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VOL. 92 日本の文学小説を多数翻訳・出版

ベトナムから海外留学する人がまだ少なかった1990年代に日本に留学したニエンさん。留学仲間の夫が沖縄で就職したため彼女も沖縄に長く住むことになり、その間に日本の文学小説をたくさん翻訳し、ベトナムで出版。最近は、沖縄に住むベトナム人技能実習生たちのサポートにも力を入れています。 今回の先輩 グエン・ド・アン・二エンさん 1994年ホーチミン国家大学東洋学部入学 1997年名桜大学で交換留学〈沖縄、1年間〉 1999年ホーチミン国家大学卒業 1999年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈2年間〉 2001年名桜大学大学院修士課程入学 2003年修士課程修了 2003年大阪府立国際児童文学館外国人研究員〈6カ月〉 2004年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈4年間〉 2004年TRE出版社で日本語通訳・翻訳〈4年間〉 2011年名桜大学附属図書館でアルバイト〈5年間〉 2011年名桜大学非常勤講師〈現在も〉 2022年沖縄大学非常勤講師〈現在も〉 〈1976年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 •...

2023年06月12日
  • VOL. 91 来日後も勉強を続け職場のリーダーに

    2023年05月29日
    食品工場で技能実習生から特定技能外国人になったトゥエットさん。彼女は、来日直後は日本人の話すことが全然わかりませんでしたが、毎日3時間勉強を続け、数カ月で少し会話ができるようになり、2年でJLPT・N3に合格しました。今は、職場のベトナム人のリーダーとして活躍しています。 今回の先輩 グエン・ティ・トゥエットさん 2017年高校卒業〈ハイズオン省〉 2018年送出機関で約半年間勉強〈ハノイ〉 2018年来日→講習→技能実習〈福岡県〉 2021年特定技能外国人〈同じ会社〉 〈1999年生まれ、ハイズオン省出身〉 ◆このページの内容 • 幼いころから母をサポート • 技能実習の送出機関 • 日本での仕事の内容 • ベトナムに送ったお金 • 私の家計簿 • 休日の過ごし方 • ミスコンテストで入賞 • 日本語の勉強 • 将来の夢 幼いころから母をサポート 家族と親せき(右端が母) 私が2歳のとき、父が交通事故で亡くなりました。母はその後、1人で田畑を耕(たがや)して、私と弟を育ててくれました。母は米や野菜、果物を栽培し、私もときどき朝早く起きて、水路からおけで水をくみ、畑にまきました。私はこのように畑仕事を1時間ぐらい手伝ってから学校に行きました。また、6歳のときから母の料理を手伝い、12歳からは料理も掃除も私が1人で担当しました。 私の故郷では、日本に出稼ぎに行く人も多かったので、私も高校生のころから「将来は日本に行きたい」と思っていました。 お金を稼いで母を楽にしてあげられますし、自分のお金も貯めて、将来は故郷でブティックを開業したいという夢があったからです。そして、高校を卒業すると、親せきがハノイの送出機関を紹介してくれました。 技能実習の送出機関 私は高校を卒業してから約半年間、母の仕事を手伝い、技能実習の採用面接(今の会社の面接)に合格すると、ハノイの送出機関に入って日本語を勉強しました。面接には約150人が参加し、40人が選ばれました。 私は送出機関に7200 USDを米ドルで支払いましたが、契約書や領収証に書かれた費用は3500 USDでした。また、これ以外に寮費や食事代、日本に持って行く服など、約25万円(約45,000,000 VND)を使いました。 【編集部からのアドバイス】 送出機関の費用7,200 USDはベトナム政府の規定を大きく超えています。 高い費用を払っても、よい会社を紹介してもらえるとは限りません。 送出機関を選ぶときは、親せきや知人の紹介だけに頼らず、インターネットの口コミなども調べましょう。送出機関に無駄なお金を払わないために、KOKOROの記事もよく読んでください。 external link KOKORO|送出機関を決める前にこれだけは知っておこう! external link KOKORO|技能実習の費用と注意点 日本での仕事の内容 私は技能実習生として2018年8月に来日しました。私の職場は大きな弁当工場です。コンビニで販売する弁当やおにぎり、チルド食品(親子丼、オムライス)などを作っています。私の最初の仕事は、できあがった弁当を箱に詰め、台車に乗せてトラックの近くに運ぶことでした。ご飯やおかずを弁当箱に詰める仕事もときどきやりました。そして、3年間の技能実習が終わり、特定技能に移ってからは、厨房(ちゅうぼう)で各レーンに食材や調味料を配る担当になりました。 ところで、私の勤務は夜勤だけで、勤務時間は19時から翌朝6時まで(途中で休憩1時間)です。日勤のベトナム人は約50人、夜勤のベトナム人も約50人で、私は来日して2年目から夜勤のベトナム人のリーダーをしています。これは、私の日本語力や勤務態度が評価されたからで、リーダーとしての手当も付いています。 ベトナムに送ったお金 改修した実家の前で母と私 技能実習生のときの私の手取り給料は毎月15万円~17万円でした。毎月35~40時間の残業があり、深夜勤務手当てもあり、リーダー手当もあったので、かなり高い給料です。そして、特定技能外国人になってから手取り給料は毎月18万円~20万円に上がりました。私は来日して最初の1年間で約125万円をベトナムに送って来日前の借金を完済し、その後3年間でさらに約360万円を送り、一部は実家の改修に使ってもらいました。 ただ、日本に来てからずっと夜勤なので、体調が悪くなってきました。4年目から昼間の勤務に変更してもらった同期生もたくさんいますが、夜勤の方が日勤より毎月約3万円多くもらえるので、私は夜勤を続けてきました。しかし、疲れがたまってきたので、近いうちに会社に相談して日勤に変えてもらうつもりです。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:180,000円 給料 ¥180,000 *税金や社会保険、寮費、水道・光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(14,000円)、電気・ガス・水道(10,000円) 支出:80,000円 食費(主に自炊) ¥40,000 生活雑貨、衣類、化粧品など ¥15,000 交際費、外食費など ¥35,000 毎月の差額:100,000円 休日の過ごし方 在日ベトナム人の間ではサッカーが盛んで、福岡でもベトナム人チームの試合や大会がよくあります。私は日曜によくサッカーの試合を見に行きます。試合会場に行くと、同じように応援に来ている人たちと友だちになれるので、一緒にお弁当を食べたり遊びに行ったりしています。 また、休日にベトナムの伝統的舞踊であるmúa(ムア)の練習をすることもあります。私の住む博多市内で地元の著名ベトナム人が自分の借りている部屋を開放し、ムアのダンスクラブ(参加費無料)を開催しています。そこに技能実習生や特定技能外国人が5、6人集まって練習をしています。ベトナムの幼稚園や小学校でムアを習いますが、私は高校生のときもYouTubeでムアの踊り方を研究して練習していました。大好きなムアを踊ると、ストレスが解消されます。 ミスコンテストで入賞 大きなミスコンで入賞〈福岡県で2022年1月〉 福岡では「在福岡ベトナム人協会」などベトナム人団体の活動が盛んで、毎年テト(旧正月)の時期に大きなお祭りがあります。そのときにミスコンテストも行われますが、私もインターネットでミスコンのことを知って参加したところ、入賞しました。 賞金をもらったほか、ミスコンの様子を公式動画に収録してもらいました。それ以外に、地元のアオザイ大会でも優勝しました。 日本語の勉強 私は来日前に約半年間、送出機関で朝から夕方まで日本語の授業を受け、夜も3、4時間自習しました。それでも、日本に来たばかりのときは、日本人の話す言葉が全然わかりませんでした。 しかし、来日後も毎日3、4時間勉強を続けたところ、3、4カ月で少し話せるようになり、今では毎日、職場の日本人と話をしています。このため、2年目からは職場のベトナム人のリーダーに選ばれ、日本人がベトナム人に仕事を指示する際に通訳をすることもあります。また、日本に来たばかりの実習生は日本語がまったく分からないので、約2カ月間、日本人と私が一緒に仕事を教えます。 こうして日本語を話せるようになったので、職場の日本人やネパール人留学たちと仲良くなり、仕事が終わってから日本語で少し話をしています。日本人の先輩と一緒に寺や公園に観光に行ったこともあります。 帰国後に日本語力を生かして送出機関の日本語の先生になろうと思っていた時期もありました。そのため、毎日3時間、眠いのをがまんして日本語の勉強をしていました。そして、来日して2年で日本語能力試験(JLPT)のN3に合格しましたが、その後、日本語教師の給料があまり高くないことがわかり、最近は以前ほど勉強しなくなりました。 将来の夢 ハイズオン出身の福岡の友だち 私は技能実習を3年やり、もうすぐ特定技能も2年になります。日本で覚えた技術を母国に持ち帰って経済発展に生かすのが技能実習の建て前ですが、私も仲間も日本で働いて覚えたことを帰国後の仕事に生かすことは考えていません。そもそも、ベトナムでは日本ほど弁当が売れていないので、弁当工場もありません。 今後のことはまだ確定していませんが、多分、あと2、3年働いてベトナムに帰国し、故郷のハイズオンで結婚相手を探すと思います。日本の生活も楽しいですが、母や昔からの友だちに会えないのは寂しいので、やはり故郷で暮らす方が私には向いています。そして、日本で働いたお金の一部は母にあげ、残りのお金で婦人服を売るブティックを開業するのが私の夢です。
  • VOL. 90 寝ても覚めても勉強し3年でN1合格

    2023年03月31日
    日本に留学してまもなく「自分で努力しなければ、いつまでたっても日本語で会話できるようにならない」と気づいたウットさん。空いている時間はいつも日本語を勉強し、3年でN1に合格。日本での就職や帰国後の日系企業への就職でも大いに役立ちました。 今回の先輩 タ・ティ・ウットさん 2011年高校卒業 2012年日本語学校入学〈福岡県〉 2014年専門学校入学〈福岡県〉 2015年結婚、JLPT・N1合格 2016年専門学校卒業 2016年日本で就職〈愛知県〉 2017年夫の転勤に伴い帰国 2017年HISハノイ支店入社(正社員) 2019年出産 2020年日系の会計事務所入社〈ハノイ〉 〈1993年生まれ、ハノイ出身〉 ◆このページの内容 • 準備不足で訪日 • 日本語学校と専門学校に留学 • 学校選びに失敗 • 寝ても覚めても日本語を勉強 • アルバイトでたくさん日本語会話 • 私の家計簿 • 日本で留学生と結婚 • 夫の転勤で帰国 • ハノイで日系企業の正社員に • 別の日系企業に転職 • 日本留学で得たもの 準備不足で訪日 私の姉は2010年から日本に留学し、その後、日本人と結婚して今も日本に住んでいます。私は高校卒業後、姉に習って日本に留学することにしました。その準備として、ハノイの日本語センターの寮に住んで3カ月間勉強しました。その間は授業を含めて毎日6時間勉強しましたが、日本で暮らすために日本語がどれぐらい必要かわかっていなかったので、今から思うととても不十分な勉強でした。 ひらがな、カタカナと簡単な会話しか覚えずに日本に行った私は、当初、言葉のことでとても苦労することになります。 日本語学校と専門学校に留学 日本で一緒に暮らした姉(右) 私は2012年10月、姉が通っていた福岡市の「西日本国際教育学院」という日本語学校で留学を始めました。最初の3カ月間は学校の寮に住み、4カ月目からは姉と一緒に暮らしました。 日本語学校で1年半学んだ後、私は「国際貢献専門大学校」という専門学校に進みました。この学校は、私が通った日本語学校の系列校です。本当は他の大学か専門学校に行きたかったのですが、系列校に進学すれば学費が割り引かれるという特典にひかれてその専門学校を選びました。しかし、この学校を選んだことを後で大きく後悔することになりました。 学校選びに失敗 私はこの専門学校でITを学ぼうと思い、「情報ビジネス」を専攻したのですが、専門分野の授業はほとんど受けられませんでした。当時、この学校はできたばかりで、学校の準備不足によってITの教師が不足していたのです。 IT関係の授業は休講続きで、代わりにいつも日本語の授業を受けされられました。しかも、私は専門学校に入る前に日本語能力試験(JLPT)N3に合格し、当時はN2・N1を目指していたにもかかわらず、専門学校の日本語授業はN3・N4レベルでした。私は担任の先生に「もっとITの勉強をしたい」と何度も訴えましたが、何も改善されませんでした。後輩の皆さんは学校の評判をよく調べてから進学先を選んでください。 寝ても覚めても日本語を勉強 留学を始めて最初の数カ月間、私は日本語力不足でアルバイトが見つかりませんでした。友人からアルバイトを紹介してもらっても、工場など日本語を話さなくてもよい職場ばかりでした。私はまわりの日本人が話す日本語がほとんどわからず、自分の言いたいことも伝えられず、ストレスがたまっていつも家で泣いていました。 そして、「日本語がわからないと何もできない」「自分で勉強しないと、どれだけ日本人と交流しても話せるようにならない」と気づき、猛勉強を始めました。学校の授業以外に、昼でも夜でも休日でも空いた時間はできるだけ日本語を勉強し、アルバイト先でも上司や先輩とできるだけ会話するようにしました。 その結果、私は留学を始めて9カ月後にJLPT・N3に合格し、その2年後にN1に合格しました。最初は「みんなの日本語」を使い、N2・N1対策には市販の問題集を使いました。また、自分の好きなYouTubeチャンネル(日本語)を聴いてリスニングの練習をしました。 アルバイトでたくさん日本語会話 アルバイト仲間の日本人たちと焼肉会 日本語が話せるようになるにつれ、日本語を使うアルバイトに採用されるようになりました。そうなると、仕事をしながら日本語の練習ができ、わからない言葉や言い方は日本人の先輩や同僚に教えてもらえるので、日本語の会話力が急速に伸びていきました。 アルバイト探しについては、友人に紹介してもらうか、無料の求人情報誌を見て店に電話をかけ、面接を申し込みました。そして、アルバイト先の先輩や仲間と仲良くなり、一緒にご飯を食べに行くこともよくありました。また、クリーニング工場のおばさんは自宅に私と友人を招いてくれました。これらの人たちの中には、今もFacebookなどで連絡を取り合っている人もいます。 ◎私が日本で経験した主なアルバイト クリーニング 工場でクリーニングした大きなカーテンを2、3人でたたむ仕事。ホテルで使うカーテンでした。 ビジネスホテル ベッドメイキング、清掃 居酒屋 ホール(接客)、片付け、開店準備 レストラン キッチン、早朝の仕込み(料理の準備) 弁当店 キッチン、レジ 技能実習生の監理団体(組合) 通訳、技能実習生の生活サポート) 私の家計簿(1カ月の平均) ※専門学校時代の家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:120,000円~150,000円 給料 ¥120,000~¥150,000 ※アルバイト2、3件 支出:158,000円~160,000円 学校の授業料 ¥55,000 家賃(ワンルーム) ¥50,000 ※1に暮らし、Wi-Fi・水道代込み 電気・ガス ¥8,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 食費 ¥25,000 ※バイト先で無料のまかないを食べることも多かった。 雑費 ¥10,000 ※交通費、学習教材、衣類 毎月の差額:▲10,000円~38,000円 ※夏休みなどの長期休みに多く働いて不足を補いました。 日本で留学生と結婚 新婚時代の夫と私 私の姉は福岡で日本語学校から大学に進学しましたが、ある日、姉の大学の同級生のベトナム人男性が姉と私の家に遊びに来ました。ほどなくして私は彼と付き合うようになり、約2年半後、彼は大学を卒業して日本で就職することになりました。その少し前に私たちは結婚し、福岡のベトナム総領事館に婚姻届けを出しました。その後、私も就職が決まり、名古屋に引っ越して一緒に住みました。 私は就職するまで3年半留学しましたが、生活費や学費を稼ぐために早朝や夜にアルバイトをし、それ以外は勉強に打ち込んでいたので、休日は疲れて横になっていることも多く、旅行にはあまり行きませんでした。夫と知り合ってからも一緒に公園やゲームセンターなどでデートするぐらいで、観光はあまりしませんでした。今にして思えば、日本にいる間にもっとあちこちに旅行しておけばよかったと思います。 夫の転勤で帰国 帰国直前にベトナムの家族を名古屋に招待 私たちは2015年に結婚し、私は正社員の夫の妻として日本に在留する予定だったので、本格的な就職活動はしていませんでした。しかし、夫の勤務地が名古屋に決まると、私は家の近くでできる仕事を探し、この会社に履歴書を送って面接を受けたところ、携帯電話ショップを運営する会社の正社員に採用されました。 日本の携帯電話ショップの店員は携帯電話の端末を売る仕事よりも通信契約に関する対応が多いので、さまざまなことを覚えなければなりません。そのため、通常は入社後6カ月間の新人研修を経てやっと店に出ることができます。研修では、接客マナーやパソコン操作、さまざまなサービス内容を学びますが、私は3カ月で覚えることができ、通常より早く店に出ることができました。しかし、就職して1年半後に夫がハノイに転勤になり、私も退職して帰国することになりました。 ハノイで日系企業の正社員に HISハノイ支店の入っているビル〈2018年〉 2017年7月に帰国してまもなく、私は日本の大手旅行会社HISのハノイ支店で正社員として働き始めました。店のカウンターで日本人客(主に駐在員)に航空券やホテル、ツアーを手配する担当でした。個人がインターネットで航空券やホテルを手配することもできますが、会社の業務で出張する場合に旅行会社を使うと、経理処理に必要なインボイスが発行されますし、顧客サービスも良いので、HISを使う日本人はとてもたくさんいました。 ところで、私は帰国が決まってすぐにハノイでの仕事を探し始めました。しかし、日本と違ってベトナムでは面接に合格したらすぐに働き始めてほしいという会社がほとんどだったので、結局、帰国後にFacebookで仕事を探し直し、HISに入りました。 別の日系企業に転職 HSKVのパーティー 私はHISで約2年半働き、出産を機に退職しました。そして、2020年からはHSKV(HSK Vietnam Audit Company)という日系の会計事務所で働いています。私の仕事は会長(日本人)の秘書で、秘書業務以外に下記のような仕事も担当しています。 監査報告書や移転価格報告書、事業概況報告書などの翻訳 顧客企業の帳簿の入力 顧客企業の給与計算表のチェック 個人所得税の計算と申告 顧客企業の日本人駐在員の労働許可証・ビザ・レジデンスカードの申請 HSKVの仕事もFacebookで探し、給料はHISのときより約30%上がりました。転職したのは、HISでは土日の出勤もあったため、出産後の生活に合わなくなったためです。今の会社を選んだのは、朝8時~9時の間に出勤し8時間勤務すればよいというフレキシブルな勤務時間と自宅から近いことが決め手でした。 ハノイに戻って2つの日系企業に就職して思うのは、日系企業への就職には、履歴書の内容よりも面接での評価(日本語会話力や対人能力など)の方が重視されるような気がします。 日本留学で得たもの 私は留学中、学校選びに失敗したことをとても後悔しました。しかし、学校で専門知識は得られなかったものの、自分で日本語の勉強やアルバイトに一生懸命に取り組み、3年でJLPT・N1に合格できました。また、アルバイト仲間に日本語で積極的に話しかけ、会話も十分にできるようになったので、ベトナムに帰国して日系企業に就職する際にとても役立ちました。 留学せずベトナムで日本語を勉強する人も素晴らしいですが、留学経験者の方が全体的にリスニング力が高く、日本での生活やアルバイトも経験したということで、日系企業での就職には有利なようです。私は日本で留学できて本当に良かったと思います。
  • VOL. 89 「みんなの日本語」の解説本を翻訳

    2023年03月24日
    日本語を学ぶ外国人の多くが最初に手にする日本語の教科書「みんなの日本語」。その解説本4冊を1人でベトナム語に翻訳したドンア大学副学長のヴィンさん。ヴィンさんの日本留学体験や学生時代の勉強方法などを紹介します。 今回の先輩 ゴ・クアン・ヴィン さん 1998年高校卒業〈クアンチ省〉 1998年ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部入学 2002年ハノイ大学卒業 2002年日本の設計会社で勤務(通訳・翻訳)〈ハノイ〉 2004年国立ダナン大学外国語大学日本語学科で日本語講師 2008年一橋大学で研究生として留学〈東京〉 2010年一橋大学修士課程入学 2012年一橋大学博士課程入学 2015年一橋大学博士課程修了 2015年国立ダナン大学外国語大学日本語・韓国語・タイ語学部長 2020年ドンア大学副学長兼日本言語文化学部長〈ダナン〉 〈1980年生まれ クアン・チ省出身〉 ◆このページの内容 •「みんなの日本語」の解説本を翻訳 • 大学で日本語を学び日系企業へ • 私の日本語学習法 • 6年半の日本留学 • 私の家計簿 • 留学中の交流 • 留学中に困ったこと • ベトナム語の専門書を日本語で出版 • ドンア大学について 「みんなの日本語」の解説本を翻訳 日本語を学ぶ外国人の多くが最初に使う教科書「みんなの日本語」の「翻訳・文法解説」があるのをご存じの方も多いと思います。「みんなの日本語」は日本語だけで書かれているので、十分に理解できないときに「翻訳・文法解説」を読めば、内容が理解しやすくなります。私は2013~16年に「みんなの日本語」初級Ⅰ、初級Ⅱ、中級Ⅰ、中級Ⅱの「翻訳・文法解説」をベトナム語に翻訳しました。 この翻訳を始めたとき、私は一橋大学(東京)で留学していましたが、そのときの指導教官が私のベトナム語力と日本語力を高く評価し、出版社に推薦(すいせん)してくださったことがきっかけでした。翻訳する際には、もとの日本語の意味ができるだけ正しく伝わるベトナム語にしたいと思い、言葉をていねいに選びながら時間をかけて翻訳しました。 大学で日本語を学び日系企業へ 会社の仲間と日本の石炭鉱山の見学 私が高校のとき、有名な日本ドラマ「おしん」がベトナムで放送されていました。わたしは主人公・おしんのけなげな生き方や勤勉さ、ドラマに出ていた昔の日本家屋などがとても気に入って、日本についてもっと知りたくなりました。高校では英語コースでしたが、大学では別の外国語を勉強しようと思っていたこともあり、ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部に入りました。 私は大学で4年間日本語を学んだ後、新聞の広告欄で見つけた日系企業に入りました。これは木造住宅の構造設計をする会社で、私は日本人の社長や技術者たちとベトナム人スタッフとの間の通訳や書類の翻訳をするチームのリーダーとして働きました。その後、大学で日本語を教える仕事に興味を持つようになり、知人の紹介で国立ダナン大学の日本語講師になりました。 私の日本語学習法 ハノイ外国語大学の教室で 私は大学生のとき、大学のゼミや講義以外に毎日6~8時間、自習しました。インターネット上の学習素材も紙の日本語教材も少ない時代だったので、今よりも勉強に工夫が必要でした。そのときに私が行った勉強方法を紹介します。 新聞の1面のコラムを読む:私は日本の新聞の1面のコラムを読み、ほぼ毎日、その内容について大学の先生と日本語でディスカッションしました。 自分で文章を作って読む:参考書に書かれている語彙(ごい)や文型を使って文章を作り、自分で声を出して読みました。 ハノイ大学日本語学部の級友たちとお出かけ これ以外に、古本屋で日本の古新聞を買い、何度も辞書を引きながら読みました。言葉の勉強では、やはり辞書を使い込むことが大事です。それでも理解できない部分がたくさんあったので、私は大学でただ1人の日本人の先生にアポを取り、質問に応じてもらいました。ただ、当時ハノイには日本人がまだ少なく、ネィティブの日本人との会話練習がほとんどできないのは残念でした。 6年半の日本留学 修士課程を修了 ダナン大学で講師をしているとき、日本の文部科学省が提供する留学生向け奨学金に応募しました。そして、在ベトナム日本国大使館で試験を受けて合格し、国費留学生として日本に行くことになりました。留学先には東京外国語大学も検討しましたが、少人数で勉強・研究できる一橋(ひとつばし)大学を選びました。 こうして私は2008年10月に一橋大学の研究生として訪日し、研究生1年半、修士課程2年、博士課程3年の計6年半、文科省の奨学金で留学しました。そのうち約2年間は妻と一緒に暮らしましたが、妻が2011年に東日本大震災による原発事故を契機に帰国してからは妻子と離れて留学しました。 妻と息子 私は留学中はずっと学費無料で奨学金も受給していたので、アルバイトは最小限にしてできるだけ勉強をしました。しかし、毎年、お盆とテト(旧正月)に帰国するための旅費がかかり、普段は節約生活を強いられました。私がよく使った便は成田→香港→ハノイ→ダナンというルートで、乗り継ぎが悪いため安価でした。一番安いときは往復28,000円でしたが、留学中に燃油サーチャージ(12,000円~15,000円)を加算する制度が始まり、大きな痛手でした。また、当時はSNS電話がなかったので、30分3,000円の国際電話(当時としては格安)でたまにだけ妻と話しました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※博士課程のときの家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:200,000円 奨学金 ¥150,000 給料 ¥50,000 ※アルバイト(通訳・翻訳、辞書作りの手伝いなど) 支出:100,000円 授業料 ¥0 家賃 ¥50,000 ※東京都内、ワンルーム 電気・ガス・水道 ¥5,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 ※国際電話代を含む インターネット ¥6,000 食費 ¥35,000 ※昼は大学の食堂、夜は主に自炊。 交際費 ¥15,000 雑費・交通費 ¥20,000~¥25,000 ※衣類、教材、交通費、化粧品など 毎月の差額(貯金):60,000円 ※貯めたお金で帰国の際の航空券などを購入。 留学中の交流 ベトナム人仲間と東京で日本庭園(夜間ライトアップ)を見学 6年半も日本に住んだので、日本人との交流もたくさんありました。指導教官やゼミの仲間と食事に行ったほか、アルバイトを通じて知り合った人たちとも交流しました。 ベトナム人同士の交流もありました。国費留学に合格した同期のメーリングリストがあったので、日本に行ってから留学生同士の交流のきっかけになりました。 また、東京のベトナム大使館が独立記念日やテトの際に行うイベントもあり、そこでもベトナム人同士の交流ができました。 留学中に困ったこと external link KOKORO|花粉症について(※クリック) ところで、留学中に困ったこともたくさんありました。 休日に病気になったとき 休日に医療機関に行っても対応してくれず、困りました。留学3年目に花粉症になり、くしゃみと鼻水がひどく、とても疲れました。そこで、週末に2、3カ所の医療機関に行きましたが、休日なので受け付けてくれず、どうしたらよいかも教えてくれませんでした。その後、平日になんとか時間を作ってクリニックに行き、薬を処方してもらいました。また、ひどい腹痛のときに近くの病院に電話しましたが、「大きな症状やけがなら診(み)るが、今回は無理です」と断られ、がまんするしかありませんでした。いずれも機械的な対応で、「外国人だから対応が悪いのでは」と感じました。日本は外国人向けの公的な救急医療制度をもっと充実させるべきだと思います。 external link KOKORO|日本での住宅の探し方(※クリック) 住宅探し アパートを探すとき、外国人だから借りられない物件がたくさんありました。その後、当時よりはましになったものの、今も外国人お断りの物件が多いと聞きます。 外人扱い 電車内でベトナム人同士で会話していると、そばにいた日本人たちが向こうに行ってしまいました。日本の電車内でのマナーを理解して私たちは小さな声でしゃべっていたのに、そのような行動をされ、残念でした。また、電車内でくしゃみをすると、マスクをしていても周囲から冷たい視線を受け、これも外国人への偏見のように感じました。このため、かぜをひいたときは電車に乗るのがおっくうでした。 日本人はもっと外国に出て国際感覚を高めてほしいですし、日本の行政は外国人が居心地よく暮らせるように、地域の外国人サポート窓口をもっと充実させてほしいと思います。 ベトナム語の専門書を日本語で出版 external link この本のAmazonでの販売ページ(※クリック) 2015年に留学を終えた私はその年から国立ダナン大学 外国語大学の日本語・韓国語・タイ語学部長になりました。そして、2020年にドンア大学の副学長兼日本言語文化学部長になりました。 私は留学中に日本語教育やベトナム語の類別詞について研究しました。類別詞とは名詞の数え方です。例えば日本語で「一つ」「1枚」「1個」などと数えるときの「つ」「枚」「個」などが類別詞で、ベトナム語ではどのような類別詞があるのかを留学中の博士論文にまとめました。この論文を帰国後にさらに精査して書き直し、2023年に「現代ベトナム語の類別詞研究: 類別詞の本質とその意味・用法」という日本語の専門書を出版しました。Amazonでも購入できますので、ベトナム語の研究者や教師・学習者の方々に活用していただければ幸いです。 ドンア大学について 最後に副学長兼学部長としてドンア大学日本言語文化学部について紹介します。当学部では次のような点を重視して日本語教育を行っています。 日本語を「読む・書く・聞く・話す」ために必要な基礎学力と専門知識を養い、日本語で考える力や日本語コミュニケーション力の向上を目指しています。 日本文化を深く多角的に理解する人材を育てるため、インターンシップや文化交流、交換留学などのプログラムを充実させています。 ダナンの日系企業で見学や研修を行い、日本語を活かした仕事への理解や日本語コミュニケーション力の向上に努めています。 こうしたプログラムには、私や教師陣の留学経験も活かされています。

留学生・技能実習生・エンジニアをサポートするサイト

【在ベトナム日本国大使館後援】

  • Vol. 46 イチゴ農園で楽しく技能実習

    今回の先輩 ファム・ラ・チュック・リーさん 2007年高校在学中から靴工場勤務(10年間)〈ホーチミン〉 2008年ジ・アン高校卒業〈ビンズオン県〉 2018年日本語センター入所(4月)〈ホーチミン〉 2018年訪日(12月)→講習→イチゴ農園で技能実習開始〈宮崎県〉 〈1989年生まれ、ビンズオン省出身〉 ベトナムに4歳の一人娘を置いて日本のイチゴ農園で働くリーさん。日本滞在中の3年間に日本語をマスターして帰国後に娘に教えたいと、勉強も毎日欠かさない。もっと給料の多い仕事もあったが、農園の社長も受入組合の支社長も親切で、この農園に入れてよかったと思っている。リーさんの体験談を紹介する。 〈このページの内容〉 • 娘に日本語を教えたい • 送出機関への支払い • イチゴ農園での仕事 • 日本人とのふれ合いが多い職場 • 故郷の娘 • 日本での生活(私の家計簿) • 日本語の勉強 • 受入組合はキーポイント • 経営者から見た技能実習生の働きぶり 娘に日本語を教えたい 私は高校を出て工場で10年間働きました。その間に結婚し、2016年に娘も生まれました。そして、娘のために訪日を決意しました。技能実習の給料が家計の助けになります。さらに、実習中に努力して日本語を身に付ければ、帰国後、私が娘に日本語を教えることができます。娘には将来、日本に留学していい会社に入ってもらいたいのですが、それに備えて家庭で日本語教育ができるのです。そう考えて技能実習に応募しました。 実習先のイチゴ農園 以前から外国で働いてみたいとは思っていました。もともとはロシアに行きたかったのですが、日本で働いて帰国した友人から、▽日本で技能実習をすれば、お金も稼げて日本語も覚えられる▽街がきれい▽泥棒が少ない▽人が親切▽気候が穏やか▽日本人の仕事のやり方が勉強になる――と聞かされ、日本に行きたくなりました。そして、日本に来てみると、実際にその通りでした。 送出機関への支払い 入国後講習で滞在した大阪で観光〈2018年〉 私は近所の実習経験者から紹介された送出機関に登録し、2カ月後に「ひなたいちご園」の面接に合格しました。面接にはイチゴ園の社長が来てくれました。送出機関には、面接合格時に約50,000,000ドン、訪日1カ月前にも約50,000,000ドンを支払いました。そのために銀行から60,000,000ドンを借りましたが、訪日後数カ月ですべて返済しました。 本当は食品加工などもっと給料の高い仕事を希望していたのですが、私は年齢が比較的高いのと既婚なので人気職種では面接に受かりにくいと言われ、イチゴ園に応募しました。イチゴ園には、送出機関での同期のハンさん、フェップさんと一緒に赴任しました。 イチゴ農園での仕事 上空から見たひなたいちご園 ひなたいちご園には計26棟のビニールハウスがあります。ハウス内の面積は合計7,000平方㍍。社長を含めて約10人が働いており、そのうち外国人は私たち3人です。大粒で味のよい高級イチゴを生産する農園で、最高級品は1箱(12個)5,000円(約1,100,000ドン)で販売しています。 ● 収穫シーズンの仕事――イチゴの味見も イチゴの収穫は11月~6月。この間の仕事は収穫・選別・箱詰めなどです。この農園はイチゴジャムも販売しているので、ジャムのびんにラベルをはる仕事もあります。また、変わった仕事としては、イチゴの味見があります。計測器でイチゴの糖度を測り、外観と合わせてランク分けして販売しますが、スタッフも味見をします。女性の方が味の違いに敏感だといい、社長が私たち実習生にイチゴの味見をさせます。毎日のように味見の仕事があり、他職種の友だちからうらやましがられています。 ● オフシーズンの仕事 収穫しないシーズンには、ハウスの外でイチゴの苗を育てます。私たちは苗の水やりや病気チェックをします。また、ハウス内をほうきで掃除したり設備を入れ替えたりもします。苗は9月~10月にハウス内に移し、収穫を待ちます。 ひなたいちご園での収穫 日本人とのふれ合いが多い職場 右から社長、菜々花さん、通訳2人、技能実習生3人〈2019年〉 仕事上の指示や相談で社長や農場長と話をすることも多いですし、休憩時間にパートの方々ともよく話をします。日本人と会話をする機会が多く、日本語習得に適した環境です。 社長のめいの菜々花さんは、休日に私たち実習生を車でスーパーや観光地に連れて行ってくれることもあります。この夏には、社長が海辺のキャンプ場でバーベキューパーティーを開いてくれました。また、私たちは自転車通勤ですが、大雨の日は社長や農場長が車で送迎してくれます。 故郷の娘 4歳の娘は今、夫と一緒に暮らしています。日本に来て娘と離れ、当初は、娘と同じくらいの小さい子を見るたびにつらくて泣いていました。娘とはビデオ電話で毎日話をします。娘に会いたくて、今年5月の連休に一時帰国しようと思っていましたが、新型コロナで帰省できなくなり、とても残念でした。 日本での生活 イチゴ農園から見る夜明け〈2020年3月〉 寮では1人に一つずつ寝室があります。通常、夜11時に寝て朝5時半に起き、7時から夕方4時まで働きます。朝は早いですが、仕事が終わるのも早いので、つらくはありません。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=22,151 VND(2020年10月30日現在) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 95,000円~140,000円 ※税金、社会保険料、寮費、水道・光熱費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は15,000円(Wi-Fi込み)、水道・光熱費は平均8,000円 ※収穫シーズンは残業代が多い 支出(合計平均30,000円) 食費 25,000円 ※主に自炊 雑費・生活用品 5,000円 ※衣類は買わない。外食はめったにしない。 差額・貯金(平均80,000円) 差額 80,000円 ※差額は母に送金(2カ月ごとに100,000~120,000円) 菜々花さんが連れて行ってくれた宮崎県のサンメッセ日南〈2019年〉 送金したお金は、母が生活費や下の妹の学費、娘の幼稚園の費用になどに使っています。もっとお金があれば、娘の背が高くなるようにカルシウムのサプリメントを買いたいです。また、母には血圧の薬や関節の痛みを和らげる薬を買ってあげたいです。 日本では、入国後講習の際に大阪や神戸を見物したほかは、宮崎県外に遊びにいったことがありません。もし、お金に余裕ができたら沖縄に行ってみたいです。 日本語の勉強 毎晩2時間、教材とインターネットで日本語を勉強しています。「新完全マスター」シリーズや「耳から覚える日本語能力試験」シリーズなどを使っています。週2回の休みの日は、朝ゆっくり寝ますが、日本語の勉強も5時間以上します。来日して2年近く経ち、聞き取りはかなり上達しましたが、漢字を覚えるのが難しいですね。 Link:【特集】N1・N2合格者たちの勉強法(ツール編) 受入組合はキーポイント 左の男性が西日本技能センターの代表、右端がイチゴ園の社長 私たちの技能実習の監理団体(受入組合)は「西日本技能センター」で、大阪府に本社、鹿児島県に支社があります。支社長の山﨑良一さん(73)が毎月1、2回、私たちに会いに来て話を聞き、親身になってサポートしてくれます。また、ときどき一緒に来る女性スタッフが古着を持ってきてくれることもあり、私たちは服を買わなくてもすみます。 技能実習生にとって監理団体はとても大切です。もし、同センターが担当する職場で実習したい場合は、送出機関を選ぶ前に同社に問い合わせることもできます。 ・西日本技能センター https://www.facebook.com/japanskill/ ※ベトナム語で問い合わせができます。 私たちに会いに来てくれた「お父さん」〈2020年7月〉 山﨑さんは私たちに日本語を教えたり、食事や観光に連れて行ってくれたりもします。私たちは山﨑さんのことを「お父さん」と呼んでいます。「お父さん」は本当のお父さんのように私たちを気遣い、健康や生活、仕事のことなどいろいろなサポートをしてくれます。私は毎月「お父さん」に会うのがとても楽しみで、「お父さん」のことを実父と同じぐらい尊敬しています。 他の職場で実習をしている送出機関の同期生と連絡を取り合っていますが、受入組合がこれほど親身にサポートしてくれるケースはあまりないようです。また、農園の社長や農場長、菜々花さんにも親切にしてもらっています。もっと給料が高い職場もありますが、お金に代えがたいものもあります。私はここに実習に来られてよかったと思っています。 経営者から見た技能実習生の働きぶり 【インタビュー】ひなたいちご園・長友一平社長(34)の話 春は、ビニールハウス内が高温になりますが、暑くなる前に収穫した方がイチゴの鮮度を保てるので、朝4時ごろに収穫を始める日もあります(そのときは終業も早めます)。このような早朝の仕事は、パートさんでは長く務まりません。私と農場長、実習生の計5人が中心的に働くことで安定的な運営ができます。 リーさんたち3人は仕事を覚えるも日本語の上達も速かったですし、まじめに堅実に働いてくれます。花や枝を摘むといった作業も年配のパートさんたちの2倍近く速くできます。若いからというだけではなく、ベトナム人は手先が器用なのでしょう。また、彼女たちがいると職場も明るくなります。技能実習が終わっても特定技能で残ってほしいぐらいです。 今回の先輩 Phạm La Trúc Ly (ファム・ラ・チュック・リー)さん 2007年高校在学中から靴工場勤務(10年間)〈ホーチミン〉 2008年ジ・アン高校卒業〈ビンズオン〉 2018年日本語センター入所(4月)〈ホーチミン〉 2018年訪日(12月)→講習→イチゴ農園で技能実習開始〈宮崎〉 〈1989年生まれ、ビンズオン省出身〉 ベトナムに4歳の一人娘を置いて日本のイチゴ農園で働くリーさん。日本滞在中の3年間に日本語をマスターして帰国後に娘に教えたいと、勉強も毎日欠かさない。もっと給料の多い仕事もあったが、農園の社長も受入組合の支社長も親切で、この農園に入れてよかったと思っている。リーさんの体験談を紹介する。 〈このページの内容〉 • 娘に日本語を教えたい • 送出機関への支払い • イチゴ農園での仕事 • 日本人とのふれ合いが多い職場 • 故郷の娘 • 日本での生活(私の家計簿) • 日本語の勉強 • 受入組合はキーポイント • 経営者から見た技能実習生の働きぶり 娘に日本語を教えたい 私は高校を出て工場で10年間働きました。その間に結婚し、2016年に娘も生まれました。そして、娘のために訪日を決意しました。技能実習の給料が家計の助けになります。さらに、実習中に努力して日本語を身に付ければ、帰国後、私が娘に日本語を教えることができます。娘には将来、日本に留学していい会社に入ってもらいたいのですが、それに備えて家庭で日本語教育ができるのです。そう考えて技能実習に応募しました。 以前から外国で働いてみたいとは思っていました。もともとはロシアに行きたかったのですが、日本で働いて帰国した友人から、▽日本で技能実習をすれば、お金も稼げて日本語も覚えられる▽街がきれい▽泥棒が少ない▽人が親切▽気候が穏やか▽日本人の仕事のやり方が勉強になる――と聞かされ、日本に行きたくなりました。そして、日本に来てみると、実際にその通りでした。 送出機関への支払い 私は近所の実習経験者から紹介された送出機関に登録し、2カ月後に「ひなたいちご園」の面接に合格しました。面接にはイチゴ園の社長が来てくれました。送出機関には、面接合格時に約50,000,000ドン、訪日1カ月前にも約50,000,000ドンを支払いました。そのために銀行から60,000,000ドンを借りましたが、訪日後数カ月ですべて返済しました。 本当は食品加工などもっと給料の高い仕事を希望していたのですが、私は年齢が比較的高いのと既婚なので人気職種では面接に受かりにくいと言われ、イチゴ園に応募しました。イチゴ園には、送出機関での同期のハンさん、フェップさんと一緒に赴任しました。 入国後講習で滞在した大阪で観光〈2018年〉 イチゴ農園での仕事 ひなたいちご園には計26棟のビニールハウスがあります。ハウス内の面積は合計7,000平方㍍。社長を含めて約10人が働いており、そのうち外国人は私たち3人です。大粒で味のよい高級イチゴを生産する農園で、最高級品は1箱(12個)5,000円(約1,100,000ドン)で販売しています。 上空から見たひなたいちご園 ⚫ 収穫シーズンの仕事――イチゴの味見も イチゴの収穫は11月~6月。この間の仕事は収穫・選別・箱詰めなどです。この農園はイチゴジャムも販売しているので、ジャムのびんにラベルをはる仕事もあります。また、変わった仕事としては、イチゴの味見があります。計測器でイチゴの糖度を測り、外観と合わせてランク分けして販売しますが、スタッフも味見をします。女性の方が味の違いに敏感だといい、社長が私たち実習生にイチゴの味見をさせます。毎日のように味見の仕事があり、他職種の友だちからうらやましがられています。 ひなたいちご園での収穫 ⚫ オフシーズンの仕事 収穫しないシーズンには、ハウスの外でイチゴの苗を育てます。私たちは苗の水やりや病気チェックをします。また、ハウス内をほうきで掃除したり設備を入れ替えたりもします。苗は9月~10月にハウス内に移し、収穫を待ちます。 日本人とのふれ合いが多い職場 仕事上の指示や相談で社長や農場長と話をすることも多いですし、休憩時間にパートの方々ともよく話をします。日本人と会話をする機会が多く、日本語習得に適した環境です。 社長のめいの菜々花さんは、休日に私たち実習生を車でスーパーや観光地に連れて行ってくれることもあります。この夏には、社長が海辺のキャンプ場でバーベキューパーティーを開いてくれました。また、私たちは自転車通勤ですが、大雨の日は社長や農場長が車で送迎してくれます。 右から社長、菜々花さん、通訳2人、技能実習生3人〈2019年〉 故郷の娘 4歳の娘は今、夫と一緒に暮らしています。日本に来て娘と離れ、当初は、娘と同じくらいの小さい子を見るたびにつらくて泣いていました。娘とはビデオ電話で毎日話をします。娘に会いたくて、今年5月の連休に一時帰国しようと思っていましたが、新型コロナで帰省できなくなり、とても残念でした。 日本での生活 寮では1人に一つずつ寝室があります。通常、夜11時に寝て朝5時半に起き、7時から夕方4時まで働きます。朝は早いですが、仕事が終わるのも早いので、つらくはありません。 イチゴ農園から見る夜明け〈2020年3月〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=22,151 VND(2020年10月30日現在) 手取り給料(平均110,000円) 手取り給料 95,000円~140,000円 ※税金、社会保険料、寮費、水道・光熱費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は15,000円(Wi-Fi込み)、水道・光熱費は平均8,000円 ※収穫シーズンは残業代が多い 支出(合計平均30,000円) 食費 25,000円 ※主に自炊 雑費・生活用品 5,000円 ※衣類は買わない。外食はめったにしない。 差額・貯金(平均80,000円) 差額 80,000円 ※差額は母に送金(2カ月ごとに100,000~120,000円) 送金したお金は、母が生活費や下の妹の学費、娘の幼稚園の費用になどに使っています。もっとお金があれば、娘の背が高くなるようにカルシウムのサプリメントを買いたいです。また、母には血圧の薬や関節の痛みを和らげる薬を買ってあげたいです。 日本では、入国後講習の際に大阪や神戸を見物したほかは、宮崎県外に遊びにいったことがありません。もし、お金に余裕ができたら沖縄に行ってみたいです。 菜々花さんが連れて行ってくれた宮崎県のサンメッセ日南〈2019年〉 日本語の勉強 毎晩2時間、教材とインターネットで日本語を勉強しています。「新完全マスター」シリーズや「耳から覚える日本語能力試験」シリーズなどを使っています。週2回の休みの日は、朝ゆっくり寝ますが、日本語の勉強も5時間以上します。来日して2年近く経ち、聞き取りはかなり上達しましたが、漢字を覚えるのが難しいですね。 Link:【特集】N1・N2合格者たちの勉強法(ツール編) 受入組合はキーポイント 私たちの技能実習の監理団体(受入組合)は「西日本技能センター」で、大阪府に本社、鹿児島県に支社があります。支社長の山﨑良一さん(73)が毎月1、2回、私たちに会いに来て話を聞き、親身になってサポートしてくれます。また、ときどき一緒に来る女性スタッフが古着を持ってきてくれることもあり、私たちは服を買わなくてもすみます。 技能実習生にとって監理団体はとても大切です。もし、同センターが担当する職場で実習したい場合は、送出機関を選ぶ前に同社に問い合わせることもできます。 ・西日本技能センター https://www.facebook.com/japanskill/ ※ベトナム語で問い合わせができます。 左の男性が西日本技能センターの代表、右端がイチゴ園の社長 山﨑さんは私たちに日本語を教えたり、食事や観光に連れて行ってくれたりもします。私たちは山﨑さんのことを「お父さん」と呼んでいます。「お父さん」は本当のお父さんのように私たちを気遣い、健康や生活、仕事のことなどいろいろなサポートをしてくれます。私は毎月「お父さん」に会うのがとても楽しみで、「お父さん」のことを実父と同じぐらい尊敬しています。 他の職場で実習をしている送出機関の同期生と連絡を取り合っていますが、受入組合がこれほど親身にサポートしてくれるケースはあまりないようです。また、農園の社長や農場長、菜々花さんにも親切にしてもらっています。もっと給料が高い職場もありますが、お金に代えがたいものもあります。私はここに実習に来られてよかったと思っています。 私たちに会いに来てくれた「お父さん」〈2020年7月〉 経営者から見た技能実習生の働きぶり 【インタビュー】ひなたいちご園・長友一平社長(34)の話 春は、ビニールハウス内が高温になりますが、暑くなる前に収穫した方がイチゴの鮮度を保てるので、朝4時ごろに収穫を始める日もあります(そのときは終業も早めます)。このような早朝の仕事は、パートさんでは長く務まりません。私と農場長、実習生の計5人が中心的に働くことで安定的な運営ができます。 リーさんたち3人は仕事を覚えるも日本語の上達も速かったですし、まじめに堅実に働いてくれます。花や枝を摘むといった作業も年配のパートさんたちの2倍近く速くできます。若いからというだけではなく、ベトナム人は手先が器用なのでしょう。また、彼女たちがいると職場も明るくなります。技能実習が終わっても特定技能で残ってほしいぐらいです。

    2020年11月18日

  • Vol. 45 エンジニアとして日本で転職重ねる

    今回の先輩 ルオン・スィ・タンさん 2008年タンプー高校 卒業〈ハティン県〉 2008年ハノイ工科大学入学 2013年ハノイ工科大学卒業 2013年Y-Tec Vietnam入社〈ベトナム、日本〉 2016年Recruit R&D Staffing入社〈群馬県〉 2017年AZA engineering入社〈神奈川県〉 2020年NPテック入社〈大阪〉 2017年日本語能力試験N2合格 〈1990年生まれ、ハティン省出身〉 Luongsytan90@gmail.com 日系企業の長期研修で初めて訪日後、再就職の面接は日本語で受け、その後4年以上日本に住み続けているタンさん。日本語初心者の妻を日本に呼び寄せ、最初は苦労したが、親切な日本人や無料日本語教室のベトナム人仲間に支えられた。エンジニア、タンさんの体験談を紹介する。 〈このページの内容〉 • いとこの活躍で日本に関心 • 日系企業の研修で初訪日 • 事業縮小で大量退職 • 転職、結婚、3回目の訪日 • 日本で転職2回 • 日本語学習の手法 • 夫婦で日本社会に助けられ • 日本での仲間づくり • 日本のここが好き • 日本での暮らし いとこの活躍で日本に関心 Y-Tec Vietnamの仲間たち〈東京で2014年1月〉 私は2020年5月から、9歳年上のいとこが経営する大阪の金属加工会社で働いています。いとこは2007年にエンジニアとして訪日し、私は彼の活躍について叔父から聞かされていました。そこで、自分も日本で働いてみたいと思い、大学卒業後の2013年、日本での長期研修があるハイフォンの日系企業に入りました。 当時、外国で成功するベトナム人が増え始めており、大学の先生も私の訪日に賛成してくれました。私は人材会社の紹介で自動車部品メーカー、Y-Tec Vietnamに入りました。ただ、日本語の準備は、大学卒業前に日本語教室に3カ月間通っただけでした。 日系企業の研修で初訪日 ベトナム人の同僚と京都旅行〈2014年5月〉 入社して5カ月後の2013年12月、私は親会社で研修するために初めて日本に行きました。Y-Tec Vietnamは新会社で、ベトナム人18人(エンジニア13人、通訳3人、総務・経理2人)と日本人3人でのスタートでした。このうちベトナム人16人が将来の業務に備えて日本で10カ月間、研修を受けたのです。 住居は埼玉県内の会社施設でした。16人は仲がよく、いつも一緒に行動しました。当時は日本のベトナム人は少なく、身近な仲間が頼りでした。休日にはみんなで観光にも出かけました。 ベトナム人の同僚とテト祝い〈2014年2月〉 富士山〈2014年8月〉 事業縮小で大量退職 日本人社員に連れられてベトナム人の同僚と地域の祭りに参加。居心地のよい会社でした。〈埼玉県で2014年7月〉 研修は充実していましたが、施設は都会から遠く、生活は退屈でした。そんな私たちを気遣って会社が毎月、私たちをバスで日帰り旅行に連れて行ってくれました。日本人社員もみな親切で、とてもいい会社でした。 研修から帰国後、私はハイフォンで10カ月間働き、2015年7月にまた日本に行きました。日本人エンジニアをサポートしながら技術を習得する目的でした。このときは、ベトナム人エンジニア4人と通訳1人だけで、6カ月間の滞在でした。しかし、この滞在中にY-Tec Vietnamの事業縮小が決まり、当時多数いたエンジニアの大半が解雇されました。私も2015年末の帰国後に退社し、同社勤務は2年半で終わりました。 転職、結婚、3回目の訪日 結婚〈ハティン省で2016年3月〉 Y-Tec Vietnamを退職後は、退職仲間で情報交換をしながら新しい仕事を探しました。私は2016年3月、「リクルートR&Dスタッフィング」への就職が決まりました。面接(日本語)はハノイで受けましたが、勤務地は日本です。再就職が決まった直後に高校の同級生だった妻と結婚し、4月に日本に赴任しました。このときから現在までずっと日本に住むことになります。赴任して4カ月後に妻も日本に呼び寄せました。 再就職して日本に赴任直後、大学の同級生と大阪旅行〈2016年5月〉 訪日後、研修を経て自動車部品メーカーで働くことになりました。就労形態は派遣でした。勤務地は群馬県の工場で、私の仕事は外装部品の設計でした。ただ、発注元の車のリコールが影響して途中から受注が激減し、残業も減りました。このことや、派遣ではなく1カ所で長く働きたいという希望もあり、1年半でまた転職しました。 日本で転職2回 今の職場で家族交流会〈大阪で2020年8月〉 派遣会社を退職後、Indeed(日本語)というサイトで見つけた仕事に応募し、2017年10月から「AZAエンジニアリング」で働き始めました。神奈川県の機械設計会社で、約30人の従業員の中で外国人は私だけでした。先輩も同僚も親切で、いい会社でしたが、2020年にいとこが大阪に会社を設立することになり、エンジニアが必要なので同社を手伝うことになりました。同社ではベトナム人が5人、日本人が2人います。 私の家計簿(1カ月の平均) ※現在の家計簿※100円=22,128ドン(2020年10月27日現在) 収入(合計240,000円) 手取り給料 140,000円 ※税金、社会保険、寮費を差引後 ※寮は2階建て。4DK。 妻のパート 100,000円 ※工場で製品検査業務 支出(合計135,000円) 家賃 42,000円 水道・光熱費 13,000円 食費 50,000円 公立幼稚園 10,000円 雑費 20,000円 ※ガソリン・高速道路など 差額・貯金(合計105,000円) 差額 105,000円 ※大半を実家に送金。妹の大学の学費や生活費を支援。自分たちの貯金はあまりない。 日本語学習の手法 日本で長く暮らすには日本語習得が必須です。私の日本語学習の要点をお伝えします。 【学習機会】 ・会社でベトナム人通訳が教える日本語教室(最初の3カ月間のみ) ・仕事で日本語使用 ・地域のボランティア日本語教室(週1~3回) ・家で毎晩、勉強 【主な教材】 ・みんなの日本語▽「日本語総まとめ」シリーズ▽「耳から覚える日本語能力試験」シリーズ▽NIHONGONOMORI(YouTube) Link:【特集】N1・N2合格者たちの勉強法(ツール編) 夫婦で日本社会に助けられ 左:日本語教室の先生が持ってきてくれた着物〈群馬県の自宅で2016年〉右:転居先の自宅で。先生方とは転居後も交流〈2017年〉 妻は2016年8月に日本で合流し、間もなく妊娠しましたが、最初は日本語が分からず苦労しました。週末は私がいますが、平日は周囲にベトナム人仲間がいません。そんな妻を助けてくださったのはボランティア日本語教室の日本人の先生方でした。 妻は当初、約5㌔離れた教室に自転車で週2回通いました。年配の女性の先生2人は日本語を教えるだけではなく、妻を気遣って通院や買い物にも付き添ってくださいました。そして、妻のおなかが大きくなって教室に通えなくなると、交代でわが家に来て日本語を教え、さまざまなサポートもしてくださいました。私たちは本当に助かり、この先生方を恩人だと思っています。 日本での仲間づくり Y-Tec Vietnamに残った元同僚たちとは長く交流〈埼玉県で2018年〉 私たちが最初に住んだ群馬県では、当時ベトナム人が少なく、ベトナム人向けの情報もあまりありませんでした。職場でも外国人は私だけでした。ベトナム人仲間を作る機会が少なく、妻は最初さびしがりました。Y-Tec Vietnamの後輩で解雇されずに残っていたベトナム人が隣の埼玉県に少しいたので、妻を連れてたまに会いに行きましたが、普段は日本語教室の先生たちとの交流が頼りでした。 日本語教室のベトナム人仲間の家で食事会〈神奈川県で2018年〉 しかし、神奈川県に移ってからは、ベトナム人の友だちがたくさんできました。ここでも職場で外国人は私だけでしたが、ボランティア日本語教室で同じ境遇のベトナム人3家族と出会いました。これが交流の基点となり、妻の「ママ友」もできました。大阪に移ってからは、仲間がさらに増えました。ベトナム語を使う機会が急増し、ベトナムに住んでいるような感覚です。また、私は訪日後ずっと、職場や地域のベトナム人とサッカーチームを作り、週末に練習や試合を楽しんでいます。 日本のここが好き 置き忘れ〈イメージ図〉 私は日本の治安の良さや日本人の親切が好きです。私はある日、Y-Tec Vietnamのバス旅行で旅先の展望台にかばんを置き忘れました。かばんの中には携帯電話や財布が入っていました。会社に戻って気づくと、会社の人が展望台周辺の関係者に連絡し、かばんが届いていないか、または元の場所に置かれたままになっていないか、問い合わせてくれました。すると、かばんが無事に見つかり、2日後に会社に郵送されてきました。財布の中の現金(約20,000円)も携帯電話もそのままでした。 また、その数年後にも電車内にかばんを置き忘れてしまいました。下車後に気付き、近くの大きな駅に行って駅員さんにお願いしたところ、このときもかばんが返ってきました。中には仕事の資料や財布が入っていましたが、やはり無事でした。 日本での暮らし 今の大阪の職場で〈2020年10月〉 私は3年前に自動車教習所に通って日本の運転免許を取得し、中古車も買いました。教習は約30万円、車は約25万円でしたが、家族と郊外で長く暮らすにはマイカーが欠かせません。日本の工業技術は先進的で、いつか帰国した際に私の知識・技術が祖国の役に立つかも知れません。ただ、いつまで日本に住むかはまだ決めていません。日本では、医療が進んでいますし、農薬が少なく食べ物も安全で大気汚染も少ないので、子どもが大きくなるまでは日本にいる方がよいかも知れません。先のことは分かりませんが、当面は目の前の仕事や生活に集中したいと思っています。 いとこ家族と日帰り旅行〈奈良県で2020年〉 娘と雪遊び〈神奈川県で2020年〉 今回の先輩 Lương Sỹ Tân(ルオン・スィ・タン)さん 2008年タンプー高校 卒業〈ハティン〉 2008年ハノイ工科大学入学 2013年ハノイ工科大学卒業 2013年Y-Tec Vietnam入社〈ベトナム、日本〉 2016年Recruit R&D Staffing入社〈群馬県〉 2017年AZA engineering入社〈神奈川県〉 2020年NPテック入社〈大阪府〉 2017年日本語能力試験N2合格 〈1990年生まれ、ハティン省出身〉 Luongsytan90@gmail.com 日系企業の長期研修で初めて訪日後、再就職の面接は日本語で受け、その後4年以上日本に住み続けているタンさん。日本語初心者の妻を日本に呼び寄せ、最初は苦労したが、親切な日本人や無料日本語教室のベトナム人仲間に支えられた。エンジニア、タンさんの体験談を紹介する。 〈このページの内容〉 • いとこの活躍で日本に関心 • 日系企業の研修で初訪日 • 事業縮小で大量退職 • 転職、結婚、3回目の訪日 • 日本で転職2回 • 日本語学習の手法 • 夫婦で日本社会に助けられ • 日本での仲間づくり • 日本のここが好き • 日本での暮らし いとこの活躍で日本に関心 私は2020年5月から、9歳年上のいとこが経営する大阪の金属加工会社で働いています。いとこは2007年にエンジニアとして訪日し、私は彼の活躍について叔父から聞かされていました。そこで、自分も日本で働いてみたいと思い、大学卒業後の2013年、日本での長期研修があるハイフォンの日系企業に入りました。 当時、外国で成功するベトナム人が増え始めており、大学の先生も私の訪日に賛成してくれました。私は人材会社の紹介で自動車部品メーカー、Y-Tec Vietnamに入りました。ただ、日本語の準備は、大学卒業前に日本語教室に3カ月間通っただけでした。 Y-Tec Vietnamの仲間たち〈東京で2014年1月〉 日系企業の研修で初訪日 入社して5カ月後の2013年12月、私は親会社で研修するために初めて日本に行きました。Y-Tec Vietnamは新会社で、ベトナム人18人(エンジニア13人、通訳3人、総務・経理2人)と日本人3人でのスタートでした。このうちベトナム人16人が将来の業務に備えて日本で10カ月間、研修を受けたのです。 住居は埼玉県内の会社施設でした。16人は仲がよく、いつも一緒に行動しました。当時は日本のベトナム人は少なく、身近な仲間が頼りでした。休日にはみんなで観光にも出かけました。 ベトナム人の同僚と京都旅行〈2014年5月〉 ベトナム人の同僚とテト祝い〈2014年2月〉 富士山〈2014年8月〉 事業縮小で大量退職 研修は充実していましたが、施設は都会から遠く、生活は退屈でした。そんな私たちを気遣って会社が毎月、私たちをバスで日帰り旅行に連れて行ってくれました。日本人社員もみな親切で、とてもいい会社でした。 研修から帰国後、私はハイフォンで10カ月間働き、2015年7月にまた日本に行きました。日本人エンジニアをサポートしながら技術を習得する目的でした。このときは、ベトナム人エンジニア4人と通訳1人だけで、6カ月間の滞在でした。しかし、この滞在中にY-Tec Vietnamの事業縮小が決まり、当時多数いたエンジニアの大半が解雇されました。私も2015年末の帰国後に退社し、同社勤務は2年半で終わりました。 日本人社員に連れられてベトナム人の同僚と地域の祭りに参加。居心地のよい会社でした。〈埼玉県で2014年7月〉 転職、結婚、3回目の訪日 Y-Tec Vietnamを退職後は、退職仲間で情報交換をしながら新しい仕事を探しました。私は2016年3月、「リクルートR&Dスタッフィング」への就職が決まりました。面接(日本語)はハノイで受けましたが、勤務地は日本です。再就職が決まった直後に高校の同級生だった妻と結婚し、4月に日本に赴任しました。このときから現在までずっと日本に住むことになります。赴任して4カ月後に妻も日本に呼び寄せました。 結婚〈ハティン省で2016年3月〉 訪日後、研修を経て自動車部品メーカーで働くことになりました。就労形態は派遣でした。勤務地は群馬県の工場で、私の仕事は外装部品の設計でした。ただ、発注元の車のリコールが影響して途中から受注が激減し、残業も減りました。このことや、派遣ではなく1カ所で長く働きたいという希望もあり、1年半でまた転職しました。 再就職して日本に赴任直後、大学の同級生と大阪旅行〈2016年5月〉 日本で転職2回 派遣会社を退職後、Indeed(日本語)というサイトで見つけた仕事に応募し、2017年10月から「AZAエンジニアリング」で働き始めました。神奈川県の機械設計会社で、約30人の従業員の中で外国人は私だけでした。先輩も同僚も親切で、いい会社でしたが、2020年にいとこが大阪に会社を設立することになり、エンジニアが必要なので同社を手伝うことになりました。同社ではベトナム人が5人、日本人が2人います。 今の職場で家族交流会〈大阪で2020年8月〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※現在の家計簿 ※100円=22,128ドン(2020年10月27日現在) 収入(合計240,000円) 手取り給料 140,000円 ※税金、社会保険、寮費を差引後 ※寮は2階建て。4DK。 妻のパート 100,000円 ※工場で製品検査業務 支出(合計135,000円) 家賃 42,000円 水道・光熱費 13,000円 食費 50,000円 公立幼稚園 10,000円 雑費 20,000円 ※ガソリン・高速道路など 差額・貯金(合計105,000円) 差額 105,000円 ※大半を実家に送金。妹の大学の学費や生活費を支援。自分たちの貯金はあまりない。 日本語学習の手法 日本で長く暮らすには日本語習得が必須です。私の日本語学習の要点をお伝えします。 【学習機会】 ・会社でベトナム人通訳が教える日本語教室(最初の3カ月間のみ) ・仕事で日本語使用 ・地域のボランティア日本語教室(週1~3回) ・家で毎晩、勉強 【主な教材】 ・みんなの日本語▽「日本語総まとめ」シリーズ▽「耳から覚える日本語能力試験」シリーズ▽NIHONGONOMORI(YouTube) Link:【特集】N1・N2合格者たちの勉強法(ツール編) 夫婦で日本社会に助けられ 妻は2016年8月に日本で合流し、間もなく妊娠しましたが、最初は日本語が分からず苦労しました。週末は私がいますが、平日は周囲にベトナム人仲間がいません。そんな妻を助けてくださったのはボランティア日本語教室の日本人の先生方でした。 妻は当初、約5㌔離れた教室に自転車で週2回通いました。年配の女性の先生2人は日本語を教えるだけではなく、妻を気遣って通院や買い物にも付き添ってくださいました。そして、妻のおなかが大きくなって教室に通えなくなると、交代でわが家に来て日本語を教え、さまざまなサポートもしてくださいました。私たちは本当に助かり、この先生方を恩人だと思っています。 左:日本語教室の先生が持ってきてくれた着物〈群馬県の自宅で2016年〉;右:転居先の自宅で。先生方とは転居後も交流〈2017年〉 日本での仲間づくり 私たちが最初に住んだ群馬県では、当時ベトナム人が少なく、ベトナム人向けの情報もあまりありませんでした。職場でも外国人は私だけでした。ベトナム人仲間を作る機会が少なく、妻は最初さびしがりました。Y-Tec Vietnamの後輩で解雇されずに残っていたベトナム人が隣の埼玉県に少しいたので、妻を連れてたまに会いに行きましたが、普段は日本語教室の先生たちとの交流が頼りでした。 Y-Tec Vietnamに残った元同僚たちとは長く交流〈埼玉県で2018年〉 しかし、神奈川県に移ってからは、ベトナム人の友だちがたくさんできました。ここでも職場で外国人は私だけでしたが、ボランティア日本語教室で同じ境遇のベトナム人3家族と出会いました。これが交流の基点となり、妻の「ママ友」もできました。大阪に移ってからは、仲間がさらに増えました。ベトナム語を使う機会が急増し、ベトナムに住んでいるような感覚です。また、私は訪日後ずっと、職場や地域のベトナム人とサッカーチームを作り、週末に練習や試合を楽しんでいます。 日本語教室のベトナム人仲間の家で食事会〈神奈川県で2018年〉 日本のここが好き 私は日本の治安の良さや日本人の親切が好きです。私はある日、Y-Tec Vietnamのバス旅行で旅先の展望台にかばんを置き忘れました。かばんの中には携帯電話や財布が入っていました。会社に戻って気づくと、会社の人が展望台周辺の関係者に連絡し、かばんが届いていないか、または元の場所に置かれたままになっていないか、問い合わせてくれました。すると、かばんが無事に見つかり、2日後に会社に郵送されてきました。財布の中の現金(約20,000円)も携帯電話もそのままでした。 また、その数年後にも電車内にかばんを置き忘れてしまいました。下車後に気付き、近くの大きな駅に行って駅員さんにお願いしたところ、このときもかばんが返ってきました。中には仕事の資料や財布が入っていましたが、やはり無事でした。 置き忘れ〈イメージ図〉 日本での暮らし 私は3年前に自動車教習所に通って日本の運転免許を取得し、中古車も買いました。教習は約30万円、車は約25万円でしたが、家族と郊外で長く暮らすにはマイカーが欠かせません。日本の工業技術は先進的で、いつか帰国した際に私の知識・技術が祖国の役に立つかも知れません。ただ、いつまで日本に住むかはまだ決めていません。日本では、医療が進んでいますし、農薬が少なく食べ物も安全で大気汚染も少ないので、子どもが大きくなるまでは日本にいる方がよいかも知れません。先のことは分かりませんが、当面は目の前の仕事や生活に集中したいと思っています。 今の大阪の職場で〈2020年10月〉 いとこ家族と日帰り旅行〈奈良県で2020年〉 娘と雪遊び〈神奈川県で2020年〉

    2020年11月12日

  • Vol. 44 農園で技能実習から特定技能へ

    今回の先輩 マイ・ティ・スアンさん 2015年 5月チュック・ニン B高校卒業〈ナムディン県〉 2015年 8月ナムディン日本語日本文化学院入学 2017年 7月ナムディン日本語日本文化学院卒業 2017年 8月訪日→講習〈東京〉 2017年 9月技能実習開始〈宮崎県〉 2020年 9月同じ職場で特定技能開始〈宮崎県〉 〈1997年生まれ、ナムディン省出身〉 今回もナムディン学院出身の先輩が登場。スアンさんは一流大学に合格したが、家庭の事情で入学せず、日本語を2年間勉強してから訪日した。食品加工工場などで3年間働いた後、特定技能に変更し、引き続き日本で働くことになった。彼女の日本語学習の努力や職場での活躍ぶりを紹介する。 日本に行こうと思ったきっかけ ナムディン学院で校長が開いた食事会。左端が私。〈2015年〉 私は化学と数学が得意でハノイ工科大学(Trường Đại học Bách khoa Hà Nội HUST)に合格しましたが、「学費を払えないし、大学を出てもいい仕事に就けるかどうかわからない」と母に言われました。数年前に父が交通事故を起こして多額の損害賠償金を払ったほか、父が事業で使っていた砂利運搬船も3回沈没し、わが家に大きな借金があったからです。 私は進学をあきらめて日本で技能実習をすることにしました。そして、せっかくなら日本語をしっかり学んでから行こうと考え、地元で評判の高いナムディン日本語日本文化学院を選びました。 ナムディン学院での努力 ナムディン学院の卒業式〈2017年〉 ナムディン学院の授業は午前だけで、午後は生徒が学校の教室で自習(宿題と復習)をします。私たちは午後1時半~4時半に勉強し、運動や夕食を終えて午後7時~10時にも勉強しました。先生方の教え方と学校の雰囲気のおかげで、勉強すればするほど日本語が楽しくなりました。 私はナムディン学院での2年目、四位農園の会長がナムディン学院を訪れたときに面接を受けて合格し、その7カ月後に訪日しました。送出手数料は学院から借り、実習を始めて3カ月で返しました。JLPTについては、在学中にN3を取得し、訪日の翌年にN2に合格しました。今はN1を目指しています。 【編集部からの情報】 ナムディン学院では、生徒が1年半~2年間勉強し、JLPT・N3レベルになってから日本に行きます。授業料は月2,000,000ドンです。遠方の生徒も受け入れます。 生徒に紹介する技能実習先は、学院の教師らが現地を訪問して給料や職場環境などを調べて選んだ職場だけです。送出機関には手続きだけを依頼し、国が決めた手数料しか支払いません。技能実習が終わってから帰国後、もう一度日本に行って留学し、日本で正式に就職するコースも推奨しています。 *ナムディン日本語日本文化学院:namdinhgakko@yahoo.com.vn ナムディン学院の校長(左奥)が四位農園を訪問〈2019年〉 日本人の先輩のサポート役 工場での作業。右端が私。〈2020年7月〉 私の仕事は朝7時半から夕方4時半までです。最初の半年間は畑で働きましたが、女性実習生の大半が途中で農園内の食品加工工場に移ります。ホウレンソウや枝豆など農園でとれた野菜を冷凍加工する工場です。私は冷凍野菜の包装(袋)の印刷などをチェックし、箱に入れます。袋が箱にいっぱいになると箱(重さ9~16㌔)をパレットに移します。工場の仕事が少ないときは、畑も手伝います。 実習生仲間や日本人の先輩と焼き肉屋へ〈2019年〉 あるベトナム人男性と私が経験も長く日本語もよく話せるので、日本人の先輩たちのサポートをしています。先輩が実習生の配置を決めるのを手伝ったり、通訳をしたり、新しい実習生に仕事を教えたりします。先輩たちと話をすることで日本語の練習になりますし、わからない言葉や間違いを先輩がその場で教えてくれます。先輩たちの車でスーパーに連れて行ってもらったり、一緒にラーメン屋に行ったりすることもあります。 日常生活 女子寮の食堂 ここには40人近い外国人がいますが、私はナムディン学院の後輩3人と特に仲良しで、女子寮で一緒におしゃべりをしたり歌を歌ったりします。学院の行事でよくみんなで歌ったKiroroの「未来へ」をここでも歌っています。寮の台所は共用で、大きな食堂があります。普段はばらばらに食べますが、だれかが実習を終えて帰国する場合などは、みんなで食事会をします。そのときにはお酒も飲みます。 農園の仲間(日本人3人、ベトナム人4人)で観光〈宮崎県で2020年6月〉 実習生用の小さな畑があり、自分たちで食べる野菜を栽培しています。空心菜やゴーヤ、トウモロコシ、インゲン、トマトなどを育てて仲間で分け合い、足りない分はスーパーで買います。買い物には自転車で行きますが、私は日本の運転免許を持っているので、会社のミニバイクを使うときもあります。休日には、仲のよい日本人の同僚や実習仲間と遊びに行くこともあります。これまで、同僚の車で海を見に行ったり大きなショッピングモールに行ったりしました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※技能実習時代の家計簿 ※100円=21,982 VND(2020年10月6日現在) 手取り給料(平均110,000~130,000円) 手取り給料 平均110,000~130,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は5,000円、水道・光熱費8,000円、Wi-Fi800円 支出(合計20,000~25,000円) 食費 20,000~22,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 3,000~5,000円 ※服も化粧品もほとんど買わない 差額・貯金(平均90,000円~110,000円) 差額 平均90,000円~110,000円 ※訪日当初はもう少し収入が少なかった。 ※3年間で計約300万円を両親に送金(自分の貯金はゼロ) 外国人従業員用の畑〈2020年〉 ナムディン学院の先輩たちが通う宮崎県の大学を訪問〈2018年〉 外国人サポート 観光バスで従業員旅行〈熊本県で2019年〉 四位農園では、従業員同士の親睦を図るため農園主催の従業員旅行や忘年会などがあり、国籍に関係なく参加します。また、外国人担当の大山さんという年配の男性がおり、親身になって私たちの相談に乗ってくれます。私は仕事の影響で腰痛になったときなどに彼にクリニックに連れて行ってもらいました。また、職場で人間関係がうまくいかない場合も相談に乗り、場合によっては配置転換をしてくれることもあります。 技能実習生が機械を操縦して枝豆を収穫〈四位農園で2020年7月〉 男性の技能実習生は皆、トラクターの運転免許を持っています。トラクターで畑仕事をするためです。農園の近くに自動車教習所があり、彼らはそこに通います。教習所の費用は約230,000円もしますが、農園が負担してくれます。この免許でミニバイクにも乗れます。私は大山さんからテキストをもらって自分で勉強し、ミニバイクだけの免許を取りました。 技能実習から特定技能に 四位農園では2019年12月に実習を修了した1人が最初の特定技能外国人になりました。私も2020年8月に技能実習が終わり、9月から特定技能に変更して引き続き働いています。特定技能では最長5年間働けます。在留資格変更の際、通常はベトナムに2、3週間帰国するのですが、今は新型コロナに伴う特例で帰国せずに変更しました。私の場合、特定技能になっても仕事内容は同じですが、基本給が5%アップしました。また、今後は日本人と同じように働きぶりを評価され、それに応じて役職や給料も変わっていきます。 枝豆畑〈2020年7月〉 四位農園には現在、特定技能が7人、技能実習生が28人います。女性の方がやや多く、国籍別ではミャンマー人5人以外はベトナム人です。この農園では「外国人を日本人と平等に処遇する」という方針があり、特定技能で残るチャンスを技能実習生全員に与えてくれます。今回は同期生6人全員が残留を希望しました。私は借金返済のために節約を続け、宮崎県の外に旅行に行ったこともありませんが、給料が少し増えたので、今後は同僚と同じように大阪や京都にも旅行したいです。また、日本にできるだけ長くいたいので、特定技能修了後のことも考えて今から準備をしていこうと思います。 今回の先輩 Mai Thị Xuân(マイ・ティ・スアン)さん 2015年 5月チュック・ニン B高校卒業〈ナムディン〉 2015年 8月ナムディン日本語日本文化学院入学 2017年 7月ナムディン日本語日本文化学院卒業 2017年 8月訪日→講習〈東京〉 2017年 9月技能実習開始〈宮崎県〉 2020年 9月同じ職場で特定技能開始〈宮崎県〉 〈1997年生まれ、ナムディン省出身〉 今回もナムディン学院出身の先輩が登場。スアンさんは一流大学に合格したが、家庭の事情で入学せず、日本語を2年間勉強してから訪日した。食品加工工場などで3年間働いた後、特定技能に変更し、引き続き日本で働くことになった。彼女の日本語学習の努力や職場での活躍ぶりを紹介する。 日本に行こうと思ったきっかけ 私は化学と数学が得意でハノイ工科大学(Trường Đại học Bách khoa Hà Nội HUST)に合格しましたが、「学費を払えないし、大学を出てもいい仕事に就けるかどうかわからない」と母に言われました。数年前に父が交通事故を起こして多額の損害賠償金を払ったほか、父が事業で使っていた砂利運搬船も3回沈没し、わが家に大きな借金があったからです。 私は進学をあきらめて日本で技能実習をすることにしました。そして、せっかくなら日本語をしっかり学んでから行こうと考え、地元で評判の高いナムディン日本語日本文化学院を選びました。 ナムディン学院で校長が開いた食事会。左端が私。〈2015年〉 ナムディン学院での努力 ナムディン学院の授業は午前だけで、午後は生徒が学校の教室で自習(宿題と復習)をします。私たちは午後1時半~4時半に勉強し、運動や夕食を終えて午後7時~10時にも勉強しました。先生方の教え方と学校の雰囲気のおかげで、勉強すればするほど日本語が楽しくなりました。 私はナムディン学院での2年目、四位農園の会長がナムディン学院を訪れたときに面接を受けて合格し、その7カ月後に訪日しました。送出手数料は学院から借り、実習を始めて3カ月で返しました。JLPTについては、在学中にN3を取得し、訪日の翌年にN2に合格しました。今はN1を目指しています。 ナムディン学院の卒業式〈2017年〉 【編集部からの情報】 ナムディン学院では、生徒が1年半~2年間勉強し、JLPT・N3レベルになってから日本に行きます。授業料は月2,000,000ドンです。遠方の生徒も受け入れます。 生徒に紹介する技能実習先は、学院の教師らが現地を訪問して給料や職場環境などを調べて選んだ職場だけです。送出機関には手続きだけを依頼し、国が決めた手数料しか支払いません。技能実習が終わってから帰国後、もう一度日本に行って留学し、日本で正式に就職するコースも推奨しています。 *ナムディン日本語日本文化学院:namdinhgakko@yahoo.com.vn ナムディン学院の校長(左奥)が四位農園を訪問〈2019年〉 日本人の先輩のサポート役 私の仕事は朝7時半から夕方4時半までです。最初の半年間は畑で働きましたが、女性実習生の大半が途中で農園内の食品加工工場に移ります。ホウレンソウや枝豆など農園でとれた野菜を冷凍加工する工場です。私は冷凍野菜の包装(袋)の印刷などをチェックし、箱に入れます。袋が箱にいっぱいになると箱(重さ9~16㌔)をパレットに移します。工場の仕事が少ないときは、畑も手伝います。 工場での作業。右端が私。〈2020年7月〉 あるベトナム人男性と私が経験も長く日本語もよく話せるので、日本人の先輩たちのサポートをしています。先輩が実習生の配置を決めるのを手伝ったり、通訳をしたり、新しい実習生に仕事を教えたりします。先輩たちと話をすることで日本語の練習になりますし、わからない言葉や間違いを先輩がその場で教えてくれます。先輩たちの車でスーパーに連れて行ってもらったり、一緒にラーメン屋に行ったりすることもあります。 実習生仲間や日本人の先輩と焼き肉屋へ〈2019年〉 日常生活 ここには40人近い外国人がいますが、私はナムディン学院の後輩3人と特に仲良しで、女子寮で一緒におしゃべりをしたり歌を歌ったりします。学院の行事でよくみんなで歌ったKiroroの「未来へ」をここでも歌っています。寮の台所は共用で、大きな食堂があります。普段はばらばらに食べますが、だれかが実習を終えて帰国する場合などは、みんなで食事会をします。そのときにはお酒も飲みます。 女子寮の食堂 実習生用の小さな畑があり、自分たちで食べる野菜を栽培しています。空心菜やゴーヤ、トウモロコシ、インゲン、トマトなどを育てて仲間で分け合い、足りない分はスーパーで買います。買い物には自転車で行きますが、私は日本の運転免許を持っているので、会社のミニバイクを使うときもあります。休日には、仲のよい日本人の同僚や実習仲間と遊びに行くこともあります。これまで、同僚の車で海を見に行ったり大きなショッピングモールに行ったりしました。 農園の仲間(日本人3人、ベトナム人4人)で観光〈宮崎県で2020年6月〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※技能実習時代の家計簿 ※100円=21,982 VND(2020年10月6日現在) 手取り給料(平均110,000~130,000円) 手取り給料 平均110,000~130,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は5,000円、水道・光熱費8,000円、Wi-Fi800円 支出(合計20,000~25,000円) 食費 20,000~22,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 3,000~5,000円 ※服も化粧品もほとんど買わない 差額・貯金(平均90,000円~110,000円) 差額 平均90,000円~110,000円 ※訪日当初はもう少し収入が少なかった。 ※3年間で計約300万円を両親に送金(自分の貯金はゼロ) 外国人従業員用の畑〈2020年〉 ナムディン学院の先輩たちが通う宮崎県の大学を訪問〈2018年〉 外国人サポート 四位農園では、従業員同士の親睦を図るため農園主催の従業員旅行や忘年会などがあり、国籍に関係なく参加します。また、外国人担当の大山さんという年配の男性がおり、親身になって私たちの相談に乗ってくれます。私は仕事の影響で腰痛になったときなどに彼にクリニックに連れて行ってもらいました。また、職場で人間関係がうまくいかない場合も相談に乗り、場合によっては配置転換をしてくれることもあります。 観光バスで従業員旅行〈熊本県で2019年〉 男性の技能実習生は皆、トラクターの運転免許を持っています。トラクターで畑仕事をするためです。農園の近くに自動車教習所があり、彼らはそこに通います。教習所の費用は約230,000円もしますが、農園が負担してくれます。この免許でミニバイクにも乗れます。私は大山さんからテキストをもらって自分で勉強し、ミニバイクだけの免許を取りました。 技能実習生が機械を操縦して枝豆を収穫〈四位農園で2020年7月〉 技能実習から特定技能に 四位農園では2019年12月に実習を修了した1人が最初の特定技能外国人になりました。私も2020年8月に技能実習が終わり、9月から特定技能に変更して引き続き働いています。特定技能では最長5年間働けます。在留資格変更の際、通常はベトナムに2、3週間帰国するのですが、今は新型コロナに伴う特例で帰国せずに変更しました。私の場合、特定技能になっても仕事内容は同じですが、基本給が5%アップしました。また、今後は日本人と同じように働きぶりを評価され、それに応じて役職や給料も変わっていきます。 四位農園には現在、特定技能が7人、技能実習生が28人います。女性の方がやや多く、国籍別ではミャンマー人5人以外はベトナム人です。この農園では「外国人を日本人と平等に処遇する」という方針があり、特定技能で残るチャンスを技能実習生全員に与えてくれます。今回は同期生6人全員が残留を希望しました。私は借金返済のために節約を続け、宮崎県の外に旅行に行ったこともありませんが、給料が少し増えたので、今後は同僚と同じように大阪や京都にも旅行したいです。また、日本にできるだけ長くいたいので、特定技能修了後のことも考えて今から準備をしていこうと思います。 枝豆畑〈2020年7月〉

    2020年10月15日

  • Vol. 43 介護職場の“太陽”として活躍

    今回の先輩 レ・ティ・ラン・アインさん 2017年 5月マイ・トゥック・ロアン高校卒業〈ハティン県〉 2017年 11月日本語センター入所〈ハイフォン県〉 2018年 5月ナムディン日本語日本文化学院入学 2020年 2月訪日→講習 2020年 3月老人ホームで実習開始〈神戸市〉 〈1999年生まれ、ハティン省出身〉 Vũ Thị Chi(ヴ・ティ・チー)さん 2011年 6月ト・ヒエウ高校卒業〈ハイフォン〉 2011年 9月結婚〈ハイフォン→ハジャン〉 2016年 2月日系企業で勤務〈ハイフォン〉 2018年 3月日本語センター入所〈ハイフォン〉 2018年 10月ナムディン日本語日本文化学院入学 2020年 2月訪日→講習 2020年 3月老人ホームで実習開始〈神戸〉 〈1993年生まれ、ハイフォン市出身〉 神戸市の老人ホーム「神港園シルビアホーム」で介護の技能実習に励むラン・アインさんとチーさん。職場の先輩たちや入居のお年寄りたちからかわいがられ、楽しく仕事をしている。職場で「太陽のような存在」になっている2人にインタビューした。 訪日の経緯 ――日本に行こうと思ったのはなぜですか? 高校の友だちと〈ハティン省で2020年1月〉 ● ラン・アイン 2019年に両親が家を建て替え、借金ができました。お金を稼いで両親を助けたかったのと、日本人の仕事の仕方も学びたいと思いました。故郷のハティンでは、大学を出ても仕事があまりないので、海外で働く若者がたくさんいます。私は三つの大学に合格しましたが両親の同意が得られず、日本に行くことを選びました。私の高校の同級生36人の中でも、日本での技能実習生が10人、日本留学が1、2人、韓国での就労者が5、6人います。ハティンでは日本に技能実習に行くのは普通のことなのです。 ハイフォンの実家で二男と〈2018年12月〉 ● チー 高校の成績は平均より上でしたが、家が貧しいので大学を受験しませんでした。そして、高校時代の交際相手(高校の1年先輩)に望まれ、卒業の3カ月後に結婚しました。4年後に離婚し、長男は元夫が引き取り、次男は私が引き取りました。私は実家に戻って日系企業で1年半働きました(月給6,000,000~7,000,000ドン)。しかし、今後、息子を育てていくには収入が足りません。悩んでいると、日本で技能実習をした義兄(姉の夫)から「日本語を身に付けてキャリアアップを目指せ」と勧められました。その後、日本語学校のアドバイスもあり、息子を実家にあずけて訪日することにしました。 学校で十分に勉強してから訪日 ――2人はナムディン日本語日本文化学院(ナムディン学院)の出身ですね。この学校を選んだ理由は? ナムディン学院の仲間たち〈2018年12月〉 ● ラン・アイン 私は2017年にハイフォンの日本語センターで学習を始めました。技能実習と留学のどちらを選ぶかは、日本語能力試験(JLPT)N3レベルになってから決めようと思っていました。先輩たちから「数カ月だけ勉強して日本に行っても、日本語がほとんどわからなかった」と聞き、私は日本語を少し話せるようになってから訪日しようと考えました。その方が、職場での指導もよく理解できますし、仕事をしながら日本語がさらに上達するからです。 センターでは、ナムディンから1週間ずつ交代でハイフォンに来て教えていた篠田先生と奥様の授業を受講しました。しかし、途中でセンターとご夫婦の契約が終了しました。私は篠田先生たちの授業を受け続けたくてナムディン学院に移り、2018年5月ごろから約1年半勉強しました(=ビザ取得手続きが遅れ、予定より半年長く就学)。 ナムディン学院の学校行事〈2019年4月〉 ● チー 私は最初、日本語通訳になってハイフォンの日系企業に就職するつもりでした。そこで、義兄が当時務めていた日本語センターに入りました。これはラン・アインさんが通ったのと同じセンターです。私はここで半年間学んだ後、同じく篠田先生たちを追ってナムディン学院に移り、2018年10月から14カ月間、勉強しました。 【編集部からの情報】 ナムディン日本語日本文化学院では、生徒が1年半~2年間勉強し、N3レベルになってから日本に行きます。技能実習が終わって帰国後、もう一度日本に行って留学し、日本で正式に就職するコースも推奨しています。生徒に紹介する技能実習先は、ナムディン学院の教師らが現地を訪問して給料や職場環境などを調べて選んだ職場だけです。送出機関には手続きだけを依頼し、手数料は、国が決めた費用しか支払いません。 *ナムディン学院の連絡先:namdinhgakko@yahoo.com.vn 授業以外に毎日6時間勉強 ――ナムディン学院について教えてください。 ● ラン・アイン 授業は午前中だけで、生徒らが毎日、教室で自習(宿題と復習)をします。私は午後1時半~4時半に勉強し、運動、買い物、料理、夕食が終わると、教室に戻って7時~10時にも勉強しました。仲間ががんばるので私も一緒にがんばりました。学費は毎月2,000,000ドンでしたが、神港園で実習することが決まると、神港園が入学から卒業までの学費全額を支払ってくれました。 ● チー 私も仲間に引っ張られて勉強しました。ただ、ハイフォンの実家にあずけた息子に会うため、2週間に1度、金曜午後のバスで実家に帰り、日曜午後に学校に戻りました。ナムディンからハイフォンへはバスで2~3時間でした。 ● ラン・アイン、チー ロイ校長や篠田先生たちとは、日本に来てからも連絡を取っています。2カ月に1度ぐらいメールで近況を報告すると、返事をくださいます。 ナムディン学院の仲間と息抜きで観光も〈ニンビン省で2019年〉 ナムディン学院の教室で自習〈2019年〉 介護を選んだ理由 ――介護を選んだのはなぜですか? ハノイの空港で日本行きのフライト待ち〈2020年2月〉 ● ラン・アイン 「介護の仕事は大変」と聞いていましたが、ナムディン学院に来た神港園幹部の方々が写真を見せながら仕事内容や職場環境を説明してくださり、自分にもできそうだと感じました。彼らは私の実家にも来て両親に説明してくれたので、両親も安心しました。ベトナムでもこれから高齢化が進むので、日本で経験を積めば、将来ベトナムでも役に立てると思います。 実習先が決まり、校長先生と食事会〈ナムディンで2019年8月〉 ● チー 私はベトナムに残るつもりでしたが、仲間がみな日本に行くので、私も3年だけ日本で技能実習をしようと思いました。校長に相談すると、「食品加工工場などで3年間働いても、帰国後によい仕事を見つけるのは難しい。介護なら、技能実習で3年間働いた後、特定技能でさらに5年間働ける。その間に国家資格を取れば、日本で好きなだけ働けるし、息子を日本に呼ぶこともできる」と教えてくださったので、この仕事にしました。 介護の現場 ――介護の仕事は大変ですか? ● ラン・アイン 私の担当フロアには、80歳代を中心に二十数人のお年寄りがいます。食事・排泄・入浴の介助が必要な方も多いですが、おじいさん、おばあさんたちはおいしいものを食べると、おいしそうにします。週2回の入浴で湯につかると、「ああ気持ちいい」「うれしい」と顔がほころびます。このように入居者さんたちの笑顔を見ると、私もうれしくなります。おむつ交換も、最初は嫌でしたが、すぐに慣れて平気になりました。今はこの仕事が大好きです。 ● チー 私は体が小さいので、介助をできるか心配でしたが、風呂やベッドに電動装置が付いていて、それほど力を使いません。入居者をベッドから車いすに乗せるときだけは大変ですが、今は筋力がついて楽になりました。私は入居者のおじいさん、おばあさんのことがかわいくて、喜んでもらえると本当にうれしくなります。コミュニケーションを大事に考え、相手の反応を見ながら目を見てこまめに話しかけます。会話の多い仕事が自分に合っており、毎日楽しいです。 職場環境 ――職場の日本人との交流はありますか? 休日に副施設長やチーさんとお出かけ〈2020年7月〉 ● ラン・アイン 先輩たちは29~60歳で、私が最年少です。皆さんとても親切で、私が疲れた様子を見せると、「大丈夫?」と声をかけてくれます。先輩たちからお菓子をいただいて持ち帰ることもよくあります。先輩の男性に鏡台や照明などをどこで買ったらよいか聞いたところ、休日に車で遠方の店に連れて行ってくれました。年の近い女性の先輩ともよく話をします。また、副施設長は、私とチーさんの休みが重なった日、車でひまわり畑に連れて行ってくれました。 故郷の息子 ――息子さんと会えなくて寂しいですね。 息子たち〈ハジャンで2019年〉 ● チー 2020年9月に小学校に入学した次男とは、メッセンジャー電話(無料ビデオ通話)で毎日話をしています。宿題は終わったか、学校で何があったか、晩ご飯に何を食べたかなど、毎日30~60分話します。元夫の母とは今も良い関係なので、元夫の実家にいる長男(小学3年)ともときどき話をします。 日本語学習 ――日本語の勉強は続けていますか? 「アジアの輪」の授業〈2020年8月〉 ● ラン・アイン 私はJLPT・N3で、訪日前に受けたN2の模擬試験でも合格レベルでした。今は、神港園が契約しているNPO法人「アジアの輪」の先生が毎週1回職場に来て日本語を教えてくれます。家でも休日に約3時間、勉強をしています。ナムディン学院のオリジナルテキストを使い、YouTubeの学習チャネル「みんなの介護」や「Dũng Mori」も見ています。また、職場で毎日たくさん会話をし、分からない言葉や間違った言葉があれば、先輩や入居者さんたちがすぐに教えてくれます。 Lotus Worksでの学習ノート ● チー 私もN3です。職場でたくさん会話する以外に家で毎日2時間、勉強しています。Facebookのベトナム人の日本語学習サークルに入っているほか、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けています。毎週1回(30~60分)、Skypeを使ってボランティアの日本人教師から文法や漢字などを教わっています。宿題もあり、採点や添削もしていただいています。 日本での生活 ――日本での生活は順調ですか? 神戸の繁華街でバインミーをゲット〈2020年7月〉 ● ラン・アイン 新型コロナの影響で遠くに行けず、チーさんと一緒に神戸の繁華街に行ったぐらいです。近くのスーパーまでは歩いて15分ぐらいですが、衣類などを買うときは、バスで大きなスーパーに行きます。コロナが落ち着いたら、ベトナムから日本に来ている各地の友だちや和歌山県で技能実習をしている兄に会いに行きたいです。 休日に寮で2人で焼き肉 ● チー 休みの日は料理を作ったり買い物に行ったりし、日本語の勉強もいつもより長くやります。ラン・アインさんと休みが同じ日は、一緒に買い物や遊びに行くこともあります。また、早く帰宅した日は近所を30分以上散歩します。コロナが落ち着いたら、京都の金閣寺などを見に行きたいですし、各地のベトナム人仲間とも会いたいです。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=22,012 VND(2020年9月28日現在) 手取り給料(平均125,000円) 手取り給料 125,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は22,000円(水道・光熱費含む、3ベッドルーム) 支出(合計25,000~34,000円) Wi-Fi 4,000円 ※ポケットワイファイ 食費 15,000~20,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 6,000~11,000円 ※衣類、交通費、たまに外食 差額・貯金(平均90,000円~100,000円) 差額 平均90,000円~100,000円 ※差額は両親に送金。今後、夜勤が入れば給料が増えてもっと送金できる 左:職場のロビーで , 右:職場の展示室で 今回の先輩 Lê Thị Lan Anh(レ・ティ・ラン・アイン)さん 2017年 5月マイ・トゥック・ロアン高校卒業〈ハティン〉 2017年 11月日本語センター入所〈ハイフォン〉 2018年 5月ナムディン日本語日本文化学院入学 2020年 2月訪日→講習 2020年 3月老人ホームで実習開始〈神戸〉 〈1999年生まれ、ハティン省出身〉 Vũ Thị Chi(ヴ・ティ・チー)さん 2011年 6月ト・ヒエウ高校卒業〈ハイフォン〉 2011年 9月結婚〈ハイフォン→ハジャン〉 2016年 2月日系企業で勤務〈ハイフォン〉 2018年 3月日本語センター入所〈ハイフォン〉 2018年 10月ナムディン日本語日本文化学院入学 2020年 2月訪日→講習 2020年 3月老人ホームで実習開始〈神戸〉 〈1993年生まれ、ハイフォン市出身〉 神戸市の老人ホーム「神港園シルビアホーム」で介護の技能実習に励むラン・アインさんとチーさん。職場の先輩たちや入居のお年寄りたちからかわいがられ、楽しく仕事をしている。職場で「太陽のような存在」になっている2人にインタビューした。 訪日の経緯 ――日本に行こうと思ったのはなぜですか? ● ラン・アイン 2019年に両親が家を建て替え、借金ができました。お金を稼いで両親を助けたかったのと、日本人の仕事の仕方も学びたいと思いました。故郷のハティンでは、大学を出ても仕事があまりないので、海外で働く若者がたくさんいます。私は三つの大学に合格しましたが両親の同意が得られず、日本に行くことを選びました。私の高校の同級生36人の中でも、日本での技能実習生が10人、日本留学が1、2人、韓国での就労者が5、6人います。ハティンでは日本に技能実習に行くのは普通のことなのです。 高校の友だちと〈ハティン省で2020年1月〉 ● チー 高校の成績は平均より上でしたが、家が貧しいので大学を受験しませんでした。そして、高校時代の交際相手(高校の1年先輩)に望まれ、卒業の3カ月後に結婚しました。4年後に離婚し、長男は元夫が引き取り、次男は私が引き取りました。私は実家に戻って日系企業で1年半働きました(月給6,000,000~7,000,000ドン)。しかし、今後、息子を育てていくには収入が足りません。悩んでいると、日本で技能実習をした義兄(姉の夫)から「日本語を身に付けてキャリアアップを目指せ」と勧められました。その後、日本語学校のアドバイスもあり、息子を実家にあずけて訪日することにしました。 ハイフォンの実家で二男と〈2018年12月〉 学校で十分に勉強してから訪日 ――2人はナムディン日本語日本文化学院(ナムディン学院)の出身ですね。この学校を選んだ理由は? ● ラン・アイン 私は2017年にハイフォンの日本語センターで学習を始めました。技能実習と留学のどちらを選ぶかは、日本語能力試験(JLPT)N3レベルになってから決めようと思っていました。先輩たちから「数カ月だけ勉強して日本に行っても、日本語がほとんどわからなかった」と聞き、私は日本語を少し話せるようになってから訪日しようと考えました。その方が、職場での指導もよく理解できますし、仕事をしながら日本語がさらに上達するからです。 センターでは、ナムディンから1週間ずつ交代でハイフォンに来て教えていた篠田先生と奥様の授業を受講しました。しかし、途中でセンターとご夫婦の契約が終了しました。私は篠田先生たちの授業を受け続けたくてナムディン学院に移り、2018年5月ごろから約1年半勉強しました(=ビザ取得手続きが遅れ、予定より半年長く就学)。 ナムディン学院の仲間たち〈2018年12月〉 ● チー 私は最初、日本語通訳になってハイフォンの日系企業に就職するつもりでした。そこで、義兄が当時務めていた日本語センターに入りました。これはラン・アインさんが通ったのと同じセンターです。私はここで半年間学んだ後、同じく篠田先生たちを追ってナムディン学院に移り、2018年10月から14カ月間、勉強しました。 ナムディン学院の学校行事〈2019年4月〉 【編集部からの情報】 ナムディン日本語日本文化学院では、生徒が1年半~2年間勉強し、N3レベルになってから日本に行きます。技能実習が終わって帰国後、もう一度日本に行って留学し、日本で正式に就職するコースも推奨しています。生徒に紹介する技能実習先は、ナムディン学院の教師らが現地を訪問して給料や職場環境などを調べて選んだ職場だけです。送出機関には手続きだけを依頼し、手数料は、国が決めた費用しか支払いません。 *ナムディン学院の連絡先:namdinhgakko@yahoo.com.vn 授業以外に毎日6時間勉強 ――ナムディン学院について教えてください。 ● ラン・アイン 授業は午前中だけで、生徒らが毎日、教室で自習(宿題と復習)をします。私は午後1時半~4時半に勉強し、運動、買い物、料理、夕食が終わると、教室に戻って7時~10時にも勉強しました。仲間ががんばるので私も一緒にがんばりました。学費は毎月2,000,000ドンでしたが、神港園で実習することが決まると、神港園が入学から卒業までの学費全額を支払ってくれました。 ナムディン学院の仲間と息抜きで観光も〈ニンビン省で2019年〉 ● チー 私も仲間に引っ張られて勉強しました。ただ、ハイフォンの実家にあずけた息子に会うため、2週間に1度、金曜午後のバスで実家に帰り、日曜午後に学校に戻りました。ナムディンからハイフォンへはバスで2~3時間でした。 ● ラン・アイン、チー ロイ校長や篠田先生たちとは、日本に来てからも連絡を取っています。2カ月に1度ぐらいメールで近況を報告すると、返事をくださいます。 ナムディン学院の教室で自習〈2019年〉 介護を選んだ理由 ――介護を選んだのはなぜですか? ● ラン・アイン 「介護の仕事は大変」と聞いていましたが、ナムディン学院に来た神港園幹部の方々が写真を見せながら仕事内容や職場環境を説明してくださり、自分にもできそうだと感じました。彼らは私の実家にも来て両親に説明してくれたので、両親も安心しました。ベトナムでもこれから高齢化が進むので、日本で経験を積めば、将来ベトナムでも役に立てると思います。 ハノイの空港で日本行きのフライト待ち〈2020年2月〉 ● チー 私はベトナムに残るつもりでしたが、仲間がみな日本に行くので、私も3年だけ日本で技能実習をしようと思いました。校長に相談すると、「食品加工工場などで3年間働いても、帰国後によい仕事を見つけるのは難しい。介護なら、技能実習で3年間働いた後、特定技能でさらに5年間働ける。その間に国家資格を取れば、日本で好きなだけ働けるし、息子を日本に呼ぶこともできる」と教えてくださったので、この仕事にしました。 実習先が決まり、校長先生と食事会〈ナムディンで2019年8月〉 介護の現場 ――介護の仕事は大変ですか? ● ラン・アイン 私の担当フロアには、80歳代を中心に二十数人のお年寄りがいます。食事・排泄・入浴の介助が必要な方も多いですが、おじいさん、おばあさんたちはおいしいものを食べると、おいしそうにします。週2回の入浴で湯につかると、「ああ気持ちいい」「うれしい」と顔がほころびます。このように入居者さんたちの笑顔を見ると、私もうれしくなります。おむつ交換も、最初は嫌でしたが、すぐに慣れて平気になりました。今はこの仕事が大好きです。 ● チー 私は体が小さいので、介助をできるか心配でしたが、風呂やベッドに電動装置が付いていて、それほど力を使いません。入居者をベッドから車いすに乗せるときだけは大変ですが、今は筋力がついて楽になりました。私は入居者のおじいさん、おばあさんのことがかわいくて、喜んでもらえると本当にうれしくなります。コミュニケーションを大事に考え、相手の反応を見ながら目を見てこまめに話しかけます。会話の多い仕事が自分に合っており、毎日楽しいです。 職場環境 ――職場の日本人との交流はありますか? ● ラン・アイン 先輩たちは29~60歳で、私が最年少です。皆さんとても親切で、私が疲れた様子を見せると、「大丈夫?」と声をかけてくれます。先輩たちからお菓子をいただいて持ち帰ることもよくあります。先輩の男性に鏡台や照明などをどこで買ったらよいか聞いたところ、休日に車で遠方の店に連れて行ってくれました。年の近い女性の先輩ともよく話をします。また、副施設長は、私とチーさんの休みが重なった日、車でひまわり畑に連れて行ってくれました。 休日に副施設長やチーさんとお出かけ〈2020年7月〉 故郷の息子 ――息子さんと会えなくて寂しいですね。 ● チー 2020年9月に小学校に入学した次男とは、メッセンジャー電話(無料ビデオ通話)で毎日話をしています。宿題は終わったか、学校で何があったか、晩ご飯に何を食べたかなど、毎日30~60分話します。元夫の母とは今も良い関係なので、元夫の実家にいる長男(小学3年)ともときどき話をします。 息子たち〈ハジャンで2019年〉 日本語学習 ――日本語の勉強は続けていますか? ● ラン・アイン 私はJLPT・N3で、訪日前に受けたN2の模擬試験でも合格レベルでした。今は、神港園が契約しているNPO法人「アジアの輪」の先生が毎週1回職場に来て日本語を教えてくれます。家でも休日に約3時間、勉強をしています。ナムディン学院のオリジナルテキストを使い、YouTubeの学習チャネル「みんなの介護」や「Dũng Mori」も見ています。また、職場で毎日たくさん会話をし、分からない言葉や間違った言葉があれば、先輩や入居者さんたちがすぐに教えてくれます。 「アジアの輪」の授業〈2020年8月〉 ● チー 私もN3です。職場でたくさん会話する以外に家で毎日2時間、勉強しています。Facebookのベトナム人の日本語学習サークルに入っているほか、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けています。毎週1回(30~60分)、Skypeを使ってボランティアの日本人教師から文法や漢字などを教わっています。宿題もあり、採点や添削もしていただいています。 Lotus Worksでの学習ノート 日本での生活 ――日本での生活は順調ですか? ● ラン・アイン 新型コロナの影響で遠くに行けず、チーさんと一緒に神戸の繁華街に行ったぐらいです。近くのスーパーまでは歩いて15分ぐらいですが、衣類などを買うときは、バスで大きなスーパーに行きます。コロナが落ち着いたら、ベトナムから日本に来ている各地の友だちや和歌山県で技能実習をしている兄に会いに行きたいです。 神戸の繁華街でバインミーをゲット〈2020年7月〉 ● チー 休みの日は料理を作ったり買い物に行ったりし、日本語の勉強もいつもより長くやります。ラン・アインさんと休みが同じ日は、一緒に買い物や遊びに行くこともあります。また、早く帰宅した日は近所を30分以上散歩します。コロナが落ち着いたら、京都の金閣寺などを見に行きたいですし、各地のベトナム人仲間とも会いたいです。 休日に寮で2人で焼き肉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=22,012 VND(2020年9月28日現在) 手取り給料(平均125,000円) 手取り給料 125,000円 ※税金、社会保険料、寮費を引いた後の手取り額 ※このうち寮費は22,000円(水道・光熱費含む、3ベッドルーム) 支出(合計25,000~34,000円) Wi-Fi 4,000円 ※ポケットワイファイ 食費 15,000~20,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 6,000~11,000円 ※衣類、交通費、たまに外食 差額・貯金(平均90,000円~100,000円) 差額 平均90,000円~100,000円 ※差額は両親に送金。今後、夜勤が入れば給料が増えてもっと送金できる 職場のロビーで 職場の展示室で

    2020年10月08日

  • Vol. 42 失踪中の不法就労の様子とは

    今回の先輩 ミンさん=仮名 2012 年6月短大卒業〈ホーチミン〉 2017年 3月日本語センター入所〈ホーチミン〉 2018年 1月訪日→講習〈千葉県〉 2018年 2月建築会社で技能実習〈埼玉県〉 2018年 8月失踪〈千葉県→群馬県→茨城県〉 2019年 3月入管に出頭 2019年 8月日越ともいき支援会で帰国待ち〈東京〉 〈1991年生まれ、ベンチェ省出身〉 建築の技能実習先から失踪し不法就労を重ねたミンさん(=仮名)。ミンさんの失踪の経緯や失踪中の生活、どうしたら失踪せずにすんだかを紹介する。 面接に合格 ホーチミン市の街並み(資料写真) 私は短大を卒業後、ホーチミンの二つの会社で仕事をしました。しかし、日本に行ってもっとお金を稼いで両親を楽にしたいと思い、技能実習に応募しました。2017年3月、送出機関で勉強を始め、企業の面接を受けました。「とび作業は疲れる」と先輩から聞いていたので、他の業種を希望していましたが、面接に5回落ち、6回目で初めて合格したのがとび作業の仕事だったので、そこで働くことにしました。私が送出機関に支払った費用は送出手数料や授業料、寮費などすべて含めて150,000,000ドン(約68万円)でした。これは両親が銀行から借りました。 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって手数料が違います。高い手数料を払ったからといって高い給料の実習先を紹介されるとは限りません。 ・ベトナム政府の規定で、技能実習生への日本語教育費は約520時間に対し5,900,000ドン以下、送出手数料は3,600 USD以下(3年契約の場合)となっています。 ・送出機関や実習先の選び方はこのリンク先を参考にしてください。 Link:こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 技能実習開始 寮の部屋(9階)からみた満開の桜並木〈埼玉県で2018年〉 私は2018年1月に訪日し、2月から埼玉県の建築会社で技能実習を始めました。送出機関の同級生2人も一緒で、私たちがこの会社で初めての技能実習生でした。毎朝、自転車で会社に行き、会社から日本人の先輩が運転する車で現場に行きました。現場は一戸建てが多く、たまに高層住宅もありました。朝5時に寮を出て夕方6時か7時に帰る生活でした。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,980ドン(2020年9月24日現在) 収入(平均90,000円) 手取り給料 90,000円 ※税金、社会保険料、寮費を差し引いた後の手取り額 ※差引額=寮費20,000円、水道・光熱費5,000円~6,000円、Wi-Fi 1,600円 支出(平均30,000円) 食費 27,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 3,000円 差額・貯金(平均60,000~70,000円) 差額 平均60,000~70,000円 ※差額は両親に送金 給料への不満 高層住宅の大規模修繕の現場〈埼玉県で2018年2月〉 私たちは同郷の友人や送出機関の同級生などたくさんの仲間とSNSで情報交換をしながら実習生活を送ります。訪日してしばらくすると、私たちは、仕事内容はきついのに、手取り月給(約90,000円)は関東の技能実習仲間の中で最低水準であることが分かりました。 その上、別の建築会社の実習生からこんなことを聞きました。「僕たちの会社では、会社と現場を往復する移動時間の一部に対し残業代が支払われている」。私たちも会社から現場に片道30分~2時間かけて移動していましたが、その時間は無給でした。そこで、私たち3人は移動時間に対して賃金を支払ってくれるよう社長に直訴しました。しかし、社長の答えは「移動時間は仕事ではないので賃金は支払えない」というものでした。 私たちはその後、監理団体にも相談しました。担当者が寮に来たときに、ベトナムの送出機関の通訳にメッセンジャー電話で通訳してもらって交渉しました。しかし、「社長が決めたことだから仕方がない」という答えでした。 安全管理への不満 さまざまな資材が体の近くに落ちてくることがあり、身の危険を感じた もっと大きな不満は作業現場の安全性でした。日本人の先輩が高所から金属パイプなどを下に落とし、私に受け取るように指示します。最初は取り損ねることもあり、「床に傷が付く」としかられました。しかし、そのような受け渡しは危険です。また、頭の近くに足場の金属板(アンチ)などが落ちてくることもありました。私は「この会社では、作業現場の安全が徹底されておらず、働き続けるのは非常に危険だ」と感じました。そこで、送出機関に「別の仕事に移れないか」と相談しましたが、「今はできない」と言われました。 「この会社には期待できない」と絶望 寮を後にして同僚と2人で失踪 こうして私たちは「この会社は給料が低すぎるし、安全面の改善も期待できない」と思うようになりました。そして、私と同僚の1人は失踪を決意しました。残る1人も私たちの半年後に失踪することになります。今から思うと、外国人技能実習機構(OTIT)に相談すべきでしたが、Wi-Fiだけを利用して携帯電話の通話契約をしていなかったのと、OTITのホームページから相談内容を送信できることを知らなかったので、相談しませんでした。 【編集部からのアドバイス】 技能実習生が受入企業から失踪すると在留資格が取り消される恐れがありますし、在留期間を過ぎると「不法滞在」になります。また、入管の許可なく別の職場で働くと「不法就労」になります。不法滞在も不法就労も犯罪(出入国管理法違反)です。 実習先での問題はまず監理団体に相談し、それでも解決しない場合は、外国人技能実習機構(OTIT)に必ず相談してください。下記ページからベトナム語で相談内容を送信できます。電話もあります(0120-250-168)。 ☆万一、OTITに相談しても解決しない場合は、下記のような民間の相談窓口もあります。 日越ともいき支援会(E-mail)n.tomoiki@gmail.com 外国人実習生支援(Facebook)https://www.facebook.com/jissyuseisien/ 失踪 寮の近くの駅。この駅から電車に乗って千葉県に行きました。 実習を始めて約半年後の2018年8月、給料日の翌日に私と同僚は黙って寮を去り、千葉県の実習生の寮に行きました。そして、そこで約2カ月間住ませてもらいました。私たちと同じ送出機関を出た仲間3人が住んでいる寮でした。 そこに住みながら、人づてに仕事を探していたところ、ベトナム人仲間の1人からメッセージがあり、仕事内容や給料が書かれていました。少ない給料でしたが、なかなか仕事が見つからなかったので、妥協しました。失踪者に仕事を紹介するFacebookページがありますが、「紹介料をだまし取られることも多い」「よい仕事が少ない」などと聞いていたので、私は使いませんでした。 弁当工場で不法就労(約5カ月間) 〈資料写真〉 紹介された勤務地は群馬県でした。メッセンジャーで連絡をくれた人の知人、デュックさん(=仮名)が働いている食品加工工場で、弁当箱におかずを入れたり、弁当箱のふたを閉めたりする仕事でした。デュックさんの同僚のベトナム人が何らかの事情で休みがちだったので、私はその人が休む日だけ“替え玉”として働きました。夜にデュックさんからメッセンジャーで連絡があれば、翌日出勤するという形態でした。私はこの工場で働くにあたって、会社の責任者とは一度も会わず、デュックさんに連れられて職場に行き、作業着もデュックさんから受け取り、デュックさんの指示に従って働きました。 私の1カ月の勤務日数は10日間に満たず、手取り月給は約60,000円でした。月給はデュックさんから手渡しで受け取りました。私はデュックさんがどういう在留資格で働いているのかさえ知りませんでした。私はデュックさんら5、6人のベトナム人と同じチームで働きました。大きな工場でしたが、ほとんど会話をしなかったので、全体でベトナム人が何人ぐらいいたのか分かりません。また、全身を作業着で覆って目だけを出していたので、私のことを気にする人もいませんでした。 住宅は別ルートで紹介され、ベトナム人6人で部屋をシェアしました。1人の家賃は月10,000円、水道・光熱費は5,000円~7,000円で、ほかの5人がどこで働いていたかは知りません。このときは給料が少なすぎて実家に送金できなかったので、次の仕事を探しながら働きました。 イチゴ農園で不法就労(約1年間) 在留カードの提出なしでイチゴ農園に“就職” 約5カ月後、茨城県のイチゴ農園に移りました。ここを紹介してくれたのは送出機関の同級生で、埼玉県の別の建築会社から失踪したタムさん(=仮名)でした。このイチゴ農園で先に働いていたタムさんに連れられて農園の経営者(日本人)に会いましたが、彼は私の在留カードをチェックせず、私の名前を聞いて仕事内容を説明しただけでした。 イチゴ農園での主な仕事は収穫でした〈資料写真〉 イチゴ農園での主な仕事は収穫でした。朝7時~夕方5時が定時で、残業も時々ありました。手取り月給は平均約15万円。毎月8~11万円を実家に送ることができ、ここで働き始めて約8カ月でベトナムでの借金を完済することができました。不法就労でしたが、日本に来て初めて安定した気持ちになりました。私たちには多額の借金があるので、最低限の収入がないと気持ちが落ち着かないのです。 肩身の狭い生活 失踪中の外出は食品の買い出しぐらいでした〈群馬県で2019年〉 住居は、タムさんらイチゴ農園の同僚4人とシェアし、1人あたりの家賃(水道・光熱費含む)は10,000円だけでした。同居の同僚も全員ベトナム人の失踪者で、私たちは全員、現金の手渡しで給料を受け取っていました。 群馬県でも茨城県でも不法滞在なので肩身の狭い生活でした。外出時に警察官に職務質問されて不法滞在が発覚するとベトナムに強制送還されることもあり、実家への送金ができなくなるので、休日もあまり外出しないようにしました。買い物も、外で買うのは食品ぐらいで、他の商品はインターネットで購入(代金引換)しました。私は外で警察官に会いませんでしたが、仲間は警察官を見かけると道路わきなどに隠れたそうです。 入管に出頭 入管に出頭するために降りた東京の品川駅〈2020年3月〉 2020年になって新型コロナウイルスの感染が日本で拡大し、両親がとても心配し、早く帰国するように強く言われました。また、少し前に茨城県でベトナム人が入管法違反で逮捕され、私も窮屈な生活に疲れ始めていました。そこで、2020年3月下旬、東京入管に出頭しました。入管では「出頭確認書」を手渡されてその日に仮放免され、翌月、もう一度入管に行くと「自分で航空券を買って帰国してください」と言われました。 仕事を辞めてからは節約のため食料も十分に買えませんでした〈千葉県で2020年3月〉 イチゴ園を出てからは、千葉県の友人宅に月23,000円で住ませてもらっていました。私はイチゴ園で最後にもらった給料で生活をしていましたが、新型コロナの影響でアルバイト先が見つからず、6月に実家から約10万円を送ってもらいました。その後、入管で出会ったベトナム人の紹介で8月12日からは東京のNPO法人「日越ともいき支援会」に住ませてもらい、帰国便の順番を待っています。 これから日本に来る皆さんは技能実習先の手取り給料や評判などをよく調べてから面接を受けるようにしてください。そして、希望する会社の面接に受かるよう、日本語の勉強もしっかりやってください。 今回の先輩 Mình(ミン)さん=仮名 2012 年6月短大卒業〈ホーチミン〉 2017年 3月日本語センター入所〈ホーチミン〉 2018年 1月訪日→講習〈千葉〉 2018年 2月建築会社で技能実習〈埼玉〉 2018年 8月失踪〈千葉→群馬→茨城〉 2019年 3月入管に出頭 2019年 8月日越ともいき支援会で帰国待ち〈東京〉 〈1991年生まれ、ベンチェ省出身〉 建築の技能実習先から失踪し不法就労を重ねたミンさん(=仮名)。ミンさんの失踪の経緯や失踪中の生活、どうしたら失踪せずにすんだかを紹介する。 面接に合格 私は短大を卒業後、ホーチミンの二つの会社で仕事をしました。しかし、日本に行ってもっとお金を稼いで両親を楽にしたいと思い、技能実習に応募しました。2017年3月、送出機関で勉強を始め、企業の面接を受けました。「とび作業は疲れる」と先輩から聞いていたので、他の業種を希望していましたが、面接に5回落ち、6回目で初めて合格したのがとび作業の仕事だったので、そこで働くことにしました。私が送出機関に支払った費用は送出手数料や授業料、寮費などすべて含めて150,000,000ドン(約68万円)でした。これは両親が銀行から借りました。 ホーチミン市の街並み(資料写真) 【編集部からのアドバイス】 ・送出機関によって手数料が違います。高い手数料を払ったからといって高い給料の実習先を紹介されるとは限りません。 ・ベトナム政府の規定で、技能実習生への日本語教育費は約520時間に対し5,900,000ドン以下、送出手数料は3,600 USD以下(3年契約の場合)となっています。 ・送出機関や実習先の選び方はこのリンク先を参考にしてください。 Link:こんなに違う、送出機関への費用 / 徹底比較 技能実習開始 私は2018年1月に訪日し、2月から埼玉県の建築会社で技能実習を始めました。送出機関の同級生2人も一緒で、私たちがこの会社で初めての技能実習生でした。毎朝、自転車で会社に行き、会社から日本人の先輩が運転する車で現場に行きました。現場は一戸建てが多く、たまに高層住宅もありました。朝5時に寮を出て夕方6時か7時に帰る生活でした。 寮の部屋(9階)からみた満開の桜並木〈埼玉県で2018年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,980ドン(2020年9月24日現在) 収入(平均90,000円) 手取り給料 90,000円 ※税金、社会保険料、寮費を差し引いた後の手取り額 ※差引額=寮費20,000円、水道・光熱費5,000円~6,000円、Wi-Fi 1,600円 支出(平均30,000円) 食費 27,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 3,000円 差額・貯金(平均60,000~70,000円) 差額 平均60,000~70,000円 ※差額は両親に送金 給料への不満 私たちは同郷の友人や送出機関の同級生などたくさんの仲間とSNSで情報交換をしながら実習生活を送ります。訪日してしばらくすると、私たちは、仕事内容はきついのに、手取り月給(約90,000円)は関東の技能実習仲間の中で最低水準であることが分かりました。 その上、別の建築会社の実習生からこんなことを聞きました。「僕たちの会社では、会社と現場を往復する移動時間の一部に対し残業代が支払われている」。私たちも会社から現場に片道30分~2時間かけて移動していましたが、その時間は無給でした。そこで、私たち3人は移動時間に対して賃金を支払ってくれるよう社長に直訴しました。しかし、社長の答えは「移動時間は仕事ではないので賃金は支払えない」というものでした。 私たちはその後、監理団体にも相談しました。担当者が寮に来たときに、ベトナムの送出機関の通訳にメッセンジャー電話で通訳してもらって交渉しました。しかし、「社長が決めたことだから仕方がない」という答えでした。 高層住宅の大規模修繕の現場〈埼玉県で2018年2月〉 安全管理への不満 もっと大きな不満は作業現場の安全性でした。日本人の先輩が高所から金属パイプなどを下に落とし、私に受け取るように指示します。最初は取り損ねることもあり、「床に傷が付く」としかられました。しかし、そのような受け渡しは危険です。また、頭の近くに足場の金属板(アンチ)などが落ちてくることもありました。私は「この会社では、作業現場の安全が徹底されておらず、働き続けるのは非常に危険だ」と感じました。そこで、送出機関に「別の仕事に移れないか」と相談しましたが、「今はできない」と言われました。 さまざまな資材が体の近くに落ちてくることがあり、身の危険を感じた。 「この会社には期待できない」と絶望 こうして私たちは「この会社は給料が低すぎるし、安全面の改善も期待できない」と思うようになりました。そして、私と同僚の1人は失踪を決意しました。残る1人も私たちの半年後に失踪することになります。今から思うと、外国人技能実習機構(OTIT)に相談すべきでしたが、Wi-Fiだけを利用して携帯電話の通話契約をしていなかったのと、OTITのホームページから相談内容を送信できることを知らなかったので、相談しませんでした。 寮を後にして同僚と2人で失踪 【編集部からのアドバイス】 技能実習生が受入企業から失踪すると在留資格が取り消される恐れがありますし、在留期間を過ぎると「不法滞在」になります。また、入管の許可なく別の職場で働くと「不法就労」になります。不法滞在も不法就労も犯罪(出入国管理法違反)です。 実習先での問題はまず監理団体に相談し、それでも解決しない場合は、外国人技能実習機構(OTIT)に必ず相談してください。下記ページからベトナム語で相談内容を送信できます。電話もあります(0120-250-168)。 ☆万一、OTITに相談しても解決しない場合は、下記のような民間の相談窓口もあります。 日越ともいき支援会(E-mail)n.tomoiki@gmail.com 外国人実習生支援(Facebook)https://www.facebook.com/jissyuseisien/ 失踪 実習を始めて約半年後の2018年8月、給料日の翌日に私と同僚は黙って寮を去り、千葉県の実習生の寮に行きました。そして、そこで約2カ月間住ませてもらいました。私たちと同じ送出機関を出た仲間3人が住んでいる寮でした。 そこに住みながら、人づてに仕事を探していたところ、ベトナム人仲間の1人からメッセージがあり、仕事内容や給料が書かれていました。少ない給料でしたが、なかなか仕事が見つからなかったので、妥協しました。失踪者に仕事を紹介するFacebookページがありますが、「紹介料をだまし取られることも多い」「よい仕事が少ない」などと聞いていたので、私は使いませんでした。 寮の近くの駅。この駅から電車に乗って千葉県に行きました。 弁当工場で不法就労(約5カ月間) 紹介された勤務地は群馬県でした。メッセンジャーで連絡をくれた人の知人、デュックさん(=仮名)が働いている食品加工工場で、弁当箱におかずを入れたり、弁当箱のふたを閉めたりする仕事でした。デュックさんの同僚のベトナム人が何らかの事情で休みがちだったので、私はその人が休む日だけ“替え玉”として働きました。夜にデュックさんからメッセンジャーで連絡があれば、翌日出勤するという形態でした。私はこの工場で働くにあたって、会社の責任者とは一度も会わず、デュックさんに連れられて職場に行き、作業着もデュックさんから受け取り、デュックさんの指示に従って働きました。 〈資料写真〉 私の1カ月の勤務日数は10日間に満たず、手取り月給は約60,000円でした。月給はデュックさんから手渡しで受け取りました。私はデュックさんがどういう在留資格で働いているのかさえ知りませんでした。私はデュックさんら5、6人のベトナム人と同じチームで働きました。大きな工場でしたが、ほとんど会話をしなかったので、全体でベトナム人が何人ぐらいいたのか分かりません。また、全身を作業着で覆って目だけを出していたので、私のことを気にする人もいませんでした。 住宅は別ルートで紹介され、ベトナム人6人で部屋をシェアしました。1人の家賃は月10,000円、水道・光熱費は5,000円~7,000円で、ほかの5人がどこで働いていたかは知りません。このときは給料が少なすぎて実家に送金できなかったので、次の仕事を探しながら働きました。 イチゴ農園で不法就労(約1年間) 約5カ月後、茨城県のイチゴ農園に移りました。ここを紹介してくれたのは送出機関の同級生で、埼玉県の別の建築会社から失踪したタムさん(=仮名)でした。このイチゴ農園で先に働いていたタムさんに連れられて農園の経営者(日本人)に会いましたが、彼は私の在留カードをチェックせず、私の名前を聞いて仕事内容を説明しただけでした。 在留カードの提出なしでイチゴ農園に“就職” イチゴ農園での主な仕事は収穫でした。朝7時~夕方5時が定時で、残業も時々ありました。手取り月給は平均約15万円。毎月8~11万円を実家に送ることができ、ここで働き始めて約8カ月でベトナムでの借金を完済することができました。不法就労でしたが、日本に来て初めて安定した気持ちになりました。私たちには多額の借金があるので、最低限の収入がないと気持ちが落ち着かないのです。 イチゴ農園での主な仕事は収穫でした〈資料写真〉 肩身の狭い生活 住居は、タムさんらイチゴ農園の同僚4人とシェアし、1人あたりの家賃(水道・光熱費含む)は10,000円だけでした。同居の同僚も全員ベトナム人の失踪者で、私たちは全員、現金の手渡しで給料を受け取っていました。 群馬県でも茨城県でも不法滞在なので肩身の狭い生活でした。外出時に警察官に職務質問されて不法滞在が発覚するとベトナムに強制送還されることもあり、実家への送金ができなくなるので、休日もあまり外出しないようにしました。買い物も、外で買うのは食品ぐらいで、他の商品はインターネットで購入(代金引換)しました。私は外で警察官に会いませんでしたが、仲間は警察官を見かけると道路わきなどに隠れたそうです。 失踪中の外出は食品の買い出しぐらいでした〈群馬県で2019年〉 入管に出頭 2020年になって新型コロナウイルスの感染が日本で拡大し、両親がとても心配し、早く帰国するように強く言われました。また、少し前に茨城県でベトナム人が入管法違反で逮捕され、私も窮屈な生活に疲れ始めていました。そこで、2020年3月下旬、東京入管に出頭しました。入管では「出頭確認書」を手渡されてその日に仮放免され、翌月、もう一度入管に行くと「自分で航空券を買って帰国してください」と言われました。 入管に出頭するために降りた東京の品川駅〈2020年3月〉 イチゴ園を出てからは、千葉県の友人宅に月23,000円で住ませてもらっていました。私はイチゴ園で最後にもらった給料で生活をしていましたが、新型コロナの影響でアルバイト先が見つからず、6月に実家から約10万円を送ってもらいました。その後、入管で出会ったベトナム人の紹介で8月12日からは東京のNPO法人「日越ともいき支援会」に住ませてもらい、帰国便の順番を待っています。 これから日本に来る皆さんは技能実習先の手取り給料や評判などをよく調べてから面接を受けるようにしてください。そして、希望する会社の面接に受かるよう、日本語の勉強もしっかりやってください。 仕事を辞めてからは節約のため食料も十分に買えませんでした〈千葉県で2020年3月〉

    2020年10月01日

  • Vol. 41 日本人の友だちを増やし日本語上達

    今回の先輩 チャン・ティ・ミンさん 2011年 6月ドンアイン高校卒業 2015年 5月ベトナム国立農業大学卒業 2015年 5月タイビン省勤務 2016年 7月Dungmori 日本語センターで学習(4カ月間) 2017年 1月新大阪外国語学院入学 2018年 4月駿台観光&外語ビジネス専門学校入学 2020年 3月駿台観光&外語ビジネス専門学校卒業 2020年 4月扶桑工業入社(正社員) 〈1993年生まれ、ハノイ市出身〉 留学中に日本人の友だちと頻繁に交流し、日本語が上達したミンさん。日本語学校は15カ月間で卒業し、専門学校を経て日本で就職した。日本での就職活動の概要や注意点について、ミンさんが体験に基づいて紹介する。 〈このページの内容〉 • 訪日のきっかけと準備 • 返済期間の短い借金は× • 4月以外の入学で費用節約 • 留学生活の費用 • 日本で住宅を借りるには • 日本語をたくさん使おう • 私のアルバイト • 私の就活方法 • 面接で大切なこと • 今の職場が大好き 訪日のきっかけと準備 ハノイで最初に通った日本語センター 私はベトナムで農業大学を卒業後、地方の役所で3カ月間働きました。しかし、経済発展した国で働いてみたいという思いを捨て切れず、仕事を辞めて日本語の面接練習をするセンターに半年間通いました。そして、農業関連のエンジニアを目指して日本の会社2社に応募しましたが、丸暗記した自己紹介を述べただけで、面接官(日本人)の質問が理解できず、不合格となりました。 私は日本で働くには日本語をしっかり勉強しなければならないと自覚し、アルバイトで生活しながらDuongmori(ズンモリ)日本語センターで4カ月間学びました。そして、本格的に日本語を身に付けようと考え、まずは留学することにしました。 返済期間の短い借金は× 専門学校でもらった成績優秀賞の景品。借金返済を少なくして勉強に力を入れましょう。 日本語学校の紹介や在留資格(ビザ)取得などの手続きは留学あっせん会社に依頼しました。同社にはUSD1,500の手数料と日本での1年分の授業料73万円と飛行機代を支払いました。私は銀行で300,000,000ドン(約137万円)を借りて200,000,000ドン(約91万円)を留学に使い、残りは両親にプレゼントしました。 銀行への返済期間は10年で、毎月の返済額は5,000,000ドン(約23,000円)だけです。返済期間が短いと、留学中にアルバイトに追われます。しかし、最近は、週28時間を超えて働くと入管にばれますし、勉強もあまりできません。銀行に借りる場合、長期返済がお勧めです。 4月以外の入学で費用節約 専門学校の仲間たち。私は日本語学校を15カ月間で終えて専門学校に進学しました。 私は訪日前に勉強を頑張り、日本語能力試験(JLPT)N3のレベルになりました。そして、2017年1月に訪日し、大阪の日本語学校に入りました。 日本の学校は毎年4月に始まって翌年3月に終わります(=学校年度)。日本語学校への入学時期は4月か10月が多く、コースによっては7月や1月の場合もあります。私は2017年1月に入学し2018年3月に卒業したので、日本語学校での在籍期間は15カ月間でした。ここで大事なことは、何月に入学しても卒業は次の学校年度の3月なので、4月に入学した場合、在席期間は24カ月間になります。その場合、10月や1月に入学するよりも在籍期間が長く、費用(授業料と日本滞在費)が余分にかかります。ベトナムで十分に勉強し、4月ではなく学校年度の途中で入学する方が費用は安くなります。 留学生活の費用 最初に部屋をシェアしたキューさんとは今もよく会います〈堺市内で2020年〉 留学開始後、農業分野に限定せずに就職先を探そうと考えを変え、専門学校に進んでビジネスを学びました。 日本語学校の学費は1年73万円、専門学校は1年75万円でした。日本語学校のときは、別の学校のベトナム人、キューさんと部屋をシェアをしました。彼女は同郷の先輩留学生から紹介してもらいました。専門学校時代は、アパートを移って別のベトナム人留学生と部屋をシェアしました。相手は新しい留学生で、私がFacebookのOsaka Baitoというページに「●●に住んでいます。同居者を探しています」と投稿すると、連絡をくれました。今は会社の近くで1人暮らしをしています。 私の家計簿(1カ月の平均)  ※専門学校1年目の家計簿 ※100円=21,894ドン(2020年8月31日現在) 収入(合計115,000円~135,000円) アルバイト3件   115,000 円~130,000円 ※コンビニ、人材会社、中華料理店 支出(合計115,000円~130,000円) 家賃 20,000円 ※1DKを2人でシェア 授業料 56,000円 ※JLPT・N2などで少し割引 光熱費 3,000~7,000円 ※水道・電気・ガスの合計(1人あたり) インターネット 2,200円 ※ルームメイトとシェア 携帯電話 3,000~7,000円 ※Biglobe Sim 食費 25,000~30,000円 雑費 5,000~10,000円 ※衣類、学習教材、交通費など 差額・貯金(平均0円~10,000円) 差額 平均0円~10,000円 ※長くアルバイトのできる長期休暇時に貯めたお金で両親への送金や旅行など ※両親への送金は就職してから本格化 左:大阪城公園で〈2019年11月〉, 右:ハノイの日本語センターの同級生(エンジニア)やその同僚とテト祝い〈和歌山県で2020年1月〉 日本で住宅を借りるには 現在の1人暮らしの部屋 日本でアパートを借りるには保証人が必要なケースが多いです。最初のアパートは日本語学校が保証人でした。また、専門学校時代のアパートや今のアパートを借りるときは、小松さんという日本人が保証人になってくれました。小松さんは、私がハノイで最初に通った日本語センターで仲良くなりました。私に大阪での留学を勧めたのも彼で、今は、大阪の近くでベトナム人の奥さんと一緒に暮らしています。留学先に日本人の友人がいると心強いものです。 日本語をたくさん使おう 久美さんと楽しむ休日〈大阪で2020年〉 私は訪日して約1年後にJLPTのN2に合格しました。学校の授業以外に自宅で毎日2時間勉強しました(教材は主に「総まとめ」シリーズ)。また、日本語を話す機会をたくさん作りました。 ❶日本語をたくさん使う ・外国人とも日本語…私は訪日直後、アパートで電気・ガスの開通方法が分からず、廊下を通りがかったフランス人に助けてもらいました。それがきっかけで彼と仲良くなり、よく散歩に誘い合って日本語で会話をしました。 ・日本人の友人…ハノイで仲良くなった小松さんとは今も時々会います。また、フランス人の友人から紹介された久美さんという日本人と親友になり、頻繁に会っています。 ❷日本の映画 日本の映画(音声は日本語、字幕はベトナム語)をインターネットでよく観賞しました。 ❸アルバイト アルバイト先でもたくさん日本語を話しました。 私のアルバイト 中華料理店の同僚とベトナム料理店で食事会〈大阪で2020年6月〉 ①日本に来て最初のアルバイトは居酒屋(接客)でした。フランス人の友人のアルバイト先で、彼の紹介で一緒に働きました(1年間)。 ②①と同じ時期に別の居酒屋でも働きました。これはルームメイトのキューさんのアルバイト先で、彼女の紹介で一緒に働きました(半年間)。 ③専門学校に進んでアパートを引っ越したので新しいバイトを探し、コンビニや中華料理店で働きました(いずれも約1年半)。コンビニは店に「アルバイト募集」のはり紙があったので応募しました。中華料理店は「タウンワーク」という携帯電話のアプリで見つけました。中華料理店の仲間(日本人)とはとても仲良くなり、就職してからも一度食事会をしました。 WA.SA.Bi.で配信する動画を制作〈大阪で2019年〉 ④専門学校時代は、人材紹介会社「森興産」でも2年間働きました。同社はWA.SA.Bi.という留学生支援サイトとFacebookを運営しており、私は翻訳やコンテンツ制作(ベトナム語)などを担当しました。先輩留学生から後任として紹介してもらったバイトです。 私の就活方法 私は専門学校2年の初め(4月)に就職活動を始めました。留学生の就活の主な流れは、企業情報収集→会社説明会(または合同説明会)に参加→面接→採用内定、となっています。説明会なしで書類選考だけで面接を受けられる場合もあります。 ❶企業情報収集 ベトナム人を採用する会社をインターネットや人の紹介で探し、自分に合いそうな会社を見つけたら、ネットで登録して会社説明会に参加します。 ❷会社説明会 1社単独の「会社説明会」と複数企業が集まる「合同説明会」があります。私はこれらを次の方法で探しました。 ・大手人材紹介会社(マイナビ、リクナビなど)のウェブサイト ・近所のハローワーク(行政の職業紹介所)で相談 ・WA.SA.Bi.のサイト 興味のある会社があれば、会社説明会に参加します。説明を聞いて面接を受けたければ履歴書やエントリーシート(志望動機や自己PRなど)を提出し、面接の連絡を待ちます。説明会の会場で面接を受けられる場合もあります。 私は2019年4~9月に7~8社の会社説明会と4回の合同説明会に参加しました。 オフィス街などで行われる会社説明会〈イメージ写真〉 面接で大切なこと 私の場合、会社説明会のピークは5~6月でした。早い人はこの時期に採用内定をもらいますが、私が内定を得たのは9月末でした。私はWA.SA.Bi.のサイトから扶桑工業の求人を見つけて応募し、会社説明会なしで面接を受けました。外国人2人に対し3人の面接官が1時間半かけて面接し、2人とも採用されました。私は4社の面接で落ちた後、2社で合格しました。その過程で学んだことをお伝えします。 ❶会社のことを詳しく知る 入りたい会社の事業や仕事の内容、どのような人材を求めているかなどをインターネットや会社説明会でよく調べます。そのうえで、自分がその会社で何をしたいか、どのように貢献できるかを考え、面接で伝えましょう。 ❷失敗した理由を考える 私は最初、面接で自己紹介もスムーズにできませんでした。まして、その会社で自分が何をしたいかを伝えることはまったくできませんでした。そこに気付いて改善していきました。 ❸面接の練習をする 面接での質問も想定し、事前に何度も練習することが大事です。扶桑工業の面接の前にはWA.SA.Bi.のスタッフの方が模擬面接をやってくれました。その後、自宅でも何度か練習をしてから本番の面接を受けました。 左:面接に続けて落ちたころ、食事会で仲間が励ましてくれました〈2019年6月〉, 右:その後、就職も決まり、クリスマスには久美さんとケーキ作り〈2019年12月〉 今の職場が大好き ハノイの日本語センターの同級生たちと休日にお出かけ〈大阪で2020年〉 扶桑工業はエアコンの配管部品を作っています。私は生産企画部に所属し、エアコンメーカーから注文を受けたら製造用の図面を作製したり、見積書の品目を書き出したりしています。工場にはベトナム人のエンジニアや技能実習生もいますが、生産企画部の約20人の中でベトナム人は私だけです。職場の人はみなやさしく、とても居心地のよい職場です。将来、もし当社がベトナムに進出することがあれば、その事業に関われればうれしいです。 今回の先輩 Trần Thị Minh (チャン・ティ・ミン)さん 2011年 6月Dong Anh 高校卒業 2015年 5月ベトナム国立農業大学卒業 2015年 5月タイビン省勤務 2016年 7月Dungmori 日本語センターで学習(4カ月間) 2017年 1月新大阪外国語学院入学 2018年 4月駿台観光&外語ビジネス専門学校入学 2020年 3月駿台観光&外語ビジネス専門学校卒業 2020年 4月扶桑工業入社(正社員) 〈1993年生まれ、ハノイ市出身〉 留学中に日本人の友だちと頻繁に交流し、日本語が上達したミンさん。日本語学校は15カ月間で卒業し、専門学校を経て日本で就職した。日本での就職活動の概要や注意点について、ミンさんが体験に基づいて紹介する。 〈このページの内容〉 • 訪日のきっかけと準備 • 返済期間の短い借金は× • 4月以外の入学で費用節約 • 留学生活の費用 • 日本で住宅を借りるには • 日本語をたくさん使おう • 私のアルバイト • 私の就活方法 • 面接で大切なこと • 今の職場が大好き 訪日のきっかけと準備 私はベトナムで農業大学を卒業後、地方の役所で3カ月間働きました。しかし、経済発展した国で働いてみたいという思いを捨て切れず、仕事を辞めて日本語の面接練習をするセンターに半年間通いました。そして、農業関連のエンジニアを目指して日本の会社2社に応募しましたが、丸暗記した自己紹介を述べただけで、面接官(日本人)の質問が理解できず、不合格となりました。 私は日本で働くには日本語をしっかり勉強しなければならないと自覚し、アルバイトで生活しながらDuongmori(ズンモリ)日本語センターで4カ月間学びました。そして、本格的に日本語を身に付けようと考え、まずは留学することにしました。 ハノイで最初に通った日本語センター 返済期間の短い借金は× 日本語学校の紹介や在留資格(ビザ)取得などの手続きは留学あっせん会社に依頼しました。同社にはUSD1,500の手数料と日本での1年分の授業料73万円と飛行機代を支払いました。私は銀行で300,000,000ドン(約137万円)を借りて200,000,000ドン(約91万円)を留学に使い、残りは両親にプレゼントしました。 銀行への返済期間は10年で、毎月の返済額は5,000,000ドン(約23,000円)だけです。返済期間が短いと、留学中にアルバイトに追われます。しかし、最近は、週28時間を超えて働くと入管にばれますし、勉強もあまりできません。銀行に借りる場合、長期返済がお勧めです。 専門学校でもらった成績優秀賞の景品。借金返済を少なくして勉強に力を入れましょう。 4月以外の入学で費用節約 私は訪日前に勉強を頑張り、日本語能力試験(JLPT)N3のレベルになりました。そして、2017年1月に訪日し、大阪の日本語学校に入りました。 日本の学校は毎年4月に始まって翌年3月に終わります(=学校年度)。日本語学校への入学時期は4月か10月が多く、コースによっては7月や1月の場合もあります。私は2017年1月に入学し2018年3月に卒業したので、日本語学校での在籍期間は15カ月間でした。ここで大事なことは、何月に入学しても卒業は次の学校年度の3月なので、4月に入学した場合、在席期間は24カ月間になります。その場合、10月や1月に入学するよりも在籍期間が長く、費用(授業料と日本滞在費)が余分にかかります。ベトナムで十分に勉強し、4月ではなく学校年度の途中で入学する方が費用は安くなります。 専門学校の仲間たち。私は日本語学校を15カ月間で終えて専門学校に進学しました。 留学生活の費用 留学開始後、農業分野に限定せずに就職先を探そうと考えを変え、専門学校に進んでビジネスを学びました。 日本語学校の学費は1年73万円、専門学校は1年75万円でした。日本語学校のときは、別の学校のベトナム人、キューさんと部屋をシェアをしました。彼女は同郷の先輩留学生から紹介してもらいました。専門学校時代は、アパートを移って別のベトナム人留学生と部屋をシェアしました。相手は新しい留学生で、私がFacebookのOsaka Baitoというページに「●●に住んでいます。同居者を探しています」と投稿すると、連絡をくれました。今は会社の近くで1人暮らしをしています。 最初に部屋をシェアしたキューさんとは今もよく会います〈堺市内で2020年〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※専門学校1年目の家計簿 ※100円=21,894ドン(2020年8月31日現在) 収入(合計115,000円~135,000円) アルバイト3件   115,000 円~130,000円 ※コンビニ、人材会社、中華料理店 支出(合計115,000円~130,000円) 家賃 20,000円 ※1DKを2人でシェア 授業料 56,000円 ※JLPT・N2などで少し割引 光熱費 3,000~7,000円 ※水道・電気・ガスの合計(1人あたり) インターネット 2,200円 ※ルームメイトとシェア 携帯電話 3,000~7,000円 ※Biglobe Sim 食費 25,000~30,000円 雑費 5,000~10,000円 ※衣類、学習教材、交通費など 差額・貯金(平均0円~10,000円) 差額 平均0円~10,000円 ※長くアルバイトのできる長期休暇時に貯めたお金で両親への送金や旅行など ※両親への送金は就職してから本格化 大阪城公園で〈2019年11月〉 ハノイの日本語センターの同級生(エンジニア)やその同僚とテト祝い〈和歌山県で2020年1月〉 日本で住宅を借りるには 日本でアパートを借りるには保証人が必要なケースが多いです。最初のアパートは日本語学校が保証人でした。また、専門学校時代のアパートや今のアパートを借りるときは、小松さんという日本人が保証人になってくれました。小松さんは、私がハノイで最初に通った日本語センターで仲良くなりました。私に大阪での留学を勧めたのも彼で、今は、大阪の近くでベトナム人の奥さんと一緒に暮らしています。留学先に日本人の友人がいると心強いものです。 現在の1人暮らしの部屋 日本語をたくさん使おう 私は訪日して約1年後にJLPTのN2に合格しました。学校の授業以外に自宅で毎日2時間勉強しました(教材は主に「総まとめ」シリーズ)。また、日本語を話す機会をたくさん作りました。 ❶日本語をたくさん使う ・外国人とも日本語…私は訪日直後、アパートで電気・ガスの開通方法が分からず、廊下を通りがかったフランス人に助けてもらいました。それがきっかけで彼と仲良くなり、よく散歩に誘い合って日本語で会話をしました。 ・日本人の友人…ハノイで仲良くなった小松さんとは今も時々会います。また、フランス人の友人から紹介された久美さんという日本人と親友になり、頻繁に会っています。 ❷日本の映画 日本の映画(音声は日本語、字幕はベトナム語)をインターネットでよく観賞しました。 ❸アルバイト アルバイト先でもたくさん日本語を話しました。 久美さんと楽しむ休日〈大阪で2020年〉 私のアルバイト ①日本に来て最初のアルバイトは居酒屋(接客)でした。フランス人の友人のアルバイト先で、彼の紹介で一緒に働きました(1年間)。 ②①と同じ時期に別の居酒屋でも働きました。これはルームメイトのキューさんのアルバイト先で、彼女の紹介で一緒に働きました(半年間)。 ③専門学校に進んでアパートを引っ越したので新しいバイトを探し、コンビニや中華料理店で働きました(いずれも約1年半)。コンビニは店に「アルバイト募集」のはり紙があったので応募しました。中華料理店は「タウンワーク」という携帯電話のアプリで見つけました。中華料理店の仲間(日本人)とはとても仲良くなり、就職してからも一度食事会をしました。 中華料理店の同僚とベトナム料理店で食事会〈大阪で2020年6月〉 ④専門学校時代は、人材紹介会社「森興産」でも2年間働きました。同社はWA.SA.Bi.という留学生支援サイトとFacebookを運営しており、私は翻訳やコンテンツ制作(ベトナム語)などを担当しました。先輩留学生から後任として紹介してもらったバイトです。 WA.SA.Bi.で配信する動画を制作〈大阪で2019年〉 私の就活方法 私は専門学校2年の初め(4月)に就職活動を始めました。留学生の就活の主な流れは、企業情報収集→会社説明会(または合同説明会)に参加→面接→採用内定、となっています。説明会なしで書類選考だけで面接を受けられる場合もあります。 ❶企業情報収集 ベトナム人を採用する会社をインターネットや人の紹介で探し、自分に合いそうな会社を見つけたら、ネットで登録して会社説明会に参加します。 ❷会社説明会 1社単独の「会社説明会」と複数企業が集まる「合同説明会」があります。私はこれらを次の方法で探しました。 ・大手人材紹介会社(マイナビ、リクナビなど)のウェブサイト ・近所のハローワーク(行政の職業紹介所)で相談 ・WA.SA.Bi.のサイト 興味のある会社があれば、会社説明会に参加します。説明を聞いて面接を受けたければ履歴書やエントリーシート(志望動機や自己PRなど)を提出し、面接の連絡を待ちます。説明会の会場で面接を受けられる場合もあります。 私は2019年4~9月に7~8社の会社説明会と4回の合同説明会に参加しました。 オフィス街などで行われる会社説明会〈イメージ写真〉 面接で大切なこと 私の場合、会社説明会のピークは5~6月でした。早い人はこの時期に採用内定をもらいますが、私が内定を得たのは9月末でした。私はWA.SA.Bi.のサイトから扶桑工業の求人を見つけて応募し、会社説明会なしで面接を受けました。外国人2人に対し3人の面接官が1時間半かけて面接し、2人とも採用されました。私は4社の面接で落ちた後、2社で合格しました。その過程で学んだことをお伝えします。 ❶会社のことを詳しく知る 入りたい会社の事業や仕事の内容、どのような人材を求めているかなどをインターネットや会社説明会でよく調べます。そのうえで、自分がその会社で何をしたいか、どのように貢献できるかを考え、面接で伝えましょう。 ❷失敗した理由を考える 私は最初、面接で自己紹介もスムーズにできませんでした。まして、その会社で自分が何をしたいかを伝えることはまったくできませんでした。そこに気付いて改善していきました。 ❸面接の練習をする 面接での質問も想定し、事前に何度も練習することが大事です。扶桑工業の面接の前にはWA.SA.Bi.のスタッフの方が模擬面接をやってくれました。その後、自宅でも何度か練習をしてから本番の面接を受けました。 面接に続けて落ちたころ、食事会で仲間が励ましてくれました〈2019年6月〉 その後、就職も決まり、クリスマスには久美さんとケーキ作り〈2019年12月〉 今の職場が大好き 扶桑工業はエアコンの配管部品を作っています。私は生産企画部に所属し、エアコンメーカーから注文を受けたら製造用の図面を作製したり、見積書の品目を書き出したりしています。工場にはベトナム人のエンジニアや技能実習生もいますが、生産企画部の約20人の中でベトナム人は私だけです。職場の人はみなやさしく、とても居心地のよい職場です。将来、もし当社がベトナムに進出することがあれば、その事業に関われればうれしいです。 ハノイの日本語センターの同級生たちと休日にお出かけ〈大阪で2020年〉

    2020年09月09日

主催者

Nhà tài trợ Bạch Kim

後援

  • 在ベトナム日本国大使館
  • 国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
  • JNTOハノイ事務所
  • 関西経済連合会
  • 一般社団法人 国際人流振興協会
  • 公益社団法人 ベトナム協会
  • NPO法人 日越ともいき支援会

協力

JASSO(日本学生支援機構)

外国人労働者弁護団

WA.SA.Bi.