送出手数料) 165,000,000 VND 合計 187,500,000 VND ※送出機関に支払った費用の中から、紹介者(親の知人)に1,000 USD相当の謝礼が支払われた。 ※渡航時に実際には165,000,000ドンを支払ったが、領収証は3,600ドル分だけだった。ベトナム政府が決めた上限と同額の領収証だが、実際の支払いは領収証記載額の約2倍だった。 【編集部からのアドバイス】技能実習制度では、仲介者(紹介エージェント)が介入したり仲介者が手数料を受け取ったりすることを送出機関が認めることは禁じられています。在ベトナム日本国大使館は、送出機関を選ぶ際は、仲介者を通さず送出機関に直接連絡(電話・電子メールなど)するよう呼びかけています。送出機関に直接コンタクトしてうまくいかない場合は、別の送出機関を選ぶこともできます。 ※仲介業者に関する在ベトナム日本国大使館公式サイトのページ ※外国人技能実習機構(OTIT)が公表している送出機関の一覧 【編集部からのアドバイス】ベトナム政府の規定では、日本語の事前教育費は約520時間に対し590万ドン以下、送出手数料は3,600ドル以下(3年契約の場合)となっています。また、日本への往復の旅費は日本の技能実習先(受入企業)が負担することになっています。これらを上回る金額の場合は、内容を確認した上で領収書をもらいましょう。また、金額が不透明な場合は、他の送出機関の選択も検討しましょう。 ケース2:総額145,000,000 VND ・送出機関の所在地:ハノイ ・送出機関の選び方:親戚の知人の紹介 ・技能実習開始年:2016年(食品工場) ・技能実習3年間の送金=約280万円(611,548,000 VND) [iconpress id="local_3262" title="sad" style="color:rgba(215,0,0,1); font-size:25px;" ] 送出機関等に支払った費用 紹介手数料 20,000,000 VND 寮費(6カ月分) 15,000,000 VND 授業料(6カ月分) 20,000,000 VND 渡航時(送出手数料) 90,000,000 VND 合計 145,000,000 VND ※「紹介手数料」は親戚の知人への支払い ※「送出手数料」には日本に行く飛行機代も含む(=本当は払わなくてよい) ケース3:総額180,000,000 VND ・送出機関の所在地:ハノイ ・送出機関の選び方:学校の先生の紹介 ・技能実習開始年:2015年(工場) ・技能実習3年間の送金=約150万円 (327,615,000 VND) [iconpress id="local_3262" title="sad" style="color:rgba(215,0,0,1); font-size:25px;" ] 送出機関等に支払った手数料 紹介手数料 なし VND 寮費(7カ月分) 120,000,000 VND 授業料(7カ月分) 送出手数料 教科書 食費、雑費 60,000,000 VND 合計 180,000,000 VND  ※「送出手数料」には日本に行く飛行機代も含む(=本当は払わなくてよい) ケース4:総額220,000,000 VND ・送出機関の所在地:ハノイ ・送出機関の選び方:友人が使った送出機関 ・技能実習開始年:2016年(食品工場) ・技能実習3年間の送金=約250万円 (546,025,000 VND) [iconpress id="local_3262" title="sad" style="color:rgba(215,0,0,1); font-size:25px;" ] 送出機関等に支払った手数料 紹介手数料 10,000,000 VND 寮費(6カ月分) 210,000,000 VND 授業料(6カ月分) 渡航時(送出手数料) 合計 220,000,000 VND ケース5:総額142,000,000 VND ・送出機関の所在地:ハノイ ・送出機関の選び方:大学で説明があった ・技能実習開始年:2014年(工場) ・技能実習3年間の送金=約200万円 (約436,820,000 VND) [iconpress id="local_3262" title="sad" style="color:rgba(215,0,0,1); font-size:25px;" ] 送出機関に支払った費用 紹介手数料 不明 VND 寮費(4カ月分) 142,000,000 VND 授業料(4カ月分) 渡航時(送出手数料) 合計 142,000,000 VND ※これ以外に渡航時に「保証金」として2,000 USDを送出機関に預け、帰国後に返してもらった。技能実習の途中で失踪しないようにするための保証金だった。 【編集部からのアドバイス】ベトナム政府の規定では、送出機関が保証金を預かることは禁止されています。 ケース6:総額140,000,000 VND ・送出機関の所在地:ハノイ ・送出機関の選び方:親戚の勤務先 ・技能実習開始年:2018年(建設) (917,322,000 VND) ・技能実習3年間の送金(見込み)=約420万円 ※【編集部・註】日本でどんなに節約しても、これほど大きな金額を送金できるケースはめったにありません。 [iconpress id="local_3262" title="sad" style="color:rgba(215,0,0,1); font-size:25px;" ] 送出機関に支払った費用 紹介手数料 なし VND 寮費(6カ月分) 140,000,000 VND 授業料(6カ月分) 渡航時(送出手数料) 合計 140,000,000 VND ケース7:総額90,000,000 VND ・送出機関の所在地:ホーチミン ・送出機関の選び方:インターネットのレビューをよく読んで、よさそうな送出機関を探した ・技能実習開始年:2015年(工場) ・技能実習3年間の送金=約200万円(約436,820,000 VND) [iconpress id="local_99" title="smile" style="color:rgba(0,207,249,1); font-size:25px;" ] 送出機関に支払った費用 紹介手数料 なし VND 寮費 なし(通学) VND 授業料(12カ月分) 90,000,000 VND 送出手数料 合計 90,000,000 VND 【編集部によるこの送出機関への取材結果】 ※有料の紹介は受けない ※寮はあるが、強制ではない ※行政が決めた費用の上限を守っている ※この人は社会人向けの日本語コースに1年間通った ケース8:総額105,000,000 VND ・送出機関の所在地:ハノイ ・送出機関の選び方:親戚の勤務先 ・技能実習開始年:2019年(食品工場) ・技能実習3年間の送金(見込み)=約300万円(約655,230,000 VND) [iconpress id="local_99" title="smile" style="color:rgba(0,207,249,1); font-size:25px;" ] 送出機関に支払った費用 紹介手数料 なし VND 寮費(12カ月分) 105,000,000 VND 授業料(12カ月分) 送出手数料 合計 105,000,000 VND 【編集部によるこの送出機関への取材結果】 ※行政が決めた費用の上限を守っている ※食事は自炊か近くの食堂利用(自己負担) まとめ:送出機関の選び方 ①知人や親戚の紹介がベストの送出機関とは限らない②送出機関によって総費用が大きく異なる ③高い費用を払ったからといって、よい技能実習先を紹介されるとは限らない。逆に、安い費用でもよい実習先を紹介してもらえる事例はたくさんある。④送出機関に自分で連絡して手続きをするだけで、違法な紹介手数料(1,000 USD相当のケースが多い)を支払わなくてすむ。直接の申し込みを断られた場合、他の送出機関を検討してもよい。 ⑤情報を収集して自分で送出機関を選ぶことが一番大事・まずKOKOROサイトの体験談を読み、いろんなケースがあることを理解する。https://www.kokoro-vj.org/vi/post_category/category/kinh-nghiem-cua-toi・場合によっては、KOKOROで体験談が紹介されている先輩に問い合わせる(=メールアドレスを掲載している先輩がいる)。・他のインターネットサイトも調べる(特にレビューをたくさん読む)。・複数の技能実習経験者に送出機関に関する情報を教えてもらう。 ⑥紹介手数料(紹介者に支払う謝礼)を禁止している送出機関は費用の上限を守っている確率が高いので、そういう送出機関を探す。 【送出機関に詳しい専門家からのアドバイス】・これから送出機関を選ぶ人へのアドバイスは?――技能実習経験者から情報を集めるのが有効です。ただし、実習を終了して帰国した人よりも、現在日本にいる現役の技能実習生から話を聞くのが一番よいと思います。帰国した実習生は特定の送出機関と結びつき、手数料と引き換えにその送出機関に生徒を集める役割を持っているケースが多いからです。・現役の実習生に何を聞けばいいですか?――この特集記事に書かれているような、送出機関に支払った費用や送出機関での教育内容を聞きましょう。また、現役の実習生は受入組合で知り合った他の実習生とも情報交換していますので、他の送出機関の情報も知っています。・一般には、親戚・知人や学校の先生から送出機関を紹介してもらうケースが多いですが。――全員とまではいいませんが、大半が送出機関から手数料をもらう「ブローカー」という立場の人たちです。自分で情報を収集することで費用を大きく節約できる可能性があります。  ※送出機関の選び方について、詳しくはKOKOROサイトの下記ページも参照してください。 5. Những điểm cần chú ý trong chế độ thực tập kỹ năng : [Lựa chọn công ty phái cử] 【送出機関の手数料のポイント】  送出機関が技能実習生から受け取る費用は海外労働管理局(DOLAB)の通達で下記のように定められています。 ・送出手数料(渡航に関する費用)…通常(3年契約)の場合で3,600 USD以下 ・在留資格認定証明書が発給される前の費用徴収は禁止 ・保証金を徴収することは禁止・約520時間の日本語教育に対する「事前教育費」は5,900,000 VND以下

    2020年04月17日

  • Vol. 16 歌やYouTubeなど留学中に多彩な活動

    今回の先輩 Duong Thuy Linh(ズオン・トゥイ・リンさん) 1988年生まれ、タインホア省出身 2006年 5月LAM SON専門高校卒業(専攻:英語) 2006年 9月ハノイ国家大学外国語大学東洋言語文化学部入学(専攻:日本語) 2010年 5月ハノイ国家大学外国語大学東洋言語文化学部卒業 2010年 9月佐賀大学文化教育学部研究生 2012年 4月佐賀大学大学院社会教育学研究科(修士課程)入学 2014年 3月佐賀大学大学院社会教育学研究科(修士課程)卒業 2014年 4月長崎国際大学(グローバル人材育成プログラム担当) 2017年 4月東京の日本外国語専門学校で日本語教師 2019年 4月帰国し、ホーチミン在住、長期出張でハノイの日本語センター校長 2020年 1月エスハイ留学事業部長 E-mail: dlinh.nihon@gmail.com はじめに 日本で8年半暮らし、大学院生や日本語学校教師などを経験し、ベトナムに戻った今は留学希望者の指導を担当しているリンさん。リンさんは日本で、歌やロータリークラブの活動、在留ベトナム人支援のコミュニティサイト制作、日本語学習支援のYou Tube チャンネル運営など、多彩な活動を展開した。学習と社会活動、そして充実した仕事。リンさんが日本で得た多くのものを、本人が体験談として紹介する。 外国語学校の修学旅行で生徒たちと【2018年5月】 日本行きを決心 私は高校で英語を専攻しましたが、大学の学部を決める際、「英語を流ちょうに話す人はとても多いので、ほかの言語を習った方が活躍の場が多いのでは」と母からアドバイスされ、日本語を専攻することにしました。日本語を選んだ理由には次のようなものがあります。 ・自宅にヤマハのオートバイやソニーのテレビなどがあり、日本に親近感があった。・中学時代にテレビ番組「おしん」がベトナムで大流行し、日本人の忍耐力に感嘆した。 大学での日本語の勉強では、新たに習った単語を使って文章を作り、それを繰り返し音読しました。その後、日本語力を生かした仕事をできるようになりたいと思い、日本留学を決意しました。 ベトナムの伝統的な服「アオザイ」を着て花見を楽しむ【福岡市で2015年4月】 長崎県のハウステンボスで華やかな百合の花に囲まれて【2016年6月】 ロータリークラブの奨学金を受給 私はハノイ国家大学と提携する佐賀大学の研究生になりました。大学院進学の準備コースのような位置付けです。留学手続きはすべて大学がやってくれました。 研究生の間は、唐揚げ店の店員やスーパーの寿司コーナーの調理室でアルバイトをして生活しましたが、大学院の2年間は、ロータリークラブの奨学金(毎月14万円)を受給できました。佐賀大学大学院でこの奨学金のベトナム人への支給枠は2名で、学内掲示板で知って応募しました。社会貢献への思いなどを書いた志望理由書や研究生のときの成績、大学院入試(日本語、英語、面接)の成績などが選考材料となりました。 嬉野(佐賀県)へ友だちとドライブ【2013年】 佐賀大学のキャンパス【2012年】 【編集部からのアドバイス】  リンさんの奨学金は「ロータリー米山記念奨学会」から支給されました。これは、日本に在留している外国人留学生に対し、日本全国のロータリークラブ会員の寄付金を財源として奨学金を支給する団体です。将来、母国と日本とのかけ橋となって国際社会で活躍する優秀な留学生を支援することを目的としています。全国で年間860人への奨学金支給枠があり、民間の国際奨学団体としては日本で最大です。 お着物の着付けの体験【2016年】 歌との出会い 日本には毎週日曜、「NHKのど自慢」という人気テレビ番組があります。全国各地で開催され、一般の人が予選に参加できます。20組だけ本選に進め、本選でうまく歌うと合格の合図の鐘がたくさん鳴ります。合格は3人に1人ぐらいです。私は訪日1年後、佐賀市文化会館で開かれた「のど自慢」に参加し、数百人の中から予選を突破して本選に進み、合格しました。そのとき、千数百人のお客さんから大きな拍手をもらって気分が高揚し、これからもたくさんの人に自分の歌を聞いてもらいたいと思うようになりました。 私は子どものころから歌うのが好きでした。佐賀大学の近くにカラオケ喫茶があり、気晴らしのために、日本人の学友と一緒に月2回ほど通うようになりました(この友人とは今も交流があり、ベトナムにも遊びに来てくれました)。ここの常連客に元歌手がいて、その人の紹介で「のど自慢」を始め地元の様々な歌の大会に出るようになったのです。大会で入賞してもらったトロフィーは15本あります。その後、就職してからはライブ活動も始め、東京でも2年間で2回、帰国後にハノイでも1回、ライブを開催しました。 在福岡ベトナム総領事館主催のテト・イベントで歌と司会。九州各地の大会で入賞し、あちこちから歌や司会の依頼がくるようになった。【2016年1月】 帰国後にハノイでライブショー【2019年5月】 私の歌の歴史 YouTubeで日本語学習支援 私は訪日後間もなく、Youtube で日本語学習動画を流し始めました。漢字の覚え方▽日本人と話す際に注意すること(発音の特徴など)▽日本語能力試験(JLPT)の解き方のこつーーといった内容です。後輩へのアドバイスのため、自分が日本人と会話する中で気づいたことを中心に伝えました。このYou Tubeチャンネルは人気が出て、再生回数が20万回に上る動画もありました。これから日本に来るベトナムの後輩の方々にも役に立つと思いますので、よかったら参考にしてください。私が歌う日本語の歌もアップされています。 Dương Linh Official channel(登録者1.85万人) 私のYou Tube番組を視聴してくれたダナン外国語大学の皆さんと交流【ダナンで2019年5月】 日本で就職、そして転職 金沢のロータリークラブから招待され、金沢の外国人留学生向けに体験談を発表後、「兼六園」という有名な庭園を見学 奨学金でお世話になったロータリークラブの方々とはよく交流し、アオザイ姿でロータリーの行事に出てベトナム文化を紹介したこともあります。この奨学金を受給する学生の会の会長にもなり、遠方のロータリーに呼ばれて留学生活について話したこともあります。ロータリーの皆さまとの交流は今も続いています。 ロータリーには留学生担当のカウンセラーがおられ、生活や勉強の相談に乗ってくださいました。私はその方を「お父さん」と呼んでいました。大学院を卒業後、「お父さん」の紹介で長崎国際大学に就職しました。そこでは、ベトナム人留学生への日本語会話授業を担当したほか、多文化共生のための合宿研修や多国籍料理イベントなどを企画・開催しました。 山梨県に旅行【2017年】 長崎で3年働いた後、東京の「日本外国語専門学校」の教師になりました。大きな外国語学校です。私はベトナム人向けの「日越通訳・翻訳科」と日本人向けの「ベトナム語科」を担当し、毎日8時半から21時まで働きました。授業以外に教材作成や採点、生徒募集などの仕事があり、都内の日本語学校約30校を回ってベトナム人生徒を募集したり、生徒募集イベントを企画したりしました。赴任時に約20人だったベトナム人学生は2年間で4倍近くに増えました。 日本文化を学ぶ授業で生徒たちが浴衣を体験【学校前で2018年7月】 授業はやりがいがあり生徒たちも慕ってくれるので、生徒たちがかわいくて仕方ありませんでした。忙しくて、毎日昼休みにカップラーメンやコンビニのおにぎりを食べている私を見て、お弁当を作って持ってきてくれる生徒もいました。ベトナム語で「ズオン先生、大好き」と書いたカードをくれる生徒たちもいました。 バレンタインデーに教室で生徒たちと【2019年2月】 卒業式後、日本人の生徒たちが残してくれたメッセージカード【2019年3月】 帰国前に生徒たちが開いてくれた送別会で【2019年3月】 私の家計簿(1カ月の平均) ※東京での暮らしがどういうものか、就職後の東京での家計簿を参考に紹介します。 ※100円=21,943 VND(2020年3月31日現在) [supsystic-tables id=21] これから日本に来る生徒達のために 日本で暮らした8年半は私にとってかけがえのない時間です。たくさんの出会いと親切に支えられた九州での6年半。そこには私の青春の思い出が詰まっています。また、上司や同僚の教師たちと家族のように付き合い、生徒たちとも深く関わった東京での教師生活もとても充実していました。 2019年4月に帰国後も日本語教育に関わる仕事を続けています。この年には、ハノイの人材会社の日本語センターで校長を任されました。また、2020年1月からはホーチミンの大手人材会社「エスハイ」の留学事業部長として、日本への留学を目指す生徒たちの指導を担当しています。後輩の皆さんにも、できるだけいい留学生活をしてほしいので、困ったときは相談メールを送ってください(時間の許す範囲で対応します)。 ハノイにて【2019年5月】

    2020年04月13日

  • Vol. 15 日本の国立大に直接入学 / 奨学金で6年間

    今回の先輩 Nguyễn Thị Hồng Minh (グエン・ティ・ホン・ミン)さん 1994年生まれ、バクニン省出身 2012年 6月  Trung Hoc Pho Thong Chuyen Khoa Hoc Tu Nhien – Dai Hoc Khoa Hoc Tu Nhien(ハノイ国家大学自然科学大学付属英才高校) 卒業 2012年 10月  九州大学工学部入学2016年 9月 九州大学工学部卒業2016年10月 九州大学工学部大学院修士課程入学2018年 8月 九州大学工学部大学院修士課程卒業 2018年11月 American STEMのスタッフとしてハノイ勤務 2019年11月 埼玉県富士見市に移住 はじめに 幼少時に事故で父を亡くしたミンさん。その後は、兄とミンさんを母親が一人で育ててくれた。優秀で勉強家だったミンさんはベトナムで1、2位を争う高校に進学。卒業前にJASSO(日本学生支援機構)がハノイで主催した日本留学フェアに参加し、日本政府の奨学金で日本に留学できる制度を知って応募した。そして、選考にパスして日本の国立大学・九州大学に入学し、大学院にも進学した。 留学先の九州大学伊都キャンパス【2017年3月】 大学院の研究仲間と飲み会【2017年5月】 九大で英語の授業だけで大学や大学院修士課程を卒業し、授業以外の場で日本語力も身につけたミンさん。本人が書いた体験談を以下に紹介する。 奨学金で学位と修士を取得 日本の名門国立大学「九州大学」(福岡県)が当時、Global30という日本の文部科学省の事業に採択されていました。英語の授業だけで学位を取れるコースを増やしたり外国人留学生の受け入れ態勢を充実させたりする事業です。この事業で、九大では、外国人留学生に国費奨学金(文科省の奨学金)を支給するか、国費奨学金の選考にもれた留学生には九大の奨学金を支給する制度がありました。私は国費奨学金を支給され、2012年から4年間、毎月12万円の国費をもらって生活し、授業料も免除されました。また、大学院の2年間もパナソニックから毎月12万円の奨学金をもらい、授業料も免除されました。 2枚とも=ベトナム人仲間で大分県の「くじゅう花公園」へ【2017年5月】 福岡県八女市の星野村に日帰り旅行【2017年5月】 JASSOの留学フェアを活用 私の実家は大豆農家です。8才の時に父が交通事故で亡くなり、母が兄と私を育ててくれました。高校には安い費用で行けましたが、一流大学に行くには学費がかさむので、私は奨学金で大学に行く道を探していました。すると、ベトナム国内で進学するより海外留学の方が奨学金制度が充実していることが分かり、海外に留学しようと考えるようになりました。 そんなとき、JASSOの日本留学フェアに出会いました。JASSOが主催する留学説明会で、日本の大学がたくさん参加し、外国人留学生のためのコースや支援制度を紹介しています。私はハノイのフェアで九大の留学プログラムのパンフレットをもらい、九大に書類を郵送して出願しました。JASSOはハノイとホーチミンで毎年1回ずつ日本留学フェアを開催しており、ハノイにあるJASSOベトナム事務所では普段も日本留学に関する相談に乗ってくれます。後輩の皆さんも活用されてはいかがでしょうか。 JASSOベトナム事務所 私はその後、筆記試験(数学、化学=問題文は英語)と面接(英語)をハノイで受けました。また、TOEFL IBT(Internet Based Test)で120点満点中80点以上を取ることも条件でした。こうして私は九大工学部に入学できました。 日本での生活 日本では奨学金を頂いたので、勉強に多くの時間をさくことができました。学部や大学院では材料工学(Material Engineering)を専攻しました。 アルバイトは大学食堂のレジ担当と外国人留学生への家庭教師ぐらいでした。私は数学が得意だったので、九大から依頼されて後輩留学生に微分・積分などを教えたのです。 福岡市内で散歩【2014年8月】 . . 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,943 VND(2020年3月31日現在) [supsystic-tables id=19] . . 研究室の仲間とカラオケ【2015年9月】 日本語の勉強 大学の単位はすべて英語の授業で取りましたが、1年生の時に大学で日本語の授業が少しありました。それ以外には、NHKが提供している“Learn Japanese”というサイトで自分で日本語を勉強しました。 NHK提供の日本語学習サイトhttps://www3.nhk.or.jp/nhkworld/vi/learnjapanese/ また、大学ではチェスのサークルに参加し、日本人のサークル仲間とたくさん会話をし、日本語も上達しました。3年生からは研究室の仲間とも食事や遊び、旅行に行きました。 福岡市のアサヒビール園で研究室の先輩と飲み会【2015年7月】 日本をエンジョイ 休暇時には、大阪青年会議所が主催するPCY(世界学生平和会議)などイベントに参加したり、大学の研究室仲間で旅行をしたり、ベトナム人仲間で旅行をするなど日本生活を楽しみました。 PCYに参加し高野山へ。日本や各国の学生と交流しました。【2014年8月】 PCYのプログラムで高野山のお寺で日本人大学生らと一緒に座禅【2014年8月】 高野山にて【2014年8月】 大学の研究室の仲間と熊本旅行【2015年9月】 卒業後 九大の助教授(数学)をしていたベトナム人男性と留学中に出会い、大学院卒業後の2018年12月に結婚しました。彼は私の高校の先輩で、今は日本の名門私立大である早稲田大学で准教授をしています。 九大のベトナム人グループで鹿児島に旅行。右から2人目が今の夫。【2018年5月】 ハノイのコーヒーショップで【2019年10月】 また、卒業後の2018年8~10月には、ウガンダでAshinaga Africa Initiativeのインターンをし、同年11月からはAmerican STEM(Science + Technology + Engineering + Mathematics)のスタッフとしてハノイの小中学校で教師や生徒らに理系の基礎になる知識を教えました。日本で学んだ専門知識がこの仕事で役立ちました。 2019年11月からは夫の住む埼玉県に移り、現在、自然科学系の教師の仕事を探しています。また、友人と一緒に2019年7月に立ち上げた“Opportunity Hunting” というFacebookページで、留学を希望するベトナム人学生のお手伝いをするソーシャル・ビジネスを続けています。留学希望者が留学生の学校や奨学金を探したりCV や希望動機書を書いたりするのを安い費用で支援する事業です。後輩のベトナム人学生の方々にもぜひよい留学をしていただきたいと思っています。 ・Opportunity Hunting  https://www.facebook.com/DuHocSanHocBong/

    2020年04月08日

主催者

Nhà tài trợ Bạch Kim

後援

  • 在ベトナム日本国大使館
  • 国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
  • JNTOハノイ事務所
  • 関西経済連合会
  • 一般社団法人 国際人流振興協会
  • 公益社団法人 ベトナム協会
  • NPO法人 日越ともいき支援会

協力

JASSO(日本学生支援機構)

外国人労働者弁護団

WA.SA.Bi.