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VOL. 92 日本の文学小説を多数翻訳・出版

ベトナムから海外留学する人がまだ少なかった1990年代に日本に留学したニエンさん。留学仲間の夫が沖縄で就職したため彼女も沖縄に長く住むことになり、その間に日本の文学小説をたくさん翻訳し、ベトナムで出版。最近は、沖縄に住むベトナム人技能実習生たちのサポートにも力を入れています。 今回の先輩 グエン・ド・アン・二エンさん 1994年ホーチミン国家大学東洋学部入学 1997年名桜大学で交換留学〈沖縄、1年間〉 1999年ホーチミン国家大学卒業 1999年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈2年間〉 2001年名桜大学大学院修士課程入学 2003年修士課程修了 2003年大阪府立国際児童文学館外国人研究員〈6カ月〉 2004年ホーチミン国家大学東洋学部で日本語講師〈4年間〉 2004年TRE出版社で日本語通訳・翻訳〈4年間〉 2011年名桜大学附属図書館でアルバイト〈5年間〉 2011年名桜大学非常勤講師〈現在も〉 2022年沖縄大学非常勤講師〈現在も〉 〈1976年生まれ、ホーチミン市出身〉 ◆このページの内容 •...

2023年06月12日
  • VOL. 91 来日後も勉強を続け職場のリーダーに

    2023年05月29日
    食品工場で技能実習生から特定技能外国人になったトゥエットさん。彼女は、来日直後は日本人の話すことが全然わかりませんでしたが、毎日3時間勉強を続け、数カ月で少し会話ができるようになり、2年でJLPT・N3に合格しました。今は、職場のベトナム人のリーダーとして活躍しています。 今回の先輩 グエン・ティ・トゥエットさん 2017年高校卒業〈ハイズオン省〉 2018年送出機関で約半年間勉強〈ハノイ〉 2018年来日→講習→技能実習〈福岡県〉 2021年特定技能外国人〈同じ会社〉 〈1999年生まれ、ハイズオン省出身〉 ◆このページの内容 • 幼いころから母をサポート • 技能実習の送出機関 • 日本での仕事の内容 • ベトナムに送ったお金 • 私の家計簿 • 休日の過ごし方 • ミスコンテストで入賞 • 日本語の勉強 • 将来の夢 幼いころから母をサポート 家族と親せき(右端が母) 私が2歳のとき、父が交通事故で亡くなりました。母はその後、1人で田畑を耕(たがや)して、私と弟を育ててくれました。母は米や野菜、果物を栽培し、私もときどき朝早く起きて、水路からおけで水をくみ、畑にまきました。私はこのように畑仕事を1時間ぐらい手伝ってから学校に行きました。また、6歳のときから母の料理を手伝い、12歳からは料理も掃除も私が1人で担当しました。 私の故郷では、日本に出稼ぎに行く人も多かったので、私も高校生のころから「将来は日本に行きたい」と思っていました。 お金を稼いで母を楽にしてあげられますし、自分のお金も貯めて、将来は故郷でブティックを開業したいという夢があったからです。そして、高校を卒業すると、親せきがハノイの送出機関を紹介してくれました。 技能実習の送出機関 私は高校を卒業してから約半年間、母の仕事を手伝い、技能実習の採用面接(今の会社の面接)に合格すると、ハノイの送出機関に入って日本語を勉強しました。面接には約150人が参加し、40人が選ばれました。 私は送出機関に7200 USDを米ドルで支払いましたが、契約書や領収証に書かれた費用は3500 USDでした。また、これ以外に寮費や食事代、日本に持って行く服など、約25万円(約45,000,000 VND)を使いました。 【編集部からのアドバイス】 送出機関の費用7,200 USDはベトナム政府の規定を大きく超えています。 高い費用を払っても、よい会社を紹介してもらえるとは限りません。 送出機関を選ぶときは、親せきや知人の紹介だけに頼らず、インターネットの口コミなども調べましょう。送出機関に無駄なお金を払わないために、KOKOROの記事もよく読んでください。 external link KOKORO|送出機関を決める前にこれだけは知っておこう! external link KOKORO|技能実習の費用と注意点 日本での仕事の内容 私は技能実習生として2018年8月に来日しました。私の職場は大きな弁当工場です。コンビニで販売する弁当やおにぎり、チルド食品(親子丼、オムライス)などを作っています。私の最初の仕事は、できあがった弁当を箱に詰め、台車に乗せてトラックの近くに運ぶことでした。ご飯やおかずを弁当箱に詰める仕事もときどきやりました。そして、3年間の技能実習が終わり、特定技能に移ってからは、厨房(ちゅうぼう)で各レーンに食材や調味料を配る担当になりました。 ところで、私の勤務は夜勤だけで、勤務時間は19時から翌朝6時まで(途中で休憩1時間)です。日勤のベトナム人は約50人、夜勤のベトナム人も約50人で、私は来日して2年目から夜勤のベトナム人のリーダーをしています。これは、私の日本語力や勤務態度が評価されたからで、リーダーとしての手当も付いています。 ベトナムに送ったお金 改修した実家の前で母と私 技能実習生のときの私の手取り給料は毎月15万円~17万円でした。毎月35~40時間の残業があり、深夜勤務手当てもあり、リーダー手当もあったので、かなり高い給料です。そして、特定技能外国人になってから手取り給料は毎月18万円~20万円に上がりました。私は来日して最初の1年間で約125万円をベトナムに送って来日前の借金を完済し、その後3年間でさらに約360万円を送り、一部は実家の改修に使ってもらいました。 ただ、日本に来てからずっと夜勤なので、体調が悪くなってきました。4年目から昼間の勤務に変更してもらった同期生もたくさんいますが、夜勤の方が日勤より毎月約3万円多くもらえるので、私は夜勤を続けてきました。しかし、疲れがたまってきたので、近いうちに会社に相談して日勤に変えてもらうつもりです。 私の家計簿(1カ月の平均) ※今の職場での家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:180,000円 給料 ¥180,000 *税金や社会保険、寮費、水道・光熱費などを引いた手取り給料 *寮費(14,000円)、電気・ガス・水道(10,000円) 支出:80,000円 食費(主に自炊) ¥40,000 生活雑貨、衣類、化粧品など ¥15,000 交際費、外食費など ¥35,000 毎月の差額:100,000円 休日の過ごし方 在日ベトナム人の間ではサッカーが盛んで、福岡でもベトナム人チームの試合や大会がよくあります。私は日曜によくサッカーの試合を見に行きます。試合会場に行くと、同じように応援に来ている人たちと友だちになれるので、一緒にお弁当を食べたり遊びに行ったりしています。 また、休日にベトナムの伝統的舞踊であるmúa(ムア)の練習をすることもあります。私の住む博多市内で地元の著名ベトナム人が自分の借りている部屋を開放し、ムアのダンスクラブ(参加費無料)を開催しています。そこに技能実習生や特定技能外国人が5、6人集まって練習をしています。ベトナムの幼稚園や小学校でムアを習いますが、私は高校生のときもYouTubeでムアの踊り方を研究して練習していました。大好きなムアを踊ると、ストレスが解消されます。 ミスコンテストで入賞 大きなミスコンで入賞〈福岡県で2022年1月〉 福岡では「在福岡ベトナム人協会」などベトナム人団体の活動が盛んで、毎年テト(旧正月)の時期に大きなお祭りがあります。そのときにミスコンテストも行われますが、私もインターネットでミスコンのことを知って参加したところ、入賞しました。 賞金をもらったほか、ミスコンの様子を公式動画に収録してもらいました。それ以外に、地元のアオザイ大会でも優勝しました。 日本語の勉強 私は来日前に約半年間、送出機関で朝から夕方まで日本語の授業を受け、夜も3、4時間自習しました。それでも、日本に来たばかりのときは、日本人の話す言葉が全然わかりませんでした。 しかし、来日後も毎日3、4時間勉強を続けたところ、3、4カ月で少し話せるようになり、今では毎日、職場の日本人と話をしています。このため、2年目からは職場のベトナム人のリーダーに選ばれ、日本人がベトナム人に仕事を指示する際に通訳をすることもあります。また、日本に来たばかりの実習生は日本語がまったく分からないので、約2カ月間、日本人と私が一緒に仕事を教えます。 こうして日本語を話せるようになったので、職場の日本人やネパール人留学たちと仲良くなり、仕事が終わってから日本語で少し話をしています。日本人の先輩と一緒に寺や公園に観光に行ったこともあります。 帰国後に日本語力を生かして送出機関の日本語の先生になろうと思っていた時期もありました。そのため、毎日3時間、眠いのをがまんして日本語の勉強をしていました。そして、来日して2年で日本語能力試験(JLPT)のN3に合格しましたが、その後、日本語教師の給料があまり高くないことがわかり、最近は以前ほど勉強しなくなりました。 将来の夢 ハイズオン出身の福岡の友だち 私は技能実習を3年やり、もうすぐ特定技能も2年になります。日本で覚えた技術を母国に持ち帰って経済発展に生かすのが技能実習の建て前ですが、私も仲間も日本で働いて覚えたことを帰国後の仕事に生かすことは考えていません。そもそも、ベトナムでは日本ほど弁当が売れていないので、弁当工場もありません。 今後のことはまだ確定していませんが、多分、あと2、3年働いてベトナムに帰国し、故郷のハイズオンで結婚相手を探すと思います。日本の生活も楽しいですが、母や昔からの友だちに会えないのは寂しいので、やはり故郷で暮らす方が私には向いています。そして、日本で働いたお金の一部は母にあげ、残りのお金で婦人服を売るブティックを開業するのが私の夢です。
  • VOL. 90 寝ても覚めても勉強し3年でN1合格

    2023年03月31日
    日本に留学してまもなく「自分で努力しなければ、いつまでたっても日本語で会話できるようにならない」と気づいたウットさん。空いている時間はいつも日本語を勉強し、3年でN1に合格。日本での就職や帰国後の日系企業への就職でも大いに役立ちました。 今回の先輩 タ・ティ・ウットさん 2011年高校卒業 2012年日本語学校入学〈福岡県〉 2014年専門学校入学〈福岡県〉 2015年結婚、JLPT・N1合格 2016年専門学校卒業 2016年日本で就職〈愛知県〉 2017年夫の転勤に伴い帰国 2017年HISハノイ支店入社(正社員) 2019年出産 2020年日系の会計事務所入社〈ハノイ〉 〈1993年生まれ、ハノイ出身〉 ◆このページの内容 • 準備不足で訪日 • 日本語学校と専門学校に留学 • 学校選びに失敗 • 寝ても覚めても日本語を勉強 • アルバイトでたくさん日本語会話 • 私の家計簿 • 日本で留学生と結婚 • 夫の転勤で帰国 • ハノイで日系企業の正社員に • 別の日系企業に転職 • 日本留学で得たもの 準備不足で訪日 私の姉は2010年から日本に留学し、その後、日本人と結婚して今も日本に住んでいます。私は高校卒業後、姉に習って日本に留学することにしました。その準備として、ハノイの日本語センターの寮に住んで3カ月間勉強しました。その間は授業を含めて毎日6時間勉強しましたが、日本で暮らすために日本語がどれぐらい必要かわかっていなかったので、今から思うととても不十分な勉強でした。 ひらがな、カタカナと簡単な会話しか覚えずに日本に行った私は、当初、言葉のことでとても苦労することになります。 日本語学校と専門学校に留学 日本で一緒に暮らした姉(右) 私は2012年10月、姉が通っていた福岡市の「西日本国際教育学院」という日本語学校で留学を始めました。最初の3カ月間は学校の寮に住み、4カ月目からは姉と一緒に暮らしました。 日本語学校で1年半学んだ後、私は「国際貢献専門大学校」という専門学校に進みました。この学校は、私が通った日本語学校の系列校です。本当は他の大学か専門学校に行きたかったのですが、系列校に進学すれば学費が割り引かれるという特典にひかれてその専門学校を選びました。しかし、この学校を選んだことを後で大きく後悔することになりました。 学校選びに失敗 私はこの専門学校でITを学ぼうと思い、「情報ビジネス」を専攻したのですが、専門分野の授業はほとんど受けられませんでした。当時、この学校はできたばかりで、学校の準備不足によってITの教師が不足していたのです。 IT関係の授業は休講続きで、代わりにいつも日本語の授業を受けされられました。しかも、私は専門学校に入る前に日本語能力試験(JLPT)N3に合格し、当時はN2・N1を目指していたにもかかわらず、専門学校の日本語授業はN3・N4レベルでした。私は担任の先生に「もっとITの勉強をしたい」と何度も訴えましたが、何も改善されませんでした。後輩の皆さんは学校の評判をよく調べてから進学先を選んでください。 寝ても覚めても日本語を勉強 留学を始めて最初の数カ月間、私は日本語力不足でアルバイトが見つかりませんでした。友人からアルバイトを紹介してもらっても、工場など日本語を話さなくてもよい職場ばかりでした。私はまわりの日本人が話す日本語がほとんどわからず、自分の言いたいことも伝えられず、ストレスがたまっていつも家で泣いていました。 そして、「日本語がわからないと何もできない」「自分で勉強しないと、どれだけ日本人と交流しても話せるようにならない」と気づき、猛勉強を始めました。学校の授業以外に、昼でも夜でも休日でも空いた時間はできるだけ日本語を勉強し、アルバイト先でも上司や先輩とできるだけ会話するようにしました。 その結果、私は留学を始めて9カ月後にJLPT・N3に合格し、その2年後にN1に合格しました。最初は「みんなの日本語」を使い、N2・N1対策には市販の問題集を使いました。また、自分の好きなYouTubeチャンネル(日本語)を聴いてリスニングの練習をしました。 アルバイトでたくさん日本語会話 アルバイト仲間の日本人たちと焼肉会 日本語が話せるようになるにつれ、日本語を使うアルバイトに採用されるようになりました。そうなると、仕事をしながら日本語の練習ができ、わからない言葉や言い方は日本人の先輩や同僚に教えてもらえるので、日本語の会話力が急速に伸びていきました。 アルバイト探しについては、友人に紹介してもらうか、無料の求人情報誌を見て店に電話をかけ、面接を申し込みました。そして、アルバイト先の先輩や仲間と仲良くなり、一緒にご飯を食べに行くこともよくありました。また、クリーニング工場のおばさんは自宅に私と友人を招いてくれました。これらの人たちの中には、今もFacebookなどで連絡を取り合っている人もいます。 ◎私が日本で経験した主なアルバイト クリーニング 工場でクリーニングした大きなカーテンを2、3人でたたむ仕事。ホテルで使うカーテンでした。 ビジネスホテル ベッドメイキング、清掃 居酒屋 ホール(接客)、片付け、開店準備 レストラン キッチン、早朝の仕込み(料理の準備) 弁当店 キッチン、レジ 技能実習生の監理団体(組合) 通訳、技能実習生の生活サポート) 私の家計簿(1カ月の平均) ※専門学校時代の家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:120,000円~150,000円 給料 ¥120,000~¥150,000 ※アルバイト2、3件 支出:158,000円~160,000円 学校の授業料 ¥55,000 家賃(ワンルーム) ¥50,000 ※1に暮らし、Wi-Fi・水道代込み 電気・ガス ¥8,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 食費 ¥25,000 ※バイト先で無料のまかないを食べることも多かった。 雑費 ¥10,000 ※交通費、学習教材、衣類 毎月の差額:▲10,000円~38,000円 ※夏休みなどの長期休みに多く働いて不足を補いました。 日本で留学生と結婚 新婚時代の夫と私 私の姉は福岡で日本語学校から大学に進学しましたが、ある日、姉の大学の同級生のベトナム人男性が姉と私の家に遊びに来ました。ほどなくして私は彼と付き合うようになり、約2年半後、彼は大学を卒業して日本で就職することになりました。その少し前に私たちは結婚し、福岡のベトナム総領事館に婚姻届けを出しました。その後、私も就職が決まり、名古屋に引っ越して一緒に住みました。 私は就職するまで3年半留学しましたが、生活費や学費を稼ぐために早朝や夜にアルバイトをし、それ以外は勉強に打ち込んでいたので、休日は疲れて横になっていることも多く、旅行にはあまり行きませんでした。夫と知り合ってからも一緒に公園やゲームセンターなどでデートするぐらいで、観光はあまりしませんでした。今にして思えば、日本にいる間にもっとあちこちに旅行しておけばよかったと思います。 夫の転勤で帰国 帰国直前にベトナムの家族を名古屋に招待 私たちは2015年に結婚し、私は正社員の夫の妻として日本に在留する予定だったので、本格的な就職活動はしていませんでした。しかし、夫の勤務地が名古屋に決まると、私は家の近くでできる仕事を探し、この会社に履歴書を送って面接を受けたところ、携帯電話ショップを運営する会社の正社員に採用されました。 日本の携帯電話ショップの店員は携帯電話の端末を売る仕事よりも通信契約に関する対応が多いので、さまざまなことを覚えなければなりません。そのため、通常は入社後6カ月間の新人研修を経てやっと店に出ることができます。研修では、接客マナーやパソコン操作、さまざまなサービス内容を学びますが、私は3カ月で覚えることができ、通常より早く店に出ることができました。しかし、就職して1年半後に夫がハノイに転勤になり、私も退職して帰国することになりました。 ハノイで日系企業の正社員に HISハノイ支店の入っているビル〈2018年〉 2017年7月に帰国してまもなく、私は日本の大手旅行会社HISのハノイ支店で正社員として働き始めました。店のカウンターで日本人客(主に駐在員)に航空券やホテル、ツアーを手配する担当でした。個人がインターネットで航空券やホテルを手配することもできますが、会社の業務で出張する場合に旅行会社を使うと、経理処理に必要なインボイスが発行されますし、顧客サービスも良いので、HISを使う日本人はとてもたくさんいました。 ところで、私は帰国が決まってすぐにハノイでの仕事を探し始めました。しかし、日本と違ってベトナムでは面接に合格したらすぐに働き始めてほしいという会社がほとんどだったので、結局、帰国後にFacebookで仕事を探し直し、HISに入りました。 別の日系企業に転職 HSKVのパーティー 私はHISで約2年半働き、出産を機に退職しました。そして、2020年からはHSKV(HSK Vietnam Audit Company)という日系の会計事務所で働いています。私の仕事は会長(日本人)の秘書で、秘書業務以外に下記のような仕事も担当しています。 監査報告書や移転価格報告書、事業概況報告書などの翻訳 顧客企業の帳簿の入力 顧客企業の給与計算表のチェック 個人所得税の計算と申告 顧客企業の日本人駐在員の労働許可証・ビザ・レジデンスカードの申請 HSKVの仕事もFacebookで探し、給料はHISのときより約30%上がりました。転職したのは、HISでは土日の出勤もあったため、出産後の生活に合わなくなったためです。今の会社を選んだのは、朝8時~9時の間に出勤し8時間勤務すればよいというフレキシブルな勤務時間と自宅から近いことが決め手でした。 ハノイに戻って2つの日系企業に就職して思うのは、日系企業への就職には、履歴書の内容よりも面接での評価(日本語会話力や対人能力など)の方が重視されるような気がします。 日本留学で得たもの 私は留学中、学校選びに失敗したことをとても後悔しました。しかし、学校で専門知識は得られなかったものの、自分で日本語の勉強やアルバイトに一生懸命に取り組み、3年でJLPT・N1に合格できました。また、アルバイト仲間に日本語で積極的に話しかけ、会話も十分にできるようになったので、ベトナムに帰国して日系企業に就職する際にとても役立ちました。 留学せずベトナムで日本語を勉強する人も素晴らしいですが、留学経験者の方が全体的にリスニング力が高く、日本での生活やアルバイトも経験したということで、日系企業での就職には有利なようです。私は日本で留学できて本当に良かったと思います。
  • VOL. 89 「みんなの日本語」の解説本を翻訳

    2023年03月24日
    日本語を学ぶ外国人の多くが最初に手にする日本語の教科書「みんなの日本語」。その解説本4冊を1人でベトナム語に翻訳したドンア大学副学長のヴィンさん。ヴィンさんの日本留学体験や学生時代の勉強方法などを紹介します。 今回の先輩 ゴ・クアン・ヴィン さん 1998年高校卒業〈クアンチ省〉 1998年ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部入学 2002年ハノイ大学卒業 2002年日本の設計会社で勤務(通訳・翻訳)〈ハノイ〉 2004年国立ダナン大学外国語大学日本語学科で日本語講師 2008年一橋大学で研究生として留学〈東京〉 2010年一橋大学修士課程入学 2012年一橋大学博士課程入学 2015年一橋大学博士課程修了 2015年国立ダナン大学外国語大学日本語・韓国語・タイ語学部長 2020年ドンア大学副学長兼日本言語文化学部長〈ダナン〉 〈1980年生まれ クアン・チ省出身〉 ◆このページの内容 •「みんなの日本語」の解説本を翻訳 • 大学で日本語を学び日系企業へ • 私の日本語学習法 • 6年半の日本留学 • 私の家計簿 • 留学中の交流 • 留学中に困ったこと • ベトナム語の専門書を日本語で出版 • ドンア大学について 「みんなの日本語」の解説本を翻訳 日本語を学ぶ外国人の多くが最初に使う教科書「みんなの日本語」の「翻訳・文法解説」があるのをご存じの方も多いと思います。「みんなの日本語」は日本語だけで書かれているので、十分に理解できないときに「翻訳・文法解説」を読めば、内容が理解しやすくなります。私は2013~16年に「みんなの日本語」初級Ⅰ、初級Ⅱ、中級Ⅰ、中級Ⅱの「翻訳・文法解説」をベトナム語に翻訳しました。 この翻訳を始めたとき、私は一橋大学(東京)で留学していましたが、そのときの指導教官が私のベトナム語力と日本語力を高く評価し、出版社に推薦(すいせん)してくださったことがきっかけでした。翻訳する際には、もとの日本語の意味ができるだけ正しく伝わるベトナム語にしたいと思い、言葉をていねいに選びながら時間をかけて翻訳しました。 大学で日本語を学び日系企業へ 会社の仲間と日本の石炭鉱山の見学 私が高校のとき、有名な日本ドラマ「おしん」がベトナムで放送されていました。わたしは主人公・おしんのけなげな生き方や勤勉さ、ドラマに出ていた昔の日本家屋などがとても気に入って、日本についてもっと知りたくなりました。高校では英語コースでしたが、大学では別の外国語を勉強しようと思っていたこともあり、ハノイ外国語大学(現ハノイ大学)日本語学部に入りました。 私は大学で4年間日本語を学んだ後、新聞の広告欄で見つけた日系企業に入りました。これは木造住宅の構造設計をする会社で、私は日本人の社長や技術者たちとベトナム人スタッフとの間の通訳や書類の翻訳をするチームのリーダーとして働きました。その後、大学で日本語を教える仕事に興味を持つようになり、知人の紹介で国立ダナン大学の日本語講師になりました。 私の日本語学習法 ハノイ外国語大学の教室で 私は大学生のとき、大学のゼミや講義以外に毎日6~8時間、自習しました。インターネット上の学習素材も紙の日本語教材も少ない時代だったので、今よりも勉強に工夫が必要でした。そのときに私が行った勉強方法を紹介します。 新聞の1面のコラムを読む:私は日本の新聞の1面のコラムを読み、ほぼ毎日、その内容について大学の先生と日本語でディスカッションしました。 自分で文章を作って読む:参考書に書かれている語彙(ごい)や文型を使って文章を作り、自分で声を出して読みました。 ハノイ大学日本語学部の級友たちとお出かけ これ以外に、古本屋で日本の古新聞を買い、何度も辞書を引きながら読みました。言葉の勉強では、やはり辞書を使い込むことが大事です。それでも理解できない部分がたくさんあったので、私は大学でただ1人の日本人の先生にアポを取り、質問に応じてもらいました。ただ、当時ハノイには日本人がまだ少なく、ネィティブの日本人との会話練習がほとんどできないのは残念でした。 6年半の日本留学 修士課程を修了 ダナン大学で講師をしているとき、日本の文部科学省が提供する留学生向け奨学金に応募しました。そして、在ベトナム日本国大使館で試験を受けて合格し、国費留学生として日本に行くことになりました。留学先には東京外国語大学も検討しましたが、少人数で勉強・研究できる一橋(ひとつばし)大学を選びました。 こうして私は2008年10月に一橋大学の研究生として訪日し、研究生1年半、修士課程2年、博士課程3年の計6年半、文科省の奨学金で留学しました。そのうち約2年間は妻と一緒に暮らしましたが、妻が2011年に東日本大震災による原発事故を契機に帰国してからは妻子と離れて留学しました。 妻と息子 私は留学中はずっと学費無料で奨学金も受給していたので、アルバイトは最小限にしてできるだけ勉強をしました。しかし、毎年、お盆とテト(旧正月)に帰国するための旅費がかかり、普段は節約生活を強いられました。私がよく使った便は成田→香港→ハノイ→ダナンというルートで、乗り継ぎが悪いため安価でした。一番安いときは往復28,000円でしたが、留学中に燃油サーチャージ(12,000円~15,000円)を加算する制度が始まり、大きな痛手でした。また、当時はSNS電話がなかったので、30分3,000円の国際電話(当時としては格安)でたまにだけ妻と話しました。 私の家計簿(1カ月の平均) ※博士課程のときの家計簿 ※100円=約18,218 VND(2023年2月2日現在) 収入:200,000円 奨学金 ¥150,000 給料 ¥50,000 ※アルバイト(通訳・翻訳、辞書作りの手伝いなど) 支出:100,000円 授業料 ¥0 家賃 ¥50,000 ※東京都内、ワンルーム 電気・ガス・水道 ¥5,000~¥10,000 携帯電話 ¥8,000 ※国際電話代を含む インターネット ¥6,000 食費 ¥35,000 ※昼は大学の食堂、夜は主に自炊。 交際費 ¥15,000 雑費・交通費 ¥20,000~¥25,000 ※衣類、教材、交通費、化粧品など 毎月の差額(貯金):60,000円 ※貯めたお金で帰国の際の航空券などを購入。 留学中の交流 ベトナム人仲間と東京で日本庭園(夜間ライトアップ)を見学 6年半も日本に住んだので、日本人との交流もたくさんありました。指導教官やゼミの仲間と食事に行ったほか、アルバイトを通じて知り合った人たちとも交流しました。 ベトナム人同士の交流もありました。国費留学に合格した同期のメーリングリストがあったので、日本に行ってから留学生同士の交流のきっかけになりました。 また、東京のベトナム大使館が独立記念日やテトの際に行うイベントもあり、そこでもベトナム人同士の交流ができました。 留学中に困ったこと external link KOKORO|花粉症について(※クリック) ところで、留学中に困ったこともたくさんありました。 休日に病気になったとき 休日に医療機関に行っても対応してくれず、困りました。留学3年目に花粉症になり、くしゃみと鼻水がひどく、とても疲れました。そこで、週末に2、3カ所の医療機関に行きましたが、休日なので受け付けてくれず、どうしたらよいかも教えてくれませんでした。その後、平日になんとか時間を作ってクリニックに行き、薬を処方してもらいました。また、ひどい腹痛のときに近くの病院に電話しましたが、「大きな症状やけがなら診(み)るが、今回は無理です」と断られ、がまんするしかありませんでした。いずれも機械的な対応で、「外国人だから対応が悪いのでは」と感じました。日本は外国人向けの公的な救急医療制度をもっと充実させるべきだと思います。 external link KOKORO|日本での住宅の探し方(※クリック) 住宅探し アパートを探すとき、外国人だから借りられない物件がたくさんありました。その後、当時よりはましになったものの、今も外国人お断りの物件が多いと聞きます。 外人扱い 電車内でベトナム人同士で会話していると、そばにいた日本人たちが向こうに行ってしまいました。日本の電車内でのマナーを理解して私たちは小さな声でしゃべっていたのに、そのような行動をされ、残念でした。また、電車内でくしゃみをすると、マスクをしていても周囲から冷たい視線を受け、これも外国人への偏見のように感じました。このため、かぜをひいたときは電車に乗るのがおっくうでした。 日本人はもっと外国に出て国際感覚を高めてほしいですし、日本の行政は外国人が居心地よく暮らせるように、地域の外国人サポート窓口をもっと充実させてほしいと思います。 ベトナム語の専門書を日本語で出版 external link この本のAmazonでの販売ページ(※クリック) 2015年に留学を終えた私はその年から国立ダナン大学 外国語大学の日本語・韓国語・タイ語学部長になりました。そして、2020年にドンア大学の副学長兼日本言語文化学部長になりました。 私は留学中に日本語教育やベトナム語の類別詞について研究しました。類別詞とは名詞の数え方です。例えば日本語で「一つ」「1枚」「1個」などと数えるときの「つ」「枚」「個」などが類別詞で、ベトナム語ではどのような類別詞があるのかを留学中の博士論文にまとめました。この論文を帰国後にさらに精査して書き直し、2023年に「現代ベトナム語の類別詞研究: 類別詞の本質とその意味・用法」という日本語の専門書を出版しました。Amazonでも購入できますので、ベトナム語の研究者や教師・学習者の方々に活用していただければ幸いです。 ドンア大学について 最後に副学長兼学部長としてドンア大学日本言語文化学部について紹介します。当学部では次のような点を重視して日本語教育を行っています。 日本語を「読む・書く・聞く・話す」ために必要な基礎学力と専門知識を養い、日本語で考える力や日本語コミュニケーション力の向上を目指しています。 日本文化を深く多角的に理解する人材を育てるため、インターンシップや文化交流、交換留学などのプログラムを充実させています。 ダナンの日系企業で見学や研修を行い、日本語を活かした仕事への理解や日本語コミュニケーション力の向上に努めています。 こうしたプログラムには、私や教師陣の留学経験も活かされています。

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【在ベトナム日本国大使館後援】

  • Vol. 40 あの手この手で日本語上達

    今回の先輩 ロ・ティ・マインさん 2015年5月ソンタイ高校卒業〈ハノイ〉 2015年8月ハノイ国家大学・外国語大学 日本言語文化学部入学 2018年3月交換留学で明治大学情報コミュニケーション学部=1年間〈東京〉 2019年6月明治大学に短期留学(1カ月間) 2020年7月日系IT企業に就職〈ハノイ〉 2020年7月ハノイ国家大学卒業 〈1997年生まれ、ハノイ市出身〉 はじめに ボランティアでお菓子配り〈ハノイで2017年12月〉 ハノイの若い女性たちが応募する「さくら親善大使」のコンテストでトップ5に選ばれるなど華やかな経歴のマインさん。学生としては、さまざまなやり方で積極的に日本語を学び、1年間の交換留学生に選ばれた。日本語の勉強方法や留学生活、日系企業への就職活動について、マインさんが体験談を紹介する。 ボランティアでお菓子配り〈ハノイで2017年12月〉 ハノイの日系企業に就職 職場の人たちとハノイのレストランで〈2020年7月〉 私は日本語や日本文化を学び日本に留学もしたので、日本での就職を希望していました。しかし、新型コロナウイルスの影響で渡航できなくなり、2020年7月に地元のハノイで就職しました。就職活動では、自分が今何をしたいのか、また将来はどうなりたいのかをまず考えました。その上で、求人サイトや知人の紹介で求人を探し、出願しました。 就職した会社には日越2カ国語の履歴書を出し、日本語で面接を受けました。事前に面接で聞かれることを考え、何度も受け答えの練習をしました。実際の面接では、「当社はまだ新しく小さな会社ですが、あなたはそれでも大丈夫ですか?」などと聞かれ、「皆さまと一緒に会社を育て、将来、会社に不可欠な人材になりたい」と答えました。 職場の人たちとハノイのレストランで〈2020年7月〉 日本語の勉強 越日学生会議のメンバーと〈ハノイで2016年2月〉 私が大学時代に取り組んだ日本語の勉強方法を紹介します。 ❶学習グループ 大学1年のとき、苦手だった漢字を克服するために日越親友会(JVC)に参加しました。JVCは当時、漢字・会話・文法・読解などに分かれてグループ学習をするサークルでした。ここで知り合った仲間とは、このサークル以外でも一緒に日本語能力試験(JLPT)対策の勉強をしました。 Link:日越親友会 ❷越日学生会議(VJSC) ハノイの各大学から有志が集まり、日本の大学生たちと交流しました。日本から来た大学生たちに観光案内をしたり、日越の文化紹介のプレゼン資料(日本語)を一緒に作ったりしました。 Link:越日学生会議 越日学生会議のメンバーと〈ハノイで2016年2月〉 Riki 日本語センターで講師のアルバイト ❸日本人主催のボランティア活動に参加 ホアンキエム湖周辺でのボランティアのゴミ拾いに月2回ほど参加しました。日本人の主催で、終了後、コーヒーを飲みながら日本語会話などの練習をします。 Link:Lam sach dep Ho Guom voi Ninomiya ❹アルバイト 日本語力がついてからは、Riki日本語センターという日本語教室でN4受験クラスの講師をしました。 ❺日本のドラマやアニメ 日本のドラマやアニメ(音声は日本語、字幕はベトナム語)も見ました。リスニング力が向上し、好きなセリフをまねることで発音もきれいになりました。 Riki 日本語センターで講師のアルバイト 日本語学習のツール 大学時代は、授業以外に1日3時間ぐらい日本語を勉強しました。私の使った教材を紹介します。 ◆みんなの日本語=定番の日本語入門書 ◆「新完全マスター」シリーズ(スリーエーネットワーク)=JLPT受験者に評価が高い。練習問題が多い。「読解」が特に人気。 ◆「耳から覚える日本語能力試験」シリーズ(アルク)=「語彙」が特に人気。CDやMP3もあり、聞きながら言葉を覚える。 ◆「日本語総まとめ」シリーズ(アスク出版)=「新完全マスター」と比べて練習問題は少ないが、毎日2ページずつ8週間で完成するプログラムで、独学でも続けやすい。 ◆NHK のNews Web Easy(オンライン)=やさしい日本語ニュースが読める。映像もあり、リスニングの練習にもなる。 時間があるときはYou Tubeの学習チャンネルも見ます。何かをしながら日本の歌を聴くこともあります。 1. あかね的日本語教室 2. Hiro Vlog 3. The Hanoi Chamomile 4. Samurai Chan 5. Giang Vũ 1年間の交換留学 明治大学で留学仲間と〈2019年〉 日本語が上達したので、大学3年のときに約1年間、交換留学生として東京の明治大学に留学しました。留学中は、牛丼店でホール担当(接客、配膳、レジ)としてアルバイトをしました。牛丼店で最初は日本人の同僚の言うことが分からないときもありましたが、同僚たちはとても親切で、分からない日本語があると、いつも親切に教えてくれました。休みの日には彼女たちと一緒に遊びにいくこともありました。 牛丼店のアルバイトはタウンワークというウェブサイト(日本語)で探しました。 明治大学で留学仲間と〈2019年〉 私の家計簿(1カ月の平均)  ※交換留学中の東京での生活費 ※100円=21,943 ドン(2020年8月9日現在) ※交換留学中の東京での生活費 ※100円=21,943 ドン(2020年8月9日現在) 収入(合計115,000円~120,000円) アルバイト1件   115,000円~120,000円 ※牛丼店 支出(合計92,000円~97,000円) 家賃 50,000円 ※水道・電気・ガス・Wi-Fiの料金込み ※ワンルーム(家具付き)に1人 ※風呂・シャワー・キッチン・トイレは共同 学費 0円 ※ハノイ国家大学と明治大学との協定で学費免除 携帯電話 2,000円 ※LINE Sim利用 食費 25,000円 ※バイト中は店のメニューを6割引で食べられた 雑費 15,000円~20,000円 ※外食、衣類、交通費、化粧品 毎月の差額・貯金(平均23,000円) 差額 平均23,000円 ※長期休暇時に長く働いて10カ月足らずで約30万円を貯め、一部を帰国の飛行機代や土産(ユニクロの服や菓子、化粧品など)に使った。 住居は、大学から紹介されたシェアハウスで、社会人もいました。食堂・台所が共用なので入居者同士で仲良くなり、5~20人で宴会をすることが毎月ありました。宴会では私もときどきベトナム料理を振る舞いました。特に仲がよかったのは年上の社会人の女性と言語学の研究をしている男性でした。彼らとは一緒に観光や外食にも行きました。 東京のシェアハウスで宴会〈2018年8月〉 東京のシェアハウスで宴会〈2018年8月〉 シェアハウスの仲間と高尾山(東京)へ〈2018年11月〉 シェアハウスの仲間と高尾山(東京)へ〈2018年11月〉 学部大使として再訪日 派遣留学のプログラムで浴衣体験〈2019年6月〉 交換留学からハノイに戻って3カ月後、明治大学に再び1カ月間留学しました。日本言語文化学部で毎年行われるJapan Day Festivalの大使コンテストで優勝し、学部の大使として派遣留学(旅費・滞在費無料)をさせていただいたのです。大学の仲間6人と一緒に渡航して大学のゼミなどに参加したほか、立山(富山県)や鎌倉(神奈川県)を観光し、皇居や国会議事堂、明治神宮などを見学しました。 派遣留学のプログラムで浴衣体験〈2019年6月〉 日本人女性の化粧 以前は化粧にそれほど興味がなかったのですが、留学して日本人女性のナチュラルで美しい化粧に感心しました。例えば、ほおが薄いピンクになっている人がたくさんいます。最初は地肌かと思っていましたが、やがて化粧だと分かり、びっくりしました。それからは、私もネットで化粧の勉強をしたり、デパートの化粧品売り場でメイクをしてもらったりして参考にしました。留学の1年間で化粧がずいぶんうまくなったように思います。 留学後も、航空便のキャビンアテンダントをしている友人にときどきお願いし、日本で化粧品を買ってきてもらっています。 さくら親善大使ファイナリスト 「さくら親善大使」の最終選考でトップ5に入選〈2019年3月〉 ハノイでは2年に1回、ハノイ市や在ベトナム日本国大使館、AICグループの共催で「さくら親善大使」を選ぶイベントがあります。ハノイ市在住の18~28歳のベトナム人女性で日本語を話せることが応募条件です。2019年3月、書類選考で選ばれた50人のうち面接で15人が最終選考に進みました。私もこの15人に入り、お茶会やすし作りなど日本文化を体験したほか、同年9月に日本に約1週間行かせていただきました。 「さくら親善大使」の最終選考でトップ5に入選〈2019年3月〉 将来の夢 私は現在、ITコミュニケーターをしています。日本の親会社が日本で受注したアプリ開発業務を私たちの会社が請け負う際、顧客の依頼内容をエンジニアに伝える役割です。発注に関する日本語資料をベトナム語に翻訳する仕事も含まれます。 将来は、親会社で勤務する機会があればと希望しています。日本語力をもっと高めたいですし、日本ではベトナムより給料も高いからです。留学が楽しかったので、もう一度日本に住みたいという気持ちもあります。当面は、今の仕事で会社に貢献できるよう、しっかりがんばりたいと思います。

    2020年08月17日

  • Vol. 39 生き生きとパン作り

    今回の先輩 ファン・ティ・カム・トゥイさん 2017年 6月グエンチャイ高校卒業〈ベンチェ県〉 2018年 2月飲食店勤務〈ベンチェ県〉 2018年12月日本語センター入所〈ホーチミン〉 2019年 8月訪日→講習〈大阪〉 2019年10月ベーカリーで技能実習〈鹿児島県〉 〈1995年生まれ、ベンチェ省出身〉 はじめに パンの生地を並べる作業〈2020年7月〉 故郷で料理店を開くお金を貯めるために日本に来たトゥイさん。給料より仕事内容で選んだパン作りの実習。おとなしい性格だが、エプロンを着てパン作りを始めると、生き生きと輝き出す。トゥイさんの仕事の様子と彼女を支える日本の「お父さん」とのふれ合いについて紹介する。 パンの生地を並べる作業〈2020年7月〉 将来の夢のために訪日 実習先の店の売り場〈2020年7月〉 私の両親と兄は畜産とエビの養殖をしています。私は高校を卒業して地元ベンチェの料理店で調理を担当しました。料理が好きだからです。将来は自分の料理店を開きたいので、資金を貯めるために日本で働こうと思いました。料理に関係する技能実習を希望していたところ、パンを焼く仕事を紹介されたので、飛びつきました。 送出機関はホーチミンのMirai Humanでした。ベーカリー経営会社の2人がホーチミンまで来て通訳付きで面接をしてくれました。Mirai Humanに支払った費用は約115,000,000 VNDでした。 実習先の店の売り場〈2020年7月〉 同僚と2人で生活 寮でガンさんと食事〈2019年10月〉 2019年10月、同期のガンさんと一緒に鹿児島県鹿屋市の「ジュリアンベーカリー」で働き始めました。ガンさんとは寮(3ベッドルーム)で同室です。職場には調理室と売り場、パンを食べるためのテラス席があります。町から離れていますが、車で来店する人が多く、とてもはやっています。 平日は午前10時開店で、私たちの勤務(実習)は7:00~13:00です。ときどき残業もあります。土日の勤務は5:00~14:00(8時開店)なので、朝3時に起きて弁当を作り、朝食を食べます。寮から職場へは自転車で約20分。雨の日は、雨がっぱを着て自転車に乗ります。 寮でガンさんと食事〈2019年10月〉 パンを焼く日々 焼き上がった食パンをオーブンと型枠から取り出す〈2020年〉 最初はいろいろなパンの名前を覚えることから始めました。私たちの担当はパンの生地を作ることとそれを焼くことです。毎朝、食パンの生地作りから始めます。小麦粉、バター、イースト、水を大型ミキサーで混ぜますが、そのときに湯で水温を調節します。室温や小麦粉の温度に応じた最適の水温にしないとよい生地はできません。ここが難しいポイントです。そして、生地を少し発酵させた後、その日のうちに焼いて店に出します。 焼き上がった食パンをオーブンと型枠から取り出す〈2020年〉 食パンの生地を発酵させている間に菓子パンなどの生地をつくります。パンの種類ごとに混ぜる材料の種類や分量が違います。そして、材料はレシピと1㌘たりとも違わないように正確に計量します。できあがった生地は小分けして冷凍します。食パンのようにその日に焼くのではなく、いったん冷凍して必要なときに解凍して焼きます。きれいなパンが焼き上がり、店長からほめられたときが一番うれしい瞬間です。 ラスクの焼き具合を見ながら裏返す ラスクの焼き具合を見ながら裏返す 焼き上がったパンにクリームを注入 職場の日本人との交流 休日に店員さんたちと寮でランチ会〉 店員さんは全員女性でとても親切です。私たちによく話しかけてくれますし、雨が激しい朝は、だれかが車で通勤途中に私たちの寮に寄って乗せていってくれます。店長が閉店後に車でスーパーに買い物に連れて行ってくれることもあります。 休日に店員さんたちと寮でランチ会〉 店でクリスマスケーキ作り〈2019年12月〉 店員さんたちが寮に遊びに来てくれることもときどきあり、私たちはベトナム料理を作ってもてなします。閉店後に店のテラスでバーベキューをしたり、みんなで一緒に外食に行ったりすることもあります。ボーリングにも一緒に行きました。訪日して2カ月後のクリスマスには、店員さんが焼いてくれたケーキに私たちがトッピングをさせてもらい、寮に持ち帰って食べました。 店でクリスマスケーキ作り〈2019年12月〉 日本のお父さん 「お父さん」とガンさん〈2020年7月〉 私たちの技能実習の監理団体(受入組合)は西日本技能センターで、大阪に本社、鹿屋市に支社があります。支社長の山﨑良一さん(73)と女性スタッフが私たちの面倒をみてくれます。私たちは山﨑さんのことを「お父さん」と呼んでいます。 ※西日本技能センター(問い合わせ) https://www.facebook.com/japanskill/ ベトナム語でメッセージを送れます。 「お父さん」とガンさん〈2020年7月〉 他社の技能実習生たちの寮で食事会〈2020年〉 「お父さん」は毎月数回、私たちに会いに来て様子を聞いてくれます。ときどき一緒に来る女性スタッフは友人から集めた古着を持ってきてくれることもあり、おかげで私たちは服を買わなくてすみます。「お父さん」はいつも私たちを気遣い、日本語を教えてくれたり、車で食事や観光に連れて行ってくれたりもします。店長が忙しいときは、代わりにスーパーにも連れて行ってくれます。また、他社の技能実習生たちとの食事会を開いてくれることもあり、地域のベトナム人のつながりが広がりました。 他社の技能実習生たちの寮で食事会〈2020年〉 「お父さん」と一緒にイチョウの森や桜島を観光〈鹿児島県で2019年11月〉 「お父さん」と一緒にイチョウの森や桜島を観光〈鹿児島県で2019年11月〉 日本での生活 寮では、毎日、ベトナムの母とビデオ電話で話します。そして、毎日約2時間、日本語の勉強をしています。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=22,148 VND(2020年7月31日現在) 収入(合計100,000円~110,000円) 手取り給料 100,000円~110,000円 ※税金、社会保険料、寮費を差し引いた後の手取り額 ※差引額のうち寮費22,100円(水道・光熱費、Wi-Fiを含む) 支出(合計 15,000円) 食費 12,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 3,000円 ※衣類も化粧品もほとんど買わない。下着もベトナムから3年分持ってきた。 差額・貯金(85,000円~95,000円) 差額 85,000円~95,000円 ※3カ月ごとに約22万円を両親に送金。 「お父さん」の車で買い物の途中に桜の花見〈2020年4月〉 「お父さん」の車で買い物の途中に桜の花見〈2020年4月〉 日本で長く働きたい 「お父さん」と近所のお店で外食〉 「お父さん」はときどき私たちに飲食店でごちそうしてくれます。初めて鹿児島県に着いた日は、ラーメン店に連れて行ってくれました。あのラーメンがとてもおいしかったので、将来、もし家族が日本に来たら食べさせてあげたいです。また、もう少し日本語が上達したら、日本各地も旅行してみたいです。Facebookで見た岐阜県の白川郷などにあこがれています。 30歳までに故郷で料理店を開くのが夢ですが、今はまだ21歳ですし、「お父さん」や店長をはじめ親切な方々に囲まれて暮らしているので、なるべく長く日本で働きたいと思っています。 「お父さん」と近所のお店で外食〉 「お父さん」に買ってもらったケーキで私の誕生日祝い〈2019年10月〉 「お父さん」に買ってもらったケーキで私の誕生日祝い〈2019年10月〉 「お父さん」の誕生日に私の手作りケーキをプレゼント〈2020年5月〉 「お父さん」の誕生日に私の手作りケーキをプレゼント〈2020年5月〉 小坂店長とトゥイさん〈2020年7月〉 【インタビュー】ジュリアンベーカリー店長・小坂由夏さん(48)の話 朝が早いですし職人的な仕事ですが、トゥイさんもガンさんも一生懸命働いています。2人とも最初から日本語をある程度話し、今では、細かい指導もゆっくり話すと理解できます。焼く前に生地をどのくらい発酵させたらよいかの判断が難しいのですが、トゥイさんはわずか1カ月でその感覚を身に付けました。パンの焼き方も上手です。 自分で仕事の手順書(ノート)を作ったり、他人のやり方を見て覚えたり、とても前向きに仕事をしてくれています。そして、忙しいときは、私が指示をしなくても必要な仕事を自分で見つけて手伝ってくれます。若くて意欲的な人たちが店に来てくれてとてもうれしいです。 小坂店長とトゥイさん〈2020年7月〉 小坂店長とトゥイさん〈2020年7月〉 【インタビュー】ジュリアンベーカリー店長・小坂由夏さん(48)の話 朝が早いですし職人的な仕事ですが、トゥイさんもガンさんも一生懸命働いています。2人とも最初から日本語をある程度話し、今では、細かい指導もゆっくり話すと理解できます。焼く前に生地をどのくらい発酵させたらよいかの判断が難しいのですが、トゥイさんはわずか1カ月でその感覚を身に付けました。パンの焼き方も上手です。 自分で仕事の手順書(ノート)を作ったり、他人のやり方を見て覚えたり、とても前向きに仕事をしてくれています。そして、忙しいときは、私が指示をしなくても必要な仕事を自分で見つけて手伝ってくれます。若くて意欲的な人たちが店に来てくれてとてもうれしいです。 小坂店長とトゥイさん〈2020年7月〉

    2020年08月13日

  • Vol. 38 留学生の妻として訪日・出産・進学

    今回の先輩 ファム・フィ・イェンさん 2002年 5月グエンビンキエム高校卒業〈ヴィンロン県〉 2002年 9月ホーチミン国家大学・工科大学建築学部入学 2007年 4月外資系インテリア会社入社→4年勤務〈ホーチミン〉 2010年 10月留学中の夫と結婚 2011年 4月訪日〈大阪〉 2012年 12月出産 2013年 10月日本語学校入学→1年間 2014年 4月ヘアブラシメーカー入社→2年間勤務 2016年 11月出産 2017年 10月大阪大学大学院言語文化研究科研究生 2018年 4月大阪大学大学院修士課程入学 2020年 4月大阪大学大学院博士課程入学 〈1984年生まれ、ヴィンロン省出身〉 はじめに 家族でマイカーでお出かけ〈2020年5月〉 最初は数年間住むだけのつもりで訪日したイェンさん。その後、日本で娘2人を出産し、大学院にも進み、最近は家も購入した。イェンさんはどうやって日本語を身に付け、どうやって仲間を増やしていったのか――出産・育児やアルバイトの様子とともに本人がリポートする。 家族でマイカーでお出かけ〈2020年5月〉 恋人が日本へ、そして結婚 左:ホーチミン市内の公園で勤務先の同僚と〈2007年〉右:ホーチミンの勤務先で〈2011年〉 私は高校2年のときに同級生と交際を始め、彼と同じ大学に進みました。しかし、彼はその翌年から日本の文部科学省の奨学金で6年間留学(日本語学校1年、高専3年、大学2年)することになりました。私は留学には興味がなく、その後、ホーチミンで就職しやりがいを感じて仕事をしていました。彼とはめったに会えませんでしたが、毎日国際電話をかけてきてくれ、1時間ぐらい話しました。こうして遠距離恋愛の末、私たちは結婚しました。夫は大学院1年目、私は社会人4年目でした。 左:ホーチミン市内の公園で勤務先の同僚と〈2007年〉; 右:ホーチミンの勤務先で〈2011年〉 ◇遠距離恋愛の末に結婚〈2010年〉 夫と同居するため日本へ 結婚して半年後の2011年4月、私は仕事を辞めて訪日しました。夫は設計会社への入社が内定していました。そのときは、日本に長く住むことになるとは思っていませんでした。 私はベトナムの外資系企業で英語で仕事をしていましたが、日本では英語が通じません。当初は友だちも少なく、日本語もできなかったので、ずっと家にいてストレスがたまりました。そんなとき、留学生の妻仲間(ベトナム人)が地元の国際交流協会の日本語教室を紹介してくれました。ボランティアの日本人先生が教える無料教室(1回1時間)です。私は週2回通いました。生徒は20~30人(うちベトナム人4人)で、大阪大学の留学生の家族が大半でした。 私たちの略歴 私たちの略歴 私 夫 2002年 ホーチミン国家大学入学 2004年 日本の日本語学校 2005年 高専 2007年 卒業→ベトナムで就職 2008年 大阪大学工学部 2010年 大阪大学大学院 2010年 結    婚 2011年 退社→訪日 2012年 出産 日本で就職 2013年 日本語学校→1年間 2014年 日本の会社で勤務→2年間 2016年 出産 2018年 大阪大学大学院(修士課程) 2020年 大阪大学大学院(博士課程) 母親生活は寂しいスタート 長女と近所の公園で〈2014年春〉 日本に来て数カ月後、日本語学校に通うお金を貯めるため、留学生の妻仲間の紹介でクリーニング店でパートを始めました。週末だけの仕事で、洗濯とアイロンの担当でした。そして、ほどなく妊娠が判明しました。どの病院がよいのか分からず困っていると、アパートの家主さん(医師)が「大きな病院で産む方がよい」と教えてくれました。そして、マイカーで私たちを病院に連れて行き、受診手続きもしてくれました。その後は夫に通訳として付き添ってもらって受診を続け、2012年10月に長女を出産しました。 産後は、母がベトナムから1カ月間手伝いにきてくれましたが、夫は仕事が忙しくていつも遅い帰宅でした。私は言葉の壁もあり、乳児の予防接種や親子ふれ合いイベントなどの情報も十分に得られませんでした。 長女と近所の公園で〈2014年春〉 保育所を活用し日本語学校へ 日本語学校のクラスメイトと教室で 出産2カ月後、私は週末のパートに復帰しました。そして、出産1年後、娘を保育所に預けて日本語学校(授業料・年間65万円)に入り、1年間通いました。ボランティア教室で学んだおかげで、日本語学校は中級からスタートできましたが、娘がよく発熱したので半分近く休みました。それを補うため、毎晩2時間、自分で勉強しました。 自習に使った主な教材を紹介します。 ・「ペアで覚えるいろいろなことば」(武蔵野書院)=日本語教師の推薦 ・小学生の国語ドリル ・小学生新聞 ・News Web Easy(オンラインニュース)=音声も聞ける 日本語学校のクラスメイトと教室で 日本語学校を経て「就職」 勤務先の会社のベトナム代理人との懇親会で通訳〈2015年〉 日本語力がついたので2014年から2年間、大阪市のヘアブラシメーカーで働きました。ベトナム人の友人が退職する際に後任として紹介してもらいました。同社はベトナムの工場でも委託生産しており、翻訳・通訳が主な仕事内容でした。半年間は日本語学校に通いながらで、残り1年半はフルタイムでした。二女の出産(2016年11月)に備えて退社するまで、社長はじめ社員の皆さまに親切にしていただき、楽しく働けました。 勤務先の会社のベトナム代理人との懇親会で通訳〈2015年〉 キャリアアップを目指し大学院へ 左:大阪大学のベトナム語専攻の教官や院生らと食事会 右:大阪大学で修士課程の修了式〈2020年3月〉 2017年10月、大阪大学大学院の研究生になりました。ここで準備して入試を受け、半年後に大学院に進みました。私の在留資格は「家族滞在」で「留学」ではないので、日本人と同じ入試でした。よい仕事が見つかるようキャリアアップしたいと思ったのが進学理由です。2020年4月からは博士課程に進み、在日ベトナム人の子どもへのベトナム語の教え方について研究しています。なお、大学院入学後に在留資格を「留学」に変更し、修士2年目は文部科学省の奨学金を毎月148,000円受給し、授業料も免除されました。博士課程では、年齢制限でこの奨学金は受給できなくなりました。 左:大阪大学のベトナム語専攻の教官や院生らと食事会; 右:大阪大学で修士課程の修了式〈2020年3月〉 ベトナム人コミュニティ 左:国際交流協会の活動で仲良くなったベトナム人女性らとテトのイベントを開催〈2016年〉右:東京のベトナム人の友だちを訪ねて〈上野公園で2016年〉 当初は留学生の妻仲間しか友人がいませんでした。しかし、大阪のベトナム人留学生が集まる大きなグループがあり、毎年テト(旧正月)に大阪大学の施設に集まってお祝いをします。このような機会にベトナム人の友だちが増えていきました。国際交流協会の活動を通じて友だちになったベトナム人仲間もいます。また、夫の妹が2014年から日本で留学し近所に住み始めました。義妹はその後、日本で就職しました。義妹の娘は私の長女と同学年で、彼女たちとは今も一緒に食事をしたり買い物や旅行に行ったりします。 左:国際交流協会の活動で仲良くなったベトナム人女性らとテトのイベントを開催〈2016年〉; 右:東京のベトナム人の友だちを訪ねて〈上野公園で2016年〉 親切な日本人のママ友たち 親切な日本人のママ友たち ママ友たちと近所の公園で桜の花見〈2019年4月〉 日本語が話せるようになると、日本人のママ友だちもできました。友だちになるきっかけはいろいろあります。保育所で私から「すみません」と話しかけて質問する▽向こうから「初めまして」と声をかけてくれる▽子ども同士が遊んで親切にしてもらった後で、「この間は仲良くしていただいてありがとうございました」とお礼を言う――などです。私の住む地域のママさんたちは親切な人が多く、今では彼女たちとの付き合いが中心です。 ママ友たちと近所の公園で桜の花見〈2019年4月〉 アルバイトとボランティア アルバイトとボランティア 日本語力がつくと、ボランティアやアルバイトの依頼・紹介が増えました。例えば、2018年からは大阪大学外国語学部(ベトナム語専攻)の学生の卒業論文(ベトナム語)の執筆をサポートする「ティーチング・アシスタント」をしています。 また、2017年から隣の市の公立小学校でスクール・サポートをしています。大学院の先生から紹介されたボランティア的な仕事です。技術者などで日本に来るベトナム人の子どもたちが日本語力ゼロで小学校に入ります。彼らのために一般授業で通訳をしたり、特別授業を設けて日本人教師と一緒に国語や算数を教えたりします。単独で日本語を教えることもあります。こうした児童が現在5人います。学校から保護者への連絡文書を翻訳したり、保護者懇談で通訳をしたりもします。 開始年 終了年 アルバイト・ボランティア 報酬・謝礼(交通費含む) 頻度 2013 箕面市国際交流協会(ベトナム文化の紹介、翻訳、イベント手伝い 無償 不定期 2016 2018 ベトナム語個人レッスン1名 1時間1,500円 週1回(2時間) 2017 小学校で授業サポート 3時間5,000円 週1回(大学の長期休暇時は週4回) 2017 小学校で事務サポート(ベトナム人保護者への連絡分翻訳など) 1回2,400円 2018 2019 箕面市国際交流協会(ベトナム語教室) 1人1回500円 週1回(1時間) 2018 みのお外国人医療サポートネット(ベトナム人の受診で通訳) 1回3,000円 月1回程度 2018 大阪大学(ティーチングアシスタント) 1時間1,600円 2020 NHK文化センター(ベトナム語教室) 1人1コマ1,000円 2週に1回(日曜、80分×2コマ) 2020 大阪の専門学校(ベトナム語講師) 1回4,000円+交通費 週1回(90分) 2020 神戸の専門学校(ベトナム語・ベトナム文化 非常勤講師) 1コマ6,000円 週1回(90分×2コマ) 開始年 終了年 アルバイト・ボランティア 報酬・謝礼(交通費含む) 頻度 2013 箕面市国際交流協会(ベトナム文化の紹介、翻訳、イベント手伝い 無償 不定期 2016 2018 ベトナム語個人レッスン1名 1時間1,500円 週1回(2時間) 2017 小学校で授業サポート 3時間5,000円 週1回(大学の長期休暇時は週4回) 2017 小学校で事務サポート(ベトナム人保護者への連絡分翻訳など) 1回2,400円 2018 2019 箕面市国際交流協会(ベトナム語教室) 1人1回500円 週1回(1時間) 2018 みのお外国人医療サポートネット(ベトナム人の受診で通訳) 1回3,000円 月1回程度 2018 大阪大学(ティーチングアシスタント) 1時間1,600円 2020 NHK文化センター(ベトナム語教室) 1人1コマ1,000円 2週に1回(日曜、80分×2コマ) 2020 大阪の専門学校(ベトナム語講師) 1回4,000円+交通費 週1回(90分) 2020 神戸の専門学校(ベトナム語・ベトナム文化 非常勤講師) 1コマ6,000円 週1回(90分×2コマ) ◎ベトナム語個人レッスン=インターネットの紹介サイトに登録。https://hello-sensei.com/ ◎外国人医療サポート=国際交流協会からの依頼 ◎NHK文化センター、大阪の専門学校=前任者(大阪大学の関係者)からの紹介 ◎神戸の専門学校=大学院の友人からの紹介 自宅の庭でおやつを食べる次女〈2020年〉 自宅の庭でおやつを食べる次女〈2020年〉 自宅で夕食の準備〈2020年〉 日本に慣れ親しんで 自宅で遊ぶ娘たち〈2020年5月〉 娘たちは現在、小学2年と3歳です。娘たちが学校や保育所で過ごす朝から夕方までの間に、私は勉強・家事・アルバイトをこなします。夜も授業準備などがあり、睡眠は5時間ぐらいです。 当初は、数年でベトナムに帰るつもりでしたが、日本で子育てを続けるうちに娘たちに日本の教育を受けさせたいと思うようになりました。日本の学校では生活マナーなども教えてくれるからです。また、日本に長く住み、便利な生活や仕事に対する日本的な考え方にも慣れ親しみました。今ベトナムに帰っても適応できるかどうか分かりません。こうして私たちは2018年、住宅ローンを借りて一軒家を購入しました。当面は、家族や仲間と一緒に日本で学び、働き、生活を続けていきたいと思っています。 自宅で遊ぶ娘たち〈2020年5月〉

    2020年08月07日

  • Vol. 37 多彩な仲間づくりで留学が充実

    今回の先輩 レ・チュン・ハイさん 2014年 5月ファンチヤウチン高校卒業〈ダナン市〉 2014年 9月ドンズー日本語学校入学〈ホーチミン〉 2015年 10月ドンズー日本語学校卒業 2015年 10月神村学園専修学校日本語学科入学〈鹿児島県〉 2017年 3月神村学園専修学校日本語学科卒業 2017年 4月長崎県立大学経営学科入学〈長崎県〉 〈1996年生まれ、ダナン市出身〉 はじめに 外国人客が多い佐世保のバーで大学の仲間たち(ベトナム人、日本人、中国人)と〈2018年〉 「日本で知識と人脈を広げ、将来ベトナムの発展に貢献する」という目標を持ち、まじめに勉強を続け、仲間との時間も大切にするハイさん。多彩な交流を積み重ねるハイさんの留学生活は、他の留学生やこれから日本に来る留学生にも参考になることだろう。 外国人客が多い佐世保のバーで大学の仲間たち(ベトナム人、日本人、中国人)と〈2018年〉 留学前にみっちり勉強 私はベトナムで大学受験に合格しましたが、日本に留学して成功した親せきの話を聞いて自分も留学したくなり、まずドンズー日本語学校を受験しました。 ホーチミンのドンズー日本語学校「ビンミー留学生日本語センター」では、日本の大学を目指す学生向けにハイレベルの日本語教育を行っています。私はここで1年間、寮生活をしました。日本語は初めてでしたが、1年で日本語能力試験(JLPT)のN3程度のレベルになりました。授業は平日の朝から夕方までと土曜日の午前で、毎月、試験の成績でクラス分けが行われました。授業のレベルについていけず、途中で退学する仲間もいました。 ドンズーの教室(左奥が私)。1日中勉強するので、授業の合間に仮眠する生徒も多い ドンズーの教室(左奥が私)。1日中勉強するので、授業の合間に仮眠する生徒も多い 同級生と一緒にホーチミンから福岡空港を経て留学先の鹿児島に到着〈2015年10月〉 日本語学習 神村学園で一緒に勉強した仲間たち〈2017年〉 2015年10月、ドンズーの提携校である神村学園専修学校(鹿児島県)に入学し、1年半学びました。日本留学試験(EJU)のための勉強は自分でやりました。 授業以外での日本語学習には下記の教材を使いました。 ・「新完全マスター」シリーズ ・「スピードマスター」シリーズ ・「日本語総まとめ」シリーズ テレビやインターネットも活用しました。 ・テレビのニュース ・日本のアニメ(字幕:ベトナム語、音声:日本語) ・日本の音楽 神村学園で一緒に勉強した仲間たち〈2017年〉 日本留学試験(EJU)の勉強 佐世保のドンズー仲間(同期+後輩)の食事会。ドンズー生の結束は強い。〈2016年〉 EJU対策には「日本留学試験対策問題集 ハイレベル」シリーズ(アスク出版)や「理解しやすい数学I+A」(文英堂)などを使いました。また、ドンズーの先輩たち(大学生)が集まって模擬試験を作り、年2回のEJUの直前に後輩の私たちに受けさせて採点し、個別指導もしてくれました。こうして、私は長崎県立大学(佐世保市)に合格しました。 佐世保のドンズー仲間(同期+後輩)の食事会。ドンズー生の結束は強い。〈2016年〉 学費と奨学金 神村学園専修学校の学園祭〈2016年11月〉 神村学園の学費…入学金約10万円。ドンズーとの提携料金で「学費+寮費+光熱費」が毎月数万円。 長崎県立大学の学費…入学金37万円。授業料は年間535,800円ですが、留学生向けの授業料減免制度で毎年半額になりました。これには成績などの条件があります。 また、ロータリークラブの奨学金(毎月10万円)を2019年4月から受給しています(2年間)。 Link: ロータリー米山記念奨学会 神村学園専修学校の学園祭〈2016年11月〉 アルバイト アルバイト先のリゾートホテルでバイト仲間と。背後は「ハウステンボス」。〈2018年ごろ〉 私は週28時間(長期休暇時は40時間)の決まりを守りながらさまざまなアルバイトを続け、夏休みには遠方で住み込みの農業アルバイトもしました。アルバイトを通じて日本語を話す機会が増えましたし、仲間もたくさんできました。 アルバイト先のリゾートホテルでバイト仲間と。背後は「ハウステンボス」。〈2018年ごろ〉 時期 主なアルバイト 神村学園 ▪ ラーメン店(学校の紹介) 日本語の練習のためホール担当を希望。最初は「いらっしゃいませ」「決まりましたらお呼びください」「ご注文は以上でおそろいですか」など決まり文句と商品名だけを覚えて対応(→わからないことを聞かれたら店長を呼ぶ)。その後、だんだんと日本語がわかるようになった。 大学1~3年 ▪ リゾートホテル 観光施設「ハウステンボス」の併設ホテル。結婚式の準備や料理の配膳、レストラン店員など。自宅から1時間かかるので、週末だけ勤務。新型コロナの影響で仕事がなくなった。 大学2~3年 ▪ コンビニ 平日は、自宅に近いコンビニで勤務。週末は、ビジネスホテルの仕事とリゾートホテルの仕事。 大学3~4年 ▪ ビジネスホテル 部屋の清掃とベッドメイク。9:30~14:30。当初は週末だけだったが、大学で必要な単位をほとんど取得したので、大学4年からは平日も勤務。 大学4年 ▪ 牛丼店 リゾートホテルの仕事がなくなったため。 夏休み(1~3年) ▪ 農業アルバイト(ドンズーの先輩の紹介) 岩手県で住み込みで農作業。朝4時起床。大根の収穫など。大学2年の夏は1カ月半滞在して約40日間働き、手取り給料42万円。3年の夏は滞在1カ月、手取り22万円。 私の家計簿(1カ月の平均) ※大学3年のときの家計簿 ※100円=21,639ドン(2020年7月23日現在) 収入(合計170,000円~180,000円) 収入 ・アルバイト3件 70,000円~80,000円 ※コンビニ、ビジネスホテル、リゾートホテル ※大学の定期試験がある月は約30,000円 ・奨学金 100,000円 ※ロータリー米山記念奨学会 支出(合計94,000円~110,000円) 家賃 26,000円 ※1人暮らし、ワンルーム、wi-fi・水道費込み 授業料 25,000円 光熱費 10,000円 ※電気・ガスの合計(自炊のためガス代がかさむ) 携帯電話 3,000円 ※Au ※Wi-Fiのある大学図書館で勉強することが多かったので通信料低額 食費 15,000円 ※バイト先のコンビニで廃棄弁当をもらえることもあった 雑費 15,000円~30,000円 ※衣類、交通費、外食費など 差額・貯金(70,000円~80,000円) 差額 70,000円~80,000円 ※緊急時(新型コロナなど)や定期試験の時期など収入減に備えてプール ※2年に1回ベトナムに帰国 ※長期休みに旅行 ベトナム料理の食材も地元の店で入手〈2020年7月〉 ベトナム料理の食材も地元の店で入手〈2020年7月〉 アルバイト仲間 ラーメン店のバイト修了後、仲間が私の誕生日祝い。ケーキは店長の差し入れ。〈2016年〉 アルバイトがきっかけでたくさんの仲間ができました。神村学園時代にはベトナム人の同級生6人でラーメン店やその姉妹店でアルバイトをしましたが、2歳年上の店長が店員と一緒に私たちの寮によく遊びに来てくれました。私たちはベトナム料理を作って迎え、一緒にビールを飲んで過ごしました。 大学に入ってからは、リゾートホテルのバイト仲間で集まって食事会をしたり、そのメンバーの友人の技能実習生たちの寮に集まって食事会をしたりしています。 ラーメン店のバイト修了後、仲間が私の誕生日祝い。ケーキは店長の差し入れ。〈2016年〉 地域のベトナム人コミュニティ 長崎県佐世保市の町並み 地域のベトナム人の交流もあります。友人やその友人がテト(旧正月)や週末に一緒に食事をしたり、新しく日本に来た人をサポートしたりします。今年のテトには、日本語学校の留学生やアルバイト仲間、大学の同級生など地元のベトナム人十数人が後輩留学生の家に集まってお祝いをしました。長崎では大都会と比べてベトナム人が少ないこともあってか、地域のベトナム人のつながりが強いように思います。 長崎県佐世保市の町並み 旅行とドンズー仲間 旅行先の横浜でドンズーの同期と食事会〈2018年〉 ドンズー卒業生は全国に散らばっており、旅行の際は互いの家に泊め合います。私も九州各地や関西、東京、横浜、福島などさまざまな地域に旅行しました。普段の生活でも、地元のドンズー卒業生との交流はたくさんあります。 旅行先の横浜でドンズーの同期と食事会〈2018年〉 ロータリークラブの活動 長崎県雲仙市でRCの相談担当の方と〈2019年12月〉 大学3年からロータリークラブ(RC)の奨学金を受給しているため、RCの活動によく参加します。これを通じて各国からの奨学生仲間や日本の方々との交流も生まれました。私は長崎県内各地のRCでこれまでに6回、卓話(ミニ講演)を担当しました。奨学生の相談担当のRCメンバーがおられ、卓話担当後に観光に連れて行ってくれたりもします。 長崎県雲仙市でRCの相談担当の方と〈2019年12月〉 長崎県の鎮西学院高校の生徒らと交流〈2019年〉 奨学生がRCメンバーに手料理をふるまうイベントや高校生と交流するイベントなどもあります。2019年は、奨学生14人が長崎県諫早(いさはや)市へのRCの研修旅行(1泊2日)に同行させていただき、地元の高校生らと交流しました。 長崎県の鎮西学院高校の生徒らと交流〈2019年〉 農業アルバイトで実習生活を体験 左:農園の昼休み〈2018年〉右:農園の寮。早朝に起床し、車で農園へ〈2018年〉 私は週28時間(長期休暇時は40時間)の決まりを守りながらさまざまなアルバイトを続け、夏休みには遠方で住み込みの農業アルバイトもしました。アルバイトを通じて日本語を話す機会が増えましたし、仲間もたくさんできました。 しかし、2年前のある日、上司のやり方に不満を持った実習生1人が技能実習をやめると言い出しました。他の実習生も同じ不満を抱えていますが、日本語を十分に話せません。そこで、私が彼らと農園幹部の間に入って話し合いが行われました。実習生1人は結局ベトナムに帰国しましたが、この話し合いをきっかけに実習生の処遇が改善され、最近では、幹部が彼らを旅行に連れて行くなどよい関係が続いているようです。 左:農園の昼休み〈2018年〉右:農園の寮。早朝に起床し、車で農園へ〈2018年〉 鹿児島・長崎のよさ リゾートホテルのバイト仲間の家で食事会〈2019年〉 東京や大阪に遊びに行くこともありますが、人々がいつも忙しそうで、余裕がないように見受けられます。都会で学ぶベトナム人仲間には、「日本が好きになれない」「卒業したら帰国したいと」いう人も少なくありません。 都会での人間関係を聞くと、鹿児島・長崎とは違うように感じます。私はここで親切な日本人に多く出会い、日本になじむことができました。アルバイト先でもたくさんのお客さんに話しかけていただきました。地域のベトナム人コミュニティのつながりもあります。地方で留学できてよかったと思っています。 リゾートホテルのバイト仲間の家で食事会〈2019年〉 大学での勉強と将来 勉強もがんばっています。大学3年間で必要単位をすべて取り、あとは卒業論文だけです。大学では保険と企業のリスクマネジメントについて学びましたが、もう少し勉強したくて大学院の推薦入試を受け、合格しました。卒業後は日本で保険関係の仕事をし、将来はベトナムに知識やノウハウを還元したいと思っています。

    2020年08月05日

  • Vol. 36 技能実習の仲間と楽しむいなか暮らし

    今回の先輩 チュ・ティ・ムックさん 2014年 5月ルオンタイ高校卒業〈バクニン県〉 2014年 9月専門学校入学・看護専攻〈ハノイ〉 2017年 7月専門学校卒業 2017年 9月日本語センター入所〈ハノイ〉 2018年 9月訪日→講習→工場で技能実習〈三重県〉 〈1996年生まれ、バクニン省出身〉 anhnangcuaanh9296@gmail.com はじめに 農村の工場で働くムックさん。地域にお店は少ないが、山や川や畑と親しみ、仲間に囲まれて楽しく過ごしている。日本語の勉強にも地道に取り組み、訪日して2年もたたないのに、日常会話は問題なくこなせる。いなかのよさや日本語学習についてムックさんが紹介する。 ムックさんたちの寮に近いJR佐那具駅。利用者が少ない小さな駅だ。〈2020年7月〉 ムックさんたちの寮に近いJR佐那具駅。利用者が少ない小さな駅だ。〈2020年7月〉 日本行きの理由と送出機関への支払い 左:ハノイの専門学校の卒業式で〈2017年〉 右:専門学校の校舎で〈2015年ごろ〉 私はベトナムの専門学校で看護を学びました。しかし、テレビで見た日本の景色や町並みが好きだったこともあり、先に日本で技能実習をした友人の話を聞いて自分も日本に行こうと決めました。 その友人が使ったハノイの送出機関を私も使いました。送出機関に支払ったお金は全部で6,000 USDで、ここに1年分の授業料や寮費も含まれています。このお金は、父が親せきから借りました。 【編集部からのアドバイス】 ベトナム政府の規定で、技能実習生への日本語教育費は約520時間に対し5,900,000ドン以下、送出手数料は3,600 USD以下(3年契約の場合)となっています。日本への往復の旅費は日本の受入企業が負担する決まりです。費用などが規定と違う場合は、内容を確認した上で送出機関から領収証をもらいましょう。また、他の送出機関の選択も検討しましょう。 技能実習の内容 帰国する技能実習生と一緒に本社前で記念撮影〈2019年12月〉 私の実習先は三重県の「ミヤケ」という会社で、ベアリング部品や自動車・自転車の部品を製造しています。私の仕事は自動車部品の検査です。私が勤務する本社&工場は、敷地が約5㌶もあり、約300人が働いています。 私たちの仕事は7時~16時(夜勤は19時~翌朝4時)です。職場では、普段は黙って仕事をしますが、休み時間には日本人と雑談もします。掃除のおばさんと社員食堂で一緒にランチを食べてお話をすることもあります。 Link:ミヤケ 帰国する技能実習生と一緒に本社前で記念撮影〈2019年12月〉 自転車通勤 工場の自転車置き場で〈2020年〉 工場までは自転車で約10分です。工場の制服を着てから寮を出ます。雨の日は雨がっぱを着て自転車に乗ります。 雨がっぱは、日本から帰った先輩たちのアドバイスでベトナムから持ってきました。日本で買うと高いからです。 工場の自転車置き場で〈2020年〉 実習仲間で食事会 仕事が休みの日は、母とビデオ電話で話したりスーパーに買い物に行ったりします。地元のスーパーまでは自転車で約10分ですが、ときどき大きな町のショッピングモールにも行きます。そのときは約40分かかります。 男子寮と女子寮が並んでいて、男のベトナム人技能実習生が約15人、女が約10人住んでいます。 男女数人のグループがいくつかあり、休日にグループ単位で遊びに行ったり寮でご飯を食べたりします。鍋や焼き肉、ビールなどを楽しみます。 近所の河原で桜の花見〈2020年4月〉 近所の河原で桜の花見〈2020年4月〉 寮の仲間とブドウ狩り〈愛知県で2019年〉 新型コロナで魚釣りに夢中 近くの川でナマズをゲット!〈2020年5月〉 寮の前に川があり、私たちのグループは最近、魚釣りにはまっています。日本の川はきれいで、魚やカメなどがいっぱいいます。ベトナムにはあまりきれいな川はありません。だから、きれいな川を見ると、みんなとても興奮します。 新型コロナウイルスの感染拡大の影響でここ2、3カ月、仕事の休みが多くひまだったので、数人で釣りに行ったのが始まりでした。中古の釣りざおを買い、針にミミズをつけて糸を垂らすと、なんとナマズが釣れました。ベトナムではよくナマズを食べます。ナマズが釣れた日は、みんなでバーベキュー・パーティーをしてとても楽しかったです。 会社でその話をすると、日本人は皆さんびっくりしていました。「日本人はナマズを食べない」とのこと。文化の違いだなあと思いました。ナマズは本当においしいので、チャンスがあったら食べてみてくださいね。 近くの川でナマズをゲット!〈2020年5月〉 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,662ドン(2020年7月22日現在) 収入(合計140,000円~160,000円) 手取り給料 140,000~160,000円 ※税金、社会保険料、寮費を差し引いた後の手取り額 □新型コロナで勤務が減ったときは86,000円 □差引額のうち寮費は35,000円(水道・光熱費と出勤時の昼食代含む、寮は1室に1人) 支出(合計30,000円) Wi-Fi 800円 ※5人で分担 食費 25,000円 ※主に自炊 雑費・交通費 4,200円 ※衣類も化粧品もあまり買わない 差額・貯金(110,000円~130,000円) 差額 110,000円~130,000円 ※2~3カ月に1度、両親に送金(=1回24万円) ※旅行をするときは送金額を減らす 社員食堂のメニュー(ランチはここから選びます) 社員食堂のメニュー(ランチはここから選びます) 技能実習生の女子寮 連休には旅行に 大阪に日帰り旅行〈2019年7月〉 連休には旅行(日帰りか1泊2日)に行くこともあります。ベトナム人向けのバスツアーがあるので、たいていはそれに1人で参加します。これまでに行ったのは東京や白川郷(岐阜県)、大阪、なばなの里(三重県)などです。 この中で私が一番好きなのは大阪です。大阪には友人と2人で電車で行きました。にぎやかでごちゃごちゃしていて、何となくベトナムと雰囲気が似ています。 大阪に日帰り旅行〈2019年7月〉 白川郷〈2019年1月〉 白川郷〈2019年1月〉 横浜の中華街〈2019年8月〉 日本語の勉強 寮でタブレットを使って学習〈2020年7月〉 日本語を使う機会を増やすためNPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を受けています。毎週2回(1回30~60分)、Skypeを使ってボランティアの日本人の先生から文法や漢字などを教わっています。会話やヒアリングの練習にもなります。先生から宿題も出され、採点・添削もしてもらえます。 Lotus Worksの授業は、最初は携帯電話で受けていたのですが、携帯電話の画面では教材を読みにくいので中古のタブレットを約3万円で買いました。 Link: Lotus Works 寮でタブレットを使って学習〈2020年7月〉 これ以外にも毎日1時間(休みの日は3時間)、教材などで勉強しています。You Tubeの学習チャンネルもよく利用します。 Link: Dungmori Link: Riki nihongo 畑仕事 おじいさんと畑で〈2020年7月〉 通勤途中に畑がたくさんあります。その中におじいさんが一人で野菜を育てている290㎡の畑があります。私は約1年前、休日に自転車でその畑に行き、思い切っておじいさんに話しかけました。 「こんにちは!」 「こんにちは。どこから来たの?」 「ベトナムから来ました」 「ベトナムから来ました」 このようなやり取りから仲良くなり、畑を手伝わせてもらえるようになりました。 雨の日以外は毎日20~30分、通勤途中に私が畑全体に水をまきます。ときどき草むしりもします。3㍍×5㍍ぐらいの区画をもらい、自分の野菜(ベトナムの空心菜、ゴーヤ、ナスなど)を育てていますし、おじいさんも野菜をたくさんくれます。 種から芽が出てだんだん大きくなり、花が咲いて実を付ける。そのプロセスを見るのが楽しいですし、おじいさんと一緒に働くのも楽しいです。おじいさんの名前は山﨑健市さん。78歳です。おじいさん、いつもありがとう。 おじいさんと畑で〈2020年7月〉 いなか暮らしをエンジョイ 寮の自室で〈2020年〉 私たちの住む地域には店がほとんどありません。1カ月に2回ぐらい2、3人で大きな町のショッピングセンターに行きますが、飲食店に入ったことはありません。自分たちで作って寮で一緒に食べる方がおいしいし楽しいからです。 会社の求人票ではどのような地域か想像できず、赴任直後は退屈な地域だと思いましたが、山や川や畑があり、寮の仲間たちもいて、楽しく過ごしています。いいところに実習に来られてよかったと、今は思っています。 技能実習が終わったら、ベトナムで日本語の先生など日本語を生かせる仕事に就けたらいいなあと思います。 寮の自室で〈2020年〉 ムックさんの学習ノート 【インタビュー】Lotus Worksでムックさんに教えている梅田惠子先生のコメント 毎回、給料のほとんどを実家の両親に送るムックさん。日本では新型コロナウイルスによる収入減を補うため、外国人も含めて全員に10万円を支給する対策がありました。ムックさんは「普段、洗顔しても何もつけていないから顔にぶつぶつができちゃった。10万円をもらったら化粧水を買って残りを実家に送ろうか、それとも全額を送ろうか」とずいぶん悩んでいました。結局、化粧水を買わずに全額を実家に送ったそうです。 まじめに働き一生懸命勉強するムックさん。彼女のノートにはきれいな字で日本語がびっしり書き込まれています。何ごとにも明るく前向きに取り組むムックさんを心から応援しています。これからもがんばってくださいね。 ムックさんの学習ノート

    2020年07月31日

  • Vol.35 国立大に合格後、日本で技能実習

    今回の先輩 グエン・ティ・ゴックさん 2016年 6月レクイドン高校卒業〈カムファ市〉 2016年 8月靴工場に勤務〈ハイズオン県〉 2017年 2月日本語センター入所〈ハノイ〉 2017年 7月訪日→講習→工場で技能実習〈名古屋県〉 〈1998年生まれ、カムファ市出身〉 はじめに ベトナムの一流大学に合格しながら家庭の事情で進学をあきらめたゴックさん。日本で技能実習をしながら日本語能力試験(JLPT)N2に合格。今はN1を目指しており、日本語の会話力もすぐれている。ゴックさんの充実した日本生活と日本語学習の両立について紹介する。 経済的理由で大学を断念 高校卒業後、ハイズオン省の勤務先で〈2016年〉 私は国立大学の一種である 財政アカデミー(Học viện Tài chính)に合格しましたが、家庭が貧しいので行かせてもらえませんでした。 日本への出発直前に妹(左)やめいとハノイの動物園で〈2017年〉 父は単身赴任でカムファの工場に勤務し、母はハイズオンで魚の干物を売っています。私は高校卒業後、ハイズオンの工場で半年間働きましたが、日本語を学びながらお金を稼いで家族を支援したいと思い、技能実習を目指しました。いとこが先に日本に実習に行き、彼のお母さん(私の伯母)に送金しているのを見て、私もと思ったのです。 送出機関と受入組合 日本語センターの教室とクラスメート いとこが技能実習後に就職したハノイの送出機関に依頼し、送出手数料などに4,000 USD(米ドルで支払い)、食費に9,000,000ドンを支払いました。また、訪日後の失踪を防ぐ保証料として1,000 USDを送出機関に預けました。日本に持って行った現金は2万円だけでした。 【編集部からのアドバイス】 ベトナム政府の規定で、技能実習生への日本語の教育費は約520時間に対し5,900,000ドン以下、送出手数料は3,600 USD以下(3年契約の場合)となっています。日本への往復の旅費は日本の受入企業が負担する決まりです。また、送出機関が失踪防止のために保証金を預かることは禁止されています。費用などが規定と違う場合は、内容を確認した上で送出機関から領収書をもらいましょう。また、他の送出機関の選択も検討しましょう。 技能実習の内容 実習仲間や職場の上司と飲み会〈2019年10月〉 私の実習先の工場は名古屋市内にあり、車のワイパーの部品や浴室のシャワーの部品を製造しています。私は機械を操作したり製品をチェックしたりする担当です。工場で働く十数人のうちベトナムの技能実習生は9人(女性6人、男性3人)です。ただ、日本人は2階で、ベトナム人は1階で働いているので、仕事で日本語を使う機会はほとんどありません。 日本語の勉強 私は2017年7月に日本に来て2018年12月にJLPTのN3に、2019年12月にN2に合格しました。夕食後に毎日2時間、日本語の勉強をしています。土日は4時間以上勉強し、たまに遊びに出かけた日でも、帰宅してから勉強します。適した場所がないので、ベッドの上にちゃぶ台を置き、そこに教材を広げています。 私は2017年7月に日本に来て2018年12月にJLPTのN3に、2019年12月にN2に合格しました。夕食後に毎日2時間、日本語の勉強をしています。土日は4時間以上勉強し、たまに遊びに出かけた日でも、帰宅してから勉強します。適した場所がないので、ベッドの上にちゃぶ台を置き、そこに教材を広げています。 【教材など】 N3対策には主に「日本語総まとめ」シリーズを使いました。しかし、N2には一発で合格しなかったので、その後は、「TRY! 文法から伸ばす日本語」と「新完全マスター」シリーズを中心に使っています。 また、You Tubeの学習チャンネル「日本語の森」をよく見ます。 左:Lotus Works の宿題をオンラインで提出 右:先生から採点されて返却。分からない部分は授業で質問 【オンライン学習】 ➊職場で日本語を使う機会がないので、NPO法人「Lotus Works」のオンライン無料授業を2年前から受けています。毎週1回(1時間)、Skypeを使ってボランティアの日本人の先生から文法・読解・漢字を教わっています。先生と会話をするので、会話やヒアリングの練習にもなります。先生から宿題も出され、採点・添削をしてくださいます。 Link:Lotus Works 左:Lotus Works の宿題をオンラインで提出 右:先生から採点されて返却。分からない部分は授業で質問 ➋また、それ以外にFacebookで呼びかけてベトナム人3人の学習グループを作り、毎週火曜の夜に1、2時間、SNSのビデオ電話で日本語会話をしています。この中の1人は日本語がペラペラです。この学習はベトナムに帰ってからも続けたいと思っています。 日本を楽しむ 左:テト用に作った料理〈2020年1月〉 右:普段の手作り料理 私の趣味は旅行と料理です。ベトナム料理をよく作ります。母が料理上手で、私も中学生のときから母を手伝っていたので得意になりました。今年のテト(旧正月)の料理もほとんど自分で作りました。パンも自分で焼きます。 旅行は、2018年に高校時代の友人(留学生)を訪ねて新幹線で大阪・京都に行きました。2019年には、長距離バスで東京・横浜に行き、ハノイの日本語センターで仲のよかった同期と再会。その後、群馬県の同期3人とも合流しました。 ◇大阪・京都〈2018年8月〉 ◇横浜で親友と再会〈2019年4月〉 ◇群馬県のあしかがフラワーパーク〈2019年5月〉 ◇高山〈2019年2月〉 また、2019年2月には、職場の実習仲間3人で岐阜県高山市への日帰りバスツアー(ベトナム語ガイド付き)に参加しました。雪が降る様子を見たかったのですが、あいにくその日は雨でした。でも、積もった雪を始めて体験できました。 ◇高山〈2019年2月〉 日本の食文化も大好きです。 普段の外食 ラーメンが大好き。ひいきはチェーン店の「来来亭」 特別な外食 焼き肉はもっと好き。日本の焼き肉はベトナムの焼き肉よりおいしい。友だちもみんな焼き肉が大好き。家族がもし日本に来たら、焼き肉屋に連れて行ってあげたい。 好きな菓子 日本のチョコレートはベトナムより安くておいしい。私のお勧めは「キットカット」 来来亭のラーメン キットカット 日本での生活 職場の工場の隣に私たちの寮があります。1階が資材置き場で、2階が寮です。職住近接ですし化粧もしませんので、朝8時に起きて8時半から働いています。終業は17時半で、以前は残業があったのですが、最近は新型コロナウイルス感染拡大の影響で残業がありません。 私の家計簿(1カ月の平均) ※100円=21,770ドン(2020年6月22日現在) 収入(合計110,000円~140,000円) 手取り給料 110,000~140,000円 ※税金、社会保険料、寮費、水道・光熱費を引いた後の手取り額し ※このうち寮費は9,000円 ※寮は2ベッドルームに6人。台所・シャワー・トイレは室外で共同 支出(合計30,000円~35,000円) Wi-Fi 800円 ※同室の6人で分担 食費 25,000円~30,000円 ※主に自炊 携帯電話 0円 ※SIM不使用(Wi-Fi利用のみ) 雑費 5,000円 ※交通費、たまに外食 ※化粧品も衣類もあまり買わない 差額・貯金(70,000円~100,000円) 差額 70,000円~100,000 ※2年10カ月間で実家に約270万円送金 ※年3回の長期休暇のときは、旅行などでお金を使うので送金額は少ない 土日も寮で勉強をしますが、寮の仲間と近くにある広大な公園「戸田川緑地」などに自転車で遊びに行くこともよくあります。お弁当を持って行ってピクニックを楽しむ日もあります。 ◇近所の公園で日本の四季を楽しむ=春 ◇近所の公園で日本の四季を楽しむ=夏 ◇近所の公園で日本の四季を楽しむ=秋 家族と将来の夢 母と妹〈ハイズオン省で2018年〉 私には小学5年生の妹がいます。毎週2、3回、SNSで母とビデオ通話をしますが、途中から必ず妹も入ってきます。ある日、「リンちゃんは私に会いたいですか」と聞くと、妹は「会いたいです」と鳴き声になりました。中学生のときの夏休み、祖母の家に私だけが1カ月間滞在して実家に帰ると、妹が私に抱きついてきて泣きました。小さいころから両親が仕事で忙しく、妹と2人で過ごす時間が長かったので、私が家にいると妹はずっとそばにくっついています。この3年間、一度も帰国しなかったので、実習が修了したら、早く帰ってあげたいです。 帰国後は、いろいろな仕事に挑戦してみたいですが、できれば、日本語力を生かした仕事に就きたいです。もしベトナムでいい仕事が見つからなければ、特定技能の在留資格でまた日本に戻れたらとも希望しています。

    2020年07月13日

主催者

Nhà tài trợ Bạch Kim

後援

  • 在ベトナム日本国大使館
  • 国際交流基金ベトナム日本文化交流センター
  • JNTOハノイ事務所
  • 関西経済連合会
  • 一般社団法人 国際人流振興協会
  • 公益社団法人 ベトナム協会
  • NPO法人 日越ともいき支援会

協力

JASSO(日本学生支援機構)

外国人労働者弁護団

WA.SA.Bi.