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VOL. 88 支援団体の支援で在留延長と再就職

作業の準備・後片付け(毎日約2時間)に残業代が支払われないなど、建設の技能実習生の平均よりかなり低い給料で働かされたうえ、職場での暴力・暴言もあって失踪したフイさん。一度は日本が大嫌いになりましたが、支援団体のサポートで日本滞在を延長して働き、特定技能の試験にも合格しました。 今回の先輩 カ・チャン・ホアン・フイさん 2013年高校卒業〈ホーチミン市〉 2013年観光バスの添乗員〈タイニン省〉 2016年トラック運転手〈ロンアン省〉 2019年送出機関で勉強〈ホーチミン市〉 ...

2023年03月17日
  • VOL. 87 日本の外国人看護師の先駆けとして活躍

    2023年03月10日
    1990年代後半、日本の病院がお金を出し合ってベトナムの優秀な学生を日本に留学させ、卒業後に看護師として活躍させるプログラムがありました。トゥイさんはそのメンバーに選ばれて来日。日本にベトナム人留学生がまだほとんどいなかった時代に、彼女はどのように勉強し生活したのでしょうか? 今回の先輩 ルー・ティ・トゥイさん 1998年高校卒業〈ナムディン省〉 1998年日本語センター入学〈ハノイ〉 2001年看護専門学校入学〈東京都〉 2004年専門学校卒業、板倉病院勤務〈千葉県〉 2009年治験コーディネート会社に勤務〈茨城県〉 2010年同社ハノイ駐在員事務所長〈ハノイ〉 2017年グランソール・ベトナム勤務〈現在も〉 2019年Chu Van An大学入学(経営管理) 2021年グリーンコネクション・ベトナム設立 2022年大学卒業 〈1980年生まれ、ナムディン省出身〉 ◆このページの内容 • ベトナムで医大に合格 • 看護師養成のための無料留学 • 日本の看護学校に留学 • 昔の留学生の苦労 • 留学生活とアルバイト • 私の家計簿 • 日本の病院で看護師 • 治験コーディネーターに転職 • 別の日系企業に転職 • グリーンコネクション事業 ベトナムで医大に合格 高校の先生や仲間たち(前列左から2番目が私) 私の故郷(ナムディン省)では医療体制が乏しく、小学2年生のときに腹痛で保健所に行くと、看護師(男性)はトランプに興じており、30分ぐらい待たされました。その後、やっと医師の診察を受け、バナナを1本もらって帰宅しました。私は自分が医師になって医師不足を補いたいと思い、高校卒業前に2つの医大を受験し、タイビン医科大に合格しました。しかし、第一志望のハノイ医科大では補欠合格候補にとどまりました。 看護師養成のための無料留学 AHPの級友や先生たちとハノイの教室で そのころ、ハノイ医大の補欠合格候補の一部にAHPという日本のNPO法人から無料留学プログラムの案内が郵送されてきました。その内容は以下のようなものでした。 ❶ AHPの選考に合格したら日本語を17カ月間勉強する ❷ 日本語能力試験で2級(今のN2)以上になったら、日本で看護専門学校を受験。 ❸ 合格したら看護学校で3年間勉強。 ❹ 卒業後、AHPが指定する病院で4年以上働く。 授業料や渡航費、生活費はAHPから支給されます。今のEPA(経済連携協定)の看護師養成制度に近いものですが、当時その制度はありませんでした。そこで、日本各地の計14病院が費用を出してAHPに運営を委託し、外国人看護師を養成する取り組みを日本で初めて行っていたのです。 AHP同窓生の食事会〈ハノイで2023年〉 このプログラムは8年続き、私はAHPの選考(高校の成績、英語の試験、面接)に合格して4期生として日本語の勉強を始めました。タイビン医大に合格していましたが、当時、ベトナムから海外留学できる人はとても少なかったので、留学のチャンスをつかんで日本で看護師になろうと決めたのです。 選考に合格後ハノイで17カ月間、日本語や数学、英語など1日約8時間の授業があり、夜も2、3時間自習をしました。数学や生物の問題自体は難しくなかったのですが、受験に備えて日本語の問題を解くので、問題の意味を理解するのが大変でした。そして、同期生56人のうち日本語能力試験1~2級(今のN1・N2)に合格して日本に行ったのは約20人でした。ただし、私を含む数人は最初の看護学校受験はうまくいかず、いったんベトナムに戻ってもう1年勉強することになりました。 日本の看護学校に留学 日本人の級友たちと看護学校で(右端が私) 私は2001年に東京都立北多摩看護専門学校に合格し、あこがれの留学が始まりました。しかし、日本語能力試験1級の私も最初は授業の半分ぐらいしかわからず、先生が話す医療用語をメモしては、後で意味を調べました。当時は電子辞書やネット辞書がなかったので、紙の医療事典で時間をかけて調べました。 私は最初、自分の日本語を日本人の級友たちに聞かれるのを恥ずかしく感じました。しかし、学校が4、5人の実習グループを作ってくれたので、その中では積極的に会話できるようになりました。当時、看護学校の留学生はとても珍しかったので、皆が親切にしてくれました。こうして日本人の友だちがたくさんでき、放課後も日本人とつるむようにしました。すると、友だちと過ごす時間が楽しくなりました。 昔の留学生の苦労 仲良くなった日本人の級友たち 当時、この学校にAHP留学生はほかに3人いましたが、先輩2人は途中で退学しました。私は授業で分からない言葉があると、周りの人たちにすぐに質問しました。そのお礼に彼女たちを自宅に招いてベトナム料理をふるまい、泊まってもらったこともあります。私はこうして周囲に溶け込むことができました。しかし、そこまで積極的になれない留学生はストレスをため、行き詰まってしまったのかも知れません。 当時は、どの学校も留学生サポートが不十分だったという事情もあります。受験に合格しても、留学生を受け入れる態勢が整っていないからという理由で入学できないAHP学生もいました。また、AHP学生を1人入学させたものの、サポートが大変なので翌年から受け入れをやめた学校もありました。 留学生活とアルバイト アルバイト仲間と飲み会 私はJR武蔵小金井駅(東京都)の近くに住んでいましたが、当時は地元にベトナム人がほとんどいませんでした。家族が恋しいのに、まだインターネットが普及しておらず、高い料金で家族に国際電話をかけられるのはごくたまにだけでした。また、私は日本食が苦手で、最初はカップラーメンばかり食べていました。そして、カップラーメンにあきると、今度はマクドナルドに通い詰めました。 来日して1年近くたつと、週末に長時間勉強しなくても授業についていけるようになったので、アルバイトを始めました。求人情報誌で見つけた衣料品店で土・日曜に8時間ずつ働き、接客やズボンのすそ上げ(ミシン縫い)を担当しました。同僚の日本人たちとも仲良くなりました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※看護学校2年目 ※100円=約18,003 VND(2023年2月9日現在) 収入:156,000円 AHPから支給される生活費 ¥66,000 AHPからの家賃補助 ¥15,000 給料 ¥75,000 ※アルバイト1件(衣料品店) 支出:98,000円 看護学校の授業料 ¥0 ※AHPが代わりに負担 家賃 ¥25,000 ※2年目は1人暮らし 電気・ガス・水道 ¥8,000 携帯電話 ¥5,000 食費 ¥25,000 ※主に自炊。昼も自分で作った弁当を持参。 交際費 ¥15,000 雑費 ¥20,000 ※衣類、教材、交通費、化粧品など 毎月の差額(貯金):58,000円 日本の病院で看護師 2004年に看護学校を卒業した私は千葉県の板倉病院で働き始め、9カ月目に、希望していたオペ室(手術室)に配属されました。そこには日本人の厳しい先輩がいましたが、彼女は、私が仕事の手順をメモすると、内容をチェックして修正してくれました。医療でいいかげんな仕事は厳禁ですが、彼女の仕事ぶりを見て、厳しい姿勢で医療に向かうことの大切さを学びました。また、ほかの先輩たちも親切で、指示が分からないときに繰り返し聞いても嫌な顔をしませんでした。 私の在職中、板倉病院にAHPの看護師は一番多いときで7人おり、同じ2階建てアパート(部屋は別々)に住んで仲良く暮らしました。また、私は日本人スタッフ(看護師、介護福祉士、事務職)数人とも仲良くなり、よく2、3人で食事や買い物、ドライブ、映画などに出かけました。 治験コーディネーターに転職 東京のベトナム大使館に婚姻届け(左) 板倉病院時代、私はできたばかりの在日ベトナム学生青年協会(VYSA)のスタッフとして交流会などのイベントを手伝っていました。すると、ベトナム人仲間が増え、友人宅での食事会で知り合った男性と2009年に結婚しました。そのとき彼は日本の大学院生で、結婚後、日本で就職しました。 また、結婚と同時に4年半働いた板倉病院を退職し、薬の治験をコーディネートする会社に転職しました。きっかけは、毎年東京で開かれるベトナムフェスティバルで知り合った日本人男性からの連絡でした。日本語を上手に話せて医療にくわしいベトナム人をこの会社が探しているとのことで、私のことを思い出して電話してきてくれたのです。私は彼の紹介でこの会社の社長に何度か会い、入社しました。 治験コーディネーターとして病院を訪問(茨城県で) 板倉病院は働きやすい職場でしたが、AHPの期間が終わったらキャリアアップのために別の道にチャレンジしようと思っていました。この会社は日本で治験のコーディネートをしていましたが、世界各国の新薬の治験データをベトナムで集めるという新規事業を計画していました。私は入社して1年半後、夫婦でベトナムに帰国し、同社のハノイ駐在員事務所長になりました。 私は、社長がベトナム保健省を訪問する際に同行するなど、関係機関に根気強く働きかけましたが、入社して8年経っても治験は実現できませんでした。ベトナムで治験のガイドラインが確立されておらず、医師に治験を依頼しても信頼性の高いデータを集められそうにないことが原因でした。 別の日系企業に転職 私はベトナムでの治験事業の実現は当面は難しいと感じ、この事業から手を引くことにしました。そんなとき、夫の知人からグランソールという医療グループを紹介されました。このグループはがんの免疫治療の開発・普及を行っていますが、免疫細胞を培養する技術をハノイ医科大学に伝えるにあたって、私に連絡・調整を担当してほしいとのことでした。私は2017年にグランソール・ベトナム社に転職し、その業務を行ってきました。また、ベトナムのがん患者が日本に免疫療法を受けに行く際のコーディネートも担当しています。 グリーンコネクション事業 私はこの仕事をしながら、2019年からフンイエン省の大学で経営管理を勉強し、2022年末に卒業しました。2021年には、ハノイに「グリーンコネクション・ベトナム」という会社を設立し、日本で技能実習をしたベトナム人の就職サポートを模索しています。 技能実習生には、日本でたくさんの経験と知識を身につけても、帰国後にそれを生かす職場が見つからず、苦労している人もいます。そこで、日本から帰国したベトナム人を日系企業などに紹介し、帰国後の仕事探しを支援したいと考えて作った会社です。趣旨に賛同して板倉病院の梶原崇弘(かじわら・たかひろ)理事長もこの会社に出資してくださいました。この事業も軌道に乗せられるように、これからさらに努力していくつもりです。
  • VOL. 86 OTITと支援団体の支援で職場変更(技能実習)

    2023年03月03日
    ベトナムで聞いた内容とはまったく違う仕事を毎日させられたチュンさん。外国人技能実習機構(OTIT)に相談して約束違反の仕事はなくなったものの、職場変更はできませんでした。しかし、実習生を支援する団体に相談すると状況が一変し、別の職場で技能実習を再開することができました。 今回の先輩 グエン・デュック・チュン さん 2011年高校卒業 2012年兵役 2014年建設関係の仕事〈ハノイ〉 2019年送出機関で日本語学習〈ハノイ〉 2019年訪日→講習→技能実習〈愛知県〉 2021年アルバイト〈愛知県、岐阜県〉 2022年別の会社で技能実習再開〈静岡県〉 〈1993年生まれ、ナムディン省出身〉 ◆このページの内容 • 母に楽をさせるために出稼ぎ • 事前の約束と違う仕事 • 外国人技能実習機構(OTIT)に相談 • 約束違反の仕事がなくなる • 技能実習の継続を断念 • 支援団体の支援で状況が一変! • 支援団体に頼ろう • 技能実習を再開 • 私の家計簿 •TikTokで日本語会話 •将来のこと 母に楽をさせるために出稼ぎ ベトナムでしていた仕事 私は兵役を終えてからハノイのいくつかの会社で働き、溶接やクレーン車の運転などをしました。しかし、毎月の給料が平均約8,000,000 VND(当時の約4万円)しかなかったので、外国で出稼ぎをして母に楽をさせてあげたいと思うようになりました。そして、日本より給料の高い韓国にも興味がありましたが、日本の技能実習の方が採用されやすかったので、そちらにしました。 私は親せきから紹介されたハノイの送出機関に登録し、訪日までに 計約120,000,000 VND(当時の約60万円)を自分の貯金で払いました。そして、最初の企業面接で合格し、送出機関の日本語センターで6カ月間、日本語を学びました。 事前の約束と違う仕事 清掃前(左)と清掃後(右)のグリストラップ こうして私は2019年10月に来日し、11月から愛知県の会社で技能実習を始めました。日本に来る前の約束では、私はガス管や水道管などを設置する「配管」の仕事をすることになっていました。しかし、実際の仕事の大半は清掃関係でした。私と同僚のベトナム人が実際に担当した仕事を紹介します。いずれも単発の仕事ではなく、何回も行った仕事です。 グリストラップ清掃 日本の飲食店には、油や残飯などが下水に直接流れ込まないよう、それらを分離して貯める「グリストラップ」という装置があります。この装置は定期的に掃除しなければなりません。私たちは飲食店に行って、グリストラップに貯まった汚れをホースで吸引し、残った汚れを洗剤とブラシで洗い落としました。 川の清掃 川や池の清掃 小さな川の水面に水草やゴミが貯まる場合があります。私たちは川に入ってそれらをホースで吸引する仕事をしました。しかし、ベトナム人2人と日本人2人で現場に行った場合、川に入るのはベトナム人だけでした。ほかにも汚れる仕事や重い物を運ぶ仕事はベトナム人だけがさせられることがよくありました。また、冬に浅い池に入って大量の水草を刈り取る仕事もありました。 溝掃除 道路脇の溝にたまった土砂をかき出しました。 外国人技能実習機構(OTIT)に相談 external link OTITの母国語相談 私は約1年、このような約束と違う仕事にがまんしました。しかし、外国人技能実習機構(OTIT)の母国語相談のことを知り、OTITに会社を指導してもらいたいと思って2020年11月にOTITのHPからベトナム語でメッセージを送りました。すると、メールで返信があり、相談員と何度かベトナム語でやり取りしましたが、途中で4週間近く返事が来なくなりました。 このため、私は母国語相談に見切りを付け、今度はOTIT名古屋事務所に直接電話をかけました。私は監理団体(組合)から支給された携帯電話を持っていたので、それを使いました。すると、1カ月以内にOTITから会社に連絡があり、社長と事務長と私の3人でOTIT名古屋事務所に行くことになりました。後で知ったのですが、母国語相談はOTITが外部に委託しており、相談員のレベルに個人差があるそうです。 約束違反の仕事がなくなる OTITに相談後、この写真のような約束違反の仕事はなくなった。 OTIT名古屋事務所では、社長と事務長がまず事情を聞かれ、その後、私が仕事内容やいじめの有無などについて聞かれました。数日後、OTITのスタッフが会社で私だけに会い、「これからどうしたいか」と聞いたので、私は「職場を変わりたい」と答えました。その後、OTITと組合が協力して他の会社を私に紹介し、私は面接を受けましたが、その会社は自分に合わないと思って断りました。 ただし、社長と私がOTITから呼び出しを受けて以来、私は清掃の仕事から外され、毎日、配管に関する本を読むだけの仕事に変わりました。それから約4カ月後、OTITは会社に立ち入り調査をしましたが、結果はすぐには出ませんでした。私は約束と違う仕事から外されてうれしかったのですが、本を読むだけの生活に嫌気がさしてきました。 技能実習の継続を断念 それから半年後の2021年6月、私は会社をやめました。事前に、技能実習生などを支援している在日ベトナム人から紹介された岐阜県内の組合に連絡したところ、新しい職場を紹介してくれるとのことでした。新しい組合がこのことをもとの組合やOTITに連絡してくれたので、私は会社をやめて新しい組合の宿泊施設に身を寄せたのです。 新しい会社で技能実習を始めるまでそこに無料で住めることになり、無職の状態で3カ月間滞在しました。そこには、私と同じような転籍待ちの人や帰国の飛行機待ちの人が数人おり、一緒に海に遊びに行くなどしました。また、日本語の勉強にも力を入れました。 アルバイト生活のときに京都や大阪に旅行 この組合は私が新しい会社で働くための入管手続きを申請してくれましたが、3カ月近く経っても許可がおりませんでした。そのころ、前の会社に対するOTITの調査結果が出たのですが、「会社のやり方は違法とまでは言えない」という内容でした。このため、私が新しい会社で働くための入管の許可が降りない可能性があると言われ、途方にくれました。 私は今後どうしたらよいかOTITに相談したところ、「技能実習をやめて新型コロナ関連の特例の在留資格(帰国困難の特定活動)を取れば、日本に6カ月以上滞在でき、その間はアルバイトができる」というアドバイスでした。私はもとの組合に手伝ってもらってその在留資格に変更し、期間限定でアルバイトをすることにしました。 支援団体の支援で状況が一変! 榑松さんと私〈名古屋市で〉 こうして私は2020年9月にアルバイト生活を始めました。最初は愛知県の工場でパチンコの機械を組み立てる仕事、次は岐阜県の工場でシリンダー製品にシールをはる仕事をし、最後に岐阜県の車の部品工場で働きました。 そんなとき、私は、技能実習生の支援実績が豊富な「外国人実習生SNS相談室」のことを知り、代表の榑松佐一(くれまつ・さいち)さんに会って相談しました。榑松さんは、私が技能実習生に戻れるようOTITと交渉してくれました。すると、私はOTIT名古屋事務所に1年ぶりに呼び出され、前の会社での仕事内容についてもう一度ヒアリングを受けました。その結果、OTITがもう一度新しい会社を探して私を技能実習生に戻してくれることになりました。 支援団体に頼ろう external link KOKORO|総まとめ・ベトナム人向け相談窓口 榑松さんはOTIT名古屋事務所に対し、私が川や池の掃除をしている動画などを見せ、約束の職種と違うので、私の職場変更を支援してくれるように交渉しました 私が1年前に社長と一緒にOTITに呼ばれたときにもその動画を見せたのですが、そのときは、職場変更を最後までは支援してもらえませんでした。しかし、榑松さんの交渉後、私はOTITの支援で技能実習生に戻り、職場も変わることができました。 OTITは技能実習生にとって大事な機関ですが、私の説明や交渉が不十分だったのかも知れません。後輩の皆さんも、もし行き詰まった場合は、このように支援団体に頼ってください。 技能実習を再開 日本人従業員と一緒に富士山へ 「外国人実習生SNS相談室」に相談して約3カ月後の2022年3月、私はOTITが探してくれた静岡県の建設会社に面接に行き、そこで働けることになりました。そして、新しい在留資格をもらうまで別の職場でアルバイトを続け、5月からこの会社で技能実習を再開しました。 この会社では実際に配管の仕事をさせてもらっていますし、日本人の従業員たちも親切です。古い下水管は汚いので、それを運ぶのは嫌な仕事ですが、この会社では日本人も嫌な仕事を公平に分担し、ベトナム人だけに押しつけることはありません。私は休憩時間に日本人従業員とおしゃべりすることも多く、中には、休日に車で富士山のふもとの観光施設に連れて行ってくれた人もいます。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:115,000~140,000円 給料 ¥115,000~¥140,000 *税金や社会保険、寮費、光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(15,000円)、電気・ガス・水道(10,000円) *勤務日の昼弁当の費用も給料から天引き 支出:40,000円 食費(主に自炊) ¥30,000 生活雑貨、衣類 ¥5,000 交際費 ¥5,000 毎月の差額:75,000~100,000円 TikTokで日本語会話 私のTikTokアカウントとJFT-Basicのスコア ところで、私は週に3、4回、TikTokのライブで知り合った日本人とビデオ通話で会話をしています。前の会社をやめる少し前から日本語の勉強時間を増やし、職場やTikTokで日本人と積極的に話すことも続けているので、日本語力がかなり伸びました。国際交流基金のJFT-Basicでも235点を取り、「生活に支障がない程度の日本語能力水準」と判定されました。 将来のこと 配管工事の仕事現場 私は来日後の2019年12月~2023年1月(途中3カ月間は無職)に約280万円を貯金しました。来日前に送出機関に支払った費用を差し引いても約220万円あります。今後、日本でさらに半年間働けますので、貯めたお金で帰国後に家を買いたいと思っています。 2023年8月に技能実習が終ったらいったん帰国し、婚活をしながら将来日本に戻るかベトナムで働くか考えます。日本に戻る場合は特定技能外国人になれるよう、介護の技能試験に既に合格し、農業の技能試験も勉強中です。また、ベトナムで働く場合は日本語力を生かして工場で良いポジションを得たいと思っています。
  • VOL. 85 1年間の留学でほれた日本で就職

    2023年02月24日
    大学に入ってから日本語の勉強を始めたチャムさん。一生懸命に勉強をして外国語大学で成績上位になり、学費無料の交換留学生に選ばれました。その留学で1年間住んだ熊本県が大好きになり、帰国後に就職活動をしてオンライン面接で大きな食品会社に合格。今は、熊本に住んで6年目になります 今回の先輩 チャン・ティ・バオ・チャムさん 2013年 フエ大学・フエ外国語大学・日本語日本文化学部入学 2017年熊本大学に交換留学〈熊本県〉 2018年帰国・フエ大学卒業 2018年再来日・大手食品会社に入社〈現在も〉 〈1995年生まれ、フエ市出身〉 ◆このページの内容 •大学で初めて日本語を勉強 •熊本で1年間の交換留学 •留学中のさまざまな交流 •日本でのアルバイトと友だち •私の家計簿 •卒業後、就職して再来日 •日本での仕事の内容 •休日のキャンプ生活 •ずっと日本で暮らしたい 大学で初めて日本語を勉強 日本語日本文化学部の文化祭で 私は子どものころから「ドラえもん」や「ちびまる子ちゃん」、「NARUTO」などの日本アニメに慣れ親しんで育ちました。また、ベトナムと日本の関係も良いことから、高校生になって進学先を選ぶときに「日本語や日本文化を学び、日本語を生かした仕事につこう」と考え、外国語大学で日本語を勉強することにしました。 私は大学で初めて日本語を学び、簡単には覚えられないので、日本語の塾にも週5回(1回2時間)通いました。そして、帰宅してからも毎日3時間以上勉強しました。その努力が実って、大学3年のときに日本語能力試験(JLPT)・N2に合格し、大学での成績も上位でした。このため、3年生終了後に熊本大学で1年間の交換留学をすることができました。交換留学生に選ばれたのは、1学年約150人のうち15~20人だけでした。 熊本で1年間の交換留学 熊本大学の留学生仲間 交換留学(2017年4月から1年間)では、毎朝、各国からの留学生約20人が日本語の講義(合計180分)を一緒に受けました。この講義は日本語力のアップにとても役立ちました。午後は、自分で選んだ講義を日本人の学生たちにまじって受講するか、講義のない日は自由に過ごしました。講義はすべて日本語でした。 日本に慣れるまでは、ボランティアの日本人学生にお世話になりました。留学生1人にチューターと呼ばれる大学生1人が世話役として付き、市役所での手続きや銀行口座の開設などを手伝い、熊本県のことや日本での生活に関することをいろいろ教えてくれました。また、留学生と日本人学生の計50人以上で熊本県や隣の宮崎県を観光する大学主催のバスツアーもあり、私も参加しました。 留学中のさまざまな交流 お母さん(右から2番目)と留学生仲間〈長崎県でお父さんが撮影〉 留学中の住まいは熊本大学の留学生寮でした。私の部屋は1人部屋でしたが、寮の1階に共同リビングがあり、そこに行けば、留学生仲間とお菓子を食べながら日本語でおしゃべりをしたり一緒にテレビを見たりすることができました。私は台湾人や中国人、インドネシア人の留学生と特に仲良くなりました。 また、大学が各留学生にホストファミリーを紹介してくれたので、私はほかのベトナム人留学生2人と一緒にあるご夫婦に会いに行きました。私はその後も(ときには1人で、ときにはほかの留学生と一緒に)このご夫婦と毎月のように会い、お二人を「お父さん、お母さん」と呼ぶようになりました。お二人には車で観光に連れて行って頂いたり、日本の正月にご自宅に招いて頂いたりしました。お父さん・お母さんとは、今もときどき会っています。 日本でのアルバイトと友だち 熊本大学や大学院のベトナム人仲間と桜の花見 熊本大学や大学院にはベトナム人学生がたくさんいて、よくみんなでご飯を食べたり、旅行に行ったりしました。こうした先輩の1人が私にアルバイトも紹介してくれました。それは弁当店のレジと厨房(ちゅうぼう)を担当する仕事で、来日した翌月から帰国するまで続けました。また、来日して4カ月目ぐらいにはコンビニのバイトも追加しました。さらに、最後の約3カ月間は、焼きそばなどめん類の弁当を作る工場でも働きました。この仕事は夜8時から朝5時までだったので、大学での受講に支障が出ないように週末だけにしました。 弁当店では同僚の日本人主婦と仲良くなり、一緒に食事をしたり遊びに行ったりするようになりました。また、弁当店やコンビニでは仕事仲間やお客さんとの会話が多く、日本語の練習になりました。そして、食品工場では、職場に入る前に手を洗って手袋をはめ、作業中に食材を落としたら拾って捨て、手袋を交換するなど、日本の厳しい衛生管理を学びました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※交換留学校時代の家計簿 ※100円=約18,003 VND(2023年2月9日現在) 収入:65,000円~80,000円 給料 ¥65,000~¥80,000 ※アルバイト2、3件 支出:67,000円~72,000円 大学の授業料 ¥0 家賃(留学生寮) ¥17,000 電気・ガス・水道・インターネット(1人分) ¥8,000 食費(主に自炊) ¥25,000 携帯電話(通話なし) ¥2,000 家賃(留学生寮) ¥15,000~¥20,000 ※交通費、交際費、化粧品、衣類 毎月の差額:10,000円~13,000円 卒業後、就職して再来日 私の食品会社の店舗〈熊本市内〉 交換留学が終わり、私は帰国してフエ大学に通いながら就職活動を始めました。留学前は日本で働くことは想像していなかったのですが、熊本で友だちもできたし住み心地も良かったので、チャンスがあれば熊本で働きたいと思うようになりました。そこで、ベトナムだけでなく熊本の友人・知人にもSNSで仕事の紹介をお願いしていました。 すると、熊本大学大学院の先輩ベトナム人が「熊本の大手食品会社がベトナム人通訳を募集している」と連絡をくださいました。先輩がその会社の人事担当者と知り合いだったそうです。同社は九州にたくさんの店を持ち、弁当やおかずを販売しています。留学中に利用したこともあったので、私は喜んで応募しました。 熊本市 先輩が人事担当者と私をLINEでつなげてくださったので、私は履歴書をメールで送り、数日後にその担当者からSkypeで約40分間のオンライン面接を受けました。その翌週、2回目のオンライン面接を受け、次の週にはメールで内定通知を頂きました。それは、相手とLINEでつながってからわずか3週間、留学を終えて帰国して2カ月目のことでした。 私は2018年5月に就職の内定通知をいただいて7月に大学を卒業し、9月に再び日本に来てこの会社に入りました。住居は会社の寮でしたが、そこに入居する前に少しだけ熊本のお父さん・お母さんの家に泊めていただきました。 日本での仕事の内容 技能実習生の友人とショッピング 私は入社してからずっと総務課に所属し、一般の総務の仕事以外にベトナム人従業員のサポートを担当しています。当社には技能実習生や特定技能外国人が約260人おり、そのうちベトナム人が約200人(実習生約150人、特定技能外国人約50人)です。この人たちの職場は食品工場で、私は日本人がこの人たちとやり取りをする際の通訳をし、生活のサポートもしています。 例えば、技能実習生が給与明細の内容に疑問があるときは私が説明をし、体の具合が悪いときは病院に同行します。実習生の寮の洗濯機やエアコンなどが故障した場合は、私が修理・買い換えを担当し、実習生が寮で大声で宴会をしたりゴミ捨てのルール違反をしたりして近所から苦情が出たときは、私が近所に謝罪し実習生に教育を行います。 休日のキャンプ生活 私が熊本で働き始めてから見つけた新しい趣味はキャンプです。熊本県や周辺の海や川は美しく、素敵なキャンプサイトがたくさんあります。週末に親しい人と一緒にキャンプを楽しむこともあれば、1人で車でキャンプサイトに行ってテントを張り、星空や海景色を満喫することもあります。日本の美しい自然と溶け合う至福のひとときです。 ずっと日本で暮らしたい 就職後、一時帰国した際に友だちとホーチミンに旅行 私は2018年に熊本で就職してからベトナムに2度帰国しました。新型コロナの影響で帰国できない時期もありましたが、もし帰国しようと思えば、熊本から電車で約1時間で福岡空港に行けて、そこからベトナムに直行便があります。また、最近は、熊本にもベトナム人が多く、ベトナム料理店も増え始めています。 私は将来、今の仕事をしながら、仕事で身につけた知識を活用して、日本で困っているベトナム人をサポートしたいと考えています。例えば、私の会社では、技能実習生が妊娠しても、休暇を取得してまた復職できますが、会社によっては実習生が妊娠すると強制的に帰国させられるケースもあります。何かに困っているベトナム人が私に相談してくだされば、日本の法律や制度、相談できる行政機関などを教えられる場合もあります。できるだけ長く日本に住み、周りの人のお役にも立てればと思っています。

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  • ★基本情報=生活ルール・習慣

    日本の生活ルールや習慣を守って近所の人たちと仲良く暮らしましょう。ごみの出し方▽部屋の騒音に対する日本人の感じ方▽携帯電話に関する注意点▽電車内でのマナー▽防犯対策――などについて説明します。 ごみの出し方 ごみの種類ごとに出す曜日と場所を守る ごみの種類によってごみを出す曜日と場所が違います。地域ごとにルールがあり、それを守らないと、ごみを回収してもらえません。 引っ越したら、ごみに関する説明書を読みましょう。説明書は、市区町村の役所に転入届を出すときや不動産店で契約をするときにもらえます。郵便受けに入っている場合もあります。 ※一般的に、ごみは朝に出します。 ※「中が見える袋」など、市区町村が指定するタイプの袋に入れて捨てましょう。 ごみの種類の例 燃えるごみ 紙くず、生ゴミ、食用油、衣類、紙おむつ、ゴム製品、皮製品など 燃えないごみ 割れた皿やコップ(厚紙などで包む)、金属、ガラスなど 資源ごみ びん、缶、新聞、本、プラスチックのケース、ペットボトル、ダンボールなど 粗大ごみ テーブルやいすなどの家具、自転車、ふとんなど 家電ごみ エアコン、テレビ、冷蔵庫、冷凍庫、洗濯機、服の乾燥機など 【注意①】料理後の食用油 油は台所に流しません。鍋の中に新聞紙などをたくさん入れると、油を吸い取りますので、その紙を「燃えるごみ」として捨てます。 【注意②】粗大ごみ 市区町村に連絡して回収を予約しなければならない場合があります。予約後、コンビニなどで「回収券」を購入し、ごみにはり付けて出す場合もあります。 【注意:③】家電ごみ ・エアコン、テレビ、冷蔵庫、洗濯機・衣類乾燥機の回収 =行政の許可を受けた業者に依頼し、「リサイクル料金」も払わなければなりません。 ・リサイクル料金の支払い先、古い製品の引き取り先 =新しい製品を買う店か、もとの製品を買った店 ※わからないことがあれば、住んでいる市区町村に問い合わせてください。 不法投棄など(違法なごみ捨て) 決められた場所以外にごみを捨てると、犯罪になります。空き缶やたばこの吸いがらなどを道に捨てる「ポイ捨て」も違法です。 騒音 日本では、大きな音や声は周囲の迷惑になります。特にアパートやマンションなど集合住宅では、騒音を出さないように注意しましょう。 ・室内での会話やパーティー、テレビや音楽の音などが大きすぎると、近所の迷惑になります。 ・早朝や深夜に洗濯機や掃除機を使う際も、近所の迷惑にならないように気を付けましょう。 トイレ ・トイレ使用時は、必ずトイレにある紙を使い、その紙はトイレに流しましょう。国や地域によっては使用済みの紙をトイレ内のごみ箱に捨てますが、日本では必ずトイレに流しましょう。 ・デパートや駅のトイレには、ボタンがたくさんありますが、水を流すボタンは「流す(FLUSH)」と表示されていることが多いです。 移動時の携帯電話 ・他の通行人や自転車などとぶつかってけがや事故の原因になることがあるため、携帯電話を見ながら歩いてはいけません。 ・自動車や自転車を運転しながら携帯電話を操作することは法律で禁止されています。 電車やバスの車内 電車やバスの車内では次のような点に注意してください。 ...

  • 外国人も簡単に契約できる日本の格安SIM

    ベトナムでは、携帯電話ショップに行けば、20分もかからずにSIMを購入でき、電話番号を取得できます。しかし、日本では、携帯電話会社(キャリア)と契約して料金を毎月払わなければSIMを使えません。しかも、安いプランが少ない上、支払いを日本のクレジットカードに限定するキャリアが多く、適したキャリアがなかなか見つかりません。私は今回、日本で初めて格安SIMと契約しました。キャリアごと支払い方法や料金比較、私が見つけたキャリアの特徴などを紹介します。〈Vân...

  • ★基本情報=日本の季節イベント

    日本の季節イベント ・ 春のイベント ・ 夏のイベント ・ 秋のイベント ・ 冬のイベント ・ 日本の1年間の祝日 日本の季節イベント 日本にやって来た皆さん、日本の1年間の大きな行事をお知らせします。日本では四季の移り変わりがあり、季節と結びついた行事がたくさんあります。これを読めば、季節の行事の意味や日本人の大事な生活文化が分かります。 ...

  • 外国人のクレジットカードの作り方

    日本で生活を始めてまず必要なものは銀行口座と携帯電話でしょう。しかし、私にはそれだけで十分ではありませんでした。私はベトナムではクレジットカードと携帯アプリでほとんどすべての支払いを済ませていたため、日本でもクレジットカードがないと、とても不便でした。日本で最初は簡単にクレジットカードを作れませんでしたが、最終的には3種類のカードを作ることができました。その体験を紹介します。〈Vân...

留学生・技能実習生・エンジニアをサポートするサイト

【在ベトナム日本国大使館後援】

  • VOL. 84 技能実習と特定技能の計4年で370万円貯金

    技能実習生の間で人気のない建設業ですが、建設の中でも内装業では比較的トラブルが少ないとされています。内装会社で技能実習をしたチュンさんや仲間のほとんどが同じ会社で特定技能外国人になりました。職場の様子やチュンさんが日本語を話せるようになった秘訣を紹介します。 今回の先輩 ホアン・クァン・チュンさん 2014年 高校卒業〈クアンビン省〉 2015年韓国系企業の工場で勤務〈ドンナイ省〉 2018年送出機関で日本語を勉強(8カ月間) 2018年訪日→講習→内装の技能実習〈兵庫県〉 2021年 同じ会社で特定技能に移行 〈1996年生、クアンビン省出身〉 ◆このページの内容 •日本に行こうと思った理由 •ベトナムの送出機関 •電車で通勤 •7週間の出張も •同じ会社で技能実習から特定技能に •4年間で実家に450万円送金 •ボランティア日本語教室 •日本に残るかベトナムに帰るか 日本に行こうと思った理由 送出機関の教室で 私は高校を卒業後、半年あまり両親の農業(稲作)を手伝い、その後、高校の同級生が働くドンナイ省のワイヤー工場で2018年まで3年間働きました。しかし、毎日12時間(週6日間)働いても、残業代を含めて毎月約10,000,000 VND(約55,000円)しかもらえませんでした。これでは、どんなにまじめに働いてもほとんど貯金できません。 そんなとき、同年代で仲良しの親せきが日本に技能実習に行ったので、彼が休暇を取って一時帰国したときに技能実習の費用や仕事、給料について教えてもらいました。その話を聞いて、私も日本で働いて両親にお金を送りたいと思い、技能実習生になることにしました。 ベトナムの送出機関 送出機関の先生や仲間たち 私は勤務先のドンナイ省に近いホーチミンの送出機関を選びました。そして、企業面接に合格したので、会社を辞めて送出機関の寮に入り、8カ月間日本語を勉強しました。私がこの送出機関に支払った費用は約160,000,000 VND(手数料、教育費、寮費、ビザ取得費など)です。 ※編集部コメント:この費用は当時のベトナムの送出機関の平均ですが、国が決めた費用よりかなり高いです。 私が合格した会社は建築の内装を行う会社なので、送出機関での授業の半分は日本語で、残り半分は内装の勉強や実習でした。私は毎晩4時間自習して日本語をできるだけ覚えるようにしました。そして、来日後も日本語の勉強を続け、会社に相談したいことは組合(監理団体)に頼らず自分で直接相談するようにしています。その方が自分の意図が確実に伝わるからです。 電車で通勤 私たちの住む地域を走る電車とモノレール 私の会社にはベトナム人が13人(技能実習生8人、特定技能外国人4人、エンジニア1人)います。私は同期・後輩の計4人と一緒に1戸建ての寮に住み、6:00に起きて6:30に家を出ます。寮は大阪府にあり、勤務先は大阪・兵庫・京都などの建築現場です。電車が発達しているので電車やバスで現場に通い、不便な場所に行くときだけ日本人が運転する車で一緒に行きます。7:30までにマンションやホテルなどの建築現場に着き、8:00から18:00まで働きます。私は天井や壁のボードのはり方も学びましたが、最近は、フローリングをはる仕事が中心です。 現場には、さまざまな会社から作業員が集まります。私たちは1つの現場に1~3人で行くことが多いのですが、通常は他社との連絡のために日本人も一緒です。しかし、私は日本語が上達したので、15階建てぐらいまでの規模の現場なら1人で担当することも多くなりました。 7週間の出張も 出張先の鹿児島市の風景 私の会社は兵庫県に本社があり、東京と福岡に支社があります。支社の仕事で人が足りないときは私たちが出張で手伝うのですが、特定技能外国人になってから出張が増えました。例えば、2022年9月23日から11月16日まで鹿児島県(福岡支社の管内)に出張し、新築19階建て高級ホテルの内装(フローリング)を担当しました。 このときは3人で車で現地に行き、大阪から鹿児島まではフェリーに乗りました。フェリーでの移動は12時間かかりましたが、1人部屋の船室を使わせてもらったので、快適でした。鹿児島では、台所や冷蔵庫、洗濯機があるウイークリーマンション(1人1室)に住み、車で運んでもらった自分の炊飯器や鍋でいつも通り自炊しました。 同じ会社で技能実習から特定技能に フローリングはり付け工事の様子 私たちの会社は忙しいので、週に1度しか休めません。しかし、残業代や休日出勤手当はきちんと支払われますし、お盆や正月などには連休もあり、用事があるときは有給休暇も取れます。また、一緒に仕事をしている日本人の皆さんは親切ですし、新年会やバーベキュー・パーティーなど会社主催の楽しい食事会もあります。社長もやさしい人で、先輩は社長に相談してベトナムに約6週間、一時帰国することができました。 このように働きやすい職場なので、3年間の技能実習が終った後、帰国する仲間以外は皆、他社に移らずこの会社で特定技能外国人になっています。特定技能なってからは、毎月の手取り給料が約3万円増え、ボーナス(20万円以上)も年に1度もらえるようになりました。 4年間で実家に450万円送金 「自分へのごほうび」として買ったiPhone 私は技能実習の3年間で約300万円を実家に送りました。そして、特定技能外国人になってからは、基本給も上がり出張手当も多かったので、1年間で約150万円を送ることができました。弟もシンガポールの中華料理店で働いて実家にお金を送っているので、両親は約2年前、私と弟のお金で自宅を建て替えました。そのときに銀行からもお金を借りましたが、それももうすぐ完済できそうです。 私は忙しいのであまり旅行もしませんし、欲しいものもほとんどありません。日本で買った主な物と言えば、約25,000円の腕時計と日本語能力試験(JLPT)・N3に合格したときに「自分へのごほうび」として買った約70,000円のiPhoneぐらいです。 私の家計簿(1カ月の平均) ※特定技能外国人になってからの家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:190,000円 給料 ¥190,000 *税金や社会保険、寮費、光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(25,000円)、光熱費(4,000~5,000円)、Wi-Fiと携帯電話の通話料金の一部(2,500円)は給料から天引き 支出:50,000円 食費(主に自炊) ¥30,000 生活雑貨、衣類 ¥10,000 雑費 ¥10,000 毎月の差額:140,000円 ボランティア日本語教室 external link KOKORO:ボランティア日本語教室 私たちのような現場仕事では、一緒に働く日本人と最低限のコミュニケーションをとれないと仕事に支障があります。これは技能実習をめぐるトラブルの大きな要因にもなっています。私は来日して8カ月でJLPT・N3に合格し、同期や後輩のベトナム人も勉強して必要最低限の日本語会話ができるようになりました。仕事の休憩時間などに日本人とよく雑談をするので、そのことも日本語力向上につながっています。 私は来日してからも毎晩1、2時間、日本語の勉強を続けています。また、地元の国際交流協会が主催するボランティア日本語教室(無料)にも3年間通いました。この教室では、先生が参加者の外国人に日本語を2時間教えてくれるのですが、マンツーマンのときも多く、毎週1回通うだけで大きな効果がありました。最近も、後輩の実習生に教室を紹介するために一緒に行きました。 日本に残るかベトナムに帰るか ベトナム人仲間に誘われてボランティアのゴミ拾いに参加〈大阪市で2022年〉 私は自習と日本語教室と職場での会話によって日本語をかなり話せるようになり、今はJLPT・N2を目指して勉強しています。しかし、日本語教師や通訳を目指しているわけではありません。技能実習や特定技能で内装に関する知識・技術を身につけたので、将来もこの業界で生計を立てていきたいと希望しています。 しかし、将来、日本に残るかベトナムに帰るかについては悩んでいます。私は来日前、ベトナムの工場で毎日12時間・週6日間働いても給料が10,000,000 VNDしかなく、「ベトナムでまじめに働いても一生貯金はできない」と思って日本に来ました。しかし、ここ数年でベトナムでの給料も上がり、その工場に残った友人の給料は当時の1.7倍になりました。ベトナムでも高層マンションは増えており、フローリングの需要も拡大していく可能性があります。将来の結婚や家族生活、ベトナムでの今後の所得増加を考えると、特定技能が終わったら帰国するという選択肢もあると思っています。

    2023年02月20日

  • Vol. 83 日本で動画撮影・編集に明け暮れる日々

    高校を卒業し兵役を務めた後、日本に留学して日本語力と大学卒業資格を得ようと考えたチュオンさん。日本では日本語学校と短大に留学し、来日して4年足らずで就労ビザを取得しました。今は、住み慣れた福岡県で大好きな動画撮影・編集の仕事に明け暮れています 今回の先輩 ヴ・スアン・チュオンさん 2013年 高校卒業〈ビンフック省〉 2014年兵役 2015年日本語センターで学習〈ビンフック省、約9カ月〉 2016年日本語学校入学〈福岡県〉 2018年 折尾愛真短期大学入学〈福岡県〉 2018年在日ベトナム学生青年協会福岡支部 ( VYSAF )理事 2019年在福岡ベトナム人協会理事〈現在も〉 2020年折尾愛真短期大学卒業 2020年福岡県で就職 〈1995年生、ビンフック省出身〉 ◆このページの内容 •動画の撮影・編集の仕事 •日本に行こうと思った理由 •留学センター •福岡を選んだ理由 •日本語学校→短大→就職 •日本でのアルバイト •私の家計簿 •動画の撮影・編集を始める •ベトナム人協会での活動 •日本での職歴と将来 動画の撮影・編集の仕事 external link 私が制作したショッピングモールのPRリール 私は現在、企業の外国人客誘致やSNS運営、動画制作などをサポートする福岡県の会社で動画制作を担当しています。ショッピングモールやホテル、レストランなどから受注したプロモーション動画の撮影や編集をする仕事です。 私が制作した動画はその施設のホームページやFacebook、Instagramにアップされ、消費者に見られています。中には中国語や朝鮮語のSNS投稿もあります。FacebookやInstagram用に写真を撮影したりリール動画を制作したりすることもあります。撮影には助手やモデルと一緒に行くこともありますが、動画の編集は一人で担当しています。 食品のPR写真を撮影する私(黒いシャツ) 今の勤務先は、私が日本で働き始めて3社目ですが、私は前の会社でも動画制作を担当していました。今の会社(入社して4カ月目)では、これまでに高級ホテルのレストランのプロモーション動画の制作や有名ショッピングモールをPRするリールの制作、食品のPR写真の撮影などを担当しました。 高級ホテルでは寿司コーナーを紹介する動画の制作を担当し、モデルを含む5人で2回に分けて計4時間撮影しました。このように毎週3、4日は撮影に出ており、楽しい毎日です。ただし、編集には集中できる環境が必要なので、社長の許可を得て会社近くの自宅で1人で行っています。 日本に行こうと思った理由 地元の仲間とバイクでお出かけ〈ビンフック省で、高校生のとき〉 私は高校を卒業してから1年半、兵役につきました。その後、高卒では良い仕事がないので、大学進学も考えましたが、卒業から2年経っていたので受験勉強が大変です。そんなとき、日本で留学していた友人2人から次のような助言を受け、私も日本に留学することにしました。 ・今からベトナムの大学を受験するより、留学して日本語を勉強し、日本の大学や短大に進む方がよい。留学生向けの大学受験科目は少ないし、卒業後は日本で働くか、ベトナムの日系企業などで働くことができる。 ・留学費用の一部は日本でのアルバイトでまかなうことができる。 留学センター 外国に留学するには、留学センターで留学先(学校)の紹介や外国語の授業を受けます。私は政府系の「ビンフック職業サービスセンター」を選びました。ここは主に職業紹介や職業訓練をする施設ですが、外国で働きたい人のために日本語教室も備え、留学の仲介もしてくれました。このセンターでの日本語の授業時間や諸費用は次の通りでした。 費用は、父が銀行から借りて工面し、私は日本で就職してから父に返済しました。 ・授業:月~金の8:00~12:00+13:30~16:00 ・授業料:毎月1,000,000 VND ・それ以外にセンターに支払った費用:300,000,000 VND=約166万円(手数料、ビザ取得費、日本の学校への入学金、1年間の学費65万円、日本での家賃6カ月分、飛行機代を含む) 福岡を選んだ理由 福岡市 私は最初、東京で留学したいと思っていましたが、 留学センターの先生から「住みやすいから」という理由で福岡県を勧められました。そこで、私は昔からの友人が留学していた福岡の留学センターを選び、2016年7月に入学しました。 実際に福岡に住んでみると、ここはとても住みやすい街でした。福岡も日本有数の大都会ですが、東京ほど人や建物が密集しておらず、東京より物価も安く、治安の良い都市です。東京にも遊びに行きましたが、あまりにも人が多いので、私には福岡ぐらいの都会の方が快適に暮らせます。 日本語学校→短大→就職 日本語学校のクラスメートと海へ〈福岡市〉 私は「昔からの友だちがいる」という理由で日本語学校を選びましたが、その学校にはベトナム人がとても多かったので、いつもベトナム人同士でベトナム語で話していました。 本腰を入れて日本語を勉強したい人は、ベトナム人生徒の割合が少ない学校を選んだ方がよいかも知れません。ところで、私は日本語学校での成績や出席率が良かったので、2年目は、日本の文部科学省から 毎月3万円の奨学金(外国人留学生学習奨励費)を1年間もらうことができました。 私は日本語学校に1年半通った後、福岡県北九州市の折尾愛真(おりお・あいしん)短大の経済学部に進学しました。 折尾愛真短大の入試は日本語の筆記試験と面接だけでした。また、日本語学校から推薦をもらったので、入学金を免除されました。</strong 短大の仲間とクリスマス会の歌の練習 短大では、オープンキャンパスやクリスマス会など短大のイベントを手伝うサークルに入り、そこで日本人の仲間ができました。5人ぐらいでよく一緒に行動し、彼らをアパートに招待してベトナム料理をふるまったこともあります。 私は短大で2年間勉強した後、4年生大学に編入することもできましたが、「これ以上お金を使うより、早く就職しよう」と思い、福岡県で就職しました。 日本で専門学校や短大、大学を出ると、就労ビザを取得できます。私は4年足らずの留学で日本で就職することができました。 日本でのアルバイト 短大のベトナム人仲間とJLPTの受験会場へ向かう途中の駅前で〈2019年〉 私が日本での留学中にやったアルバイトを紹介します。 ・宅急便の運転手(配達する人)のサポート:最初の1年間。日本語学校の紹介。運転手と話すので、少し日本語の練習になりました。 ・コンビニのレジ担当:来日2年目の1年間。携帯電話のアプリ(タウンワーク)で申し込んで面接を受けましたが、日本語が下手だったので3店目でやっと合格しました。 その後は違うコンビニ店に移り、短大2年生のときは、朝5時から3時間だけコンビニで働き、夜は焼き肉店で働きました。これらの店では、店長や同僚、お客さんと日本語で会話する機会が多く、日本語の練習にとても役立ちました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※短大2年目の家計簿 ※100円=約18,003 VND(2023年2月9日現在) 収入:100,000円 給料 ¥100,000 ※アルバイト(コンビニと焼き肉店) 支出:107,000円 短大の授業料 ¥50,000 家賃 ¥10,000 ※ベトナム人留学生3人で部屋をシェア(1人分の費用) 電気・ガス・水道・インターネット(1人分) ¥7,000 食費 ¥20,000 ※主に自炊。たまに短大の食堂でランチ。 携帯電話・交際費 ¥10,000 雑費 ¥10,000 毎月の差額:▲7,000円 ※福岡は家賃が安いうえ、部屋を3人でシェアしたので、さらに安くすみました。 ※夏休みなどに長く働いても足りなかったので、約4年間の留学中に父から3回お金を送ってもらいました(合計60万円)。 動画の撮影・編集を始める Facebookサークルの仲間と撮影会〈福岡市で2022年〉 私が動画制作を始めたのは留学してからです。日本語学校のときは、携帯電話で撮影して携帯電話で編集する程度でしたが、短大に入ってからビデオカメラを買い、本格的に撮影や編集をするようになりました。YouTubeに撮影・編集に関する投稿がたくさんあるので、最初はそれを見て勉強しました。 こうして学んだ技術を使って、短大のイベントで動画を撮影し、自分のFacebookページに投稿したり、在日ベトナム学生青年協会・福岡支部 ( VYSAF )に入って、テトのパーティーやスポーツ大会などのイベントの動画制作を担当したりしました。また、私と友だちが中心になって動画や写真の撮影が好きな福岡在住ベトナム人を集めてFacebookサークルを作り、情報交換や撮影会も行いました。 ベトナム人協会での活動 ミスコンテストのハイライトシーン〈福岡市で2023年〉 私の動画制作の技術はこうして徐々に上達しました。このため、VYSAFの次は在福岡ベトナム人協会から誘われて活動に参加し、イベントの動画制作を3年以上担当しています。協会は2023年には日越のビジネス交流会や九州のベトナム人を集めるスポーツ大会などを計画しています。 また、2023年1月にはテト(旧正月)を記念して有名人をたくさん招き、ミスコンテストと楽器演奏オーディション(ゴット・タレント)を開催しました。ミスコンには九州各地や東京・大阪からも参加者が集まり、私は予選の動画を撮影し、長い時間をかけて3本に編集しました。これは無償でやりました。そして、福岡市内の公園で2日間行われたミスコンと演奏の本番では、7人のチームを編成して撮影とライブ配信を行いました。 external link 私が編集したミスコンの動画 日本での職歴と将来 テトのイベントを撮影する私〈福岡市で2023年〉 私は短大2年生のとき、就職活動で5社に履歴書を提出し3社の面接を受けました。そして、福岡県内の中古車販売会社に就職し、同社の自動車整備工場で働く技能実習生7人のケアや中古車を買うベトナム人客への対応などを担当しました。また、車の整備もやりました。 この会社で約2年働いた後、以前から希望していた動画制作を担当できる会社に転職しました。ただし、その会社では、入社前に聞いた説明と実際の勤務内容が違ったので、数カ月で今の会社に移りました。 日本で就職してからは毎年60~80万円を実家に送っています。留学のために親から借りたお金はほぼ返したので、これからは親孝行のために送金を続けます。 将来は、日本で自分のマルチメディア会社を作るのが目標です。

    2023年02月13日

  • Vol. 82 日本語マスターのために技能実習

    「日本人と交流して日本語を学ぶ」という目的で技能実習生として日本に行くことを決めたヴァンさん。日本では「ボランティア日本語教室」を活用。職場で見つけた日本人の友だちともたくさん交流し、日本での3年間でJLPT・N2に合格しました。 今回の先輩 ホ・ティ・テュイ・ヴァン さん 2009年  高校卒業 〈ホーチミン〉 2012年  ホーチミン市工業大学附属高等専門学校卒業 2012年  日研精密工業入社〈ホーチミン〉 2015年  技能実習生として来日〈大阪府〉 2018年   ベトナムに帰国 2019年 日系企業の営業部勤務〈現在も〉 〈1991年生まれ、ハティン省出身〉 ◆このページの内容 •日本に行くことを決めた理由 •低費用で良質の送出機関 •ボランティア日本語教室 •日本人との交流 •大学の食堂で勉強 •私の家計簿 •親切な監理団体(組合) •日本人の親切さ •帰国後は日系企業に勤務 日本に行くことを決めた理由 ホーチミンの会社の同僚たちと 私は高等専門学校(経理専攻)を卒業後、日本の部品メーカーのホーチミン事務所で経理として働きました。日本人2人、ベトナム人4人の職場でしたが、私以外のベトナム人3人は日本語を話せたので、仕事を進めるうえで、自分だけが同僚に通訳・翻訳を依頼しなければなりませんでした。 それが悔しくて、ホーチミンの有名な日本語学校(月~金、毎日2時間)に5カ月間通いましたが、思うように日本語が身につかず、もっと徹底して日本語や日本文化を勉強したいと思うようになりました。そんなときに技能実習制度を知りました。私は「留学に行くほどの資金はないが、技能実習の3年間で日本語を身につける人も多いので、自分も挑戦してみよう」と考えて技能実習に応募しました。 低費用で良質の送出機関 CICSで日本語の先生や同級生たちと(前列右が私) 送出機関はホーチミンのCICSを選びました。友だちの友だちがそこで勉強していたからですが、評判を調べた結果、日本語教育レベルの高い会社だったので、そこに決めました。CICSには日本人の先生もいましたCICSでの日本語の授業は毎日約8時間で、授業後に自習も約2時間しました。こうした準備を約半年間重ねた後、大阪の工場で働くために訪日しました。 ところで、CICSはベトナム政府が決めた手数料を守っている数少ない送出機関の一つだったので、私は自分が働いて貯めたお金だけでCICSへの支払いをまかなうことができました。 ボランティア日本語教室 日本語教室の廊下で生徒仲間の外国人たちと 私は日本で約2年半、「ボランティア日本語教室」に通いました。私が勤務していたのは大阪府茨木市で、教室は隣の吹田市にありました。吹田市国際交流協会が主催する教室で、授業は週に2回、毎月の月謝は約500円でした。授業内容は、水曜が年配の男性とマンツーマンで会話、土曜はその先生の奥さんやほかの先生と4、5人の生徒で会話をしました。 来日前に送出機関の先輩から「ボランティア日本語教室」を勧められていましたが、探し方がわからないので、職場で仲良くなった同じ年齢の日本人女性に探してもらいました。17時に仕事が終わり、自転車で駅まで行って約30分間電車に乗って教室に行き、18時から授業を受けました。仕事で疲れているので、眠り込んで電車を乗り過ごしてしまうこともときどきありました。 external link KOKORO:ボランティア日本語教室の探し方 日本人との交流 日本語教室の先生から頂いた本 ボランティア日本語教室の良さは日本語を勉強できることだけではありません。一生懸命に勉強を続けていると、先生方と仲良くなり、個人的な交流も生まれます。 先生方は私のことを親しみを込めて「ヴァンちゃん」と呼んでくれるようになり、私も先生方を「お父さん」「お母さん」と呼ぶようになりました。 「お父さん」「お母さん」は日本での生活に関するさまざまなことを教えてくださいました。また、自分で栽培したトマトやキュウリを私に持ち帰らせてくれることもありました。お正月には2人の自宅にも招いていただきました。私は帰国してからもときどき、2人にLINEで近況報告をしています。 また、職場でも、私と同じ年齢の日本人女性と友だちになれました。 別の部署の女性でしたが、会社で会うといつも笑いかけてくれるので、私から話しかけて仲良くなりました。彼女とは、仕事後に一緒に外食をしたり、彼女の家で一緒にご飯を作って食べたりしました。最後の1年は同じ部署になり、一緒に働くことができて、とても楽しかったです。 また、数年年上の女性も、私が休憩時間に自動販売機の前でドリンクを飲んでいると、話しかけてくれました。私は「話す機会を増やすことが外国語の上達に必要」と考えていたので、まだ日本語がつたなかったときからその人にも積極的に話しかけ、たまに一緒に外食するようになりました。 大学の食堂で勉強 私が夕食と勉強に使った大学の食堂 日本語教室や職場で日本人と会話をする機会を得ましたが、ボキャブラリーを増やすには通常の勉強も欠かせません。私は毎晩、平日の仕事後に日本語を勉強しました。勉強の場所は寮から自転車で約30分のところにある大学の食堂でした。日本では、小さな大学の場合は、部外者が敷地に入れない場合も多いですが、伝統的な大学や大きな大学なら、多くの場合、キャンパスや施設の一部(食堂など)を一般の人にも開放しています。 私が通ったのは有名私立大学の食堂で、日本語教室の「お父さん」がこの食堂のことを教えてくれました。私は仕事後、自転車で食堂に通い、ご飯を注文するほか、自分で日本語の問題集を解いたり、学生同士が話しているのを近くで聞いたりして日本語を勉強しました。こうして、私は訪日した翌年に日本語能力試験(JLPT)N3に合格し、3年目にN2に合格しました。ベトナムに帰国後はN1に合格するための勉強を続けています。 私の家計簿(1カ月の平均) ※技能実習生時代の家計簿 ※100円=約17,328 VND(2023年1月14日現在) 収入:108,000円 給料 ¥108,000 *税金や社会保険、寮費などを引いた手取り給料 支出: 58,000円 外食(大学の食堂) ¥10,000 外食(職場の日本人やほかの友人) ¥10,000 食材・生活雑貨 ¥20,000 その他(服、化粧品、旅行など) ¥18,000 毎月の差額:50,000円 親切な監理団体(組合) 組合の人たちや他社の技能実習生と交流会 私の技能実習の監理団体(組合)は大阪市にある西日本技能センターでした。この組合は私たちの日本語学習をサポートしてくれたほか、他社の技能実習生と交流できるイベントを開いてくれたり、困ったときに親身に相談に乗ってくれたりしました。 日本語学習については、組合は私たちのレベルに応じて教材を選び、提供してくれました。そして、クリスマスやお正月などにいくつかの会社の実習生を集めてパーティーを開き、夏には海水浴場に連れて行きバーベキューを食べさせてくれました(ここ数年は新型コロナで休会中のようです)。 【編集部からのアドバイス】 技能実習では、送出機関、監理団体(組合)、受入会社のすべてが適切な対応をすることが大切ですが、そのような組み合わせは決して多くはありません。 そこで、最初に送出機関にアプローチするのではなく、まず評判の良い組合に連絡して良い送出機関を紹介してもらうという方法もあります。その場合、良い送出機関と良い組合に面倒をみてもらえる可能性が高くなります。 この体験談の筆者が使った監理団体は 「協同組合 西日本技能センター」です。 https://www.facebook.com/japanskill/ ※ベトナム語で問い合わせができます。 日本人の親切さ 電車を間違って降りた駅の周辺 ところで、私は日本で3年間暮らし、日本文化が大好きになりました。特に心ひかれたのは日本人の親切心です。例えば、私が訪日してまだ1カ月ぐらいのころ、電車を間違った駅で降り、携帯電話も持っていないので地図アプリも使えず、道に迷ってしまいました。そこで、たまたま見つけた交番に入って片言の日本語で警察官に相談すると、間違った駅で降りたことを教えてくれ、その駅まで連れて行ってくれました。その後、電車に乗り直して正しい駅で降り、無事に目的地にたどり着くことができました。 また、日本の電車の駅の周辺では、許可された場所以外に自転車を置くと、行政が自転車をトラックで運び去り、保管場に保管します。そこに自転車を取りに行って有料で返してもらうシステムです。私は訪日して間もないころ、それを知らず、駅前に自転車を置いて撤去されました。盗まれたと思って交番に行き、相談すると、撤去のシステムや保管場への行き方などについて親切に教えてくれました。 帰国後は日系企業に勤務 私の技能実習先はゴム製品を作る工場で、私は製品検査や材料の裁断、社内文書の管理などを担当しました。3年間の技能実習を終えて帰国後、5カ月間は同社の系列会社で働きましたが、日本語を使って営業やマーケティングを担当してみたいと思い、求人サイトで今の職場を探しました。 今の勤務先は日系の部品製造会社で、私は営業担当としてお客様の会社を訪問したり、見積もりを作成したりしています。やりがいのある仕事で、技能実習で身につけた日本語力や仕事に関する考え方が今の仕事に役立っています。

    2023年02月02日

  • VOL. 81 大学中退→留学→デジタルデザイナー

    ハノイ工科大学を中退してFPT短大と日本の専門学校でデザインやアニメーションについて勉強したベトさん。留学後にデジタルデザイナーとして独立し、アイコンのデザインや日本アニメの字幕制作などを受注し、生き生きと働いています。

    2023年01月18日

  • Vol. 80 故郷で農園を開業したい

    ロイさんは高校を卒業後、姉に勧められてナムディンの日本語学校で1年半、日本語をとことん学びました。その結果、最初から大学で留学を始めることができ、卒業後は正社員として日本の果樹園で働いています。お金を貯めながら農業技術をたくさん覚え、数年後に故郷で農園を開業するのが夢です。 今回の先輩 ズオン・ティ・ロイさん 2016年 高校卒業 2016年 ナムディン日本語日本文化学院入学(1年半) 2018年 南九州大学入学〈宮崎県〉 2022年 さくら農園就職〈鹿児島県〉 〈1998年生まれ、バクニン省出身〉 ◆このページの内容 • ナムディン学院で日本語漬けの日々 • 校長のすすめで大学に留学 • アルバイト先で日本語上達 • 留学中の節約生活 • 私の家計簿(1カ月の平均) • 日本の果樹園に就職 • 果樹園での仕事 • ベトナムで農園を開くのが夢 ナムディン学院で日本語漬けの日々 高校卒業(右はしが私) 私の姉2人はベトナムの日系企業で働いており、2人とも日本語を話せるので、平均より高い給料をもらっています。上の姉は短大や日本での技能実習(3年間)で日本語を学んだほか、帰国後にナムディン日本語日本文化学院に通って日本語をマスターしました。下の姉は大学を出て就職しましたが、外国語ができる社員の給料が高いのを見て、上の姉と同じように技能実習生として日本で3年間働き、その間に日本語能力試験(JLPT)N3に合格しました。 私はハノイ大学で外国語を勉強したかったのですが、入試の点数が少し足りなかったので、姉が通ったナムディン学院で日本語を学ぶことにしました。 ナムディン学院で過ごした日々(左上が自習の様子) 私は高校卒業直後の2016年10月にナムディン学院に入り、2017年12月にN3に合格しました。ナムディン学院では、午前中は授業(約4時間)、午後は自習(約4時間)、夕食後にまた自習(約3時間)という日課でした。土日も仲間と一緒に約10時間自習しました。しかし、たまに気晴らしのために学校の仲間たちとダラットやフートー省などに旅行に行き、楽しい思い出もたくさんできました。 ナムディンでは安いアパートに住み、月に1度だけバスで4時間かけてバクニン省の実家に帰りました。毎月の授業料は2,000,000 VNDで、大半は上の姉が払ってくれました。 校長のすすめで大学に留学 仲間たちに見送られてハノイから日本へ出発 私の実家は裕福ではないので、留学はできないと思っていました。しかし、進路相談で「卒業後は日系企業で働きたい」と校長先生に相談すると、先生は宮崎県の南九州大学を勧めてくれました。南九州大学では外国人留学生の学費が半額なので、ナムディン学院の先輩たちが技能実習でためたお金や現地でのアルバイトで稼いだお金で通学しているという説明でした。 私は家族と相談し、この大学に行くことにしました。ここでは食品開発や農業などを学べますが、私は花や自然が好きなので農業を学ぶことにしました。そして、ハノイで南九州大学の試験(日本語、面接)を受けて合格し、2018年4月に留学を始めました。 アルバイト先で日本語上達 コミュニケーションが多かった寿司店でのアルバイト 大学での授業料は半額で年58万円でした。私は1年目だけ両親に学費を支援してもらいましたが、2年目からはアルバイトでほとんどまかなえました。アルバイト時間は法律で決められた週28時間以内に収めましたが、宮崎県は住宅費が安いので、節約すれば十分に生活できました。 主なアルバイトは寿司店とコンビニでした。寿司店はスマホのアプリ(日本語)で探し、コンビニは店に「アルバイト募集」という掲示がありました。寿司店では、私の名札を見て「どこの国から来たの?」とか「日本に何年住んでいますか?」などと話しかけてくれるお客さんがたくさんいて、日本語の練習に役立ちました。また、店のアンケートに「外国人の方と話ができてよかった」「これからもがんばってください」などと書いてくれるお客さんもいました。 社長から誕生日にいただいた手紙 社長や店長、従業員がみな仲の良い職場で、仕事が終わってから10人ぐらいで一緒に飲みに行ったり、週末勤務の休憩時間にみんなでランチを食べながらおしゃべりを楽しんだりしました。また、社長は毎年、お祝いと励ましの言葉を書いた手紙をくれました。 雰囲気の良い職場で親切な人たちに囲まれて日本語でたくさんコミュニケーションを重ねたので、寿司店で働くことで日本語がどんどん上達していきました。 留学中の節約生活 左上は留学生交流室。他の2枚は企業の農園。 2年目以降の留学費用をアルバイトだけでほぼまかなえたのは、授業料が半額だったのと、私が次のような工夫をしたからです。 アルバイトがない日は、授業後、大学の留学生交流室(机あり、Wi-Fiあり)で夜10時まで勉強しました。朝もコンビニで働いたので、アパート滞在時間が短く、光熱費が安くすみました。 アルバイト先で年上の同僚女性から古着をよくもらい、自分では服をあまり買いませんでした。 アパートのベランダや大学の実習で作った野菜を自分で食べました。3、4年生のときは、大学が提携している企業の農園(約700㎡)でも留学仲間と一緒に野菜を栽培し、自分たちで食べるほか、一部はFacebookを使って販売しました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学留学時代の家計簿 ※100円=約17,920 VND(2022年12月22日現在) 収入:100,000円 給料 ¥100,000 ※月によって¥80,000~¥110,000 支出:107,000円 学費 ¥48,000 家賃 ¥33,000 ※水道代とWi-Fi代を含む ※部屋は28㎡ 電気代・ガス代 ¥3,500 食費(主に自炊) ¥15,000 ※アルバイト先のコンビニで、売れ残りの弁当を安く買えることもあった。 携帯電話 ¥2,000 ※就活のため3年生後半から  ※UQモバイル 雑費 ¥5,500 毎月の差額:▲7,000円 ※夏休みなどの長期休暇時に長く働いてお金を貯め、毎月の不足を補いました。 日本の果樹園に就職 果樹園でのバーベキュー 鹿児島県にはナムディン学園理事長で元大学教授の神田嘉延(かんだ・よしのぶ)先生がいます。大学2年生(2019年)の秋、先生がナムディン学院の卒業生約10人を鹿児島県霧島市の「霧島さくらフルーツランド」に連れて行ってくれました。ここには44 haの敷地にたくさんの畑(ブドウ、なし、キーウィ、桃、リンゴなど)や約100棟のビニルハウスがあります。取れたての果物や加工食品などを販売棟で売っており、年間7、8万人が訪れます。 私たちはこの果樹園でバーベキュー料理を楽しみ、園内を見学しました。その後、大学4年の就職活動中に神田先生からこの果樹園で働くことを勧められ、先生の紹介もあって、果樹園の運営会社「さくら農園」で働くことになりました。 果樹園での仕事 「霧島さくらフルーツランド」では約50人が働いており、そのうちベトナム人が13人です。内訳は、技能実習生3人、特定技能外国人6人(ここの技能実習生から昇格)、日本人と結婚した元技能実習生1人(女性)、私を含む就労ビザ3人です。2カ月後に新たに4人の実習生も加わります。 職場では私が通訳をしていますが、実習生たちも日本語を勉強しています。毎週1回、会社の費用負担で日本人講師数人を招き、実習生に日本語を教えてもらっています。そのときに私も一緒に教えますし、ほかの日でも、実習生から質問されたら教えています。 <!-- チャンさん(左はし)と一緒に夫婦で茶道の先生のお宅を訪問 --> 職場では、私が日本人の指導者と技能実習生たちの間に入って農作業のこまかい指示を通訳し、自分もその作業を学んでいます。作業の一例を紹介します。 ブドウの新芽の中で不要な芽(生育の悪い芽など)を取り除く。これによって、残った芽に養分が集中しますし、芽が均等に育ちます。 ブドウのツルを支柱にからみつける。 粒の小さいブドウの房を切り落とす。これによって、残った房に養分が集中し、ブドウの甘みが増します。 瀬戸口さんの農業指導 農園の責任者・瀬戸口光広さんの話 どこの農園も人手不足に悩む中、うちはベトナム人スタッフたちのおかげで必要な作業を十分に行えるので、果物の品質が上がり、観光客からの人気も高まりました。 技能実習生は作業の意味を理解せずにやる傾向がありますが、ロイさんは作業の目的や手順をよく理解し覚えてくれるので、私たちも教えがいがあります。 ロイさんのお陰でベトナム人スタッフに作業の仕方を正確に伝えることができ、作業の間違いが減りました。また、彼らと日本人とのコミュニケーションが深まり、ベトナム人の定着に役立っています。 当園は海外に提携農園を持ち、マンゴーなどを輸入することを検討しています。ロイさんがベトナムに帰国したら、そのお手伝いをして頂ければと期待しています。 ベトナムで農園を開くのが夢 技能実習生たちの寮でパーティー 私は現在、さくら農園の中にある会社の寮に住んでいます。家賃(会社が半額補助)や水道・光熱費、Wi-Fi代を含めて月27,000円で済みます。このため、食費や交通費を引いても毎月10万円以上貯金できます。これ以外に技能実習生と違って年2回のボーナスもあります。日本で数年間働いたら、帰国してベトナムで自分の農園を開くのが夢なので、こうして貯めたお金をその資金にしたいと思います。環境にやさしいオーガニック栽培で果樹や野菜を育てるのが私の目標です。 果樹園の技能実習生と一緒に登山 私はさくら農園の就職面接で「日本で約5年働いたら、ベトナムに帰って自分の農園を開きたい」と打ち明け、さくら農園はそれを認めてくれました。無事に独立してベトナムで開業できた場合、さくら農園 の海外展開のお手伝いもできれば、とてもうれしいです。

    2022年12月29日

  • Vol. 79 JLPTの会場で出会って結婚

    帰国後に日系企業で良いポジションで働きたいと思い、技能実習中に日本語学習をがんばったオアインさん。3年間で日常会話ができるようになり、技能実習を2年間延長してもらえることに。さらにN1を目指して努力していると、JLPTの会場で運命の相手と出会いました。 今回の先輩 グエン・テュ・オアイン さん 2008年 衣料技術の専門学校卒業〈ホーチミン〉 2009年 Trường Cao Đẳng Công Thương TP.HCM(短大)入学〈ホーチミン〉 2011年 短大卒業 2012年 日系企業で勤務〈ホーチミン〉 2014年 技能実習〈秋田県〉 2017年 ベトナムに帰国。ホーチミンの会社で翻訳業務 2019年  2度目の技能実習〈秋田県〉 2021年 日本でベトナム人と結婚〈秋田県〉 〈1987年生まれ、ビンフック省出身〉 ◆このページの内容 • お金を稼ぎながら日本語を勉強 • ホーチミンの送出機関 • 3年間の技能実習で300万円送金 • 実習生たちに親切な社長 • 将来のために日本語を勉強 • 新制度で技能実習を再開 • ベトナム人コミュニティ • JLPTの会場で運命の出会い • できるだけ長く日本で お金を稼ぎながら日本語を勉強 ホーチミンの工場の前で同僚たちと(女性の日) 私は短大を卒業後、ホーチミンの日系企業で2年近く働きました。この会社は日本に輸出するためのバーバリーのコートやジャケット、ワンピースなどを製造する会社で、私の仕事は製品を検品し箱詰めすることでした。 私は事務職に移りたかったので、自分で「みんなの日本語」を勉強しましたが、なかなか日本語を話せるようにはなりませんでした。そんな私を見てトナム人の上司が「技能実習という制度で日本に行けば お金を稼げるし日本語も勉強できる」と教えてくれたので 私は日本に行くことにしました。実家が貧しかったので、両親にお金を送ってあげたいという気持ちもありました。 ホーチミンの送出機関 送出機関の教室で 技能実習生になるために入る送出機関は、私の上司の信頼する人が社長を務める会社を紹介してもらいました。ここでの日本語の勉強は毎日の授業が約7時間、夜の自習が3時間でした。送出機関で勉強したのは3カ月間だけで、準備期間としては短かったのですが、それ以前に自分で勉強していたので、少しだけ日本語を話せる状態で来日しました。 私が技能実習をすることになったのは秋田県の縫製会社でした。ベトナムで経験のある縫製の仕事に応募し、10人の受験者の中から3人の合格者の1人に選ばれました。送出機関に支払った費用は全部で4000 USDで、半分は自分の貯金をあて、残りは姉から借りました。 3年間の技能実習で300万円送金 私は2014年から3年間、技能実習生として働きました。技能実習生が約10人、日本人が約20人いる工場で、私たちは作業服をミシンで縫い、残業時間には検品をしました。実習生は、最初は中国人6人と ベトナム人3人でしたが、3年目はベトナム人だけになりました。 この会社でいただいた給料は訪日前に聞いていた内容と同じでした。適度に休日出勤や残業があり、手当はきちんと支払われました。また、秋田県は生活費も安いので、私は3年間で両親に約300万円を送ることができました。また、その後もう一度来日して2年半で約250万円を追加で送ったので、両親はこれらのお金でホーチミン市内に家を買うことができました。 実習生たちに親切な社長 社長が連れて行ってくれたパークゴルフ場にて 私はこの会社で働けて本当によかったです。社員は皆やさしいですし、社長も私たちにとても親切だったからです。例えば、社長は自分で会社のマイクロバスを運転して私たちをよく観光に連れて行ってくれました。桜の花見やイチゴ狩り、サクランボ狩りに連れて行ってくれたほか、従業員全員で宴会(12月の忘年会など)を開き、私たち実習生も呼んでくれました。 また、私たちの寮の近くに小さなスーパーがあり、普段はそこで食料品を買いますが、毎月1回、社長がマイクロバスで私たちを遠くの大きなスーパーに連れて行ってくれました。そこでは化粧品や服、特価の食品などを買い、みんなでランチを食べました。 <!--

    2022年12月27日

主催者

Nhà tài trợ Bạch Kim

後援

  • 在ベトナム日本国大使館
  • 国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
  • JNTOハノイ事務所
  • 関西経済連合会
  • 一般社団法人 国際人流振興協会
  • 公益社団法人 ベトナム協会
  • NPO法人 日越ともいき支援会

協力

JASSO(日本学生支援機構)

外国人労働者弁護団

WA.SA.Bi.