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ベトナムから海外留学する人がまだ少なかった1990年代に日本に留学したニエンさん。留学仲間の夫が沖縄で就職したため彼女も沖縄に長く住むことになり、その間に日本の文学小説をたくさん翻訳し、ベトナムで出版。最近は、沖縄に住むベトナム人技能実習生たちのサポートにも力を入れています。 今回の先輩 グエン・ド・アン・二エンさん 1994年ホーチミン国家大学東洋学部入学 1997年名桜大学で交換留学〈沖縄、1年間〉 1999年ホーチミン国家大学卒業 1999年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈2年間〉 2001年名桜大学大学院修士課程入学 2003年修士課程修了 2003年大阪府立国際児童文学館外国人研究員〈6カ月〉 2004年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈4年間〉 2004年TRE出版社で日本語通訳・翻訳〈4年間〉 2011年名桜大学附属図書館でアルバイト〈5年間〉 2011年名桜大学非常勤講師〈現在も〉 2022年沖縄大学非常勤講師〈現在も〉 〈1976年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 •...
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【在ベトナム日本国大使館後援】
今回の先輩 グエン・フィ・フンさん 1995年生まれ、ハイフォン市出身 2013年 6月 Nguyễn Bỉnh Khiêm高校卒業2013~2017年 建設業、飲食店店員、農業など2017年12月 ハノイの送出機関に所属2018年 1月 面接合格2018年10月 アクティスで技能実習開始 E-mail: Huyhung25081995@gmail.com グエン・フィ・フンさん 1995年生まれ、ハイフォン市出身 2013年 6月 Nguyễn Bỉnh Khiêm高校卒業2013~2017年 建設業、飲食店店員、農業など2017年12月 ハノイの送出機関に所属2018年 1月 面接合格2018年10月 アクティスで技能実習開始 E-mail: Huyhung25081995@gmail.com はじめに 建築会社で実習するフンさんら技能実習生3人が住む福岡市郊外の寮(マンションの1室)を訪ねた。広いリビングルームと寝室二つの部屋に3人は暮らし、日本人の先輩もよく遊びに来る。夏は暑く冬は寒い屋外の現場で3人は一生懸命働き、日本人の先輩たちからも大事にされているという。彼らの実習や生活の様子、訪日から1年弱でN3に合格した勉強の仕方などを、フンさんの体験談で紹介する。 寮でルームメートや日本人の先輩と。左端がフンさん。【2019年10月】 建築の技能実習 私たちの現場と鉄筋。福岡市内の高層マンション建築現場で。【2019年7月】 私の実習先は福岡県大野城市の建築会社「アクティス」で、社員は数十人です。ベトナム人技能実習生は福岡に私たち3人、関東の営業所に6人います。 日本は地震の多い国なので、建築物の柱に鉄筋がたくさん入っています。鉄筋は工場から運ばれてきたときは4㍍しかないので、建築現場で「圧接」や「溶接」という手法でつなぎ合わせ、必用な長さにします。その鉄筋を縦横に組んで柱の形にし、周囲にコンクリートを流し込みます。私たちが現場で鉄筋をつなぐと、後の仕事はほかの会社が担当します。 圧接してつないだ鉄筋 実習生は、熟練作業員が鉄筋を圧接するための準備(現場を掃除、鉄筋や機材の運搬・セッティング、鉄筋のさびた部分を切除など)と片付けを担当しています。7時までに出社し朝礼に参加後、車で現場に行きます。現場での勤務は8時~17時(途中で休憩が計2時間)の場合が多く、その後、会社に戻って翌日の機材をそろえます。現場での圧接作業には経験が必用ですが、私たち実習生も毎月1度、訓練で圧接の練習をします。訓練や会議(週1回)で帰宅が遅くなった場合や遠くの現場に行くために朝早く出た場合は、残業代が支払われます。 福岡市北部の作業現場から見た夕日【2019年1月】 やさしい職場 訪日したばかりのときは、日本語も仕事もあまり分かりませんでしたが、日本人の先輩たちが丁寧に教えてくれました。失敗しても怒らず、おだやかに教えてくれます。会社の日本人が皆やさしく、働きやすい職場です。私の弟は高校生ですが、卒業したらこの会社の実習の面接を受けさせる予定です。 社員全員で沖縄に年に1度の研修旅行(2泊3日)【2019年3月】 研修旅行の際、沖縄の「美ら海水族館」で【2019年3月】 大先輩の喜納(きな)弘さん(60)は私たちの面倒を特によくみてくれます。週末に寮を訪ねてきて一緒にご飯を食べることも多いですし、ときどき私たちを近くの観光地に案内してくれます。また、社長も年に数回、寮に遊びに来て一緒にご飯を食べます。私の誕生日には社長の奥さんもケーキを持って来て一緒に祝ってくれました。また、職場の20人近くで焼き肉やおでんを食べにいくこともあります。 寮に社長(左端)が訪れ一緒に食事【2019年8月】 【インタビュー】職場の大先輩・喜納弘さんの話 フン君は、最初から日本語が上手だったので話しやすく、すぐに親しくなりました。性格も素直で、職場の皆からかわいがられています。私はフン君とルームメートのマオ君、カオ君を孫のように思っており、週末はよく一緒に過ごしています。 私たちの現場作業はとても忙しいのですが、この3人は指示された仕事を確実にこなします。また、機材の名前や仕事の流れを覚えるのも早かったです。最近、日本の建築業には若い人が集まらず、うちの職場も大半が40代か50代です。若い人はほとんどが半年以内にやめ、長く続くのは5人に1人ぐらいです。そんな中、ベトナムからフン君たちのような優秀な人材が来てくれて助かっています。 喜納さんやマオさんと一緒に福岡県内でイチゴ狩り【2019年1月】 送出機関 私はハノイの送出機関で6カ月間勉強をしてから訪日しました。高校卒業後、中国系の工場で働いていましたが、送出機関で働いている親戚から「日本に行けば、給料が高いし日本語も勉強できる。帰国後、日本語力を生かした仕事もある」と勧められたのがきっかけです。2018年1月、アクティスの社長が送出機関に面接に来て、7人の中から私と今のルームメートのマオ君の2人を選んでくれました。 ハノイで送出機関の仲間たちと【2018年5月】 送出機関には、寮費、食事代、授業料、送出手数料などすべて含めて140,000,000ドンを支払いました。ここに支払ったお金と日本への持参金、雑費を含め、父は銀行から計200,000,000ドンを借りました。 日本での生活 広くてきれいな寮ですが、寮費は1人5,000円だけです。実家に毎週1回、メッセンジャーのビデオ電話をかけますが、Wi-Fiも寮費に含まれています。また、家具や家電はすべて会社が用意してくれました。ほかの出費は、食費とたまに遊びにいくためのお金、衣類ぐらいで、1カ月で約5万円です。 休日に博多駅前で。2カ月に1度ぐらい、博多などの繁華街に出かける。【2019年8月】 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,943 VND(2020年3月31日現在) 収入(180,000円~220,000円) 手取り給料 180,000円~220,000円 ※税金、社会保険料、寮費、水道・光熱費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は5,000円(2ベッドルームに3人/冷蔵庫・洗濯機・エアコンなど家電は会社が用意) ※このうち水道・光熱費(水道・電気・ガス)は毎月5,000円 ※Wi-Fiも寮費に含まれる 支出(合計 50,000円) 食費・交通費・雑費 50,000円 ※夕食は自炊。朝食はコンビニでパンを購入。作業現場でジュースやランチの弁当を購入。 ※たまにルームメートや友人と遊びに行く ※衣類なども含む 差額(貯金) 130,000~170,000円 ※貯金を両親に送金。借金200,000,000 VNDは1年間で完済。 ※【編集部から】貯金できる額は実習先によって大きく異なるので、事前の情報収集が大切です。 福岡市内で喜納さんたちとリバークルーズ【2019年8月】 1年間でN3合格 私は訪日して10カ月後の日本語能力試験(JLPT)でN3に受かりました。私は子どものときから日本のアニメに親しんできました。一番好きなのは「ONE PIECE」で、ベトナム語版の本も持っています。2番は「ドラゴンボール」です。送出機関で日本語の勉強を始めて、アニメ動画(字幕:ベトナム語)の日本語音声が少しわかるようになり、今はかなり分かります。 送出機関では、授業にも宿題にも真面目に取り組み、You Tubeでも勉強して、約300人の中で一番の成績でした。送出機関の先生(N2)には今でもメッセンジャーのビデオ電話で日本語の文法などを教えてもらっています。1回1時間で、以前は週3回電話していましたが、今は月に10回です。 送出機関の日本語センターの先生(中央)やクラスメートと【2018年1月】 訪日後は、週に2回、19時~21時、会社の費用負担でベトナム人留学生(N1)が会社にきて日本語を教えてくれます。それ以外は、日本語教材やYou Tubeで勉強しています。You Tubeでは「日本語の森」や「Riki nihongo」をよく見ます。 ■Riki nihongo 携帯電話はSIMを使わず、Wi-Fiだけでの使用です。You Tube動画やFacebookで紹介されている単語、模擬試験の問題などを携帯電話機に保存し、仕事の休憩時間に覚えています。分からない問題は、先輩の日本人たちに聞くと、皆さん親切に教えてくれます。 Facebookの学習ページのスクリーンショット 日本語の問題も携帯電話に保存して仕事の休憩時間に学習【2019年10月】 最後に 日本に来て一番よかったのは、空気がきれいなことと、日本語で話す機会がとても多いことです。技能実習が終わったら特定技能の在留資格を取得し、引き続き今の会社で働きたいと希望しています。将来はベトナムでも圧接・溶接の技術が必要とされる時代が来ると思うので、10年ほど日本で働いたら、学んだ技能を生かしてベトナムで建築の仕事を続けたいと思います。 寮で手料理を前に【2019年10月】
2020年04月06日
今回の先輩 ファム・キム・ホンさん 1979年生まれ、ホーチミン市出身 1997年 GIA DINH高等学校卒業1997年 Dai Hoc Bach Khoa Ho Chi Minh(ホーチミン市工科大学)建設学部水資源学科 入学2002年 Dai Hoc Bach Khoa Ho Chi Minh卒業2003年 SAWACOの子会社 入社2005年 SAWACOの子会社 退社2005年 東京の日本語学校 入学2007年 東京の日本語学校 卒業2007年 ニャットベット社 入社2008年 ニャットベット社 退社2008年 東神開発ホーチミン市駐在員事務所 入社2015年 東神会社ホーチミン市駐在員事務所 退社2015年 独立(YUMIYAコンサルテイング会社設立+フリーランスの通訳) Mail: Hongphamnv12@gmail.com ファム・キム・ホンさん 1979年生まれ、ホーチミン市出身 1997年 GIA DINH高等学校卒業1997年 Dai Hoc Bach Khoa Ho Chi Minh(ホーチミン市工科大学)建設学部水資源学科 入学2002年 Dai Hoc Bach Khoa Ho Chi Minh卒業2003年 SAWACOの子会社 入社2005年 SAWACOの子会社 退社2005年 東京の日本語学校 入学2007年 東京の日本語学校 卒業2007年 ニャットベット社 入社2008年 ニャットベット社 退社2008年 東神開発ホーチミン市駐在員事務所 入社2015年 東神会社ホーチミン市駐在員事務所 退社2015年 独立(YUMIYAコンサルテイング会社設立+フリーランスの通訳) Mail: Hongphamnv12@gmail.com はじめに 日本の大企業や行政などがベトナムで主催する大きなイベントに行くたび、同じような顔ぶれの日本語通訳者たちを見かける。トップ通訳のグループで、ホンさんはその1人だ。ホンさんはホーチミンの超一流大学を出て就職後、キャリアアップを思い立って語学留学のために日本に渡った。まだ日本留学が少なかったころだ。ホンさんが日本で送った生活や、帰国後に日本語を生かして取り組んできた仕事はどういうものだったのか――以下にホンさんの体験談を紹介する。 日越マッチングイベントで通訳仲間とホンさん(左から4人目)【2019年10月】 魅力いっぱい、通訳の仕事 私は、日本の行政や企業が行う会議やセミナー、交流会、ビジネスマッチングイベント、社内研修、事業拠点の開所式などで通訳や司会をさせて頂く機会がよくあります。例えば、横浜市とホーチミン市人民委員会との会議(=人材関連)や広島県とカントー市人民委員会との会議(=環境関連)といった行政の会議では、テレビニュースに私も一緒に映ることもあります。 日越の医療人材協力に関するフォーラムで通訳【フエで2018年12月】 通訳するときは、依頼者の立場や事業内容、会議目的をよく理解したうえで、分かりやすく正確に言葉やニュアンスを伝えるよう努力しています。その結果、繰り返し指名してくださる依頼者も増えました。 例えば、日本のある大きな市はこの2、3年間で約10回、私を指名してくださいました。ただ、最初に人材会社やイベント会社から顧客を紹介して頂いた場合、2回目以降もその会社を通して頂くようにしています。ここでも信頼が大事です。 左:日系企業の工場開所式で司会【ブンタウ省で2019年】右:通訳仲間の結婚式で司会【ホーチミン市で2019年】 友人の結婚式で通訳仲間と【ホーチミン市で2019年6月】 留学後、日系企業でコンサル業 私のもう一つの仕事はコンサルタントです。留学を終えて帰国後、オーダーメイドの着物を売る小さな会社に入りました。社長が日本人女性で、私は副社長として、生産スケジュールの管理や会計など幅広く担当しました。ただ、もう少し大規模な経営管理を勉強したかったので、約1年後に社外役員にしてもらい、不定期に出社する形に変えました。 次に務めた「東神開発」は百貨店・高島屋の子会社で、ショッピングセンター開発や不動産を手がけています。当初は日本人3人の駐在員事務所でしたが、だんだん大きくなって関連現地法人(コンサルティング会社)ができ、直属の日本人上司と一緒にそこに異動しました。ここでは、日本企業がベトナムで事業を行う際に市場調査をしたりベトナム側の提携先を探したりする業務を担当しました。 ベトナム人感覚と経験を生かしたコンサル コンサルの仕事はやりがいがあり、手取り月給も24,000,000ドンあったのですが、上司が2014年に日本に帰ったのを機に東神開発に戻り、職場の雰囲気が変わったこともあって翌年退社しました。 そして、コンサル業で独立し、最初は顧客が少なかったので、主に通訳で生計を立ててきました。紹介で通訳業務が増え、かかりきりでしたが、2019年からは、大好きなコンサルにも力を入れ始めています。日本企業の現地法人設立支援などこの年だけで数件の受注があり、日本語力と帰国後の経験を生かして取り組んでいます。 ホイアンにて【2019年7月】 日本企業がベトナムで事業を進める際、日系のコンサル会社や顧問と一緒にやることが多いのですが、コンサル会社や顧問の知識、感覚、事業理解などが依頼者の求めに達していないケースがよくあります。私は通訳としてこういうケースを目にしてきましたが、私の顧客に対しては、ベトナム企業の文化やマインドと日本企業のマインドとの橋渡しをし、コンサルと通訳の両方の経験を生かして事業推進のために最大限お役に立ちたいと思っています。 友人と夕食会【ホーチミン市で2020年1月】 就職後、日本留学に踏み切る さて、私が日本に留学したいきさつを少し話します。私は大学を出てSAWACO(ホーチミン市水道局)の支部に就職しましたが、自分が成長する機会があまりないと感じていました。そんな時、東京の日本語学校の生徒募集の仕事をしていた知人に誘われました。 大学時代に1年余り、地元の日本語学校で週3回日本語を習い、就職後もドンズー日本語学校の社会人コースに1年あまり通ったので、この機会に日本語を本格的に身につけて将来の仕事につなげようと考え、訪日しました。そして、東京では、マンションの1室(ワンベッドルーム、台所は別室)にベトナム人3人、スリランカ人1人で一緒に住みました。 日本語学校のクラスメートたちと【2006年】 わたしの家計簿 ※2005年~2007年※100円=21,943 VND(2020年3月31日現在) 収入(合計約120,000~130,000円) アルバイト(居酒屋) 計90,000~100,000円※税金を引いた後の手取り額※夏休みなど長期休暇時は少し増える 仕送りなど 30,000円※ベトナムから持って行ったお金と母からの仕送り 支出(合計 約120,000~130,000円) 寮費・光熱費 35,000円※1DKに4人暮らし、1室に2段ベッド2台※電気・ガス・水道の料金込み 携帯電話 0円<※当時はあまり普及していなかった 学費 65,000円 食費 20,000円※自炊 雑費 5,000円~10,000円※留学生仲間とたまに日帰り旅行 差額(貯金) なし 日本語学校の行事で旅行【2005年夏】 日本語上達のために 日本での最初のアルバイトは学校からの紹介で、スーパーでの仕事でした。倉庫から品出しをしたり賞味期限が近づいた食品に割引のシールを貼ったりする仕事ですが、日本人との会話が少なかったので、半年間でやめました。しかし、当時は留学生のアルバイト先が少なく、求人雑誌を見て電話しても日本語が下手なので面接にこぎつけるが困難でした。 そこで、ハローワークに行って、担当者から「仕事を探しているベトナム人留学生がいますが、どうですか」と電話してもらい、面接を受けて合格しました。居酒屋で、お客さんの注文を聞いたり料理を運んだりしました。店長や店員との会話も多く、日本語の練習になったので、帰国するまでここで働きました。 アルバイト先(スーパー)の忘年会で店長と握手【東京で2005年12月】 日本語学校では、アルバイトで疲れて授業中に眠る人も多くみかけましたが、なんとしても日本語を身につける覚悟で留学したので、私は眠らないようにがんばりました。また、学校が休みの土日は、近くの公共図書館に行って勉強しました。 また、東京で仕事を定年退職した日本人のボランティア数名が毎週水曜に1時間半ぐらい外国人と会話する日本語サークルを開いていました。私はこの日はバイトを入れず、毎週ここに行きました。日本人教師1人、外国人4、5人の少人数教室でした。これ以外に、ボランティアによる無料の料理教室にも参加しました。これらの教室やアルバイト先での会話が日本語力の向上に大きく役立ちました。後輩の留学生の方々も、できるだけ日本人と話す機会を見つけてください。 ボランティアによる無料料理教室で【東京で2006年11月】 元日本留学生クラブ(Japanese Universities Alumni Club in HCM) 帰国後はホーチミン市元日本留学生クラブ(Japanese Universities Alumni Club in HCM)に友人の紹介で入りました。ここには1,000人以上のメンバーと数十人の中心メンバーがおり、JASSOの日本留学フェアの運営や通訳を手伝ったり、独自のイベントを行ったりしています。仲間同士の交流も盛んです。 いずれもJUACHの新年会で【ホーチミン市で2019年2月】 JASSOの日本留学フェアでJUACHのメンバーと【ホーチミンのRex Hotelで2019年10月】 JASSO日本留学フェアの様子【2019年10月】 将来につながる留学を 今、日本でベトナム人による犯罪が増えています。日本語の準備をせず軽い気持ちで留学しても、よいアルバイトには就けません。そして、お金に困った留学生を悪いグループが窃盗などの犯罪に誘います。こうしたことにならないよう、自分が将来どうなりたいのかよく考えてから留学しましょう。 目の前のお金を稼ぐよりも、自分の将来や家族のことをよく考え、将来の仕事につながる成果を得るように努力しましょう。具体的には、まずは、日本語学校で平均以上の成績をとれるようにがんばってください。 いずれも通訳仲間とホーチミン市内で【2020年1月】
2020年04月04日
今回の先輩 レ・ヴァン・ロイさん 1989年生まれ、タインホア省出身2007年 6月 Le Viet Tao高校 卒業2007年 9月 Truong Dai Hoc Cong Nghiep Viet Hung(ベトナムハンガリー工業大学専門学校)入学2010年 6月 Truong Dai Hoc Cong Nghiep Viet Hung 卒業2010年 7月 IIG旅行社日本語学科 入学2011年 1月 IIG旅行社日本語学科 卒業2011年 2月 株式会社テクノタイヨーで技能実習開始2014年 2月 株式会社テクノタイヨーで技能実習修了2014年 3月 テクノタイヨー・ハノイ事務所勤務2019年10月 テクノタイヨー・ベトナム有限会社設立 Mail: Loi@techno-t.co.jp はじめに 大阪の中小企業の工場で3年間技能実習をし、帰国後に同社の二つのベトナム現地法人の社長を任されているロイさん。6才と1才の息子の父で、月収約24,000,000ドン(約11万円)。社長として、営業や取引先のケア、製造委託先に製品の仕様を説明し品質を管理する仕事、現地法人の人材育成などを担当し、日々、駆け回っている。日本の品質をハノイで見事に実現し、現地法人はJETROが選出した「ベトナム優良企業(北・中部ベトナム編)2019」にも掲載されるようになった。 現地法人の自社工場【2019年10月】 実習先の社長、水野敏雄さんは「受入組合から勧められて実習生の受け入れを始めた。最初は安く雇える人材としか考えていなかったが、ロイ君が来てくれて、彼の仕事ぶりや能力、考え方に感銘を受けた。今は、実習生や元実習生を会社の財産と考えており、日本人並みの待遇も提供している」と話す。水野社長に信頼され、現地法人を任されるようになったロイさんの体験談を以下に紹介する。 結婚5周年の記念にハノイ市内のレストランで。妻や息子2人とおい。【2019年7月】 訪日前の勉強が大事 私は大学卒業前、送出機関が大学で行った説明会に参加しました。当時、技能実習生の受け入れは現在ほど多くはなく、面接合格者の多くは大学卒や短大卒でした。私は、大学で専攻した機械関係の知識を高めたかったので実習生に応募しました。 送出機関では半年間勉強しました。毎月試験があり、クラス36人の中で1、2番の成績でした。そのためには、授業だけではなく自習もがんばりました。朝5時に起きて7時~11時に勉強します。午後は4時間授業を受け、寮に戻ったら19時~22時に勉強し、23時に消灯です。つまり、1日のうち授業が4時間、自習が7時間でした。さらに、試験前には朝2時~5時にも自習をしました。ほかにも同じように努力している人が何人かいました。 こうした努力が実り、2011年2月に訪日後、同年7月に日本語能力試験(JLPT)N4に合格、2013年7月にN3に合格、帰国直後の2014年7月にN2に合格しました。最近は、ほとんど話せない状態で日本に行く人もいますが、その場合は、行ってから苦労します。そして、基礎的な日本語力や学習の習慣がついていないので、日本に3年間住んでも日本語はあまり上達しません。 N4合格を祝って受入組合が連れて行ってくれた京都の伏見稲荷神社【2011年秋】 日本での暮らし 日本では、3年間で約350万円を両親に送りました。両親は送出機関への支払いのために借りた約60万円を返済後、残ったお金で私名義の土地を地元で買いました。私の場合は、手取り給料が十分にあったうえ寮費も安かったので、十分な送金ができました(こうした状況は実習先によって異なります)。 寮は実習先から自転車で7分の所にあり、2ベッドルームでした。ここに1年目は1人で住み、2年目は2人で住みました。電化製品や家具は会社が用意してくれました。 私の家計簿 ※100円=21,943 VND(2020年3月31日現在) [supsystic-tables id=16] 日本では、送出機関や受入組合の研修での同期生たちとよく会いました。実習先はばらばらですが、メンバーの誕生日や長期休暇の時に集まり、近くに旅行したり、ご飯を食べたりしました。実習先の日本人の先輩たちとも時々飲みに行きました。 送出機関や受入組合での同期約10人で京都へ【2013年10月】 日本人の先輩が会社をやめる際の送別会【2013年】 実習修了後、現地事務所で勤務 実習先のテクノタイヨーでは、金属材料を機械で削って加工する仕事をしました。機械の操作に専門知識が役立ちました。また、訪日前に日本語をしっかり勉強し、訪日後も勉強を続けたので、職場での日本人との会話も日に日に上達しました。 社長の水野さんは私の仕事ぶりや語学力を気に入ってくれ、「君の実習が終わってからも一緒に仕事をしたい」と言ってくれました。私が2014年2月に帰国する約1年前から、社長は私を伴って何回かベトナムを訪れてハノイ事務所を開設し、製品製造の委託先をいくつか見つけました。そして、これまで日本だけで製造していた製品をベトナムでも委託生産し、日本に輸出するという新事業が始まり、私は帰国と同時に新事業の責任者になりました。その後、後輩実習生2人も帰国して事業に加わり、2015年に現地法人「テクノタイヨー・ベトナム(TTV)」を設立し、私が社長になりました。 自社工場を設立 さらに、2018年4月にはもう一つの現地法人「ヴィナテクノ(VT)を」設立し、ハノイに自社工場を開設しました。ステンレスを加工して台所用品などを製造する工場です。TTVは製造の注文を取ってテクノタイヨーに輸出する商社、VTはTTVが製造を委託するメーカーの一つです。技能実習時代に寮でルームメートだったタオさん(30)がVTでの品質管理や出荷計画、納期管理、人事・総務などを担当しています。TTVは7名、VTは25名で、全員ベトナム人です。 ヴィナテクノの自社工場での作業風景【2019年10月】 ヴィナテクノの自社工場での昼休み【2019年10月】 私は自社製品に自信を持っています。今、ベトナムで広く売られている大半のキッチンウエア(中国製、韓国製、ベトナム製)と比べ、当社製品は表面処理がすぐれ、手にけがをすることもありませんし、さびにくいです。今後は、ベトナム国内にも販路を開拓していきたいと思っています。 いずれもヴィナテクノ社の製品 技能実習先の社長 水野社長は社員を大事にしてくれます。私たち技能実習生が借金をかかえて訪日することを知っているので、受注の少ない時期でも残業をなるべく私たちに回してくれました。私の帰国後、兄もこの会社で実習をしていますが、私たちの父が亡くなった2018年7月、兄が帰国するための航空券を社長が買ってくれたうえ、兄を空港まで車で送ってくれました。タインホアで行った私の結婚式(2014年7月)にも参加してくれました。また、簡単な仕事だけでなく難しい仕事もベトナム人に振り分け、日本人と平等に扱ってくれました。 出張でテクノタイヨーを訪問した際の私と水野社長【2020年3月】 日本のよさと実習生へのアドバイス 日本に行ってすぐ、電車の乗り継ぎに迷ったことがあります。監理団体の研修会場から会社の寮に初めて一人で帰る際、大阪の天王寺駅でどの電車に乗り換えたらいいか分からなくなりました。この駅では乗り場が20カ所近くあり、とても複雑だったのです。困り果てて、近くにいたおばあさんに片言の日本語で聞くと、言葉が通じないためホームまで連れて行って電車のドアが閉まるまで待ち、手を振って見送ってくれました。私はありがたくて涙が出そうになりました。これに限らず、日本には親切な人が多いと感じました。私が勤務した大阪は特に人情の厚い町として知られています。 また、日本人の仕事のやり方はとても勉強になりました。①責任感が強く、失敗してもあまり言い訳をせず、同じ失敗を繰り返さないように努力します。 ②計画を立ててその通りになるように努力します。 ③ 時間や約束を守ります(ベトナム人も守ろうとしますが、困難に出会うと簡単に約束を破り、言い訳をするケースが多く見られます)。日本でこういう姿勢を身につけることができ、本当によかったです。これから日本に来る実習生の皆さんも日本で自分を成長させてください。そのためにも、まずは日本語の勉強をまじめにがんばりましょう。 旅行先のミャンマーにて【2019年5月】
2020年03月30日
今回の先輩 Cường Đỗ Mạnh(ドー・マイン・クオンさん) 1995年生まれ、ハノイ出身2013年 6月 DAN PHUONG高校卒業2013年 9月 ハノイ工業大学入学2014年 6月 送出機関の日本語センター入学2014年 6月 ハノイ工業大学休学2014年 12月 山梨県で技能実習開始2017年 12月 技能実習修了、ベトナムに帰国2018年 1月 送出機関入社2018年 10月 送出機関退社2019年 1月 日本の健康器具販売会社のベトナム法人入社 Mail: domanhcuong271195@gmail.com 実習3年でN1に合格した日本語力が武器 ハノイ市内の小さなオフィスの2階。長い順番待ちの末にやっと27席の一つずつに座った中高年の男女がクオンさんの健康講座に聞き入る。いすには電気健康器具の通電シートがしかれ、30分の講座を聴く間、器具を無料体験できる。肩こりや頭痛など様々な症状に効果があるといい、これが目的で何度も足を運ぶ人が多い。ここは日本の健康器具販売会社のPRセンターで、ハノイに7カ所あるうちの一つだ。講座は4人のスタッフが30分ずつ交代で担当し、1日に14回行う。初回に会員登録し、2回目からは受付に会員カードを出した順に受講できるが、1階待合室はいつも満員で、3時間待ちのこともある。 健康について講義をするクオンさん【2019年10月】 この器具は1台129,000,000ドン(税込・約61万円)と89,000,000ドン(同・約42万円)の2種類。皆が買うわけではないが、来てくれるだけで歓迎するのがクオンさんの方針だ。器具は買わなくても、友人を連れてきてくれる人もいるし、無料体験で健康になってくれればPRにもなる。来場者は居心地がよいのか、2019年4月のオープンから10カ月間で会員は約400人に達した。そのほとんどが口コミで、器具は1カ月に7台から十数台売れる。クオンさんの手取り月給は約16,000,000ドンだが、センターの売り上げに応じてコミッションが加算され、その額が月給の3、4倍になることもしばしばだという。 収入安定で家庭もますます安泰。妻とハノイ市内のフォー店で。【2019年10月】 クオンさんはセンター長で、人材会社のサイトで「N2以上、営業が得意」という条件を見て応募した。技能実習の3年間で日本語能力試験(JLPT)のN1に合格した日本語力がクオンさんの武器だ。 以下に、クオンさん本人による日本での実習体験を紹介する。 日本語センターで先々まで予習 私は大学で溶接を専攻していましたが、ある日、学内で技能実習生の送出機関のポスターを見ました。「日本に行けば毎月15万円(約30,000,000ドン)稼げる」「日本語を身につけ、日本語の先生になれる」と書いてありました。溶接の仕事に興味を感じていなかった私は技能実習生になろうと決心しました。大学を休学して送出機関に入りました。寮から約10㌔離れた実家には毎週1回帰りましたが、勉強に集中するため宿泊せず日帰りでした。 送出機関の日本語センターで使った「みんなの日本語」という教科書は1~25課がN5向け、26~50課がN4向けで、授業で35課まで習いました。しかし、私は自分で50課まで勉強してから日本に行きました。最後は、成績が8クラス計約200人の中で一番でした。先に自習したことを授業で復習する形になり、よく覚えられたのだと思います。 目先の金より将来の収入 私はセンターで約8カ月間勉強して2014年12月に日本に行きました。実習先は、金属ワイヤーを加工して金網などを作る山梨県内の工場でした。ベトナム人男性が10人(3年目は15人)いて、日本人と合わせて100人余り。コイル状のワイヤーをクレーンで直線機という機械にセットし、機械からワイヤーが真っすぐになって出てきたら指定の長さに切断するのが私の仕事でした。 9台の機械を受け持ちましたが、機械からワイヤーが出てくるのを待つ時間が長いので、その間に日本語を勉強しました。また、残業はなるべく入れないよう会社にお願いし、夜の勉強時間を確保しました。最初はたくさん残業したのですが、「技能実習3年分の残業代」と「日本語を身につけた後に何年にもわたって稼げるお金」を比較し、「目先のお金」より「将来の仕事と生活」を選んだのです。 機械から直線になって出てきたワイヤーを切断【2017年】 会社の役員(手前左から2人目)やベトナム人の実習生仲間たち【2016年】 私のN1必勝法〈ツール編〉 私は訪日から1年後の2015年12月に日本語能力試験(JLPT)のN2に不合格(あと1点で合格)でしたが、2016年7月にN3に合格し、2017年12月にN1に合格しました。 JLPTのN1に合格【2017年12月】 ◇参考書、問題集◇ 私は日本語教材にお金を惜しみませんでした。日本に行く前に約1万円(約2,116,000ドン)、訪日後も約19万円(約40,197,000ドン)使いました。日本語力を確実に身につければ、将来回収できると確信していたからです。私が使った教材の中で、ある程度勉強した人には「新完全マスター」シリーズが特にお勧めです。 ・「新完全マスター」シリーズ(出版社:スリーエーネットワーク) お世話になった日本語教材の数々 ◇ヒアリング◇ ヒアリングは「耳から覚える日本語能力試験 語彙トレーニング」に付いていたCDを毎日聴きました。CDの中身をパソコンを使ってアイフォンに保存し、仕事中にイヤホンで聴いたのです。また、インターネットの「SAKURA TV」もよく視聴し、仕事中や休日には、日本人と積極的に会話もしました。 ・「耳から覚える 日本語能力試験」シリーズ(出版社:アルク) ・SAKURA TV ◇単語暗記アプリ◇ 単語は「AnkiMobile」という有料アプリ(アンドロイド携帯からは無料)を使って覚えました。私はヒアリング力と単語力が強かったのですが、単語力はこのアプリの力によるところが大きかったです。 AnkiMobile 私のN1必勝法【生活編】 仕事のない週末は、アパートか山梨県立図書館で勉強しました。図書館はエアコンが効いていて快適ですし、静かで、勉強に最適でした。早めに起きてJR甲府駅構内のベンチで朝8時から勉強し、駅近くの県立図書館が開くとそちらに移りました。お昼は近くの甲府城でお弁当を食べ、その後、国立山梨大学に行きます。ここでボランティアの日本人が無料の日本語教室(毎週日曜日14時~16時)を開いており、いろんな国の人と一緒に勉強しました。 山梨県立図書館 Ⓒ毎日新聞社 同僚の実習生は休日は遅くまで眠るかスマートフォンで遊ぶことが多く、だれも日本語の勉強をしていませんでした。私はあまり遊ばず、「生活費を稼ぎながら日本に留学(自習留学)」という感覚で、できるだけ学習に時間を取りました。勉強に集中するため最初の2年間はFacebookもやめたほどでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,156 VND(2020年2月17日現在) 手取り給料(100,000円~155,000円) 手取り給料 85,000円~93,000円※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額※このうち寮費は20,000円(2ベッドルームのアパートに3、4人/冷蔵庫・洗濯機・エアコンなど家電は会社が用意) 支出(合計40,000円~50,000円) 光熱費 0円※寮費に込み(水道、電気、ガス) インターネット 1,000円※寮の6、7人でシェア※携帯電話はSIMなし(Wi-Fiのみ使用) 食費・交通費 37,000~60,000円※勉強時間確保のため主に外食中心※図書館への交通費。たまに仲間とレジャー。※教材費は別途 差額(貯金) 平均40,000円 ※貯金を2、3カ月に1回、両親に送金。1回の送金は10万円程度。 ※送出機関に支払うための借金を3年間で返しただけで貯金はゼロ。しかし、帰国後、高収入を継続し、両親にも還元。 寮(会社が実習生のために借りたアパート)。周囲にはモモやブドウの畑がありました。【2017年】 送出機関での仕事 2017年12月に帰国後、父の知人の紹介で大手送出機関に入社しました。資料の翻訳や面接での通訳、営業などが仕事です。営業先は、日本の受入組合や受入会社などで、ハノイから日本に電話して面会約束を取り、出張して技能実習などの求人を回してくれるよう交渉します。合意すれば、先方にベトナムに視察に来てもらい、その際に飲食店やマッサージ、カラオケなどで接待します。しかし、ほどなく仕事内容に疑問を感じるようになり、10カ月で退職しました。仕事をするからには、なるべく世の中の役に立つ仕事をしたいと思っていたのですが、この仕事は違うのではないかと思ったからです。 送出機関でもよいことはありました。例えば、妻と出会えたこと(笑)。【2018年】 日本人の親切 ほとんど仕事と勉強だけの生活でしたが、目標に向かって努力を続けたので充実感がありました。また、職場で楽しい仲間や親切な先輩たち恵まれ、楽しい思い出もたくさんできました。 【日本の「お父さん」「お母さん」】 私たち技能実習生にとても親切にしてくれる三科さんという60歳代の先輩がいて、野菜や果物を私たちの寮によく差し入れてくれました。「ベトナム人には日本の冬の寒さはつらいだろう」と、服や靴下、手袋を買って持ってきてくれたこともあります。私たちは5、6人で月に1、2度、電車に乗って三科さん宅に遊びに行き、ご飯をごちそうになったり、一緒にボーリングに出かけたりしました。私たちは三科さんご夫妻のことを「お父さん」「お母さん」と呼んでいました。山梨大での無料日本語教室を見つけてきてくれたのも三科さんで、最初の日、ご夫婦で車で私を大学に連れて行き、教室が終わるまで外で待っていてくれました。 三科さん宅で日本のお正月をお祝い。実習生仲間6人で訪問。【2016年1月】 三科さんと工場の社員食堂で【2017年秋】 【国際交流イベント】 常務の福岡さんは、地元自治体が主催する年2回の国際交流イベントに私たちをポケットマネーで行かせてくれました。地元の外国人約100人が集まるイベントで、職場の実習仲間約10人でよく参加させていただきました。 【日本人の先輩たち】 日本人の先輩たちと私たち実習生とでバーベキューを楽しんだりスケートに行ったりもしました。こういう時は、先輩たちが費用をほとんど負担してくれました。また、年に2、3回、先輩たちとベトナム人仲間とで飲みに行くこともありました。 職場の十数人で魚釣りの後、釣った魚でバーベキュー【2015年6月】 山梨県の遊園地「富士急ハイランド」でアイススケート。背後に富士山。【2016年】 【寮の仲間】 寮の仲間とは、後輩実習生の歓迎会をしたり、時々花見や近くに観光に行ったりしました。休日の夕方はサッカーをすることもありました。私が図書館から帰るのに合わせて夕方に設定してくれたのです。 職場の仲間たちと桜の花見【2015年4月】 甲府市内の中学校グラウンドで技能実習仲間でサッカー【2017年秋】 仲間の部屋で私(左下)と同期生の送別会【2017年12月】 せっかく行くならよい留学・就労を このように、私の日本滞在は充実した内容でした。日本に行ったからといって、何もせずに自動的に日本語が身につくわけではありません。逆に、しっかり準備してから訪日し、日本でも毎日努力すれば、日本語力や仕事に対する日本的な考え方など大きな財産が身につきます。なるべく少ない借金で日本に行き、日本在留中はお金を稼ぐより能力を磨くことを優先すれば、留学や技能実習が終わってからの仕事のやりがいも収入もまったく違ったものになるでしょう。後輩の皆さまのご検討をお祈りします。
2020年03月16日
今回の先輩 BÙI THI HÀ(ブイ ティ ハー)さん 1998年2月1日生まれ、タインホア省出身2016年6月 Thạch Thành 1高校卒業2017年4月 福岡県の食品工場で技能実習開始 はじめに 私より4カ月早く宮崎県で技能実習を始めた姉(28)の後を追うように、私も2017年4月に福岡県の食品(弁当)工場で実習を始めました。コンビニエンスストアで販売する麺類のトッピングを容器に入れるのが私の実習内容(仕事)です。職場ではあまり日本語を話す機会がありませんが、夜間や休日にSkype(インターネット電話)を使って日本人の先生と会話をし、YouTubeやFacebookでも日本語を勉強しています。 また、貯金したお金はベトナムの両親に送っていますが、残ったお金で1、2カ月に1度、コスメを買うのが楽しみです。日本のコスメはベトナムでも人気ですが、高くて手が出ません。でも、日本でなら半分近い値段で買えます。日本語ももっと勉強したいですし、買い物も楽しいので、技能実習が終わっても、できれば特定技能の在留資格で日本に残れたらいいなあと思います。 宮崎県で技能実習をしていた姉と博多で【2019年5月】 技能実習先での仕事 職場では衛生管理のため、このような格好をしています【2019年】 私の技能実習先は、大手コンビニで発売する持ち帰り用のそばやうどん、焼きそば、冷麺などを製造しています。流れ作業で、トッピングの卵やキュウリ、にんじんなどを容器に入れるのが私の仕事です。日本人の先輩たちは皆さん親切で、時間や仕事のルールもしっかり守るので、一緒に働いてとても勉強になりました。 また、職場には、ベトナム人の実習が39人(女性23人、男性16人)いますので、ホームシックにはなりません。時々、実習仲間で食事会やお出かけをします。 職場では衛生管理のためこのような格好をしています【2019年】 私の技能実習先は、大手コンビニで発売する持ち帰り用のそばやうどん、焼きそば、冷麺などを製造しています。流れ作業で、トッピングの卵やキュウリ、にんじんなどを容器に入れるのが私の仕事です。日本人の先輩たちは皆さん親切で、時間や仕事のルールもしっかり守るので、一緒に働いてとても勉強になりました。 また、職場には、ベトナム人の実習が39人(女性23人、男性16人)いますので、ホームシックにはなりません。時々、実習仲間で食事会やお出かけをします。 寮の近くのレストランで技能実習仲間の誕生祝いを兼ねて食事会【2019年9月】 Skypeで日本語会話を練習 職場にはたくさんの日本人がいますが、それぞれ黙って自分の作業をします。単純作業なので指示や質問もあまりありません。ですから、仕事中に会話をすることはほとんどなく、日本語の勉強は夜間か休日が中心です。私は日本に来て2年あまりで日本語能力検定試験(JLPT)のN3に合格しました。こうした資格を取ると、帰国後の就職で有利になります。私は、日本に来てからも問題集やFacebook、You-tubeなどを使って、毎日1時間~2時間、日本語の勉強を続けてきました。 問題集はこれを使っています Facebookでは例えば「Cùng Nhau Đỗ N3-N2 (日本語のグループ N3-N2)」というページを使い、You-tubeでは例えば「Riki Nihongo Dayo」といったチャンネルを見て勉強しています。Facebookで出てきた単語はスクリーンショットで保存し、仕事の休憩時間などに繰り返し覚えます。 FBの日本語学習ページからスクリーンショット また、日本に来て2年目からは、週に1度、Skypeを使って日本人教師の授業も受けています。Lotus Works というNPOが日本で働くベトナム人技能実習生に提供しているサービスで、週1〜2回、約30分間の日本語指導を無料で受けられます。日本での生活についても相談に乗ってくれます。興味のある人はLotus Works のHP(ベトナム語)から問い合わせてください。 Lotus Works のHP(ベトナム語もあります)http://lotusworks.biz/vi/index.html 日本での暮らし 私たちの職場は繁華街から遠く、普段は近くのスーパーに自転車で食材を買いに行くぐらいです。でも、職場のベトナム人仲間と一緒に2カ月に一度ぐらい、自転車・バス・電車を乗り継いで福岡市や久留米市の繁華街に遊びに行きます。その時は、コスメや衣類(ZARA、UNIQLO、H&Mなど)を選ぶのが楽しみです。 同僚のアインさんと「博多」にお出かけ【2019年10月】 [iconpress id="local_120" title="book" style="color:#525252; font-size:25px;" ]私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,145 VND(2020年2月7日現在) 手取り給料(100,000円~155,000円) 手取り給料 95,000円~150,000円※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額※このうち寮費は15,000円(寮は3ベッドルームのマンションに6人) 支出(合計 40,000円~50,000円) 光熱費・通信費 5,000円※電気・ガス・水道代・Wi-Fiの合計 携帯電話 0円※SIMなし(Wi-Fiのみ使用) 食費 20,000円※主に自炊 雑費・交通費 15,000~25,000円※化粧品や衣類、繁華街への交通費など※あまり買い物をしない 差額(貯金) 差額(貯金) 60,000円~120,000円※冬は残業がほとんどなく収入が少ないが、春・夏(4~10月)は残業が多く収入も多い。※貯金を2カ月に1回、両親に送金。1回の送金は10万円程度。 日本のコスメが大好き 日本の商品で特に気に入っているのは、お手ごろな美容グッズ(コスメ)です。ベトナム人女性は韓国や日本のコスメが大好きです。私は例えばこうしたコスメグッズをよく買います。 日本の衣類やコスメを紹介するベトナム語のサイトもたくさんあり、そこにベトナム語で商品説明が紹介さていますし、パッケージの日本語の説明も7割ぐらいは理解できます。日本のファッションや美容に関するサイトには、例えばこういうものがあります。 Sakurafashion.vn こういう商品もチェック 日本の景色を楽しむ 姉は2019年12月に帰国するまで、年に1、2回、福岡に来て私の部屋に泊まっていきました。九州では福岡市が一番大きな都会です。姉とは「博多」や「天神」といった大きな繁華街によく一緒に行きました。 また、技能実習仲間と日帰りで旅行したり、花火大会に行ったりもします。実習先の工場は郊外にあって不便ですが、自然は豊かで、春には花がたくさん咲きます。 寮の近くで桜見物【いずれも2019年4月】 花火大会 実習仲間5、6人で花火大会を見物(福岡県久留米市)【2019年8月】 仲良しのアインさんとヒマワリを鑑賞(福岡県柳川市)【2019年8月】 日本にもう少し このように、職場ではあまり日本語を話す機会がありませんが、せっかく日本に住んでいるので日本語をもっと覚えられるように、Skypeで日本人の先生と会話をしますし、You-tubeやFacebook、問題集で毎日、勉強を続けています。また、実習仲間と遊びや買い物に出かけたり、休みの日に一人でじっくりコスメを選んだりするのもとても楽しいです。3年間では短いので、できればもう少し日本を楽しめたらいいなあと思います。
2020年03月10日
今回の先輩 Phan Nguyệt Minh(ファン・グエット・ミン)さん 1988年生まれ、ダナン市出身2006年 5月 PHAN CHAU TRINH 高校卒業2006年 7月 ドンズー日本語学校入学2007年 9月 ドンズー日本語学校卒業2007年10月 福山YMCAビジネス専門学校日本語科入学2009年 3月 福山YMCAビジネス専門学校日本語科卒業2009年 4月 国立岡山大学 経済学部入学2013年 4月 国立岡山大学 科学文化研究科(大学院)入学2015年 3月 国立岡山大学 科学文化研究科卒業2015年 4月 カイタック(株)入社(正社員/生産管理)2017年 3月 カイタック(株)退社、6月帰国2017年 7月 FPT入社2018年 5月 FPT退社2018年 6月 旅行会社経営、通訳(フリーランサー) Phan Nguyệt Minh(ファン・グエット・ミン)さん 1988年生まれ、ダナン市出身2006年 5月 PHAN CHAU TRINH 高校卒業2006年 7月 ドンズー日本語学校入学2007年 9月 ドンズー日本語学校卒業2007年10月 福山YMCAビジネス専門学校日本語科入学2009年 3月 福山YMCAビジネス専門学校日本語科卒業2009年 4月 国立岡山大学 経済学部入学2013年 4月 国立岡山大学 科学文化研究科(大学院)入学2015年 3月 国立岡山大学 科学文化研究科卒業2015年 4月 カイタック(株)入社(正社員/生産管理)2017年 3月 カイタック(株)退社、6月帰国2017年 7月 FPT入社2018年 5月 FPT退社2018年 6月 旅行会社経営、通訳(フリーランサー) 仕送りせず、学生生活に集中 私はホーチミンのドンズー日本語学校で1年間勉強し、2007年から7年半、日本で留学しました(専門学校→大学→大学院)。その間、アルバイトは法律を守って週28時間以内にほぼ納めました。岡山は東京などと比べて生活費が安いですし、勉強に力を入れたので大学の授業料も半額が無料にしてもらえ、少ない給料でも生活できました。留学生のときは親に仕送りをできませんでしたが、その分、卒業してから親孝行に努めています。 また、留学中、工夫して安い費用で日本各地を旅行しました。卒業後、正社員として日本で働いた2年間は、6回も海外旅行に行きました。その後、故郷のダナンに帰り、こうした経験がもとになって、旅行を扱う仕事で生計を立てています。それでは、私の日本体験を紹介します。 ダナンのカフェで【2019年12月】 一つの居酒屋で6年間アルバイト 訪日して初めてのアルバイト先はラーメン店で、ここを見つけるまでに2カ月間かかりました。駅などに置かれている無料のアルバイト紹介雑誌を見て先方に電話しても、面接してもらえるのは10件のうち1件くらいでした。その面接にも5、6回落ち、初めて合格したのがこの店でした。当時は、外国人雇用はまだ珍しかったのです。その後、マクドナルドや牛丼店も兼務しましたが、アルバイト時間は、合計で週28時間以内に納めました。 岡山大学(岡山県岡山市)に入学後は一つの居酒屋で6年間働き、最後は私が一番の古株でした。バイト仲間(主に日本人)とよく飲みに行ったのは楽しい思い出で、彼らとは今もLINEなどで連絡を取り合っています。就職前にバイトをやめるときは、店長も含め約20人が送別会をしてくれました。 6年間勤めた居酒屋をやめる際、送別会でもらったメッセージボード【2015年2月】 地方で安く生活 専門学校のあった広島県福山市では、ドンズーから一緒に行った仲間と2人で2DK(寝室2室)の部屋に住みました。その後、ドンズーの後輩が3人加わり、5人で住みました。古いマンションの4階(エレベーターなし)で、家賃は月3万円(約6,350,000ドン)でした。東京では考えられない安さです。 ただ、授業料が年間70万円で、これを支払うのが大変でした。日本語を聞いても半分くらいしか分からず、大学受験の勉強もあり、アルバイトにも不慣れで、この時期が一番大変でした。 専門学校の教室でドンズー仲間や日本人の先生と【2007年秋】 ただ、専門学校での成績がよかったので、大学1年の時に毎月5万円の奨学金をもらえました。また、大学と大学院の計6年間のうち3年間は授業料を半額免除され、3年間は全額免除(無料)されました。これは、私の成績が制度の適用基準を満たしたからです。 アルバイトに明け暮れて「収入を増やす」より、学業をしっかりやって奨学金や授業料減免を得て「支出を減らす」方が、自分の将来につながるのではないでしょうか。 マンションの部屋が狭かったので、いつも大学の図書館で勉強【2011年11月】 [iconpress id="local_120" title="book" style="color:#525252; font-size:25px;" ] 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学生時代(2009~2013年) ※100円=21,174 VND(2020年2月8日現在) 収入(合計約80,000~90,000円) アルバイト(居酒屋、牛丼店) 計80,000~90,000円 単発のイベント通訳など 5,000~8,000円※税金、社会保険などを引いた後の手取り額※単発バイトは毎月あるとは限らない※夏休みなど長期休暇時は40,000円~45,000円増える 支出(合計約100,000円) 家賃 28,000円※1人暮らし、ワンルーム、wi-fi込み※大学まで自転車で10分 光熱費 7,000円※電気・ガス・水道の合計 携帯電話 7,000円 学費 22,500円※成績優秀で半額免除(全額免除の年もあった) 食費 20,000円※朝はコンビニ、昼は大学の食堂(300~400円)※夜はバイト先の飲食店で格安で食べる日もあった 雑費・交通費 5,000円~10,000円※月に数回、友人と一緒に出かける※あまり買い物をしない 差額(貯金)平均10,000円 ※親に仕送りはせず、時々帰国する際に薬やサプリをお土産に買った。 私は岡山に住めてよかったです。生活費も安いですし、お店もそれなりにたくさんあり、ショッピングモールが充実していました。東京は人気がありますが、人が密集しすぎており、生活費も高いので、たまに遊びに行くにはいいですが、私が生活するには適していないように感じました。留学生にとっては、生活費を抑える意味で、地方での生活もお勧めです。 日本語の勉強、受験勉強、大学合格 私は小学校から高校までフランス語を学びました。しかし、フランス留学ではアルバイトだけでは生活できないと聞いたので、日本を選びました。ドンズー日本語学校のことは高校の同級生に教えてもらいました。 ドンズーでの1年間は、ダナン出身生徒20人以上と一緒に一軒家(3階建て)に住みました。日本語は初めてでしたが、白紙の状態から集中的に勉強したので、短期間で力がつきました。ただ、訪日したてのころは、相手の話すことの半分ぐらいしか分かりませんでした。 岡山大学を受験する際は、JASSOの留学試験(総合科目、日本語、数学I)の成績を提出し、大学で日本語(小論文)の試験と面接を受けました。 日本語については、私はベトナムでも日本でも学校の予習・復習をしっかりやりました。ある程度力がついたら、日本のテレビ番組を見るのもお勧めです。自然な日本語を使っていますし、冗談の言い方も分かり、岡山にいても東京で何がはやっているのか分かります。また、テレビでの情報を話題に、学校やバイト先で日本人と会話することもできます。 岡山大学の留学生仲間と学園祭でベトナム料理を販売【2014年11月】 岡山大学のベトナム人留学生で桜の花見(岡山市内の植物園で)【2015年4月】 長期休暇時は節約旅行 ドンズー仲間と2人で「青春18切符」で数日間の旅行。東京では、幼なじみと合流し、家に泊めてもらった。【2009年9月】 長期休暇時は、ベトナム人の留学生仲間と一緒に日本各地を旅行しました。北海道や九州にも行きましたが、繰り返し行ったのは、岡山市の隣の倉敷や広島、神戸など近場でした。 日本では長期休暇時に定額でJR(鉄道)に1日乗り放題の「青春18切符」という切符が販売されます。特急には乗れませんが、この切符でよく神戸などに日帰り旅行をしました。また、遠くに旅行する際は、そこに住んでいるドンズーの同窓生に連絡し、案内してもらったり家に泊めてもらったりしました。 ドンズー仲間と一緒に三重県の「なばなの里」へ【2012年12月】 専門学校時代のルームメートが広島・岡山・滋賀から集まり、「なばなの里」を観光後、三重大学生の仲間の家に泊まって同窓会【2012年12月】 ダナンから家族を呼んで長期旅行 大学3年生の時、母と弟をダナンから招待し、日本各地を約2週間、旅行しました。行き先は広島、神戸、大阪、京都、富士五湖(富士山の周辺の湖)、東京でした。そのときに持っていた貯金約40万円を全部使いました。(父は用事があって来られませんでした。) 母(左)や弟を連れて行った安芸の宮島(広島)【2012年8月】 岡山は美しい 岡山は人気の観光地ではありませんが、実は美しい名所がたくさんあります。私は岡山の四季を満喫しました。 大学のベトナム人仲間を岡山の有名な日本庭園「後楽園」に案内。浴衣はフリーマーケットで安く購入。【2015年8月】 大学の近くの公園で日本の秋を味わう【2013年11月】 岡山はブドウの名産地。大学のベトナム人仲間と一緒にブドウ狩り。【2015年9月】 日本では季節ごとに花が替わる。岡山市内の植物園でアジサイを鑑賞。【2013年6月】 日本の会社に就職 大学院を卒業後、大学の紹介で地元の大手アパレル会社に就職しました。同社はベトナムの工場に生産を委託していたので、生産管理などでベトナム人が必要でした。私が初めてのベトナム人社員で、月給は手取り17~18万円でした。仕事は楽しく、上司もとても親切で、ベトナムへの出張もありました。 この会社で働いた2年間は、長期休暇(春のゴールデンウイーク、夏の盆休み、年末年始)の際に毎回、海外旅行に行きました。行き先は米国(2回)、ヨーロッパ、韓国、台湾などでした。 帰国前直前には、2週間の一人旅。プラハ(左)とストラスブールで。【いずれも2017年5月】 帰国前直前には、2週間の一人旅。プラハ(上)とストラスブールで。【いずれも2017年5月】 帰国し、独立 仕事にはやりがいがありましたが、ある自動車販売会社から「ダナンでショールームを開設するので手伝ってほしい」と誘われ、悩んだ末に帰国を決意しました。その後、ショールーム計画は頓挫しましたが、アパレル会社に退職を申し出た後だったので、そのまま帰国し、最大手の通信会社で1年間働きました。 あと3年住めば日本での永住権も取れたのですが、私はいつか起業したいと思っていたので、日本よりも起業へのハードルが低いベトナムにいつかは帰ろうと思っていました。その後、小さな旅行会社を立ち上げ、サイドビジネスで通訳・翻訳(フリーランス)もしています。 私と同じように楽しい留学をできる人が増えるよう、留学経験やアドバイスをブログにしました。よかったら参考にしてください。 http://mmblog.com.vn/blog/du-hoc-nhat/ ホイアンにて【2019年11月】
2020年02月28日