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VOL. 88 支援団体の支援で在留延長と再就職

作業の準備・後片付け(毎日約2時間)に残業代が支払われないなど、建設の技能実習生の平均よりかなり低い給料で働かされたうえ、職場での暴力・暴言もあって失踪したフイさん。一度は日本が大嫌いになりましたが、支援団体のサポートで日本滞在を延長して働き、特定技能の試験にも合格しました。 今回の先輩 カ・チャン・ホアン・フイさん 2013年高校卒業〈ホーチミン市〉 2013年観光バスの添乗員〈タイニン省〉 2016年トラック運転手〈ロンアン省〉 2019年送出機関で勉強〈ホーチミン市〉 ...

2023年03月17日
  • VOL. 87 日本の外国人看護師の先駆けとして活躍

    2023年03月10日
    1990年代後半、日本の病院がお金を出し合ってベトナムの優秀な学生を日本に留学させ、卒業後に看護師として活躍させるプログラムがありました。トゥイさんはそのメンバーに選ばれて来日。日本にベトナム人留学生がまだほとんどいなかった時代に、彼女はどのように勉強し生活したのでしょうか? 今回の先輩 ルー・ティ・トゥイさん 1998年高校卒業〈ナムディン省〉 1998年日本語センター入学〈ハノイ〉 2001年看護専門学校入学〈東京都〉 2004年専門学校卒業、板倉病院勤務〈千葉県〉 2009年治験コーディネート会社に勤務〈茨城県〉 2010年同社ハノイ駐在員事務所長〈ハノイ〉 2017年グランソール・ベトナム勤務〈現在も〉 2019年Chu Van An大学入学(経営管理) 2021年グリーンコネクション・ベトナム設立 2022年大学卒業 〈1980年生まれ、ナムディン省出身〉 ◆このページの内容 • ベトナムで医大に合格 • 看護師養成のための無料留学 • 日本の看護学校に留学 • 昔の留学生の苦労 • 留学生活とアルバイト • 私の家計簿 • 日本の病院で看護師 • 治験コーディネーターに転職 • 別の日系企業に転職 • グリーンコネクション事業 ベトナムで医大に合格 高校の先生や仲間たち(前列左から2番目が私) 私の故郷(ナムディン省)では医療体制が乏しく、小学2年生のときに腹痛で保健所に行くと、看護師(男性)はトランプに興じており、30分ぐらい待たされました。その後、やっと医師の診察を受け、バナナを1本もらって帰宅しました。私は自分が医師になって医師不足を補いたいと思い、高校卒業前に2つの医大を受験し、タイビン医科大に合格しました。しかし、第一志望のハノイ医科大では補欠合格候補にとどまりました。 看護師養成のための無料留学 AHPの級友や先生たちとハノイの教室で そのころ、ハノイ医大の補欠合格候補の一部にAHPという日本のNPO法人から無料留学プログラムの案内が郵送されてきました。その内容は以下のようなものでした。 ❶ AHPの選考に合格したら日本語を17カ月間勉強する ❷ 日本語能力試験で2級(今のN2)以上になったら、日本で看護専門学校を受験。 ❸ 合格したら看護学校で3年間勉強。 ❹ 卒業後、AHPが指定する病院で4年以上働く。 授業料や渡航費、生活費はAHPから支給されます。今のEPA(経済連携協定)の看護師養成制度に近いものですが、当時その制度はありませんでした。そこで、日本各地の計14病院が費用を出してAHPに運営を委託し、外国人看護師を養成する取り組みを日本で初めて行っていたのです。 AHP同窓生の食事会〈ハノイで2023年〉 このプログラムは8年続き、私はAHPの選考(高校の成績、英語の試験、面接)に合格して4期生として日本語の勉強を始めました。タイビン医大に合格していましたが、当時、ベトナムから海外留学できる人はとても少なかったので、留学のチャンスをつかんで日本で看護師になろうと決めたのです。 選考に合格後ハノイで17カ月間、日本語や数学、英語など1日約8時間の授業があり、夜も2、3時間自習をしました。数学や生物の問題自体は難しくなかったのですが、受験に備えて日本語の問題を解くので、問題の意味を理解するのが大変でした。そして、同期生56人のうち日本語能力試験1~2級(今のN1・N2)に合格して日本に行ったのは約20人でした。ただし、私を含む数人は最初の看護学校受験はうまくいかず、いったんベトナムに戻ってもう1年勉強することになりました。 日本の看護学校に留学 日本人の級友たちと看護学校で(右端が私) 私は2001年に東京都立北多摩看護専門学校に合格し、あこがれの留学が始まりました。しかし、日本語能力試験1級の私も最初は授業の半分ぐらいしかわからず、先生が話す医療用語をメモしては、後で意味を調べました。当時は電子辞書やネット辞書がなかったので、紙の医療事典で時間をかけて調べました。 私は最初、自分の日本語を日本人の級友たちに聞かれるのを恥ずかしく感じました。しかし、学校が4、5人の実習グループを作ってくれたので、その中では積極的に会話できるようになりました。当時、看護学校の留学生はとても珍しかったので、皆が親切にしてくれました。こうして日本人の友だちがたくさんでき、放課後も日本人とつるむようにしました。すると、友だちと過ごす時間が楽しくなりました。 昔の留学生の苦労 仲良くなった日本人の級友たち 当時、この学校にAHP留学生はほかに3人いましたが、先輩2人は途中で退学しました。私は授業で分からない言葉があると、周りの人たちにすぐに質問しました。そのお礼に彼女たちを自宅に招いてベトナム料理をふるまい、泊まってもらったこともあります。私はこうして周囲に溶け込むことができました。しかし、そこまで積極的になれない留学生はストレスをため、行き詰まってしまったのかも知れません。 当時は、どの学校も留学生サポートが不十分だったという事情もあります。受験に合格しても、留学生を受け入れる態勢が整っていないからという理由で入学できないAHP学生もいました。また、AHP学生を1人入学させたものの、サポートが大変なので翌年から受け入れをやめた学校もありました。 留学生活とアルバイト アルバイト仲間と飲み会 私はJR武蔵小金井駅(東京都)の近くに住んでいましたが、当時は地元にベトナム人がほとんどいませんでした。家族が恋しいのに、まだインターネットが普及しておらず、高い料金で家族に国際電話をかけられるのはごくたまにだけでした。また、私は日本食が苦手で、最初はカップラーメンばかり食べていました。そして、カップラーメンにあきると、今度はマクドナルドに通い詰めました。 来日して1年近くたつと、週末に長時間勉強しなくても授業についていけるようになったので、アルバイトを始めました。求人情報誌で見つけた衣料品店で土・日曜に8時間ずつ働き、接客やズボンのすそ上げ(ミシン縫い)を担当しました。同僚の日本人たちとも仲良くなりました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※看護学校2年目 ※100円=約18,003 VND(2023年2月9日現在) 収入:156,000円 AHPから支給される生活費 ¥66,000 AHPからの家賃補助 ¥15,000 給料 ¥75,000 ※アルバイト1件(衣料品店) 支出:98,000円 看護学校の授業料 ¥0 ※AHPが代わりに負担 家賃 ¥25,000 ※2年目は1人暮らし 電気・ガス・水道 ¥8,000 携帯電話 ¥5,000 食費 ¥25,000 ※主に自炊。昼も自分で作った弁当を持参。 交際費 ¥15,000 雑費 ¥20,000 ※衣類、教材、交通費、化粧品など 毎月の差額(貯金):58,000円 日本の病院で看護師 2004年に看護学校を卒業した私は千葉県の板倉病院で働き始め、9カ月目に、希望していたオペ室(手術室)に配属されました。そこには日本人の厳しい先輩がいましたが、彼女は、私が仕事の手順をメモすると、内容をチェックして修正してくれました。医療でいいかげんな仕事は厳禁ですが、彼女の仕事ぶりを見て、厳しい姿勢で医療に向かうことの大切さを学びました。また、ほかの先輩たちも親切で、指示が分からないときに繰り返し聞いても嫌な顔をしませんでした。 私の在職中、板倉病院にAHPの看護師は一番多いときで7人おり、同じ2階建てアパート(部屋は別々)に住んで仲良く暮らしました。また、私は日本人スタッフ(看護師、介護福祉士、事務職)数人とも仲良くなり、よく2、3人で食事や買い物、ドライブ、映画などに出かけました。 治験コーディネーターに転職 東京のベトナム大使館に婚姻届け(左) 板倉病院時代、私はできたばかりの在日ベトナム学生青年協会(VYSA)のスタッフとして交流会などのイベントを手伝っていました。すると、ベトナム人仲間が増え、友人宅での食事会で知り合った男性と2009年に結婚しました。そのとき彼は日本の大学院生で、結婚後、日本で就職しました。 また、結婚と同時に4年半働いた板倉病院を退職し、薬の治験をコーディネートする会社に転職しました。きっかけは、毎年東京で開かれるベトナムフェスティバルで知り合った日本人男性からの連絡でした。日本語を上手に話せて医療にくわしいベトナム人をこの会社が探しているとのことで、私のことを思い出して電話してきてくれたのです。私は彼の紹介でこの会社の社長に何度か会い、入社しました。 治験コーディネーターとして病院を訪問(茨城県で) 板倉病院は働きやすい職場でしたが、AHPの期間が終わったらキャリアアップのために別の道にチャレンジしようと思っていました。この会社は日本で治験のコーディネートをしていましたが、世界各国の新薬の治験データをベトナムで集めるという新規事業を計画していました。私は入社して1年半後、夫婦でベトナムに帰国し、同社のハノイ駐在員事務所長になりました。 私は、社長がベトナム保健省を訪問する際に同行するなど、関係機関に根気強く働きかけましたが、入社して8年経っても治験は実現できませんでした。ベトナムで治験のガイドラインが確立されておらず、医師に治験を依頼しても信頼性の高いデータを集められそうにないことが原因でした。 別の日系企業に転職 私はベトナムでの治験事業の実現は当面は難しいと感じ、この事業から手を引くことにしました。そんなとき、夫の知人からグランソールという医療グループを紹介されました。このグループはがんの免疫治療の開発・普及を行っていますが、免疫細胞を培養する技術をハノイ医科大学に伝えるにあたって、私に連絡・調整を担当してほしいとのことでした。私は2017年にグランソール・ベトナム社に転職し、その業務を行ってきました。また、ベトナムのがん患者が日本に免疫療法を受けに行く際のコーディネートも担当しています。 グリーンコネクション事業 私はこの仕事をしながら、2019年からフンイエン省の大学で経営管理を勉強し、2022年末に卒業しました。2021年には、ハノイに「グリーンコネクション・ベトナム」という会社を設立し、日本で技能実習をしたベトナム人の就職サポートを模索しています。 技能実習生には、日本でたくさんの経験と知識を身につけても、帰国後にそれを生かす職場が見つからず、苦労している人もいます。そこで、日本から帰国したベトナム人を日系企業などに紹介し、帰国後の仕事探しを支援したいと考えて作った会社です。趣旨に賛同して板倉病院の梶原崇弘(かじわら・たかひろ)理事長もこの会社に出資してくださいました。この事業も軌道に乗せられるように、これからさらに努力していくつもりです。
  • VOL. 86 OTITと支援団体の支援で職場変更(技能実習)

    2023年03月03日
    ベトナムで聞いた内容とはまったく違う仕事を毎日させられたチュンさん。外国人技能実習機構(OTIT)に相談して約束違反の仕事はなくなったものの、職場変更はできませんでした。しかし、実習生を支援する団体に相談すると状況が一変し、別の職場で技能実習を再開することができました。 今回の先輩 グエン・デュック・チュン さん 2011年高校卒業 2012年兵役 2014年建設関係の仕事〈ハノイ〉 2019年送出機関で日本語学習〈ハノイ〉 2019年訪日→講習→技能実習〈愛知県〉 2021年アルバイト〈愛知県、岐阜県〉 2022年別の会社で技能実習再開〈静岡県〉 〈1993年生まれ、ナムディン省出身〉 ◆このページの内容 • 母に楽をさせるために出稼ぎ • 事前の約束と違う仕事 • 外国人技能実習機構(OTIT)に相談 • 約束違反の仕事がなくなる • 技能実習の継続を断念 • 支援団体の支援で状況が一変! • 支援団体に頼ろう • 技能実習を再開 • 私の家計簿 •TikTokで日本語会話 •将来のこと 母に楽をさせるために出稼ぎ ベトナムでしていた仕事 私は兵役を終えてからハノイのいくつかの会社で働き、溶接やクレーン車の運転などをしました。しかし、毎月の給料が平均約8,000,000 VND(当時の約4万円)しかなかったので、外国で出稼ぎをして母に楽をさせてあげたいと思うようになりました。そして、日本より給料の高い韓国にも興味がありましたが、日本の技能実習の方が採用されやすかったので、そちらにしました。 私は親せきから紹介されたハノイの送出機関に登録し、訪日までに 計約120,000,000 VND(当時の約60万円)を自分の貯金で払いました。そして、最初の企業面接で合格し、送出機関の日本語センターで6カ月間、日本語を学びました。 事前の約束と違う仕事 清掃前(左)と清掃後(右)のグリストラップ こうして私は2019年10月に来日し、11月から愛知県の会社で技能実習を始めました。日本に来る前の約束では、私はガス管や水道管などを設置する「配管」の仕事をすることになっていました。しかし、実際の仕事の大半は清掃関係でした。私と同僚のベトナム人が実際に担当した仕事を紹介します。いずれも単発の仕事ではなく、何回も行った仕事です。 グリストラップ清掃 日本の飲食店には、油や残飯などが下水に直接流れ込まないよう、それらを分離して貯める「グリストラップ」という装置があります。この装置は定期的に掃除しなければなりません。私たちは飲食店に行って、グリストラップに貯まった汚れをホースで吸引し、残った汚れを洗剤とブラシで洗い落としました。 川の清掃 川や池の清掃 小さな川の水面に水草やゴミが貯まる場合があります。私たちは川に入ってそれらをホースで吸引する仕事をしました。しかし、ベトナム人2人と日本人2人で現場に行った場合、川に入るのはベトナム人だけでした。ほかにも汚れる仕事や重い物を運ぶ仕事はベトナム人だけがさせられることがよくありました。また、冬に浅い池に入って大量の水草を刈り取る仕事もありました。 溝掃除 道路脇の溝にたまった土砂をかき出しました。 外国人技能実習機構(OTIT)に相談 external link OTITの母国語相談 私は約1年、このような約束と違う仕事にがまんしました。しかし、外国人技能実習機構(OTIT)の母国語相談のことを知り、OTITに会社を指導してもらいたいと思って2020年11月にOTITのHPからベトナム語でメッセージを送りました。すると、メールで返信があり、相談員と何度かベトナム語でやり取りしましたが、途中で4週間近く返事が来なくなりました。 このため、私は母国語相談に見切りを付け、今度はOTIT名古屋事務所に直接電話をかけました。私は監理団体(組合)から支給された携帯電話を持っていたので、それを使いました。すると、1カ月以内にOTITから会社に連絡があり、社長と事務長と私の3人でOTIT名古屋事務所に行くことになりました。後で知ったのですが、母国語相談はOTITが外部に委託しており、相談員のレベルに個人差があるそうです。 約束違反の仕事がなくなる OTITに相談後、この写真のような約束違反の仕事はなくなった。 OTIT名古屋事務所では、社長と事務長がまず事情を聞かれ、その後、私が仕事内容やいじめの有無などについて聞かれました。数日後、OTITのスタッフが会社で私だけに会い、「これからどうしたいか」と聞いたので、私は「職場を変わりたい」と答えました。その後、OTITと組合が協力して他の会社を私に紹介し、私は面接を受けましたが、その会社は自分に合わないと思って断りました。 ただし、社長と私がOTITから呼び出しを受けて以来、私は清掃の仕事から外され、毎日、配管に関する本を読むだけの仕事に変わりました。それから約4カ月後、OTITは会社に立ち入り調査をしましたが、結果はすぐには出ませんでした。私は約束と違う仕事から外されてうれしかったのですが、本を読むだけの生活に嫌気がさしてきました。 技能実習の継続を断念 それから半年後の2021年6月、私は会社をやめました。事前に、技能実習生などを支援している在日ベトナム人から紹介された岐阜県内の組合に連絡したところ、新しい職場を紹介してくれるとのことでした。新しい組合がこのことをもとの組合やOTITに連絡してくれたので、私は会社をやめて新しい組合の宿泊施設に身を寄せたのです。 新しい会社で技能実習を始めるまでそこに無料で住めることになり、無職の状態で3カ月間滞在しました。そこには、私と同じような転籍待ちの人や帰国の飛行機待ちの人が数人おり、一緒に海に遊びに行くなどしました。また、日本語の勉強にも力を入れました。 アルバイト生活のときに京都や大阪に旅行 この組合は私が新しい会社で働くための入管手続きを申請してくれましたが、3カ月近く経っても許可がおりませんでした。そのころ、前の会社に対するOTITの調査結果が出たのですが、「会社のやり方は違法とまでは言えない」という内容でした。このため、私が新しい会社で働くための入管の許可が降りない可能性があると言われ、途方にくれました。 私は今後どうしたらよいかOTITに相談したところ、「技能実習をやめて新型コロナ関連の特例の在留資格(帰国困難の特定活動)を取れば、日本に6カ月以上滞在でき、その間はアルバイトができる」というアドバイスでした。私はもとの組合に手伝ってもらってその在留資格に変更し、期間限定でアルバイトをすることにしました。 支援団体の支援で状況が一変! 榑松さんと私〈名古屋市で〉 こうして私は2020年9月にアルバイト生活を始めました。最初は愛知県の工場でパチンコの機械を組み立てる仕事、次は岐阜県の工場でシリンダー製品にシールをはる仕事をし、最後に岐阜県の車の部品工場で働きました。 そんなとき、私は、技能実習生の支援実績が豊富な「外国人実習生SNS相談室」のことを知り、代表の榑松佐一(くれまつ・さいち)さんに会って相談しました。榑松さんは、私が技能実習生に戻れるようOTITと交渉してくれました。すると、私はOTIT名古屋事務所に1年ぶりに呼び出され、前の会社での仕事内容についてもう一度ヒアリングを受けました。その結果、OTITがもう一度新しい会社を探して私を技能実習生に戻してくれることになりました。 支援団体に頼ろう external link KOKORO|総まとめ・ベトナム人向け相談窓口 榑松さんはOTIT名古屋事務所に対し、私が川や池の掃除をしている動画などを見せ、約束の職種と違うので、私の職場変更を支援してくれるように交渉しました 私が1年前に社長と一緒にOTITに呼ばれたときにもその動画を見せたのですが、そのときは、職場変更を最後までは支援してもらえませんでした。しかし、榑松さんの交渉後、私はOTITの支援で技能実習生に戻り、職場も変わることができました。 OTITは技能実習生にとって大事な機関ですが、私の説明や交渉が不十分だったのかも知れません。後輩の皆さんも、もし行き詰まった場合は、このように支援団体に頼ってください。 技能実習を再開 日本人従業員と一緒に富士山へ 「外国人実習生SNS相談室」に相談して約3カ月後の2022年3月、私はOTITが探してくれた静岡県の建設会社に面接に行き、そこで働けることになりました。そして、新しい在留資格をもらうまで別の職場でアルバイトを続け、5月からこの会社で技能実習を再開しました。 この会社では実際に配管の仕事をさせてもらっていますし、日本人の従業員たちも親切です。古い下水管は汚いので、それを運ぶのは嫌な仕事ですが、この会社では日本人も嫌な仕事を公平に分担し、ベトナム人だけに押しつけることはありません。私は休憩時間に日本人従業員とおしゃべりすることも多く、中には、休日に車で富士山のふもとの観光施設に連れて行ってくれた人もいます。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:115,000~140,000円 給料 ¥115,000~¥140,000 *税金や社会保険、寮費、光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(15,000円)、電気・ガス・水道(10,000円) *勤務日の昼弁当の費用も給料から天引き 支出:40,000円 食費(主に自炊) ¥30,000 生活雑貨、衣類 ¥5,000 交際費 ¥5,000 毎月の差額:75,000~100,000円 TikTokで日本語会話 私のTikTokアカウントとJFT-Basicのスコア ところで、私は週に3、4回、TikTokのライブで知り合った日本人とビデオ通話で会話をしています。前の会社をやめる少し前から日本語の勉強時間を増やし、職場やTikTokで日本人と積極的に話すことも続けているので、日本語力がかなり伸びました。国際交流基金のJFT-Basicでも235点を取り、「生活に支障がない程度の日本語能力水準」と判定されました。 将来のこと 配管工事の仕事現場 私は来日後の2019年12月~2023年1月(途中3カ月間は無職)に約280万円を貯金しました。来日前に送出機関に支払った費用を差し引いても約220万円あります。今後、日本でさらに半年間働けますので、貯めたお金で帰国後に家を買いたいと思っています。 2023年8月に技能実習が終ったらいったん帰国し、婚活をしながら将来日本に戻るかベトナムで働くか考えます。日本に戻る場合は特定技能外国人になれるよう、介護の技能試験に既に合格し、農業の技能試験も勉強中です。また、ベトナムで働く場合は日本語力を生かして工場で良いポジションを得たいと思っています。
  • VOL. 85 1年間の留学でほれた日本で就職

    2023年02月24日
    大学に入ってから日本語の勉強を始めたチャムさん。一生懸命に勉強をして外国語大学で成績上位になり、学費無料の交換留学生に選ばれました。その留学で1年間住んだ熊本県が大好きになり、帰国後に就職活動をしてオンライン面接で大きな食品会社に合格。今は、熊本に住んで6年目になります 今回の先輩 チャン・ティ・バオ・チャムさん 2013年 フエ大学・フエ外国語大学・日本語日本文化学部入学 2017年熊本大学に交換留学〈熊本県〉 2018年帰国・フエ大学卒業 2018年再来日・大手食品会社に入社〈現在も〉 〈1995年生まれ、フエ市出身〉 ◆このページの内容 •大学で初めて日本語を勉強 •熊本で1年間の交換留学 •留学中のさまざまな交流 •日本でのアルバイトと友だち •私の家計簿 •卒業後、就職して再来日 •日本での仕事の内容 •休日のキャンプ生活 •ずっと日本で暮らしたい 大学で初めて日本語を勉強 日本語日本文化学部の文化祭で 私は子どものころから「ドラえもん」や「ちびまる子ちゃん」、「NARUTO」などの日本アニメに慣れ親しんで育ちました。また、ベトナムと日本の関係も良いことから、高校生になって進学先を選ぶときに「日本語や日本文化を学び、日本語を生かした仕事につこう」と考え、外国語大学で日本語を勉強することにしました。 私は大学で初めて日本語を学び、簡単には覚えられないので、日本語の塾にも週5回(1回2時間)通いました。そして、帰宅してからも毎日3時間以上勉強しました。その努力が実って、大学3年のときに日本語能力試験(JLPT)・N2に合格し、大学での成績も上位でした。このため、3年生終了後に熊本大学で1年間の交換留学をすることができました。交換留学生に選ばれたのは、1学年約150人のうち15~20人だけでした。 熊本で1年間の交換留学 熊本大学の留学生仲間 交換留学(2017年4月から1年間)では、毎朝、各国からの留学生約20人が日本語の講義(合計180分)を一緒に受けました。この講義は日本語力のアップにとても役立ちました。午後は、自分で選んだ講義を日本人の学生たちにまじって受講するか、講義のない日は自由に過ごしました。講義はすべて日本語でした。 日本に慣れるまでは、ボランティアの日本人学生にお世話になりました。留学生1人にチューターと呼ばれる大学生1人が世話役として付き、市役所での手続きや銀行口座の開設などを手伝い、熊本県のことや日本での生活に関することをいろいろ教えてくれました。また、留学生と日本人学生の計50人以上で熊本県や隣の宮崎県を観光する大学主催のバスツアーもあり、私も参加しました。 留学中のさまざまな交流 お母さん(右から2番目)と留学生仲間〈長崎県でお父さんが撮影〉 留学中の住まいは熊本大学の留学生寮でした。私の部屋は1人部屋でしたが、寮の1階に共同リビングがあり、そこに行けば、留学生仲間とお菓子を食べながら日本語でおしゃべりをしたり一緒にテレビを見たりすることができました。私は台湾人や中国人、インドネシア人の留学生と特に仲良くなりました。 また、大学が各留学生にホストファミリーを紹介してくれたので、私はほかのベトナム人留学生2人と一緒にあるご夫婦に会いに行きました。私はその後も(ときには1人で、ときにはほかの留学生と一緒に)このご夫婦と毎月のように会い、お二人を「お父さん、お母さん」と呼ぶようになりました。お二人には車で観光に連れて行って頂いたり、日本の正月にご自宅に招いて頂いたりしました。お父さん・お母さんとは、今もときどき会っています。 日本でのアルバイトと友だち 熊本大学や大学院のベトナム人仲間と桜の花見 熊本大学や大学院にはベトナム人学生がたくさんいて、よくみんなでご飯を食べたり、旅行に行ったりしました。こうした先輩の1人が私にアルバイトも紹介してくれました。それは弁当店のレジと厨房(ちゅうぼう)を担当する仕事で、来日した翌月から帰国するまで続けました。また、来日して4カ月目ぐらいにはコンビニのバイトも追加しました。さらに、最後の約3カ月間は、焼きそばなどめん類の弁当を作る工場でも働きました。この仕事は夜8時から朝5時までだったので、大学での受講に支障が出ないように週末だけにしました。 弁当店では同僚の日本人主婦と仲良くなり、一緒に食事をしたり遊びに行ったりするようになりました。また、弁当店やコンビニでは仕事仲間やお客さんとの会話が多く、日本語の練習になりました。そして、食品工場では、職場に入る前に手を洗って手袋をはめ、作業中に食材を落としたら拾って捨て、手袋を交換するなど、日本の厳しい衛生管理を学びました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※交換留学校時代の家計簿 ※100円=約18,003 VND(2023年2月9日現在) 収入:65,000円~80,000円 給料 ¥65,000~¥80,000 ※アルバイト2、3件 支出:67,000円~72,000円 大学の授業料 ¥0 家賃(留学生寮) ¥17,000 電気・ガス・水道・インターネット(1人分) ¥8,000 食費(主に自炊) ¥25,000 携帯電話(通話なし) ¥2,000 家賃(留学生寮) ¥15,000~¥20,000 ※交通費、交際費、化粧品、衣類 毎月の差額:10,000円~13,000円 卒業後、就職して再来日 私の食品会社の店舗〈熊本市内〉 交換留学が終わり、私は帰国してフエ大学に通いながら就職活動を始めました。留学前は日本で働くことは想像していなかったのですが、熊本で友だちもできたし住み心地も良かったので、チャンスがあれば熊本で働きたいと思うようになりました。そこで、ベトナムだけでなく熊本の友人・知人にもSNSで仕事の紹介をお願いしていました。 すると、熊本大学大学院の先輩ベトナム人が「熊本の大手食品会社がベトナム人通訳を募集している」と連絡をくださいました。先輩がその会社の人事担当者と知り合いだったそうです。同社は九州にたくさんの店を持ち、弁当やおかずを販売しています。留学中に利用したこともあったので、私は喜んで応募しました。 熊本市 先輩が人事担当者と私をLINEでつなげてくださったので、私は履歴書をメールで送り、数日後にその担当者からSkypeで約40分間のオンライン面接を受けました。その翌週、2回目のオンライン面接を受け、次の週にはメールで内定通知を頂きました。それは、相手とLINEでつながってからわずか3週間、留学を終えて帰国して2カ月目のことでした。 私は2018年5月に就職の内定通知をいただいて7月に大学を卒業し、9月に再び日本に来てこの会社に入りました。住居は会社の寮でしたが、そこに入居する前に少しだけ熊本のお父さん・お母さんの家に泊めていただきました。 日本での仕事の内容 技能実習生の友人とショッピング 私は入社してからずっと総務課に所属し、一般の総務の仕事以外にベトナム人従業員のサポートを担当しています。当社には技能実習生や特定技能外国人が約260人おり、そのうちベトナム人が約200人(実習生約150人、特定技能外国人約50人)です。この人たちの職場は食品工場で、私は日本人がこの人たちとやり取りをする際の通訳をし、生活のサポートもしています。 例えば、技能実習生が給与明細の内容に疑問があるときは私が説明をし、体の具合が悪いときは病院に同行します。実習生の寮の洗濯機やエアコンなどが故障した場合は、私が修理・買い換えを担当し、実習生が寮で大声で宴会をしたりゴミ捨てのルール違反をしたりして近所から苦情が出たときは、私が近所に謝罪し実習生に教育を行います。 休日のキャンプ生活 私が熊本で働き始めてから見つけた新しい趣味はキャンプです。熊本県や周辺の海や川は美しく、素敵なキャンプサイトがたくさんあります。週末に親しい人と一緒にキャンプを楽しむこともあれば、1人で車でキャンプサイトに行ってテントを張り、星空や海景色を満喫することもあります。日本の美しい自然と溶け合う至福のひとときです。 ずっと日本で暮らしたい 就職後、一時帰国した際に友だちとホーチミンに旅行 私は2018年に熊本で就職してからベトナムに2度帰国しました。新型コロナの影響で帰国できない時期もありましたが、もし帰国しようと思えば、熊本から電車で約1時間で福岡空港に行けて、そこからベトナムに直行便があります。また、最近は、熊本にもベトナム人が多く、ベトナム料理店も増え始めています。 私は将来、今の仕事をしながら、仕事で身につけた知識を活用して、日本で困っているベトナム人をサポートしたいと考えています。例えば、私の会社では、技能実習生が妊娠しても、休暇を取得してまた復職できますが、会社によっては実習生が妊娠すると強制的に帰国させられるケースもあります。何かに困っているベトナム人が私に相談してくだされば、日本の法律や制度、相談できる行政機関などを教えられる場合もあります。できるだけ長く日本に住み、周りの人のお役にも立てればと思っています。

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【在ベトナム日本国大使館後援】

  • Vol. 04 留学経験生かし、ハノイの日系企業で活躍

    今回の先輩 Doan Thi Minh Trang(ドァ・ティ・ミン・チャン)さん 1991年生まれ、Hai Duong 省出身2009年6月 Nguyen Trai 高校卒業2009年9月 ハノイ人文社会科学科大学東洋学部 日本学科 入学2012年9月 大東文化大学 国際関係学部 国際関係学科 交換留学生2013年 9月 ハノイ人文社会科学科大学 再入学2014年 6月 ハノイ人文社会科学科大学 東洋学部 日本学科 卒業2014年 7月 日系企業(製造)入社(正社員、通訳・翻訳業務)2015年4月  メイワ・ベトナム入社(営業) はじめに 私はハノイのメイワ・ベトナム(Meiwa Vietnam) という日系企業で働いています。通訳・翻訳もしますが、営業や顧客のフォローを担当しています。私は交換留学で日本の大学で1年間学びましたが、その間、ほとんど日本語だけで生活し、日本語力を高めて帰国することができました。この経験があったためにハノイで大きな日系企業に就職することができました。現在、子育てを義母に手伝ってもらいながら仕事を続けています。 日本留学のメリットとして、「日本語漬け」の環境に置かれ、日本語が上達するということが第一に挙げられます。また、日本人の生活・性格・文化・習慣も学べ、日系企業で働く上でも歓迎されます。そのほか、親から独立して生活するので、時間やお金を自分で管理する習慣が身に付く▽ベトナム人以外の外国人留学生との交流が多く、さまざまな国の友達ができる▽日本の美しい景色を楽しめる――といったメリットもあります。ただ、留学で十分な成果を得るには、ベトナムでしっかり勉強してから日本に行くことが大切です。そうしたことを含め、私の留学経験についてご紹介します。 週末は、長女をたくさん抱っこしてあげます。【2019年3月】 日系企業で活躍の場 私の勤務先の「メイワ・ベトナム」は「明和産業(Meiwa Corporation)」という日本の商社の現地法人で、本社はホーチミン市にあります。私は通訳・翻訳だけを担当しているのではなく、受注・発送を含む営業業務全般を任されています。税引き後の給料は約1,900万ドンで、日本語力や経験、学歴などを高く評価してもらっているように思います。人材紹介会社に履歴書を送って登録したところ、運良くこの会社を紹介してもらえました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 私の勤務するハノイ支店は日本の塗料や樹脂を扱っています。販売先は主に日系企業で、日本人の営業マンと一緒に顧客に会って通訳やメモをし、成約後も受注・発送・顧客フォローを行います。 以前にも別の日系企業に勤めていました。とても有名な会社で、働きやすい職場でしたが、仕事の内容が通訳・翻訳だけだったので、別の勤務先を探していました。今の会社に転職して給料は2倍以上になりました。そして、今の会社に移った後の2018年8月、初めての子供(女児)を出産しました。産前・産後に計7週間休んだ後、職場に復帰し、夫の母に子育てを手伝ってもらいながら勤務を続けています。 [/show_more] 職場近くのカフェ・ラウンジで【2019年6月】 大学入学後に日本語学習 日本語の定番テキスト「みんなの日本語」 私が日本語の勉強を始めたのは大学に入ってからです。大学の日本語テキストはロングセラーの「みんなの日本語」(出版社:スリーエーネットワーク)などでした。4年生のときに1年間、東京にある私立の「大東文化大学」に交換留学しました。交換留学は、ベトナムの大学と日本の大学の協定に基づくプログラムで、留学期間中、毎月8万円(約1,725万ドン)の奨学金(海外留学支援制度奨学金)を日本学生支援機構(JASSO)からもらいました。しかし、成績優秀者しか交換留学に行けないので、大学入学後、一生懸命に勉強をしました。 交換留学のプログラムを知ったのはハノイ人文社会科学大学に入ってからです。日本学科24人のうち10人ぐらいが交換留学生に選ばれ、東京大学、専修大学などさまざまな大学で留学できます。私は交換留学生に選ばれるよう、一生懸命に勉強をしました。日本語の勉強に特に時間をかけ、大学のテキストなどで毎日2時間以上勉強しました。また、定期試験では日本語以外の教科でも良い成績をとれるように努力しました。 私は高校に通った3年間、日本の新聞社から毎月1,000円(約214,800ドン)の奨学金をもらいました。金額は大きくありませんでしたが、勉強の参考書などを買えたのでとても助かりました。このため、「日本ともっと関わり、日本とベトナムの友好のために貢献したい」と思い、大学の日本学科を選びました。もちろん、ドラえもんやコナンも大好きで、日本への親近感はもともと持っていました。 日本での生活 ・交換留学生への奨学金を受給・アルバイトで日本語上達(そのためにも留学前の勉強が大事)・留学生向けの寮で上手に生活 外国人留学生仲間や大学の留学生指導者と一緒に伊豆に旅行【2013年2月】 交換留学生にはJASSOから毎月8万円の奨学金が支給されるので、留学中のアルバイトはあまりたくさんしなくても済みました。大学の留学生寮に入ったので、家賃も格安でした。また、日本に行く前に日本語の勉強を頑張り、日本語能力試験(JLPT)のN3程度の力を身につけてから留学したので、日本で良いアルバイトがすぐに見つかりました。仕事の中で日本語を使う場面が多く、大学の授業だけでなくアルバイトを通じても日本語力を高めることができました。こうして、1年間の留学を終えて帰国後、すぐにJLPTのN2に合格しました。 交換留学生に対するJASSOの奨学金制度: https://www.jasso.go.jp/en/index.html 大東文化大学には留学生寮があり、家賃は格安でした。台所やシャワー、トイレは共同ですが、部屋は個室(1人に1部屋)です。50,000円(約1078万ドン)の寮費の中に電気代や水道代などの光熱費が含まれ、無料インターネットもありました。みんなで使う食堂にテレビがあり、個室にベッド・机・本棚が付いていたので、大きな家具を購入する必要もありませんでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,570 VND(2019年10月3日現在) 収入(合計140,000~150,000円) アルバイト1件(飲食店店員など) 60,000~70,000 円 ※奨学金があったので必要最小限のアルバイト時間にとどめ、勉強に時間をとった。 JASSOの奨学金 80,000円 支出(合計 95,000円) 家賃(寮費) 50,000円※個室/トイレ、シャワー、台所は共同※インターネットwifi無料 携帯電話  5,000円 食費 20,000円※主に自炊 授業料 0円 交通費(通学など) 10,000円 雑費 10,000円※衣類や書籍など 差額(貯金)平均45,000~55,000円 ※ベトナムへの仕送りはなし。貯まったお金は主に旅行や緊急出費などに使った。 日本でのアルバイトと訪日前の準備 ・日本に行くまでに日本語力のスキルアップ・ケーキ屋やKFCでアルバイトを通じて会話力向上・無料の求人情報誌(日本語)でアルバイト探し 交換留学が決まって日本に行く前の数カ月間、日系企業のベトナム人従業員に日本語を教育する施設で受付のアルバイトをしました。日本人の教師が何人かいたので、「授業の準備でお手伝いすることはありませんか」と自分から話しかけ、資料整理などを手伝いながら先生たちと日本語の会話をたくさんするように心がけました。 日本では、ケーキ屋やケンタッキー・フライドチキン(KFC)でレジなどを担当しました。お客さんと会話する仕事にすぐに就けたのは、日本に行く前にしっかり準備の勉強をしていたからです。アルバイトで日本語を使い続けたことは、日本語力を高める上で本当に役に立ちました。 【アルバイトの探し方:求人情報誌】 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 日本での留学を始めて約1カ月後、寮の近くのケーキ屋でアルバイトを始めました。どうやってアルバイトを探したかというと、駅やコンビニに無料で置かれている求人情報誌(日本語)を読みました。こうした求人情報誌には地元のアルバイトがたくさん紹介されています。その中から、店員など外国人留学生を採用してくれそうな仕事を探して電子メールで履歴書を送りました。履歴書を3、4件送ったうち、最初に面接をしてくれたケーキ屋で採用が決まったので、そこで働くことにしました。面接で自分の言いたいことはそれほど伝えられませんでしたが、求人情報誌も読めましたし、面接で相手の言っていることは7割ぐらい分かりました。 [/show_more] 【アルバイトの探し方:友人からの紹介】 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] ケーキ屋で約4カ月働きましたが、クリスマスの繁忙期を過ぎて、そのお店のアルバイトが打ち切りになりました。そこで、今度は同じ大学の中国人留学生が働いていたケンタッキー・フライド・チキン(KFC)を紹介してもらいました。KFCでは、最初は厨房でしたが、最後の3カ月間はレジを担当しました。 [/show_more] 日本語学習のポイント ・日本語コミュニティーに身を置く・日本語を話すアルバイトに早く就く 私が日本に留学したころは、まだベトナム人が日本にそんなに多くはなく、周りにいるのは日本人や外国人留学生だけでした。留学生寮には外国人留学生が約20人いましたが、さまざまな国から来ているので、共通言語は日本語(たまに英語)でしたし、アルバイト先でも日本語しか使わないので、日本語を聞いたり話したりする機会がふんだんにありました。 最近は日本に在留するベトナム人が増えましたが、ベトナム人コミュニティーに安住するのではなく、日本語コミュニティーに自分から積極的に入っていき「日本語漬け」の状態を自分でつくる努力が必要かも知れませんね。また、日本に行ってから、日本語を使うアルバイトに早く就けるよう、訪日前にできるだけの準備(日本語のスキルアップ)をしていくことが大事です。 大東文化大学の留学生仲間たちと。各国からの留学生が集まっているため、留学生仲間の間での共通言語も主に日本語でした。【2013年2月】 日本を楽しむ 寮の近くに日本人の初老のご夫妻(猪鼻さん)が住んでいました。このお二人に中国語を教えていた中国人留学生の紹介で私もお二人と仲良くなり、毎週1回、食事に招いてもらうようになりました。猪鼻さんご夫妻とは、今もLINEなどでメッセージを交換しています。 大東文化大学の留学報告会に猪鼻さんご夫妻に来てもらいました。中央が私で私の両隣がご夫妻です。【2013年7月】 また、ときどき旅行にも行きました。帰国直前には大阪や京都に約1週間旅行しました。東京から大阪へは格安の夜行バスを使い、大阪では、ベトナム人の友人宅に泊めてもらいました。 東京スカイツリーの前で年越し【2013年1月1日】 神戸の中華街「南京町」で【2013年8月】 奈良の東大寺大仏殿の前で。後ろの建物の中に 大仏があります。【2013年8月】 横浜での花火大会【2013年夏】 留学のメリット ベトナムに帰国して最初に勤めた日系企業で夫と出会い、結婚しました。今は、夫の母に長女の子育てを手伝ってもらいながら二つ目の日系企業で勤務しています。日系企業で働くメリットは、①給料がよい ②日本人の働き方を身につけられる ③勤務先として安定性がある――などが上げられると思います。こうした一流企業に就職できたのは、日本での留学経験が役立ったからです。 交換留学の場合、日本での学費もかからずJASSOからの奨学金もありますが、私費留学生に対してもJASSOなどさまざまな機関が奨学金制度を設けています。また、成績優秀者には、専門学校や大学の授業料減免制度もあります。日本で留学したい人は、まずはベトナムで日本語の勉強をがんばることから始めましょう。そして、実際に留学したら、アルバイトでお金を稼ぐだけではなく、日本語力を高めることを第一に考えましょう。そのことが、あなたの日本やベトナムでの就職に役立ち、仕事のやりがいや長期的な収入安定につながると思います。 私費留学生に対するJASSOの奨学金:https://www.jasso.go.jp/en/study_j/scholarships/shoureihi/index.html

    2019年10月30日

  • Vol. 03 技能実習修了後に留学で再訪日

    今回の先輩 Nguyen Thi Lua(グエン・ティ・ルア)さん 1992年生まれ、タイビン省出身2010年 6月 Vu Thu高校卒業2013年 1月 広島県で技能実習2016年 1月 ベトナムに帰国2017年10月 未来の杜学園日本語科入学2019年 3月 未来の杜学園日本語科卒業2019年 4月 公立大学法人宮城大学入学MAIL: Nguyenlua1705@gmail.com はじめに 外国人が日本の大学で留学するためには、日本学生支援機構(JASSO)の「日本留学試験(EJU)」を受け、その成績を大学に提出しなければなりません。ここでは、私がどうやって日本の公立大学に入ったのかについて紹介します。また、私が大学に入る前、日本語学校に通いながらベトナム人の仲間たちと一緒に勉強したり旅行に行ったりして充実した日々を過ごしたことや以前の技能実習時代の生活、「技能実習には当たり外れがある」といったことについてもお伝えします。 日本の公立大学に入学 私は2019年4月に宮城大学に入学し、事業構想学部で経営関係の勉強をしています。大学の講義と自習、アルバイト、自炊、買い物などが私の生活パターンで、長期休みには友人と旅行に行くなどして息抜きをしています。4年間で大学を卒業し、日本で就職するのが夢です。 宮城大学のキャンパス。まだ新しく、モダンでおしゃれな建物です。【2019年7月撮影】 昼休みには、大学のカフェテリアが学生でいっぱいになります。 宮城大学には、図書館以外にカフェ付近にも自習用のフリースペースがあります。 日本での生活とアルバイト アルバイト先の飲食店では、格安でまかないの食事を出してもらえることも多いです。 日本語がある程度話せると、様々なアルバイトができます。私は居酒屋の店員(接客、ドリンクバー)とコンビニの店員(レジと品出し)をかけ持ちしていますが、日本の法律が留学生に許可している労働時間(毎週28時間/長期休暇時は40時間)を守っています。そして、今年度は日本学生支援機構(JASSO)経由で奨学金(文部科学省外国人留学生学習奨励費)を頂いており、大変助かっています。お金の余裕はありませんが、支出を節約して何とかやり繰りしています。就職したらもっと給料がもらえるので、それまでの辛抱です。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 留学生向け奨学金 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,590 VND(2019年9月25日現在) 収入(合計98,000円~178,000円) アルバイト2件(コンビニ店員、居酒屋店員) 50,000円~130,000円※大学の長期休暇(夏休みなど)のときは、アルバイトを長くできる。※大学の試験のときや一時帰国時は、あまりアルバイトができない。 日本政府の奨学金 48,000円 支出(合計 93,800円~105,300円) 家賃 5,000円※1人暮らし※ワンルーム、トイレ、シャワー&バス※古いアパートだが、内部は改装済み。所有者が外国でのボランティア経験があり、留学生向けに安く貸している。大学の先輩ベトナム人に教えてもらった。 光熱費 7,000円※電気・水道・ガスの合計 インターネット 4,300円 携帯電話 5,000円 食費・雑費 25,000~35000円※バイト先の飲食店で格安で食べる日もある※大学になるべく弁当を持参しランチ代を節約※外食、衣類、教材費など含む 授業料 45,000円 ガソリン代 2,500~4,000円※日本の運転免許を取得しミニバイクで移動 差額(貯金)平均30,000~40,000円 ※大学の試験などでアルバイトがあまりできない場合や緊急の出費があった場合、貯金を取り崩して生活する月もある(=その月の差額はマイナス)。※ベトナムへの仕送りはなし。貯まったお金は主に旅行や一時帰国、保険などに使う。 古いですが、お部屋はきれいな格安アパート。 オーナーが留学生向けに安く貸してくれています。 古いですが、お部屋はきれいな格安アパート。 オーナーが留学生向けに安く貸してくれています。 運に恵まれ家庭的な職場に(技能実習) 広島県での技能実習時代、週末はいつも、ベトナム人の技能実習仲間と一緒に「日本のお父さん、お母さん」の家に入り浸りでした。 2013年に技能実習で日本に初めて来ました。先に日本で技能実習をしたいとこの女性から「よい会社で働けて、給料もよかった」と聞いたのがきっかけです。私の技能実習先は広島県呉市のパイプ製造会社「株式会社 セイエン」で、約30人の職場でした。私は主に製品検査を担当しました。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 「セイエン」 「セイエン」の人たちは皆やさしく、仕事を親切に教えてくれました。ミスをした時の注意の仕方も穏やかでした。毎月の給料から税金や社会保険料、寮費を差し引いた残りの額(=手取り額)は毎月10万円~15万円。私が送出機関等に支払うためにベトナムで借りたお金は約3億ドン(約140万円)でしたが、日本に来て1年で返済できました。 しかし、実習先にはいわゆる「当たり外れ」があり、私の幼なじみの男性は毎月の手取り額が7~11万円で、私と同額の借金を返すのに1年半かかりました。彼の職場は雰囲気も悪く、上司の指導も乱暴だったそうです。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 私が勤務(実習)した「セイエン」の経営者は私たちのこうした経済事情をよく理解し、毎日最低1時間は残業をさせてくました。そして、忙しいときは、平日の残業が2時間に増えたり土曜日出勤(午前8時~午後5時)もあったりし、給料がさらに増えました。 また、会社は私たちがCD教材を使った日本語学習をできるように、終業後も使えるパソコンを貸してくれました。そして、日本語能力試験(JLPT)の際には、社長の弟さんが往復約3時間かけて車で私たちを試験会場に送り迎えしてくれました。 「遠い国から来て働いてくれているんだから、大事にしてあげよう」という気持ちが経営者にも日本人従業員らにも感じられ、あたたかい家庭的な雰囲気でした。当時、技能実習生は中国人男性が2人、ベトナム人女性が6人いましたが、そういう気遣いを感じ、皆、やる気を出して働いていました。 日本でのお父さん、お母さん 職場のある年配の女性は私たち実習生をいつも自宅に招いてくれました。私たちはこの女性を「お母さん」、その旦那さんを「お父さん」と呼び、毎週のように数人でこのご夫婦の家におじゃまし、「お母さん」と一緒にご飯を作って食べたり、テレビを見たり、おしゃべりをしたりしました。また、「お父さん」は私たちをよく車で買い物や観光に連れて行ってくれました。本当に楽しい日々でした。 社長もとてもいい人で、私たちが3年間の技能実習を終えて帰国するとき、「勉強や将来の仕事に使いなさい」と言って好きなパソコン(新品)を1台ずつ買ってくれました。私はそのパソコンを今も使っています。 [/show_more] 3年間の実習を終えて帰国する際、「これからの勉強や仕事に使いなさい」と私たち一人一人に社長が買ってくれたパソコン。大事に使っています。 対照的だった幼なじみの実習先 一方、私と同じ送出機関で同期だった幼なじみの男性が勤務した福井県内の実習先(繊維工場)では、毎月の手取りが7~11万円しかなく、お金に困って万引きに手を染め、警察に逮捕された同僚もいたそうです。仕事中に失敗すると、「ばか!」などと乱暴な言葉で怒鳴られることも多く、精神的にもつらかったそうです。幼なじみは、もう日本には来たくないようです。 送出機関や紹介エージェントへの支払い 私が訪日前に借りた3億ドンの主な使途ですが、ハノイの送出機関を紹介してくれた人(紹介エージェント)に約3,000万ドンを支払い、送出機関には授業料、教科書代、寮費、渡航手続き費用、飛行機代などを支払いました。また、日本に行くときに「保証金」として送出機関に約1億ドンを預けさせられました。これは、私たちが技能実習を途中でやめたり日本で失踪したりした場合に没収されるお金です。私は3年間の技能実習を終えて帰国後、この1億ドンを返してもらいました。 【編集部からのアドバイス】 技能実習制度では、送出機関が仲介者(紹介エージェント)から実習生を紹介してもらったり仲介者の手数料受け取りを認めたりすることは禁じられています。送出機関が保証金を預かることも禁止です。また、日本への往復の旅費についても技能実習先(受入企業)が負担することになっています。 こうした費用については、契約前に十分に確認し、金額が不透明な場合は、送出機関の選択も検討しましょう。在ベトナム日本国大使館は、他の送出機関を探す際には、仲介者に頼らず送出機関に直接コンタクトするよう勧めています。 頑張った日本語学習と再訪日 私はハノイの送出機関で日本語を7カ月間勉強してから訪日し、訪日後も目標を立てて勉強しました。月~金曜日の夜9時~12時と土曜日に勉強しました。そして、訪日して1年目に日本語能力試験(JLPT)のN3に、2年目にN2に受かりました。3年目のN1には失敗しましたが、2017年に再訪日後、最初に受けた試験でN1に合格しました。 ベトナムに帰国後しばらくは、送出機関の日本語センターで日本語の教師をしていました。しかし、日本での3年間がとても楽しかったのと、技能実習時代の勉強のおかげで日本語もかなり話せたので、もう一度日本に行こうと思いました。技能実習の送出機関での同期で技能実習先の職場も近かった親友のフエさんも一緒に再訪日しました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 「未来の杜学園」を選んだのは、この学校なら技能実習経験者でも留学の在留資格を比較的取りやすいと聞いたからです。「セイエン」での技能実習の先輩から「未来の杜学園」のことを教えてもらい、あとはインターネットで入学の仕方を調べました。ハノイで英語、数学、日本語の試験を受け、卒業後は大学進学を目指すことを条件に入学を認めてもらいました。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 「未来の杜学園」 [/show_more] 大学進学のための勉強 日本の大学に留学するためには、日本学生支援機構(JASSO)の「日本留学試験(EJU)」(年2回)を受け、その成績を大学に提出しなければなりません。文系の私は「日本語」「総合科目」「数学」を受けましたが、最初はあまりよい成績ではありませんでした。 しかし、ベトナム人留学生8人が週2回集まって一緒に勉強するグループに入れてもらってから学力が上がり、半年で成績が大きく伸びました。この仲間たちとは飲み会をしたり小旅行に行ったりもしました。宮城大の受験では、EJUの成績を提出し作文の試験と面接を経て合格しました。 [iconpress id="local_1803" title="external link" style="color:#525252; font-size:22px;" ] 「EJU」 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] この勉強仲間のことですが、先輩のベトナム人大学生(女性)がフェイスブックで呼びかけた交流会に集まったベトナム人の日本語学校生らが週2回、公共施設「仙台国際センター」の会議室に集まって一緒に勉強しており、私も後から入れてもらいました。 同じ日本語学校の人も違う日本語学校の人もいましたが、国公立大学を目指す人ばかりでした。普段の会話はベトナム語ですが、勉強会の間は日本語だけでやり取りをしました。呼びかけ人のベトナム人大学生も私たち後輩に日本語の指導をしてくれたり、面接練習で面接官役をやったりしてくれました。 日本に住むベトナム人が情報交換するためのフェイスブックのページがたくさんありますので、日本に来たらチェックして交流会などのイベントを探してみることをお勧めします。 [/show_more] 日本語能力試験(JLPT)N1対策の勉強ノート。日本語学校でのテキストから重要な言葉を書き出して覚えました。 日本留学試験の「総合科目」のための勉強。 ↓「総合科目」ではこの問題集を使いました。https://www.ask-books.com/jp/eju/ 日本語学校卒業の夜、一緒に勉強したベトナム人仲間と一緒に居酒屋や カラオケでお祝い会。素敵な仲間たちでした。【仙台市内で2019年3月】 小旅行で日本を満喫 留学のために再訪日してからは、友人たちと一緒にあちこちに旅行をしています。日本語学校時代は大学受験を控え長い旅行はできませんでしたが、近場の観光地を軒並み制覇しました。前から行きたかった「蔵王」、風情のある「銀山温泉」、「山寺」の紅葉、青い海――詳しくは以下の写真でご覧ください(^_^) 親友のフエさんや友人の日本人と一緒に車で山形県・蔵王へ 【2018年6月】 親友のフエさんと2人で電車で山形市の「山寺」へ日帰り旅行。東北地方の秋は最高。【2018年11月】 日本語学校時代の勉強サークル仲間で宮城県名取市の海岸へ。【2018年8月】 居酒屋でのアルバイト仲間の日本人学生3人と一緒に山形県の銀山温泉へ1泊旅行。普段、アルバイトが終わってから一緒に飲みに行くことも。【2019年3月撮影】 将来は日本で長く働きたい 私は当面のお金を稼ぎたくて技能実習で日本に来ましたが、3年間の実習生活で日本が本当に好きになったので、また日本にやって来ました。留学から就職までは少し時間がかかりますが、日本で専門学校や大学を卒業して就職する場合には、「技術・人文知識・国際業務」の在留資格を取得できますので、技能実習と違って勤務年数の制限がありません。これは、ベトナムで短大卒以上の学歴がある場合にも取得できます。 技能実習の場合は、本文で紹介したように、実習先(受入企業)よって当たり外れがあります。私はいい職場に恵まれて本当によかったと思っていますが、よい技能実習先に当たるかどうかは運に左右される側面も大きいです。しかし、「技術・人文知識・国際業務」の在留資格で働く場合は、自分に合った職場を選べますし、場合によっては転職することもできます。 私は日本が本当に好きなので、できるだけ長く日本に住みたいと思っています。神戸の大学に通っている親友のフエさんも同じ思いで、今はお互い離れていますが、将来、日本の同じ地域で務めることが私たちの夢です。 技能実習の送出機関以来の親友のフエさん(左)とツーショット。将来は、 日本の同じ地域で就職するのが夢です。【仙台市内で2018年12月撮影】

    2019年10月18日

  • Vol. 02 技能実習の3年間でN1に合格

    2019.9.22毎日新聞・岩崎日出雄 今回の先輩 Nguyen Thi Khuyen(グエン・ティ・クエン)さん 1996年生まれ、フンイエン省出身(ハノイ市郊外)2014年6月 高校卒業2016年2月 長崎県で技能実習2019年5月 ミライエ日本語センター教師Email: nguyenthikhuyen96hy@gmail.com はじめに 私は長崎県の「株式会社 雲仙きのこ本舗」で技能実習生として3年間働きました。ベトナム人女性ばかり約30人の技能実習生が働く職場で、寮生活で実習生の間に強い絆が育ちました。また、職場の日本人も皆、親切でした。「技能実習先は必ずしもよい職場ばかりではない」と聞きますが、私のように職場に恵まれると、楽しく仕事をすることができます。また、上司が私たちに「がんばって日本語を勉強したら、技能実習が終わってベトナムに帰国してからも就職の役に立つ」といつも励ましてくれたこともあって、私は技能実習の3年間に毎年1回ずつ日本語能力試験(JLPT)を受け、5段階中最高ランクの「N1」を取ってから帰国しました。今はハノイで日本語の教師をしています。 ここでは、 ・私の技能実習での仕事の内容・技能実習中の給料と生活、両親への仕送り額・訪日後3年足らずでN1を取得するに至った日本語学習のノウハウ・送出機関の選び方――などを紹介します。 寮から仲間と一緒に電車で2時間かけて桜の名所へ。初めて見た満開の桜。本当にきれいでした。 雲仙きのこ本舗での仕事(実習) えのきだけ。量りで計量してコンベアに乗せると、機械で袋詰めに。 それを次は箱に詰めます。  私は2016年2月、ハノイの同じ送り出し機関で学んだ同期生5人と一緒にこの会社に赴任しました。仕事(技能実習)は朝8時から夕方5時までで、途中で昼休みが1時間ありました。室内栽培のきのこを収穫し、計量し、袋詰めし、箱詰めして出荷する仕事でした。 「雲仙きのこ本舗」 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] きのこを計量器で量って100gずつに分け、コンベアに乗せると、機械で袋詰めにされて出てきます。その後、包装のきれいなものとそうでないものとに分け、箱詰めします。取り扱ったきのこには、えのき、まいたけ、えりんぎ、なめこ、ぶなしめじ、などがありました。 夕方5時以降も、たいてい30分~2時間の残業がありました。作業所は数カ所あり、私の常駐していた作業所で残業がないときは、他の作業所に自動車で連れていってもらって残業しました。 [/show_more] 実習中の給料と生活、送金 寮で共に暮らしたベトナム人の実習仲間たち。一緒に過ごした時間が大切な思い出です。 仕事の休日は水曜日と日曜日でした。夏はきのこがあまり売れないので残業が少なく、給料も少なかったのですが、冬はきのこがよく売れるため残業が多く、給料は夏より多かったです。税金や社会保険料、寮費を差し引いて手元に残るお金は、季節によって違いますが、毎月8万円~14万円でした。ここから食費や雑費を支出し、残りを貯金しました。 給料は日本の銀行口座に振り込まれ、2カ月に1回、現金を引き出して郵便局のATMから送金会社のカードを使ってベトナムの両親に送りました。銀行で現金を引き出して郵便局に行くまで安全なように、いつも同僚の実習生と一緒に行きました。2カ月に1度の送金額は15万円ぐらいが多く、3年間で計約300万円を送金しました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,625 VND(2019年9月22日現在) 手取り給料(合計80,000円~140,000円) 手取り給料 80,000円~140,000円※税金と社会保険料、寮費を差し引いた後の額(このうち寮費は15,000円/寮は2人で1部屋▽台所・食堂・トイレ・シャワーは共同▽電気・ガス・水道代含む▽インターネットwifi無料) 支出(合計22,000円~40,000円) 食費 10,000~15,000円※自炊※地方なので、食材が安い 携帯電話 0円※LINE電話で両親や友人に連絡。SIMカード使わず。 雑費 10,000円~20,000円※衣類や日本語のテキストなど 交通費 2,000円~5,000円※休日にたまに買い物や遊びで出かけた 毎月の平均残額(貯金) 70,000円~120,000円 ※夏は残業が少なく収入が少ないが、冬は残業が多く収入も多い。※貯金を2カ月に1回、両親に送金。1回の送金は15万円程度。 私たちが帰国する前日、後輩達が送別会を開いた後、私たちが空港方面に向かうワゴン車に乗るのを見送ってくれました。別れがつらくて、後輩達は涙。車内の私たちも涙。【2019年2月撮影】 親切な上司たち、あたたかい職場 親切だった職場の日本人の方々と私たち実習生(手前) 会社の費用で「長崎ハウステンボス」に日帰りの社員旅行。花がたくさん咲いていて、こんな美しい場所は初めてでうれしかったです。【2016年4月撮影】 雲仙きのこ本舗では、職場の日本人たちが私たち技能実習生に親切にしてくれました。中にはつらい職場(実習先)もあると聞きますので、私は職場に恵まれたのだと思います。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] ある作業所の年配の女性は、残業の時にいつも栄養ドリンクとお菓子を私たちに出し、「食べてから仕事したらいいからね」と優しく声をかけてくれました。また、どうしても送金したい日に銀行や郵便局に行く時間がぎりぎりになったときや送金額が大きいときは、本社の森塚課長が私たちを自動車で郵便局まで送り、そばに付き添ってくれました。[/show_more] 私はこうして日本語を勉強した 日本語能力試験(JLPT)の受験の際は、職場の上司(中央)が車を往復6時間運転して私たちを試験会場に送り迎えし、励ましてくれました。 本社の森塚課長は機会があるたびに私たちに「日本語をしっかり勉強し日本語能力試験(JLPT)に合格したら、ベトナムに帰国してからもいい仕事に就ける」と言って、私たちの日本語学習を後押ししてくれました。JLPTの受験の際は、試験会場まで往復約6時間かけて私たち(受験希望者)を送迎してくれました。 私の日本語学習で役だったのは①職場での日本語会話②日本語学習のYouTube動画③先輩推薦のテキストとCD--でした。夕食後、だれもいなくなった寮の食堂でYouTube動画やテキスト、CDで1人で勉強しました。私が使ったYouTube動画やテキストを具体的に知りたい方は以下をお読みください。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] ①職場で日本人と仕事上の会話 日本人と話す機会の多い職場でした。このことが私の日本語力の向上に役立ちました。私は、仕事のことで分からないことがあったら、すぐに日本人スタッフをつかまえて話しかけたので、 会話の機会が増えました。日本人スタッフは皆さんとても親切に応じてくれました。 ②YouTube……日本語学習のYouTube動画をよく見ました。 ・「JLPT N1 文法」シリーズ(全40回) https://www.youtube.com/watch?v=kfsC1g6leMk ・「Japanese lesson JLPT N1 文字・語彙」シリーズ(全28回) https://www.youtube.com/watch?v=NxFBiPiFuOk ③テキストとCD……FBでつながったベトナム人留学生(N1取得者)に紹介してもらったテキスト(CD付きのものも含む)を使いました。私の使った主なテキストを紹介します。 ・「耳から覚える 日本語能力試験」シリーズ(出版社:アルク)  https://www.alc.co.jp/jpn/article/nihongo/n3-n5/ ・「新完全マスター」シリーズ(出版社:スリーエーネットワーク)  https://www.3anet.co.jp/np/list.html?sa=1&q=新完全マスター日本語 私はこうした教材を使い、食堂の壁やベッドなどに「N3絶対合格」などと書いた紙を貼って自分を励まし、毎日勉強しました。毎年1回受験し、2016年12月にN3、17年12月にN2、18年12月にN1に合格しました。[/show_more] 訪日のきっかけと送出機関 私たちは一家でお金を稼ぐ必要が生じ、1歳年上の姉が私より1年早く栃木県に技能実習に行きました。2歳年下の弟も2018年11月から長野県で実習中です。私はハノイの送り出し機関で日本語を3カ月間学習した後、求人があって面接を受け、技能実習生への採用が決まりました。その後、送出機関と自習で日本語をさらに計6カ月間学習し、ある程度の日本語は分かる状態で日本に行きました。 技能実習生の送出機関(会社)は、親戚の知人(紹介エージェント)が私たち3人にそれぞれ別々の会社を紹介してくれました。その際、1回の紹介につき手数料2000万ドン(約93,000円)をエージェントに支払いました。 【編集部からのアドバイス】技能実習制度では、仲介者(紹介エージェント)が介入したり仲介者が手数料を受け取ったりすることを送出機関が許容することは禁じられています。在ベトナム日本国大使館は、送出機関を選ぶ際は、仲介者を通さず送出機関に直接連絡(電話・電子メールなど)するよう呼びかけています。送出機関に直接コンタクトしてうまくいかない場合は、別の送出機関を選ぶこともできます。※仲介業者に関する在ベトナム日本国大使館公式サイトのページ https://www.vn.emb-japan.go.jp/itpr_ja/Chuukaigyoushanichuui.html※外国人技能実習機構(OTIT)が公表している送出機関の一覧 https://www.otit.go.jp/files/user/190906-3.pdf 私が紹介エージェントや送出機関に支払った費用やそのために作った借金は下記の通りです。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ]   【送出機関に支払った金額】・授業料(半年分)=2,000万ドン・寮費(半年分)=1,500万ドン・訪日の航空券と送り出し手数料=計約9,000万ドン 【編集部からのアドバイス】 ベトナム政府の規定では、日本語の事前教育費は約520時間に対し590万ドン以下、送出手数料は3,600ドル以下(3年契約の場合)となっています。また、日本への往復の旅費についても日本の技能実習先(受入企業)が負担することになっています。これらを上回る金額の場合は、費目を確認した上で領収書をもらうようにしましょう。また、金額が不透明な場合は、他の送出機関の選択も検討しましょう。 【紹介エージェントに支払った金額】・紹介手数料=2,000万ドン 私が行った送出機関には同期生が約30人いましたが、日本語学習のクラスは1教室に6~10人でした。1教室20人以上の送出機関もあるそうですが、少人数の方が密度の濃い学習ができます。なお、送出機関やエージェントにお金を支払うために私は約1億4000万ドン(約65万円)の借金をしました。日本に行って最初の1年で返済できましたが、その1年間は借金返済のためにほとんど遊びに行けませんでした。[/show_more] 現在の仕事とメッセージ 現在は、ハノイで日本語教育機関の教師をしています。【2019年6月撮影】 私は帰国後の2019年5月から、技能実習ではなく「技術・人文知識・国際業務」の在留資格でベトナム人技術者を日本に送り出すための日本語教育機関(ハノイ)で教師をしています。現在の月給は約1300万ドンです。将来はまた日本で働けたらと希望しています。 今回は、私の技能実習時代の暮らしや、日本語能力試験(JLPT)を突破するために使った教材、YouTube動画、テキストなどを紹介しました。また、「送出機関は、エージェントに依頼するよりも友人や先輩の体験など情報を集めてよさそうな送出機関を選び、直接コンタクトする方がよい」という情報もお伝えしました。 技能実習制度を利用する場合は、このサイトを含む様々なルートで情報を集めてよい送出機関を選び、日本語学習もしっかりやってから訪日してください。そして、日本でよい人間関係を築き日本語力も伸ばしてから帰国してくださいね(^_^) 帰国直前、一緒に過ごした同期6人で長崎市内を2泊3日で旅行しました。費用は会社が負担してくれました。浴衣姿の私たちと美しい長崎の夜景です。【2019年2月撮影】

    2019年10月08日

  • Vol. 01 日本語力不足で最初は苦労

    日本に留学するベトナム人の数人に1人が日本語学校を卒業できずに帰国しています。日本で生活に困ったベトナム人が犯罪組織に引き入れられるケースが増えています。技能実習で期待していたほど給料がもらえないケースや残業代が支払われないケースもあります 。一方で、日本の留学や技能実習で学歴や日本語能力を身につけ、いい仕事に就いたり、将来の可能性を広げたりしている先輩もいます。先輩たちはどうやって成功したのでしょうか?先輩達の体験とノウハウをあなたに伝えます。 今回の先輩 TRAN MANH HUNG(チャン・マン・フン) さん 1992年生まれ、ハイフォン市出身2009年5月 THUY SON 高校 卒業2009年9月 ベトナムの外国語学校入学2011年7月 千葉県内の日本語学校入学2013年4月 千葉県内の専門学校      「ニホン国際ITカレッジ」入学2016年4月 開知国際大学入学2020年3月 開知国際大学卒業見込み、千葉県の会社に就職予定 私は日本に来て8年目で、千葉県の日本語学校から専門学校と大学に進学し、来年、千葉県の会社に就職します。最初は苦しい留学生活でしたが、日本語が上達すると、まじめな仕事ぶりを評価してくれる人も増え、たくさんの方々から親切にしてもらいました。 最近は、ベトナムから日本への留学生や技能実習生が大きく増えました。一方で、「日本では、学校に行きながらアルバイトで毎月20万円~30万円(約4300万ドン~6500万ドン)を簡単に稼げる」と聞かされて、準備もせずに来日し、アルバイトで体を壊す人や進級できずに日本語学校を中退する人、専門学校や大学に進学せずにベトナムに帰国する人も多くいます。 しかし、1、2年間の滞在だけでは日本のよさは分かりませんし、進学しないと給料も上がりません。これから日本に来るベトナムの後輩留学生たちに、十分な情報を持ってしっかりと準備をし、日本でいろいろな経験をしてほしいと思っています。 ここでは、▽日本語学校の授業や寮生活は学校によって大きく違う▽日本語を話せないとよいアルバイトがない▽アルバイト先での会話で日本語が上達する▽都心から少し離れた郊外での暮らしがリーズナブル▽留学生を優遇してくれる大学がある――といったことについて書きます。 特に、私が日本で経験したアルバイトの内容や条件、アルバイト先の環境が日本語の上達に関係することなどを詳しく書きます。 これから日本に来るあなたの成功のために必要な情報を拾い読みしてくださいね(^_^) 日本に行こうと思った理由 ベトナムで大学受験に失敗した 日本の大学を卒業すれば、ベトナムより給料がずっと高い 留学初期費用110万円(約2億3700万ドン)はもっと安くできた 情報収集し、準備と選択をしてから訪日を 日本にずっと住みたい(生活が安全、食べ物や福祉も安心できる) 私は2009年5月にハイフォンの高校を卒業し、大学受験に失敗しました。そこで、同年9月、ベトナム北部の外国語学校に入りました。その学校で日本留学の説明会に参加したのをきっかけに日本語の勉強を始めました。日本の大学卒の初任給は20万円(約4300万ドン)以上で、ベトナムよりずっと高いです。また、日本語を話せれば、アルバイトで貯金もできます。日本でお金を貯めて両親を日本旅行に招待しよう。そんなことを考えて日本留学を決めました。外国語学校を卒業して2011年7月に来日し、千葉県内の日本語学校に入りました。渡航や日本語学校への入学の手続きは外国語学校がやってくれました。留学の初期費用として両親に約110万円(約2億3700万ドン)を出してもらいました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ]ここには、外国語学校への手数料やビザ取得費、航空券、保証金、日本語学校の入学金、1年分の授業料、半年分の寮費などが含まれていました。 初期費用は、今なら、よく調べればもっと安くできますが、当時はベトナムからの留学生も技能実習生もほとんどおらず、情報がありませんでした。しかし、両親からお金を出してもらったのはこの時だけで、あとは日本でのアルバイトと奨学金(=返済不要)だけでやり繰りしてきました。日本語学校での生活は学校によって大きく違います。これから日本に行く人は、このサイトに今後掲載されるいろいろな先輩の体験談などでよく情報を集め、しっかりと準備・選択してから日本に行くことをお薦めします。 [/show_more] 日本で最初は苦しかった 日本語学校の寮は学校によって大きく違う 訪日前に日本語能力試験のN4取得を 日本語を話せないとアルバイトも見つからない やっと見つけたアルバイトも条件最悪 日本語学校の寮は学校によって大きく違います。私の住んだ寮はあまりよくありませんでした。10平方㍍に満たない小さな部屋に2人で住み、家賃は1人2万2000円(約475万ドン)。台所もトイレもシャワーも部屋の外にあって共同使用で、シャワーは10分・100円(約2万1000ドン)の有料でした。シャワー代を節約するために、台所でバケツ数個に湯をくみ、シャワー室で体を洗う寮生もたくさんいました。※ちなみに今は自分で部屋を借りて快適に暮らしています 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,600 VND(2019年6月17日現在) 収入(合計120,000円~130,000円) アルバイト2件(いずれも飲食店) 130,000円 支出(合計110,000円~120,000円) 家賃 57,000×0.5=28,500円※同居のいとこと折半※個室×2、広い台所兼居間×1、トイレ、シャワー&バス※南柏駅まで自転車で10分 光熱費 12,000×0.5=6,000円※同居のいとこと折半※電気・水道・ガスの合計 インターネット 5,000×0.5=2,500円 携帯電話 2,500円※LINE PHONE(格安sim) 食費・雑費 40,000×0.5=20,000円※同居のいとこと折半※バイト先の飲食店で格安で食べる日もある※大幅ディスカウントされた総菜を買うことが多い※いなかなので、農産物の安い直売店が近い(友達の車で買いに行く)※衣類は量販店のバーゲンで安く買う 交通費 3,500円 授業料 42,000円 その他(保険) 5,000円 差額(貯金)平均10,000円 ※長期休み(夏休み、春休み)はアルバイトを長く出来るので、1カ月の収入は160,000~180,000円になり、貯金が増える。 私は訪日前にあまり日本語を勉強せず、あいさつ程度の日本語しかできませんでした。今思えば、ベトナムでもっと日本語を勉強して日本語能力試験(JLPT)の4級(N4)を取得してから留学を始めれば、もっと効率がよかったと思います。 私の場合、日本語がほとんど分からないので、学校からアルバイトを紹介してもらえず、最初は収入がありませんでした。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] ベトナムから持ってきたお金を取り崩して生活していましたが、3、4カ月経って少し話せるようになり、日本語学校の同級生の紹介で初めてアルバイトを始めました。 最初の仕事は、隣の埼玉県の弁当工場での仕事でした。弁当の調理や盛りつけで、あまり会話しなくてもできる仕事です。週に3、4回出勤して月給約12万円(約2590万ドン)でした。 労働条件は厳しく、勤務は深夜0時から朝6時まで。電車と送迎バスで通いましたが、遠いので、寮を22時過ぎに出て翌朝8時に帰宅する生活でした。その後、学校の授業(午前9時~12時30分)がありましたが、居眠りばかり。学校をずる休みすることもありました。授業後も夕方まで眠り、夜はまたアルバイトに出かけます。アルバイトは20時開始のときもあり、そのときは17時に家を出ました。出勤日は決まっておらず、その日の14時~17時に会社からメールが来ます。メールが届けば休みで、メールが届かなければ出勤です。土日も同じ状況だったので、予定が立てられませんでした。また、50人以上のベトナム人留学生が働く職場だったので、日本語を使いません。授業は居眠り、職場はベトナム語なので、この職場で働いた9カ月間、日本語があまり上達しませんでした。ところで、専門学校や大学に進学できずに帰国する留学生仲間もいましたが、私はアルバイト先の先輩留学生から「日本語学校だけで終わらず、日本で大学に進学した方が絶対にいい。大学を出たら、将来の給料がずっと高くなる」と常々教えられていました。「進学するためには、今の生活を続けていてはだめだ」と思いましたが、日本語が上達しないので、なかなか別のアルバイトに就けませんでした。 [/show_more] アルバイト先で日本語上達 日本語が上達し条件のよいアルバイトへ アルバイト先での会話で日本語上達 職場で日本人たちからも親切にされ 専門学校に進学 日本語能力試験2級に合格 しかし、少しずつ勉強して日本語の力をつけ、日本語学校から別のアルバイトを紹介してもらうことができました。大手食品メーカーの工場勤務で、製品をチェックして選別する仕事でした。勤務は16時~20時30分で、週5回、時給950円(1カ月の給料は約9万円=約1943万ドン)。職場は寮から自転車で約30分でした。 しかも、外国人は同じ学校の3、4人だけで、日本人の従業員と話す機会がたくさんありました。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] また、朝6時~8時には、寮のそばの老人ホームで食事の準備や食器洗い、掃除のアルバイトをしました(月給2~4万円=約432万~863万ドン)。アルバイトの掛け持ちです。ここでも、入所しているおじいさん・おばあさんたちとよく会話をしました。このように、アルバイト先で日本語を話す機会が増え、日本語の上達が速くなりました。食品工場に半年間勤めたあとは、やはり学校の紹介で、大きな会社の物流センターで働きました。平日の勤務時間は14時~18時、土日は朝7時~正午です。残業も時々ありました。週3、4回出勤して月に約10万円(約2158万ドン)もらいました。時給は安かったのですが、学校の忙しい時に勤務シフトを考慮してくれたので、メインのアルバイトとしてこの職場に約5年間お世話になりました。そこでの仕事の内容は荷物の仕分けでした。荷物の箱に書いてある商品名や言葉を覚えるようになり、漢字を読む力もつきました。職場では外国人が当初は私1人だけで、日本語でたくさん会話をしました。職場のおばさんたちが親切で、私にパンや缶詰をよくくれましたし、いろいろなことを教えてくれました。従業員同士の仲が良く、私の誕生日に服をプレゼントしてもらったこともありました。とてもよい職場でした。 物流センターでアルバイトをしていた2013年4月、日本語学校を1年半で卒業して専門学校「ニホン国際ITカレッジ」に進学(3年間)しました。本当は大学に進みたかったのですが、学力がまだ十分ではなかったので、まず専門学校に進みました。 専門学校時代は、日本語の先生(日本人)との接触を増やしたり、かけ持ちのアルバイトも日本語を話す機会の多いアルバイトを選んだりしました。かけ持ちのアルバイトは、日本語が読めるようになっていたので、お店の張り紙をみて電話をし、面接を受けるなどして見つけました。あるラーメン店では、週2、3回の勤務でしたが、深夜で時給が高いので、月6万円(約1295万ドン)もらうこともありました。こうして、私は専門学校在学中に日本語能力試験の2級(N2)に合格しました。[/show_more] 両親を日本に招待 専門学校を卒業 両親を日本に招いて家族旅行 専門学校を卒業した2016年3月には、卒業式に合わせてハイフォンから両親を日本に招待し、私の家に3週間ほど泊まってもらいました。韓国人と結婚した姉とおい(=姉の息子)も韓国からやって来て合流し、浅草や皇居、鎌倉の大仏などを一家で観光しました。 私は専門学校で3年間皆勤(=無遅刻・無欠席)で学費も滞納したことがなかったので、卒業の時に学校から表彰されて10万円をもらいました。両親の招待には、そのお金とアルバイトで貯めたお金を使いました。念願の親孝行が出来た瞬間でした。 大学進学 そして就職内定 いなか暮らしのすすめ 千葉県の私立大学へ進学 留学生への入学金免除と日本語優秀者への授業料減額 東京都心より生活費が安い 電車で通える東京都心でボランティア活動も 就職内定し、これからも日本で生活 2016年4月、晴れて千葉県柏市の「開知国際大学リベラルアーツ学部」に入学しました。今は4年生で、来年春、ベトナム人の先輩から紹介された千葉県の運送会社に就職する予定です。 私が開知国際大学を選んだ理由はいくつかあります。 外国人留学生は入学金免除 日本語能力試験2級以上(今は1級)なら、「奨学金」として授業料減額(年間75万円の授業料が50万円に) もともとの授業料も都心の大学より安い 生活費が都心よりかなり安い 柏市に近い大学をインターネットで検索すると、ほかにもたくさんの大学が出てきましたが、留学生への対応が一番よかったので、この大学を選びました。皆さんもよく調べて学校を選んでくださいね。 [show_more more=▼続きを読む less=▲閉じる align="center" ] 開知国際大学では、専門学校での出席と成績、入学試験(日本語作文と面接)が入学選考材料となりました。私は奨学金として授業料を毎年25万円ずつ減額してもらいました。入学金免除と4年間の授業料減額で、在学中の4年間で計約200万円の学費を免除してもらったことになります。これには大変助かりました。私の学年には外国人留学生が70人以上いて約4割はベトナム人です。私はベトナム人だけと話すのではなく、日本人の学生や他国の外国人留学生とも日本語を使って交流するように心がけています。 現在、メインのアルバイトは、大型ショッピングモール「イオンモール柏」の中にあるヌードル店「リンガーハット」の店員です。かけ持ちのアルバイトと併せて、毎月12~13万円(夏休みは16~18万円)を稼いでいます。私は来日以来ずっと柏市に住んでいますが、東京の都心と比べると家賃も物価も安く、助かっています。しかも、東京の都心まで電車で30~40分で行けますので、東京都内でボランティア活動もたまにしています。 今年9月には、日本の自動車運転教習所に合宿して自動車免許を取得しようと思っています。日本での仕事に役立つからです。費用が約25万円かかるので、現在、アルバイトをいつもより少しがんばっています。 [/show_more] 最後に 留学するには、信頼できるウェブサイトなどで情報を収集し、きちんと選択と準備をしてから訪日することが大切です。日本語学校の授業も寮生活も学校によって大きく異なります。また、日本語が少しはできないと、よいアルバイトが見つかりません。日本に行く前に日本語能力試験の4級(N4)を取得できれば可能性が広がります。 日本に行ってからは、アルバイト先で会話しながら日本語の上達を目指してください。また、いくつかの職場を経験すれば、自分に合ったよい職場も見つかります。 大学に進学する際は、都心だけでなく郊外やいなかの大学も調べてみてください。留学生に有利な大学、暮らしやすい地域がきっと見つかります。いずれにしろ、日本に行ってからアルバイトばかりでなく、しっかり勉強をすることが大切です。 冒頭にも書きましたが、「日本に行けば、学校に行きながらアルバイトで毎月20万円~30万円を簡単に稼げる」とだまされて来日する人もいます。しかし、実際には留学生は週28時間(夏休みは別)しか働けません。それに、アルバイトばかりで進学せずに帰国しても給料は増えません。 そして、1年半や2年の短い滞在では日本のよさは分かりません。日本語を話せず一つか二つのアルバイトしか経験せずに帰国すると、親切な職場に巡り会う機会がない場合もあります。留学で日本に行くからには、専門学校や大学に進学し、学力を身につけて日本やベトナムで就職するというしっかりした目標を持って行ってほしいと思います。 私が日本にきて一番印象深いのは電車やバスなどの公共交通です。時間も正確でスピードも速く、どこにでも行けます。交通以外のインフラが整っていて便利で空気もきれいです。これからも日本での生活を楽しみたいと思っています。 これから留学する皆さんは、しっかり情報収集をして自分なりのキャリアプランを立て、きちんと準備をしてから日本に行ってくださいね。

    2019年06月27日

主催者

Nhà tài trợ Bạch Kim

後援

  • 在ベトナム日本国大使館
  • 国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
  • JNTOハノイ事務所
  • 関西経済連合会
  • 一般社団法人 国際人流振興協会
  • 公益社団法人 ベトナム協会
  • NPO法人 日越ともいき支援会

協力

JASSO(日本学生支援機構)

外国人労働者弁護団

WA.SA.Bi.