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VOL. 92 日本の文学小説を多数翻訳・出版

ベトナムから海外留学する人がまだ少なかった1990年代に日本に留学したニエンさん。留学仲間の夫が沖縄で就職したため彼女も沖縄に長く住むことになり、その間に日本の文学小説をたくさん翻訳し、ベトナムで出版。最近は、沖縄に住むベトナム人技能実習生たちのサポートにも力を入れています。 今回の先輩 グエン・ド・アン・二エンさん 1994年ホーチミン国家大学東洋学部入学 1997年名桜大学で交換留学〈沖縄、1年間〉 1999年ホーチミン国家大学卒業 1999年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈2年間〉 2001年名桜大学大学院修士課程入学 2003年修士課程修了 2003年大阪府立国際児童文学館外国人研究員〈6カ月〉 2004年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈4年間〉 2004年TRE出版社で日本語通訳・翻訳〈4年間〉 2011年名桜大学附属図書館でアルバイト〈5年間〉 2011年名桜大学非常勤講師〈現在も〉 2022年沖縄大学非常勤講師〈現在も〉 〈1976年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 •...

2023年06月12日
  • VOL. 90 寝ても覚めても勉強し3年でN1合格

    2023年03月31日
    日本に留学してまもなく「自分で努力しなければ、いつまでたっても日本語で会話できるようにならない」と気づいたウットさん。空いている時間はいつも日本語を勉強し、3年でN1に合格。日本での就職や帰国後の日系企業への就職でも大いに役立ちました。 今回の先輩 タ・ティ・ウットさん 2011年高校卒業 2012年日本語学校入学〈福岡県〉 2014年専門学校入学〈福岡県〉 2015年結婚、JLPT・N1合格 2016年専門学校卒業 2016年日本で就職〈愛知県〉 2017年夫の転勤に伴い帰国 2017年HISハノイ支店入社(正社員) 2019年出産 2020年日系の会計事務所入社〈ハノイ〉 〈1993年生まれ、ハノイ出身〉 ◆このページの内容 • 準備不足で訪日 • 日本語学校と専門学校に留学 • 学校選びに失敗 • 寝ても覚めても日本語を勉強 • アルバイトでたくさん日本語会話 • 私の家計簿 • 日本で留学生と結婚 • 夫の転勤で帰国 • ハノイで日系企業の正社員に • 別の日系企業に転職 • 日本留学で得たもの 準備不足で訪日 私の姉は2010年から日本に留学し、その後、日本人と結婚して今も日本に住んでいます。私は高校卒業後、姉に習って日本に留学することにしました。その準備として、ハノイの日本語センターの寮に住んで3カ月間勉強しました。その間は授業を含めて毎日6時間勉強しましたが、日本で暮らすために日本語がどれぐらい必要かわかっていなかったので、今から思うととても不十分な勉強でした。 ひらがな、カタカナと簡単な会話しか覚えずに日本に行った私は、当初、言葉のことでとても苦労することになります。 日本語学校と専門学校に留学 日本で一緒に暮らした姉(右) 私は2012年10月、姉が通っていた福岡市の「西日本国際教育学院」という日本語学校で留学を始めました。最初の3カ月間は学校の寮に住み、4カ月目からは姉と一緒に暮らしました。 日本語学校で1年半学んだ後、私は「国際貢献専門大学校」という専門学校に進みました。この学校は、私が通った日本語学校の系列校です。本当は他の大学か専門学校に行きたかったのですが、系列校に進学すれば学費が割り引かれるという特典にひかれてその専門学校を選びました。しかし、この学校を選んだことを後で大きく後悔することになりました。 学校選びに失敗 私はこの専門学校でITを学ぼうと思い、「情報ビジネス」を専攻したのですが、専門分野の授業はほとんど受けられませんでした。当時、この学校はできたばかりで、学校の準備不足によってITの教師が不足していたのです。 IT関係の授業は休講続きで、代わりにいつも日本語の授業を受けされられました。しかも、私は専門学校に入る前に日本語能力試験(JLPT)N3に合格し、当時はN2・N1を目指していたにもかかわらず、専門学校の日本語授業はN3・N4レベルでした。私は担任の先生に「もっとITの勉強をしたい」と何度も訴えましたが、何も改善されませんでした。後輩の皆さんは学校の評判をよく調べてから進学先を選んでください。 寝ても覚めても日本語を勉強 留学を始めて最初の数カ月間、私は日本語力不足でアルバイトが見つかりませんでした。友人からアルバイトを紹介してもらっても、工場など日本語を話さなくてもよい職場ばかりでした。私はまわりの日本人が話す日本語がほとんどわからず、自分の言いたいことも伝えられず、ストレスがたまっていつも家で泣いていました。 そして、「日本語がわからないと何もできない」「自分で勉強しないと、どれだけ日本人と交流しても話せるようにならない」と気づき、猛勉強を始めました。学校の授業以外に、昼でも夜でも休日でも空いた時間はできるだけ日本語を勉強し、アルバイト先でも上司や先輩とできるだけ会話するようにしました。 その結果、私は留学を始めて9カ月後にJLPT・N3に合格し、その2年後にN1に合格しました。最初は「みんなの日本語」を使い、N2・N1対策には市販の問題集を使いました。また、自分の好きなYouTubeチャンネル(日本語)を聴いてリスニングの練習をしました。 アルバイトでたくさん日本語会話 アルバイト仲間の日本人たちと焼肉会 日本語が話せるようになるにつれ、日本語を使うアルバイトに採用されるようになりました。そうなると、仕事をしながら日本語の練習ができ、わからない言葉や言い方は日本人の先輩や同僚に教えてもらえるので、日本語の会話力が急速に伸びていきました。 アルバイト探しについては、友人に紹介してもらうか、無料の求人情報誌を見て店に電話をかけ、面接を申し込みました。そして、アルバイト先の先輩や仲間と仲良くなり、一緒にご飯を食べに行くこともよくありました。また、クリーニング工場のおばさんは自宅に私と友人を招いてくれました。これらの人たちの中には、今もFacebookなどで連絡を取り合っている人もいます。 ◎私が日本で経験した主なアルバイト クリーニング 工場でクリーニングした大きなカーテンを2、3人でたたむ仕事。ホテルで使うカーテンでした。 ビジネスホテル ベッドメイキング、清掃 居酒屋 ホール(接客)、片付け、開店準備 レストラン キッチン、早朝の仕込み(料理の準備) 弁当店 キッチン、レジ 技能実習生の監理団体(組合) 通訳、技能実習生の生活サポート) 私の家計簿(1カ月の平均) ※専門学校時代の家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:120,000円~150,000円 給料 ¥120,000~¥150,000 ※アルバイト2、3件 支出:158,000円~160,000円 学校の授業料 ¥55,000 家賃(ワンルーム) ¥50,000 ※1に暮らし、Wi-Fi・水道代込み 電気・ガス ¥8,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 食費 ¥25,000 ※バイト先で無料のまかないを食べることも多かった。 雑費 ¥10,000 ※交通費、学習教材、衣類 毎月の差額:▲10,000円~38,000円 ※夏休みなどの長期休みに多く働いて不足を補いました。 日本で留学生と結婚 新婚時代の夫と私 私の姉は福岡で日本語学校から大学に進学しましたが、ある日、姉の大学の同級生のベトナム人男性が姉と私の家に遊びに来ました。ほどなくして私は彼と付き合うようになり、約2年半後、彼は大学を卒業して日本で就職することになりました。その少し前に私たちは結婚し、福岡のベトナム総領事館に婚姻届けを出しました。その後、私も就職が決まり、名古屋に引っ越して一緒に住みました。 私は就職するまで3年半留学しましたが、生活費や学費を稼ぐために早朝や夜にアルバイトをし、それ以外は勉強に打ち込んでいたので、休日は疲れて横になっていることも多く、旅行にはあまり行きませんでした。夫と知り合ってからも一緒に公園やゲームセンターなどでデートするぐらいで、観光はあまりしませんでした。今にして思えば、日本にいる間にもっとあちこちに旅行しておけばよかったと思います。 夫の転勤で帰国 帰国直前にベトナムの家族を名古屋に招待 私たちは2015年に結婚し、私は正社員の夫の妻として日本に在留する予定だったので、本格的な就職活動はしていませんでした。しかし、夫の勤務地が名古屋に決まると、私は家の近くでできる仕事を探し、この会社に履歴書を送って面接を受けたところ、携帯電話ショップを運営する会社の正社員に採用されました。 日本の携帯電話ショップの店員は携帯電話の端末を売る仕事よりも通信契約に関する対応が多いので、さまざまなことを覚えなければなりません。そのため、通常は入社後6カ月間の新人研修を経てやっと店に出ることができます。研修では、接客マナーやパソコン操作、さまざまなサービス内容を学びますが、私は3カ月で覚えることができ、通常より早く店に出ることができました。しかし、就職して1年半後に夫がハノイに転勤になり、私も退職して帰国することになりました。 ハノイで日系企業の正社員に HISハノイ支店の入っているビル〈2018年〉 2017年7月に帰国してまもなく、私は日本の大手旅行会社HISのハノイ支店で正社員として働き始めました。店のカウンターで日本人客(主に駐在員)に航空券やホテル、ツアーを手配する担当でした。個人がインターネットで航空券やホテルを手配することもできますが、会社の業務で出張する場合に旅行会社を使うと、経理処理に必要なインボイスが発行されますし、顧客サービスも良いので、HISを使う日本人はとてもたくさんいました。 ところで、私は帰国が決まってすぐにハノイでの仕事を探し始めました。しかし、日本と違ってベトナムでは面接に合格したらすぐに働き始めてほしいという会社がほとんどだったので、結局、帰国後にFacebookで仕事を探し直し、HISに入りました。 別の日系企業に転職 HSKVのパーティー 私はHISで約2年半働き、出産を機に退職しました。そして、2020年からはHSKV(HSK Vietnam Audit Company)という日系の会計事務所で働いています。私の仕事は会長(日本人)の秘書で、秘書業務以外に下記のような仕事も担当しています。 監査報告書や移転価格報告書、事業概況報告書などの翻訳 顧客企業の帳簿の入力 顧客企業の給与計算表のチェック 個人所得税の計算と申告 顧客企業の日本人駐在員の労働許可証・ビザ・レジデンスカードの申請 HSKVの仕事もFacebookで探し、給料はHISのときより約30%上がりました。転職したのは、HISでは土日の出勤もあったため、出産後の生活に合わなくなったためです。今の会社を選んだのは、朝8時~9時の間に出勤し8時間勤務すればよいというフレキシブルな勤務時間と自宅から近いことが決め手でした。 ハノイに戻って2つの日系企業に就職して思うのは、日系企業への就職には、履歴書の内容よりも面接での評価(日本語会話力や対人能力など)の方が重視されるような気がします。 日本留学で得たもの 私は留学中、学校選びに失敗したことをとても後悔しました。しかし、学校で専門知識は得られなかったものの、自分で日本語の勉強やアルバイトに一生懸命に取り組み、3年でJLPT・N1に合格できました。また、アルバイト仲間に日本語で積極的に話しかけ、会話も十分にできるようになったので、ベトナムに帰国して日系企業に就職する際にとても役立ちました。 留学せずベトナムで日本語を勉強する人も素晴らしいですが、留学経験者の方が全体的にリスニング力が高く、日本での生活やアルバイトも経験したということで、日系企業での就職には有利なようです。私は日本で留学できて本当に良かったと思います。
  • VOL. 89 「みんなの日本語」の解説本を翻訳

    2023年03月24日
    日本語を学ぶ外国人の多くが最初に手にする日本語の教科書「みんなの日本語」。その解説本4冊を1人でベトナム語に翻訳したドンア大学副学長のヴィンさん。ヴィンさんの日本留学体験や学生時代の勉強方法などを紹介します。 今回の先輩 ゴ・クアン・ヴィン さん 1998年高校卒業〈クアンチ省〉 1998年ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部入学 2002年ハノイ大学卒業 2002年日本の設計会社で勤務(通訳・翻訳)〈ハノイ〉 2004年国立ダナン大学外国語大学日本語学科で日本語講師 2008年一橋大学で研究生として留学〈東京〉 2010年一橋大学修士課程入学 2012年一橋大学博士課程入学 2015年一橋大学博士課程修了 2015年国立ダナン大学外国語大学日本語・韓国語・タイ語学部長 2020年ドンア大学副学長兼日本言語文化学部長〈ダナン〉 〈1980年生まれ クアン・チ省出身〉 ◆このページの内容 •「みんなの日本語」の解説本を翻訳 • 大学で日本語を学び日系企業へ • 私の日本語学習法 • 6年半の日本留学 • 私の家計簿 • 留学中の交流 • 留学中に困ったこと • ベトナム語の専門書を日本語で出版 • ドンア大学について 「みんなの日本語」の解説本を翻訳 日本語を学ぶ外国人の多くが最初に使う教科書「みんなの日本語」の「翻訳・文法解説」があるのをご存じの方も多いと思います。「みんなの日本語」は日本語だけで書かれているので、十分に理解できないときに「翻訳・文法解説」を読めば、内容が理解しやすくなります。私は2013~16年に「みんなの日本語」初級Ⅰ、初級Ⅱ、中級Ⅰ、中級Ⅱの「翻訳・文法解説」をベトナム語に翻訳しました。 この翻訳を始めたとき、私は一橋大学(東京)で留学していましたが、そのときの指導教官が私のベトナム語力と日本語力を高く評価し、出版社に推薦(すいせん)してくださったことがきっかけでした。翻訳する際には、もとの日本語の意味ができるだけ正しく伝わるベトナム語にしたいと思い、言葉をていねいに選びながら時間をかけて翻訳しました。 大学で日本語を学び日系企業へ 会社の仲間と日本の石炭鉱山の見学 私が高校のとき、有名な日本ドラマ「おしん」がベトナムで放送されていました。わたしは主人公・おしんのけなげな生き方や勤勉さ、ドラマに出ていた昔の日本家屋などがとても気に入って、日本についてもっと知りたくなりました。高校では英語コースでしたが、大学では別の外国語を勉強しようと思っていたこともあり、ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部に入りました。 私は大学で4年間日本語を学んだ後、新聞の広告欄で見つけた日系企業に入りました。これは木造住宅の構造設計をする会社で、私は日本人の社長や技術者たちとベトナム人スタッフとの間の通訳や書類の翻訳をするチームのリーダーとして働きました。その後、大学で日本語を教える仕事に興味を持つようになり、知人の紹介で国立ダナン大学の日本語講師になりました。 私の日本語学習法 ハノイ外国語大学の教室で 私は大学生のとき、大学のゼミや講義以外に毎日6~8時間、自習しました。インターネット上の学習素材も紙の日本語教材も少ない時代だったので、今よりも勉強に工夫が必要でした。そのときに私が行った勉強方法を紹介します。 新聞の1面のコラムを読む:私は日本の新聞の1面のコラムを読み、ほぼ毎日、その内容について大学の先生と日本語でディスカッションしました。 自分で文章を作って読む:参考書に書かれている語彙(ごい)や文型を使って文章を作り、自分で声を出して読みました。 ハノイ大学日本語学部の級友たちとお出かけ これ以外に、古本屋で日本の古新聞を買い、何度も辞書を引きながら読みました。言葉の勉強では、やはり辞書を使い込むことが大事です。それでも理解できない部分がたくさんあったので、私は大学でただ1人の日本人の先生にアポを取り、質問に応じてもらいました。ただ、当時ハノイには日本人がまだ少なく、ネィティブの日本人との会話練習がほとんどできないのは残念でした。 6年半の日本留学 修士課程を修了 ダナン大学で講師をしているとき、日本の文部科学省が提供する留学生向け奨学金に応募しました。そして、在ベトナム日本国大使館で試験を受けて合格し、国費留学生として日本に行くことになりました。留学先には東京外国語大学も検討しましたが、少人数で勉強・研究できる一橋(ひとつばし)大学を選びました。 こうして私は2008年10月に一橋大学の研究生として訪日し、研究生1年半、修士課程2年、博士課程3年の計6年半、文科省の奨学金で留学しました。そのうち約2年間は妻と一緒に暮らしましたが、妻が2011年に東日本大震災による原発事故を契機に帰国してからは妻子と離れて留学しました。 妻と息子 私は留学中はずっと学費無料で奨学金も受給していたので、アルバイトは最小限にしてできるだけ勉強をしました。しかし、毎年、お盆とテト(旧正月)に帰国するための旅費がかかり、普段は節約生活を強いられました。私がよく使った便は成田→香港→ハノイ→ダナンというルートで、乗り継ぎが悪いため安価でした。一番安いときは往復28,000円でしたが、留学中に燃油サーチャージ(12,000円~15,000円)を加算する制度が始まり、大きな痛手でした。また、当時はSNS電話がなかったので、30分3,000円の国際電話(当時としては格安)でたまにだけ妻と話しました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※博士課程のときの家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:200,000円 奨学金 ¥150,000 給料 ¥50,000 ※アルバイト(通訳・翻訳、辞書作りの手伝いなど) 支出:100,000円 授業料 ¥0 家賃 ¥50,000 ※東京都内、ワンルーム 電気・ガス・水道 ¥5,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 ※国際電話代を含む インターネット ¥6,000 食費 ¥35,000 ※昼は大学の食堂、夜は主に自炊。 交際費 ¥15,000 雑費・交通費 ¥20,000~¥25,000 ※衣類、教材、交通費、化粧品など 毎月の差額(貯金):60,000円 ※貯めたお金で帰国の際の航空券などを購入。 留学中の交流 ベトナム人仲間と東京で日本庭園(夜間ライトアップ)を見学 6年半も日本に住んだので、日本人との交流もたくさんありました。指導教官やゼミの仲間と食事に行ったほか、アルバイトを通じて知り合った人たちとも交流しました。 ベトナム人同士の交流もありました。国費留学に合格した同期のメーリングリストがあったので、日本に行ってから留学生同士の交流のきっかけになりました。 また、東京のベトナム大使館が独立記念日やテトの際に行うイベントもあり、そこでもベトナム人同士の交流ができました。 留学中に困ったこと external link KOKORO|花粉症について(※クリック) ところで、留学中に困ったこともたくさんありました。 休日に病気になったとき 休日に医療機関に行っても対応してくれず、困りました。留学3年目に花粉症になり、くしゃみと鼻水がひどく、とても疲れました。そこで、週末に2、3カ所の医療機関に行きましたが、休日なので受け付けてくれず、どうしたらよいかも教えてくれませんでした。その後、平日になんとか時間を作ってクリニックに行き、薬を処方してもらいました。また、ひどい腹痛のときに近くの病院に電話しましたが、「大きな症状やけがなら診(み)るが、今回は無理です」と断られ、がまんするしかありませんでした。いずれも機械的な対応で、「外国人だから対応が悪いのでは」と感じました。日本は外国人向けの公的な救急医療制度をもっと充実させるべきだと思います。 external link KOKORO|日本での住宅の探し方(※クリック) 住宅探し アパートを探すとき、外国人だから借りられない物件がたくさんありました。その後、当時よりはましになったものの、今も外国人お断りの物件が多いと聞きます。 外人扱い 電車内でベトナム人同士で会話していると、そばにいた日本人たちが向こうに行ってしまいました。日本の電車内でのマナーを理解して私たちは小さな声でしゃべっていたのに、そのような行動をされ、残念でした。また、電車内でくしゃみをすると、マスクをしていても周囲から冷たい視線を受け、これも外国人への偏見のように感じました。このため、かぜをひいたときは電車に乗るのがおっくうでした。 日本人はもっと外国に出て国際感覚を高めてほしいですし、日本の行政は外国人が居心地よく暮らせるように、地域の外国人サポート窓口をもっと充実させてほしいと思います。 ベトナム語の専門書を日本語で出版 external link この本のAmazonでの販売ページ(※クリック) 2015年に留学を終えた私はその年から国立ダナン大学 外国語大学の日本語・韓国語・タイ語学部長になりました。そして、2020年にドンア大学の副学長兼日本言語文化学部長になりました。 私は留学中に日本語教育やベトナム語の類別詞について研究しました。類別詞とは名詞の数え方です。例えば日本語で「一つ」「1枚」「1個」などと数えるときの「つ」「枚」「個」などが類別詞で、ベトナム語ではどのような類別詞があるのかを留学中の博士論文にまとめました。この論文を帰国後にさらに精査して書き直し、2023年に「現代ベトナム語の類別詞研究: 類別詞の本質とその意味・用法」という日本語の専門書を出版しました。Amazonでも購入できますので、ベトナム語の研究者や教師・学習者の方々に活用していただければ幸いです。 ドンア大学について 最後に副学長兼学部長としてドンア大学日本言語文化学部について紹介します。当学部では次のような点を重視して日本語教育を行っています。 日本語を「読む・書く・聞く・話す」ために必要な基礎学力と専門知識を養い、日本語で考える力や日本語コミュニケーション力の向上を目指しています。 日本文化を深く多角的に理解する人材を育てるため、インターンシップや文化交流、交換留学などのプログラムを充実させています。 ダナンの日系企業で見学や研修を行い、日本語を活かした仕事への理解や日本語コミュニケーション力の向上に努めています。 こうしたプログラムには、私や教師陣の留学経験も活かされています。
  • VOL. 88 支援団体の支援で在留延長と再就職

    2023年03月17日
    作業の準備・後片付け(毎日約2時間)に残業代が支払われないなど、建設の技能実習生の平均よりかなり低い給料で働かされたうえ、職場での暴力・暴言もあって失踪したフイさん。一度は日本が大嫌いになりましたが、支援団体のサポートで日本滞在を延長して働き、特定技能の試験にも合格しました。 今回の先輩 カ・チャン・ホアン・フイさん 2013年高校卒業〈ホーチミン市〉 2013年観光バスの添乗員〈タイニン省〉 2016年トラック運転手〈ロンアン省〉 2019年送出機関で勉強〈ホーチミン市〉 2019年来日→講習→技能実習〈山梨県〉 2020年失踪し、友人宅に4カ月間滞在〈東京〉 2021年日越ともいき支援会で保護〈東京〉 2021年アルバイト〈北海道、長野、鹿児島〉 2022年一時帰国 〈1995年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 • 日本語をほとんど学ばずに来日 • コンクリート関係の仕事 • 長い移動時間に睡眠禁止 • 十分にもらえなかった残業代 • 私の家計簿 • 低賃金と暴力・暴言 • 組合に相談しても改善せず • 失踪中の生活 •「日越ともいき支援会」に助けられ • 漁業やレストランでアルバイト • これからも日本で働く 日本語をほとんど学ばずに来日 私は高校を出て、観光バスの添乗員やトラック運転手をしていましたが、毎月の給料は約7,000,000 VNDしかありませんでした。そんなとき、いとこが日本に技能実習に行って順調に働いていたので、私も出稼ぎのために技能実習をすることになりました。 私は送出機関に登録し、会社の面接を待ちながら日本語で自己紹介をする練習をしました。2019年4月に面接に合格後、きちんとした日本語の授業を受けましたが、それは3カ月間だけだったので、ほとんど日本語が分からない状態で日本に行きました。送出機関には132,000,000VND(当時のレートで約65万円)を支払い、これ以外に寮費や食費(外食)なども必要でした。 コンクリート関係の仕事 生コンクリートを送り込むトラック(イメージ写真) こうして私は2019年7月に来日し、翌月からコンクリート関係の技能実習を始めました。勤務先は山梨県の会社で、大きなトラックが数台ありました。トラックの荷台には折りたたみ式のアームとホースが付いており、工事現場でこれらを伸ばして、離れた場所や高い場所に生コンクリート(生コン)を流し込みます。ミキサー車で作った生コンをトラックのポンプとホースで建築物に送り込むのです。 私たちの作業(イメージ写真) 私たち技能実習生は生コンを流し込む場所にホースの先を運びました。その後、生コンを床に流し込むときはホースを置いて固定できますが、壁などに流し込む場合は、私たちがホースを肩に担いで2、3時間立ち続けました。太いホースは2人で担ぎ、細いホースは1人で担ぎますが、細いホースでもかなり重く、担ぎ続けるのはきつい仕事でした。 長い移動時間に睡眠禁止 私たちの平均的な1日はこうでした。 4:30 起床 5:00 トラック6、7台で会社(私たちの寮の隣)を出発。現場まで平均1時間~1時間半。 6:00~6:30 現場到着。仕事の準備(平均1時間)。準備が早く終われば休憩。 8:00~17:00 仕事(途中で3回・計90分休憩) 17:00 後片付けなど 18:00 現場を出発 19:00~19:30 帰宅 現場への往復は、トラック1台に3人(日本人1人、ベトナム人2人)が乗り、日本人が運転しました。しかし、私たちが何か話すと日本人が怒り、眠っても怒られるので、私たちは車内でずっと黙って景色を眺めていました。技能実習生はSIMを持っていないので車内では携帯電話も使えず、移動時間はとても退屈で疲れました。 十分にもらえなかった残業代 external link KOKORO|給与、残業代、有給休暇 会社から現場まで片道3、4時間かかることもありました。しかし、往復6~8時間の移動が毎日続いても、手当はまったく増えませんでした。また、それ以外にも次のようなことがありました。 ①毎日忙しく、昼の休憩なしで働き続けることが2日に1回ほどありました。しかし、昼の休憩(1時間)をつぶして働いても残業代は増えませんでした。 ②毎日、準備と後片付けで平均2時間働きましたが、この時間にも残業代が支払われませんでした。 準備以外の正規の作業時間が延びることもありましたが、私たちがもらった残業代(毎月5時間分)はそれすらカバーできない額でした。このため手取り給料は9~10万円しかありませんでした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:100,000円 給料 ¥100,000 *税金や社会保険、寮費、光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(15,000円)、電気・ガス・水道(6,000円) 支出:45,000円 食費(主に自炊) ¥30,000 生活雑貨、衣類 ¥10,000 交際費など雑費 ¥5,000 毎月の差額:55,000円 低賃金と暴力・暴言 私はベトナムでこの会社の社長に面接(通訳付き)をしてもらったとき、毎月18万円もらえると聞きました。しかし、来日して先輩に聞くと、手取り18万円もらえたのは1回だけだったそうです。 移動時間が長く、仕事内容は過酷で、残業代も十分に支払われないうえ、一緒に働く日本人の一部(3人)は気に入らないことがあるとすぐに怒鳴りました。私はラチェットレンチという工具で頭をたたかれたことも2回あり、ヘルメットをかぶっていても大変な衝撃でした。私はこのような理不尽な職場に失望し、失踪することにしました。 組合に相談しても改善せず 左:仕事で毎日顔が汚れました。右:疲れて休憩時間に現場で眠る先輩。 技能実習では監理団体(組合)が実習生のケアをします。組合の担当者はベトナム人通訳を伴って毎月2回、会社に来ましたが、私たちとの面談には毎回、会社幹部が立ち会いました。組合によっては、正社員の通訳が実習生の悩みを直接聞くシステムもありますが、この組合の通訳は毎回違う人(アルバイト)で、頼りになりませんでした。私たちは残業代不払いや移動時間に眠れないことなどを改善してほしいと組合に何度かお願いしましたが、何ひとつ改善されませんでした。 失踪中の生活 こうして、私はこの会社で働き始めて13カ月目の2020年9月、現金20万円と小さな荷物を持って会社を去りました。社長に告げ口されると困るので、ほかの実習生2人にも黙って失踪しました。 思い描いていた日本とは違ったので、私は一刻も早くベトナムに帰りたいと思いました。しかし、新型コロナの影響でベトナムへの航空券が手に入らなかったので、チケットが取れるまで友人のミン君(仮名)の家に泊めてもらうことにしました。彼は日本で知り合った友人で、別の会社を失踪し、東京に住んでいました。私は電車を約3時間乗り継いで彼のところに行きました。彼は不法就労をしている様子でしたが、私は早く帰国したいので働きませんでした。しかし、航空券はなかなか買えず、2021年1月に入ると、所持金は約5万円しか残っていませんでした。 「日越ともいき支援会」に助けられ external link KOKORO|日越ともいき支援会 そんなとき、ミン君が「NPO法人日越ともいき支援会」のことを聞いて私に教えてくれました。2021年1月、私は支援会にベトナム語でメッセージを送り、事務所を訪ねました。すると、その日から支援会のシェルターに無料で住めることになり、数十人の元実習生と共同生活を送りました。 私は支援会で約2カ月間、毎日、日本語の授業を受け、自習も何時間もしました。その間、支援会は外国人技能実習機構(OTIT)や以前の組合、入管と連絡を取り、私が日本に残って働くためのさまざまな打ち合わせや手続きをしてくれました。おかげで私は新型コロナに関連する特例の在留資格を取得できました。この在留資格の期間は6カ月でしたが、その後2回更新でき、私は日本で約1年半、アルバイトをすることができました。 漁業やレストランでアルバイト 左:ホタテ貝。右:軽井沢。 ホタテの養殖 日本に残って働けることになった私は、支援会の紹介で北海道のホタテ養殖業者で2021年3月から3カ月間アルバイトをすることになりました。小さなホタテ貝を海から引き上げ、貝がらに穴を開けて糸でつなげるのが主な仕事で、主に陸で働き、ときどき船に乗りました。 レストラン ホタテ養殖の繁忙期が終わり、東京に戻って支援会などに泊めてもらった後、9月から3カ月間、長野県・軽井沢の高級レストランで働きました。野菜を切ったり皿を洗ったりする仕事で、まかない(従業員向けの食事)を1日3食食べられるのが魅力でした。軽井沢は有名なリゾート地なので、休みの日には、別の店で働くベトナム人と一緒に町を散策しました。 ラーメン店 3つめのアルバイトは鹿児島県のラーメン店「田所商店」で、仕込み(野菜やチャーシューを切る)、麺(めん)をゆでる、食材を炒(いた)める、スープを作る、皿洗いなど幅広い仕事を担当しました。全国展開の人気店で、私はこの店で2021年12月の新規オープンから約9カ月間働きました。一緒に働いた日本人は皆さん親切で、来日してから一番働きやすい職場でした。 これからも日本で働く 私は北海道のアルバイトから長野県のアルバイトに移る間、日越ともいき支援会に泊めてもらったほか、JP MIRAI(JICAなど主催)が東京で開いた元技能実習生向け研修会に参加しました。約1カ月半に渡ってJICAの施設に住み、日本語の授業を受けたり、今後のキャリアについて学んだりしました。 日越ともいき支援会のおかげで、私は引き続き日本で働く方法があることを知りました。そして、JFT-Basicで238点を取り、特定技能「外食業」の技能試験にも合格しました。そこで、2022年9月にいったんベトナムに帰国し、特定技能の在留資格を申請中です。特定技能外国人として再び来日したら、これまでと同じラーメン店で働きます。これまでの日本滞在では、来日前に借りたお金を返すのが精一杯だったので、今度こそしっかり貯金したいと思います。

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【在ベトナム日本国大使館後援】

  • Vol. 78 起業を目標に新潟で留学

    ハノイの大学在学中にインターンとして日本で1年間働いて会話力をつけ、その後、新潟県の大学院に留学したリンさん。大学院では経営について学び、大学院や地元行政の支援も受けて卒業直後に新潟で起業しました。また、新潟のベトナム人コミュニティの活性化にも尽力しました。 今回の先輩 ファム・フォン・リンさん 2013年ハノイ国家大学日本言語文化学部入学 2017年沖縄でインターン(1年間) 2018年ハノイ国家大学卒業 2018年事業創造大学院大学事入学〈新潟県〉 2020年同大学卒業(修士号取得) 2021年起業〈新潟県〉 〈1995年生まれ、ハノイ市出身〉 ◆このページの内容 • 日本で1年間のインターンシップ • インターンシップ後に留学 • 起業支援が手厚い大学院に留学 • 留学生活の費用と収入 • 私の家計簿(1カ月の平均) • 新潟でのベトナム人仲間 • 卒業してすぐに起業 • これからも越日の架け橋に

    2022年12月16日

  • Vol. 77 日本の大学に就職

    ハノイの大学で日本語を学び、日本の大学院に国費留学したチャンさんは、そのまま日本で就職し結婚もしました。大学院では毎晩遅くまで研究に打ち込み、苦労もしましたが、名古屋でたくさんの人に出会い、大学を通じてさまざまな経験を重ね、日本で心豊かに暮らしています。 今回の先輩 チャン・トゥー・チャン 2008年ハノイ法科大学経済学部入学 2012年ハノイ法科大学経済学部卒業 2012年TMI法律事務所ハノイ事務所・弁護士アシスタント 2013年名古屋大学大学院修士課程入学 2015年名古屋大学大学院博士課程入学 2018年名古屋大学事務職員 〈1990年生まれ、ハノイ市出身〉 ◆このページの内容 • 日本語と法律を無料で学べる特別コース • 願いがかなって国費留学 • 映画の字幕と音声で日本語学習 • 通訳アルバイト • 日本でのベトナム人仲間 • 大学院をやめて就職 • 私の就職活動と家計簿 • 日本に残った理由 • ボランティア • 名古屋のここが好き 日本語と法律を無料で学べる特別コース 日本法教育センターの先生と同級生たち 私は海外に興味があり、子どものときから留学が夢でしたが、私費留学をする経済力がありませんでした。しかし、ハノイ法科大学に入ると、無料で日本語と日本の法律を学べる「名古屋大学日本法教育研究センター」があったので、応募して合格しました。このセンターで学ぶと、奨学金で日本の大学に行ける可能性があるからです。私はセンターの2期生でした。 名古屋大学日本法教育研究センター ・ハノイ法科大学の学部生(法学部、経済法学部)が対象 ・新入生がセンターに入るには、選抜試験を受ける。 ・応募は毎年150~200人。入試の成績やセンターの選抜試験(ひらがな、カタカナなど)の成績、面接を総合して25~30人を選ぶ。 ・センターでの授業は週6コマ(4年間)。追加の授業料は不要。 ・センターでの単位の一部は大学の卒業単位にカウントされる。 願いがかなって国費留学 大学院の先生とトーク〈修士2年のとき〉 センターの学生は4年生のときに推薦試験に受かれば、名古屋大学大学院で国費留学生として留学できます。私ともう1人が受験しましたが、私は不合格でした。私はどうしてもあきらめられず、卒業後も就職せずにセンターで勉強を続け、1年後に後輩たちと一緒に推薦試験に再トライし、今度は合格しました。最近は、卒業生が日本で留学するための民間の奨学が増えましたが、当時はほとんどありませんでした。 こうして私は2013年10月に名古屋大学大学院に入学し、修士課程の2年間、日本の国費で留学しました。授業料無料で国から生活費ももらいました。博士課程では授業料は払いましたが、文科省の奨励金(毎月20万円)をいただきました。(この奨励金制度は現在はありません。) 映画の字幕と音声で日本語学習 日本の映画でヒアリング練習(イメージ写真) 日本法教育研究センターでは質の高い日本語教育を受けました。ベトナム人教師以外に日本人講師も3人おられ、授業時間外にも会話練習の相手や作文のチェックをしてくださいました。先生方にはとても仲良くしていただき、学外でも交流させていただきました。 私は自宅での自習が苦手です。宿題はやりましたが、それ以上は自習しませんでした。その代わり、日本の映画やドラマ(ベトナム語か英語の字幕付き)を毎晩見て、聞き取れない会話をメモして覚えました。これによって日本語のヒアリングが上達しました。わからない言葉を調べたり、発音をまねたりもしました。JLPT(日本語能力試験)については、直前に問題集を集中的に解き、大学卒業の半年後にN1に合格しました。 通訳アルバイト 私は来日2年目から約1年半(週2回)、法学部の図書館で受付をしました。また、ティーチングアシスタントという指導教官の学部での授業のサポートもしました。授業の資料をコピーしたり、授業で小テストの回答用紙を回収したりする仕事でした。こうした学内アルバイトの情報は大学の留学生向けメーリングリストや大学の掲示板で知りました。 弁護士や警察の通訳以外に日越の経済交流会の通訳も担当 通訳・翻訳のアルバイトもしました。一番多かったのは、弁護士とベトナム人依頼者との間の通訳です。大学の先生の紹介で愛知県弁護士会の面接を受けて通訳として登録しました。民事事件では法律事務所で通訳をし、刑事事件の場合は弁護士と一緒に拘置所などに行って容疑者や被告(ベトナム人)と会いました。通訳アルバイトは一般のアルバイトの5倍以上の時給でしたが、時間を取られて研究に支障があるので、約1年半でやめました。 日本でのベトナム人仲間 私が日本でベトナム人仲間をどうやって作ったかをまとめました。 大学の仲間 ・名古屋大学にはたくさんのベトナム人がいますが、普段は大勢で集まりませんでした。私は文系の大学院のベトナム人仲間数人と仲良くしていました。 ・名古屋大学の大学祭や留学生向けのイベント(留学生歓迎会や旅行)を通じてベトナム人の友だちができました。 ベトナム人団体(VYSA) ・友だちと一緒にVYSA TOKAIのイベントにときどき参加しました。例えば、テト(旧正月)の集まりや紅葉狩りなどです。 同窓の集まり ・センターの同期や後輩が何人か日本に住んでいるので、今も交流しています。 アルバイト仲間 ・通訳アルバイトで通訳仲間(主に先輩たち)とのつながりもできました。 地域のベトナム人仲間とテトの集まり 日本法教育研究センターの後輩と花見 大学院をやめて就職 勤務しているオフィスがある名古屋大学の建物 私は最初の2年間は毎日深夜まで研究室に残り、ときどき徹夜もしました。体調を崩したので、3年目からは夜12時までに研究室を出るようにしました。法律書や判例の文章は難しく、法律用語の意味調べもあるので、日本の学生と比べて内容を理解するのに何倍も時間がかかりました。 2年で帰国して弁護士を目指すことも考えましたが、博士課程の試験に合格したので、3年目以降も日本で研究を続けることにしました。しかし、博士課程に進むときに研究科を変えたことも災いし、研究を進めて博士論文を書き上げることはかなり困難だと感じるようになりました。このため、悩んだ末に就職を目指し、名古屋大学の事務員に内定したので、博士課程3年の途中で大学院をやめました。 私の就職活動と家計簿 名古屋大学 名古屋大学では、事務職に「外国人枠」があり、私が応募したときは毎年1、2名を採用していました。事務職員になるには試験を受けなければなりませんが、外国人枠では試験が免除され、私は適性検査と作文と面接で採用内定をいただきました。 リクナビやマイナビでも採用情報を探しましたが、会社説明会には参加しませんでした。私は大企業に入ってステータスを得るよりも仕事のやりがいを重視していたので、国際化が進んでいる職場やベトナムと関係のある企業を探しました。そして、FPTソフトウェアと名古屋大学に応募し、どちらからも採用内定をいただきました。FPTはベトナムの巨大グループで、入社後はベトナムで働くことになっていましたが、私は日本に残ろうと決断し、名古屋大学を選びました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※就職後・結婚前の家計簿 ※100円=16,433 VND(2022年10月8日現在) 収入:250,000円 給料 ¥250,000 ※税金や社会保険料を引いた後の手取り額 ※残業時間によって総額は変動 ※ボーナスを除 支出:208,000円 家賃 ¥60,000 水道・光熱費 ¥15,000 食材費 ¥30,000 生活雑貨 ¥5,000 携帯電話 ¥3,000 美容・衣服 ¥10,000 医療・保険 ¥10,000 交際費(誕生日会など) ¥15,000 教育・教養 ¥10,000 ※資格試験のための教材・通信講座の費用 旅行・交通費 ¥20,000 実家に仕送り ¥30,000 毎月の差額:42,000円 日本に残った理由 修士課程2年のときの発表会(左)と修士課程卒業の日〈大学で〉 私は大学院を途中でやめることについて、奨励金に推薦してくださった教官に大変申し訳ないと思いました。それに、大学のことは好きで、大学には深く感謝していました。そこで、研究には行き詰まりましたが、別の分野で大学に恩返ししたいと思って大学の事務職に応募しました。帰国するか日本に残るかとても悩みましたが、最後は、大学への愛着が勝(まさ)ったのです。 また、日本人の恋人もいたので、そのことも日本に残りたい気持ちを後押ししました。その後、恋人とは結婚し、つい最近(2022年10月)、初めての子どもを出産しました。日本で家族ができましたし、今からベトナムに帰っても仕事のキャリアを一から積まなければならないので、これからも当面は日本で暮らす予定です。 ボランティア 長野県の牧場で「さをり」の作品販売。私もお手伝い。 私は来日前から、「さをりをベトナムへ」というボランティア活動に参加しています。中心メンバーの日本人の1人と大学時代にハノイで出会ったのがきっかけです。ベトナム戦争の枯れ葉剤の影響を受けた障がい者たちに「さをり」という布の織り方を伝え、彼らの織った布や作品を日本で販売して売り上げを彼らの施設に送るという活動です。 私の役割は、日本のメンバーがベトナムの施設とメールなどで打ち合わせる際の翻訳・通訳です。その役割を通じてわかったのは、日本人の計画性や目的を達成するためのプロセスの確かさです。例えば、メンバーがたまにベトナムに行きますが、訪問日程が決まると、何度も打ち合わせをし、訪問中の数日間で障がい者たちや施設スタッフに何をどのように伝えるかなど、細かく検討して準備をします。このようにして、10年以上さをりの織り方についてアドバイスを続けた結果、障がい者たちの技術が向上し、今ではとても高い品質の作品を作ってくれるようになりました。 名古屋のここが好き 私の好きな庄内緑地公園〈名古屋市〉 名古屋で多くの出会いがありました。Facebookで友だちになった経営者の男性からは、①自分のやりたいことをすると人生が楽しい ②自分のやっていることが何か社会の役に立つと人生の意味を感じる――ということを教えていただきました。こうした方々に感化され、私もやりがいのある仕事や、できれば社会貢献もしたいと考えるようになりました。 名古屋は東京ほど大きな都市ではありませんが、それでも十分に大都会ですし、教育環境も就職先も充実しています。ステキな人たちと交流できる機会も十分にあります。こうした環境や出会いを自分の人生に生かすにあたり、名古屋の雰囲気や街のサイズが私には合っていたように思います。名古屋に来られて良かったと、心から思っています。

    2022年11月02日

  • Vol. 74 留学後に日本で就職(技能実習の組合)

    ベトナムの大学を出て北海道の日本語学校で留学後、技能実習の組合に就職したクインさん。技能実習生の仕事や生活について相談に乗り、ときには彼らの待遇改善について会社と交渉することもあります。なるべく長く日本に住みたいと考えています。 今回の先輩 ドアン・ティ・ゴック・クイン さん 2011年高校卒業〈ニントゥアン省〉 2015年ホーチミン演劇映画大学卒業 2016年日本語学校入学〈北海道〉 2018年星槎道都大学入学〈北海道〉 2018年大学中退、技能実習の組合に就職〈北海道〉 2019年日本語能力試験(JLPT)N1合格 〈1993年生まれ、ニントゥアン省出身〉 このページの内容 • 技能実習生のケアをする仕事 • 日本留学のきっかけ • 留学前に支払った費用 • 留学中の生活と費用 • ベトナム人のいない職場 • 気候は寒いが、人は温かい • 大学をやめて日本で就職 • 日本で長く暮らしたい 技能実習生のケアをする仕事 私が担当している技能実習生たち 私は技能実習生の監理団体(組合)で通訳をしています。実習生たちの悩みや希望を企業に伝えたり、企業が実習生を指導する際に通訳したりします。私の勤務先の組合は新型コロナが流行する前は約600人のベトナム人実習生を北海道各地の80以上の職場に送り込んでいました。多い職種は農業や酪農、建設、パン製造、製本、水産加工などです。 私たち通訳(ベトナム人4人、中国人2人、インドネシア人2人)は手分けして月に1回、すべての実習先を日本人スタッフと一緒に訪問します。私たちも車を運転します。 ・経営者や管理者と面会 ・実習生たちと面会(通訳) ・これ以外に、通訳が月に1回、1人で各社の寮を訪問 ・通訳は訪問時以外にも常時SNSで実習生の相談に対応 技能実習の「技能検定」を受ける実習生たちに同行 実習生たちと面談し、問題がありそうな場合や、実習生と会えなかった場合は、後で電話をしたりその実習生の休みの日に寮を訪問したりします。 ・実習生からの相談で一番多いのは、掃除の分担や洗濯機の使用順、シャワーの順番など実習生同士のトラブルです。 ・病院に行きたい場合、企業に直接言えず私たちに相談する実習生もいます。その場合、私たちが企業に伝え、通訳として病院にも同行します。 ・給料を上げてほしいという相談もあります。組合から会社に賃上げをお願いし、応じてもらったこともあります。 私たちは実習生から「先生」と呼ばれ、いろいろな相談を受けています。「美味しい料理を作ったから一緒に食べませんか」と実習生たちから誘ってもらうこともあります。 日本留学のきっかけ JENESYSプログラムで初めて来日 私は大学で映画や舞台のデザインを勉強しました。大学2年だった2014年3月、「21世紀東アジア青少年大交流計画」(JENESYS Programme)というアジア諸国の青少年を日本に招く日本政府のプログラムでハノイとホーチミンの演劇映画大学から計20名が招待されました。私もメンバーに選ばれて初めて日本に行き、東京と京都に約10日間滞在しました。桜の花を見て感動し、美しい景色や発達した交通、列に並んで順番を待つ習慣など、日本のすべてに感動しました。 私は大学を卒業後、もう一度日本に行きたくて、日本語の勉強を始めました。デザインの仕事をしながら日本語センターで毎晩3時間勉強し、卒業の1年後に日本留学を始めました。 留学前に支払った費用 私のいとこ(女性)は日本で技能実習をして帰国後、もう一度日本に行って北海道の日本語学校で留学しました。私が日本に行こうと思ったとき、いとこは日本人と結婚して北海道に残っていたので、私もいとこと同じ学校に行くことにしました 留学前の6カ月間、日本語センターで毎日3時間の日本語授業を受けました。留学前に支払った費用は表の通りです。 このうち日本語学校の入学金と1年間の授業料はいとこが貸してくれました。アルバイトだけで学費と生活費をまかなうことは無理なので、私は来日後もいとこにお金を借りました。私は日本で就職後、いとこから借りたお金(約110万円)を1年間ですべて返しました。 ◆留学センター *紹介手数料、在留資格の取得手数料など 8,000,000 ₫ ◆ベトナムでの日本語授業料(6カ月) 6,000,000 ₫ ◆飛行機代 9,000,000 ₫ ◆買い物(服、調味料、食品) 4,000,000 ₫ ◆日本語学校の入学金+教材+保険など ¥200,000 ◆日本語学校の1年の授業料 ¥630,000 留学中の生活と費用 日本語学校の仲間と学校の近くで 私は北海道でいとこの隣の部屋に住みました。ベトナムの実家から援助は受けなかったのですが、日本での学費と生活費をアルバイトだけでまかなうことはできません。留学生のアルバイトは週28時間までと決められているからです。 私の知人は28時間を超えてアルバイトをしたため留学の在留資格を更新できず、留学途中で帰国しました。私は週28時間を守り、足りない分はいとこから借りました。 私は毎日、学校で4時間、自宅で3時間、日本語を勉強しました。そして、覚えた日本語を使ってアルバイト先で日本人の先輩とたくさん話をしたので、会話力がぐんぐん伸びました。 こうして日本に来て1年半でJLPT・N2に合格しました。 ◇私の家計簿(1カ月の平均) ※日本語学校に留学時の家計簿 ※100円=17,050 VND(2022年6月30日現在) 収入:90,000 アルバイト1件(病院の台所) ¥90,000 支出:116,200円 授業料 ¥52,500 家賃(水道代込み) ¥27,500 ※ワンルーム。1人暮らし。 ※隣の部屋に住むいとこのWi-Fiを無料で使用 光熱費(電気・ガス) ¥5,000 携帯電話 ¥1,200 食材費 ¥20,000 雑費・外食費 ¥10,000 毎月の差額:-26,200円 ※夏休みは少し長くアルバイト ※足りない分はいとこから借り、就職後に返した ベトナム人のいない職場 職場の人たちと食事会 北海道の気候は寒いですが、人の心は温かいです。私は2年間働いたアルバイト先で先輩の皆さんにとても親切にしてもらいました。病院の厨房(ちゅうぼう)で入院患者の食事を作る仕事です。日本語学校のベトナム人の先輩が紹介してくれました。自宅から1時間かかる場所にありましたが、ベトナム人の少ない職場だったので、ここに決めました。 ここでは、一緒に働く約10人の中でベトナム人は私だけ。最初は皆さんの日本語が聞き取れませんでしたが、やがて皆さんがゆっくり話してくれるようになりました。仕事中に手を動かしながら話をし、休憩時間にも楽しくおしゃべりをします。分からない言葉も親切に教えてもらえるので、日本語がとてもよく身につきました。 気候は寒いが、人は温かい 職場のおばあさんたちからもらったプレゼント このアルバイトで得たものは日本語会話の機会だけではありません。 職場には60~70代のおばあさんが多く、外国人は私1人だったので、皆さんが私を孫のようにかわいがってくれました。 ・職場でいろんな人がお菓子を買ってきて、私に持ち帰らせてくれました。 ・日本に来て最初の冬、おばあさんが「北海道は寒いから」と、私に手袋やタイツ、毛布をくれました。 ・私が同じグループの別の病院に転勤したとき、全員で送別会をしてくれました。 ・2番目の病院でも親切にしてもらいました。 職場で皆さんと一緒に過ごすのがとても楽しく、そこは私にとって家庭のような場所でした。 私は就職後、別の町に住んでいますが、今も札幌に行くときにときどきおばあさんたちと会っています。 左: アルバイト先の社内報で私の料理が紹介されました。  右: JLPTの受験票など 大学をやめて日本で就職 私はもっといろいろなことを勉強したいと思い、日本語学校を卒業後、地元の星槎道都(せいさ・どうと)大学に進学しました。しかし、入学した翌月、ベトナムの祖母が病気になりました。私は小さいころから祖母と姉と3人で暮らしていました。祖母はかけがえのない家族です。私は祖母に少しでも良い医療を受けてもらいたいと思い、大学をやめて働くことにしました。私はベトナムの大学を卒業しているので、日本の大学を出なくても就労ビザを取ることができました。 私は在留ベトナム人向けのFacebookページで求人情報を探し、技能実習生の監理団体(組合)の面接を受け、採用されました。技能実習生の多くは日本語もあまり話せず、組合のベトナム人通訳に仕事や生活の相談をします。私は彼らの力になりたいと思い、この仕事を選びました。 日本で長く暮らしたい 夫と旅行〈北海道函館市で2021年〉 私の職場には外国人通訳が8人いるので、ときどき一緒に食事に出かけます。また、私は就職後、在日ベトナム人の先輩の紹介で中国人男性と知り合い、約2年後に結婚しました。夫も元留学生で永住権を持っています。夫婦の会話は日本語です。休みの日は、2人で旅行したりキャンプをしたりして楽しんでいます。 私は日本が大好きですし、このように日本に根を張って生活していますので、今のところベトナムに帰る予定はありません。できるだけ長く日本に住みたいと思っています。

    2022年07月06日

  • Vol.72 親切な先輩たちと快適な地方生活

    ティエンさんとアインさんはベトナムの大学で建築を学んだ後、約1年間日本語を勉強し、エンジニアとして日本に行きました。先輩たちは仕事をていねいに教えてくれますし、プライベートでも食事や観光に連れて行ってくれます。大都会ではありませんが、ショッピングも便利で山も海も近い高知は住みやすい町です。やさしい人たちに囲まれて2人は楽しく暮らしています。 今回の先輩 Nguyễn Thị Kiều Tiên(グエン・ティ・キエウ・ティエン)さん 2019年 9月ミエンタイ建設大学卒業〈ビンロン省〉 2019年 10月日本語センター〈ホーチミン市〉 2020年 12月エンジニアとして訪日〈高知県〉 〈1996年生、ヴィンロン省出身〉 Lê Thị Loan Anh(レ・ティ・ロアン・アインさん) 2019年 9月ミエンタイ建設大学卒業〈ビンロン省〉 2019年 10月日本語センター〈ホーチミン市〉 2020年 12月エンジニアとして訪日〈高知県〉 〈1996年生、ドンタップ省出身〉 このページの内容 •仕事の内容 •職場の先輩たちとの交流 •来日前の日本語学習 •日本に来た理由 •高知での暮らし •来日後の日本語学習 •社長インタビュー 仕事の内容 ――どのような仕事をしていますか? ● ティエン、アイン 橋を点検し、修繕が必要な部分を図面で描く仕事をしています。ベトナムの大学で建築を学び、そのときにCADの使い方も勉強したので、今の仕事で役立っています。 事務所で図面を描く仕事が7割、現場で橋の点検をする仕事が3割ぐらいです。車でいろいろな地域に連れて行ってもらうので、気分転換にもなります。 ※CAD:Computer Aided Designの略。コンピュータに手伝ってもらいながら設計図を作るソフト。 先輩と一緒に後ろの橋を点検 金づちで橋をたたいてコンクリートの劣化を調査 職場の先輩たちとの交流 ――職場の日本人との交流はありますか? 会社主催の食事会と二次会〈2021年〉 ● ティエン、アイン ベトナム人は私たち2人だけですが、先輩の皆さんがよく話し相手になってくれます。橋の点検に向かう車の中や休憩のときに先輩たちと話しますし、事務所でもよく話をします。皆さん、冗談をたくさん言ってくれるので、毎日楽しいですよ。 会社が主催する食事会もあります。お店でやることもあれば、会社のガレージでバーベキューをすることもあります。 休日に先輩たちとお出かけ〈高知市内〉 先輩たちは仕事をていねいに教えてくれますし、ゴミの分類の仕方や電車の乗り方など生活で分からないことも親切に教えてくれます。 先輩たちが私たちを夕食に連れて行ってくれたり、休みの日に車で観光に連れて行ってくれたりすることもあります。先輩たちからごちそうになることも多いので、私たちもときどき先輩たちに贈り物をしています。 先輩とお出かけ〈どちらも高知市〉 来日前の日本語学習 ――来日前にどれぐらい日本語を勉強しましたか? 「つばき」の外国語センターで ⚫ティエン、アイン ホーチミン市の「つばき人材育成有限会社」の外国語センターで13カ月間、朝から晩まで勉強しました。この期間は寮に住みました。新型コロナの影響で予定より5カ月長くセンターにいました。 ・1日に90分の授業4回と自習4時間(計10時間) ・自習は教室で行い、質問に答えるために先生が付き添います。 「つばき」に支払ったのは全部で50万円分(約86,800,000 VND)です。ここに授業料、寮費、飛行機代、在留資格取得費がすべて含まれています。 つばき人材育成有限会社 日本に来た理由 ――なぜ日本に来ようと思ったのですか? 「つばき」の仲間たち ⚫ティエン 卒業論文を書いているときに大学の先生から「日本の会社が外国人社員を募集している」と聞き、「つばき」を紹介してもらいました。つばきの経営者の女性に会ってみると、親切で明るい人だったので、この会社にお願いしようと思いました 「つばき」を紹介される前にベトナムの会社への就職が内定していましたが、日本は発展した国なので、日本で働くことは貴重な経験になると思い、日本を選びました。日本で働けば、大学生の妹に学費を十分に支援することもできます。 大学を卒業 ⚫アイン 大学の先生から「つばきは日本でのサポートがよい」と説明されました。実際、「つばき」は日本にも事務所があり、責任者がときどき会いに来てくれます。また、責任者の奥さんは頼りになるベトナム人で、困ったことがあったらLINEや電話で相談できます。 私の実家は貧しい農家です。日本で働けば、ベトナムで働くよりたくさんお金を稼げるので、両親を助けることができます。私たちの大学には日本で働きたい人がたくさんいます。 高知での暮らし ――高知での暮らしは好きですか? 休日に2人でカフェへ ⚫ ティエン ・高知は日本の中では小さな都市ですが、それなりに発展していて、お店も充実しています。 ・自宅からAEONや他のショッピングモールまで近く、とても便利です。 ・会社の先輩たちとの交流もあり、楽しく生活しています。 ⚫ アイン ・徒歩や自転車で行ける場所に複数のスーパーやマクドナルドがあります。 ・高知は天気の良い日が多いですし、海も近く、ステキな町です。 ・やさしい人が多いです。 高知市 高知市内の市場 私たちの家計簿(1カ月の平均) ※100円=約17,360 VND(2022年6月17日現在) 収入: ¥185,000 手取り給与 ¥185,000 *税金、社会保険を引いたあとの金額 支出: ¥70,500 寮費(1人の負担額) ¥12,500 *2ベッドルームに2人暮らし *会社が家賃の半額を補助し、残りを2人で折半 水道・ガス・電気・Wi-Fi ¥10,000 食材費 ¥30,000 外食費・雑費 ¥18,000 差額: ¥114,500 *約7割をベトナムの実家に送金 来日後の日本語学習 ――来日後は日本語をどれくらい勉強していますか? KIAの先生や仲間と花見〈2022年〉 ● ティエン 先輩たちともっとコミュケーションを深めたいので、日本に来てからも毎晩1~3時間、日本語の勉強をしています。2022年7月にJLPT(日本語能力試験)のN2を受験します。勉強で覚えた言葉を職場で使うので、頭に残ります。使い方が間違っていると、先輩たちがやさしく教えてくれます。 ● アイン 毎晩、家で2時間勉強する以外に毎週2回、KIA(高知県国際交流協会)の日本語クラス(無料)で勉強しています。水曜は教室で授業を受け、木曜はオンライン授業です。KIAにはベトナム人やミャンマー人、フィリピン人などの生徒もいて、友だちになりました。お互い日本語で話しています。 社長インタビュー 坂元社長(左)と私たち ティエンさんとアインさんが働くインフラマネジメント社の坂元陽祐(さかもと・ようすけ)社長にインタビューしました。 ――ティエンさんとアインさんの働きぶりを教えてください。 社長 2人とも大学で建築学やCADの使い方を学んでいるので、すぐに会社の戦力になりました。地方都市にはCADを使える新入社員はあまりいないので、大変助かりました。 ――外国人を雇用したきっかけは何ですか? 社長 経営者仲間で技能実習生を雇っている人たちから「外国人はまじめによく働いてくれる」と聞いていました。当社の場合、なるべく長く働いてくれる人材が欲しかったので、技能実習生ではなく外国人エンジニアを採用してみました。 インフラマネジメント社 ――ティエンさんとアインさんのコミュニケーション力はどうですか? 社長 2人は新型コロナの影響で来日が5カ月遅れました。その分、ベトナムで日本語をしっかり勉強してきてくれたので、最初から日本語が少し話せました。そのため、仕事を教えやすかったですし、先輩たちともすぐに仲良くなれました。 ――ティエンさんとアインさんが職場に与えた影響は? 社長 2人ともまじめで明るくて礼儀正しいので、みんなからかわいがられています。おかげで社内が明るくなりました。私はこれからも外国人社員を増やそうと思っています。 ティエンさんとアインさんはベトナムの大学で建築を学んだ後、約1年間日本語を勉強し、エンジニアとして日本に行きました。先輩たちは仕事をていねいに教えてくれますし、プライベートでも食事や観光に連れて行ってくれます。大都会ではありませんが、ショッピングも便利で山も海も近い高知は住みやすい町です。やさしい人たちに囲まれて2人は楽しく暮らしています。 今回の先輩 Nguyễn Thị Kiều Tiên(グエン・ティ・キエウ・ティエン)さん 2019年 9月ミエンタイ建設大学卒業〈ビンロン省〉 2019年 10月日本語センター〈ホーチミン市〉 2020年 12月エンジニアとして訪日〈高知県〉 〈1996年生、ヴィンロン省出身〉 Lê Thị Loan Anh(レ・ティ・ロアン・アインさん) 2019年 9月ミエンタイ建設大学卒業〈ビンロン省〉 2019年 10月日本語センター〈ホーチミン市〉 2020年 12月エンジニアとして訪日〈高知県〉 〈1996年生、ドンタップ省出身〉 このページの内容 •仕事の内容 •職場の先輩たちとの交流 •来日前の日本語学習 •日本に来た理由 •高知での暮らし •来日後の日本語学習 •社長インタビュー 仕事の内容 ――どのような仕事をしていますか? ● ティエン、アイン 橋を点検し、修繕が必要な部分を図面で描く仕事をしています。ベトナムの大学で建築を学び、そのときにCADの使い方も勉強したので、今の仕事で役立っています。 事務所で図面を描く仕事が7割、現場で橋の点検をする仕事が3割ぐらいです。車でいろいろな地域に連れて行ってもらうので、気分転換にもなります。 ※CAD:Computer Aided Designの略。コンピュータに手伝ってもらいながら設計図を作るソフト。 先輩と一緒に後ろの橋を点検 金づちで橋をたたいてコンクリートの劣化を調査 職場の先輩たちとの交流 ――職場の日本人との交流はありますか? ● ティエン、アイン ベトナム人は私たち2人だけですが、先輩の皆さんがよく話し相手になってくれます。橋の点検に向かう車の中や休憩のときに先輩たちと話しますし、事務所でもよく話をします。皆さん、冗談をたくさん言ってくれるので、毎日楽しいですよ。 会社が主催する食事会もあります。お店でやることもあれば、会社のガレージでバーベキューをすることもあります。 会社主催の食事会と二次会〈2021年〉 先輩たちは仕事をていねいに教えてくれますし、ゴミの分類の仕方や電車の乗り方など生活で分からないことも親切に教えてくれます。 先輩たちが私たちを夕食に連れて行ってくれたり、休みの日に車で観光に連れて行ってくれたりすることもあります。先輩たちからごちそうになることも多いので、私たちもときどき先輩たちに贈り物をしています。 休日に先輩たちとお出かけ〈高知市内〉 先輩とお出かけ〈どちらも高知市〉 来日前の日本語学習 ――来日前にどれぐらい日本語を勉強しましたか? ⚫ティエン、アイン ホーチミン市の「つばき人材育成有限会社」の外国語センターで13カ月間、朝から晩まで勉強しました。この期間は寮に住みました。新型コロナの影響で予定より5カ月長くセンターにいました。 ・1日に90分の授業4回と自習4時間(計10時間) ・自習は教室で行い、質問に答えるために先生が付き添います。 「つばき」に支払ったのは全部で50万円分(約86,800,000 VND)です。ここに授業料、寮費、飛行機代、在留資格取得費がすべて含まれています。 つばき人材育成有限会社 「つばき」の外国語センターで 日本に来た理由 ――なぜ日本に来ようと思ったのですか? ⚫ティエン 卒業論文を書いているときに大学の先生から「日本の会社が外国人社員を募集している」と聞き、「つばき」を紹介してもらいました。つばきの経営者の女性に会ってみると、親切で明るい人だったので、この会社にお願いしようと思いました 「つばき」を紹介される前にベトナムの会社への就職が内定していましたが、日本は発展した国なので、日本で働くことは貴重な経験になると思い、日本を選びました。日本で働けば、大学生の妹に学費を十分に支援することもできます。 「つばき」の仲間たち ⚫アイン 大学の先生から「つばきは日本でのサポートがよい」と説明されました。実際、「つばき」は日本にも事務所があり、責任者がときどき会いに来てくれます。また、責任者の奥さんは頼りになるベトナム人で、困ったことがあったらLINEや電話で相談できます。 私の実家は貧しい農家です。日本で働けば、ベトナムで働くよりたくさんお金を稼げるので、両親を助けることができます。私たちの大学には日本で働きたい人がたくさんいます。 大学を卒業 高知での暮らし ――高知での暮らしは好きですか? ⚫ ティエン ・高知は日本の中では小さな都市ですが、それなりに発展していて、お店も充実しています。 ・自宅からAEONや他のショッピングモールまで近く、とても便利です。 ・会社の先輩たちとの交流もあり、楽しく生活しています。 ⚫ アイン ・徒歩や自転車で行ける場所に複数のスーパーやマクドナルドがあります。 ・高知は天気の良い日が多いですし、海も近く、ステキな町です。 ・やさしい人が多いです。 休日に2人でカフェへ 高知市 高知市内の市場 私たちの家計簿(1カ月の平均) ※100円=約17,360 VND(2022年6月17日現在) 収入: ¥185,000 手取り給与 ¥185,000 *税金、社会保険を引いたあとの金額 支出: ¥70,500 寮費(1人の負担額) ¥12,500 *2ベッドルームに2人暮らし *会社が家賃の半額を補助し、残りを2人で折半 水道・ガス・電気・Wi-Fi ¥10,000 食材費 ¥30,000 外食費・雑費 ¥18,000 差額: ¥114,500 *約7割をベトナムの実家に送金 来日後の日本語学習 ――来日後は日本語をどれくらい勉強していますか? ● ティエン 先輩たちともっとコミュケーションを深めたいので、日本に来てからも毎晩1~3時間、日本語の勉強をしています。2022年7月にJLPT(日本語能力試験)のN2を受験します。勉強で覚えた言葉を職場で使うので、頭に残ります。使い方が間違っていると、先輩たちがやさしく教えてくれます。 ● アイン 毎晩、家で2時間勉強する以外に毎週2回、KIA(高知県国際交流協会)の日本語クラス(無料)で勉強しています。水曜は教室で授業を受け、木曜はオンライン授業です。KIAにはベトナム人やミャンマー人、フィリピン人などの生徒もいて、友だちになりました。お互い日本語で話しています。 KIAの先生や仲間と花見〈2022年〉 社長インタビュー ティエンさんとアインさんが働くインフラマネジメント社の坂元陽祐(さかもと・ようすけ)社長にインタビューしました。 ――ティエンさんとアインさんの働きぶりを教えてください。 社長 2人とも大学で建築学やCADの使い方を学んでいるので、すぐに会社の戦力になりました。地方都市にはCADを使える新入社員はあまりいないので、大変助かりました。 ――外国人を雇用したきっかけは何ですか? 社長 経営者仲間で技能実習生を雇っている人たちから「外国人はまじめによく働いてくれる」と聞いていました。当社の場合、なるべく長く働いてくれる人材が欲しかったので、技能実習生ではなく外国人エンジニアを採用してみました。 坂元社長(左)と私たち ――ティエンさんとアインさんのコミュニケーション力はどうですか? 社長 2人は新型コロナの影響で来日が5カ月遅れました。その分、ベトナムで日本語をしっかり勉強してきてくれたので、最初から日本語が少し話せました。そのため、仕事を教えやすかったですし、先輩たちともすぐに仲良くなれました。 ――ティエンさんとアインさんが職場に与えた影響は? 社長 2人ともまじめで明るくて礼儀正しいので、みんなからかわいがられています。おかげで社内が明るくなりました。私はこれからも外国人社員を増やそうと思っています。 インフラマネジメント社

    2022年06月23日

  • Vol.71 留学で好きになった香川で就職

    今回の先輩 チャン・レ・クイン・ニさん 2017年9月 フエ外国語大学入学 2017年9月日本語センターで勉強(6カ月) 2018年1月 フエ外国語大学中退 2018年4月 日本語学校入学〈香川県〉 2020年4月 専門学校入学〈香川県〉 2022年4月 就職予定〈香川県〉 〈1999年生、フエ市出身〉 フエ出身のクイン・ニさんは4年間留学した香川県が大好きになり、就職も同県の会社を選びました。同じ専門学校の留学仲間もほとんどが香川での就職を選び、これからも支え合って暮らしていきます。ニさんが地方都市での留学の魅力をお伝えします。 〈このページの内容〉 • 大学を中退して日本に留学 • 留学にかかった費用 • うちの学校のここが好き • 香川県のここが好き • 日本のここが好き • 日本語学習 • アルバイトと「私の家計簿」 • 日本で就職活動 • まとめ 大学を中退して日本に留学 私は子どものころから、日本のアニメ番組や漫画(ドラえもんやコナンなど)が好きで、そこに出てくる日本の景色や文化に強くひかれていました。しかし、高校で英語を教えていた母の勧めもあって外国語大学の英語学部に入りました。しかし、やはり英語にはあまり興味を持てず、大学の日本文化部で日本語や茶道、華道に接するうち、日本への興味がさらに強くなりました。 そこで、両親と相談して地元の日本語センターで勉強を始め、大学は退学しました。こうして、私は大学入学の半年後、香川県高松市の日本語学校で留学を始めました。 留学にかかった費用 私が留学するときに最初にかかった費用を表にまとめました。費用は両親が貯金から払い、留学2年目の授業料も両親が全部払ってくれました。その後、私が日本語能力試験(JLPT)N2に合格したので、3年目(専門学校)の授業料は少し安くなりました。また、学校での成績が良かったので、学校が紹介してくれた奨学金(月35,000円×1年)を受給でき、3年目は両親の援助なしで学費と生活費をまかなうことができました。 ◆ 留学センター *紹介手数料、在留資格の取得手数料など 60,000,000 ₫ ◆ フエの日本語センター(6カ月) 3,000,000 ₫ ◆ 飛行機代 12,000,000 ₫ ◆ 日本語学校の入学金 13,600,000 ₫(70,000円) ◆ 日本語学校の1年の授業料 127,000,000 ₫(650,000円) ※2022年3月12日の為替レートで換算 うちの学校のここが好き 日本語学校のクラスのクリスマス会〈2019年〉 私の学校は香川県で一番留学生が多い「穴吹(あなぶき)ビジネスカレッジ」です。最初の2年間は日本語学科、次の2年間は国際ビジネス学科で学びました。ここを選んだのは、フエの留学センターから推薦されたのと、同校の先輩留学生から「生活や就職活動のサポートが手厚い」「奨学金も充実している」と聞いたからです。私が実際に体験した事例を紹介します。 ・新型コロナでアルバイトが減った留学生を支援するため、学校が企業などに呼びかけて米や野菜を集め、生徒に毎月支給。 ・私の首にしこりができて1日だけ入院したとき、担任の先生が見舞いに来て4時間ぐらいそばにいてくれた。途中で私が眠っても、目覚めたらまだ先生がいた。 ・留学生の大半が学校から紹介された会社に就職 external link 穴吹ビジネスカレッジ 香川県のここが好き 留学仲間と自転車で海へ 香川県で暮らしてみて、私も同級生の多くもここが大好きになりました。香川の魅力を紹介します。 ・物価が安い ・雨が少なく晴れた日が多い ・自転車でどこへでも行ける ・安くておいしいうどん屋さんが多い 香川県はうどんで有名で、別名「うどん県」とも呼ばれています。私と友人たちも毎朝一緒に店でうどんを食べています。東京や大阪にも遊びに行き、楽しく過ごしましたが、住むには人が多すぎるように感じました。ゆったり暮らすには地方都市の方が適しているように思います。 高松市の大きな商店街   香川県のうどん 日本のここが好き 学校のイベントで桜の花見 日本のスーパーで店員がお客さんから何かを聞かれて自分が分からない場合、「私は分かりませんので、担当者をお呼びします。少しお待ちください」と答えます。これは、専門学校の授業で学ぶことですが、実際に日本の店ではそのように対応しています。ベトナムなら「わかりません」ですまされることも多いですが、日本では親切で責任感のある店員が多いです。 日本人はお礼やおわびをていねいに言うことでも有名です。スーパーのレジ担当はどの客に対しても「いらっしゃいませ」と声をかけます。また、私が居酒屋でアルバイトをしたときは、お客様が帰るときに相手が見えなくなるまでおじぎするように指導されました。 それから、桜の花見や夏の花火大会、秋の紅葉などの場面がアニメや漫画によく出てきますが、実際に日本で体験すると、本当にステキで感激しました。 日本語学習 JLPT合格者の写真と名前を学校内で掲示 私は日本に来て毎日、学校で5時間、家で3時間、勉強しました。しかし、1年目に受けたJLPT・N3は不合格でした。そこで、毎日の勉強に加え、学校の仲間5人で日曜日に一緒に勉強しました。そのときは、N1の先輩留学生が私たちを指導してくれました。 こうして、留学2年目にN3とN2に合格しました。N2になったため、3年目(専門学校)の授業料は少し割り引いてもらえました。 ◆私が使った教材 語彙(ごい) 「耳から覚える」シリーズ 「総まとめ」シリーズ 文法 「耳から覚える」シリーズ 「新完全マスター」シリーズ 読解 「新完全マスター」シリーズ 漢字 「漢字マスター」シリーズ 試験直前 「日本語パワードリル」シリーズ オンライン external link News Web Easy(NHK) アルバイトと「私の家計簿」 アルバイト先の居酒屋で 私はコンビニやスーパー、飲食店などでアルバイトをしました。飲食店では、店長やアルバイト仲間との会話が多く、お客さんも「ベトナム人ですか?」などとよく話しかけてくださいました。このため、日本語会話の練習になりました。 留学4年目は遠方の食品工場で働きました。コンビニの弁当を盛り付ける仕事です。ここにはベトナム人技能実習生もいますし、約100人の外国人アルバイトもいます。そのうち約60人(ベトナム人約40人とネパール人、中国人)が工場で交代で働いています。私は働き始めて1週間後に会社から指名されてこの60人のリーダーになり、作業以外に外国人アルバイトの監督や通訳も担当しました。 仕事は深夜0時~朝6時で、週4回です。20~40人が高松から会社のバスに乗り、約80分かけて工場に行きます。監督役を務めたことを就職活動の応募先で話すと、幹部の方が興味を持ってくださり、その会社から内定をもらうことができました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=18,663 VND(2022年4月1日現在) 収入:100,000~140,000円 アルバイト2件(食品工場、スーパー) ¥100,000~¥140,000 支出:120,000円 家賃(2人でシェア、水道代込み) ¥22,000 授業料(割引後) ¥50,000 電気・ガス ¥3,000 携帯電話(ソフトバンク) ¥2,800 Wi-Fi ¥4,000 食材費 ¥28,000 雑費・外食費 ¥10,000 毎月の差額:10,000円 日本で就職活動 私は家族の意向で留学後に帰国する予定でしたが、その問題が解決したので、最終学年の途中であわてて就職活動(就活)を始めました。日本では、就活サイトを利用してエントリーシートや履歴書を会社に提出し、書類審査にパスしたら面接を受ける方法が主流です。わが校でも県外に就職したい人はその方法が中心ですが、香川県で就職したい場合は、学校からの紹介が中心です。 ① 学校が紹介した企業をグループで訪問 ② その企業に入りたい場合は、履歴書を提出 ③ 書類審査にパスしたら面接 私は、家族の意向で最初は履歴書を出しませんでしたが、8月から本格的に就活を始めました。そして、学校の紹介で10月に面接を受けた会社から11月に内定をいただきました。同社は金属製品メーカーで、私は技能実習生の管理やサポートを担当します。私の就活については下記のブログをお読みください。 external link 留学生の就活体験記_02(2022年卒業) まとめ 同郷の友人を訪ねて京都へ旅行 私は充実した留学生活を送ることができ、学校のサポートで就活でもあまり苦労せずに内定をいただくことができました。落ち着いたいなか暮らしが好きな私にとって香川県はぴったりの留学先でした。そして、同級生たちも皆この町が好きになり、日本で就職する同級生26人のうち24人が香川県の会社から内定をいただきました。卒業してからも仲間とときどき会えるので、みんなで喜んでいます。 近所の公園でピクニック   高松市内で 今回の先輩 チャン・レ・クイン・ニさん 2017年9月フエ外国語大学入学 2017年9月日本語センターで勉強(6カ月) 2018年1月 フエ外国語大学中退 2018年4月 日本語学校入学〈香川県〉 2020年4月 専門学校入学〈香川県〉 2022年4月 職予定〈香川県〉 〈1999年生、フエ市出身〉 フエ出身のクイン・ニさんは4年間留学した香川県が大好きになり、就職も同県の会社を選びました。同じ専門学校の留学仲間もほとんどが香川での就職を選び、これからも支え合って暮らしていきます。ニさんが地方都市での留学の魅力をお伝えします。 〈このページの内容〉 • 大学を中退して日本に留学 • 留学にかかった費用 • うちの学校のここが好き • 香川県のここが好き • 日本のここが好き • 日本語学習 • アルバイトと「私の家計簿」 • 日本で就職活動 • まとめ 大学を中退して日本に留学 私は子どものころから、日本のアニメ番組や漫画(ドラえもんやコナンなど)が好きで、そこに出てくる日本の景色や文化に強くひかれていました。しかし、高校で英語を教えていた母の勧めもあって外国語大学の英語学部に入りました。しかし、やはり英語にはあまり興味を持てず、大学の日本文化部で日本語や茶道、華道に接するうち、日本への興味がさらに強くなりました。 そこで、両親と相談して地元の日本語センターで勉強を始め、大学は退学しました。こうして、私は大学入学の半年後、香川県高松市の日本語学校で留学を始めました。 留学にかかった費用 私が留学するときに最初にかかった費用を表にまとめました。費用は両親が貯金から払い、留学2年目の授業料も両親が全部払ってくれました。その後、私が日本語能力試験(JLPT)N2に合格したので、3年目(専門学校)の授業料は少し安くなりました。また、学校での成績が良かったので、学校が紹介してくれた奨学金(月35,000円×1年)を受給でき、3年目は両親の援助なしで学費と生活費をまかなうことができました。 ◆ 留学センター *紹介手数料、在留資格の取得手数料など 60,000,000 ₫ ◆ フエの日本語センター(6カ月) 3,000,000 ₫ ◆ 飛行機代 12,000,000 ₫ ◆ 日本語学校の入学金 13,600,000 ₫(70,000円) ◆ 日本語学校の1年の授業料 127,000,000 ₫(650,000円) ※2022年3月12日の為替レートで換算 うちの学校のここが好き 私の学校は香川県で一番留学生が多い「穴吹(あなぶき)ビジネスカレッジ」です。最初の2年間は日本語学科、次の2年間は国際ビジネス学科で学びました。ここを選んだのは、フエの留学センターから推薦されたのと、同校の先輩留学生から「生活や就職活動のサポートが手厚い」「奨学金も充実している」と聞いたからです。私が実際に体験した事例を紹介します。 ・新型コロナでアルバイトが減った留学生を支援するため、学校が企業などに呼びかけて米や野菜を集め、生徒に毎月支給。 ・私の首にしこりができて1日だけ入院したとき、担任の先生が見舞いに来て4時間ぐらいそばにいてくれた。途中で私が眠っても、目覚めたらまだ先生がいた。 ・留学生の大半が学校から紹介された会社に就職 external link 穴吹ビジネスカレッジ 日本語学校のクラスのクリスマス会〈2019年〉 香川県のここが好き 香川県で暮らしてみて、私も同級生の多くもここが大好きになりました。香川の魅力を紹介します。 ・物価が安い ・雨が少なく晴れた日が多い ・自転車でどこへでも行ける ・安くておいしいうどん屋さんが多い 香川県はうどんで有名で、別名「うどん県」とも呼ばれています。私と友人たちも毎朝一緒に店でうどんを食べています。東京や大阪にも遊びに行き、楽しく過ごしましたが、住むには人が多すぎるように感じました。ゆったり暮らすには地方都市の方が適しているように思います。 留学仲間と自転車で海へ 高松市の大きな商店街   香川県のうどん 日本のここが好き 日本のスーパーで店員がお客さんから何かを聞かれて自分が分からない場合、「私は分かりませんので、担当者をお呼びします。少しお待ちください」と答えます。これは、専門学校の授業で学ぶことですが、実際に日本の店ではそのように対応しています。ベトナムなら「わかりません」ですまされることも多いですが、日本では親切で責任感のある店員が多いです。 日本人はお礼やおわびをていねいに言うことでも有名です。スーパーのレジ担当はどの客に対しても「いらっしゃいませ」と声をかけます。また、私が居酒屋でアルバイトをしたときは、お客様が帰るときに相手が見えなくなるまでおじぎするように指導されました。 それから、桜の花見や夏の花火大会、秋の紅葉などの場面がアニメや漫画によく出てきますが、実際に日本で体験すると、本当にステキで感激しました。 学校のイベントで桜の花見 日本語学習 私は日本に来て毎日、学校で5時間、家で3時間、勉強しました。しかし、1年目に受けたJLPT・N3は不合格でした。そこで、毎日の勉強に加え、学校の仲間5人で日曜日に一緒に勉強しました。そのときは、N1の先輩留学生が私たちを指導してくれました。 こうして、留学2年目にN3とN2に合格しました。N2になったため、3年目(専門学校)の授業料は少し割り引いてもらえました。 JLPT合格者の写真と名前を学校内で掲示 ◆私が使った教材 語彙(ごい) 「耳から覚える」シリーズ 「総まとめ」シリーズ 文法 「耳から覚える」シリーズ 「新完全マスター」シリーズ 読解 「新完全マスター」シリーズ 漢字 「漢字マスター」シリーズ 試験直前 「日本語パワードリル」シリーズ オンライン external link News Web Easy(NHK) アルバイトと「私の家計簿」 私はコンビニやスーパー、飲食店などでアルバイトをしました。飲食店では、店長やアルバイト仲間との会話が多く、お客さんも「ベトナム人ですか?」などとよく話しかけてくださいました。このため、日本語会話の練習になりました。 留学4年目は遠方の食品工場で働きました。コンビニの弁当を盛り付ける仕事です。ここにはベトナム人技能実習生もいますし、約100人の外国人アルバイトもいます。そのうち約60人(ベトナム人約40人とネパール人、中国人)が工場で交代で働いています。私は働き始めて1週間後に会社から指名されてこの60人のリーダーになり、作業以外に外国人アルバイトの監督や通訳も担当しました。 仕事は深夜0時~朝6時で、週4回です。20~40人が高松から会社のバスに乗り、約80分かけて工場に行きます。監督役を務めたことを就職活動の応募先で話すと、幹部の方が興味を持ってくださり、その会社から内定をもらうことができました。 アルバイト先の居酒屋で 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=18,663 VND(2022年4月1日現在) 収入:100,000~140,000円 アルバイト2件(食品工場、スーパー) ¥100,000~¥140,000 支出:120,000円 家賃(2人でシェア、水道代込み) ¥22,000 授業料(割引後) ¥50,000 電気・ガス ¥3,000 携帯電話(ソフトバンク) ¥2,800 Wi-Fi ¥4,000 食材費 ¥28,000 雑費・外食費 ¥10,000 毎月の差額:10,000円 日本で就職活動 私は家族の意向で留学後に帰国する予定でしたが、その問題が解決したので、最終学年の途中であわてて就職活動(就活)を始めました。日本では、就活サイトを利用してエントリーシートや履歴書を会社に提出し、書類審査にパスしたら面接を受ける方法が主流です。わが校でも県外に就職したい人はその方法が中心ですが、香川県で就職したい場合は、学校からの紹介が中心です。 ① 学校が紹介した企業をグループで訪問 ② その企業に入りたい場合は、履歴書を提出 ③ 書類審査にパスしたら面接 私は、家族の意向で最初は履歴書を出しませんでしたが、8月から本格的に就活を始めました。そして、学校の紹介で10月に面接を受けた会社から11月に内定をいただきました。同社は金属製品メーカーで、私は技能実習生の管理やサポートを担当します。私の就活については下記のブログをお読みください。 external link 留学生の就活体験記_02(2022年卒業) まとめ 私は充実した留学生活を送ることができ、学校のサポートで就活でもあまり苦労せずに内定をいただくことができました。落ち着いたいなか暮らしが好きな私にとって香川県はぴったりの留学先でした。そして、同級生たちも皆この町が好きになり、日本で就職する同級生26人のうち24人が香川県の会社から内定をいただきました。卒業してからも仲間とときどき会えるので、みんなで喜んでいます。 同郷の友人を訪ねて京都へ旅行 近所の公園でピクニック  高松市内で

    2022年04月06日

  • Vol.69 京都で暮らした1年間

    今回の先輩 グエン・ティ・オアインさん 2017年 高校卒業 2017年ハノイ国家大学・外国語大学・日本言語文化学部入学 2019年 明治大学の交流プログラムに参加〈東京、3週間〉 2020年 京都大学留学〈1年間〉 2021年 帰国 2022年 大学卒業(3月) 〈1997年生まれ、ハノイ出身〉 オアインさんは大学で初めて日本語を勉強し、成績が良かったので、国費で京都大学に1年間留学しました。彼女の学習方法や留学プログラムの内容、京都のお勧めの観光名所を紹介します。 〈このページの内容〉 • 日本語学習:私の工夫 • ハノイで日本人学生と交流 • 短期交流で初めて日本へ • 日本入国と留学生寮 • 新型コロナ禍での大学のプログラム • 地域のベトナム人との交流 • 私の好きな京都のスポット • まとめ 日本語学習:私の工夫 日本語力を生かして日本語センターで講師のアルバイト 私は日本のアニメやドラマが好きで、そこに出てくる日本の文化や景色にひかれました。そのため、大学で日本語や日本について勉強しようと思いました。大学で初めて日本語を学び、2年のときに日本語能力試験(JLPT)N3に合格、3年のときにN2に合格しました。 授業以外では、毎日2、3時間、自習(宿題と授業の復習)をしました。また、Netflixで日本のアニメやドラマを見てリスニングの練習をしました。 ・友だち4人とNetflixの費用をシェア ・特に好きなのは「千と千尋の神隠し」「となりのトトロ」「5→9~私に恋したお坊さん~」など ・1回目はベトナム語の字幕付きで見て、2回目以降は日本語の字幕付きで見る ベトナムで日本人学生と交流 日本の大学生たちをニンビン省チャンアンに案内〈2019年〉 ハノイ国家大学には日本の大学生向けの短期交流プログラムがたくさんあります。私は大学2、3年のとき、多くのプログラムにボランティアで協力し、日本人学生とたくさん交流しました。 ・各プログラムの期間は1、2週間 ・日本各地の大学や外国語専門学校の学生が参加(大学ごとにプログラム) ・内容は簡単なベトナム語会話や文化交流など ・観光もあり、私たちボランティアが日本人学生たちをエスコート プログラムで友だちになった学生のうち数人とは、私が日本に留学したときに再会しました。中には、東京から京都に会いに来てくれた友人もいました。 短期交流で初めて日本へ 明治大学の学生たちと東京観光 私は大学2年生が終わった2019年6月に3週間、明治大学の短期交流プログラムに参加するために初めて来日しました。 ・この年は、私の学部から7人、ハノイ大学から3人が参加(成績優秀者) ・日本への飛行機代のみ自己負担 ・3週間の宿泊費と授業料は明治大学が負担 ・JASSOから1人80,000円の奨学金 このプログラムでは、明治大学の学生たちが私たちと一緒に研究をし、東京の案内もしてくれました。また、富山県の観光地に外国人観光客を誘致するための動画を制作したり、三味線(しゃみせん=日本の伝統楽器)を体験したり、神社で巫女(みこ)の服装や神楽舞(かぐらまい)を体験したりしました。 私たちが制作したFacebookページと動画 日本入国と留学生寮 寮の私の部屋 大学で私の成績は同学年約200人の中で2番でした。そのため、大学から国費留学の推薦をもらってハノイの日本国大使館で試験を受け、2020年9月から1年間、京都大学に留学させてもらえました。 新型コロナ対策で、日本入国後、成田空港近くのホテルで15日間隔離されました。その後、京都大学や大学院に留学するベトナム人3人と一緒に夜行バスで京都に行き、留学が始まりました。国費留学なので授業料は無料です。日本政府から十分な奨学金ももらっているので、アルバイトはしませんでした。 ・住居は大学の留学生寮:同じ棟に同級生11人(中国人5人、ベトナム人2人、ロシア・イギリス・インド・ルーマニア各1人) ・寮での共通言語は日本語 ・大学へは地下鉄とバスで通学(約30分)。春と秋は自転車だけで通学。 新型コロナ禍での大学のプログラム 京都大学の授業で書道の練習 大学では、新型コロナ対策でオンライン授業の方が多かったのですが、感染拡大が落ち着いている時期には対面授業もあり、週4回以上大学に行きました。授業はすべて日本語で、「日本の政治と法律」「現代日本の社会問題」「日本語概論」などがありました。留学生向けの特別授業が大半ですが、日本人と一緒に受ける授業も少しありました。 楽しみだったのは「日本文化研修プログラム」で、書道や和菓子作りなどを体験しました。日本の高校生ともオンラインで交流しましたが、通常なら学校を訪問するはずだったので、残念でした。観光名所への研修旅行も、本来は1泊2日のはずが、コロナの影響で日帰りになりました。 京都大学 しかし、先生や留学生仲間とは授業でたくさん交流しました。アカデミック・プレゼンテーションの授業では、研究結果をプレゼン資料にまとめて発表します。私は日本の家族関係に関する問題やベトナムの大気汚染の問題などを研究しました。この授業では同級生(留学生)と日本語でたくさん議論をし、日本語の文献を調べ、日本語の資料を作成します。そして、寮で発表の練習(日本語)もします。 また、日本人学生で留学生サポートをする人もいるので、その人たちともよく会話をしました。このように、日本語を使う機会はたくさんありました。 地域のベトナム人との交流 VYSA京都の仲間と三室戸寺を観光〈2020年11月〉 大学以外ではVYSA京都の活動に参加しました。京都・大阪や周辺のベトナム人大学生や大学院生、社会人が参加しています。新型コロナの影響で多くのイベントが中止になりましたが、コロナが少し落ち着いていた2020年11月に20人あまりで京都府の三室戸寺(みむろとじ)と平等院に行きました。 VYSAの活動で知り合った友だちと電車を乗り継いで奈良県の長谷寺(はせでら)に行ったこともあります。不便な場所にありますが、とてもステキなお寺でした! 在日ベトナム学生青年協会 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=19,900 VND(2022年3月10日現在) 収入:120,000円 日本政府の奨学金 ¥120,000 支出:110,000円 家賃(留学生寮) ¥13,000 授業料(無料) ¥0 電気・ガス・水道 ¥6,000 携帯電話(SIM使わず) ¥0 Wi-Fi ¥1,000 食材費・外食費 ¥40,000 教材費、交通費、雑費 ¥50,000 差額:10,000円 ※旅行などに利用 私の好きな京都のスポット 蹴上げインクライン 私は留学中、祇園や清水寺、八坂神社、平安神宮、鴨川など、京都市内のさまざまな観光名所に自転車で行きました。また、寮に近い南禅寺や蹴上(けあげ)インクライン、平安神宮などには、よく歩いて行きました。これらの名所を私なりにランキングすると次の通りです。 ① 鴨川:特に桜の咲く季節は本当にきれいです。川を眺めているだけで気持ちが落ち着きます。 ② 平安神宮と岡崎公園:巨大な鳥居と疎水(水路)沿いの散歩道を楽しめます。桜もたくさんあります。 ③ 南禅寺と蹴上インクライン:蹴上は超有名インスタスポット。南禅寺は四季を通じて趣があります。 ④ 祇園エリアと八坂神社 ⑤ 清水寺 鴨川 平安神宮 まとめ 奈良県の長谷寺 新型コロナの影響で留学プログラムの多くが制限または中止され、旅行にもほとんど行けませんでした。しかし、日本のトップ大学の一つで留学し、京都という素晴らしい町に住めたことは、かけがえのない経験になりました。 私は帰国して半年後の2022年3月に大学を卒業し、ハノイのIT企業で働いています。将来は、大学で日本語を教えることが夢です。これからも日本や日本語と関わっていきたいと思います。 今回の先輩 グエン・ティ・オアインさん 2017年高校卒業 2017年ハノイ国家大学・外国語大学・日本言語文化学部入学 2019年 明治大学の交流プログラムに参加〈東京、3週間〉 2020年 京都大学留学〈1年間〉 2021年 帰国 2022年 大学卒業(3月) 〈1997年生まれ、ハノイ出身〉 オアインさんは大学で初めて日本語を勉強し、成績が良かったので、国費で京都大学に1年間留学しました。彼女の学習方法や留学プログラムの内容、京都のお勧めの観光名所を紹介します。 〈このページの内容〉 • 日本語学習:私の工夫 • ハノイで日本人学生と交流 • 短期交流で初めて日本へ • 日本入国と留学生寮 • 新型コロナ禍での大学のプログラム • 地域のベトナム人との交流 • 私の好きな京都のスポット • まとめ 日本語学習:私の工夫 私は日本のアニメやドラマが好きで、そこに出てくる日本の文化や景色にひかれました。そのため、大学で日本語や日本について勉強しようと思いました。大学で初めて日本語を学び、2年のときに日本語能力試験(JLPT)N3に合格、3年のときにN2に合格しました。 授業以外では、毎日2、3時間、自習(宿題と授業の復習)をしました。また、Netflixで日本のアニメやドラマを見てリスニングの練習をしました。 ・友だち4人とNetflixの費用をシェア ・特に好きなのは「千と千尋の神隠し」「となりのトトロ」「5→9~私に恋したお坊さん~」など ・1回目はベトナム語の字幕付きで見て、2回目以降は日本語の字幕付きで見る 日本語力を生かして日本語センターで講師のアルバイト ベトナムで日本人学生と交流 ハノイ国家大学には日本の大学生向けの短期交流プログラムがたくさんあります。私は大学2、3年のとき、多くのプログラムにボランティアで協力し、日本人学生とたくさん交流しました。 ・各プログラムの期間は1、2週間 ・日本各地の大学や外国語専門学校の学生が参加(大学ごとにプログラム) ・内容は簡単なベトナム語会話や文化交流など ・観光もあり、私たちボランティアが日本人学生たちをエスコート プログラムで友だちになった学生のうち数人とは、私が日本に留学したときに再会しました。中には、東京から京都に会いに来てくれた友人もいました。 日本の大学生たちをニンビン省チャンアンに案内〈2019年〉 短期交流で初めて日本へ 私は大学2年生が終わった2019年6月に3週間、明治大学の短期交流プログラムに参加するために初めて来日しました。 ・この年は、私の学部から7人、ハノイ大学から3人が参加(成績優秀者) ・日本への飛行機代のみ自己負担 ・3週間の宿泊費と授業料は明治大学が負担 ・JASSOから1人80,000円の奨学金 このプログラムでは、明治大学の学生たちが私たちと一緒に研究をし、東京の案内もしてくれました。また、富山県の観光地に外国人観光客を誘致するための動画を制作したり、三味線(しゃみせん=日本の伝統楽器)を体験したり、神社で巫女(みこ)の服装や神楽舞(かぐらまい)を体験したりしました。 私たちが制作したFacebookページと動画 明治大学の学生たちと東京観光 日本入国と留学生寮 大学で私の成績は同学年約200人の中で2番でした。そのため、大学から国費留学の推薦をもらってハノイの日本国大使館で試験を受け、2020年9月から1年間、京都大学に留学させてもらえました。 新型コロナ対策で、日本入国後、成田空港近くのホテルで15日間隔離されました。その後、京都大学や大学院に留学するベトナム人3人と一緒に夜行バスで京都に行き、留学が始まりました。国費留学なので授業料は無料です。日本政府から十分な奨学金ももらっているので、アルバイトはしませんでした。 ・住居は大学の留学生寮:同じ棟に同級生11人(中国人5人、ベトナム人2人、ロシア・イギリス・インド・ルーマニア各1人) ・寮での共通言語は日本語 ・大学へは地下鉄とバスで通学(約30分)。春と秋は自転車だけで通学。 寮の私の部屋 新型コロナ禍での大学のプログラム 大学では、新型コロナ対策でオンライン授業の方が多かったのですが、感染拡大が落ち着いている時期には対面授業もあり、週4回以上大学に行きました。授業はすべて日本語で、「日本の政治と法律」「現代日本の社会問題」「日本語概論」などがありました。留学生向けの特別授業が大半ですが、日本人と一緒に受ける授業も少しありました。 楽しみだったのは「日本文化研修プログラム」で、書道や和菓子作りなどを体験しました。日本の高校生ともオンラインで交流しましたが、通常なら学校を訪問するはずだったので、残念でした。観光名所への研修旅行も、本来は1泊2日のはずが、コロナの影響で日帰りになりました。 京都大学の授業で書道の練習 しかし、先生や留学生仲間とは授業でたくさん交流しました。アカデミック・プレゼンテーションの授業では、研究結果をプレゼン資料にまとめて発表します。私は日本の家族関係に関する問題やベトナムの大気汚染の問題などを研究しました。この授業では同級生(留学生)と日本語でたくさん議論をし、日本語の文献を調べ、日本語の資料を作成します。そして、寮で発表の練習(日本語)もします。 また、日本人学生で留学生サポートをする人もいるので、その人たちともよく会話をしました。このように、日本語を使う機会はたくさんありました。 京都大学 地域のベトナム人との交流 大学以外ではVYSA京都の活動に参加しました。京都・大阪や周辺のベトナム人大学生や大学院生、社会人が参加しています。新型コロナの影響で多くのイベントが中止になりましたが、コロナが少し落ち着いていた2020年11月に20人あまりで京都府の三室戸寺(みむろとじ)と平等院に行きました。 VYSAの活動で知り合った友だちと電車を乗り継いで奈良県の長谷寺(はせでら)に行ったこともあります。不便な場所にありますが、とてもステキなお寺でした! 在日ベトナム学生青年協会 VYSA京都の仲間と三室戸寺を観光〈2020年11月〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=19,900 VND(2022年3月10日現在) 収入:120,000円 日本政府の奨学金 ¥120,000 支出:110,000円 家賃(留学生寮) ¥13,000 授業料(無料) ¥0 電気・ガス・水道 ¥6,000 携帯電話(SIM使わず) ¥0 Wi-Fi ¥1,000 食材費・外食費 ¥40,000 教材費、交通費、雑費 ¥50,000 差額:10,000円 ※旅行などに利用 私の好きな京都のスポット 私は留学中、祇園や清水寺、八坂神社、平安神宮、鴨川など、京都市内のさまざまな観光名所に自転車で行きました。また、寮に近い南禅寺や蹴上(けあげ)インクライン、平安神宮などには、よく歩いて行きました。これらの名所を私なりにランキングすると次の通りです。 ① 鴨川:特に桜の咲く季節は本当にきれいです。川を眺めているだけで気持ちが落ち着きます。 ② 平安神宮と岡崎公園:巨大な鳥居と疎水(水路)沿いの散歩道を楽しめます。桜もたくさんあります。 ③ 南禅寺と蹴上インクライン:蹴上は超有名インスタスポット。南禅寺は四季を通じて趣があります。 ④ 祇園エリアと八坂神社 ⑤ 清水寺 蹴上げインクライン 鴨川 平安神宮 まとめ 新型コロナの影響で留学プログラムの多くが制限または中止され、旅行にもほとんど行けませんでした。しかし、日本のトップ大学の一つで留学し、京都という素晴らしい町に住めたことは、かけがえのない経験になりました。 私は帰国して半年後の2022年3月に大学を卒業し、ハノイのIT企業で働いています。将来は、大学で日本語を教えることが夢です。これからも日本や日本語と関わっていきたいと思います。 奈良県の長谷寺

    2022年03月23日

主催者

Nhà tài trợ Bạch Kim

後援

  • 在ベトナム日本国大使館
  • 国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
  • JNTOハノイ事務所
  • 関西経済連合会
  • 一般社団法人 国際人流振興協会
  • 公益社団法人 ベトナム協会
  • NPO法人 日越ともいき支援会

協力

JASSO(日本学生支援機構)

外国人労働者弁護団

WA.SA.Bi.